武井正直北洋銀行元頭取を悼んで・・
2012月02月08日

2月3日に86歳で黄泉に旅立った「北海道の頑固おやじ」は、そのユニークな言質とともに金融史に記されるべき稀有なバンカーのひとりだ。

 1925(大正14)年に山梨県で生まれた武井正直(たけい・まさなお)は、14歳年長で日本銀行当時の大先輩にあたる前川春雄(元総裁)を外勤地のロンドンの空港に出迎えた折に交わした言葉を終生、記憶の奥底に堆積させてきた。
 「<お鞄をお持ちします>と言ったら、<ありがとう、でも誰も連れのいない時には忘れそうだから自分で持つよ>ってね。第2次オイルショック時のインフレ対処で金融引き締め政策をまとめ評価の定まった彼だぜ、感激したな。もちろん内需拡大と市場開放を中曽根内閣の私的諮問機関座長で[前川リポート]にするかなり前のことだがね。オレは私学出身じゃ早くに外国経験させてもらったしケネディ暗殺を知ったのがそのシティだったことも併せ思いを巡らしてみると、僥倖のような出会いだった。結果として叙勲を断るこの先人の背を常に追い続けていこうと心に決めたのも、あの出会いからだ」

●「敗戦後に鳥取県で農業や製材業をやってて地元の農協とか金融機関と顔見知りになるわな、そうそう金策もあってさ。そんな相手が、慶応義塾に編入して学歴を整え(笑)日銀入行後に監査で出かけた時のヤッコサンたちのあわてぶりったらなかったね。そりゃ立場が変わればそんなものよ、ハッハッハ」

●「1980年代後半のバブル経済下に土地や株式を担保に過剰な融資にのめり込まなかったらエライなんて言ってくれる人たちもいたが、原資と審査能力ほかでいくぶん自信を持てなかったのが本音だ」

●「北海道拓殖銀行の道内分破たん処理、国が引き当てをしっかり積んでくれるかが営業譲渡を受けるかどうかのカギだった。それが担保できたんで踏み込めた、バンカーなら当たり前の話だろうさ。オレも予科とはいえ陸軍士官学校でメシ食ってきたから、いい意味の[戦争]の仕方は知っとるよ」

●「旧・拓銀、人材は豊富だとつくづく感心したね。でも、もともとの北洋とは<文化>が決定的に違った。しょせん国策で形作られた経緯をそのままに、破たんに至る最後までコロニアル・バンクって英訳が罷り通るのは時代錯誤も甚だしい」

●「積丹半島の海岸線トンネルで起きた岩盤崩落によるバス乗客圧死事故、あのときは士官学校同期の梶山静六が頑張ってくれ、これも同期の札幌在住外科開業医が警察医として昼夜をわかたず現地に詰めた謝意を橋本総理から直々電話で伝えてもらったね。事柄は不幸このうえなかったが同期は別格も、政治家もたまには頼りがいがあるな」

●「紹介された多くのジャーナリストほかに会えてほんと、よかった。田原さん、筑紫さん、佐高さん(冒頭「北海道の頑固おやじ」を命名)、高野さん、岸井さん、財部さん、岡本(行夫)さんたちだ。そんな中でなによりは城山三郎さんかな。世代も近いし戦争への係わり様は別方向からだったが、共有できるところがたくさんあったね。オレは三島由紀夫と同年の生まれで美的感覚は分からんでもないが、死生観は明確に異にする」

●「いくら君の懇願でも回顧録はご勘弁だ。そんな器じゃない。中曽根大勲位はそう言ってるらしいが、歴史法廷の被告席に座る覚悟でこれまで生きてきたんだ。なにもオヤジが法律家だったからじゃないがね。ハッハッハ」


コメントなどは
[*]「中村さん ザ・ジャーナルにご無沙汰ですね・・」
[#]12月14日付け讀賣新聞コラム「編集手帳」はいいですよ!
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