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2009年11月30日

赤虎頭巾:タイについて(5)── タイの歴史1 タイ国の成立まで

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 東南アジアはジャワ原人の発祥の地であり、人類の居住地としては50万年前にさかのぼると言われています。

 インドシナ半島では、BC2000年~3000年頃のバーンチェン(タイ東北部の遺跡)で、既に、稲作、養豚が行われ、ガラスや、青銅器、土器などが使用されていたようで、恐らく現在のタイのテリトリーとなっている、インドシナ半島の中部地域には、そのころから人々が居住、生活していたものと思われます。

 その時点での東南アジアは、中国、インド、エジプト等の古代文明とそれほど差の無い段階にあったのでしょうが、これらの文明がそれぞれ急速に発達し、BC2000-1000年ごろには巨大な王朝を生み出し、文字をつかい、部族単位を越えた国家を形成していったのに対し、この地域の変化は緩やかだったようです。

 インドシナ半島で最も早く、国らしきものが出来たのは、紀元前6世紀、ベトナムの紅河流域のデルタ地帯で、青銅器の文化を持つ文郎国とされています。

 しかし、この国については全く資料が残っておらず、その後3世紀末の中国秦王朝の支配を跳ね除けて前207年?に同じくベトナムのこの地域にできた南越国が最初ともされています。

 ベトナムには、その後いくつかの王朝が興亡しますがその歴史は、次々に来襲する、中国の諸王朝更には植民地帝国フランス、冷戦下での米国との独立をめぐる戦いの連続です。

 カンボジアは、インドと中国の2大文明を結ぶ海の道の中間にあり、比較的早く紀元前1世紀頃、ベトナム南部からカンボジア南部のメコンデルタの地域に扶南という王国が成立したようです。
 6世紀ごろ扶南を滅ぼして、メコン川沿いに勢力を伸ばした真臘は、クメール人の国として、クメール文字を用い、現在のカンボジアの国の起源とされています。
 その後真臘は、北と南に分裂して弱体化し、8世紀ごろ滅ぼされてインドネシアのジャワ王国の支配下に入りますが、9世紀には、ジャワ王国を排除して、クメール帝国の基礎となるアンコール王朝が立てられます。
 この王朝は12世紀初頭には、現在のカンボジア全土、ベトナムの南部、タイの東北部、中部、南部に及ぶ、アンコールワットを王都とする大クメール帝国を作り上げています。

 ミャンマーは、古くからモン族、或いはピュー族が住み着き都市国家、部族国家を形成していたようですが、国の成立は遅れて、7世紀ごろに、北部にピュー族による驃国という国が出来ています。
 しかしこの国は、8世紀ごろ中国の南西部(今の雲南地方)に起こった、チベット・ビルマ語族の南詔国に9世紀には滅ぼされ、モン族、ピュー族はタイ方面に逃れ、無人となったイラワジ川平野にビルマ族が住み着きビルマ人の王朝であるパガン王国が成立します。

 マレーシアは、長く、海を越えた、スマトラ島のシュリービジャヤ王国(3世紀-14世紀)の支配を受けており、現在のインドネシア半島南部に、独立した王国が成立するのは、1402年のマラッカ王国のようです。

 国が生まれる条件は何か、国家論の最初に来るテーマで、プラトンや、エンゲルス、ホッブス、カール・ドィッチェなどにより様々に論じられていますが、インドネシア半島の中部の地域(現在のタイ国の地域)については、前述したように、人々の居住と生活はかなり古くから始まっていたにもかかわらず、独自のこの地域の人々自身による歴史に残るような広域的な国家は、最後まで成立していません。

 タイについて(1)、(2)で見たような、広い平坦な国土、豊かな水、年間を通しての強烈な太陽光、人の移動距離と思考活動を制限する酷熱という自然条件の下で、部族社会の段階を超えて人々がある程度の領域を支配する国の成立に必要な、いくつかの条件が満たされなかったのではないでしょうか。

 例えば、治山、治水の協同作業の実施による人々の間の協調性の発達。自然条件の変化に応じて発生する剰余生産物或いは生産物の偏在に応じた商業、交通の発達。あるいは、それらの相互に関係を取り結ぶことから発生する利害関係を調整するための法規範の成立。侵攻・支配を含めた他部族との接触、交流。

 キリギリスであるタイ地域の人々は、原初的な部族社会或いは、都市国家の段階に長くとどまり、独自の言語、法律、広域の国土と、軍隊、政府を持つ国へと展開することは無かったようです。先行して国を形成した、カンボジアのクメール人のクメール帝国(タイ中部から東部、東北部)、ミャンマーからのモン族が形成したハリプンチャイ王国(タイ北部)、マレーシアを形成するマレー人によるランカスカ王国(タイ南部、マレーシア北部)、6世紀ごろ中国南部の雲南省あたりから移動してきたと言われているタイ族などと混住し、支配を受け、同化しながら、のどかに暮らしていたのではないでしょうか。

 現在のタイでは、タイ国の始まりは、AD1238年スコータイで、クメールの大君主を倒して創設したスコータイ王国とされていますが、この中心となったのは、上述の中国から移住してきたとされるタイ族の指導者であり、この地域の先住者ではありません。

2009年11月19日

元株や:報道機関の劣化

ここJOURNALでも、たびたび目にする「マスゴミ」という言葉。
いちいち、例を示す必要もないだろう。日本の報道の劣化を国民が感じ取った言葉だ。
しかし、今回の「サンデープロジェクト」には、恐れ入った。
ご覧になった方もいることと思うが、西川元日本郵政社長を迎えてのインタビューだか、討論だかわからないコーナーについてだ。

一体、何をやりたいのだろうという感想をもって見始めたのだが、見るに従って、あきれ果てる内容に次第に腹が立ってきた。
内容は一貫して、西川氏の擁護と、民営化の正当性を訴えるものだった。

民営化したことにより、4200億円の利益が出たこと。
・・・・2007年に、民営化を前に1兆5000億(1,6兆?)の特別損失を計上しており、スマートな見せかけづくりを終えていた。
300兆円の金があれば、いかに愚かな経営者でも一定の利益を出すことは可能だ。
国債を買い、保有するだけで、4兆円以上の利子収入が得られる。経費を引いて4200億の利益を計上することは十分にできることだ。

コーポレイトガバナンスについても語っていたが、郵政の株主は国である。取締役会は、株主、ましてや100%の株主の意向を尊重せずして一体いかなるガバナンスをするのか。

民営化することで、郵貯・簡保に集まった資金を民間に回さねばならないとも語っていた。
・・・・・それをやっていたのですか?と、伺いたい。8割以上を公債で運用していたのは誰なんだろう。民間へはこのくらい流れを作っていたのです、という実績をお示しいただきたいものである。

結局のところ、言いたい放題の中で、西川氏が首を切られたことがいかに間違ったことかを、西川氏がいかに優れた経営者かを、郵政民営化がいかに正しい改革かを語るのみだった。

ここで問題としたいのは、
郵政民営化が正しいのか悪いのか?成功なのか失敗なのかではない。
問題は、公共の電波を使って、政治問題ともなっていた問題を語るのなら、なぜ「反対意見を述べる者」を参加させないのか?
皆さんご承知の通り、西川氏を囲む3人は、郵政民営化賛成の面々だ。
なぜ、反対の論を立てる人を同数呼ばないのだろうか?
通常、討論とは、そのようにあるべきなのではないだろうか?
「いや、これはインタビューなのです」とは、言わさない。
インタビューは、1対1でやるものだろう。

つまるところ、郵政の汚れ隠しの意図をもって、ついでに西川氏の名誉回復も一緒に諮った「やらせ番組」と言われても仕方ないのではないか?

日本郵政が選んだ各種の取引先の多くが、特定の企業グループに属する会社だったり、「簡保の宿」売却に様々の問題を指摘されたりした。
それらのことに端を発して、前政権においても更迭の瀬戸際に立ち、現政権で職を去ることを勧告された「西川社長」なのである。

しつこくなるが、「なぜ、西川氏及び、当時の総務大臣などを問題視し、この4分社化の改革に反対を唱えた論者を同席させなかったのか」と、申し上げたい。

ここにこそ、現在のそして過去においても、日本の報道機関が抱える問題の芯があるように思える。

2009年11月18日

鉄馬:【続報】高知白バイ事件三度目の門前払いか。高知地裁は何もせず終局判決の可能性。

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 KSB(瀬戸内海放送)のシリーズ「高知白バイ衝突死(19)」が放送局のサイトにアップされました。

 そのなかで非常に残念な話がありました。

 片岡晴彦さんは現在獄中ですが、夫妻で高知県警、高知県を相手取って国賠訴訟を起こしています。

 国賠訴訟により刑事裁判の資料を手に入れ、「新たな疑惑の証拠」を高知地裁に提出したのですが・・・。

 なんと裁判所は「民事で国家賠償を争う前に、刑事裁判のやり直し、再審請求を行うべきではないか?」と切り出したというのです。

 目の前に明らかに「おかしい証拠」を突きつけられても、自分達は手をつけない。

 地裁の存在意義とは一体何なのでしょう。

 片岡さんの弁護人・生田氏曰く、「門前払いで、終わりたくてしょうがない。裁判所はね」との事。

 誰が見ても「おかしい証拠」と思うのですが、皆さんこの映像をご覧になって判断ください。

 どう考えてもおかしな証拠写真がいくつか紹介されています。(ヘルメットの位置にも注目)

2009/11/16
高知白バイ衝突死(19)収監1年...深まる証拠写真の疑惑
http://www.ksb.co.jp/newsweb/indextable.asp?tid=4&sid=7

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書籍「あの時、バスは止まっていた 高知『白バイ衝突死』の闇」もよろしくお願いします。(おかげさまで、アマゾンでは現在品切れとなっていますが取寄せ注文が可能です)

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「あの時、バスは止まっていた」 山下洋平(著)

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■片岡家のブログ 
雑草魂 http://blogs.yahoo.co.jp/zassou1954

■支援者のブログ 
高知白バイ事故=冤罪事件確定中 http://blogs.yahoo.co.jp/littlemonky737
高知に未来はあるのか? http://kochiudon2.blog105.fc2.com/

2009年11月16日

赤虎頭巾:タイについて(4)── タイの日本食

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 振り返れば、16年ほど前のことですが、当時務めていた会社の人事で希望を海外勤務と出しましたら、なんとOKが出てタイに赴任となりました。
 学校を卒業して会社に入り20年近くたっていたのですが、国内一本、それも殆ど本社の間接部門で仕事をしていましたので、海外についての経験は出張で行った欧米を除いては全く無く、タイと言われても、ベトナムの近くだなと言う程度の認識しか有りませんでした。
英語も、卒業以来、読むことも、書くことも、ましてや話すことも聞くことも殆ど無くあわてて語学の学校に通って準備するというような状態で、ばたばたとタイに着きました。

 ついた時の印象としては、飛行機の窓から見た、広い田んぼが何処までも広がっていたことなどしか残っていませんが、着任後、事務所のあるビルで結成されていた日本企業の会の宴席での話は今でも時々思い出します。

 丁度各社人事の入れ替わりの時期で、歓送迎会をかねてという趣旨で開かれた席だったのですが、在タイ10年という方から、次のような話を聞きました。「○○さん、タイでは帰国の発令が来ると、赤紙=召集令状が来たと言うんですよ、ほかの国では日本に帰れると言うことでみんな喜ぶんですが、この国ではおおっぴらではありませんが、大方の人が泣くんです。能力のある人は、会社を辞めてこちらで就職する人も一杯います。」

 私の場合は、3年後の発令で、日本に帰りましたが、確かに帰らず、タイで起業する人、他の日系企業或いは、タイの企業に就職する人が沢山いました。

 それはさておき、当時のタイは、97年の通貨危機の前で、毎年前年比10%アップの経済成長の真っ只中、私の仕事も一通りのことをやっておけば、毎年売上20%増と好調でした。
 プライベートの時間は、ゴルフを楽しみ、夜になればタイのクラブで、日本の居酒屋並みのお値段で
 お酒を飲んで、銀座の女性に負けず劣らずの美しいお姉さん方にタイ語を教わり、会社勤めをして初めて良い思いをさせていただいたわけですが、一点だけ日本が恋しくなることがありました。

 それは食べ物です。勿論、郷に行っては郷に従えで、タイの地元料理を食べている分には何の不満もありません。
 タイスキという鍋料理、海老、蟹をふんだんに使った海鮮料理、さらに豊富で新鮮な野菜と質の高い豚肉、鶏肉を使うタイ料理どれも、極めて結構な美味しさでした。
 また、通り沿いにいたるところにある屋台もしくはオープンエヤーのレストランで食べる、タイラーメン、台風カツどんともいうべき豚足を甘く煮込んでご飯に乗せて食べるカオカムー、蒸した鶏肉を辛味の聞いたソースをかけて同じくご飯に乗せて食べるカオマンカイなどもなかなかいけました。

 味付けに使う唐辛子の辛さと、食中りよけに使うと言うパクチー(コリアンダー)の匂いが駄目な人には、いささかつらいものがあるのですが、私は最初からさほどの抵抗感はありませんでした。

 そんな中で、参ったのは、時に食べたくなる日本食でした。当時のタイ在住の日本人は、たしか住居届けを出している人が約1万7千人、住居届けを出していない長期滞在者を含めると約3万人というレベルで、日本食レストランも大小合わせて2百軒ほどありました。殆どが、日本人が集中して住んでいた、シーロム、スクンビット界隈に有りましたのでお店には不自由はしなかったのですが、問題は食材です。

 目の玉が飛び出るほど高い、一流ホテルの日本食レストランに行けば、肉も魚も、持ち込みの食材があり全く日本と同様でしたが、一般の定食5百円程度の日本レストランではそうは行きません。

 まずお米ですが、当時日本米は輸入禁止で、またその価格ではとても使えません、タイ米を一日水に浸してやわらかく炊き、出してくれるのですが、ご飯とおかずを別々に食べる日本食では美味しさが半減です。

 豚肉、鶏肉、海老、蟹の類は既に相当量日本に輸出していましたので、日本のものと遜色ない材料があり味もOKでしたが、折角のしょうが焼き定食がご飯で台無しでした。 
 特にどうにもならないのは、魚を中心に使う、刺身と寿司です。日本在住当時は基本的に肉食で、刺身、寿司の類を好んで食べると言うことは無かったのですが、在タイ3年でくるりと変わり、帰った当初は、回転寿司の常連となりました。

 果物については、ご存知の果物の女王マンゴスチン、果物の王様ドリアン(これは、日本の方には匂いが不評ですが、タイの人は市場に赴き売り子さんに選別してもらい、食べごろのものを買います。持ち帰って言われた日付で硬い、棘だらけの皮を剥いてすぐ食べるのですが、あの独特の匂いはしません)、をはじめ、多種多様にあったのですが、残念ながら、林檎と梨についてはどちらも日本の戦後すぐのレベルで石のように硬いものしか在りませんでした。

 更に桃も全く駄目で、当時お付き合いした、タイ人のお金持ちは年に一回東京に旅行し、帝国ホテルに止まり、千疋屋で桃を買って食べるのが楽しみと言っていましたが、そうだろうなというレベルのものでした。

 今回5年前に、再度タイに来て一番驚いたのは、日本食の変化でした。前回は、日本食屋は、一定の地域に限られていたのですが、今回は、バンコク以外の地方でも、大手スーパー内には日本資本とタイ資本の日本食のレストランチェーンが展開し鎬を削っていました。

 前回は、お客は殆ど日本人もしくは日本人と連れ立ったタイ人でしたが、今回は殆どがタイ人客で日本人は一握り、更に、欧米人も多数見かけるという状態です。

 売れ筋は、タイの人は、豚肉、鶏肉の料理が多いのですが、日本人は殆どが、刺身、寿司系です。

 米は、正真正銘の日本米で、聞いたところによると、気温が比較的に下がるタイの北部で日本の農家の方が、ササニシキを栽培されており、寿司米もひろまっているとのことでした。 

 魚については、前回と違い、蟹、海老に合わせて、鯖、鯛の現地産と、鮪、鮭の輸入物という刺身、寿司に十分対応できる食材で組み立てられており、一寸種類は少ないのですが満足できる水準のものとなっていました。

 更に果物については、林檎、梨のレベルが大幅に上がっており、柿なども充分日本で通用するレベルのものが売られていました。

 現在の、タイの長期滞在日本人は今回の不況前で約7万人、現在は2万人ほど日本に帰国命令が出て約5万人と言われています。

 これらの人々の需要にこたえるだけではなく、日本の高い食のレベルが、タイの農業にも浸透し、タイの人々の食生活を変えつつあるのでしょう。

 小生も、今回は、ホームシックにかかることなく長期滞在を楽しめるかと思っております。

島津道太:社説比較から見えるプルサーマル模様

「プルサーマル」に我々市民はどのように対峙していけばよいのか冷静に考えなければいけない。本来ならマスゴミといわれ、右に倣えの現代の新聞記事を比較するなんて時間の無駄だとなるのだが、内容はともかくとして、一応5紙すべてが本問題をそれぞれの立場で取り上げていることは評価してもよい。掲載日付順に朝日(11/06)、毎日(11/06)、読売(11/07)、日経(11/07)、東京(11/11)の五紙の「プルサーマル」に対する社説をあえて比べてみた。

独断で遠慮無く結論からいわせて貰えば、国民目線に最も近く、誰のための国策かと実に見識高く論じ、だんトツの優れものは「東京新聞」であった。利点と問題点を天秤にかけて圧倒的に問題点が多いと断じたのは毎日であり、正鵠を得ている。プルサーマル始動はプルトニウム利用の第一歩ではなく、核燃料政策の是非と切り離して考えるべきとするは朝日であるが、当然である。単なる経過説明に終始し、粛々と推進するだけだと唱えるのはいかにも読売らしい。逆に安全性などどこ吹く風で、とにかく節操なく、いけいけドンドンの酷いのは「日経新聞」であった。あえて総合ランクをつけるとすれば、1.東京、2.毎日、3.朝日、4.読売、5.日経というところであろうか。

原発政策をマラソンに譬えるなら、目標地点が崩落して見えなくなり、接近することさえ適わないのに、立ち止まりもせず、悪魔のささやきの走る口実を見つけて、惰性で目標地点めがけて危険な道を走っているようなもの、それがプルサーマルだ。

もはや多くを語るまい、論理破壊している国策プルサーマル、それは主権国民の声とはかけ離れたところで一人歩きしている。政府に任せておけばでは済まされるような問題ではなくなっている。あまりにも重大且つ多くの問題を内包している。特に将来の世代を背負う高校生、大学生には是非本問題を取り上げて論じてほしい。さらには現代文明の恩恵を享受する老若男女みんなで考えなければいけないテーマではないのだろうか。

文闘春潮 編集長9/x:ザ・ジャーナルの存在とは

他のメディアに比べてザ・ジャーナルの優れている所は、そのデザインだろう。
トップページに掲載されたジャーナリストの記事の見出しをクリックすればその全文を読む事が出来る上、他の場所へ飛ぶ事もなく記事の直ぐ下から文字の大きさによる差別などもない即時投稿する事の出来るコメントが掲載される。いたってシンプルだ。
「よろんず」にしてもトップページに掲載されたならば、プロのジャーナリストと何ら差別もなく素人であろうが同列に扱われる。既にメーカーなどには大きな影響力を持つアルファーブロガーの存在と協力を考えれば当然の事なのかもしれない。
(強いて望む所があるとしたならば、一週間前の記事ぐらいまでは同列に掲載され、古さを感じさせないデザインであればと云う事ぐらいだ。)

しかしこのことは参加する読者を引き付けると同時にサイトへのリスクや誤解を伴う恐れがあると思われるが、世界は軍事力・経済力を背景に大義名分と策略の中で、インターネット化したグローバルな世界に合わせ、ガンジガラメに縛られた権利を壊し新たなルールに造り返る方向へと進んでいる。

ザ・ジャーナルとは、世界中の有名な新聞や雑誌が消え去り日本のテレビも赤字へと転落し大枠のニュースしか入手出来なくなっていく変革の時代に、自由と引き換えにカメラとパスポートを持ったジャーナリストから、ケータイとインターネットを持った我々に未来が委ねられた混沌とした世界の中で、今までのジャーナリズムと云う既成の概念・価値観・ビジネスモデルの垣根が崩壊し、これからの双方向・多方向へと進化していく更なるデモクラシー化されたメディア形態の一つの存在に他ならない。

2009年11月10日

島田庸介:原発の誤配管により放射性の水を24年間も海に垂れ流し

 東京電力の柏崎刈羽原発(新潟県)1号機で配管の誤接続により、放射性物質を含む水が1985年の運転開始以来、24年もの間、海に垂れ流されていたことがわかった。放射能レベルはともかく呆れ返る。今回の件は福島第二原発(福島県)で同様の誤接続が見つかり、調査した結果、発覚したのだという。氷山の一角のように思えてならない。

 事故に潜む3つの問題点を指摘したい。

1)電力会社は各種配管工事等全て下請け業者任せとなっているのではなかろうか。いわゆる丸投げである。発注側の電力会社の担当責任者が工事終了後に配管工事が正常になされたかどうか業者と共に最終確認チェックをするのは世の常識のように思う。チェックをしていれば、このような初歩的なミスは発生し難い。そんなチェックは不可能というなら、責任の所在の明確化はおろか、もはや電力会社の安全管理監督の責任放棄であり、事業継続の資格はない。未然に防ぐ体制になっていないなら、電力会社内に作らなければならない。工事そのものが、親会社、子会社、下請会社、孫下請会社、曾孫下請会社との流れがあればなおさらのことである。

2)電力会社のエリートキャリアは出世に繋がる上流の仕事にしか関心がなく、下流の「配管工事ごとき」という土木建設の仕事に対する無意識の悪しき固定観念がありはしまいか。重大な企業倫理の欠如に繋がっていく。電力会社は護送船団付き独占企業で、縦割りピラミッドの官僚組織が根付き、その悪しき弊害が顕在化している裏返しともとれる。

3)経産省安全・保安院は事故が起こる度に全原発を調査するよう文書で指示を出したと、後手、後手の対応をいつも、ただ繰り返すだけである。政官業の馴れあいでは事態は改善される筈がない。だから、経産省内の原発安全規制組織を権限含めて省外に設置せよと言われる所以なのである。いうまでもなく、現政権の経産省担当大臣は毅然とした態度で国民目線で、しっかりと経産省内の原発安全・規制の組織の有り様の見直しをする責務があるのではなかろうか。

 とにかく、原発は大事故が起きてからでは取り返しがつかない。事故の大小でなく、ましてや24年間も知らなかったというような組織では、大事故を招きかねない。電力会社組織構造ならびに経産省安全・保安院の安全規制の有り様は看過できるものではない。恒久的安全の法的監督規制も含めた検討、実施は喫緊の課題である。

赤虎頭巾:タイについて(3)── 番外編

本稿は小生の「タイについて(1)──仏に愛された国」に頂いた、ハンドルネーム"em5467-2こと恵美"さまからのコメントに対する回答です。

拝啓  em5467-2こと恵美様

 遅くなりましたが、頂いたコメントについてのお返事です。

1)貧困問題  

 勿論、タイはまだまだ貧しい国です、最低賃金は一日約600円、日本の時間当たりの最低賃金額とほぼ同じです。大卒の初任給が、2万5000円程度ですから、私が卒業したときよりも低く、日本の高度成長が終わる少し前という水準でしょうか。 
 ただ、衣、食、住の生存に必要なコストが日本或いは北の寒い国々とは全く比較になりません。
 例えば最高級のタイ米が、イギリス資本の立派なスーパーで5kg約550円、安い米ですと150円程度。 屋台のタイラーメンは一杯約60円、散髪代が約270円。1年中、Tシャツ、短パン、サンダル履きでOKです。
 住を追われれば、そこらで寝転がっても、凍え死にの心配はありませんし、本当に困れば、まだまだ家族の絆は強いですから、親戚、兄弟の家に転がり込み、屋根の下に、布一枚を準備して、たたみ一畳分のスペースを分けてもらえば生きて行けます。

 確かに貧しいのですが、生存コストが格安なので、目を覆うというような貧困はタイにはありません。 
 なお、日本(約50%)のほか、米欧、台湾・韓国等の投資による工業化と産業発展によって国民所得も上がってきました。15年前2000ドル/年程度であった、一人当たりの国民所得は現在では5000ドル/年にまで上昇してきています。 

2)Lady問題

 確かにタイでは、そんな情景を一杯見かけます。  日本人に限らず、おなかが突き出て、頭のはげたヨーロピアンやアメリカンの老人が、飛行場や観光地で、タイの若い女性と手を組んで楽しそうに歩いています。
 em5467-2こと恵美さんは見るに耐えなかったとのことですが、タイでの人々の受け止め方は少し違うようです。
 正式に籍を入れているケース、タンガンと言われる慣習上の結婚しかしていないケース、単なるお友達といろいろケースはありますが、彼女たちはみんな自分の自由意思で、彼らと付き合っているのです。
 周りの彼女たちの友人や親族からは、ほとんどの場合、ラッキーねと見られています。

 勿論一夜限りの女性たちも多くいますが、タイにおいては、外人観光客が行く場所では、マフィアがらみの奴隷売春はすくなく、親の借金に縛られてというケースも殆ど聞いたことがありません。
 ただし、地方或いはタイの人しか行かない場所は如何なのか、これは我々には分かりませんが、タイの人と付き合っている限りでは、余り悲惨な話はないようです。  
 なお、タイのその手の店の、みかじめ料は、タイの警官の組織としての収入源のようで、大事な外国人のお客が不愉快な思いをしないよう取り締まっていますから安心のようです。
 ちなみに、タイの観光収入はなんとGDPの17%程度とのことです(今回不況の突入前)。最近、バンコクでぼったくりクラブの事件が報道されましたが、この被害者は、タイ政府の高級官僚のようで、背景は、政治問題かもしれません。

3)男性/女性 

 女性が働き者、男性は怠け者とのことですが、これはお付き合いになったお友達の方の偏見でしょう。
 確かにそういう見方をしている外国人も多く、タイの女性もそういう話をする人が多いのですが、実際に工場等で働く様子をみると、男性が特にのんびりしているという感じはありません、事務所も現場も、みんながのんびりしています。 
 細かく観察するとタイの人々は、女性も、男性も日本人に比較すると怠け者だと言えるでしょう。
 これは、タイの人々の、日本、或いは北の国々の人々との生存条件の違いから来るもので、良い悪いではなく、それでこれまでやってこれた、ということだと思います。

 例外は、ご友人の華僑の人々(正確には中国系移民の人々)です。彼らは、男女に限らず勉強も良くしていますし(ただタイの場合は教育水準が、教える教師と長く続いた政府の愚民政策の問題もあり、一部の富裕層を除いては、実に低いのですが)勤勉です。

 なお、タイの女性の特色は、実に口うるさいことです。女のおしゃべりは洋の東西を問わないようですが、タイは特に激しく、男は無口で黙って働くのが美徳、がみがみ言うのは女の特権となっているようです。
 タイの男性は確かに浮気者が多いのですが、あれだけ細かくしょっちゅう小言を言われ続けていれば、それも仕方がないのかなとも思えてきます。

 タイはおっしゃるとおりレディ・ボーイが多いのですが、彼らはみんなお喋りです、ひょっとしたら、おしゃべりしてもタイの人々から白い目で見られないように、タイの男性はレディ・ボーイになる人が多いのかなとも思います。
 
 勿論一番のポイントは、汗を流して働くより、きれいな格好をして楽に暮らせるのが良いわということでしょう。 
 タイの人の最高の価値観は、スーワイ(美しい)で、他人に対する侮蔑の言葉はメン(臭い)です。彼らは、1日3-4回は水浴び、歯磨きを行います。朝、昼(都会では歯磨きのみのケースが多そうですが)、夕方帰宅後、就寝前とおこなっているようです。"スーワイ(美しい)、サート(清潔)、サムカン(大切)、ティスット(一番)"、清潔で美しいのが、一番大事なのです。 

4)華僑支配(中国系の移民支配)

 これはおっしゃるとおりで、タイに限らず、インドネシア、フィリピンと東南アジアは殆どそうです。
 北の国から来た彼らは、働き者で、勉強家です。 経済においても、政治においても彼らが国をリードし、キリギリスの人の良い、怠け者のタイ人の上に立っていくのは仕方のないことでしょう。
 タイ人にとって見れば、政治とか会社経営とかそんな面倒くさいことは任せるから適当にやって頂戴、俺らは楽しく生きているよ。仏陀は、何事も程々が良い(中庸が良い、張りすぎた弦は切れる)、欲を掻き過ぎるなと言っているじゃないか、あんまりがみがみ言うのなら、田舎に帰ってのんびりやるわ、ということだったのでしょう。
 ただ、この構造は、勤勉なバンコク周辺に住む中国系の多いハイソの人々が、貯めたお金を地方の貧しい人々に高利で貸し付けて、生産物と土地を安く買い叩くという方法などで、分配の不平等を生み、タイの国全体としての成長を阻害してきたようです。

 これを壊したのが、1997年の通貨危機の後に登場した、タクシン元首相です。
 タイ版の田中角栄の彼は、工業化と国土総合開発のデユアルトラック政策を掲げ、バンコク周辺の工業化で潤った金を税金で吸い上げ、農民への低利の貸付金制度の導入、従来放っておかれた地方の道路、通信、教育等のインフラ整備、一村一品運動等の地域産業開発にまわし、貧しかった地方農民層の生活が変わってきました。
 更に、電力、石油、鉄道等の国営企業の効率化、民営化を進め、親方日の丸の不効率部門であった、政府、公共事業の改革を進めるとともに、軍予算の抑制、富裕層の医者の搾取のメカニズムであった医療にどんな病気も30バーツ(約75円)で面倒を見る公共医療システムを導入し、貧しい人の子弟にも政府の奨学金で海外留学の道を開くというのを頂点とした教育政策を推し進めました。

 並行して、自分のビジネスもしっかりやったようで、それに対する批判が高まり、さらに本当にそういう開発経済が良いのかという観点から「足るを知る経済 Sufficiency Economy」という主張も出てきていました。

 そのような中で、タクシン前首相の政権は、締め上げられた軍と、国営企業及び国の機関の労働組合が実行部隊となった3年前のクーデターで転覆しました。
 軍の給料は、クーデター後1年で2倍になり(今年も上げたようですが)、訳の分からない最新鋭の戦闘機、戦艦等が(市場価格の2倍とも言われる)高い値段で購入され、教師に対する厳しい再教育制度はご破算になりました。

 国を追われ、現在はドバイを初め周辺の各国を転々としているタクシン元首相ですが、タイの人々の支持は依然強く、国王への350万人の恩赦願いの提出、支援の私営テレビ局のスタート、全国各地での定期集会、持ち回りの民主主義学校の開校などが行われ、"我々が選んだ首相を返せ"、"軍主導の談合似非政府ではなく再選挙を行い、民主的に政府を選びなおせ"、"軍が作った新憲法を廃止し旧憲法に戻せ"との運動が盛り上がっています。
 今年行われた国会議員の補欠選挙は東北部はタクシン派の大圧勝で、現政権党地盤の南部の選挙も、政権側が勝ちましたが接戦でした。今、解散総選挙をやれば恐らくタクシン派が勝つでしょう。
 一方、上層階級が支持する反タクシン派のPADは、タクシン支持の地方の農民は教育がなく、無智でタクシンに騙されていると主張し、一人一票(One man one vote)の民主主義は未だタイには早い、当面は選挙3割任命7割システムの国会とするNew Politicsがタイにはふさわしいと、NPP(New Politics Party)を結党して活動を開始しました。しかしこちらの方は、今のところは、余り活発ではないようです。

 のどかで伸びやかだったタイも、グローバル化による経済発展と情報のIT化で、人々の意識が変わり、日本と同じく、長年の、民主主義とは名ばかりで実際は、政官財軍報支配体制の国から、変わっていこうとしているようです。

 しかし、タクシン派集会の様子を見ると、参加者の7割方が、女性のおばさんで、政治演説の合間には歌あり踊りありと、深刻ではなく、いかにも楽しくやっています。 
 このあたりは、サヌーク・サヌーク(楽しい、気持ち良い)が好きで、シリアス、真剣、真面目が(これはタイ語でなんと言ったか、めったに聴かない言葉なので出てきません、今度秘書に聞いてみます)大嫌いな相変わらずのタイだなーと、妙に納得させられています。

 思いもかけず、長文のお返事になってしまいました。タイでは男は寡黙なのが良いとされていますし、なんと言っても他の国のことで遠慮もあり、小生もかなりお腹に溜まっているようです。"おぼしきこと言わぬは"の心境が良く分かります。

 ともあれ、今後とも、厳しいコメントをお願いいたします。
 
 先ずは御礼まで。

敬具 

赤虎頭巾 拝

2009年11月 9日

世川行介:小泉純一郎と小沢一郎

 現在、民主党の圧勝によって、小泉純一郎という政治家の価値は、著しく低下している。自民党の議員たちでさえ、8月の総選挙では、小泉路線の軌道修正を言っていた。

 しかし、僕には、この現象は、はなはだ不当に過ぎる、と思える。
 なぜなら、そこには、2005年のいわゆる「郵政選挙」で、小泉自民党が何故あれほどまでの大量票を獲得したかという考察が、まったく欠如しているからだ。
 小泉政権の最高支持率は80%だった。
 鳩山政権の最高支持率は78%くらいだ。
 いささか乱暴だが、これによって両陣営の岩盤が見え、これを単純に差っ引くと、この国には約55%の浮動票が存在している勘定になる。乱暴ではあるが、これは、あたらずとも遠からずの数値だと思える。
 つまり、平成日本においては、有権者の約半数が、その時その時の「気分」で投票しているという事実が浮かび上がる。
 仮に、今、鳩山民主党政権誕生によって、小泉純一郎の存在価値を全否定するということは、あの時期、小泉純一郎を支持した浮動票の「気分」を全否定するのと同義になる。つまり、有権者の半数の政治意識は愚かだったということになる。

 しかし、そんな馬鹿な話はないだろう。

 平成日本で傑出した政治家を挙げよ、と言われたなら、僕は即座に、小泉純一郎と小沢一郎の名を挙げる。
 僕は、29歳の時(昭和57年)から特定郵便局長をしていて、小泉純一郎の郵政民営化闘争を、まったく対立する陣営から見つめ続けてきた。
 当時、小泉の主張する郵政民営化は、僕の所属する全国特定郵便局長会(通称全特)が核になった、「郵政族」と呼ばれる政界最大の族集団によって一笑に付され、彼は、僕たちの陣営から、阿呆呼ばわりされていた。

 しかし、僕は、いつの時期からか、「この男は、いつか必ず郵政民営化をやり遂げるぞ」、と思うようになった。
 なぜなら、彼の主張は、とても単純化されていて、わかりやすかった。
 そして、もうひとつ、力のない当時の彼は、常に、政治家に向かってではなく、国民大衆に向かってダイレクトに語りかけていた。僕には、この戦術はきわめて現代的で優れている、と思えた。
 それから、彼は、一歩一歩、ほとんど自力で階段をのぼり、郵政大臣になると、総スカンを食いながらも郵政民営化を主張し、首相になると、抵抗勢力を無視して、郵政民営化一本で国民に改革を訴え、画期的な大勝利を手にした。節々で見せた役者顔負けの科白の数々は、名アクターとしての素質を存分に発揮し、国民を酔わせた。

 勝って当然だな、と僕は思った。
 有権者の5割が、彼の主張を諾として、小泉票を投じたこの勝利は、正当に評価されるべきだ。今になって、その5割の有権者を、「先見性に乏しい輩だった」と嘲笑する者たちは、本当の意味で、政治を語る資格のない人たちだ、と僕は思っている。

 郵政選挙の圧勝によって、自民党は小泉純一郎に逆らえなくなった。
 小泉旋風の勢いはすさまじく、小泉のパフォーマンス政治こそが平成政治の主流だ、という風潮が蔓延し、国会議員は、与党も野党も、みな論理よりも、中身はなくても耳あたりのいいワンフレーズ探しに躍起になった。
 つまり、政治家たちは政治論理を放擲し、この国では、政治論理が不要になった。
 そこまでの政治光景をつくっただけでも、小泉純一郎の力量は、評価されてしかるべきである。

 僕に言わせれば、あとに続く自民党の政治家たちが阿呆ぞろいだったのだ。
 その象徴的存在が、山本一太とかいう蛸を歪めたような目立ちたがり屋だ。あんな馬鹿が、自分が何者かのように、ある時は安倍晋三の応援歌を作ったかと思うと、安部が退陣するや福田康夫の応援団をやるという無節操ぶりを見せ続けた。
 だらしない風化の象徴だな、と思ったが、そんな男を重宝がるマスメディアが存在したという意味で、みんな共犯だ。

 そうした風潮の中で、聞く耳を持たない有権者や政治家に向かって、執拗に政治理念を語り続けたのは、小沢一郎ただひとりだった。
 しかし、この事実は、肝に銘じておかねばならないが、小泉純一郎在任中、論理を主張する小沢一郎は、ワンフレーズで国民にダイレクトに訴える小泉純一郎に、どうしても勝てなかった。小沢一郎だけではなく、日本の政治家は、誰一人、小泉純一郎に勝てなかった。
 あれは、何故だったのか。
 僕は、ここに、平成日本の大衆意識解明の鍵がある、と思ってきた。この大衆意識の秘密を解き明かさない限り、僕たちは、この国の政治状況についてうぬぼれる資格は与えられない。

 ただ、激しい小泉旋風の中で、ほとんどの政治家は、失語症におちいり、その存在意義すら失ったが、たった一人、小沢一郎だけは、勝てなかったが、後退しなかった。彼の支持者は彼から離れなかった。
 これは刮目に値する。
 小沢一郎ならばのことだった。この一点を評価しなければ、小沢一郎の何も評価しないのに等しい。

 小沢一郎は、この国では稀有な、優れて論理的な政治家だった。彼独りが、小泉旋風の奥底にあるものを見つめていた。それはこんな発言が証明している。

「国民はこのままじゃダメと思っていて、変化を求めているんです。そして、小泉首相ならば、なにかそういうことをやってくれるのかもしれないという錯覚を持った。その結果、05年の総選挙(引用者注:郵政選挙のこと)で自民党が圧勝した」
「簡単なことなんです。小泉首相のパフォーマンスだけで、自民党にあれだけの票が入るんだから、変化を望んでいる国民に対して簡明なシグナルを送ることができれば、完全に勝つ。絶対に勝つ」
「小泉首相なんか選挙で一言もマニフェストに触れないで、ただ『イエスかノーか』しか言わない。それで票が集まるわけです」
「中身のあるしっかりした政策は、そうそう簡潔に説明はできない。だから難しい」(90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』(朝日新聞社刊)

 小泉純一郎に対する敵がい心はあるが、ことの本質をよく見据えている発言だ、と思う。

 僕たちは、ややもすると、今回の政権交代が、小沢一郎の「卓越した選挙技能」によってもたらされたのように誤解しがちだ。マスコミの論調もそれ一色だ。
 しかし、それは、とんでもない見当違いだ。見えてないにもほどがある。あるいは、見てみないふりにもほどがある。
 小泉政権下で5割の浮動層の政治意識を研究した小沢一郎が、「国民の生活が第一」という、実に<わかりやすい理念フレーズ>を用意し、それを地道に訴え続けて、浮動層の関心を自分に向けさせたからこそ政権交代が実現した、と読むべきなのだ。
 讃えるのなら、小泉政権から始まった非論理の政治状況の中で、政治論理の必要性を説き続けた小沢一郎の強靭な持続力と行動力をこそ褒め讃えるべきである。

 どちらにしても、平成政治16年間の本質を語る時、小泉純一郎と小沢一郎の二人の存在価値を、同じ重量で受けとめて語れない論は、すべて無効である、と僕は思ってきた。
 そして、それは、好き嫌いレベルの話では、ない。


 <追記>
 僕は貧しいもの書きで、人様の喜捨(日記購読料)によって生きている。
 もし、この論を読んで、購読に値した、と思った方がいたら、購読料を送ってくださいな。

ゆうちょ銀行記号
10180番号
56027811
口座名 フケダアミ

 なお、ゆうちょからの「お知らせ」では、他銀行から送る場合は、
店番号    018
普通預金
口座番号   5602781

 となるそうです。

豊後の小兵衛:ことばを失った日本人── 異聞二

 「小沢一郎への想恋歌」には多くのコメントを頂戴したが、氏もこのコメントをしっかり読んでいることを報告しておく。
 ついては幾人かの方のご懸念に違わず、世川氏は紛れもなく「赤貧」であり、「小沢私論」脱稿までに木戸銭(ブログ購読料)を所望したい。
 経緯はいずれ詳述するが、当初は私たち仲間の「自費出版」の予定だったが、ある大手出版社の目に止まり、それは当然のこととして「より多く売りたい」とする出版社の意向も相まって、世川氏の論旨を変えずに、より分かりやすい表現、構成に腐心している。
 無論のこととして、これをどう読み取るかは個々人の自由ではあるが、「失われた10年」のみならず、今を生きる私たちが失ったもの、それが何であったのかを、それぞれの立場で思い起こそうと提案していることは疑いの余地がないと私は思う。「木戸銭所望」とは定石に合わないかも知れないが、底辺から見る「小沢論」は、「だからこそ書ける」一文ではないだろうか。

*  *  *  *  *

 小沢一郎私論(仮題)(草稿)

この拙文を、
鳴澤康予に、
そして、大勢の〈ハセベエイコ〉に、
贈る。


 序に代えて


 自分のことから書くことにする。

 10年ほど前から、僕は、新宿歌舞伎町という一大歓楽街の異国人エリアで、五年間を生きた。
 その頃の僕は、だらしなく風化していく日本社会に、愛想がついていた。
 黒服のヤクザたちや安物の派手なドレスをまとった異国の女たちが闊歩するその場所は、高度経済社会の象徴である〈現代日本〉から最も遠い、特に、政治などというものとは一等無縁な、治外法権の場所だった。
 僕は、そうした無頼の街に生きながら、「ここから〈世界〉が視えるか?」と、自分に問い続けた。
 ここから〈世界〉が視えなくなったら、もう、おしまいだぞ。「ここから見える光景は〈世界〉につながる」という発想を持たない限り、お前はおしまいだぞ。そう、自分に言い聞かせながら生きていた。

 その時期、つまり、1990年代後半から新世紀当初にかけて、日本国家を棄てた僕に、日本を意識させてしまう、つまり、〈世界〉を感じさせてくれる政治家が、たった一人だけ、いた。

 小沢一郎

 という保守政治家だった。
 特定郵便局長、つまり、保守政界で「郵政族」と呼ばれる族議員たちの元締めである全国特定郵便局長会(通称「全特」)の一員であった僕は、14年間ほど、小沢一郎という保守政治家と、無縁ではない場所にいた。
 しかも、僕の住んでいた土地は、小沢一郎たちが、「あんたが大将!」と御輿を担いだ竹下登元首相のお膝元の島根県だった。
 身の不徳から、僕はその業界を石もて追われたが、1993年に東西冷戦構造が崩壊して将来指針を失ったこの国の政界において、保守政治家にすぎない小沢一郎だけが、世界との関係の中で日本のあり様を冷静に考察している、小沢一郎がいなくなったら日本の政治はおしまいだな、と思ってきた。
 ただ、不運なことに、この小沢一郎という政治家は、おそろしく不器量で、とてつもなく口下手で、およそ、タレント性に欠ける男だった。
 しかも、当時の彼は、不遇を生きていた。
 この経緯は今の青年たちにはわからないかもしれないが、日本共産党やマスコミの策謀で、「ファシズムだ」「強権政治家だ」というレッテルを貼られ続けてきた上に、非自民党政権である細川連立政権の突然の瓦解、阿呆としか言いようのない「自社さきがけ野合政権」の成立、そして新進党の解党......、等々によって、政権交代の眼は消え、彼の政治思想を評価する気運は、この国から消えていた。
 そして、傲慢だとか、人づきあいが悪いだとか、およそ、政治思想の本質とは何の関係もない枝葉末節的なことがらで彼を全否定する風潮が、まかり通っていた。
 わずかに、「自由党」と呼ばれる小政党に集った少数の人々だけが、小沢一郎を支えていた。
 歓楽街歌舞伎町で、たまに手にする日本の新聞を眺めながら、時代のだらしない風化に、独り、懸命に抗(あらが)っているこの政治家の〈無念〉を、僕は思った。
 その抗い方を遠望しながら、やっぱり、この男はいいな、と思った。
 彼への悪態記事を読む度に、「おい、負けるなよ」
 一度も逢ったこともないその政治家に、歓楽街の薄汚い喫茶店の椅子から、彼には何の役にも立たないであろう声援を、僕は送り続けた。

 それから、数年が経った。
 僕は相変わらず貧乏な放浪者のままだったが、小沢一郎は、民由合併を経て、民主党の党首になっていた。幾多の障害を一つ一つ取り除いて、階段を昇っているのが、よくわかった。
 よく頑張っているな、と感心した。

 2年ほど前、小沢民主党の参院選挙投票日の数日前に、僕は、ネット上に『世川行介放浪日記』というブログを持った。
 参院選の投票結果が出る前に、「小沢一郎頑張れ!」と、表明しておきたかったからだ。
 それからは、わずかばかりの〈未知の読者〉相手に、身辺雑記や、時事問題への雑感などを書きなぐってきた。日記の表題である「放浪」とは、文字通りの放浪であって、僕は、この10年間、一片の公的存在証明書も持たず、日本国内を放浪しながら生きてきた。
 新宿歌舞伎町での五年間の浮浪者生活から始まって、千葉、大阪、新潟、富山、また上野...、さまざまな土地をさすらった。税金なんて10年間一度も払ったことがない代わりに、国家からの生活支援も一切なかった。
 幸いにして健康だったから、健康保険証がなくても、何とかしのいでこれた。
 住まいは、いつも、ネットカフェ。たまに大金が入ると、サウナに泊まった。ビジネスホテルなんて高級(?)な宿泊所とは、縁が切れて数年になる。
 つまり、僕は、当節流行の「ネットカフェ難民」の先駆者だ。ここ半年一年の「にわかネットカフェ難民」たちとは、格が違う、なんて威張っても、なんの意味もないけどね。
 当節のネットカフェ難民は、政治の被害者みたいな泣き言ばかりを言っているが、僕には不思議でたまらない。ネットカフェに泊まれる財力があるだけでも、自分は幸福だ、と思うべきだ。僕は、放浪時代、お金がなくなると、冬でも春でも、駅や公園のベンチに寝た。駐車場の隅っこで寝たこともある。
 そんな放浪者が、僕、世川行介だ。
 つまり、僕は、超資本主義国家日本の埒外を生きてきた、一等卑小な存在だ。

 そんな卑小な放浪者である僕が、20数年間にわたり、小沢一郎という保守政治家にだけは、格別の親近感を覚えてきた。
 2009年3月3日、小沢一郎が西松建設問題でマスコミに叩かれ、民主党党首を辞任した。
 僕は、日記に、『小沢一郎への想恋歌』という文章を掲載し、こんなくだらないバッシングに潰されるな、と書いた。
 それを機に、僕の『世川行介放浪日記』の中で、小沢一郎に言及する記述が増えてきた。それが昂じて、とうとう、09年7月から、拙い限りの『小沢一郎私論』を連載するようになった。
 その連載に先立って、売れない貧乏な物書きである僕は、
「ネットで売文稼業をやってみたいので、この『小沢一郎私論』が読むに値すると感じた読者は、購読料を送ってくれ」、ネット上の〈未知の読者〉たちに、そんな厚かましいお願いをした。
 そうしたら、何十人かの、顔も素性も居住地も知らない〈未知の読者〉諸氏が、次々と送金してくれた。しかも、回を重ねるごとに、その数が増え、送られてくる購読料も増え始めた。
 これは、少し、驚きだった。
 そうなると、いい加減なものを書くわけにはいかない。
 少しは自分の足で取材したものも書かなくては、木戸銭を払ってくれる読者諸氏に失礼ではないか、と考え、政権交代選挙直前の水沢行を思い立った。
 あらためて言うまでもなく、水沢は、旧岩手県水沢市、小沢一郎の故郷であり、選挙区だ。
 そこでの10日間の取材内容を、『水沢紀行』として掲載した。
 以下の文章は、その『小沢一郎私論』と『水沢紀行』を加筆訂正したものだ。
 僕は、ただの一度も小沢一郎本人を取材することなく、この文章を書いた。
 20数年間、この男を注視し続けてきたという僕の自負が、この文章を書かせた。この自負には、いささか胸を張っている。
 しかし、この二つは、その内容から、或る「ネット暴走族」から、組織的な非難攻撃を受けた。
 ネットを舞台に、その連中と大太刀回りを演じた。その痕跡は、今もネットに残っている。
 そういういわく付きの文章だけに、愛着ひとしおのものがある。
 書籍化に当たって、一人でも多くの読者に読んでもらえれば、幸いの一言に尽きる。

 小兵衛代送

2009年11月 6日

豊後の小兵衛:ことばを失った日本人 ── 異聞

 このブログで再々紹介した世川ブログの筆者・世川行介氏が、氏独特の切り口で論説を書いてくれる約束ができ、編集部の同意も得られたのだが、故あって「小沢私論」(仮題)の再構成に没頭していて、その隙間がなくなっている。

 そこでしばしの繋ぎとして、ブログの転載を思い立ち、同意が得られたことから、数回にわたり、その一部を私の手で紹介することとした。なお、改行は文体を損なわない範囲で私の手を加えた。

*  *  *  *  *

■小沢一郎への想恋歌 2009年3月4日 23:11:07

 小沢一郎という政治家は、悲運を属性にしている男ではないか。
 そう思ったのは、今から十数年前、細川連立内閣が突然瓦解した時だった。
 政治理念よりも自分の立場や権利を重視する人たちのつまらない思惑によって、〈理念の実現〉という闘いの結晶が崩れていくのを眺めながら、この男は、いま、どんなに口惜しいのだろうか、と思った。

 あの時、世界の変革の本質にまるで無自覚だった旧社会党の代議士たちと、我欲だけで動き回って、当時一等高級だった保守理念を泥まみれにした武村正義とかいう代議士だけは、今思い出しても反吐が出そうになる。公明党や欲得勘定だけの自民党離脱組などは、論外だ。

 僕は、その直後から、政治などという大仰な世界とは全く無縁な男になり、特に、歌舞伎町に身を沈めている間は、世間の動向などに関心を持たなくなった。
 馬鹿な国民だらけの日本国家なんかどうにでもなればいい。日本国家よりも、歓楽街に潜むオーバーステイのクラブホステスの涙の方が、よっぽど重い。本心からそう思って生きた。

 ただ、時折、日本社会のニュースに接するとき、小沢一郎は、今、何をしているのだろうか、彼は何を考えながら政治にたずさわっているのだろうか、と思った。

 僕がこの日記を書き始めたのは、小沢民主党が参院選で勝利する直前だった。

 小沢民主党が勝利した後からでは、何でも適当なことが書ける。まだ勝利が見えていない時期にきちんと公言おくべきだ、と考え、2007年7月29日の日記に、「彼が政治を見る眼は曇っていない」
「小沢一郎がいなくなったら、日本の保守政治はおしまいだな、と思ってきた」と書いた。

 今もそう思っている。

 印象批評のような、あるいは芸能人へのファン投票のような浅い認識で政治が議論されるこの国において、悪党面の小沢一郎たった一人が、不器用きわまりない表現で、〈保守政治理念〉を語り続けてきた。
 しかし、彼の言葉はいつも、マスコミや旧左翼、あるいは天敵自民党によって、曲解報道され、彼の真意が国民に伝わることはなかった。
 つまり、彼は孤独を生きてきた。

 最近の世論調査で、「首相にふさわしい人」で、小沢一郎が一位になったと聞いた時、一番苦笑しているのは当の小沢一郎ではないか、と笑った。
 僕が、小沢一郎のどこを一番評価するのか、と言えば、それは、彼が、「政治家に下りていった人間」だからだ。
 多くの政治家たちは、「政治家に昇っていこう」とする。吉田茂だって、田中角栄だって、小泉純一郎だって、結局は、政治家に上昇していこうとした人間ばかりだ。
 戦後、そういう上昇志向を棄てて、政治家に〈下降〉していこうとしたのは、小沢一郎ただ一人だった、と僕は理解している。
 この点について、きちんと書こうとするとかなりの注釈が必要となるんので、省略する。

 彼と同質の匂いを放っている人物を探すとしたら、おそらく、明治期の西郷隆盛だろう。西郷もまた、政治的リアリストの立場から、国家理想を語る場所に〈下降〉しようとした人間だった。

 それがわかるから、江藤淳は、小沢一郎を高く評価し、孤立無援になっていた小沢一郎に、産経新聞の一面を使ってまで、「一度水沢に帰って隠遁しろ」と書いた。
 江藤淳は、その卓越した文学的嗅覚で、小沢から離れることのない悲運の匂いをも嗅ぎ取っていたのではないか。僕には、そう思えてならない。

 東京都知事石原慎太郎が、自分は、盟友江藤淳がなぜあんなに小沢一郎を高く評価するのかがわからない、と書いていたのを読んだ時、上昇志向を生きてきたお前にはわからないだろうな、と思った。
 政治家を、〈下りていく職業〉と規定する生き方は、そんな発想を持ったこともない多くの日本人から理解されようもない。しかし、小沢一郎は、それを自分に課し、愚痴もこぼさずに、一歩一歩着実に歩いてきた、ように思う。

 そして、今回の事件だ。
 これまで日本国家を支配してきた〈自民党的〉なるものが、最後の力を結集して、小沢一郎を撃ちに向かったのだ。生死をかけた政治闘争は熾烈なものだから、法を手中にした側の力によって、小沢一郎は無傷では済まなくなるかもしれない。

 ただ、今日、NHKニュースを見ていて、この最後決戦は、〈自民党的〉なるものが望むような結果には、すんなりとならないのではないか、という印象を受けた。

 小沢の反論に納得賛成する声があり、唐突な逮捕・強制捜査に、政治的策略の匂いを嗅ぎ取った国民も大勢いる。つまり、あっさり潰すには、小沢一郎という存在は、大きすぎる存在になっている。
 しかし、今回無傷で終わったとしても、小沢一郎なる政治家は、政治家という畳の上で大往生できる男ではなく、非業の末路を迎えるのではないか、という気がしてならない。
 ただ、僕たちには、それが彼の悲運に見えるのだが、おそらく、それこそが、彼が夢見てきた「政治家の生き様」であり、最大の勲章であるのかもしれない。

 だから、もし、まだ、僕がこの世にいたならば、彼が政治から退く最後の場面で、僕なりの大拍手を捧げたい、と思っている。
 今はまだ負けるな。小沢一郎。 

2009年11月 4日

《よろんず》投稿受付中!

 《よろんず》にたくさんの投稿をいただき、ありがとうございます!

 今後もコラムをもっとたくさん掲載し、議論の場として発展させていきたいと考えていますのでよろしくお願いします。

 前回の投稿欄はコメント数が100に近づきましたので、読者からの新しい投稿についてはこの記事のコメント欄にお願いします。

 なお、投稿文に関しましては、文面自体に変更を加えることはありませんが、レイアウトの都合上、「改行」「句読点」「文字詰め」「リンク」等を入れる場合がありますので、あらかじめご了承ください。

 みなさん、よろしくお願いいたします!!

【過去の読者投稿欄】
・2009年7月20日〜11月3日
・2009年6月25日〜7月20日

鉄馬:【続報】高知白バイ事件 再審請求にむけて

高知県警の証拠捏造を訴え続けた片岡さんが刑務所に収監され1年が過ぎました。通常であれば仮出所も考えられる時期との事ですが、警察を相手に訴訟を起こしている場合はまず無理らしいです。

事件発生時から粘り強く取材を続けていたジャーナリスト「山下洋平」さんが高知白バイ事件の本を発売する事になりました。

・どんな事故だったの?
・片岡さんは何をしたの?
・高知県警、裁判所はどうだったの?
・地元記者クラブ、マスコミの対応はどうだったの?

いまひとつ分かりづらいネットの情報、本になった事により事件の何が問題なのかが具体的に分かると思います。

また支援者のブログによると「そこまで書いていいの?」という事も書いてあるらしいです。

【支援者ブログの記事】
http://littlemonky737.blog90.fc2.com/blog-entry-239.html

『あの時 バスは止まっていた』ついに出版 - 高知白バイ事件=片岡晴彦収監中 2009年11月03日 04:10

来春出所直後、再審請求をする予定ですので、ひとりでも多くの方に読んでいただきたいと思い、紹介させていただきます。

  *  *  *  *  *  

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「あの時、バスは止まっていた」 山下 洋平 (著)


【内容紹介】 証拠捏造、司法の歪み――次は、あなたかも

高知で起きた白バイ衝突死事故。止まっていたバスに、白バイが衝突。しかし、バスの運転手は裁判で有罪に、そして刑務所に入れられた。バスに同乗していた中学生・教師はみな「あの時、バスは止まっていた」と証言する。

2006年3月3日、高知県春野町の国道で、高知県警の白バイと遠足中のバスが衝突し、白バイ隊員(当時26歳)が亡くなった。事件後、バスの運転手、片岡晴彦さん(53歳)は免許を取り消され、また同年11月には業務上過失致死罪で起訴され、2007年6月に禁固1年4カ月の判決が高知地裁で下された。

だが、片岡さん運転のバスは止まっていた。そこに時速100kmは出していただろう思われる白バイが突っ込んできたのだ。白バイは追跡中ではなかったので、明らかにスピード違反。しかし、警察・検察が証拠写真として捏造したと思われる「1m以上のバスのブレーキ痕」が決定的証拠とされた。職を失った片岡晴彦さんは、毎朝3時起きで新聞配達をして食いつなぐことになった。

事故当時、中学生22人と教師3人がバスに乗っていたが、皆、バスは止まっていたと証言している。バスの後ろで自家用車に乗って一部始終を目撃していた中学校長も同じだ。納得がいかない片岡さんは控訴したものの、事故時バスに乗っていた生徒の証言や証拠を高松高裁は一切退け、即日結審。地裁判決と同じく禁固1年4カ月(執行猶予なし)の判決が下された。

今年8月、最高裁判所から片岡晴彦さん宛に「上告棄却」の通知が届いた。つまり、門前払い。次いで10月23日午後1時に地検への出頭命令が届き、現在、片岡さんは獄中の人となっている。この事件の問題点は警察・検察・司法にとどまらず、報道に当初消極的だった地元新聞・テレビの姿勢にも及ぶ。

この事件は「明日はわが身」であることを物語っている――何の罪も、何の交通違反を犯していなくても、警察がその気になれば逮捕される、有罪にされるという事態が、日本社会に歴然と存在する。また、来年5月から始まる裁判員制度では、われわれ自身が事件の判決に立ち会う事になるかもしれない。この一般市民が巻き込まれた現在進行形の事件を下敷きに、読者一人ひとりが事件の当事者、そして事件を裁く裁判員の視点から本気で向き合う契機になる。

  *  *  *  *  *  

【著者について】
山下 洋平(やました ようへい)

KSB瀬戸内海放送 報道記者。高松本社報道制作ユニットに勤務後、岡山本社報道制作ユニットへ。『おかしい』と思ったらとことん突っ込むその取材力には定評があり、1年間追い続けた贈収賄事件では、全てのテレビ・新聞を出し抜いての完全スクープ映像を全国ネットで放送。本企画の事件も、第一線で追い続けてきた。

2009年11月 1日

赤虎頭巾:タイについて(2)── タイの人々と日本の人々 ありとキリギリス

 広く平坦な国土と、灼熱の太陽、豊富な水という自然条件のタイ国は、「微笑みの国」と呼ばれる、タイを生み出したのですが、この条件はタイの人々の、我々北の国々の人間とはかなり異なる特徴も生み出したようです。

 我が社の顧客で、在タイ5年という、若い課長さんのところにお邪魔した際、「私は、5年いますが、最初の1年はタイが大好きになりました、しかし、本格的に仕事をしだした2年目からタイが大嫌いになりました」という話しが出ました。

 小生も、5年目ですが、お気持ちは分かりますので、その話に大分花が咲きました。

 内容は次ぎのようなものでした。

1)タイ人は、時間を守らない。
2)タイ人は、勉強しない。
3)タイ人は、厭なことが有るとすぐ会社を辞めてしまう。
4)タイ人は、タイ人同士で協調して仕事が出来ない。
5)タイ人は、仕事の決められた手順が守れない。

 勿論タイの人の中にも、勤勉で時間厳守、協調性に富み、仕事の手順がきちんと守れる人も居るのですが、確かに、上にあげたような観点から見ると、余り芳しくない人々が多いようです。

 何故そうなのか、小生は、前回に上げた「仏に愛された国」というタイの生存条件が、他の国とは違うところからきているのではないかと思います。

 タイも日本も、長らく農業の国として生存を確保してきたわけですが、その条件はえらく違います。

 先ず日本の農業には、四季が有り、時間が非常に重要な役割を果たします。田植え、種まきにしても、刈り取りにしても、何時でもいいというわけには行きません。
 四季の移り変わりにより、それを実行しなければならない時節は制限されます、ある期間の内に済ませなければ、一年の収穫はふいになり、寒い冬がくれば、収穫を得られなかった家族は場合によっては、死と向かい合わなければなりません。

 一方タイでは、その辺はルーズです、季節はありますが、日本の夏と冬の違いはなくいわば一年中が常夏の国で、今でも田舎に行くと、たわわに実った田んぼのとなりに、青々とした田植えがすんだばかりの田んぼが並んでいます。日本のような、時間厳守という、習慣がなかなか身につかないのも当然かと思います。

 勉強が嫌い、或いは勉強する習慣がないというのは、このようなルーズな生存条件からも来るのでしょうが、前回上げた、熱さということにもよるのかと思います。乾季は特に暑いのですが、とにかく一年中熱いので、一つのことを長時間考えるのは先ず無理です。

 人間は元々、ひとつのことを継続して考えられるのは15分までという話を聞いたことがありますが、タイでは恐らく5分間熟考することすら難しいのではないでしょうか、これではややこしい勉強ができるはずがありません。

 ちなみに、私の秘書は、一応高校卒業生なのですが、通分計算は出来ません。タイの高校卒業生の割合は、約13%で、タイでは高学歴です。また商工会議所大学の優等生の女の子に、損益計算書と対貸借対照表について質問したところ言葉自体を知りませんでした。

 協調性ですが、これも恐らくタイの農業の特性からきているのでしょう、日本では、コメ作りは単一の農家だけでできるものではなく、稲刈りにしても、田植えにしても制限された時間内に済ませなければならない作業、或いは、水の管理のための水路や貯水池の管理は共同作業です。隣近所で協調できない家族は、村八分となり生きていけません。

 タイの農業は、前述したとおり、時間の制限がありません。水は、放って措いても天から充分振ってきます。共同作業の必要性は、極めて低く、協調性がなくても生きていけないことはありません。どうしてもイヤになったら、村を飛び出て新しい田んぼを開拓すれば良いのです。日本と違って、山奥に行かなくても、人の居ない、耕作されていない平坦な土地がまだまだ十分あるのです。このことは、タイの人の会社が厭になったら直ぐ出て行く、という性格にも反映しているのでしょう。

 手順が守れない、というのも恐らく同じだと思います。日本の農業は、人口に比して極めて少ない土地を、大変な努力と工夫をしてぎりぎりまで生産性を上げるように使い込んできた農業です。細かい手順と、改良、改善を積み重ねて日本のコメ作りは面積あたりで今でもタイの3倍の収量を確保しています。そこでは、手順を覚え、手順を守るということが家族の生死に直結してきたのでしょう。

 一方タイでは、熱い中で、面倒な手順を考えるのも、覚えるのも大変です、とにかく楽をして過ごせればそれで良いわけで、上手くいかなかったら、別のところに行けば飯は食っていけるのです。

 タイの人の良く使う言葉に、マイペンライ、サバイサバイという言葉があります。マペンライはなにか問題が起こった際に使う、「大丈夫」という意味の言葉で、少々問題が起こっても、ほっぽらかして出て行けば何とかなるよという性格を反映しているようです。サバイ、サバイは、「気持ちにこだわりがなく、気分が良い」という意味です。深刻に物事を考えたり、面倒な問題に陥ったりしていない場合に使うことばですが、これは彼らにとっては最も重要な精神状態です。お金が儲かっても、気苦労するのは真っ平ごめんなのです。

 「一所懸命」、一生懸命の元々の言葉で、中世の武士が自己の領地を守ることに命を賭けたところから来た言葉と聞いたことがありますが、タイには一所懸命(一生懸命)に相当する言葉はないようです。

 日本人とタイ人を比較すると、ありとキリギリスの童話を思い出します。ただこのキリギリスには、寒い冬が来ず、一生歌って過ごせるところがえらい違いですが。

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日本語の「ヨロン」という言葉には「世論」と「輿論」という2種類の漢字があります。実は、この2つの言葉は大きく意味が異なっていて、「世論(セロンとも読みます)」とは「感情的な世間の空気」のことで、「輿論」とは「議論を積み重ねてできあがった公的意見」のことを指します。《よろんず》が目指すものは後者の「ヨロン=輿論」をつくることであり、そのために、《よろんず》では情報のプロ・アマに関係なく自由闊達に議論を交わすための場所を提供します。メディアの調査で発表される「ヨロン=世論」とは違う真の「ヨロン」をつくるため、執筆者・出演者・読者のみなさんに、この新しい“知の共有空間”に参加いただけるよう呼びかけます。

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