« 地域が「ぐずぐずと変わる」ための「地元学」
メイン
「よい地域」であるための7つの条件 »

鳴子の米プロジェクト─「消費者」から「当事者」へ

100514_yuuki.jpgのサムネール画像

地元学は、その土地の人びとの声に耳を傾け、そこを生きる人びとに寄り添って展開されるものであるが、ときに時代の課題に相渉り、格差社会に抗って展開されるものでもある。たとえば宮城県旧鳴子町で2006年から取り組まれている「鳴子の米プロジェクト」は、大規模化を進める日本農政が切り捨てた小農の米づくりを地域の力で支援する「米の地元学」である。

 2007年、自公政権下の日本農政は、「品目横断的経営安定対策」の名のもとに、戦後農政の大転換に踏み切った。グローバル化によるWTO、FTAなどの外圧などを考慮し、少数精鋭による大規模効率農業の推進がその判断の根拠だが、果たしてそれでうまくいくという保証はない。しかもこれによって中小農家の大多数が政策対象外になり、農政の支援がなくなるということになった。
 中山間地農業はどうなるのか。とても人ごとではいられない。「4ヘクタール以上の認定農業者に本当に展望はあるのか」「規模も耕作条件も年齢も異なる多様な農業者をむりやり20ヘクタールにかこって、村にどんな未来像を描くのか」「切り捨てた小農への対応はどうするのか」「もしこの政策に失敗したら誰が、どのように責任を取るのか」等々、問いつめても問いつめても無表情な役人たちから答えは何ひとつ返ってこなかった。この人たちは課せられた数値目標の達成以外はまったく関心がないのだ。
 農村はたんなる食料生産の場ではない。小さくても支え合って生きる暮らしの現場である。不安に揺れる中山間地の集落を訪ねながら、冷酷な農政に抗しうる方法を模索していた。
 東北有数の温泉地として知られる宮城県旧鳴子町は3100世帯、8000人の人びとが暮らしている。1995年には738戸の農家があったが、米価の低落などで、この10年間で118戸が離農し、耕作放棄地が4.5倍の94haに増えた。かつて小林秀雄は「世捨て人とは世を捨てた人の謂ではない。世が捨てた人のことだ」と言った。離農者も同様だと思う。条件不利地域で懸命に私たちの食料を支えてくれた人びとを、私たちが見捨てたのではないか。それに今度は国が見捨てた。
 鳴子町に現在いる農業者620戸のうち、政策支援が受けられる4ヘクタール以上の農家はわずかに5戸のみ。国の支援から外された大半の農家を離農者にしてはならない。
 論理ではない。ひとりの人間の感情である。口では食が大切、農が大事といいながら、こんな大事なときに口をつぐんでいてよいものか。
 隣人が苦しいときに、他人ごとですませない村の心が地元学の原点である。その心が通じるところは、すべて「地元」である。この呼びかけに鳴子町はもとより多くの人びとが協力を申し出てくれた。旅館の人びと、工芸の職人、農家の人びと、たくさんの食を支えてきた女性たちが、自分ができる米の支援に力を貸してくれた。市場では米の生産者価格が1万3000円にまで下がってしまった時代に、5年間1俵1万8000円を農家に約束し、それを食べ手には1俵2万4000円で買ってもらい、その輪を広げようという「米の地元学」─「鳴子の米プロジェクト」。
 安くて安全であればよいという「消費者」から、農と自然と暮らしを大切に思う、食の「当事者」になる人びとが増えている。人も時代も、まだまだ捨てたものではない。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.the-journal.jp/mt/mt-tb.cgi/6746

コメント (3)

■コメント投稿について編集部からのお願い

《THE JOURNAL》では、今後もこのコミュニティーを維持・発展させていくため、コメント投稿にルールを設けています。はじめて投稿される方は、投稿の前に下記のリンクの内容を必ずご確認ください。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

平成5年の農業経営基盤強化促進法の制定に伴い、認定農業者制度が始まる。
これ自身ある意味画期的な制度であると私は思っています。
まず、第一に認定農家は、各市町村が認定する制度であり、地方自治体に委ねたものであったからです。制度には、確かに問題点もありました。経営基盤の整った農業経営体を面積のみで判断した(個人4ha、法人経営20ha)
農地の集約化を狙いとしたものであっつたが、中山間地のように限界集落などにおいて、この要件を満たせる者が取り残された。
また、野菜専業農家においても同様の扱いとなる。
以後、要件緩和措置も取られるが、一旦切り離された個人農家が集約することが難しい現状である認識が政府には乏しかったのでないかと思われる。
又、本文の、「品目横断的経営安定対策」が、認定農家になれないでいた個人農家の切捨てと取られても仕方ない政策であった感もある。農業経営の集約化を促進するためで、功をあせった。
その不満が、個別農家所得補償に飛びついた結果、農業票分裂による先の選挙結果であろうと私は推論している。
どんな制度も完璧なものには、中々成りえない。
けれど、人には対応力がある。
結城氏が推進した「鳴子の米プロジェクト」にしても、地産池消運動にしても、平成5年の農業経営基盤強化促進法が契機になっているのでないかと思うのです。平成6年の食管法の廃止もこれに拍車をかけた。
つまりは、お国に頼らない、農家それぞれが独自の農業経営に目覚めた年であった。
これらは、ある意味農家に傷みを伴わせる政策であった。
けれど、私は思うのです。
品質の良い農産物は、寒さを経験することでより良いものになる。
国内の農業基盤は、破綻しているところもあるが、甘い政策ばかりでは腰の強い農業の発展もないと思うのです。

結城登美雄様
仙台に住んでおりますマコトと申します。私は鳴子のお湯が好きで年に3~5回ドライブがてら日帰りで通っております。「ゆきむすび」は未だ食べたことがありません。鬼首地区の耕作放棄地が増えているとのことですが水田に回復するのが厳しい圃場もあると思います。そのような場所で蕎麦を栽培できないものでしょうか?尾花沢や大石田のような蕎麦街道を作ったら地区も賑わうと考えるのですが。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

※[投稿]ボタンをクリックしてから投稿が完了するまで数十秒かかる場合がございますので、2度押しせずに画面が切り替わるまでお待ちください。

Profile

結城登美雄(ゆうき・とみお)

-----<経歴>-----

1945年中国東北部(旧満州)生まれ。
民俗研究家。
仙台で広告会社経営に携わった後、東北各地を10年以上歩きながら、住民を主体にした地域づくりの手法「地元学」提唱する。
「食の文化祭」などの地域づくり活動で、1998年「NHK東北ふるさと賞」、2005年「芸術選奨芸術振興部門文部科学大臣賞」受賞。
「増刊現代農業」「グラフィケーション」など、雑誌や新聞を中心に農と地域づくりについて多数執筆中。
現在、宮城教育大学・東北大学大学院非常勤講師。

BookMarks

-----<著書>-----


『地元学からの出発―この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける』
2009年11月、農山漁村文化協会


『東北を歩く―小さな村の希望を旅する』
2008年8月、新宿書房


『山に暮らす海に生きる―東北むら紀行』
1998年11月、無明舎出版

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.