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2010年10月18日

達増拓也:反小沢の背景にある冷戦思考の呪縛

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日本一新の会 達増拓也(岩手県知事)

 先に、「反小沢の背景にある冷戦思考の呪縛」という拙文で、異常な小沢バッシングが起きる政策論的背景を述べた。日本の政界、官界、マスコミ界のかなりの部分が冷戦時代の左右対立構造にとらわれており、左右の対立を超えた脱冷戦の改革を目指す小沢一郎氏を敵視する、という内容である。今回は、最近有名になっているサンデル教授(ハーバード大学)の正義論を参考に、反小沢の政治哲学的背景について述べたい。

 サンデル教授の正義論が、今、急速に広まっているのは、リーマンショックで欠陥が明らかになった米国流自由主義の修正を訴えているからではないか。サンデル教授は、米国流自由主義は功利主義(ユーティリタリアニズム)と自由至上主義(リバタリアニズム)を二本柱としているが、それだけではダメで、共同体主義(コミュニタリアニズム)が重要であると主張している。

 功利主義は「最大多数の最大幸福」がスローガンで、福利の向上とそのための経済的効率化が目標になる。損得の計算が重要である。

 自由至上主義は、個人の自由の貫徹を最重要視する。自己決定と自己責任。自己の意志以外には何者にも縛られる必要はないという考えである。

 この二つを合わせると市場原理主義になり、リーマンショックを引き起こしたアメリカ生まれのグローバル・スタンダードとなる。日本においては小泉--竹中路線になった。

 政治の場では、功利主義は損得勘定最優先につながる。原理原則にこだわらず、現実的に柔軟に対応する。また、自由至上主義は党派性の否定につながる。個々の政治家の言動を極力縛らないようにする。派閥的な活動は忌避され、グループ活動もサークル活動的なものに限定される。

 これらに対し、共同体主義は、共同体において個人が「役割を果たす」事を重視し、共通の価値である「徳」を大切にする。損得や個人の好みとは別に、「為すべきこと」があるのではないか、それを集団において共通のものにしていく必要があるのではないか、という考え方である。経済・社会に関しては、優勝劣敗だけでは良い社会にはならないのではないか、経済主体は損得や好み以外にも共同体に対して為すべきことがあるのではないか、という事になる。政治の場では、ある役に就いている者は、好き勝手に行動していいのではなく、局面ごとに当然為すべきことがあるのではないか、その為すべきことについて多数の合意を形成していかなければならない、という事になる。

 「メルマガ・日本一新」の読者お気付きの通り、小沢一郎氏は、筋金入りの共同体主義者だと言えよう。本人は私が教えるまで共同体主義なるものがあるという事をご存じなかったようだが(私もサンデル教授の本を読むまで知らなかった)、今までの言動からして天然の共同体主義者である。功利主義や自由至上主義のよさも認めているが、その二つを残して共同体主義を捨てることはない。小沢氏は時々「それは人の道に反する」と言うが、政治家人生において「道」というもの(サンデル教授の言う「徳」)を常に意識しているのだと思う。

 共同体主義は「古い政治」であり、グローバル・スタンダードに則って功利主義と自由至上主義の組み合わせで行けばよいと思い込んでいる政治家たちは、反小沢になるであろう。彼らは、政策的には、小泉--竹中路線の方に近い者が多い。政治手法は、政治家一人一人の価値観はそれぞれ違っていて当然と考え、なるべく相互干渉せず、波風立てないために場の空気を読む術が発達する。原理原則にこだわらず、内容よりも手続きにこだわる。小沢氏は、政策的にはセーフティネット重視であり、政治手法は、理念・政策を共有する政治家や支持者を結集して多数の形成を目指し、必要であれば波風立てても徹底的に議論をする。意志決定の手続きはもちろん尊重するが、こだわるのは内容である。

 来年度予算編成に向けて予定されている「政策コンテスト」なぞは、政治家が「為すべきこと」について多数意志を形成する責任を放棄している点で、典型的に反・共同体主義的である。反小沢的な手法と言えよう。

 実は、共同体主義を否定しては、およそ政治というものが不要になってしまう。経済・社会活動が全て個人の自己決定・自己責任の問題となれば、「公」は不要で「私」だけの世界となるはずだ。そこに残存する政治の存在意義は、消費の対象としてのパフォーマンスでしかなくなる(劇場化)。世論調査は(そして選挙も)視聴率同様の人気投票に過ぎなくなるが、それが政治家にとっての全てとなろう。マスコミは劇場政治のほうが本領を発揮しやすく、官僚は「公」を独占する自己満足にひたりつつ給料がもらえればよいのかもしれない。しかし普通の国民は困ることが多くなるだろう。

 小沢氏と同じ岩手県出身の新渡戸稲造は、やはり岩手県出身の原敬首相が平民宰相と呼ばれた頃に、「デモクラシーは平民道と訳すのが良く、それは武士道の延長である」という趣旨を述べた。政治には「道」の感覚が必要なのではないか。それは決してアナクロニズム(懐古趣味)ではなく、あるべきグローバル・スタンダードを草の根から構築していくための極めて今日的な課題であり、日本を救う唯一の道なのではないか。「メルマガ・日本一新」読者諸兄のご意見を求めたい。

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2010年10月10日

達増拓也:反小沢の背景にある冷戦思考の呪縛

日本一新の会 達増拓也(岩手県知事)

 検察審査会が小沢一郎氏の強制起訴を議決した。陸山会問題は石川、池田両氏の逮捕・起訴の妥当性すら疑わしいものであり、会計責任者だった大久保氏の起訴は、厚生労働省の村木局長事件をでっち上げた前田検事の取り調べによるものである。検察の暴走以上の暴走を、検察審査会がやってしまった。

 検察審査会に申し立てを行ったのは、「在日特権を許さない市民の会」の代表であると、本人がブログで公表している。ブログによると、「小沢一郎という巨悪を眠らせてはいけないこともありますが、外国人参政権実現のために誰よりも積極的なこの民主党大物政治家の動きを止めなければならないからです。」とのことであり、政治的目的のための申し立てであった。

 そもそも、西松事件、村木事件、陸山会事件と、検察特捜部が無理をしてまで小沢氏やその関係者(村木局長は石井一参議院議員を介して関係するという見立て)に罪を着せようと暴走したのは、どんなことをしてでも政権交代は阻止すべき、小沢一郎首相の実現は阻止すべき、という空気が検察組織を取り巻いていたからではないか。去年の春頃には、麻生首相も民主党のマニフェストをバラマキと批判し、「小沢一郎は社会主義者になった」と公言していた。首相が先頭に立って、小沢氏を保守主義の敵、日本の敵とみなす異常な空気を日本国内に広げていたのではないか。

 いわゆる保守主義者、愛国者が小沢氏に罵詈雑言を浴びせ続けている一方で、左翼的な立場からは、小沢一郎氏は自民党的な古い政治家でダーティであるというバッシングが続けてられている。右からも左からも叩かれるのである。

 実は、小沢一郎氏は、自民党幹事長だったころから、ポスト冷戦=冷戦後の日本のあるべき姿を真剣に考え、脱冷戦構造をめざす改革を強力に追求してきた一番の政治家である。小沢氏は新進党時代から世界各国の自由党の集まりである自由主義インターの会議によく参加していた。英国の今の自由民主党の系列であり、権威主義でなく、社会主義でない、という路線。ブレア労働党の「第三の道」を先取りする路線であった。規制改革と社会保障の充実、地方分権、国連中心の安全保障、等々、右と左の対立という冷戦時代の枠組みを超えていく改革を小沢氏は目指してきた。

 グローバル化でますます不安定になる経済社会に対応するため、市場メカニズムを尊重しつつもセーフティネットを強化する、右と左の合わせ技。日本の自民党が政権を手放すことになったのは、セーフティネット強化は社会主義的で良くないという冷戦思考の呪縛にとらわれ、右であることにこだわり、みすみす格差社会化を招いた事が本質的原因だったのではないか。

 一方、民主党で反小沢のスタンスをとる議員たちは、市場原理主義的な小泉−竹中路線に共感し、国民生活を守ることよりも財政再建を前面に押し出す向きがある。安全保障政策では、冷戦時代の日米同盟を維持できればよいという、対米従属的な姿勢が強い。政策面では右なのだが、保守政治家の行動様式を忌み嫌い、小沢氏にダーティのレッテルを張る点では左である。

 このように、冷戦時代の左右対立の思考にとらわれ、アンチ左とかアンチ右とかを行動原則にしている者たちが小沢バッシングに走るのだが、日本の政界関係者の多くがこのように動く。また、日本のマスコミや言論界も、左右対立の図式に乗っかって商売をする傾向が未だに強く、マスコミが右からも左からも小沢バッシングをするという異常事態が発生する。マスコミ論調=世論として迎合を旨とする者たちも多く、その中での今回の強制起訴騒ぎである。

 これは、日本に一番必要な改革路線を一番真剣にやろうとしている小沢氏を、寄ってたかって引きずり降ろそうとする、日本にとっての最大不幸である。

 小沢氏は、元自民党の政治家であれ、元社会党の政治家であれ、それぞれのいい所を合わせてグローバル時代に対応していけばよいとしており、排除の論理の正反対である結集の論理で動いてきた。一貫して、改革の旗の下に多数を形成する努力をしてきた。しかし日本で人気があるのは排除の論理である。アンチ左、アンチ右、そして反小沢。何かに反対し、攻撃することで自分を売り込む手法。そういう人たちが、偉くなり、頂点を極める日本である。

 レミングの集団自殺のように破滅に向かって狂奔する日本。しかし、「オザワ現象」を巻き起こした、自分で見聞きし自分で考え自分で判断する日本国民は、未だ少数ながら確かに存在する。「オザワ現象第二ステージ」で強制起訴騒動を乗り越え、脱冷戦=日本一新の改革へとつなげていかなければならない。

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2010年10月 8日

第五検察審査会議決は違法・無効である!

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日本一新の会 染谷正圀

 検察審査会によるいわゆる「起訴議決」が刑事訴訟法の訴訟手続きとは体系を異にするものとはいえ、行政措置にすぎない検察審査会による起訴議決は、即公判請求とはならず、検察審査会法は裁判所が指定した指定弁護士が検察官の職務をなすこととしている。

 そして、検察審査会法第41条の10は、「指定弁護士は、速やかに、起訴議決に係る事件について公訴を提起しなければならない」とするとともに、「ただし、次の各号のいずれかに該当するときはこの限りでない」として、「起訴議決後に生じた事由により、当該事件について公訴を提起したときは刑事訴訟法第337条第4号又は第338条第1号若しくは第4号に掲げる場合に該当することなることが明かであるとき」として「公訴断念規定」を置いている。

 ここでいう刑訴法338条4号の場合とは「公訴の手続きがその規定に違反したため無効である」ときは、「判決で公訴を棄却しなければならない」場合のこと、つまりは起訴独占権を有する検察官による乱訴の排除規定であり、検察審査会法は、刑訴法のこの規定に準じて第41条の10の第2項に於て「指定弁護士は、前項ただし書きの規定により控訴を提起しないときは、速やかに、前条第1項の裁判所に同項の指定取消しを申して立てなければならない。この場合において、当該裁判所は、前項ただし書き各号に掲げる事由のいずれかがあると認めるときは、その指定を取り消すものとする」との規定を置くことで検察審査会による「政治的起訴議決」の排除を図っている。

 翻って今回の東京第五検察審査会の2回目の議決を見ると、以下の看過できない瑕疵を指摘せざるを得ない。

 まず第一に、議決の「まとめ」は、「検察官は、起訴するためには、的確な証拠により有罪判決を得られる高度の見込みがあること、すなわち、刑事裁判において合理的な疑いの余地がない証明できるだけの証拠が必要になると説明しているが、検察官が説明した起訴基準に照らしても、本件において嫌疑不十分として不起訴処分とした検察官の判断は首肯し難い。検察審査会の制度は、有罪の可能性があるのに、検察官だけの判断で有罪になる高度の見込がないと思って起訴しないのは不当であり、国民は裁判所によってほんとうに無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考えに基づくものである。

 そして、嫌疑不十分として検察官が起訴を躊躇した場合に、いわば国民の責任において、公正な刑事裁判の法定で黒白をつけようとする制度であると考えられる」とのべ、「有罪になる高度の見込がない」とは「無罪の可能性を排除できない」という、刑事裁判における推定無罪原則などどこ吹く風の暴論を展開している。

 そこから、第2には、別紙の「犯罪事実」において、

1)政治資金規正法第25条第1項第1号から第3号までが規定する政治資金収支報告書の記載に係る罪は、会計責任者の身分犯罪であるにもかかわらず、同条第2項において「前項の場合において、政治団体の代表者が当該政治団体の会計責任者の選任及び監督について相当の注意を怠つたときは、50万円以下の罰金に処する」とされる陸山会代表の小沢氏を虚偽記載罪で起訴すべしとの議決は、誣告行為にほかならない。

2)小沢氏からの借入金の収支報告書への記載がことの発端であるにもかかわらず、借入金を収入として記載しなかったとか、平成16年10月に陸山会が土地を取得したとするのは農地法の規定を無視した認定である、などにみられる虚偽記載とする事実認定にそもそもの誤りがある。

 よって当該議決は、検察審査会法第41条の10の、ただし書き第3号に該当するものにほかならないものであり、議決は無効であると断ずる。

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2010年10月 4日

R.Amemiya:《尖閣諸島領有権問題》迷ったら歴史に学べ ── 注目される竹入義勝・周恩来会談の中身

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9月30日の衆議院予算委員会尖閣問題集中審議で、富田茂之議員(公明)が質問に立ち、尖閣諸島の領有に関する歴史的経過を問い質した。

◇該当質疑の動画(衆議院TV)
http://bit.ly/9hNDS8

前原外務大臣は菅総理と違って、外務省見解その他を丸暗記して"メモを見ずに"答弁した。

◇『尖閣諸島の領有権についての基本見解』(外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/index.html

そこで冨田議員は驚いたことに「竹入メモ」を引用して、周恩来の紹介した。

元公明党委員長である竹入義勝氏は政界引退後反学会に転じ、一方公明党は竹入氏を除名処分とし、創価学会も中央審査会で除名(事実上の永久追放)している。

いったいいつから、公明党議員にとって竹入氏は「先輩」(富田弁)になったのだろうか?・・開いた口がふさがらない。

竹入メモに関しては、東京大学東洋文化研究所:田中明彦研究室の「日本政治・国際関係データベース」で全文が閲覧できる

◇データベース「世界と日本」
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/

その中の竹入メモ(竹入・周恩来会談)の該当部分は、以下の通りだ。


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竹入:大平外相と意見交換をした。外相の判断としては首相が訪中し、国交樹立の段階で間違いなく、台湾は出て行くだろうと云っていました。台湾の在日公館が売りに出されている事は、新聞に早く出ることは、好しくないと心配していました。

周:新聞にチョット出ましたね。華僑の反対は値しないと思います。

竹入:華僑の気持は判らないでもありませんが政府は黙殺しています。

周:解答しない方が良いでしよう。若し台湾が引きあげない場合はいかがでしようか。

竹入:在日公館を引きあげて貿易会社を残す動きをしています。首相が訪中し、外交関係の樹立、大使交換をした場合、日台関(前1文字ママ)の国交は無くなります。それで昨日周総理が云われた平和友好条約に入っていく考えに変りはありません。細い問題は残りますが大筋の問題は、時間をおいてはいけないと思います。

周:そうです。尖閣列島の問題にもふれる必要はありません。竹入先生も関心が無かったでしょう。私も無かったが石油の問題で歴史学者が問題にし、日本でも井上清さんが熱心です。この問題は重く見る必要はありません。平和五原則に則って、国交回復することに比べると問題になりません。新聞で書くことは横ヤリを入れたことになりますね。台湾問題は以上で日米関係に入りましょう。アメリカとしては、自分はまだ国交回復していないのだから日本に待ってもらいたいという考えがあるのでしよう。

竹入:あると思います。

周:アメリカにはアメリカの事情があり、日本には日本の事情があります。中米共同声明でそのことにふれています。米は20数年間、中国を封じ込めて来ました。
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竹入・周会談の中身は、現代日中史、日本の戦後外交史を考える上での第一級の史料だ。この中で、竹入はあくまで田中総理・大平外相(当時)の密使として周首相と会談しており、日中、日米、中米という複雑なトライアングルを考慮しつつ、双方が忌憚のない意見交換をしている。

◇竹入義勝・周恩来会談記録(1972年7月27〜29日)
http://bit.ly/cloIob


特に注目に値するのは、周恩来が岸信介・佐藤栄作兄弟総理はアメリカの傀儡だということ、日本共産党ですら日中友好の抵抗勢力ということ、など日本国内の政局にも精通していたことだ。田中・大平を含め、大局から政治と国際情勢を見るというのはこういうことなのだな・・と思う。それに較べ、今の政府・野党の政治屋はなんとさもしいことか。小沢一郎が田中角栄の系譜にあるというのは、正にこういった器の問題なのではないだろうか?

さて、尖閣諸島である。富田議員も周恩来の言葉を引用して取り上げたが、井上清教授の中国帰属論が果たしてそれほど滑稽な論理だろうか?その中で示される史実を前提にすれば、今の与野党が一致して強調するような「歴史的に見ても国際法に於いても我が国固有の領土」という筋書きは村木裁判における大阪地検の筋立て同様に危うい。最大の根拠は、「1895年の閣議決定」ということだろうが、官報にも示されず、政府内の内向きな表明という見解を拭えない。以下は、ネットで閲覧できる論文の全てである。

◇「尖閣」列島 ── 釣魚諸島の史的解明(井上清)
http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html

これを精読すると、明〜清〜中華民国の時代を通じて中国側の領有権の範囲であり、琉球王国が実効支配していたとは思えない。キーポイントは明治29年の閣議決定と第二次大戦後の処理にあると思うが、まずはその閣議決定について井上教授は疑義を訴えている。


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<抜粋>
釣魚諸島が沖縄県の管轄になったということも、何年何月何日のことやら、さっぱりわからない。なぜならそのことが公示されたことがないから。この点について、琉球政府の一九七〇年九月十日の「尖閣列島の領有権および大陸棚資源の開発権に関する主張」はこの地域は、「明治二十八年一月十四日の閣議決定をへて、翌二十九年四月一日、勅令第十三号に基づいて日本の領土と定められ、沖縄県八重山石垣村に属された」という。

これは事実ではない。「明治二十九年勅令第十三号」には、このようなことは一言半句も示されていない。次にその勅令をかかげる。

「朕、沖縄県ノ郡編成ニ関スル件ヲ裁可シ、茲(ここ)ニコレヲ公布セシム。

御名御璽

明冶二十九年三月五日

内閣総理大臣侯爵 伊藤博文内務大臣 芳川顕正

勅令第十三号

第一條 那覇・首里区ノ区域ヲ除ク外沖縄県ヲ盡シテ左ノ五郡トス。
島尻郡  島尻各間切(まきり)、久米島、慶良間諸島、渡名喜島、粟国島、伊平屋諸島、鳥島及ビ大東島中頭郡  中頭各間切国頭郡  国頭各間切及ビ伊江島宮古郡  宮古諸島八重山郡 八重山諸島

第二條 郡ノ境界モシクハ名称ヲ変更スルコトヲ要スルトキハ、内務大臣之ヲ定ム。

附則第三條 本令施行ノ時期ハ内務大臣之ヲ定ム。」

この勅令のどこにも、「魚釣島」や「久場島」の名はないではないか。むろん「尖閣列島」などという名称は、この当時にはまだ黒岩恒もつけていない。琉球政府の七〇年九月十七日の声明「尖閣列島の領土権について」は、右の三月の勅令が四月一日から施行されたとして、そのさい「沖縄県知事は、勅令第十三号の『八重山諸島』に尖閣列島がふくまれるものと解釈して、同列島を地方行政区分上、八重山郡に編入させる措置をとったのであります。......同時にこれによって、国内法上の領土編入の措置がとられたことになったのであります」という。

これはまた恐るべき官僚的な独断のおしつけである。勅令第十三号には、島尻郡管轄の島は、いちいちその名を列挙し、鳥島と大東島という、琉球列島とは地理学的には隔絶した二つの島もその郡に属することを明記しているのに、八重山郡の所属には、たんに「八重山諸島」と書くだけである。この書き方は、これまで八重山諸島として万人に周知の島々のみが八重山に属することを示している。これまで琉球人も、釣魚諸島は八重山群島とは隔絶した別の地域の島であり、旧琉球王国領でもないことは、百も承知である。その釣魚諸島を、今後は八重山諸島の中に加えるというのであれば、その島名をここに明示しなければ、「公示」したことにはならない。当時の沖縄県知事が、釣魚諸島も八重山群島の中にふくまれると「解釈」したなどと、現在の琉球政府がいくらいいはっても、釣魚島や黄尾嶼が八重山郡に属すると、どんな形式でも公示されたことはない、という事実を打ち消すことはできない。
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また、戦後においてはアメリカが沖縄を占領支配するわけだが、本来ならば台湾と同様に釣魚諸島も国民党政府の中華民国に返還されるべきだったところ、大戦後すぐに始まった第二次国共内戦により不安定な政情の中でアメリカがこっそり沖縄に編入したというところが本当のところではないだろうか?

尖閣を巡る歴史的考察は、村田忠禧横浜国立大学教授の論文『尖閣列島・釣魚島問題をどう見るか』も重要なもののようだが、村田教授は最後に以下の文で論を締めている。


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 日本が1895 年にこれらを領有するようになったのは、日清戦争の勝利に乗じての火事場泥棒的行為であって、決して正々堂々とした領有行為ではない。このような歴史事実をごまかしてはいけない。事実を事実として受けとめる客観的で科学的な態度が必要である。研究と称しながら、実は意図的な事実隠しをしているものがおり、学者の論を絶対に鵜呑みにしてはいけない。この拙論にたいしてもそのような態度で接していただきたい。

◇『尖閣列島・釣魚島問題をどう見るか〜試される21世紀に生きるわれわれの英知』
http://www.geocities.jp/ktakai22/murata.html
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私は、この二人の学術的な評価は知らない。もし読者の方でご存じの方がいたらコメントいただきたい。

ちなみに、日米安保が尖閣諸島に及ぶという前原発言(ヒラリー・クリントンのステートメントは発見されていない)は、船橋洋一(朝日新聞コラムニスト)の「アーミテージ・ドクトリン」に端を発するようだ。アーミテージはAPAグループの元谷代表と対談して、「アーミテージ・ドクトリンはアメリカ政府の政策であって、私の個人的意見ではない」と語っているが、果たしてそうだろうか?・・2国間の領土問題には関与しない・・というのがアメリカの大原則だと認識するのだが・・・

最初に戻ると、竹入メモにある周恩来の発言、および鄧小平が日本記者クラブで示した見解の本質は何か?ということを探らねばならない。


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「尖閣諸島を中国では釣魚島と呼ぶ。名前からして違う。確かに尖閣諸島の領有問題については中日間双方に食い違いがある。国交正常化の際、両国はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉でも同じように触れないことで一致した。中国人の知恵からしてこういう方法しか考えられない、というのは、この問題に触れるとはっきり言えなくなる。こういう問題は一時棚上げしても構わない、次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。皆が受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」(1978年10月23日)
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おそらくは、中国としても領有権の正当性は歴史的に鑑みて認識しているのだろう。

ただ、日中双方がこの問題で持論を戦わせて反目することは国際的にも国益的にも適わない。従って、緩やかに日本の実効支配を容認し、双方のナショナリズムを尖鋭化させない・・というのが大国の知恵とわきまえているのではないだろうか?

双方とも大同小異で握手をする。それが大国同士の紳士協定であり、かつて田中、大平、周恩来、毛沢東といった大局を見られる政治家にはその胆力があった。

今の国内にあって、それを感じさせるのは小沢一郎、少し弱いが鳩山由紀夫ということに結局なるのではないか?

今回、胡錦涛は一切コミットメントしていないが、小さなコップの中の嵐を高所から静観しているのかも知れない。

最後に、中国広報の日本語ポータルサイト「チャイナネット」が示す尖閣問題のURLを紹介する。

◇中日間に横たわる魚釣島の主権問題「チャイナネット」
http://japanese.china.org.cn/jp/archive/dydzt/node_7060468.htm

私達も正直に言って、尖閣諸島〜魚釣諸島の問題については余りに無知だったではなかろうか? 少なくても私自身はそれを恥じ、反省しきりだ。

その意味では、この時期にこの問題にスポットライトが当たるのは決して不幸ではない。

今、一番求められているのは、双方の主張を過去から未来に渡って比較検証し、個人個人が冷静で論理的な史観を形成することではないだろうか?

Profile

日本語の「ヨロン」という言葉には「世論」と「輿論」という2種類の漢字があります。実は、この2つの言葉は大きく意味が異なっていて、「世論(セロンとも読みます)」とは「感情的な世間の空気」のことで、「輿論」とは「議論を積み重ねてできあがった公的意見」のことを指します。《よろんず》が目指すものは後者の「ヨロン=輿論」をつくることであり、そのために、《よろんず》では情報のプロ・アマに関係なく自由闊達に議論を交わすための場所を提供します。メディアの調査で発表される「ヨロン=世論」とは違う真の「ヨロン」をつくるため、執筆者・出演者・読者のみなさんに、この新しい“知の共有空間”に参加いただけるよう呼びかけます。

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