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(日本人をやめた)無国籍人:鳩山外交の無邪気さと未熟

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今日(2/7)の日経Netニュースによると、鳩山首相が北方領土問題の大会で発言し、ロシアとは経済交流を領土交渉の「両輪」で進める考えを重ねて表明して「どうぞ一緒に戦いましょう」と呼び掛けた由(この戦いの慫慂は、つい先日何処かで聞いた鮮明な記憶がある)。鳩山外交の無邪気と未熟に危機感が増幅される。仮に、鈴木宗男議員への気配りや返礼であるならば、その場所が違うという意味で未熟の上塗りと言わざるを得ない。

1. 先の日米同盟に於ける無邪気と未熟
10年2月 2日の『よろんず:たかおじさん「戦争は何故起こるのか」』の板に投稿した私の10年2月 3日 17:10付けコメントの該当部をそのまま以下にCopy&Pasteします。

Quote
チャーチルのものとしてご紹介戴いた言(下記引用)は、前述の「あやふやな日本」の脈絡では非常に非常に(重複ではなく強調です(笑))興味深く読みました。好い事を教えて貰ったと御礼申し上げます。
日米同盟の脈絡で鳩山政権が打ち出した「不均等」の認識と均等化要求に対して、真にアメリカが噛み締めている心情であろうと思います。【最後にはもう反発することはないだろうとさらに無理を押しつけると、その瞬間猛烈な反発が返ってきて不意をつかれた。】と。途中経過ではアメリカが押し付けたとしても、曲がりなりにも日本国内の手続きを正規に踏んで合意して来たじゃあないの、国内問題を国際舞台に引き出して来られても困って仕舞うよと。

--記--
引用【日本は譲歩を押しつけると一歩退く。それならと、もう少し押しつけると、また退く。そうやって何度無理を押しつけても飲むので、最後にはもう反発することはないだろうとさらに無理を押しつけると、その瞬間猛烈な反発が返ってきて不意をつかれる。そんなにいやだったのなら、なぜ最初からそう言わないのか理解出来なかった。】
Unquote

2.鳩山首相は知るべきでしょう、同一の民族が同一文化で染め上げられている狭い日本国内で行う内政とは異なり、異質な民族と異質な文化文明との間で交渉を繰り広げる外交では、S.ハンチントンが主張する「文明の衝突は準必然」とする短絡的意見は否定するとしても、複眼を持って物事を観ること、複雑な思考回路を取ることが必須であると知るべきでしょう。まさかとは思いますがひょっととして、国内でも宙に浮いている「美しく無邪気な友愛精神」を、厳しい外交の最前線に持ち込んで局面打開が出来ると未だに錯覚(大きな錯覚)を引き摺っているのではないか。外交には「時間のみが解決できる」事案が少なくない、特に両国の長い歴史と強い国民感情に密接に係わる領土問題は。
鳩山政権にも民主党にも、国内の経済の復活(「喪われた30年」にならないように!!)が非常に大きな国民的課題である時期に、好き好んで寝た子を揺り起こしてまで外交課題を造り出し抱え込むゆとりは精神的にも肉体的にもない筈だが・・。

3.上記のアメリカに加えてロシアとの間にも「無邪気と未熟」を重ねられると、鳩山首相には日本の一国民として大きな危機感が募る。このまま放っておくと、竹島(独島)や尖閣諸島(釣魚島、釣魚台列嶼)についても同様の無邪気と未熟を晒すのではないだろうか。有権者にとっては、今年7月の参院選挙までは事態を静観する以外に道は無いが、それまでの間政権与党たる民主党は、鳩山首相の成熟を促し、仮にその結果に満足しきれなければ政権の帰趨を決する(端的にいって、「馬謖を切る」を含む)ことになる覚悟が必要なのではなかろうか、民主党とは言ってもその厳しい決断が出来るのは、悲しい哉、唯一小沢氏の筋しか存在しないのだが(一縷でもあるだけ幸せと考えるのか?)。検察の用意した土俵で戦って取り敢えずの処は勝ったと観える小沢氏に、その剛腕を振るう余力が「その時」にあれば好いのだが。

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» 【対米追従】政権交代を否定し宦官ジミンによる永久政権を望むby惨経珍聞【売国媚米】 送信元 ステイメンの雑記帖 
 とにかく、鳩山政権のやることなすことにイチャモンを付け、一刻も早い宦官ジミンによる官僚主導の利権談合政治を復活させたい「下野なう」惨経だが、今度は今月1... [詳しくはこちら]

コメント (70)

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

この人は何が言いたいのか。
しかも匿名で。
コメントするのもあほらしいが。

>なぜ最初からそう言わないのか理解出来なかった。
鳩山首相の対米自立論文が米紙に引用されたのは政権交代後すぐだったと記憶しています。
「最初から」言っています。

>外交には「時間のみが解決できる」事案が少なくない
現在に至るまでの時間が解決しなかった事案ですが、今後の「時間」が解決すると思われる根拠が知りたいです。

>竹島(独島)や尖閣諸島(釣魚島、釣魚台列嶼)について
旧政権の最後の首相が訪韓した際に竹島の話題に触れなかったことで日本の立場は後退したと認識しています。

>今年7月の参院選挙までは事態を静観する以外に道は無い
「静観」ではなく意見表明することが大切だと思います。

主張は「馬謖(鳩山)」を切る、及び「小沢」でいくしかないが、そこまで本人やる気があるか疑問?という事でしょうか。

それにしては文章長過ぎ、くど過ぎかと。

やる気だして、「何を」をやるか、「何を」やってほしいか不明。

鳩山でも小沢でも良いのですが、「闘う」姿勢が無いとしょうもない。
プラスで言えば「戦う」姿勢。

「戦う」事もできないのに、「闘う」って誰が相手なのか不明。

記者会見を閉じるという事は
優秀なジャーナリストが
生まれる機会(雇用)を
奪っている。
総理にもっと簡単に
質問&記事に出来たら
独自の目線で
食べていこうと思う人が
もっともっと増えるだろう。
そして日本がより
開かれたいい国になるのは
間違いない。
今の政府は
自分で自分の首を
締めている。
変なメディアしかないのは
政府のせいでもある。

[(日本人をやめた)無国籍人] は [ばろんでっせ] と同じ, 自惚れ人種で, 誇大妄想狂で, 自分を偉いと思い込み, 訳のわからんくだらんコメントを長々と書いて, 得意になってる。 お願いだから, やめてけれ。 自分のブログを作って, そこでアホだら経を唱えてるぶんには, 構わんよ。

自国の民主的に選ばれた首相に対して失礼な表現ですね。
僕は小沢さんが合流してからの民主党支持者ですが、自民党政権であっても首相に対しては敬意は表してましたし、ここ数年の首相の中でも、僕自身あまり支持していなかった福田さんであってもご苦労様と思ってました。
未だに忘れないのが、福田さんの最後の「君とは違うんだ」の言葉を問題視してしまったこの国の国民。この国の民度の低さにあきれていました。

鳩山内閣、政権は、無邪気と言うより無知なのだ。

以前、民主政権の危険性という拙稿にも書いたが、鳩山政権は外交の基本も無視し、海外に作らなくても良い敵を作っていると言うことだろう。脱官僚依存は良いけれど、なんと言っても外交で飯を食っている外務官僚の知恵は全く借りていないのか、レクチャーも受けていないのか。今の世界がどうなっているのか、日本の立場がどうなっているのかを全く無視している。

他国では当然政治家が持っていなければならない地政学、軍事学などの知識を、日本の政治家も国民もマスコミも全て全く無視しているのが問題なのだが、民主は特にそれがひどい。日本のセオリーも友好精神で説けば世界中が感動して受け入れてくれると信じているのではないのだろうか。

1)普天間問題では、基地の移転先は前政権の時に日米合意が出来ているのだから、もし移転先を変えたいのであれば、両国で再協議して、国家同士の合意の見直しから始めなくてはならない。

この合意は、別に自民政権とアメリカ共和党政権との約束ではなく、日本とアメリカという国同士の合意なのだから、たとえ政権が変わっても一方的に反故に出来るものではない。むろん、日本国内で異論があるのは事実だが、それはあくまで日本の国内問題であり、アメリカにしてみれば関係がない。合意事項を守れ、と迫るのは当たり前であり、政権が変わったらあれは反故という民主の言い分は国際常識に反する。つまり、鳩山政権は国家同士の約束を自分の都合で破るという印象を世界に与えてしまった。

2)東アジア協力構想はアメリカにとって寝耳に水であり、不必要にアメリカに対日不信感を植え付けた。民主政権が東アジア友好をどう願おうと、現実に日米同盟があるのに、それを全く無視した民主政権の東アジア協力構想はアメリカにとって裏切りに近いのではないか。なぜ事前にアメリカに説明しなかったのか。

そのようなことが重なり、先のオバマ氏の演説でも日本は完全に無視されている。

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http://www.asahi.com/international/update/0129/TKY201001280525.html

 米の競争相手「中・独・印」 オバマ氏演説、日本触れず
 
 2010年1月29日2時45分

 【ワシントン=尾形聡彦】米オバマ大統領が27日の一般教書演説で、雇用対策に全力を挙げるため、5年間で輸出を倍増し、特にアジアへの輸出を増やす考えを強調した。ただ、競争相手として挙げたのは中国やインドなどで、日本への言及はなかった。低成長から抜け出せない日本への関心の低さがにじんだ。

ー以下略ー

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3)全く価値観も政治体制も違う中国とアメリカが日本と等距離であるはずがないが、当初、鳩山氏も小沢氏も日米中が等辺三角形の頂点にあると言い、今は鳩山氏は違うと言い出したが、山岡氏は今でもそうだと言っている。

4)今回岡田氏が韓国で過去に韓国を苦しめたと認識している旨を発言しているが、歴史問題や植民地問題は双方の認識が異なっており、軽々にそのような言質を韓国に与えるべきものではない。日本の主張を、岡田氏は台無しにしている。

5)無国籍氏もおっしゃるとおり、北方領土は長年の懸案であり、むろん北方領土が日本の領土であることは明白だが、それを正面からロシアにぶつけてもロシアにはロシアの国内向けの姿勢がある。それを無視して鳩山氏がいきなり口にするのでは水面下の交渉や説得も全て壊してしまうだろう。

6)他にも小沢氏がキリスト教は独善的だと言って、実際キリスト教が大きな影響力を持っている欧米の神経を逆なでし、アメリカでは黒人を大統領にして、などとあきれ果てた発言をし、ただでさえ日本にいらだっているアメリカの対日不信を助長している。

7)日本国民に対するマニフェストからわざわざ削除した外国人地方参政権法案の成立を、外国人団体である民団の新年会で赤松農水省は民団に対する公約だと明言した。日本国民にはしない公約を外国団体に対する公約だと言う彼等はどこの国の政党なのか、政府なのか。

たまたま私のブログhttp://takaojisan.blog13.fc2.com/の昨日の記事「どうしても納得出来ない話」にも引用しているが、正にその通りではないか。本当に小学生の言い分に近い。

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http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/357571/

おこちゃま政権のむなしすぎる国会論戦

 「命、命…。ボクはみんなの命を守りたい。地球の命を守りたい!」

 素晴らしい。ホントにそうだね。でも、君は命のホントの重さが分かってるのかな?

 「もちろんさ! みんなが友に愛すればいいんだよ。友愛さ。これで世界はみんな幸せになるよ。世界だけじゃない。宇宙も幸せになるよ!」

 なるほど…。確かにそうだね。それなら、どうしてアメリカの友達に「うちから出て行け」って言うんだい?

 「だって、乱暴だし、でっかい武器を持っているし、それに騒がしいから迷惑なんだよ」

 君がひ弱でいじめられそうだから、アメリカの友達が守ってくれようとしているってことはないのかな?

 「近所の友達はいじめっ子なんかじゃない。信頼してあげないとダメだよ。それにアメリカの友達がうちにいるときには、ちゃんとお小遣いも渡しているじゃないか!」

 それじゃあ、アメリカの友達は友達じゃないじゃないの? そういうのをカネで雇った「用心棒」というんだよ。

 「何言っているんだよ。アメリカ人はボクの無二の親友だよ!親友だから守ってくれるのは当然だよ」

 ああ、親友なのか。

 「もちろん、そうさ。困ったときに助けあうのが親友だろ?」

 ふ~ん。じゃあ、親友だったら、アメリカの友達が困った時には君が助けてあげるんだね。

 「それは無理だよ。うちの家は暴力は絶対ダメだって決められているし…。それに危ないモノを使ったり持ち込んだりすることは絶対にダメだよ!」

 なるほど…。でもアメリカの友達は、君が危険な目にあったら「命がけで守る」って言っているんだろ。

 「そりゃそうさ。ボクのアメリカの友達はすっげーっ強いんだよ」

 すごく強い友達だから助けなくていい。だから自分がいじめられたら助けるべきだ。でも、乱暴で迷惑だから家には出入りしてほしくない。それって、すごく自分勝手じゃない? それで友情はなりたつの?

 「僕を信頼してよ!」

 そう言われても信頼の証はあるの?

 「それは5月までに必ずみせるからさ~」
 
ー 以下略 ー

選挙で選ばれた総理大臣に対して、未熟で無邪気とは、あなたはよほどの人格者なのですね。

ぜひ、本名を名乗り出てください。どのような立派な経歴をお持ちの方なのかについても教えていただきたいです。

当然、総理大臣を目指されて活動している方なのですよね?口だけですなんて許されませんよ。

昨年3・3事変勃発時からこのサイトを見ているが,その当時から「(日本人をやめた)無国籍人さん」の言いたいことは,よく理解できているつもりです.別に内容的に,鳩山首相に対して礼を失っている訳ではなく,井戸端話でもなく品が悪い訳でもない.実際には,何の仕事に対してもそうなんだが首相の言説の軽さが問題なのである.これがアメリカ・中国以外の大国に対していろいろ仕事を増やすことは,例え民主党支持者の人々であっても「本当に鳩山は諸外国との外交で信頼関係を築けるのか」といった率直な不安が惹起されるのは致し方ないのではないか.祖父の時代からの外交目標とは思うが,ただでさえ米中で難題山積なのだから,二兎どころか三兎となって一兎もとれない可能性大きい.試行錯誤は仕方ないのは分かるが,首相もこのような「愛のある批判」に応え,切磋琢磨し,政治家として十分に成長して頂きたいと心から思う次第である.

鳩山首相の具体的な言動に対して、きちんとした論拠を示して、どこがどのように未熟で幼稚なのかを指摘しなければ意味が無い。
「鳩山首相は未熟だから、鳩山外交は未熟である」「鳩山首相は幼稚だから、鳩山外交は幼稚である」と、同義反復しているだけで、全く読む価値の無い文章である。

『同一の民族が同一文化で染め上げられている』

上記の文面ですが、事実と異なりますし、あまりに失礼ではないでしょうか。もし首相がこのように認識しているとすれば、その方が問題だと思います。


(日本人をやめた)無国籍人様

無国籍人様は、
鳩山総理は、無邪気に、やわな「友愛精神」などを標榜して、「同一民族で同一文化」(ん?)の日本国内に限定された内政だけならまだしも、それを文明文化も異なる国家同志が国益をかけてしのぎを削りあい衝突しあう外交にまで持ち出してやっていけるなどと思っていたら大間違いだ。この半年弱の期間に於ける対露外交(領土問題)や対米外交(同盟関係を損ない米国をわざざわざ刺激する様な言動や対応など)をみればその未熟さがすでに露呈しており、友愛精神の鳩山外交はひ弱で危うい。複眼的視野で俯瞰する能力や多角的(複雑)な思考能力にも欠けている。実に未熟で甘ちゃんだ。このままだと、竹島や尖閣諸島などの領土問題でも韓国や中国になめられ相手国の都合のいいようにされてしまいかねないなど、鳩山外交によって日本の国益全般が大きく損なわれる危険性もある。私(無国籍人様)としては、まだ政権=総理就任間もないことでもあり、とりあえず、来る参議院選挙のあたりまではもう少しがまんして見極めてみようと思うが、その間に成熟傾向がみられなければやむを得ず泣いて馬謖を切る(鳩山辞任=総理大臣の交代?の)覚悟が民主党には必要ではないか。その際には剛腕の小沢さんにいづれ総理をやってもらいたいと期待してはいるが、その「時」なのかどうか、その時にに果たして小沢さんがどうなっているか・引き受けてくれるかどうか・余力も残っているかどうか、心配な面もある。皆さん、どうでしょうか・・・・・
と、云うことを仰っていると理解してよろしいのでしょうか?

う~ん、だとすれば、だいぶ異論はありますが、投稿文が少し長くなりましたので、とりあえず、「お説承りました」と云うことにさせていただきます。

数時間以上前にコメントを書き込んだけれど、例によって反映されないので、とりあえずまた書きます。

無国籍人様の説に一応同意です。まだまだ、無邪気などと言うより無知な鳩山政権であり、様子を見ようなどと言っている間に手遅れになりかねないですね。

私が悲観視していると無国籍様が言う中国も良いように鳩山政権を利用しているし、アメリカなどとも要らざる軋轢を好んで作り出しているようだし。今度はロシアですね。韓国には良いだけ日本にたかる言質を与えていますし。

確信犯でないとすれば、鳩山氏もその取り巻き連もおそらく無能なのでしょうね。それも絶望的に。

たかおじさん | 2010年2月15日 14:01 様

リンク先にある石橋文登氏の『政治部デスクの斜め書き』拝読。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/357571/

その滑稽味溢れる文章の末尾には以下の寸評があります。曰く、

『鳩山政権は「歴史的な政権交代」といまだに言っているけど、その歴史的通常国会の国会論戦を意訳すればこの程度…。あまりにバカらしくないか。こんな「おこちゃま政権」の支持率がなお4割。つまり日本人の4割が「おこちゃま」だということなんですかね…。』

なかなか大人になりきれない自分には大変耳の痛い話です。また、そんな首相や現政権に期待を寄せておる私なぞも貴方の所謂絶望的無能者の部類に入るのでしょう。

>投稿者: 布施 | 2010年2月15日 20:48 様

私のブログにおいでくださったのでしたらありがとうございます。未だ先に出したコメントが反映されていませんので、全文私のブログに書いておきましたからね。

>また、そんな首相や現政権に期待を寄せておる私なぞも貴方の所謂絶望的無能者の部類に入るのでしょう。

さあ、どうでしょう。私には見えていないとんでもない資質が鳩山氏にあるのかも知れませんから。

でも、子供手当は満額支給は無理みたいな事を言った直後に、絶対満額支給する、自分の言葉はぶれてない、というあの人を見ていると、私には見えない資質ってどこにあるのかなと思うだけのことですよ。

ぶれてないなら、財源を明らかにするのが先でしょ、って誰も思うんじゃないですか。

もっとわかりやすく書いていただかないと何が言いたいのかわかりません。

<(日本人をやめた)無国籍人様へ>
貴兄の仰りたいことが、ヨーク読んでも不肖私には殆どワカリマセン。
解らないことの、第一点は、歴史と現実認識の混同…第二点は、他者を説得する論理(真情)の齟齬です。

第一点の歴史と現実認識ですが、根本的に前々世紀の遺物としか、不肖私には受け止めようがありません。貴兄が「外交の手本」としているらしきチャーチル氏の政治思想の根っこは、大英帝国の植民地主義と階級思想に根ざしていることは明らかです。が、チャーチル氏の美点があるとすれば、民衆の「機微」をヨーク解ってたってことだけです。
植民地主義・帝国主義・イデオロギー主義の3世紀を通過して、世界の外交は今や軍事力では雌雄を決し難い「経済カオスの時代」に入っています。それが貴兄が正しくご指摘の「複眼を持って物事を観ること、複雑な思考回路を取ることが必須である」…ということなんじゃないんですか?つまり「日米安保条約」があるから「対ロ外交」が制約されるなんて考える方が不肖私に言わせていただけば、前世紀の遺物なんです。オバマ氏は前ブッシュ氏とは90度違う外交戦略を「米国内の反対勢力」を抑えつつ、「脱・パックスアメリカーナ」へと大きく舵を切ろうとしていることは明白な事実です。
その程度の情報収集も欠いたまま、半世紀前の「対ロ感」に依存してナンタラカンタラ仰っても、マスメディア同様、何の説得力を持ちません。

第二点の論理の齟齬ですが、最初の歴史認識とも重なるのですが、「北方領土」と「尖閣諸島」と「竹島」は、夫々歴史的に別個な問題です。それをイッショクタにして「国益」だ糸瓜だって論議は、不毛以外の何者でもない…って私は思うんです。
不肖私が仄聞している範囲では、「尖閣諸島」は本来は「旧琉球王国」の領民が漁業の基地として使い始めた…「竹島」は、有史以来ダーレモ棲んでいなかったし使いもしなかった単なる「岩礁」…それに比して「北方領土」は全く別な「島」です。北方領土の真の「先住権」を主張できるのは、「アイヌ民族」であり「イヌイット民族」です。
要は、貴兄が主張なさっている「外交ナルモノ」は最早博物館レベルのフルーイ固定観念としか思われません。
その他イロイロ、貴兄の論理的な破綻は、多くの方々がご指摘ですので、重複を避けます。ご反論があればどうぞ力を入れてご寄稿ください。貴兄が仰る(類似の論評はマスメディアに氾濫していますが)「無邪気さと未熟」は、貴兄たちを写す「反転の鏡」だとは夢にも思わないんでしょうねぇ?

鳩山ポッポ様がイロイロなご批判に晒されていることは重々承知しておりますが、不肖私の「ヤマカン予測」では1年前から、小沢・鳩山・管のトロイカ体制が崩れない限り、民主党は揺らぎません…と断言してまいりましたが、今の所その兆候は見られません。

マスメディアは、東京地検特捜部に梯子を外されて殆ど「鬱病状態」に入りつつありますが、最後の望みは「民主党分断作戦」でしかありません。イイカゲンナ「世論調査」しか武器はなくなっています。それはマスメディアの論調を見れば明白です。彼らは、反論するだけの「論拠」がないから、右往左往するしかないのです。

大変失礼致しました。
前記<匿名 | 2010年2月16日 01:17 >は<hal2001>でございます。

 おはようございます。
 
 (日本人をやめた)無国籍人さん、お説を拝読させていただきました。それぞれの論点に対して、その他、私の感ずるところを書かせていただきます。

1.について
 チャーチルにしろ、米国にしろ、自身の価値観や行動様式が日本国にも通じると高を括った姿勢が、そのよう感想を生むのだと思います。当然、外交交渉においては共通の手続き認識が前提でなければなりませんが、それぞれの国家に固有の価値観に根ざした行動様式に対して違和感を抱いたとしても、それは寛容すべき範疇であると思います。「あいまいな日本」と映ったにしても、それへの反応に対して一切怯む必要は感じません。勿論、「あいまいな日本」ととられる行動の良し悪しは別途外交交渉戦術選択の問題として議論されるべきですが、本来価値観が異なる者の感想に阿る必要は全く無く、それを日本国の特質というなら、その行動様式を遡及して再認識すべきであるとさえ思え、そのこと自体が無邪気や未熟とは思えません。最後に再度触れたいと思います。

2.について
 昨年8月20日英紙記者に「センチメンタルに聞こえる概念」と評された「友愛精神」ですが、私には「美しい」とは思えません。一見「愛」の属性に引き摺られて「美しい」そうですが、「共生」など生物が生得的に持つ概念と並立させて同質の生得性付与を試みる邪な意志を潜伏させた「醜い」、「詐欺的」概念のようにさえ思えます。皮肉の意味で「美しい」と形容されたのなら、(日本人をやめた)無国籍人さんの感性として受け止めますが。他所で散々書きましたので、ここではこのくらいにしておきます(笑。

 一旦封印したとはいえ「駐留無き日米安保」の自律自尊意識を曲り形にも有していると思われ、「東アジア構想」に具体化された「共生」概念の根底にある価値観の平準化志向にとって障害となる米国依存偏重現状への是正意識が、象徴的に「日米均衡論」を語らせていると思います。昨年、衆議院選挙直前の8月27日に米紙にその趣旨の論文「日本の新しい道」(英文)寄稿を、バロンデッセ(観測気球)として試みています。政権奪取が視程に入った瞬間に「寝た子を起こす」企みは作動しているのです。方法論は兎も角、このことは小沢一郎氏の政治理念にもほぼ適うものであることは、最近のキャンベル会談に纏わる小沢一郎氏の言動を知れば明らかであると思います。

3.について
 先日、「竹島は日米安保に基づく米義務範囲外」のコメントが出ていたように思いますが、稀代のプラグマティスト小沢一郎氏にとって、「竹島帰属問題」は大韓民国に対する多数の外交カードの一つに過ぎないと思います。当然、国民意志が何処にあるかによってそのカードの切り方も変化するのでしょうが、自らを愛すキャンディーと揶揄せざるを得ない理念薄弱を自覚している鳩山由紀夫氏は、小沢一郎氏のプラグマティズム弟子でもある一面をみれば、小沢一郎氏と同意見を有していて何の不思議も無いと思います。他国に実効支配されている北方四島についても、根底の認識は同様であろうと推察します。日本国が実効支配している尖閣諸島や沖ノ鳥島については全く異なる認識と思います。

 普天間基地移設問題の混迷が更に深まり、沖縄県民且つ米国政府の理解を得るという最低限のハードルを越えられなかったとき、民主党への支持率が反転の兆しさえ見えなくなっていると予想しますが、鳩山首相は首相・党首辞任を選択することも有り得、そのときは任命権者として小沢民主党幹事長を道行き同伴させることになると思います。これが道理です。残念ながら。民主党党首選出規定の改正が成っていても、参議院選挙目前のことであり、後任は禅譲という形で決まる可能性が高く、参議院選挙への悪影響は必至となるでしょう。「馬謖を切る」というなら、沖縄県民・社民党以外の選択肢は無いでしょうが、「違法献金問題」で圧倒的な法的、政治的、道義的悪質性を確定した鳩山首相が、ほぼ潔白な小沢民主党幹事長だけを切る道理は、参議院選挙勝利以外は無く、そのときは小沢民主党幹事長が来年度予算成立を期してその旨をもって辞任する形になると思います。稀代のプラグマティスト小沢一郎氏にとっては、どうってこと無い決断でしょう(笑。

 63才に成られた鳩山由紀夫氏に「熟する」期待は無謀というものでしょう(笑。願わくば、ノーブレス・オブリージュ (noblesse oblige:「貴族の義務」、「高貴なる義務」)が具わった本分と気付き、醜い謙りによる「国民目線」の無理強いを止めて欲しいと思います。


日本国単言語閉鎖性による「甘えの構造」

 最近、あるTV番組で、サッカー日本代表元監督のイビチャ・オシムシ氏が、日本人選手間の意志疎通能力に関して「日本人は自分の考えを口にすることを恐れている」と語ったことを紹介し、「日本人の言語力」が問題となっていました。渡来人ともいわれる山上憶良にして「言霊の国」と語らせた「日本語」は、「話し言葉」として声を上げて叫ぶことに言霊の意味があったといわれています。「話し言葉」としての「日本語」を唯一属性とする「日本人」が、様々な地域から、多種の民族を渡来人として受け入れ、多種の文化を受け入れて「話し言葉」としての「日本語」による同質化を為してきた歴史を踏まえれば、その「話し言葉」としての「日本語」を思考過程共通の媒介としているが故に、「日本人」同士では、語らずとも理解し合える「阿吽の呼吸」が重要な意味を持って存在し得たのだと思います。

 しかし、明治開国以来の価値観グローバル化に伴い、他言語との意思疎通を論理に頼らざるを得ない状況を得て、「書き言葉」としての「日本語」への他言語と共通な論理性付与が試み続けられ、かつての「話し言葉」としての「日本語」単言語による閉鎖性は失われつつあり、「阿吽の呼吸」は一種の「甘えの構造」と看做せるに至っていると思います。例えば、ただ“その説明では「わからない」、「理解できない」、「納得できない」”と不理解表明をしたとき、そこには「阿吽の呼吸」と同質の「甘えの構造」に縋る、未だ閉鎖性の温浴に浸り続ける古い「日本人」の姿が見え隠れします。

 別テーマのある投稿者の方が『六何(5W1H)の原則』の必要性を指摘していましたが、理解を求めて不理解を訴えるのなら、この『六何(5W1H)の原則』に沿った具体的な不理解論拠部分を提示していなければならないのだと思います。また、その訴えの原因が、説明提示側と説明受け手側の双方に存在する可能性があります。特に説明受け手側の原因については自省に委ねられて、他者が言及することは殆ど無いので、「甘えの構造」の発露としては都合が良いのでしょう。ただ「わかんなぁ~い」と言い放っておけば、誰かが宥めてくれはずという何とも稚拙な「甘えの構造」であります。

 つまり、「わからない」、「理解できない」、「納得できない」といった不理解表明は、説明受け手側の理解能力不足、理解努力不足に原因の可能性もあるということや、『六何(5W1H)の原則』に沿った具体的な不理解論拠部分を明示できない説明受け手側の理解能力不足、理解努力不足に原因があるとも考えられるので、ただ“その説明では「わからない」、「理解できない」、「納得できない」”と訴えるだけの方々は、殆ど専ら自身の理解能力不足、理解努力不足に原因があり、それを承知の単なる冷やかしか、それを敢えて無視する単なる強がりの虚勢的反抗である場合が多い第二反抗期の残渣に甘えているだけなのだろうと思います。

 「小沢一郎氏の説明」に、何の説明も無くただ「わからない」、「理解できない」、「納得できない」と言い放つだけの精神構造も、《THE JOURNAL》論説や投稿コメントにただ反発・否定するだけの「・・・わからん」とのコメントをわざわざ書き込む精神構造も、単なる冷やかしか、単なる強がりの虚勢的反抗をする者のソレであると思います。また、その不理解表明への宥め行為として、更なる説明を促す方も、同質の精神構造を有していると思います。それを、より悪辣な、違法行為としても確定している鳩山首相が言い出すに至っては、無邪気や未熟では済まされない、人非人的無恥蒙昧の類のソレでしょう。

 更にもう少し他所へ敷衍すると、「あいまいな日本」と言い放って、日本国外交の未熟さを強弁したい欧米指導者がいるとすれば、それは同価値観・同行動様式を有する謂わば同胞・同志へのアピールであって、その意味ではその同胞・同志間の「阿吽の呼吸」を促している「甘えの構造」とみることができます。一方、日本国外交担当者にとってのその感想は、日本国独自の価値観に基づく行動様式に対するものとして受け入れ、相手国のその情動を外交交渉に活用する糧とすればよいだけの話です。また、日本国国民にとしては、「してやったり」と解しておけば幸せであると思います(笑。

<無国籍人様>
えらい叩かれようで、気の毒です。たしかに、日本人を同一民族という誤った認識を前提にしている事など、突っ込み所が満載ですからね。
でも、私は判官贔屓ですので、少し鳩山外交の問題点を書いてみたいと思います。
対米外交と対ロ外交を平行して推進する事は、鳩山氏に対して何の問題も感じません。
むしろ、鳩山氏が裏の官房長官ともども「ぬらりひょん」で、全く掴み所がない事が問題なのです。
「常駐なき日米安保」が基本なら、それを背骨に対米交渉をすればいいのですが、外務省=岡田大臣を全くグリップしていないので、外務省は外務省で勝手に動き、岡田氏は勝手に外遊し、外務省主導で外堀を埋めようと動いている。
鳩山氏は全くリーダーシップを発揮しようとしているとは思えない。意思が見えない。
突然、外務省が送り込んだ岡本行夫氏を補佐官にして、「北東アジア紛争の際にアメリカ国民救出の為に配備された海兵隊、たかだか800人程度」を抑止力の為に必要だと、またまた突然発言したりする。
辺野古以外、何処に移すのか、「最終的には私の責任で判断する」と言っていたのに「それは、平野官房長官に任せているので、私が口を挟む問題ではない」と、突然きのう言い出したり・・・。と、コンニャク?妖怪ヌラリヒョン?軟体動物?意思が見えない。
鳩山外交の右往左往は、特に日米関係において顕著であり、焦れたアメリカが小沢招聘に動くのも、良く判る。駐日大使も本国への報告に困っているのではないか?お気の毒な感すらあります。

日本は単一民族の国との無国籍人酸の認識は別に間違っては居ない。事実と違うだの、不遜だとのとは全くの見当違いの批判でしかなく、基本的認識に欠けているだけのことだ。

数千万から一億もの国民が居る国で、他国からの移住者がゼロだとか、その国の言葉を母国語にしない人間がゼロだなとあり得ないのは当たり前であり、それを前提として単一民族国家と認識されているだけのこと。

一人でも他民族の人間がいれば単一民族国家ではないなど、ただの屁理屈だろう。

まず韓国系朝鮮系中国系欧米系などの他国から移住してきている外国系他民族にしても日本では精々2%足らずであり、世界基準でこれが日本は単一民族国家と認識するのに差し支えはない。

次にアイヌ民族、沖縄民族が引き合いに出されるが、日常をアイヌ文化で暮らしている人間はただの一人も居ない。沖縄にしても同じ事。食事や芸能などに見られるが、それは関西と関東の違いくらいの意味しかなく、ほぼ全員が日本語で暮らし日本の教育を受けている。

アイヌ文化や沖縄文化を尊重するのはやぶさかではないが、どんなに人為的な保護をくわえても、これらの文化が日本文化から独立して生活全般を支えることはない。

バンクーバーオリンピックでイヌイット文化がことさら協調されていたのも、それが保護しなければ存続しない文化だからだ。

そして、民族の定義が同じ文化を共有する集団である以上、消える文化も有ればそれを共有する民族も消えるのが世界の趨勢であり、避けようがない。尊重するのとは意味が違う。

言うまでもないが国籍、人種(今では使わない言葉)と民族は無関係だ。

そのような知識を持てば、日本単一民族国家説に噛み付くのが如何に幼稚かが分かる。

こんな「無国籍人」の低劣な拙文を取り上げるとは、高野さん、余程寝ぼけていたんじゃないの。

>複眼を持って物事を観ること、複雑な思考回路を取ることが必須

お説ごもっともです、根本的な思考発想回路が日本人とは違いますから。

日中韓でも違いますからね、比較的韓国人とは近いほうであると思いますが、それでも彼らは思いっきり主張してきますからね、ハッキリしてて解りやすい。

<投稿者: たかおじさん | 2010年2月16日 12:15 >さん

>日本は単一民族の国との無国籍人酸の認識は別に間違っては居ない。事実と違うだの、不遜だとのとは全くの見当違いの批判でしかなく、基本的認識に欠けているだけのことだ
>そのような知識を持てば、日本単一民族国家説に噛み付くのが如何に幼稚かが分かる。

敢えて反論するのも大人げないと思ったが、それはちょっと違うんじゃないの? 他の箇所も。
それと、どっちが幼稚かな~。そうはっきりと断定していいのかな~。 いくらなんでも言い過ぎじゃないの? どっちが失礼なんだ?

以下、感想だけ。
全体的に見方か考え方が表層的というか薄弱というか、非科学的でもあるし、少し考え方が浅くて荒っぽいんじゃないかな~。
せっかく<たかおじさん>さんの投稿にも傾聴に価すべき意見が結構あったのに、ここでわざわざそんな低次元なレベルの民族観や文化観を持ち出して批判的に語って欲しくなかったな~(少しがっかり、残念だな)。一次元的とまでは言わないが、せいぜい二次元(表層的)止まりだと思うよ。このスレッドに意見投稿している多くの人のレベルはもう一段高い3次元のレベルでの民族観や文化観があっての感想だと思うよ。
もっと立体的に思考して欲しいね。それと、学術的・科学的な観点ももう少し勉強して欲しいね(この観点では鳩山さんにも見習うべきことは結構多いと思うよ)。アイヌや沖縄に対する見方もいまいち?だし、ついでにイヌエットだけど、向こうではもう少し敬意と尊重の意味が込められているので余り唐突断片的に取り上げない方がよかったのでは?

以上、ちょっと気になったので全体的な感想まで。
個別詳細にもこれ以上議論する気はありません。最後に、<たかおじさん>さんにの今後には変わらず期待しエールを送っておきます・・・ということで。


いずれにせよ、無国籍人さんの問題は、これだけレスがあるのに一切反論もコメントもしないことですね。以前のよろんずへの書き込みもそうだったけれど、とにかく書きっぱなしが目に付きます。

これでは無責任人さんだといわれてもしょうがない。反論にしろ肯定にしろ何か言わなくちゃ。

元記事の投稿者として最低限の責任だと思いますね。

もっとも、投稿してから記事になるまで時間がかかるので、見ていないという事はあるでしょう。ただし、投稿したからには、チェックしなければならないし、これも最低限の責任じゃないでしょうか。

私の場合は、あまりひどいお子ちゃまレベルや匿名以外のコメには可能な限り答えるようにしています。

<たかおじさん様へ>
貴兄の「日本は単一民族の国」論はかなり以前にも批判させて頂いたという記憶がありますが、貴兄の論述は批判を浴びて少しずつ視点をシフトしつつあるように、不肖私は思います。
それは「視野の狭窄」です。

貴兄が仰っている「単一民族説」は今や、現時点の国籍・住民登録レベルの視点しか持ち得ていません。「今」が大切なことは貴兄も不肖私も同じことです。では「今」が行き詰まったり、閉塞感に閉ざれたりした時に私達は、どこへ向かうんでしょうか…それをお互いに考えようではありませんか?

「日本民族」のルーツがどこにあるのか「日本語」はどのように形成されて来たかは、無教養の私にはワカリマセンし、東大や京大の歴史学の大先生方にも同様に解らない事だらけなのです。
古代史は少なくとも、縄文系民族(南と北から日本列島に辿りついた複数の民族)と、その後、弥生系民族(朝鮮半島経由と中国南海部経由)が鬩ぎあい混交し「瑞穂の国」を形成したことを物語っています。私にとって不可思議なのは、今では常識レベルの歴史的検証を拒否する姿勢(思考回路)です。
私達が愛する…或いは嫌う「日本民族」とは壮大な「混血民族」だったって、私は考えてるんですが…。
<たかおじさん様へ>にもぜひ熱のこもったご反論を期待いたします。

天皇家の先祖は, 朝鮮半島から渡来した, という仮説が有力だが, 天皇家の墓を掘り返して, 出土品を考古学的に検証する学術調査が禁止されているために, 学問的な調査結果が得られない。 「東大や京大の歴史学の大先生」 も, さぞ悔しい思いがしているだろう。 「常識レベルの歴史的検証を拒否する姿勢」 は何時になったら, 改まるのだろうね。 多分, 二, 三百年後だろうよ。

民族という概念を理解していない人が多すぎますな。

DNAなど全く無関係なんですがね。まして、出身国や先祖がどこの民族だったなど、意味もないのに。

[出身国や先祖がどこの民族だったなど,  意味もないのに]

意味がないのなら, [民族] という概念そのものを, 殊更問題にする事自体, 馬鹿げている。 上記の文章は自己矛盾も甚だしく, 己の知ったかぶりと, 頭の悪さ加減を暴露している。

この両親派という人、日本語能力自体に問題があるようだ。

理解力がないのに反論しようとするのを見るのはある面痛ましい。自分で理解力のないことを知らないのだから。

さて、悪口ばかりでは後味が悪いのでちょっと説明を。

民族とは同じ文化を共有する集団であり、言い換えれば同じ文化に帰属する集団と言っていい。

民族の定義はそれだけなので、DNAも出身国も祖先が属した民族も無関係。これらが無関係だから民族という概念が無意味と飛躍するところに両親派氏の理解力の限界がある。

当然ながら、日本という国がなかった太古、日本民族も存在しなかったが、北方系南方系などと言われる人々がこの列島に集まり次第に集団を形作り、いつの頃からか共通の文化を持つに至った。

したがって、日本民族がいつ発生したかの定義などない。日本国が出来る前かも知れない。

しかし、現在、現実に日本文化を共有する集団が存在している。個々人のDNA、ひいては祖先がどこから日本列島に来たかも問題ではないが、日本民族(大和民族)は現実に存在する。

ちなみに、日本という国が認識されたのは7世紀頃とされ、日本文化が出現したのも、S・ハンチントンなどに寄れば7世紀頃とされている。これが正しいかどうかは別として、国家と民族も関係はないから、これもあり得る。

当然ながら、日本に住んでいても日本民族ではない人、逆にアメリカ国籍をとっていても日本民族とうケースももちろんあり得る。

クルド人は国を持たないが、民族として存在する。ユダヤ人には出身国、DNAの統一性がきわめて弱いが、ユダヤ民族という民族性はきわめて強い。

両親派氏にはとうてい理解出来ないだろうが、これが現実だ。

だから

>[出身国や先祖がどこの民族だったなど,  意味もないのに]

意味がないのなら, [民族] という概念そのものを, 殊更問題にする事自体, 馬鹿げている。


は全く反論にも批判にもなっていない。ただ、無知を曝しているだけ。

[両親派 ?]  が代わって, お相手致そう。

[民族とは同じ文化を共有する集団であり, 言い換えれば, 同じ文化に帰属する集団と言っていい]

このもっともらしい定義が雑駁で, 内容空疎だ, とからかっただけだろう。 同じ文化とは何だ ? 

日本民族という場合の, 民族性とは何か, という問題だ。 この命題に対して, 精緻な論文を書くんだな。 

「良心派」 氏は, おそらく大日本帝国軍国主義時代の 「民族主義的国家主義」 に テーマをおいているのかも知れない。 危うい時代になってきたからね。

両親派君。あの良心派君に代わって答えてくれるそうだけれど、役不足だよ。

幼稚園児が大人をからかうなどむりむり。

日本の民族性とは何かって・・・

あたしの説を否定するだけの根拠を以てからでなくちゃ、反論などおこがましい。

同じ文化って何だって?まあ、幼稚園じゃ教えないだろうけれど、中学生になると習うんじゃないか。

もし日本語が読めるなら、せめて辞書で文化、民族という言葉を調べてからだと、あの良心派君にも言ってくれ。大論文を書くまでもないよ。最低限の定義はされているから。

もし理解出来るならハンチントンの文明の衝突なども理解を助けるかも知れないな。でも両親派君の読解力じゃ到底無理だ。結構厚い本だしね。

名指しをしなかった親切心も理解出来ないなど・・まあ、これが日本文化の奥ゆかしさだと理解出来ないなら無理もないが。

さて、お子ちゃまレベルにはレスしないと言っていながらついレスしてしまった。

後は好きなように。

1.TheJournal編集部様
私の投稿をご採用戴き御礼申し上げます。

2.コメントを戴いた皆様へ
昨夜まで日本を離れていましたので、この稿が掲載されていたことも承知しておらず、長期に反応なしのままで失礼しました。
明日から極力返事を申し上げる予定です、悪しからずご了承ください、
全てに個別にという訳には参りませんが、併せて悪しからず了承ください。

無国籍人様。

失礼なことを申し上げたかと存じますが、ご容赦を。

記事を投稿したら掲載される、コメントがある、それに対応するというのが前提と考えましたもので。

貴コメントを楽しみにしております。

(まあ、今日は私もちょっとpcで時々ネットをチェックしながらやってますので、こんな書き込みが出来るんですが、人それぞれの状況ですから)

たかおじさんとやら。 あんたはほんとに非常識な傲慢無礼な人間だね。 品も学もなさ過ぎる。 年はいくつだ ?  

あんたに精緻な論文を書け, と言ってるんだよ。 ちゃんとした書物を物にしたら, 読んで, 批評してやるよ。 ブログにでたらめで杜撰なコメントを投稿しただけでは, 誰もあんたを学者だとは認めない。

日本は 「民族国家」 ではないんだよ。 現在では 「国民国家」 という概念が使用されてるんだ。 日本人は単一民族ではないからね。 小学生の常識だ。

あんたとの議論は馬鹿らしいから, やめとくよ。 時間の無駄だ。 論文が出版されたら, 教えなさい。 論文の書き方は知ってるね。 引用文献の注はきちんと付けないと, 盗作になるからな。 話はそれからだ。

  

利用心派とやらに絡まれているけれど、無知は困ったもんだ、本当に。

単一民族国家と言う概念は別に死語でもないし普通に使われている。

まあ、手近にはWikiで「単一民族国家」ででも参照してみればよい。

要するに、自分で民族とか国家などという概念を理解出来ていないだけの話だろうからな。

国民国家だってさ。そりゃそう言う連中もいるだろうけれど、国家自体が国民、土地、政府の三要素からなっているとき、非国民国家って存在するのかね。非国民ならもちろん存在するが。

自分の非見識を指摘されると驕慢だ良識がないとのたまう良心って、看板に偽りがあるんじゃないのかな。利用心だろうな。

最初に噛み付いてきて人のことを馬鹿呼ばわりする輩に、良識がどうの、驕慢だのヘチマだのと言われてもねぇ。

そうそう、民族や国家については私のブログに今日中に書いておくから、利用心派君は是非読みなさい。

大論文ではないが、ちゃんと資料を添えておくから。でももちろん、利用心派の読解力では理解出来ないだろうから、無理しなくても良い。別に利用心派君のために書くわけではないので。

国はアイヌの人々を少数民族と認めているようです。

平成十八年四月七日受領
答弁第一九四号

  内閣衆質一六四第一九四号
  平成十八年四月七日

内閣総理大臣 小泉純一郎

       衆議院議長 河野洋平 殿

衆議院議員鈴木宗男君提出民族の定義に関する再質問に対し、別紙答弁書を送付する。

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衆議院議員鈴木宗男君提出民族の定義に関する再質問に対する答弁書

一及び二について

 御指摘の市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五十四年条約第七号。以下「規約」という。)において、「民族」の定義についての規定はない。アイヌの人々については、独自の言語及び宗教を有し、文化の独自性を保持していること等から、規約第二十七条にいう「少数民族」に該当すると考えられる。

[匿名] 様 ( 2010 年2月17日 18:00 )

[EU=欧州連合] がすでに存在し, [東アジア共同体] が問題提起されている事実は, 「国民国家」 「民族国家」 が解体へと向かう流れの中の兆候だと思います。 従って, [アイヌ少数民族] は, その拡大されていく大きな広がりの中で, 独自の言語, 宗教, 文化を保持していくでしょうし, またそれらの独自性は, 拡散もしていくだろう, と思います。 このようなテーマは, 進展する歴史の方向性の中で, 論じる必要があるのではないでしょうか。 

民族の定義は、おおよそ文化的特長から人類を区分することではないでしょうか。その際、ここで言う文化とは言語・宗教・習俗等だと思います。

日本語を使用し生活しているのだから、日本民族だという認識は極論でしょう。日本には多くのムスリムも住んでいます。言語こそ日本語を使用していても、宗教・習俗は全く異なります。(過去にも政治家の単一民族発言に、多くの反発がありました。本人たちが違うというものを、いや同じだと言い張る必要がありますか?)

言語のみを基準に民族を定義づけるということは、英語しか使用できない人たちは、同一民族ということになりませんか。極論と言われるかもしれませんが、同じことをおっしゃっています。

日本の帝国主義時代に、日本語教育を施されたアジア諸地域の人々は、自己を日本人とは認識していなかったはずです。

また、ユダヤ人という民族にとっては、言語ではなく、信仰こそが民族の証です。

パーセンテージの問題ではありません。異なる信仰・習俗を持つ人々が国籍を所有している時点で、単一民族国家とはいえないと思います。

良心派様のおっしゃるとおり、今後は主権国家体制の存在そのものが問われていくようになり、ますます国家・民族の関係性は薄れていくものと思います。

結局たかおじさんをはじめとするリアリストの方々は、東アジア共同体という概念そのものに批判的でしょうから、話は平行線になるのでしょうが、あまり脱線しすぎてもいけませんので。

[1077]  様  (2010 年2月18日 01:15)

この件に関しては, もうやめよう, と思っていたのですが, あなたが真面目で, しかも的を射たご意見を述べられたので, 一言コメントします。 

あなたは脱線するではなくて, 議論を本筋に戻したのです。 あなたが考えているテーマこそが, 真っ当な課題だ, と思います。 決して的外れではありません。

あなたの研鑽の結実の成果を期待します。

(日本人を止めた)無国籍人 | 2010年2月17日 14:54の続き 

改めて多くのコメントを戴き多謝申し上げます。
ご返事をするに当たり考えた結果、個別の投稿者に宛てるのではなく、大きな論点に私見を申し上げることとしました。結果として、ご返事をしないことになる方が出てきますが、別の機会に譲らせて戴きたくご了承願います。

また、「匿名」で戴いたコメントへのご返事は意図していません。このTheJournalでの投稿者名のルールに沿う観点(Compliance)もあり、返事をすることが匿名投稿に一定の位置付けを与える結果になると考えるからです。また、内容的に私には理解できないケースにも、事情が示す通り返事申し上げられません。

扨て、
1. 私の「同一の民族が同一文化で染め上げられている」という表現について(「たかおじさん」には多数のコメント対応を戴き、重ねて御礼申し上げます。):
アイヌや沖縄など少数民族の存在を上げて私の認識が「誤ったもの」という多くのご批判は、国内に主眼を置いた別の場では議論として成立するとしても、此処での私の主題である「外交」の場では意味をなさないと考えています。
例えば、アメリカや中国が、日本との外交を実践的(※注)に考える場合には彼ら少数民族文化の影響を包含して「一つの日本の、民族・文化」として考えていることは当然であり、逆に日本外交がアメリカを実践的に(※注)考える場合には、インディアンやヒスパニック文化の影響を包含して「一つのアメリカの、民族・文化」として捉えることも当然であり、外交で重要となる視点は、内政での其れとは異なるのだと確信します。料理をするときには食材にマッチした包丁を選ぶということでしょう、料理の神髄の近くにいる料理人程この選択は重視する。

    (※注)この「実践的に」の対極に、「研究的に」を置いています。研究段階では、取り纏めることなく、逆に要素項目を切り分けて個別に調査することになる。

2. 上記に関連して「余計なこと」を極力短く申し上げれば・・、
私は「日本の喪われた20年」を齎した原因の中で、経済界の原因がこの「包丁の選択を間違えている、少なくないケースでは意図的に間違えている」ことだという仮説を持っています。その原因は、今も変わらずに続いている。
大企業の多くの社長達が(幸いにも、少数の例外は存在する)、「石橋は叩いて渡るんだ!」と嘯いて結局「渡らない」または「橋を壊す」結果になる(または、意図的にする)場合に、社長は解決するべき課題の本質に適合しない包丁を選んでいる。その包丁は、多くの場合メスであったり針であったり、重箱の隅を穿る(ほじくる)のに適しているのだが・・、挙句の果てには新しい重箱の隅を探し出す・・。
新事業に挑戦する志に欠けること、新たな事業リスクをとる覚悟に欠けることを覆い隠すには、「良い、姑息な手法」です。

社長の例を挙げなくとも、日本国内には身の周りで同様の現象は日常茶飯に目に付く。現在進行形の国会の議論も然り。問題意識を持つ人たちが、その現象が目に付き過ぎて何も感じなくなる事態が恐ろしい。

3. em5467-2こと恵美さん | 2010年2月16日 11:34
「気の毒です」とご同情戴き、有り難うございました。が・・、上記の次第ですのでご放念下さい。

>投稿者: 1077 | 2010年2月18日 01:15 様

おそらく内容から私へのレスであろうと思いますので、私からもレスします。

>民族の定義は、おおよそ文化的特長から人類を区分することではないでしょうか。その際、ここで言う文化とは言語・宗教・習俗等だと思います。

「民族」を百科事典なり辞書なりで調べて御覧になりました?言葉の定義は、自分でこう思うと言うことではありません。討論をするからには双方同じ定義を用いなけば意味がありませんので、単に思うだけではなく事前に確認しましょうよ。

>日本語を使用し生活しているのだから、日本民族だという認識は極論でしょう。日本には多くのムスリムも住んでいます。言語こそ日本語を使用していても、宗教・習俗は全く異なります。(過去にも政治家の単一民族発言に、多くの反発がありました。本人たちが違うというものを、いや同じだと言い張る必要がありますか?)

したがって、これは意味がありません。

以下、すべて、民族という共通認識を欠いての言葉ですので、全て意味がありません。

>言語のみを基準に民族を定義づけるということは、英語しか使用できない人たちは、同一民族ということになりませんか。極論と言われるかもしれませんが、同じことをおっしゃっています。
・・・
>結局たかおじさんをはじめとするリアリストの方々は、東アジア共同体という概念そのものに批判的でしょうから、話は平行線になるのでしょうが、あまり脱線しすぎてもいけませんので。


いえ、最初から脱線しています。民族とは何か、国家とは何か、国民とは何かの定義をご自分で決めて相手に押しつけても論争にならないと言う基本の学習から始められてはいかがでしょうか。

もし、相手が何を以て民族、国家、文化、国民などを定義しているのか分からない場合は、それを相手に確かめましょう。

定義は定義であり、それを否定しては定義と言いません。

まあ、参考になるかどうか、私のブログに「民族とは」との記事を書いておきましたのでよろしければ御一読を。私が用いた定義を書いてありますので。むろん、私の定義の解釈が間違っているとの反論は有るかも知れませんから、それは反論されて結構ですよ。



>投稿者: Kazzy Matsuzaki(日本人を止めた元公務員) | 2010年2月18日 00:31 様


>1)ジャーナリストが司法権力と声を合わせるのは、警官が殉職したときだけである。
>2)常に弱者の側に立って見る。そのためには、状況によって立ち位置を変える。

この姿勢が正しいとは思えませんね。誰の責任か、誰に非があるかが立ち位置を決めるべきだと思いますので。

>もし西松事件や郵便不正事件のようなずさんな立件と起訴がこの国で行われたら、メディアは司法を厳しく糾弾します。石川議員の女性秘書の不当な取り調べも、この国のメディアなら大騒ぎになります。逮捕された被疑者でさえ、3日間の拘置中にシャワーを浴びる機会がなかったのは人権侵害だとメディアが警察を非難した例があります。まして罪なき個人の人権が蹂躙されたら怒り心頭です。ただではすみません。

ただし、事実が全て明かされての話です。かつてオームによる松本サリン事件の時、第一通報者を執拗に糾弾したのはマスコミであり、未だに本人に謝罪していないマスコミも有ります。マスコミ報道が真実を覆い隠し、世論を作り上げることはままあります。

ニュージーランドについては良くは知りませんが、少なくとも捕鯨問題についてはどう考えても、ニュージーランド政府、マスコミ、国民全て公平とは思えませんよ。反捕鯨(これは正当な権利)とテロ活動(犯罪)をきちんと建て分けていないようです。批判はあるでしょうけれど、主流ではないみたいですね。


>はたして特捜とマスメディアを敵に回したままで革命が成るのか。あるいはインターネットやツィッターはマスメディアに対抗しうるのか、9000キロ彼方の「普通の国」から固唾をのんで見守っています。

普通の国ですか。日本は異常な国であるということですね。人種差別意識や先住民に対する罪や捕鯨問題や犯罪発生率も平均寿命も科学工業力も文化発信力もそちらが標準であると断言出来るのでしたら、あなたの明快さがある意味うらやましい。なにしろ、私はどんなに批判が有ろうと、日本という国、日本文化に帰属してしまっていて、他をよりどころと出来ませんのでね。

ところで

投稿者: (日本人を止めた)無国籍人 | 2010年2月18日 10:44 での御発言に対し

>アイヌや沖縄など少数民族の存在を上げて私の認識が「誤ったもの」という多くのご批判は、国内に主眼を置いた別の場では議論として成立するとしても、此処での私の主題である「外交」の場では意味をなさないと考えています。

まったくその通りと思います。日本に少数民族が存在しないなどあなたも私もいったことはなく、国家としての認識を言ったまで。国内での統治とは別に、とおっしゃるあなたの言葉を受けて考えれば日本が単一民族国家というのもとうぜん国際的認識による物であることは明白ですから。

私に対するコメントを無視しなかったのは、民族、文化などの定義に及んだからです。

匿名は無視するとの御姿勢は、私も同様です。

しつれいしました。

投稿者: たかおじさん | 2010年2月18日 12:15

上記の発言は、山口氏の
特別企画:この国の正体(9)
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/02/9_1.html
での無国籍人様の記事へのレスでした。貼り付けて投稿した場所を間違えてしまいましたのであらためて正規の場所に投稿します。

(日本人を止めた)無国籍人様 | 2010年2月18日 10:44

スレッド、活況の様ですね。
決して無節操に申し上げるつもりではありませんが、多くの皆様のご見解ご議論ご論旨にはそれぞれ傾聴に価し学ばせていただく事柄が多々あり、ありがたいことと思っています。

無国籍人様のレスコメント拝読して、仰りたかったご主旨・ご本意がよくわかりました。
細かな点では素人考えでの勝手な異論もなきにしもあらずですが、ご主旨・ご本意にはおおむね同意です。
むしろこのレスコメントに述べられている主旨内容を前面に打ち出して本題本文を筆耕なさった方がかえってよかったのでは?、時局の折柄とは云え取り立てて鳩山外交から頭出しし小沢さんへの心配や期待で締めると云う必要もなかったのでは?論旨構成が「レスコメントのご主旨」だったらな~、などと勝手に思ったりしてもいます。無国籍人様としてはそのご主旨だったとは存じますが、やや本文が難解でもあったせいかご本意が読み取りずらく、また時局柄などもあってか、多少誤解されてしまったきらいが無きにしもあらず、だったかも知れませんね。不肖、脳みその回転がよろしくない外交ド素人の私も誤解組の一人でした、すみませんでした。失礼の段は、ご寛大なお心でご容赦下さいます様お願いいたします。

とりとめのない駄文で失礼いたしました。併せて、無国籍人様の今後にご期待申し上げます。

~福島瑞穂は阿部知子を除名処分せよ - テニアン市長を日本に呼べ~

抜粋;
~日本の右翼というのは、ナショナリストを標榜しながら実はそうではなく、反共主義というインターナショナリズムの日本支部の政治集団であり、だから米軍基地に決死の白刃突撃を仕掛けようとは発想しない。尖閣諸島の魚釣島には不法上陸して日の丸を立てるくせに、普天間基地の滑走路に侵入して日の丸を立てようとはしない。竹島問題も、韓国の政権が左派から右派に変わった途端に騒ぐのを止めた。インターナショナリズムだからだ~

たかおじさん様

レスありがとうございます。

いえいえ、無国籍人さまは”よろんず”投稿文で次のように述べられています。

>同一の民族が同一文化で染め上げられている狭い日本国内で行う内政とは異なり、異質な民族と異質な文化文明との間で交渉を繰り広げる外交では、S.ハンチントンが主張する「文明の衝突は準必然」とする短絡的意見は否定するとしても、複眼を持って物事を観ること、複雑な思考回路を取ることが必須であると知るべきでしょう。

その後の論調から判断しても、「単一民族国家の日本において、内政はまだしも、外交にまで博愛精神を持ち出してことを済まそうとしているのか?」おっしゃっているように思われます。

>複眼を持って物事を観ること、複雑な思考回路を取ることが必須である

このお説に対して異論は全くありません。しかし、内政、外交を並列の関係で述べられています。

もう一点、

あなたは、

>そして、民族の定義が同じ文化を共有する集団である以上、消える文化も有ればそれを共有する民族も消えるのが世界の趨勢であり、避けようがない。尊重するのとは意味が違う。(2010年2月16日 12:15)

とおっしゃってる。

民族の定義については、あなたの考えを確認しています。そして大差ないと判断しています。私はその「文化」とは何をさすのかについて、定義しました。突っ込みどころが違います。(ボケたつもりはありませんが)

民族を「同じ文化を共有する集団」と定義づけながら、言語を中心に「文化」を語ることに疑問を投げかけさせていただきました。

ちなみに、ご心配くださらなくとも民族・文化については、山川出版より2004年に刊行された『世界史小事典』を参考にさせていただき、考えを述べさせていただいています。

物議をかもし、諸説ある事柄に対しwikiなどを参考に決め付けることを極論といいたいのです。

>世界基準でこれが日本は単一民族国家と認識するのに差し支えはない。

「俺の定義に対してお前の定義は…」とおしゃるわりには、「世界基準」はないでしょう?まさかISOの国際規格にあるわけでもあるまいし。

結局のところ「外国人が日本人は単一民族のイメージを持ってるんだから、お前たちが違うと言っても、俺たちと同じ民族なんだ」とアイヌ民族に言ってることにならないのですかね?

あと、もう一点、

無国籍人様も短絡的と評されたハンチントンの「文明の衝突」。お勧めされていますが…。

まだ、フランシス・フクヤマやトインビーをお勧めすべきではないですか?



>投稿者: 1077 | 2010年2月19日 02:30 様


>このお説に対して異論は全くありません。しかし、内政、外交を並列の関係で述べられています。

何を指摘されたいのがいまいちはっきりしませんが、鳩山外交について無国籍人様が述べられている以上、外交上の概念として単一国家(と言う言葉は使われておりませんが)と捉えて別に問題はないかと思います。

>民族の定義については、あなたの考えを確認しています。そして大差ないと判断しています。私はその「文化」とは何をさすのかについて、定義しました。突っ込みどころが違います。(ボケたつもりはありませんが)
>
>民族を「同じ文化を共有する集団」と定義づけながら、言語を中心に「文化」を語ることに疑問を投げかけさせていただきました。

?言語を中心としてですか?別にそんなことを言った覚えはありませんが。ただ、言語も文化と関わる事は事実ですので、同じ言語を使うとは言えるでしょうね。しかし、アメリカ国籍を持っていても日本民族、とも言うように、必要絶対条件でもないでしょう。

文化、の要素は様々であり、例えば100の要素が有れば90共有していたら同じ民族、などとの漠然とした概念でしかないでしょう。きわめて曖昧な基準、と書いたはずです。それらの要素の内幾つか、とか、重要度の順位など、明確に決められる物ではないので、最終的に誰かがどの民族かと確実に判別出来る物ではないとおもいますよ。敢えて言えば、ユダヤ人が良く言うように、自分をユダヤ人と考えている人間がユダヤ人だ、あたりが妥当かも知れません。いずれにせよ、言語を文化の中心と捉えた事はないはずですが、有りましたらご指摘ください。たぶん表現がまずかったのでしょう。

>ちなみに、ご心配くださらなくとも民族・文化については、山川出版より2004年に刊行された『世界史小事典』を参考にさせていただき、考えを述べさせていただいています。
>
>物議をかもし、諸説ある事柄に対しwikiなどを参考に決め付けることを極論といいたいのです。

ええ、諸説有るのでしょうが、Wikiはなんと言ってもこの場に来られる方々が一番参照しやすいでしょうから引き合いに出したまで。Wikiに色々問題があることは承知していますが、現時点での定義がそれほど間違って居るとも思いませんしね。

全員があなたのおっしゃる資料をすぐに参照出来るなら、むろん、Wikiをゴミ箱に放り込むこともやぶさかではありませんよ。

>「俺の定義に対してお前の定義は…」とおしゃるわりには、「世界基準」はないでしょう?まさかISOの国際規格にあるわけでもあるまいし。

ISOで決める発想はありませんでしたね。外交で扱う問題として単一民族と考えられる、位の意味ですが、あなたが明確な世界基準をお持ちならお示しください。

>
>結局のところ「外国人が日本人は単一民族のイメージを持ってるんだから、お前たちが違うと言っても、俺たちと同じ民族なんだ」とアイヌ民族に言ってることにならないのですかね?

なりませんよ。敢えて言えば本人の認識だと上に書いたとおりです。

>無国籍人様も短絡的と評されたハンチントンの「文明の衝突」。お勧めされていますが…。
>
>まだ、フランシス・フクヤマやトインビーをお勧めすべきではないですか?

「文明の衝突」に様々な批判があるのは存じてますが、割合わかりやすいから、と言う意味。それぞれの批判は読んだ人が自分で考えてすればよいのでは?私も本を読むときはそのように捉えていますが、違うんですか?民主党のマニフェストだって、あれを絶対視する人が居るとすれば、遠巻きに見るしかないでしょう。居るみたいですがね。

フクヤマもトインビーも読みましたよ。絶対視は当然していませんが。

むろん多くの本を読むことは良いことですよ。「文明の衝突」もWiki同様、絶対正しい訳ではないと注釈まで付ける必要があるとも考えていませんでしたから。

ばろんでっせsan | 2010年2月16日 08:36  鳩山外交の未熟

遅場瀬ながら・・・、
戴いたのが長文なので反応が難しいですが、以下【引用】の4点に絞って:

貴「1.について」
AA.引用【本来価値観が異なる者の感想に阿る必要は全く無く、それを日本国の特質というなら、その行動様式を遡及して再認識すべきであるとさえ思え、そのこと自体が無邪気や未熟とは思えません。】
仰る点には本質論としては全く違和感はありませんが、現実論としては違和感を持ちます。現実論は往々にして、長期展望に立つ本質論が短期的にぶつかる壁(限界)を踏まえて、方法論に走る傾向がある、私の今回の主張もその類のものです。
私は、小沢さんについて仰られる【稀代】には及びませんが、強くプラグマティスト色を意図的に持っています。時間に委ねる必要のある事情を除いて、判断と行動の的確性と妥当性および変化(変革)のスピードを上げるのが最大の目的です。私の基本的考えは、外国に決して阿るわけでもなく、均等要求自体は当然であってそれを批判的に云々するわけでもない。

1. 日米同盟を考えた時に(当然に「外交」の脈絡です、念の為。)、同盟には付属的な事案とはいえ地位協定の大きな不合理や日本国にとっての耐え難い不公正(不均等といってもよい)や本質的に沖縄県民に過重な負担を強いている現状など、改善されるべき国内的重要課題は多数存在することも当然のこととして認識されるべきですが・・、

2.鳩山外交が現実に採った行動手段は、次のようなものであり、事柄の重要度や過去の来歴などへの認識が欠けていることを「無邪気で未熟」と認識し形容しています。・・・此処まで書いてくると、本論での論旨を省略し過ぎだ!と思い至り遅場瀬ながら反省しています(笑)。
1) 二国間交渉と雖も東&南アジアの安全保障に深く影響する広さのある交渉であること、
2) 以上に拘らず、鳩山外交は、同盟である以上また同じ人間である以上両当事者は「均等だ」と主張して来て、日本の政権交代直後に言葉で主張するに留まらず実際に直接行動に移した。両国の長期の懸案かつ地域の重要案件で日本国として正式に合意した事項の進捗を一方的(アメリカの「余儀ない合意」はあるが)に中断させたこと。
3) この現実は日本国民の気持ちを波立たせる点ですが、日米両国の過去の永い歴史特に第二次大戦以降の時代に、両国が世界に占めて来た勢力と経験(端的に言って、アメリカは政治・経済・軍事面で世界の極を担って来た、日本は全くそれらの経験を持たない)の違いは量的にも、また特に洞察や思考の広さや深さや(時間軸の)永さなどに於いて質的にも比較にならないこと。従って、均等要求の限界は遥か遠くにあるわけではないが、極めて性急な行動に出たこと。
4)度重ねた約束の5月末までに、Ultra CならぬUltra H(atoyama)を実施可能な形で提示できるのか? 両国政府の発言や行動からは、期待が持ち難い。

以下は短く(笑):
貴「2.について」
BB.引用【「友愛精神」ですが、私には「美しい」とは思えません。・・皮肉の意味で「美しい」と形容されたのなら、・・】
ご明察!!(笑) 100%皮肉です。現実に処すことを宗(日本語としては間違いの様です)とする私は「美しい」とは思っていません。的確な理想は常に「美しい」。

CC.引用【政権奪取が視程に入った瞬間に「寝た子を起こす」企みは作動しているのです。方法論は兎も角、・・】
上記の通り、私の此処での論は方法論です。

貴「3.について」
DD.引用【小沢民主党幹事長だけを切る道理は、参議院選挙勝利以外は無く、そのときは小沢民主党幹事長が来年度予算成立を期してその旨をもって辞任する形になると思います。】
想定するだに嫌な事態ですね。参院選で民主党が負け、小沢さんが幹事長辞任となりこの国の舵取りに影響力を行使できなくなる(程度問題ですが)暁には、「政界再編」しかこの国がGlobalizationの世界の中で「元気に活き活き」と立ち直ってゆく道筋は描けないと思えます。
私にとって、政界再編はそのような危機的状況に至らなくても遣って欲しい処です。

(日本人を止めた)無国籍人 | 2010年2月19日 17:49蛇足の追伸

領土に関する脈絡では、重要なことを一言でいえば、「天の時」です。
「地の利」は五分五分、「人の和」に至っては「殆ど(100%ではない)」無力でしょう。

<たかおじさん様へ>
貴兄とは何をどう議論しても全く噛み合わないし、そのお積りも無いようですから、以降スルーさせていただきますが、最後に一つだけ質問です。
貴兄の「雑駁以下の」定義なるもの『民族とは同じ文化を共有する集団であり, 言い換えれば, 同じ文化に帰属する集団と言っていい』を、万歩譲って前提とした場合には、アメリカ合衆国も中国もロシアもフランスもエトセトラも…ゼーンブ「単一民族国家」ってことになりますよ?この程度の「論理的なレベル」はお持ちでしょうね?

無国籍人さん、また悪い癖が出た?まさか。

都合が悪いと、答えられるけれど荒れるから止めとくなんて引っ込んじゃうわけないでしょうねぇ。

もしそうなら、噛み合わないのは相手が悪いからスルー、でも一つ答えろ、という御仁とあまり変わらないので、それは情けない。

まあ、またお答えをいただけるとは微かに期待してますが。

たかおじさん | 2010年2月19日 20:09

わっはっははは・・・(爆笑)、
有り難うございます。
たかおじさんとは思考回路も物事の軽重の置き方も共通する部分があって、差しでの議論は非常に興味深いのですが(額面通りです、念の為)、
深い深い文化としての民族論になると人任せにしたくなる性癖は否めません。私には、とても太刀打ちできないという事情もあり、また事柄上議論に際限がないこともあり、また問題解決に繋がることが期待できないという現実的側面もあり・・・(笑)。

処で、真に失礼であって恐縮なことですが、引用【まあ、またお答えをいただけるとは微かに期待】戴いているポイントをお伺いして宜しいでしょうか?
重ねて申し訳ありませんが、私には未回答でお預かりしたままになっている宿題の意識が無いものですから・・。
時差が原因かも・・(照れ笑)。

>投稿者: (日本人を止めた)無国籍人 | 2010年2月19日 20:36 様

やはり無責任な方ではなかったと安心しました。でもどんな答えを待たれているかの認識をもたれていなかったのは、私のせいかな。

1)NZは日本に比べて普通の国ですか?もしそうなら、何を基準にそう判断されたのか知りたかったのと

2)マスコミの立ち位置が、NZでは被疑者寄り、一般寄り、被害者寄りと変わるのが普通だそうですが、でも私はそれがまともとは思えないと感想を申し上げたので、なぜ上記の姿勢がまともなのか知りたいと思った次第です。

まあ、日本では、マスコミが報道という商品を売る販売作戦でしょうが、NZは民主的な理由なのかと不思議だったものですから。

本来は山口氏の記事のコメント欄なのですが、こちらに私のレスを書いてしまったことと、こちらがあなたの記事の場であることから、言い出しっぺなのに尻切れトンボかいなと書いた次第です。なにしろ、あちらの方にはもうお見えにならないような気がしたもので。

それと、わたしのコメントに対し、一つ一つ反論は出来るが場が荒れるので差し控えると申されたので、でしたら私もブログの掲示板ででも、とお誘いしたけれどなしのつぶて。

なんやらかんやらでつい愚痴が出ました。

ここの方々の多くは(そうでない方も無論いらっしゃいますが)噛み合わないし全部私が悪いらしいので、お話が出来そうな方にはつい期待してしまった次第です。

 こんばんは。

 (日本人を止めた)無国籍人 さん、レスコメントをありがとうございます。

 お説は了解しました。「人の和」は民主主義社会の宿命ですね。「人」の「心」を問わないところが孟子の卓見でしょうか?

 ・・・思えば無情の人心かな(笑。

たかおじさん | 2010年2月19日 21:08

良かった!!  うんん?  下手に出て損した!!(笑)

その宿題は、私「(日本人を止めた)無国籍人」宛ではなく・・、
山口氏の記事での私とは似て非なる「日本人を止めた公務員」さん宛に出されたものだと確信しています・・NZは私が人様に何かを申し上げる何物も持っていない国ですので(笑)。

また、面白い議論が出来る機会を期待しつつ・・。

無国籍人様

いやぁ、面目ない。ご指摘の通り、私がすっかり思いこみで今の今まで相手を間違っておりました。思いこんだら命がけですね。私もでした。

日本人を止めた公務員さんはもう出てこられていないようなので、仕方がないですね。

それにしても、是非「また、面白い議論が出来る機会を期待しつつ・・。」と私もお願いしたい。

それはそうと、お暇なときにでも是非拙ブログへでもどうぞ。ネタは選り取り見取ですから何でしたら鋭いつっこみなど・・

 おはようございます。
 先ず、訂正から

投稿者: ばろんでせ | 2010年2月19日 21:10 
の投稿は、私 ばろんぜっせ によるものです。

自分のHNを書き間違えてしまいました。失礼しました。


 さて、ここで話題の「日本国単一民族論」についての若干の雑感(笑)を書かせていただきます。少し(笑)長文になりますがご容赦下さい。


★「単一民族」意識に潜むナショナリズムな恣意性★
 = フィヒテの「総合」へ、「反定立」の端緒として =

日本国における「民族」概念の恣意性

 民族とは、一般的に「他の集団から区別されるなんらかの文化的共通項を指標として、互いに伝統的に結ばれていると自ら認める人々、もしくは他の人々によってそのように認められる人々、といえる。この場合、文化的指標とは土地、血縁、言語などの共有意識や、宗教、神話・世界観、社会組織、経済生活、その他の生活様式のあらゆる領域のなかから、当該の人々にとって意味のある指標として選択される多様な基準を意味する。」のような理解がほぼ共通の認識であると思われます。

 「他の集団から区別されるなんらかの文化的共通項を指標として・・・」と言ったとき、それを言った方に既成の「区別」意識が存在し、それに副う「共通な指標」を恣意的に拾い上げる意図を感じます。日本における「民族」概念の意識は、近年の研究によって、戦後に顕在化した事が明らかになったように、明治時代以前には今ほどの意味を有して存在したものではないと思われます。

 但し、武士による日本国統一後、蒙古による壱岐・対馬進攻による残虐、後の「神風」による蒙古軍撃退などがあり、その口伝などによって一種神話化された神に守られた日本国の民族的統一観は「・・・宗教、神話・世界観、社会組織、経済生活、その他の生活様式のあらゆる領域のなかから、当該の人々にとって意味のある指標として選択される・・・」「文化的共通項として、」「互いに伝統的に結ばれていると自ら認める人々、もしくは他の人々によってそのように認められる人々、といえる。」のかもしれません。そのことが後に、明治維新後の、先の大戦時の国威発揚ナショナリズムにとって好都合であったと思われます。

 明治維新政府による「日本語」の統一化政策、つまり、「共通国語としての日本語作り」や「文言一致運動」など、一種のナショナリズム醸成政策による明治政府の正当性強化や、戦時中のナショナリズム高揚政策が重なり、日本国民に「民族」意識、「単一民族」意識の刷り込みが為され、終戦直後の荒廃に苛まれる日本国国民の国家統合、国力復興手段として再び「民族」意識、「単一民族」意識の強化が、新たな「文言一致運動」、「平和、平等、自由」という未定義観念、保守思想に名を借りた社会主義的開発独裁政官業スクラム体制の下で意味を持ち、それら「民族」意識、「単一民族」意識重層的強化の結果として、現在の日本国における「民族」概念への意識、「単一民族」意識が、過去に為された恣意性の謂わば残りカスのような形で、現在、浮遊しているのではないかと思います。

「日本語」にみる日本人の多種異文化可塑性

 私は、幾つかの別テーマへの投稿で、「日本語」の特殊性に由来する日本人の特質に触れ、「話し言葉」としての「日本語」こそ日本人であることのアイデンティティなのだと主張してきましたが、敢えて「方言」などへの言及は避けてきました。古代朝鮮語の日本語への寄与問題、各地各種「方言」の問題など、「話し言葉」としての「日本語」の統一には様々な歴史的事件が絡み、私にとってその分析の困難は能力外のようにも思えたのです。理解の範囲で書くと、曲りなりにも日本国統一を果たした後の封建社会では、文書主義による「書き言葉」としての「日本語」を用いた支配体制の確立強化が、「話し言葉」としての「日本語」の統一へ与えた影響が少なからずあると思え、日常語としての「方言」とは別な、他地域居住者との意思疎通を図る「話し言葉」としての「日本語」の共通化があったはずだと思っています。

 蝦夷の言葉の影響を受けた言語であり、発音体系が標準語とは大きく異なっているとされる「方言」の一つ「ケセン語」は、現在も宮城県気仙沼地方に残り、研究が続けられています。「ケセン語」文法には「日本語」とは全く異なるものがあり、否定疑問文に対する「はい・いいえ」の応答形式が共通語とは反対になっています。この現象が、九州・南西諸島・沖縄にも見られる点は、特筆すべき特徴であると思います。蝦夷は、渡来人が支配階級を支えていたとされる大和朝廷によって異民族視され、征伐の対象となった日本列島古来の民族であったとされていて、大和朝廷のナショナリズム所業の結果、同化、或いは、迫害されたとされています。

 現在の日本国では、未だに「方言」が日常語として生き残り、活き活きと使われています。しかし、他国を例にみると、イタリアが1860年に統一されたとき、正統な標準イタリア語を話せたのは全体の2.5%にすぎなかったとか、1789年のフランス革命の勃発時に、半分以上のフランス人はフランス語を話せず、南フランス住民の殆どはオック語話者だったとか言われ、何れも「方言」として地域に生き残ってはいるとしても、言語統一を図る中央政府の圧力の下で現在に至っていると思います。言い換えるならば、国家言語となった「民族」言語というものは、主として為政者によるナショナリズム実践の結果なのであって、民族や国家の原因と看做すことはできないのだと思います。

 また、渡来人や遣使が齎したとされる漢字の読みについては、音読みに呉音(漢音導入以前に日本に定着していた発音)・漢音(7、8世紀、遣唐使や留学僧らによってもたらされた唐の首都長安の発音(秦音))・唐音(宋音・唐宋音:鎌倉時代以降、禅宗の留学僧や貿易商人らによって伝えられたもの)・慣用音(誤った読み方が時代を経て定着した音読みが多い)などがあり、それぞれが同じ漢字を違ったように発音し、万葉仮名に見る当て字による既存日本語発音も並存し、『古事記』には呉音が、『日本書紀』には漢音が反映されている(『万葉集』には古代朝鮮語が?)。このことは、多種異文化可塑性に富む日本人の特質が、象徴的に示されていると思います。現在でも、欧米言語を日本語発音に置き換えてカタカナ表記しているものが多数存在し、その日本人の特質は脈々と活き続け、「方言」の許容も含めて、その多種異文化可塑性において「文化的共通項」を成しているとも思えます。

血統遡及から判る多様な文化許容の歴史

 民族の判断を人種や血統へ委ねることの間違いは、上記の様なダイナミズムを観れば明らかではありますが、有史前の文化の交流などを辿る作業には、人種や血統の交流を探らざるを得ないことも事実です。日本国においては、現在も小笠原諸島、沖縄諸島、東北北部や北海道にみられるコーカソイド系混血日本人が、特に他のモンゴロイド系日本人との比較で、異なる外形的形質特性を有していて判り易いのですが、モンゴロイド系の人的交流を探るには、DNA解析に頼る意外に無いと思います。ミトコンドリアDNA分析による母系由来、Y染色体DNA分析による父系由来などの研究によって、現在の日本国国民はアジアのあらゆる地域に由来し、かつて言われた縄文人と弥生人の二重構造概念は、ミトコンドリアDNA分析と地域分布調査から完全に否定されたとされています(いずれも東アジアにに広く分布するアジア系で、朝鮮人を含む東アジア6集団、韓国人、モンゴル人、本土日本人、チベット人、アイヌ人、沖縄人には、DNAにそれほど大差は見出されていないとされています。)。

 大陸からの渡来は、歴史的資料などによって判明した4回に分けてあったとされますが、大陸からの比較的大きな渡来人集団はこの4回、① B.C.2世紀-A.D.3世紀: 弥生人が北九州に朝鮮・中国系の遺跡・遺物、② A.D.5世紀:倭の五王の時代に朝鮮系が製鉄技術、鉄製農具、灌漑・土木、③ A.D.5世紀後半-6世紀:技術者集団が大和朝廷を強める、 ④ A.D.7世紀後半:百済の亡命者が仏教、であったとされ、様々な文化を日本に齎しています。特筆すべきは、②あるいは③の時期に、A.D.5世紀後半に来朝し、その後、最大の古代豪族になったとされ、後に聖徳太子の有力側近となって活躍したとされている秦(はた)氏一族です。秦氏は 弓月君(ゆづきのきみ)と称しましたが、中国西端の弓月(クンユエ)出身であり、Y染色体DNA分析によるとユダヤ系(しかも、ネストリウス派の東方キリスト教徒)であったらしいということです。 

 更に、Y染色多型体の分析による最近の研究の結果では、旧石器時代(?)にシベリア経由で北海道に来た系統、縄文時代(?)に華北・朝鮮半島経由で来た系統、弥生時代に同じく華北・朝鮮半島経由で来た系統が、(沖縄を含む)日本列島のヒト集団を形成し、南方から沖縄経由で来た痕跡はごくわずかであることが言われています。アフリカ大陸をあとにして広がった人類は大きく3つのグループに分かれたましたが、日本列島にはその3つのグループのすべてが集まっていて、これは全世界的に見て他に類の無い特徴であると言う学者もいます。また、ヨセフは、エジプトの祭司ポティ・フェラの娘アセナテと結婚してエフライムとマナセが生まれた(創41:50)とされいてます。これは、Y遺伝子は父系遺伝するので、日本人には、一般の東アジア系(ヤペテ系: 縄文系+弥生系といわれたグループ)に、ヨセフのユダヤ系(セム系)とエジプト人(ハム系)のDNAが入っていることとよく合っていると言われています。

文化変容歴史のダイナミズムと「多様性の保持」

 ここまで、日本国の黎明期の文化交流をザッと書きましたが、その後の日本国への文化流入の歴史をザックリ概観してみると(笑、長期に亘り(~約数万年)文化流入が断続的に継続し、鎖国政策を採った江戸幕府の時代においても重要な文化の流入は継続し、明治維新を経て開国によって劇的な西欧文化の流入がなされ、先の大戦終結後は米国文化の怒涛のような流入をみました。日本国がここに至って有する文化の様態は、非常にダイナミズムに富み、多種多様な価値観に基づく様々な文化を許容して、変容し、成立したものであること言えそうです。

 宗教その他についての考察は他所に譲るとして、上述の限りにおいても、文化や民族が常に変容を続けるダイナミズムの中にあって、近年世界が直面する価値観グローバル化、情報の非偏在化、つまり、平準化傾向の下で、もし、「他の集団から区別されるなんらかの文化的共通項」を日本国文化に見出し、その「文化的共通項」に「他と区別する」日本国の単質性を求めるとするなら、その求める意図は、「多様性の保持」が世界人類活動の活性に資するという普遍的価値観に基づくものか、特定の意図を持ったナショナリズム喚起以外ないと思います。

 文化の交流という点では、極東アジアの辺境に位置する日本列島より、地政学的に圧倒的に優位な地域は他に幾つもあるのですが、そこでは破壊と収奪にによる新しい支配が繰り返されたことによって、日本国歴史にみるような多種異文化を咀嚼許容して残す試みは少なく、日本国ほどに多様な形で多種異文化が伝承されてはいないと思えます。例えば、中国古代の楽器の形を残す邦楽楽器は、中国には殆ど残っていないとされています。

 渡来の思想、行動様式とは異なるものを有していたと思われる古代日本人の感性は、多種異文化可塑性に富んだ日本国の特質によって受け継がれ、結果として日本国における「多様性の保持」の実態が他に比して劣らないものとなっていると思います。一方で、活動の活性に資する「多様性の保持」を「国」単位の個別性に求め、その個別性を他と「区別」する「文化的共通項」による「民族」概念の日本国総体へ付与する恣意性によって得ようとする意義について、現段階で、私としては、「土地、血縁、言語などの共有意識や、宗教、神話・世界観、社会組織、経済生活、その他の生活様式」などより上位の他の概念、例えば「多種異文化可塑性の伝統」などのような総合的で「多様な基準」の概念、が相応しそうだとの思いにあり、結論を得るには至っていません。

ナショナリズムが付与する「単一民族」の恣意性
  - 外部者からの指摘に潜む意図

 先に触れたように、今迄は、民族意識への糾合は、殆どの場合が為政者などによる特定の意図を持ったナショナリズムを原点にしているように思います。その際の梃子になるのが、外部からの劣等コンプレックスに繋がる内在特殊性への指摘、例えば、“日本の外交は「あいまいな日本」を顕在化したものであり、日本国は他の世界に比して特殊である”といった外部からの劣等コンプレックスに繋がる内在特殊性への指摘、を元にしたもののように思います。この指摘は、ナショナリズム喚起を画策する方達には非常に都合の良い口実、「他の集団から区別されるなんらかの文化的共通項を指標として・・・」に語られる既成の「区別」意識に合致したものなら尚更良い「民族」意識への糾合の口実を与えることになると思います。

 外部からの劣等コンプレックスに繋がる内在特殊性への指摘が、そのような側面を持つことを知らずにその指摘をする外部者がいるとも考え難く、外部からのその指摘が如何なる意図の下にされているのかを、良く吟味をする必要があると思います。また、その外部からの内在する劣等コンプレックスに繋がる内在特殊性への指摘を良いことに、それを梃子にして、ナショナリズムを喚起し「民族」意識への糾合をしようとする方達の意図が何処にあるのかも、また良く吟味する必要があると思います。

 既成国家の外形的統一観は、民主主義法治国家であれば憲法や国際法などによって規定されますが、国家成立過程では殆どの場合が為政者主導の武力や戦争が、「民族」帰属意識、宗教信仰意識などを基にしたナショナリズム喚起によって齎され、それによって内在する異民族、異宗教への同化行為や迫害行為がされ、言語を含めた統一作業によって成されたと思います。つまり、国家国語としての民族言語というものが、主としてナショナリズムの実践の結果なのであって、民族や国家の原因と看做すことはできなかったと同様に、「単一民族」国家というものも、主としてナショナリズムの実践の結果なのであって、国家の成因と看做すことはできないのだと思います。

 従って、今ここで再び、「日本国の単一民族論」を、原因と結果を意図的にすり替えたかのように持ち出すことには、大きな疑念を抱きます。それが「・・・互いに伝統的に結ばれていると自ら認める人々、もしくは他の人々によってそのように認められる人々、・・・」による「民族」概念であるなら尚更、特定の意図を持った勢力のデマゴーグ、プロパガンダなど、洗脳によって無自覚に陥る「日本国の単一民族論」には、特に注意すべきであろうと思います。ダイナミックに変容し続ける所謂『文化』に、その属性を求める所謂『民族』概念の定義は、それ自身が絶え間なく変化する人類史の流れにあって、ダイナミックに変容し続けるものであるという認識が必要なのではないかと思います。

 外部者による劣等コンプレックスに繋がる内在特殊性への指摘や、内在特殊性を「日本国の単一民族論」と言い包めて世界の異物化する試み、 それが内部からの指摘提示であるにせよ、ある特定の時間断面を取り上げて、偽って時間持続的な「単一民族」であるかのように提示する「日本国の単一民族論」には、何かしら隠された意図を感じ、私としては、今のところ、到底受け容れられる言説ではありません。

「日本語」による日本国の単質性

 最後に、敢えて日本国の単一性や特殊性を論ずるなら、他所でも散々書きましたが、現在日本国に共通に既存する「日本語」であると思います。ホモサピエンスがネアンデルタール人に優って生き残った原因が、口蓋殻形状や気管長など器質差による発音能力にあり、狩猟後の反省会話濃度にあったとされるように、日本人の聴覚野から言語野へ至る情報伝達経路に機能的特殊性があり、それが器質差(神経鎖などの組織質?)まで至るのかは未だ定かではありませんが、それによる聴覚能力差、思考経路差が存在することが言われ、このことは「話し言葉」としての「日本語」によって歴史を重ねてきたことによるとされ、日本人の気質などを特徴付けて、ある意味で生き残りを左右する原因となり得ると思うのです。

 先に書いた「多様性の保持」を、平準化傾向の世界の流れにあって人類活動の活性に資するものとして捉えるなら、この「日本語」による「日本国」の単一性や特殊性が持つ意義は大きいのではないかと思います。しかし、今、その平準化傾向の情報渦、価値観混迷の只中に晒されて、その「日本語」の劣位な特性ばかりが顕在化し、優位な特性が失われつつある、強い危機感を感じています。


とりあえず、以上(笑)。


>
>投稿者: ばろんでっせ | 2010年2月20日 09:24様

>少し(笑)長文になりますがご容赦下さい。

長文には慣れていますので、必要なことを書くのは当たり前。やたらに省略て分からないよりはずっとましですよ

>★「単一民族」意識に潜むナショナリズムな恣意性★


民族の発生、存在は自然現象です。しかし、それに意味づけし、他”民族”との比較、優劣の順位付けを持ち出したとき、民族とはきわめてやっかいな物になると言うことですが、それは歴史上繰り返し行われてきた愚行です。

民族の存在を自然現象として認めること自体には全く問題はないし、また区別することも他民族、つまり他文化を理解する為には必然です。言うまでもなく区別は差別とは違うし、優劣とも別物です。民族=優劣と持ち出す思考に問題があるのであり、民族自体の問題ではありません。

>「日本語」にみる日本人の多種異文化可塑性
>
> 私は、幾つかの別テーマへの投稿で、「日本語」の特殊性に由来する日本人の特質に触れ、「話し言葉」としての「日本語」こそ日本人であることのアイデンティティなのだと主張してきましたが、敢えて「方言」などへの言及は避けてきました。

言語が文化の重要な要素であることは論を待ちませんが、絶対必要条件ではありません。
私は仕事上英語を使いますし、おそらく通常の生活では英語で不自由は感じません。しかし、所詮英語は私にとって母語ではなく、外国語です。英語を話していても日本文化に帰属している事実は消滅しません。

ヨーロッパには複数の言語を母語同様操る人は大勢居ますが、民族としてのアイデンティティーはふらついていませんよ。ただし、むろん、例外もありますが。

面白いことに、日本語ではどうしても表現出来ない概念が、英語だと出来ることがままあります。これは私の英語が日本語に勝っているわけではなく、表現能力の違いなのでしょう。当然、逆のケースもありますし、私は日本人なので、日本語で理解出来ても英語で表現出来ないことは無数にあります。ただし、この場合は私の英語能力の限界と考える方が多いですが。

これは同じ様なことを良く聞きます。仕事などで通訳をすると(これが本業ではない為もあるでしょうが)自分は分かるのにどうしてもきちんと伝えられないで困ることがあります。

これなども、言語と民族の一致しない例でしょう。

>血統遡及から判る多様な文化許容の歴史

> 民族の判断を人種や血統へ委ねることの間違いは、上記の様なダイナミズムを観れば明らかではありますが、

そう、明らかです。古代に於いては血縁地縁がなにより確実な同族意識の基だったのでしょうが、集団サイズが大きくなり同じ文化を共有するようになると、血縁地縁はそれほど重要ではなくなります。それが地球規模に広がれば、青い目の日本人民族が存在することも決して違和感はありません。ただし、あくまでそれをどう感ずるかは個人の意識の問題でしょう。

したがって、時代とともに、また集団の成熟度により、民族が包括する範囲はいくらでも広がりうると言うことです。


>文化変容歴史のダイナミズムと「多様性の保持」

> 多種多様な価値観に基づく様々な文化を許容して、変容し、成立したものであること言えそうです。

それが日本民族の特徴と言えますね。

>特定の意図を持ったナショナリズム喚起以外ないと思います。

ただし、ナショナリズムと民族意識とは明確に区別されなければならないのですが、その辺りがきちんと建て分け出来ない人が多いのも事実です。

> 文化の交流という点では、極東アジアの辺境に位置する日本列島より、地政学的に圧倒的に優位な地域は他に幾つもあるのですが、

日本は、奇跡的に幸運な条件に恵まれた国です。日本民族はそのような幸運に恵まれ形作られてきたことは疑う余地はないでしょう。わたしもそれについては拙ブログに書いてます。まあ、日本が希有の幸運に恵まれた国であることは偶然の結果であり、決して神に選ばれたからではないと付け加えておいた方が誤解を避けられると私は思いますが。なにしろ、70年ほど前、手ひどい失敗をこの国はしてますからね。

>ナショナリズムが付与する「単一民族」の恣意性
>  - 外部者からの指摘に潜む意図
>
>「民族」意識への糾合の口実を与えることになると思います。

ええ、警戒すべきはそれであり、民族意識を持つことではありません。

よって、以下の御懸念は上記を念頭に置いて議論されることですね。民族意識が如何に扱われるかが問題なのであって、民族意識自体は全く中立だと言うことですよ。

> 従って、今ここで再び、「日本国の単一民族論」を、原因と結果を意図的にすり替え
・・・・・・・・・・
>「日本国の単一民族論」には、何かしら隠された意図を感じ、私としては、今のところ、到底受け容れられる言説ではありません。

故に、これは全くの間違いです。隠された意図を受け入れるべきではないが、単一民族論まで受け入れないのは、「交通事故を防ぐために自動車を廃止してしまえ」論に同じです。

>「日本語」による日本国の単質性
>
> 最後に、敢えて日本国の単一性や特殊性を論ずるなら、他所でも散々書きましたが、現在日本国に共通に既存する「日本語」であると思います。

前述しましたが、違います。日本語は要素、それもかなり重要な要素の一つです。最も大きな要素は、帰属意識です。

ばろんでっせsan | 2010年2月20日 09:24  

1.長文(笑)のお説拝、読致しました。ばろんでっせsanが築かれた精緻な文化論の一端として敬意を表します。

2.特段の直接的な反応は致しません(以下の3項を除く)、私の雑駁な現実論への反論とは読みませんでしたし、私は元々【深い深い文化としての民族論になると人任せにしたくなる性癖は否めません】ので。

このご投稿の主題の一つが「全ての物事や事象には必ず二面性や多面性がある」というご指摘だろうと理解しました、「単一民族」の一事を例に取っても、TPOや意図によって常に「善き単一民族論」と「悪しき単一民族論」が有り得るのだと。
そしてその多面性の脈絡で話が横道に外れますが、ジョージ・オーウェル「1984年」の二重思考は「悪しき」極端な例として、現代人特に論理性に弱い大国の日本国民に重要で必要なことは、「複眼をもって、複雑な思考回路」で物事を深く考えること、そしてTPOに応じて「どの側面」が選択されているか? を的確に見極めることが肝要な時代だと思っています。先進諸国(特にアングロサクソン)では、二重思考に相当するDEBATEが、交渉や議論に勝ちまた身を立てるためにも重要な技能を磨き上げるようになって久しいという実態の前には、その人達との交渉では日本人も高い志と覚悟と共に色々な技能を高める必要が大きいと。


3.結語引用【しかし、今、その平準化傾向の情報渦、価値観混迷の只中に晒されて、その「日本語」の劣位な特性ばかりが顕在化し、優位な特性が失われつつある、強い危機感を感じています。】
1)私も強い危機感を持つ一人ですが、日本語を含めて芸術美術から街並みや細やかな気遣いに至る「上質な日本文化」の行く末を案じる場合に、私が常に想うのは京都人の逞しさを解決策・対応策としてイメージしています(京都人への好き嫌いは横に置いて(笑))、極めて賢明な遣り方だと、極めて高い誇りがなければ出来ることではない、損得や計算では為し得ないことだと。現代フランス人達にも共通する逞しさや賢明さや誇りの高さだろうと。

2)恐らく彼らは、自らの文化要素を二部分に切り分けて、
イ)旧来の自文化とは異質な現代流ないし外国流の香りを受け入れても支障がない部分は積極的に受け入れ融合させて新しい香りを創り出す、
ロ)然らざる部分は、異質なものを排除ししっかりと自分流を固く守り続ける、
と覚悟を決めているのでしょう、その結果付随する性癖は嫌われてもいいと。
自文化が持つ全ての要素に固執し全ての変化を拒絶しては、善きものが諸共に淘汰される。その固執や拒否を避け、部分を時代に適合させ存(ながら)える道を切り拓くのだと。
この脈絡で肝要なことは、当事者たちが日本文化を深く広く知り文化への誇りを強く持つことであり、尚且つ重要なのは的確に要素を切り分ける「逞しさと賢明さ」と「妥協を含む現実思考」をとることだと。更に、それらの誇りや逞しさの源泉として、自らのアイデンティティと使命を明確に認識することが肝要でしょう。

3)また、この切り分けは経済界でも行ない得る。Globalな経済社会では、極めて多くの要素が「変化要素」とならざるをえない。経営理念や新しい経営手法を創り出すことは日本人は不得手であり海外からの輸入せざるを得ない事情も影響している。
然し他方で、日本的なるものが今後世界で羽ばたき得る要素は少なくない。例えば、旧来型の年功序列が衰退へ案内することは自明ですがその考え方と成果主義を融合させて新しい労務管理制度を創り出すのは年功序列を知り尽くす日本にしか出来ない。
また、日本文化が誇る「深く凝縮された極限の美」と「それらを生み出した技法(大量生産体制の中でコスト低減効果に価値を置く技法の対極にあるもの)」は、美術芸術の世界から高級ブランド品として一般経済の世界に転身できると確信しています。組織化されない散発的な動きはありますが、それらを組織化しうねりを造る仕掛けが存在しないのは残念で勿体無いことです。

中途半端は否めませんが・・おわり

追伸:引用【ばろんでせ | 2010年2月19日 21:10の投稿は、私 ばろんぜっせ によるものです。】
当然にご存知だろうと思いつつ・・、辞書機能の活用をお薦めします。私は500件以上を登録しています。例えば、「nipp」と打てば、「(日本人を止めた)無国籍人」と変換してくれます。誤字が起こりませんし非常に簡便になります。横着者で面倒が嫌いな私には欠かせません。

 こんばんは。

 たかおじさん さん(ん? 敬称反復(笑 )、拙い長文をお読みいただいた上に、コメントまでしていただき、ありがとうございます。

 先ず確認をいくつか

1.私は「民族」という日本語記号恣意性を問題にしているわけではありません。
2.私は「民族」に優劣を付ける言及は全くしていません。
3.私は「日本語」を「民族」の属性として捉えているわけではありません。
4.私は「日本語」記号恣意性を書いてはいません。

これらについて、いくつか少し書かせていただくと

1.について、
 そもそも訳語としての「民族」の元となった言葉は nation であり、ethnic group の訳語ではなかったとされています。西欧語としての nation には政治的自己意識、統合性、独立性、主権性といった概念を含み、「国家」なども意味しますが、現在日本語として使われる「民族」の概念とはそぐわず、 ethnic group にある文化人類学的、民俗誌学的、植民地主義的蔑視、政治的非独立といった概念を含む「種族」なども意味しますが、これら渾然とした概念として日本語の「民族」という言葉が使われていると思います。
 また、「民族」意識が、“ナショナリズムを契機とする自覚による”、“排他、侮蔑、・・などの意識を契機とした認知による”なども含めて自然発生的であるという意味で自然現象であると仰るなら、なんとなくは理解できます。

2.について、
 ご確認下さい。

3.について、
 日本国に住む日本人にほぼ共通な性質として“「日本語」を使用する性質”を「日本人の単質性」と書いているのであって、それを「民族」の属性として書いたのではありません。

4.について、
 寧ろ、日本人の感性や思考過程の日本人以外と差異が、器質的差異とも見紛う機能的差異を齎し特徴付けていて、その特異性が「日本語」の使用に関わっていると主張したかったのです。モチベーションに関する別テーマで、ちゅうがくいちねんぼうず さんの「考え言葉」から示唆を得て書いた私嗜好の拙品を参考として(笑)載せさせていただきますので、ご閑暇の折にでもお読みいただければ幸いです。

 残余のご指摘点がありましたら、別機会へ譲らせていただきます。何卒ご容赦下さい。

               

考え言葉は脳の右?左?

 言葉の中枢は、大脳皮質の前頭葉にあり下前頭回の弁蓋部と三角部に位置するブローカの運動性言語野(ブローカ野)、大脳皮質の上側頭回の後部に位置する聴覚野を囲むように存在する感覚性言語野(ウェルニッケ野)であるが、それぞれに隣接する、発声器官の運動野、一次聴覚野、後頭葉 (後頭葉は視覚刺激の処理を担っている) の後頭極に位置している一次視覚野、頭頂葉最前位にある一次体性感覚野、側頭葉下部の視覚対象特徴(色や形状)認識機能、頭頂葉に存在して多数の言語、認知に関連する処理に関わって感覚性言語野に隣接する角回、・・・など、言語処理機能に関わる部分は多くある。

 言語野中枢である運動性言語野、感覚性言語野は左右にあるが、それも含めて脳機能局在が判っていて、一般に、左半球が論理処理活動を、右半球はイメージ処理活動を主にしていると語られることが多いが、未だ明確な実証は無い。しかし、脳機能の活動度については、生得的な普遍文法や後得的な生成文法の処理能力機能など、知覚から言語処理に至る脳機能の研究などを通して一定の傾向(優位性)が判っていて、その一般的結果は

左半球優位機能:
言語、算術、部分的、理論、観念的
 
右半球優位機能:
音楽、幾何学・空間的、全体的、発想、唯物的
(感覚と分析、運動と制御)

であるが、これは言語野が左半球に優位性を持つことを示している。 また、運動性言語野と感覚性言語野の情報伝導を担う弓状繊維束の存在が判っている。失語症原因による機能別障害の研究で、一般的に判明していることを示すと

       発話 書字 聴理解 読解 復唱
運動失語  ×   ×   ○   ○   ×
感覚失語  △   △   ×   ×   ×
伝導失語  ○   ○   ○   ○   ×
(運動失語は運動性言語野、感覚失語は感覚性言語野、伝導失語は弓状繊維束にだけ障害を持つ)

 
 思考過程とは、結論を得ようとする観念の過程であり、分析、総合、比較、抽象、概括などの段階をもつ。また、概念、判断、推論などの思考形式に具現され、概念は分析、総合、比較、抽象、概括などの思考過程を経て形成された、物事の本質的な性質をとらえようとする思考形式、判断は物事の属性判定する思考形式であって大まかに「感覚、知覚や感情に基づいた判断」と「より高次な思考に基づいた判断」とに分けられ、推論は既知の判断から新しい判断を導き出す思考形式で演繹、帰納、仮説形成の三つの種類がある。更に、概念と判断と推論の間には密接な相互関係がある。つまり、概念の形成にはしばしば判断と推論を通す必要があり、判断は概念を対象とする判定であって、しばしば推論を通す必要もある。感情の情動を齎す大脳皮質、辺縁系など(や、身体知覚、特に、皮膚知覚は発生由来が脳組織と同一)の活動を含めた脳の総合的過程で思考過程が成り立つ。

 日本人の脳の機能研究によれば、 日本人の脳機能には他地域の多くの人々の脳機能と異なったものかあるという指摘がある。聴覚に関わる特徴的な違いの部分だけを示すと

    日本人          日本人以外
左半球  右半球     左半球  右半球
言語              言語   韻律
韻律    機械音            動物音
動物音                   機械音
風雨音   楽器音           楽器音
邦楽器                   雑音

これは、日本人以外の殆どが言語とそれ以外を分離しているのに対して、日本人は言語と自然音(とそれに近似した音)が非分離なことを示している。日本語には表音文字(ひらがな、カタカナ)と表意文字(漢字など)が混在し、擬*音言葉が非常に多く、複数の読みを持つ表意文字が多くあることが関係しているのかもしれない。前記した失語の機能別障害では詳述しなかったが、表音文字(ひらがなやカタカナ)は理解出来無くとも表意文字(漢字など)は理解できる事例があることなどから

表音文字理解:
1. 視覚野 → 角回 → 感覚性言語野
 
表意文字理解:
2. 視覚野 → 側頭葉下部 → 感覚性言語野
 
(角回は多数の言語、認知に関連する処理に関わり音韻として、側頭葉下部は視覚対象特徴(色や形状)認識機能を持ち意味として、それぞれ感覚性言語野に情報伝達する。)

と考えられ、日本人の言語処理ルートがルート 2. 選択特徴を持つと言われている。話し言葉に偏った生活が多くなる、表意文字を音韻に変えて話し言葉として発話し、表音文字化された言葉を聴いて意味理解するということが多くなると、日本人の言語処理機能の特徴である 2. のルートによって理解する、つまり、生成文法化されて思考過程に組み込まれるべき表意文字語彙や様々な論理構造文脈が、再体験・再具現する機会が減少するように思う。

 つまり、表音文字と表意文字の混在している日本語風土の歴史の中で、表意文字言葉の意味を表音文字言葉化して意味を多重的に生成(定義)する日常的で緩やかな言語変革(「川 [kaφa]」→「川 かは」→「川 かわ」、「かわ」に「川」・「皮」・「側」を定義など)や、劇的な変革「文言一致」運動(「ゑ」:[we]→[je]→[e]を廃止して「え[e]」に統一など)などの生成文法変遷を貫いて獲得し蓄積してきた、表意文字語彙を含んで表現、具現される様々な論理構造文脈や直近獲得生成文法は、表意文字理解ルート 2. 無しには思考過程に組み込まれる機会が減少する、と思う。

 このように、日本人の考え言葉は、左右どちらかに偏在するものでは無さそうだが、少なくとも日本人の言語理解に特徴的な仮名・漢字混在文によって構成された論理を理解・再構築する思考過程において、他地域の他言語圏の人たちとは異なる、前記のルート2.に偏在、依存する傾向がありそうだ。ひょっとしたら、他地域にあって他言語圏で歴史を重ねた人々と、日本語で歴史を重ねて先のような特徴を獲得してきた日本人とでは、生得的普遍文法そのものが・・・異なる?知りません。ゴメンナサイ(笑。しかし、虫の音・・・などを聞き分ける、風鈴の音に冷涼を感じる、静けさを音として捉えるなどの聴覚的特長もある。音と意味の関係を指摘する研究もある。

 さて、書き言葉は、日本語で蓄積された表意文字語彙を含んで表現、具現される(主な考え言葉の獲得)様々な論理構造文脈は、表意文字理解ルート 2. 無しには成立困難で、獲得生成文法に則した論理的思考はし難い。また、思考過程を踏む論理能力(考え言葉)は生得的なものではなく、敢えて訓練継続をしなければ身に付くものではない。つまり、書き言葉や論理能力(考え言葉)を習得・活用出来るようになるには、外発的動機付け、社会的動機付け(達成動機付け)を、内発的動機付けに優ってしてやらなければならないし、自発的な動機付けが自立・自律的に出来ようにならなければならないのだと思う。

               

 こんばんは。連投をご容赦下さい。

 (日本人を止めた)無国籍人 さん、コメントをありがとうございました。

 拙文へのご指摘の点は、当にその通りであります。ご理解いただきましてありがとうございます。

 3.1)、2)、3)のお説に、ほぼ同意します。自立した社会としての日本国を構成する日本人一人一人の意識の糾合体として、その統治システムとしての「自治:self-governance」意識が、日本国を動かす力にならなければダメなように思います。

 散逸構造を持つ人間社会の一つ「国家」というは、一方で、自己組織化する閉鎖系的性質を持ち、閉鎖系的志向に基く統治概念の「自治:self-governance」には、更に、autonomy(オートノミー:自律、自治)の一つとして autopoiesis(オートポイエーシス:自己創出、自己産出) が具わり、そこでは自己言及的コミニュケーションを通して

 Ⅰ=F(・・・,Ⅰ,・・・)
 (Ⅰ:わたし、F:Hyper Cycle関数)

という自己触媒による(近似)自己再生産という自己組織化の連続作動が営まれていると思うのです。・・・

 これ以上続けると、またまた長文になるので此の辺で、とりあえず終わります(笑。次の機会を得て、残りを書くことにしたいと思います。

p.s. HNは登録されているものを使うとオートマティックで間違いないのですが、たまに無自覚に書き込みを試み、間違えます。ご親切に感謝します。

>投稿者: ばろんでっせ | 2010年2月20日 21:07 さま宛でっせ

> たかおじさん さん(ん? 敬称反復(笑 )
 
たかおじさんのさんはHNの中の一部ですので、”たかおじさん様”が正式な敬称です。むろん敬称の有無は私から強制するものではありませんので、ご随意に。
 

>1.について、
> そもそも訳語としての「民族」の元となった言葉は nation であり、ethnic group の訳語ではなかったとされています。西欧語としての nation には政治的自己意識、統合性、独立性、主権性といった概念を含み、「国家」なども意味しますが、現在日本語として使われる「民族」の概念とはそぐわず、

恐れ入りますが、わたし達は日本語で語っておりますので、日本語による意味でお願いいたします。日本語では民族とは簡単です。同じ文化を共有する集団です。

> 自然発生的であるという意味で自然現象であると仰るなら、なんとなくは理解できます。

いえ、極簡単な理由です。誰の意志も働かずに、民族が形成されたから、自然発生的ともうしたまで。誰かが、俺たちは○○民族を形作ろう、と提唱し推進したわけではないでしょう。

ただ、ある日誰かが、自分たちは○○民族を形成していると気づいただけのことですから。同様に、他にも同じ集団が存在していることに気がついた、それだけじゃないんですか?

>
>2.について、
> ご確認下さい。

むろんあなたは民族の優劣に言及はしていません。しかし、それが民族意識をして偏狭なナショナリズムに結びつくと言っているわけでして。民族意識に差別意識(つまり優劣の比較意識)が絡むから、結果として単一民族国家は受け入れられない、と大断言されたと解釈いたしましたのでね。

あなたご自身が民族の優劣を語らなくても、その危険性は結果として語られておられると未熟な理解力で導き出したわけです。民族意識がナショナリズムに結びつくなど杞憂に過ぎぬ、自分は単一民族国家という概念を受け入れるとおっしゃっていたなら、私のとんでもない誤解でした。

>3.について、
> 日本国に住む日本人にほぼ共通な性質として“「日本語」を使用する性質”を「日本人の単質性」と書いているのであって、それを「民族」の属性として書いたのではありません。

そうでしたか。貴コメント投稿者: ばろんでっせ | 2010年2月20日 09:24 内の

「「日本語」による日本国の単質性

 最後に、敢えて日本国の単一性や特殊性を論ずるなら、他所でも散々書きましたが、現在日本国に共通に既存する「日本語」であると思います」
 
をつい早とちりしてしまいました。では、日本語は日本文化の要因でないのですね。言語は文化の重要な要素と考えておりましたので、違うとおっしゃられると敢えて反論することは出来ませんね。わたしは、言語が文化の重要な要素と考えていますが。

むろん、単質性の一要素であることは論を要しませんが。

>4.について、
> 寧ろ、日本人の感性や思考過程の日本人以外と差異が、器質的差異とも見紛う機能的差異を齎し特徴付けていて、その特異性が「日本語」の使用に関わっていると主張したかったのです。

いやはや、詳細な言語意識、脳解剖学などなど広汎な学識を承っても浅学非才の身、それが民族性にどのように直接関わるのか理解出来ません。

もともと日本列島には人が居なく、おそらく数万年あるいはもっと最近、アジア大陸や太平洋諸島あたりから人が集まってきて日本という国をつくり、日本民族を形成したと理解しております。

その過程で日本人独自の解剖学的独自性が生じた可能性は認められず、現実に幼少時から日本人に育てられた中国人、韓国人は自分の出目も知らずに日本民族(と自覚するとは限りませんが)となっているのではありせんか?

きわめて単純にしか思えないのですが。日本で、日本語で育てば日本語で物を考えるしかないでしょうね。それだけのことであり、言語意識云々、言語中枢云々などは別の項で論ずべき事と存じます。

「鳩山外交」には不安がいっぱい、としか現在では言いようがない。なんら成果を上げていないし、「売国的」言動もちらほら。「友愛」のあまり、国益すら差し出す考えか、と右翼でなくとも心配になる。もちろん最大の問題は首相本人の八方美人な対応にあることは言うまでもないが


民族論が何か関係あるんですかね?中国人や韓国人とDNA比較したって違いは無いんですよ?文化の違いでしかありません

ちなみにユダヤ人はユダヤ教の人、という定義だそうで。民族論なんてアホらしいと思いますね

(日本人を止めた)無国籍人様はそのハンドルネームは単なる厭世気分でつけられたのでしょうか?まことに勝手ですが私は何がしかの意味があると想像します。そしてその名前に似合わず、多数の表現から案外現実的で具体的な政治の捉え方をされている。名前のイメージと違いまさかナショナリストではと邪推すらしてしまう次第です。私の勝手な推測ですが、あなたに聞いてみたい事を述べてみます。その名前からまず頭に浮かぶのはいわゆるアナーキスト(無政府主義者)です。国家権力を否定し個人を重視する政治思想ですが、これはあなたには当てはまらないような気がします。次に考えたのがパトリオティズムです。国の概念を国家主義的ないわば垂直思考にもっていくのではなく、自分の生まれ育った故郷の延長線上で、その故郷を愛する心のような柔らかい感情の吐露としての愛国心が存在する。だから保守的国家主義を嫌う。もう一つは形而上学的視点から国家や民族やその他諸々の属性から離れて人間としての存在からのみ精神思考を時空を超えた観点でみる。そこには形而下的な物、生活や政治は単なる現象形態であり、本質ではない。まあ宗教的表現でいうなら「色即是空」とでも言えるかもしれません。総じて人間、しかも単なるハンドルネームごときであるジヤンルに分別する思考は短絡的であり、あまり意味のない事を百も承知ですが、あえてあなたの名前から私の個人的興味課題で本来のジヤーナルの提起した問題から脱線しましたが、もしよろしければ名前の由来を聞かせていただきたい。決して無理にとは申しませんが…

井戸 一男さん | 2010年2月23日 16:30
(私は、何方にも「様、さま」は使いませんので、悪しからずご了承ください。)

嵐が去って穏やかな風と日差しを感じるようになった此の板に相応しい知的なコメントを戴き有り難うございました。
私がこのTheJournalでオープンにした経歴は概略下記の通りです、一介のビジネスマンであり、確たる高邁な理念が有るわけでもなく、赫々たる成功経験が有るわけでもなく、況や人生を尖ったイデオロギーに染めた経験もない(従って、挫折もない)、概ね「普通の隣の親父」です。
但し、日本社会では企業社会を含めて「変人」です、其れを自負し誇りに思っている部分があります。「論理7、非論理3」を駆使して徹底的に問題解決型人間を志し、そのために「現実重視」と「プラス思考人間」を志しているといえましょうか。
例えば、50歳を前にして中型バイクの免許を採って以来10年以上「バイク気違い」を通している、多くの外国文化に接し貧しさの中に敬意を払うに値するものを観ている、種々考える処が有って齢70歳で死ぬと決めている、鳩山さんを首相に置いていては日本国が抱える問題解決にはならないと断じる、民主党議員達の未熟は解っていたが最近に至って「その改善と成長の無さ」と「偏狭な支持団体の主張に害される国益」を前にしては、政界再編しか日本再生の道は無いと断じる・・などなど。
之くらいで御容赦戴きましょう、人様に対して自分で自分を表し評するのは違和感が有りますので・・。
「(日本人を止めた)無国籍人」の由来は以上からご推察ください。深みも他意もありませんが私は気に入っています。

--記--
・大学では、体育会系のノンポリ
・ビジネスの最初の数十年は、今は消滅した都市銀行で国際金融と法人向けカネ貸し業
・次の十数年は、上場メーカー2社で上級管理職、その後独立してベンチャービジネスを立ち上げ上場を目指したが敗退 (某氏から、「金融と実業、大手企業とベンチャー、経験が広範囲!」とお世辞を言われています(笑)。)
・現在は、自由気儘な「普通の隣の親父」
草々

(日本人を止めた無国籍人)さん(笑)私の問にご丁寧に答えていただきありがとうございました。またプライベートな履歴まで引っ張りだしたみたいで恐縮です。本来のジヤーナルの命題からも、やや逸脱したかもしれません。ただ人間の言葉や行いは複雑な回路でつながっていると考えるなら、あまり難しく捉える事もないでしょう。あなたの言葉から、その名前のイメージのもつニヒリズム的意味合いは消え、むしろアンチテーゼとして自然で純粋なロゴスを感じました。私はどちらかといえば形而中(これは川上未映子という方が言われた造語なのですが)的視点から事象をみてしまう癖がありまして、どうしても言葉や現象の奥にある感性や理性を感じたいと思い、それ故に例えばネット社会の情報を知る事より、事象を疑い、考えぬく態度がこの不確かな時代にいちばん必要ではないかと思っています。ただ浅学故、あなた程の明晰な心ある文章が書けません。今後も色々な角度からのジヤーナルを期待しています。

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日本語の「ヨロン」という言葉には「世論」と「輿論」という2種類の漢字があります。実は、この2つの言葉は大きく意味が異なっていて、「世論(セロンとも読みます)」とは「感情的な世間の空気」のことで、「輿論」とは「議論を積み重ねてできあがった公的意見」のことを指します。《よろんず》が目指すものは後者の「ヨロン=輿論」をつくることであり、そのために、《よろんず》では情報のプロ・アマに関係なく自由闊達に議論を交わすための場所を提供します。メディアの調査で発表される「ヨロン=世論」とは違う真の「ヨロン」をつくるため、執筆者・出演者・読者のみなさんに、この新しい“知の共有空間”に参加いただけるよう呼びかけます。

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