2010年12月13日

結城登美雄:「工業vs農業」という対立構造──篠原孝農水省副大臣とTPPの意見交換

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左:篠原孝農水省副大臣、右:筆者、丸ビルホールにて

 8日に東京農業大学と毎日新聞社が主催した「農and食─食料の安全保障と日本農業の活性化を考える」シンポジウムに呼ばれ、後半のパネルディスカッションでは篠原孝農水省副大臣とともに登壇しました。

 10月以降話題にのぼっているTPPについての問題意識を出し合う機会があり、私は小規模農家、農村の立場として発言をしました。

 TPPの議論をみていると、「工業(自由化推進)vs農業」という対立の構図が目立っているなと感じます。私はまず今の農業・農村の現場がどうなっているかを踏まえた上で、食料や農業の将来を考える必要があると思います。

 前原誠司外務大臣は10月に「日本の国内総生産(GDP)における第1次産業の割合は1.5%だ。1.5%を守るために、98.5%のかなりの部分が犠牲になっているのではないか」と発言しました。

 わが日本の農業の現場の問題をどれほどうけとめているのでしょうか。約260万人という農業就農者のうち約半分は70歳を超えています。39歳以下は約20万人。10年後に食料は誰が支えているのでしょうか。食料生産現場をどう考えているのか、食料の将来について無視した議論に持って行くことは関心ありません。

 映像はTPPについて意見交換した一部で、篠原副大臣の発言とあわせてブログに掲載します。

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2010年7月31日

日本農政への代替案「CSA」─参加と負担が担い手をつくる

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 作り手は食べものを作りながら、自分で価格を設定できない。テレビやカメラと同じようにメーカーでありながら、メーカー希望小売価格は存在しない。市場に出してみなければ値段が決まらない。

 そんな農業の世界で、どうして後継者が育つのだろうか。

 21世紀を目前にした2000年、我が国にはまだ389万人の農業者がいた。そのうちの66%が60歳以上の高齢世代で占められていたとはいえ、懸命に田園に立ち国民食料を支えていた。しかし、その後も毎年10万人ほどが田舎を去り、2009年には289万人までに減ってしまった。10年足らずの間に100万人もやめていく仕事が日本の農業だ。

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1970年の農業人口は1000万人を超えていた(出典:農水省 農業構造動態調査結果)

 1億2,742万人(2010年7月現在)分の食料を、わずか289万人、全体の2.26%が作っているということになる。期待の後継者について言えば、39才以下の若き農業者が3年間で6万人近くも減り、わずか23万人ほどになってしまった。

 10年、20年後、次世代の食と農はどうなってしまうのだろうか。

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2010年5月15日

「よい地域」であるための7つの条件

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 2009年8月、劇的な政権交代がおきた。新政権がどんな地域政策を展開していくのか引き続き見守っていきたいが、しかし、どんな政権になろうと地域の明日をつくるのはそこに生き暮らす人びとであることに変わりはない。人びとは政治や行政まかせにならず、地域を再生するひとりの当事者になれるだろうか。そのためにも再生すべき「地域」とは何か、をあらためて問うておきたい。

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2010年3月19日

鳴子の米プロジェクト─「消費者」から「当事者」へ

100514_yuuki.jpgのサムネール画像

地元学は、その土地の人びとの声に耳を傾け、そこを生きる人びとに寄り添って展開されるものであるが、ときに時代の課題に相渉り、格差社会に抗って展開されるものでもある。たとえば宮城県旧鳴子町で2006年から取り組まれている「鳴子の米プロジェクト」は、大規模化を進める日本農政が切り捨てた小農の米づくりを地域の力で支援する「米の地元学」である。

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2010年3月16日

地域が「ぐずぐずと変わる」ための「地元学」

 自分が暮らす地域をよくしたいと思うのは、誰もが抱く願いのひとつだが、この国ではそれがなかなかうまくいかなかった。
 都市であれ地方であれ、そこに住む人びとがいつのまにかバラバラになっていて、地域づくりの役割を行政に丸投げしてしまっていて、そのクセから抜け出せないでいる。
 一方、住民から託された地域づくりの専従者である行政も、そこに暮らす人びとの声に耳を傾けることは少なく、有識者や霞が関などの暮らしの現場からもっとも遠い人びとの考えや思惑に支配され、画一的なものを押しつける結果になっているような気がする。

 私は近頃つくづく思うのだが、自分でそれをやろうとしない人間が考えた計画や事業は、たとえそれがどれほどまことしやかで立派に見えても、暮らしの現場を説得することはできないのではないか。そんな気がしている。そして反対に、たとえ考え方は未熟で計画は手落ちが多くても、そうしようと決めた人びとの行動には人を納得させるものがある。為そうとする人びとが為すのであって、そうしようと思わない人びとが何人徒党を組んでも、現実と現場は変わらないのではなかろうか。
 地域とはさまざまな思いや考え方、そして多様な生き方と喜怒哀楽を抱える人びとの集まりである。しかし誰もが心のどこかでわが暮らし、わが地域をよくしたいと思っている。だが、その思いや考えを出し合う場がほとんど失われてしまっているのも地域の現実である。
「地元学」とは、そうした異なる人びとの、それぞれの思いや考えを持ち寄る場をつくることを第一のテーマとする。理念の正当性を主張し、押しつけるのではなく、たとえわずらわしくとも、ぐずぐずとさまざまな人びとと考え方につき合うのである。暮らしの現場はいっきに変わることはない。ぐずぐずと変わっていくのである。

 地元学は理念や抽象の学ではない。地元の暮らしに寄り添う具体の学である。たとえば1999年に宮城県旧宮崎町で始まった「食の文化祭」。これは私なりに言えば「食の地元学」である。
 わが町にはほかに誇れるものは何もないと嘆き、「ないものねだり」の愚痴をこぼすより、暮らしの現場の足元の「あるもの探し」をしてみよう。たとえばふだん食べているわが家の食事。現代の食生活はその多くが「買う食事」ばかりだが、わが町にはスーパーもコンビニも食堂もない。多くの家庭は庭先で野菜を育て、季節になれば山野に出かけて山菜、きのこ、木の実を採集する。それを女性たちが家族を思って日々料理をつくり、食卓を飾る。むろん手づくりの保存加工品も充実している。そのせいか、わが町には食の安全安心を叫ぶ声も少ない。
 もしかしたら、この食生活、都会よりもぜいたくなのではあるまいか。いわば金だけに頼らぬ自前の食生活、自給の食。その値打ちをみんなで確かめることはできまいか。そんな呼びかけに応えて集まった家庭料理が1年目に800品、2年目は1300品、体育館いっぱいに並んだ。
 名づけて「食の文化祭」。足元のふだんのあたりまえの食事が、食と家族と地域の物語を豊かに語りかけてくる。名も知らぬ見知らぬ山間の町に1万人の人びとが押し寄せ、それぞれに食物を間において、楽しいおしゃべりの場が広がる。そしてあらためて思う、わが町の自然の豊かさ、自給の力。人と人の距離を近づける食の不思議な力。たとえ小さくても、みんなの力を持ち寄れば、食以外にも何かができるのではないか。地域が変わるのではないか。「食の文化祭」は、忘れかけていた地域力、住民力を取り戻す「食の地元学」である。

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2010年1月 9日

「ないものねだり」から「あるもの探し」へ

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 人間というものは身近にあるものよりは、遠くに隔ってあるものを価値の対象にしてしまう心性をもっているという。隣の芝生がいつも青く見えてしまったり、幸せは山のあなたの空遠くにあると思い込んでしまう不思議な心理。「近代化」とは、そうした人間心理の上に成り立ってきた。先進地は西欧で日本は遅れている。だから日本をよくするためには西欧化しなければならぬと、舶来品や外来思想をありがたがり、在来の文化を低くみた。とりわけ戦後はアメリカ一辺倒のモダニズムの嵐が吹き荒れ、気がつけば合衆国日本州になってしまっていた。

 人びとが生き暮らす地域のとらえ方も同じで、農山漁村は閉鎖的で非効率的で、もっと近代化し都市化しなければならぬと、村の暮らしと営みをゆさぶり続けた。その結果、村を離れて都市へと急ぐ 「向都離村」の時代が長期化し、過疎・限界集落といわれるまでになってしまった。

 思えば私たちの戦後教育もまた、自然とともに村を生きていくための学びを捨て去り、企業ひしめく都市社会の一員になるための学びばかりになってしまった。競争社会に打ち勝ち、優位のポジショ ンを得るための学び。頭を肥大させ知識を詰め込み、受験、進学、一流企業へ。それが豊かな生活と人生を保証してくれるはずだと、一本道を追いかけてきた。だが、盛者必衰、時代は行き詰まってしまった。気がつけば都市も農村も孤立してバラバラに暮らしていた。当然ながら人はひとりでは生きていけない。人びとは今、来し方をふり返り、失ったものの大きさにたじろぎながら、少しずつ新たなるもうひとつの道を模索し始めている。

 遠くで光り輝くものも悪くはあるまいが、今はむしろ、ここにあるものをあらためてていねいに見つめ直してみたい。この土地を生きてきた先人たちは、限られた自然立地条件の中で、どのようにし て己が生きる場と暮らしをよくしようと努力してきたのか?その知恵と工夫は?

 いたずらに格差を嘆き、都市とくらべて「ないものねだり」の愚痴をこぼすより、この土地を楽しく生きるための「あるもの探し」。それを私はひそかに「地元学」と呼んでいるのだが、要はこれからの家族の生き方、暮らし方、そして地域のありようを、この土地を生きてきた人びとから学びたいのである。性急に経済による解決を求める人間には、ここには何もないと見えてしまうだろうが、自然とともにわが地域を楽しく暮らそうとする地元の人びとの目には、資源は限りなく豊かに広がっているはずである。むろん「地元学」は都市やグローバリズムへの否定の学ではない。自然とともに生きるローカルな暮らしの肯定の学でありたい。

 もう一度この土地を生きてきた人びとの声に耳を傾け、その発見の中から自分もまた地域を再生するひとりの当事者として、力を合流させたいと思う。

 《THE JOURNAL》読者の皆さんには、村や地域の小さな活動から新しい視点を発見してもらえれば光栄です。どうぞよろしくお願いします。

Profile

結城登美雄(ゆうき・とみお)

-----<経歴>-----

1945年中国東北部(旧満州)生まれ。
民俗研究家。
仙台で広告会社経営に携わった後、東北各地を10年以上歩きながら、住民を主体にした地域づくりの手法「地元学」提唱する。
「食の文化祭」などの地域づくり活動で、1998年「NHK東北ふるさと賞」、2005年「芸術選奨芸術振興部門文部科学大臣賞」受賞。
「増刊現代農業」「グラフィケーション」など、雑誌や新聞を中心に農と地域づくりについて多数執筆中。
現在、宮城教育大学・東北大学大学院非常勤講師。

BookMarks

-----<著書>-----


『地元学からの出発―この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける』
2009年11月、農山漁村文化協会


『東北を歩く―小さな村の希望を旅する』
2008年8月、新宿書房


『山に暮らす海に生きる―東北むら紀行』
1998年11月、無明舎出版

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