Calendar

2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

Recent Comments

« 豊後の小兵衛:ことばを失った日本人 ── 異聞
メイン
世川行介:小泉純一郎と小沢一郎 »

豊後の小兵衛:ことばを失った日本人── 異聞二

 「小沢一郎への想恋歌」には多くのコメントを頂戴したが、氏もこのコメントをしっかり読んでいることを報告しておく。
 ついては幾人かの方のご懸念に違わず、世川氏は紛れもなく「赤貧」であり、「小沢私論」脱稿までに木戸銭(ブログ購読料)を所望したい。
 経緯はいずれ詳述するが、当初は私たち仲間の「自費出版」の予定だったが、ある大手出版社の目に止まり、それは当然のこととして「より多く売りたい」とする出版社の意向も相まって、世川氏の論旨を変えずに、より分かりやすい表現、構成に腐心している。
 無論のこととして、これをどう読み取るかは個々人の自由ではあるが、「失われた10年」のみならず、今を生きる私たちが失ったもの、それが何であったのかを、それぞれの立場で思い起こそうと提案していることは疑いの余地がないと私は思う。「木戸銭所望」とは定石に合わないかも知れないが、底辺から見る「小沢論」は、「だからこそ書ける」一文ではないだろうか。

*  *  *  *  *

 小沢一郎私論(仮題)(草稿)

この拙文を、
鳴澤康予に、
そして、大勢の〈ハセベエイコ〉に、
贈る。


 序に代えて


 自分のことから書くことにする。

 10年ほど前から、僕は、新宿歌舞伎町という一大歓楽街の異国人エリアで、五年間を生きた。
 その頃の僕は、だらしなく風化していく日本社会に、愛想がついていた。
 黒服のヤクザたちや安物の派手なドレスをまとった異国の女たちが闊歩するその場所は、高度経済社会の象徴である〈現代日本〉から最も遠い、特に、政治などというものとは一等無縁な、治外法権の場所だった。
 僕は、そうした無頼の街に生きながら、「ここから〈世界〉が視えるか?」と、自分に問い続けた。
 ここから〈世界〉が視えなくなったら、もう、おしまいだぞ。「ここから見える光景は〈世界〉につながる」という発想を持たない限り、お前はおしまいだぞ。そう、自分に言い聞かせながら生きていた。

 その時期、つまり、1990年代後半から新世紀当初にかけて、日本国家を棄てた僕に、日本を意識させてしまう、つまり、〈世界〉を感じさせてくれる政治家が、たった一人だけ、いた。

 小沢一郎

 という保守政治家だった。
 特定郵便局長、つまり、保守政界で「郵政族」と呼ばれる族議員たちの元締めである全国特定郵便局長会(通称「全特」)の一員であった僕は、14年間ほど、小沢一郎という保守政治家と、無縁ではない場所にいた。
 しかも、僕の住んでいた土地は、小沢一郎たちが、「あんたが大将!」と御輿を担いだ竹下登元首相のお膝元の島根県だった。
 身の不徳から、僕はその業界を石もて追われたが、1993年に東西冷戦構造が崩壊して将来指針を失ったこの国の政界において、保守政治家にすぎない小沢一郎だけが、世界との関係の中で日本のあり様を冷静に考察している、小沢一郎がいなくなったら日本の政治はおしまいだな、と思ってきた。
 ただ、不運なことに、この小沢一郎という政治家は、おそろしく不器量で、とてつもなく口下手で、およそ、タレント性に欠ける男だった。
 しかも、当時の彼は、不遇を生きていた。
 この経緯は今の青年たちにはわからないかもしれないが、日本共産党やマスコミの策謀で、「ファシズムだ」「強権政治家だ」というレッテルを貼られ続けてきた上に、非自民党政権である細川連立政権の突然の瓦解、阿呆としか言いようのない「自社さきがけ野合政権」の成立、そして新進党の解党......、等々によって、政権交代の眼は消え、彼の政治思想を評価する気運は、この国から消えていた。
 そして、傲慢だとか、人づきあいが悪いだとか、およそ、政治思想の本質とは何の関係もない枝葉末節的なことがらで彼を全否定する風潮が、まかり通っていた。
 わずかに、「自由党」と呼ばれる小政党に集った少数の人々だけが、小沢一郎を支えていた。
 歓楽街歌舞伎町で、たまに手にする日本の新聞を眺めながら、時代のだらしない風化に、独り、懸命に抗(あらが)っているこの政治家の〈無念〉を、僕は思った。
 その抗い方を遠望しながら、やっぱり、この男はいいな、と思った。
 彼への悪態記事を読む度に、「おい、負けるなよ」
 一度も逢ったこともないその政治家に、歓楽街の薄汚い喫茶店の椅子から、彼には何の役にも立たないであろう声援を、僕は送り続けた。

 それから、数年が経った。
 僕は相変わらず貧乏な放浪者のままだったが、小沢一郎は、民由合併を経て、民主党の党首になっていた。幾多の障害を一つ一つ取り除いて、階段を昇っているのが、よくわかった。
 よく頑張っているな、と感心した。

 2年ほど前、小沢民主党の参院選挙投票日の数日前に、僕は、ネット上に『世川行介放浪日記』というブログを持った。
 参院選の投票結果が出る前に、「小沢一郎頑張れ!」と、表明しておきたかったからだ。
 それからは、わずかばかりの〈未知の読者〉相手に、身辺雑記や、時事問題への雑感などを書きなぐってきた。日記の表題である「放浪」とは、文字通りの放浪であって、僕は、この10年間、一片の公的存在証明書も持たず、日本国内を放浪しながら生きてきた。
 新宿歌舞伎町での五年間の浮浪者生活から始まって、千葉、大阪、新潟、富山、また上野...、さまざまな土地をさすらった。税金なんて10年間一度も払ったことがない代わりに、国家からの生活支援も一切なかった。
 幸いにして健康だったから、健康保険証がなくても、何とかしのいでこれた。
 住まいは、いつも、ネットカフェ。たまに大金が入ると、サウナに泊まった。ビジネスホテルなんて高級(?)な宿泊所とは、縁が切れて数年になる。
 つまり、僕は、当節流行の「ネットカフェ難民」の先駆者だ。ここ半年一年の「にわかネットカフェ難民」たちとは、格が違う、なんて威張っても、なんの意味もないけどね。
 当節のネットカフェ難民は、政治の被害者みたいな泣き言ばかりを言っているが、僕には不思議でたまらない。ネットカフェに泊まれる財力があるだけでも、自分は幸福だ、と思うべきだ。僕は、放浪時代、お金がなくなると、冬でも春でも、駅や公園のベンチに寝た。駐車場の隅っこで寝たこともある。
 そんな放浪者が、僕、世川行介だ。
 つまり、僕は、超資本主義国家日本の埒外を生きてきた、一等卑小な存在だ。

 そんな卑小な放浪者である僕が、20数年間にわたり、小沢一郎という保守政治家にだけは、格別の親近感を覚えてきた。
 2009年3月3日、小沢一郎が西松建設問題でマスコミに叩かれ、民主党党首を辞任した。
 僕は、日記に、『小沢一郎への想恋歌』という文章を掲載し、こんなくだらないバッシングに潰されるな、と書いた。
 それを機に、僕の『世川行介放浪日記』の中で、小沢一郎に言及する記述が増えてきた。それが昂じて、とうとう、09年7月から、拙い限りの『小沢一郎私論』を連載するようになった。
 その連載に先立って、売れない貧乏な物書きである僕は、
「ネットで売文稼業をやってみたいので、この『小沢一郎私論』が読むに値すると感じた読者は、購読料を送ってくれ」、ネット上の〈未知の読者〉たちに、そんな厚かましいお願いをした。
 そうしたら、何十人かの、顔も素性も居住地も知らない〈未知の読者〉諸氏が、次々と送金してくれた。しかも、回を重ねるごとに、その数が増え、送られてくる購読料も増え始めた。
 これは、少し、驚きだった。
 そうなると、いい加減なものを書くわけにはいかない。
 少しは自分の足で取材したものも書かなくては、木戸銭を払ってくれる読者諸氏に失礼ではないか、と考え、政権交代選挙直前の水沢行を思い立った。
 あらためて言うまでもなく、水沢は、旧岩手県水沢市、小沢一郎の故郷であり、選挙区だ。
 そこでの10日間の取材内容を、『水沢紀行』として掲載した。
 以下の文章は、その『小沢一郎私論』と『水沢紀行』を加筆訂正したものだ。
 僕は、ただの一度も小沢一郎本人を取材することなく、この文章を書いた。
 20数年間、この男を注視し続けてきたという僕の自負が、この文章を書かせた。この自負には、いささか胸を張っている。
 しかし、この二つは、その内容から、或る「ネット暴走族」から、組織的な非難攻撃を受けた。
 ネットを舞台に、その連中と大太刀回りを演じた。その痕跡は、今もネットに残っている。
 そういういわく付きの文章だけに、愛着ひとしおのものがある。
 書籍化に当たって、一人でも多くの読者に読んでもらえれば、幸いの一言に尽きる。

 小兵衛代送

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.the-journal.jp/mt/mt-tb.cgi/6188

コメント (33)

■コメント投稿について編集部からのお願い

《THE JOURNAL》では、今後もこのコミュニティーを維持・発展させていくため、コメント投稿にルールを設けています。はじめて投稿される方は、投稿の前に下記のリンクの内容を必ずご確認ください。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

<豊後の小兵衛様>
木戸銭の件、承知しました。世川さんだけでなく、豊後の小兵衛様がどのように攻撃されたかは、小沢さんの公式ホームページの掲示板で知りました。
豊後の小兵衛様まで世川氏をネタにまるで金儲けしようと目論んでいるかの如く、酷い書き込みが見られました。
ネット内において、恣意的に他者(異論反論ではなく)を罵倒する組織や風潮があり、一度被害を受けると、精神的にダメージを受け、便利なコミュニケーション手段のはずのネットが怖くもなります。
金儲けなら世川氏は、ネットカフェや道端で寝る羽目にはならず、氏が贅沢とされるビジネスホテルに泊まっているはずです。少し考えれば分かる事をまったく無かった事にして、闇くもに一方的に口汚く罵る彼らは、許せません。どうか、めげずに出版まで漕ぎつけてください。
世川さんと小沢さんで、対談して欲しいな。

木戸銭云々は氏のHPの中だけにして下さいな。紹介だけで十分なんじゃないだろか。関係の無い一ザ・ジャ-ナル読者である私には、少々うざい。

風さんのおっしゃている事は全くもってごもっともです。

私もコメントにより促した事でもあり、又、個人的な事にせよ、何時、私達も世川氏と同じ立場になるかもしれないと云う事で、自責の念と恥を忍んでのお願いを、一度だけ許して下さい。

しかし、ジャーナルは強気だな。
すばらしい!

「みんなでやろうぜ!」

 ここのところ、豊後の小兵衛さんの紹介してくださった世川さんのブログにかかりっきりになっていますので、購読料の振込先が分かり、重宝しています。あらかた読み終えてから振り込むか否かを考えようと思っていたら、振込先が分からなくなっていましたから。
 それにしても秀逸な論考です。早速アマゾンで世川さんの著書を買い漁りました。
 小兵衛さん、ありがとうございました。

世川さんの日記は、毎月3000円何がしの金を払って読む「新聞」よりも、ずっと面白い。(もっとも、私が新聞で一番よく読んでいるのは読者登壇とTV番組、株価情報、介護のコーナーくらいなんだけども、あ、毎朝運んできてくださる新聞配達野方には感謝しています。)
それは、世川さんの文章に小沢氏の体臭と、体温が伝わってくる。
早く次が読みたくなる。
いつも、世川さんの小沢論を読むと、ここの編集長の高野さんのインサイダー3月30日付けにある「 こういう言い方をすると、返ってくる反応は見えていて、「お前はそこまで小沢ファンなのか」「何でそんなに甘いんだ」というものである。しかし、私は小沢ファンでもないし彼に対して甘くもない。“小沢パラドックス”(本誌No.484)を引きずりながらも身を擲って戦後初の本格的な政権交代を実現してみせることが小沢の宿命なのであって、それがいかに過酷なことでありその途上で政治的もしくは肉体的生命を失うことがあったとしても、彼にはそれを全うする義務と責任がある。死んでもいいから政権交代をやってみろ、中途半端に投げ出すことは許さない、ということである。」を思い出す。


匿名で「私も買いました」「私も振り込みました」という書き込みは止めて欲しいです。関係者がいくらでも偽装できますし。

<M. Suzuki様>
気持ちは判らないでもないけど…。コメントを、もう少し素直に受け取りませんか?
所詮、ネット上のやり取りはバーチャルな世界だし、一見実名に見える名前も真偽はわかりません。
コメンテーターのカキコミの真偽をうんぬんすれば、結局このサイトで真剣に議論を戦わせる事自体も否定することになります。

私はネット上のやりとりであってもバーチャルな世界とは思いません。実際にネットの書き込みで逮捕されてる人もいます。今回のことはお金が絡みます。バーチャルでなく実際にお金を払う人を期待しての記事ですよね。

それから、これは編集部へのコメントですけど、豊後の小兵衛さんの記事ばかり載せるなら「よろんず」の看板は降ろすべきだと思います。

早速アマゾンで検索してみれば、氏は数冊の著書を販売ルートに乗せているではありませんか。その上で、木戸銭とは、図々しい。氏の生業を何故に応援せにゃならんの?幸いな事に小沢論も出版の運びらしいし、後は市場での淘汰を待つだけでよろしいと思います。

世川さんの小沢論が THE JOURNAL に登場し、実はひっくり返るほど驚いている読者です。(以前、THE JOURNAL でリンクされた、TOKYO CALLING(・・・でしたっけ?)を読んでいる時に、そこで世川さんのブログを知って以来の読者です)

私は世川さんのブログは、「世川さんの小沢論」と「世川さんの漂い」を全てひっくるめて唄われたものだと思っていましたので、とてもデリケートに読んでおりました。
だからそれを扱う豊後の小兵衛さんにも、また、THE JOURNAL 編集部にも、同じくデリケートに扱って欲しいと個人的にそう願っていて、本心としては、出版まではまだあそこから出しちゃいけない・・・とまで思っていました。今はまだ世川さんのブログ紹介だけにしておいてくれ・・・と。ましてや、小沢論だけを世川さんから切り剥がす様な豊後の小兵衛さんの乱暴さにも驚いています。

私は余程のことがない限り人の批判はしませんが、豊後の小兵衛さんのご努力と親切は重々承知の上で書かせていただくと、この一連の記事のみならず、豊後の小兵衛さんは少しプライベートと公共をごっちゃにしすぎだと感じております。

私は女ですが「男の美学」を大事にしたいと思っています。無駄だからこそ美しいものもあるのに、無駄を省いた整理整頓のサービスを、本当に世川さんが望んだのですか?

<M. Suzuki様>
どうも私が、火に油を注いでしまった様です。
少し経緯を整理すると、まず、木戸銭を払う事については、豊後の小兵衛様の前回の板に、文闘春潮 編集長9/x様が振込み先を教えてくれ!との書き込みに答えたもので、M. Suzuki様が思っている様な理由ではないと理解しています。
次にYORONZ

<M. Suzuki様>
失礼しました。半端なまま投稿してしまいました。(続き)
次によろんずに豊後の小兵衛様ばかり取り上げるのはいかがか?との指摘は、TheJOURNALの編集権に係わる事で、口出しすべきとは思いません。管理上の不備や誤植など、また、リクエストなどは自由ですが、この人だけを取り上げるな!の指摘は、踏み込みすぎだと思います。
<風様>
有料会員制のネット小説やコミックの配信と何処が違うのでしょう。
しかも、強制ではなく、読んで納得しなければ、払わなくても構わないのです。
本サイトにおいても、度々新刊書籍の売り込みが他の著者から成されているではないですか。
豊後の小兵衛様と他者と何処が違うのでしょうか?
<LEE様>
確かに、豊後の小兵衛様は、時々脱線しますし、その中に私が含まれる事もあります。
そこは、反省します。

em5467-2こと恵美さんへ
どう読んでも豊後の小兵衛氏が出版まで仕切って、さらには木戸銭集めをしているとしか読めないのだが、私の誤読かしらん・・。世川氏の本意では無い気はします。私も『平成海援隊』関連の情報で氏の小沢論を読んだが、ある理由で井戸銭は払わずに辞したことがあります。その時は、都会に漂う氏が数冊の著書を出版しているとは思っていませんでした。

em5467-2こと恵美さんへ
なるほど『よろんず』をその様に利用されているのですね。困ったものだ。別に私は氏のブログ自体を批判してもいませんし、木戸銭云々も氏の矜持の問題であろう。業者と豊後の小兵衛さんを同列に置いたら、小兵衛さんも立場が有りません。ひどす。

<風様>
>なるほど『よろんず』をその様に利用されているのですね。困ったものだ。別に私は氏のブログ自体を批判してもいませんし、木戸銭云々も氏の矜持の問題であろう。業者と豊後の小兵衛さんを同列に置いたら、小兵衛さんも立場が有りません。ひどす。<
おっしゃっている意味が判りません。私は、宮崎親分をはじめ二木さんなど他の「著者」も自らの書籍を紹介していると、いいたかったし、豊後の小兵衛様が、例え書籍の紹介をしようが、木戸銭の話に触れようが、差別的に扱われるべきではない、といいたいのです。
「業者」などとは書いていませんし、何が成る程なのかよろんずをそのように利用しているとか、何をおっしゃりたいのか、さっぱり判りません。

風様

お気持ちは察します。
今回の件は、NPOや任意団体の方が自分の活動に関する論文を書き、最後に活動資金がないことを訴えて寄付を募る行為に近いと感じました。
ジャーナル読者として、それに対して違和感をもつのは理解します。

但し、ジャーナルの編集方針として許容された内容であるならば別に構わないのではないでしょうか。
問題提起されたのは良いことだと思いますが、最終的にはジャーナルの編集方針に従うしかないと思いますが。

現在修業中さんへ

「よろんず」は読者主導型ジャーナリズムとうたっています。また、ジャーナルの編集方針に不満があるわけでもありませんし、書き込んだこともありません。

こと恵美さん
著者と業者を読み間違えました。深謝いたします。お許しください。さて、小兵衛さんは著者なのかしら?まあ、場違いだと思いますよ。

em5467-2こと恵美様
編集権に係わる事で、口出しすべきでないというなら、「よろんず」などどいう名前はもってのほかですね。ただでさえ、豊後の小兵衛さんだけは投稿が100%掲載されているようですし、他の投稿者と同列に掲載するのは、他の方に対しても失礼でしょう。

ところで、ネット上のやり取りはバーチャルではない(特に今回は)という考えに対しては、賛成しろとまでは言いませんが、ご理解いただけましたか?

元記事に対するコメントをしてなかったので、少し、
或る「ネット暴走族」から、組織的な非難攻撃を受けたと書いているが、本当にそうなのか?
別の場所で「ネット暴走族」などと相手を一方的に口汚く罵ったとしても、それは自分を正当化する根拠にはなりません。
世川氏のブログは検索で引っかかったので最近知りました(何かもめごとがあったようなので検索しました)。もめごとは何なのか検索したので、引っかかるのは相手を罵倒するような箇所。さらに、豊後の小兵衛さんもコメントに登場して「○○○なる「似非文学者」」(名前は伏字にしました)などと書いているのも見つけてしまいました。
感想としては、ご自分のブログ内だけならまだしもThe Jurnalまで出てきて「ネット暴走族」とか言った上、本の宣伝と木戸銭をお願いされても、おいおい、という感じです。

連続してコメント失礼します。
em5467-2こと恵美様の以下の好意的な認識には納得できません。
--------------------
木戸銭を払う事については、豊後の小兵衛様の前回の板に、文闘春潮 編集長9/x様が振込み先を教えてくれ!との書き込みに答えたもので、
------------------
それなら前回の板にコメントで答えればいいではありませんか?
新たに記事を投稿(しかも建前では必ず採用されるとは限らない)して質問に答えるのは変。
しかも記事の他の部分は世川氏の本の宣伝。本を買うにしろ木戸銭を払うにしろ、編集長9/xさん以外にも多くの人に、実際にお金を払ってもらうことを期待しての記事としか思えません。

編集部へ

始めてイチャモンを付けさせて頂きます。「よろんず」は投稿募集とのことですが、掲載には事前に編集部の同意あるいは特定の方(今回は大島さん=小兵衛さんの紹介が必要なのでしょうか)。どうも気になって夜も眠れません。それとも、友達の輪を目指しているのでしょうか?

いつもThe Journalを楽しみに読ませていただいています。読者の方々のコメントにも参考になるところが多々あり、これもたいへん楽しみにしていますが、わたし自身は勉強が足りず、なかなか皆様のお話に加わることが出来ずにおります。
ただ、今日はどうにも気になるところがあり、少しだけ書かせていただきます。

わたしは高野さんをはじめThe Journalの記事を読むのを楽しみにしていますし、世川氏の日記も好きなのですが、現状では、この二つはかみ合わないのではないかと思います。
現状では、というのは、The Journalの「コメント投稿についてのお願い」にある「投稿者名について」の項目が、ほとんど反映されていないという現状です。

ネット上でのやり取りが所詮バーチャルで、ハンドルネームでの真剣な議論・・・。
どうでしょう、それが高野さんの意図する「本当の意味で責任ある議論の場」なのでしょうか。


豊後の小兵衛さんも、世川さんの日記では実名で登場しますが、世川さんは意図的にそうされているように思います。また、実名での議論に世川さんが拘っていらっしゃるのは、氏の日記を読んでいると良くわかります。
そんな世川さんの文章を、実名を原則として求めているThe Journalに転載するにあたっても、豊後の小兵衛さんはハンドルネームをお使いになる。
また、世川さんは日記のなかで、無償で書くのはご自身の日記だけであると繰り返されています。しかし、繰り返し請われたためか、豊後の小兵衛さんにいただいた厚意を現金換算して執筆料と考え、The Journal向けに記事を書くというようなことを仰っていたので、ご自分を納得させるにはずいぶんと苦肉の策だなと思っていたのですが、見れば当該の記事に振込み先が併記されていて、その方が世川さんらしいと個人的には考えましたが、The Journalの中で、そして「よろんず」の中ではやはり、違和感を覚える方がいても不思議は無いのかなと思います。
(世川さんらしいなどと書くとご本人は気を悪くされるかもしれませんが)

<現状の>The Journalと世川さんは、どうにもかみ合わない。この記事のコメント欄が、記事の内容とはまた別のところでやり取りされているのを見ると、そう思えます。
LEEさんと似た印象で、豊後の小兵衛さん、どうして今、このような「振り付け」を、という気持ちです。

ネットの匿名性がもたらすプラスの効果というのも良くわかります。その効果を期待した場というのもあってしかるべきです。
しかし、匿名性のマイナス面もあるわけで、それを出来るだけ排除しようと意図した場もある。
その両方を「ネット上」のひと言で括ってしまうのをよく見かけます。とても残念なことだと思います。「許容されている」と「望まれている」を混同するのも残念なことです。
「コメント投稿についてのお願い」に示されているThe Journalの姿勢と、世川さんの日記で、特に今回も少し取り上げられている、ネットを舞台にした「大太刀回り」にあたっての世川さんの姿勢とは、わたしの目には相通ずるところ、ひとことで言えば「発言に対する責任」を求める姿勢があってたいへん共感するものなのですが、<現状>の、このコメント欄でみる今回の成り行きには、なにしろ残念です。

※「許容されている」は現在修行中さんのコメント中にある編集方針のことではなく、ハンドルネームの使用についてです。編集方針についても同様のことが言えるかも知れませんが、それは憶測で、投稿者名については毎回付記される編集部からのお願いから辿り明示されているので。

 風 さんへ
 「よろんず」に「議員の(官僚への)口利きをなくす」という題で投稿したことがあります。
 事前に同意も取り付けず気の向くまま投稿したので採用されるとも思いませんでした。 が掲載されました。
 反応は余りありませんでしたが。

 この投稿とは別に、「議員の口利き防止」及び費用と労力が無駄の典型である陳情について「直接陳情の禁止」を政権交代直後に民主党に意見を送りました。
 今の陳情幹事長室、地方の民主党県連等を通じて行う方式は私の意図したと頃と殆んど一緒でした。

M. Suzukiさま

豊後の小兵衛さんの記事が現段階で多いのは事実ですが、それは投稿数が多く、固定ファンもいらっしゃるからであって、編集部として特別に優遇しているわけではありません。


風さま

《よろんず》の投稿欄はトップページで告知しています。そこに投稿された記事から編集部が若干の編集(主にレイアウト調整)を行って、アップしています。まれに編集部宛に直接原稿を送ってくる方もいらっしゃいますが、ほとんどが投稿欄からの転載です。豊後の小兵衛さん、世川行介さんの原稿もそのような形で掲載しています。

よろんず様
「編集部の同意も得」世川氏が論説を書く、との表現が有りましたのでイチャモンをつけました。私はどの論説も投稿もコメントも楽しみにしており、投稿もしておりませんので、僻みでの書き込みでもありません。やはり介在者がいることで、妙に捩れ感が発生したのだと思います。幸い世川氏もブログにおいて氏の意思に基づく投稿と書いてらっしゃるので、その通りなのでしょう。氏には「直線的」で「レベル」の低いコメントで申し訳ないと反省する次第です。

熱烈な自民党支持者様

国際連合憲章前文、目的にあるように、実に立派な理念が掲げられていますが、現実とは大きく乖離し、根深い問題が山積です。

その一つが国連軍問題です。国連憲章と逆のことを世界各地で戦争を故意に企て、事態を悪化させる悪魔集団がいるわけです。いわずと知れた米国政府中枢を巣食うネオコン、CIA、軍産複合体等の組織が暗躍しており、まともな国連軍平和活動を乱している。

世界諸国の市民の良識を代表する意志決定の上に立つ国連軍ならば、日本国憲法の範囲内で、小沢氏の主張する国連待機軍構想も成立するでしょう。

しかし、実態を鑑みるに、今なお時期尚早であり、この根本的問題を解決しない限り、国連決議も大変危ういものである。このような状況下での日本の自衛隊の海外派遣が危惧されるのも当然ではないでしょうか。

風さま

編集部宛に世川さんの寄稿について連絡があったのはたしかですが、そもそも《よろんず》自体が自由投稿欄ですので、よほどひどい投稿でない限り、編集部にそれを拒否する理由も権限もありません。また、編集部宛に投稿についての連絡はよくあることで、いつも「ご自由に投稿してください」との旨で返答しています。こういったやりとりを「許可」や「同意」と取られたとしたら困ってしまうのですが、それによって特段の優遇を与えるということではありません。連絡がないものでも数多くの投稿が記事としてアップされています。ご理解、ご了承のほどよろしくお願いいたします。

よろんず様

その様に当初より理解しております。
この辺で終了致します。
お手間をかけ、申し訳ありませんでした。

編集部は豊後の小兵衛さんを優遇していないとおっしゃいますが、豊後の小兵衛さんと世川さんの記事が投稿されたのは、赤虎頭巾さんのタイの記事や、島田庸介さんの原発の誤配管の記事より後ですよね。なのに、「よろんず」では豊後の小兵衛さんと世川さんの記事がまず掲載されて、豊後の小兵衛さんの記事ばかりという批判のあと、それより前に投稿されていたタイの記事と原発の記事が掲載されました。これでは優遇とおもわれてもしかたないのではないですか。

ひさしぶりに「よろんず」拝見しました。過去掲載記事と、世川氏のブログも拝見しましたが、おおよそはこの記事のコメントのM.Suzuki氏のご意見に賛同いたします。

ところで「優遇」云々の問題につきまして、「よろんず」編集部のご回答「そもそも《よろんず》自体が自由投稿欄ですので、よほどひどい投稿でない限り、編集部にそれを拒否する理由も権限もありません。」には、はて?と首をひねりました。
「よろんず」が生まれたころには、そんなに誰でも掲載されるような「自由投稿欄」というものではなかったように認識しておりましたので。

少し過去記事をめくってみました。過去の投稿既定のリンクは切れていましたが、高野孟さんのコーナーで6月25日の記事に、「よろんず」設立主旨が記されています。


それによると(以下引用始)「《よろんず》というコーナーというか、テーマ別のスペースを新設します。読者の皆さんには熱心に読みかつ書き込んで頂いて、我々にとっても勉強になる意見や指摘がたくさんあって喜んでいるのですが、個々の記事のコメント欄に途中からその記事とは直接関係ないコメントの連鎖が出来て、そのため同じテーマについてのコメントがあちこちに分散してしまって、後で参照しにくいという問題が生じています。そこで「中央広場」にあたる場所を設けて、テーマを立てて自由に議論します。ただしこれは、無限連鎖的なスレッド空間ではなく、我々が読者の皆さんの関心の集まり具合を編集部で判断して (もしくは読者のみなさんからの提案を我々が受け容れて)テーマ を決め、最初に趣旨や(必要な場合は)議論の順序・範囲などをきちんとプレゼンテーションして、進めていきたいと思います。」(引用終)


すなわち「読者の皆さんの関心の集まり具合を編集部で判断して (もしくは読者のみなさんからの提案を我々が受け容れて)テーマ を決め」ると、編集部の判断があることを明言しておられます。

しかし、いまの投稿規定にそういうことは書いてありません。いつのまにか「編集部にそれを拒否する理由も権限もない」「自由投稿欄」になっている。小生がここを見なかったあいだに告知があったのかも知れませんが。

「優遇」云々の問題は、この編集部方針の変更を知らなかったがために出た言葉かも知れませんね。

大志を抱いて出発した「よろんず」が、こうなるのも世の常、仕方ないでしょうが、少なくとも編集部との癒着を疑わせたり、一投稿者の公私混同・私物化を疑わせたりするような編集方針は、改めていただきたいものです。

>M. Suzukiさま

たんなる技術的な問題です。アップするために誤字・改行の修正などが多いと作業に時間がかかりますので、アップが遅れる場合があります。また、スタッフは複数で作業していますので、あるスタッフがアップしなかったものを、後日別のスタッフが記事としてアップすることがあります。M. Suzukiさんのご意見を読んで、誰かが過去の投稿を読んでアップしたのかもしれませんが、少ないスタッフでやりくりしておりますので、ご理解・ご了承のほどお願いいたします。


>渡邊順一さま

コメント欄は最初から自由投稿で、何の編集方針の変更もありません。投稿されたものの中から、議論するものを記事として編集部が掲載して、トップページに別枠でアップしています。そのほか、まれに編集部が議論を呼びかけることがあります。これは《よろんず》発足当初から何の変更もございません。当サイトは資金も限られている中で、スタッフの数も少ないことから細かい部分までにサイトの管理が行き届いていないことには誠に申し訳なく思っております。

世川氏の記事にコメントされた豊後の小兵衛さんの話と、このコメント欄2009年11月10日 12:37の編集部の話では、話がくい違っています。
編集部の話では、掲載ではなく投稿について、よほどひどい投稿でない限り拒否しないと言ったという話になっていますが、豊後の小兵衛さんの話では投稿が記事として掲載されるかどうかについて尋ね、掲載されるとの回答を得たことになっています。世川氏の記事コメント欄の豊後の小兵衛さんのコメント2009年11月18日 08:58より引用
--------------------------
 もし仮に、世川氏が文章を起こしても、それが「よろんず」からの投稿であったとしても非掲載となったら一大事でもある。
 そんな経緯から編集部に打診したことは事実である。 編集部からは「大丈夫です。世川ブログは読んでいますし、異論・反論を含めて、他を誹謗中傷するものでなければ非掲載はあり得ません」との回答を得た。
--------------------------

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

※[投稿]ボタンをクリックしてから投稿が完了するまで数十秒かかる場合がございますので、2度押しせずに画面が切り替わるまでお待ちください。

Profile

日本語の「ヨロン」という言葉には「世論」と「輿論」という2種類の漢字があります。実は、この2つの言葉は大きく意味が異なっていて、「世論(セロンとも読みます)」とは「感情的な世間の空気」のことで、「輿論」とは「議論を積み重ねてできあがった公的意見」のことを指します。《よろんず》が目指すものは後者の「ヨロン=輿論」をつくることであり、そのために、《よろんず》では情報のプロ・アマに関係なく自由闊達に議論を交わすための場所を提供します。メディアの調査で発表される「ヨロン=世論」とは違う真の「ヨロン」をつくるため、執筆者・出演者・読者のみなさんに、この新しい“知の共有空間”に参加いただけるよう呼びかけます。

読者投稿募集中!
↓ ↓ ↓
《よろんず》への投稿はコチラから

必ずお読みください!
↓ ↓ ↓
コメント投稿についてのお願い

BookMarks

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.