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豊後の小兵衛:ことばを失った日本人 ── 異聞 »

《よろんず》投稿受付中!

 《よろんず》にたくさんの投稿をいただき、ありがとうございます!

 今後もコラムをもっとたくさん掲載し、議論の場として発展させていきたいと考えていますのでよろしくお願いします。

 前回の投稿欄はコメント数が100に近づきましたので、読者からの新しい投稿についてはこの記事のコメント欄にお願いします。

 なお、投稿文に関しましては、文面自体に変更を加えることはありませんが、レイアウトの都合上、「改行」「句読点」「文字詰め」「リンク」等を入れる場合がありますので、あらかじめご了承ください。

 みなさん、よろしくお願いいたします!!

【過去の読者投稿欄】
・2009年7月20日〜11月3日
・2009年6月25日〜7月20日

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コメント (96)

■コメント投稿について編集部からのお願い

《THE JOURNAL》では、今後もこのコミュニティーを維持・発展させていくため、コメント投稿にルールを設けています。はじめて投稿される方は、投稿の前に下記のリンクの内容を必ずご確認ください。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

「原発の誤配管により放射性の水を24年間も海に垂れ流し」
東京電力の柏崎刈羽原発(新潟県)1号機で配管の誤接続により、放射性物質を含む水が1985年の運転開始以来、24年もの間、海に垂れ流されていたことがわかった。放射能レベルはともかく呆れ返る。今回の件は福島第二原発(福島県)で同様の誤接続が見つかり、調査した結果、発覚したのだという。氷山の一角のように思えてならない。

事故に潜む3つの問題点を指摘したい。
1)電力会社は各種配管工事等全て下請け業者任せとなっているのではなかろうか。いわゆる丸投げである。発注側の電力会社の担当責任者が工事終了後に配管工事が正常になされたかどうか業者と共に最終確認チェックをするのは世の常識のように思う。チェックをしていれば、このような初歩的なミスは発生し難い。そんなチェックは不可能というなら、責任の所在の明確化はおろか、もはや電力会社の安全管理監督の責任放棄であり、事業継続の資格はない。未然に防ぐ体制になっていないなら、電力会社内に作らなければならない。工事そのものが、親会社、子会社、下請会社、孫下請会社、曾孫下請会社との流れがあればなおさらのことである。

2)電力会社のエリートキャリアは出世に繋がる上流の仕事にしか関心がなく、下流の「配管工事ごとき」という土木建設の仕事に対する無意識の悪しき固定観念がありはしまいか。重大な企業倫理の欠如に繋がっていく。電力会社は護送船団付き独占企業で、縦割りピラミッドの官僚組織が根付き、その悪しき弊害が顕在化している裏返しともとれる。

3)経産省安全・保安院は事故が起こる度に全原発を調査するよう文書で指示を出したと、後手、後手の対応をいつも、ただ繰り返すだけである。政官業の馴れあいでは事態は改善される筈がない。だから、経産省内の原発安全規制組織を権限含めて省外に設置せよと言われる所以なのである。いうまでもなく、現政権の経産省担当大臣は毅然とした態度で国民目線で、しっかりと経産省内の原発安全・規制の組織の有り様の見直しをする責務があるのではなかろうか。

とにかく、原発は大事故が起きてからでは取り返しがつかない。事故の大小でなく、ましてや24年間も知らなかったというような組織では、大事故を招きかねない。電力会社組織構造ならびに経産省安全・保安院の安全規制の有り様は看過できるものではない。恒久的安全の法的監督規制も含めた検討、実施は喫緊の課題である。

ことばを失った日本人―異聞二

 「小沢一郎への想恋歌」には多くのコメントを頂戴したが、氏もこのコメントをしっかり読んでいることを報告しておく。
 ついては幾人かの方のご懸念に違わず、世川氏は紛れもなく「赤貧」であり、「小沢私論」脱稿までに木戸銭(ブログ購読料)を所望したい。
 経緯はいずれ詳述するが、当初は私たち仲間の「自費出版」の予定だったが、ある大手出版社の目に止まり、それは当然のこととして「より多く売りたい」とする出版社の意向も相まって、世川氏の論旨を変えずに、より分かりやすい表現、構成に腐心している。
 無論のこととして、これをどう読み取るかは個々人の自由ではあるが、「失われた10年」のみならず、今を生きる私たちが失ったもの、それが何であったのかを、それぞれの立場で思い起こそうと提案していることは疑いの余地がないと私は思う。「木戸銭所望」とは定石に合わないかも知れないが、底辺から見る「小沢論」は、「だからこそ書ける」一文ではないだろうか。

 小沢一郎私論(仮題)(草稿)
                この拙文を、
                鳴澤康予に、 
                そして、大勢の〈ハセベエイコ〉に、
                贈る。
 序に代えて

 自分のことから書くことにする。

 10年ほど前から、僕は、新宿歌舞伎町という一大歓楽街の異国人エリアで、五年間を生きた。
 その頃の僕は、だらしなく風化していく日本社会に、愛想がついていた。
 黒服のヤクザたちや安物の派手なドレスをまとった異国の女たちが闊歩するその場所は、高度経済社会の象徴である〈現代日本〉から最も遠い、特に、政治などというものとは一等無縁な、治外法権の場所だった。
 僕は、そうした無頼の街に生きながら、「ここから〈世界〉が視えるか?」と、自分に問い続けた。
 ここから〈世界〉が視えなくなったら、もう、おしまいだぞ。「ここから見える光景は〈世界〉につながる」という発想を持たない限り、お前はおしまいだぞ。そう、自分に言い聞かせながら生きていた。

 その時期、つまり、1990年代後半から新世紀当初にかけて、日本国家を棄てた僕に、日本を意識させてしまう、つまり、〈世界〉を感じさせてくれる政治家が、たった一人だけ、いた。
 小沢一郎
 という保守政治家だった。
 特定郵便局長、つまり、保守政界で「郵政族」と呼ばれる族議員たちの元締めである全国特定郵便局長会(通称「全特」)の一員であった僕は、14年間ほど、小沢一郎という保守政治家と、無縁ではない場所にいた。
 しかも、僕の住んでいた土地は、小沢一郎たちが、「あんたが大将!」と御輿を担いだ竹下登元首相のお膝元の島根県だった。
 身の不徳から、僕はその業界を石もて追われたが、1993年に東西冷戦構造が崩壊して将来指針を失ったこの国の政界において、保守政治家にすぎない小沢一郎だけが、世界との関係の中で日本のあり様を冷静に考察している、小沢一郎がいなくなったら日本の政治はおしまいだな、と思ってきた。
 ただ、不運なことに、この小沢一郎という政治家は、おそろしく不器量で、とてつもなく口下手で、およそ、タレント性に欠ける男だった。
 しかも、当時の彼は、不遇を生きていた。
 この経緯は今の青年たちにはわからないかもしれないが、日本共産党やマスコミの策謀で、「ファシズムだ」「強権政治家だ」というレッテルを貼られ続けてきた上に、非自民党政権である細川連立政権の突然の瓦解、阿呆としか言いようのない「自社さきがけ野合政権」の成立、そして新進党の解党……、等々によって、政権交代の眼は消え、彼の政治思想を評価する気運は、この国から消えていた。
 そして、傲慢だとか、人づきあいが悪いだとか、およそ、政治思想の本質とは何の関係もない枝葉末節的なことがらで彼を全否定する風潮が、まかり通っていた。
 わずかに、「自由党」と呼ばれる小政党に集った少数の人々だけが、小沢一郎を支えていた。
 歓楽街歌舞伎町で、たまに手にする日本の新聞を眺めながら、時代のだらしない風化に、独り、懸命に抗(あらが)っているこの政治家の〈無念〉を、僕は思った。
 その抗い方を遠望しながら、やっぱり、この男はいいな、と思った。
 彼への悪態記事を読む度に、「おい、負けるなよ」
 一度も逢ったこともないその政治家に、歓楽街の薄汚い喫茶店の椅子から、彼には何の役にも立たないであろう声援を、僕は送り続けた。

 それから、数年が経った。
 僕は相変わらず貧乏な放浪者のままだったが、小沢一郎は、民由合併を経て、民主党の党首になっていた。幾多の障害を一つ一つ取り除いて、階段を昇っているのが、よくわかった。
 よく頑張っているな、と感心した。

 2年ほど前、小沢民主党の参院選挙投票日の数日前に、僕は、ネット上に『世川行介放浪日記』というブログを持った。
 参院選の投票結果が出る前に、「小沢一郎頑張れ!」と、表明しておきたかったからだ。
 それからは、わずかばかりの〈未知の読者〉相手に、身辺雑記や、時事問題への雑感などを書きなぐってきた。日記の表題である「放浪」とは、文字通りの放浪であって、僕は、この10年間、一片の公的存在証明書も持たず、日本国内を放浪しながら生きてきた。
 新宿歌舞伎町での五年間の浮浪者生活から始まって、千葉、大阪、新潟、富山、また上野…、さまざまな土地をさすらった。税金なんて10年間一度も払ったことがない代わりに、国家からの生活支援も一切なかった。
 幸いにして健康だったから、健康保険証がなくても、何とかしのいでこれた。
 住まいは、いつも、ネットカフェ。たまに大金が入ると、サウナに泊まった。ビジネスホテルなんて高級(?)な宿泊所とは、縁が切れて数年になる。
 つまり、僕は、当節流行の「ネットカフェ難民」の先駆者だ。ここ半年一年の「にわかネットカフェ難民」たちとは、格が違う、なんて威張っても、なんの意味もないけどね。
 当節のネットカフェ難民は、政治の被害者みたいな泣き言ばかりを言っているが、僕には不思議でたまらない。ネットカフェに泊まれる財力があるだけでも、自分は幸福だ、と思うべきだ。僕は、放浪時代、お金がなくなると、冬でも春でも、駅や公園のベンチに寝た。駐車場の隅っこで寝たこともある。
 そんな放浪者が、僕、世川行介だ。
 つまり、僕は、超資本主義国家日本の埒外を生きてきた、一等卑小な存在だ。

 そんな卑小な放浪者である僕が、20数年間にわたり、小沢一郎という保守政治家にだけは、格別の親近感を覚えてきた。
 2009年3月3日、小沢一郎が西松建設問題でマスコミに叩かれ、民主党党首を辞任した。
 僕は、日記に、『小沢一郎への想恋歌』という文章を掲載し、こんなくだらないバッシングに潰されるな、と書いた。
 それを機に、僕の『世川行介放浪日記』の中で、小沢一郎に言及する記述が増えてきた。それが昂じて、とうとう、09年7月から、拙い限りの『小沢一郎私論』を連載するようになった。
 その連載に先立って、売れない貧乏な物書きである僕は、
「ネットで売文稼業をやってみたいので、この『小沢一郎私論』が読むに値すると感じた読者は、購読料を送ってくれ」、ネット上の〈未知の読者〉たちに、そんな厚かましいお願いをした。
 そうしたら、何十人かの、顔も素性も居住地も知らない〈未知の読者〉諸氏が、次々と送金してくれた。しかも、回を重ねるごとに、その数が増え、送られてくる購読料も増え始めた。
 これは、少し、驚きだった。
 そうなると、いい加減なものを書くわけにはいかない。
 少しは自分の足で取材したものも書かなくては、木戸銭を払ってくれる読者諸氏に失礼ではないか、と考え、政権交代選挙直前の水沢行を思い立った。
 あらためて言うまでもなく、水沢は、旧岩手県水沢市、小沢一郎の故郷であり、選挙区だ。
 そこでの10日間の取材内容を、『水沢紀行』として掲載した。
 以下の文章は、その『小沢一郎私論』と『水沢紀行』を加筆訂正したものだ。
 僕は、ただの一度も小沢一郎本人を取材することなく、この文章を書いた。
 20数年間、この男を注視し続けてきたという僕の自負が、この文章を書かせた。この自負には、いささか胸を張っている。
 しかし、この二つは、その内容から、或る「ネット暴走族」から、組織的な非難攻撃を受けた。
 ネットを舞台に、その連中と大太刀回りを演じた。その痕跡は、今もネットに残っている。
 そういういわく付きの文章だけに、愛着ひとしおのものがある。
 書籍化に当たって、一人でも多くの読者に読んでもらえれば、幸いの一言に尽きる。

 小兵衛代送


小泉純一郎と小沢一郎


 現在、民主党の圧勝によって、小泉純一郎という政治家
の価値は、著しく低下している。
 自民党の議員たちでさえ、8月の総選挙では、小泉路線
の軌道修正を言っていた。

 しかし、僕には、この現象は、はなはだ不当に過ぎる、と
思える。
 なぜなら、そこには、2005年のいわゆる「郵政選挙」で
、小泉自民党が何故あれほどまでの大量票を獲得したか
という考察が、まったく欠如しているからだ。
 小泉政権の最高支持率は80%だった。
 鳩山政権の最高支持率は78%くらいだ。
 いささか乱暴だが、これによって両陣営の岩盤が見え、
これを単純に差っ引くと、この国には約55%の浮動票が
存在している勘定になる。乱暴ではあるが、これは、あた
らずとも遠からずの数値だと思える。
 つまり、平成日本においては、有権者の約半数が、その
時その時の「気分」で投票しているという事実が浮かび上
がる。
 仮に、今、鳩山民主党政権誕生によって、小泉純一郎
の存在価値を全否定するということは、あの時期、小泉純
一郎を支持した浮動票の「気分」を全否定するのと同義に
なる。つまり、有権者の半数の政治意識は愚かだったとい
うことになる。

 しかし、そんな馬鹿な話はないだろう。

 平成日本で傑出した政治家を挙げよ、と言われたなら、
僕は即座に、小泉純一郎と小沢一郎の名を挙げる。
 僕は、29歳の時(昭和57年)から特定郵便局長をして
いて、小泉純一郎の郵政民営化闘争を、まったく対立す
る陣営から見つめ続けてきた。
 当時、小泉の主張する郵政民営化は、僕の所属する全国特定
郵便局長会(通称全特)が核になった、「郵政族」と呼ばれる
政界最大の族集団によって一笑に付され、彼は、僕たちの陣営
から、阿呆呼ばわりされていた。

 しかし、僕は、いつの時期からか、「この男は、いつか必ず
郵政民営化をやり遂げるぞ」、と思うようになった。
 なぜなら、彼の主張は、とても単純化されていて、わかりや
すかった。
 そして、もうひとつ、力のない当時の彼は、常に、政治家に
向かってではなく、国民大衆に向かってダイレクトに語りかけ
ていた。僕には、この戦術はきわめて現代的で優れている、と
思えた。
 それから、彼は、一歩一歩、ほとんど自力で階段をのぼり、
郵政大臣になると、総スカンを食いながらも郵政民営化を主張
し、首相になると、抵抗勢力を無視して、郵政民営化一本で国
民に改革を訴え、画期的な大勝利を手にした。節々で見せた役
者顔負けの科白の数々は、名アクターとしての素質を存分に発
揮し、国民を酔わせた。

 勝って当然だな、と僕は思った。
 有権者の5割が、彼の主張を諾として、小泉票を投じたこの
勝利は、正当に評価されるべきだ。
 今になって、その5割の有権者を、「先見性に乏しい輩だっ
た」と嘲笑する者たちは、本当の意味で、政治を語る資格のな
い人たちだ、と僕は思っている。

 郵政選挙の圧勝によって、自民党は小泉純一郎に逆らえなく
なった。
 小泉旋風の勢いはすさまじく、小泉のパフォーマンス政治こ
そが平成政治の主流だ、という風潮が蔓延し、国会議員は、与
党も野党も、みな論理よりも、中身はなくても耳あたりのいい
ワンフレーズ探しに躍起になった。
 つまり、政治家たちは政治論理を放擲し、この国では、政治
論理が不要になった。
 そこまでの政治光景をつくっただけでも、小泉純一郎の力量
は、評価されてしかるべきである。

 僕に言わせれば、あとに続く自民党の政治家たちが阿呆ぞろ
いだったのだ。
 その象徴的存在が、山本一太とかいう蛸を歪めたような目立
ちたがり屋だ。あんな馬鹿が、自分が何者かのように、ある時
は安倍晋三の応援歌を作ったかと思うと、安部が退陣するや福
田康夫の応援団をやるという無節操ぶりを見せ続けた。
 だらしない風化の象徴だな、と思ったが、そんな男を重宝が
るマスメディアが存在したという意味で、みんな共犯だ。

 そうした風潮の中で、聞く耳を持たない有権者や政治家に向
かって、執拗に政治理念を語り続けたのは、小沢一郎ただひと
りだった。
 しかし、、この事実は、肝に銘じておかねばならないが、小
泉純一郎在任中、論理を主張する小沢一郎は、ワンフレーズで
国民にダイレクトに訴える小泉純一郎に、どうしても勝てなか
った。小沢一郎だけではなく、日本の政治家は、誰一人、小泉
純一郎に勝てなかった。
 あれは、何故だったのか。
 僕は、ここに、平成日本の大衆意識解明の鍵がある、と思っ
てきた。
 この大衆意識の秘密を解き明かさない限り、僕たちは、この
国の政治状況についてうぬぼれる資格は与えられない。

 ただ、激しい小泉旋風の中で、ほとんどの政治家は、失語症
におちいり、その存在意義すら失ったが、たった一人、小沢一
郎だけは、勝てなかったが、後退しなかった。彼の支持者は彼
から離れなかった、
 これは刮目に値する。
 小沢一郎ならばのことだった。
 この一点を評価しなければ、小沢一郎の何も評価しないのに
等しい。

 小沢一郎は、この国では稀有な、優れて論理的な政治家だっ
た。
 彼独りが、小泉旋風の奥底にあるものを見つめていた。
 それはこんな発言が証明している。 

「国民はこのままじゃダメと思っていて、変化を求めて
いるんです。そして、小泉首相ならば、なにかそういうことを
やってくれるのかもしれないという錯覚を持った。その結果、
05年の総選挙(引用者注:郵政選挙のこと)で自民党が圧勝
した」
「簡単なことなんです。小泉首相のパフォーマンスだけで、自
民党にあれだけの票が入るんだから、変化を望んでいる国民に
対して簡明なシグナルを送ることができれば、完全に勝つ。絶
対に勝つ」「小泉首相なんか選挙で一言もマニフェストに触れ
ないで、ただ『イエスかノーか』しか言わない。それで票が集
まるわけです」
「中身のあるしっかりした政策は、そうそう簡潔に説明はでき
ない。だから難しい」
 (90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』(朝日新聞社刊)

 小泉純一郎に対する敵がい心はあるが、ことの本質をよく見
据えている発言だ、と思う。

 僕たちは、ややもすると、今回の政権交代が、小沢一郎の「
卓越した選挙技能」によってもたらされたのように誤解しがち
だ。マスコミの論調もそれ一色だ、
 しかし、それは、とんでもない見当違いだ。見えてないにも
ほどがある。あるいは、見てみないふりにもほどがある。
 小泉政権下で5割の浮動層の政治意識を研究した小沢一郎が
、「国民の生活が第一」という、実に<わかりやすい理念フレ
ーズ>を用意し、それを地道に訴え続けて、浮動層の関心を自
分に向けさせたからこそ政権交代が実現した、と読むべきなの
だ。
 讃えるのなら、小泉政権から始まった非論理の政治状況の中
で、政治論理の必要性を説き続けた小沢一郎の強靭な持続力と
行動力をこそ褒め讃えるべきである。

 どちらにしても、平成政治16年間の本質を語る時、小泉純
一郎と小沢一郎の二人の存在価値を、同じ重量で受けとめて語
れない論は、すべて無効である、と僕は思ってきた。
 そして、それは、好き嫌いレベルの話では、ない。


 <追記>
 僕は貧しいもの書きで、人様の喜捨(日記購読料)によって
生きている。
 もし、この論を読んで、購読に値した、と思った方がいたら
、購読料を送ってくださいな。
    ゆうちょ銀行
    記号  10180
    番号  56027811
    口座名 フケダアミ

 なお、ゆうちょからの「お知らせ」では、他銀行から送る場
合は、
    店番号    018
    普通預金
    口座番号   5602781

 となるそうです。

スミマセン、上の文章は消去して下さい。

<ザ・ジャーナルの存在とは>

他のメディアに比べてザ・ジャーナルの優れている所は、そのデザインだろう。
トップページに掲載されたジャーナリストの記事の見出しをクリックすればその全文を読む事が出来る上、他の場所へ飛ぶ事もなく記事の直ぐ下から文字の大きさによる差別などもない即時投稿する事の出来るコメントが掲載される。いたってシンプルだ。
「よろんず」にしてもトップページに掲載されたならば、プロのジャーナリストと何ら差別もなく素人であろうが同列に扱われる。既にメーカーなどには大きな影響力を持つアルファーブロガーの存在と協力を考えれば当然の事なのかもしれない。
(強いて望む所があるとしたならば、一週間前の記事ぐらいまでは同列に掲載され、古さを感じさせないデザインであればと云う事ぐらいだ。)

しかしこのことは参加する読者を引き付けると同時にサイトへのリスクや誤解を伴う恐れがあると思われるが、世界は軍事力・経済力を背景に大義名分と策略の中で、インターネット化したグローバルな世界に合わせ、ガンジガラメに縛られた権利を壊し新たなルールに造り返る方向へと進んでいる。

ザ・ジャーナルとは、世界中の有名な新聞や雑誌が消え去り日本のテレビも赤字へと転落し大枠のニュースしか入手出来なくなっていく変革の時代に、自由と引き換えにカメラとパスポートを持ったジャーナリストから、ケータイとインターネットを持った我々に未来が委ねられた混沌とした世界の中で、今までのジャーナリズムと云う既成の概念・価値観・ビジネスモデルの垣根が崩壊し、これからの双方向・多方向へと進化していく更なるデモクラシー化されたメディア形態の一つの存在に他ならない。

社説比較から見えるプルサーマル模様

「プルサーマル」に我々市民はどのように対峙していけばよいのか冷静に考えなければいけない。本来ならマスゴミといわれ、右に倣えの現代の新聞記事を比較するなんて時間の無駄だとなるのだが、内容はともかくとして、一応5紙すべてが本問題をそれぞれの立場で取り上げていることは評価してもよい。掲載日付順に朝日(11/06)、毎日(11/06)、読売(11/07)、日経(11/07)、東京(11/11)の五紙の「プルサーマル」に対する社説をあえて比べてみた。

独断で遠慮無く結論からいわせて貰えば、国民目線に最も近く、誰のための国策かと実に見識高く論じ、だんトツの優れものは「東京新聞」であった。利点と問題点を天秤にかけて圧倒的に問題点が多いと断じたのは毎日であり、正鵠を得ている。プルサーマル始動はプルトニウム利用の第一歩ではなく、核燃料政策の是非と切り離して考えるべきとするは朝日であるが、当然である。単なる経過説明に終始し、粛々と推進するだけだと唱えるのはいかにも読売らしい。逆に安全性などどこ吹く風で、とにかく節操なく、いけいけドンドンの酷いのは「日経新聞」であった。あえて総合ランクをつけるとすれば、1.東京、2.毎日、3.朝日、4.読売、5.日経というところであろうか。

原発政策をマラソンに譬えるなら、目標地点が崩落して見えなくなり、接近することさえ適わないのに、立ち止まりもせず、悪魔のささやきの走る口実を見つけて、惰性で目標地点めがけて危険な道を走っているようなもの、それがプルサーマルだ。

もはや多くを語るまい、論理破壊している国策プルサーマル、それは主権国民の声とはかけ離れたところで一人歩きしている。政府に任せておけばでは済まされるような問題ではなくなっている。あまりにも重大且つ多くの問題を内包している。特に将来の世代を背負う高校生、大学生には是非本問題を取り上げて論じてほしい。さらには現代文明の恩恵を享受する老若男女みんなで考えなければいけないテーマではないのだろうか。

タイについて4、タイの日本食

振り返れば、16年ほど前のことですが、当時務めていた会社の人事で希望を海外勤務と出しましたら、なんとOKが出てタイに赴任となりました。
学校を卒業して会社に入り20年近くたっていたのですが、国内一本、それも殆ど本社の間接部門で仕事をしていましたので、海外についての経験は出張で行った欧米を除いては全く無く、タイと言われても、ベトナムの近くだなと言う程度の認識しか有りませんでした。
英語も、卒業以来、読むことも、書くことも、ましてや話すことも聞くことも殆ど無くあわてて語学の学校に通って準備するというような状態で、ばたばたとタイに着きました。

ついた時の印象としては、飛行機の窓から見た、広い田んぼが何処までも広がっていたことなどしか残っていませんが、着任後、事務所のあるビルで結成されていた日本企業の会の宴席での話は今でも時々思い出します。

丁度各社人事の入れ替わりの時期で、歓送迎会をかねてという趣旨で開かれた席だったのですが、在タイ10年という方から、次のような話を聞きました。「○○さん、タイでは帰国の発令が来ると、赤紙=召集令状が来たと言うんですよ、ほかの国では日本に帰れると言うことでみんな喜ぶんですが、この国ではおおっぴらではありませんが、大方の人が泣くんです。能力のある人は、会社を辞めてこちらで就職する人も一杯います。」

私の場合は、3年後の発令で、日本に帰りましたが、確かに帰らず、タイで起業する人、他の日系企業或いは、タイの企業に就職する人が沢山いました。

それはさておき、当時のタイは、97年の通貨危機の前で、毎年前年比10%アップの経済成長の真っ只中、私の仕事も一通りのことをやっておけば、毎年売上20%増と好調でした。
プライベートの時間は、ゴルフを楽しみ、夜になればタイのクラブで、日本の居酒屋並みのお値段で
お酒を飲んで、銀座の女性に負けず劣らずの美しいお姉さん方にタイ語を教わり、会社勤めをして初めて良い思いをさせていただいたわけですが、一点だけ日本が恋しくなることがありました。

それは食べ物です。勿論、郷に行っては郷に従えで、タイの地元料理を食べている分には何の不満もありません。
タイスキという鍋料理、海老、蟹をふんだんに使った海鮮料理、さらに豊富で新鮮な野菜と質の高い豚肉、鶏肉を使うタイ料理どれも、極めて結構な美味しさでした。
 また、通り沿いにいたるところにある屋台もしくはオープンエヤーのレストランで食べる、タイラーメン、台風カツどんともいうべき豚足を甘く煮込んでご飯に乗せて食べるカオカムー、蒸した鶏肉を辛味の聞いたソースをかけて同じくご飯に乗せて食べるカオマンカイなどもなかなかいけました。

 味付けに使う唐辛子の辛さと、食中りよけに使うと言うパクチー(コリアンダー)の匂いが駄目な人には、いささかつらいものがあるのですが、私は最初からさほどの抵抗感はありませんでした。

 そんな中で、参ったのは、時に食べたくなる日本食でした。当時のタイ在住の日本人は、たしか住居届けを出している人が約1万7千人、住居届けを出していない長期滞在者を含めると約3万人というレベルで、日本食レストランも大小合わせて2百軒ほどありました。殆どが、日本人が集中して住んでいた、シーロム、スクンビット界隈に有りましたのでお店には不自由はしなかったのですが、問題は食材です。

 目の玉が飛び出るほど高い、一流ホテルの日本食レストランに行けば、肉も魚も、持ち込みの食材があり全く日本と同様でしたが、一般の定食5百円程度の日本レストランではそうは行きません。

 まずお米ですが、当時日本米は輸入禁止で、またその価格ではとても使えません、タイ米を一日水に浸してやわらかく炊き、出してくれるのですが、ご飯とおかずを別々に食べる日本食では美味しさが半減です。

 豚肉、鶏肉、海老、蟹の類は既に相当量日本に輸出していましたので、日本のものと遜色ない材料があり味もOKでしたが、折角のしょうが焼き定食がご飯で台無しでした。 
 特にどうにもならないのは、魚を中心に使う、刺身と寿司です。日本在住当時は基本的に肉食で、刺身、寿司の類を好んで食べると言うことは無かったのですが、在タイ3年でくるりと変わり、帰った当初は、回転寿司の常連となりました。

 果物については、ご存知の果物の女王マンゴスチン、果物の王様ドリアン(これは、日本の方には匂いが不評ですが、タイの人は市場に赴き売り子さんに選別してもらい、食べごろのものを買います。持ち帰って言われた日付で硬い、棘だらけの皮を剥いてすぐ食べるのですが、あの独特の匂いはしません)、をはじめ、多種多様にあったのですが、残念ながら、林檎と梨についてはどちらも日本の戦後すぐのレベルで石のように硬いものしか在りませんでした。

 更に桃も全く駄目で、当時お付き合いした、タイ人のお金持ちは年に一回東京に旅行し、帝国ホテルに止まり、千疋屋で桃を買って食べるのが楽しみと言っていましたが、そうだろうなというレベルのものでした。

 今回5年前に、再度タイに来て一番驚いたのは、日本食の変化でした。前回は、日本食屋は、一定の地域に限られていたのですが、今回は、バンコク以外の地方でも、大手スーパー内には日本資本とタイ資本の日本食のレストランチェーンが展開し鎬を削っていました。

 前回は、お客は殆ど日本人もしくは日本人と連れ立ったタイ人でしたが、今回は殆どがタイ人客で日本人は一握り、更に、欧米人も多数見かけるという状態です。

 売れ筋は、タイの人は、豚肉、鶏肉の料理が多いのですが、日本人は殆どが、刺身、寿司系です。

 米は、正真正銘の日本米で、聞いたところによると、気温が比較的に下がるタイの北部で日本の農家の方が、ササニシキを栽培されており、寿司米もひろまっているとのことでした。 

 魚については、前回と違い、蟹、海老に合わせて、鯖、鯛の現地産と、鮪、鮭の輸入物という刺身、寿司に十分対応できる食材で組み立てられており、一寸種類は少ないのですが満足できる水準のものとなっていました。

 更に果物については、林檎、梨のレベルが大幅に上がっており、柿なども充分日本で通用するレベルのものが売られていました。

 現在の、タイの長期滞在日本人は今回の不況前で約7万人、現在は2万人ほど日本に帰国命令が出て約5万人と言われています。

 これらの人々の需要にこたえるだけではなく、日本の高い食のレベルが、タイの農業にも浸透し、タイの人々の食生活を変えつつあるのでしょう。

 小生も、今回は、ホームシックにかかることなく長期滞在を楽しめるかと思っております。

現在、「ジャーナリストの投稿」あるいは「よろんずの投稿」に意見を寄せる形態です。

人によっては今すぐこのテーマで議論したいと思うことが屡々あると推量します。

例えば誰かがこの題目と副題で議論したいと編集部に申し出て、編集部が適当と判断すれば、該当の板をたてるというのは如何でしょうか。

此の世の中、外交・政治・経済・社会・科学技術・産業・・等々と問題が山積かつ新たな問題が次から次へと生じています。

すでにThe Journalに意見を投稿されている方々のレベルの高さから判断して、タイムリーに活発な議論になると確信します。

以上、編集部でご検討いただければ幸いです。

報道機関の劣化

ここJOURNALでも、たびたび目にする「マスゴミ」という言葉。
いちいち、例を示す必要もないだろう。日本の報道の劣化を国民が感じ取った言葉だ。
しかし、今回の「サンデープロジェクト」には、恐れ入った。
ご覧になった方もいることと思うが、西川元日本郵政社長を迎えてのインタビューだか、討論だかわからないコーナーについてだ。

一体、何をやりたいのだろうという感想をもって見始めたのだが、見るに従って、あきれ果てる内容に次第に腹が立ってきた。
内容は一貫して、西川氏の擁護と、民営化の正当性を訴えるものだった。


民営化したことにより、4200億円の利益が出たこと。
・・・・2007年に、民営化を前に1兆5000億(1,6兆?)の特別損失を計上しており、スマートな見せかけづくりを終えていた。
300兆円の金があれば、いかに愚かな経営者でも一定の利益を出すことは可能だ。
国債を買い、保有するだけで、4兆円以上の利子収入が得られる。経費を引いて4200億の利益を計上することは十分にできることだ。


コーポレイトガバナンスについても語っていたが、郵政の株主は国である。取締役会は、株主、ましてや100%の株主の意向を尊重せずして一体いかなるガバナンスをするのか。


民営化することで、郵貯・簡保に集まった資金を民間に回さねばならないとも語っていた。
・・・・・それをやっていたのですか?と、伺いたい。8割以上を公債で運用していたのは誰なんだろう。民間へはこのくらい流れを作っていたのです、という実績をお示しいただきたいものである。


結局のところ、言いたい放題の中で、西川氏が首を切られたことがいかに間違ったことかを、西川氏がいかに優れた経営者かを、郵政民営化がいかに正しい改革かを語るのみだった。

ここで問題としたいのは、
郵政民営化が正しいのか悪いのか?成功なのか失敗なのかではない。
問題は、公共の電波を使って、政治問題ともなっていた問題を語るのなら、なぜ「反対意見を述べる者」を参加させないのか?
皆さんご承知の通り、西川氏を囲む3人は、郵政民営化賛成の面々だ。
なぜ、反対の論を立てる人を同数呼ばないのだろうか?
通常、討論とは、そのようにあるべきなのではないだろうか?
「いや、これはインタビューなのです」とは、言わさない。
インタビューは、1対1でやるものだろう。

つまるところ、郵政の汚れ隠しの意図をもって、ついでに西川氏の名誉回復も一緒に諮った「やらせ番組」と言われても仕方ないのではないか?

日本郵政が選んだ各種の取引先の多くが、特定の企業グループに属する会社だったり、「簡保の宿」売却に様々の問題を指摘されたりした。
それらのことに端を発して、前政権においても更迭の瀬戸際に立ち、現政権で職を去ることを勧告された「西川社長」なのである。

しつこくなるが、「なぜ、西川氏及び、当時の総務大臣などを問題視し、この4分社化の改革に反対を唱えた論者を同席させなかったのか」と、申し上げたい。

ここにこそ、現在のそして過去においても、日本の報道機関が抱える問題の芯があるように思える。

【続報】高知白バイ事件三度目の門前払いか。高知地裁は何もせず終局判決の可能性。

KSB(瀬戸内海放送)のシリーズ「高知白バイ衝突死 (19)」が放送局のサイトにアップされました。

そのなかで非常に残念な話がありました。

片岡晴彦さんは現在獄中ですが、夫妻で高知県警、高知県を相手取って国賠訴訟を起こしています。

国賠訴訟により刑事裁判の資料を手に入れ、「新たな疑惑の証拠」を高知地裁に提出したのですが・・・。

なんと裁判所は「民事で国家賠償を争う前に、刑事裁判のやり直し、再審請求を行うべきではないか?」と切り出したというのです。

目の前に明らかに「おかしい証拠」を突きつけられても、自分達は手をつけない。

地裁の存在意義とは一体何なのでしょう。

片岡さんの弁護人生田氏曰く、

「門前払いで、終わりたくてしょうがない。裁判所はね」

との事。

誰が見ても「おかしい証拠」と思うのですが、皆さんこの映像をご覧になって判断ください。

どう考えてもおかしな証拠写真がいくつか紹介されています。
(ヘルメットの位置にも注目)

2009/11/16
高知白バイ衝突死(19) 収監1年…深まる証拠写真の疑惑
http://www.ksb.co.jp/newsweb/indextable.asp?tid=4&sid=7

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書籍「あの時、バスは止まっていた 高知『白バイ衝突死』の闇」もよろしくお願いします。
(おかげさまで、アマゾンでは現在品切れとなっていますが取寄せ注文が可能です)

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片岡家のブログ 
雑草魂 http://blogs.yahoo.co.jp/zassou1954

支援者のブログ 
高知白バイ事故=冤罪事件確定中 http://blogs.yahoo.co.jp/littlemonky737
高知に未来はあるのか? http://kochiudon2.blog105.fc2.com/

タイについて5、タイの歴史1)タイ国の成立まで

東南アジアはジャワ原人の発祥の地であり、人類の居住地としては50万年前にさかのぼると言われています。

インドシナ半島では、BC2000年~3000年頃のバーンチェン(タイ東北部の遺跡)で、既に、稲作、養豚が行われ、ガラスや、青銅器、土器などが使用されていたようで、恐らく現在のタイのテリトリーとなっている、インドシナ半島の中部地域には、そのころから人々が居住、生活していたものと思われます。

  その時点での東南アジアは、中国、インド、エジプト等の古代文明とそれほど差の無い段階にあったのでしょうが、これらの文明がそれぞれ急速に発達し、BC2000-1000年ごろには巨大な王朝を生み出し、文字をつかい、部族単位を越えた国家を形成していったのに対し、この地域の変化は緩やかだったようです。

 インドシナ半島で最も早く、国らしきものが出来たのは、紀元前6世紀、ベトナムの紅河流域のデルタ地帯で、青銅器の文化を持つ文郎国とされています。
しかし、この国については全く資料が残っておらず、その後3世紀末の中国秦王朝の支配を跳ね除けて前207年?に同じくベトナムのこの地域にできた南越国が最初ともされています。
ベトナムには、その後いくつかの王朝が興亡しますがその歴史は、次々に来襲する、中国の諸王朝更には植民地帝国フランス、冷戦下での米国との独立をめぐる戦いの連続です。

カンボジアは、インドと中国の2大文明を結ぶ海の道の中間にあり、比較的早く紀元前1世紀頃、ベトナム南部からカンボジア南部のメコンデルタの地域に扶南という王国が成立したようです。
6世紀ごろ扶南を滅ぼして、メコン川沿いに勢力を伸ばした真臘は、クメール人の国として、クメール文字を用い、現在のカンボジアの国の起源とされています。
その後真臘は、北と南に分裂して弱体化し、8世紀ごろ滅ぼされてインドネシアのジャワ王国の支配下に入りますが、9世紀には、ジャワ王国を排除して、クメール帝国の基礎となるアンコール王朝が立てられます。
この王朝は12世紀初頭には、現在のカンボジア全土、ベトナムの南部、タイの東北部、中部、南部に及ぶ、アンコールワットを王都とする大クメール帝国を作り上げています。

ミャンマーは、古くからモン族、或いはピュー族が住み着き都市国家、部族国家を形成していたようですが、国の成立は遅れて、7世紀ごろに、北部にピュー族による驃国という国が出来ています。
しかしこの国は、8世紀ごろ中国の南西部(今の雲南地方)に起こった、チベット・ビルマ語族の南詔国に9世紀には滅ぼされ、モン族、ピュー族はタイ方面に逃れ、無人となったイラワジ川平野にビルマ族が住み着きビルマ人の王朝であるパガン王国が成立します。

マレーシアは、長く、海を越えた、スマトラ島のシュリービジャヤ王国(3世紀-14世紀)の支配を受けており、現在のインドネシア半島南部に、独立した王国が成立するのは、1402年のマラッカ王国のようです。

 国が生まれる条件は何か、国家論の最初に来るテーマで、プラトンや、エンゲルス、ホッブス、カール・ドィッチェなどにより様々に論じられていますが、インドネシア半島の中部の地域(現在のタイ国の地域)については、前述したように、人々の居住と生活はかなり古くから始まっていたにもかかわらず、独自のこの地域の人々自身による歴史に残るような広域的な国家は、最後まで成立していません。

タイについて1,2で見たような、広い平坦な国土、豊かな水、年間を通しての強烈な太陽光、人の移動距離と思考活動を制限する酷熱という自然条件の下で、部族社会の段階を超えて人々がある程度の領域を支配する国の成立に必要な、いくつかの条件が満たされなかったのではないでしょうか。

例えば、治山、治水の協同作業の実施による人々の間の協調性の発達。
自然条件の変化に応じて発生する剰余生産物或いは生産物の偏在に応じた商業、交通の発達。
あるいは、それらの相互に関係を取り結ぶことから発生する利害関係を調整するための法規範の成立。
侵攻・支配を含めた他部族との接触、交流。

キリギリスであるタイ地域の人々は、原初的な部族社会或いは、都市国家の段階に長くとどまり、独自の言語、法律、広域の国土と、軍隊、政府を持つ国へと展開することは無かったようです。
先行して国を形成した、カンボジアのクメール人のクメール帝国(タイ中部から東部、東北部)、ミャンマーからのモン族が形成したハリプンチャイ王国(タイ北部)、マレーシアを形成するマレー人によるランカスカ王国(タイ南部、マレーシア北部)、6世紀ごろ中国南部の雲南省あたりから移動してきたと言われているタイ族などと混住し、支配を受け、同化しながら、のどかに暮らしていたのではないでしょうか。

現在のタイでは、タイ国の始まりは、AD1238年スコータイで、クメールの大君主を倒して創設したスコータイ王国とされていますが、この中心となったのは、上述の中国から移住してきたとされるタイ族の指導者であり、この地域の先住者では有りません

世川行介氏の行為について、The Jurnal編集部へ
私は、The Jurnalでは投稿は本名または氏名として不自然でない名称でとのお願いがあり、また誹謗中傷は禁止であることから、姓と名前のイニシャルの形ですが実名にて書き込みをしてきました。The Jurnalコメント欄に私のコメントが削除されずに載っているということは編集部が問題ないコメントであると認めたと認識しております。ところが先日「よろんず」に記事が掲載された世川行介氏は、自分のブログにおいて私も含め自分の記事に批判的なコメントをした人に対し、誹謗中傷を行っております。そして編集部はそんな氏のブログを以前より見ていたことが豊後の小兵衛氏のコメントで明らかになりました。私は、氏のブログの現状を見れば予想できたにも関わらずこのような人物の記事を掲載し、記事にコメントを寄せる読者をネット上での誹謗中傷に晒したThe Jurnal編集部に対し抗議するとともに、編集部には世川氏の行為に対し適切な対処をするよう強く要望します。

タイについて6、タイの歴史2)スコ-タイ王朝

カンボジアの、アンコールトムに王都を置いた、クメール帝国は、9世紀から15世紀にかけてインドシナ半島に存在した帝国で最盛期には、現在のタイの殆ど、ラオス、ベトナム、ミャンマーの一部まで、インドシナ半島の殆どを支配した大国ですが、名君ジャヤーヴァルマン7世の死去(AD1220年)とともに急速に衰退していきました。 

 AD1238年、その衰退していくクメール帝国の勢力を追い出して、初めてのタイの王国とされるスコータイ王朝が始まります。

 スコータイは、チャオプラヤー川(メナム川)の河口にあるバンコクから、何処までも平に、緩やかに上昇していくメナム・デルタを600kmほど北上したデルタの北端にあります。
北にチェンマイ、西にミャンマーとの国境の山岳、東に山国ラオスとの国境を持つ地域ですが、スコータイを中心に、東に120km、北、西にそれぞれ300km、南には何処までも続くメナム・デルタという、広々とした平らな土地です。

クメール帝国から見れば、中心のアンコール・トムからは1,200kmほど離れた僻地であり、国力の衰えとともに統治能力も統治意欲も低下してきていたのでしょう。

  打倒クメールの中心となったのは、広いスコータイ平野に多数居住していたであろう原住のタイの人々(キリギリスたち)ではやはり有りません。

 中心のスコータイから、西へ120km、ラオスへの国境に上る山岳地帯(現在のナコーン・タイ郡)に住んでいた、中国南部から6世紀以降移住してきたという小タイ族の領主、ポークン・パームアンと、それから南へ100kmほど南下した山脈の山間にいた(現在のぺチャブーン市)同じく小タイ族の領主、ポークン・バーンクラーンハーンであったということです。

 恐らくこれらの人々は、タイとしては相対的に厳しい自然条件におかれており、さらに少数民族であるということで団結心も強く、戦争という共同作業を行うに適した条件を備えていたのでしょう。

 スコータイ王朝の最盛期は第3代のラムカムヘーン王の時代といわれています。
北方のラーンナータイ王朝(チェンマイ王朝)、パヤオの王国(何れもタイ族)と同盟を結びタイの南部、マレー半島からミャンマーのベンガル湾に及ぶ広域を支配したようです。

 また、初めてタイ文字を定めるとともに、支配に当たってはポークンと呼ばれる、軍事や契約或いは法ではなく個人的友情による友好的支配のシステムをとったようです。

 タイ語では、クンポー、クンメーとは良く聞く言葉で、それぞれ日本語ではお父さん(クン=君、Mr もしくはSirに相当する尊称、ポー=父)お母さん(クン=君、メー=母)に相当しますが、ポークンは日本語に直訳すると父(ポー)殿下(クン)で、お父さんのような慈愛に満ちた支配者を呼ぶ尊称です。

 ラムカムヘーン大王を称える碑文が今に残っていますが、その中にある、王が、スコータイの領土を称えた言葉として「ターミーカーオ、ナームミープラー」(田に米あり、水に魚あり ター=田、ミー=有る、カーオ=米、ナーム=水、プラー=魚)が有名です。
自然条件に恵まれた豊かな国土をのんびりと支配していた大王の様子を伝える言葉だと思います。

大王の死後、個人的関係で統御されていた各国の離反が相次ぎ、スコータイの勢力は衰えます。
これを挽回すべく、第6代のリタイ王(1347年―1368年)は、仏教によって国家の統一を図ることを考え、セイロンから仏教を導入し、ポークンに合わせて、タンマラーチャー(仏法に従い理想的な統治を行う王)の思想を広めました。

王は熱心な仏教の研究者でもあり、その結果は、三界経(輪廻転生と因果応報を説く)として結実し、タイの民衆に広がりました。
 19世紀に現チャクリー王朝のラーマ4世(デボラ・カーとユル・ブリナーの映画、王様と私に登場する王)によって否定されるまでは、タイ仏教の基本教義として、広く深くタイの人々の世界観に浸透したようです。

この世界観は、現世の栄華は、前世の善行の報いであり、現世の苦難は前世の悪行の報いによるものと教えるため、現状を肯定し、努力によるその改善を否定する傾向があります。

もともと、自然条件に恵まれ、飢餓や、凍死という厳しさ、或いは個人もしくは協同の努力による生産向上や、生活改善に縁の薄いタイの人々にとっては、貧富の差を固定し、社会階層の拡大を促進する役割を果たしたのかもしれません。

リタイ王の努力にもかかわらず、王朝の衰退は続き、第9代のマハータンマラーチャー4世に跡継ぎが生まれず、親戚であったチャオプラヤー川の下流に起こり勢力を伸ばしつつあったアユタヤ王朝に吸収されて、AD1438年にスコータイ王朝は消滅します。

株価に思う事

何から何まで、真っ暗闇よ~
筋の通らぬことだらけ~
と、鶴田浩二が、化けて出そうな今日この頃・・・
(きっこさん風に始めちゃったけど、怒られるかな?)

そんなこの頃なのですが、
東京電力の株価に、ちと風向きの変化を感じております。

新聞・テレビを見ている人なら、一度は聞いている言葉「リーマンショック」。
この変動以後、世界の株価が暴落いたしました。そして、その後の戻り足について、様々な論評がなされています。
特に、日本市場は、世界に取り残され、目先的な動きは、ひたすら「不気味」な展開を示しています。
しかし、今日はそんな事を書こうと云うのではありません。

さて、株に関心のない方でも、「東京電力」という会社を知らない人は、日本にはいないと思います。
この東京電力は、昨年、リーマンショックの中で、10月10日に2215円まで下がりました。9月4日の3280円からの暴落でした。しかし、その直後には、3080円(同年11月25日)まで戻しております。
ところが、そこから約1年後の11月10日に2085円まで下がってしまったのです。
株価の指標「日経平均」は、当時7000円、現在は9500円です。それなのに、東京電力は、新安値を付けてしまいました。
日本を代表する「資産株」、東京電力がです。日本の繁栄の一方の代表的な企業こそ東京電力なのです。
この事態を、否定的にとらえると、「日本はだめなんだ。」と、なります。人口は減るわ、先端技術は、新興国に負けるわ、為替は円高だわ、民主党政権には成長戦略もないと、言うことになるからです。
しかし、私は別の考え方をします。
エネルギー戦略の転換を市場が読み始めているのではないか。と、言う事を考えます。
太陽光発電、燃料電池、水素・・・
現在主力の、電力会社中心の電力供給の姿が変わることを、市場が先取りしようとしているように思うのです。
電力会社は、今の規模では、必要なくなる社会が来るんだよ。
市場は、そんな事を発信しているのではないかと考えるわけです。

「温暖化ガスの25%削減」が、意味する社会のインフラを思い描くとき、町中に見える設備。
家々の屋根とビルの壁面・屋根の太陽光パネル、自動車が立ち寄る充電スタンド。もちろん、走り回る自動車は、電気自動車でしょう。郊外に出ると、火力・原子力発電所はほとんど見られず、太陽光発電所があり、風力発電所のプロペラが回っているのです。

ここでの発電所は、家庭・工場・ビルなどでは賄いきれない電力を「補完」する、発電所となっているかもしれません。
電力会社の、必要性が、見直されているのが、今の電力会社の株価なのではないのかな。
私は、そう思うのです。

新しいエネルギー、新幹線・ロボット…やり方さえ間違わなければ、日本は、大丈夫だと思う今日この頃です。

上記投稿者は、「元株や」でした。
失礼いたしました。

ことばを失った日本人―(6)

 さても、仕事が一段落ついてので一筆書かせて頂くとする。何が忙しいかというと、故あって、画仙紙に墨で書かれた毛筆書を集中的に電子データ化している。一般では、書は黒白の世界と思われているようだが然に非ず。そこには黒から白への無段階の階調変化があり、同時に「墨色」といって、茶系の黒(油煙墨)、青系の黒(松煙墨)という墨の原料による色の違いがある。
 Indigo blueとして愛される「藍」の色も、その藍瓶(染色工房)により無限に近い「藍色」を醸し出すが、書の世界も同じで、PCの進化でかなりの部分がデータ化されるまでになったことから、いわゆる湿式写真に頼らずとも、かなり忠実に保存、再現(印刷)が可能になり、その作業に腐心している。技術的仔細は、Professional DTP誌(1997年6月号、200年2月・工学社刊)に書きおろしているので、関心のある方は参照されたし。

 さて、世川ブログの紹介・転載は思いのほか賑やかとなり、中には筋違いな編集部批判まで繰り出して、それなりに愉しませて頂いた。世川ブログでは「The JOURNALから来ました」とする生真面目な投稿者が、三日もしないうちに「お馬鹿衆」の毒にまみれて落ちていく様は痛快でもある。
 繰り返しになるが、ことばとは「事象の伝達」という役目とともに、「思考の道具」であるということをお忘れになっている、あるいはその自覚さえ有しない人が、如何に多いかということを改めて確かめられたことである。
 別項で平野論説に対するコメントを、氏宛にファックスにして転送していると紹介したが、その記述の中に「平野氏は反論を期待している」とも書き添えた。その後、氏から電話が入り「もう送らなくて良い」と下知されたが、その理由は「ほとんど読んでないね」だった。
 つまりは文意を理解し、なにを語ろうとしているのかも見ず、単語の幾つかに反応して「反論」を書き殴り、それで満足しているのだろう。私は平野氏に「文章を眺めているのですよ。読んでなんかいません。しっかり読んでいる人は正面から反論・賛成を書きましょうが、『平野は小沢関連で儲かった』に代表される書き込みは、文章に対する反応ではなく、書いた人間に対する拒否反応ですから議論にならない」と回答した。
 私は「本を読む時は咀嚼しろ」と教えられた。一昔前までは、本を書きおろす人というのはそこそこ見識があり、咀嚼に値する文章が多くあったが、PCの出現で、私のように売文を稼業としない俗人までもが駄文を書き連ねられる環境となり、世上を汚しているのだろう。
 今は食生活でも堅いものを敬遠する風潮にあるが、読書の世界でも軽佻浮薄なものが増え、咀嚼筋のみならず、思考力筋まで低下している。これをして「ことばを失った日本人」と私は称している。

 ついては約束だから「荒木虎美事件」に関して述べてみたい。これは35年前のことだから、若い人はご存じではあるまいが、Googleで探すと出てくるので仔細はそちらに譲りたい。
 あらましは「保険金目当て殺人事件」とされ、今はごく当たり前の事件として頻発しているが、当時は珍しく、当然世上を賑わせた。テレビも新聞もなべて犯人扱いであり、いわゆる「町の声」もそれにつられて「極悪非道」に塗りつぶされ、まるで「裁判無用」の様相となった。
 そんな中、拙宅に出入りする地方紙の記者がいて、「おかしいじゃないか。新聞が社会の公器というなら、裁判が確定するまでは法の原則である『推定無罪』を通し、警察発表にない事実関係を洗い出す。それでも黒になるかも知れないし、あるいは白の材料が出てくるかも知れない。君たちは調査報道という使命を放棄したのか」と問い詰めた。その折りは二人とも酔眼だったが、それを聞きつけた支局長が記事にすると言い出し、当方としてもおもしろくない展開だったこともあり、気軽に「実名・顔写真入り」でOKした。
 ところが、被害者が当地ゆかりの人であり、その反発は予期しなかった。無言電話に加え、無記名の抗議ハガキなど、多種多様の嫌がらせで、幼い子供たちにとっては恐怖だった。
 その抗議は新聞社にも及んだが、当然のこととして新聞社は「報道の自由、編集権」を楯に、頑としてはねつけた。そうすると怒りは増し、とうとう販売店まで攻撃の対象とされ、営業の最前線である販売店主は頭を抱えてしまったが、この時の担当支局長のひとことは今でも脳裏に焼き付いていて、現下のネット社会をそのまま映していると思うので、最後に記しておきたい。
 「市民は世論世論と騒ぐが、その実は何にも考えてはいない。ましてや法律論など埒外で、ただただ感情的に反応しているだけ。あなたが言うように『調査報道』は大事だが、そこまでして記事にしても、それを理解するのは読者の1%もいない。それが世論の現実です。行政に関する問題も同じで、少し辛口を書くとそれで読者が減る。だから当たり障りのないことを書くのが最善なのです。」

 追申 編集部に抗議を寄せている諸君、購読料を払い、公正・中立を標榜する新聞社ですら、その基本として「編集権」を有している。
 高野氏が「このサイトは本質的に、私が世の中のためを思って自分の経営負担により公に提供している私的メディアであり、私とそのスタッフが面白くない、適切でないと思ったコメントを削除するのは我々の自由であって、失礼ながら読者の皆様が文句を言える筋合いは全くありません。」と書いているが、私はすんなりと胃の腑に落ちる。

The Jurnal 編集部様
上記豊後の小兵衛氏の投稿、ことばを失った日本人―(6)には、私を含め、世川氏の記事およびその掲載の経緯について批判的なコメントをした人に対する誹謗中傷が含まれております。さらに、豊後の小兵衛氏は世川ブログのコメント欄において、The Jurnalでのコメントで自分が年金をもらっていると書いた人に対して、「年金を『恵んで』もらい」などど書き、年金の受給についてまで誹謗中傷する始末です。
このまま豊後の小兵衛氏や世川氏の投稿を掲載し続けることはThe Jurnalのためにならないと私は思います。掲載の権限は編集部にありますが、慎重な対応をお願いします。

【続報】高知白バイ事件。第4回バス走行検証レポート

本日(09/11/23)、国賠訴訟に向け、高知県警の証拠を検証する「第4回バス走行検証会」が行われました(わたしは参加できてないのですが)。

果たして、支援者、高知県警両者が

支援者ブログに検証の模様が記事となっていますので紹介します。

雑草魂 - 4回目の走行実験
http://blogs.yahoo.co.jp/zassou1954/57904783.html

高知白バイ事故=冤罪事件確定中 - 第4回バス走行検証 無事終了 2009/11/23(月) 午後 8:09
http://blogs.yahoo.co.jp/littlemonky737/57901956.html

高知に未来はあるのか?- 第4回バス走行検証が終了2009年11月23日(Mon)
http://kochiudon2.blog105.fc2.com/blog-entry-243.html

高知県会議員 坂本茂雄 -11月23日-2「走行検証で警察証拠の信憑性に疑問符」
http://www.sakamoto-shigeo.jp/main.htm

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 本来ならば、事業仕訳についてのコメント欄に投稿すべきなのでしょうが、長くなりましたので、こちらに投稿します。

 事業仕分けと仕分けられる人々

 残念ながら、小生のネット動画では良く視聴できないので、実感に乏しいところがあるのですが、事業仕分けの報道を見て、つくづく感じることがありました。
 それは、これからの日本経済の国家戦略の転換に対して、既存の意味のなくなった組織及びそれを支えてきた人々はどう対応していくのだろうということでした。

 振り返ってみれば、明治維新以来の富国強兵(領土拡大)の国策が、今のアメリカと同じように強大な軍という、戦争無しではやって行けない化け物を生み出しました。
 軍は最後は政治までをも支配し、貧乏国家に返せる当ても無い巨額の国債を発行させて軍備を拡大しました。

 大恐慌以降の保護主義の世界的拡大により、市場の拡大を阻まれた日本は、軍を中心に政、官、財、報、学の連合体で、八紘一宇・アジアの解放という大義名分を旗印に掲げ、国民はこれに熱狂して、勝てる当ても無い大戦に一億一心、火の玉となって突っ込みました。
 原子爆弾まで落とされる、悲劇的な敗戦で、一流国と信じていた日本は、小生が物心ついた小学生の時代には、五流国ではないかというどん底まで落ちました。

 そのころ日本は、軽武装高度経済成長国家へと戦略を切り変えました。

 政官財報学が一体となり、山ばかりの、ろくな資源も無い狭い国土で、軍をほうり出された軍人と、取り上げられた海外の植民地からの引揚者、戦時中の生めよ増やせよ政策で増大した若年層が、戦後のベビーブームで生まれた乳飲み子を抱え、必死になって再度の経済発展に取り組んだわけです。

 農地解放とドッジ税制改革による、貧農、低所得層への国富の再分配と国内市場の整備、拡大。

 傾斜生産方式による、戦略産業への重点投資。

 特殊法人、道路特別会計等の創設による、インフラ整備の推進と地方への成長果実の再配分。

 低開発国では殆ど例を見ない、厳しい累進所得税と相続税の導入。

 これも低開発国には稀な、厳格な税務査定による法人税の取立て。

 要するに、国民は必死に勉強し、働き、税金を納め、余ったお金があれば無駄遣いをせずに、銀行なり郵便局へと貯蓄する。

 政府は集まった税金と、郵便局に貯金されたお金で、道路、電気、通信、鉄道等の戦略インフラの整備を進める。

 政府により護送船団方式で管理された銀行は、貯金されたお金を戦略産業たるもの造り企業を中心に事業の近代化、拡大のための資金として貸し付け、その成長を援助する。

 そして、奇跡といわれた世界第2位のGDP国家への成長と、現代経済社会の理想と褒め称えられた総中流社会を生み出したわけです。

 この構造が壊れたのは、1985年のプラザ合意による急激な円高への転換です。

 貿易自由化の進展を背景に、世界中から仕入れた原材料を使い、国内の当時相対的にまだまだ安価だった優秀な労働力を使って、従来型の一般的な普及品を高品質と競争可能価格で製造し、世界中に販売する加工貿易立国という戦後の経済発展の仕組みが崩壊しました。
 主として一般的な普及品もの造り企業群の急速な海外移転が始まり、海外移転する力のなかった中小企業群の国内での消滅が始まりました。

 それに伴い国内製造企業への投資は減少し、余ったお金が、土地と株式に向かいバブルの時代がきました。

 歴史の台所には、「たら」と「れば」がごろごろ転がっており、それを調理する「なら」の木も山済みですが、もしあの時点で、日本を支配する、政官財報学が時代の変化を読みきり、新しい国家戦略を打ち出してい「たら」、或いはい「れば」、もしくはいた「なら」、今回の事業仕分けのパフォーマンスは無かったでしょう。

 あの時点でのあるべき戦略は、日本経済の根幹を成すものづくり企業群の海外転換に沿った、日本の人々と全ての産業、組織の国際化でした。
 小生は、現在でも日本の基本戦略はこれ以外にないと思います。

 勤倹貯蓄に励む、生真面目で働き者で勉強家で優秀だった働き蟻の国民が、せっせと貯めたお金と、公正、公平だった政府が集めた税金は、日本の内外における国際化のために再投資されるべきだったのでしょう。

 概ね30年近くが、国家戦略の再構想なしに、空しく過ぎ去りました。

 集められた税金と、必死で貯蓄されたお金は、敗戦後設定された国家戦略の下にそれを推進しつつ出来上がった既得権益の集団、自民党、官僚、銀行、建設業界、報道機関、学会等々により知ってか知らずか、訳の分からないうちに浪費され、さらに景気対策の名のもとに返す当てのない国債発行で掻き集めたお金も、意味のない公共事業と、政府事業により使い尽くされました。(最もそのうちいくらかは、埋蔵金として、眠っているようですが。)

 30年間で、日本国内の経済成長の維持のための公共投資、地方経済への富の分配の大義名分の下に作られた、いや今も建設途中の、無駄なダム、空港、道路、港湾等をみてください。
 事業仕分けに登場する、様々な意味のわからない、いや意味はわかっても実に無駄の多い国家事業の数々を見てください。
 しかもその全てに、何とか会館という名のビルディングがくっつき、なんとか事業団という名の特殊法人が設立され、何とか理事長という肩書きの官僚が天下っています。

 これらの事業といわゆる公共投資が支えている、いやこれら無しでは飯が食えないようになってしまった、人々、企業、特殊法人、行政組織、官僚、政治団体、報道機関、各種学会。
 かっては、奇跡の日本経済の発展に寄与した人々と組織が無残にも、似て非なる意味のない事業にぶら下がる寄生虫となってしまったということ、それが現在行われている事業仕訳で明らかになったこの国の情況ではないでしょうか。

 新しい戦略を立て、それを速やかに実行に移す、民主党が取組んでいるのはまさにそれなのでしょうが、その実施には、大きな痛みが伴います。
 先の総選挙で、これらの意味のない事業と無駄な公共事業にぶら下がっていた、或いは甘い利権をすすっていた自民党議員の2/3ほどが、無残にも職を追われたように、これらにブラ下がっていた人々と組織も職を追われ、新しい仕事を見つけなければなりません。
 願わくば、勝ち目のない戦争は早々に止めて、新しい日本の経済、政治戦略に沿ってどう明日の仕事を確保するのか、一日も早い頭の切り替えを行って欲しいと思います。

 とはいうものの、学者馬鹿とは、良く言ったものですが、国立大学、有名大学の学長やら、ノーベル賞受賞の科学者やらが、あんな声明を出しているようでは、日本の再生は残念ながら、まだまだ程遠いのかもしれません。 

今回の私の投稿が、この「コラム」に投稿すべき内容なのか疑問視は、しています。
「雑記帳」の意味合いかなと勝手に解釈して、投稿させていただきます。

私が選挙権を得て、30年以上になります。
その間、その「義務・権利」を行使したことは、数回しかありません。
最初の数回と細川政権誕生の時のみ行使しただけで、個人の力のなさを思い知らされ、諦めてしまったからです。
私が住んでいる所は、地方の片田舎、極端な変化を望まない超保守社会です。
諦めてから、無党派どころか無選挙者の私は、無人島生活を始め、大局の政治・経済など傍観者でいました。

私の生活範囲の維持のみに活動し、影響がある時は、それに併せ対応する。
ある意味、従順な社員です。
そうした私が、今更こんなことを述べるのは、おこがましいと感じてはいます。
今回の政権交代劇も傍観者でいた。
その中、偶然にこのサイトを知り、それぞれの「コラム」で討議されている内容に驚き、感銘を受け、数日前から投稿させていただいています。

マスメディアは、今後双方向性も求められている。
一方的でなく、しかも、マスメディアが流す情報に異論反論する。
どこかの「コラム」にも載せましたが、亡き「筑紫哲也」氏の《多事争論》のなかで「論することが大事なのです」とそれが、できる場である。
ただ、その場はあくまでも「中立」であることが、大切です。
十人十色、「右派・左派・中道」、「保守・改革」、「権力派・庶民派」、など人を同じように報道も色々な方向性があって、当たり前です。
けれど、そうした中で、右・左等のそれぞれが、自由に論議できる場が、この《THE JOURNAL》でないかと、独り合点しております。

戦後から80年代まで、国民は方向性を失い、強い指導者(リーダーシップ)が、求められた。
政治・行政・民間・国民が一体となり、寝る間を惜しんで、この短期間に高度成長社会を作り上げた。
成熟社会を迎えた時、次の方向性を求めた。
けれど、一分一秒を惜しんで働き、ほとんどの国民が社員化していることに気が付かずにいた。
これは、生来人間が持っているものと言えば、それまでです。
次の目標、更なる経済成長を展開してくれ。
動き始めた動きを、止めることができない。
経済が悪化すると、早急に改善してくれ。
遅れを取った地方なんとかしてくれ。
自助努力せず、それらを指導者に求めた。
しかも、個人主義が台頭し、我先にと・・・。
典型的な事例が、「バブル」でしょう。
うまくいかないと、その責任者一人に責任を負わせ、責任追及のみに視点がいく。
私を含めて、自分の責任を棚に上げる。
指導者が目まぐるしく変わり、その方向性があっち向いたり、こっち向いたり、悪循環となる。
その中で、行政の一部が、目先にとらわれない体制を作る。
ところがそれは、彼らに多大な権力与える結果ともなる。
その自覚を国民一人一人肝に銘じなければならないと思う。

今回の政権交代は、そうした意味でも良い機会です。
まず、大掃除はしないといけないけれど、過去の点を踏まえて、「どんな土台にするのか」
十分討議し、提言できる。
また、転換に伴う「ひずみ」や「土台作り」は、稚拙に行ってはいけない。
しかし、現経済社会の早急な対応も必要である。

現在の「改革を支持する人」も、方向性がおかしい思えば、どんどん「苦言」を提起、「改革を望まない人」も「提言」等を提起する。

そうした場が、この《THE JOURNAL》であって欲しいと切に願っています。

追記
一秒後でなく、明日の天気を気にして無人島に住んでいる私にも、時々投稿させてください。


政権が発足して3ケ月に入ろうとしている。あいもかわらずマスコミはあら探しに熱中している。箸のあげさげ程度の低い事柄まで悪意をこめて発信している。新聞など小沢問題で少しは反省したかと思つたが、何のことはない今度は鳩山総理の献金問題をこれでもかこれでもかと一面トップで報道しまくっている。検察も小出しにリーク情報を流しているようだ。もっと大きな問題があろうにだ。この国は裁判員制度以前に解決すべき司法官僚、裁判所の内在する諸問題がある。司法刷新会議でも、この際、設けてみる必要がありそうだ。それと今さらもう二階氏の秘書など立件などするな!と言っておく。姑息な出来レースで国民に目眩ましみたいな事はしてはならぬ。話は変わるが昨日、たまたま、たけしのテレビタックルを久しぶりに見た。あいもかわらず文句を言う事しか能のない更年期症候群的評論家、福岡とかいう口ばかり達者な人間が鳩山総理のネクタイの色がどうだとか、野球や観劇にイチヤモンをつけ(確か休日日だと記憶しているが)、小沢氏をヒトラー呼ばわりなんかして悦に入っている。雑誌WILLにもでて小沢氏の非難を思う存分書くよう薦めたい。今に始まったわけではないから具体的な反論は「分かる者には分かるが分からない者には分からない」との格言もある故、もはやしないが、とにかく得体のしれない自動律の不快さを感じる。それと元官僚の岸とかいう御人も民主党ならびに官僚にも非難ばかりして喜んでいる。あんたは現役官僚の時代に、そんな組織の中でどれ程に前向きに戦つてきたのですか?と問うてみたいものだ。辞めてそれこそ無責任で気楽な立場で発言するなら、それこそ猿でも出来るたぐいの次元の話だ。いくらバラエテイ番組とはいえ、政治を語るなら言ったもん勝ちで言いいぱなしみたいな発言にはうんざりする。そんな姿がマスコミ的には大衆受けするのかしれぬが、自身への内省も全くもって感じられず、こういうたぐいの人達の言葉は一歩間違えば詐欺師まがいで百害あって一利なしと言わざるをえない。現役公務員なのに大臣批判ばかりをしている非常識なやからと同様、彼、彼女らには自身の中に恥の概念はなさそうだ。あんたがたが発言する場所は違うだろうとツッコミのひとつもいれたくなるほどの傲慢さがある。人としてのたたずまいが美しくないのだ。現状の日本、いや世界中を観てもそれこそ一流の経済学者や評論家がいるのに、経済は一向に上向かない。株のプロが金儲けしてないし、政治学者や評論家が政権を作ったってうまくはいくまい。他者に対しての過剰な正義や倫理を求める事はかえって何の成果も得られないだろう。国益と国益がぶつかる外交をみても妥協と妥協の産物であり、正義や道理をふりかざす事により外交が成功しない実例など山とある。国益などそれこそエゴとエゴとのぶつかりあいでしかないではないのか、話はそれたが、要するに人間存在自体が、いわば善と悪の複合である以上、比較として個人なら、より善き生き方を思考すべきだし、こと政治に期待するなら前と比べて少しはましになったぐらいの気構えでいるべきではないかと考える。それにはある程度のタイムラグを必要とする。ヒステリックに騒ぐのではなく、何十年と続いたアカとウミに汚れまくった自民党政権と官僚とマスコミとのトライアングルから民主党政権に変わった状況をかんがみれば最低4年間の行動を観察する余裕が求められるのではないか~それと政治家に期待するのと同様に国民意識の向上も国民一人一人に課せられなければならないだろう。それにしても評論家か学者か知らぬが本当に気楽な職業もあったもんだ。勿論、全てとはいわないが…

記者クラブ問題

最近よく言われる、排他的な姿勢、官公庁の広報機関と化し、国民の知る権利を阻害していると問題点が挙げられています。

官邸でも、記者クラブが家賃、光熱費を払ってないといわれますが、国民の税金をどのように食いつぶしているかわたしは知りませんでした。

その記者クラブのためにいくら税金が使用されているか、具体的に書かれいてる本がありましたので紹介します。

ちなみにわたしは絶句しました。

「新聞が面白くない理由」 岩瀬達哉 著 講談社

一部ご紹介します。

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「第一部 記者クラブの堕落 便宜供与で曲がるペン」から

表1 記者クラブへの便宜・利益供与調査----試算合計額

中央官庁 サンプル数26     2,797,724,199円
県庁 サンプル数47       1,252,671,976円
市役所/政令都市 サンプル数12   298,933,510円
市役所/県庁所在地 サンプル数35 347,431,735円
市役所/一般市 サンプル数321  1,578,848,318円
議会 サンプル数3        3,510,171,862円
教育委員会、大学 サンプル数17  134,736,011円
警視庁、警察本部 サンプル数32  778,351,299円
検察庁 サンプル数5        13,165,524円
特殊法人など サンプル数8     235,918,940円
政党 サンプル数1          20,957,382円
農協 サンプル数16         77,901,493円
一般企業 サンプル数6       31,246,715円
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合計              11,077,608,964円
(96年1月17日現在)

表2 大手新聞社が各公的取材機関から受けている便宜・利益供与の試算総額

朝日新聞   550,339,652円
毎日新聞   537,605,733円
読売新聞   555,091,769円
産経新聞   349,680,743円
日本経済新聞 377,849,996円
共同通信   399,553,309円
時事通信   249,314,868円

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巻末にも 「全国調査 - 記者クラブの便宜利益供与一覧表」がありますので、興味のある方は読んでみてはいかがでしょう。

報道の劣化

皆さんよくご存じの「きっこの日記」を読んで、本当に驚いた。
このジャーナルでも、高野さんが、何度も書き込んでいる「沖縄の米軍基地」のお話だ。

12月5日付の彼女の日記では、2008年9月15日、アメリカ海軍長官からアメリカ下院軍事委員会議長へ「国防総省グアム軍事計画報告書」なるものが提出され、その中で、沖縄からグアムへ移転する部隊名が列挙されているという。
そこには、沖縄のほとんどの海兵隊実戦部隊名と、辺野古へ行くはずのヘリ部隊を含めた普天間基地のほとんどの部隊名が書いてあるという。
詳しくは、「きっこさん」とこへ行って、読んでいただきたい。

この件が、真実なのかどうかは、同文章と、「きっこさん」が添付してくれてる資料を見て判断するしかないのだが、真実なのだろう。
しかし、沖縄について私が無知なせいなのかもしれないが、こんな話、聞いたことも見たこともない。
どっかの新聞社は、すでにこの件を書いていたのだろうか。
それを、知らなかったのだろうか。

市井の一女性が、ブログにすらすらと書いて示してくれている事実なのだ。
大きな情報力を持つ新聞社が、こんなことを知らないはずはない。

しかし、私はこんな話を聞いたことがない。
これだけ「辺野古」だ「嘉手納」だと騒がしい昨今だと云うのに、紙上に有るのは、移設が進まない事に関する「クレーム記事」ばかりだ。

なぜ、こんな大事なことを報道しようとしないのだろう。
この件が報道されれば「普天間からグアムへ」の、国民的な運動につながる可能性だってある。
そうなっては、いけないのだろうか。

日本の報道に付きまとう、胡散臭さがニオッテくる。
なんと云ったって5000億円だ。
例によって、土建屋からハイテク業界までが、大きく潤ってしまう大プロジェクトだ。
参加する企業も、大企業ばかりだろう。
つまり、大新聞社のお得意様たちだ。
そんな大イベントを、新聞屋が、テレビ屋が、ぶち壊すような報道なんか、出来やしないのだろう。
普段、「報道の自由」などと、インテリぶって、「言論人だ」と、威張りかえっている連中の言う「自由」とは、自分たちの都合の良いことだけを報道する「自由」のことだったのだろう。

沖縄県民の代表が、きちんとした資料を出して米軍の「撤退」の可能性を論じている。
その時に、わけのわからぬ「国防」を持ち出して、米軍の棲みやすい基地の建設を「社説」まで使って「公明正大」に論じまくる。

これが、正しい「報道」の在り方なのだろうか。
報道の劣化の段階はすでに過ぎ去っている。
報道の自殺だ。

*「きっこの日記」の、読後感想文です。

日本航空

12月5日付の日経新聞に、「日航への出資・融資に7000億円政府保証」と出ていた。
「資金不足で日航の運航が止まり、利用者に支障が出るのを避ける」ためだそうだ。
おまけ「運航に支障が生じると認定した場合、金融機関の日航向け融資に事後的に政府保証を付けることを表明した」

なにも根本的な打開策が出る気配すらない現段階で、まずは企業そのものを救済するに等しい「7000億の保証」。
これは、貸し手責任を一切問わないと、明言したかのような「銀行救済」をも意味する。
さらに、「出資」にさえも、「政府保証」を付けちまう。
株主の有限責任さえも否定してしまっている。
「一体、なんなんだこれは。」
と、叫ばずにはいられない。

なんで、こんな会社を、政府が守らねばならないのですか?
日本には、毎日のように潰れていく、解散・整理されていく企業があります。
経営者の中には、自らの命をも縮めてしまう方があります。
その方々も、税金を払い続けてきた方々です。

この日航と言う会社は、どうなんですか。しっかりと、税金を支払い続けてきた会社なのですか。
経営者は、死ぬほどの努力をしてきたのですか。
従業員は、一所懸命働き、足りない分を会社と分かち合ってきたのですか。

経営陣は、社員の給料を下げる努力を、普通の業績の会社並みにししかやっていません。
今にも潰れそうなくせに、思い切った固定費の削減をしていません。
従業員は、企業存続のために「身を削る」という行動をとってはいません。
現段階で、家族の「無料航空券」が貰えるうちにと、一所懸命タダ券を使っている有様です。
年金については、もう言いたくありません。

こんな会社と人々、いらないでしょ。
(救わねばならない「末端の人たち」は、整理後に存続させる会社で雇用すればいいのです)

正直な話、日航について詳しく調べる気が起こりません。
しかし、山崎氏の「沈まぬ太陽」で、十分でしょう。
この本にある、ナショナル・フラッグ・キャリアーが日航である事は、どなたにも解る事ですし、日航自体が「名誉棄損で裁判に訴える」という行為をしていないのですから、この本を事実と認めているようなものです。

放漫の上に放漫経営を繰り広げ、横領まがいの事を半ば平然と繰り返し、私利私欲の限りを時には、国の金まで巻き込んでやり続けた「日航」。
あまつさえ、そのような乱れ切った経営風土の中、尊い人命を御巣鷹山に失わせた「日航」。

このような会社を、なぜに存続させねばならないのか。

この会社を残すという事は、以後数年にわたりさらなる金融支援を行わねばならなくなるだろうという事でしょう。
それは、おそらく「税金」で、面倒をみると云う事だと思う。
今ならば、数千億で済む経済損失が、再建かなわぬ時は、兆円単位に膨らむのだろう。おまけに、税金で。

この会社を救済することの背景は、いったい何だろうか。
まず考えられるのは、金融界の救済であろう。
落ち込んだ経済状態にある日本の経済を、さらなる泥沼に陥らせないため、と割と耳に良い選択だ。
しかし、本当は違うと思う。
貸した側には、貸した側の責任がある。
おそらく、政府は目に見えない保証行為を行っていたのではないだろうか。
そうでなければ、こんな会社に貸し込む馬鹿な金融機関などそうはあるまい。
だからこその、仕方なしの救済。
55年体制の清算のためか。

いま一つは、アメリカの為だろう。
ロッキードを筆頭に、アメリカの航空産業にとって日航は、文句を言わない「良いお客様」だ。
この経済危機の折、日航に潰れられたら、一番困るのは、この連中なのだと思う。

民主党よ、前原大臣殿よ、なんでこんな会社を救済しようとするのだ。
国民の為を思うのなら、こんな救済やめてくれ。
法的整理ののちに、国内については新会社を興し、海外路線は、欲しがっているところがあるのだから100円で売ってやればいいではないか。(瑕疵担保特約などは着けずに)
そんな金があるのなら、バッテリー会社や太陽光発電のメーカーに、「技術開発費用」としてくれてやってくれ。
これからの日本を引っ張る、有力な産業だよ。

*ついでに、
JRでも、家族割引が、今でも行われている。
国民に、国鉄清算事業団と言う、大きな重荷を背負わせて税金で返済を強いて、自分たちは「福利厚生」を、謳歌している。

この国は、本当におかしい。
民営化とは、いったい何なのだろう。

タイについて 7
タイの歴史3)アユタヤ王朝・前

 アユタヤはバンコクから北へ約150km、メナムデルタのほぼ真ん中にあり、タイ国を貫いて流れるメナム川(チャオプラヤー川)の下流域の始まりに位置しています。

この地点は、ラオス、カンボジア北部と国境を接する広大な台地である東北地方(イサーン)から流れ下る川のメナム川への合流地点でもあり、川が主要な交通路であった時代においては、タイの農産物の一大集積地点でもあったのでしょう。

タイの、ほぼ全域を支配していたクメール帝国が衰退し、北方にスコータイ王朝が覇を唱えたものの、それもまた衰え始めた、14世紀半ば頃、この地にアユタヤ王朝(AD1351年―1767年)が誕生します。

創始者は、やはりタイ族で、ウートーン(金の揺り籠)王とも呼ばれるラーマーティボーディー1世です。

クメール帝国が衰退して行ったあとのタイ中部にはいくつかの中小王朝が成立していたようで、そのうちの一つが出自といわれていますが、定説は今のところありません。

「ターミーカーオ、ナームミープラー 田に米あり、水に魚あり」といわれ、農業王国であったスコータイ王朝とは違い、アユタヤ王朝は、タイ国内の物資集積点という利を活かし、貿易帝国であったクメール帝国と同様、中国、インドに加えて、さらに日本、中近東、ヨーロッパを含む大貿易帝国としておよそ400年にわたり繁栄を続けました。

その貿易の中心商品となったのは、ほぼタイ全域で取れる米です。

タイの歴史上初めてと思われる大掛かりな公共事業の灌漑用水路の整備と併せて、この頃、バングラデシュから渡来したといわれる浮稲も貿易用の稲の生産拡大を助けたようです。

タイ農業の問題点のひとつは、豊か過ぎる水による冠水です。
広く何処までも平らなメナム・デルタに降った雨は、山国日本のように、洪水となり海へと流れ落ちては行きません。
ゆっくりと下流域へと流れてくるのですが、更にその下流域にも雨が降り、ナーム・トワムといわれる、じわじわと水位が上り続ける洪水となります。
ついには見渡す限りの田んぼが水に浸かり、広大な湖となりその状態は1-2ヶ月ほども続きます。

通常の稲では葉も稲穂も水に沈み腐ってしまいます。
渡来した浮稲は、乾水期に直播され、雨季に水位が上るとそれに併せて茎の節間を伸ばします。
常に葉の部分が水上にあり、稲穂を水上に出す稲です。
硬くあまり味は良くなく、収穫量も少ないようですが、この導入が、冠水状態となった田んぼでの米の生産を可能としたわけです。

稲刈りは、小船を浮かして、実った稲穂の部分を刈り取っていくという形で行われていました。
現在では、整備された水路と、その末端の海に注ぐ堤防に大きな揚水ポンプが何台も並べられ溜まった水を海へとくみ出されているため、首都バンコク周辺では浮稲を見かけることは少ないのですが、15年前には、時々見かけた風景でした。

米の増産とその貿易で栄えたアユタヤ王朝は、それまでのタイとは違った、社会的、政治的システムを生み出します。

米の生産を支えるのは言う間でもなく、土地と人ですがこの二つについてアユタヤ時代に初めて土地所有権制度と身分制度が確立されます。

サクディナーと呼ばれるこの制度は、アユタヤ王朝7代目の王インタララーチャー1世(1409年―1424年)によって始められ、9代目のボーロマトライローカナート王(1431年-1488年)によって確立されたとされています。

制度の概略は、先ず全ての土地を王の所有物とする。
次に国民を身分によって分ける。
分けられた国民はその身分毎に一定の面積の土地を王から借り、耕作を行うというものです。

 具体的には、国民は、大臣を最高位とする軍人、官僚(アマタヤー)、平民(プライ)、戦争捕虜(奴隷)(タート)に分けられました。

 アユタヤ王朝も、主体をなしたのは、移住してきたタイ族の末裔ですから、恐らく大臣以下の、軍人・官僚はタイ族、平民は原住者という仕分けがなされたのでしょう。

 借りられる土地の面積は、大臣が1万ライ(約160町)、平民25ライ(約4町)、奴隷が5ライ(約0.8町)とされていたようで、国土の広大さが伺われます。

 この制度は1932年の立憲革命まで続き、社会階層の分化を固定し、国民の自由な発展を阻害したのでしょう、現在でもタイの民主派の集会ではしばしば、アマタヤーへの非難が聞かれます。

しかし制定時点においては、安定した土地の保有を全ての人々に保証したわけで、生産意欲の向上に資したものとおもわれます。

 このような、制度の整備と合わせて、アユタヤ王朝は貿易で得た豊かな富を使って積極的な領土の拡大を行いました。

 初代のウートン王は、国内に残存した、モン族、クメール人などの拠点を併合し、更には衰退するカンボジアのクメール帝国の首都アンコールまで攻め入りこれを陥落させています(1362年)。

 14世紀の末頃までには、マレー半島、ミャンマーのベンガル湾まで勢力を伸ばし、アユタヤはインドシナ半島の最大の勢力となります。

ことばを失った日本人―(6)

 私こと、恥ずかしながら、いい歳をして世川ブログから「放逐」されました。よって、向後はこの件に関してはコメントを控えます。また、「小沢試論」の上梓を心待ちにしている読者もおいでかと存じますが、この件については私の関与はなく、出版社は世川氏の交友にてご懸念はありません。
 序でながら、一部では私個人が特段の支援をしたと誤解されているようですが、私の購読料は皆さんと比し、同等かそれ以下でしかありませんことを申し添えます。

 今回からThe JOURNALへは実名で投稿することとしました。何故か、それは「頭隠して、尻も隠さず」でありあまり意味のないことと覚りました。しかし、売文が稼業でないことから、名前にふさわしい記述とならないこと、ご寛恕のほどを願います。
 親からもらった名前とは難しいもので、平野貞夫さんの「貞夫」も、一見は、どこにでもありそうなお名前ですが、実は奥が深く、いづれ機会があれば紹介したいと思います。

 さて本論。「ことばを失った日本人」に関連して、國語問題協議會(http://kokumonkyo.jp/)の、常任理事兼事務局長でもある谷田貝氏より転載許諾が得られたことから、同協議会の原点ともいうべき「同胞各位に訴へる」を数回に渡って転載し、国語問題に皆さんのご理解を得たいと思う。
 ご意見は同協議会アドレス「0359089356@everynet.jp」へ直接でも構いませんので、積極的なご発言を期待したい。
 なお、同協議会は「右の人たちの集まり」と評する向きもあるが、創立期の物故役員も含めて参照していただけば、当時は右左を問わず、あらゆる階層の有識者たちが声を上げていることもわかり、経済成長とともに、その声がかき消されていることが読み取れると私は思う。
 また、同協議会は幅広いご支援も希望していて、有志の入会も呼びかけていることから、ホームページを参照願いたい。

以下転載―その一
宣 言
國語は危機にある。
 その原因は、國語そのもののうちにあるのではない。戰後、國語表記の矛盾と混亂とを解決するためと稱して行はれた「現代かなづかい」「當用漢字」「音訓整理」「新送りがな」等、一連の國語政策のもたらした矛盾と混亂とこそ、その原因である。それらの政策は、事實上抗しがたい強制力をともなつて行はれたばかりでなく、單純な便宜主義の立場から國語の本質を無視し性急に國語表記の簡易化を計らうとしたものである。當然その方向はローマ字、あるいはかな文字による表音文字化を志向する。

 われわれも簡易化そのものには反對しない。その實現のためには、應分の努力を惜しまぬものである。しかし、文字は言葉のためにあり、國字は國語のためにある。文字を易しくすることによつて、言葉の正しさを歪めてはならない。國字の簡易化はあくまで國語の正しさを守るためのものであり、その限度内にとゞまるべきものである。

 戰後の國語政策は、國語そのものの性格に對する認識を缺き、十分な調査研究を經ずしてひたすら簡易化を事とした。しかも、そのために生じた矛盾は、簡易化の美名におほはれて、そのまゝ容認されてゐる。のみならず、それがあたかも、わが國語國字のまぬかれがたい性格に基くものであるかのやうに宣傳されてきたため、遂に國民の閒には、國語國字を輕視し、時には、嫌惡するかのごとき風潮が起り、又その矛盾からのがれるためには、表音主義に徹するほかはないと考へるものさへ生じつゝある。このまゝ椎移すれば、人々は國語國字について何が正しいかといふ言語意識を失ひ、矛盾や不合理に反撥する健康な語感の痲痺を、ひいては思考力、表現力の低下を招くに至るであらう。これをわれわれは國語の危機と呼ぶ。
 こゝに國語問題協議會は事態のこれ以上の惡化を防ぐために、次のことを要求する。

文部省及び國語審議會に對して――
一、既住の改革案について、その意圖、竝びに、その根據、資料を示すこと。
一、改革案の矛盾と混亂とをどう處理するつもりか、その見通しを示すこと。
一、改革案の教育への適用は見合はせること。
一、誤つた言語觀に基く國語教育の實情を認識し、早急にその再建をはかること。

内閣に對して――
内閣告示をもつて輕々に左右しうる現在の在り方を改めること。
一、國語問題研究機關を強化し、それによる十分な調査研究に基いて國語政策を推進すること。
一、成案の作製については文部省國語審議會等の政府機關による専斷に委さず、廣く専門家、有識者の意見を尊重すること。

なほ同時に、國語問題協議會はその設立目的に副ひ、次のことを行ふ。

一、言語道具説、表音主義が古い自然主義的言語觀に發し世界の新しい趨勢に背くものであることを明らかにし、正しい言語観の確立と啓蒙につくすこと。
一、誤つた國語政策の内容を國民一般に知らせ、人々の自覺に訴へること。
一、言論、報道機關竝びに國語教育界の協力を求めること。
一、かなづかひ、漢字、送りがな等の諸問題につき、國語、國字の本質に即した調査、研究を行ふこと。

 右の宣言に從ひ、われわれは、祖先のものであり、われわれのものであり、さらに子孫のものでもある國語國字の正常な在り方を見出すために、今後あらゆる機會に着實、適切な行動を展開して行きたい。廣く國民の理解と支持を期待する。

                                國語問題協議會

昭和34年12月17日

転載終わり(続)

「坂の上の雲」 第3話

またNHKが、歴史の歪曲を行おうとしている。
1話、2話にも言いたい事はあるものの、目くじらを立てるようなものではなかった。
しかし、今回は違う。

第3話には、日進戦争に至る過程で、時に首相と軍部のやり取りが描かれていた。
この中で、川上操六が「統帥権」の行使を思い起こさせるセリフを吐くシーンがある。
「いったん派兵してしまえば、軍の運用はすべて参謀本部が行う」と、発言する場面だ。(セリフについては、うろ覚えですがご容赦)

一体に、川上操六が、明治の陸軍が、「統帥権」などという官僚の言葉遊びと、その上での暴走をした事実や、論議が、どこにあるのか。
日清・日露の両戦争は、当時の国際条理の中での、主権国家の当然の行為であり、国防戦争であった。
これをとがめた論議は、国際的にも、どこにも起こっていない。
(もしあるとすれば、昭和20年以降の愚かな「日本」という国家の中だけでだ)

それを、なぜ、今の時期に、このようなインチキを「何気なく」物語に織り込まねばならないのだろうか。

政治的な、不穏な意図を感じるのは、私だけだろうか。

明治の日本は、ただひたすらに、国際的な理解を求め、他の先進国が時としていい加減な扱いをする「国際法」を順守し、不平等条約の改正を求め、国の近代化に努めた。
そこには「侵略国家」のにおいなど、どこにもない。

このNHKの「演出」は、一人、川上操六氏の名誉を汚すだけではなく、明治日本さらにはその延長上に有る現在の日本人を貶め、愚弄する行為と断言してかまわないと思う。

何を思い、何を目的として、「いかさま歴史観」を強要しようとするのかNHKと問いたい。
そして、この問いかけこそがジャーナリズムの本来の役目だと思う。

*司馬遼太郎氏が存命であれば、このようないかさまは、絶対に許さなかっただろう。
草葉の陰で、憤慨されていることだろう。

5行目「時に首相」は誤りです。

正しくは、「時の首相」

「統帥権の独立を今の宮内庁に見る」
私のつたない理解で恐縮ですが、「統帥権の独立」というのは元をただせば明治憲法の不備から来たものだと理解しています。すなわち、陸軍大臣と海軍大臣の任命権が内閣総理大臣になく、陸軍省と海軍省にあったということです。それゆえ、時の内閣が軍の意見を聞かないときには大臣を辞任させて後任をださない。それによって内閣を総辞職に追い込むことが出来たわけです。そこから、「軍に命令できるのは陛下だけ」という理屈になり、天皇が政治にあまり関与されないことをいいことに、軍の暴走が始まったということでしょう。
 ところがこれと同じことが現在の宮内庁で行われていると知りびっくり仰天してしまいました。「天皇陛下と会見するためには1ヶ月前に予約が必要」なんて規則は一体誰が認めたのか?少なくとも国民には知らされていなかった。宮内庁の役人が勝手に規則を決めて、陛下のためにそれを守れと内閣を脅すと言う構図は、戦前の統帥権独立を叫ぶ軍部そっくりです。それを利用しテ内閣を妥当しようとするマスコミも、かつて「鬼畜米英」を叫んだ構図と重なります。
 今の日本の状況は、昭和初期を髣髴とさせ、非常に危険な予感がします。唯一の救いは、国民による選挙が機能していることです。国民さえ冷静さを失わなければ、この事態は修飾していくと期待しています。

編集部担当者殿
12月14日の私の投稿は「元株や氏」のご意見に触発されてのものでして、「よろんず」で皆さんに見ていただく意図ではありませんでした。間違った場所への投稿については謝罪いたします。上記ご勘案ください。

第1章 戦後農協とは何か。日本農業の問題点。

ところで、父が常々言っていたのは、「農協の3つの顔」についてである。農村民主化の主要な柱として、「戦後」の具体的な最大の革命であった「地主制」の解体と、自主的な農民組織の結成を求めた連合軍GHQの占領政策の一環として、1947年に「農協法」が制定された。
すなわち、1945年12月、「農地改革についての連合軍最高司令官覚書」、俗にいう「農地解放令」の(5)により「非農民的勢力の支配を脱し、日本農民の経済的・文化的向上に資する農業協同組合運動を助成し奨励する計画」の提出を求められた。
じらい、国家=行政府とGHQの長い折衝を経て、1947年8月GHQの承認後「農業協同組合法」が国会に提出され、原案どおり可決された(私もこの年の3月に誕生)。

農協法が国会上程の際に当時の平野農相が主旨説明で、「農協4原則」を強調しているが「農協法」の性格が的確に表現されている。
「農協4原則」
 ①組合の設立、地区および組合加入・脱退の自由の原則
 ②農民の団体としての組合における農民の主体性の確立
 ③農民が農業生産協同体であるという趣旨に基づく生産に関する事業の強化
 ④自主性尊重の立場からする行政庁監督権の制限

「農協法」制定時には、これらの「農協4原則」の①しか考えていなかった筈である。これがいろいろな理由と経緯をたどって②、③が後から付加されたということだ。そうした原因により、ひいては、④による、農協の外からの官僚支配を受け入れざるをえなくなったのである。(よく似た例に、「教育委員会」の官僚支配がある--村井実・慶応義塾大学名誉教授、教育哲学)。


●「農協の3つの顔」への変容

このような民主的な組織として誕生した農協も、年とともに次第にその姿を変えた。それが「3つの顔」である。
 ①の顔  組合員農家の組織した協同経済組織体としての顔(営農と生活)。
 ②の顔  行政補完の顔(第2の村役場、町役場)。
 ③の顔  圧力団体としての顔(選挙の集票能力を武器とした米価値上げ運動)。

ここで結論じみたことを言えば、「農業協同組合」と言いながら、農家全員の内発的な意味での「多数決原理」で協同組織の運営がなされていなかったということだ。

「政治とは選挙であり、多数決を得ることだ」という小沢一郎の言葉が、「民主政体 デモクラ
シー」を意味するとすれば、「農村民主化」および「自主的な農民組織の結成を求めた連合軍GHQの占領政策」から、大きく逸脱した農協組織になっている現状がある。

最近では、天下りの弊害の象徴でもある「住専問題」への農水省の「税金による救済」や、今おきている「サブプライム問題」では、「農林中金」を「ファンド」と表現されるに至っている。

また、民主党の赤松農水大臣の、本誌での「大潟村訪問、謝罪記事」なども、「農協の3つの顔」から「自立して上部組織の指示に従わない選択」をして、稲作の減反をせず、全量を自主流通販売しているK氏などの「農家集団」は含まれていないはずだ。つまり、赤松大臣等は、大潟村の農民全体の「多数決原理」を機能させる「場づくり」ということにどのような努力をしているのだろうか。農協JA、村長に、赤松大臣や農水省官僚などは、誰にどのような内容で謝罪したのかが不明のままなのである。(本誌:2009年11月30日「赤松農水相らが大潟村を訪問 「この40年間国の政策のためにみなさんにご迷惑をかけた」と謝罪)。
http//www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2009/11/40.html

留意したいことは、専業農家の人員と農協JA、村・市町村・県、農水省職員とはほぼ同数の人員を抱えていた時代があるはずだ。
つまり、彼らの生産を管理指導、代金決済などは「死んだ労働」(マルクス)であり、現場でのハンディ端末による生産データや経営コストのデータの電算端末への情報入力を現場で支援うべきである。それ以外には、労務による「賃労働」をすることによって「税金」の無駄を削減することだ。
そうすれば、今日的な必然性として、農の現場における「社会的な意味をもつ行政府・農家組織」としての「忠誠心」を認められるのではないだろうか。単純化出来るはずの「行政制度への報告や補償金決済」だけなら、平成の大合併以後は、「郵便局」の持つインフラこそ、過疎地における適応が可能な組織であるのが厳しい現実だろう。

農林業はそもそも「環境破壊」に属する。例えば、日本の代表的な土地利用の象徴である全国の「棚田」を、誰がどのように現状回復しつづけられるかは、そうした「現場」の多数決による内発力なしには、美しい修景も消えていくことだろう。
実例として、北米の鉱山業の採掘後の環境保全修復(ボンディング)という「義務」を学べば、何をすべきかがわかるであろう。
今や、「忠誠心」と「義務」のあり方の両方が、「近代以後・ポストモダン」=「日本型大衆社会」の協同化が、「縄文」から「弥生以後」への稲作の実態から見直されなければならないことと、同じ意味内容を持って来ている。敢えてここで付記すれば「天皇制」の祭事の基盤は稲作文化だということである。

しかしここでは、「農家所得戸別補償制度」のもつ現在的意味を述べるだけにとどめたい。ただし、生産者が何を生産するかは農家・農村の多数決に従い、行政府の打ち出している複雑な「制度設計」にはコストが掛かり過ぎるので「シンプル・イズ・ベスト」主義で実行すべきである。むしろ、内発的な経済成長に欠かせないのは、地味だが着実な創意工夫とか、努力を惜しまない勤勉さといった資質が不可欠である。行政府等のエリートがいないほうが、日本の大衆にとって、内発的な経済成長には好適な環境づくりなのだ、という単純なことが優先度が高いのではないだろうか。

この「農家所得戸別補償金」は、「農協」を経由しないで、言い換えれば、農協への資材費、過剰な共済(保険金)などの返済金として、農協口座からの相殺なしに直接農家に補償することだ。つまり、経営のコスト意識に目覚め、農家・農村における「多数決」意識による「内発力」の育成という目的に叶う、といった「大衆思想」に繋がることが望ましい。

おそらく、あと10から20年の内に、日本の農家も、私の周囲を観察すれば、いずれは「農地」の「耕作放棄」を選択することになるのは必然だろう。

以後の「章立て」の中で詳細するが、日本の農業は、決して米国などの「大規模化」のような形式にはなり得ないが、どういう経営形態になるのであれ、民主党の打ち出した「農家所得戸別補償制度」が、農家の自立心を育て、FTAという二国間交渉にも大きな意味をもつことになろう。

また、農家同士、相手国との「共生」も可能である。なぜなら、日本の大衆の要求・義務水準は世界一であり、「個別補償」制度のもとでも、相手国以上に「信頼」を勝ち得る能力があるだろう。米国自体が「約束」を簡単に破棄する国柄だと言うことは、この度の「時価会計」制度の勝手な解釈でもあきらかである。

(小括)
日本における国土における「近代的変化」が見られたのは、徳川時代の世界一の江戸(人口50万などの「都市化」であり、その中心的な特徴は、「協同農耕」から「個人農耕」への推移に、その「内発性」が見られる。

徳川末期までには、「協同関係」は大部分が消滅した。ほとんどの各地で「個別家族」が生産組織や経済的利害の中心として明確に姿を表すようになる。

それが、当時の人間関係や思考方式における「内発的な変化」までを含めた、「市場経済」の成長だった。ひいては、それが身分の差を超えた「明治維新」の内発的な変化をもたらした主たる要因にも繋がった。

そして今、更なる「都市化」への非効率的な無駄な公共事業などのエネルギー利用は、平成の「政権交代」に際しても手付かずのままであり、むしろ経済成長を疎外しており、あるべき「文明と森と里」の「協同関係」をも崩壊させているのだ。


●日本農業の現在の問題点と言われていること。

今の日本の農家の実態は、「大規模、専業農家」といわれる「経済合理性」を追求した篤農家ほど「危機」に瀕している。また、経営能力も未熟であることが、あまり知られていない。
兼業農家ほど賃金収入により生活が安定しているが、彼らの高齢化により「耕作放棄」の激増による交渉相手は、同地区に見当たらず他県に譲渡している場合を見聞している。果たして、農協JAや行政の机上のプランで、現場での「土地利用」への対応が文明的な思考を加味して出来るのだろうか。

①農業は「贈与経済」(自然・文化への人間の栄養と健康を得るための喜捨)でしか成り立たないこと。それが「兼業」という他の仕事とのコラボレーションが出来れば、それも受身の「贈与」の一種である。(例えは悪いが、「タバコ」や「酒」の税率増を考えれば、「食」への贈与は許容できるものではないか、と個人的には思う)。

②食べものが無くなったら、誰でも「買出し」に行くしかないこと。「食糧自給率40%」という「食料安保論」も洗脳プロパガンダにすぎない。
なぜなら、少食・粗(菜)食・咀嚼で「食」に対応することの方が「健康」にもいいし、実現可性が高い。自給率を怖がることは、今の日本では現実的ではない。「1日3食の習慣」は、そんなに古い過去からではない。

だから、穀物や野菜を主体にすれば、「朝食を抜く」ことだけで、国家=政府が本気になれば「自給率100%」は解決可能なことなのだ。また、食後の「宿便」が「酸性腐敗便」になり、それから発する波動により、くも膜下出血、ぽっくり病死、心筋梗塞や脳梗塞などの突然死と関連があるとの「研究」もある。
しかし、現代医学では、それらの「原因」を「栄養学的」にな観点から解明することを避けつづけている。日本の昔からの「食養」に学んだ米国の「マクガバン・レポート」の日本版さえないのが不思議である。

以上の考え方をもとに、最善をつくせば、「食糧自給率」は100%可能になる。しかし、今のままでは高額な医療器械、世界一種類の多い薬の開発販売など、政府=国家は、医薬・官僚利権を縮小できず、医療費の増加が年々続いているのが現状である。
一番大事なのは、植物を摂取することを主体にして、「肉食」を限りなく少なくすることである。(16歳から18歳までの成長期に肉食するのを止めることは非合理であるが・・・)。

③ネイション・スティツ=国民国家の歴史は、まだ数百年にも関わらず、実物資産の裏付けのない「貨幣の過剰流動性サープラス」が暴走するペパー・マネー(死んだ労働)となり、今後のいつか、果たして現物の「供給」(生きた労働)を実現できるかどうかは、ロシアに移行した時の「ダーチャ」(下賜された)別荘を見ればよく分る。彼らはハイパーインフレの中で、「自給自足」で乗り越えたのであり、最近のロシア危機も、今度もまた「ダーチャ」に依存して生きる道を選択するしかないだろう。

*参考:かつてソ連崩壊後のモスクワ市民の生活を支えたのが菜園付住居「(直訳)下賜された土地=ダーチャ」(シベリアなどのユーラシア大陸の放牧の民を調査した栗本慎一郎や、彼の運営するの」「世田谷自由大学という私塾」の参加者である友人に言わせれば、そこらじゅう「ダーチャ」だらけだったそうだ)。
ソ連時代に都市住民の要求を満たす為に生まれた制度と農業生産の形態が「ダーチャ」の起源であり、新生ロシア時代になっての「経済の混乱」でその価値が再認識されている。しかし、遊牧民の夏の耕作地ダーチャの直接的な関係についての研究は無く、何も言及できる実証はまだない。
おそらく、かつて遊牧民と接したルス族(ロシアの前身のバイキングの一部分)が、遊牧民の夏の耕作地を見た体験が、彼らの血筋の中にあるのかも知れないということらしい。         
http://homepage2.nifty.com/enisei2580/dacha1.html

④普通の野菜やおコメは、農薬漬けなのは変わらない。農薬の種類が限定されてきたのは事実であるが、「低農薬」という表示の誤魔化しに過ぎない。土壌殺菌剤しかり。
また、野菜が農家から出荷されて、通常はスーパーでに届くのが5日かかる(地元産でも2日から3日)。農家の手取りはこの「流通経費」で、わずかな収入しかない(「スーパー」では、野菜を蘇生させる装置を使う経費もかかる)。

⑤戦後農業は、「農地開放」という大革命があったが、それは実は「アメリカ式農法」へ移行させるためだったことを再考すべきとして、最近では多くの農法が試されているが、いたずらな「許認可制」をとれば、それこそ農家の「内発性」を疎外することになる。

農家の経営に負担が大きい、「農薬、殺菌剤、肥料、飼料、農業機械」の価格決定権を、農協(全国農業組合連合会=全農)に委ねさせられており、農政官僚、農業関連産業の「利権」や、天下り先になっているところから、今の「農業」を観察すれば、農協、農水省の人員の「無駄」は明確である。

ちなみに、農業経済の血液たるファイナンスは、農林業に流れていないことがあげられる。農協の金融部門の全国団体である農林中央金庫に集められた資金は、微々たる程度しか農林業には投資されていない。そのほとんどが「ファンド」へ回っている。先の「住専問題」で、財務省(旧大蔵省)でなく、農水省が救ったのは、記憶に新しい(参照:農林中金-- 「農」衰退でファンド化:
『FACTA』誌を参照)。

⑥ゆえに、日本農業・農家攻撃をするなら、上記の事実を指摘して、アメリカ金融資本、日本の政・官・財、さらに農協JAの「無駄」を解明することだ。それを情報公開して、初めて消費者側が農家を攻められるのだという認識が重要なのだ。

そもそも、コスト管理が出来る農家は専業農家以外はいない(しかも不十分)。それが出来る数少ない専業農家も、効率的なコスト志向の養鶏農家でさえ「生産経費」の向上で全滅しかけている。
極端な例では、これしか方法がないとは思えないが、今後は「工業的農業」に頼るしかない。しかし、その「安全性」を、ノウハウが無いために誰も検証できていないことも事実なのだ。

---(例))モンサントの「遺伝子融合」の「種」を使わなければ、デリバリー輸送してくれないために、アメリカの中堅農家が全滅した道を歩むだろう。そして、「温暖化」から「寒冷化」に向かう時代の、中世の欧州に起きた「魔女狩り」による「食の争奪戦」の再現が懸念される。
また、科学肥料や農薬、遺伝子融合の「種」などの人工工学的な思想による、天然・自然との戦いに勝てるとも思われず、農地の「砂漠化」が広がり、低所得層は、マクドナルドでコカコーラと不健康なハンバーグを食べて、「太ったインディアン」(=生活習慣病)になるのを「可」とするだけでいいのだろうか。

⑦それに対抗する「自然農法」は、消費者と生産者を繋げることが難しく、また価格も高くなる。消費者の都合で、買わないということが出来ないという隘路がある。「畑買い」「圃場買い」が出来るか、困難な事実がある。
その理由は、「寒暖の歴史」や、自然の変化次第で、過剰にも不作にもなること。ここでも「贈与」という概念が理解されないと継続性は絶たれるのである。しかし、、「贈与」により、内発的に創意工夫された農法の定義やマニュアルも期待できよう、というものだ。

または、自給自足的な「日本版ダーチャ」を楽しみながら、自らが確認出来る栄養素満点の「食」を週末農業で供給することが可能だろうか。言い換えれば、自らが求める「生産物」は、自らが「生産者」を育てる「自立心」が必要である。

以上の観点から、ちなみに、「いのち自衛」という「安価な医・食・住」を目指した、『文明と森と里の現状修復論--日本の農林業は超長期の成長産業だ』の連載を、「ささやかに」試みてみたい。

(小括)
世界をおおうエリート主義の跳梁跋扈の中で、日本の知識人が畏怖し、見習うべきは欧米知的エリートの偽善・欺瞞でもなければ、新興ゴロツキ国家BRICsの知的エリートの強権でもなく、日本の大衆なのだという考え方を、日本の「行政府」に受け入れられるような議論の余地があるだろうか。

1929年からの先の大不況の震源地となったアメリカは、同時にクルマ社会化のまっただ中にあった。そして、クルマ社会化による「近隣共同体の崩壊」、働く者のあいだでの「連帯感や仲間意識の希薄化が相互扶助」をむずかしくしたために、1930年代大不況時の失業者の生活が1720年代や1870年代よりはるかに悲惨なものになってしまったのではないだろうか。

今後の課題は、上記のような「連帯感、相互扶助」というものの「具体的な政策」を打ち出そうとしない「新政権」だろう。応えようとしているのは、亀井静香・大臣くらいだ。「行政刷新」という、自・公の使用した「旧・通帳」をベースにした「節約パーフォーマンス」は問題外である。メンバーの事務局長は、米国の属国論者との関係性を指摘されていたのだから。

正しくは、平野貞夫氏が指摘しているように、国政レベルでの「行政刷新」は自・公の「旧・通帳」さらに「埋蔵金通帳」は、それだけ単独で整理していくこと。「新政権がつくる、新・通帳」から始めるべきで、セイフティネット対策や、意味のある公共事業への「資金」導入にためらうべきではない、ということであろう。

有為な人材が、今の政権にいないことが、そのうちに明確になることであろう。
西洋エリートや日本の高級官僚が述べる「経済学」が、大衆のための「経済学」ではないことを、本当の意味で理解させてくれる人材に不足するのは、世界中の先進国の全てでもあるが・・・。それが、「ノーベル経済学賞」の無効性を問われている原因でもある。


●農業問題(など第一次産業)は、強欲な「経済合理主義」では解決しないという認識の整理

①「農業も市場開放」をしても、資本主義であろうと、共産主義の集団農場やキブツであろうと、産業主義に立つ限り「解決不可能」であることを前提として認識できるかどうかで、「結論」は大きくかけ離れたものになる。 

②マルクスの『資本論』などの経済「共同幻想」は、間違いだらけを証明された。
しかし、彼の基本思想である、「生産・分配の場は、生きた労働と死んだ労働(すなわち金融資本)とで労働の成果を分捕りあう闘争過程であり、生きた労働の取り分が多くなればなるほど、平和で豊かな社会を築くことがができる」という「思想」は、現代に必要な「生産・分配の場(公共空間)」として新鮮にさえ見えてくる。

③「私的空間」の「土地」は、「個人幻想(観念)」の場であり、上意下達的ではなく、多数決主義が「日本の農林業」を改めて「現状修復」として育くむことが大切だろう。
これまでの行政府や農協の実行てしきたことは「戦術」なので、受け入れ難いモノが多い。戦略と戦術を英語で意味を追えば、「軍隊用語」なので、高度さがない「政策」なら、当然、末端での犠牲者が増えるばかりであろう。

④「文明と森と里の現状修復論--日本の農林業こそ超長期の成長産業だ」の拙論のキィワードは、江戸時代から近代を経た、都市化と移動エネルギーや協同体の崩壊から、近代化後の、現代日本型大衆による人間力(理想)への、「夢と勇気とサム・マネーがあれば、生きられる」(C・チャップリン)といった「心の運用法」の創意工夫・訓練の仕方を探求することになるであろう。

⑤つまり、「人・土地・労働・組織・市場・技術・集団・政治」の、明治維新・戦後・平成維新の課題であるポストモダンの、現代日本大衆像から、<生きた労働>の「文明と森と里の現状修復論」への展望を連載してみたい。更に、読者の建設的な意見を加味して、論理を追ってみようと思う。


(つづく)


第2章 日本の「近代化」の基礎としての「江戸時代」と明治維新の背景を探る

第3章 GDPに占める70%近い「第3次産業」従事者構成のに伴なう「都市化」と、
     「こころの病」の意味とは何か

第4章 文明と森と里山の現状維持の背景と課題とは何か

第5章 日本の農林業は超長期の成長産業だ---人・モノ・カネへの展望

(おわりに)

*「参考文献」は、(おわりに)に記載する。

米農家から見える日本の農業。

土井 敏喜氏が同じ農業に目を向けたコラムを立ち上げられても折、重複していること、更に私如きがという思いがあった。

この《THE JOURNAL》のそれぞれのジャーナリストの方々の洞察もそれぞれ鋭く抉っていると感じています。
とはいえ、こと農業問題になると、ある意味専門職でないこともあり、問題の視点が少し異なっていると感じることが多い。
それは、この《THE JOURNAL》に投稿されている方々にも感じることです。
政経分野は、私の及ぶところでない洞察である。

物事には表と裏があり、消費者側、生産者側の目線で、同じ物が違って見える。
例えば、「農協」と言っても、その組織の全貌を捉えている方は少ないはずです。
「全農」と言われて、どのような組織であるのか理解している人も少ないはずです。
農林漁業の農業だけ、水稲(お米)の分野だけでも、複雑に絡み合った組織体が山ほどある。

高野氏の論説には、賛同するところが多いが、2009年9月15日の「地方農政事務所問題」も間違った方向に導かれないかと危惧します。
同様に田中氏の2009年10月10日の「農協の歴史的転換」も一面は捉えておられると思いますが、その背景事情の考察が不十分でないかと私には思えます。
お二人とも、鋭い論説で私は好きですが、こと農業問題では、逆に他の報道に誘導された論説にならないかと・・・。

農業の貴重な資産のひとつ「人」が、失われるようでは、行政改革は悪になる。
それぞれ組織の末端の農業指導員のノウハウは、アメリカを含む、世界の農業情勢を一変させるほどの力を持っています。

日本は、ほとんど工業資源がありません。
けれど、人が持つ技術力は、世界のトップレベルです。
これは、農業にも言える。
そうした人材を育てる環境整備が重要です。

私は、1農家であり、統計的な数字とか、法律とかには、詳しくありません。
けれど、私から見える農業現状を折を見て、発信できればと思っています。


ことばを失った日本人―(7)

 今年も「リポート笠間」が届いた。同冊子は日本文学研究と、日本語学研究の専門出版社の一つである笠間書院の宣伝紙で、年一回発行され、無料で届けられる。
 その記事中に、「『国文学』が休刊し」とあり、時代の変化に寂しさを感じる。(記事には「国文学」とあるが、正式名称は「國文學」)
 ことばとは、時代とともに変化するものだから、それを人為的に操作することは危険であると承知してはいるが、新聞、テレビに加え、ネット上の誤用や、不たしかな表現が「正」として通行する様を見ていると、「それでいいのかなぁ」と気がかりでもある。参考書として「かなしき日本語」(工藤力男著・笠間書院)があり、ご関心の向きには参照願いたい。
 その末尾に、(転載始め)「かかる時代だからこそ、感想や意見を発するには、最も適切なことばを探さなくてはならないはずである。しかるに、この国では、英語の学習には時間をかけるが、母語の教育に力を注ぐことは怠った。だが、英語力は予期したようには伸びず、片仮名英語ばかりが氾濫している。期待は裏をかかれたのである。
 今こそ、わたしたちは、母語をいつくしむ心を育て、日本語の力と豊かさを恢復させるべく努めなくてはならない、(転載終わり)と述べてあり、インターネット文体の問題点を縷々指摘している。

 敢えて、國語問題協議會の許諾を得て全文を転載するのは、45年前でありながら「今を予測する」記述が多々あり、より多くの人に「咀嚼」を試みて欲しいからである。
 たしかに、戦後教育の私たちには「正漢字・正かなづかひ」は読みにくいことも承知している。しかしそれは「場慣れ」の問題であり、意図して原文のままとした。

転載始め

同胞各位に訴へる

 國語と國字が一民族の文化の最も大切な要素の一つであることは皆樣御存知の通りです。
 さて、我々の祖先は、古事記や萬葉集などに見られる如く、千二、三百年の昔、すでにすぐれた言葉を持つてゐました。これは恐らく世界にも類の少い變化に富む日本の氣候風土と美しい自然が與へた纖細な感覺のお蔭であらうと思はれます。殊に微妙で深みのある美的感覺は世界一かも知れません。實際、我々の遠い祖先は今から八千年も前にあの見事な繩文式土器を作つたのです。
 しかし、幸か不幸か、大和民族は文字を持つてゐませんでした。ところが中國には極めて發達した文字が有つたので、奈良時代の祖先はこれを借りて國語を表記し、更に平安時代の初期には假名を發明し、又漢語も多く輸入して、それ以來この「漢字假名交り文」は九百年以上にわたつて、日本の文化を護り育てて來ました。これは直ちに眼に訴へて意味を表はす便利な「表意文字」と、日本語獨自の構文を表はす「表音文字」から成る優秀な表記法でありました。
 然るに、日本民族として最初の體驗である敗戰の衝撃と自信の喪失と、日々の食糧にも事缺く苦難の時期に當つて、以前から國語をローマ字、もしくはカナモジで記さうと主張して來た便宜主義、安易主義の一部の論者は、好機正に至れりとして、文部省の權力を利用し、新聞社、出版社などを動かして、敗戰後、わづか一年三ケ月、すなはち昭和二十一年十一月に内閣訓令告示で、漢字を制限し假名づかひを變革してしまひました。
 これは明治以來幾度か國語改革論者によつて提出され、その都度國民の嚴しい批判を受けて葬り去られた案を殆どそのままに踏襲したものです。のみならず、これ程重大な問題について信頼するに足る代表的文化人諸氏の意見を求めることもせず、國會の審議にかけることもしませんでした。これでは戰時中の軍部の獨裁といささかも變るところがありません。果してこれが戰後の日本の目標たる民主主義的文化國家のなすべきことであつたでせうか。國語審議會と文部省はこの後次々に「音訓表」とか、「字體表」とか、「送りがなのつけ方」とか、「外國の固有名詞の表記法」とか、何れも不合理にして實行不可能な變革を敢てしたのであります。それらが、今日實際に色々な混亂をひき起してゐるばかりでなく、青少年の學力を著しく低下させてゐることも各位は御承知でせう。以上が大體の經緯ですが、次にこの問題に關し、幾つかの項目に分けてやや詳しく所信を申し述べます。

一、なぜ、歐米諸國は發音と異つた綴りを維持してゐるのか

 歴史的假名遣ひは現在の發音と異る故に變へるべきだ、と彼ら便宜主義者は言ひます。しかし、歐米各國の國語を考へてみますと、例へば英、米、佛、希の樣な國々では、綴りと發音の相違は吾が國の歴史的假名づかひとは比べものにならないくらゐ甚だしいものがあり、その他、ドイツ、イタリヤの樣に比較的その差の少い國々ですら、綴りと發音とは一致せず、歴史的假名づかひと大體同程度のものであります。それにもかかはらず、これら諸國はその綴りを決して變へようとはしません。これは何故でせうか。
 それは先づ第一に、此等の難しい綴りには、その依つて來る必然の歴史と論埋がある上に、若しこれを變へたならば、從來の綴りで書かれたすべての文化遺産が非常に讀みにくくなるからです。これらの國々には、過去から優秀な文學作品や哲學、自然科學の論文などが數多くあります。それらを國民から遠ざけることは當然自國の文化の衰退を招きます。
 第二に、綴りと發音が甚しく異つてゐても、これら諸國の少年少女は素質が良いために、教育によつて自然にそれを理解し辨別して、何らの支障も來さないからであります。

二、日本人は優れた民族的文化遺産を繼承し得ぬ程劣等か

 さて、眼を我國に轉じませう。英佛その他すぐれた西歐の國々のやうに秀でた過去の文化遺産を果して日本は持つてゐないといふのでせうか。斷じて否です。
 西歐の近代諸國がまだ殆ど蒙昧に近い状態に留つてゐた七、八世紀の頃、すでに我々の祖先は、古事記、日本書紀、風土記、萬葉集などすばらしいものを作り上げました。又、少し降つてフランス文學最初の作品である敍事詩が十一世紀末に現れたのに對し、その百年前に、日本では若い女性が今も世界的傑作である「源氏物語」を書いてゐたのです。その後、主なものだけを拾つても、「古今集」以下の八代和歌集、「平家物語」、道元や親鸞の著書や語録、「徒然草」、世阿彌の謠曲と能の美學、芭蕉の俳諧、西鶴の小説、近松の戲曲、荻生徂徠や本居宣長らの學問的業績を經て、明治に入つて後は、幸田露伴、樋口一葉、泉鏡花、正岡子規、夏目漱石、森鴎外、内村鑑三、寺田寅彦、柳田國男、萩原朔太郎、宮澤賢治、齋藤茂吉、數へ上げればきりがありませんが、いづれも貴重な勞作を生み出したのです。これらの業績が今後は讀み難くなつたり、從來の國民との閒の斷層を作るやうになつたりしたら、日本文化の損失は量り知れぬものがあります。我國は決して西歐諸國に劣るものではありません。
 殊に、最近、日本の古美術や禪や能樂や建築や庭園や書道や點茶や生花など深みのある美しい文化所産に歐米諸國民が眼を見はつてゐる事實をどう考へるべきでせう。フランスがルーヴル美術館門外不出の至寶「ミロのヴィーナス」をはるばる日本に送つてくれたのも、彼らが日本民族の文化的優秀性をどのくらゐ高く評價してゐるかの明かな證據であります。大正の大震災前後六年に亙つて日本に大使として駐在したフランスの大詩人ポール・クローデルは、第二次大戰中(昭和十八年の晩秋の一夜)日本が壞滅するのを虞れて、親友のやはり大詩人であるポール・ヴァレリーに次のやうに言つたのです。「私が亡びないやうに願ふ一つの民族がある。それは日本民族だ。これ程注目すべき太古からの文明を持つてゐる民族は他に知らない。……彼らは貧乏だ。しかし高貴だ。」と。さすがにクローデルは大詩人です。彼は日本の多くの文化人などと呼ばれる人々よりもはるかに日本の良さを知り、それを愛してゐたのです。日本の現状はクローデルに對して恥しいではありませんか。
 なほ、我が國語國字の重要さは、單に文章の上だけに止まりません。法隆寺、藥師寺、唐招提寺をはじめとする南都の諸寺や、鳥羽僧正の「鳥獸戲畫卷」その他日本獨特で世界に類のない繪卷物、運慶らの彫刻、雪舟らの水墨畫、能の舞樂、利休の茶、桂離宮の建築と庭、光悦の工藝、宗達や大雅らの繪畫、春信や北齋の浮世繪など、又は世界的に名高くなつてゐる生漉の日本紙とか、禮儀作法とか、これら直接には文字と開係なささうに見える諸々の傑作が實は國語國字と切つても切れぬ精神的紐帶を有してゐることは少しく考へてみれば誰にも解ります。
 次は子供の問題です。「行かう」と書いて「行こう」と讀み、「言ひました」と書いて「言いました」と讀むことを難しく思ふほど、彼らは劣等でせうか。とんでもないことです。兩親と共に歐米に在る日本の子供達が彼の地の學校で拔群の成績を示すことの多い事實はよく知られてゐるところです。又最近東京の四谷第七小學校や新潟龜田東小學校等で行はれてゐる教育に於て、低學年の兒童が喜んで多くの漢字を學び、三、四年で新聞も讀み得ることが識者の注意をひいてゐます。要するに日本人は優秀な民族であり、日本の文化は卓越してゐるのです。

三、明治以後、國語國字簡易化運動はどうして起つて來たのか

 ところが、明治初期から大正、昭和の時代に至るまで漢字排撃や假名づかひ改訂が數囘にわたつて試みられたのは何故でせうか。これは歐米の進んだ文化に驚き、恐れ、ひたすらそれに追附かうとした人たちの焦燥感と劣等意識の致すところでした。これ等の論者が彼らなりに愛國の至情からこの擧に出たことは諒とすべきですが、それは不幸にして西歐の文化に目がくらんだ故の性急な短見と、日本文化の優秀さに關する無自覺に依るものでありました。
 これらの愚かな變革の企てに對して、明治四十一年には森鴎外をはじめとする明星派、大正十四年には山田孝雄、芥川龍之介らが行つた強い反對は、高邁な識見と國文學、國語の傳統に對する深い敬愛に根ざす當然の行動でありました。今囘の愚擧に對しても、昭和二十三、四年まで、心ある幾多の人士は極力反對を表明してゐましたが、悲しいかな當時の社會的混亂と國民生活の窮迫はこの熱を實らせる餘裕を與へなかつたのであります。

四、「現代かなづかい」は果して合理的で便利であるか

 萬葉集などにあらはれてゐる良質な言語を有した我らの祖先が漢字を採用したことは、實に「鬼に金棒」でありました。而してやがて假名が發明されたことは、この「金棒」の質の向上であつたのです。日本語はその頃すでに動詞、助動詞、形容詞の活用や助詞の用法などすこぶる論理的に發達してをり、假名はこれらを遺憾なく表現することが出來ました。又その後、文語と口語の必然的連繋もこれで正確に示されてゐたのです。
 然るに「現代假名づかい」はこれらの論埋を無視し、文語と口語の聯關をも無殘に斷ち切つてしまひました。例へば、口語の「言はう」は文語の「言はむ」から來てゐることを示しますが、新假名の「言おう」ではその連絡が解りません。
 又、「ヂ」や「ヅ」を廢してほとんどすべてを「ジ」と「ズ」で表はし、「地震」や「地面」に振假名をつけるとき優秀な兒童が論理を考へて、「ぢしん」「ぢめん」と書けばそれは誤りであるとして先生は×をつけなくてはなりません。「望月」といふ姓にも「もちずき」と振らなくては閒違ひだといふのです。このやうな論理的關係を假名づかひについて教へることも戰前までは日本兒童の頭腦訓練に大切な恰好な手段の一つでありました。言葉をただ機械的に憶えるのは鸚鵡や九官鳥にも出來ることです。論理を無視したら頭腦は低下するにきまつてゐます。                   (続く)

次回予告

五、當用漢字、その他、現行の表記法は如何にでたらめで矛盾が多いか
六、難しい國語國字は文化を遲らせるか
七、青少年の學力低下
八、國語の改惡は國を滅ぼす
結 論

米農家から見える日本の農業(1)

先日、私も投稿した有明問題に関する記事を見ての私の所見です。
現状では、作業効率化やコスト削減に繋がる現状であろうと推測できる。
ただ、これも企業倫理での考察にしか、私には思えない。
今は、肥料成分も多く含み減肥料農法も可能である。
2年、3年後、洪水冠水など自然増幅が望めないままでは、いずれ不足分を補う必要性がある。

また、農産物特性をご存知でない。
一般に、農産物は昼夜の温度差がある方が、高品質になる。
温暖化の影響で、米の最適栽培地も北上している。
農地利用が水稲主体であれば、いずれ破綻する可能性がある。
水稲以外の作付に転換するようであれば、あれほど広大な調整池は不要となる。

農業は、長期スパンで考察する必要があるのです。

以下毎日新聞 2009年12月25日 東京朝より転記

イサカンにみた将来農業=丸紅経済研究所所長・柴田明夫

 先日、イサカン農業を見学した。イサカンとは、長崎県諫早湾干拓事業の通称だ。86年に着手され08年3月に完了した。入植が始まってまだ1年強だが、かつての干潟がいまや広大な農地に変わった。水不足に悩んできたこの地に約2600ヘクタールの調整池が造られ大規模灌漑(かんがい)農業が可能になった。土壌の塩分も低下し塩害の心配もなくなった。

 諫早湾は日本一干満の差が大きく、最大6メートルもあるという。長年、高潮・洪水で多くの犠牲者を出してきた地元住民にとって干拓は悲願でその歴史は500年前にさかのぼる。

 新たにひらかれた面積は672ヘクタールで東京ドーム140個分に相当する。農地は1区画6ヘクタールで、すべてリース方式だ。経営規模は法人で30ヘクタール、個人で約7ヘクタールと北海道並み。現在は個人25、法人16の計41の経営体がそれぞれ農業生産している。土壌はリンや窒素に富み肥料コストも安く済む。

 諫早は温暖な気候で一年中農業生産が可能。入植者全員がエコファーマーで、化学肥料や農薬をできるだけ使わない環境保全型農業が営まれている。一般に、有機農業は手間ひまかけて狭い農地で行うイメージだが、これだけ大規模に集団で環境保全型農業に取り組む例は珍しい。太陽光発電の農業利用やソーラー農耕機への利用などの開発実験も進められている。施設園芸で使われたビニールなどは回収されて燃料として再利用される。

 最近の農業ブームとは裏腹に、日本の農業の担い手の不安は大きい。高齢化が進むなかで農業に将来展望を見いだせないためだ。しかし、イサカン農業は生き生きとしていた。唯一の不安は、調査のために開門を迫られていることだという。日本農業の将来モデルをつぶしてはならない。

 日本国憲法第1条で規定されている象徴天皇と第7条で10項目に亘って規定されている国事行為について国民主権の立場から大きな矛盾があると思いませんか。
 第7条 天皇は内閣の助言と承認により次の国事行為を行う。
1 憲法改正、法律、政令及び条例の公布を行う。
 なぜ象徴天皇が行う必要があるのでしょうか。
 国会の議決を得たものについて内閣の責任で行えば済むことではないでしょうか。いわんや国会の承認を受けることのない官僚の作文である政令を天皇の名で交付することに大きな矛盾を感じます。
2 国会を召集すること
 内閣の権限でしょうし陛下の手を煩わす必要もありません。
 可能ならば議員定数の半数以上要請があれば国会を開かなければならないとしたほうが良いと思っています。
3 衆議院を解散する。
 これも御名御璽は必要ありません。
4 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
 これも時の内閣で十分です。
5 国務大臣及び法律の定める官吏の任免並びに全権委任状及び大使、公使の信任状を認証すること
 主権者である国民から選ばれた議員の中から選ばれた首相以下大臣の認証を象徴天皇が行うのかわからない。衆参両院議長は認証官ではありません。行政官のみが認証官なのでしょうか。明治欽定憲法の流れで公務員が天皇の官吏であるとの認識で作られているからでしょう。内閣総理大臣は国会が任命したものです。大臣は内閣総理大臣がし任命したものです。同様に最高裁の判事も、検事総長、大使、公使も全て内閣が指名したものです。宮内庁長官も同様です。
 特にこの認証官なる行政官僚が天皇から辞令書を交付されることにより自分が公僕ではなく陛下の官吏であるという前時代的な認識に浸され、国民主権から離れた独りよがりの行動で種種の問題を起こしているのではないでしょうか。
 大臣は総理大臣が、行政官僚は所轄省庁の大臣が任命するこれが主権在民の常識ではないでしょうか。大使公使は外務大臣が検事総長は法務大臣が、宮内庁長官は官房長官が、国会承認人事は総理が行うことで十分です。侍従長は天皇家の指摘な役職なので認証官とする必要もなく天皇家の私的な辞令交付と考えれば良い。
 第4条第2項に天皇の国事行為は法律の定めることにより委任するできると規定されている。
 この趣旨に沿い行政(官僚)の認証官は総理や所轄の大臣に委任すれば公務の減少につながるものと思う。
6 大赦等については国会承認にを行うことで内閣総理大臣に委任。
7 栄典については政治的な背景は殆んどないため現状でも差し支えないが
8 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を承認は国会の役目です。
9 外国の大使及び公使を接受することは。では大使や公使より高位の外国の元首や公賓はどうなのでしょうか
10 儀式を行うこと
 戦没者慰霊祭のようなものに御出席されるをさしているのでしょうか。それとも天皇家の祭祀のことでしょうか。天皇が国事にかかわる儀式を執り行う意味がよく判りません。即位や立太子の儀のことでしょうか

 国民主権のあり方から考えた場合、象徴天皇の行うとされる国事行為の多くは第4条第2項に示される法律に定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができることをもっと活用すべきではないでしょうか。

 
 

食の安全

連日の報道は、支持率や献金等による政府の賛否問題、普天間に代表されるように、国の安全(国防)、子供手当てに代表されるように国民の生活安全、エコポイント住宅制度に代表される経済の安定性などが重点的に報道されている。

何故、農業問題が取り上げられないのだろう?

農林水産省HPより転記
《佐々木農林水産大臣政務官は、12月24日に独立行政法人農畜産業振興機構の現地視察を行う予定ですので、お知らせいたします。
なお、佐々木農林水産大臣政務官へのそれぞれの視察現場等における取材については、原則可能です。》

《肥料と農薬の効果を同時に発揮させるため、既存の肥料に農薬を加えた製品が開発されましたので、農林水産省は、肥料取締法に基づく普通肥料の公定規格を改正します。》

《佐々木農林水産大臣政務官は、12月15日及び16日に、新潟県、富山県において、農業者の方々と「戸別所得補償モデル対策」についての意見交換及び周辺ほ場の現地視察を行う予定ですので、お知らせいたします。
なお、現地での佐々木農林水産大臣政務官への取材については原則可能です。》
転記終わり

農業ジャーナリストなど、特化した分野では、国民の関心が無いと考えられているからなのだろうか?
1米生産農家としては、「戸別所得補償モデル対策」に問題があるとさえ思っているのに、満額通過に何の疑問が起きないのは、どうしてなのだろう。

死亡事件など、重大な関心を呼ばないと、いけないのだろうかとさえ思ってしまう。

編集部様

【Yoronz】(12/23)
坂中英徳:多民族共生国家への夢を若い世代に託したい

これだけが、見れなくなっていますが、何故なのでしょうか。

なぜ、経済を考えないの

ジャーナルには、経済を書く執筆者がいない。
(現状の)経済動向を、解り易く解説する執筆者がいない。
多くが、政治で占められている。
そのほか、農業だったり、マスコミ論だったり。

経済という言葉は、もともと経世済民、そのものずばり「政治」としての意味を持つ言葉だった。

この経済を取り上げないで、政治を語っても、それは、言葉の遊びの域を出ないのではないだろうか。
何事にも、お金の流れがあってこそ、様々な事象が引き起こされるものだ。
経済団体が、自民党を支持したのも、アメリカが軍事戦略の再構築を図るのも、全て経済が背景となっている。
人道のために引き起こされた戦争など、過去に一つもない。
絶対にない。
今回の政権交代も、自民党の経済政策の無策がさせた結果と言ってよいと思う。

この日本と言う国が、おかしくなったきっかけは、1990年に始まる「バブルの崩壊」であった。
しかし、本当にそうだろうか。
真実は、冷戦構造の崩壊。
「ベルリンの壁」の崩壊。
ソビエト連邦の解体。
これらが、日本の停滞と言うか、後退と言ったほうが良いかもしれない20年のきっかけなのだ。
1989年に、ベルリンの壁が崩壊した時に、世界の経済構造が変化したのだ。
違うと云う人は、いないと思う。

冷戦の終了で、ひとは、これから平和で、良い時代が始まると思った。
しかし、結果はどうだったろう。
新しい価値観を探す事をしなかった、この日本と言う国の現状は、どうだろう。

冷戦の終了が、新しい対立の始まりだった、などという政治的な説明ほど、空しいモノはない。
冷戦の終了とともに、お金が日本から出て行ったのだ。

冷戦の終了は、お金の流れが変わったのだと云う「事実」をとらえることが、一番簡単な説明だったはずだ。
日本についていえば、冷戦中に許された「日本のみの繁栄」が、許されなくなったのだ。
お金は、まず東欧に、ついでアジア・南米に、大きなチャンスを見出した。
同時に、日本のバブルを壊すことで生じる大きなチャンスも89年の段階で発見していた。
その後、様々な要因を巻き込みながら、日本の一般国民は、経済の衰退という「苦しみの海」の中を、おぼれそうになりながら泳ぎ続けている。

日本には、経済を国民に語りかける「報道」がない。
20年の経済的な後退を目の前にしても、ほとんどの報道は、口を閉ざしたままだ。

さて、ここジャーナルはどうだろう。
経済を語る執筆者は、やはりいない。

経済に支点を置いた、論説を望む。
経済を書きたい人は、いっぱいいると思う。
経済を語りたい人は、いっぱいいると思う。


最後に、
皆様にとって、この一年が良い年でありますよう。

<共働社会日本への道筋>
残念ながら、日本はすでに成熟社会に入っていて、高度成長は見込めません。
私たち一人ひとりが、身の丈のあった暮らしを希求せざるを得なくなります。
菅国家戦略局の方針も出ましたが、自民党時代との違いが不明確で、税制改定についての財務省の方針も所詮は役人レベルです。
そこで、経済のパイが小さくても住みよい社会づくりを提案いたします。
鳩山さんが所信表明で述べた「地域主権を基本にした友愛社会」にも通じるのですが、思い切ってボランティアチケットの導入を提案いたします。
ナショナルミニマムによる最低限度の社会保障の上に二階建てで、ボランティアの働きを乗せる提案です。
日本には、元気なお年寄りもいるし、不況で残業が減り、収入も減ったので家で発泡酒を飲んでいるお父さんもいます。
そのような方々に、各々何らかのボランティアに参加して頂き、参加の度合いや回数に合わせて、チケットを配布します。
(例えば、5点集めれば、郵便局や役所・病院等への送迎が利用できるとか)
政府は、ボランティア団体の立ち上げ時の費用や最低限度の運営資金を援助します。人件費がないので、役所関連団体を通して中抜きされることはありません。
当然、時間がある元気な高齢者は沢山ボランティアに参加できて、チケットも溜まりやすくなります。
そのチケットをご自身が病に倒れたり、足腰が弱ったりした時に、遠慮する事なく、ボランティアを利用して、お仕着せの介護サービス以外に使うことができます。
日本の経済状況では、元気な高齢者には、なかなか仕事はまわりません。
活き活きと人の役にたつボランティアをしてもらいましょう。
日本型共生社会づくりを今こそ、つくるチャンスです。
当然、チケットの不正流出などのリスクはあります。
でも、私たちが、国だけを頼る事なく自ら進んで、世の為、人の為に活動する日本は、今の殺伐とした経済社会からこぼれてしまう人々をも内包して、心豊かな社会になると思えます。
ちなみに、私は料理が得意なので、土日に限り高齢者向け宅配料理づくりに参加したいと思います。
農家の方々は、規格外で売り物にならない作物の提供もボランティアになります。
お金持ちは、ボランティア団体に寄付をすれば何割かの税額控除をうけられる様にして支えて頂きたいと思います。
私の拙文にお付き合いを頂き、最後まで読んでいただいた事に多謝です。

THE JOURNALにおける投稿のあり方

私が言うべき立場にないのはわかっていますが、言わせていただきます。

”匿名”で投稿するのは過去の言動に責任を持たない、卑怯な行為である。

最近ではひとのハンドルネームを騙って投稿する者もいる。

何度か編集部にはコメント欄の中で、混乱しているため何らかの規制をとお願いしてきたが、今のところリアクションはなく、その間にもこれらの現象は増殖している。以下、提案いたします。

①ハンドルネームは登録制にし、同様のネームは使用できないようにする。

②現在、無記名投稿は”匿名”というハンドルネームで受け付けているが、受け付けない。

③登録はメールアドレスを必要条件とし、ステハン防止。(ただし、メルアドをたくさん駆使してでも過去の言動に責任を持ちたがらないような子は、かわいそうなので受け付けてあげる)

最後は意地悪い表現になりましたが、いかがでしょうか?

編集部様、
たかおじさん:民主政権の危険性 の記事のコメント欄にも書きましたが、よろんずの記事の右側に表示されている、《よろんず》への投稿はコチラから をクリックして移動すると、【過去の読者投稿欄】・2009年7月20日〜11月3日に移動してしまいます。しかも、そこが過去の投稿欄だと気づかずに投稿できてしまいますので、リンクの修正をお願いします。また、可能なら過去の投稿欄のページからは投稿欄を削除して過去に投稿された記事だけにしたほうがよいと思います。

少子高齢化・過疎の日本

今の自民党の議員の世代構成と日本の人口構成が、似通っているのは、なんと皮肉なことか。
たまに孫(国)が、訊ねてくれば、お小遣いを気前よく出す。
それ以外は、相手にもされない。
過疎の村そのもの。

今回、更にご高齢の方が、第一線に乗り出して来られると聞く。
国の将来を憂いての志と信じたい。
けれど申し訳ないですが、あなた方に4年後位の未来は語れても、10年、20年先の未来が語れるとは、私には思えません。

政治家は、激務と聞きます。
ベットに横たわり、忠告や苦言を話すことはできるでしょうが、ご本人自ら精力的に活動できると思えません。

何故、若い世代の政治に関心がなくなったのでしょう。
色々な要因がありますが、ひとつに、政治に若者が未来を描けなくなったことがあると・・・。
私自身、新しい技術や価値観についていけません。
恥ずかしい話、娘に聞きながらです。
そうしたことが、政治の世界のも見え隠れするようになり、今の官僚制度を築いてしまった。

私から見れば、首長はお年寄り同士の話し合いで決められるように思える。
しかも、それは札束で頬を叩いている。

私には、この国は廃村になる未来すら見えてしまう。
やはり、無人島で老後をのんびり過ごしたくなった。


地域主権は 問題解決型社会をもたらす


正月 いくつかの討論番組を斜めから聞いていて、
一つのことに思い当たりました。

「地域主権」が討論の項目に全く上がっていなかったことだ。
NHKでも、討論番組をやっていたが、「地方分権」がテーマとしては話題にも されなかった。
田原さんの夜の討論番組もそうだ。日本の課題と称しながら、地方分権が抜けていた。

これは非常に特徴的なことだなとおもいました。昨年の夏、あれだけ盛り上がったのに。

これらの番組だけでなく、地方分権とか地域主権を念頭に入れない意見や投稿が
非常に多いようだ。

「日本人はやる気を失った。」
「日本人は努力の価値を見失った。」
「日本人は目標を失った。」

実は、これらはすべて 地域主権に絡ませることが出来る論題だ。
ただし、大方 これらのことを語るコメンテーターは、地域主権という要素は
完全に頭に入れないで、そういうことを語っているようだ。

中央集権の延長線上で考えるのか、それでも地域主権を伏線として書き加えのかで、
描く日本の将来像が全く異なってくる。


■ 地域主権 → 問題解決型社会

明治以来の中央集権は、上に何でも依頼する政治だった。地方の組長たちは上京して、陳情した。
地域の問題解決に当たっては、中央政府にお伺いをたてた。

それに対して、地域主権とは、自分たちで自分たちの地域の問題を発掘し、自分たちが解決しようとする社会だ。ゆえに、それを問題解決型社会と呼ぶことにする。
地域住民が問題を共有し、よってその解決にも協同で当たる。そのようにして、地域住民の相互の交流も深まるだろう。
自分たちの地域のことは自分たちで操縦するので、
自分たちなりにその地域の目標を設定できる。 よって、 日本人は失った目標をふただひ持てるようになるだろう。目標がもてれば、やる気を回復する。そして、努力の価値が見直されるだろう。

つまり、「日本人は目標を失った」とか、「日本人はやる気を失った」というのは、
明治以来の中集権制度の発想のままで考えている証左だ。

地域主権によって 問題解決型社会が生まれると私は予測しています。

問題解決型社会は、日本の海外における経済競争力を回復する可能性がある。
なぜならば、地域的な問題は、日本のみならず、海外とも共通する問題である可能性があるからだ。
日本の一地域の問題は、万国にも共通する可能性がある。よって、日本の一地域で解決のために生み出された手法は他の国にも通じる可能性があるのだ。
日本の一地域の問題を解決するための生み出されたサービスや製品をパックとして、海外に
売り込むことができるかもしれない。日本の地域における問題解決のプロセスに 他国が真似できない技術やシステム、丁寧さやきめ細かさが組み込まれていれば、それは大きな売り物になるだろう。場合によっては、
日本人が現地に行ってその運用に関わることになるだろう。それも含めてのセット販売だ。

また、問題解決型社会は 余計な財政負担を減らすことになるだろう。
自分たちの知恵でみんなで協力して解決するようになれば、余計な財政上の負担は発生しなくなるだろう。

だから、日本は はやく地域主権を実現しなければならない。

それにしても、なぜ早くなのか。
その理由の一つは、他のアジアが地域主権の威力に未だ気が付いていないからだ。
日本は幕末においていち早く開国して アジアで100年以上 先頭を走ることが出来た。

地域主権でもいち早く実現すれば、日本はアジアで先行者利得を享受できるだろう。
日本は、いち早く開国をやった。同じように、地域主権も いち早くやるべきだ。

日本が成功すれば、他のアジアは 地域主権の本当に意味に初めて目覚めるだろう。


成長戦略は必要か

「成長戦略」とは、なんだろう。
一般的に使われすぎている言葉だが、まことに意味不明瞭な言葉だ。

しかし、一般的な受け止め方とすれば、
「日本経済が、将来とも発展してゆくための、日本国政府としての産業政策」、程度にとらえられていると思う。

ところで、この言葉の背景にあるものを考えてみると、
国が栄えるためには、産業が発展する事が一義的に重要だという思想が常に存在する。
つまり、産業重視だ。
中でも、第2次及び第3次産業を重視している。
明治以降、第2次世界大戦の敗戦を経ても崩壊せず、常に日本の政治が目指した政策の「目標」と言う事になる。

しかし、ここで立ち止まり、静かに考えてみたい。
明治以降とは言わないが、少なくとも「パックス・アメリカーナ」の時代は、すでに終わった。
誰も否定できない事実だと思う。
(これを、違うと言われたら、この文章の全てはここでおしまい)

アメリカ自身も、その自覚のもとに行動している。

その時に、この日本と言う国の一部の古い政治家やマスコミや(表面的には)官僚までもが、「成長戦略」と、騒ぎたてている。
産業界が、その叫び声を上げる事は当たり前なのだが、なぜ他の人々までが異口同音に叫び続けるのか。

おそらく、時代は変化してしまったのだと云うのに。

どこの国においても、成長の過程は同じようなパターンをたどる。
その方法は、時代と技術により異なるが。

イギリスの繁栄は、海軍力と情報力を駆使し、植民地を彼の大消費地とすることで達成された。
アメリカについては、彼の大地が与えてくれた莫大な資源を生かし、さらにほかの国には真似のできない人口の大規模な拡大を背景に、巨大な生産システムと軍隊を持つことで、史上まれな繁栄を勝ち取った。
そして、いづれも発展の終焉を迎える。

日本も、今、類似した時点に立っている。
45年の敗戦以後、
強制されたものとはいえ、軍備に金を必要以上にかけることを免れ、ひたすら技術力を磨き、生産を拡大する事に勤め続けた。
しかも、極東の小さな島国にとっては、あまりある人口の増大が、国内消費を生産を拡大させる原動力となった。
その国内生産・消費を背景に、技術力を磨きあげてきた。
おまけに、世界の先進国が、何らかの紛争を抱え軍備に資本を投入させなければならない時も、日本はただ「もの」を作っていればよかった。

しかし、今世界は変化してしまった。
日本は、この20年間というもの、成長の終焉に気が付いていない。
まだまだ、成長が続くものと思っている。
2%や3%のGDPの伸びさえ出来ずにいる時に、成長が続くものと思い込んでいる。
新しい国が、安い労働力と先進国から導入する先端技術で、とてもまねのできない安価な商品を提供する時代が来ていると云うのに。
最先端の部分でしか、競争など出来なくなっていると云うのに。

いま日本がなすべき事は、果たして、成長を模索し続ける事なのだろうか。
私は、違うような気がしてならない。

国が国民の生活の為に存続していくためには、産業が活発に息づいて行くことが必要なのは当然だ。
しかし、その姿は、高度成長期の時とは変ったものとならざるを得ない。

そこにこそ、本来考えなくてはならないものがある。

国が大きくなることで、我々国民の生活が向上してきたのが、戦後の40年だった。

しかし、これからは、国民が安心して暮らせるように国が、その姿を維持してゆく方策を考えなくてはならないのだ。

これまでは、企業中心でよかったが、これからは国民を中心に物事を考えていかねばならないのだ。

従来の企業を中心とした「成長戦略」は、もういらないのではないでしょうか。
たとえば、次世代のエネルギーを考える時でも、産業を中心に考えるのと、民生の視点から考えるのとでは、金の使い方も変化するでしょう。
出来上がりの形も異なるでしょう。
同じ事をしても、企業中心の成長戦略では、民生の視点でものを見る時に、大きなひずみが出来てしまうのではないでしょうか。


なんか、長い文章になってしまって・・・
しかも、皆様解りきった事を、
申し訳ございません。

陸山会の政治資金収支報告書に記載していない資金の流れの理由

1月6日のNHKの報道で陸山会の10月29日以前に発生している収支報告書に記載されていない資金の流れを石川氏が具体的に検察に説明しており、小沢氏から受け取った4億円の処理を詳しく書いてあった。
それによると収支報告書に記載しなかったのは小沢氏の個人資金であり預かり金であったと説明できてしまい、それで検察が必死になって発見した29日の午前と午後の時間差が違法性もなく説明できてしまうことに至った。
検察にしてみたら取引相手の預金データや陸山会の預金データを取り寄せて矛盾を発見したのにそれが台無しである。
それからは、石川氏の供述が急に大ざっぱとなり1月7日のNHK報道がなかったかのように触れなくなっていった経緯がある。
検察に都合の悪いことは隠そうとしているようだ。


1月6日のNHKの報道を元にして10/29迄の流れを書くとこうなる。
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石川氏は10/29に発生する不動産の支払いと預金を担保とした仕訳で資金がショートすることがわかり小沢氏に連絡した。

小沢氏は急遽自己資金である4億円を用意し石川氏に預けた。

1000万円は手付金として小沢氏の自己資金を使って支払った。(これは明確に違反、政治資金として使うなら記載必要)

石川氏は預かった3.9億円を小口に分けて複数の口座(政治団体も複数)へ入金した。(これは個人資金を隠そうとした行為)
これは自己資金であり預かり金となってるので記載してはいけない。

小口に分けた資金を陸山会に集めた。(預かり金であり政治資金ではないので記載してはいけない)

銀行に陸山会の政治資金を使って定期を組みそれを担保として4億円の融資を依頼した。

ここまでは10/29以前の出来事。

10/29午前
小沢氏から預かっていた個人資金を使って不動産の支払いをした。
10/29午後
銀行から4億円の融資が下りて政治資金として入金すると共に借入金 小沢一郎 4億円と仕訳をした。

以降はそれ程問題ではないので省略(不記載等の説明は付く)
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これが実態のようだ。
つまり同じ日に支払いと入金と借入が発生したことになる。
よって、これは細かく仕訳をしても相殺されてしまうので、結果だけを記載しても違法性はない


残るは小沢氏の個人資金の4億円が違法性のある資金であるか?、だけでしかない。それもサンプロ放送後に検察が諦めたかのようなタイミングで石川氏の証言として4億円は遺産相続で得た資金だと報道された。
これが今までの最も確度が高い真相だと思う。


そしてこの仕訳は自己資金を4億円利用することで、自己資金を担保に4億円の融資が得ることが出来て(それを陸山会へ貸し付けるているから合法)
そして同じ日に3億4千万円の支払いを政治資金で行ったとも言えてしまう。
限りなくグレーなのだがこれが違法か悪質かを問われれば・・・
罪を課すようなものじゃない。
それでいて自己資金の投入は4億円で済み、尚且つ自己資金は収支報告書に記載しなくて済むという魔法の様な仕訳だ。そうまでして銀行からの融資契約を陸山会代表 小沢一郎名義で作り預金残高を見かけ上増やして収支報告書に矛盾が無いようにしつつ証拠書類を手に入れる必要がマスコミ対策としてあったと言うことだろう。まぁ、普通にやると自己資金は8億必要だから効率が良いといえば良いのだが・・・
銀行からの融資を行わず、素直に自己資金の4億円を貸し出しておけば済む話ではある。
しかしそれだと自己資金の4億円は違法ではないのかとマスコミは絶対に騒ぐことになる。

自民党やマスコミや官僚が小沢氏を目の敵にしている状況だと仕方ないかな?
これぞ小沢流と言うべき、資金ショートの穴埋めを最小限度の自己資金で補い、ついでにマスコミ対策も万全にする。

ことばを失った日本人―(8)続・同胞各位に訴へる転載

 ひと昔前、今はPanasonicとなったかつての松下電器は、他メーカーから「真似下電器」と揶揄された。それは模倣にすぐれ、商品としては後発社であっても、あっという間に先頭を走り、販売をリードしていたからである。この時代、アメリカに輸出されるテレビより、国内販売のそれが割高でもあったことから、マスコミに激しくたたかれ、販売現場はその反論に追われたことさえある。
 それはなぜか、輸出用のテレビはスチール筐体の簡素な作りであり、一方の国内向けは木製キャビネットで、そのまま「調度品」ともいえる作りと、明らかな差があった。むろん、画質その他は同じだから安い方が良いかと思いきや、スチール筐体のテレビは国内ではほとんど売れず、主力は木製キャビネットだったが、国民性の違いが根底にあるというのが、私たち現場の統一した意見だった。
 このことはずっと後になって気づくのだが、とことん「用の美」にこだわる国民性が潜在的にあり、近代文明のそれらにも色濃く反映されていたことだったが、その源には古代からの「ことば」がある。
 実用的、効率的が現代の鍵かも知れないが、少子化とは、潜在的に「スローライフ」を求める意識の反映ではないか。ことばをそんな切り口から考えてみたいと思うのが、この投稿の目的であり、次回以降にそのことを記したい。

転載始め(http://www.kokumonkyo.jp/appeal-new.htmより)矢田貝理事・事務局長許諾済

五、當用漢字、その他、現行の表記法は如何にでたらめで矛盾が多いか

 「當用漢字」、「音訓表」、「字體表」、「送り假名」の制定もきはめて獨善的であつて、明治、大正、昭和前半に至る古典が讀めなくなるのは勿論のこと、現在日常の新聞雜誌、手紙を讀むのにさへ青少年を苦しめてゐます。文部省に輕率に同調した新聞社も自繩自縛に陷つてゐます。まづ漢字を千八百五十字に限るのも無理ですが、動植物の名を假名書にするといふのも非常識です。たとへば當用漢字の中には猫も猿も狐も兎も狸も、烏も雀も鶯も鶴も、鯉も鯛も鮎も入つてゐません。植物では柿や栗もなく、藤も桐も萩も楓もないとは美しい日本の四季を何と味氣ないものにしたことでせう。なほもう一つの重大なことは地名や人名です。當用漢字にない地名と人名は非常に多いのですが、これはもちろん祖先以來の文字を尊重してゆくべきですし、次に名前は兩親が愛兒の將來に希望を託して選ぶのにそれがたまたま當用漢字にないと言つて役所が受けつけないのは基本的人權の無視です。これは人閒にとつて最も大切な精神の自由といふものを全く輕んじた暴擧ではありませんか。
「音訓表」も論外の沙汰です。一人と書けば「いちにん」とのみ發音して、「ひとり」とは讀ませず、父、母のよみ方は「ふ」「ぼ」「ちち」「はは」のみで「お父さん」、「お母さん」は「おとうさん」「おかあさん」と假名で書かなくてはならず、昨日、今日、明日も「きのう」「きよう」「あす」と書かなくては閒違ひとはどうです。「時計」も「景色」も音訓表によれば、「とけい」「けしき」と讀めず漢字で書くことも出來ないことになつてゐます。これが一體、文部省の、又内閣の、いや日本人のきめることでせうか。また「字體表」では「專」「團」「傳」を「専」「団」「伝」としたり、「濁」「獨」「觸」を「濁」「独」「触」、「佛」「沸」「拂」を「仏」「沸」「払」としたりするやうに、漢字の系統と統一が亂されてゐます。
次に外國語のカナ表記法ですが、(DI)をディ又はヂとせずに、すべてジにしたり、(VA・VI)をヴァ・ヴィでなくバ・ビにしてしまつたのは實に亂暴であるのみならず、一方で英語の發音を折角、念を入れて教へてゐるのと甚しい矛盾ではありませんか。
 要するに、國語・國字のことは優れた文化人の自然の指導と國民の良識に委ねて置くべきで、決して非常識な役人の強制などに任せるべきではありません。西歐の文化國は皆さうなつてゐるのです。マルティン・ルッターが聖書をドイツ語に譯してそれが立派であれば、これはドイツ語の模範となりゲーテが美しい戲曲や小説を書けば、それがお手本となつてドイツ國民はこれに從ふのです。内閣が訓令や告示を出すのではありません。

六、難しい國語國字は文化を遲らせるか

 日本語の漢字と假名づかひが或程度難しいことは事實です。しかし、このことが果して日本の文化を遲らせて來たのでせうか。これは逆に「言語文字の易しい國に文化が發達してゐるか、否か」を考へるとすぐ解ります。簡單な言葉は殆どみな文化の未開發な國々に限られてゐることを考へて下さい。さうしてその反對に、優秀な文化を築いた國々ほど言語文字は難しく複雜で含蓄に富んでゐる事實を見るべきです。それでなくては發達した理性や感情の正確な微妙な表現を十分に果すことができないからです。
 なほ、これに關聯するのは、明治維新以來わづかに七、八十年で我國が歐米の一流國に伍するに至つた理由です。日本文化は模倣にすぎぬとか、他の影響に依つてのみ進んだとかヒットラーやその他考への淺い幾多の人々は言ひました。しかし、一體、影響を受けるといふことも、模倣をするといふのも、既にそれをなし得るだけの實力や受入態勢ができてゐなくては不可能です。奈良時代に中國や印度の文化を受入れ、これを咀嚼し吸收することが出來たのは、文字こそ持たなかつたとは言ヘ、何度も申す如く、萬葉集などにあらはれてゐる優秀な美しい國語をすでに持つてゐたといふ日本人の進んだ文化の實力があつたればこそです。
 明治以後に、西歐の進んだ文化をあれだけ大量に、而も短時日に消化し得て、湯川秀樹氏を始めとする世界的な幾多の自然科學者を生み、その應用技術に於ても同様な成果を擧げ得たといふことは、やはり徳川時代の末頃までに西歐文化を受容するに足る準備をすでに十分具へてゐたからに他なりません。無から有は生じない道理です。然らばその準備は何がつくりあげたのでせうか。
それは、大和民族固有の文化に、中國と印度の文化が加はり、これを自家藥籠中のものとして、日本人の理性と感覺と感情と意志とを練磨したといふ實績がつくりあげたのでありますが、その練磨の中の重大な一要素としてすでに發達してゐた國語國字が儼として存在したことを忘れるわけにはゆきません。且つ西歐語の飜譯は漢字があつたからこそ可能だつたのです。すべての自然科學の用語はもし漢字を使はなかつたらどうなることでせうか。ローマ字論者やカナモジ論者に訊ねたいものです。
ついでに申せば漢文の教育も再び盛にすべきであります。世界文化で一流の地位を占めてゐた中國と印度の文化を攝取し、自己の血肉にまでした日本は、現在に於いて佛教や儒教や中國文學の正統な後繼者です。漢字を著しく變形した今日の中國人民はやがて父祖の古典が讀めなくなるのではないでせうか。 
 もしさうならば、これは彼らのためにゆゆしい大事です。又傳教大師、弘法大師以來、榮西、道元、法然、親鸞、日蓮、白隱等の俊秀を出して來た日本の佛教は、本家の印度以上に釋迦牟尼の思想を傳へて來てゐると言へます。ところが、漢文を我々が讀めなくなつたら、この世界の至寶を人類のために役立てるべき仕事が衰へてしまひます。却つてそのうちに、佛教の研究はアメリカ人が指導するやうになるかも知れません。現に日本のすぐれた若い佛教研究者が何人かアメリカの大學に學びに行つてゐます。ライシャワー大使の仕事も漢文に依るものです。

七、青少年の學力低下

 最近、我國の大學生を始め、高校生、中學生の學力、思考力、創造力が著しく低下して來たといふ事實が、多くの學者や現場の教育者や各界の識者から指摘され憂慮され始めてゐます。この一因としても、戰後の國語國字の變革が大いに考へられると思ひます。まづ第一に言語文字を輕んずる文部當局の精神は、當然青少年の文化意欲を弱めます。さうして國語國字に於ける鍛錬が少くなり、思考力を養ふことがおろそかになれば知能が衰へるのは自然です。オリンピック競技の選手がどのくらゐ苦しい猛練習に堪へてゐるかは周知の事實です。文化的なオリンピックの試合、つまり、世界の文化を進歩させて行く仕事に日本が優秀な成績をあげるためには、これと同じやうな鍛錬が必要なことはどなたにもお解りでせう。アメリカでは先に哲學者デューウィの近視眼的な教育論に從つて小學校教育を安易にした結果、少・青年の學力の著しい低下を招いたため五、六年前から激しい批判が起つてゐます。ルドルフ・フレッシュの「ジョニーはなぜ本が讀めぬか」といふベストセラーを續けた本はこれに對する警鐘でした。

八、國語の改惡は國を滅ぼす

 最後に注意すべきは、戰後十何年で日本がこれだけに復興し、自然科學やその應用である工業の技術が著しく發達して、世界の一つの驚異になつてゐるやうですが、この幸福をもたらしたのは、戰前の國語と國字で教育されて來た三十代以上の人々の力であつて、戰後の便宜主義・安易主義に甘やかされて來た二十代とそれ以下の青少年の仕事ではないといふことです。
 外國に負けぬやうにと「漢字廢止」や「新假名づかい」などを主張した改革論者、その他の論者の憂ひは幸に杞憂であつたわけで、逆にもし、彼らの主張が通つてゐたならば、恐らく戰前までの進展も、戰後の立直りもあり得なかつたであらうとさへ思はれます。それだけに、安易を強ひる國語教育によつて成長する今の青少年たちが國の中堅となり指導階級となつた曉が心配されるのです。且つ、今の文化人たちのうち、第一流と目される人々の多數が現在の悲觀的な大勢にも拘らず、傳統的な國語表記を依然として守つてゐる事實を何と見るべきでせうか。 今の青少年が明治、大正、昭和の中期までの古典的な文章はもちろんのこと、現在の一流の人々の文章まで讀むのに抵抗を感ずるとは、彼らはまことに氣の毒な犧牲者であります。一流の文章が讀みにくく二流、三流以下のものだけ讀むといふのは、日本を二流、三流の國に低落させることでなくて何でせうか。「當用漢字は五年にして日本文化を滅ぼす」と言つた岡潔博土の豫言は、大數學者の鋭い直覺だらうと思ひますが、今や不幸にして實現しつつある状況です。ついでにいへば湯川博士は幼少の頃經書の素讀を受け、青年時代には莊子や老子を好んで讀んださうです。國文や漢文を熱心に勉強することは自然科學の思考力をも増大するといふのが今の定説です。

結 論

 以上八項目にわたつて考へて來たことから、我々は次の結論に到達せざるを得ません。即ち、戰後の愚劣な國語國字變革は明かに日本文化の下落を來すものであり、これは明日からでも白紙に戻して愼重な再檢討を始めるべきであるといふことです。
 ところで、右の趣旨は結構だが、既に改革後二十年近くたつてゐる今、再びやり直しをするのは、更に混亂を來して大變だ、といふ心配をなさる方々もあるでせう。しかし、これは日本の百年、千年先の幸福のためです。しばらくの混亂や苦勞はものの數でなく、又優秀な日本の少年少女は四、五年後には改善された國語教育に慣れてしまひます。
 それについては、依然として便宜主義、安易主義の人々が主力を占める文部省の「國語審議會」は全く頼むに足らず、危機に直面する日本の文化を救ふためには、心ある民閒の方々の御贊同を得て一大國民運動を起さなくてはなりません。
 しかし、今の國語審議會は頼むに足らずとして、この國民運動を起し、戰後の國語國字の改惡を一應御破算にして自紙に戻すべきであるとしても、さてその後をどうすれば良いのでせうか。惡いものを破壞するのはよいが、その後を如何に建設すべきか。これについて我々は次のやうな考へを抱いてゐます。それは、今の「文部省の國語審議會」を「發展的に解消」して、獨立した一つの新しい國家機關を創設することです。この機關は、數十人の會員から成り、その構成は、日本の國語・國文學を眞に愛する、國民の誰もが信頼し、納得できるやうな、第一級の文學者、評論家、語學者を中心とし、これに配するに、同じく第一級の自然科學者、哲學者、美術家、音樂家、藝能家及び日本文化を眞に愛する若干の達識の人士を以てすべきであると考へます。これは恰も、十七世紀から存續するアカデミー・フランセーズ(フランス翰林院)のやうに、國語の正しい傳統の保持と純化のために、その時代の日本文化を代表する最高の人々によつて、恆久的に持續せらるべきであります。

                                       國語問題協議會

昭和三十九年六月

※この提唱は當時の本會常任埋事市原豐太氏によつて起草され各界の識者に訴へかけたものである。
転載了

 認証官制度について
 象徴天皇と主権在民の関係が最も矛盾しているのが憲法第七条です。
 特に認証官と呼ばれるものについては疑問を感じます。
 認証官の殆んど全てが行政官だという点です。
 国権の最高機関は国会で、そのトップである(国民の選良の代表)衆参両院議長は認証官ではありません。
 一方同じく国会で選ばれた内閣総理大臣は認証官です。内閣総理大臣が任命された大臣、副大臣も認証官とされています。最高裁判所の判事等、検事総長等、宮内庁長官、侍従長、特命全権大使等いづれも内閣の任命ですが形式とはいえなぜ天皇の認証を必要とするのでしょうか。
 明治憲法下の官僚制度(行政官優遇)そのままです。
 宮内庁長官、検事総長、駐米大使等の言動を見るにつけ国民に対し責任は負わないにもかかわらず公務員として見た場合、増長した行いが見られます。
 認証されたとたんにわが身を忘れ天皇の僕になり自分は下々(国民)とは違い特別だと錯覚する原因にもなっているんではないか
 憲法改正は直ちにはできないでしょう。
 そこで憲法第4条第2項の委任規定を活用すべく法律を制定すればよいのではないか。
 
 

ことばを失った日本人―(8)明治の教科書から消えた日本の古代史

 通常国会を目前にして、そしてまた政権与党の党大会を控えて、当該政党の幹事長秘書・元秘書の3名を一斉に逮捕するなど、尋常ならざる事態である。
 これは明らかに、平成の2.26であり、5.15事件である。両事件とも当事者らは昭和天皇の逆鱗に触れ、一旦は収束・鎮圧されたかに見えたが、その後の歴史(無用、無謀な戦争)を見れば、その功罪は明白であろう。
 まさに「いつか来た道」に私たちの国は踏み入れようとしている。
もし万が一、そんなことは絶対にあり得ないが、あくまでも仮定のこととして、私が法務大臣なら、即刻「指揮権」を行使する。その後、暗殺・抹殺されようと、マスコミから糾弾されようと、古女房から勘当されようとも、断固として、総理の罷免を掻い潜ってでも「指揮権」を発動し、この国の窮状を救う。
 なぜなら、現政権はわが国史上初めての「民意」によって選ばれた新政府であり、その権力行使は、近代法上の「正義」だからである。西松問題も、そして陸山会関連も先の総選挙前から俎上にのぼり、それらも含めて国民は断を下したのである。その政権与党には政治家としての覚悟が、そして命を賭してはいない。権力を持たない一国民と同じ目線で、担当の法務大臣を含み、ただただ「傍観」しているが、これが私たちの命と暮らしを守る政府と言えるのか、鳩山総理以下の大臣らに聞きたい。
 今やるべきは、不充分ではあるが新政権が組んだ予算審議を急ぎ、あるかも知れないといわれる経済の2番底を回避し、私を含む貧乏人の窮状を救い、多少なりとも消費を回復して経済を上昇過程に導き、税収の確保へ向かうべきである。
 今に生きる私たちは、古代から連綿と続く日本史の分水嶺(人口のピーク)を越え、今世紀の始めから下りに入っていて、それが可能な時間はもう限られている。
 人は、その立場・地位によっては膨大な資金を要する。NTTの初代社長であった真藤恒氏は清貧として知られていたが、その交際費を賄うためにリクルート事件に巻き込まれ、その役目を全うせずに東京地検の手に落ちたが、私は、氏が私腹を肥やしたとは今でも理解していない。
          
 私には、日本の過去の歴史を見ても、今に生きる日本人を見ても、文化が、そして民族が違うように見える。仔細は「往きし世の面影」(渡辺京二著・平凡社)、「忘れられた日本人」(宮本常一著・岩波文庫)、「閉ざされた言語空間」(江藤淳著・文春文庫)など、こと欠かない。
 現代は、日本を古代奈良王朝を祖国と認識する明治維新があり、それが明治以後に改竄された言語・歴史教育によって、東夷の日高見の歴史も文化も言語も抹殺し、多くの正統和人(縄文系)は、古代に二国の対立があったことすら知らずに生きている。
 二国とは、その一に、紀元前120年頃の『准南子』という書物に著されている「東方に君子の国『東方有君子之国=風俗が善良で礼儀の正しい国』あり」と、この東夷の国(東北地方)を野蛮とみなし、殲滅すべしとする「国=部族」が日本列島に誕生し対立した。
 古代中国(前漢・後漢)が、日本列島をどう見ていたか、それは淮南子のみならず、許慎によって著された『説文解字』(最古の字典)にも、「夷は、東方の人なり。夷の俗は、仁にして仁者は寿し。君子不死の国あり」とあり、紀元前92年頃の『漢書』(後漢)にも、同じように「東方に夷といふ、天性柔順、君子不死の国あり」とあるので、古代中国人が東方の夷の国を、君子の国とみなしていたことは自明である。
古代中国では、夷の国の人たちを褒め称え、礼賛しているのに対立した民族=国とは何者だろう。
 それが今に続く「ヤマト朝廷=官僚」なのである。だから、この人たちの先祖は『日本書紀』にこう書き残した。「東夷の中、日高見の国あり。是を全て蝦夷(えみし)といふ。土地よく肥えて広し。撃ちてとるべし」。四季の変化に富み、日常の食糧にこと欠かない国土を支配するのに、日高見という国の夷たちが邪魔であり、このように書き残したと思われる。
 古代日本は、夷の日高見の国と、ヤマト(倭)の奈良王朝の国と二分して対立していたことがわかる。本論の要旨は、この対立が現代にも継続しているということである。
 日本列島に、価値観を異にする二国の対立間があった頃に書かれた『源氏物語』には、「日本書紀などは、ただかたそばぞかし」と書き表している。これを訳せば、「日本書紀は、一方的な偏向の歴史書ではなかったのか」と指摘しているのだが、和人たる紫式部の奈良王朝の否定でもある。ことの序でに、「よろづのこと、昔には劣りざまに、浅くなりゆく世の末なれど、仮名のみなむ今の世はいと際なくなりたる」と光源氏の台詞にある。
 つまり、当時の奈良王朝は、漢人、もしくは半島人などの渡来人で占められて、日本の本来の歴史が、嘘と作り話で粉飾されている事実を慷慨して『源氏物語』に著し後世の人たちに書き残したのだろう。
 『大辞林』によれば、かたそばとは「物事の一部分。一面。一端」とあり、我が国の文化は、異国の王朝、つまりは奈良王朝を否定したことにその起源があるのだが、この認識は維新前夜までは、明確に和人に語り継がれている。
 江戸末期の学者・帆足萬里(豊後3賢人の一人)は『仮名考』に「古事記・万葉の書きざまは、いとつたなく、みだりがはしきものにて、今の世にしてはことに読み難れ」と書き残しているし、鎌倉前期の歌人、鴨長明は『無名抄』に、「和文は紀貫之の土佐日記より始まれるといへるも実に確かり」と記している。紫式部も、そして我が豊後の先哲でもある帆足萬里も、鴨長明らも何れ劣らぬ和人で、奈良王朝文化を明確に否定しているが、史実を語るに重要な文献があまり知られていないのは、ヤマト(倭)朝廷王朝を復古せしめた明治維新の文化革命が今日まで継続しているからである。
 何れも「ことばを失った日本人」が漂流するさまを泉下で嘆いていることだろう。

昨日放送のサンプロ・小沢氏vs特捜検察の特集は、その出演者の顔ぶれと討論された内容によって、この事件を解釈するにあたって有意義なものでした。
録画から要旨を文字起こししましたので、議論のたたき台にしていただければと思い投稿いたします。
もし著作権上の扱いなどで不適切であれば削除していただいて結構です。
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サンデープロジェクト(2010年1月16日放送)
◆「正義」か「暴走」か~小沢氏vs特捜検察、因縁の最終戦争◆


司会:田原総一郎
≪コメンテーター≫
大谷昭宏(ジャーナリスト・元読売新聞大阪社会部記者
     実弟は大阪高裁長官の大谷剛彦氏)
須田慎一郎(ジャーナリスト)
星 浩(朝日新聞編集委員)
高野 孟(インサイダー編集長)
≪出演者≫
小川敏夫(民主党広報委員長・元検事)
菅 義偉(自民党・元総務大臣)
宗像紀夫(元東京地検特捜部長・弁護士)
郷原信郎(名城大学教授・弁護士・元検事)

※以下敬称略

◇討論前
須田:(検察関係者を取材して)
   検察サイドの最終的な落としどころは国会開会前の石
   川在宅起訴・小沢事情聴取だった。
   特捜のシナリオが崩れたため半ば偶発的な最終戦争。
   土地の購入代金4億円に裏金5千万円が入っている立
   証できれば小沢検察双方痛み分け。
   単なる虚偽記載で終われば特捜部の完敗。
   ある検察幹部取材の心証では裏金5千万円に相当な自
   信。

大谷:国民は検察権力に脅威と疑問を感じているのではない
   か?
   操作の手順(前足・後足)が逆。

田原:(経緯を整理・報告)
   新聞(社説~朝日・読売・毎日)の論調が検察の味方に
   なってきている。

星 :総理の「戦ってください」に疑問。

田原:毎日は幹事長辞任、読売は説明責任を要求。


◇生激論
田原:幹事長辞任はどうか?

小川:時期尚早。秘書の収支報告書不実記載だけではバラン
   スを欠く。
   不正献金の事実が断定されたら別問題。

田原:鹿島建設強制捜査の背景は?

星 :胆沢ダム元請け鹿島と下請け水谷の関係の捜査。

管 :陸山会の政治資金収支報告書の処理の仕方~不透明な
   お金が沢山ある。
   4億円定期の入り、土地購入の日付等経理上操作の理
   由が疑問。
   小沢さんしか知らない部分が沢山ある。

田原:郷原さんはどう見るか?

郷原:刑事事件で政治家は違法事実が相当程度はっきりして
   いれば裁判前など早い段階で責任を取るべき場合もあ
   る。
   問題は逮捕容疑が収支報告書の中で「不記載」ではな
   く「少ない」だけ。
   新聞は「不記載で逮捕」と報道・・実際の逮捕容疑と
   違う。
(星氏の困惑した顔アップ)

田原:(今回の検察手法は)歴史的汚点?

郷原:このまま何も明らかにならないで起訴となったらそう
   なりかねない

田原:宗像さんはどう見るか?

宗像:結論は「検察は成算なき戦いに打って出ることはない」
   ということ。
   問題の基本は土地購入代金4億円の出所。
   検察の一番の焦点は「ゼネコンから来た金が混じって
   いる/(全額)満たされている」のではないか?という
   こと。
   背景に「ダム受注の謝礼」~「公共工事利権」がある
   と見て捜査に入っている。
   検察は水谷関係の金の流れを把握しているだろう。
   この時期に激しい一斉家宅捜査~逮捕の元は、小沢氏
   の対応ではなく、
   石川議員が明らかな証拠があるのに曖昧な供述をして
   いることに検察が「切れた」ということ。

田原:鹿島に入った理由は?

宗像:鹿島が(1億を)指示して持って行ったのか 、水谷だ
   けの判断なのかの解明。

田原:検察はその手をよく使うが、鹿島も水谷も時効で罰せ
   られない・・

宗像:この事件では職務権限がないので、贈収賄や斡旋利得
   処罰法はほぼ成立しない。
   政治資金規正法上の不記載となったお金の中身(不正
   な金が入っているか?)が勝負。
   記載しなかっただけでも罪になる(歩留まり)が、そ
   の金にゼネコン利権が絡んでいるかがポイント。

高野:普通普遍的なひとつの姿として、下請けは「政治家に
   話を付けました」などとへのご褒美として、受注する
   ・・ということがある。
   実際、元請け(鹿島)から下請け(水谷)がその工事代金
   に上乗せして補填されたお金を本当に配ったかは判ら
   ない。
   中抜けして内部留保する場合もある。

田原:水谷の元社長は?

星 :(脱税の罪で)受刑中。
   東京地検特捜に対して「5千万円を2回支払った」と
   話している。

田原:受刑中の人間が何言っても信用できない?

星 :必ずしもそのではない。

高野:そういう構造があるということ。
   仮に水谷が五千万・1億を払ったとしても、それが土
   地取引に関係があるというのをどうやって立証するの
   か?
   ほとんど不可能だと思う。

大谷:宗像さんの話だと結局は贈収賄は成立しないかも知れ
   ないと。
   政治資金規正法で本来「政治家は何だか判らないお金
   を持っていてはいけない」という主旨だろう。
   実際には「何だか判らないお金」の記載漏れは過去い
   くらでもあった。
   今回の捜査は、公党の幹事長に対し「何らか判らない
   お金」はどういうお金だったのか?、
   国政を歪めたということを立証していくのが検察の仕
   事。
   国会議員の「何だか判らないお金」を全部点検して歩
   くのは検察の仕事ではないはず。
   そこが抜けているのであれば、検察の暴走という批判
   が出ても仕方ない。

宗像:おっしゃる通りかも知れないが、
   本件のケースで検察はゼネコンの金が入っているかも
   知れないという具体的なものを取り上げて捜査に入っ
   ている。

高野:(ゼネコンの金が)混じっているというのをどういう立
   証の仕方になるのか?
   石川が「土地を購入するのに金が足りないから持って
   こい」と言ったというものでもあれば、直接の因果関
   係が出るが。

宗像:これだけの捜査が進んでいることは、水谷側が「いつ
   何処で誰に会ってどういう話しをして東京のどういう
   ホテルで渡した」かを(検察に)全部きちっと話が出て
   いるだろう。

郷原:そこまで捜査が進んでいるのであれば何故その事実が
   被疑事実にならないのか?
   選挙で選ばれている国会議員を逮捕するのに、今そこ
   まで容疑事実が固まっているのであれば、当然「政治
   資金規正法違反」の何らかの不記載罪でやるべき。

田原:虚偽記載で逮捕というのはおかしい?

郷原:収入の総額が、何だかよく判らないが、足りないとい
   うだけ。

宗像:捜査の手法があって、今の(段階)は例えば水谷側が喋
   ってもこちらは喋っていない
   だが、お金はほぼ同じ時期頃にある口座に入っている
   という報道がある。
   あとは誰かが供述すれば成立する。
   こういう事件はほとんど供述が中心となる。過去の贈
   収賄事件は全部供述中心。

小川:捜査の手法のあり方として、まず「入っているかも知
   れない」といういう見込みで、その事実とは直接関係
   しない犯罪被疑事実で逮捕している、
   これは「見込み捜査」だ。

田原:5千万が4億に入っている“かも知れない”・・根拠
   がないと。

小川:今のところは薄い。

宗像:それは誤解だ

小川:誤解ということはない。
   もしそれが検察で堅いのであれば 、そのことで捜査
   に入るべき。
   政治資金規正法という形式犯で逮捕しておいて、「あ
   るかも知れない」という見込みの元で、謂わば別件捜
   査の見込み捜査をしている。

管 :検察は前回の西松の時に「国策捜査」だと批判された
   が、今回権力は民主党の側。
   そのいう中での捜査は、慎重の中にも慎重に固めて捜
   査されたはずだ。
   元々は小沢さんが行って説明すればかなりの部分が明
   らかになることだ。
   (陸山会は)経理上極めて不透明なことをしている。

田原:(星氏に)
   この論議は、仮に水谷から1億もらったとしても、そ
   れが4億の中に入っている根拠はないではないかと。

星 :それは少なくても今の立件の必須要件ではない。
   今の段階では、8億あるのに4億しか記載していない
   という、ふわっとした「虚偽記載」の容疑で逮捕して
   いる。

宗像:私が「歩留まり」と言った意味はそれで、水谷の関係
   を立証しなくても刑事事件としては成立する。
   だが、それでは非常に中身が薄い話になる。

田原:逮捕された3人が「私たちが虚偽記載をした、小沢さ
   んは関係ない」と言い切ったらどうなるか?

宗像:そう言うかも知れないが、「その土地購入は誰が指示
   したのか、誰が物色したのか、お金は誰が準備したの
   か」という全体を見る。

大谷:だとすれば、小沢さんの自宅や個人事務所や議員会館
   の家宅捜査に入っていないのは何故か?
   本当にその容疑で小沢さんが「(土地取引を)知ってた
   はずだ」「水谷のことも知ってたはずだ」「彼ら3人
   が勝手に虚偽記載したのではない」というのが検察の
   狙いであれば、堂々と家宅捜査に入っていけば良いで
   はないか。

宗像:検察がそこまで狙っていると言っているのではない。
   本件実態がいったい何かということを整理する上で、
   常に本人からの指示があったないか、自分たちだけで
   やったのか、全部きちっとしないと世の中のあれ(批
   判)に堪えられないでではないか。

田原:二人が勝手にやったのか?、小沢さんが命令したの
   か?ということ?

宗像:政権与党だから手を出さないのかと言われるじゃない
   ですか。

須田:ただ、昨日の小沢さんの発言を受けて、検察サイドは
   一斉に、「2004年の日歯連からの自民党橋本派への一
   億円記載漏れ事件を境に政治資金規正法は厳格適用す
   るんだ」「規正法に関し虚偽記載があった場合には起
   訴に持ち込むんだ」ということをかなり強硬に方針を
   打ち出してきた・・と言い始めた。
   とすると、どうも(水谷から)1億円入ってるかどうな
   のかというのは関係ないと言っているのではないか?

田原:虚偽記載でやる(起訴する)ぞ・・と。

郷原:それは・・いくらなんでも、収入の総額が4億円足り
   なかったから、それで重大だとはさすがに言えないと
   思う。
   だからそれは、何らかの不記載・・具体的な収入が書
   いてないということを立証できなければ、いくらなん
   でも政治資金規正法違反として悪質なものとは言えな
   い。

田原:宗像さん、元々特捜部というのはそういうややこしい
   よく判らない事件に取り組むんだといつか仰っていた
   が・・

宗像:非常に解明の難しい複雑な事件を解決するのが特捜の
   役目なわけだが、今のこの関係で言うと、歩留まりが
   あって4億円の不記載があると・・
   だから、それだけで終わったのでは全然その中身が薄
   い。
   「こんなもの起訴価値あるか」と言われますので・・

田原:それでは「西松建設」と同じだ。

宗像:ですから、特捜としてはこれは「ゼネコンの資金が流
   れている」「ゼネコンの方は喋っている」「それを全
   然認めないではないか」ということで身柄を捕り鹿島
   も強制捜査して・・

田原:古いことを言って申し訳ないが、実は小沢事件で前に
   宗像さんに取材しましたが、あのとき西松建設の件で
   大久保さんを逮捕した、あのとき宗像さんは「この逮
   捕はおかしい」と仰いましたよね?

宗像:私は政治家などを逮捕する場合は、贈収賄事件とか脱
   税とか、実体のある実質犯でやれというのが私の考え。
   政治資金規正法というのは色んな類件があって、あま
   りこれで政治家を失脚させるのは好ましくないと私は
   考えていて、リクルート事件などは3億とか位の不記
   載でもあの頃は略式罰金だった。
   みんなあの頃の政治家の政治資金規正法で摘発しまし
   たけど。

田原:あれは皆宗像さんが主任検事をやった。

宗像:そうです。
   ただここ五年十年の間に(検察の)考え方が変わってき
   て、贈収賄の摘発も難しいと・・政治資金規正法とい
   うところで抑えようじゃないかと・・それも重大な犯
   罪なんだと考え方が変わってきたと。

大谷:それは本来の検察のあり方ではないのではないか?

宗像:(大谷に向かって、黙って何度も頷く)

田原:(星に向かって)
   今や、マスコミも国民も政治家も(注目しているのは)、
   小沢さんが起訴されるのか、検察が起訴まで持ち込め
   るのか、個人的にどう思ってる?

星 :これは本当に予断も出来ない、とにかくギリギリの攻
   防ですし、小沢さんがこの虚偽記載に対しどこまで関
   与していたのか、指示していたのか、知っていたのか、
   署名したのか、命令したのかをどうやって(証拠・証
   言を)取ってくるかですから、まったく五分五分。
   おそらく小沢さんも相当必死に自分の主張をしていま
   すし、検察もまた必死ですし3人の供述次第ではない
   ですか?

田原:(宗像に)
   私はおそらく石川と大久保さんは虚偽記載はあったと
   認め、自分たちがした、小沢さんは絡んでないと。
   もし小沢さんが命令したとなったら政治生命ないです
   から頑張りますよ。そのときにどうしますか検察は?

宗像:ですから、家宅捜査で抑えたそれ以外の物証などで立
   証が出来るかどうか、それが出てこない限りは駄目だ
   と思うが、検察は今のこの捜査のやり方を見ても小沢
   さんの立件は視野を入れていると思う。

郷原:私は被疑事実を見てもまだまだ入り口で、何が悪いか
   というのも特定されていない。
   まだまだ小沢さんが容疑の対象になるというのは今の
   段階では考えられない。

田原:容疑の対象にもならない?

郷原:まだ本件が石川さん達の事実が固まるかの問題だ。

星 :先週のやつ(官報)で4億円の記載はあったが、それ以
   外の不記載の問題も弁護士の発言で石川さん自身が認
   めているから、ここの不記載の問題はある程度固まっ
   ている。

郷原:ただその件は今回の被疑事実にはなっていない。今回
   の逮捕事実ではない。

星 :8(億)マイナス4(億)の4(億)ですよ?

郷原:それは引き算であって、具体的な不記載ということに
   は(逮捕容疑事実に)なっていない。

田原:郷原さんが言っているのは、「もしも本当に記載なし
   なら、“記載なし”ということですべきだと」いうこ
   と

郷原:(無言で頷く)

星 :なるほど

田原:ところが少なく記載したと、虚偽記載ということで逮
   捕したというのはおかしいのではないかと。

郷原:(大きく頷きながら)・・ということです。

宗像:それは、どういう被疑事実を立てるかの問題で、今証
   拠関係を見ていないから、その議論を今してもあまり
   意味はないと思う。

田原:何が問題?

宗像:問題は、4億円の中身が何であったのか、その4億を
   小沢さんが自分で全部出したのか、そうではないのか、
   というところ。

高野:そうすると、水谷の1億がそうだとして、あとの3億
   も全部糾明しないとおかしいということになる。
   そうするとお札に判子が捺してあるかという話で、架
   空の話になってくる。
   「土地を買うから金を出せ」と言ったというのであれ
   ば別だが。

宗像:それは、証拠構造というか、犯罪の立証とかをお解り
   になっていない。

管 :政治資金規正法というのは非常に透明なもので、国民
   の皆さんの判断に委ねるという形に出来ている。
   しかし今回の陸山会のやつというのは極めて不透明
   に、経理操作が複雑に、土地を購入したときとその収
   支報告書に出したときと年度を変えるなど様々な工作
   がされている。
   問題なのは、小沢さんは西松の時に公判で検察が指摘
   したけど、公共工事に政治の影響力を与えて献金を受
   けているという話もあった。
   それと陸山会で、その他に建物を十いくつ買っている。
   政治資金で建物を購入するなどは政治家として行うべ
   きではない。

田原:前代未聞だと。

管 :だから、小沢さんという人は不動産を政治資金で増や
   している。
   それでかなり無理矢理に今回のこと、結果としてどこ
   から来たか判らない4億円という話になる。
   それを調べるのは当たり前だ。

田原:(小川に)
   小沢さんには小沢さんの言い分があるわけ。何故、小
   沢さんは事情聴取に出てそういう説明をしないのか?

小川:小沢さんの話だと、4億円の使途については弁護士を
   通じて検察に説明したと。

田原:貴方の話だと、事情聴取に応じないから検察は頭に来
   たと言っていたが、何故応じないのか?

小川:それは小沢さんの考えだが、弁護士を通じて訊かれる
   べき事は説明したからそれで宜しいでしょ、と。

田原:宗像さんそれはどうですか?

宗像:まあ政治家の人が取り調べに応じて喋るか否かという
   ことは検察は関係ない。
   リクルート事件で藤波さんは全面否認、ゼネコン汚職
   で中村喜四郎さんは全面黙秘。

田原:田中角栄も全面黙秘

宗像:だからそういうものは求めない。
   ただ、調べには応じて欲しいというのはあるが。

田原:やっぱりその水谷建設の金が実際4億に入っているか
   どうかが一番問題だと思うが、それを検察は握ってい
   ると見て良いか?

宗像:検察は証拠を握っていると思う。

郷原:やはり小沢さんがもっと具体的に丁寧に説明しないと
   いけないと思う。
   昨日党大会の場で説明した、預金口座まで特定して検
   察に知らせたと。
   ただ、自宅に現金として98年より置いていたと言わ
   れているが、それは何故なのか。
   それが政治家の場合よくあることなのか。
   その辺の説明をしっかりしないといけない。

田原:小沢さんのお父さんが引退したのはいつか?

星 :1969年で40年前。
   そのとき初当選したわけだが、そのときから遺産をず
   っと持っていたのか?
   政治家の場合には資産公開というあるので、小沢さん
   が預金を持っていたらどこかで引っかかってくるわけ
   だが、新聞社で調べてもまだ見あたらない。

小川:普通預金というのは公開の対象にはなっていないです

大谷:検察としては、もし起訴したとしてもあくまで実行行
   為者は石川さんであり大久保さんだと思う。

(宗像何度も頷きながら聞いている)

大谷:虚偽記載ないしは不記載に関して言えば。小沢さんが
   指示したなり命令したと。実際、そのお金の中に不正
   なものが入っていたと。
   だから公党の幹事長を起訴したということが果たして
   通るのか?

田原:それは宗像さんもたぶん通らないと言っている。

大谷:私は通すべきではないと思う。
   だとすれば起訴ということはあり得ない。

田原:例えば仮に水谷の金が入っていたとしても、彼(小沢)
   は野党だから職務責任がないんだ。

大谷:きっちりそれが立証することが出来て、それがこうい
   うお金なんだと・・

宗像:つまり、今の虚偽記載だとかについて、捕まった3人
   がどういう供述にするによって決まると言っていいだ
   ろう。

田原:彼らが全部「俺たちがやったので小沢さんは知らない」
   と言えば?

宗像:それはそのように否認しても、他の物証、メモとか資
   料が出てくれば違う。

大谷:それが出たところで規正法ですよね?せいぜい
   果たして規正法をそこまでそこまで解釈して良いの
   か?

田原:問題は、これから立証がそこまで出来るかどうかだ。

昨日放送のサンプロ・小沢氏vs特捜検察の特集は、その出演者の顔ぶれと討論された内容によって、この事件を解釈するにあたって有意義なものでした。
録画から要旨を文字起こししましたので、議論のたたき台にしていただければと思い投稿いたします。
もし著作権上の扱いなどで不適切であれば削除していただいて結構です。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

サンデープロジェクト(2010年1月16日放送)
◆「正義」か「暴走」か
    ~小沢氏vs特捜検察、因縁の最終戦争◆

司会:田原総一郎
≪コメンテーター≫
大谷昭宏(ジャーナリスト・元読売新聞大阪社会部記者
     実弟は大阪高裁長官の大谷剛彦氏)
須田慎一郎(ジャーナリスト)
星 浩(朝日新聞編集委員)
高野 孟(インサイダー編集長)
≪出演者≫
小川敏夫(民主党広報委員長・元検事)
菅 義偉(自民党・元総務大臣)
宗像紀夫(元東京地検特捜部長・弁護士)
郷原信郎(名城大学教授・弁護士・元検事)

※以下敬称略

◇討論前
須田:(検察関係者を取材して)
   検察サイドの最終的な落としどころは国会開会前
   の石川在宅起訴・小沢事情聴取だった。
   特捜のシナリオが崩れたため半ば偶発的な最終戦
   争。
   土地の購入代金4億円に裏金5千万円が入ってい
   る立証できれば小沢検察双方痛み分け。
   単なる虚偽記載で終われば特捜部の完敗。
   ある検察幹部取材の心証では裏金5千万円に相当
   な自信。

大谷:国民は検察権力に脅威と疑問を感じているのでは
   ないか?
   操作の手順(前足・後足)が逆。

田原:(経緯を整理・報告)
   新聞(社説~朝日・読売・毎日)の論調が検察の味
   方になってきている。

星 :総理の「戦ってください」に疑問。

田原:毎日は幹事長辞任、読売は説明責任を要求。


◇生激論
田原:幹事長辞任はどうか?

小川:時期尚早。秘書の収支報告書不実記載だけではバ
   ランスを欠く。
   不正献金の事実が断定されたら別問題。

田原:鹿島建設強制捜査の背景は?

星 :胆沢ダム元請け鹿島と下請け水谷の関係の捜査。

管 :陸山会の政治資金収支報告書の処理の仕方~不透
   明なお金が沢山ある。
   4億円定期の入り、土地購入の日付等経理上操作
   の理由が疑問。
   小沢さんしか知らない部分が沢山ある。

田原:郷原さんはどう見るか?

郷原:刑事事件で政治家は違法事実が相当程度はっきり
   していれば裁判前など早い段階で責任を取るべき
   場合もある。
   問題は逮捕容疑が収支報告書の中で「不記載」で
   はなく「少ない」だけ。
   新聞は「不記載で逮捕」と報道・・実際の逮捕容
   疑と違う。

(星氏の困惑した顔アップ)

田原:(今回の検察手法は)歴史的汚点?

郷原:このまま何も明らかにならないで起訴となったら
   そうなりかねない

田原:宗像さんはどう見るか?

宗像:結論は「検察は成算なき戦いに打って出ることは
   ない」ということ。
   問題の基本は土地購入代金4億円の出所。
   検察の一番の焦点は「ゼネコンから来た金が混じ
   っている/(全額)満たされている」のではない
   か?ということ。
   背景に「ダム受注の謝礼」~「公共工事利権」が
   あると見て捜査に入っている。
   検察は水谷関係の金の流れを把握しているだろ
   う。
   この時期に激しい一斉家宅捜査~逮捕の元は、小
   沢氏の対応ではなく、石川議員が明らかな証拠が
   あるのに曖昧な供述をしていることに検察が「切
   れた」ということ。

田原:鹿島に入った理由は?

宗像:鹿島が(1億を)指示して持って行ったのか 、水
   谷だけの判断なのかの解明。

田原:検察はその手をよく使うが、鹿島も水谷も時効で
   罰せられない・・

宗像:この事件では職務権限がないので、贈収賄や斡旋
   利得処罰法はほぼ成立しない。
   政治資金規正法上の不記載となったお金の中身
   (不正な金が入っているか?)が勝負。
   記載しなかっただけでも罪になる(歩留まり)が、
   その金にゼネコン利権が絡んでいるかがポイン
   ト。

高野:普通普遍的なひとつの姿として、下請けは「政治
   家に話を付けました」などとへのご褒美として、
   受注する・・ということがある。
   実際、元請け(鹿島)から下請け(水谷)がその工事
   代金に上乗せして補填されたお金を本当に配った
   かは判らない。
   中抜けして内部留保する場合もある。

田原:水谷の元社長は?

星 :(脱税の罪で)受刑中。
   東京地検特捜に対して「5千万円を2回支払った」
   と話している。

田原:受刑中の人間が何言っても信用できない?

星 :必ずしもそういうものではない。

高野:そういう構造があるということ。
   仮に水谷が五千万・1億を払ったとしても、それ
   が土地取引に関係があるというのをどうやって立
   証するのか?
   ほとんど不可能だと思う。

大谷:宗像さんの話だと結局は贈収賄は成立しないかも
   知れないと。
   政治資金規正法で本来「政治家は何だか判らない
   お金を持っていてはいけない」という主旨だろう。
   実際には「何だか判らないお金」の記載漏れは過
   去いくらでもあった。
   今回の捜査は、公党の幹事長に対し「何らか判ら
   ないお金」はどういうお金だったのか?、
   国政を歪めたということを立証していくのが検察
   の仕事。
   国会議員の「何だか判らないお金」を全部点検し
   て歩くのは検察の仕事ではないはず。
   そこが抜けているのであれば、検察の暴走という
   批判が出ても仕方ない。

宗像:おっしゃる通りかも知れないが、
   本件のケースで検察はゼネコンの金が入っている
   かも知れないという具体的なものを取り上げて捜
   査に入っている。

高野:(ゼネコンの金が)混じっているというのをどうい
   う立証の仕方になるのか?
   石川が「土地を購入するのに金が足りないから持
   ってこい」と言ったというものでもあれば、直接
   の因果関係が出るが。

宗像:これだけの捜査が進んでいることは、水谷側が「い
   つ何処で誰に会ってどういう話しをして東京のど
   ういうホテルで渡した」かを(検察に)全部きちっ
   と話が出ているだろう。

郷原:そこまで捜査が進んでいるのであれば何故その事
   実が被疑事実にならないのか?
   選挙で選ばれている国会議員を逮捕するのに、今
   そこまで容疑事実が固まっているのであれば、当
   然「政治資金規正法違反」の何らかの不記載罪で
   やるべき。

田原:虚偽記載で逮捕というのはおかしい?

郷原:収入の総額が、何だかよく判らないが、足りない
   というだけ。

宗像:捜査の手法があって、今の(段階)は例えば水谷側
   が喋ってもこちらは喋っていない
   だが、お金はほぼ同じ時期頃にある口座に入って
   いるという報道がある。
   あとは誰かが供述すれば成立する。
   こういう事件はほとんど供述が中心となる。過去
   の贈収賄事件は全部供述中心。

小川:捜査の手法のあり方として、まず「入っているか
   も知れない」といういう見込みで、その事実とは
   直接関係しない犯罪被疑事実で逮捕している、
   これは「見込み捜査」だ。

田原:5千万が4億に入っている“かも知れない”・・
   根拠がないと。

小川:今のところは薄い。

宗像:それは誤解だ

小川:誤解ということはない。
   もしそれが検察で堅いのであれば 、そのことで
   捜査に入るべき。
   政治資金規正法という形式犯で逮捕しておいて、
   「あるかも知れない」という見込みの元で、謂わ
   ば別件捜査の見込み捜査をしている。

管 :検察は前回の西松の時に「国策捜査」だと批判さ
   れたが、今回権力は民主党の側。
   そのいう中での捜査は、慎重の中にも慎重に固め
   て捜査されたはずだ。
   元々は小沢さんが行って説明すればかなりの部分
   が明らかになることだ。
   (陸山会は)経理上極めて不透明なことをしてい
   る。

田原:(星氏に)
   この論議は、仮に水谷から1億もらったとしても、
   それが4億の中に入っている根拠はないではない
   かと。

星 :それは少なくても今の立件の必須要件ではない。
   今の段階では、8億あるのに4億しか記載してい
   ないという、ふわっとした「虚偽記載」の容疑で
   逮捕している。

宗像:私が「歩留まり」と言った意味はそれで、水谷の
   関係を立証しなくても刑事事件としては成立す
   る。
   だが、それでは非常に中身が薄い話になる。

田原:逮捕された3人が「私たちが虚偽記載をした、小
   沢さんは関係ない」と言い切ったらどうなるか?

宗像:そう言うかも知れないが、「その土地購入は誰が
   指示したのか、誰が物色したのか、お金は誰が準
   備したのか」という全体を見る。

大谷:だとすれば、小沢さんの自宅や個人事務所や議員
   会館の家宅捜査に入っていないのは何故か?
   本当にその容疑で小沢さんが「(土地取引を)知っ
   てたはずだ」「水谷のことも知ってたはずだ」「彼
   ら3人が勝手に虚偽記載したのではない」という
   のが検察の狙いであれば、堂々と家宅捜査に入っ
   ていけば良いではないか。

宗像:検察がそこまで狙っていると言っているのではな
   い。
   本件実態がいったい何かということを整理する上
   で、常に本人からの指示があったないか、自分た
   ちだけでやったのか、全部きちっとしないと世の
   中のあれ(批判)に堪えられないでではないか。

田原:二人が勝手にやったのか?、小沢さんが命令した
   のか?ということ?

宗像:政権与党だから手を出さないのかと言われるじゃ
   ないですか。

須田:ただ、昨日の小沢さんの発言を受けて、検察サイ
   ドは一斉に、「2004年の日歯連からの自民党橋本
   派への一億円記載漏れ事件を境に政治資金規正法
   は厳格適用するんだ」「規正法に関し虚偽記載が
   あった場合には起訴に持ち込むんだ」ということ
   をかなり強硬に方針を打ち出してきた・・と言い
   始めた。
   とすると、どうも(水谷から)1億円入ってるかど
   うなのかというのは関係ないと言っているのでは
   ないか?

田原:虚偽記載でやる(起訴する)ぞ・・と。

郷原:それは・・いくらなんでも、収入の総額が4億円
   足りなかったから、それで重大だとはさすがに言
   えないと思う。
   だからそれは、何らかの不記載・・具体的な収入
   が書いてないということを立証できなければ、い
   くらなんでも政治資金規正法違反として悪質なも
   のとは言えない。

田原:宗像さん、元々特捜部というのはそういうややこ
   しいよく判らない事件に取り組むんだといつか仰
   っていたが・・

宗像:非常に解明の難しい複雑な事件を解決するのが特
   捜の役目なわけだが、今のこの関係で言うと、歩
   留まりがあって4億円の不記載があると・・
   だから、それだけで終わったのでは全然その中身
   が薄い。
   「こんなもの起訴価値あるか」と言われますので
   ・・

田原:それでは「西松建設」と同じだ。

宗像:ですから、特捜としてはこれは「ゼネコンの資金
   が流れている」「ゼネコンの方は喋っている」「そ
   れを全然認めないではないか」ということで身柄
   を捕り鹿島も強制捜査して・・

田原:古いことを言って申し訳ないが、実は小沢事件で
   前に宗像さんに取材しましたが、あのとき西松建
   設の件で大久保さんを逮捕した、あのとき宗像さ
   んは「この逮捕はおかしい」と仰いましたよね?

宗像:私は政治家などを逮捕する場合は、贈収賄事件と
   か脱税とか、実体のある実質犯でやれというのが
   私の考え。
   政治資金規正法というのは色んな類件があって、
   あまりこれで政治家を失脚させるのは好ましくな
   いと私は考えていて、リクルート事件などは3億
   とか位の不記載でもあの頃は略式罰金だった。
   みんなあの頃の政治家の政治資金規正法で摘発し
   ましたけど。

田原:あれは皆宗像さんが主任検事をやった。

宗像:そうです。
   ただここ五年十年の間に(検察の)考え方が変わっ
   てきて、贈収賄の摘発も難しいと・・政治資金規
   正法というところで抑えようじゃないかと・・そ
   れも重大な犯罪なんだと考え方が変わってきた
   と。

大谷:それは本来の検察のあり方ではないのではない
   か?

宗像:(大谷に向かって、黙って何度も頷く)

田原:(星に向かって)
   今や、マスコミも国民も政治家も(注目している
   のは)、小沢さんが起訴されるのか、検察が起訴
   まで持ち込めるのか、個人的にどう思ってる?

星 :これは本当に予断も出来ない、とにかくギリギリ
   の攻防ですし、小沢さんがこの虚偽記載に対しど
   こまで関与していたのか、指示していたのか、知
   っていたのか、署名したのか、命令したのかをど
   うやって(証拠・証言を)取ってくるかですから、
   まったく五分五分。
   おそらく小沢さんも相当必死に自分の主張をして
   いますし、検察もまた必死ですし3人の供述次第
   ではないですか?

田原:(宗像に)
   私はおそらく石川と大久保さんは虚偽記載はあっ
   たと認め、自分たちがした、小沢さんは絡んでな
   いと。
   もし小沢さんが命令したとなったら政治生命ない
   ですから頑張りますよ。そのときにどうしますか
   検察は?

宗像:ですから、家宅捜査で抑えたそれ以外の物証など
   で立証が出来るかどうか、それが出てこない限り
   は駄目だと思うが、検察は今のこの捜査のやり方
   を見ても小沢さんの立件は視野を入れていると思
   う。

郷原:私は被疑事実を見てもまだまだ入り口で、何が悪
   いかというのも特定されていない。
   まだまだ小沢さんが容疑の対象になるというのは
   今の段階では考えられない。

田原:容疑の対象にもならない?

郷原:まだ本件が石川さん達の事実が固まるかの問題
   だ。

星 :先週のやつ(官報)で4億円の記載はあったが、そ
   れ以外の不記載の問題も弁護士の発言で石川さん
   自身が認めているから、ここの不記載の問題はあ
   る程度固まっている。

郷原:ただその件は今回の被疑事実にはなっていない。
   今回の逮捕事実ではない。

星 :8(億)マイナス4(億)の4(億)ですよ?

郷原:それは引き算であって、具体的な不記載というこ
   とには(逮捕容疑事実に)なっていない。

田原:郷原さんが言っているのは、「もしも本当に記載
   なしなら、“記載なし”ということですべきだと」
   いうこと

郷原:(無言で頷く)

星 :なるほど

田原:ところが少なく記載したと、虚偽記載ということ
   で逮捕したというのはおかしいのではないかと。

郷原:(大きく頷きながら)・・ということです。

宗像:それは、どういう被疑事実を立てるかの問題で、
   今証拠関係を見ていないから、その議論を今して
   もあまり意味はないと思う。

田原:何が問題?

宗像:問題は、4億円の中身が何であったのか、その4
   億を小沢さんが自分で全部出したのか、そうでは
   ないのか、というところ。

高野:そうすると、水谷の1億がそうだとして、あとの
   3億も全部糾明しないとおかしいということにな
   る。
   そうするとお札に判子が捺してあるかという話
   で、架空の話になってくる。
   「土地を買うから金を出せ」と言ったというので
   あれば別だが。

宗像:それは、証拠構造というか、犯罪の立証とかをお
   解りになっていない。

管 :政治資金規正法というのは非常に透明なもので、
   国民の皆さんの判断に委ねるという形に出来てい
   る。
   しかし今回の陸山会のやつというのは極めて不透
   明に、経理操作が複雑に、土地を購入したときと
   その収支報告書に出したときと年度を変えるなど
   様々な工作がされている。
   問題なのは、小沢さんは西松の時に公判で検察が
   指摘したけど、公共工事に政治の影響力を与えて
   献金を受けているという話もあった。
   それと陸山会で、その他に建物を十いくつ買って
   いる。政治資金で建物を購入するなどは政治家と
   して行うべきではない。

田原:前代未聞だと。

管 :だから、小沢さんという人は不動産を政治資金で
   増やしている。
   それでかなり無理矢理に今回のこと、結果として
   どこから来たか判らない4億円という話になる。
   それを調べるのは当たり前だ。

田原:(小川に)
   小沢さんには小沢さんの言い分があるわけ。何故、
   小沢さんは事情聴取に出てそういう説明をしない
   のか?

小川:小沢さんの話だと、4億円の使途については弁護
   士を通じて検察に説明したと。

田原:貴方の話だと、事情聴取に応じないから検察は頭
   に来たと言っていたが、何故応じないのか?

小川:それは小沢さんの考えだが、弁護士を通じて訊か
   れるべき事は説明したからそれで宜しいでしょ、
   と。

田原:宗像さんそれはどうですか?

宗像:まあ政治家の人が取り調べに応じて喋るか否かと
   いうことは検察は関係ない。
   リクルート事件で藤波さんは全面否認、ゼネコン
   汚職で中村喜四郎さんは全面黙秘。

田原:田中角栄も全面黙秘

宗像:だからそういうものは求めない。
   ただ、調べには応じて欲しいというのはあるが。

田原:やっぱりその水谷建設の金が実際4億に入ってい
   るかどうかが一番問題だと思うが、それを検察は
   握っていると見て良いか?

宗像:検察は証拠を握っていると思う。

郷原:やはり小沢さんがもっと具体的に丁寧に説明しな
   いといけないと思う。
   昨日党大会の場で説明した、預金口座まで特定し
   て検察に知らせたと。
   ただ、自宅に現金として98年より置いていたと
   言われているが、それは何故なのか。
   それが政治家の場合よくあることなのか。
   その辺の説明をしっかりしないといけない。

田原:小沢さんのお父さんが引退したのはいつか?

星 :1969年で40年前。
   そのとき初当選したわけだが、そのときから遺産
   をずっと持っていたのか?
   政治家の場合には資産公開というあるので、小沢
   さんが預金を持っていたらどこかで引っかかって
   くるわけだが、新聞社で調べてもまだ見あたらな
   い。

小川:普通預金というのは公開の対象にはなっていない
   です

大谷:検察としては、もし起訴したとしてもあくまで実
   行行為者は石川さんであり大久保さんだと思う。

(宗像何度も頷きながら聞いている)

大谷:虚偽記載ないしは不記載に関して言えば。小沢さ
   んが指示したなり命令したと。実際、そのお金の
   中に不正なものが入っていたと。
   だから公党の幹事長を起訴したということが果た
   して通るのか?

田原:それは宗像さんもたぶん通らないと言っている。

大谷:私は通すべきではないと思う。
   だとすれば起訴ということはあり得ない。

田原:例えば仮に水谷の金が入っていたとしても、彼(小
   沢)は野党だから職務責任がないんだ。

大谷:きっちりそれが立証することが出来て、それがこ
   ういうお金なんだと・・

宗像:つまり、今の虚偽記載だとかについて、捕まった
   3人がどういう供述にするによって決まると言っ
   ていいだろう。

田原:彼らが全部「俺たちがやったので小沢さんは知ら
   ない」と言えば?

宗像:それはそのように否認しても、他の物証、メモと
   か資料が出てくれば違う。

大谷:それが出たところで規正法ですよね?せいぜい
   果たして規正法をそこまでそこまで解釈して良い
   のか?

田原:問題は、これから立証がそこまで出来るかどうか
   だ。

NHKの存在意義

子どものころ、親戚の家に行くとそこは「NHKしか見てはいけない家」だった。チャンネルのつまみは撤去され固定されていた。従兄弟たちは、学校での話題についていけずにかわいそうだなと思ったものだ。何たるNHKに対する絶対的信頼・・・。

THE JOURNAL内でNHKの報道のあり方に対して、かなりの異論が見られる。私はNHKの報道を見ない(他局も見ない、時間的都合で)のだが、「民営化せよ」といった意見には反対だ。

理由は「市場原理にまかせていては、絶対につくれない番組がある」ことにある。

ドキュメンタリーなどにも見るべきものがあるが、特に私が思うのは、「自然」をテーマにしたものである。いつだったか、猛禽類のミサゴの特集番組を見たが、すごい。一年間を通じてミサゴの生活を追うのであるが、ミサゴという鳥は水中に脚からダイブして、魚を捕らえるという珍しい鳥である。水中カメラでその様子を克明に捉えているのであるが、魚がいるであろう場所、ミサゴが飛び込むであろう場所、リサーチだけでも大変である。いったいどれくらいの時間が撮影にかかったのであろうか。

それなら、「有料番組」にして、その番組だけ買うシステムでいいじゃないか。ということになるのだろうが、まぁ、つくらないし、つくれないだろう。

そして、なにより番組を見なければ、その内容はわからないのであるから、「脅威、ミサゴの動体視力!」というタイトルだけでは、私は買わないのだ。

はっきりいって、市場原理の元では決してつくられない、民放局では不可能な、芸術の域にまで達した番組である。それをまた、変なぬいぐるみみたいな奴が出てきて、子供向け風にアレンジしているのだが、あれは大人が見るべき番組であったように思う。

幼児番組の完成度も秀逸である。ベネッ○などのCG・ストーリーの粗雑さがかえって目に付いてしまうほどである。

要するに私が言いたいのは、「報道」という分野は、災害情報などの特定の分野を除いて、民営化するか、民放にまかせ、「教養番組」に特化すればいいのではないかということである。そして、放送後のVTRはネット上などで検索可能にし、いつでも無料で配信してほしい。

日曜日の午前中に、ふと見た「日曜美術館」に見入ってしまい、そのあとサンプロって方いませんか?


戦争は何故起こるのか


 以下は私のブログの記事を少し修正した物だ。私のブログ中の「平和教育の危うさ」や「あの戦争は間違っていたのか」などでも書いていることなのだが、そもそも戦争は何故起きるのかをまとめて書いてみたい。
 
 人類の歴史始まって以来戦争は常に有ったようで、最初は家族単位の少人数同士が石や棒きれを振り回して戦ったのがおそらく戦争の最初だろう。時代が下るに連れその規模が次第に大きくなり、武器も弓や槍、剣になり、銃が使われるようになり砲が使われ、そして戦艦や戦闘機が現れ爆弾が使われ最終的にはミサイルや核兵器が使われるようになった。規模も数百万から数千万人数億人の人間を巻き込む世界を二分した物にまでなり、もし今核兵器を使った世界全面戦争になったらおそらくそれで人類の歴史は終わるだろう。
 
 それは誰もが知っているので、現在では少なくとも先進大国同士の全面戦争はまず無いと思われる。もしそんなことになれば、勝者など存在せず、双方が壊滅的な破壊を受けるからであり、そんなことになるよりはかなりの妥協をしても戦争を回避した方がよいと、まともな国なら考えるからだ。
 
 そもそも、戦争とは自国の利益を守るために他国に犠牲を強いる手段の一つであり、その手段として暴力を使う手段なのだから、昔のように圧倒的な力の差があって強国が弱小国を一方的に攻撃して従わせる事が出来た時代はそれが一番手っ取り早かった。しかし、現代の大国同士では犠牲が大きすぎる。
 
 しかし、自国の利益を守るために他国に犠牲を強いるやり方は、もし可能であれば自国の犠牲を最小限に押さえたまま行いたい。出来るなら相手国の抵抗も最小限にしたいというのが現代の戦争に代わる方法だと言えよう。すると、なおさら必要になるのが相手国を恫喝する手段となる。言うことを聞かなければぶっつぶす、とダンビラをかざすあのやり方だ。
 
 これは相手によってはかなり有効なのだが、相手もそんなことばかりされていたのでは堪らないから相手のダンビラよりも大きなダンビラを用意する。するとこちらはダンビラを二本持つ。いや三本持つ、槍も持つ鉄砲もと際限なくエスカレートしているのが現代の軍拡競争と言うことになるだろう。
 
 最新型の核兵器など実際に使ったら相手からもそれに応じた報復を招くし世界中の敵意を買うので使えないのが実情であり、結果現代の最新大型兵器は使わないことを前提としていると言うことになる。ただし、それほど大きくない兵器は、明らかに報復能力が自国より小さな国に対して小突くのには使える。アメリカやロシア、中国などがやっているのは正にそれであり、日頃強大な軍事力を威嚇に使いながら、時にその能力を見せるのが今流行のやり方だ。実際に現代の戦争とはそんな形になっている。
 
 そもそも、戦争は外交の一手段として国際法でも制限付きながら認められているが、実際は侵略戦争を禁じているのであって、自衛権は認めている。当然戦争の当事国は侵略戦争などとは言うはずもなく、自衛戦争であると主張し、結果として戦争は無くなっていない。
 
 だが実際の所、世界を二分するような大戦争はおそらく起きないだろう。それが何を意味するかまともな人間であれば理解するからと先にも書いた。
 
 しかし、世の中まともな人間ばかりではないし、またまともな人間だけが戦争開始の決定権を握っているわけではない。困ったことに誰もが望まないのに戦争が始まってしまう可能性がある。
 
 たとえば、日本は戦争をしないことを憲法で謳い、専守防衛に徹し、集団自衛権も放棄し、法律ではないが核を持たないと国際的に約束をしている。と言うことは日本には多少の無理を押しつけても譲歩をするという認識を相手国は持つ。実際にチャーチルの言葉だと伝えられているが、日本は譲歩を押しつけると一歩退く。それならと、もう少し押しつけると、また退く。そうやって何度無理を押しつけても飲むので、最後にはもう反発することはないだろうとさらに無理を押しつけると、その瞬間猛烈な反発が返ってきて不意をつかれる。そんなにいやだったのならなぜ最初からそう言わないのか理解出来なかった、とのことだ。チャーチルが本当に言ったかどうかはともかく、今の日本の姿勢を見ていると納得は出来る。
 
 つまり、相手の思考が自分と同じだと考えるとこのような危険がある。そして、戦争はこのような勘違いから起きてしまう、あるいは誰も予想をしていないのに起きてしまうケースもあり得ると言うことだ。
 
 いまその危険を冒しているのが北朝鮮であり、精一杯軍事大国であると背伸びをし、核開発やミサイル開発で国民が飢えに苛まれてもとにかくありとあらゆる不正手段を含めてかき集めた金を軍事力増強に努めているが、それでも北朝鮮をまともな交渉相手と考える国はない。国際的に発言力もなく文化力もなく魅力もなく好感ももたれていない北朝鮮が唯一他国の注目を集め言葉を聞かせる手段は軍事力しかないのだ。
 
 北朝鮮のような国はアフリカ等にもあるが、いかんせん軍事力がないので誰も見向きもせず悲惨な内戦に明け暮れ国は荒廃の一途だ。そして軍事力がなければイラクのような目に遭わされることを心底恐れた金一族と取り巻き連は、なにしろ核を作りそれだけを交渉の手段とするわけだが、それはぎりぎりの状態になれば他の国でも同じ事なのだ。
 
 むろん、外交努力で自国の国益を守るのが最優先だが、それは相手の有ること、相手が譲らなければ最終的に軍事力での恫喝が物を言うわけだ。
 
 北朝鮮は一部の指導層の存在だけが目的で国民はその道具だが、他国に譲歩することはその指導層の生存自体が危うくなる。つまり、蟷螂の斧しか交渉手段がないのに他国と譲歩する余裕がほとんどないせっぱ詰まった状況にある。むろん、北朝鮮が核などを日本に撃ち込めば、北朝鮮自体の存続が危うくなり、指導層の生存も危うくなることは知っているだろうから、核を持ったと言ってもそれをやたらに使うことはしたくないだろう。だが、いよいよとなればそんなことも言っていられず、一か八かをかけてやりかねない。もしかしたら米国や中国が日本をなだめて反撃するなと言うかも知れないし、米中戦争を避けたい両国が日本を助けないかも知れない。日頃、同盟国が攻撃されても助けないと言っている日本なのだからそれは十分考えられる。それなら日本に核を撃ち込んで、それで米中が北朝鮮の要求を呑む可能性もある・・と言うことになる。
 
 また中国も別に日本と戦争をして得をすることがあるとは考えていないだろうが、国策として日本敵視政策を採ってきた関係上、国民には日本が残虐な侵略者であり、しかもその清算をしていないし認めもしていないし謝罪もしていない国だと教えている。つまり、全て悪いのは日本だと国民に教育を施してきた。なにしろ、情報を閉ざしコントロールし、思想の自由を閉ざしてきた中国だから、国民は一方的な刷り込み教育を受けている。
 
 また、中国人にとって昔から芝居がかった見栄が大切であり、若い中国人などには自分が如何に日本に敵意を持っているかを蕩々と語ることで自分を愛国者としてみせる傾向がある。内心はともかく、それが自分を認めさせる手段で有れば、別にただで出来るのだからためらう必要はない。本当は日本アニメやJ-ポップを好きで、日本製品を愛好していようが、公共の場では打倒日本、日本鬼小、小日本を叫んで憚らない。事実、その種の事件は各地で無数に起きており、当局が押さえようとしても押さえきれない状態だ。サーチナなどを読めば当局の苦労と、中国人の愛国主張がせめぎ合っている。しかし、反日意識がいつでも反共産党意識に変わりうることを共産党は恐れている。なにしろ、共産党は国民から恨まれているのだ。
 
 最近とみに求心力を失ってきた共産党は日本を敵視することでしか自分たちの正当性を主張出来ず、、もし国民の総攻撃に逢えば自らを支えることが出来ない。つまり、国民が反日意識を高めていけば行くほどその間彼等の敵意が自分たちに向いてくる可能性がひくいので、反日意識を押さえることが出来ない。もし、それに失敗して共産党が日本に対して弱腰だと見られれば、国民の不満が共産党の打倒につながり、それはすぐに指導層の死につながりかねない。
 
 日本やアメリカなどの民主国家では、仮に政権交代があっても旧政権の指導者達は最悪議席を失うだけだし、生命の危険などない。そして、政権の奪還も十分窺える。しかし、中国では、権力の座から引きずり降ろされることで、失脚や自宅軟禁ならまだしも生命を失いかねない。したがって、何としても自分が生きている間は共産党指導部の席にしがみつかなければならないし、自分の次の世代のことを考える余裕などない。
 
 中国の発展にはどうしても日本などの投資、技術が要る。しかし、日本に妥協の姿勢は見せられない。毒餃子でも、ガス田開発でも尖閣列島でもとにかく日本に譲ることは自分たちの弱腰と見られ、人民の怒りを買う。日本に譲りたくても出来ないのだ。
 
 かくて、誰も望まないのに日中関係は険悪化し、日本敵視政策を改めない中国に対する日本の警戒感も増すし、とうぜん対抗上軍拡をしなければならない。なにより、民主国家である日本では、国内世論が対中警戒に移り、中国敵視意識が高まってくれば、政府としてはそれに答えなければならないのだ。かくて、日本政府が国内世論を押さえきれなくなることも、民主国家故にありうる。
 
 アメリカではよくこういう事が起きるし、日本もかつてそうだった。ドイツはそれをナチスが利用したのだ。民主国家とは違う意味で、己の生存がかかっている中国共産党が人民の主戦論に逆らえるはずがない。
 
 ただし、これは最悪のシナリオであり、こうなる可能性はかなり低いと思いたいが、全くないと安心することは出来ないし、万が一にでもこうならないための手段を真剣に考えておく必要がある。
 
 日中とも戦争は望まないが、日本が専守防衛で核放棄を宣言していれば、中国の対日圧力が弱まるはずがない。そして譲るだけ譲って、国の存亡が危うくなる時点で爆発する。このような戦争も十分考えられる。
 
 したがって、中国の指導者に対日圧力は危険だとのメッセージを送り、また彼等に国民向けの対日融和の口実を与えるためにも日本が虚仮威しの軍事力増強と、集団自衛を含む先制攻撃の選択、および大規模な核報復能力を持つ必要がある。それが、中国をして思いとどまらせる唯一の方法だ。彼等は力の信奉者であり力を見せない限り理解しないのだ。
 
 現代の戦争は誰も意図的に大規模な物を起こすことはないだろうが、圧倒的な力の差が有れば限定戦争はあり得る。そして、誰も望まないながら戦争に向いてしまうこともあり得る。
 
 私のブログで「平和教育の危うさ」でも書いたが、戦争を避けるためには、そしてきわめて特殊な事情を抱えた中国と軋轢を抱えている日本は、強大な自衛力を持つことでしか戦争を防ぐ方法がない。絶対それが可能かどうかは誰にも分からない。だが、一番大きな可能性ではあろう。

 そこで出てくるのが、前にも書いた民主政権の危険性なのだ。民主党は日本が抱えている安全保障上の問題を全く無視している。戦争を避けるためにも国民に今日本が向き合わなければならない危険性をきちんと国民に知らせ認識させる必要がある。具体的には中国と北朝鮮の危険性だ。
 
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ttp://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/335650/

 民主党の小沢一郎幹事長率いる同党訪中団の派遣を機に、民主党内で日本と米国、中国の関係は「正三角形」であるべきだとする意見が勢いを増している。同党の山岡賢次国対委員長は14日、中国・上海市内で開いたシンポジウムで、小沢氏と胡錦濤国家主席との会談でも正三角形論が確認されたと披露した。 ー以下略ー
 
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 少なくとも東アジア共同体構想で日米中が三角形の等距離にあるべきだなどと言うようでは救いようがない。
 
 それを言うと、これらの国が今日本に戦争をしかける理由があるのか、との反論が来る。私も言っているように、今はおそらく無い。中国がそれを望んでいるとは思わないが、だからといって中国と無条件の融和政策でよいのか。中国に誤ったサインを送り続けることで危険性を増しているのではないかということだ。誤ったサインとは、日本が中国にこうすることが出来ないはずなのに日本に妥協することは共産党の弱腰外交になるという理由を彼等に与えることだ。
 
 いずれにせよ、中国の実態をもっと知るべきであり、どうすれば彼等に日本敵視が危険を生み出すのかを理解させること自体が、戦争回避には必要なのではないか。そして、力の信奉者である彼等には、力を示さない限りそれを理解させられないし正しいサインを送ることも出来ない。
 
 正しいサインとは、日本には中国を壊滅出来る力があるから、日本とは妥協しなければならないとの口実を中国共産党が人民に示せる理由を与えることだ。理論も理念も通用しない相手に通じるのは、力以外にない。
 
 さらに、日本が大きな自衛力を持ち、核武装をすることでせっかくの平和国家としてのイメージが崩れ、世界から警戒される損失と、可能性が非常に低い核戦争に十分に備えない場合の損失とどちらが大きいか考えるべきだとの論もあり、確かにそれも一理ある。
 
 しかし、日本が十分な自衛力を備えることは国際法で認められており、核武装は十分な自衛権を保有するための正当な手段である。平和国家のイメージが崩れても国家の存亡に関わるわけではないし、また日本の平和への意志を示すことで十分に補える。一方可能性が限りなく低い、偶発全面戦争でももし起きれば国家が存続出来なくなる。
 
 両者の結果を比べた場合、今の損得の大小で考えるべき事ではないだろう。
 
 自衛力とは、相手からの攻撃力を上回る物でなければ意味がない。核攻撃能力を持つ相手に、通常戦力では自衛力にならない。最初から核攻撃はないだろうと言ってもそれは意味がない。日本が無抵抗で選良でもされない限り、エスカレートし、最終的には核攻撃で吐ければ日本を制圧出来ないとなれば、そうするだろう。だから、日本の自衛力には同然核武装を含まなければならず、それを持った正当な自衛力のみが平和を維持出来るとはそのことだ。
 
 それなのに、核武装論議それ自体がまったく認められない今の状況は異常だ。国民の間で広く時間をかけて協議し、その上でなお核武装をすべきではないというのであれば、それはそれで認めるしかないのではないか。

 小沢一郎  恐怖の大魔王 

小沢一郎に対する、国家権力・マスコミによる大攻勢は、一向に止みそうにない。
 説明しろ、検察と会えと繰り返す。
 聴取を受ければ、犯罪者扱い。
 説明をすれば、まだ足りない。
 何ゆえ、ここまで小沢は責められねばならないのか。
 そう、小沢こそが「恐怖の大魔王」だからだ。

 07年に、参院選で勝利し、昨年の総選挙で民主党は大勝し、政権を握った。
今こそ、戦後60年続いた日本のシステムを変更する時なのだ。
 日本のシステムとは、なんだろう。
 簡単に言ってしまえば、森羅万象あらゆる事柄において、官僚機構が決定権を握り、彼ら官僚に都合の良い状態を維持するシステムの事である。
 彼らが日本国を統治する際の道具が自民党だった。
 彼らが戦う武器は、法律であり、日米安保条約であった。
 この二つの道具で、彼ら官僚機構は、日本人の富を収奪し、自由に使ったきた。
 たまに出る釘は、田中角栄のように葬り去られた。
 法律の運用で。

 今、民主党は国の制度を変えようとしている。
 これまで、予算は、全て国の機関を通じて使用されるシステムだった。公共工事から、福祉政策に及ぶまで、全ての中間に「官僚の組織」が介在し、予算の執行に当たっていた。
 それが今年から変わる。
 大きく変わる。
 福祉も、農政も、国からのお金は、直接国民の手へと、手渡しされる「システム」に変貌を遂げる。
 官僚にとって、恐ろしい変化だ。
 中抜きが出来なくなってしまう「システム」なのだ。

 今年、民主党は、特別会計に手を突っ込もうとしている。
 官僚にとって、まさに恐怖だ。
 彼らが、彼らの為に積み立ててきた「宝の山」を、掘り返されるのだ。
 ここにあるのは、埋蔵金などではない。
 そんなもの、小さく見えるような巨額の金の流れなのだ。
 巧妙に隠され、積み立てられ、日本の地下水脈を流れる、一大金脈を表にさらそうとしているのだ。
 独立行政法人の形をとったり、公益法人の皮をかぶったり、その連中の「子会社」の形をとったり、様々に姿を変えた「国民の金」が、あぶりだされるのだ。
 
 これらの事は、生半可なことでは出来ない。
 巧妙に仕組まれ、隠されたシステムを、表に引きずりだすには、そのシステムを熟知した人間が、大きな力でやらなければ、まず不可能なことだ。
 一歩踏み込んだところで、迷路に引きずり込まれ、にっちもさっちも行かなくなるのが関の山なのだ。

 しかし、それを出来る男が一人いるのだ。
 権力のすべてを知り尽くした男がいるのだ。

 小沢一郎氏だ。
 (斉藤次郎氏とのタッグかもしれない)
 誰も、文句のつけようのない、権力の申し子のような政治家である。
 なおかつ剛腕は、つとに有名ときては、彼ら既得権益者にとっては、まさに「恐怖の大魔王」だろう。


 日本の従来のシステムに住み、利益を享受してきた連中にとって、小沢一郎ほどの恐怖はないだろう。
 94年当時とは少々変化したとはいえ、小沢の云う「自己責任」の社会では、官僚お得意の「規制」は、影をひそめざるをえないのだ。
 「規制緩和」とは、規制の陰に作られる「執行機関」がいらなくなることだ。そこで使う事の出来る「権益」と「金」を、むしり取られることを意味するのだ。
 だから、攻撃されるのは当たり前の事なのだ。

 小沢が犯した「犯罪」とは、既得権益者や彼らの仲間を打ち破り、自民党を破り、「民主党政権」を打ち立てた事なのだ。
 「55年体制を壊した事」が、小沢の罪なのだ。
 壊すための「数」を作る手法を、彼らは責め立てるのだ。
 「数」を多く持つ事を、「数の論理」と、反民主主義の理屈で攻め立てるのだ。

 これからも、小沢一郎に対する攻撃は、止む事がないだろう。
 参議院選挙で勝利し、真の国民の政権を確立し、旧体制をぶち壊しつくすまで。
彼らは、攻撃をやめないだろう。

 我々は、小沢一郎を守らなければならない。
 我々の唯一の武器が「小沢一郎」なのだから。

 小沢一郎を守ろう。

惟神
天の定めに唯一人
愛の涙は此処に裁ちなむ
麗しき輿の御魂振るべし

Marijuana should be legalized
2010 The Washington Post Company
Monday, January 25, 2010
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/01/24/AR2010012402748.html


連邦法による禁止政策の下で、州法によって大麻を合法化するという、一見矛盾するようにも見える政策で、国際条約による大麻規制を回避しようとしたものの失敗した模様のアメリカ合衆国民。しかし、我が国の"それ"よりは大麻に関する知識も理解も活動も遥かに進んでいる。


国際条約による大麻規制とその解釈について

"大麻、大麻樹脂並びに大麻の抽出物及びチンキは、1961年の条約の附表I、その特性は依存症を引き起こす可能性があり、乱用の深刻な危険性を呈する物資の中に掲げられており、それは、この条約に基づいて適用される全ての統制措置の対象とされている。大麻と大麻樹脂は、乱用の危険性と極端に限られた治療的な価値という有害な特徴を理由として特に危険であると考えられる、既に附表Iに登録されている15の物質から成る1961年の条約の附表IVにも掲げられている。これら15の物質の中に、我々はヘロインと大麻を見出すことが出来るが、コカインは見出すことが出来ず、それは附表Iに(のみ)掲げられている。"

"この分類構成は、大麻の乱用に関わる懸念と各国に国家の法律の下で大麻に対して最も厳しい規制を設計するよう勧告する条約立案者の要求を反映する。実際に、この二重分類法(附表Iに加えて附表IV、1961年の条約)は、加盟国に附表IVに掲げられる薬物の'特に危険な特性'のために、使用の禁止を含む、必要と認める如何なる特別な規制措置をも採択することを許可する。しかしながら、加盟国は、附表IVに掲げる薬物の特に危険な特性に照らして、必要であると考慮されるならば、あらゆる特別な規制措置を採るものである。この基準の非義務性は、実際にその履行のための条件であり、加盟国は'それが必要であると信じる場合にのみ、特別な措置を適用する義務がある'と再び述べる1961年の条約に関する国連のコメンタリーによって確証される。"

"したがって、1961年の条約は大麻に最も厳しい規制制度を適用することを提唱するが、その様な規制の必要性の解釈において、加盟国にある程度のフレキシビリティーを委ねるようである。この分類によると、大麻の使用と所持は、正式に許可された医療上あるいは学術上の目的を除いて許されてはならない(1961年の条約 第四条(c)、第三十三条、第三十六条)。加盟国はその不正使用を防ぎ(1961年の条約 第二十八条)、乱用を防止するために全ての実行可能な措置を執ることを要請される(1961年の条約 第三十八条)。彼らは、その所持もまた許可してはならず(1961年の条約 第三十三条)、彼らがそれをすると決めたならば、大麻の所持を処罰すべき犯罪とする権利を与えられ(1961年の条約 第三十六条)、不正取引目的の為の所持を犯罪的な性質の違反とする権限を負託される(1988年の条約 第3条 第1項 (a)(iii))。個人消費のための所持もまた犯罪とみなされる可能性がある(1988年の条約 第3条 第2項)。

この規定の制度の大麻に対する要求の過酷さは疑う余地が無く、調印した加盟国が国連条約を破棄することなく、仮定的な合法化制度のような大麻の非医療的な使用を許可することが出来ないことは明白である。 彼らは大麻の個人使用を妨げ、防ぎ、あるいは-- 必要であると考慮されるならば -- 禁止し、処罰する措置を設けなければならない(10)。

しかしながら、こうしたことの全ては主として調印した加盟国による条約の受諾に基づくものである。これは、加盟国が条約の基準を適用する機会と必要性を判断しなければならないことを意味する。条約は実際に自動発効ではなく、国際的な命令の国内法への転位において、加盟国は自由裁量権を与えられ、同時に国際的合意の解釈において、信義誠実の原則を適用する。これは、条約の文書における保障条項の存在を通して見ることが出来る:憲法上の制限に従うことを条件として(1961年の条約 第三十六条1);自国の法制の基本的な概念に従うことを条件として(1988年の条約 第3条 第2項);締約国はできる限り実施するものとする(1961年の条約 第二十六条 第2項);、これらの措置が必要であり又は望ましいと認めるときは(1961年の条約 第二十二条並びに第三十条第2項及び第4項)。1969年の条約法に関するウィーン条約第三十一条によれば、それでも、各国は条約をその趣旨及び目的に照らして誠実に解釈しなければならない。"

Chapter 7: Cannabis control in Europe

Danilo Ballotta, Henri Bergeron and Brendan Hughes (2008), A cannabis reader: global issues and local experiences, Monograph series 8, Volume 1, European Monitoring Centre for Drugs and Drug Addiction, Lisbon.

'First published in English as Cannabis control in Europe by the European Monitoring Centre for Drugs and Drug Addiction, Lisbon, June 2008'

http://www.emcdda.europa.eu/attachements.cfm/att_53377_EN_emcdda-cannabis-mon-vol1-ch7-web.pdf

大麻政策改正機構(Rivise Cannabis Policy Foundation、略称rcpf)の設立を目的とする個人による非営利のウェブサイトを運営しています。現在、会員登録希望者、翻訳などのボランティア希望者を募集しています。

"日本では無理だろう"、"社会的立場を守りたいので出来ません"などという声をよく耳にしますが、諦めからは何も生まれません。そして条件は皆一緒です。勇気を持ってお互いに助け合いましょう。どんなに性能の良い車でも、燃料が無くては走れません。

ご協力の程、よろしくお願いいたします。

以下の文章を書いてみました。
日本への影響の大きさは現時点では不明ですが、オバマ大統領のこの政策で世界の資本主義が改善されれば好いですね。
長文で恐縮ですが、皆様のご批判をお待ちします。

オバマ大統領の新たな金融規制
・・・経済危機再発防止への第一歩

先週1月21日午前(現地時間)米オバマ大統領がthe Volcker Ruleと称する新たな金融規制の概要を発表した。その発表当日に既に世界の大手投資銀行の株価にネガティブな影響を与えている。また、Populism(大衆迎合)の批判を発している海外有力メディアもある。数週間後に議会に提出される予定の法案の詳細が待たれる。この稿は、今後予想されるオバマ大統領の追加政策を含めて、アメリカを中心とする従来の過剰な金融資本主義の悪弊が是正され、過剰な市場万能主義や株主至上主義が軌道修正されて、健全な「新たな資本主義体制」が生み出され世界に伝播することを期待するものである。

the Volcker Ruleの背景と由来
この規制はニックネームの通り元FRB議長で昨年2月現経済回復諮問会議議長に就任したPaul Volcker氏主導によるものとされ、発表の場にはボルカー氏本人も壇上に控えた。この規制内容は昨年夏にはガイトナー財務相がその強硬さなどを理由に導入を見合わせたとされており、オバマ政権としては力の入った規制といえるだろう。オバマ大統領は、政権発足後一年を経過して政権として成果が乏しいという強い批判を受けて支持率の低下を余儀なくされている。先日のマサチューセッツ州では民主党議席を失って間もない。また、金融危機発生後のアメリカの金融規制は、特に大陸欧州との文化的な相違点や今回の危機発生源であるWall Streetの頑強な抵抗を受けている事情はあるにせよ、イギリスを含めた欧州に後れを取ってきた感が否めない状況もある。そのような政治環境下での局面打開策としても、金融の健全性回復政策に力が入るのも「むべなるかな」と思われる。

1月14日発表の大手金融機関への特別税との比較
過ぐる1月14日に発表された米大手金融機関に対する特別税(巨額ボーナスを支払った場合に金融機関に追加的に課税する)は、金融機関救済に投入して被った損失を国民に取り返す政治的意義が説明されている。他方でこの特別税は、経済的には特定の大手金融機関の巨額ボーナス支払を間接的に挫くものに過ぎない。危機の元凶である金融機関の形振り構わぬ利益追求の欲望と危険な金融取引自体を規制するものではなかった、即ち、金融危機の真因に直接的に切り込む対策ではなかった。
これに対して、今回の対策は、議論の余地はあるにせよ、金融機関の過剰リスクによる過剰な収益力の源泉にずばりと切り込んだ。今回この挑戦が成功すれば、狙い通りに金融機関の異常なリスク取引は消滅し収益は圧縮され(とはいえ、一般のサービス業や製造業の収益レベルにまで低下する保証は無い)、今までのような天文学的な巨額ボーナスは姿を消すことになるだろう。大きな収益機会を奪われる大手金融機関は発表当日に既に反対を表明しており、法案成立に反対するロビー活動も活発だと伝えられている。高い配当を享受してきた機関投資家や富裕な投資家層も反対に回るだろう。この規制の実施は容易なことではない。このような状況からPopulism批判は行われているが、筆者にはこのPopulism批判は狭隘で見当違いな観方だと思える、今回の経済危機はアメリカ金融資本主義が造り出したという側面と世界が大きな危機認識共有しているのだから。何事によらず、原点回帰を迫られる時には、理想主義的Populismになるものである。

今回規制の内容
今回の規制のポイントは次の二点にある。
一つはLimit the Scope(業務範囲の制限)。金融機関の無謀なハイリスク商品や未公開株式の販売や所有とその手段となったヘッジファンドとの連携支援などの業務を禁止する。規制の真のターゲットは投機的取引全般なのだろうが、そんな雑駁な表現はできないためproprietary trading operations unrelated to serving customers(顧客サービスには無縁の証券売買取引。自己利益を目的とした取引。)という新しい概念を導入し規制対象とした。
二つ目はLimit the Size(負債Liability規模の制限)。Too Big To Fail(大き過ぎて潰せない)の呪縛は、嘗ての日本でも徘徊したし、またGM然り、事業内容に拘らず世界が共通して抱えてきた問題であった。その呪縛は今回の金融危機でも勝利し、リーマンという例外は造ったが大手金融機関の救済が続出し巨額の税金が投じられた。オバマ大統領は、今回の規制の発表の場で納税者のカネは二度と再びこの呪縛に乗って金融機関救済に投入されないことを宣言した。

今回規制の設計上の特色と課題
扨て、今回の規制の有効性を含めて設計上の特色を考えてみたい。
先ず業務規制について、新しい規制には新しい概念が有効なケースは多いが、その概念の定義が容易に理解され共有されなければ無用の混乱を招くことになる。proprietary trading operationsが単純明快に定義される必要があるし、法案の中で定義されることを期待したい。
また、この規制は顧客サービスか否かを拠り所としている部分があるが、顧客は複雑で多様である。大手金融機関の顧客の中には、ハイリスクを恐れずハイリターンを狙う果敢で無謀な機関投資家やファンド(最終的投資家には個人も含まれる)が存在する現実がある。このような顧客の無謀な要望に応じることが顧客サービスとして規制の対象外となるなら、金融市場全体としてDerivativeなど危険な金融商品も存(ながら)えることになる。嘗てのサブプライムローン証券やCDS(Credit Default Swap)取引では、投資家は自らの意思と判断でリスクを取って利益を求めたという事実は変わらない。売り手の金融機関でさえ適正な価格FairValueを計算できなかった(理屈上の計算方法だけは解っていたが)という事情は後付けの責任論に過ぎない。後付けの責任を厳しく追及しても、肝心な悲惨な事態の再発防止策にはなるまい。

次に負債規模の規制については、Too Big To Failという呪縛を撲滅する狙いは至当とはいえ、金融機関をSmall Enough To Fail(筆者の造語。破綻に適度な規模)に抑え込むために導入される「負債増加の限界シェアー」は、その狙いの遠大さとの比較で余りに迂遠で枝葉末節な要素に観える。借金で取引規模を膨らますレバリッジ取引は圧縮されるだろうが、CDSなどのDerivative商品や金融先物といったハイリスク金融取引は、想定元本は巨額になるが契約時の現金は少額で済む(従って、規制対象の負債の増加も少額で済む)。然もオフバランス取引であり、この規制が有効になるには会計分野などで新たな工夫と関連規制を必要とする。規制の構造が複雑になるということは、成果が出るまでには時間が掛かるということであり、規制の穴を探り擦り抜ける方法を編み出す時間を与えるということでもある。今後の単純化が望まれる。

今後の大きな課題は、新しい価値観や根本理念
アメリカの国内政治がこのオバマ・ボルカー提案にどのような決定を下すのかは、アメリカ政治の門外漢の筆者としては他の論者に委ねるとして、筆者としては二つの大きな経済的課題を挙げておきたい。
一つは、今回を含めてオバマ大統領の一連の対策が依然として対症療法の域を出ておらず、それら対策を支える新しい価値観や根本理念が未だ見えていない。敢えて見せていないのか。
目先の必要に迫られた緊急の対症療法や小さい問題への対処であれば新たな価値観などの必要性は小さい。然し、オバマ大統領が今回の金融危機の深い真因を的確に突くことを狙うのであれば、換言すればアメリカの経済社会を過剰な金融資本主義から脱却させて製造業の復活や中間層の再生など経済と社会の構造的変革を狙うのであれば、新しい価値観や根本理念の下に明確なベクトルとモーメンタムが与えられる必要がある。それらがなければ、米大手メーカーなどの短期的利益を重視する短視的な経営姿勢や巨額の役員報酬を支払ってきた決定は放置されたままとなる。カネでカネを生むことを生業にする年金基金などの歪んだ意識の変革も起こるまい。オバマ大統領は核廃絶をコミットしイラクからの撤退を決定するなど理念先行型のリーダーである。金融界のスパースターともいえるボルカー氏を新設の経済回復諮問会議の議長に招聘したことが真に新しい価値観などの創造に狙いがある想定すると、今回の規制はその大きな狙いへの第一歩、the Volcker Ruleの第一章になる。
少し先読みが過ぎるかもしれないが、先ずは最も優先されるべきは金融規制、その後に産業界を含めた経済社会全般の改革という順番か。理念先行型のリーダーといえども、事柄によっては賢明にもボトムアップ方式を採用するということか。特に国家国民に重大な影響を及ぼす経済社会の変革には、順番を追って一歩一歩前進するということか。
今後の追加規制導入と新しい価値観や理念の創造への期待が大きい。

二つ目は、欧州と規制の同一歩調が採れるかが課題となる。人も資金も自由に国境を超えるGlobalizationの今日、ビジネスの海外引っ越しは容易になった。特に投資銀行の場合、ノウハウと顧客を持った人材と資金が整えば、直ぐにもビジネスが海外へ引っ越しできる。主要国の規制の歩調を合わないと、或る一国での厳しい規制は直ぐにも尻抜けになる。欧州と一言でいっても、考え方が一枚岩でも各国の国内状況が似通っている訳でもないので、同一歩調は複雑になる。乱暴を承知でザックリと欧州を二分割すると、イギリスと大陸欧州に分かれようか。Cityを擁するイギリスは世界に先駆けて金融資本主義に移行した面があるので、規制当局の歩調は合い易いかも知れない。英金融業界は強く反対するだろうが。
ドイツやフランスなど大陸欧州は元々金融資本主義的なるものに抵抗感をもっている国が多いので、大きな政治的論点は個別的な規制の議論よりも規制の根底に流れる価値観や理念に焦点が当たるかも知れない。その価値観や理念を誰が造り出すかという国際政治の主導権争いの世界になるかも知れない。


現在オバマ大統領が注力している製造業の国内回帰と復活や新エネルギー関連の新規事業化などが総体的な中間層の再生に繋がれば、アメリカの経済構造が健全なChangeを果たすことになる。その経済構造のChangeが完成するまでは極めて困難で微妙な政治の手綱捌きが不可欠になる。今回の規制は、その大きな課題への第一歩、the Volcker Ruleの第一章になると期待したい。ボルカー氏のチーム名は、経済回復諮問会議Economic Recovery Advisory Boardであって、「金融」回復諮問会議ではないのだから。
(日本人を止めた)無国籍人

マスコミは、なぜ虚偽記載の中身について検察を追及しないのでしょう。

「小沢さんから受けた4億円が収支報告書に記載されていないとして・・・」このことのみで重大な虚偽記載が成り立つのか、成り立たないのかという議論がまったく成されていないのは何故でしょう。

 検察・報道のやりかたについて疑問視する声が、まったくないのは何故でしょう。

少し会計を知っている人間ならば、逮捕や事情聴取をされるような重大な虚偽記載はどこにも見当たらないと解かるのですが、専門家と思える人達までも一切このことに触れないのは何故でしょう。
 
 もし、重大な虚偽記載が成り立たないとなれば、今までの報道のありかたに正義はなかったと言わざるを得ません。なにしろ、検察とグルになって世論を誘導してしまったのですから。

 尚、百歩譲って、軽微な虚偽記載があるのだからとして、これを認めることとした場合においても、それを理由に「小沢さんから受けた4億円」の原資の中に水谷建設等からの闇献金が含まれていると言う容疑をかけることが許されるものではありません。

これは、明らかに問題のすり替えですよ。

 こんな、論法が通るものなら、「小沢さんから受けた4億円」⇒「支払に当てた4億円」⇒「あなたの・検察官のサイフの中の1万円」の中に水谷建設等からの闇献金が含まれていると容疑をかけることも正当化されてしまいます。

 小沢さんから受けた4億円の原資を追及出来るのは、水谷建設等からの闇献金を受け取ったという確証を得ることが先であり、その金が収支報告書に収入計上されていないとして初めて重大な虚偽記載が成り立つのではありませんか。

 もっとも、闇献金が立件できたならば、重大な虚偽記載など、どうでもいいことになってしまいますから、漫才の話のようになつてしまいますね。

今、検察がやっていることは、

何の証拠もないのに見込みで違法逮捕・違法捜査をしている

のに、国民には正当な捜査と思い込ませる報道をしていることになりますよ。

 正義の心があるならば、世論を操作するようなまねはやめて、虚偽記載報道の誤りを訂正してほしいと切に願います。

涙さえ枯れ果てた今、唯この国の無常さに雷落とす! 

「がんの痛みが続いて耐えられない。死にたい」

説得5時間、「ごめんなさい」と男性投身自殺

(2010年1月20日11時37分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100120-OYT1T00435.htm

大麻がオピオイド系薬剤による治療で効果の見られない末期がんの患者の疼痛に治療効果があり、患者のクオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life,略語:QOL)の向上をもたらすことは、海外や日本の医学会では常識であり、実際に大塚製薬はカンナビノイド系がん疼痛治療剤「サティベックス(英語表記:Sativex®)」の米国における開発・販売に関するライセンス契約を2007年2月14日に締結しています。

参照;大塚製薬News Release2007年2月14日
http://www.otsuka.co.jp/company/release/2007/0214_01.html

大麻取締法第四条により、大麻の医薬利用を禁止することは患者の権利に対する侵害である。世界医師会による「患者の権利に関するWMAリスボン宣言」では、患者の主要な権利として「良質の医療を受ける権利」「選択の自由の権利」「自己決定の権利」「情報に対する権利」「尊厳に対する権利」などを挙げている。また、リスボン宣言では、医師・医療従事者・医療組織は、この権利を保障し守る責任があり、法律・政府の措置・あるいは他のいかなる行政や慣例であろうとも、患者の権利を否定する場合には、この権利を保障ないし回復させる適切な手段を講じるべきであるとしている。

それにも拘らず、何故このような悲しい事件が起きてしまうのでしょうか?

 もし、大麻を治療に用いることが出来たなら、患者の男性はがん性疼痛を緩和し、QOLを向上させ、かけがえのない貴重な時間を過ごすことが出来たかもしれません。

男性のご冥福を心よりお祈りすると共に、司法・立法・行政の不作為を追求します。

皆様、どうかご協力の程、よろしくお願いいたします。

内館牧子女史の日本文化論・・朝青龍にないもの

横綱審議委員退任によってその時機(チャンス)が到来したので、TheJournal編集部に標題の投稿ご手配を要望致します。

内館牧子女史が過去朝青龍の個別的な行動や発言に対して表明した不快感や拒絶反応などは私も一日本人として感覚的に理解した気になっていますが、朝青龍の問題点をその場その場の情緒的な評価ではなく、論理的にまた網羅的に明確にするには書き物にするに限ると思います。

その書き物が大きな意味を持つには、朝青龍を貶めたり非難する目的では決してなく(この限りでは無意味を超えて有害になる)、朝青龍を単なる題材と位置付けて様々な視点から、評価する/しない、合格/落第を与えるなどを基準を付して論じて、最後の落とし所を現代における日本人の性癖や日本文化の特質の核心に迫って欲しい。誇り高い内館牧子女史にしかできない斬新な日本人論・日本文化論を大いに期待します。

冷静に考えれば、内館女史の公表場所はTheJournalにはならないかもしれませんが・・。

 最近の虚偽記載報道は、間違いだらけですよ。
 陸山会の「政治資金収支報告書_平成19年 9月14日公表(平成18年分 定期公表)」を見れば容易に解かることなのに、まったくデタラメな報道をしていますよ。

 以下に正確な情報と、私の考察・Q&A・所感を述べます。

◆【2010年1月6日のNHKの報道より】
[ 平成16年 = 2004年 ]
①平成16年10月29日以前 400,000,000円 小沢自己資金より預かり金
②平成16年10月29日以前  10,000,000円 土地手付金支払
③平成16年10月29日以前 390,000,000円 複数口座にへ入金
④平成16年10月29日以前 390,000,000円 複数口座から陸山会に集める

⑤平成16年10月29日午前 342,640,000円 土地代金支払い

⑥平成16年10月29日午後 400,000,000円 銀行より入金(借入金計上)

◆【政治資金収支報告書_平成19年 9月14日公表(平成18年分 定期公表)より】
[ 平成17年 = 2005年 ]
⑦平成17年01月07日   342,640,000円 土地計上

[ 平成18年 = 2006年 ]
⑧平成18年01月01日   269,186,826円 前年からの繰越額
⑨平成18年の収入額    134,586,054円 
⑩平成18年03月31日   200,000,000円 小沢個人への返済額
⑪平成18年借入金返済額  28,010,088円 小沢個人への返済額
⑫平成18年借入金返済額  5,467,246円 銀行借入金返済額
⑬平成18年その他支出額  91,912,883円

⑭平成18年12月31日    78,382,663円 翌年への繰越額
⑮平成18年12月31日    56,500,000円 定期預金残高
⑯平成18年12月31日    35,928,973円 小沢個人よりの借入金残
⑰平成18年12月31日    36,399,529円 銀行借入金残

◆【平成16年10月29日午後~平成18年01月01日迄の考察】
01)⑧⑩により、⑥平成16年10月29日午後に銀行から入金された4億円の借入金は平成18年01月01日時点で返済が完了していることが解かる。

02)⑧⑩により、小沢個人からの借入金は平成18年01月01日時点で2億円の残があり、平成18年03月31日に返済が完了していることが解かる。

03)上記01)、02)により、⑥平成16年10月29日午後に銀行から入金された4億円を原資として、平成17年において銀行の借入金4億円を完済したと推測できる。

04)⑦平成17年01月07日の土地登記日をもって、342,640,000円の土地計上をすると共に、その原資として小沢個人からの借入金を4億円計上したと推測できる。

05)上記04)により、土地計上日が翌年となることから、①②⑤の収支報告書への記載は翌年平成17年に記載することも妥当と考えられます。

06)平成17年の収支報告書に①②⑤を記載することとした場合には、平成16年の収支報告書へも記載してしまうと、ダブリとなってしまいますから、平成16年の収支報告書へは記載してはいけません。

07)その場合の平成16年の①②⑤の解釈としては、小沢個人資金は収支報告書へ記載してはいけないのであるから、①は、小沢個人資金の預かり金と考えることとし、②⑤は土地計上迄の仮払的な性質のものであり小沢個人資金からの一時的な立替払いと考えればよいでしょう。

◆【Q&A】
Q1.お金があるのに銀行から何故借りる必要があるのですか?
A1.土地代金を支払った後に他の支払いもあるので一時的に資金ショートする危険性があったと考えられます。

Q2.複数口座にへ入金したり、複数口座から陸山会に集めたりしている訳は?
A2.有能な経理の実務者であれば、4億円もの大金があれば複数口座に振り分けて各銀行の取引実績向上及び別段預金を利用した名目上の各銀行月末残を2倍あるいは3倍にする方法を行うことは当然のことです。それにより、融資枠の拡大が望めますし、次回の借入がしやすくなるメリットがあります。

Q3.何故、平成16年10月29日付で登記しなかったのですか?
A3.固定資産税は1月1日において当該土地の所有権者に対して課せられることから、不動産業者が固定資産税を負担する契約をした場合には、登記日が平成17年01月07日ということについて何の不思議もありません。

◆【虚偽記載報道の間違いに対する所感】
1. 上記05)、06)、07)の通り、検察の言っている虚偽記載が冤罪となるのではないかという点に言及する報道がまったくないのは何故でしょう。
また、ここに述べたようなことを言う人が民主党の中でさえも1人もいないのは奇妙としか言いようがありません。まるで、検察に不利な報道はカットしてしるのかと疑いたくなります。

2. ③④複数口座にへ入金したり、複数口座から陸山会に集めたりしているのはマネーロンダリングではないかとの報道をして、あやしいお金の操作をしているから、小沢は悪いことをしているんだと思わせるように世論を誘導してしまったことは許されることではありません。
上記A2.のような意見も報道するのが公平な報道と言えるのではないでしょうか。誰も気がつかなかった訳ではありませんよね。貴社の経理に聞いてみれば解かると思います。

3. この騒動を見ている子供達は、集団で1人をいじめている大人達を見て、いじめをする側が正義だと勘違いするのではないでしょうか。また、「疑わしきは罰せよ」の心を植え付けられているようにも感じます。
   今、小沢バッシングをやることが正義だと思っている人が大勢いますが、正義と思い込んでやる“いじめ”程、始末の悪いものはありません。
   正義の心を持つ報道人、1人位いないのか。

以下YORONZへの投稿です。
タイトル
司法改革と日米地位協定
本文
私は法律の専門家ではありません。しかし、日本の警察・検察の取調べ及び刑務所の実態は、到底先進国の標準ではないように思えます。
米軍の兵士の容疑者を、取調べの段階から引き渡せないのは、弁護士が取り調べに立ち会う事ができず、自由に接見できず、取調べの可視化もされず、密室で拷問に等しい長時間、取り調べされる事も理由のひとつではないでしょうか?
つまりは「東洋の野蛮な国」だと思われてもなんら反論できません。
警察・検察上層部は可視化は絶対に受け入れたくないとの報道だが、それは結果、沖縄の米軍被害者に対する二重の被害をもたらしている。
また、刑務所においても、懲罰的に自由を奪われる事や刑務作業に従事しなければならない事を差し引き、風呂の時間も三日に一度15分とか、およそ政治犯収容所のたぐいで、文明国の刑務所にふさわしくない。
まずは、これらの改善なくして、「東洋の野蛮の国」の認識を変える事はできない。
司法改革は、日米地位協定の改善の第一歩になると、私は考えました。皆様のご意見をお聞かせください。

キャンベル米国務次官補来日で気になったこと

 今日、2月5日のワシントン時事の記事ですが、
 「キャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は4日、民主党の小沢一郎幹事長と2日に会談した際、同党で大規模な訪米団を編成し、5月の大型連休中にワシントンを訪れるよう要請したと明らかにした。キャンベル氏は小沢氏の回答については言及を避けたが、「小沢氏の都合もつけば、彼や他の党幹部を大いに歓迎したい」と述べ、小沢氏の訪米に期待を表明した。」

 とあります。さらに、

「キャンベル氏によると、会談で同氏は「政府関係者だけでなく、より多くの与党議員と強固な関係を築きたい」と述べ、訪米団の規模はできるだけ大きくするよう要望。訪米が実現すれば、オバマ政権の対日政策などについて説明し、理解を求めたいとの意向を伝えた。」

 とのことです。事実関係だけの淡々たる記事で、

 解説はありません。

 この件は、毎日が2月2日の会談直後に取り上げていますが、その内容は、

 「<小沢幹事長>キャンベル米国務次官補と会談 内容明かさず」
 との見出しで、普天間問題についての話し合いではなかったかとの推測記事です。

 2月5日の読売の記事は、

 「キャンベル米国務次官補は4日、日韓歴訪から帰国したワシントン郊外の空港で記者団の取材に応じ、日本滞在中の2日に小沢民主党幹事長と会談した際、5月のゴールデンウイークに民主党が大規模な訪米団を派遣する計画について要請し、前向きな感触を得たことを明らかにした。 
 キャンベル氏は、「小沢氏は日米関係に非常に熱心で、非常に安心させられた」と述べた。」
 と伝えています。
 ほぼ、時事通信と同様の事実関係だけの記事で、一切解説はありません。

 まあ新聞などの情報というのは、そんなものでしょうが、小生はいくつか気になった点が有ったので、触れておきたいとおもいます。

 先ず一つは、アメリカは、自民党を見限ったかなということです。
 
 5月の連休中の、日本の国会議員の訪米は、従来自民党議員団の定番行事でした。
 それが今回は、わざわざキャンベル国務次官補が訪日して、民主党の幹事長と会談し、訪問の要請をした。 

 報道にはありませんが、恐らく自民党には声がかかっていなかったではないでしょうか。
 日米関係について、これは大きな変化です。アメリカは、今後当分の間民主党が日本を切り回していくと、判断したということだと思います。

 二つ目は、面談相手の問題です。

 4月2日といえば、小沢幹事長の政治資金問題騒動の真っ只中で、大方の報道は、幹事長の起訴はないとの方向でしたが、一部の報道機関はまだ盛んに検察に起訴すべしと煽っていたタイミングでした。

 起訴されるかも分らない、政治家と、いかに最高実力者とはいえ会おう、更には5月の訪米を要請しようというのは、ありえません。

 米国政府は、恐らく、小沢幹事長の不起訴を、この2日の訪日のかなり以前に知っていたということでしょう。

 三つ目は、今回の政治資金騒動に関する新聞の世論調査の問題です。

 1月31日の世論調査で、毎日新聞は、
 「小沢幹事長の辞任が適当;76%」と報じていました。 

 更にネット上では、轟々たる検察批判がある中で、
 「検察の捜査は適切だ;71%」 との調査結果でした。 

統計学によれば、高々1,200~1,300の有効回答があるだけで、かなり正確なデータが取れる世論調査です。

 米国政府が、日本の世論動向について、独自の調査を行っていることは充分考えられます。

 彼らが取ったデータが、もし毎日新聞の調査と同結果であれば、このタイミングで小沢幹事長(国民の76%が辞任が適当と考えている)に、5月の訪米要請を行うでしょうか。

 彼らの調査では、民主党、内閣、小沢幹事長への支持は、政権の安定性が感じられるほど高かったのではないでしょうか。

 回りくどい言い方をしましたが、小生は、毎日新聞の調査は全く信用なら無い調査ではないかと判断しました。

 今回の、政治資金問題でつくづく感じたのは、日本の大手報道機関は情報を操作して、人々を特定の方向、(彼らが望む方向)に誘導する組織でしかなく、本当に腐っているなということでした。

 最もこれは、先進国、発展途上国を問わず同様で、発展途上国はあからさま、先進国は目立たないように巧妙にという差はありますが、支配・被支配のある国家では世界中同じでしょう。

 しかし、日本の人々は、その手に乗らなくなってきているのかな、日本の人々の学習能力は恐るべきものだなというのも、またいえるのではないでしょうか。

「個人情報保護」と「守秘義務」

「顧客」を相手とする仕事をする者に、常に付きまとうのが「個人情報の保護」だ。
これを犯す者には、かなり重い制裁が加えられる。法的な制裁もあれば、社会的な制裁もある。
ビジネスマンにとっては、とてつもなく重いルールの一つだ。

たとえば名簿。
顧客の住所・電話番号・生年月日など、業務上知りえた事柄を、一定の業務範囲の外へ漏らしてはならない。
これを犯せば、最悪の場合その職を失うこともあり得る。
本籍などに至っては、コピーなどを手にした段階で、黒く塗りつぶせという処置を命じられている。

金融業などは、顧客の登録に際して、その個人を「本人確認」せねばならない。
銀行などは、振り込みなどの業務のたびにこれを行わねばならない。
手元には、万一にも外へ漏らす事の出来ない情報がたまる。
そして、絶対にそれを外部には漏らせない。

証券会社も一緒だ。
誰それが、何を売った・買ったなどの話は、絶対に漏らす事は出来ない。
売買の情報など、外部に流出した場合は、下手すると「免許の取り消し」なども想像に難くない。

保険もそうだ。
この業界は、日本の金融関係では一番遅れた業界と言える。
たとえば、自動車の修理工場などが、保険を取り扱っている。
本業とは、まったく異なる業務を行っているのだから、かなりの無理が出る。
彼らの事務所には、保険関係のみならず、車検証などの個人情報がたっぷりとつまっている。
彼らは、自動車の修理を行う技術を習得してはいるが、情報管理の勉強はしていない。

電気屋さんにも、電話屋さんにも、美容院にも、顧客情報はあふれている。
そして、彼ら「一般国民」「一般のビジネスマン・ウーマン」は、絶対に、故意に情報を漏らす事をしない。
それをする事は、信用を失うことであり、下手をすると職業を失う事になるからだ。

公務員と、マスコミ人はのんきでいいな、と思う。
先日の「朝まで・・・」を見ての感想だ。

国民一般が負っている「個人情報保護」に当たると云うよりも、もっと厳しいはずの規制が、「公務員の守秘義務」である。
分限処分を含めた職業規制だ。
ところが、検察は、業務上知りえた秘密であるべき個人情報を、思い切り「自分勝手に」「自分たちに有利に」垂れ流す。
マスコミは、「リーク」が必要だと、恥ずかしげもなく発言する。
「リーク・・・守秘事項のたれ流しがないと仕事にならない」と、したり顔に語る。
ただ、その「リーク」の裏取りをしなくてはいけない、検察の思い通りに動くのはいけない、と語る。
確認作業さえしておけば、個人情報の保護など、「国民の知る権利」の前には、なんの意味もないと云う事なのだろう。

君たちは、神様かい。

「お前ら、馬鹿だろ」
「お前ら、頭がおかしいんじゃないかい。」
「特権階級なのか、お前らは」
と、言いたい。
問いたい。

業務上知りえた個人の情報を、その者の了解なく他のモノに知らせてはならない。
と、言う事の意味を解らないのか。
通常の社会で、これを犯すと、失業するんだぞ。
その事の意味が解らないのですか。

そう思って、今回の検察の情報垂れ流し問題を見つめてきた。
なぜなら、「容疑者」とされた人間にとって、警察なり検察での発言はまさに個人情報の最たるものであり、絶対に他の人間には聞かせたくない種類の話が多いはずだ。
だから、公務員の守秘義務は存在し、中でも警察・検察の守秘義務は、犯罪に絡むゆえに、さらに重い。
無罪が立証されようとも、違法な情報流出により、悪質な風評被害が起こりやすいからだ。
マスコミが、「裏取り」もせずに垂れ流すリーク情報は、まさに風評被害そのものになる。
おまけに、マスコミはその情報が間違っていても謝らない。たまに訂正記事を書いても、大騒ぎした時の情報量の数分の一もあればいい程度の「お詫び」だ。

個人情報保護が現在の日本ほど重く叫ばれる国はない。
それなのに、「守秘義務」は、公務員に対しても、「マスコミ」に対しても、あまり存在価値はないモノのようだ。
おっかないルールではないようだ。

先だっての「朝まで生・・」を見て、そう思った。

正義の味方のような顔の「報道人」までが、あんな認識では、この国に「公平な報道」などは望むべくもないのではないか。
がっかりである。

The Volcker Rule その2 発行市場と流通市場

1月21日にアメリカで発表されたThe Volcker Ruleのその後の状況を、株式市場について私見を交えて投稿します。
本論の前に、The Volcker Ruleの復習(基本部分のみ):
i) Limit the Scope(業務範囲の制限)。金融機関の危険業務を制限するもの。
ii) Limit the Size(負債規模の制限)。Too Big To Fail(大き過ぎて潰せない)に該当する金融機関の負債を制限し、納税者資金による金融機関救済の再発を防止する。

1. 上記のi)業務制限の対象から、新規に発行される有価証券の「引受業務」は除外されるようです=継続できるようです(一次情報は未確認、FT報道による)。健全な資本市場の機能(発行市場)が堅持されることは至当なことだと考えます。

2.現代の資本市場は二つの機能に分類できる。一つは上記の新規有価証券の発行に係わる発行市場(引受業務も含まれる。第一次市場とも呼ばれる)、二つ目は通常一般に我々が目にするもので、発行済みの有価証券を売買する流通市場(第二次市場とも呼ばれる)。
物語風に資本市場の歴史または発生経緯を表現すれば、或る「事業家」が新規事業(または既存事業の拡張)に必要な資金を募る際に機能したのが発行市場であり、そこで登場する「資本家」がその事業の失敗の可能性を検証してなお将来の成功見込みを高く評価して投資し株式(または社債)を入手する。その後、目出度くその事業が成功して、新たな別の事業の支援に意欲を持った資本家は手元の株式の換金の相手(「投資家」)を求める際に機能したのが流通市場である。

3.唐突ながら、私の不勉強を含めてこの種の説は余り目にしないが、私は、「健全な資本主義経済に資する資本市場」は第一義的には発行市場だと確信しています。流通市場はその第二義的な存在に過ぎない。そして今や強く批判されている強欲資本主義や市場万能主義の主たる(唯一ではない)対象は流通市場であったのだと考えています。勿論、全否定されるべきではないが。

1) 発行市場に投じられる資金は発行会社の事業資金(投資資金や運転資金)に利用され経済の成長や活性化などに資するが、流通市場に投じられる資金は投資家から投資家に渡るだけで事業資金には全く利用されない実態が有る。
2) 歴史的物語:
上記の例示では「資本家」と表現したが、事業リスクを検証する目と将来の成功見込みを冷徹に評価する目を持っているという意味で同時に事業家でもある。彼らはカネも出すが経営的助言も行っていた。即ち、発生的には、発行市場での資金の出し手は「富裕な事業経営のプロ」であった。この事実は黴の生えた昔のことではない、アメリカのシリコンバレーが有名になった‘80年代後半?以降、同地域でITを中心に新興企業勃興の中心となった背景には、新規事業家とともにVentureCapitalist(多くは個人経営)と呼ばれた「富裕な事業経営のプロ」の両方が、分厚く集積されていた状況があった。乱暴を承知で極論をすれば、嘗ての発行市場のプレーヤー達は「健全な資本主義経済に資する」に十分な経験と資質を備えていた。
これに対して、流通市場での資金の出し手は多数が事業経営経験が少ない(または無い)素人であり、彼らの投資家としての目的は「カネでカネを生み出すこと」にあった(勿論、例外はある)。
3) 金融危機以前の長い期間:
時代が移り金融資本主義が勢力を強める過程は、嘗て発行市場に分厚く存在した「事業経営のプロ」「真のVentureCapitalist」を凌駕して、膨大な資金量と人員数を抱える投資銀行や投資Fundが大活躍することになった。彼らが投資する資金は、機関投資家や個人投資家からの預かり資金であり、投資利益の責任は発生するが「所詮他人のカネ」という切実さの欠如があった。また、人材的にも急膨張したためにMBAなど優秀な人材に絞ってはいても事業の経験や資質の低下は避けられず、サラリーマン化し「事業経営のプロ」は少数となっている由。シリコンバレーでも同じ状況と聞く。一時の飛ぶ鳥を落とす勢いであったシリコンバレーからの凋落がいわれることと平仄が合っている。
危機直前の数年―10年間位は、上記の傾向が加速した。事業のそして資本主義の黒子であるべき金融が、然も事業経営のプロではない者達が経済の表舞台に立ち、その表舞台に賢い(「賢明」とは別物)投資銀行バンカー達、ファンドマネージャー達に加えて、証券アナリスト達、格付けアナリスト達が加担して、事業リスクを過小評価し、事業評価金額を水増し、株価全般を膨れ上がらせて、金融収益というカネを強欲に貪ったのでしょう。

一般大衆には関係の薄いCOD,CDSなど金融工学が生んだDerivative商品が屡々批判の的となっているが、批判されるべきは一般大衆の非常に身近にある株式市場(上記の脈絡では、正確には流通市場)であり、批判の対象として脇役に置かれるべきではない。


既に紙幅が尽きましたので、後日に続く・・多分(笑)。

日本国憲法 第一章 改正案

第一章 大麻

第一条 大麻は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

陸山会の偽装工作(マスコミ対策)に激怒して判断を違えた検察とマスコミ

マスコミ&検察「石川容疑者は小沢氏が大きな金を持っていることを隠す目的で嘘の記載をしたと供述」
さて、これがマスコミによる偏向報道で大々的に報道されている内容だ。このことを検察は「看過できない重大で悪質な事案」と言ってる。もちろん検面調書も取られているだろう。

では現実を見てみよう。

04年 陸山会収支報告書 247ページ
http://www.soumu.go.jp/main_content/000047155.pdf#page=162
借入金 小澤一郎 4億円

不思議なことに石川氏が隠したい筈の巨額な資金がちゃんと記載されている。こんな状況下で検察は石川氏が何を意図的に隠したかったと言ってるのだろうか?陸山会はマスコミ対策として定期預金を担保に銀行から4億円の融資を受けて、上記の借入金は融資であるとの説明をしていた。このことが悪質で重大な虚偽記載になるのだろうか?

これ等の偽装工作は収支報告書に記載されていないにも関わらず虚偽記載だと指摘しているのが検察でありマスコミだ。そして冷静な目で収支報告書を良く見るとだれが見てもやっぱり小沢氏から4億円の借入をしているとしか読めないのである。とすると、陸山会の偽装工作は実質的に何が目的だったのか疑問となる。総収入が8億円未満であることから担保となっている定期預金が陸山会のものではあり得ないことが簡単に分かるから収支報告書に担保の定期預金は記載されていないのは明白であり記載されている4億円を銀行からの融資だとするのなら定期預金が陸山会のものではないとなるし、逆に定期預金が陸山会のものであるのなら偽装部分は収支報告書に記載しなかったことになる。どちらのケースも虚偽記載として罪が問えるようなものじゃないことがはっきりとしている。検察は偽装部分を記載しなかったことが重大で悪質と言っているに等しく本末転倒である。偽装部分を記載してはいけないのが収支報告書では無かったのか?

こんな無茶苦茶な理由で逮捕や起訴をすること自体がおかしい。

もちろんマスコミはこの偽装工作に怒りを覚えるであろう。陸山会によって偽装工作をされたことでスキャンダル報道を阻止されたマスコミが怒らない訳がない。しかしマスコミにも非はある、センセーショナルな記事を書きスキャンダル化して世間を騒がせることは公平公正な報道姿勢を求められているマスコミの反省点だと言えるのではないか?陸山会が偽装工作をしていなければ「小沢氏は巨額の個人資金を陸山会へ貸し付けて不動産を購入」のスキャンダル報道がされることは火を見るより明らかであったろう。それを阻止することは自己防衛であるとも言えてしまえることこそがマスコミの報道姿勢の問題を浮き彫りにしている。
さて、陸山会は偽装工作の為に融資を得るのに定期預金の名義を陸山会名義にしている。しかしそれは偽装工作であるから収支報告書には記載しなかった、そして融資に対する利息払いは収支報告書に記載している。この利息が果たして重大で悪質な虚偽記載と言えるだろうか?定期預金の名義を小沢氏にしていたとしてもそれを担保に融資された資金を陸山会へ貸し付けたのであれば、利息分は陸山会が負担するのは自然であるから重大で悪質な虚偽記載とは言えぬであろう。

偽装工作の影響がスキャンダル報道の防止効果以上のものではないことは偽装工作部分を記載しなかったことや収支報告書に小澤一郎名で4億円の借入が載っていることからも明白といえる。

これ等を総合すると「看過できない重大で悪質な事案」と断定することは困難であります。

床屋政談とは、次元の低い政治談議を指し、プロがこう評されると恥ずかしいとされる。
でも、プロでなければ、なんの躊躇いも無用、好きなことを好きに言える特権がある。
そこで一席、床屋政談といこう。
なんせ浮世床の登場人物と変わらない、紛れもない庶民のはしくれとしては、まさに次元の低い与太話で終始することを、あらかじめご承知願いたい。

検察は、去年の大久保秘書の取り調べに入った時点で、小沢氏にチェックマークを付けけたと思った。
しかし、衆院選は、民意が検察の付けたチェックマークを無視した格好になった。
民意を代弁して権力に対峙しているつもりの検察には、これは我慢できないことだった。
そこで、今回の騒動が、第二弾として勃発する。

ここからがプロでないから言えることなのだが、少なくとも我が家では、それまで購読していた新聞を換えた。
TVで小沢関連ニュースが報じられると、チャンネルを即座に変えた。
もっとも、大相撲番組も、朝青龍が出てくるので他の番組に切り替えていたから、我が家が一風変わった庶民感覚だということは認めざるを得ない。

なぜそこまでこだわるのかと、不審に思われるだろう。
黒か、白か、あるいは灰色か(江戸時代の着物の色には灰色に100通りの種類その辺があったそうだ)、その辺も勘案した上で、民意は民主党に政権をゆだねた。
恐る恐る投じた1票が、実はほかの多くの方々の判断と同じだったと知ったとき、うん拾年生きてきた人生でも、数少ない快哉を感じた瞬間だった。
「政治を俺たちが作った」、こんな感慨は、それ以前の選挙では絶対湧かなかったことだ。

そこへの第二弾である。
積み上げた積み木細工を、無神経に一つづつ抜かれていく。
我が家では、そんな気持ちだった。

民意は決して騙されたわけではない。
その上で下した決断だったのだということを、多分、検察も、マスコミも、まだわかっていないようだ。

CDO
債券や貸付債権を担保に組成された資産担保商品
CDS
信用リスクを保証するために、リスクだけを移転してしまう商品
(ちょっとうまく書けない)


08年の金融崩壊のお話

振り返ってみると08年の金融崩壊は、リーマンショックと言うよりもAIGショックと読んだほうがふさわしい。
信用危機に際して、それを補完するために手当てしていた「奥の手」CDSが、行使できなくなったための危機と言う事か。
その相手がAIGだった。

さて、あるところに1億ドルを運用したい投資家がおりました。
債券を購入しておけば2%の利回りが得られるのですが、物足りません。
そこで彼はR社へ、相談します。
R社は、こんな良いモノがあるとCDOと言う名の商品を紹介します。
これは、5%に回る商品なのですが、個人への住宅融資を1万個集めたものです。
中身は、最優良の日本の公務員向け融資が多く入っていますが、そのほかにアメリカのヒスパニック向けの高利子の融資(サブプライム)も入っています。
サブプライムが少し不安かもしれませんが、ま、少量ですのでご心配には及びません。
ましてや、スタンダード&プアーズからトリプルAの格付けを得ております。
利回りは5%で、お値段は1.5%です。
ついでに、もしもに備えてAIGに信用保証していただいたらよいでしょう。
あ、CDSを買ったらよいですと、言う事です。
こちらのお値段は1%です。
エ!、5%から、1,5と1%引いたら2,5%しか残らない。
何をおっしゃいますか。最後まで聞いてください。
あなたの運用資金は1億ドルしかありませんが、レバレッジを効かせましょう。10倍のレバレッジです。
つまり10億ドルのご融資をいたします。つまり、購入資産は10億ドルです。利息は1%でいいですよ。

さて、高さんは、1億ドル持ってR社へ行きましたが、10億ドルのCDOを買う事になりました。
10億ドルに対して
値段は1,5%
金利は1%
CDSは1%
合計のコストは、3,5%
3500万ドルです。
しかし、10億ドルに対する利回りが5%ですから、金利収入は5000万ドル。
差し引き1500万ドルの利回りです。
1億ドルしかなかったのに・・・
なんと15%の利回りになっています。

素晴らしい商品です。
当然、みんな欲しがります。みんな買います。
それも、レバレッジを20倍30倍にして。
R社は、一生懸命にサブプライムを貸しまくります。だって、利回りを高くするには、これが手っ取り早いんです。
良質なローンを組み合わせれば、S&Pが、トリプルAをくれるんで心配ないし。AIGは、いくらでもCDSを売ってくれます。

売る側も、こんなにもうかる商品はありません。一生懸命に、商品を作り、売りまくります。
手数料はガッポがっぽ

そんなある日、ヒスパニックの一人が、破綻します。
つい先月まで2%だ借りてはずの住宅ローンが7%に跳ね上がります。とても払えません。
自己破産です。

びっくりしたのは、住宅ローンで組成されたCDOを買っていた投資家です。
そのヒスパニックの方のローンはどこに入っているのでしょう。
それが入っている商品の元本は減ってしまいます。
探すのですが、これが簡単には解らない仕組みになっています。
そうこうしているうちに、同じように支払い不能な借り手がどんどん出てきます。
CDOの買い手は、パニックです。
10倍のレバレッジをかけている投資家は、CDOの価格が10%下がると、元本が吹っ飛んでしまうのです。
あわてて売ろうとしますが、残念!市場がないのです。流通市場の無い、相対売買の商品だったのです。
でも大丈夫。
CDSがある。
AIGが、やられた部分を補てんしてくれる。
投資家は、喜んでAIGに飛んでいきます。
そこで、心臓麻痺になりそうな驚きとご対面です。
AIGの前には、数えきれないほどの投資家が、「10億だ」「100億だ」「俺なんか500億ドルだ」と騒いでいるのでした。

これじゃ、AIGが飛んじゃうよ。世界は破滅だな。
投資家は、悟ったのでした。

*非常に乱暴な書き方ですが、実情と、そう誤りはないと思います。
また、実際は、もっと複雑なのですが、わかんなくなっちゃいます。

無国籍様
少々、誤解されている部分がありそうですので書いてみました。
解りずらかったらごめんなさい

鳩山外交の無邪気さと未熟
今日(2/7)の日経Netニュースによると、鳩山首相が北方領土問題の大会で発言し、ロシアとは経済交流を領土交渉の「両輪」で進める考えを重ねて表明して「どうぞ一緒に戦いましょう」と呼び掛けた由(この戦いの慫慂は、つい先日何処かで聞いた鮮明な記憶がある)。鳩山外交の無邪気と未熟に危機感が増幅される。仮に、鈴木宗男議員への気配りや返礼であるならば、その場所が違うという意味で未熟の上塗りと言わざるを得ない。

1. 先の日米同盟に於ける無邪気と未熟
10年2月 2日の『よろんず:たかおじさん「戦争は何故起こるのか」』の板に投稿した私の10年2月 3日 17:10付けコメントの該当部をそのまま以下にCopy&Pasteします。
Quote
チャーチルのものとしてご紹介戴いた言(下記引用)は、前述の「あやふやな日本」の脈絡では非常に非常に(重複ではなく強調です(笑))興味深く読みました。好い事を教えて貰ったと御礼申し上げます。
日米同盟の脈絡で鳩山政権が打ち出した「不均等」の認識と均等化要求に対して、真にアメリカが噛み締めている心情であろうと思います。【最後にはもう反発することはないだろうとさらに無理を押しつけると、その瞬間猛烈な反発が返ってきて不意をつかれた。】と。途中経過ではアメリカが押し付けたとしても、曲がりなりにも日本国内の手続きを正規に踏んで合意して来たじゃあないの、国内問題を国際舞台に引き出して来られても困って仕舞うよと。

--記—
引用【日本は譲歩を押しつけると一歩退く。それならと、もう少し押しつけると、また退く。そうやって何度無理を押しつけても飲むので、最後にはもう反発することはないだろうとさらに無理を押しつけると、その瞬間猛烈な反発が返ってきて不意をつかれる。そんなにいやだったのなら、なぜ最初からそう言わないのか理解出来なかった。】
Unquote

2.鳩山首相は知るべきでしょう、同一の民族が同一文化で染め上げられている狭い日本国内で行う内政とは異なり、異質な民族と異質な文化文明との間で交渉を繰り広げる外交では、S.ハンチントンが主張する「文明の衝突は準必然」とする短絡的意見は否定するとしても、複眼を持って物事を観ること、複雑な思考回路を取ることが必須であると知るべきでしょう。まさかとは思いますがひょっととして、国内でも宙に浮いている「美しく無邪気な友愛精神」を、厳しい外交の最前線に持ち込んで局面打開が出来ると未だに錯覚(大きな錯覚)を引き摺っているのではないか。外交には「時間のみが解決できる」事案が少なくない、特に両国の長い歴史と強い国民感情に密接に係わる領土問題は。
鳩山政権にも民主党にも、国内の経済の復活(「喪われた30年」にならないように!!)が非常に大きな国民的課題である時期に、好き好んで寝た子を揺り起こしてまで外交課題を造り出し抱え込むゆとりは精神的にも肉体的にもない筈だが・・。

3.上記のアメリカに加えてロシアとの間にも「無邪気と未熟」を重ねられると、鳩山首相には日本の一国民として大きな危機感が募る。このまま放っておくと、竹島(独島)や尖閣諸島(釣魚島、釣魚台列嶼)についても同様の無邪気と未熟を晒すのではないだろうか。有権者にとっては、今年7月の参院選挙までは事態を静観する以外に道は無いが、それまでの間政権与党たる民主党は、鳩山首相の成熟を促し、仮にその結果に満足しきれなければ政権の帰趨を決する(端的にいって、「馬謖を切る」を含む)ことになる覚悟が必要なのではなかろうか、民主党とは言ってもその厳しい決断が出来るのは、悲しい哉、唯一小沢氏の筋しか存在しないのだが(一縷でもあるだけ幸せと考えるのか?)。検察の用意した土俵で戦って取り敢えずの処は勝ったと観える小沢氏に、その剛腕を振るう余力が「その時」にあれば好いのだが。

元株やさん 2010年2月 6日 1907

ご意見、有り難うございました。・・気付くのが遅くなり、返事が遅くなり失礼しました。
折角のご指摘に対して申し訳ありませんが、私に誤解はないと思います。

私の投稿末尾で【一般大衆には関係の薄いCOD,CDSなど・・Derivative商品が屡々批判の的となっているが、批判されるべきは一般大衆の非常に身近にある株式市場・・であり、批判の対象として脇役に置かれるべきではない。】と書きましたように、
私は其処では、永く一般大衆に馴染み深い株式投資が唯一の関心事とする株価に、投資銀行ややファンドマネージャーや大手証券アナリストなどプロ達が意図的に造り出す歪みがある(従って、企業価値や時価発行総額に歪みがある)ケースが少なくない(※注1)ことに焦点を当てています。(元株やさんのお名前から察するに、非常に心苦しい議論なのですが・・。)
  (※注1) 当然に全ての銘柄ではないが、株価として無縁というケースも少ないでしょう。

他方で元株やさんは、私が脇に置いたDerivative商品やレバレッジ手段に焦点を当てておられる。
要は、焦点の置き場所が違うということではないかと・・思います。

然しながら、ご指摘を機に考えてみると、今を時めくThe Volcker Ruleの脈絡で、新しくもない株式市場の歪みに焦点を当てたこと自体に、私の思考のズレが露見したのかも知れませんね。
ただ、弁解をさせて戴けば、
1. 現状では異常なDerivative商品が異常な規模で行われている訳ではない、またObama-Volckerラインが投資銀行にそれを許す訳もないと思います。
2. 他方で実体経済はエル字(L)の底・横棒に達しただけです、株価は実体経済を置いてけ放りにして世界中で着実に回復してきている、即ち危機直後に消滅した「株価の歪み」が過去数カ月で世界中で拡大し水膨れを取り戻しつつあるという私の認識と危機感が、一般とは一寸違う処に焦点を当てさせたのだと考えています。


(脚注)上記で申し上げている「歪み」を正確に検証するには、FairValue(持続継続性のある適正価格)を的確に定義して議論する必要がありますが、その面倒でマニアックな論考は別途後日に・・・多分(笑)

何れにせよ、ご意見に重ねて御礼を申し上げます。
草々

08年の金融崩壊 2

さて、投資家の皆様は、お互いがみんなおんなじような投資物件を持っている事に気付きました。
さらに、そんな自分たちのレバレッジの相手、つまり貸し手についても考えました。
世界中の金融機関は、自分たちに金を貸している。という事は「不良債権の缶詰」じゃん。
自分たちもやばいけど、あいつら、もっとやばいよ。

金融の崩壊です。
あ互いが、信用できないのです。
銀行が、銀行を信用できないのです。
ここで起こるのが、「信用の収縮」という現象です。
投資家も銀行も、他から金が入ってこないのですから、何とかして自分で金を調達しなくてはなりません。
みんな考える事は一緒です。
流動性の高い資産を売却するしかない。そうやって、金を調達するしかない。
(なんたって、CDOには市場がありませんから。価格がありません。売る事が出来ません。)

流動性の高い資産、つまり換金しやすい資産と言えば、第一に国債、次が株式です。
そして、お金が最後に逃げ込む場所が国債です(ラスト・リゾートなんて言い方をします)。
世界各地で株が売られます、価格など関係なしに売られました。

しかし、それで解決する問題ではありません。
なんたって不良資産(CDOなどなど)は、数百兆円の規模だったと云います。どこかが、不安を解消するために、これを自信を持って買う姿勢を示さなければ駄目なのです。
そして、経済の血流を復活させねばなりません。
世界の中央銀行は、公的なお金をつぎ込んだわけです。
さらにアメリカ政府は、CDOの買い付けを行う決意を示し、買い付け行動を起こしました。
お笑いなのが、ここでCDOを買い付ける手段として、新たなCDOを作り、レバレッジを効かせて不安の種のCDOを買ったのです。
確か、これを行ったのがFRBだったように記憶しております。(記憶違いだったらごめんなさい)
最初の金も、あとの金も、借金である事は漫才みたいなお話です。

しかし、こうした努力の甲斐あって、世界の経済は落ち着きを取り戻しました。

世界の銀行は、国に注入してもらった金で復活の手がかりをつかみました。
(困ったことに復活の手段は、以前と同じ手法だったのですが・・・)

落ち着きを取り戻した世界経済は、今、出口を探しています。
その出口の何歩か手前にあるところにボルカー・ルールが出てきました。
(出てくるタイミングを間違えたプランのような気がしますが。)
経済が復活したのちには、こんなルールでやっていきましょうと言うような事でしょう。
ただその前に、助けてやった恩を忘れて金儲けに再び奔走する連中は、たたいて思い知らせてやりましょうと云う事でしょうか。そんなことも、盛り込まれたようです。

非常に大雑把なとらえ方ですが、先の文章を書いてしまった手前、一応の結論までを書かせていただきました。
金融のプロ・現場の職人の方が読まれれば、「なんじゃこりゃ」という内容かもしれませんが、解りやすく書こうとすれば、こんな表層をとらえた書き方にならざるを得ません。
ご容赦ください。

起訴は不当だった。その根拠を、ここに明らかにすることにしました。(その一)

2004年~2007年迄の収支報告書を詳細に分析しました。

結果、虚偽記載の事実は一切ありませんでした。

石川さん、検察とマスコミを提訴してください。冤罪とする根拠はこれです。

【根拠1】
2004年10月に小沢氏からの借入金4億円を収支報告書に収入として記載しなかったとされる件

 2004年_平成16年分政治資金収支報告書
 ⇒http://www.soumu.go.jp/main_content/000047155.pdf#page=162
の247頁の本年収入の内訳に、「 借入金 小澤 一郎 400,000,000 」と記載されている。

【根拠2】
2004年に関連政治団体からの寄付1億4500万円を収支報告書に収入として記載しなかったとされる件

当該報告書の248頁の本年収入の内訳_寄付の内訳に、
「 (政治団体分) 民主党岩手県第4区総支部 150,000,000 」と記載されている。

【根拠3】
小沢氏に返済するために陸山会が07年に支出した4億円について、同報告書に記載しなかったとされる件

2005年_平成17年分政治資金収支報告書
 ⇒http://www.soumu.go.jp/main_content/000047150.pdf#page=164
の247頁の支出の内訳_政治活動費に、
「 その他の経費 239,702,734 」と記載されており、243頁の資産等の内訳に、
「 借入金 小澤 一郎 263,939,061 」と記載されていることから、
4億円の内、2億円が返済されていることは、明白です。

2006年_平成18年分以降の政治資金収支報告書
 ⇒http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/
(検索方法)
平成19年 9月14日公表(平成18年分 定期公表)」 (希望年度の定期公表を選択)
→資金管理団体の「リ」を選択→陸山会を選択

平成18年分の37頁の政治活動費の内訳に、
「 その他の経費 239,702,734 」と記載されており、243頁の資産等の内訳に、
「 借入金返済 200,000,000 平成18年03月31日 小澤 一郎 」と記載されていることから、残りの2億円が返済されていることは、明白です。

 つまり、返済は2006年迄にすでに完済されております。

以上の通り、虚偽記載の事実は一切ありませんでした。

(その二)につづく

起訴は不当だった。その根拠を、ここに明らかにすることにしました。(その二)


ここからは、詳細な分析の中身を解説いたします。

【分析1】
2004年の4億円の資金の動きについては、当時、小沢氏は4億円の現金とは別に4億円以上の定期預金も持っていて、その定期預金を担保に4億円を小沢氏個人で借入をした上で、最終的に陸山会に4億円を貸し付けた、ということです。

 尚、2004年の収支報告書を見れば解かりますが、当時陸山会には担保にするほどのお金はありませんでしたから、政治資金を担保としたものではなく、これは小沢氏の個人的な借入金ということは明白です。

【分析2】
一方、小沢氏の個人資金である4億円の現金にて支払った手付金と土地代金については、この時点では小沢氏の個人的な支払をしたと考えるべきでしょう。

(理由1)
登記料・登記手数料等の付随費用が未だ発生していないので、土地計上金額が確定していない。

(理由2)
未だ登記がされていないということは、この時点で所有権はないのであるから、例えば土地は小沢氏の所有とし、その土地を陸山会に貸し付けるという方法も可能であり、所有権を陸山会にするかどうかは未定だった。
故に、小沢氏個人に帰属する支払とみなすことが妥当と言える。

(理由3)
発生主義的、総額主義的な観点から、同一年度に土地計上と支出計上をする為には、付随費用が確定するまでは、手付金及び土地代金については小沢氏個人の取引とすることが妥当と言える。

(理由4)
翌年の登記完了日である平成17年01月07日をもって、不動産業者には付随費用を小沢氏には手付金及び土地代金相当額を支払ったことは明白。
 2005年分の政治資金収支報告書の支出の内訳_経常経費に
「事務所費 415,254,243」(この中に土地計上額が含まれていることは明白)
資産等の内訳_(土地)に
「世田谷区 342,640,000 17.1.7 」と記載されている。

【まとめ】
検察の起訴理由を推察すると、おそらく、次のようなことでしょう。
小沢氏個人の銀行からの借入も収入計上すべきであり、当該銀行への返済も支出計上すべきところが不記載であると言っているものと推測されます。

つまり、小沢氏の個人資金の動きまで収支報告書に記載せよと言っている訳です。
こんなんで、現実に起訴できちゃうものなんですか。恐ろしいーー。

  検察の起訴理由など、ヤクザ屋さんのいんねんより理が通りません。
  
政治家は家計簿まで、収支報告書に記載せよと言っていることと同じです。

民主党(政府)vsマスメディア(TVを中心とした)

TVを中心とした偏向報道は、相変わらずです。
一方的な論調ばかりで、世の中にこんなことしか起こっていない、一番重要なことは、これだと決め付けるかのごとく。

ここ数日の私が一番関心のある出来事で、詳細に報道されていない出来事は、以下のものです。

1:昇格・降格人事を含む公務員改正法の与党提出案、12日に閣議決定するようですが、こうした動きをすべての番組を拝見しているわけでないが、詳細な内容報道されていない。
私的には、霞ヶ関改革の第一弾であるだけに1番の関心がある。

2:北朝鮮と中国との会談及びその会談内容。
「ロイター」伝によると、朝鮮半島の非核化について協議されたと聞く。
同時に、「核密約問題」の経過報告が再三に渡り、延期されたことの報道がない。
1月が、2月にそして3月となる。どうして延期になるのか?踏み込んだ報道がない。
「普天間」ー「日米安保」に繋がる案件だけに、私的に関心が高い。

3:予算委員会でどのような審議がされているのか。
延々と「鳩山・小沢・石川問題」だけしか審議されていないかの如くの内容報道で、これ以外について何も審議されていない、としか受け取れない。
もれ聞こえてくる外交機密費の献上や箇所付け,一部国交省に関わる問題等、今後の予算のあり方に影響がある内容を詳細に報道していない。

まだまだあるが、長文になるためこれまでにします。
以下は、天邪鬼な私の「偏見的な感想」です。

小沢vs検察、以後は石川議員と小沢幹事長の今後の動向を中心として、民主党内のまとまりがないように、政権与党がいかに信頼されないかの報道が中心であり、報道時間の40%近い枠を取っている(詳細に時間を計ってはいませんが)
更には、霞ヶ関改革や公益法人改革が全く進んでおらず、現政権与党や政府はなにもしていないとも受け取れ、党内分裂を煽り、政府の転覆を図るがごとく。

番組の編成は、番組編集長が基本的に方針や内容を構成すると聞く。
アナウンサーは、与えられた原稿を読むのみで、原稿内容の確認も編集局長の権限の内であろう。
ニュース・キャスターやコメンテータもある意味与えられた台本通りに番組が構成される。
どの様な情報を中心にするか、どのような情報を集めてくるかの権限も上部にある。
いわば、影の支配者であり、仮に間違った情報を流したとしても、担当者のみに責任が問われ、上部まで監督責任を問われているか?
私には、甚だ疑問です。

ここ一連の報道内容をみると、政府や与党に打撃を与え、改革をなんとしても阻止したいと受け取れる。
視聴者に不安と混乱のみ「ばら撒き」、わが身はなんとしても視聴率を取る。
その他の世の中の動向を知らせずに、ますます日本を【後進国】に進めたい、とも感じている私は、異端児なのでしょうか?

皆さんは、どの様に感じていますか?

石川議員らは無罪!?

永田町異聞というブログの2010/2/5の記事に、今回の石川議員らの起訴事実(検察のストーリー)が紹介されていますが、それによると次のとおりです。

http://ameblo.jp/aratakyo/

・「石川議員と大久保秘書」は、2004年に陸山会が小沢氏から借りた4億円で、3億5200万円の土地を購入したが、4億円を2004年分の政治資金収支報告書の収入として記載せず、土地代金約3億5200万円も支出として記載しなかった。

・「池田元秘書と大久保秘書」は、2004年に支出した3億5200万円の土地代金を2005年分の収支報告書に支出として記載した。小沢氏から借りた4億円は2007年に小沢氏に返済されたが、同年の支出に記載しなかった。

・2004年に陸山会が小沢氏から借りた4億円は2007年に小沢氏に返済された。借りたことも返済したことも報告書に不記載。

・土地代金約3億5200万円の支出は、2004年分の政治資金収支報告書の収入として記載せず、2005年分の収支報告書に支出として記載した。

・4億円を定期預金にして、その代わり小沢氏が銀行から4億円の融資を受け、陸山会へ転貸した件は、2004年の報告書に記載された「小澤一郎 借入金 4億円」に該当するという判断のようだ。

また、阿修羅のsmacさんが「虚偽記載は存在しない」という論考を出しています。http://www.asyura2.com/10/senkyo79/msg/440.html

これらを併せ見た私の考えを、次に記します。

1..検察ストーリーで組み立てられた事実は次のようなものでしょう。

①2004年に、陸山会が4億円(小沢氏の個人資産)を小沢氏から借りた・・・それなのに、石川議員は、この4億円の収入の記載をしなかった。

②2004年に、陸山会が3億5200万円を支出して秘書寮用の土地を購入した・・・それなのに、石川議員は、この3億5200万円の支出の記載をしなかった。

③2004年に、小沢氏個人が銀行から(第三者である睦山会の4億円の定期預金を担保にして・・・このような第三者の預金を担保に銀行から借りる形態は珍しくない)4億円の融資を受けて、それを陸山会へ転貸した・・・石川議員は、正しく、2004年の報告書に「小澤一郎 借入金 4億円」と記載した(ここには虚偽記載はない)。

④2005年に秘書寮用の土地の移転登記をしたとき、土地の代金3億5200万円の支払いはしていない(上記②のように支払いは2004年にしている)・・・それなのに、池田元秘書は、土地移転登記と同時期の2005年に「3億5200万円の支出をした」と虚偽の記載をした。

⑤2007年に、「2004年に陸山会が小沢氏から借りた4億円」を、池田元秘書が現金を小沢氏の自宅に運んで、小沢氏に返済した・・・それなのに、池田元秘書は、この4億円の支出の記載をしなかった。

2.上記1の検察ストーリーの見立てに対して、私の見立ては次のとおりです(※阿修羅のsmacさんの見解と同じで、smacさんからその旨の返事を頂きました。なお、下記の「預り金」という言葉は、会計上の意味をよく知らないので日常的な意味で使っています)。

①2004年に、小沢氏が自分の個人資金の4億円を、陸山会の金庫の中に、「自分個人の金」として、入れた(事実上現金の場所を移動させただけで、陸山会が借りたのではない)・・・「陸山会の収入」ではない(陸山会にとってはただの預り金?)ので報告書の記載義務はない、よって、石川議員は、正しく、収入として記載しなかった(もし記載していたら逆に虚偽記載となってしまったところだった)。

②2004年に、小沢氏が、「陸山会に預けておいた小沢氏個人の金の4億円の一部」を使って、3億5200万円の土地を購入した(その結果、陸山会ではなく小沢氏個人が土地の所有者となった。小沢氏は陸山会への転売予定で一時的に個人として購入しただけ)・・・土地代金の支出は「小沢氏個人の支出」であって「陸山会の支出」ではないので報告書の記載義務はない、よって、石川議員は、正しく、支出として記載しなかった(もし記載していたら逆に虚偽記載となってしまったところだった)。

③2004年に、小沢氏個人が銀行から(第三者である睦山会の4億円の定期預金を担保にして・・・このような第三者の預金を担保に銀行から借りる形態は珍しくない)4億円の融資を受けて、それを陸山会へ転貸した・・・石川議員は、正しく、2004年の報告書に「小澤一郎 借入金 4億円」と記載した(ここには虚偽記載はない)。・・・この③だけは検察の見立てと全く同じ。

④2005年に、陸山会が、「上記③の小沢氏からの借入金4億円(小沢氏個人が銀行から融資を受けて陸山会に転貸した4億円)」の中から出した3億5200万円を、土地の購入代金として、「上記②により土地の所有者となった小沢氏個人」に支払った・・・池田元秘書は、正しく、「土地移転登記と同時に3億5200万円の支出をした」と記載した(もし記載しなかったら逆に虚偽記載となってしまったところだった)。

・・・上記①で陸山会の金庫に預けられていた「小沢氏の個人の4億円」は、「上記②の土地代金3億5200万円の小沢氏個人としての支払い」により、5千万円に減っていたが、この④の土地代金3億5200万円の入金により、元の「4億円」(小沢氏個人の資金=陸山会にとっての預り金)に戻った。

⑤2007年5月に、「上記①の2004年に小沢氏が自分の個人の金として睦山会の金庫に入れていた4億円(上記②でいったんその一部が出たが上記④で元の4億円に戻っていたもの)」を、池田元秘書が小沢氏の自宅に運んだ(現金の場所を移動させただけ)・・・「陸山会の支出」ではないので(陸山会の小沢氏個人からの預り金を小沢氏個人に戻しただけなので)、池田元秘書は、正しく、支出として記載しなかった(もし記載していたら逆に虚偽記載となってしまったところだった)。

3.備考

(1)上記1の見立てと上記2の見立てのどちらかは、客観的な事実の有無の問題と思います。

つまり、西松事件でも、

A.政治団体がダミーかどうか(客観的な事実の有無)と、

B.仮にダミーだとして、故意があったかどうか(被告がそれを認識していたかどうか)、

との2つの問題に区別されました。

この事件でも、同様に、

A.上記①~⑤の事実は客観的にどのように見るべきか=客観的に「虚偽記載の事実」は存在したかどうか、

B.仮に虚偽記載の事実が存在したとして、石川議員らに故意があったかどうか(その虚偽記載の事実を認識していたかどうか)、

との2つの問題に区別されます。

上記の1(検察ストーリー)か2かは、上記Aの客観的な虚偽記載及び不記載の事実の有無の問題です。したがって、石川議員らが主観的にどのように考えていたかは、上記1の検察ストーリーが正しいか上記2の見立てが正しいかとはほとんど関係しません。これは、政治資金規正法の観点や会計の観点から、どのように事実を見るのが妥当かの問題と思います。

(2)これらの観点から検討しておきます。

上記①の「4億円」が「小沢氏から陸山会への貸付(=陸山会の収入=検察ストーリー)」か「陸山会への貸付ではない(=小沢氏個人の資金のまま=陸山会の預り金)」かについては、現金のまま金庫に入れておけば上記2の見立てに傾きますが、石川議員が小分けして陸山会の口座に入れている場合(実際はこれのようです)は、上記1(検察ストーリー)の見方の方がより自然ではないかということになると思います。

上記②の2004年の土地代金の支払いが「陸山会としての支払い(土地の所有者は陸山会になった)」(=検察ストーリー)か「小沢氏個人としての支払い(この時点での土地の所有者は小沢氏個人)」かは、2004年の土地代金の支払いに際しての土地売買契約書の中身によりどちらかに傾くと思います。例えば、土地売買契約書に買主として「陸山会 代表 小沢一郎」と記載されていれば、検察ストーリーの見方がより自然だということになると思います。他方、この土地売買契約書に買主として「小沢一郎」(陸山会の記載なし)と記載されていれば、陸山会ではなく小沢氏個人が購入したという見方が説得力を増すと思います。

「勧進帳」と見紛う

今回も、あくまで民意にこだわる。

最近の世論調査の結果は、どの新聞でも似たりよったりなので、手元にある朝日新聞の2月5・6日に行った世論調査の一部を引用させていただく。

今夏の参院選挙に関する質問部分のみの引用だが、答えは次のようだった。

~問)今年夏の参議院選挙で投票先を決めるとき、小沢さんの政治資金問題を重視したいと思いますか、そうは思いませんか。
答)重視したい:44%、そうは思わない48 %。

問)今年の夏に参議院選挙があります。
仮にいま投票するとしたら、比例区ではどの政党、またはどの政党の候補者に投票したいと思いますか。
答)民主党34(36)▽自民党27(23)▽公明党3(3)▽共産党3(3)▽社民党1(2)▽みんなの党2(2)▽国民新党0(1)▽改革クラブ0(0)▽新党日本0(0)▽その他の政党1(1)▽答えない・分からない29(29)~。

これは、小沢幹事長の不起訴、石川衆院議員への野党からの議員辞職勧告決議案 の提出という時点での、いわば民意と思っていいはずだ。

1)最初の問への答、そうは思わない48%。
重視しないという数字の方が多いことは、多分、現在の世論が一筋縄ではいかないことを表していないだろうか。

2)次の問への答、答えない・分からない29(29)。
この2)の数字は、野党筆頭の自民党を上回っているが、いわば、無党派層と片付けられる数字である。
しかし、1)の結果と照らし合わせてみたとき、これを従来の経験値で分析することが果たして正しいのだろうか。

2月13日付の、やはり朝日のコラム「政態拝見」で、最近の世論調査における「無党派層」への見方に触れた一文があった。
どうやら、マスコミも世論の動向が従来とは変わってきたという気配は、感じているらしい。
コラムの筆者が、無党派層は流入と出入を繰り返すので、いつも同じ人たちではないという指摘には説得力がある。
さらに筆者は、特に昨年の政権交代の前と後では、大きな変化があったに違いないと断じているが、これも当然の帰結だ。
筆者の結論は、現在の無党派層を、民主党支持層から無党派層への出戻りと分析している。

しかし、この「出戻りの人達」の心情となると、これはもう、有権者の床屋政談の独壇場といえるかもしれない。
安宅の関の義経といえば、歌舞伎の「勧進帳」の名場面を誰でも思い起こす。
江戸時代から、しっかり庶民の脳裏に、いやDNAのようにからだに沁みこんでいる条件反射のようなものだ。
身をやつした御曹司が、敵役に問い詰められて進退きわまるさまを見せられて同情を寄せる、まさに「判官贔屓」そのものである。
今、少なくとも出戻りの人達は判官贔屓の心情を持ち続けて、安宅の関ではないが、この難所を民主党がどうくぐり抜けるかを、ひたすら注視していると、民意の一滴としては感じている。
なにしろ、今の民主党は、富樫役の敵役にずらりと取り囲まれている最中なのだから。

富樫は、義経一行に安宅の関の通行を最後には許し、これがまた日本人の心情に大いにアピールするのだが、さて、この場面まで、今回の政治劇が到達するのかどうか?

公開シンポジウムのお知らせです。
民主党北海道戦略会議の主催で、「民主党政権とこれからの北海道」と題して、インターネット公開のシンポジウムを行います。
シンポジウム会場に100名ほどの席を設け、会場からの意見をお聞きするほか、ネット上で道民アンケートも実施するという、まさに住民参加型で地域主権実現のための政策立案を図ろうとする、画期的な試みです。
シンポジウムはシリーズで行い、第1回目の今回は、北海道の現状と道政検証がテーマです。
お時間があれば、ぜひのぞいてみてください。
日時:2月20日(土)10:00-17:00
場所:ホテルオークラ札幌
http://www.minsyu.net/

規制改革と云い事

規制改革と云う言葉が良く聞かれるし、私も一番重要な日本国の政策となるべきだと思う。

私たちは、様々な規制に囲まれて生活している。
その中で、典型的なものの一つに「自動車運転免許」が有る。
平成20年現在で7、181万人が保有する免許である。
免許自体には、私としてはそれほど違和感は感じない。
しかし、その更新について、はなはだ釈然としないものを感じる。なぜ、3年とか5年ごとに担当官庁に出向いて更新手続きをしていただかねばならないのだろう。
まして、毎日のように運転と云う作業する人間が、なんのためにそんな作業を受けねばならないのだろう。
ほとんど運転をしない人間が、自らの運転技術に不安を持つならば、練習場へでも行く必要はあるかも知れないが、年間1万から15000キロも走る人間が、なんのために。
こんな疑問を持つ人は、私だけとは思えない。

おまけに、この行進には3500円だったかの手数料のようなものが必要とされる。
5年ごとの更新とすると、年間1500万人程度の人が更新作業を行う。実に520億以上の、何の為か解らぬ金が、印紙税の形で国の機関へ流れ込んでいく仕掛けである。
おまけに、これは「交通安全協会」と云う、公益法人が設けられて作業代行している。
そして、「補助金」がこの法人にも予算配分される。
また、現在は強制的な雰囲気は無くなっているとは云うものの、数年前まで「交通安全協会の加入に1000円いただきます」と、あたかも義務のように、わけのわからぬ金をかなりの人が支払わされていた。(私も若気の至りで、1回だけ払ってしまった事がある)
こんな団体に、交通安全を教えて貰わないと、我々は、何も出来ないのでしょうか。

ここで、我々国民は、一体いくらの「損」を強制される事だろう。
3000円4000円の問題ではなく、貴重、な仕事の時間をも2日間にわたって、強制的に、この作業に取られてしまうわけだ。

こういった、必要性の薄い規制が、この国は数限りなくありそうだ。
新しいところでは、Bキャス・Cキャスカードなんてのもその仲間だろうし、銀行窓口などの証明書提示なんてのも、どんなものかと考えさせられてしまう。
そして、そういった「規制」の背景には、ほとんどの場合「公益法人」などの、政府系の団体が存在する。そして、我々から「手数料」をとっているのが規制社会の実態だ。

いっそ、こんな不要な「規制」を取っ払ったら、どんなに気持ちがいい事だろう。
気持ちいいだけではなく、「補助金」も、必要なくなるのである。
「規制管理団体」は、解散してしまえば、そこにたまった「お金」も、我々のもとに帰ってくる事になる。

規制改革と云うのは、簡単にいえば、そんなものだと思う。
そして、だから「ものすごい抵抗」が有るわけだ。

「交通安全協会」の役員は、当然天下りの方々であり、高い給料と退職金を得ている。
窓口で受け付けをする「担当者」の人も、公務員より少し高い給料を得る事が出来ている。
どう云った方が、どういった基準で採用されているか知らないが、「派遣労働者」に比べて、そう能力が優れた人とも思えないし、それほどの能力が必要とも思えない職種だが。

ちなみに、この「交通安全協会」の年間事業経費の、70%程度は、人件費だそうである。

いかがですか、免許の更新は必要ですか?
講習で、ビデオを見る事が、交通安全教育になっていると思えますか?
講習でいただける、きれいな教本が、交通安全の技術や心得習得のために、是が非でも必要と思えますか?
「規制」と云う名のもとに、様々な法人が作られ、そこに税金を流しこんでいるのが、「特別会計」なわけなのでしょう。
ここを改めることで、この国の「借金」は、相当「なんとかなる」可能性があるのではないでしょうか。
私は、間違いなく「減らす事が出来る」と思っております。

「規制改革」「規制の廃止」とは、こんなシステムをやめる事です。
身の回りをよく見まわしてみてください。
いらない規制が、たくさんあるはずです。
みんなで、規制を改革いたしましょう。


題名について

「規制改革」と云う事
の間違いです。

「ラジオの未来」
読者の方で「アクセス」を聴いていらっしゃる方はいらっしゃいますでしょうか。ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、今年の4月2日に終了すると正式発表されました。the-jounal出演者も数多く出演された番組です。理由は経費削減だとか。このご時世仕方ないにしても、本当の情報を知る事ができた「アクセス」の終了は聴いていた私も感じたのですが、やはり残念な思いです。記者クラブが叩かれている今日、あの国会王子こと某記者も「アクセス」ではかなり過激なコメントをして気分がスカッとされた方もいらっしゃると思います。(アンチ国会王子の方、失礼しました。)ラジオ業界も広告費減少と厳しい中、ラジオメディアはこれでいいのでしょうか。今回の「アクセス」終了について思う事、ラジオ番組のあり方について読者の方のご意見をお聞かせ下さい。

郵便不正公判はすでに7回をむかえている。5回公判で元局長村木被告の上司の証明書発行を指示したとされる塩田元部長は検察主張を「壮大な虚構ではないか」と述べ、6回公判で上村被告の前任の元係長は証明書発行を指示されたとする捜査段階の証言を否定し「元局長は冤罪だと思う」と述べ、7回公判で自称障害者団体(凛の会)の元メンバーは元倉沢会長が石井一議員を訪ね、口添えを依頼したとする検察側主張について「全く記憶にない」と述べた。捜査段階の調書で依頼を認める証言内容になっていることについて「検察官の作文。絶対ないとも断言できず、押し付けられ否定しようがなかった」と語った。私はこれらの事実から裁判員制度が開始されている今現在に於いてこんな調べがなされているのかと検察司法のおぞましい実態に愕然とした。あいもかわらず脅迫的な自供中心がまかりとおっているようだ。まるで車のスピード違反、いわゆるネズミ捕りみたいに刑事事件が扱われている。そこには推定無罪や法と証拠に基づきなどの原理原則は全く貫かれてはいない。呆れ果ててしまう状況にある。とりあえず全面可視化は急ぐべきだ。また週刊朝日に抗議したり、石川議員の女性秘書への異常なる言行も卑劣きわまりない。もはや司法の権威も信頼も完全に失墜した。検察組織が足利事件の菅谷氏から何も学習していないという事だ。先日のNHKのETV特集で死刑台から戻られた免田氏は死刑判決を受けた他の各死刑囚にもこれは「あやしい」と記されていた。おそらくその中にかなりの割合で無実の人々がいたかと思われる。時代はかなり離れているのに対話の中で免田氏も菅谷氏も全く同じような取り調べを受けていた。そして、検察、裁判所も最初からあるストーリーを作り一直線にその通り進むとも言われた。特筆すべきは今もって元ボクサーの袴田氏を死刑にする証拠は無いとされた元裁判官と免田氏との対話であり、それはまさに圧巻であった。3名の中でその温和そうな元裁判官が言葉をかみしめるようにいくばくかの時を経て絞りだすような声で死刑を下す他の裁判官に向かって「あんたらはそれでも裁判官か」と言った彼のまさに慟哭の形相に私は、一瞬「これはドラマを観ているのではないのか」と目や耳を疑った。おそらく、今も苦しみを背負って生きている元裁判官の声と顔が時々、脳裏をよぎる。もし再放送されるなら是非観ていただきたい。そして番組の中で免田氏は何回も裁判員になられる方々に人を裁く意味を考えていただきたいと訴えられた。その重要な意味あいから考えてみても免田氏の無罪からずいぶん長い年月が経過しているというのに今回のこんな見込み捜査で村木氏を逮捕、拘束し、しかも裁判過程で検察側の証人にボロボロと調書を否定されるようなぶざまな実態をさらしている検察とはいったいいかなる存在なるや~。ずさん極まりなく、もし村木氏が無罪判決なら重い責任を取ってもらおう。もう、こんな検察が提起する殺人事件など裁判員制度で審議出来るなど到底不可能だ。一般国民が冤罪の片棒を担ぐなんてまっぴら御免。民主党政権は警察、特に検察、裁判所の精神教育と制度の在り方をそれこそ革命的に改革せよ!平時であって国家による冤罪殺人ならびに公権力の乱用は絶対にあってはならぬ。3権分立なんて内容が伴ってこその話でこんな劣化した恣意と功名心がいっぱいで時に政治的思惑を秘めながらキヤリア官僚というエリート意識満載のセクト集団は放置しておくわけにはいかない。最後に「罪これ万死に値する」冤罪で不条理を体験された方々になりかわり、怒りをこめてこの言葉を司法関係者に送る。

「子供番組に真理がある」
ウルトラマン、仮面ライダー、デビルマン、正義のヒーローを扱ったこれら子供向け番組には共通する事柄があります。何だと思いますか?
 ウルトラマンでは宇宙からの侵略者に対し地球防衛軍が立ち向かいますが、全く歯が立たず、結局宇宙人であるウルトラマンが宇宙からの侵略者を倒します。仮面ライダーでは、ショッカーが送り込んだ改造人間が暴れまくり、人間はやられっぱなし。結局、同じ改造人間である仮面ライダーでないとやっつけることができません(ちなみに仮面ライダーはもともとショッカーが作ったんです)。デビルマンも同じ組み立て。悪い悪魔をやっつけることができるのは、同じ悪魔で人間側に寝返ったデビルマンのみ。
 これらの意味するところは明確です。つまり、悪いものを倒すことができるのは、その悪いやつらと同じ性質をもったものでないと駄目ということです。悪徳検察をつぶしたいなら、彼らと対立する検察(あるいはその類似組織)をぶつけないといけません。既得権益どっぷりの記者クラブを潰したいのなら、記者クラブ内部から裏切り者が出ない限り無理ではないかと。で、陰の権力を潰したいのなら、陰の権力から寝返って出て行った者でないと無理ということです。
 以上、子供向け番組はある真理を我々に教えてくれていると思います。民主党が政権獲得以降悪戦苦闘している理由は、ショッカーが送り込む改造人間達に人間が立ち向かおうとするからです。民主党には仮面ライダーがいないのでしょうか?

米中2G時代は来ない


今年中にも中国のGDPが日本を抜くと言われているし、2030年にはアメリカを抜いて世界一になるとも言われている。年率9%の成長を続ければ当然そうなるだろう。また、事実古代に於いては、ピーク時中国は世界の富の70%を占めていたとも言われている。いずれにせよ、中国が世界経済で落ちこぼれていたのは、人類数千年の歴史で高々二百年ほどに過ぎず、殆どの期間を世界一の経済大国として君臨していたのは間違いがない。
 
 だから、これからの中国は本来の姿に戻るのだ、と言うわけだ。
 
 しかし、これはきわめて疑わしい、と言うよりあり得ない。もしかしたら一時的に日本を上回るかも知れないが、そのままアメリカをも抜き去るとは考えにくい。もっとも、アメリカの経済力が相対的に落ちてくるとすれば米中の差が縮まるとは言えるかも知れないがそれが恒久的に続くには根拠がなさ過ぎる。
 
1)古代よりこの近代の多少の期間を除いて中国は世界でも最も進んだ文明国家であり、匹敵すると言えばエジプト、インド、メソポタミアくらいしかなかったが、いずれも中国の国土、人口に匹敵する物ではなかったし、また栄枯盛衰もあり比較的継続していた中国ほどの富を蓄えることが出来なかったと考えられる。

しかし、現在は中国に匹敵する、あるいはそれ以上の文化力、政治力を備えた国家はたくさんあり、かつて中国が最大の文明国家であった時代とは状況が大きく異なり、昔と同じように中国のみが抜きんでることはあり得ない。

2)古代に於いては軍事力や農業生産力などが国力を決めたのだろうが、現代では先進国としての絶対条件、つまり自由経済、それを成り立たせる民主主義が絶対的に中国には欠けている。したがって、中国が成長して来るに従い、それに抵抗する力が内外から比例して大きくなるため、中国はそれらと戦わなければならず、それが成長を阻害する。

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http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0123&f=national_0123_001.shtml

急回復の中国に、欧米で広がるバッシングの兆し

  2009年の国内総生産(GDP)の伸び幅が8.7%に達し、世界的な不況の中で一早く回復を見せている中国。一方、米国では失業率の悪化が深刻となっており、輸出の成長が著しい中国に対するバッシングが広がるのではとの見方が強まっている。米国のニュース雑誌「New Statesman」が伝えている。

  中国では12月の輸出が前年比で20%近く増加したのに対し、EUではいまだに不況の影響から抜け出せず、約20%減少という数字が出ている。この対照的な数字だけでも中国バッシングの拡大には十分な要因であり、また中国の安い商品の輸入が米国の失業率を悪化させているという感情の高まりが、新たなバッシングを引き起こすのではないかと、記事では指摘している。

  また、米国の失業率は10%に達しており、国内の不満は膨らむばかり。政府は貿易摩擦は避けたい考えだが、国内の社会的不安を減らすことが優先課題であり、ワシントンが貿易不均衡を是正するため人民元の切り上げを迫ったり、懲罰関税を課すなどの対抗措置に乗り出すのは時間の問題だと見られる。

  しかし記事では、米国が動き出したとしても、中国はすぐに反応せず、ゆっくりとしたペースで人民元の切り上げを進めていくだけではないかとの見方を示している。(編集担当:松井望・山口幸治)

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中国内部に於いては、その状態を改革する機能が存在しないため、いずれ中国は袋小路に追いつめられる。

3)国力の大きな部分は文化力、技術力の充実だが、中国のそれらは世界の最低レベルと言っていい。これについては私のブログにたびたび書いているのでここでは繰り返さないが基本的な民度、技術の軽視、拝金主義、人治主義、政治の腐敗、情報統制などが国家の成長を抑える。

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http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=25425

国産車が販売不振、海外メーカーと比べ「技術不足」―中国モバイル版

2008年10月31日、中国自動車報は国産車が深刻な販売不振に陥っていることを報じた。

07年まで5年連続の2ケタ成長を記録した中国では個人消費が活発化、乗用車販売台数も大幅に伸び、07年は879万台の売り上げを記録、03年から倍増した。しかし政府と国民の期待を一身に受けている国産車は不振にあえいでいる。07年の販売台数は124万台と前年から25万台以上増加させたものの、マーケットシェアは大きく低下した。

国産車は低排気量の小型車を主戦場としているが、市民の収入水準の上昇により、メインの市場はより大型の車へとシフトしている。排気量1000cc以下の販売台数は前年比で31%も減少した。一方で大型車も決して好調なわけではない。国産ハイクラス車の代名詞ともいえる「紅旗HQ3」は不振のため16万7000元(約250万円)という空前の値引きを実施した。

中国国産車不振の理由を問えば、技術力不足に尽きるだろう。急成長する中国市場でのポジションを得ようと世界各国の自動車メーカーは現地に合資企業を設立、生き馬の目を抜く激戦区となっている。こうしたなか、国産メーカーの技術革新は明らかに一歩遅れたもの。9・10月の自動車販売台数が前年を割り込むなど景気低迷が現実化しつつあるだけに、国産メーカーはこれまで以上に厳しい状況に置かれている。中国自動車報は、国産メーカーは技術革新のスピードを上げ、海外企業に負けない競争力を得ることしか生き残りの道はないと激励している。(翻訳・編集/KT)

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4)そもそも、中国の公表している経済発展の数字がきわめて疑わしいことは周知の事実であり、地方は成績を上げるために水増しをした数字を中央に上げるため、それらの数字を単純に足すと成長率が年率20%を越してしまうので、適当に調整して発表しているとされている。増大し続ける失業率、資源の消費量の伸びの少なさも、中国公表のGDP伸び率を説明出来ない。

5)嘘で塗り固められた中国が、唯肥大化するだけでは自重で崩壊するとの見方が大きい。

もし、中国が国際社会と協調し、節度ある大国となるのであればむろんそれは世界にとっても有益であり、日本は中国と共存共栄を図ればよい。日本の10倍以上の人口を有し、25倍の国土を有する中国が日本やアメリカ以上の経済大国になることも全く問題はない。だが、中国は内部に抱えた問題故に、世界と妥協することが出来ず、今まで敵視政策を採ってきた日本と真の協調を取ることが出来ない。

中国がこのまま成長するには阻害要因が大きすぎる。古代に於いて中国の周辺に競争者がいなかった時期とは違う。中国の台頭が世界に悪影響を与えるからこそ、アメリカは警戒感を強め、周辺国や今ではアフリカなどからも反感を買い、世界中で中国排撃運動が起きているのだ。

ロシアも決して中国に心は許していないし、それはインドも同じ事だ。このような状態で、中国が世界一の大国になることなどあり得ない。もしそうなら世界が中国に膝を屈することを意味するが、それは世界は求めない。だから、中国が世界の工場であることは認めても、支配者となると話は別だ。

内外に大きな矛盾を抱えたもろい国、自重でつぶれそうになっている大国、それが中国の真の姿と言えよう。

ところで未だに日本経済が中国頼みであり、中国がなければ日本経済は成り立たないと言う人たちが居る。しかし、本当にそうなのかを数字で検証してみると

http://www.jetro.go.jp/world/asia/cn/stat_01/

ジェトロ統計  2008年

1,506億4万ドル   (日本からの輸出)
1,161億3,245万ドル (中国からの輸入)

対中貿易黒字 345億ドル ¥100/$ として、3兆4千5百億円

同年、日本の総生産高は49,230億ドル 同490兆円

3.45兆円/490兆円 = 0.7%

つまり、日本経済が中国に依存しているなどとの主張には根拠が無く、この数字は単なる誤差の範囲でしかない。

むろん、それでもいくつかの日本企業が中国関連で利益を上げているのは事実だし、また中国も最近は品質が上がってきて、未だに低い労働力により潤っている企業があるのも事実だろう。

また、工作機械、高機能材料などの産業資材を中国に売って潤っている事実も否定はしない。だから、現実に今中国が急に崩壊したりすればある程度日本にも経済的な負担が生ずるのだろう。

だが、上記の数字で見る限り、中国が無くなって日本経済が立ちゆかないなどはあり得ない。むしろ、中国の急速な落ち込みにより国内不安が急速に膨らみ、それが日本の安全保障に対して大きな危険となることを予測しておかなければならないだろう。

中国に投資しろ、これからは中国の時代だ、中国がなければ日本は成り立たないと言う人たちは、それが商売なのだ。中国株を持っていれば、当然中国の有望性を宣伝し、人々を煽り立て、値が上がったところで売って儲ける。それが彼等の仕事なのであり、サブプライムローンでどれだけの人間がだまされたか、世界がどれだけ被害を受けたかを考えてみればよい。

中国に投資して儲かるなら、なぜ日本からの対中投資額が、対インド投資額を下回ったのか。如何に多くの日本企業が、中国投資でだまされ泣いたことか。その実態を少なくとも自分で調べてから、自分のリスクで中国投資でも何ですればよいのだが。

しかし、民主は本気で国を挙げて中国投資を押し進めたいらしい。

いずれにせよ、このような状態で、米中の2G体制の一翼を中国が担うなど到底無理であり、その能力はない。またアメリカもその点は良く承知しているだろう。オバマ政権は比較的中国に対しては融和的だが、それでも中国製品の洪水輸出、それによる失業の輸出、安全問題などがアメリカでも大きな問題になっているし、またアメリカ自体が経済的に大きく落ち込み、中国と事は起こしたくないだろうが、鷹揚に受け入れる余裕はない。

台湾への武器輸出、ダライラマ師との会見、グーグル撤退問題など、最近急に米中間がぎくしゃくしてきたのも、急速な経済力の増強に伴い中国がきわめて高圧的になってきた事への警戒感があるからだろう。

むろん、個人的には優秀な中国の指導層がアメリカと正面切ってぶつかる力が自国にはない事くらい承知しているだろうが、国民に情報を閉ざしてきたツケが回ってきて、今中国の指導層がアメリカに対し弱腰と見られる姿勢を見せると、それこそ中国政府が倒れかねない。

普通の国であれば仮に政権が倒れても、指導層は政権から降りるだけのことであり、生命財産がどうなるわけでもないし、次に政権を奪還する機会もねらえる。

しかし、独裁国家中国では、政権の座から引きずり降ろされることはすなわち生命財産の安全さえおぼつかないから、たとえアメリカと真正面からぶつかる力が自国にはないと知っていても、中国政府は強面の姿勢を貫かなければならない。これが、最近特に中国の外部に対する姿勢に融通性が無くなってきた理由だ。すなわち、これは中国の弱さを示している。

対日姿勢にしても、毒餃子問題を認めるわけには行かず、反日デモで日本公館を破壊しても正式に謝罪するわけには行かず、ガス田開発や尖閣列島問題で譲ることが出来ない理由だ。

中国には、他国に譲るという外交上の有効な手段を使う余裕がない。これでは世界が中国の台頭を脅威と見、中国に対する圧力は彼等の強硬姿勢に比例して強まるばかりだ。その状況で、国内には格差、腐敗、環境汚染などなど到底解決出来ない問題を抱えていて、しかも他国に弱みを見せられない中国がG2体制をとれるわけがない。

中国人が日本に来て買い物をする、上海北京には近代ビルが建ち並んでいる、高速鉄道が建設されているから中国は驚異的なスピードで近代国家になっているというのは、単にショーウィンドウの中の繁栄でしかなく、国民の数パーセントが富の大半を握っていて、国民一人あたりのGDPは世界の100位にも入っていない事実を覆い隠している彼等の精一杯の見せかけだと知るべきだ。人口が日本の10倍の国が、やっと日本と同じGDPに届こうかという事実、そして一握りの富裕層が日本の富裕層など足元にも及ばない豪華な生活をしているとは、残りの大半の国民は日本平均の10分の1より遙かに少ない収入で生きていることを示している。中国が日本以上の市場になり得ない事は小学校で習った算数でも計算出来ることだ。


中国はアメリカ国債をほぼ日本と同額所有しているが、最近大量にそれを密かに売ったことが分かっている。一方、日本は約束を守りアメリカ国際は馬鹿正直に抱え込んでいる。

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http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20100217-OYT8T00427.htm

日本、米国債保有で首位…中国が売却か
1年4か月ぶり
 【ニューヨーク=小谷野太郎】米財務省が16日発表した国際資本収支統計で、2009年12月末時点の日本の米国債保有残高が、08年8月以来1年4か月ぶりに中国を抜いて首位となった。

 日本の保有残高は前月比115億ドル増の7688億ドル(約69兆円)と2か月連続で増加した。一方、中国の保有残高は7554億ドルと、前月比で342億ドル減らした。

 中国は外貨準備の多様化を進めており、保有の減少が続けば、国債を大量発行する米政府に打撃となる可能性もある。

 米国債の国別の保有高は、以前は日本が最も多かったが、08年9月に中国に抜かれて2位に転落した。

(2010年2月17日 読売新聞)

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これでは、アメリカが中国を信頼出来るはずが無く、G2として中国と並ぶことを認めるわけがないだろう。アメリカからすれば、やはり中国は大きくなりすぎたら叩かなければならない存在でしかない。

明日2月23日、高知白バイ事件の片岡晴彦さんが出所します。

出所の様子がtwitterでリアルタイムでつぶやかれる予定です。
(出所の様子をtwitterでつぶやくのは日本で初めてとなるかもしれません)

ネットで応援しているかた、これを機会にフォローをお願いします。

アカウントは @lm767
http://twitter.com/lm767

です。

以下、片岡さんを支援する会を影からささえるlm737さんのブログを転載します。


片岡晴彦さん帰還まで後数時間
2010年02月22日 21:50
http://littlemonky737.blog90.fc2.com/blog-entry-266.html

  ついに 後、数時間で片岡晴彦さんが帰って来ます。

  23日午前0時に仁淀川町から片岡さんの家族と支援者を乗せたマイクロバスが加古川に向かいます。

  それにしても。なんともいえない気分ですね。私は晴さんに何て声を掛けるのだろう。

  う~~む。わかりません。

 片岡さん不在の1年4ヶ月をどう伝え、この先のこと・・・なんてのは、片岡さんが落ち着いてからの話なんですけどね。

  いきなり話はかわるのですが・・・それにしてもネガなんです。裁判所が高知県警にネガの提出命令さえ出してくれれば、法廷という場においても誰もが真実を知ることができます。

  片岡さん、ご家族、私、支援者。そして、このブログや雑草魂をご覧の皆様の共通の願いは裁判で審理してもらいたい。そして事実を明らかに。

 「これだけだ」といって過言はないでしょう。

 いやぁ これ以上書くべき言葉が浮かんできません。


 高知白バイ事件最後の署名活動になると思います。

 事実解明のためには皆様の声が必要不可欠です。

ご協力をよろしくお願いします


 片岡さん出所時の様子は高知に未来はあるのか?の方に23日のお昼ごろには速報で掲載予定です。1年4ヶ月ぶりの片岡さんの表情や、彼を迎える家族や支援者の様子を撮影して、udonさんに携帯から送信しますのでよろしくです

 片岡さんやご家族に一言お伝えしたい方は、片岡さんもブログ雑草魂にコメントよろしくです。またTwitterのほうで 迎えの道中や片岡さんの様子をリアルタイムにお伝えする予定です。

 今日でこのブログの更新は最後です。次回より「高知白バイ事件=再審請求に向けて」をはじめます。これを最終幕の幕開けとしたいと思います。

 これまでのご訪問ありがとうございました。そしてこれからもよろしくです。

週刊朝日が発禁!?

コンビニに週刊朝日が配本されていないとの情報あり。

山口 様

是非事実を調査してください。

『週刊朝日』のコンビニ等への配本が差し止められている模様
http://ameblo.jp/capitarup0123/entry-10466732379.html

竹村健一氏の月刊『世相』が年間4100円でこの4月に終了します。
有料の場合この程度の金額だと助かります。

オバマ大統領の思惑がらみの小沢幹事長の進退

小沢幹事長の帰趨について、さまざまな推測が飛び交っている。
一番もっともらしいのは、先の衆院選の大勝に倣って、参院選の準備を整えてから、タイミングを見計らかって幹事長職を辞し、民意に沿う姿勢をみせるというものだ。
しかし一方では、米側から5月初めの時期に大挙して徒党を引き連れての訪米を期待されている。日本国内の人気度との、なんという格差。しかも、この訪米のニュースが米側から報じられたのは、東京地検の捜査が始まって、日本国内は指揮権発動もあるかと騒然たる状況のさなかだったと記憶する。
5月末には、鳩山首相が昨年初来日したオバマ大統領に与えた”trusut me”の言質への、なんらかの返答をしなければならない期日が来る。それに先立つ小沢幹事長と米側の会談の内容には、どんな話が出てくるのだろう。
この一連の流れを見通した結果、まず、米側が鳩山民主党(日米双方に与党として民主党が存在し、ややこしいので日本側はこの名称にした)の政権からの離脱を望んでいないのではないかと、推測するのは暴論だろうか。仮に、大方のマスメディアが引き続きこれまでの報道姿勢をとった結果、参院選で鳩山民主党が大敗し、鳩山民主党が瓦解したとしたら、その後の日本の政界は一挙に群雄割拠の戦国時代に突入することは間違いのないところだろう。
それでも、双方が利益を甘受し合う関係と称さされる日米の同盟が、安定した状態で存続できるのだろうか。連立政権下にあって、安定した使用を可能にする、基地の新たな協定が実現できるだろうか。実は、米国にとっては、安定した政権下の日本があらゆる意味でもっとも国益に叶うと考えているはずである。日本国民としては、今となっては禍根も残した長期政権であったが、十分な恩恵を享受した米国が引き続きさらなる安定政権を日本に望むのは特段不思議なことではない。
政権与党とはいえ、日本の一政党の幹事長に、徒党を引き連れての訪米を期待する米側の姿勢は、これまでの米国の外交手法上極めて異例だという。ましてや、オバマ大統領との会談が設定されるようなら、今後の米国の外交にとって抜きがたい悪例になるという懸念も聞こえてくる。小沢幹事長が中国に大人数で訪れ、国家元首と会談した前例に対抗して、米側が招請したと単純に考える向きも多いが、本当にそうなのだろうか。
オバマ大統領が、共和党のみならず同じ民主党内の駆け引きも思うようにならず、守勢に立たされているという。そのようなタイミングで、長年の同盟国だった日本との関係がぎくしゃくする事態は決して好ましいことでないことは自明だ。では、米大使の一見強面とも見える言説はどうなんだと問われるかもしれないが、そこは盟友だというから大統領が米国民から弱腰だと見られないように、日本国民への憎まれ役をあえて買って出ているという解釈は、うがち過ぎなのだろうか。
小沢幹事長の進退は、こうして見ると、なにか米側のやむにやまれぬ事情というもの抜きには、語れない気がするのだが……。

私の何が刑務所に入れるほど悪いのですか? 山崎一夫さんの行方(1)
 
山崎一夫さんは、敢えて大麻で捕まって、大麻取締法の違憲性を裁判で問おうとしている。山崎さんは、今度捕まるると3度目だ。

山崎一夫さんのプロフィール。

ニックネーム:やま 性別:男性 誕生日:1954年1月17日 血液型:O型 出没地:バシスト

本名は山﨑一夫といいます
大麻所持で2度捕まっています 合わせて5年近く服役していますが2度の裁判にまるで納得しておりません

再審請求を3度行いました その裁判にもまるで納得できない どころか これはもう過誤によるのでなく故意に不当な裁判をしているとしか考えられないので 裁判官を職権濫用で告訴しました

(中略)

私はもう一度大麻所持で捕まって刑事裁判をやろう考えました そのことをブログに綴っていました その私のブログが突然私の知らないうちに削除されました
ヤフーで作っていたブログが突然削除されました
ために急遽手元に残っている分だけでもアップしようとこのブログを始めました

そして 今に至っています


●「やまのブログ」プロフィール
  http://profile.ameba.jp/yamasaki117/

そして、今に至り、山崎さんは、敢えて逮捕されるための行動に出た。
タイに渡り、バンコクで10グラム弱のバッズ(大麻の雌株の花穂)を500バーツ(約1,500円)で買い、それをチョロQなどと一緒に小包にして、日本国内の郵便局留めで送った。本人は小包よりも先に日本に戻った。東京・山谷に滞在する山崎さんの携帯電話に、郵便局から、小包が届いたと連絡があった。山崎さんは受け取りに行ったが、実は小包は税関で止められているのだと郵便局員に知らされたそうだ。

2月24日、山崎さんは、コメント欄に「今はいつ捕まってもおかしくはない状態」だと書き、26日のエントリーは次のように結んでいる。

やまのブログを愛読してくださった皆様 ありがとうございました やまのブログは今回が最終回です 裁判がどうなるかは分かりませんが 首尾よく無罪を勝ち取ることができればそのときはまた復活します 復活目指して全力で戦います ファイト!

明日、3月2日火曜日の午前10時30分から11時の間に、東京・上野の西郷さんのところで、東京税関の担当者と会うそうだ。当初、お台場の税関事務所に来るように言われたそうだが、やまさんはそれを断り、西郷さんを指定したとのこと。

大麻の密輸入。山崎さんの経歴からして、捕まれば実刑になる可能性が高い。
なぜ、山崎さんは、またしても敢えて大麻で捕まって、何を主張しようとしているのだろう。

山崎さんは次のように言う。

「私の何が悪いのか、ということですよ。私が大麻を使うことによって、私自身にも問題はないし、誰かに迷惑をかけるわけでもないし、別に何も問題はないのに、なんで私は刑務所に入れられなければならないのか、大麻は本当にそんなに悪いものなのか、そういったことを主張したいと思ってる」

山崎さんの訴えは、どのように司法に届くのか。あるいは届かないのか。

世捨て人のようでもあり、仙人のようでもあり、サドゥのようでもある、やまさん。

山崎一夫さんの闘いを見届けたい。

今後の中国をどう観るか・・一つの材料として

中国は、先進諸国の経済が急落後停滞する中でその急激な経済成長に期待を集め、またG2の一方の当事者として世界から注目されている。
一方では、中国の現在と将来への楽観論と悲観論など相対立する観方を含めて多種多様な論評が世界で行われ飛び交っている。
その状況で、私には非常に目新しい情報が目に止まったので、「取り急ぎ」下記してTheJournalご参加の諸賢にご披露したい。
(「取り急ぎ」の意味は、原書は勿論翻訳書にさえ当たらないまま披露に及ぶという拙速の不確実さを含む。)

1.出典は今日(3/7)の日経朝刊P21の「趙紫陽 極秘回想録」(2010年1月19日日本語版、原書の発行日は未確認)への書評(評者:早稲田大教授毛里和子氏)
舞台は、1989年6月4日の天安門事件に先立つ5/17の中国共産党中央委員会政治局の会議。
以下引用【該当部抜粋】:
1) 引用【・・趙は、政治改革の最終目的地は議会制民主主義、それには複数政党制と報道の自由がまず必要だ、とはっきり言う。】
2) 其れに続けて、引用【かつてのトップがこうしたことを語れるのも中国の政治的成長を示していよう。】
(無国籍人の推測による『追記』:【かつてのトップ『の89年当時の発言』が『20年間を経て発刊された書籍で』こうしたことを語れるのも中国の政治的成長を示していよう。)


2.予てから強烈な中華思想とその誇りや軍備拡張を継続する覇権主義などでも注目されている中国ですが、
1)嘗て、世界を驚かせた鄧小平が改革開放路線に大転換を果たした以前の段階で、
2)然も、未だに激しい人権批判を受けている天安門事件を引き起こす直前の段階で、
3)当時の共産党独裁政権の中枢(中央委員会総書記かつ国務院総理(首相))に、このような民主主義を深く理解し、強い洞察と意思を持つ人物が存在したことは、
4)中国という国家の政治が持っている複雑さや懐の深さに、私は強く感じ入る、
5)上記毛里氏の評【こうしたことを語れるのも中国の政治的成長を示していよう。】を含めて。


3.因みに私は、予てこのTheJournalで書き込ませて戴いている通り、
1)中国が遠い将来に世界を主導する極に位置付けられていると洞察し期待するものです。其処に至る凡そ100年間には、解決または対処されるべき重要課題が巨大な山をなしているが・・。
2)同時に、その暁には、文化的なものを含めて様々な日本流が取り込まれて、世界の平和と繁栄に寄与している姿も期待している。

《THE JOURNAL》編集部 御中

日頃のご好誼に厚くお礼申し上げます。
扨て、私の前稿(日本人を止めた)無国籍人 | 2010年3月 7日 19:13に「明らかな誤り」を発見しましたので、修正と追記を施しました。
就きましては、前稿を削除の上、下記に差し替えをお願い致します。
ご面倒をお掛けし、またこのYoronzの板を汚す点で誠に申し訳ありません。予めお詫び致します。また、この稿のご掲載に就き、宜しくご検討ご高配をお願い致します。

--記--

今後の中国をどう観るか・・一つの材料として

中国は、先進諸国の経済が急落後停滞する中でその急激な経済成長に期待を集め、またG2の一方の当事者として世界から注目されるなど、楽観論と悲観論など相対立する観方を含めて多種多様な論評が世界で行われ飛び交っている。
その状況で、私には非常に目新しい情報が目に止まったので、「取り急ぎ」下記してTheJournalご参加の諸賢にご披露したい。
(「取り急ぎ」の意味は、原書は勿論翻訳書にさえ当たらないまま披露に及ぶという拙速の不確実さを含む。)

1.出典は今日(3/7)の日経朝刊P21の「趙紫陽 極秘回想録」(2010年1月19日日本語版。原書の発刊日は未確認、2000年前後?)への書評(評者:早稲田大教授毛里和子氏)。

1) ハイライト:
中国の元国務院総理(首相)(’80-‘87)である趙紫陽氏の肉声回想録の書籍化。趙紫陽氏は、中国共産党「第2世代」の政治指導者として中央委員会総書記かつ第一副主席の要職にあった当時1989年5月17日の党中央委員会政治局の会議で、激化する民主化運動に対抗して「戒厳令発令の是非」の決定に際して反対を表明して敗退した。結果として、2週間後の6月4日の天安門事件が発生し、また趙紫陽の失脚に繋がったとされている。

2)注目点の引用【該当部抜粋】:
AA.【・・趙は、政治改革の最終目的地は議会制民主主義、それには複数政党制と報道の自由がまず必要だ、とはっきり言う。】
BB.其れに続けて、【かつてのトップがこうしたことを語れるのも中国の政治的成長を示していよう。】 (無国籍人の推測による『追記』:【かつてのトップ『の89年当時の発言』が『20年間を経て発刊された書籍で』こうしたことを語れるのも中国の政治的成長を示していよう。)
CC.【趙が語る鄧小平の専横ぶりもすさまじい。】

2.予てから外部からは強烈な中華思想とその誇りや軍備拡張を継続する覇権主義などでも懸念されている中国ですが、
1)嘗て、世界を驚かせた鄧小平が改革開放路線に大転換を果たした以前の段階で、
2)然も、未だに激しい人権批判を受けている天安門事件を引き起こす直前の段階で、
3)当時の共産党独裁政権の中枢(中央委員会総書記かつ国務院総理(首相))に、このような民主主義を深く理解し、強い洞察と意思を持つ人物が存在したことは、
4)中国という国家の政治が持っている複雑さや懐の深さに、私は強く感じ入る、
  (仮令(たとえ)、論争に敗北し結果として失脚したとしても。)
5)上記毛里氏の評【こうしたことを語れるのも中国の政治的成長を示していよう。】を含めて。

3.因みに私は、予てこのTheJournalで書き込ませて戴いている通り、
1)中国が遠い将来に世界を主導する極に位置付けられていると洞察し期待するものです。其処に至る凡そ100年間には、解決または対処されるべき重要課題が巨大な山をなしているが・・。
2)同時に、その暁には、文化的なものを含めて様々な日本流が取り込まれて、世界の平和と繁栄に寄与している姿も期待している。

新たなエネルギー革命を秘めた研究開発に国の支援を!
―凝集系核融合反応熱を利用したクリーンエネルギーー

マスメディアは殆ど報じない記事として、地球上のクリーンエネルギー革命を秘めている凝集系核融合反応に注目したい。本反応系は1989年に世界中を賑わし、再現性が問題となった常温核融合に利用した実験系とは全く異なり、金属微粉末を入れた真空容器内に重水素を導入する非常にシンプルな実験系で、反応によりヘリウムガスと反応熱のみが発生するというものである。

凝集系核融合反応は熱核融合、原発、高速増殖炉のような生命に危険な放射線を出すことはないことが大きな特徴である。同時に装置の小型化が可能であり、実用化されれば家庭、自動車、電車、船、飛行機等にも設置可能であり、従来の遠隔での集中型大規模発電方式を置き換える可能性もある。すなわち分散型クリーンエネルギー源として最適である。

本反応は従来科学では説明できず、原子物理の専門家は信じがたく、拒絶反応が起き、ミスリードし易い。実験現場で再現性良く異常現象が起きれば、もはや拒絶はできない。今回も研究初期に、残念ながら不幸な事態があった。

しかしながら、一部の大学、企業の研究機関で自由な基礎研究が今日まで続けられたがゆえに、世界的な優れた成果も日本から発表されている。それらの研究成果が互いにうまく相互作用し、金属バルクでもなく、金属薄膜でもなく、金属微粉末と重水素という組み合わせによる反応により凝集系核融合反応が荒田吉明氏(阪大名誉教授)により発見され、現象の再現性も確認された。

その後、吉田氏の基礎研究を国が積極的に支援した形跡はない。これまでの日本の置かれた研究経緯や既存の周辺技術もあり、すんなりと認めることへの複雑な感情論が災いしているのか、意志決定の鈍さは天下一品である。そんな悠長なことはいっておれない。世界中で追試され、研究が進んでいる。凝集系核融合反応に関する新たな重要特許が海外で提出されれば、それこそ国益を損ねることは必至である。最近では、これほどインパクトのある発見は京大の山中伸弥教授による人工多能性幹細胞の研究成果以来であろう。

吉田氏の研究成果の現状は既に芽は出ており、これを如何に育てるかは国の省庁の垣根を越えた研究費支援と人的支援にかかっている。意志決定をグズグズしている余裕はない。世界が相手である。是非とも国の支援を期待したい。

ウィキペディア(Wikipedia)での壮絶な戦い。

もちろん一方の当事者は私だったりする訳だが、村木厚子・石井一と錚々たる顔触れのWikipediaへの事件等の記述についての戦いだ。Wikipediaは人物や事件の内容を知るうえで重要な情報源になる訳だが、ご存じのようにマスコミ報道は全て検察側に有利な記事となっており新聞記事等を出典にするケースが非常に多く自然と検察側に有利な内容のWikipediaが作成されて行く。公正で公平なWikipediaにする為に日夜努力をしている訳だが、此処に来て出典元として相応しくないリンクであると異議を唱える人が一名発生した。その人が言うにはTHE JOURNALは出典元としては認めないと言う姿勢でこちらが書いた記事を問答無用で削除している。私がリンクしたのは【第11回】竹中ナミの公判傍聴記であり投稿者は《THE JOURNAL》編集部である。もちろん元記事はプロップ・ステーションのニュースに書かれている文責が竹中ナミ氏の記事であるからそちらを出典元にしましょうか?との妥協案や本文は客観的事実だけに留め表現は貴方の要求に応じて変更してもよいとの妥協案を出してみたが一向に聞き入れられず合意形成が出来ない状態に陥っている。相手方の主張だと竹中ナミの記事は個人のブログでしかなく信頼性が無いこと、個人的意見が混ざってるので公平性の上でもダメ、そもそもWikipedia:信頼できる情報源ではないと言われる始末である。

プロップ・ステーション
http://www.prop.or.jp/

竹中ナミの記事
http://www.prop.or.jp/news/topics/2010/20100304_01.html

そこで、色々と調べて見た訳だが・・・
プロップ・ステーションは1998年9月、第2種社会福祉法人として厚生大臣認可を取得しました。既存の福祉観とは異なるスローガンを掲げ、なおかつコンピュータネットワークを活用するという、全く新しいタイプの活動が「社会福祉法人」として認可された第2種社会福祉法人であり障害者にICT( 情報コミュニケーション技術 )を教えると共にニュース等をメールマガジンとして発刊している第2種社会福祉法人です。2002年10月1日に開催された「情報化記念式典」において「IT(情報通信技術)を利用した障害者の自立や就労を支援するボランティア団体の代表として長年活動してきたほか、障害者のIT利用の視点から政府の調査研究会等の報告の取りまとめに尽力するなど、情報通信バリアフリー環境実現の為に多大な貢献をした。』という業績により、『平成14年度情報化促進貢献個人表彰 総務大臣表彰』を受賞しました。とある訳でこうなると立派なニュースソース源では無いだろうか?
そして、出典元にしたい理由は公判傍聴記でありその中に書かれている事実を引用したいのである。例えば、倉沢氏の手帳に書かれていた内容や石井氏の手帳に書かれていた内容である。マスコミは公判を傍聴しても検察に不利になるような詳細は書かなかったり曖昧なままにした記事となっていて公平で公正なソースではないと思うのだが・・・残念なことにマスコミの記事は無条件に出典OKであり、それ以外は目を付けられると今回のように情報源として相応しくないと言われてしまうのである。まだ争いは続いているがどうなることやらである。

The JOURNALに、「永田町漂流記」を連載している平野貞夫さんの旧刊本3冊セットは、昨夏から無償頒布(送料着払)のご案内をしましたが、The JOURNAL読者を主として、数百冊セットの進呈を終えました。。
みなさん、「10数年前からの新旧本を読み比べることで、小沢グル-プの一貫性がよく見える」などご好評で、海外在住者からの申し込みも多数あり、The JOURNALの拡がりも確かめられました。

実はまだ相当数の残部があり、引き続きのご要望をお受けいたしますので、下記要領にてお申し込み下さい。(同書籍は、平野さんが参議引退時に無償提供を受けたものであり、書店で販売されたものですから、Amazonなどでご確認下さい)

書籍
小沢一郎との20年   平野貞夫著 1996年 プレジデント社刊
自由党の挑戦      平野貞夫著 1998年 プレジデント社刊
日本人と憲法と自由党 平野貞夫・樋高剛共著 2000年 プレジデント社刊

以上、3冊セットです。いずれも書籍代金は無償ですが、送料着払でお送りしますので、

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なお、「今回の呼びかけで知り得た個人情報は発送のためだけに使用するもので、それ以外の目的で使用したり、第三者に譲渡することはありません」が、それでもご不審の方は、佐川急便の営業店止めという配送がありますので、

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のみをお知らせ下さい。ただし、この場合は、到着予定日を頂戴したメルアド宛に返しますので、責任を持ってお引き取りをお願いします。

また、「日本一新運動」の走りとなった「平野貞夫先生日田講演」演題:私たちの暮らしと政治(地元CATV局撮影・編集)のDVDや、自由党が国会に提出し、審議未了に終わった「日本一新11基本法案」の小冊子など、複製費実費の頒布も可能ですから、併せてご意見を寄せて頂ければ具体化したいと考えています。

上記の複製・頒布(一部は実費)は、すべて関係者の許諾を得ています。

この2月19日、政府の新型インフルエンザ対策本部(本部長・鳩山由紀夫首相)が、これまでの対策、空港で行った検疫などが適切だったか、他国が取った対応との相違などの検証を今年度内に始めることを明らかにしました。ところが、翌日、20日には、あの物々しい空港での検疫やワクチン輸入などの対策の根拠・正当性を与えたは専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授ら5人、昨年5月1日から9月までに10回開催)は、議事録は作らず、一切録音もしなかったことがにわかりました。それで、勝手に検証。

★厚労省の「流行シナリオ」
日本は、昨年4月29日に感染症法の対象に、全国的かつ急速なまん延により国民の生命および健康に重大な影響を与えるおそれがあると認めました。
昨年8月28日に厚生労働省は、新型(豚)インフルエンザの「流行シナリオ」を発表しました。それは、ワクチン接種の効果を考慮せずの予想、いわば最悪の事態の想定です。
本格的な流行入りは8月中旬(2週目)で、季節性の流行パターンからピークは9週目の9月下旬から10月上旬、19週間(約4カ月半)後の年末頃に終息。
国内の患者数は年内に人口の20%約2500万人、高齢者が多い農村部や人口が集中する都市部では、罹患率は30%超になる恐れもあり、極めて軽症で済んだり、症状が出なかったりする人も含めた感染率は、全人口の50%(約6300万人)程度にまで高まることもある。

実際の新型(豚)インフルエンザの流行は、昨年11月頃がピークで、年明けには流行終息といえる状態になっています。この推移は厚労省の流行シナリオの想定に近い。また、感染者数は2月の頭で16%(2059万人)。シナリオの20%(2500万人)ですから、これも近い。

大きく外れたのは、入院率1・5%(約38万人)⇒0・086%(1万7195人)と17分の一、そのうち脳症など重症化0・15%(約4万人)⇒0・008%(1581人)と1800分の一。致死率0.1~0.5%(感染症学会)⇒0・00096%と100~500分の一。
そして、ワクチンの接種者数。例年の季節性インフルエンザでは、約1900万本(3800万接種量)使われ、約4000万人が接種していますが、新型(豚)インフルエンザに対して国産5000万接種量、輸入9900万接種量を準備し、約7500万人を見込みましたが、10月から3月9日までに推定2279万人。国産ワクチンは増産分1100万接種量をキャンセルしましたが、輸入分はキャンセルできず、製造後1年の使用期限からみて大半が廃棄される、約1100億円がドブに捨てられる見込みです。

この病原性、毒性が低いことは、昨年8月末頃には判っていました。CDC(米国疾病対策センター)は、大統領の諮問委員会の予想の数値、死者最大9万人などは「世界の状況および米国の状況から考えてもこんな数値は考えられない」とし、例えば致死率は0.01 - 0.03%と季節性より低めと想定し、実際には0.02%。CDCは、南半球で大流行してもウイルスが変異しなかったことなどから、今回の新型インフルエンザ・ウイルスは強毒に変異する可能性は低いとも発表しています。
日本でも、多くの専門家が厚労省の予測シナリオに過大であると疑問を表していますが、ほとんど、報道されていません。
欧州では、WHOのパンデミック(世界的大流行)宣言の当初から、批判的な専門家の意見も報道され、流行の様子から11月末頃から「WHOのパンデミック宣言が不必要に高い警戒度だった。それは、製薬会社がワクチンや医薬品を売るために影響力を行使した結果ではないか?」という報道がされ欧州会議による調査が行われています。

★煽られた不安
日本では、4月29日に強制隔離(入院)も可能な感染法の流行病に指定して強毒の新型(鳥)インフルエンザと同じ扱いにする。枡添前厚生労働大臣は真夜中に記者会見するなど、感染法の対象の強毒な流行病として厚労省は扱っています。マスコミ報道も、それ一辺倒でした。欧米のような、季節性インフルと同等といった意見も報道して、国民の自主判断の材料になる報道ではなく、センセーショナルで視聴率などが取れる厚労省の“感染法の対象=強毒な流行病”というシナリオに沿った報道、つまり広報ばかりでした。

その結果、我々国民は不安が煽られました。大流行・パンデミックを防ぐためなら、人口の7割から8割がワクチンや実際の感染で免疫を獲得していれば十二分です。そうした人がいわば防火壁、防波堤になって広がらないのです。カナダや英国などが計画した接種量は、それくらいです。しかし、厚労省とマスコミの“強毒な流行病”という扱いに不安に募られた国民を安心させるために全員分のH5N1ワクチンを作れと、当時の与党(自民、公明)プロジェクトチームなどは、主張しました。

7月南半球が流行期に入り、8月には感染者数は非常に多いが、致死率は季節性インフルエンザよりも低いことが確認(オーストラリアでは季節性の死者数の十分の一以下)。ですから、昨年8月末では、感染力が強く患者数は多いが、病原性・毒性は例年のインフルと同じ、入院率、重症化率、致死率は例年、強毒性に変異する可能性は少ないとして、流行予測や対策が、その時点での知見を反映した適切なものです。

8月31日付けで四病院団体協議会(日本病院会、全日本病院協会、日本医療法人協会、日本精神科病院協会で組織する民間病院を中心とした集まり。)は枡添厚労相に「弱毒性と判明した時点で警戒を相応の程度に緩めるなどの措置を、柔軟かつ速やかに行う必要」として、直ちに強制隔離などが可能な感染症法上の疾患としての取り扱いを解除することを求めています。
しかし、”強毒な流行病”とした決定を厚労省は見直さず、解除せず、握った強権を手放そうとしませんでした。マスコミもセンセーショナルな “強毒な流行病”と報道し続けます。

8月、中国とオーストラリアでワクチンの臨床試験結果が出始め、1回接種で十分な免疫が獲得できることがわかり、9月にはその他の国々のワクチン臨床試験で1回接種で成人の免疫獲得がほぼ確認されました。国産ワクチンは5000万接種量、2回接種で2500万人分だったものが、これで5000万人分になったわけです。

人口の7割から8割、日本全体なら9000万人位がワクチンや実際の感染で免疫を獲得すれば、パンデミックは抑えられます。9000万からワクチン接種の開始時の感染者数を引いた人数が、最大のワクチン必要人数です。ワクチンの輸入は年明け後。年末までに2500万人位感染すると厚労省は予測していました。輸入の時点では、感染していていないワクチン接種の対象人数は6500万人位。国産ワクチンは5000万人分ありますから、1500万人分輸入すれば足りる勘定です。

しかし、それほど希望者がいたでしょうか?厚労省の8月の流行シナリオなら、100万人都市・新潟市では20万人が感染し3000人が入院し、300人が集中治療室に、そして安置所へです。そうなれば、争ってワクチンを子供に家族に接種しようとするでしょう。
しかし、8月中旬からの流行でそのような事がおきたでしょうか?身近な患者をみれば、ごく普通の風邪の病状です。日本全体でも、そうであることは各種の統計、届けを受けている厚労省が一番知っていたでしょう。症状は普通の風邪だけど、新型で罹り易いからと、接種希望者が増える、厚労省は例年の4000万人が接種しているとしていますから、2割増えても十分に足りて余る勘定です。(実際に接種した人は厚労省の3月の発表では報告数約1772万人、ワクチン出荷量からの推定で最大2279万人)

輸入ワクチンの発注は、政権交代後の10月です。この時点までに、感染力がつよく罹りやすいが、病原性・症状は例年のインフルと同じ位で、強毒性に変異する可能性は少ないと、誰もが知るようになっていれば、厚労省はせっかく手に入れた感染法の強制措置んどの強権や莫大な予算を手放す破目でしょうが、我々は安心できたし無駄に税金を浪費されずに済んだのです。


そうした情報をひろめるのは、報道機関の役割ですし、また報道機関の役割の一つが、権力の監視掣肘です。三権分立ですから、小沢幹事長ら国会だけでなく、厚労省ら行政権力が適切に行使されているか監視するのも、報道機関の役割です。今回なら厚労省に「国民の知る権利」を行使し、新型は強毒の感染症ではなく、単なる罹りやすい風邪ではないか、対策が過剰では?と問いただし、厚労省に再考を促す、監視するのは報道機関の役割です。

あの物々しい空港での検疫やワクチン輸入などの対策は専門家諮問委員会(委員長・尾身茂自治医科大教授)の答申に拠っています。昨年5月1日から9月までに10回開催ですが、議事録は作らず、一切録音もしなかったことが20日にわかりました。
新聞、テレビの記者さんが、こうした対策の必要性や合理性を検証しようとしていれば、こうした記録が必要ですから、直ぐにもわかったことです。今頃、記録が無いのがわかったということは、誰一人、検証しようとしなかった、厚労省の発表・方針を鵜呑みにしていた。これでは厚労省の対策の是非を論じ、厚労省の権力行使を監視するなど望むべきもありません。

昨年の新型インフルエンザの新聞、雑誌、TVニュースなどの記事は、一昨年の約9倍の怒涛の洪水のような報道がされました。(日経テレコン21の調べで、277媒体で10万4563件、2008年1万2282件)量は膨大ですが、質はどうでしょうか?

★ 基礎的な知識、“常識”が伝わっていない。

2月上旬の高校3年生以下の子どもを持つ全国の母親500人を対象にした調査では、①ワクチンの効果(発病阻止率)を3人に一人は知らないし、半数以上の人が過大に評価している。②ワクチン接種による予防効果の持続期間も、半数弱の人が実際よりも長期間と考えているという結果が出ました。つまり高校生以下の子どもを持つ母親の二人に一人は、ワクチンを注射すれば、流行期間中ずっと“発病を防ぐ効果がある”と信じている?。

厚生労働省に拠ればワクチンが発病を防ぐ効果は、幼児・1歳以上6歳未満では「20~30%」、しかし正しく回答した人は、わずか3.0%、約50~60%‐18.8%、約60~70%‐13.8%、70%以上‐15.2% と56.8%の人が実際よりも高い効果、健康な成人なみの効果を持つ、35.6%、3人に一人は知らない。

そのワクチンによる予防効果の持続期間は、概ね5ヶ月で正答率が5.0%。6ヶ月‐31.6%、12ヶ月‐7.4%、1年以上‐3.6% など、44.6%の人が実際よりも長期間で、15.4%、7人に一人はわかりませんでした。

新型インフルエンザワクチンの数量や誰が優先して接種されるかなどが連日、洪水のようにテレビニュースなどで報道されましたが、ワクチンそのものについては妥当な情報が伝えられず、多くの人が過大な期待を持っていることが示唆される調査結果です。

それでは、ワクチンを接種したら手洗いや食事、睡眠に気を配らなくなるのではないでしょうか?
また、大流行・パンデミックを防ぐためなら、人口の7割から8割がワクチンや実際の感染で免疫を獲得していれば、いわば防火壁、防波堤になって十二分です。しかし、妥当な情報が伝えられず過大な期待をワクチンに持たされた国民に、”安心させるため”全員分のH5N1ワクチンを作れと、当時の与党(自民、公明)プロジェクトチームなど非合理な政策を主張しました。

★不勉強で猛々しいマスコミ

あの物々しい空港での検疫やワクチン輸入などの対策にお墨付きを与え、実質的に決めていたのは、新型インフルエンザ対策本部の専門家諮問委員会の5人です。昨年5月1日に初会合が開かれ、麻生-枡添の前政権下で9回、鳩山-長妻の現政権で1回。原則的に開催自体を告知しないし、会議は非公開の秘密の会議です。

その議論の記録が、議事録や録音などが、一切無い事が、この2月20日までマスコミは知らなかった。19日に、鳩山政権に変わってから力を持った政務官、その厚労省の足立信也政務官が対策の検証を今年度内に始める事にし、発表した翌日にそれがわかった。
厚労省の官僚が対策の原案を立案し、委員に意見を求める形で進められたと言う議論の内容を、官僚・役人と専門委員以外は誰もわからないのです。

あの検疫、水際対策、自衛隊の医務官までも空港に動員し、入国者名簿をつくり各地の保健所に通知して、保健所の職員が他の仕事を投げ出して名簿に載っている人に電話などで具合をチェックさせた水際対策は、その当時から潜伏期間で発症していない人は見つけられないなどから無意義だという指摘がされていました。世界的にも異例のあの水際対策は、諮問委の「一定の効果がある」との評価で税金を使って実施継続されました。5月に5回開催された諮問委で機内検疫や感染者の隔離措置など水際対策を論議しています。
ですから、その論議を知る権利が、納税者には、国民にはある。その「国民の知る権利」を、マスコミが果たしていれば、5月、6月に議論の記録が、一切無いのがわかっていました。
それが今頃、わかったということは、マスコミが私たち「国民の知る権利」の行使を蔑ろにし、厚労省の発表・方針を鵜呑みにしていたことです。

それは、国産ワクチンの接種方法でも、鵜呑み、丸のみです。国産ワクチンが出来る頃は厚労省の8月の想定では流行のピークです。想定では毎日76万人余りが感染・発症します。入院率は1・5%ですから、毎日1万に余りが入院する。700~3500人死んでいく。病院は診察を求める人などで病院はごった返すでしょう。そこに、感染していない人を集めてワクチン接種するのは、非合理で、非効率的です。

欧米では、学校や公民館を使った集団接種を準備しました。日本は、ワクチンの容器を少量の一人用のアンプルから、大容量の集団接種に使われてきたバイアルにしました。しかし
「厚労省は毎日のように通達を出すけれども、意味不明のお役所言葉ばかり。・・どこで子供たちに接種するのか。昔は学校で強制接種を行ったけれど、今は任意接種です。小児科で接種しようとすれば患者と一緒になりますから、どう考えても無理があります。

さらに致命的なミスはワクチンのバイアルを10mlとしたこと。成人で20人分、小児なら30人から40人分になります。集団接種でなければ使い切ることはできません。地域の保健所を活用したら、と厚労省幹部は考えたようですが、小泉政権時代に縮小、統廃合を繰り返した保健所にその余力はありません。結局小児科でインフルエンザの診療も予防接種も行うことになりました。

しかも余ったワクチンを孫に接種した診療所の医師が批判されたり、福井県の病院が使い切れなかったワクチンを廃棄した、とマスコミは相変わらずおかしな批判ばかり。批判の矛先はこんなバイアルを採用した厚労省の責任者に向けられるべきなのに、末端の批判ばかり。譲渡したり、優先患者以外への接種を禁じているのですから、誰かに接種できなければ廃棄する他ないということが分からないのでしょうか。」(岩手県の医療従事者)

日本は、インフルで入院した人の死亡率は、米国の四分の一。日本の健康保険を含めた医療システムの優秀さ、医師や病院の奮闘を物語る数字です。その現場で頑張っている、医師や病院を非難する。批判されるべきは、こんなバイアル容器を採用した厚労省の官僚、諮問委の教授連。この非難は“いじめ”です。権力、行政権力に吠え立てるべきなのに、、、そして初冬でも「冬には大流行、または変異ウイルス誕生の心配がある」と不安を煽る報道をしていました。

★国民を大損させたマスコミ報道

その末端の病院らから8月末に、「弱毒性と判明した時点で警戒を相応の程度に緩めるなどの措置を、柔軟かつ速やかに行う必要」として、直ちに強制隔離などが可能な感染症法上の疾患としての取り扱いを解除することを求めています。

病院だけではありません。強毒性のインフルに対応する行動計画に従って、企業や団体によっては家庭で子供がインフルエンザを発症した場合、1週間も出社停止を命じた所もあったり、学級閉鎖、学校閉鎖がされました。病原性が高いのに合せた行動計画に従って、保健所が患者との接触者調査等を行う。それで企業側は、家族に感染者が出た場合は1週間は家庭に待機という対応になるわけです。

WHOは、病原性は季節性インフルエンザよりも重いことはないと5月に発表。7,8月の南半球での大流行をみれば、例年のインフルと病原性・毒性は変らないことはわかります。だからこそわたし達にとっては専門家である病院らが弱毒性として、対応を変えるの求めたのです。例年のインフルと変らないのならば、1週間もの出社停止なども不要になります。

これに、厚労省や諮問委は、どのような議論をして、扱いを変えず強毒のままに据え置いたのでしょうか?そうした報道にお目にかかったことがありますか?それを知る第一級の資料は、諮問委の議事録ですが、マスコミは手に入れようともしなかったのです。

欧州では、流行の様子から11月末頃から「WHOのパンデミック宣言が不必要に高い警戒度だった。製薬会社がワクチンや医薬品を売るために影響力を行使した結果では?」という報道がされ欧州会議による調査が行われています。日本は厚労省の足立信也政務官が言い出すまで、対策の検証をしようともしませんでした。

★国民との信義より重要な官庁との信義

新聞やテレビなど大手報道機関は、記者クラブという組織を作っています。例えば、警察や検察などを取材先にして司法記者クラブをつくり、逆に、警察や検察などは司法記者クラブだけに記者会見します。雑誌などには応じないのです。この官庁と記者クラブ(大手報道機関)の関係を物語る文書があります。
1987年、東京地検特捜部名で司法記者クラブ各社に出された文書です。次の場合、出入り禁止=取材に応じないとする
(1)部長、副部長以外の検察官、検察事務官などへの取材
(2)被疑者等への直接取材など捜査妨害となるような取材
(3)特捜部との信義関係を破壊するような取材・報道をした場合

(2)の項は、捜査妨害なら検察は逮捕できますから、本来は不要です。被疑者等=弁護士や関係者などから事情を聞けば、検察の言うことと違う、どうもおかしい、冤罪?と思うこともある。今回の新型(豚)インフルエンザでも、海外の報道や在野の研究者、医者に取材すると、厚労省の言い分と違う、強毒性でなく弱毒、季節性とかわらないことがわかれば、厚労省の方針に当然疑問を抱く。そして尋ねる。それが、官庁・行政権力は嫌ということです。行政は、誤りが無い事を前提にしているからです。検察や厚労省などの発表、見解に疑いを挟まずに丸飲み、鵜呑みしないと、出入り禁止=取材拒否をすると報道機関を脅しているのです。それで、勉強する記者さんは、飛ばされるといわれていてます。

「『地検関係者への取材で分かった』といった書き方をすれば、おそらく、東京・司法記者クラブの地検担当記者たちは、かなりの確率で『出入り禁止』処分を受ける。『出禁』は10日間とか2週間とか続くから、『出禁』になれば、庁舎内で行われる次席検事らのオフレコ懇談、被疑者を起訴した場合のレク等に出席できなくなる。」(北海道新聞東京編集局の高田昌幸)
この文書は1987年、20年前からこうした関係が続いていた。ベテランとよばれる記者は、駆け出しの頃からこのような関係で取材して、報道してきたわけです。

元特捜部検事の郷原さんは、「たとえるなら、検察内部の人間は Jリーガーで、司法クラブはスタンドで応援してるサポーター。顔に丸特(特捜)ってペインティングしているようなね。・・・ 実況はサポーターがやっているから、本当にだれかがキラーパスをやったか? とか、だれかが得点を決めたか? とか、どうなっているのか分からないわけです。
 サポーター報道だから、熱狂だけが伝わってしまう。検察とメディアが一体になっていることが問題なんです。」

このように出来上がった、官庁・行政と報道機関の関係、“信義関係”、 を破壊するような取材・報道をした場合も出入り禁止=取材拒否と念を入れています。
このような通告を、易々と受け入れた。報道機関にとって読者・国民との信義関係よりも、官庁・行政との信義関係が重い、重要というわけです。

冤罪?とか、強毒性でなく弱毒?という疑問を、検察や厚労省に質すということは、前に述べたように国民の立場に立てば、極めて重大なことです。そのような権力、行政権力を監視、掣肘するのが、報道機関と国民との信義関係です。それよりも、検察や厚労省などの発表、見解に疑いを挟まず異議を唱えずに丸飲み、鵜呑みにする、官庁・行政との信義が大切なのです。

★説明責任と情報公開制度

欧州では、11月末頃からこの新型(豚)インフルを過大に評価したため、対策を誤っていたという議論が、報道をきっかけに起っています。
河野太郎代議士は、日本の「マスコミは、まるで飼い主からえさをもらう犬のように、飼い主には吠えず、ただ気に入られようとするあまりにしっぽをちぎれんばかりに振ることになる。」
マスコミへの“餌”は、記事になり視聴率などがとれる情報です。出入り禁止=取材拒否で、官庁・行政は、国民の権力への番犬=報道機関=を腑抜けにして、特ダネ情報のリークで手なずけているのです。

ですから、実質的に行政の握っている情報を、行政が専有できなくしてしまえばと、一足先にこの問題に直面した米国で考え出された制度・考えが、アカウンタビリティ「説明責任」と情報公開です。税金を費やして行政は行われるのですから、納税者に税金の使い道、何に、何のために、どのように使われたかを説明する責任があるというアカウンタビリティ「説明責任」と、行政が集め作成した情報を誰にでも、出入り禁止の人でも開示する情報公開の制度です。
水際対策や輸入ワクチンの必要性を国民に説明する責任と、諮問委の論議など決定過程を公開する情報公開です。それがあれば、少しはマシになるのでは??

  国家経営、其処に生きる人々

今日(3/15)の日経夕刊トップが以下を報じている。
HeadLine:新興国の中間層開拓
SubHeadLine1:大塚製薬「ポカリスウェット」ジャワに新工場
SubHeadLine2:プラスなど、中国で低価格品

企業は企業として生き続ける使命があるので、企業存続の道を逞しく追求し続けることは当然であり、異論どころか大いに賛辞と激励を贈りその成功を祈りたい。

他方で、日本国政府としては、このニュースから、経済界の傾向として「民間企業の製造設備と機能の海外流出、従って雇用機会の海外流出(※注)が加速している」と捉える必要がある。
    (※注)海外で製造した商品の対象市場が当初は当該国内の消費市場であったとしても、企業経営の鉄則である「個別企業の個別最適」の観点からは、遠くない将来に、海外での製造品が日本国内に還流して来る、結果として日本国内の製造機能と雇用機会が海外流出し国内の空洞化が避けられないことは、目に観えている・・・、余程の近視眼か濁った眼ではない限り。但し、経済合理性に敢えて逆らい、「日本国内の雇用機会を維持する」という武士(もののふ)の出現を排除するものではないが・・。

然ればこそ、中長期的な経済成長戦略が重要性を増す。
国内の新規市場に重心を置き得る、また企業にとって其処に重心を置く必要がある世界戦略的かつ新規の重要産業を、「政策を総動員してでも」創造して振興して行く国家の経済戦略が必須になる。
この中長期的な国家の経済戦略を誤って、金融立国を目指して地に塗れたのがアメリカだ。日本政府はこれを「他山の石」とするべきだ、まかり間違っても「対岸の火」とすべきではない。そのアメリカは、既に新規の経済成長戦略に的確な具体策を打ち出し推進している、中間層再興政策然り、教育の強化政策然り、新エネルギー産業振興政策然り・・。

翻す刀で・・・、
日本のビジネスマンも労働者も、知的生産力を高めるべきだ。然らざれば、彼らの競争相手は、発展途上国の賢明で懸命で低コストの良質な労働力であり・・、其れだけではなく、意見を言わないが非建設的な文句も言わずに「24、7、365」を実践するロボットを相手にすることになる。嫌だなんだと言っている場合ではない。
此れを信じて己の道を新たに切り拓くのか、此れを信じないで却下して従来通りの道を行くのか、各人が夫々の「経済的」人生を決めることになる。

<勘違い議員が民意を裏切る>

最近の与党内勘違い議員達の言動に幻滅させられる。
政権交代で膨らんだ政治改革への熱い期待が裏切られそうだからだ。

彼らの勘違いの第一は、既得の特権を維持し続けたい報道機関の、与党内分断を狙った恣意的報道の画策にまんまと乗せられていることである。
マスメディアの「報道の自由」などというお題目とは正反対の、閉鎖的談合組織「記者クラブ」崩壊を恐れた執拗な与党攻撃の報道は異常である。
フリーな情報開示に積極的な小澤民主党幹事長などへの攻撃の洪水は、自らの立脚点を見失っている。そのようなメディアへの視聴者の反撥は、その存立さえ疑っている。
だが、それらのメディアに露出することが当選の条件のように思い込んでいる風頼みの議員たちは、かっての与党に多く見られた風車議員や土下座議員、はたまたヤルヤル大臣などと体質が同じである。報道機関出身の議員もその口だが、民意から見放されたマスコミ受けを期待し、利用され続けていてピエロのようで哀れである。

勘違いの第二は、視聴者から不審がられているマスメディアが行う世論調査の数字を、頭から信じて右往左往していることである。
田中良紹先生の「世論調査を信じるバカ」の論説に詳しいから詳述しないが、今や、気の利いた企業でのマーケティングにおける生活者分析では、あれほど杜撰な調査は行わない。目に見えない「生活意識」「価値観」まで踏み込んで調査し分析する。結果、投票行動や政党支持率まで全国規模で把握できる。
バラエティー番組やワイドショーの影響を受け、固定電話による、仕組まれたような調査の数字が確かなわけはないのに、である。いわく「内閣支持率が30%台に落ちた」「小澤幹事長辞任を望む76%」だそうだ。ソワソワして参議員選が危ういなどいう議員は民意がわかっていない。まして「かっての民主党らしさ」など声高にいうのは、なにか危機に直面すると常に党首の足を引っ張って、有権者の期待を裏切ってきたひ弱な民主党を思い出すのである。幼い発想の、俺が俺がの議員集団に革命的政治改革を委ねる支持者はいないのである。

第三の勘違いは、これも一部官僚やマスメディアの扇動に乗せられている例に漏れないが「説明責任」を言い立てことである。
自ら法令遵守を心がけ、潔白を信じる人間が、あらぬ疑いを掛けられ、その疑いを晴らす説明などできるはずがない。公人、私人問わずである。
少し、深く考えれば、気に入らない個人を告発し捜査に導けば、その影響力を社会から奪うことも可能となってしまう。
そのような、民主主義の根幹に関わるような危険を排除する闘いこそ新政権に望まれるのである。幾多の冤罪事件が取り沙汰されている折である。いつ、わが身にも降りかかってくる可能性もあるという想像力は働かないのであろうか。
小澤幹事長の問題などは、告発者の所在や背景など、党を挙げて調査し明らかにするなどこそ、新政権への期待を高め、本当の意味での支持率を高める唯一の道なのであろう。
一部既得権益を守ろうとする官僚と同列に既存マスメディアが、変革に立ちはだかっている。この現実を打破する気力こそが政権担当能力を占うものと見守りたい。

与党の、就中、民主党の七奉行などと煽てられている面々は、勘違いにより政権交代を支えた民意を裏切らないで欲しい。
少し先読みで占うと、マスメディアは、仮に与党内分断に成功すれば、「事業仕分けでの無駄の削減は僅かでパフォーマンスに過ぎない」「戦略的発想欠如」「閣僚たちの指導力不足」など矛先を変えて、今煽てられている、いい子の議員が攻撃の矢面に立つ日が訪れよう。その前に目覚めるだろうか。
最後に、鳩山首相は、メディアへのサービスであり国民に親切とお考えのよであるが、記者クラブ所属の駆け出し記者によるぶら下がり取材対応を早く辞めていただきたい。幾度、揚足を取られ、軽い発言とからかわれていることか、一国の首相として、国民生活や国際関係にとり真に大切な問いかけを開かれた記者会見を場を設定し、実施していただきたい。周囲はその程度の見識を備え配慮すべしである。

政権交代に大きな希望を持っていた一人の日本人として今回の辞任劇は、敗北感がある。新に誕生する政権には、我国の支配勢力(アメリカ、官僚(検察)、記者クラブメディア)を排除し、真の政党政治・議会制民主主義の新たな第一歩になることを大いに期待したい。7日に組閣される内閣は、任期3年の中で、対米従属をやめ、公務員法を立法化し、マスメディアのクロスオーナーシップ制度を禁止し、主権者国民主体の、開かれた議会制民主主義を作ることにすべてのエネルギーを傾けてもらいたい。総理大臣に就任される方は、一命を賭する覚悟で3年間がんばってもらいたい。

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日本語の「ヨロン」という言葉には「世論」と「輿論」という2種類の漢字があります。実は、この2つの言葉は大きく意味が異なっていて、「世論(セロンとも読みます)」とは「感情的な世間の空気」のことで、「輿論」とは「議論を積み重ねてできあがった公的意見」のことを指します。《よろんず》が目指すものは後者の「ヨロン=輿論」をつくることであり、そのために、《よろんず》では情報のプロ・アマに関係なく自由闊達に議論を交わすための場所を提供します。メディアの調査で発表される「ヨロン=世論」とは違う真の「ヨロン」をつくるため、執筆者・出演者・読者のみなさんに、この新しい“知の共有空間”に参加いただけるよう呼びかけます。

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