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大島楯臣:ことばを失った日本人(8)── 明治の教科書から消えた日本の古代史

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 通常国会を目前にして、そしてまた政権与党の党大会を控えて、当該政党の幹事長秘書・元秘書の3名を一斉に逮捕するなど、尋常ならざる事態である。

 これは明らかに、平成の2.26であり、5.15事件である。両事件とも当事者らは昭和天皇の逆鱗に触れ、一旦は収束・鎮圧されたかに見えたが、その後の歴史(無用、無謀な戦争)を見れば、その功罪は明白であろう。

 まさに「いつか来た道」に私たちの国は踏み入れようとしている。

 もし万が一、そんなことは絶対にあり得ないが、あくまでも仮定のこととして、私が法務大臣なら、即刻「指揮権」を行使する。その後、暗殺・抹殺されようと、マスコミから糾弾されようと、古女房から勘当されようとも、断固として、総理の罷免を掻い潜ってでも「指揮権」を発動し、この国の窮状を救う。

 なぜなら、現政権はわが国史上初めての「民意」によって選ばれた新政府であり、その権力行使は、近代法上の「正義」だからである。西松問題も、そして陸山会関連も先の総選挙前から俎上にのぼり、それらも含めて国民は断を下したのである。その政権与党には政治家としての覚悟が、そして命を賭してはいない。権力を持たない一国民と同じ目線で、担当の法務大臣を含み、ただただ「傍観」しているが、これが私たちの命と暮らしを守る政府と言えるのか、鳩山総理以下の大臣らに聞きたい。

 今やるべきは、不充分ではあるが新政権が組んだ予算審議を急ぎ、あるかも知れないといわれる経済の2番底を回避し、私を含む貧乏人の窮状を救い、多少なりとも消費を回復して経済を上昇過程に導き、税収の確保へ向かうべきである。

 今に生きる私たちは、古代から連綿と続く日本史の分水嶺(人口のピーク)を越え、今世紀の始めから下りに入っていて、それが可能な時間はもう限られている。

 人は、その立場・地位によっては膨大な資金を要する。NTTの初代社長であった真藤恒氏は清貧として知られていたが、その交際費を賄うためにリクルート事件に巻き込まれ、その役目を全うせずに東京地検の手に落ちたが、私は、氏が私腹を肥やしたとは今でも理解していない。
          
 私には、日本の過去の歴史を見ても、今に生きる日本人を見ても、文化が、そして民族が違うように見える。仔細は「逝きし世の面影」(渡辺京二著・平凡社)、「忘れられた日本人」(宮本常一著・岩波文庫)、「閉ざされた言語空間」(江藤淳著・文春文庫)など、こと欠かない。

 現代は、日本を古代奈良王朝を祖国と認識する明治維新があり、それが明治以後に改竄された言語・歴史教育によって、東夷の日高見の歴史も文化も言語も抹殺し、多くの正統和人(縄文系)は、古代に二国の対立があったことすら知らずに生きている。

 二国とは、その一に、紀元前120年頃の『准南子』という書物に著されている「東方に君子の国『東方有君子之国=風俗が善良で礼儀の正しい国』あり」と、この東夷の国(東北地方)を野蛮とみなし、殲滅すべしとする「国=部族」が日本列島に誕生し対立した。
 古代中国(前漢・後漢)が、日本列島をどう見ていたか、それは淮南子のみならず、許慎によって著された『説文解字』(最古の字典)にも、「夷は、東方の人なり。夷の俗は、仁にして仁者は寿し。君子不死の国あり」とあり、紀元前92年頃の『漢書』(後漢)にも、同じように「東方に夷といふ、天性柔順、君子不死の国あり」とあるので、古代中国人が東方の夷の国を、君子の国とみなしていたことは自明である。

 古代中国では、夷の国の人たちを褒め称え、礼賛しているのに対立した民族=国とは何者だろう。

 それが今に続く「ヤマト朝廷=官僚」なのである。だから、この人たちの先祖は『日本書紀』にこう書き残した。「東夷の中、日高見の国あり。是を全て蝦夷(えみし)といふ。土地よく肥えて広し。撃ちてとるべし」。四季の変化に富み、日常の食糧にこと欠かない国土を支配するのに、日高見という国の夷たちが邪魔であり、このように書き残したと思われる。

 古代日本は、夷の日高見の国と、ヤマト(倭)の奈良王朝の国と二分して対立していたことがわかる。本論の要旨は、この対立が現代にも継続しているということである。
 日本列島に、価値観を異にする二国の対立間があった頃に書かれた『源氏物語』には、「日本書紀などは、ただかたそばぞかし」と書き表している。これを訳せば、「日本書紀は、一方的な偏向の歴史書ではなかったのか」と指摘しているのだが、和人たる紫式部の奈良王朝の否定でもある。ことの序でに、「よろづのこと、昔には劣りざまに、浅くなりゆく世の末なれど、仮名のみなむ今の世はいと際なくなりたる」と光源氏の台詞にある。

 つまり、当時の奈良王朝は、漢人、もしくは半島人などの渡来人で占められて、日本の本来の歴史が、嘘と作り話で粉飾されている事実を慷慨して『源氏物語』に著し後世の人たちに書き残したのだろう。

 『大辞林』によれば、かたそばとは「物事の一部分。一面。一端」とあり、我が国の文化は、異国の王朝、つまりは奈良王朝を否定したことにその起源があるのだが、この認識は維新前夜までは、明確に和人に語り継がれている。

 江戸末期の学者・帆足萬里(豊後3賢人の一人)は『仮名考』に「古事記・万葉の書きざまは、いとつたなく、みだりがはしきものにて、今の世にしてはことに読み難れ」と書き残しているし、鎌倉前期の歌人、鴨長明は『無名抄』に、「和文は紀貫之の土佐日記より始まれるといへるも実に確かり」と記している。紫式部も、そして我が豊後の先哲でもある帆足萬里も、鴨長明らも何れ劣らぬ和人で、奈良王朝文化を明確に否定しているが、史実を語るに重要な文献があまり知られていないのは、ヤマト(倭)朝廷王朝を復古せしめた明治維新の文化革命が今日まで継続しているからである。

 何れも「ことばを失った日本人」が漂流するさまを泉下で嘆いていることだろう。

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