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2011年5月21日

菅野芳秀:都会の植民地ではなく、循環型自給圏の形成を

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 どのような原発肯定の意見も、未来世代に放射性廃棄物を押し付けることには目をつぶっている。
 どのような原発肯定の意見も我が地元にそのリスクを引き受けようとは言わない。そのように働きかけようとも言わない。
 いずれも果実のうまさ、必要性、不可避性を語るがそのリスクを引き受けるとは言わない。その果実ゆえに、ひとえにリスクを負わせられている地域がある。負うことになる世代がある。環境への取り組みの原動力は他者と未来(世代)への想像力・共感ではなかったか。

 東北の地に住む"百姓"として、これほど重い気持ちで種を播く春は、経験したことがない。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は広い範囲で自然資源を汚し、甚大な風評被害をもたらしている。この原発事故は、まちがいなく避けることができた人災だ。自然を基盤とする農民や漁民の痛手は計り知れず、汚染はこの先何年続くか検討もつかない。同じ農民として心が痛む。まず因果関係がはっきりしている以上、東電とその原発を容認してきた国が、被災したすべての野菜、家畜、魚を速やかに買い取るべきだ。その上での補償であって、どのような意味でもこれ以上生産者に負担を負わせてはならない。地方に建設された原発は、地方の貧しさに付け入った政治の醜い姿をあらわしている。その上での今回の放射能被害。地方は息の根が止められる事態に追い込まれている。

 先日「朝まで生テレビ」で東京都の副知事は「原発を都心からもっと遠くにもって行く必要があった。それが失敗だ」と話していた。
 原発が必要だという人たちに共通しているのはその果実だけを求め、生まれるリスクを遠く離れた地方に押し付けようとすることだ。今もなお必要というならば自分の暮らしの場に原発を誘致するよう働きかけるべきだ。さらに放射線の汚染水も小分けしてそれぞれの地元や企業、家庭で引き受けるべきだろう。そのように働きかけとセットにして原発必要論を語るならば認めよう。果実とリスクを併せ呑むよう足元を説得してみればいい。それ以外のどのような必要論も詭弁である。地方を利用しようとするな。地方は都会に奉仕する家来ではない。
 同じような都会中心の考え方は菅政権の復興計画にも出てきている。東北地方を新たな「食糧供給基地」と位置づけ、津波被害を受けた各地の農地を集約して大規模化を進めるよう国会に提出するという。あくまでも都会に供給する地方という位置づけだ。しかしその被災地は八郎潟などと違い人々の暮らしを刻んできた場だ。何よりも大切なのはそこに住んでいた方々の立ち上がりではないのか。

 以前あった地域コミュニティを活かす計画をつくらないと、住んでいる人が立ち上がっていけないというのがこれまでの災害の教訓である。「食料供給基地」の前に現地の方々の意見を充分に聞きながら、それらを活かす復興計画こそが必要なのではないのか。生産より生存、生活だ。地方は都会の植民地ではない。
 都会の家来でなく、植民地でもなく、エネルギーから食料まで、小さくてもしっかり地域に根を下ろした自給圏の形成を目指す。農業を基礎にした脱原発、脱成長の循環型社会を目指すこと。
その余剰を他の地域に回す。地方も都会もなく、一様に自立する。日本の社会をこのように構成しなおすことが求められている。

 「3・11」以後、少なくとも意識レベルでは生き方、暮らし方を変えようと考える人たちも多くなっていると聞く。不幸な中にも希望はある。この機を逃すことなく、エネルギー政策も食糧政策も新しく組み替えることが大事ではないかと思う。

【関連記事】
■《インタビュー》菅野芳秀氏の新刊『玉子と土といのちと』が発売(NewsSpiral)
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/09/post_619.html

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【プロフィール】菅野芳秀(かんの・よしひで)
1949年生まれ。養鶏農家を営む一方、山形県長井市の全世帯を巻き込んだ生ゴミ・リサイクルのシステム「レインボー・プラン」を実現。著書に『玉子と土といのちと』(創森社)、『土はいのちのみなもと 生ゴミは よみがえる』(講談社)

Profile

日本語の「ヨロン」という言葉には「世論」と「輿論」という2種類の漢字があります。実は、この2つの言葉は大きく意味が異なっていて、「世論(セロンとも読みます)」とは「感情的な世間の空気」のことで、「輿論」とは「議論を積み重ねてできあがった公的意見」のことを指します。《よろんず》が目指すものは後者の「ヨロン=輿論」をつくることであり、そのために、《よろんず》では情報のプロ・アマに関係なく自由闊達に議論を交わすための場所を提供します。メディアの調査で発表される「ヨロン=世論」とは違う真の「ヨロン」をつくるため、執筆者・出演者・読者のみなさんに、この新しい“知の共有空間”に参加いただけるよう呼びかけます。

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