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文闘春潮 編集長9/x:ザ・ジャーナルの存在とは

他のメディアに比べてザ・ジャーナルの優れている所は、そのデザインだろう。
トップページに掲載されたジャーナリストの記事の見出しをクリックすればその全文を読む事が出来る上、他の場所へ飛ぶ事もなく記事の直ぐ下から文字の大きさによる差別などもない即時投稿する事の出来るコメントが掲載される。いたってシンプルだ。
「よろんず」にしてもトップページに掲載されたならば、プロのジャーナリストと何ら差別もなく素人であろうが同列に扱われる。既にメーカーなどには大きな影響力を持つアルファーブロガーの存在と協力を考えれば当然の事なのかもしれない。
(強いて望む所があるとしたならば、一週間前の記事ぐらいまでは同列に掲載され、古さを感じさせないデザインであればと云う事ぐらいだ。)

しかしこのことは参加する読者を引き付けると同時にサイトへのリスクや誤解を伴う恐れがあると思われるが、世界は軍事力・経済力を背景に大義名分と策略の中で、インターネット化したグローバルな世界に合わせ、ガンジガラメに縛られた権利を壊し新たなルールに造り返る方向へと進んでいる。

ザ・ジャーナルとは、世界中の有名な新聞や雑誌が消え去り日本のテレビも赤字へと転落し大枠のニュースしか入手出来なくなっていく変革の時代に、自由と引き換えにカメラとパスポートを持ったジャーナリストから、ケータイとインターネットを持った我々に未来が委ねられた混沌とした世界の中で、今までのジャーナリズムと云う既成の概念・価値観・ビジネスモデルの垣根が崩壊し、これからの双方向・多方向へと進化していく更なるデモクラシー化されたメディア形態の一つの存在に他ならない。

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コメント (79)

■コメント投稿について編集部からのお願い

《THE JOURNAL》では、今後もこのコミュニティーを維持・発展させていくため、コメント投稿にルールを設けています。はじめて投稿される方は、投稿の前に下記のリンクの内容を必ずご確認ください。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

要は中身。独立性を保ち提灯記事の排除が肝要であろう。今後は、首相の政治資金ネタの特集や、外国人地方参政権の特集を期待している。
また、連立を組む少数政党で、警察官僚出身の方が大暴れ出来る裏側を、是非とも、ジャーナルして頂きたい。

<文闘春潮 編集長9/x様>
《THE JOURNAL》とは何ぞやとは、とても難しいテーマですね。
何故なら、過去、現状、未来できっとカタチが変わるからです。
私が《THE JOURNAL》を知ったのは、Yahoo!みんなの政治でしたが、当時はこの様に皆がすぐにアクセスできるサイトではなく、協賛企業のホームページ上から登録し、その後も閲覧するには、企業のホームページ上から、IDを入力する必要がありました。
私もその他のインターネットメディアのひとつとして、時々アクセスする程度で、コメンテーターの書き込みも少かったと記憶しています。
私にとっては、どちらかと言えば、他より良質な記事が読めるニュースサイトという位置付けでしたね。
その後、誰でもアクセスできる現在の方式に変わり、投稿者も増えていきました。それでも、有名な「気弱な地上げやさん」をはじめ割とお馴染みさんが多かった様に思います。この頃から、著名な記者の板について、コメンテーター同士の議論もスタートしました。双方向のインターネットのメディアリテラシーが確立する予感が生まれました。
何といっても、飛躍的な変身を遂げたのは西松事件で、地上波・大手新聞の報道に疑問を抱いた人々が辿り着き、コメンテーターの数が日に日に増え、「やっと、辿りついた!ほっとした~」という書き込みが毎日の様に見られる様になりました。
この国のマスメディアの報道だけでは、真実に決して迫ることはできない。記者クラブは信用できないと学ぶきっかけに大きな役割を果たしました。著名な記者の方々の記事だけでなく、多士済々な職業や年齢や地方の方々のコメントによって化学反応が起きました。
様々なブロガーが自身のサイトで《THE JOURNAL》を紹介すると供に毛細血管の様に、情報や他サイトの紹介が飛び交い、拡がっていきました。他メディアではなしえないインターネットのメディアリテラシーが確立したと実感しています。
さて、未来はどうなるのか?よろんずによる市民記者も増えるだろうし、著名なジャーナリストとの垣根が低くなるのかもしれません。
お互いに切磋琢磨しながら、さらに発展していけたら、私としては嬉しい。読者参加形の新しいメディアの確立には、私達自身の勉強も益々求められていくのだろうし、ウカウカしていられないなぁ~、と考える今日この頃です。

恵美さんのコメントに対して何を書こうか、かなり悩みました。

マスメディアに関して言いたい事はこと細かく沢山ありますが、私が大論説を書き上げる立場でもないので、今回「ザ・ジャーナル」を切り口にメディアの未来を抽象的に、私なりに書いてみました。

一方、論説に寄せられるコメントに生意気にも私の感想を申しますと、リベラル系メディアの当サイトにおいて反論コメントが少ない。反論コメントがあったとしても言葉じりを捉えたつまらないものだったりする。
また、少々民主党・小沢一郎に対して原理的に支持する嫌いがある。私もそうですが三年ぐらいは細かな事には目を瞑りみまもり、大好きなアメリカをバッシングして日本・日本人の依存体質を変えてほしいと云う願いもあったりもします。
ただ一つだけ分からない事は、衆議院選挙まえにコモンズの田中さんがマニュフェスト潰しや長老自民党議員擁護の為に歪んだ論説を展開していたが、ほとんどの方が大絶賛していたのは如何云った事だったのだろうか。

世界はネットインフラがなければ経済は立ち行かなくなり、それに伴い今後マスメディアは時代的・経済的に間違いなくペーパーレス化が進み、世界のメディアに決定的な衝撃を与えたネーダの動画映像を象徴に時間・位置情報・即時性にも信頼性を置いたニュースが今後益々配信されていくようになり、そうせざろうを得なくなるのではないでしょうか。

<文闘春潮 編集長9/x様>
ご丁寧にお返事ありがとうございます。
>ただ一つだけ分からない事は、衆議院選挙まえにコモンズの田中さんがマニュフェスト潰しや長老自民党議員擁護の為に歪んだ論説を展開していたが、ほとんどの方が大絶賛していたのは如何云った事だったのだろうか。<
上記は田中良紹さんの事ですか?私は一度も感じた事はありませんが、具体的にはどの様なマニフェスト潰しがあったのですか?自民党の議員を利する記事とはどの様な内容でしょう。
>リベラル系メディアの当サイトにおいて反論コメントが少ない。反論コメントがあったとしても言葉じりを捉えたつまらないものだったりする。
また、少々民主党・小沢一郎に対して原理的に支持する嫌いがある。<
私は、むしろ反論を多く書いているつもりです。(時々削除をくらいますが…)小沢シンパが多いのは当然で、西松事件の際に多数集結した読者は、小沢シンパだからです。
また、私は民主党や小沢さんを今は温かく見守る、とのご意見には反対です。何故なら、民主党は与党だからです。与党の政策は、いうまでもなく生活に直結しています。お任せ政治を止める意味でも与党を見る目は厳しくならざるを得ません。

恵美さんへ

反論意見が少ないと言うのは恵美さんの事ではなく、当サイト全般の印象です。

田中さんの論説で二、三最後の締めくくりで取って付けた様に旧来型の自民党を良しとする文章があったと、私は感じた思いがあります。私はこの事に違和感があり、かなり反論をした様な記憶があります。

今回の衆議院選挙は、正にマニュフェスト選挙だったと思いますが、田中さんの論説においては、いつもマニュフェストの重要性を出来る限り低く抑える内容だったと思います。

私が勝手に思うに田中さんはいい人で、この事は本人も分かっている様な気がします。また、私と同様に、HNは忘れましたが民主党政権になってから田中さんの論説に違和感が無くなったとコメントした人は、私の見る限り一人しかいませんでした。

いつか良心派殿にはコメントなる物を御送りしたいと思っておりましたが、貴殿の繰り出される文章は投手に例えるならば、変化球は全く使わず、かと言って胸元をえぐる直球でもなく、高めで釣る速球でもなく、ど真ん中に投げ込む重いストレートのみの球種での勝負に感じ、思想や文体は違えども「日本国領土は1mmも譲らないの桜井よしこ」を彷彿とさせる、もはや芸術といっても過言ではない文章と姿勢に敬服している次第であります。

[文闘春潮 編集長9/x]様

「《THE JOURNAL》とは何ぞや」 あなたの真面目な問いかけに、自分なりの一つの解答を出させて頂きました。おわかりのように「THE JOURNAL編集部」を全面的に非難否定した訳ではありません。「THE JOURNAL編集部」に対して、例えば田中良紹氏級の高度な論説のレベルと、同時に傾聴に値する読者諸氏のコメントのレベルを、常に維持継続してもらいたい、という希望から、失礼を顧みないで、高野孟氏も批判対象の例外ではないぞ、と考えたまでです。それにしても、あなたの私の投稿へのコメントには「参りました」と苦笑するしかありません。生真面目な諸氏を相手にすると、どうしてもこうなってしまいます。どうにもなりません。ご容赦ください。


良心派さま

いつも投稿をいただいて、ありがとうございます。

コメント削除の件について誤解があるようですので、場違いではございますが、ここでご説明させていただきます。
良心派さんのコメントを削除したのは、高野本人ではありませんし、高野を批判をしたからでもありません。文章の一番最後に「阿呆」と書いてあったため、申し訳ございませんが編集部で削除させていただきました。その一文がなければアップされると思いますので、お手数ではございますが、再度ご投稿いただければ幸いです。

ここ数日、事業仕分け関連で急速に《THE JOURNAL》全体にアクセスが集まったこともあり、削除基準を一時的に厳しくしています。投稿したご本人としては最後に少し筆が行き過ぎてしまったのかもしれませんが、一つそういった投稿が入ってしまうと、後の書き込みが連鎖的に殴り書きのようなコメントが入ってしまって匿名掲示板と同じになってしまいますので、申し訳ございませんが、ご理解・ご了承いただけましたら幸いです。もちろん、記事に対する反論はおおいに歓迎しております。何卒よろしくお願い申し上げます。

《THE JOURNAL》編集部 様

[民主党を支持してるお前たちは、鳩山首相の言う新しい共同体を、高野孟氏の主張する「江戸時代のコミュニティ」だ、と思ってるらしいが、阿保と違うか?]という意味の文章ですから、結果的には、高野孟氏の「江戸時代のコミュニティ」論を侮辱する文章になるでしょう。そうだとしたら、反論でも、罵倒でもしてください。「阿呆」「馬鹿」という言葉を使っても、一向に構いません。差別用語だ、とくだらない戯言(たわごと)は言いません。それを期待していたのです。以前、高野孟氏から「THE JOURNAL」紙上で直々に返信を頂いた事がありました。しかし今回は、高野孟氏が面倒臭くなって、ばっさり削除してしまったのかな、と思ったまでです。なぜなら、私の投稿は最初は順当に掲載されていたからです。高野孟氏は軍事問題では、最先端の沖縄問題に関して、資料を集めて、綿密に論を展開していらっしゃる。今までにない世紀の重要課題です。それなのに、なぜ「江戸時代のコミュニティ」が出てくるのでしょう。ちぐはぐも甚だしいとは思いませんか。私が待ったを掛けたくなるのも、無理からぬ事だ、とは思いませんか。

THE JOURNALには大いに反対意見を書き込んでいますがね。批判的な意見は書き込んだそばから削除されているのだからどうしようもない。
これでよくもマスコミ批判ができるものだ。あきれるほかない。

《THE JOURNAL》編集部 様

独善、という言葉の意味が分かるかね?

良心派さん

いずれにせよ、私はどんな非難・批判も恐れていないし、恐れてどなたかのコメントを掲載しないよう指示することもないし、そもそもコメントが投稿されて掲載されるまでのプロセスに関与していません。が、スタッフとしてはこのサイトのクオリティを維持すべくべらぼうなエネルギーを費やして管理しようと努めている訳で、その中では行き過ぎもあったりするであろうことはご理解頂きたいと思います。とはいえ、このサイトは本質的に、私が世の中のためを思って自分の経営負担により公に提供している私的メディアであり、私とそのスタッフが面白くない、適切でないと思ったコメントを削除するのは我々の自由であって、失礼ながら読者の皆様が文句を言える筋合いは全くありません。「俺の意見を削除するのか〜」というような事実確認もないままの居丈高にネット倫理の見地から大変違和感を覚えます。

ところで「江戸時代のコミュニティ」についてなぜそれほど反感を抱かれるのか理解に苦しみますが、私は江戸に戻れと言っているのではなく、この100年余の「近代化」を通じて得たものはあっても産業社会の論理によって失ったものがたくさんあって、成熟段階に至って日本的市民社会を作り上げなければならないという時に、そのモデルは必ずしも西欧ではなくて、江戸社会を弁証法的に止揚した日本独自の市民社会モデルを構想すべきであるということを言って来たのです。

いま私のデスクの後ろの本棚を振り返ると、100冊ほどもあるかと思われる「江戸」についての書物がありますが、目に付いた限りで数冊を挙げれば、大石慎三郎ほか『江戸時代と近代化』(筑摩書房)、岡崎哲二『江戸の市場経済』(講談社)、吉田伸之『成熟する江戸』(講談社)、田中圭一『百姓の江戸時代』(ちくま新書)、そして何よりも渡辺京二『逝きし世の面影 』(平凡社)くらいは初級編として読んで頂いて、それでこの議論にもう一度加わって頂きたいと思います。

高野孟。いいね。
オーナーとして言い切っている。
日本のジャーナリズムも捨てたモノではないね。
汚い言葉は抜きにして反論を願いたい。

高野孟様

ご返信ありがとうございます。礼儀上,取り敢えず,以下簡単に所見を述べて,今後の思索および問題追究のモチーフにしたいと思います。

「いずれにせよ、私は・・・ご理解頂きたいと思います」

了解しました。異議ありません。

「とはいえ、このサイトは・・・筋合いは全くありません」

了解。

[「俺の意見を削除するのか〜」というような事実確認もないままの居丈高にネット倫理の見地から大変違和感を覚えます]

文意が混乱していて,よくわかりませんが,私は「俺の意見を削除するのか!」などと書き込んだ覚えはありません。「削除された」のは[恐らく高野孟氏に都合が悪い,と「THE JOURNAL」編集部が判断したからだろう]とは書きました。あなたは「私とそのスタッフが面白くない、適切でないと思ったコメントを削除するのは我々の自由であって」と書いておりますが,私の推察とほぼ合っていると思います。従って,私の文章は「居丈高」でもないし,「ネット倫理の見地から大変違和感を覚え」るような種類のものでもありません。

[ところで「江戸時代のコミュニティ」についてなぜそれほど反感を抱かれるのか理解に苦しみます]

私は「江戸時代のコミュニティ」に対して,「反感」を記した覚えはありません。私の文章のその箇所を指摘して欲しい,とは要求しません。書物や論文における議論ではなく,ネット上の論議なので,点検作業が面倒だし,お手を煩わしたくないからです。私がここで私見を再度説明したら,それで済む事ですから。

「新しい共同体のあり方」に関する私の主要な論点は,現代の第三次産業による高度資本主義消費経済下における中央集権国家と,第一次産業による幕藩体制下の封建主義国家とは,質的に全然異質であり,そこで生きる一般大衆の社会生活も生活意識も段違いに異なっている,という認識に基づいております。鳩山首相の【所信表明演説】の中の一節も,私と同じ認識に基づいていると言っていいでしょう。あなたは「新しい共同体のあり方」は「西欧ではなくて、江戸社会を弁証法的に止揚した日本独自の市民社会モデルを構想すべきである」と主張されておりますが,あなたの論説からは,現代の経済状況と政治体制の認識と把握が捨象され,そこに生きる一般大衆の生活意識が看過黙殺されて,現実無視の観念論に堕している,と言っても過言ではないと思われます。つまり,あなたの議論は,明治維新の時代に主張しても可笑しくないし,大正時代に主張しても可笑しくないし,敗戦直後に主張しても可笑しくない議論なのです。百年後,二百年後に主張しても可笑しくないでしょう。要するに,時代時代の現実に適合していない懐古趣味の議論なのです。歴史を逆戻りさせる事は不可能です。

あなたは江戸時代に関する著書を多数列挙していますが,私達は江戸時代が如何なる時代であったか,という学問的論争をしているのではありません。日本の近代化論争ではないのです。現代の日本はどんな社会なのか,という問題です。日本の社会は「近代化」から更に別な次元の異常な社会に踏み込んでしまっている(命名するのに躊躇しますが)「解体社会」なのではないでしょうか。それに呼応して,個人のアイデンティティもますます失われていっている。そういう社会だと思われます。

結論としては,あなたの主張する「江戸時代のコミュニティ」は,現実性を有しない空疎な名称でしかない,と言えます。しかも誤解を招きかねない反動的な言辞です。勿論「EU」にしろ「東アジア共同体」にしろ「新しい共同体」の模索追求が,社会体制,国家体制の質を問わず,重要な課題である事は論を待たないでしょう。


ここ、批判的なコメントは速攻で削除されてますよ。マスゴミとか偉そうなこと言えないのではないか?
なんか民主党の支持者が多いみたいだけど、反論したら即削除って民主的とも思えない
今の政権の危うい雰囲気を体現しているようなサイトっぽいよ

コメントが削除されることについて議論になっていますが、逆に削除されず掲載されているコメントについて、自分が気に入らないといってThe Jurnal以外で誹謗中傷する人がいます。それが全く関係ない人なら、ネットで意見を言った代償としてしかたないと思いますが、元記事を書いた本人だったりするのです。「よろんず」に掲載された記事ですが、元記事を書いた本人はコメントに登場せず、しかしコメントは読んでいるようで、自分のブログで気に入らないコメントをした人を誹謗中傷です。The Jurnalについても、あまり肯定的でないようですが、なぜかThe Jurnalには、編集部も含め、そのブログのファンが多くいるようです。誰のことかは、おわかりですよね。

この板に来られたので付き合いますけど、今、一番の世川ファンは、
鈴木さん、あなたですよ。誰にも負けていません。

鈴木さんが面白い(意味がある)と思えば、向こうへ行って、世川さんにお付き合いすればいいのではないでしょうか。お二人をピエロとして面白がる人もいると思うので。

世川さんを引っ張り込んでこちらで討論するのであれば、この板と関連付けた内容でインテリジェンスとウィットをきかせてね。

そうじゃないと削除されるか、5W1Hさんがやって来て注意されると思慮します。

60年代後半から70年にかけて,日本共産党系の団体である日本民主青年同盟の同盟員の一人が,彼の個人的な見解かも知れないが,日本の反近代化路線を主張していた。明治維新以降の日本の近代化路線を批判し,敗戦後の日本に真の「平和と民主主義」を創造しよう,という主張である。そのためには,明治維新以前の江戸時代に逆戻りして,遣り直さないといけない。彼はそのために江戸時代の研究に没頭した。幕藩体制の鎖国封建主義時代に徹して,公的にはヨーロッパやアメリカの思想を排除した純粋日本を賛美し,それをモデルに現代日本を再生しよう,と勢い込んでいたのである。江戸時代には,世界に誇る優秀な科学者も数学者も芸術家も存在したし,何よりも,第一次産業社会に相応しい秀でた農本主義者とその実践者がいた。ところで,彼には歴史的必然性という思想が欠落していて,19世紀以降のアジア各地域がヨーロッパ列強に植民地化されていった歴史的事実は,故意に無視され,第一次産業社会から第二次産業社会への経済体制の変化も目に入らない。現代の文明文化の生活を享受しながらも,内面的には江戸時代の農民・商人のつもりでいる。まさか大名・武士のつもりではなかっただろう。今彼がどう暮らしているか,知る由もないが,恐らく現代日本の第三次産業による高度資本主義消費経済下における社会の変化など,未だに認識も理解もできないでいるに違いない。相変わらず,昔のままの民青時代の反近代化路線を固守堅持しているかも知れない。勿論,世界情勢には目配りが届いてはいる。イラクがどうしたのとか,パレスチナ問題がどうなったのとか。しかし彼の鎖国的江戸時代の内面生活とは関係がない他所の世界の出来事なのだ。頭と心情が分裂した人間。まさに近代化路線を超えてしまった異常な日本社会から疎外されたある種の奇妙な日本人と言っていい。

私がザ・ジャーナルを知ったのは10月の初めころ、鳩山献金についてのニュースを検索していたときだったと思います。
ここ数年新聞やTV等のメディアから流れるニュースと自分自身が考えていることにちぐはぐさを感じていました。TV番組はどこのチャンネルでもバラエティーばかり、ニュースのキャスターやコメンテーターの発言には知的さを感じず、大衆迎合というよりも制作側のインテリジェンスが少しも感ぜられない作り方に飽き飽きしていました。新聞の報道もなにかすっきりしない、主張が中途半端、批判している内容も一辺倒のようで、購読紙を替えても、スタンスの違いはあるものの、読めるのは文化欄くらい。自民党政権がダッチロールを繰り返しているにもかかわらず、今日本がどうなっているのか、これからどうなるのか、ということがさっぱり分からない。単に情報を流しているだけとしか思えない、そんなメディアの状況になんともいえない閉塞感を覚えていました。そこに今回の政権交代です。率直に目の前が開けた、との思いを抱きましたし、メディアも変わるのではないか、と期待もしましたが、現実は以前と変わらない。
そのように思っていた矢先にザ・ジャーナルを知りました。「あなたの知らないニュースがここにある」のフレーズのとおり、既存のメディアでは知り得ないニュースに触れ、新聞の「読者の声」や、コラム記事では紹介され得ないようなコメントの数々は、私の視野を広げてくれました。私のザ・ジャーナル歴は常連の皆さんの足下にも及びませんが、
“《THE JOURNAL》は、21世紀の日本と世界について、新しい「読み方」を鋭角的に提示していくメディアです。もちろん読者の皆さんがそのすべてに賛成である必要もないしそんなことが可能であるはずもない。むしろここからたくさんの知的刺激を受け取って、皆さんご自身が自分なりに世の中の捉え方を深めていく一助にして頂くことを願うものです。”というザ・ジャーナル宣言に共感します。

良心派様
あなたのご意見はいつも面白く拝見しています。
今回のご意見について、私は高野氏がどのような提案をされているか存じませんが。温故知新と言う事でしょうか?日本型のセーフティネットの構築と考えるとあながち的外れではないと思います。

確かに現在日本は第三次産業の高度資本主義消費経済下にあることは事実です。しかし金融と産業は知らぬ間に乖離し、金融が暴走して世界中を混乱に陥れたことも事実です。
東京と言うバケツが満たされる事によりこぼれおちた果実が地方に流れていくはずでしたが、はかなくもバケツの底が抜けてしまい、期を一にして世界は大混乱に陥りました?地方都市では高度資本主義消費経済の恩恵を受けるどころか、次代の担い手となるべき若者の多くが都会へ吸上げられて行き高齢化は進み格差が一段と広がったところも数多くあります。

我が国は中国の文明圏に存在し、灌漑型農業社会を形成しその影響を強く受けながら独自の文化を築いてきました。他方、ギリシア・ローマを中心とした西洋社会は市民性の高い個を尊ぶ高度な文明を形成してきました。農業社会を尊んだ、わが文明ではあまり独立性=個は歓迎されませんでしたが、集団においては相互互助と非常な結束力を発揮してきました。決して文明的に劣っていたわけでもありません。むしろ灌漑型農業社会は、ギリシア・ローマ型市民社会よりも農業技術が進歩しており食料を安定して供給出来たためより多くの人口を養う事が出来ました。
その基本的資質は少なからず現代社会に受け継がれているものと考えます。私はこのような日本人の資質を活かした少子高齢化とか高福祉国家あるいは地方分権への対応を研究し地方再生・日本再生に活かすことは非常に優位意義で比較的国民にも受け容れ易い現実的な施策を生み出すことが出来るのではないかと思います。

一つの例をあげます、そこそこの規模の大都市圏でも町中に15~16代続くような農家(今じゃ大地主になっている人が多いけど)が結構あるのを御存じでしょうか?私は仕事柄そう言う人との交流もあるのですが、こういう町では先祖代々近隣の村々と婚姻関係を結ぶことで連携を強めていたとのことで、周辺一帯に現在では飛び地みたいにして存在しているようですが、かなり広範囲の地域間のネットワークがあり姻戚関係に始まり家族構成、職業、資産状況など吃驚するほど知っている。どこそこのだれだれちゃんが○○した。とか△△を探している。などかなりレアな地域の情報が飛び交っている。私には、これが原始的な云わば人的webじゃないかと思えるんです。
こういう人的なwebをうまく再構築できたら、少子高齢化社会をはじめとした地域社会の再生の為にかなり有効な手段として活用できると思うのです。
いずれにしても避けては通れない年金問題や少子高齢化問題・福祉医療・地方再生の諸問題は、国家予算の規模からも人的webに頼らざるを得ないのではないでしょうか?また、このシステムが機能し始めたら地域防犯の効果も期待できその他の応用範囲も広いと考えます。それが例えば農民を管理するための原始的手段であった5人組制度を発展的に応用した人的webの連携(例えば5戸を最小として50戸、100戸と言う単位でさらに連携しつつ地域をカバーするなど)であっても良いと考えます。(バングラデッシュのマイクロ・クレジットも5人組の応用じゃないでしょうか?)
つまり自由の享受の為に全ての人が少しずつ責任又は負担を負うようなシステムの提案でもいいと思うのです?近代化路線だけではやがて行き詰る、そのセーフティネットとしては地域共同体の再構築が現実的かつ最も低予算で効果も出来そうな気がします。

[sirokuma]様

「農業社会を尊んだ、わが文明ではあまり独立性=個は歓迎されませんでしたが、集団においては相互互助と非常な結束力を発揮してきました」

「THE JOURNAL」で削除されてしまったために,下記のURLに投稿した最初の文章があるのですが,そこに「戦後でさえ日本の農村は,京城出身の本田靖春氏が嫌悪し,憎悪するように,封建的閉鎖社会なのです」という一文を書きました。あなたが肯定的に叙述されている引用文の裏返しの否定的な面です。つまり結束力=排他的という事です。私は肯定的には評価できません。

http://clap.fc2.com/page/fujifuji?url=http%3A%2F%2Ffujifujinovember.cocolog-nifty.com%2Fblog%2F2009%2F03%2F2-1a48.html

「人的なweb」に関しても,あなたはプラスに評価されていますが,戦後の日本が確立し,戦後日本の唯一の取り柄である「個人主義」という「日本の歴史上初めて獲得された利点」を,ないがしろにする「全体主義」に通じる農村の封建的な悪弊である,とむしろ逆に評価しております。

もし「人的なweb」に頼るのだとしたら,日本の農村の伝統的な「人的なweb」ではなくて,確立された「個人主義」を踏まえたところの「人的なweb」でないと,封建的・排他的・閉鎖的で,真っ平御免蒙りたい,と思います。

「近代化路線だけではやがて行き詰る、そのセーフティネットとしては地域共同体の再構築が現実的かつ最も低予算で効果も出来そうな気がします」

私は「近代化路線」を肯定するとか,否定するとか,論じてはおりません。日本の現状は「近代化路線」を超えて,異常な社会に突入した,と考えているのです。例えば,日々報道される犯罪の異様さを見ても,かつてない種類の性質を帯びていて,単なる精神異常では片付けられないのではないのか,と判断しております。誰もがそういう傾向を帯びてきてしまっているのではないのか? それは兎も角,繰り返しになりますが,「地域共同体の再構築」が[日本の伝統的な農村の「人的なweb」]で現実化されるのだとしたら,私は絶対に拒絶したいと思います。自民党政治を拒絶したいのと同じように。ただ私は鳩山首相の【所信表明演説】の中の一節に共鳴を感じて,あなたの言う現実化は有り得ない,と考えております。

大雑把ですが,結論としては,あなたは日本の現在の状況を,戦後から連続的に把握して,理解していらっしゃる。私は第三次産業人口が70%にまで達しようとしている時点で,日本の現代社会は非連続化して,「解体社会」化した,と考えているのです。何様でもない私は,個人的な事を持ち出したくはありませんが,お気づきのように「日本の農村社会」には,余所者として,経験的に嫌悪を覚えております。


横書きの長文は読む気が失せる。なんとかなりませんか

ここのコメントの削除の勢いは「事業仕分け」みたいだ
気に入らなきゃ削除、気に入ってる意見はムダでも温存と

書き込み主もハトポッポ並みの能天気だしね。なにを寝ぼけてんだといいたい。ネットはそれほど万能ではない。自己陶酔ぶりに笑うよw。あほかねw

清い。実に清い。
礼に始まり礼で終わる、日本の心が息づく武道を観ているようだ。
立場を鑑みるとジャーナリストである高野氏が横綱であるとしたならば、良心派氏は平幕であろう。しかも、相手部屋の土俵で戦っている。

つまり、こう云う事だ。
高野氏は良心派氏が、何をそんなに拘っているのか分からない。少々難しい言葉を使った「江戸社会を弁証法的に止揚した日本独自の市民社会」、この解釈が伝わっていないのだろうと思っている。皆も普通にそう思うだろう。
だから、白熊氏がこの事を解説した。
良心派氏の論点は分かりにくいが違う処にある。しかし、この事に対して論を戦わせている。
実に、清い。

要するに、現代と江戸と云う時代的ギャップが大き過ぎて分かりにくいが、これを現在の自民党に置き換えると分かりやすい。
一言で言ってしまえば、「今の自民党がだめだから弁証法的に止揚し、昔の良かった頃の自民党になればいい」と言ったら疑問を感じるだろう。
高野氏の論説に良心派氏の問題提起は「温故知新」に対して「時代錯誤」ではないのだろうか。

<良心派様>
高野さんに臆せず反論する勇気に拍手です。ただ浅学の私には、どうにも難しい文章です。
私と農業問題で、議論を戦わせた時も感じたのですが、地方の農村地帯に、何らかの絶望的な背景を感じていらっしゃるのでしょうか?
私は、小作人が大地主に雇われて、ろくに食べられない江戸時代に戻るのなら、大反対です。また、地主同士が連携して株式会社を立ち上げるのは賛成ですが、大きな資本の株式会社が農民を雇用して大規模化するのは反対です。
アメリカの様に、農場主から休みもなくコキ遣われ薄給に泣く労働者を量産するだけだと考えるからです。
なお、民青は、私の敵でした。羊の皮を被って近づき、汚い手をつかって友人を騙したからです。日本共産党員の教師とともに・・・。
<M. Suzuki様>
いいかげんにしたらどうですか!豊後の小兵衛様が読者をだまして金儲けしようとしているなど人格攻撃をしたり、《THE JOURNAL》編集部がひいきをしていると疑う文章ばかりを投稿されていますが、いつまでたっても、さっぱりあなた自身の理論は書き込まれません。このサイトは、議論をする場で、誹謗中傷する場ではありません。
豊後の小兵衛様がひいきされているという位ですから、相当の自信家とお見受けします。あなたもあなたのテーマとお考えを記事にしてよろんずに投稿されたらいかがでしょう。
私は自信がないので、市民記者としてよろんずに寄稿はできません。だから、寄稿される方々には、それだけで一定の尊敬の念みたいなものを抱いています。
また、豊後の小兵衛様が自分のブログに何を書こうが勝手で、その不満をこのサイトで披露するのは場違いでしょう。抗議するなら、豊後の小兵衛様のブログに書き込めばいいのではありませんか?
あなたの被害妄想は相当ヒドイので、一度、診察を受けたらいかがでしょう。
なお、この文章についてのいかなる抗議も甘んじて受けますが、その抗議に対するお返事はするつもりはありませんので、ご容赦ください。

 ひと様に弁護をお任せするのも如何と思い、多忙を極めている最中ではあるが、M. Suzuki氏に一言述べておく。

 まず、貴台がこだわる「編集権」だが、高野氏が明確に述べていることを読み取れないらしいな。

 ここは「有償」ではない。高野氏並びにそのスタッフの善意で開設されている。
 つまりは、極論すれば編集部の意向にそぐわないものはすべて削除、若しくは投稿拒否されても、一言半句も文句は言えない特種な場所である。

 然らば、私が高野氏の「郵政民営化擁護論」に反論した記事が削除されたか、そんなことはない。それは今でも残っているはずである。

 私は編集部に対し、世川、私の記述に対する投稿を、「編集部の運営に支障のない限り削除しないように」と要請した。
 その理由は、現下のネット社会の悪い部分(これは貴台を指す)が続けば「ネット規制」を目論む輩の思うつぼであり、それらを読者各位にも確認して欲しいからでもある。
 貴台はもしかしたら、ネット規制を目論む連中の手先ではないか。貴台のしつこさ、論旨から読み取ると、胃の腑に落ちる。

 そのことに関し、あるお仲間が「The JOURNALの行く末に危惧を感じる」と私信をくれたので編集部宛に転送してある。

 問題は、私を含む投稿者がThe JOURNALが提供してくれたこの掲示板を育てるか、それとも悪い時代の2チャンネル化するか、その岐路に立っている。

 といっても、「規制屋の手先」ではどうにもなるまいな。

[文闘春潮 編集長9/x]様と[em5467-2こと恵美]様

コメントありがとうございます。「他人の土俵に上がって、闘おう、という態度」が間違っていますね。まずは自分の仕事をきちんと遣る必要があるでしょう。余計な口出しはしないに限ります。「地方の農村地帯に、何らかの絶望的な背景」を確かに感じております。だいたい自民党の強固な地盤だったんですよ。「ミンミン蝉」に関しては、いろんな事があって、私も憤激・憤慨に堪えません。

良心派さんへ

あなたの11月20日11:56のコメント中の以下の部分についてお尋ねします。

“日本の社会は「近代化」から更に別な次元の異常な社会に踏み込んでしまっている(命名するのに躊躇しますが)「解体社会」なのではないでしょうか。”

私も現在の日本は近代化の段階はすでに通り越していると思います。あなたは別の次元の異常な社会に踏み込んだと言っていますが、正常な社会はどのような社会であると思われているのでしょうか。そして「解体社会」と言われていますが、何が解体したのでしょうか、そして解体する以前の社会に戻れと言うことなのでしょうか。

“それに呼応して,個人のアイデンティティもますます失われていっている。そういう社会だと思われます。”

私も個人のアイデンティティーが失われつつあると感じていますし、日本人のアイデンティティー、日本のアイデンティティーが薄れているとも感じています。あなたは個人のアイデンティティーを取り戻すにはどうしたらよいとお考えなのでしょうか。

これは決してあなたの言葉尻をとらえての質問ではありません。私はあなたのコメントを読んで、あなたの持つ問題意識(特にアイデンティティーの喪失)に共感を覚えました。しかし、あなたのここでのコメントからはどのようにしたら、あなたが言われる現在の日本の状況を改善できるのかという答えを読み取ることが出来ませんでした。

もしよろしければ、あなたのお考えをお聞かせ下さい。

[sumitaka]様

残念ながら「正常な社会」を肯定的にイメージする事は,私には不可能です。手元に原書も翻訳もないので,出典を明記する事はできませんが,かつて読んで記憶に留めているフロイトに倣って言うと,『殺人』『近親相姦』『食人肉』の三大罪悪を人類が犯さなくなった社会ではないでしょうか。『食人肉』はもはや行われてはいないと思われますので『殺人』と『近親相姦』だけが問題となるでしょう。これは依然として行われておりますね。「解体社会」とは,何が解体したのか? 「個人と個人の性的関係の観念」と「個人が寄り集まって作っている社会的関係の観念」と「国家という各個人の所有する集合的な観念」の解体だと思います。本人にとって,理想的だと思われる過去の歴史が仮に存在したとしても,歴史を過去に戻す事は不可能です。歴史的現在の状況から,私はアイデンティティを失っていて,ないものは取り戻す事ができません。「アイデンティティの確立」などと言う人がいますが,遣って見せて頂きたいものです。私は日本の改善などという大それた事を考えた事はありません。従って,どんなプランも持ち合わせてはおりません。せいぜい政府が現在行っている「事業仕分け」に賛成する事ぐらいしかできません。なお,この「否定的な現実」を何とか表現したいとは考えてきました。しかし成功はしませんでした。でも,まだ遣ってみようとは思っております。フロイトには正常な人間のイメージがあったのかも知れませんが,彼が研究した成果から読み取れるのは,私には「内面的な病人」のイメージだけです。「否定的」とはそういう意味です。走り書きで申し訳ありませんが,宜しいでしょうか。

コメント欄に書き込む人は、一部の常連さんと少数の匿名の人だけですね
「ザ・ジャーナルの存在とは」こちらが聞きたくなりますよ。いろいろな記事やコメントを読みましたが、ほとんど「カルト」の世界に近い。そして、そこに「良心」は無い
別にマスコミが良心とは思わないが、報道するに当たっての基準はあるのだろう。ネトはむしろ週刊誌に近い存在(本当かどうか分からない)と言えるが、言いっ放しでいいのか?と疑問はあります
まして反論を容赦なく削除するなら中国共産党と変わりません。
「ザ・ジャーナル」は単なるプロパガンダサイトということになります

一般的にはこのサイトは「自称・マスコミ」でありましょう

ネット報道に対する不信感はあるわけで
「誰が責任取るんだ」と
ネットだから、責任があいまいでいいなんてわけ、ないよね!
そのへんアンタらはどう考えてんの

私はスローカーブも投げればストレートも投げる。時にはピンボールも投げれば隠し球も使う。九回裏まで組み立て完投を意識している。
ゆるいコメントも書けばきついコメントも書く。常にあらゆる層の数万人の読者への影響を考えてコメントを書いている。

何れにせよ、わざわざコメントを投稿する読者は、意味の無い物もありますが、日本を良くしたいと云う気持ちからでしょう。「ザ・ジャーナル」を造られた高野氏もそんな気持ちからでしょう。

私の「ザ・ジャーナルの存在とは」と云う問題提起も、最近読者から不平・不満が多く出つつある当サイトにおいて、改めて闊達な議論を闘わせ読者共々ザ・ジャーナルを昇華させたいと云う気持ちからです。
ご理解頂ければ幸いに思います。

良心派様
お答えいただきありがとうございました。
フロイトについて良くは知らないのですが、あなたの考えが大凡わかったように思います。実は私はアイデンティティーという言葉をそれほど深く考えていませんでした。いってみれば自分のモチベーションのより所であったり、自分がこれから向かって行く方向を決める際のスタンスのようなものとしてとらえていました。日本のアイデンティティーといったのは、日本のこれからの方向を決めて行くに際してのより所、スタンスという意味でとらえていました。それをどこに求めてたら良いのかということを考えていましたので、お聞きした次第です。ありがとうございました。

[sumitaka]様

重要な事を書き落としました。意識・観念の問題ですが,「個人が一人でいる時の意識・観念」の問題です。「即時=an sich」(対自・向自=für sich の対抗概念)の意識・観念です。それが「解体」している。これも重大です。「鬱病患者」が増えているそうですね。これを付け加えておきます。

良心派様
お返事ありがとうございます。
温故知新=懐古趣味=先祖がえりみたいな論調ですが全く別物です。寧ろ、時代錯誤を前提とする言葉でしょう。
孔子の生きた時代ですが、あなたがご指摘の『正常な社会』ではなく『殺人』『近親相姦』『食人肉』があった時代で、孔子の生活基盤も奴隷制度と女性蔑視の上にあったようです。彼が政治の理想とする堯舜文武周公時代は、彼の時代に比しても経済行政規模は小さな国でありまして始皇帝以降の諸国にとりはるかに国家規模の小さい国の思想に学ぶなど時代錯誤とされ政治的には傍流でありました、しかし戦乱から安定期に至り前漢時代に脚光を浴び政治の表舞台に立ったわけです。孔子の思想(アイデンティティ)は、彼以後の彼とは、時代背景を異にした優秀な門人たちによって練られ磨かれ、それを超え儒家の『徳による王道の政治』へと昇華されたのだと思います。そしてさらに2000年の時を経て時代時代の要求にこたえながら創造的変化を繰り返し現在へ生き残ったこの思想は、我々の生活慣習文化の隅々に入り込んで来たのだと思います。
この孔子の思想も、中国社会に潜在的に存在していた祖先崇拝による仁・礼を尊ぶ下地があったればこそ不変的思想にまで発展しえたのだと思います。
私は、先祖がえりして過去を模倣しろ・過去からやり直せとなど言っておりません。まして儒家思想を奨励しているわけでもない。ただ、先人たちの暮らし・システムに学び現代流に創造したらどうかと言っているのです。
また、結束力=排他的⇒全体主義へと言うのは飛躍しすぎではないでしょうか?私が思う人的WEBは、ボランティア型でも良いし、三銃士みたいにOne for All All for Oneでも良い。しかし、これらは日本人が潜在的に身につけていると思われる下地=素養を活かし行えばより効果的に機能するのではないかと言っているのです。
私も貴方同様「個人主義」は守るべき大切なものと思いますが、『戦後の日本が確立し,戦後日本の唯一の取り柄である「個人主義」という「日本の歴史上初めて獲得された利点」』とは思えません、何故なら日本のそれは、自由と同じくそれに伴う個々人が果たすべき責任・代価を置き去りにして主張されるケースが多いからです。日本に真の個人主義が定着していたらもっと多くの選択肢は出てくると思います。私は、あなたが仰る『異常な社会』は、日本人が未だ個人主義・自由主義を確立できないでいることにも問題があると思います。

[sirokuma]様

「江戸時代のコミュニティ」が問題なのですよね。「コミュニティ」は「広辞苑 第六版」では、次の通りです。「一定の地域に居住し、共属感情を持つ人々の集団。地域社会。共同体」「アメリカの社会学者マキヴァー(Robert M. MacIver1882~1970)の設定した社会集団の類型。個人を全面的に吸収する社会集団。家族・村落など」「一定の地域的範囲の上に、人々が住む環境基盤、地域の暮し、地域の自治の仕組みを含んで成立している生活共同体」 これで一応了解できますね。そうだとすると、あなたの議論はテーマから、はずれてしまってはいませんか。孔子の思想など、ここに持ち出す必要は全くありません。[かつての「誰もが誰もを知っている」という地縁・血縁型の地域共同体は,もはや失われつつあります。そこで,次に私たちが目指すべきは,単純に昔ながらの共同体に戻るのではない,新しい共同体のあり方です]( 鳩山首相の【所信表明演説】の中の一節)これが問題の核心なのです。「新しい共同体のあり方」は「江戸時代のコミュニティ」などではない、と私は主張したのでした。議論が噛み合わないので、止めましょう。あなたは[『戦後の日本が確立し,戦後日本の唯一の取り柄である「個人主義」という「日本の歴史上初めて獲得された利点」』]を否定なさっている。「何故なら日本のそれは、自由と同じくそれに伴う個々人が果たすべき責任・代価を置き去りにして主張されるケースが多いからです」そうだとすると「江戸時代のコミュニティ」の主張など、ますますナンセンスではないでしょうか。まさに「江戸時代のコミュニティ」を主張する論者は、「個人主義」の「価値」が理解できないでいた江戸時代の人間と同等である、と言っていいでしょう。「日本に真の個人主義が定着していたらもっと多くの選択肢は出てくると思います。私は、あなたが仰る『異常な社会』は、日本人が未だ個人主義・自由主義を確立できないでいることにも問題があると思います」だから、あなたは「江戸時代のコミュニティ」を主張なさるのですか。あなたは私の議論を全然理解してはいらっしゃいません。堂々巡りです。議論は止めましょう。

口を挟むのではなく論議に加わるのではなく、難しい言葉と言いまわしなので、読まれている方々に分かりにくいと思いますので、論点を端的に私なりの解釈を致します。

西洋文化・思想が入り込もうが時代が変わろうが、地方・農村には日本古来の思想・生活様式・社会が、良い面悪い面も含め色濃く残っている。残っていると言うよりは現在にある以上、進(深)化したと言ってもいい。

また、私自身もそうですが外国と接する事が多い人は、他に類を見ない良くも悪くも日本人の独特な現代に息ずく村社会的思想・村社会的社会構造を感じるのではないでしょうか。
これは、日本が他国の文化・宗教・思想・哲学・生活様式を取り込みながらも日本独自の文化を形成していった事と通じているのではないだろうか。

よって、「江戸社会」と云う前提からナンセンスなのではないだろうか。

すみません。議論の展開についていけません。江戸社会がどうのこうのと、ザ・ジャーナルとなにか関係があるのですか?長文すぎて読む気もないのですが…

江戸社会と言えば、しばらく前にNHKで「お江戸でござる」という番組がありましたね。確か杉浦日向子さんがウンチクを語っていたと思います

そのウンチクに、毎回非常に違和感を覚えたのを記憶してます。「まるで週刊誌のヨタ記事のようだ」と。「江戸時代には〇〇がとても流行っていて…云々」とか。
そんなの江戸だけ、地方には関係ないでしょ!と

例えば「ガングロ」「ヤマンバ」なるファッションもそうでしょう?東京では流行っていたのかも知れませんが、地方に住むわたしはそんなけったいなメークをした女に遭遇したこともありません

新米ジャーナリストは「鳥の眼と虫の眼を持て」と教えられると聞きます。ザ・ジャーナルが何を目指すのか知りませんが、「ネット弱者」のことを忘れないでもらいたいものです

KYで的外れな意見かも知れませんので、失礼いたしました

佐山さんが「ザ・ジャーナル」の提供する問題提起に対してネットと云うツールを使かい、世間に向かってご自身の思われる疑問や考えを発せられました。
それが当サイトの目指しているところではないでしょうか。

気に入らないコメントを片っ端から削除するのはいただけない。罵詈雑言のようなものもあるのだろうけど。批判をゆるさず、都合のいい情報だけ流すのは、はたして民主的なのか。かといって「2チャンネル」化も防ぎたい、という気持ちも分かるが。ジレンマだね

[文闘春潮 編集長9/x]様

「江戸時代のコミュニティ」問題は、今回は下記のURLで終了です。

http://clap.fc2.com/page/fujifuji?url=http%3A%2F%2Ffujifujinovember.cocolog-nifty.com%2Fblog%2F2009%2F03%2F2-1a48.html

良心派様

論議には加わりませんが、文闘春潮編集長9/x様が「難しい言葉と言いまわしなので、読まれている方々に分かりにくいと思いますので・・・」と感じておられる事は、大方の読者もそのように感じておられるのではないかと思います。わたしもそのように感じておりました。

不特定多数のネット読者を相手に投稿される以上、いうまでもなくわかりやすい文章が大切のように思います。

大学の優秀な教授のカリキュラムで内容はしっかりしたものでも、からっきし、わかりにくい講義があります。これでは学生には意味するところがうまく伝わらず、一方通行となり、コミュニケーションができなくなります。それでは本当は本人も不本意だと推察します。よろしくお願いします。

 良心派さんのコメントは訳が分からないのでいつもすっ飛ばして読んでます。失礼。
文章が難解な上に改行もなく読みづらいことこの上ありません。
ほとんど「荒らし」に近いのではないでしょうか。迷惑です。ご自分のブログ等でやっていただきたいものです。

 しかし、このサイトも批判的な意見は削除する一方、このような駄文長文を放置するのはいかがかと思いますが?一見まともな事を言ってるようで「いっちゃってる」ものもあります。
 そのあたりの判断基準はどうなのですか?「ネットだから何でもあり」ではジャーナリズムの信頼性に関わると思いますが

石田さんと中川昭二さん

お二人は日本語の読解力がないですね。もっと勉強しなさい。そのような頭の程度では、文明と文化が高度に発達した日本の社会では生きていけませんよ。基本的人権の教育を受ける権利とは何の権利か、ご存じですか。生存権です。つまり教育を受けないと、日本の社会ではまともな生活ができないから、国家が憲法で義務教育を保証しているのです。しかしもはや大学教育まで義務教育にしないと、生存権が確保できない状況ですね。その前に大学制度を改革して、6年間の教育体制にする必要があります。以上、この程度の週刊誌的文章なら、読んで、理解できますか。

良心派さま

それがあなたの言う「ザ・ジャーナルの存在意義」なのですね。「頭が悪いやつは出て行け」と。最初からそのようにおっしゃればよろしい。
あなたの文章が読みにくいのは事実です。

「匿名」にしないで、ハンドルネームで書いてください。反論の宛先が特定できません。[文闘春潮 編集長9/x]氏は「良心派」の文章がわかりにくいとは、おっしゃっておりません。「難解だ」と指摘していらっしゃいます。なお、今回の議論は「高野孟氏」と「斎藤精一郎氏」との対談に関する「高野孟氏」の発言に疑問を呈した「良心派」の投稿文が端緒になっていて、その文章は削除されたために、別なブログに掲載されております。

http://clap.fc2.com/page/fujifuji?url=http%3A%2F%2Ffujifujinovember.cocolog-nifty.com%2Fblog%2F2009%2F03%2F2-1a48.html)

「高野孟氏」と「良心派」の討論となるはずの性質の内容のために、部外者の方が関心を持つ事ができないとても、致し方ありませんが、しかし「THE JOURNAL」は重要課題として、両氏の対談を企画し、この場に掲載したのです。従って「良心派」はこれを高く評価して、「高野孟氏」の発言を「再度」問題視したのです。「再度」というのは、以前にも問題にしたからです。そこに「鳩山首相」の【所信表明演説】の一節が絡んできて、非常に重要な課題である事が、またしても証明されました。[ほとんど「荒らし」に近いのではないでしょうか。迷惑です] 「頭が悪い奴」ではなくて、こういう「不真面目な投稿をする奴」は出て行って欲しいですね。そうは思いませんか。これでこの議論は打ち切ります。悪しからず。

文闘春潮 編集長9/x様 投稿及びコメントフォローお疲れさまです。
なお私は小沢改革を支持しており、高野孟、田中良紹両氏のファンでもあります。

 「自由に討論できるはずの開かれたサイトにも拘らず、まともな反対意見が少ないのは何故だろうか(当方で要約)」と疑問をお持ちのようでしたが、よろんずを見る限り、常連に贔屓の引き倒し的な民主党支持者が多く、極めて排他的であり、反対派から敬遠されているようです。ちなみに貴方ご自身の言を俎上にのぼせば、

>ただ一つだけ分からない事は、衆議院選挙まえにコモンズの田中さんがマニュフェスト潰しや長老自民党議員擁護の為に歪んだ論説を展開していたが、ほとんどの方が大絶賛していたのは如何云った事だったのだろうか。(11月19日 04:51)

>今回の衆議院選挙は、正にマニュフェスト選挙だったと思いますが、田中さんの論説においては、いつもマニュフェストの重要性を出来る限り低く抑える内容だったと思います。(註:ここで原文は改行し、一行空け)私が勝手に思うに田中さんはいい人で、この事は本人も分かっている様な気がします。(11月19日 08:59)

 民主党はマニフェストを前面に押し出して先の衆院選を戦い、政権を奪取したらその履行こそ民意だという主張でした。確かにマニフェスト選挙という名称が紙面を賑わしました印象もあります。しかし田中良紹氏は『「マニフェスト選挙」を叫ぶインチキ(8月1日記事)』において、日本の政治構造を考えると原理的に不可能。あくまで「マニフェストもどき」と心して、錯覚すべからずと説きました。また、自民党長老を擁護したのではなく、下野後の自民党は弱体化して完全に官僚のコントロール下に置かれ、もはや政治の体を成していなかったという分析です。
 これらに対して貴方は、マニフェスト潰しはけしからん、長老自民党議員を擁護する歪んだ論説をした、けれども「いい人だから(指摘されて反省しているだろう、許してあげよう)」的な言及をしている訳です。彼我を隔てず、敵対者発言に瑕疵あれども言わんとする所を汲むよう心掛け、議論に資するべく、お願い申し上げます。

 ここ数日良心派氏が展開した「江戸コミュニティ」批判を読むにつけ、地域主権型道州制への懸念(我が国に於ける「個」の未熟さ、地縁集団の閉鎖性)こそ議論すべき素晴らしいテーマだと思い、改めて蒸し返してしまいました。申し訳ない。


そういう議論は「良心派」さんのブログなりサイトなりで展開されては?

「良心派」さんは「部外者」の一般市民が参加することにも、批判されることにも不満のようで、ご自分の読みにくい長文を読まない方に対して、とても傲慢で非良心的な攻撃をされているようです。

ここは「ザ・ジャーナルとは何か」がテーマであるはずで、誰かの独善的な意見をめぐって議論を云々する場ではないのではないのでしょうか

zaizさん、コメント有り難うございます。
出来ればもう少し早く zaizさんの様な意見を持った人に議論に加わって頂きたいと思っていました。
「ザ・ジャーナルの存在とは」と云う問題提起を書いた経緯や私の思いなども、もう少し具体的にzaizさんのコメントに対してお答えしたいと思っています。

ただ今私は、仕事が立て込んでいますので、何時もはモバイルにてコメントを投稿しておりますが、改めて落ち着ける環境での「シメ」のコメントを投稿したいと思っています。

尚、数ヶ月前に私がジャーナルに対して思っていた事が「よろんず」に投稿してあります。
テーマが「サウスパーク・・・」が何とかだったと思います。

勿論、田村さんのご意見も大切な事だと思っております。

良心派氏に関しては、この手のいわゆるネット右翼的な論客(?)は吐いて捨てるほどいるものです。まじめに相手をするのはよほどこのサイトがウブなのかと。少し心配になりますね

[zaiz]様

コメントありがとうございます。あなたのような物のわかった方に読んで頂いて、嬉しく思います。

[田村]様

私が『斎藤精一郎×高野孟:民主党の背骨はどこか?── 政治家も知らない地域主権国家論の本質』に投稿したところ、投稿文章が削除されたために、『文闘春潮 編集長9/x:ザ・ジャーナルの存在とは』が格好の議論の場を提供してくれた、と我が意を得たりで、ここに「THE JOURNAL」に対する批判文を投稿しました。編集者氏から回答を得ましたが、「高野孟氏」からも私の氏への批判文に一度だけ反論が寄せられました。ほかの方からも質問とか、批判とかを頂いたために、お答えしたり、反論したりしました。ただ[sirokuma]氏への反論が明解さを欠いた嫌いがあり、気になってはおります。氏の私への批判が、私の文意を読み違えているために、そこを指摘しないまま、結論を急いだからです。文章を書く者として、そのぐらいの自意識はあります。従って、田村様の「独善的で、場違いな投稿」という私への批判は当たりませんし、また私の文章を故意に歪めて理解し、非難していらっしゃる。「読みにくいし、長文だから、読みたくない」などという言い分が是とされる程「THE JOURNAL」は程度が低くはないはずです。私は「一般大衆」が相手だから、週刊誌的な文章で書かないと、わからないだろう、というあなたみたいに思い上がった「愚民主義者」ではありません。私の文章ぐらい、誰にでも理解できます。

[amiba]様

「ネット右翼的な論客」という私へのあなたの判断から察するに、あなたは「日本共産党」支持者のカビの生えたスターリニストか、同調者か、その尻尾を引き摺っている「日共」もしくは「民青」崩れか、さもなくば「高野孟氏」の門下生か、ゼミ生ですね。別に驚きはしません。あなたの頭の中身を疑うだけです。

良心派さん

あなたの文章は実際、読みにくいのですよ。改行の一つもない長文など最初から読む気が失せるのです。その程度のことが理解できませんか?頭がいいんでしょ?

そんな文章を読まない自由もこのサイトの参加者にはないのですかね?あなたの文章を誰もが無条件で読んで理解する努力をしなければならないのですか?

amibaさんに対するあなたのコメントを見ても、あなたの人間性と知性が疑われます。あなたがどれほどの方が存じ上げませんが、思い上がっているのはあなたでしょう

それにこの議論は打ち切ると言ったのはあなたでしょ。批判されたらそれも忘れて他人を根拠もなく「アカ」と攻撃するとはね

あなたの頭の中身を疑います。
言っときますがこんなのは2CHでやるようなケンカですよ?いいかげんにしたらどうですか

>>良心派(ふざけんな)
俺はノンポリだけどW
高野ゼミとかあるなら行ってみたいね
よくもまあ想像だけでここまで人をおとしめることができるもんだとあきれる
書いてることからすると、ヤッパあんたネトウヨじゃん
ほんと頭でっかちは困るよW
そしてそういう俺らを排除するんだろ?

下品です…

「良心派」さん

>「ネット右翼的な論客」という私へのあなたの判断から察するに、あなたは「日本共産党」支持者のカビの生えたスターリニストか、同調者か、その尻尾を引き摺っている「日共」もしくは「民青」崩れか、さもなくば「高野孟氏」の門下生か、ゼミ生ですね。

「ネット右翼的な論客」というamibaさんの決めつけは確かにどうかと思います。「2チャンネル的な論客」ならまだ分かりますが。しかしそれに対する反論として、貴殿が「あなたは日本共産党支持者……」以下、同格のものとして列記しているのは、「田村」さんの言うように単なる「アカ攻撃」で、あなたが日共とその系列にどういう悪感情を抱いているのかは想像外ですが、この文章の品格はこのサイトにふさわしいものではありませんので、今後このレベルの発言を続けるのであれば貴殿のコメントは削除させて頂きます。出入り禁止ということです。なお、貴殿の江戸時代についての考え方は、日共の昔の講座派史観の封建時代蔑視そのままです。これについての反論は不要です。

田村さん

>気に入らないコメントを片っ端から削除するのはいただけない。

気に入らないコメントでもギリギリ我慢して載せています。削除するのは、気に入らないものではなくて、くだらないものです。

「貴殿の江戸時代についての考え方は、日共の昔の講座派史観の封建時代蔑視そのままです」

高野孟氏のこの文章には呆れて,物が言えない。私がいつ,どの文章で,江戸時代を「蔑視」したんだ? この難癖のつけ方は,まさに「日共」スターリニストの遣り方そのものではないのか? 「アカ攻撃」という言葉にも,失笑を禁じ得ない。私の文章のどこに「アカ攻撃」などという次元の低い表現があるんだ? 品格? 自分の「頭の中身を」疑われただけじゃないか。高野孟氏は「くだらないもの」は削除するそうだが,それはそちらの勝手だが,鳩山首相の言う「新しい共同体」が「農本主義」の「江戸時代のコミュニティ」でない事だけは,明らかであるし,私はそれを指摘しただけだし,くだらないのは,高野孟氏の主張のほうだ。斎藤精一郎氏も「江戸時代は封建時代です」というようなちょっとした発言で,高野孟氏に反論していた。自分のアナクロニズムの思考を誤魔化すのは,いい加減にしたほうがいい。「出入り禁止ということです」 この発言も「日共」的スターリニスト特有の言い方らしい。恐らく高野孟氏は「日共」官僚にこういうふうに言われたに違いない。私は経験がないので,推測するしかないが。しかし,今回の事で了解できたのは,「田村氏」や「amiba氏」が一定のレベルに達しているつもりで,私が対応したのが誤りだった,という事である。また高野孟氏が学問的良心を持っていないで,事実を精査しないで,レッテル張りを行う人間だ,という事である。きょうはこのぐらいにしておこう。いずれまた。

Deer Mr.Zaiz

落ち着いた環境が確保できれば、その経緯や回答を書き記すと伝えたが、どうやらそれが難しくなったようだ。
今、暗い部屋の片隅でメールを打っている。

この剥き出しの資本主義が跋扈する上海電脳空間において、昨晩、Mr.Ryoushinhaがセカンドブロックからやってきた論客と派手な抗争を繰り広げ、超えてはならない領域へと踏み込んでしまったようだ。
この町外れのエリアでも、もはや安全とはいえず当局の監視の目が厳しさを増している。

そんな経緯からここに依頼された回答を手短に書き記す。
この計画は、最近読者から不平不満が出つつある当サイトにおいて、世川問題も含め闊達な議論を闘わせ昇華させたいというのが目的であった。
しかし、匿名コメントを中心におそらく20件前後は削除されたと思うが、投稿されるコメントはそのような意味の無いものばかりだった。
そんな中、Emiさんが口火を切ってくれた。
この好意を無駄にさせぬべく、議論の糸口になるように自ら頻繁にコメントを入れた。その一つのコメントがMr.Tanakaへのコメントだ。
これは、Mr.Zaizの言及された通りだ。上記の理由により、読んでいて引っかかる内容になっている。
その後、おそらく当サイトにおいて一番不満を抱いていたと思われるMr.Ryoushinhaを中心に議論が展開される様になったが、結果的にこれを通じ読まれていた方々にもこの問題提起が伝わり、意味あるものになったのではないだろうか。
なお、当サイトの要である難攻不落のMr.Tanaka牙城への私の挑戦は続く。

Mr.Zaizへのこの調査報告をもって当シンジケートは解散する。
このメールが読まれる事を願う。

Mr.Ryoushinha、
生きていたら、また、会おう。


初っ端、鹿になっていました。
これは、ちょっと恥ずかしいので訂正させて頂きます。
dearです。

[文闘春潮 編集長9/x]様

ご苦労様です。今度また別なサイトでお会いしましょう。

このサイトの議論を、打ち切ろうとすると、余計ないちゃもんを付ける御仁が出てきて、答えないと、失礼だと思い、反論すると、更に、とんでもない意見が飛び出してくる。今度こそ終わりにするために、私の感想を記しておきたい。

(1)私は、私を批判する人は、このサイトの私の文章を読み、私が参考までに指示させて頂いた関連する別サイトの私の文章まで読んだ上で、批判しているもの、と考えていた。だから、「頭の中身を疑」ったりしたのだが、全然思い違いだった。「田村氏」と「amiba氏」と「高野孟氏」(「下品です…と書いた匿名氏」も?)は、私の文章にろくすっぽ目も通さないで、難癖を付けてきていたのだ。
(2)「俺はノンポリ」で「そういう俺らを排除するんだろ?」という頓珍漢な台詞まで出てくる始末。私が「amiba氏」を「排除」する訳がない。私は「このブログの編集者」ではない。
(3)文章をいちいち改行していたら、ますます長文となって、迷惑が掛かるだろう、と思って、改行しないでいると、改行がない、と批判が出る。しかし、この程度の長文は、私が読む本では、普通である。かつて「THE JOURNAL」の某氏の名「論説」を、ある投稿氏が「長くて読む気がしない」と批判したので、私は「恥を知れ」と一喝した。当然である。
(4)私を「日共の昔の講座派」だ、と批判しながら、[「アカ攻撃」をしてる]と断じたり、「ネット右翼」だ、と攻撃したりして、私はいったい何者なのか? と自分で疑問に思った。(1)で指摘したように、人の文章を真面目に読んでいないから、でたらめなレッテル貼りになるのだ。

これでお終いにする。馬鹿馬鹿しくて、遣ってられない。

良心派さん

ようやく改行してくれましたね。読みやすい文章です。別のサイトでもこうしてください

ネットでは個人攻撃は両刃のやいばです。品格が問われるものですので、お忘れなく

2チャンネルあたりの議論板あたりで追い出されて、ここに流れついたんだろうに
「良心派」のような知ったかぶりの論客はいっぱいいますよ?あるいは大学教授あたりかも知れませんが、人間の品性は別ですから

皆さんはそれをまじめにありがたく議論してたわけで、良心派さんにはさぞ心地よい電脳空間だったことでしょうが

人間性や品格は隠せないもので、馬脚を現してしまった

インテリジェンスを追求する、というこのサイトの主旨からも離れて2ちゃんねる化してしまった。それが失敗要因ですかね。これはとても難しい問題だとおもいます

知識のある人間が品格もあるというわけではないのですね…

「良心派」さんは相当な知識人とお見受けしましたが、あの態度では人間失格かと

というかあの程度のエセ知識人を見抜けなかったこのサイトの参加者にも大いに反省するべき点はあると思いますがね

文闘春潮 編集長9/xさんはやたらと彼を持ち上げていましたが、同類の論客の臭いがしないでもない

理性を保つ、ということは大変なことでもありますね

全共闘闘争の時に、教授会団交で、全共闘の俺達の「てめえら、馬鹿野郎どもが」という罵声に対して、教授達がお上品で、品格と品位を示して、丁寧な言葉遣いで対応した態度に、三島由紀夫が憤慨して、教授達を軽蔑し、「どうしてあんたら教授先生方は学生達に、馬鹿野郎、てめえらチンピラどもは、というふうに言い返さないんだ」と言った話がある。俺は三島由紀夫は正しいと思うね。そういう教師達なら、俺達全共闘も認めただろう。お上品ぶりやがって、とは罵倒しなかったな。論争では、対応の仕方は、その都度わざと変えても、ちっとも構わないんだ。演技も必要だよ。

「良心派」さんがお上品だったのかは疑問ですが
むしろ人を見下す態度が参加者に嫌われたのではないですか
「俺は頭がいい」「反論するやつはみんなレベルが低い」では擁護する余地がありません

〈良心派〉氏が主張してるのはさ、「相手の文章を全部よく読んでから、批判しろ」って事だろ? 頭の良し悪しじゃなくて、不真面目じゃねえのか、っちゅう事よ。

自分の文章は簡単だから、誰にでも理解できる、って。それなのに、読んでねえじゃないか、って。そう書いてるね。

全共闘の俺達の問い掛けに答えないで、教授達は逃げやがったけど、俺達の言ってる事がわかんなかったんだ。全共闘と討論した三島由紀夫も本に記してる。「お前達全共闘はごりごりの観念論だ」

俺達全共闘もわざとヤクザっぽい下品な言葉遣いをしたけどな。教授達がびびったのも仕方ないね。
 

だから改行もない長文など読む義務なんかないっつってんだろ。読んで欲しいなら読んでもらえるだけの文章体裁を考えよ

まして「私は、私を批判する人は、このサイトの私の文章を読み、私が参考までに指示させて頂いた関連する別サイトの私の文章まで読んだ上で、批判しているもの、と…」

アホかね。なんでそんなことまでして「良心派」に付き合わなきゃならんのだ?

しかも「しかし、この程度の長文は、私が読む本では、普通である」ときたもんだ。いやはやオマエさんほどの長文は古典から現代文学までありませんよ、と突っ込みたくなる。文章構成のテクニックとして失格なのだよ

良心派氏のリンクが、これで正しいのですか?なんか江戸時代云々の記述が見当たらないんですが

「名誉毀損罪で訴訟を起こす」と息巻いた投稿者が「いったい幾ら金が取れるんでしょうね」と刑事犯罪の恐喝罪になるようなコメントを書いたので,当事者もしくはサイト管理者が,証拠物件として,そのコメントを確保した上で,削除したんじゃないのか。

名誉毀損罪は弁護士に依頼する事が必要だが,刑事事件は警察に訴えるだけでいいから,簡単だよ。

このサイトは編集部がしっかりしてるから,名誉毀損罪になるようなコメントは,載らないよね。安心だ。編集部さん,削除頑張れ。

意味不明。文脈からすると良心派氏がキレたか本性を現したらしいが。ここ数日の匿名さんはみんな良心派氏のようですが。バトルは他でやってください

刑事事件って。訴えたって受理されるかどうかは別では。ネット上の罵り合いをいちいち警察が相手にするかしらね?ましてこの件は良心派氏の方が分が悪い。先に喧嘩を売ったのは良心派氏だし、「訴える」と言われて、それをもって「恐喝だ」と「刑事」で告訴するとは。アンタは阿久根市長かね。ま、アンタが言ってたように別のサイトで争ってくれ

というかこのページ削除できないのですかね?「ザ・ジャーナル」でググると二番目に出て来るんだが。誰も見てないし、主催者が逃亡したのだから存在する意味がないだろう。
高野氏、もしくは編集部に要請したい。このページはもはや意義を失った。削除していただきたい

世川からも叩かれて、今日は何処を放浪してるんだか・・。スレ主、出直してガ・ン・バ・レ!

予想通りのドロ試合になってます。

金の無心とタニマチ気分の果てが、双方のブログでのなじり合いという現状。飲み屋の女が店からくすねた金を平気で使う「作家」を、持ち上げていたのは「編集長」でした。金の恨みは怖いです。

編集部様
申し訳ありませんが、上記の書き込みを、削除してください。自分と係りの無い第三者間の話ですので。

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日本語の「ヨロン」という言葉には「世論」と「輿論」という2種類の漢字があります。実は、この2つの言葉は大きく意味が異なっていて、「世論(セロンとも読みます)」とは「感情的な世間の空気」のことで、「輿論」とは「議論を積み重ねてできあがった公的意見」のことを指します。《よろんず》が目指すものは後者の「ヨロン=輿論」をつくることであり、そのために、《よろんず》では情報のプロ・アマに関係なく自由闊達に議論を交わすための場所を提供します。メディアの調査で発表される「ヨロン=世論」とは違う真の「ヨロン」をつくるため、執筆者・出演者・読者のみなさんに、この新しい“知の共有空間”に参加いただけるよう呼びかけます。

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