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平井和子:「ヒロシマ以後」の広島に生まれて─<継承>のために

大妻女子大学非常勤講師・平井和子

■「ヒロシマ以後」の世代にとって

 わたしは1955年の広島市生まれだが、本籍地は1度も住んだことない住所にあり、そこは現在平和公園になっている。爆心地である。祖母と父は、原爆投下の数ヶ月前に建物疎開によって郊外に引っ越したため被爆を免れたのだが、本籍地は戦後もそのままにしておいたのである。

 しかしながら、戦後10年経って広島に生まれた「ヒロシマ以後」世代にとって、戦争も原爆も、父や近所の人たちの会話に出てくるのを漏れ聞く程度で、すでに過去の歴史であった。はじめて原爆の事実を知ったのは、小学校低学年のとき。父に連れられて原爆資料館へ行き、被爆直後の広島の地獄のような様に言葉を失った。なぜ、原爆が落とされたのか?戦争や原爆使用への知識もないまま、このただならぬ事態は幼い頭には自然災害の不可抗力のように思え、この重さを受け止めかねてこれを封印することで乗り切ろうとした。広島に生まれながらもわたしが長くヒロシマから逃げてきた原点はここにある。

 このような体験からわたしは、原爆のパネル展や被害の凄まじさに頼って、「平和教育」をした気になっている大人の感性を疑ってきた。戦争が起きたメカニズムや、原爆使用の背景などの根気の必要な説明を怠って、悲惨さを強調するようなやり方では、子どもは驚き同情はするが、自分をそこへ関わらせて考えにくいのではないか。それは安直な被爆者の利用でもある、と。

 毎年8月になると広島へ集まる人々へも冷めた目を向けていた。まるで、季節行事のように、折鶴を携えてやって来て、「語り部」たちの話に涙して、それぞれの場所へ帰ったらすっかりヒロシマを忘れてしまう。自分の日常生活とどうリンクさせて認識したのか、「2度と繰り返えさぬ」ために、あなたはどのような生き方をするのか?と。祈っただけでは平和は来ない、とも。その後大学進学などでわたしは広島を離れた。

 そんなわたしが、ヒロシマに向き合えるようになったのは1980年代。軍都広島の近代史とアジア・太平洋戦争が一続きのものとして見えたとき。そこまで約20年かかったことになる。したがって、わたしが原爆の被害とともに、あるいはそれ以前に、歴史教育が必要であるとするのはこのような経緯による(詳しくは『「ヒロシマ以後」の広島に生まれて―女性史・「ジェンダー」...ときどき犬(hiroshima・1000シリーズ 10)』 ひろしま女性学研究所2007年)。

■悲惨な体験の継承を巡って

 悲惨な被爆体験をどう子どもたちに伝えるかという点について、わたしの上記のような意見に対して、5歳のときに広島で被爆した女性史研究者の加納実紀代(かのう・みきよ)は強い異議を唱える。死んだ子どもたち、女たちは「ショックだからといって拒否することなどできなかった」、「15年にも及ぶ戦争や原爆投下までの道筋云々について何も知らないままいきなりピカにさらされたのだ」、「戦争体験の継承とはそうした不条理を含めてのものであるべきだろう」、と。そして、現在各地で繰り広げられている紛争地への「想像力と共感を養うこと、そして世の中には理解を絶することがあり、その前でたじろがない姿勢を育てていくこと」だと主張する (※1)。

 これを読んだとき、わたしは原民喜(はら・たみき)やプリーモ・レーヴィらが恐らく直面し絶望した、体験者/非(未)体験者の断絶の深さを想い浮かべ、言葉もなかった。一緒に遊んでいた友達や近所の人々の死を記憶に刻みつけている加納の、「当事者」でない者への怒り、違和感は分かるような気がする。この「当事者」性をどうやって引き受けて行けるか―やはり広島生まれの音楽批評家・東琢磨(ひがし・たくま)は、これまで「当事者性を乗り越える言葉を生み出す努力や模索が十分にはおこなわれていない」と指摘する (※2)。が、どのような経路を辿ろうと「ヒロシマ」を、現在の紛争地の人々への「想像力と共感=コンパッション」につなげたいという思いは共通で、加納も東もそしてわたしも世代を超えて根っこで繋がっていることは確かだ。

 現実の問題は、近年の学生・生徒たちの反応が、証言や体験を提示する側の意に反してかなり深刻であるということだ。もはや悲惨な事実に「たじろぐ」感性さえ持ち合わせない若者の姿があちこちで報告されている。2005年、ある大学高等部の入試問題に、沖縄「ひめゆり」の女性の語りを「たいくつだった」という感想が載せられたことがあったが、ある小学校では、教師が「きもだめし」に被爆者の写真を使い問題となったという報告もある。

* * <参考グラフ> * *

Q、被爆当時のことを聞いてどう感じますか(出典:『広島高教組時報』(1999年12月・614号))
100806_graph.jpg
「実感にならない」が過半数で始まった71年が、79年に「悲惨だ。憤りを感じる」と逆転する。が、90年代後半に再逆転し、97年には「実感にならない」が過去最高の割合となる。

■「平和教育」の届き方

 冒頭に触れた、わたしが原爆資料間で強いショックを受けたという点に関して、同様に自分の子ども時代の体験を思い出した、という人は多い。1960年代生まれの歴史研究者・長志珠絵(おさ・しずえ)は、時期と場所は異なるが「わたしも同じ経験枠にある」という。以下、承諾を得て寄せられた感想の一部を紹介する。

─小学校低学年の担任が平和教育に熱心で、「米軍が撮った放射能の影響を人体レベルで確かめる映像を見せられ...その夜寝ていて車の光を浴びたとき、放射能でもう死ぬんだ...と瞬間的に思ってふとんをかぶってしまった...その後もそういう感覚はずっと引きずっていたし...70年代の少女漫画で流行った『白血病もの』も、いつも怖かった...同時に子どもとは残忍なもので、被爆者ではない自分─をしっかり確保している。こうした大衆文化的内容が当事者にどれだけ過酷なものであるのか、他者意識として思い至ったのは90年代になってから」だという。

 そして現在、学生に教育する立場から、「私が日々、学生に接する中で感じること─私が向き合っている現実─前提は、これほどヒロシマや空襲について知識が払底しているのに、なぜ学生はこうした話題に『飽きて』いるのだろうか、ということ...自分が経験してもいない過去史を伝授する─という点で、私という立ち位置はすでに明治も昭和も同じこと。過去の過酷さの強調はごく普通には『あ~、今の日本に生まれて良かった』としか戻ってこない。特に、戦争の記憶は、過去のものではなく、今、過去がどういう文脈にあるのか、何が問われているのか、を説明できなければ─たぶん女性史も同じなのだが─学生の上記の感想を補強することに加担する」と、いう。

 ヒロシマが単なる過去のものでなく、「今、過去がどういう文脈にあるのか、何が問われているのか、を説明できる」教育をめざして、広島の教員も被爆者も、そして歴史研究者も日々格闘している。

 2000年夏に組まれた『中国新聞』の特集「新世紀への課題 ヒロシマ再構築」に、ヒロシマの平和教育がどう受け止められるのかを巡って、教師たちの抱えるジレンマをていねいに追った記事がある。広島市内のある小学校校長(60歳)は、数少なくなった被爆体験者である。「悲惨な体験を話すのが平和教育」と思ってきたが、考え方を改めた。沖縄戦の映画上映に際して、低学年の児童の1人が「怖いから見たくない」と、学校を休んだことがきっかけだったという。「子どもたちの生活とどう結びつけるかが重要」だ、と。

■おわりに

 しかし1960年代から続けられてきた「ひろしまの教育」は、着実に、歴史にかかわろうとする「ヒロシマ以後」世代を育ててきたことも確かである。『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)』で、「終戦」の記憶が戦後どのようにつくられたかを浮き彫りにした佐藤卓巳(さとう・たくみ)も1960年、広島市生まれである。彼は、新聞やテレビの「8月ジャーナリズム」は、「体験の風化」や「世代の断絶」を憂い続けてきたが、それがむしろ結果としてそれらを「必然」や「宿命」として甘受する風土を生み出しているのではないか、と鋭く問う。この書を書かせた根底に、彼は、「小学校時代から繰り返し受けた平和教育の中心は8月6日であって、8月15日ではなかった」ことがあるような気がするという (※3)。

 『ヒロシマ独立論』で、広島市あるいは、平和公園を国家に回収されない平和空間として独立させようというユニークな提案する東琢磨も60年代の広島生まれである。また、広島市に生まれながらも「原爆に関するものを避け続けてきた」という漫画のこうの史代も、『夕凪の街桜の国』を描くに当たって、「遠慮している場合ではない、原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えてゆかねばならない筈」だ、 と述べている(※4)。一度はヒロシマに違和感をもったり、回避したりしながら、また、ヒロシマに向き合い、それぞれのやり方で、引き受けて行こうとする「ヒロシマ以後」世代が育っているとは言えるだろう。この基盤に、ヒロシマという地のもつ、広い意味での「教育」があることも確かである。

(「私にとってのヒロシマ」『戦争と性』第27号・【特集】「ヒロシマ・ナガサキが問いかけるもの」 戦争と性編集室 2007年 をコンパクトにまとめ、一部修正しました)

※1:加納実紀代「ヒロシマをひらく─〈迂回〉を経ての継承」『インパクション』2007年
※2:東琢磨『ヒロシマ独立論』青土社2007年P.50
※3:佐藤卓巳『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)』ちくま新書2005年P.259
※4:こうの史代『夕凪の街桜の国』双葉社2004年P.103

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【プロフィール】
平井和子(ひらい・かずこ)
1955年、広島市生まれ。近現代日本女性史・ジェンダー史(大妻女子大学非常勤講師)
主な著作に『「ヒロシマ以後」の広島に生まれて―女性史・「ジェンダー」...ときどき犬 (hiroshima・1000シリーズ 10)』(ひろしま女性学研究所2007年)、共著『占領と性―政策・実態・表象』恵泉女学園大学平和文化研究所編(インパクト出版会2007年)がある。

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

題名を見ただけで、うっかり記事を見逃すところでした。

「ヒロシマ」の文字をみると、どうしても背筋が伸び、一歩距離をおいてしまいます(インターネットでは特にです)。記事のなかにあるように、もしかしたら私も「飽きている」のかと思わせられました。

先日ハーバード大学の売れっ子教授・マイケルサンデル氏が朝日のインタビューで「ユダヤ人虐殺に対する謝罪を戦後生まれのドイツ人はまったくしなくてよいのか」(8月5日13面)と、前の世代からの責任を無視すべきでないとの言葉が掲載されていました。

「前の世代」のことがらとの距離感はますます出ているように感じます。これも過去のものと忘れられそうですが、久間元防衛相の原爆投下「しょうがない」発言は、「前の世代」と現代の距離感から生まれるのではないでしょうか。

では、その距離を埋めるためにはどうしたらいいのでしょうか。

今回の記事には勉強になるキーワードがいくつもあり、自分なりの方法で歴史に向き合い、体から表現するヒントになりました。見ることができてよかったです。

佐藤卓巳氏の「8月ジャーナリズム」は初耳で興味深く、少しずつ向き合おうと思いました。

「「平和教育」をした気になっている大人の感性を疑ってきた」「まるで、季節行事のように、折鶴を携えてやって来て...帰ったらすっかりヒロシマを忘れてしまう」

長い間ヒロシマと向き合い、出てきた言葉と思います。記事を見ることにすら躊躇してしまう私の口からは到底出てきそうにありません。

今後もこのような大学教授の記事も増えるとより深みが出るなと思いました。また期待しています。

深く考えさせられました。

「当事者」性の問題は常に平和運動に携わる者がぶち当たる難問としてあるのでしょう。
【「ヒロシマ」を、現在の紛争地の人々への「想像力と共感=コンパッション」につなげたい】と思いへとつながる。

しかし、驚いたことに、それ以前の大きな現実の問題として、
近年の学生・生徒たちが、その証言や体験を提示する悲惨な事実に対し「たじろぐ」感性さえ持ち合わせないことが多く見られる、という。
沖縄「ひめゆり」の女性の語りを「たいくつだった」という感想や、ある小学校では、教師が「きもだめし」に被爆者の写真を使い問題となったという報告もある、と。
沖縄戦の映画上映に際して、低学年の児童の1人が「怖いから見たくない」と、学校を休んだこと、など。

これは驚くべきことです。どうしたことなのでしょうか。
これに関係するかどうかわかりませんが、
私が最近、子どもたちの現状で気になることのひとつとして、発達障害という精神障害の罹患が最近増えているという事実です。
また、精神障害とはいえないまでも、精神の未熟な若者の数が増えているように思われることも大変気になっています。
他者への共感や想像力は、幼児のように自己関心のみに向けられていた幼児的な愛から脱し、他者に対し、それを及ぼすことが可能となる。それが大人となることであることを考えると、他者の痛みに対し、無関心でいられることはその幼児性を表しているのではないかという疑念が生じてしまいます。

いま、ネット右翼なるものにはまっていく若者が数多くいますが、その言動や思想を見る限り、過去の戦争の悲惨な現実を見ようとせず、ひたすら、よい日本なるものに同一化して、高く高く舞い上がっているように思われます。自我は膨張し、他者を見下します。悲惨な現実や自己のありのままの姿に直面するのを拒否し、その脆弱な自己をその美しく強い日本と同一化して、あたかも力ある者として舞い上がっているように思われます。端的に言えば、自己愛的で、幼児的です。その自我防衛は強固であるとさえ思えます。
善と悪を極端に分裂させてしまい、悪を過度に抑圧してしまいます。悪を排除し、自身の外へ排除しようとします。独善・排他となります。過去の罪も悪として排除されてしまい、本来自身で引き受けるべきものを他者に投影し、それに同一化して、それを攻撃するのです。

このような現実と先の「無関心」につながりがあるのではないかと私は気がかりでなりません。

過去の大戦で、日本の軍部のエリートたちの暴走は彼らの、膨張し、高く舞い上がった自我によるものである私は考えているので、いまの子どもたちや若者の現実を見ると、たいへん恐い感じがします。

二度と過去の過ちは繰り返さないという大人たちの毅然とした態度によって、戦争は過去のものではなく、いま生きているわれわれもどうかすれば、過去の過ちを繰り返すかもしれない現実としていまあるのだという強いメッセージが必要であると思い、私も一市民として、平和運動に加わっています。

【ヒロシマが単なる過去のものでなく、「今、過去がどういう文脈にあるのか、何が問われているのか、を説明できる」教育をめざして、広島の教員も被爆者も、そして歴史研究者も日々格闘している。】
その取り組みに対し、心から敬意を表し、その思いが遂げられることを心からお祈りいたしております。

原爆資料館、原爆ドームを訪れたのは25歳のころでした。仕事で初めて広島に行き、時間に余裕があったので観光の一環という気分でした。圧倒されたという記憶だけが鮮明に残っています。原爆資料館の展示物もショックだったのですが、その当時原爆ドームが路地の奥にぽつんと佇んでいたこと、思ったより小さな建物だったこと、フェンスで囲まれているだけの素朴で無造作なたたずまいだったことが印象的でした。原爆ドームの前に立ったとき、「原子爆弾というのは人類が戦争で使った最大で最後の兵器、もはやこれ以上の兵器を人類は実戦で使うことはないだろう」という思いに襲われたことを憶えています。また、原子爆弾はそれまでの兵器とはまったく異質なもの、兵器であって兵器ではないという印象も深くしました。

以後、何度も広島を訪れる機会はありましたが、再び資料館やドームに向かったことはありません。活気をもって動いている広島の街に、資料館やドームを思い出させるきっかけはありませんでした。
昼間は紙屋町、夜は薬研掘、ドームや資料館は指呼の距離です。しかし、結局今日まで訪れたのは25歳のときの一回だけ。

原爆資料館に再び関心がいったのは、チェ・ゲバラの伝記を読んだときで、彼はキューバの砂糖を買ってもらうことを目的に、訪日使節団の一員として来日しています。そして広島を訪問しています。広島訪問は、ゲバラたっての希望で、渋る外務省に強引に申し込んだようでした。そこで彼は「日本人はこんなにひどいことをされて、なぜだまっているんだ」と日本人通訳に述べたそうです。

広島の原爆資料館は、中国の抗日資料館や韓国の資料館と違い、加害者への恨み憎しみがありません。自国の奮闘を誇るものもありません。
ただ二度と原爆をつかってはいけないというわが身を挺した命がけメッセージだけが存在する広島の原爆資料館、原爆ドームは、世界的にもとても珍しい、貴重な存在ではないかと考えています。

8月6日広島原爆。私はこの日になると漫画「はだしのゲン」を思い出します。初めて読んだ漫画です。戦争の恐ろしさを漫画で知りました。高校の頃の日本史は幸運にも、近現代史を授業で扱っていたので勉強して良かったです。私は30代です。若者は戦争の関心が
薄れたと言われていますが、私は毎年この時期になるとやはり戦争というものを考えさせられます。私みたいな若者も中にはいることを平井先生にはわかって頂きたい。ただ、現実には近現代史の関心が若者は薄れているのは事実。思想は抜きにして、関連する本や映像を見て何か感じるしかありません。

■発達障害が関連?
平井さんに関連するコメントではありません。
パン | 2010年8月 7日 02:39 さんの投稿で、気になる事がありましたので、投稿いたします。
以下の部分です。
>これは驚くべきことです。どうしたことなのでしょうか。
これに関係するかどうかわかりませんが、
私が最近、子どもたちの現状で気になることのひとつとして、発達障害という精神障害の罹患が最近増えているという事実です。<

発達障害という呼び名は厳密な医学用語ではありません。
身体的発達に異常を持たず、情緒、学習、記憶、対人認知などといった先天的な高次脳機能の発達の異常がもたらすものを総称して用いられることが多い言葉です。
行政的には、発達障害者支援法によって、自閉症、アスペルガー症候群、その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものです。

うつ病、精神分裂病、ストレス関連障害などが職場環境などの後天的影響で罹患することのある精神疾患(精神障害)であるのに対し、発達障害は先天的脳機能の障害、つまりオギャと産れた時に決まっていて、後天的な影響、例えば育児法などで罹患・増減することはありません。(症状の現われ方は環境で変わります。)

神尾陽子さん(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所児童・思春期精神保健研究部部長)に拠れば
「自閉症を例にとると、その三兆候(対人相互性の障害、言語コミュニケーションの障害、こだわり)を共有しながらも自閉症よりその程度が軽度なアスペルガー症候群や、さらに軽度な非定型群が、明確な境界を持たずになめらかに連続することから、自閉症スペクトラム障害として従来の自閉症より包括的に捉えられるようになってきた。このような障害概念の拡大は、従来、育児の失敗やパーソナリティの問題などと見なされていた一群の人々を発達障害として新たに捉え直すことであり、それが自閉症有病率の増加の実態である。」学術の動向2010年4月号

パンさんが懸念する事態と有病率の増加は、無関係だといえます。

学問的には、他者の気持ちの汲み取り、つまり共感性には、2つの要素、すなわち、情緒的共感性と認知的共感性があると言われています。

情緒的共感性は、もらい泣きなどの他者の顔の表情や音声(特に発話者の感情によって変化する韻律的特徴)姿勢、動きを手がかりに観察者に生じた情動的な反応。自動的、先天的で、動きを正確に模倣する能力との間に正の相関があるといわれます。
認知的共感性は、他者の立場に置かれた自分を想像することにより他者の情動を推論する能力です。他者の視点からものごとを認知し相手の情動を推論し心から納得する「内面化」した同調といわれます。

自閉症スペクトラム障害、ASDを例にとると、情緒的共感性は先天的に弱いですが、認知的共感性は時期的年齢的に発達が遅れるものの、十分にあります。ヒロシマやオキナワの証言や体験談から、その状況を認知して共感する能力はあります。>他者の痛みに対し、無関心でいられる<ことと発達障害を直結するのは、誤っていると思います。

■「自閉的」社会
ASDの私からみると、発達障害を持たない多数の定型発達者、情緒的共感性や認知的共感性を年齢的にも十分に発達しているであろう多数の定型発達者が>他者の痛みに対し、無関心でいられる<ことが不思議です。
また、年齢的に認知的共感性が十分に発達していない情緒的共感性が主の低学年児童に、戦争記録映画を見せようとする。
>この重さを受け止めかねてこれを封印することで乗り切ろうとした<。とか>「怖いから見たくない」と、学校を休んだ<などの反応はある意味、当然の様に思います。
コミュニケーションは、受け手に伝わってナンボ。受け手を考慮しない態度は、傲慢に見えます。

さて、ASDの特徴の一つが、他者からみた自分、期待や役割を含んだ私を把握していない、しにくいということです。
それで、そうした他者(期待や役割)を配慮した言動がとり難い。そのため、他者との交流を拒んでいる「自閉的」とみられます。

6日の平和記念式典。NHKは、菅首相のあいさつが終わった同8時38分まで全国中継し、それ以降の、国連事務総長として初めて同式典に出席した潘基文氏らのあいさつなどは全国中継をしないで「ゲゲゲの女房」をながしました。

米国のCNNは国際版で式典を10分以上にわたり生中継し、ルース大使と潘事務総長の表情や、式典の進行を詳細に伝え、2人の初出席を「極めて重要な意味を持つ」、原爆投下の是非が絡む被爆問題は、オバマ米政権にとって「政治的に注意を要する領域だ」と報じたそうです。ただしこれは国際版、米国内では生中継されなかったそうです。

日本国内に、現在の平和記念式典・ヒロシマが、現在の日本や日本人が、どのような期待やイメージで他の国々から見られているのかの情報は、「ゲゲゲの女房」より価値がない。米国も、国内的には価値の低い情報と扱っている。したがって、他の国々からの期待やイメージを考慮した行動が考え付きにくい、とりにくい。随分に「自閉的」な社会だと思います。

こうした「自閉的」社会では、過去という他者、未来世代等という他者を考慮した「歴史的」意識、>今、過去がどういう文脈にあるのか、何が問われているのか<は、育ちにくいのではないでしょうか。

~広島平和記念式典の参加報告 - 寺島実郎の「原爆許すまじ」侮蔑~

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