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豊後の小兵衛:ことばを失った日本人── 異聞二 »

豊後の小兵衛:ことばを失った日本人 ── 異聞

 このブログで再々紹介した世川ブログの筆者・世川行介氏が、氏独特の切り口で論説を書いてくれる約束ができ、編集部の同意も得られたのだが、故あって「小沢私論」(仮題)の再構成に没頭していて、その隙間がなくなっている。

 そこでしばしの繋ぎとして、ブログの転載を思い立ち、同意が得られたことから、数回にわたり、その一部を私の手で紹介することとした。なお、改行は文体を損なわない範囲で私の手を加えた。

*  *  *  *  *

■小沢一郎への想恋歌 2009年3月4日 23:11:07

 小沢一郎という政治家は、悲運を属性にしている男ではないか。
 そう思ったのは、今から十数年前、細川連立内閣が突然瓦解した時だった。
 政治理念よりも自分の立場や権利を重視する人たちのつまらない思惑によって、〈理念の実現〉という闘いの結晶が崩れていくのを眺めながら、この男は、いま、どんなに口惜しいのだろうか、と思った。

 あの時、世界の変革の本質にまるで無自覚だった旧社会党の代議士たちと、我欲だけで動き回って、当時一等高級だった保守理念を泥まみれにした武村正義とかいう代議士だけは、今思い出しても反吐が出そうになる。公明党や欲得勘定だけの自民党離脱組などは、論外だ。

 僕は、その直後から、政治などという大仰な世界とは全く無縁な男になり、特に、歌舞伎町に身を沈めている間は、世間の動向などに関心を持たなくなった。
 馬鹿な国民だらけの日本国家なんかどうにでもなればいい。日本国家よりも、歓楽街に潜むオーバーステイのクラブホステスの涙の方が、よっぽど重い。本心からそう思って生きた。

 ただ、時折、日本社会のニュースに接するとき、小沢一郎は、今、何をしているのだろうか、彼は何を考えながら政治にたずさわっているのだろうか、と思った。

 僕がこの日記を書き始めたのは、小沢民主党が参院選で勝利する直前だった。

 小沢民主党が勝利した後からでは、何でも適当なことが書ける。まだ勝利が見えていない時期にきちんと公言おくべきだ、と考え、2007年7月29日の日記に、「彼が政治を見る眼は曇っていない」
「小沢一郎がいなくなったら、日本の保守政治はおしまいだな、と思ってきた」と書いた。

 今もそう思っている。

 印象批評のような、あるいは芸能人へのファン投票のような浅い認識で政治が議論されるこの国において、悪党面の小沢一郎たった一人が、不器用きわまりない表現で、〈保守政治理念〉を語り続けてきた。
 しかし、彼の言葉はいつも、マスコミや旧左翼、あるいは天敵自民党によって、曲解報道され、彼の真意が国民に伝わることはなかった。
 つまり、彼は孤独を生きてきた。

 最近の世論調査で、「首相にふさわしい人」で、小沢一郎が一位になったと聞いた時、一番苦笑しているのは当の小沢一郎ではないか、と笑った。
 僕が、小沢一郎のどこを一番評価するのか、と言えば、それは、彼が、「政治家に下りていった人間」だからだ。
 多くの政治家たちは、「政治家に昇っていこう」とする。吉田茂だって、田中角栄だって、小泉純一郎だって、結局は、政治家に上昇していこうとした人間ばかりだ。
 戦後、そういう上昇志向を棄てて、政治家に〈下降〉していこうとしたのは、小沢一郎ただ一人だった、と僕は理解している。
 この点について、きちんと書こうとするとかなりの注釈が必要となるんので、省略する。

 彼と同質の匂いを放っている人物を探すとしたら、おそらく、明治期の西郷隆盛だろう。西郷もまた、政治的リアリストの立場から、国家理想を語る場所に〈下降〉しようとした人間だった。

 それがわかるから、江藤淳は、小沢一郎を高く評価し、孤立無援になっていた小沢一郎に、産経新聞の一面を使ってまで、「一度水沢に帰って隠遁しろ」と書いた。
 江藤淳は、その卓越した文学的嗅覚で、小沢から離れることのない悲運の匂いをも嗅ぎ取っていたのではないか。僕には、そう思えてならない。

 東京都知事石原慎太郎が、自分は、盟友江藤淳がなぜあんなに小沢一郎を高く評価するのかがわからない、と書いていたのを読んだ時、上昇志向を生きてきたお前にはわからないだろうな、と思った。
 政治家を、〈下りていく職業〉と規定する生き方は、そんな発想を持ったこともない多くの日本人から理解されようもない。しかし、小沢一郎は、それを自分に課し、愚痴もこぼさずに、一歩一歩着実に歩いてきた、ように思う。

 そして、今回の事件だ。
 これまで日本国家を支配してきた〈自民党的〉なるものが、最後の力を結集して、小沢一郎を撃ちに向かったのだ。生死をかけた政治闘争は熾烈なものだから、法を手中にした側の力によって、小沢一郎は無傷では済まなくなるかもしれない。

 ただ、今日、NHKニュースを見ていて、この最後決戦は、〈自民党的〉なるものが望むような結果には、すんなりとならないのではないか、という印象を受けた。

 小沢の反論に納得賛成する声があり、唐突な逮捕・強制捜査に、政治的策略の匂いを嗅ぎ取った国民も大勢いる。つまり、あっさり潰すには、小沢一郎という存在は、大きすぎる存在になっている。
 しかし、今回無傷で終わったとしても、小沢一郎なる政治家は、政治家という畳の上で大往生できる男ではなく、非業の末路を迎えるのではないか、という気がしてならない。
 ただ、僕たちには、それが彼の悲運に見えるのだが、おそらく、それこそが、彼が夢見てきた「政治家の生き様」であり、最大の勲章であるのかもしれない。

 だから、もし、まだ、僕がこの世にいたならば、彼が政治から退く最後の場面で、僕なりの大拍手を捧げたい、と思っている。
 今はまだ負けるな。小沢一郎。 

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» 小沢一郎への想恋歌 送信元 世川行介放浪日記
 小沢一郎という政治家は、悲運を属性にしている男ではないか。  そう思ったのは、  今から十数年前、  細川連立内閣が突然瓦解した時だった。  政治理念よ... [詳しくはこちら]

コメント (41)

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

政治家個人の評価や属性の分析って意味が無いですよ。国民のどの部分を代表しているかだけで良いと思います。

世川氏は、政治評論家ではないのだよ。
ただ、小沢氏を書いているのだよ。

元株やさんに賛同します。
既存メディアの評論家の小沢評より世川ブログのほうが、上等で面白いと、私は思う。
豊後の小兵衛様、私の様にすでに世川ブログをチェックしているコメンテーターもいるとは思いますが、より広く知らしめる事は、良いことだと思います。

””我欲だけで動き回って、当時一等高級だった保守理念を泥まみれにした武村正義とかいう代議士だけは、今思い出しても反吐が出そうになる。””

その通りです。民主党が勝利した直後にマスゴミが盛んに武村氏をコメンテイターに登場させ、一方的に小沢氏を攻撃していました。一番悪いあんたが何を言うかとテレビの前で叫びました。

世川さんの小沢論は私のような政治音痴にでも、すとんと胸に落ちます。
小沢さんは、長いこと叩き続けられてきたのだから、ここでこういう小沢論が出てきたのは、大変公平なことと思います。
知性に偏らず、情に流れすぎない世川さんの文章を応援します。

「創造的破壊者」
著名な歴史小説家が小沢氏は西郷隆盛と同じ「創造的破壊者」であり、両者には共通した悲劇性を感じると述べていた。

西郷は幕末、徳川家が再興しなよう徹底的に徳川の息の根を止めるとともに、明治新政府の裏では最強の権力を握っていた。

しかし最も信頼していた大久保利通と衝突し鹿児島(西南の役)で非業の最期を遂げる。その後日本は、2流の軍人、政治家達によって軍国主義国家への道を歩んでいった。

小沢氏も次の参議院選挙で自民党の完全崩壊を狙っているだろう。今や小沢氏は政界で最強の政治家となったが、ひょっとすると西郷のように悲劇的運命が待ち受けているかもしれない。

そして日本は小沢後、また2流の政治家達によって混乱の時代へと流されていくのではないか。

未来は判らないし
過去の真実も又然り

そう言った意味でも
小沢さん(民主党)を信じた結果が
先の衆院選だと思うし
今の日本の多数の意見なのかな

恵美さん、ご賛同ありがとうございます。

さて、今は静かなこの記事。
夜が明けたら、どうなるのだろう。一般人さんも来るのかな?
気持ち悪い・・・人も来るのかな?

小沢一郎研究の、良い機会になるような気がする。
なにしろ、焦点が小沢一本。

小沢ファンと、小沢信者と、小沢嫌いの本音が激突するのかもしれない。
(世川氏の文章の趣旨を逸脱するのは申し訳ないが)

ただ、できれば政治資金がどうのこうのはやめて(自民党の馬鹿みたいだから)、お話ししていただきたいな。

<元株や様>
とりあえず、一般…は、スルーしましょう。今回はテーマが小沢さん一本なのですから、小沢シンパの板ということで。
本日日刊ゲンダイの一面は、たまたま「日本最高の政治家小沢一郎」でした。ゲンダイによると小沢さんは、西郷より大久保利通に憧れているようです。また、今生では正当な評価はされず、後世に高い評価を受けるだろうと予測していました。
大久保利通に憧れても、イマイチ非情に成り切れない所や側近と思っていた人間に裏切られた過去など、遠い未来、歴史の教科書では、第二の西郷になるやも知れません。
心配なのは、小沢さんは言い訳をしない、誤解を恐れない、勉強不足の人間には、ともすると冷たく接する様に見える事です。
あの年代の男子からすると「男は黙って」と男らしさ満載なのですが、野村監督ではありませんが、「イマドキの人を育てるには、噛んで含んで理論で説得し、褒めて育てる」も必要なのだと思う今日この頃です。
今の日本で、小沢さんほどの政治家は見当たらず、消えてもらっては困ります。
なんとか、西松も潜り抜け、来夏の参議院選挙も勝利して小沢政治を思う存分展開してほしい。
その時、「私は、この時代を生きていて良かった」と思える気がするのです。

世川さんが上梓まで漕ぎつけることができるかどうか。
そっちの方が心配ですね。
日記読んでると、すごく大変そうだし……。

「私論」はあちらのブログですべて読ませていただきました。
私らの年代(50代)なら、あの小沢一郎論はよく理解できる。

なんとか出版までは生き抜いて欲しいもんです。世川さん。

「国民に説く政治家」

かつてケネディ大統領が「国があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何をできるか考えて欲しい」という名演説をした。

ところで先日、NHKの「永田町・権力の興亡」という番組の中で「政権交代で日本は良くなるのか」という質問に対し、小沢はケネディの演説を引き合いに「(政治家に)変えて欲しいではなく、私達(国民)が変えるという気持ちを持たなければ駄目だ」と述べた。

さらに小沢は「日本人は自立心が足りない」とし、「自分達で政権を作ったり変えたりする権限を持っているのにそれを行使しないでブツクサ文句を言っている」と辛口のコメントをしていた。

確かに日本人は過去50年間、自民党単独政権による利益分配政治の下で主体的に考えることをしなくなった。一方、殆どの政治家は表面上、国民に媚びへつらう振りをしながらケネディの演説にあるような本当の政治のあり方を国民に説いてこなかった。

小沢は「今回の政権交代で国民の間に自立意識が芽生えれば本懐だ」と締めくくったが、我々も民主党政権に何をやってほしいではなく、住みやすい社会を実現するために、自分は明日から何をすべきかを考える事が重要なのだろう。

小沢さんが政治家としてなぜかくも魅力的なのか評論家張りに個々の事象を分析することは殆ど無意味に近いですね。瀬川さんの仰る「匂い」というのが一番信頼がおける気がします。その匂いを感じとるためには本質を理解する知性が必要です。それが江藤淳氏にあって俗人の極み・石原慎太郎氏に欠けているものなのではないでしょうか?
ところで小沢さんとは関係ありませんが、「豊後の小兵衛」さまのご紹介で「世川ブログ」を初めて読んだ時、何ともいえない感動を味わいました。昔どこかで同じような感覚を味わった気がして、それが思い出せず長いこと考えていたのですがやっと思い出しました。「ジャン・ジュネ」の「泥棒日記」を読んだ時の感動と一緒でした。放浪の一生を送ったジュネの感性は比類なく魅力的なのですが世川さんにも同質のものが流れているように感ました。これからもブログを覘せていただきます。

変換ミスです。ごめんなさい。

瀬川さん⇒世川さんでした

先週、生の小沢さんに会ってきました。

ずーっと立ち続けて、しかも笑顔を絶やさず握手をされていました。それにつけてもマスコミの小沢さんの写真は、ネガティブな写真のオンパレード。

悪役のイメージを作り続けるマスコミよ、恥を知れ!

<山嵐様>
うらやまし過ぎです。都内に住んでいても、小沢さんに接する機会はとんとありません。
私の選挙区の議員が反小沢だからなのですかね?

先日、NHKスペシャルを見ていたら、小沢さんがインタビューに答えていました。

2大政党制というより、自民党を倒したかっただけのようでしたし、自民党の対立軸を求めるためには、改革を唱えても小泉自民党との違いが鮮明にできなかったために、「生活第一」などの方針を思い描いたようです。

選挙のための政治を理想としていて、選挙に勝てそうなアピール度の高い政策を打ち出しました、と政権与党の幹事長がテレビで露わにしても、何の反駁もないのは日本くらいじゃないでしょうか。

政府への陳情は、幹事長室に1本化するらしいですが、陳情に伴う寄付を1本化したいのが見え見えで笑ってしまいました。

「数と金」、これが小沢さんの政治理念だと思います。数は金を呼ぶし、金は数を呼ぶ。正論といえば、正論ですね。

豊後の小兵衛様
お久し振りです。影に日に世川さんを励まし続け、あと少しで上梓までこぎつけられたのは、ご本人の努力もさることながら、小兵衛様のお力があってのことと拝察いたします。あれ以来、世川ファンの一人としてささやかながら毎月購読料を送らせていただいております。
「小沢一郎私論」はもちろんですが、世川日記には、昔見た映画「長屋紳士録」を彷彿とさせる人々の喜び悲しみが横溢していて、目が離せなくなりました。
THE JOURNALに、世川行介氏が登場するなんて信じられません。(一本気な人だからケンカしないか気がきでないのですが。)
emこと恵美様
「小沢一郎応援団」に登録されると講演会など(今回は10月30日小沢一郎政経フォーラム)の案内がきます。
次回は12月とのことです。恵美様には是非入っていただいて、以前どなたかがいってましたが、参議院選挙に立候補されたらよいと思います。

<石川様>
ありがとうございます。m(_ _)m
小沢さんに会えると思うと胸が高鳴ります。
うれしい!

小沢さんほど、イメージと実態との違いで損をしている政治家(人間?)はいないと思います。勝手な憶測ですが、小沢さんは自分自身の弱いところ(実は情にもろい!)を分かってるがゆえに、それに流されないよう理論武装していて、それがともすると、強面(こわもて)に見えるのじゃないかと思います。(情「ナサケ」は理屈じゃないですからね)たとえてみると、蝦や蟹は、外側の殻は硬いけど、身は柔らかいみたいな?感じですか?なんにせよ、国民的人気?などとは一切縁の無い政治家だという自覚は、自分自身持っていると思います。(でもその分、カルト的?ともいえる一部の人々の熱狂的な人気はあると思いますが。)ともあれ、今の政治家としての評価はともかく、歴史的に見て間違いなく、評価される人物の一人だと思います。(田中角栄さんと同じ?)田中角栄的、金権政治の権化などと、評する人が多々ありますが、全く持ってくだらない人々ですな。金は手段であって目的であるはずがない。木を見て森を見ず。小沢さんには、今の権力を使って、思う存分思ったとおり政治を動かしてほしいと思います。残された時間はあまりない。現代の人々が何を言おうと、やがて歴史が評価してくれるでしょう。不器用だが信念を持って生きてきた小沢さんに期待する、一般市民の独り言でした。

「小沢氏は悲劇の政治家か?」

何故、小沢氏は国民やマスコミなどから誤解を受けるのか?どうやら小沢氏の言う「考えることをしない国民やマスコミ」が(本質ではなく)表面的事象だけで小沢氏を捉えるからではなかろうか。

例えば「政府への陳情を幹事長室に1本化する」という改革は、自民党政権下での族議員による利益誘導政治や陳情政治のムダを無くす為ではあるが、小沢氏に権力を集中させるために陳情を1本化したと下司の勘ぐりをする輩も多い。

一方、小泉ブームの時のように小沢氏の表面的部分(例えば豪腕だとか選挙上手など)に拍手喝采する小沢ファンだという国民もいる。

こんな上滑りな国民やマスコミが存在するうちは小沢氏の言う「自立した国家や国民」の実現は遠い話なのかもしれない。それが小沢氏を悲劇の政治家?にしているのだろうか。

マザーテレサの御存命中は子育てと仕事で忙しく実現出来なかったが、
生小沢師の御尊顔は一生に一度で良いから、何としてしてでも拝みたいものです。
悔いを残さないために。

「正論を吐く」という言葉は、この国では、ネガテイブに使われることが多い。
この精神風土が、小沢氏の正当な評価をゆがめ続けてきたように思う。
言い換えれば、国民の側にというか、日本のマスコミや政治評論家といわれる人々に、小沢氏をまともに評価しようという度量がない、ということだ。
この混迷の時代に、せっかく小沢氏という傑出した政治手腕と、ピュアな理想と頭脳を併せ持つ政治家を持ちながら、その力を活かすことより、削ぐことに必死になるとは、国民と国家にとって、なんという悲劇であろうか。
検察が、政治資金規正法の適用を違法にに曲げてまで小沢氏秘書逮捕という暴挙にでなければ、またマスコミが検察の手先となって、狂ったように「世論調査」を行い、「小沢氏は説明責任を果たしていない」、と毎週書き続けなければ、小沢氏は辞任することもなく、今は鳩山氏ではなく、小沢首相だったかもしれない。
さすれば、小沢氏の二十権力などという批判の起ころうはずもない。
マスコミは自分たちこそが、小沢氏を首相の座からたたき落としておいて、いまさら、何を言うか。その自覚のカケラもない。

これらすべては、歴史に残り、後世の国民によって、記憶されるだろう。
マスコミも、反小沢を繰り広げている評論家たちも、すでにしてしまったことからは、もはや逃げることはできない。
歴史の評価が、彼らを待っている。

小沢氏を西郷隆盛と重ねる向きがあるが、小沢氏は、今も生き、精力的に国会改革を目指しているのである。
その姿勢は、与党も野党もなく、公正そのものである。

日本人は、悲劇の英雄が好きかもしれないが、小沢氏を悲劇の政治家にしてはならない。
今こそ一人ひとりの国民が、「正論」に耳を傾けなければ、新しい時代を産み出すことなどできない。

つまらないものを読んで
久しぶりに、風邪以外で
寒気に襲われたよ

信者には何を言ったところで無駄だと言う事は
よくわかっている
小沢に殺されようが笑って死んでいくのだろう
周りは迷惑するのだが

いずれにせよ、鳩山政権は長くは持たないだろう
言葉が軽すぎる
小沢は選挙の為なら、鳩山なんて簡単に切るだろう
それで民主党が持つとは到底思えないんだが

ここでの小沢支持度が高いのはわかるが
小沢が代表時には、いくら西松問題があったにせよ
あの麻生にさえ支持率で負けているのだから
世間一般の評価はその程度だ

各テレビ局が報道した選挙速報番組において、24時間テレビの後に放送した日テレが高視聴率をマークした。
例えば、昔の漫画がアニメとしてリメイクされたならば「あしたジョー」は顔を歪められて下手をすれば規制されかねない対象になり、ばかばかしくて読んでいられなかった「ガンバレ元気」の方が現代の風潮からすれば人々は感動をするのだろう。
私はほとんどの職業において、才能よもやりたいという気持ちが強い人がその職業に就いていると思う。平等に権利があると云う意味では良い事なのかもしれない。
「放浪日記」とは、もし「麻雀放浪記」から少しでも来るものであらば、もう一度読み返し、生き様にせよ日銭を稼ぐにせよ、世川氏には別の職種を探し頑張っていってもらいたい。

豊後の小兵衛様

 小沢一郎さんは、日本国民が、国家の名誉にかけ、全力をあげて日本国憲法の前文に掲げた崇高な理想と目的を達成することを誓った約束を尊重して遵守するために政治家に下りていった人であると、私は推察します。

「変わらずに生きていくためには、変わらなければいけない」。小沢氏が、民主党代表戦に出馬するときの言葉でした。そして民主党は変わり、政権を奪取した。「山猫」という小説の一節からの引用した、この小沢氏の言葉に、僕は小沢氏の心の叫びを感じ、強く感銘を受けたのを覚えています。
あの細川政権時、国民の希望であったあの細川政権時に、政治改革をあざ笑うかのように手を振りながら反対投票した、社会党をけっして許さない、そう思ったのも事実です。
彼らはいまなにを思って生きているのだろうか。
あの政治改革があってこその、今日の政権交代ではないだろうか。

インテリの皮をかぶった、政治的ちんぴらの武村某など、いまだに顔を見るだけでも虫ずが走ります。竹中のにやにやした、上から目線の二流の経済学者の顔もうんざりですが、武村某に比べれば、罪は一等下だと思います。
武村某が策動しなければ、竹中など小物学者が跋扈することもなかった筈だからです。

誰もなしえなかった、政権交代可能なシステム。それこそが、細川政権の大きな功績であった。ちなみにもう一つの課題であった、国民福祉税が導入されていれば、今日の国家破産はなかったはずだが。それを言うのは結果論であり、潔くはないかもしれないかが。
ともあれ、小沢氏が、理念のために「変わった」ように、私たち国民も変わらなければならない。それこそが、「変わらずに生きていく」ことにつながるのだと思います。
日本が変わろうとしているとき、少しぐらい税金が高くなろうと、控除がなくなろうと僕はその痛みを甘受したいと思っています。
小泉一派の私利私欲のための「痛み」の強要に比べれば、100倍納得できる負担だと思うからです。
平和ボケしている私たち国民は、腹をくくってやり直すときがきたのかもしれない、私たちは、いま第二の戦後を生きているのだと。実弾こそ飛び交わなかったが、多くの人が命を落とし、指揮官が無能なために敗れてしまった、世界経済という戦争の敗戦国なのだ。そして宰相小沢は、そんな敗戦国に、不可欠なリーダであると思うのだが。

最後にあまりにも感情の多い文章になったことをお詫びします。

国会議員の中で現在では小沢だけが【真の政治家】に成ってしまった。うわべだけで政策を語り、信念を持っていないから官僚に良い様に操られてしまう。選挙前に公言していたことが今、民主党がぶれ続けている感じがするのも、政権担当している政府の責任が有るため、理想と現実とのハザマに揺れているのだと言う。民主党議員一人ひとりは政策通で、個々の無駄を追求する能力は有るのだが・・・

しかし、このままでは鳩山政権が持たない気がする。スマートで礼儀正しい総理は、麻生さんとは好対照で有り、品は感じられるのだが閣僚を使いこなすには迫力不足です。友愛精神も正しいし、目指す方向は正しい。しかし其の目的を遂行する為の大鉈を振り下ろせないで居る。

120年の官僚政治の打破、平成の革命的改革と言う言葉とは程遠いプチ改革にしか感じていない現状では国民は冷めてしまう。天下り団体全てを無くしてこその財源確保であり、公約を実現できるのです。

小沢さんは以前に比べ元気になったように見えます。衆議院選で選挙担当を任されてからは水を得た魚のごとくの活躍ぶり。来年の参議院選もこのまま勝利を導いてくれるでしょう。しかし参議院も過半数を超えて安定多数を得たときには、其の豪腕を政府で活かすべきです。小沢さんの描く未来の日本とは国民の望んでいる改革された新しい日本の姿です。

小沢の著書「日本改造計画」の中で大久保の名をあげていたのには昔失望した事を思い出しました。
西郷フアンで小沢シンパの私としては小沢は西郷でなければならないのです。南洲翁遺訓の中の
「廟堂に立ちて大政を為すは、天道を行うものなれば、些(いささ)かも私を挟みては済まぬものなり。いかにも心を公平に繰り、正道を踏み、広く賢人を選挙し、能くその職を任(たす)くる人を挙げて政柄(せいへい)を執らしむるが、即ち天意なり。」
は正に小沢の無私の心を表しています。

「天運」
諸氏のご意見興味深く拝読いたしました。私は、歴史上の人物と同じく、小沢一郎氏は「天運」を持っていると思います。金丸氏が失脚して以降、政治の表舞台から消えてもおかしくない状況は何度もありましたが、ギリギリのところで生き残り、今権力を手中に収めています。今後どうなるかは神のみぞ知るところですが、大袈裟ではなく、日本の命運を握っている政治家であることは間違いないでしょう。
 NHKのドキュメンタリーを私も見ました。印象に残ったのは氏が醸し出す雰囲気の変化です。「ひろこ氏」が指摘された「匂い」の変化でしょうか。細川政権の時は殺気だっておりましたが、今は「父性」を強く感じさせています。民衆を心から安心させる「父性」を醸し出し始めたが故に、先の参議院選挙以来、氏に対する国民の支持が大きくなったのではないかと思います。
 政治というのは、いろいろ理屈をつけても、結局は政治家に対する信頼です。それは欧米でも同じでしょう。F/ルーズベルト大統領やレーガン大統領は政策で信頼されたわけでなく、彼らの持つ「父性」が国民を引き寄せたのです。田中角栄は「田中の親父」と呼ばれていたようですが、今の日本の政治家で「父性」を体現している唯一の政治家が「小沢一郎」であると思います。
 マスコミは相も変わらず小沢叩きに熱中しています。私が思うに、インテリ(と思いこんでいる)の記者から見て、なぜ小沢氏が民衆から支持されるのか理解できないのでしょう。理解できないが故に、「俺たちが正体を暴いて民衆の目を覚ませてやる」と意気込んでいるように思えます。民衆は、彼らが思っているほど馬鹿ではありません。机上の空論しか言えない「インテリさん」の言質に真面目に耳を傾ける民衆はいないでしょう。ただ、恐るべきは同僚議員たちの「嫉妬」です。平野氏でしたか、政治家は嫉妬深いと書いていたのは。民主党議員が、かつての武村氏や村山氏のようなことにならないか、目を凝らして見ていきたいと思います。
 最後に、小沢氏を歴史上の人物に例えると、私は「家康」だと思います。家康も若いころは随分無茶な戦をして、何度も負けているようですが、不思議と止めを刺されませんでした。そして権力を掌握し幕府を開くと、徹底的に豊臣一族をつぶしにかかりました。また、さっさと将軍職は息子に譲って駿府で院政を敷いています。

「日本改造計画」を、時々取り出しては読んでいます。
言ってることと、やってることに違いはないか。
方向性に変化はないか。

驚くほど何も変わっていないのがすごい。

だから私は「小沢信者」。

しかし、この16年の寄り道は痛かった。
福祉税がうまくいっていれば、私もそう思ってしまう一人です。
当時なら、国債の残高も今の半分以下だった。
また、日本人の所得水準、生活水準も、増税に十分耐えられる「強さ」があった。
無駄な国の機構を改めるのも、ゆっくりやれた。

しかし、現状は13年前とは全く違ってしまった。
まずは、色々なの国がらみの法人の整理を行い、公務員の給与水準をいじり、国民の納得を得たうえでなければ、消費税を上げることなどできはしない。

鳩ポッポに出来るのだろうか。

長い目で見なけりゃいけないと思いつつも、どうしても考えてしまう昨今であります。

私は、15~16年前に日本改造計画を読んで以来、小沢一郎と云う政治家を変わらず支持しています。

彼が、自由な競争のある社会の前提として、自由が自己責任の上に成り立つことを国民が自覚すること、社会的セーフティーネットが必要不可欠であることを非常に解り易く平易な言葉で語っていたのがとても印象的でした。その他消費税の問題等含めてその提言は今へと生きています。

彼は、この書で自由な社会の維持の為には国民も責任を負わなければならないと国民に意識改革を求めています。
平和ボケしている国民にはっきりと負担を求めたのです。こんなふうに政治の在り方・国民の在り方・社会の在り方などの基本的なことを啓蒙しようとする政治家はいませんでした。
私は、そこに小沢の国民に対する敬意と愛国心を感じるのです。
ここ最近の小泉純一郎を中心とした自民党政治はその対極にありました、国民を色分けし一方をB層と呼び蔑視しつつ最大限に利用する彼の政治手法と言葉からは国民に対する敬意・愛国心は感じませんでした。このような国民を馬鹿にした政治が長続きする訳がなかったのです。

世評は人をつくります。マスコミは世評をつくります。その逆境の中を愚直に歩み続け政権交代を成し遂げた政治家達に敬意を表します。
しかし、いま特に民主党支持者に必要なことは、この事実を革命と言う言葉に置き換え酔いしれることでは有りません。小沢を悪戯に神格化してしまう事でも有りません。
目先の出来事に一喜一憂することなく端緒に就いたばかりの国会改革・政治改革を早急に行い与野党が公平な立場で闊達に討議できる場を作り、本格的な行財政改革に一刻も早く着手出来るように見守り強力に後押ししていくことだと思います。
小沢の評価はもっと後にやれば良いのです。

ここに投稿されている小沢さんを強く支持されている皆様のご意見には全く同感であり、いつも心強く感じながら拝見させていただいております。又、世川さんのプログも共感をもって読ませていただいております。
 私は同時代を生きた政治家の中で尊敬している政治家は次の3名と思っております。
第一は共産主義のくびきから東欧を開放した「ゴルバチョフ」、第二は毛沢東主義と決別し、現代中国の発展への道を開いたよう鄧小平です。第三が真の国民主権の議会制民主主義の確立と日本の独立の為に戦っている小沢一郎です。この3名は何れも旧体制の中枢に居ながら、次世代の為に勇気を持って自己の存立基盤を否定するという困難な闘いに挑んだ政治家です。
 小沢さんの目標への道のりはまだまだ遠く、それを阻止しようとする勢力との戦いは続くでしょう。
私は尊敬する小沢さんをこれからもずっと支援し続けたいと思っています。
 

豊後の小兵衛さんも書いて居られるが、
放浪の作家「世川行介」氏は異質な切り口を持つ作家だ。
氏の謂う『下りていく』という思想表現をどう受け止めるか。
此の一点の理解で、彼と彼の説く小沢一郎の評価は大きく分れてくるだろう。
人は概念を固陋させがちである。
当然、概念は言葉のアウトラインを形成する為、
ツールとしての言語を成立させる。
読み慣れない表現
『下りていく』を目にして、
読み手である我々は此を無視又は曲解、
或いは恣意的に理解をしてはいまいか。
彼は補足として「上昇志向」との語を示しているが、
此とて完成された対語では無い。
だから二次的に石原慎太郎を引きいだし
『下りていく』の、思想深耕の為に介在させているのであろう。
他に多くの著名人とエピソードが登場するが、
それら総てが見事に本幹たる
小沢一郎に修飾されていくのだ。
今後も彼の説き明かす
『下りていく政治家』小沢一郎私論に期待したい。

大次郎

ノスタルジー野党と健全野党

相変わらず幼稚なカテゴリーすりかえによる自民党野党による政権批判にはうんざりするが、よくもまぁ、論理学的誤謬のよろず陳列をできるものである。おかげで高校や大学の授業の「誤謬論」のテーマに事欠かないで済む。

この点、小沢氏は論理学的に常に「誤謬」がないのがすばらしい。ただ「ロジックという正論」には、非ロジックによる抵抗と反撃が世の常であることが忌まわしい。

「脱官僚」
官僚の全否定をマニフェストも含めて触れたことがあろうか。
否定されたのは、明治政府以来の「官僚依存」政治体制であって、官僚=公務員制度の是非を俎上に載せたことなどありゃしないだろ。
元官僚も含めて「選任」がNOというなら、おまえら自身、元官僚諸氏は政治家も辞めていただくてはならない。一度タリとも国家公務員の経験のあるものすべてを「脱官僚」の一面的カテゴリーを当てはめて否定するなら、そういう自身の政治生命を否定することであろう。

「天下り」
天下りを否定して一番困ったのは麻生が「年度内は容認」とした天下りを否定されてことで、自公政権の官僚との関係を全面否定さえれたことが大きい。「天下り」が何故不定されたのかの「論点」をそらすことは、「ひも付き天下り実体」を曝露されされることを意味し、つまりは官僚OB天下り団体への「ひも付き」が、非天下り団体の7倍もの補助金が割り当てられ、且つ今後の監査によって曝露されるであろう、そうした諸団体からの「裏献金」の実体が曝露されることを一番恐れたのが、自公政権であったこと、の問題のすり替えなのである。この実体は、必要ならばいつでも曝露することは可能である。

官僚にしてみれば、再三述べたが、意識転換できる「立場」のレベルであれば、別に「政権交代」はネガティブ要因ではまったくなく、立場と発想を転換するだけのことである。都合の悪いのは「族議員」とか「総務会」で官僚機構との「おんぶに抱っこ」で甘い汁を吸い、自公政権に永年癒着していた一部の「高級官僚」なのである。逆に、「高級官僚」であっても自工政権に反旗を翻し、早めに「退官」した人々は逆に「まともな」官僚群なのである。

それにしても「反旗」を翻すことなく、自公時代にも民主党時代にも評価の高い「高級官僚」、、、、人事院総裁候補の江利川氏のキャラクターには畏れ入る。本来、小泉政権まで守られたあるルールを、安倍の時代に壊し、当時筆頭候補であった江利川氏を排除し、あの罪人漆間を官房に呼び入れたことが、今思えば、自公政権の判断ミスの始まりであろう。

そうした反自公政権の元官僚に「復活」の機会を提案したことは、官僚たちにとっては、今まで自公独裁機構一色だった「身の振り方」に新しい可能性を示した意味で、極めて好意的に受け止められ、「選択肢」の広がりによって、少し自由な「身の振り方」をしばし考えるチャンスが到来したのである。

それにしても、連立には入れなかった共産党がどんどん「マシ」な野党になり、「過去の栄光よ再び」の域を出られない、自民党とその取り巻き野党には、未来はないだろうと日々確信する今日この頃である。「政権交代」がなった今、麻生流にも「解散は首相の専権事項」であるのだから、最低でも4年間は持ち時間である。来年の参議院までに「大逆転」を引き起こさない限り「ノスタルジー政党」の政権奪取は未来永劫に消滅するはずである。

世川さんは、匿名を許してくれないので、この場を借りてお礼を述べさせていただきます。

「本当に良い文章をよませていただき、ありがとうございます。所々、目頭が熱くなったり、胸がぐっとなったりいたしました。ありがとうございました。」

どなたか、世川さんのブログへ書き込みされる方、こんなこと書いてる奴がいたよと、お伝え願えれば幸いこの上もございません。

よろしく、お願いいたします。

元株やさん
だいじょうぶですよ。
世川さんは、この場所を見に来てくれています。
今日もここの接コメントの一言を放浪日記のエントリーにひっそりと、散りばめてくれていました。そんな気遣いのできる人ですから。

大次郎

小兵衛さんの案内に従っても面白いと思いコメントさせて頂きました。

世川さんには、私のコメントが少々伝わりませんでしたが、どんな反応をして頂けるか楽しみにしていたので、それはそれでよいと思って投稿した所もあります。
野暮な事を云いますと気恥ずかしいHMは、そろそろ、いいかなと思っていましたが、そのまんま世川さんに言及して頂いたので、やはり効果があるならば続けて行こうと考え直しました。

世川さんがこれから生活の為に、別の仕事をするとは思っていませんよ。
向こうのブログではアドレスを入れる欄が無かったのですが、購読料の支払いはどうされているのでしょうか?

10数年前、「日本改造計画」を読んで、非常に感銘を受けました。
まだ小沢一郎が自民党を離党する前だったと思います。
これからの日本はどうあるべきかを明確に示した「普通の国」という言葉は当時の流行語にもなりました。
それからは、確固たる政治理念を持った小沢一郎という政治家の動向から目が離せなくなりました。
最後の中選挙区制度による衆議院選挙では新生党の候補に投票し、細川連立政権の誕生を心から喜んだものでした。

しかし、その後の細川連立政権の崩壊、二大政党の一翼を担うはずであった新進党の解党には心底から失望しました。
そして、当時のマスコミの小沢バッシング、「壊し屋」というレッテルを真に受けてしまいました。
小政党の自由党の党首に落ちてしまった小沢に対する関心も薄れ、その代わりに、何度も何度も自民党総裁選に挑んでは改革を訴える小泉純一郎に注目するようになりました。
やはり、日本を変えるには自民党の内部から変革していくしかないのであろう、そのように思っていました。

今となっては、当時の自分自身の不明を恥じるばかりです。
政治的なスタンスもなく、マスコミの世論誘導に踊らされる無邪気な有権者そのものでした。
しかし、世川氏の小沢私論を読み、小沢一郎は「日本改造計画」を上梓した時から今に至るまで、一貫した行動をとっていたことに気付かされました。
また、幾度かの政治的危機に陥りながらも乗り越えてきたのも、いつの時も共に困難に向かっていった同士がいたからであり、それも小沢一郎に人間的な魅力があったからだということを理解しました。
言われてみれば、小沢一郎という政治家は、マスコミや他の議員から中傷を受けても、中傷で応戦するということは一切なかったと記憶しています。
その点は、小泉純一郎とは決定的に違うところです。

小泉の構造改革の化けの皮が剥がれたのに対し、民主党の党首として党再生を図った小沢は着実に実績を積み上げてきました。
惜しむらくは小沢総理が誕生しなかったことですが、党の幹事長として来夏の参議院選挙で勝利した後は、自身の政治理念実現の為に辣腕を奮ってくれるものと期待しています。

また、自民党がかつての社会党のような情けない野党に成り下がってしまった今、二大政党制も遠ざかってしまったように感じられます。
更なる政界再編が起こらなければ、小沢の理想とする二大政党が政権を争うことによる政策の質的向上が達成出来ないように思います。

自分自身への反省の念を込めて、今後、小沢一郎という類いまれなる政治家の動向を注視し続けたいと思います。

世川氏が愛情と愛おしさを込めてバカと呼んでいる人達は、人格的にどこか欠落している訳でもなく、むしろ人間的に優れた一面を持っている。しかし、社会的に評価される事は難しく、この世の中でコミットする為に人の何十倍努力してもうまくいく事が出来ず、常に心の深層には苦悩を抱えているのかもしれない。

また、世間の常識を支配する大多数の層の上をいく、世川氏を含めいわゆる天才と呼ばれる人達の中にも年を重ねるごとに社会からのギャップを感じ、うまく生きる事が出来ず、何処か共通の同じ悩みを抱えている様にも見受けられる。

今までの様な画一された基準の中でそれにあった者達だけが生き残る社会ではなく、性同一性障害(この呼び方に抵抗がありますが)の人達やハンディーキャップを持った人達、顔・形・性格など人間一人一人に個性があり、当たり前の様に全ての人達が個性を活かし役割を分担し、参加出来る世の中にならなければ、いずれ社会は崩壊し国は破綻してしまうのではないだろうか。

世川様ありがとうございます。

マスコミが小沢さんに悪のイメージを植え続けてきたのは既得権益者にとって都合の悪い人だから。
ただそれだけのことです。政治学、政策論云々以前の問題ですね。

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