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2009年12月28日

大島楯臣:ことばを失った日本人(7)

 今年も「リポート笠間」が届いた。同冊子は日本文学研究と、日本語学研究の専門出版社の一つである笠間書院の宣伝紙で、年一回発行され、無料で届けられる。

 その記事中に、「『国文学』が休刊し」とあり、時代の変化に寂しさを感じる。(記事には「国文学」とあるが、正式名称は「國文學」)

 ことばとは、時代とともに変化するものだから、それを人為的に操作することは危険であると承知してはいるが、新聞、テレビに加え、ネット上の誤用や、不たしかな表現が「正」として通行する様を見ていると、「それでいいのかなぁ」と気がかりでもある。参考書として「かなしき日本語」(工藤力男著・笠間書院)があり、ご関心の向きには参照願いたい。

 その末尾に、(転載始め)「かかる時代だからこそ、感想や意見を発するには、最も適切なことばを探さなくてはならないはずである。しかるに、この国では、英語の学習には時間をかけるが、母語の教育に力を注ぐことは怠った。だが、英語力は予期したようには伸びず、片仮名英語ばかりが氾濫している。期待は裏をかかれたのである。

 今こそ、わたしたちは、母語をいつくしむ心を育て、日本語の力と豊かさを恢復させるべく努めなくてはならない、(転載終わり)と述べてあり、インターネット文体の問題点を縷々指摘している。

 敢えて、國語問題協議會の許諾を得て全文を転載するのは、45年前でありながら「今を予測する」記述が多々あり、より多くの人に「咀嚼」を試みて欲しいからである。
 たしかに、戦後教育の私たちには「正漢字・正かなづかひ」は読みにくいことも承知している。しかしそれは「場慣れ」の問題であり、意図して原文のままとした。

*  * 転載始め *  * 

同胞各位に訴へる

 國語と國字が一民族の文化の最も大切な要素の一つであることは皆樣御存知の通りです。

 さて、我々の祖先は、古事記や萬葉集などに見られる如く、千二、三百年の昔、すでにすぐれた言葉を持つてゐました。これは恐らく世界にも類の少い變化に富む日本の氣候風土と美しい自然が與へた纖細な感覺のお蔭であらうと思はれます。殊に微妙で深みのある美的感覺は世界一かも知れません。實際、我々の遠い祖先は今から八千年も前にあの見事な繩文式土器を作つたのです。

 しかし、幸か不幸か、大和民族は文字を持つてゐませんでした。ところが中國には極めて發達した文字が有つたので、奈良時代の祖先はこれを借りて國語を表記し、更に平安時代の初期には假名を發明し、又漢語も多く輸入して、それ以來この「漢字假名交り文」は九百年以上にわたつて、日本の文化を護り育てて來ました。これは直ちに眼に訴へて意味を表はす便利な「表意文字」と、日本語獨自の構文を表はす「表音文字」から成る優秀な表記法でありました。

 然るに、日本民族として最初の體驗である敗戰の衝撃と自信の喪失と、日々の食糧にも事缺く苦難の時期に當つて、以前から國語をローマ字、もしくはカナモジで記さうと主張して來た便宜主義、安易主義の一部の論者は、好機正に至れりとして、文部省の權力を利用し、新聞社、出版社などを動かして、敗戰後、わづか一年三ケ月、すなはち昭和二十一年十一月に内閣訓令告示で、漢字を制限し假名づかひを變革してしまひました。

 これは明治以來幾度か國語改革論者によつて提出され、その都度國民の嚴しい批判を受けて葬り去られた案を殆どそのままに踏襲したものです。のみならず、これ程重大な問題について信頼するに足る代表的文化人諸氏の意見を求めることもせず、國會の審議にかけることもしませんでした。これでは戰時中の軍部の獨裁といささかも變るところがありません。果してこれが戰後の日本の目標たる民主主義的文化國家のなすべきことであつたでせうか。國語審議會と文部省はこの後次々に「音訓表」とか、「字體表」とか、「送りがなのつけ方」とか、「外國の固有名詞の表記法」とか、何れも不合理にして實行不可能な變革を敢てしたのであります。それらが、今日實際に色々な混亂をひき起してゐるばかりでなく、青少年の學力を著しく低下させてゐることも各位は御承知でせう。以上が大體の經緯ですが、次にこの問題に關し、幾つかの項目に分けてやや詳しく所信を申し述べます。

一、なぜ、歐米諸國は發音と異つた綴りを維持してゐるのか

 歴史的假名遣ひは現在の發音と異る故に變へるべきだ、と彼ら便宜主義者は言ひます。しかし、歐米各國の國語を考へてみますと、例へば英、米、佛、希の樣な國々では、綴りと發音の相違は吾が國の歴史的假名づかひとは比べものにならないくらゐ甚だしいものがあり、その他、ドイツ、イタリヤの樣に比較的その差の少い國々ですら、綴りと發音とは一致せず、歴史的假名づかひと大體同程度のものであります。それにもかかはらず、これら諸國はその綴りを決して變へようとはしません。これは何故でせうか。

 それは先づ第一に、此等の難しい綴りには、その依つて來る必然の歴史と論埋がある上に、若しこれを變へたならば、從來の綴りで書かれたすべての文化遺産が非常に讀みにくくなるからです。これらの國々には、過去から優秀な文學作品や哲學、自然科學の論文などが數多くあります。それらを國民から遠ざけることは當然自國の文化の衰退を招きます。

 第二に、綴りと發音が甚しく異つてゐても、これら諸國の少年少女は素質が良いために、教育によつて自然にそれを理解し辨別して、何らの支障も來さないからであります。

二、日本人は優れた民族的文化遺産を繼承し得ぬ程劣等か

 さて、眼を我國に轉じませう。英佛その他すぐれた西歐の國々のやうに秀でた過去の文化遺産を果して日本は持つてゐないといふのでせうか。斷じて否です。

 西歐の近代諸國がまだ殆ど蒙昧に近い状態に留つてゐた七、八世紀の頃、すでに我々の祖先は、古事記、日本書紀、風土記、萬葉集などすばらしいものを作り上げました。又、少し降つてフランス文學最初の作品である敍事詩が十一世紀末に現れたのに對し、その百年前に、日本では若い女性が今も世界的傑作である「源氏物語」を書いてゐたのです。その後、主なものだけを拾つても、「古今集」以下の八代和歌集、「平家物語」、道元や親鸞の著書や語録、「徒然草」、世阿彌の謠曲と能の美學、芭蕉の俳諧、西鶴の小説、近松の戲曲、荻生徂徠や本居宣長らの學問的業績を經て、明治に入つて後は、幸田露伴、樋口一葉、泉鏡花、正岡子規、夏目漱石、森鴎外、内村鑑三、寺田寅彦、柳田國男、萩原朔太郎、宮澤賢治、齋藤茂吉、數へ上げればきりがありませんが、いづれも貴重な勞作を生み出したのです。これらの業績が今後は讀み難くなつたり、從來の國民との閒の斷層を作るやうになつたりしたら、日本文化の損失は量り知れぬものがあります。我國は決して西歐諸國に劣るものではありません。

 殊に、最近、日本の古美術や禪や能樂や建築や庭園や書道や點茶や生花など深みのある美しい文化所産に歐米諸國民が眼を見はつてゐる事實をどう考へるべきでせう。フランスがルーヴル美術館門外不出の至寶「ミロのヴィーナス」をはるばる日本に送つてくれたのも、彼らが日本民族の文化的優秀性をどのくらゐ高く評價してゐるかの明かな證據であります。大正の大震災前後六年に亙つて日本に大使として駐在したフランスの大詩人ポール・クローデルは、第二次大戰中(昭和十八年の晩秋の一夜)日本が壞滅するのを虞れて、親友のやはり大詩人であるポール・ヴァレリーに次のやうに言つたのです。「私が亡びないやうに願ふ一つの民族がある。それは日本民族だ。これ程注目すべき太古からの文明を持つてゐる民族は他に知らない。......彼らは貧乏だ。しかし高貴だ。」と。さすがにクローデルは大詩人です。彼は日本の多くの文化人などと呼ばれる人々よりもはるかに日本の良さを知り、それを愛してゐたのです。日本の現状はクローデルに對して恥しいではありませんか。

 なほ、我が國語國字の重要さは、單に文章の上だけに止まりません。法隆寺、藥師寺、唐招提寺をはじめとする南都の諸寺や、鳥羽僧正の「鳥獸戲畫卷」その他日本獨特で世界に類のない繪卷物、運慶らの彫刻、雪舟らの水墨畫、能の舞樂、利休の茶、桂離宮の建築と庭、光悦の工藝、宗達や大雅らの繪畫、春信や北齋の浮世繪など、又は世界的に名高くなつてゐる生漉の日本紙とか、禮儀作法とか、これら直接には文字と開係なささうに見える諸々の傑作が實は國語國字と切つても切れぬ精神的紐帶を有してゐることは少しく考へてみれば誰にも解ります。

 次は子供の問題です。「行かう」と書いて「行こう」と讀み、「言ひました」と書いて「言いました」と讀むことを難しく思ふほど、彼らは劣等でせうか。とんでもないことです。兩親と共に歐米に在る日本の子供達が彼の地の學校で拔群の成績を示すことの多い事實はよく知られてゐるところです。又最近東京の四谷第七小學校や新潟龜田東小學校等で行はれてゐる教育に於て、低學年の兒童が喜んで多くの漢字を學び、三、四年で新聞も讀み得ることが識者の注意をひいてゐます。要するに日本人は優秀な民族であり、日本の文化は卓越してゐるのです。

三、明治以後、國語國字簡易化運動はどうして起つて來たのか

 ところが、明治初期から大正、昭和の時代に至るまで漢字排撃や假名づかひ改訂が數囘にわたつて試みられたのは何故でせうか。これは歐米の進んだ文化に驚き、恐れ、ひたすらそれに追附かうとした人たちの焦燥感と劣等意識の致すところでした。これ等の論者が彼らなりに愛國の至情からこの擧に出たことは諒とすべきですが、それは不幸にして西歐の文化に目がくらんだ故の性急な短見と、日本文化の優秀さに關する無自覺に依るものでありました。

 これらの愚かな變革の企てに對して、明治四十一年には森鴎外をはじめとする明星派、大正十四年には山田孝雄、芥川龍之介らが行つた強い反對は、高邁な識見と國文學、國語の傳統に對する深い敬愛に根ざす當然の行動でありました。今囘の愚擧に對しても、昭和二十三、四年まで、心ある幾多の人士は極力反對を表明してゐましたが、悲しいかな當時の社會的混亂と國民生活の窮迫はこの熱を實らせる餘裕を與へなかつたのであります。

四、「現代かなづかい」は果して合理的で便利であるか

 萬葉集などにあらはれてゐる良質な言語を有した我らの祖先が漢字を採用したことは、實に「鬼に金棒」でありました。而してやがて假名が發明されたことは、この「金棒」の質の向上であつたのです。日本語はその頃すでに動詞、助動詞、形容詞の活用や助詞の用法などすこぶる論理的に發達してをり、假名はこれらを遺憾なく表現することが出來ました。又その後、文語と口語の必然的連繋もこれで正確に示されてゐたのです。

 然るに「現代假名づかい」はこれらの論埋を無視し、文語と口語の聯關をも無殘に斷ち切つてしまひました。例へば、口語の「言はう」は文語の「言はむ」から來てゐることを示しますが、新假名の「言おう」ではその連絡が解りません。

 又、「ヂ」や「ヅ」を廢してほとんどすべてを「ジ」と「ズ」で表はし、「地震」や「地面」に振假名をつけるとき優秀な兒童が論理を考へて、「ぢしん」「ぢめん」と書けばそれは誤りであるとして先生は×をつけなくてはなりません。「望月」といふ姓にも「もちずき」と振らなくては閒違ひだといふのです。このやうな論理的關係を假名づかひについて教へることも戰前までは日本兒童の頭腦訓練に大切な恰好な手段の一つでありました。言葉をただ機械的に憶えるのは鸚鵡や九官鳥にも出來ることです。論理を無視したら頭腦は低下するにきまつてゐます。

(続く)

次回予告

五、當用漢字、その他、現行の表記法は如何にでたらめで矛盾が多いか
六、難しい國語國字は文化を遲らせるか
七、青少年の學力低下
八、國語の改惡は國を滅ぼす
結 論

2009年12月25日

鳩山首相は辞任すべき!? ── 故人献金問題が脱税疑惑に発展

 鳩山由紀夫首相は24日、自身の資金管理団体のずさんな管理によって元公設第1秘書が在宅起訴されたことを受け、都内のホテルで記者会見を行った。会見では、首相が過去に「秘書が罪を犯せば政治家は辞職すべき」との発言をしていたことから進退についての質問も出たが、首相は「私腹を肥やしたり、不正な利得を得たわけではない」とした上で「職をなげうたずに続けさせていただきたい」と答えた。なお、記者会見の模様はビデオニュースドットコムで公開されている。

 ちなみに、今回の会見は首相が一議員の身分として主催したことから、記者クラブ加盟社以外の記者も自由に参加できた。会場からは記者クラブ開放の公約違反についての質問もあり、それに対して首相は「記者会見の開放に関しては、来年からもっと開放されるようにやるようにと、申し伝えている」と述べ、今後、記者クラブ制度開放に向けて取り組む意思があることを表明した。

 さて、この会見を通じて、読者のみなさんは首相の進退問題についてどのように感じただろうか。ネット上ではすでに激しく議論が交わされていて「6億円もの脱税が発覚したのだから辞職すべき」「政治家は一度語ったことを守るべき」との意見も多い。一方、この問題は総選挙前にすでに発覚していたことから「民意の審判を受けている」との見方も可能だ。また、政治家の相続税については、以前から政治団体などを迂回させて課税を免れる「合法的相続税逃れ」が問題視されていて、首相のケースとは手法が異なるものの、多くの世襲議員に問題が飛び火する可能性もある。

 はたして首相はどのような責任をとるべきなのか。ぜひ、このニュースに対してのご意見をお寄せ下さい。

■【動画】責任を痛感するが辞任はせず 秘書起訴を受けて鳩山首相が会見(ビデオニュース・ドットコム)
(記者クラブ開放に関するやりとりはPART3の一番最後の質問です)

■「やめろ」の声強まれば辞任 秘書起訴の鳩山首相会見(J-CAST)

2009年12月20日

土井敏喜:文明と森と里の現状回復論 ── 日本の農林業は超長期の成長産業だ(その1)

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●はじめに

父がある時、「高野孟」とはどんな人か、と唐突に聞いてきた。
それは、県信用農協連(JAの県段階の金融部門、農林中金が上部団体)の役員を辞職して間もない頃に、「週刊エコノミスト'87.1.27号」(毎日新聞社)で、大山義一というペンネームで、『国際化時代の農協改革を提言する---このままでは"農協離れ"を防げない』という「小論」に、最初に好意的な論評をしてくれたからだった。

『週刊エコノミスト』の本文では、1)資本と経営の分離、2)農協選択を自由に、3)三段階性の見直し、4)長期的な事業展開を主張して、「新しいタイプの農業の発掘と、これに対するファイナンス、流通問題など、新しい視点からの展望を明確化すること」を求めている。今読んでも、「平成の大合併」で問題の所在が隠されており、彼の「提言」を行おうとする「内発力」がないまま「展望」は逆行している。

22年前だった。彼に、高野孟(著)『世界地図の読み方』を持ちあわせていたので、それを渡すと、高野孟氏からの『エコノミスト原稿」への評価に素直に喜んでいたことを思い出す。この年の暮れ11ヶ月の闘病生活の末、「食道ガン」で死んだ(65歳)ので、高野氏の論評が「はなむけ」の言葉になった。
翌年、私も県経済農協連(現、JA全農、商社部門)を辞職して、広報・営農企画などの18年間の「農家・農村」の現場から離れた。私が彼の亡くなった年齢に近づいてきたことも、投稿の要因かもしれない。

第1章 戦後農協とは何か。日本農業の問題点。

ところで、父が常々言っていたのは、「農協の3つの顔」についてである。農村民主化の主要な柱として、「戦後」の具体的な最大の革命であった「地主制」の解体と、自主的な農民組織の結成を求めた連合軍GHQの占領政策の一環として、1947年に「農協法」が制定された。
すなわち、1945年12月、「農地改革についての連合軍最高司令官覚書」、俗にいう「農地解放令」の(5)により「非農民的勢力の支配を脱し、日本農民の経済的・文化的向上に資する農業協同組合運動を助成し奨励する計画」の提出を求められた。
じらい、国家=行政府とGHQの長い折衝を経て、1947年8月GHQの承認後「農業協同組合法」が国会に提出され、原案どおり可決された(私もこの年の3月に誕生)。

農協法が国会上程の際に当時の平野農相が主旨説明で、「農協4原則」を強調しているが「農協法」の性格が的確に表現されている。
「農協4原則」
 1)組合の設立、地区および組合加入・脱退の自由の原則
 2)農民の団体としての組合における農民の主体性の確立
 3)農民が農業生産協同体であるという趣旨に基づく生産に関する事業の強化
 4)自主性尊重の立場からする行政庁監督権の制限

「農協法」制定時には、これらの「農協4原則」の(1)しか考えていなかった筈である。これがいろいろな理由と経緯をたどって(2)、(3)が後から付加されたということだ。そうした原因により、ひいては、(4)による、農協の外からの官僚支配を受け入れざるをえなくなったのである。(よく似た例に、「教育委員会」の官僚支配がある--村井実・慶応義塾大学名誉教授、教育哲学)。


●「農協の3つの顔」への変容

このような民主的な組織として誕生した農協も、年とともに次第にその姿を変えた。それが「3つの顔」である。
 1)の顔  組合員農家の組織した協同経済組織体としての顔(営農と生活)。
 2)の顔  行政補完の顔(第2の村役場、町役場)。
 3)の顔  圧力団体としての顔(選挙の集票能力を武器とした米価値上げ運動)。

ここで結論じみたことを言えば、「農業協同組合」と言いながら、農家全員の内発的な意味での「多数決原理」で協同組織の運営がなされていなかったということだ。

「政治とは選挙であり、多数決を得ることだ」という小沢一郎の言葉が、「民主政体 デモクラ シー」を意味するとすれば、「農村民主化」および「自主的な農民組織の結成を求めた連合軍GHQの占領政策」から、大きく逸脱した農協組織になっている現状がある。

最近では、天下りの弊害の象徴でもある「住専問題」への農水省の「税金による救済」や、今おきている「サブプライム問題」では、「農林中金」を「ファンド」と表現されるに至っている。

また、民主党の赤松農水大臣の、本誌での「大潟村訪問、謝罪記事」なども、「農協の3つの顔」から「自立して上部組織の指示に従わない選択」をして、稲作の減反をせず、全量を自主流通販売しているK氏などの「農家集団」は含まれていないはずだ。つまり、赤松大臣等は、大潟村の農民全体の「多数決原理」を機能させる「場づくり」ということにどのような努力をしているのだろうか。農協JA、村長に、赤松大臣や農水省官僚などは、誰にどのような内容で謝罪したのかが不明のままなのである。(本誌:2009年11月30日「赤松農水相らが大潟村を訪問 「この40年間国の政策のためにみなさんにご迷惑をかけた」と謝罪)。
http//www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2009/11/40.html

留意したいことは、専業農家の人員と農協JA、村・市町村・県、農水省職員とはほぼ同数の人員を抱えていた時代があるはずだ。
つまり、彼らの生産を管理指導、代金決済などは「死んだ労働」(マルクス)であり、現場でのハンディ端末による生産データや経営コストのデータの電算端末への情報入力を現場で支援うべきである。それ以外には、労務による「賃労働」をすることによって「税金」の無駄を削減することだ。
そうすれば、今日的な必然性として、農の現場における「社会的な意味をもつ行政府・農家組織」としての「忠誠心」を認められるのではないだろうか。単純化出来るはずの「行政制度への報告や補償金決済」だけなら、平成の大合併以後は、「郵便局」の持つインフラこそ、過疎地における適応が可能な組織であるのが厳しい現実だろう。

農林業はそもそも「環境破壊」に属する。例えば、日本の代表的な土地利用の象徴である全国の「棚田」を、誰がどのように現状回復しつづけられるかは、そうした「現場」の多数決による内発力なしには、美しい修景も消えていくことだろう。
実例として、北米の鉱山業の採掘後の環境保全修復(ボンディング)という「義務」を学べば、何をすべきかがわかるであろう。
今や、「忠誠心」と「義務」のあり方の両方が、「近代以後・ポストモダン」=「日本型大衆社会」の協同化が、「縄文」から「弥生以後」への稲作の実態から見直されなければならないことと、同じ意味内容を持って来ている。敢えてここで付記すれば「天皇制」の祭事の基盤は稲作文化だということである。

しかしここでは、「農家所得戸別補償制度」のもつ現在的意味を述べるだけにとどめたい。ただし、生産者が何を生産するかは農家・農村の多数決に従い、行政府の打ち出している複雑な「制度設計」にはコストが掛かり過ぎるので「シンプル・イズ・ベスト」主義で実行すべきである。むしろ、内発的な経済成長に欠かせないのは、地味だが着実な創意工夫とか、努力を惜しまない勤勉さといった資質が不可欠である。行政府等のエリートがいないほうが、日本の大衆にとって、内発的な経済成長には好適な環境づくりなのだ、という単純なことが優先度が高いのではないだろうか。

この「農家所得戸別補償金」は、「農協」を経由しないで、言い換えれば、農協への資材費、過剰な共済(保険金)などの返済金として、農協口座からの相殺なしに直接農家に補償することだ。つまり、経営のコスト意識に目覚め、農家・農村における「多数決」意識による「内発力」の育成という目的に叶う、といった「大衆思想」に繋がることが望ましい。

おそらく、あと10から20年の内に、日本の農家も、私の周囲を観察すれば、いずれは「農地」の「耕作放棄」を選択することになるのは必然だろう。

以後の「章立て」の中で詳細するが、日本の農業は、決して米国などの「大規模化」のような形式にはなり得ないが、どういう経営形態になるのであれ、民主党の打ち出した「農家所得戸別補償制度」が、農家の自立心を育て、FTAという二国間交渉にも大きな意味をもつことになろう。

また、農家同士、相手国との「共生」も可能である。なぜなら、日本の大衆の要求・義務水準は世界一であり、「個別補償」制度のもとでも、相手国以上に「信頼」を勝ち得る能力があるだろう。米国自体が「約束」を簡単に破棄する国柄だと言うことは、この度の「時価会計」制度の勝手な解釈でもあきらかである。

(小括)
日本における国土における「近代的変化」が見られたのは、徳川時代の世界一の江戸(人口50万などの「都市化」であり、その中心的な特徴は、「協同農耕」から「個人農耕」への推移に、その「内発性」が見られる。

徳川末期までには、「協同関係」は大部分が消滅した。ほとんどの各地で「個別家族」が生産組織や経済的利害の中心として明確に姿を表すようになる。

それが、当時の人間関係や思考方式における「内発的な変化」までを含めた、「市場経済」の成長だった。ひいては、それが身分の差を超えた「明治維新」の内発的な変化をもたらした主たる要因にも繋がった。

そして今、更なる「都市化」への非効率的な無駄な公共事業などのエネルギー利用は、平成の「政権交代」に際しても手付かずのままであり、むしろ経済成長を疎外しており、あるべき「文明と森と里」の「協同関係」をも崩壊させているのだ。


●日本農業の現在の問題点と言われていること。

今の日本の農家の実態は、「大規模、専業農家」といわれる「経済合理性」を追求した篤農家ほど「危機」に瀕している。また、経営能力も未熟であることが、あまり知られていない。
兼業農家ほど賃金収入により生活が安定しているが、彼らの高齢化により「耕作放棄」の激増による交渉相手は、同地区に見当たらず他県に譲渡している場合を見聞している。果たして、農協JAや行政の机上のプランで、現場での「土地利用」への対応が文明的な思考を加味して出来るのだろうか。

1)農業は「贈与経済」(自然・文化への人間の栄養と健康を得るための喜捨)でしか成り立たないこと。それが「兼業」という他の仕事とのコラボレーションが出来れば、それも受身の「贈与」の一種である。(例えは悪いが、「タバコ」や「酒」の税率増を考えれば、「食」への贈与は許容できるものではないか、と個人的には思う)。

2)食べものが無くなったら、誰でも「買出し」に行くしかないこと。「食糧自給率40%」という「食料安保論」も洗脳プロパガンダにすぎない。
なぜなら、少食・粗(菜)食・咀嚼で「食」に対応することの方が「健康」にもいいし、実現可性が高い。自給率を怖がることは、今の日本では現実的ではない。「1日3食の習慣」は、そんなに古い過去からではない。

だから、穀物や野菜を主体にすれば、「朝食を抜く」ことだけで、国家=政府が本気になれば「自給率100%」は解決可能なことなのだ。また、食後の「宿便」が「酸性腐敗便」になり、それから発する波動により、くも膜下出血、ぽっくり病死、心筋梗塞や脳梗塞などの突然死と関連があるとの「研究」もある。
しかし、現代医学では、それらの「原因」を「栄養学的」にな観点から解明することを避けつづけている。日本の昔からの「食養」に学んだ米国の「マクガバン・レポート」の日本版さえないのが不思議である。

以上の考え方をもとに、最善をつくせば、「食糧自給率」は100%可能になる。しかし、今のままでは高額な医療器械、世界一種類の多い薬の開発販売など、政府=国家は、医薬・官僚利権を縮小できず、医療費の増加が年々続いているのが現状である。
一番大事なのは、植物を摂取することを主体にして、「肉食」を限りなく少なくすることである。(16歳から18歳までの成長期に肉食するのを止めることは非合理であるが・・・)。

3)ネイション・スティツ=国民国家の歴史は、まだ数百年にも関わらず、実物資産の裏付けのない「貨幣の過剰流動性サープラス」が暴走するペパー・マネー(死んだ労働)となり、今後のいつか、果たして現物の「供給」(生きた労働)を実現できるかどうかは、ロシアに移行した時の「ダーチャ」(下賜された)別荘を見ればよく分る。彼らはハイパーインフレの中で、「自給自足」で乗り越えたのであり、最近のロシア危機も、今度もまた「ダーチャ」に依存して生きる道を選択するしかないだろう。

*参考:かつてソ連崩壊後のモスクワ市民の生活を支えたのが菜園付住居「(直訳)下賜された土地=ダーチャ」(シベリアなどのユーラシア大陸の放牧の民を調査した栗本慎一郎や、彼の運営するの」「世田谷自由大学という私塾」の参加者である友人に言わせれば、そこらじゅう「ダーチャ」だらけだったそうだ)。
ソ連時代に都市住民の要求を満たす為に生まれた制度と農業生産の形態が「ダーチャ」の起源であり、新生ロシア時代になっての「経済の混乱」でその価値が再認識されている。しかし、遊牧民の夏の耕作地ダーチャの直接的な関係についての研究は無く、何も言及できる実証はまだない。
おそらく、かつて遊牧民と接したルス族(ロシアの前身のバイキングの一部分)が、遊牧民の夏の耕作地を見た体験が、彼らの血筋の中にあるのかも知れないということらしい。         
http://homepage2.nifty.com/enisei2580/dacha1.html

4)普通の野菜やおコメは、農薬漬けなのは変わらない。農薬の種類が限定されてきたのは事実であるが、「低農薬」という表示の誤魔化しに過ぎない。土壌殺菌剤しかり。
また、野菜が農家から出荷されて、通常はスーパーでに届くのが5日かかる(地元産でも2日から3日)。農家の手取りはこの「流通経費」で、わずかな収入しかない(「スーパー」では、野菜を蘇生させる装置を使う経費もかかる)。

5)戦後農業は、「農地開放」という大革命があったが、それは実は「アメリカ式農法」へ移行させるためだったことを再考すべきとして、最近では多くの農法が試されているが、いたずらな「許認可制」をとれば、それこそ農家の「内発性」を疎外することになる。

農家の経営に負担が大きい、「農薬、殺菌剤、肥料、飼料、農業機械」の価格決定権を、農協(全国農業組合連合会=全農)に委ねさせられており、農政官僚、農業関連産業の「利権」や、天下り先になっているところから、今の「農業」を観察すれば、農協、農水省の人員の「無駄」は明確である。

ちなみに、農業経済の血液たるファイナンスは、農林業に流れていないことがあげられる。農協の金融部門の全国団体である農林中央金庫に集められた資金は、微々たる程度しか農林業には投資されていない。そのほとんどが「ファンド」へ回っている。先の「住専問題」で、財務省(旧大蔵省)でなく、農水省が救ったのは、記憶に新しい(参照:農林中金-- 「農」衰退でファンド化: 『FACTA』誌を参照)。

6)ゆえに、日本農業・農家攻撃をするなら、上記の事実を指摘して、アメリカ金融資本、日本の政・官・財、さらに農協JAの「無駄」を解明することだ。それを情報公開して、初めて消費者側が農家を攻められるのだという認識が重要なのだ。

そもそも、コスト管理が出来る農家は専業農家以外はいない(しかも不十分)。それが出来る数少ない専業農家も、効率的なコスト志向の養鶏農家でさえ「生産経費」の向上で全滅しかけている。
極端な例では、これしか方法がないとは思えないが、今後は「工業的農業」に頼るしかない。しかし、その「安全性」を、ノウハウが無いために誰も検証できていないことも事実なのだ。

---(例))モンサントの「遺伝子融合」の「種」を使わなければ、デリバリー輸送してくれないために、アメリカの中堅農家が全滅した道を歩むだろう。そして、「温暖化」から「寒冷化」に向かう時代の、中世の欧州に起きた「魔女狩り」による「食の争奪戦」の再現が懸念される。
また、科学肥料や農薬、遺伝子融合の「種」などの人工工学的な思想による、天然・自然との戦いに勝てるとも思われず、農地の「砂漠化」が広がり、低所得層は、マクドナルドでコカコーラと不健康なハンバーグを食べて、「太ったインディアン」(=生活習慣病)になるのを「可」とするだけでいいのだろうか。

7)それに対抗する「自然農法」は、消費者と生産者を繋げることが難しく、また価格も高くなる。消費者の都合で、買わないということが出来ないという隘路がある。「畑買い」「圃場買い」が出来るか、困難な事実がある。
その理由は、「寒暖の歴史」や、自然の変化次第で、過剰にも不作にもなること。ここでも「贈与」という概念が理解されないと継続性は絶たれるのである。しかし、、「贈与」により、内発的に創意工夫された農法の定義やマニュアルも期待できよう、というものだ。

または、自給自足的な「日本版ダーチャ」を楽しみながら、自らが確認出来る栄養素満点の「食」を週末農業で供給することが可能だろうか。言い換えれば、自らが求める「生産物」は、自らが「生産者」を育てる「自立心」が必要である。

以上の観点から、ちなみに、「いのち自衛」という「安価な医・食・住」を目指した、『文明と森と里の現状修復論--日本の農林業は超長期の成長産業だ』の連載を、「ささやかに」試みてみたい。

(小括)
世界をおおうエリート主義の跳梁跋扈の中で、日本の知識人が畏怖し、見習うべきは欧米知的エリートの偽善・欺瞞でもなければ、新興ゴロツキ国家BRICsの知的エリートの強権でもなく、日本の大衆なのだという考え方を、日本の「行政府」に受け入れられるような議論の余地があるだろうか。

1929年からの先の大不況の震源地となったアメリカは、同時にクルマ社会化のまっただ中にあった。そして、クルマ社会化による「近隣共同体の崩壊」、働く者のあいだでの「連帯感や仲間意識の希薄化が相互扶助」をむずかしくしたために、1930年代大不況時の失業者の生活が1720年代や1870年代よりはるかに悲惨なものになってしまったのではないだろうか。

今後の課題は、上記のような「連帯感、相互扶助」というものの「具体的な政策」を打ち出そうとしない「新政権」だろう。応えようとしているのは、亀井静香・大臣くらいだ。「行政刷新」という、自・公の使用した「旧・通帳」をベースにした「節約パーフォーマンス」は問題外である。メンバーの事務局長は、米国の属国論者との関係性を指摘されていたのだから。

正しくは、平野貞夫氏が指摘しているように、国政レベルでの「行政刷新」は自・公の「旧・通帳」さらに「埋蔵金通帳」は、それだけ単独で整理していくこと。「新政権がつくる、新・通帳」から始めるべきで、セイフティネット対策や、意味のある公共事業への「資金」導入にためらうべきではない、ということであろう。

有為な人材が、今の政権にいないことが、そのうちに明確になることであろう。
西洋エリートや日本の高級官僚が述べる「経済学」が、大衆のための「経済学」ではないことを、本当の意味で理解させてくれる人材に不足するのは、世界中の先進国の全てでもあるが・・・。それが、「ノーベル経済学賞」の無効性を問われている原因でもある。


●農業問題(など第一次産業)は、強欲な「経済合理主義」では解決しないという認識の整理

1)「農業も市場開放」をしても、資本主義であろうと、共産主義の集団農場やキブツであろうと、産業主義に立つ限り「解決不可能」であることを前提として認識できるかどうかで、「結論」は大きくかけ離れたものになる。 

2)マルクスの『資本論』などの経済「共同幻想」は、間違いだらけを証明された。
しかし、彼の基本思想である、「生産・分配の場は、生きた労働と死んだ労働(すなわち金融資本)とで労働の成果を分捕りあう闘争過程であり、生きた労働の取り分が多くなればなるほど、平和で豊かな社会を築くことがができる」という「思想」は、現代に必要な「生産・分配の場(公共空間)」として新鮮にさえ見えてくる。

3)「私的空間」の「土地」は、「個人幻想(観念)」の場であり、上意下達的ではなく、多数決主義が「日本の農林業」を改めて「現状修復」として育くむことが大切だろう。
これまでの行政府や農協の実行てしきたことは「戦術」なので、受け入れ難いモノが多い。戦略と戦術を英語で意味を追えば、「軍隊用語」なので、高度さがない「政策」なら、当然、末端での犠牲者が増えるばかりであろう。

4)「文明と森と里の現状修復論--日本の農林業こそ超長期の成長産業だ」の拙論のキィワードは、江戸時代から近代を経た、都市化と移動エネルギーや協同体の崩壊から、近代化後の、現代日本型大衆による人間力(理想)への、「夢と勇気とサム・マネーがあれば、生きられる」(C・チャップリン)といった「心の運用法」の創意工夫・訓練の仕方を探求することになるであろう。

5)つまり、「人・土地・労働・組織・市場・技術・集団・政治」の、明治維新・戦後・平成維新の課題であるポストモダンの、現代日本大衆像から、<生きた労働>の「文明と森と里の現状修復論」への展望を連載してみたい。更に、読者の建設的な意見を加味して、論理を追ってみようと思う。


(つづく)


第2章 日本の「近代化」の基礎としての「江戸時代」と明治維新の背景を探る

第3章 GDPに占める70%近い「第3次産業」従事者構成のに伴なう「都市化」と、
     「こころの病」の意味とは何か

第4章 文明と森と里山の現状維持の背景と課題とは何か

第5章 日本の農林業は超長期の成長産業だ---人・モノ・カネへの展望

(おわりに)

*「参考文献」は、(おわりに)に記載する。

2009年12月17日

豊後の小兵衛こと、大島楯臣:ことばを失った日本人(6)

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【読者投稿募集中!】
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 私こと、恥ずかしながら、いい歳をして世川ブログから「放逐」されました。よって、向後はこの件に関してはコメントを控えます。また、「小沢試論」の上梓を心待ちにしている読者もおいでかと存じますが、この件については私の関与はなく、出版社は世川氏の交友にてご懸念はありません。
 序でながら、一部では私個人が特段の支援をしたと誤解されているようですが、私の購読料は皆さんと比し、同等かそれ以下でしかありませんことを申し添えます。

 今回からTHE JOURNALへは実名で投稿することとしました。何故か、それは「頭隠して、尻も隠さず」でありあまり意味のないことと覚りました。しかし、売文が稼業でないことから、名前にふさわしい記述とならないこと、ご寛恕のほどを願います。
 親からもらった名前とは難しいもので、平野貞夫さんの「貞夫」も、一見は、どこにでもありそうなお名前ですが、実は奥が深く、いづれ機会があれば紹介したいと思います。

 さて本論。「ことばを失った日本人」に関連して、國語問題協議會(http://kokumonkyo.jp/)の、常任理事兼事務局長でもある谷田貝氏より転載許諾が得られたことから、同協議会の原点ともいうべき「同胞各位に訴へる」を数回に渡って転載し、国語問題に皆さんのご理解を得たいと思う。
 ご意見は同協議会アドレス「0359089356@everynet.jp」へ直接でも構いませんので、積極的なご発言を期待したい。
 なお、同協議会は「右の人たちの集まり」と評する向きもあるが、創立期の物故役員も含めて参照していただけば、当時は右左を問わず、あらゆる階層の有識者たちが声を上げていることもわかり、経済成長とともに、その声がかき消されていることが読み取れると私は思う。
 また、同協議会は幅広いご支援も希望していて、有志の入会も呼びかけていることから、ホームページを参照願いたい。

* * 以下転載 その一 * *

宣言

 國語は危機にある。
 その原因は、國語そのもののうちにあるのではない。戰後、國語表記の矛盾と混亂とを解決するためと稱して行はれた「現代かなづかい」「當用漢字」「音訓整理」「新送りがな」等、一連の國語政策のもたらした矛盾と混亂とこそ、その原因である。それらの政策は、事實上抗しがたい強制力をともなつて行はれたばかりでなく、單純な便宜主義の立場から國語の本質を無視し性急に國語表記の簡易化を計らうとしたものである。當然その方向はローマ字、あるいはかな文字による表音文字化を志向する。

 われわれも簡易化そのものには反對しない。その實現のためには、應分の努力を惜しまぬものである。しかし、文字は言葉のためにあり、國字は國語のためにある。文字を易しくすることによつて、言葉の正しさを歪めてはならない。國字の簡易化はあくまで國語の正しさを守るためのものであり、その限度内にとゞまるべきものである。

 戰後の國語政策は、國語そのものの性格に對する認識を缺き、十分な調査研究を經ずしてひたすら簡易化を事とした。しかも、そのために生じた矛盾は、簡易化の美名におほはれて、そのまゝ容認されてゐる。のみならず、それがあたかも、わが國語國字のまぬかれがたい性格に基くものであるかのやうに宣傳されてきたため、遂に國民の閒には、國語國字を輕視し、時には、嫌惡するかのごとき風潮が起り、又その矛盾からのがれるためには、表音主義に徹するほかはないと考へるものさへ生じつゝある。このまゝ椎移すれば、人々は國語國字について何が正しいかといふ言語意識を失ひ、矛盾や不合理に反撥する健康な語感の痲痺を、ひいては思考力、表現力の低下を招くに至るであらう。これをわれわれは國語の危機と呼ぶ。
 こゝに國語問題協議會は事態のこれ以上の惡化を防ぐために、次のことを要求する。

文部省及び國語審議會に對して――

一、既住の改革案について、その意圖、竝びに、その根據、資料を示すこと。
一、改革案の矛盾と混亂とをどう處理するつもりか、その見通しを示すこと。
一、改革案の教育への適用は見合はせること。
一、誤つた言語觀に基く國語教育の實情を認識し、早急にその再建をはかること。

内閣に對して――
内閣告示をもつて輕々に左右しうる現在の在り方を改めること。

一、國語問題研究機關を強化し、それによる十分な調査研究に基いて國語政策を推進すること。
一、成案の作製については文部省國語審議會等の政府機關による専斷に委さず、廣く専門家、有識者の意見を尊重すること。

なほ同時に、國語問題協議會はその設立目的に副ひ、次のことを行ふ。

一、言語道具説、表音主義が古い自然主義的言語觀に發し世界の新しい趨勢に背くものであることを明らかにし、正しい言語観の確立と啓蒙につくすこと。
一、誤つた國語政策の内容を國民一般に知らせ、人々の自覺に訴へること。
一、言論、報道機關竝びに國語教育界の協力を求めること。
一、かなづかひ、漢字、送りがな等の諸問題につき、國語、國字の本質に即した調査、研究を行ふこと。

 右の宣言に從ひ、われわれは、祖先のものであり、われわれのものであり、さらに子孫のものでもある國語國字の正常な在り方を見出すために、今後あらゆる機會に着實、適切な行動を展開して行きたい。廣く國民の理解と支持を期待する。

國語問題協議會
昭和34年12月17日
* *転載終わり(続)* *

赤虎頭巾:タイについて(7) ── タイの歴史3 アユタヤ王朝・前

 アユタヤはバンコクから北へ約150km、メナムデルタのほぼ真ん中にあり、タイ国を貫いて流れるメナム川(チャオプラヤー川)の下流域の始まりに位置しています。

 この地点は、ラオス、カンボジア北部と国境を接する広大な台地である東北地方(イサーン)から流れ下る川のメナム川への合流地点でもあり、川が主要な交通路であった時代においては、タイの農産物の一大集積地点でもあったのでしょう。

 タイの、ほぼ全域を支配していたクメール帝国が衰退し、北方にスコータイ王朝が覇を唱えたものの、それもまた衰え始めた、14世紀半ば頃、この地にアユタヤ王朝(AD1351年―1767年)が誕生します。

 創始者は、やはりタイ族で、ウートーン(金の揺り籠)王とも呼ばれるラーマーティボーディー1世です。

 クメール帝国が衰退して行ったあとのタイ中部にはいくつかの中小王朝が成立していたようで、そのうちの一つが出自といわれていますが、定説は今のところありません。

 「ターミーカーオ、ナームミープラー 田に米あり、水に魚あり」といわれ、農業王国であったスコータイ王朝とは違い、アユタヤ王朝は、タイ国内の物資集積点という利を活かし、貿易帝国であったクメール帝国と同様、中国、インドに加えて、さらに日本、中近東、ヨーロッパを含む大貿易帝国としておよそ400年にわたり繁栄を続けました。

 その貿易の中心商品となったのは、ほぼタイ全域で取れる米です。

 タイの歴史上初めてと思われる大掛かりな公共事業の灌漑用水路の整備と併せて、この頃、バングラデシュから渡来したといわれる浮稲も貿易用の稲の生産拡大を助けたようです。

 タイ農業の問題点のひとつは、豊か過ぎる水による冠水です。広く何処までも平らなメナム・デルタに降った雨は、山国日本のように、洪水となり海へと流れ落ちては行きません。ゆっくりと下流域へと流れてくるのですが、更にその下流域にも雨が降り、ナーム・トワムといわれる、じわじわと水位が上り続ける洪水となります。ついには見渡す限りの田んぼが水に浸かり、広大な湖となりその状態は1-2ヶ月ほども続きます。

 通常の稲では葉も稲穂も水に沈み腐ってしまいます。渡来した浮稲は、乾水期に直播され、雨季に水位が上るとそれに併せて茎の節間を伸ばします。常に葉の部分が水上にあり、稲穂を水上に出す稲です。硬くあまり味は良くなく、収穫量も少ないようですが、この導入が、冠水状態となった田んぼでの米の生産を可能としたわけです。稲刈りは、小船を浮かして、実った稲穂の部分を刈り取っていくという形で行われていました。

 現在では、整備された水路と、その末端の海に注ぐ堤防に大きな揚水ポンプが何台も並べられ溜まった水を海へとくみ出されているため、首都バンコク周辺では浮稲を見かけることは少ないのですが、15年前には、時々見かけた風景でした。

 米の増産とその貿易で栄えたアユタヤ王朝は、それまでのタイとは違った、社会的、政治的システムを生み出します。

 米の生産を支えるのは言う間でもなく、土地と人ですがこの二つについてアユタヤ時代に初めて土地所有権制度と身分制度が確立されます。

 サクディナーと呼ばれるこの制度は、アユタヤ王朝7代目の王インタララーチャー1世(1409年―1424年)によって始められ、9代目のボーロマトライローカナート王(1431年-1488年)によって確立されたとされています。

 制度の概略は、先ず全ての土地を王の所有物とする。次に国民を身分によって分ける。 分けられた国民はその身分毎に一定の面積の土地を王から借り、耕作を行うというものです。

 具体的には、国民は、大臣を最高位とする軍人、官僚(アマタヤー)、平民(プライ)、戦争捕虜(奴隷)(タート)に分けられました。

 アユタヤ王朝も、主体をなしたのは、移住してきたタイ族の末裔ですから、恐らく大臣以下の、軍人・官僚はタイ族、平民は原住者という仕分けがなされたのでしょう。

 借りられる土地の面積は、大臣が1万ライ(約160町)、平民25ライ(約4町)、奴隷が5ライ(約0.8町)とされていたようで、国土の広大さが伺われます。

 この制度は1932年の立憲革命まで続き、社会階層の分化を固定し、国民の自由な発展を阻害したのでしょう、現在でもタイの民主派の集会ではしばしば、アマタヤーへの非難が聞かれます。

 しかし制定時点においては、安定した土地の保有を全ての人々に保証したわけで、生産意欲の向上に資したものとおもわれます。

 このような、制度の整備と合わせて、アユタヤ王朝は貿易で得た豊かな富を使って積極的な領土の拡大を行いました。

 初代のウートン王は、国内に残存した、モン族、クメール人などの拠点を併合し、更には衰退するカンボジアのクメール帝国の首都アンコールまで攻め入りこれを陥落させています(1362年)。

 14世紀の末頃までには、マレー半島、ミャンマーのベンガル湾まで勢力を伸ばし、アユタヤはインドシナ半島の最大の勢力となります。

2009年12月15日

【意見募集!】政治利用か、それとも内閣の権限か ── 天皇と習近平の会見が政治問題に発展!

 来日した中国の習近平国家副主席と天皇陛下の会見が、政治問題に発展している。

 事の発端は、陛下が2004年に前立腺ガンを手術して以降、外国要人と陛下の会見は1ヶ月前に申し込むというルールが慣例化していたが、今回はそのルールを破る形で会見が認められたためだ。報道によると、中国は会見日の25日前にあたる11月20日に最初の申し込みをし、外務省は26日に宮内庁に打診。宮内庁は1ヶ月ルールにのっとり断った。しかし、最終的には平野官房長官から12月10日夕に「総理の指示」という電話があり、宮内庁は会見を受け入れた。これまで1ヶ月ルールの特例扱いを認めたのは05年の一度だけで、この時はタイの上院議長からの会見希望が1日遅れたが、同国は直前に地震で津波の被害を受けていたこともあり、特例として認めたという。このことから、宮内庁の羽毛田長官は、記者団に「陛下の国際親善活動は、国の大小や政治的重要性とは別次元で行われてきた。(特例扱いは)二度とあってほしくない」(読売)と懸念を表明した。

 これに怒り心頭、14日の記者会見で大反論を展開したのが民主党の小沢一郎幹事長だ。小沢氏は羽毛田長官の発言に対して「内閣の一部局の一役人が内閣の方針についてどうだこうだ言うのは憲法の理念、民主主義を理解していない。反対なら辞表を提出した後に言うべき」「宮内庁の役人が(ルールを)作ったからって、金科玉条で絶対だなんて、そんな馬鹿な話があるか」と激怒。陛下の体調については「体調がすぐれないというならば、優位性の低い行事はお休みになればいい」と語った。

 宮内庁からすれば、いかなるルールであれ、ある国に会見の特例を認めれば「天皇の政治利用」で、鳩山内閣からすれば、皇室の友好親善などの公的行為は「内閣が助言して決定するもの」という立場だ。もっと視野を広げれば、この問題は皇室の影響力を持つべきなのは内閣なのか宮内庁なのかという「象徴天皇制」を巡る根深い問題にも関係する。

 政治利用か、それとも内閣の権限の範囲内か。ぜひ、このニュースに対してのご意見をお寄せ下さい。

*   *   *   *   *

【関連記事】

■【主張】中国副主席来日 政治利用の正当化許すな(産経)
■天皇会見 政治問題化はおかしい(北海道新聞社説)
■小沢幹事長記者会見全文(asahi.com)
■小沢幹事長記者会見VTR(民主党HP)

2009年12月13日

外山喜雄:飛行機の機内持ち込み制限で日本の音楽界が大変です!

外山喜雄氏(ミュージシャン)

 飛行機の機内持ち込み手荷物の大きさ制限が12月1日から厳しくなって、100席以上の機種の場合、3辺の合計115cm以内、100席以下の場合は同100cm以内となったため、クラシックやジャズを問わず、音楽関係者・楽団員等はパニックに陥っている。

 繊細な楽器は、チェックイン・バゲッジでは破損の恐れがあるため、音楽家の皆さんは機内持ち込み手荷物として機内に携帯していた。ところが、この12月1日からの新規定では、トランペット、クラリネット、フルートなどを除くと、トロンボーン、アルト &テナー・サックスはもちろん数千万円のストラディバリウスのバイオリンもすべて、手荷物持ち込みが出来なくなる。どうしても機内持ち込みをしたいと申し出れば出来なくはないが、そのための別料金は1万円である。

これにより、これまでも経済的に苦労してきた音楽家が、さらに過大な交通費負担を強いられることになる。かと言って1万円を惜しんでチェックイン・バゲッジにすれば破損の恐れがある。

 実際、米国でデイブ・キャロルというカントリー・シンガーが高価なギターをユナイテッド航空に預けたら破損させられ、クレーム を付けてもケンもホロロの扱いを受けるという事件があった。頭に来た彼は「ユナイテッドはギターを壊す(United Breakes Guitar)」という曲をYouTubeに投稿、これが600万のアクセスを集めて大話題になった。ユナイテッドが慌てて和解を申 し入れてきたが、彼は応じなかった。他方、壊れたギターの会社からは「知名度を上げてくれてありがとう」と特注ギター2本をプレゼントされた。

2009年12月 9日

鉄馬:記者クラブ問題

最近よく言われる、排他的な姿勢、官公庁の広報機関と化し、国民の知る権利を阻害していると問題点が挙げられています。

官邸でも、記者クラブが家賃、光熱費を払ってないといわれますが、国民の税金をどのように食いつぶしているかわたしは知りませんでした。

その記者クラブのためにいくら税金が使用されているか、具体的に書かれいてる本がありましたので紹介します。

ちなみにわたしは絶句しました。

新聞が面白くない理由 (講談社文庫)岩瀬達哉 著

一部ご紹介します。

*   *   *   *   *

「第一部 記者クラブの堕落 便宜供与で曲がるペン」から

表1 記者クラブへの便宜・利益供与調査----試算合計額

中央官庁 サンプル数26     2,797,724,199円
県庁 サンプル数47       1,252,671,976円
市役所/政令都市 サンプル数12   298,933,510円
市役所/県庁所在地 サンプル数35 347,431,735円
市役所/一般市 サンプル数321  1,578,848,318円
議会 サンプル数3        3,510,171,862円
教育委員会、大学 サンプル数17  134,736,011円
警視庁、警察本部 サンプル数32  778,351,299円
検察庁 サンプル数5        13,165,524円
特殊法人など サンプル数8     235,918,940円
政党 サンプル数1          20,957,382円
農協 サンプル数16         77,901,493円
一般企業 サンプル数6       31,246,715円
-----------------------------------------------------
合計              11,077,608,964円
(96年1月17日現在)

表2 大手新聞社が各公的取材機関から受けている便宜・利益供与の試算総額

朝日新聞   550,339,652円
毎日新聞   537,605,733円
読売新聞   555,091,769円
産経新聞   349,680,743円
日本経済新聞 377,849,996円
共同通信   399,553,309円
時事通信   249,314,868円

*   *   *   *   *

巻末にも 「全国調査 - 記者クラブの便宜利益供与一覧表」がありますので、興味のある方は読んでみてはいかがでしょう。

2009年12月 8日

ロバート・ドラーチャ:モチベーションを失ってしまった日本

日本は現在、危急存亡の秋を迎えている。米コンサルティング大手タワーズペリンの調査によれば、日本の労働力人口の全体の72%の人が仕事に対して意欲的でないそうである。その上、97%の人が全力を尽くしていないそうであり、換言すれば、日本は、世界で最低のモチベーションレベルである。国際競争力だけではなく、モチベーションさえ失ってしまった日本の将来は、甚だ憂慮に堪えない。

日本は、第二次世界大戦で敗戦し、この国に将来が無いといわれたにも関わらず、それ以後たった40年間で名目GDP換算で米国に次いで2番目に大きい経済を達成した。日本人が真剣に、懸命に努力したからこそ、経済的に大成功したのである。従って、日本人という民族に非常に高いポテンシャルすなわち可能性がある事は、理解に難く無い。しかし、そのポテンシャルがありながらも、実際に活用しないと、自らの可能性を否定してしまう。日本人は、自らの非常に高いポテンシャルを完全に活かしていないのである。日本の無限のポテンシャルを完全に活用すべく、その為に最も必要なのは、チャレンジ精神すなわち挑戦精神である。

IMDの世界競争力年鑑によれば、日本は、起業家精神で60ヶ国中59位である。起業家精神と言いながらも、最も足りていないのは、起業家に欠くべからざる挑戦精神である。日本は、全体の84.8%の人が起業に必要なスキルに対する自信を持っていないそうであり、調査42ヶ国中41位すなわち下から2番目である。Global Entrepreneurship Monitorによる下記のデータを考慮すれば、日本のアントレプレナーシップ環境創造の必要性は、理解に難く無い。

「周囲に起業した人が居る」:日本17.6% G7平均38.9%
「起業家を尊敬する」:日本31.3% G7平均80.7%
「失敗に対する恐怖感により起業しない」:日本60.0% G7平均35.7%
「今後5ヶ月間に新たなビジネスチャンスを発見出来ると考えている」:日本4.6% G7平均39.0%

その上、METI(経済産業省)の調査によれば、日本のベンチャー企業の全体の66.5%の企業が海外進出をしないそうである。日本でいわゆるボーン・グローバル・ベンチャーが非常に少ない事は、挑戦精神及びモチベーションの不足が重要な原因となる。現在の日本にとって最も必要なのは、真剣な努力及びイノベーションの価値を感じる、Entrepreneur(アントレプレナーすなわち起業家)並びにIntrapreneur(イントラプレナーすなわち社内ベンチャーを興す優秀な人材)に欠くべからざる挑戦精神の発達である。

モチベーション不足は、起業及び経済だけではなく、日本のエデュケーションにおいても非常に深刻な問題となっている。現在の日本の多くの大学生は、勉強における努力の価値を感じていない。欧米では、大学での勉強と将来的目標の繋がりを感じる事は、当然な事である。しかし、日本では、自らの将来的目標さえ解らず迷ってしまう人は珍しく無い。その結果、明確な具体的な目標が無いと真剣に努力したいという気持ちにならない事は、理解に難く無い。懸命に努力せねば、自らのポテンシャルを完全に活用出来るはずは無い。従って、日本の優秀な学生のポテンシャルを完全に活かすべく、出来る限り早い段階から、将来的目標を明確にさせ、その目標を実際に達成する為に真剣に懸命に努力したいという挑戦精神を発達させる必要がある。日本の無限のポテンシャルを完全に活用すれば、国際競争力を取り戻し、再び大成功出来ると確信している。成功するかは日本人の努力次第である。

*   *   *   *   *

【プロフィール】Robert DRACEA(ロバート・ドラーチャ)
1986(昭和61)年生まれ。東欧のルーマニア出身、カナダ育ち。(ルーマニア革命の時にカナダに移住)カナダのヨーク大学のSchulich School of Businessにて国際経営学を専攻。現在、早稲田大学の国際教養学部に所属。

本田勉:雑記帳

今回の私の投稿が、この「コラム」に投稿すべき内容なのか疑問視はしています。「雑記帳」の意味合いかなと勝手に解釈して、投稿させていただきます。

私が選挙権を得て、30年以上になります。その間、その「義務・権利」を行使したことは、数回しかありません。最初の数回と細川政権誕生の時のみ行使しただけで、個人の力のなさを思い知らされ、諦めてしまったからです。

私が住んでいる所は、地方の片田舎、極端な変化を望まない超保守社会です。諦めてから、無党派どころか無選挙者の私は、無人島生活を始め、大局の政治・経済など傍観者でいました。私の生活範囲の維持のみに活動し、影響がある時は、それに併せ対応する。ある意味、従順な社員です。

そうした私が、今更こんなことを述べるのは、おこがましいと感じてはいます。今回の政権交代劇も傍観者でいた。その中、偶然にこのサイトを知り、それぞれの「コラム」で討議されている内容に驚き、感銘を受け、数日前から投稿させていただいています。

マスメディアは、今後双方向性も求められている。一方的でなく、しかも、マスメディアが流す情報に異論反論する。どこかの「コラム」にも載せましたが、亡き「筑紫哲也」氏の《多事争論》のなかで「論することが大事なのです」とそれが、できる場である。

ただ、その場はあくまでも「中立」であることが、大切です。十人十色、「右派・左派・中道」、「保守・改革」、「権力派・庶民派」、など人を同じように報道も色々な方向性があって、当たり前です。けれど、そうした中で、右・左等のそれぞれが、自由に論議できる場が、この《THE JOURNAL》でないかと、独り合点しております。

戦後から80年代まで、国民は方向性を失い、強い指導者(リーダーシップ)が、求められた。政治・行政・民間・国民が一体となり、寝る間を惜しんで、この短期間に高度成長社会を作り上げた。成熟社会を迎えた時、次の方向性を求めた。けれど、一分一秒を惜しんで働き、ほとんどの国民が社員化していることに気が付かずにいた。これは、生来人間が持っているものと言えば、それまでです。

次の目標、更なる経済成長を展開してくれ。動き始めた動きを、止めることができない。
経済が悪化すると、早急に改善してくれ。遅れを取った地方なんとかしてくれ。自助努力せず、それらを指導者に求めた。しかも、個人主義が台頭し、我先にと・・・。

典型的な事例が、「バブル」でしょう。うまくいかないと、その責任者一人に責任を負わせ、責任追及のみに視点がいく。私を含めて、自分の責任を棚に上げる。指導者が目まぐるしく変わり、その方向性があっち向いたり、こっち向いたり、悪循環となる。その中で、行政の一部が、目先にとらわれない体制を作る。ところがそれは、彼らに多大な権力与える結果ともなる。その自覚を国民一人一人肝に銘じなければならないと思う。

今回の政権交代は、そうした意味でも良い機会です。まず、大掃除はしないといけないけれど、過去の点を踏まえて、「どんな土台にするのか」十分討議し、提言できる。また、転換に伴う「ひずみ」や「土台作り」は、稚拙に行ってはいけない。

しかし、現経済社会の早急な対応も必要である。現在の「改革を支持する人」も、方向性がおかしい思えば、どんどん「苦言」を提起、「改革を望まない人」も「提言」等を提起する。

そうした場が、この《THE JOURNAL》であって欲しいと切に願っています。

【追記】
一秒後でなく、明日の天気を気にして無人島に住んでいる私にも、時々投稿させてください。

2009年12月 4日

旭岡勝義:地球温暖化の原因が炭酸ガスだというのは本当か?

旭岡勝義氏((株)社会インフラ研究センター 代表取締役)

 鳩山由起夫首相が就任早々の9月21日、国連の気候変動首脳会合で地球温暖化の原因とされる炭酸ガスを日本が率先、1990年比で25%削減することを表明し、これまでの日本政府の姿勢とは打って変わった積極性が内外で高く評価された。しかし、そもそも地球が温暖化の危機のさ中にあって、その原因が大気中の炭酸ガスの急増にあるにあるというIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の学説は本当なのか。赤祖父俊一=アラスカ大学国際北方圏研究センター名誉教授の「地球温暖化の原因は炭酸ガスにあらず」(正論09年12月号)、「2000年に温暖化は止まった」(Voice09年12月号)をはじめ、地球は温暖化していないし、することがあったとしてもその原因は炭酸ガスではないという重大な異論が広く提起されている。ここで立ち止まってよくよく考えて見なければならない。

■自然の気候変動

 地球は誕生以来、自然の気候変動を繰り返してきた。紀元1000年以降の大きな気候変動は1400年ごろから始まり1800〜1850年頃まで続いた「小氷河期」である。当時は寒暖計はなかったが、多くの記録から今より約1度寒く、世界各地で飢饉が起きた。小氷河期が終わってそこから回復する過程に入ったのだから温暖化するのは当たり前であるけれども、その気温上昇率は100年当たり約0.5度で、炭酸ガスの急増が始まった1946年以降もそのペースは変わっていない。

 ところが温暖化問題を国際的にリードしているIPCCは、このような自然変動要因を全く無視して、経済成長とそれに伴うエネルギー多消費型の生活様式といった人工的な要因だけが問題であるかのような一種イデオロギーを紡ぎ出している。

 赤祖父説によれば、小氷河期からの回復過程という長期的な周期の下でも、50〜60年単位の準周期変動があって、IPCCの言う「1975年からのかつてない気温上昇」は、小氷河期からの回復と準周期変動が重なった可能性がある。また2000年から気温上昇が(炭酸ガスの引き続く増大にもかかわらず)止まっているという現象も、この準周期変動によって説明することが可能である。

■IPPCは政治的

 そもそもIPPCは、1980年代に原子力発電の拡大に反対する世論に直面したサッチャー英首相が、原発推進の口実を手に入れるという政治的な狙いから設立を促したといわれる。それに世界中の政治オンチの科学者がまんまと乗せられて一大キャンペーンが繰り広げられ、IPCCがこの問題の世界的権威にまで祭り上げられた。今では、赤祖父氏のように「本当に温暖化しているのか」「本当に炭酸ガスが原因か」などと疑問を少しでも口にしようものなら異端者扱いされる有様である。

 マスコミの報道もよくない。学問的に確定していない一個の仮説にすぎないIPCCの予測を絶対視して何の疑問も差し挟まないばかりか、北極圏の氷河の崩落とか、海岸の浸食によるエスキモー住宅の倒壊とかの映像を繰り返し流して、「地球の終末」への人々の恐怖を煽り立てている。ところが、氷河の崩落も海岸の浸食も昔からある自然現象で、今に始まったことではないのである。

 こうした中で、一般の国民に正確な情報が届かず、IPCC設立のよこしまな意図やその学問的に見た大いなる疑問など思いも及ばないのは仕方がないとして、問題は、そのような大衆の無知に政治が引き摺られて、各国が炭酸ガスの削減率を競い合っていることである。鳩山首相の「25%削減」も、炭酸ガス=主犯説が正しいという前提に立てば「勇気ある決断」ということになるだろうが、そうでないとすればただのドンキホーテとなってしまう。しかも鳩山政権の環境大臣は原発推進を口にしていて、サッチャーの罠にすっぽりと嵌っている格好である。

 鳩山政権は、せっかく政権交代を果たしたのだから、この問題についても思考ベースを一新して、「2000年以降、温暖化は止まっていることでもあるし、ここで一拍置いて、政治的なIPCCではなく異論・反論も自由な学会できちんとした研究を深めるべきだ」と提唱すべきではないのか。

■むしろ「石油ピーク」が大問題

 2005年以降、世界的には石油ピークに入ったといわれている。石油ピークとは、石油を利用する社会経済システムの生産構造が、石油供給・生産のシステムを越えてしまったことである。石油は自然が創造した最高の質の良い資源であり、エネルギーや食糧や創薬や衣料など現在の文明を支えてきたのである。石油に勝る資源を作ることは難しい。我が国は小資源国家であり、今後石油依存がなければ、いち早く文明の劣化が始まる。その意味では、日本の国家戦略の喫緊の課題は、炭酸ガスの削減ではなく、「低エネルギー社会の実現」である。

 炭酸ガス削減は、いわば出口戦略である。現在の生産や消費のシステムを変更しなくては、炭酸ガス削減以前に石油不足に耐えることができない。社会経済システムでの石油浪費を抑制し、積極的な低エネルギー社会の仕組みを創造することがむしろ重要なのである。

 イスラエルやデンマークでは、すでに石油ピークに備えた国家戦略を展開しているともいわれる。日本は、そもそも、「もったいない」の精神文化風土を持っており、低エネルギー社会の知恵を多く有している。この知恵を生かした新たな技術やシステム開発を促進すべきである。

2009年12月 3日

赤虎頭巾:タイについて(6)── タイの歴史2 スコ-タイ王朝

 カンボジアの、アンコールトムに王都を置いた、クメール帝国は、9世紀から15世紀にかけてインドシナ半島に存在した帝国で最盛期には、現在のタイの殆ど、ラオス、ベトナム、ミャンマーの一部まで、インドシナ半島の殆どを支配した大国ですが、名君ジャヤーヴァルマン7世の死去(AD1220年)とともに急速に衰退していきました。 

 AD1238年、その衰退していくクメール帝国の勢力を追い出して、初めてのタイの王国とされるスコータイ王朝が始まります。

 スコータイは、チャオプラヤー川(メナム川)の河口にあるバンコクから、何処までも平に、緩やかに上昇していくメナム・デルタを600kmほど北上したデルタの北端にあります。
 北にチェンマイ、西にミャンマーとの国境の山岳、東に山国ラオスとの国境を持つ地域ですが、スコータイを中心に、東に120km、北、西にそれぞれ300km、南には何処までも続くメナム・デルタという、広々とした平らな土地です。

 クメール帝国から見れば、中心のアンコール・トムからは1,200kmほど離れた僻地であり、国力の衰えとともに統治能力も統治意欲も低下してきていたのでしょう。

 打倒クメールの中心となったのは、広いスコータイ平野に多数居住していたであろう原住のタイの人々(キリギリスたち)ではやはり有りません。

 中心のスコータイから、西へ120km、ラオスへの国境に上る山岳地帯(現在のナコーン・タイ郡)に住んでいた、中国南部から6世紀以降移住してきたという小タイ族の領主、ポークン・パームアンと、それから南へ100kmほど南下した山脈の山間にいた(現在のぺチャブーン市)同じく小タイ族の領主、ポークン・バーンクラーンハーンであったということです。

 恐らくこれらの人々は、タイとしては相対的に厳しい自然条件におかれており、さらに少数民族であるということで団結心も強く、戦争という共同作業を行うに適した条件を備えていたのでしょう。

 スコータイ王朝の最盛期は第3代のラムカムヘーン王の時代といわれています。
北方のラーンナータイ王朝(チェンマイ王朝)、パヤオの王国(何れもタイ族)と同盟を結びタイの南部、マレー半島からミャンマーのベンガル湾に及ぶ広域を支配したようです。

 また、初めてタイ文字を定めるとともに、支配に当たってはポークンと呼ばれる、軍事や契約或いは法ではなく個人的友情による友好的支配のシステムをとったようです。

 タイ語では、クンポー、クンメーとは良く聞く言葉で、それぞれ日本語ではお父さん(クン=君、Mr もしくはSirに相当する尊称、ポー=父)お母さん(クン=君、メー=母)に相当しますが、ポークンは日本語に直訳すると父(ポー)殿下(クン)で、お父さんのような慈愛に満ちた支配者を呼ぶ尊称です。

 ラムカムヘーン大王を称える碑文が今に残っていますが、その中にある、王が、スコータイの領土を称えた言葉として「ターミーカーオ、ナームミープラー」(田に米あり、水に魚あり ター=田、ミー=有る、カーオ=米、ナーム=水、プラー=魚)が有名です。
自然条件に恵まれた豊かな国土をのんびりと支配していた大王の様子を伝える言葉だと思います。

 大王の死後、個人的関係で統御されていた各国の離反が相次ぎ、スコータイの勢力は衰えます。
 これを挽回すべく、第6代のリタイ王(1347年―1368年)は、仏教によって国家の統一を図ることを考え、セイロンから仏教を導入し、ポークンに合わせて、タンマラーチャー(仏法に従い理想的な統治を行う王)の思想を広めました。

 王は熱心な仏教の研究者でもあり、その結果は、三界経(輪廻転生と因果応報を説く)として結実し、タイの民衆に広がりました。
 19世紀に現チャクリー王朝のラーマ4世(デボラ・カーとユル・ブリナーの映画、王様と私に登場する王)によって否定されるまでは、タイ仏教の基本教義として、広く深くタイの人々の世界観に浸透したようです。

 この世界観は、現世の栄華は、前世の善行の報いであり、現世の苦難は前世の悪行の報いによるものと教えるため、現状を肯定し、努力によるその改善を否定する傾向があります。

 もともと、自然条件に恵まれ、飢餓や、凍死という厳しさ、或いは個人もしくは協同の努力による生産向上や、生活改善に縁の薄いタイの人々にとっては、貧富の差を固定し、社会階層の拡大を促進する役割を果たしたのかもしれません。

 リタイ王の努力にもかかわらず、王朝の衰退は続き、第9代のマハータンマラーチャー4世に跡継ぎが生まれず、親戚であったチャオプラヤー川の下流に起こり勢力を伸ばしつつあったアユタヤ王朝に吸収されて、AD1438年にスコータイ王朝は消滅します。

Profile

日本語の「ヨロン」という言葉には「世論」と「輿論」という2種類の漢字があります。実は、この2つの言葉は大きく意味が異なっていて、「世論(セロンとも読みます)」とは「感情的な世間の空気」のことで、「輿論」とは「議論を積み重ねてできあがった公的意見」のことを指します。《よろんず》が目指すものは後者の「ヨロン=輿論」をつくることであり、そのために、《よろんず》では情報のプロ・アマに関係なく自由闊達に議論を交わすための場所を提供します。メディアの調査で発表される「ヨロン=世論」とは違う真の「ヨロン」をつくるため、執筆者・出演者・読者のみなさんに、この新しい“知の共有空間”に参加いただけるよう呼びかけます。

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