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2010年8月28日

今日は高野孟が出演!「朝まで生テレビ!」について語るスレッド

今日の「朝まで生テレビ!」に《THE JOURNAL》主宰:高野孟が出演します。

テーマは「激論!米中"新冷戦"時代と日本」です。日米同盟、日本の安全保障、躍進する中国との付き合い方について徹底討論する設定です。

が、当然、アノ話題になるとは思いますが...

是非、みなさんのご意見・ご感想をリアルタイムでお聞きしたいと思います。

このスレッドはテレ朝とは全く関係ありませんので、誤解のないようお願いいたします。

* * * * *

放送日時:8月27日(金)25:25〜28:25

テーマ:激論!米中"新冷戦"時代と日本

司会:田原総一朗
進行: 長野智子・渡辺宜嗣(テレビ朝日アナウンサー)

パネリスト:
生方幸夫(民主党・衆議院議員)
下地幹郎(国民新党・衆議院議員)
片山さつき(自民党・参議院議員)
浅尾慶一郎(みんなの党・衆議院議員)
井上哲士(日本共産党・参議院議員)
潮匡人(国家基本問題研究所評議員)
宋文洲(ソフトブレーン創業者)
高野孟(ジャーナリスト)
富坂聰(ジャーナリスト)
村田晃嗣(同志社大学教授)
山口昇(防衛大学教授)
渡部恒雄(東京財団上席研究員)

2010年8月 9日

【意見募集中】子ども手当って本当に必要なの?

 「子ども手当」の増額規模をめぐり、与党内で議論が行われている。09年の民主党のマニフェストの目玉であった子ども手当は、11年度から満額の2万6000円を支給する予定だった。しかし、財政の状況が悪化していることで満額支給は断念し、代替案として現在の支給額である1万3000円から5000〜7000円を上乗せする案が浮上している。なお、昨年末には扶養控除の廃止が決定されているため、子ども手当の増額がそのまま子育て世帯への所得となるわけではない。

 さて、賛否について激しく論議されている子ども手当の支給額問題。読者の皆さんはこの政策についてどう思う?

 賛成・反対の主な意見を下記に列記するので、ぜひご意見をお寄せください!

★   ★   ★   ★

【子ども手当 賛成・反対の主な意見】

◯賛成派の意見◯

▼子ども手当は生活費のかかる世帯を対象とした減税政策で、子育ての負担軽減となる。

▼高齢者に対する公的支出に比べ、日本の子どもへの支出は約11分の1と圧倒的に少なく、先進国では最低レベル。もっと子どもへの支援を増やしたほうがいい。

▼「扶養控除」は1000万円以下の所得で収入の多い世帯ほど減税額が大きくなる仕組みだった。収入の低い世帯に対する補助の効果が低く、弱者対策になっていない。

▼子育て世帯は消費意欲も強いので、経済対策にもなる。

▼文部省の調査で子育て世帯の手取り収入の増加に比例して教育費も増えることが明らかになっている。

▼1971〜74年に産まれた団塊ジュニア世代の女性がこれから出産適齢期を過ぎてしまうため、これからは子どもを産める母親の数が大きく減少するため、10年後に少子化対策を行っても遅い。何でもいいから、効果のありそうな政策は素早くやらないといけない。

▼保育施設は都市部では不足しているが地方では余っている。都市部の住民にとって施設の増加は大切でも、地方ではあまり意味がない。

▼「親がパチンコに使うだけ」という意見があるが、こんなことを言う人は子育てをしている親をバカにしている。すべての親がパチンコをするわけではない。

▼子どもがいない世帯でも、将来は自分たちより若い世代の税金によって支えてもらうことになる。

▼子ども手当という「直接給付」の還元方法は、補助金の中抜きで生活している天下り官僚が最も嫌がる政策。これを実現できなければ、明治百年の官僚体制の打破などできるはずがない

×反対派の意見×

▼月額5000円の増加で1兆3000億円の予算が必要で、そのような財政的余裕はない。

▼赤字国債で子どもに給付を行っても、最終的にはその子どもに負担をかけるだけ。

▼子育ては親の責任。税金の還付は必要ない。

▼優先順位として子ども手当よりほかにやることがある。

▼手当を給付しても貯金に回れば経済効果は低い。

▼現金給付より設備の充実に力を入れるべき。

その他

▼子ども全員一律2万6000円にする必要はない。たとえば、2人目は2万円、3人目は3万円にするなどメリハリをつけるべき。

▼子ども手当は少子化対策なのか経済政策なのかハッキリしてほしい。

▼お金のある家庭は子ども手当を寄付などに使ってほしい。

2010年8月 6日

平井和子:「ヒロシマ以後」の広島に生まれて─<継承>のために

大妻女子大学非常勤講師・平井和子

■「ヒロシマ以後」の世代にとって

 わたしは1955年の広島市生まれだが、本籍地は1度も住んだことない住所にあり、そこは現在平和公園になっている。爆心地である。祖母と父は、原爆投下の数ヶ月前に建物疎開によって郊外に引っ越したため被爆を免れたのだが、本籍地は戦後もそのままにしておいたのである。

 しかしながら、戦後10年経って広島に生まれた「ヒロシマ以後」世代にとって、戦争も原爆も、父や近所の人たちの会話に出てくるのを漏れ聞く程度で、すでに過去の歴史であった。はじめて原爆の事実を知ったのは、小学校低学年のとき。父に連れられて原爆資料館へ行き、被爆直後の広島の地獄のような様に言葉を失った。なぜ、原爆が落とされたのか?戦争や原爆使用への知識もないまま、このただならぬ事態は幼い頭には自然災害の不可抗力のように思え、この重さを受け止めかねてこれを封印することで乗り切ろうとした。広島に生まれながらもわたしが長くヒロシマから逃げてきた原点はここにある。

 このような体験からわたしは、原爆のパネル展や被害の凄まじさに頼って、「平和教育」をした気になっている大人の感性を疑ってきた。戦争が起きたメカニズムや、原爆使用の背景などの根気の必要な説明を怠って、悲惨さを強調するようなやり方では、子どもは驚き同情はするが、自分をそこへ関わらせて考えにくいのではないか。それは安直な被爆者の利用でもある、と。

 毎年8月になると広島へ集まる人々へも冷めた目を向けていた。まるで、季節行事のように、折鶴を携えてやって来て、「語り部」たちの話に涙して、それぞれの場所へ帰ったらすっかりヒロシマを忘れてしまう。自分の日常生活とどうリンクさせて認識したのか、「2度と繰り返えさぬ」ために、あなたはどのような生き方をするのか?と。祈っただけでは平和は来ない、とも。その後大学進学などでわたしは広島を離れた。

 そんなわたしが、ヒロシマに向き合えるようになったのは1980年代。軍都広島の近代史とアジア・太平洋戦争が一続きのものとして見えたとき。そこまで約20年かかったことになる。したがって、わたしが原爆の被害とともに、あるいはそれ以前に、歴史教育が必要であるとするのはこのような経緯による(詳しくは『「ヒロシマ以後」の広島に生まれて―女性史・「ジェンダー」...ときどき犬(hiroshima・1000シリーズ 10)』 ひろしま女性学研究所2007年)。

■悲惨な体験の継承を巡って

 悲惨な被爆体験をどう子どもたちに伝えるかという点について、わたしの上記のような意見に対して、5歳のときに広島で被爆した女性史研究者の加納実紀代(かのう・みきよ)は強い異議を唱える。死んだ子どもたち、女たちは「ショックだからといって拒否することなどできなかった」、「15年にも及ぶ戦争や原爆投下までの道筋云々について何も知らないままいきなりピカにさらされたのだ」、「戦争体験の継承とはそうした不条理を含めてのものであるべきだろう」、と。そして、現在各地で繰り広げられている紛争地への「想像力と共感を養うこと、そして世の中には理解を絶することがあり、その前でたじろがない姿勢を育てていくこと」だと主張する (※1)。

 これを読んだとき、わたしは原民喜(はら・たみき)やプリーモ・レーヴィらが恐らく直面し絶望した、体験者/非(未)体験者の断絶の深さを想い浮かべ、言葉もなかった。一緒に遊んでいた友達や近所の人々の死を記憶に刻みつけている加納の、「当事者」でない者への怒り、違和感は分かるような気がする。この「当事者」性をどうやって引き受けて行けるか―やはり広島生まれの音楽批評家・東琢磨(ひがし・たくま)は、これまで「当事者性を乗り越える言葉を生み出す努力や模索が十分にはおこなわれていない」と指摘する (※2)。が、どのような経路を辿ろうと「ヒロシマ」を、現在の紛争地の人々への「想像力と共感=コンパッション」につなげたいという思いは共通で、加納も東もそしてわたしも世代を超えて根っこで繋がっていることは確かだ。

 現実の問題は、近年の学生・生徒たちの反応が、証言や体験を提示する側の意に反してかなり深刻であるということだ。もはや悲惨な事実に「たじろぐ」感性さえ持ち合わせない若者の姿があちこちで報告されている。2005年、ある大学高等部の入試問題に、沖縄「ひめゆり」の女性の語りを「たいくつだった」という感想が載せられたことがあったが、ある小学校では、教師が「きもだめし」に被爆者の写真を使い問題となったという報告もある。

* * <参考グラフ> * *

Q、被爆当時のことを聞いてどう感じますか(出典:『広島高教組時報』(1999年12月・614号))
100806_graph.jpg
「実感にならない」が過半数で始まった71年が、79年に「悲惨だ。憤りを感じる」と逆転する。が、90年代後半に再逆転し、97年には「実感にならない」が過去最高の割合となる。

■「平和教育」の届き方

 冒頭に触れた、わたしが原爆資料間で強いショックを受けたという点に関して、同様に自分の子ども時代の体験を思い出した、という人は多い。1960年代生まれの歴史研究者・長志珠絵(おさ・しずえ)は、時期と場所は異なるが「わたしも同じ経験枠にある」という。以下、承諾を得て寄せられた感想の一部を紹介する。

─小学校低学年の担任が平和教育に熱心で、「米軍が撮った放射能の影響を人体レベルで確かめる映像を見せられ...その夜寝ていて車の光を浴びたとき、放射能でもう死ぬんだ...と瞬間的に思ってふとんをかぶってしまった...その後もそういう感覚はずっと引きずっていたし...70年代の少女漫画で流行った『白血病もの』も、いつも怖かった...同時に子どもとは残忍なもので、被爆者ではない自分─をしっかり確保している。こうした大衆文化的内容が当事者にどれだけ過酷なものであるのか、他者意識として思い至ったのは90年代になってから」だという。

 そして現在、学生に教育する立場から、「私が日々、学生に接する中で感じること─私が向き合っている現実─前提は、これほどヒロシマや空襲について知識が払底しているのに、なぜ学生はこうした話題に『飽きて』いるのだろうか、ということ...自分が経験してもいない過去史を伝授する─という点で、私という立ち位置はすでに明治も昭和も同じこと。過去の過酷さの強調はごく普通には『あ~、今の日本に生まれて良かった』としか戻ってこない。特に、戦争の記憶は、過去のものではなく、今、過去がどういう文脈にあるのか、何が問われているのか、を説明できなければ─たぶん女性史も同じなのだが─学生の上記の感想を補強することに加担する」と、いう。

 ヒロシマが単なる過去のものでなく、「今、過去がどういう文脈にあるのか、何が問われているのか、を説明できる」教育をめざして、広島の教員も被爆者も、そして歴史研究者も日々格闘している。

 2000年夏に組まれた『中国新聞』の特集「新世紀への課題 ヒロシマ再構築」に、ヒロシマの平和教育がどう受け止められるのかを巡って、教師たちの抱えるジレンマをていねいに追った記事がある。広島市内のある小学校校長(60歳)は、数少なくなった被爆体験者である。「悲惨な体験を話すのが平和教育」と思ってきたが、考え方を改めた。沖縄戦の映画上映に際して、低学年の児童の1人が「怖いから見たくない」と、学校を休んだことがきっかけだったという。「子どもたちの生活とどう結びつけるかが重要」だ、と。

■おわりに

 しかし1960年代から続けられてきた「ひろしまの教育」は、着実に、歴史にかかわろうとする「ヒロシマ以後」世代を育ててきたことも確かである。『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)』で、「終戦」の記憶が戦後どのようにつくられたかを浮き彫りにした佐藤卓巳(さとう・たくみ)も1960年、広島市生まれである。彼は、新聞やテレビの「8月ジャーナリズム」は、「体験の風化」や「世代の断絶」を憂い続けてきたが、それがむしろ結果としてそれらを「必然」や「宿命」として甘受する風土を生み出しているのではないか、と鋭く問う。この書を書かせた根底に、彼は、「小学校時代から繰り返し受けた平和教育の中心は8月6日であって、8月15日ではなかった」ことがあるような気がするという (※3)。

 『ヒロシマ独立論』で、広島市あるいは、平和公園を国家に回収されない平和空間として独立させようというユニークな提案する東琢磨も60年代の広島生まれである。また、広島市に生まれながらも「原爆に関するものを避け続けてきた」という漫画のこうの史代も、『夕凪の街桜の国』を描くに当たって、「遠慮している場合ではない、原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えてゆかねばならない筈」だ、 と述べている(※4)。一度はヒロシマに違和感をもったり、回避したりしながら、また、ヒロシマに向き合い、それぞれのやり方で、引き受けて行こうとする「ヒロシマ以後」世代が育っているとは言えるだろう。この基盤に、ヒロシマという地のもつ、広い意味での「教育」があることも確かである。

(「私にとってのヒロシマ」『戦争と性』第27号・【特集】「ヒロシマ・ナガサキが問いかけるもの」 戦争と性編集室 2007年 をコンパクトにまとめ、一部修正しました)

※1:加納実紀代「ヒロシマをひらく─〈迂回〉を経ての継承」『インパクション』2007年
※2:東琢磨『ヒロシマ独立論』青土社2007年P.50
※3:佐藤卓巳『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)』ちくま新書2005年P.259
※4:こうの史代『夕凪の街桜の国』双葉社2004年P.103

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【プロフィール】
平井和子(ひらい・かずこ)
1955年、広島市生まれ。近現代日本女性史・ジェンダー史(大妻女子大学非常勤講師)
主な著作に『「ヒロシマ以後」の広島に生まれて―女性史・「ジェンダー」...ときどき犬 (hiroshima・1000シリーズ 10)』(ひろしま女性学研究所2007年)、共著『占領と性―政策・実態・表象』恵泉女学園大学平和文化研究所編(インパクト出版会2007年)がある。

2010年8月 5日

染谷正圀:「25条問題」に関する補論

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日本一新の会・染谷正圀 

 6年前まで吉岡吉典参議院議員室の相棒であった同志から、政治資金規正法第12条は、政治資金収支報告書に記載すべき事項をこと細かく規定しているところであり、この規定に反するものを虚偽記載とするのであれば、第25条を白地刑法と断ずるには無理がある旨の指摘を受けた。

 しかしながら、政治資金規正法は、第25条で虚偽記載の要件を定めずにこれを処罰するとし、これによって記載の誤り一般を処罰対象としていることは厳然たる事実である。

 他方、同法補則第31条「監督上の措置」は、「総務大臣又は都道府県の選挙管理委員会は、この法律の規定により提出された届出書類、報告書若しくはこれに添付し、若しくは併せて提出すべき書面(以下この条において「報告書等」という。)に形式上の不備があり、又はこれらに記載すべき事項の記載が不十分であると認めるときは、当該報告書等を提出した者に対して、説明を求め、又は当該報告書等の訂正を命ずることができる。」として、同法第12条に係る形式的誤記載についての是正措置を規定しているのである。

 そしてこのことこそが、先に私が指摘した「政治資金収支報告書の虚偽記載とは、それを疑った捜査機関が捕まえて調べただけでは判然とせず、裁判によらなければ、犯罪か否かそのものが定まらない仕組みになっている、つまり、捜査機関の嫌疑そのものの是非が裁判によらなければ判明しない構造」の問題点なのである。

 すなわち、政治資金収支報告書に係る「誤った記載」とは、総務大臣又は都道府県選挙管理委員会の職務懈怠による過誤記載の放置の結果であるのか、それとも犯罪としての虚偽記載であるのかの判断を裁判所に委ねなければならないことこそが、罪刑法定主義に悖る条規が招く深刻な事態なのである。

 この点に関し、平野貞夫代表が森英介法相の指揮権発動で始まったと指摘している小沢一郎氏の民主党代表辞任に通じた2009年9月の第一次陸山会「国策捜査」に連座させられた西松建設元社長が、不当逮捕と断乎闘うのではなく、「倒産価格」に近い水準までに下落した株価問題を抱えた中での株主総会対策のために「検察の描いた筋書き」に沿うことで早期決着の道を選んだ政治資金規正法上の虚偽記載を巡る裁判について、郷原信郎弁護士は、著書「検察が危ない」(KKベストセラーズ刊「ベスト新書」)の中で、「検察の敗北」との見出しの下に次のように述べている。

 「西松建設側が『全面降伏状態』であるにもかかわらず、寄附の背景についての検察側の主張が、裁判所に全面的に排斥されるという異例の判決となった。地裁判決は、政治団体名義での寄附を西松建設による『第三者名義の寄附』と認め、政治資金規正法違反が成立するとしたが、寄附の動機については、『公共工事の受注業者の決定に強い影響力を持っていた岩手県選出の衆議院議員の秘書らの良好な関係を築こうとして平成9年ころから行ってきた寄附の一環である』と認定するにとどめた。また、判決は、量刑面で被告人に有利な事情として、寄附は、特定の公共工事を受注できたことの見返りとして行われたものではない」と認定し、検察の主張を正面から否定した」(67ページ)と指摘し、「検察官が公訴権を独占し、訴追裁量権を持っている現行法制の下では、検察の起訴は『有罪の確信』に基づいて行われることが事実上前提となっている。被告人が事実関係を全面的に認め、まったく争っていない事件で裁判所が独自の判断で無罪判決を出すことは、起訴を行った検察の判断そのものを正面から否定することになる。被告・弁護人側が事実を認めている場合、有罪判決は当然のことであり、事実を争っている公判で『弁護人の主張』に対する判断を示して有罪判決を出すのとはまったく意味が異なる」(68〜69ページ)としている。

 ここで地裁判決が虚偽記載の実質行為と認定し、西松側の有罪の根拠とした「『西松建設のダミー』による寄附」について、大久保氏の公判に検察側証人と出廷した西松建設の元総務部長は、陸山会に寄附をした団体職員の給与は会社とは別に独自に支給されており、政治団体としての実体がある」とする敵性証言をして検察側を狼狽させ、大久保氏が無罪となる可能性が高くなった、と報じられているところであり、地裁が、政治資金規正法「25条問題」の深刻さへの洞察力を有してさえいれば、西松建設事件においても郷原弁護士が指摘する、被告が有罪を認めている以上裁判所は無罪判決を出さない、という法曹有資格者の社会で通ずる一般的訴訟論の域を超える判決を下さなければならなったはずである。

 「中央公論」を治安維持法で弾圧した「横浜事件」被告への国家賠償を命じた横浜地裁判決は、「有罪判決は、特高警察による思い込みの捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結したと評価でき、警察、検察、裁判の各機関の故意・過失は重大だったと言わざるを得ない」と判示している。

 政治資金収支報告書に「借入金」を記載したことを以て、ヤミ献金のロンダリングを疑う検察の信じがたい「思い込みの捜査」に始まった第二次陸山会事件での「故意・過失」を許すことなど断じてあってはならない。

 そして、その根底に横たわる「25条」問題の抱える深刻な隘路を克服するため、平野代表の言によれば、小沢一郎氏は、政治資金収支報告書の「誤った記載」について一義的に処理するため公正取引委員会のような準司法機関を組織し、犯罪性の強いものに関してのみを告発する仕組みをつくることを考えているとのことであることを付言しておきたい。

Profile

日本語の「ヨロン」という言葉には「世論」と「輿論」という2種類の漢字があります。実は、この2つの言葉は大きく意味が異なっていて、「世論(セロンとも読みます)」とは「感情的な世間の空気」のことで、「輿論」とは「議論を積み重ねてできあがった公的意見」のことを指します。《よろんず》が目指すものは後者の「ヨロン=輿論」をつくることであり、そのために、《よろんず》では情報のプロ・アマに関係なく自由闊達に議論を交わすための場所を提供します。メディアの調査で発表される「ヨロン=世論」とは違う真の「ヨロン」をつくるため、執筆者・出演者・読者のみなさんに、この新しい“知の共有空間”に参加いただけるよう呼びかけます。

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