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2010年1月23日

1077:NHKの存在意義

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子どものころ、親戚の家に行くとそこは「NHKしか見てはいけない家」だった。チャンネルのつまみは撤去され固定されていた。従兄弟たちは、学校での話題についていけずにかわいそうだなと思ったものだ。何たるNHKに対する絶対的信頼・・・。

THE JOURNAL内でNHKの報道のあり方に対して、かなりの異論が見られる。私はNHKの報道を見ない(他局も見ない、時間的都合で)のだが、「民営化せよ」といった意見には反対だ。

理由は「市場原理にまかせていては、絶対につくれない番組がある」ことにある。

ドキュメンタリーなどにも見るべきものがあるが、特に私が思うのは、「自然」をテーマにしたものである。いつだったか、猛禽類のミサゴの特集番組を見たが、すごい。一年間を通じてミサゴの生活を追うのであるが、ミサゴという鳥は水中に脚からダイブして、魚を捕らえるという珍しい鳥である。水中カメラでその様子を克明に捉えているのであるが、魚がいるであろう場所、ミサゴが飛び込むであろう場所、リサーチだけでも大変である。いったいどれくらいの時間が撮影にかかったのであろうか。

それなら、「有料番組」にして、その番組だけ買うシステムでいいじゃないか。ということになるのだろうが、まぁ、つくらないし、つくれないだろう。

そして、なにより番組を見なければ、その内容はわからないのであるから、「脅威、ミサゴの動体視力!」というタイトルだけでは、私は買わないのだ。

はっきりいって、市場原理の元では決してつくられない、民放局では不可能な、芸術の域にまで達した番組である。それをまた、変なぬいぐるみみたいな奴が出てきて、子供向け風にアレンジしているのだが、あれは大人が見るべき番組であったように思う。

幼児番組の完成度も秀逸である。ベネッ○などのCG・ストーリーの粗雑さがかえって目に付いてしまうほどである。

要するに私が言いたいのは、「報道」という分野は、災害情報などの特定の分野を除いて、民営化するか、民放にまかせ、「教養番組」に特化すればいいのではないかということである。そして、放送後のVTRはネット上などで検索可能にし、いつでも無料で配信してほしい。

日曜日の午前中に、ふと見た「日曜美術館」に見入ってしまい、そのあとサンプロって方いませんか?

2010年1月17日

大島楯臣:ことばを失った日本人(8)── 明治の教科書から消えた日本の古代史

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 通常国会を目前にして、そしてまた政権与党の党大会を控えて、当該政党の幹事長秘書・元秘書の3名を一斉に逮捕するなど、尋常ならざる事態である。

 これは明らかに、平成の2.26であり、5.15事件である。両事件とも当事者らは昭和天皇の逆鱗に触れ、一旦は収束・鎮圧されたかに見えたが、その後の歴史(無用、無謀な戦争)を見れば、その功罪は明白であろう。

 まさに「いつか来た道」に私たちの国は踏み入れようとしている。

 もし万が一、そんなことは絶対にあり得ないが、あくまでも仮定のこととして、私が法務大臣なら、即刻「指揮権」を行使する。その後、暗殺・抹殺されようと、マスコミから糾弾されようと、古女房から勘当されようとも、断固として、総理の罷免を掻い潜ってでも「指揮権」を発動し、この国の窮状を救う。

 なぜなら、現政権はわが国史上初めての「民意」によって選ばれた新政府であり、その権力行使は、近代法上の「正義」だからである。西松問題も、そして陸山会関連も先の総選挙前から俎上にのぼり、それらも含めて国民は断を下したのである。その政権与党には政治家としての覚悟が、そして命を賭してはいない。権力を持たない一国民と同じ目線で、担当の法務大臣を含み、ただただ「傍観」しているが、これが私たちの命と暮らしを守る政府と言えるのか、鳩山総理以下の大臣らに聞きたい。

 今やるべきは、不充分ではあるが新政権が組んだ予算審議を急ぎ、あるかも知れないといわれる経済の2番底を回避し、私を含む貧乏人の窮状を救い、多少なりとも消費を回復して経済を上昇過程に導き、税収の確保へ向かうべきである。

 今に生きる私たちは、古代から連綿と続く日本史の分水嶺(人口のピーク)を越え、今世紀の始めから下りに入っていて、それが可能な時間はもう限られている。

 人は、その立場・地位によっては膨大な資金を要する。NTTの初代社長であった真藤恒氏は清貧として知られていたが、その交際費を賄うためにリクルート事件に巻き込まれ、その役目を全うせずに東京地検の手に落ちたが、私は、氏が私腹を肥やしたとは今でも理解していない。
          
 私には、日本の過去の歴史を見ても、今に生きる日本人を見ても、文化が、そして民族が違うように見える。仔細は「逝きし世の面影」(渡辺京二著・平凡社)、「忘れられた日本人」(宮本常一著・岩波文庫)、「閉ざされた言語空間」(江藤淳著・文春文庫)など、こと欠かない。

 現代は、日本を古代奈良王朝を祖国と認識する明治維新があり、それが明治以後に改竄された言語・歴史教育によって、東夷の日高見の歴史も文化も言語も抹殺し、多くの正統和人(縄文系)は、古代に二国の対立があったことすら知らずに生きている。

 二国とは、その一に、紀元前120年頃の『准南子』という書物に著されている「東方に君子の国『東方有君子之国=風俗が善良で礼儀の正しい国』あり」と、この東夷の国(東北地方)を野蛮とみなし、殲滅すべしとする「国=部族」が日本列島に誕生し対立した。
 古代中国(前漢・後漢)が、日本列島をどう見ていたか、それは淮南子のみならず、許慎によって著された『説文解字』(最古の字典)にも、「夷は、東方の人なり。夷の俗は、仁にして仁者は寿し。君子不死の国あり」とあり、紀元前92年頃の『漢書』(後漢)にも、同じように「東方に夷といふ、天性柔順、君子不死の国あり」とあるので、古代中国人が東方の夷の国を、君子の国とみなしていたことは自明である。

 古代中国では、夷の国の人たちを褒め称え、礼賛しているのに対立した民族=国とは何者だろう。

 それが今に続く「ヤマト朝廷=官僚」なのである。だから、この人たちの先祖は『日本書紀』にこう書き残した。「東夷の中、日高見の国あり。是を全て蝦夷(えみし)といふ。土地よく肥えて広し。撃ちてとるべし」。四季の変化に富み、日常の食糧にこと欠かない国土を支配するのに、日高見という国の夷たちが邪魔であり、このように書き残したと思われる。

 古代日本は、夷の日高見の国と、ヤマト(倭)の奈良王朝の国と二分して対立していたことがわかる。本論の要旨は、この対立が現代にも継続しているということである。
 日本列島に、価値観を異にする二国の対立間があった頃に書かれた『源氏物語』には、「日本書紀などは、ただかたそばぞかし」と書き表している。これを訳せば、「日本書紀は、一方的な偏向の歴史書ではなかったのか」と指摘しているのだが、和人たる紫式部の奈良王朝の否定でもある。ことの序でに、「よろづのこと、昔には劣りざまに、浅くなりゆく世の末なれど、仮名のみなむ今の世はいと際なくなりたる」と光源氏の台詞にある。

 つまり、当時の奈良王朝は、漢人、もしくは半島人などの渡来人で占められて、日本の本来の歴史が、嘘と作り話で粉飾されている事実を慷慨して『源氏物語』に著し後世の人たちに書き残したのだろう。

 『大辞林』によれば、かたそばとは「物事の一部分。一面。一端」とあり、我が国の文化は、異国の王朝、つまりは奈良王朝を否定したことにその起源があるのだが、この認識は維新前夜までは、明確に和人に語り継がれている。

 江戸末期の学者・帆足萬里(豊後3賢人の一人)は『仮名考』に「古事記・万葉の書きざまは、いとつたなく、みだりがはしきものにて、今の世にしてはことに読み難れ」と書き残しているし、鎌倉前期の歌人、鴨長明は『無名抄』に、「和文は紀貫之の土佐日記より始まれるといへるも実に確かり」と記している。紫式部も、そして我が豊後の先哲でもある帆足萬里も、鴨長明らも何れ劣らぬ和人で、奈良王朝文化を明確に否定しているが、史実を語るに重要な文献があまり知られていないのは、ヤマト(倭)朝廷王朝を復古せしめた明治維新の文化革命が今日まで継続しているからである。

 何れも「ことばを失った日本人」が漂流するさまを泉下で嘆いていることだろう。

2010年1月12日

LedLine:陸山会の政治資金収支報告書に記載していない資金の流れの理由

1月6日のNHKの報道で陸山会の10月29日以前に発生している収支報告書に記載されていない資金の流れを石川氏が具体的に検察に説明しており、小沢氏から受け取った4億円の処理を詳しく書いてあった。

それによると収支報告書に記載しなかったのは小沢氏の個人資金であり預かり金であったと説明できてしまい、それで検察が必死になって発見した29日の午前と午後の時間差が違法性もなく説明できてしまうことに至った。

検察にしてみたら取引相手の預金データや陸山会の預金データを取り寄せて矛盾を発見したのにそれが台無しである。

それからは、石川氏の供述が急に大ざっぱとなり1月7日のNHK報道がなかったかのように触れなくなっていった経緯がある。 検察に都合の悪いことは隠そうとしているようだ。


1月6日のNHKの報道を元にして10/29迄の流れを書くとこうなる。
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石川氏は10/29に発生する不動産の支払いと預金を担保とした仕訳で資金がショートすることがわかり小沢氏に連絡した。

小沢氏は急遽自己資金である4億円を用意し石川氏に預けた。

1000万円は手付金として小沢氏の自己資金を使って支払った。(これは明確に違反、政治資金として使うなら記載必要)

石川氏は預かった3.9億円を小口に分けて複数の口座(政治団体も複数)へ入金した。(これは個人資金を隠そうとした行為)
これは自己資金であり預かり金となってるので記載してはいけない。

小口に分けた資金を陸山会に集めた。(預かり金であり政治資金ではないので記載してはいけない)

銀行に陸山会の政治資金を使って定期を組みそれを担保として4億円の融資を依頼した。

ここまでは10/29以前の出来事。

10/29午前
小沢氏から預かっていた個人資金を使って不動産の支払いをした。
10/29午後
銀行から4億円の融資が下りて政治資金として入金すると共に借入金 小沢一郎 4億円と仕訳をした。

以降はそれ程問題ではないので省略(不記載等の説明は付く)
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これが実態のようだ。 つまり同じ日に支払いと入金と借入が発生したことになる。 よって、これは細かく仕訳をしても相殺されてしまうので、結果だけを記載しても違法性はない。

残るは小沢氏の個人資金の4億円が違法性のある資金であるか? だけでしかない。それもサンプロ放送後に検察が諦めたかのようなタイミングで石川氏の証言として4億円は遺産相続で得た資金だと報道された。 これが今までの最も確度が高い真相だと思う。

そしてこの仕訳は自己資金を4億円利用することで、自己資金を担保に4億円の融資が得ることが出来て(それを陸山会へ貸し付けるているから合法) 、そして同じ日に3億4千万円の支払いを政治資金で行ったとも言えてしまう。

限りなくグレーなのだがこれが違法か悪質かを問われれば・・・ 罪を課すようなものじゃない。 それでいて自己資金の投入は4億円で済み、尚且つ自己資金は収支報告書に記載しなくて済むという魔法の様な仕訳だ。そうまでして銀行からの融資契約を陸山会代表 小沢一郎名義で作り預金残高を見かけ上増やして収支報告書に矛盾が無いようにしつつ証拠書類を手に入れる必要がマスコミ対策としてあったと言うことだろう。まぁ、普通にやると自己資金は8億必要だから効率が良いといえば良いのだが・・・

銀行からの融資を行わず、素直に自己資金の4億円を貸し出しておけば済む話ではある。
しかしそれだと自己資金の4億円は違法ではないのかとマスコミは絶対に騒ぐことになる。

自民党やマスコミや官僚が小沢氏を目の敵にしている状況だと仕方ないかな? これぞ小沢流と言うべき、資金ショートの穴埋めを最小限度の自己資金で補い、ついでにマスコミ対策も万全にする。

2010年1月11日

1077:THE JOURNALにおける投稿のあり方

 私が言うべき立場にないのはわかっていますが、言わせていただきます。

 "匿名"で投稿するのは過去の言動に責任を持たない、卑怯な行為である。

 最近ではひとのハンドルネームを騙って投稿する者もいる。

 何度か編集部にはコメント欄の中で、混乱しているため何らかの規制をとお願いしてきたが、今のところリアクションはなく、その間にもこれらの現象は増殖している。以下、提案いたします。

(1)ハンドルネームは登録制にし、同様のネームは使用できないようにする。

(2)現在、無記名投稿は"匿名"というハンドルネームで受け付けているが、受け付けない。

(3)登録はメールアドレスを必要条件とし、ステハン防止。(ただし、メルアドをたくさん駆使してでも過去の言動に責任を持ちたがらないような子は、かわいそうなので受け付けてあげる)

 最後は意地悪い表現になりましたが、いかがでしょうか?

2010年1月10日

em5467-2こと恵美:共働社会日本への道筋

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残念ながら、日本はすでに成熟社会に入っていて、高度成長は見込めません。私たち一人ひとりが、身の丈のあった暮らしを希求せざるを得なくなります。

菅国家戦略室の方針も出ましたが、自民党時代との違いが不明確で、税制改定についての財務省の方針も所詮は役人レベルです。

そこで、経済のパイが小さくても住みよい社会づくりを提案いたします。

鳩山さんが所信表明で述べた「地域主権を基本にした友愛社会」にも通じるのですが、思い切ってボランティアチケットの導入を提案いたします。ナショナルミニマムによる最低限度の社会保障の上に二階建てで、ボランティアの働きを乗せる提案です。

日本には、元気なお年寄りもいるし、不況で残業が減り、収入も減ったので家で発泡酒を飲んでいるお父さんもいます。そのような方々に、各々何らかのボランティアに参加して頂き、参加の度合いや回数に合わせて、チケットを配布します(例えば、5点集めれば、郵便局や役所・病院等への送迎が利用できるとか)。

政府は、ボランティア団体の立ち上げ時の費用や最低限度の運営資金を援助します。人件費がないので、役所関連団体を通して中抜きされることはありません。当然、時間がある元気な高齢者は沢山ボランティアに参加できて、チケットも溜まりやすくなります。そのチケットをご自身が病に倒れたり、足腰が弱ったりした時に、遠慮する事なく、ボランティアを利用して、お仕着せの介護サービス以外に使うことができます。

日本の経済状況では、元気な高齢者には、なかなか仕事はまわりません。活き活きと人の役にたつボランティアをしてもらいましょう。日本型共生社会づくりを今こそ、つくるチャンスです。

当然、チケットの不正流出などのリスクはあります。でも、私たちが、国だけを頼る事なく自ら進んで、世の為、人の為に活動する日本は、今の殺伐とした経済社会からこぼれてしまう人々をも内包して、心豊かな社会になると思えます。

ちなみに、私は料理が得意なので、土日に限り高齢者向け宅配料理づくりに参加したいと思います。農家の方々は、規格外で売り物にならない作物の提供もボランティアになります。お金持ちは、ボランティア団体に寄付をすれば何割かの税額控除をうけられる様にして支えて頂きたいと思います。

私の拙文にお付き合いを頂き、最後まで読んでいただいた事に多謝です。

2010年1月 8日

ロバート・ドラーチャ:モチベーションを持たせない日本での努力の価値

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日本は、高いモチベーションを持たせる環境ではなくなったのである。前回の雑文で述べたように、日本は世界で最低のモチベーションレベルにあるとのことである。真剣に努力しながらも報われない環境だと思いがちであり、努力の価値を尊ばなくなることは、理解に難くない。しかし、それは全く努力しないことを正当化するわけではない。自らのポテンシャルを完全に活かすためには、真剣に努力する必要がある。努力は人生における業績に繋がるものであり、かつ人生の意義を生み出すものだからだ。それにもかかわらず、努力の価値を見失った人が多いのではなかろうか。

努力の価値を見失う傾向は、大卒新人離職率の推移でも表れている。すなわち、努力の価値を見失い真剣に努力し続けたいという気持ちにならず簡単に辞めてしまう新卒就職者が近年増加している傾向が見える。換言すれば、仕事に対するモチベーションが足りていないのである。

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出所:厚生労働省による新規学校卒業就職者の就職離職状況調査 城繁幸[2006]『若者はなぜ3年で辞めるのか?年功序列が奪う日本の未来』光文社新書

社会人のモチベーション不足は、日本での教育体制にかかわる問題ではなかろうか。つまり、モチベーションの発達に最も必要なのは、明確かつ具体的な目標の設定である。明確な目標が無ければ、何のために努力しているのか全く解らず、真剣に努力したいという気持ちにはならない。努力の価値を理解するためには、明確な目標を設定する必要がある。ただし、批判的思考による判断力が無いと、将来的な目標の設定が非常に困難になる。従って、判断力の育成は、教育体制の役割の一つである。

しかし、日本での教育は、批判的思考による判断力を育成する教育ではない。原田教育研究所の原田隆史氏によれば、いわゆる「自立型人間」は全体の5%の人を占めており、圧倒的に多い95%の人が「依存型人間」だとのことである。つまり、95%の人が積極的に生きておらず、自らのポテンシャルを無駄にしているのだ。その原因は、判断力を発達させない教育体制、すなわちモチベーションの高い自立型人間を育成しない日本の教育体制にある。いわゆる「ゆとり教育」の最大の問題点は、学力低下ではなく、完全に生徒の将来のためになっていないことである。例えば、学校週5日制等の改革に関しては、80.4%の小学校教員および89.1%の中学校教員がおおむね子供のためになっているとは思わなかった(出所:学校5日制完全実施後の「教員勤務実態」調査報告 苅谷剛彦[2008]『学力と階層』朝日新聞出版)。生徒の将来のためになる高いモチベーションを持たせる教育体制を創る必要がある。そのためには、判断力の発達に注力せねばならない。

欧米の教育体制では、批判的に分析し自分で判断する能力の育成を必要とされる。そのために、幼少期からディスカッション等を通じて子供を自分で考えることに慣れさせるのである。批判的思考による判断力の発達には、批判的に考えさせる機会を与える直接会談のあるコミュニケーションが必要である。米国のような「ロー・コンテクスト・カルチャー」、すなわち文脈への依存度小の文化では、自らの意見をストレートに伝え、相手と会談する傾向があり、直接会談の多いコミュニケーションが発生する事は、想像に難くない(出所:エドワードT.ホール(安西徹雄訳)[2003]『Beyond Culture(文化を超えて)』研究社英文叢書)。ところが、ロー・コンテクストだけでなく「ハイ・コンテクスト・カルチャー」(文脈への依存度大の文化)も欧州で多くあり、何故そのような国の教育体制でもコミュニケーション能力の発達に注力するのであろうか。何故なら、欧州は、多言語かつ多文化のある環境であり、近隣諸国との国交および経済関係のために、欠くべからざるコミュニケーション能力が重要である。従って、欧州の「ハイ・コンテクスト・カルチャー」の国でもコミュニケーション能力に注力する。

その一方、島国で「ハイ・コンテクスト・カルチャー」の日本の教育体制では、批判的思考による判断力の発達に注力しない。クラス内のディスカッション等を行うのは、非常に珍しい事である。すなわち、主にトップダウン教育制度になっている。その結果、多くの学生は、自分で考える事に慣れておらず、自分で判断して失敗する事を恐れるのである。ただし、日本は、大学に入学するまでは、自分で判断しなくても目標が設定される環境である。つまり、大学への進学という目標があり、どこの大学を受験するか、本人ではなく外的な判断に基づく生徒の「レベル」により決め付けられる場合が多い。明確に決まった目標があり、一時的には努力するだろう。

しかし、それ以降の将来的な目標は無く、進路に迷ってしまう人が非常に多いのである。その上、大学卒業後の目標が明確に解っていない事により、勉強における努力と将来的な目標の繋がりを感じておらず、入学試験に挑戦し懸命に勉強してきたのにもかかわらず、大学での4年間を無駄にする、遊んでばかりいる大学生は珍しくない。将来的な目標を明確にしないと、どこの大学に挑戦するか決めても意味が無い。入学試験への挑戦だけではなく、長期的に考え、それ以降の目標を設定する必要がある。

欧米では、将来的な目標を明確に解っており、その目標を達成するために大学で何を勉強するか自分で判断するのは、当然な事である。しかし、日本では、どこの大学またはどこの学部の入学試験を受験するかは、前述の通り、本人ではなく外的な判断に基づく生徒の「レベル」により決め付けられる場合が多いのである。日本では、大学に入学するまでは、どうすれば良いか言われ、自分で考える必要はなかろう。ところが、自分で考える事に慣れておらず、指導する人がいなくなり急に自分で判断しなければならない事になると、迷ってしまうだろうことは、想像に難くない。

勉強における努力の価値および努力の意義を理解させない日本の教育体制には深刻な問題がある。日本の教育体制を、努力の価値を理解させる、高いモチベーションを持たせる教育体制へと変革させねば、悲惨な将来になるのではなかろうか。

また、教育体制にかかわる問題だけではなく、就職制度にも多くの問題点がある。終身雇用制度の時代は終わりながらも、過去の年功序列制度はいまだに残っている。年功序列制度は、高いモチベーションを持たせるものではない。その上、安定だった終身雇用制度の時代と全く違うフリーターの時代すなわち労働生活の不安定な時代になった。経済大国である日本では、労働生活の安定性が無くなったのである。つまり、日本は、努力しても報われない不安定な環境になったと思いがちである。このような環境では、絶望感に襲われることは、理解に難くない。しかし、努力しても報われないはずは無い。最も重要なのは、希望を持つことである。フリーターの10年後の希望と予定を分析すると、希望する職業に就ける自信が低いと言えよう。自らの目標を必ず達成すると決心する上、何事にも揺るがない信念が必要である。

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出所:山田昌弘[2004]『希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』筑摩書房

不安定な時代だからこそ、大きなチャンスがあるはずだ。従って、リスクを上手く管理し、この時代ならではの機会を活かすべきである。ただし、そう言いながらも、チャンスを簡単に手に入れられるわけではなく、自分でイノベーション精神を活かし、ユニークなチャンスを創る必要がある。自らの道を切り拓かねばならない。

真剣に努力しても必ずしも計画通りに行くわけではない。しかし、報われない環境だから努力しても意味がないと最初から思ってしまい、全く努力しないと、結果は確実にわかる。努力しないと成功するはずは無い。真剣に、懸命に努力し続ける覚悟を決めて邁進すれば、確実ではあらずとも、成功する可能性はある。日本を、そういう希望を持たせる環境にしなければならない。

自らの可能性、自らのポテンシャルを活かすことは、努力の意義かつ挑戦精神の意義である。人生を決して諦めてはいけないのである。つまり、モチベーションを持たせない日本でも、自らのポテンシャルを無駄にしてはならない。努力の価値はまだある。人生に挑戦する意味はある。

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【プロフィール】Robert DRACEA(ロバート・ドラーチャ) 1986(昭和61)年生まれ。東欧のルーマニア出身、カナダ育ち。(ルーマニア革命の時にカナダに移住)カナダのヨーク大学のSchulich School of Businessにて国際経営学を専攻。現在、早稲田大学の国際教養学部に所属。

2010年1月 6日

たかおじさん:民主政権の危険性

鳩山政権も百日を過ぎ年を越し、そろそろ、冷静にその行く末を考える必要がある。そして考えた結果、甚だ心許ない、それどころかかなり否定的な結果しか導き出せなかった。つまり、鳩山政権がこのまま続けば、日本は計り知れない打撃を受け混迷に至ると鹿思えないのだ。

その理由としては大きく経済政策、および安全保障の二つの柱で、この政権、否、民主党政権はきわめて危険な要素を持っているからだ。民主党、鳩山政権自体にもきわめて大きな問題があるが、挙げればきりがない。思いつくままでも、

閣内の政策の不一致で、各大臣が全く別々の主張をしており、総理にそれをまとめる能力がない。

連立の乱れ、すなわち連立を組んでいる社民党、国民新党に振り回され、政策が決められない。

小沢一郎氏が全てを決する小沢院政。

なりふり構わず見てくれの良い若い女性を多用し、実現性の無い撒き餌政策を用いたあからさまな集票マシンシステム。

実現不可能なマニフェスト。

きわめて曖昧な友愛をキーワードとするごまかし。平和、繁栄、友愛などはどうすれば実現出来るかが問題であり、その手段を明らかにしないまま政策であるかのように取り上げた無神経、厚顔破廉恥。

しかし、多かれ少なかれ他の政党も同じようなことをしており、どうせ票を取ってなんぼの選挙であるから、これをとやかく言ってもきりがない。ただ、切実な問題は、先にも挙げた、経済政策、安全保障の二本柱に決定的な欠点があることだ。

1)経済政策の根本的な間違い

マニフェスト段階からさんざん言われていたことだが、正に財源無きばらまき政策に尽きる。つまり、限られたパイを、そのまま大きくすることもせずに切り取ってばらまいてしまえば、パイを大きくするための元手を食いつぶすようなものであり、早晩ばらまきも出来なくなる。いわば、金の卵を産むガチョウを絞め殺して食べてしまうようなものだ。パイを大きくする、すなわち経済力を活性化し、税収を上げなければならないのに、そのための戦略がまるでない。なお、パイを大きくするのは物作りであり、産業であるから、産業の育成を考えずに税収を増やすなど、不可能なのだ。では民主党は産業の育成にどのような方法を採っているだろうか。何もない。

象徴的に語られているのが科学技術予算削減であり、先行投資を潰している事だ。スパコンや宇宙開発事業、バイオ科学、省エネ技術などは今のところ日本はトップグループかそれに準じているが、しかし、スパコンなどはかなり後が無くなっている。総じて、これらの産業は今すぐ産業に反映し金を生み出すものではない。例えば百の基礎研究を続けてものになるのは五か十くらいのものではないのか。だから、九十か九十五は無駄なのかと言えば、むろん、それらの無駄を最初から承知の上で研究を続けるから五か十が成果を生み出すわけだ。

この不景気にもかかわらず欧米ではこの種の予算を二千年に比べ十年でほぼ倍にした。日本は微増にとどまっている。アメリカは膨大な軍事予算が科学技術の基礎研究の注がれており、日本とは桁違いの予算を擁し、さらにこの不景気にあって、さらに研究費を増やしている。日本は逆行しているのだ。これが、将来の取り返しの付かない遅れとなって現れてくるが、それが五年後か十年後かは分からない。しかし、先行投資を怠れば確実に日本の優位性は失われる。戦争中日本の航空技術は明らかに世界一であった。それを恐れたアメリカが日本に於ける航空技術研究を八年に渡って禁止した。その結果、日本は現在も航空産業では世界の一角を占めるまでに至っていない。ただし、その技術が新幹線となって活かされてはいるが。

資源のない日本の唯一の強みは物作りであり、この世界的不景気でも日本の先端技術関連の製造設備、産業資源が売れ続け金を稼いでいるのは、日本がこの民生技術で突出した競争力を持っているからだ。何度も書いているが、韓国がメモリーやテレビ、造船などで日本を遙かに凌駕したシェアを持っているといっても、その製造設備、技術、基幹部品を日本から買っているため、韓国の輸出が増えれば増えるほど対日赤字は増えている。つまり、韓国のシェアが増えることにより、日本は利益をより多く採っているわけだ。

この形は、円高にはあまり影響されない。世界中の先端技術による製品が売れれば売れるほど、日本に金が入ってくるから日本経済は強いのだが、それは長年の努力のたまもの、基礎研究を停滞無く続けてきた結果だ。民主はこの流れを断ち切ろうとしている。

公共事業削減が税金の無駄を省く目玉として、いわば象徴的な意味を持っているようだが、公共事業はそれ自身が緊急避難的な失業対策でもあり、またこれにより地方が潤うのは事実だ。ただし、従来の自民政権時代にあった癒着や利権などの問題も確かに改めなければならないが、公共事業そのものを目の敵にするのは間違っている。

郵政の再公営化は、従来郵政の莫大な金を国が使っていた形式を、民営化することで民間に自由に使わせるねらいがあったが、それを民主は潰してしまった。単にアメリカからの押しつけだとの意識があったとしか思えない。

農家戸別支援により農家を支援すれば消費も伸びる、食糧自給率も上がると言うことらしいが、せっかく気運が高まってきた企業による大型農業をつぶすことになる。従来、日本の個人農家はその効率が悪いが故に若い人間が離れ、そして安い輸入品に太刀打ち出来ず、競争力を失ってきた。そこで、自民時代に農業の会社化が押し進められ、現実に企業が農業に参入し、休眠中の農家から土地を借りて大規模農業に乗り出している。そのためエネルギー効率が上がり機械化が進められ、また、個別農家ではどうしても交渉力が弱かった農業機械販売企業、種苗企業、販売企業にたいし発言力がまし、さらに多くの雇用を生み出し、そしてコストの軽減から安い野菜を消費者に届けることが出来るようになっている。しかし、従来採算がとれないことで休農し農業会社に土地を貸していた農家が、損をすれば国が補填してくれると言うことで土地を貸さなくなり、大規模化、効率化の目玉であった農業企業がやりにくくなる。むろん、新しい雇用も生まれなくなる。

およそ、政府の干渉を受け保護を受けた産業が対外的な競争力を持った例など世界中どこを探してもないのだが、民主はそれをやっているわけだ。

子供手当も所得制限無しとのことだが、今年は半額、来年からは満額支給になる。そして、その政策が功を奏して子供が増えると、子供手当はもっと増えてくるが、その負担は当然子供を持っていない家庭にかかってくる。子供は社会で育てる意識も結構だが、基本として子供は親が育てるのだ。実際、子供手当をもらっても貯金をするという家庭が多いとのアンケート結果が出ているが、実際に子供手当をもらわなければ子供を育てられない家庭と年収二千万の家庭と同じ支給をして本当に公平と言えるのか。ちなみに二千万とは、所得制限をしたとしての線引きとして一時挙げられた数字だ。

それで消費が増え、雇用が増えるのか。むしろ、安い保育所を沢山作る方がよほど消費の伸び、雇用の創出に効果的ではないのか。高校生の全額無料も、奨学金制度の充実で本当に必要な生徒に充実させた方が効率的だろう。高校生を持つ家庭の全てが貧困ではないし、高校に行かない勤労少年にたいし不公平ではないのか。働きたくないから高校へ行くもの、高校生としての当然の学力も有していない者が行く私立高校にも援助を与える理由があるのだろうか。

高速無料化によりCO2排出が増え、渋滞が増え高速道路の意味が無くなり、高速を利用しない一般の負担増加につながる。そして、エネルギー効率も高くCO2排出の少ない新幹線に打撃を与える。これについて民主は明確な答えを出していない。

登録型派遣法改定により、派遣労働が制限されれば企業は当然雇用を控える。人員の流動性をなくすことになり、余剰労働力を持つ余裕のない企業は成り立たなくなるため、雇用が失われる。

徳政令により金の流れを止めることになり、信用力の低い企業は金を借りられなくなる。

CO2 25%削減を国際公約にすることにより、すでに限界までCO2削減を成し遂げている日本企業は競争力を失い、また削減枠を海外、たぶんに中国から買うことになる。それは何も生み出さない無駄使いでしかない。

国家の貯蓄(埋蔵金)の食いつぶしが明らかになり、すでに来年度の分まで手を付けている。今後ばらまきを続けてゆくためには、重税か外国からの借金しかない。

今本来やらなければならないのは、日本の産業力を高め、企業を支援することで雇用を生み出し、消費者が潤うようにすることであり、買いたい物が無く先行きが不安な消費者に金をばらまいても貯蓄に回るだけのこと。その内に、貯め込んだ金の使い道もなくなる。

しかし、経済政策よりももっと深刻なのは

2)安全保障の間違い

中国に一方的に歩み寄るだけの友好では、やがて日本が中国に差し出される結果になる。友好とか協調とは互恵でなければならないが、中国には日本に向いて盛んに微笑は振りまくものの(只だから)実質的に日本に向かっての歩み寄りは一切無い。詳しくは私のブログの中郷関連に書いてあるのでここでは書かない。

そう考えると、東アジア共同体構想、すなわち日中韓三カ国の協調体制が如何に中身のないものかわかる。一方的に日本から搾り取ろうとする中韓とどのような協調体制がとれるのか。これも、私のブログに書いてあるので、ここに詳細は書かない。

中国に対する姿勢の一つとして、北澤防衛大臣は与那国島に自衛隊を置くかと訊かれ「今の時代にアジア諸国と連携していく情勢の中、いたずらに隣国を 刺激する施策はいかがなものか」と否定的な考えを示したとのこと。自国領土内に自国の軍隊(日本では自衛隊)を置くことにいささかの遠慮も要らないし、それは当然の権利である。この驚くような防衛大臣の言葉は、すでに民主の姿勢がのっぴきならないところまで来ていることを示している。なにしろ、北澤氏が気を遣っている相手は、沖縄が日本領と認めず、日中合意を反故にしてEEZでのガス田開を一方的に進め、靖国や歴史問題で好き放題内政干渉をしている国なのだ。
  
竹島問題も民主の姿勢を遺憾なく発揮している。教科書の記述で竹島と言う言葉を使わなかったのは韓国に対する気遣いなのだろうが、日本国民に対する気遣いはどうなったのか。竹島は日本領土ではないのか。日本領土であるならば、きちんと教育し、そして韓国が不法占拠し、国際司法裁判所への提訴にも応じていない事実を伝えるべきではないのか。

友愛の船とは、災害時自衛艦に自衛隊以外にも他国の人間を乗せ災害救助に向かわせるのだそうだ。その構想をオバマ氏に鳩山氏が話そうとしたところ、オバマ氏に話を遮られたそうだ。あまりの馬鹿さ加減に、オバマ氏も哀れに思ったのではないか。どこの世界に、自国の軍艦に他国の身分も知れない人間を乗せる馬鹿がいるだろうか。いや、日本以外の話だが。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091114/plc0911142200011-n1.htm
  
災害救援に自衛艦活用 CEOサミットで首相
2009.11.14 21:49

 鳩山由紀夫首相は14日午後(日本時間同)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)最高経営責任者(CEO)サミットで講演し、「東アジア共同体」創設に向けた環境整備の一環として、海外で起きた災害救援などに自衛艦を活用する「友愛の船」構想を明らかにした。

さらに

http://www.asahi.com/politics/update/1128/SEB200911280002.html
  
海自イージス艦に中国国防相 「機密」へ異例の招待2009年11月28日11時26分

 26日に来日した梁光烈・中国国防相が30日、海上自衛隊のイージス艦「ちょうかい」を訪問する。同艦は、米国が開発した艦隊防空システムを積み、弾道ミサイル防衛の能力も備えた「機密の固まり」(海自幹部)で、共産圏の国防高官を招くのは極めて異例だ。

これなどは何が問題なのか、民主には到底分かるまい。  
  
私のブログには中国の実態、韓国の実態、アメリカとの軋轢などについて細かく書いてある。全てをここに載せればきわめて長くなるので詳細は私のブログhttp://takaojisan.blog13.fc2.com/を参照していただきたい。そうすれば、彼らの主張する正三角形の関係、すなわち、日中米は正三角形の頂点にある等距離を保つべきだとの主張が如何に無意味で危険か分かる。

他にも様々あるが、民主政権が続けばこの国の存亡に関わる。これはたんに、鳩山氏、小沢氏の個人的スキャンダルや好き嫌いの問題ではない。だからといって自民が良かったわけではなく、だからこそ政権交代が起きたのだろう。

望むべくは自民、民主が分裂し良識派が合同して第三の保守系政党を形作り政権の受け皿になることだろうが、おそらくそのための時間はあまり無い。とすると、次善の策として、自民を中心とした多数の連立政権だろうか。

自民は腐りきっているが、民主の危険性よりはましだと思える。だから、もし自民と民主の二者択一をしなければならないのであれば、苦渋の選択として自民を選択する。
  
たまたまだが、次のような記事を見つけた。至極もっともな判断と思うので、ここに追記する。(10/01/05)

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http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100105-OYT1T01155.htm?from=main5

10大リスクに「日本」、首相を酷評...米社
 【ワシントン=小川聡】危機管理を専門とするコンサルティング会社「ユーラシア・グループ」(本部・ニューヨーク)は4日、今年の10大リスクを発表し、「日本」を5番目に掲げた。


 発表によると、「官僚と産業界の影響力を制限しようとする民主党の活動が、より高い政治的リスクを生み出している」と指摘。鳩山首相を「選挙だけでなく、効果的な意思決定にも長(た)けていない」と酷評し、「今年1年と続かない可能性がある」とした。

 また、「真の実力者である小沢民主党幹事長は閣外におり、正式の政策(決定)ラインからも隠れている」と、二重権力に伴うリスクも解説している。

 10大リスクの1位は「米中関係」、2位は「イラン」だった。

 同社は、国際情勢や国内の政治的変化がビジネス環境や金融市場に与える影響の分析を専門とする企業。

(2010年1月5日20時53分 読売新聞)

元株や:なぜ、経済を考えないの

ジャーナルには、経済を書く執筆者がいない。
(現状の)経済動向を、解り易く解説する執筆者がいない。
多くが、政治で占められている。
そのほか、農業だったり、マスコミ論だったり。

経済という言葉は、もともと経世済民、そのものずばり「政治」としての意味を持つ言葉だった。

この経済を取り上げないで、政治を語っても、それは、言葉の遊びの域を出ないのではないだろうか。
何事にも、お金の流れがあってこそ、様々な事象が引き起こされるものだ。
経済団体が、自民党を支持したのも、アメリカが軍事戦略の再構築を図るのも、全て経済が背景となっている。
人道のために引き起こされた戦争など、過去に一つもない。
絶対にない。
今回の政権交代も、自民党の経済政策の無策がさせた結果と言ってよいと思う。

この日本と言う国が、おかしくなったきっかけは、1990年に始まる「バブルの崩壊」であった。
しかし、本当にそうだろうか。
真実は、冷戦構造の崩壊。
「ベルリンの壁」の崩壊。
ソビエト連邦の解体。
これらが、日本の停滞と言うか、後退と言ったほうが良いかもしれない20年のきっかけなのだ。
1989年に、ベルリンの壁が崩壊した時に、世界の経済構造が変化したのだ。
違うと云う人は、いないと思う。

冷戦の終了で、ひとは、これから平和で、良い時代が始まると思った。
しかし、結果はどうだったろう。
新しい価値観を探す事をしなかった、この日本と言う国の現状は、どうだろう。

冷戦の終了が、新しい対立の始まりだった、などという政治的な説明ほど、空しいモノはない。
冷戦の終了とともに、お金が日本から出て行ったのだ。

冷戦の終了は、お金の流れが変わったのだと云う「事実」をとらえることが、一番簡単な説明だったはずだ。
日本についていえば、冷戦中に許された「日本のみの繁栄」が、許されなくなったのだ。
お金は、まず東欧に、ついでアジア・南米に、大きなチャンスを見出した。
同時に、日本のバブルを壊すことで生じる大きなチャンスも89年の段階で発見していた。
その後、様々な要因を巻き込みながら、日本の一般国民は、経済の衰退という「苦しみの海」の中を、おぼれそうになりながら泳ぎ続けている。

日本には、経済を国民に語りかける「報道」がない。
20年の経済的な後退を目の前にしても、ほとんどの報道は、口を閉ざしたままだ。

さて、ここジャーナルはどうだろう。
経済を語る執筆者は、やはりいない。

経済に支点を置いた、論説を望む。
経済を書きたい人は、いっぱいいると思う。
経済を語りたい人は、いっぱいいると思う。


最後に、
皆様にとって、この一年が良い年でありますよう。

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日本語の「ヨロン」という言葉には「世論」と「輿論」という2種類の漢字があります。実は、この2つの言葉は大きく意味が異なっていて、「世論(セロンとも読みます)」とは「感情的な世間の空気」のことで、「輿論」とは「議論を積み重ねてできあがった公的意見」のことを指します。《よろんず》が目指すものは後者の「ヨロン=輿論」をつくることであり、そのために、《よろんず》では情報のプロ・アマに関係なく自由闊達に議論を交わすための場所を提供します。メディアの調査で発表される「ヨロン=世論」とは違う真の「ヨロン」をつくるため、執筆者・出演者・読者のみなさんに、この新しい“知の共有空間”に参加いただけるよう呼びかけます。

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