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赤虎頭巾:タイについて(6)── タイの歴史2 スコ-タイ王朝

 カンボジアの、アンコールトムに王都を置いた、クメール帝国は、9世紀から15世紀にかけてインドシナ半島に存在した帝国で最盛期には、現在のタイの殆ど、ラオス、ベトナム、ミャンマーの一部まで、インドシナ半島の殆どを支配した大国ですが、名君ジャヤーヴァルマン7世の死去(AD1220年)とともに急速に衰退していきました。 

 AD1238年、その衰退していくクメール帝国の勢力を追い出して、初めてのタイの王国とされるスコータイ王朝が始まります。

 スコータイは、チャオプラヤー川(メナム川)の河口にあるバンコクから、何処までも平に、緩やかに上昇していくメナム・デルタを600kmほど北上したデルタの北端にあります。
 北にチェンマイ、西にミャンマーとの国境の山岳、東に山国ラオスとの国境を持つ地域ですが、スコータイを中心に、東に120km、北、西にそれぞれ300km、南には何処までも続くメナム・デルタという、広々とした平らな土地です。

 クメール帝国から見れば、中心のアンコール・トムからは1,200kmほど離れた僻地であり、国力の衰えとともに統治能力も統治意欲も低下してきていたのでしょう。

 打倒クメールの中心となったのは、広いスコータイ平野に多数居住していたであろう原住のタイの人々(キリギリスたち)ではやはり有りません。

 中心のスコータイから、西へ120km、ラオスへの国境に上る山岳地帯(現在のナコーン・タイ郡)に住んでいた、中国南部から6世紀以降移住してきたという小タイ族の領主、ポークン・パームアンと、それから南へ100kmほど南下した山脈の山間にいた(現在のぺチャブーン市)同じく小タイ族の領主、ポークン・バーンクラーンハーンであったということです。

 恐らくこれらの人々は、タイとしては相対的に厳しい自然条件におかれており、さらに少数民族であるということで団結心も強く、戦争という共同作業を行うに適した条件を備えていたのでしょう。

 スコータイ王朝の最盛期は第3代のラムカムヘーン王の時代といわれています。
北方のラーンナータイ王朝(チェンマイ王朝)、パヤオの王国(何れもタイ族)と同盟を結びタイの南部、マレー半島からミャンマーのベンガル湾に及ぶ広域を支配したようです。

 また、初めてタイ文字を定めるとともに、支配に当たってはポークンと呼ばれる、軍事や契約或いは法ではなく個人的友情による友好的支配のシステムをとったようです。

 タイ語では、クンポー、クンメーとは良く聞く言葉で、それぞれ日本語ではお父さん(クン=君、Mr もしくはSirに相当する尊称、ポー=父)お母さん(クン=君、メー=母)に相当しますが、ポークンは日本語に直訳すると父(ポー)殿下(クン)で、お父さんのような慈愛に満ちた支配者を呼ぶ尊称です。

 ラムカムヘーン大王を称える碑文が今に残っていますが、その中にある、王が、スコータイの領土を称えた言葉として「ターミーカーオ、ナームミープラー」(田に米あり、水に魚あり ター=田、ミー=有る、カーオ=米、ナーム=水、プラー=魚)が有名です。
自然条件に恵まれた豊かな国土をのんびりと支配していた大王の様子を伝える言葉だと思います。

 大王の死後、個人的関係で統御されていた各国の離反が相次ぎ、スコータイの勢力は衰えます。
 これを挽回すべく、第6代のリタイ王(1347年―1368年)は、仏教によって国家の統一を図ることを考え、セイロンから仏教を導入し、ポークンに合わせて、タンマラーチャー(仏法に従い理想的な統治を行う王)の思想を広めました。

 王は熱心な仏教の研究者でもあり、その結果は、三界経(輪廻転生と因果応報を説く)として結実し、タイの民衆に広がりました。
 19世紀に現チャクリー王朝のラーマ4世(デボラ・カーとユル・ブリナーの映画、王様と私に登場する王)によって否定されるまでは、タイ仏教の基本教義として、広く深くタイの人々の世界観に浸透したようです。

 この世界観は、現世の栄華は、前世の善行の報いであり、現世の苦難は前世の悪行の報いによるものと教えるため、現状を肯定し、努力によるその改善を否定する傾向があります。

 もともと、自然条件に恵まれ、飢餓や、凍死という厳しさ、或いは個人もしくは協同の努力による生産向上や、生活改善に縁の薄いタイの人々にとっては、貧富の差を固定し、社会階層の拡大を促進する役割を果たしたのかもしれません。

 リタイ王の努力にもかかわらず、王朝の衰退は続き、第9代のマハータンマラーチャー4世に跡継ぎが生まれず、親戚であったチャオプラヤー川の下流に起こり勢力を伸ばしつつあったアユタヤ王朝に吸収されて、AD1438年にスコータイ王朝は消滅します。

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