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武藤功:脱官僚依存の基本は何か──「官僚党」にトドメの一撃を加えること

[1]

 官僚依存政治からの脱却をかかげて、鳩山政権が出発した。まずは順調な滑り出しといえよう。内閣発足早々に断行した「事務次官会議」の廃止がその口火となった。次いで行われた「事務次官らの記者会見禁止」も原則的には了解できる。「経済財政諮問会議」の廃止はなお大きな意味を持つ。これこそ、影で官僚が仕切る政官財トライアングルの中枢機関であり、自公政権が推進してきた「構造改革の司令塔」だったからである。

 その他、政治主導のための省庁運営に政務三役(担当大臣、副大臣、政務官)が責任を持つという体制も軌道に乗り出した。官僚抜きの予算編成方針を決める「基本政策閣僚委員会」もできた。そして、この予算編成方針によると、これまでの省庁官僚によるシーリング方式をやめ、大臣の査定にもとづく概算要求方式に改めるという。また、9月29日の閣議では、高級国家公務員の独立行政法人役員への天下りの禁止も決めた。これは政権奉仕の官僚行政への見返りとして、天下り先の法人組織を設置してかれらのための指定席を設けるという「政・官のギブ・アンド・テイク」のシンボル的な制度であったから、この禁止の意味するところは小さくない。

 具体的な脱官僚行政政策では、この9月末日までの間にシンボル的な課題が二つ着手された。一つは岡田外相による非核三原則にかかわる「核持ち込み」の密約問題にたいする解明の調査命令である。これは自民党政権までも選別して情報隠しをつづけてきた外務官僚の反国民的な国務態度を文字通り象徴してきた疑いのある官僚主導政治そのものであったから、新外相がこの「官僚あって外交なし」という事態の是正に乗り出した意義は大きい。

 二つには、前原国土交通相が計画から半世紀以上にもわたって地域住民を翻弄してきた八ッ場ダムの建設中止を政権マニフェスト通りに明確にしたことである。この建設事業は官僚政治による国費ムダ使いの典型的な公共事業といえたから、地域住民と関係自治体が建設の継続に猛然と大きな声をあげているなかにあっても、ポピュリズムに流されることなく政権公約通りに実行しようとしていることは、鳩山政権の「脱官僚依存政治」にたいするやる気を窺わせるものといえる。そもそも半世紀以上にもなって完成しない事業を「有用な治水・利水事業」などはいえないのである。地域住民には同情すべき点が多々あるとしても、この結果をすべて「国の責任」(しかも崩壊した自公政権は責任を負えない)としてすますのではなく(そこでは官僚政治に従属して膨大な資金を投じてきた関係都県の責任も自覚されなければならない)、自らの地域主権者としての自己責任を考えなければ地域の民主主義はいつまでたっても達成されないことを自覚すべきであろう。

 その他、前原国交相は、ムダな高速道路建設の隠れ蓑としてきた「国幹会議」の廃止も明言した。また、長妻厚労相は、後期高齢者医療制度や負担を強いる障害者自立支援法の廃止などを明らかにしている。

[2]

 しかし、一方、政治主導による官僚依存政治からの脱却という課題については、新政権の側にもいくつか懸念される問題点があることも見えてきた。その最大の懸念は、脱官僚依存を首尾一貫したものとするための基軸がどこにあるのかという点がよく見えてこないことである。このため、新大臣たちの脱官僚政治への意欲は大いに評価するとしても、その官僚への対応にバラツキが目立ち、統一的な官僚対策の理念が見えてこない。たとえば、長妻厚労大臣のように、官僚たちに民主党のマニフェストをかざして「国民の命令書です。熟読して下さい」と言うのはいいが、問題はその官僚の読み方なのだ。

 長妻大臣はそれを正当にも「官僚のアカ」を洗い流して読みなさいというのであるが、官僚にはそれだけではその真意が伝わらない。なぜなら、その「官僚のアカ」こそ、自民党の事実上の一党独裁の長期政権としての「55年体制」が生んできた権力との癒着のなかで溜まったアカであり、いわば党派的なアカだからである。したがって、その「党派」の解体こそが、「アカの洗浄」の第一の条件となることを官僚たちに自覚させなければならない。

 半世紀以上にもわたって続いた「55年体制」は、自民党が巨大な官僚群を権力に忠実な党派としての「官僚党」に仕立て上げ、その知恵と力を従属政党のごとくに使いこなすのに十分な歳月を与えた。そればかりか、この官僚党は政治的主人の自民党すら掌中にからめて、天下の巨大政党のごとくに国政を主導することもしばしばだった。とくに法律の制定と執行については、官僚の独壇場として国政運営の中枢を支配してきた。議院内閣制を官僚内閣制に変質させてきたといわれる所以である。

 憲法上は、官僚たちは内閣の職務として「法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務」(73条4号)を内閣の命によって行う権限しかないのであるが、実際には行政権と立法権の双方にかかわり、立法においても国会議員よりも大きな関与権を与えられてその制定や改廃に携わってきた。また、行政的な権限の行使についても、閣僚の権限をこえるようなかたちで「政務処理」を行ってきた。「外交関係を処理すること」(73条2号)にかかわるなどがその例である。

 その象徴的な脱法行為がさきにみた外務官僚による「核持ち込み密約」問題の隠蔽疑惑行為である。なぜ、このような立憲政治を否定するような官僚政治が行われるかといえば(あるいは行われてきたという疑いがあるかといえば)、国政を仕切るのは自分たちだという国家官僚的な正統意識があるからだ。この点では、明治憲法よりも早くできた官僚制度(その政治局の役割をしてきたのが、民主党が今回廃止した「事務次官会議」だった)から尾を引く官僚意識となって作用しているといえる。そして、自民党は明治の始めに薩長の藩閥政府がかれら官僚を自らの股肱として使役したと同じように、この官僚党を国民支配の道具として最大限に利用してきた。

 つまり、「官僚のアカ」は自民党政権と癒着し、その族議員を介して甘い汁を吸うところで溜まってきた。「省益」などという国民には理解不能な言葉が流通してきたのは、その甘い汁を吸う局面においてである。したがって、その「官僚のアカ」を洗い流すためには、まずそのアカを浮き立たせている官僚構造としての官僚党の解体が先決である。かれらが自民党のためにはセッセと書類づくりをしても、野党には紙一枚渡そうとしないできた偏りは、その党派的な偏りによる情報統制をあらわし、その徹底的な野党差別はかれら権威主義的な官僚政治の神髄をなしてきた。

 そこでは公務員の「全体の奉仕者」(憲法)・「国民全体の奉仕者」(国家公務員法)という立場は問題にもならなかったのである。自民党はその野党差別の情報管理を利用して事実上の一党支配を維持し、メディアもまたこの官僚の管理のもとに記者クラブ制を取り、かれらの情報コントロールと政権維持に協力してきた。

 これらの事実からも、情報管理による野党差別と弱者切り捨て(これについては非正規雇用労働者の派遣切りから高齢者や障害者や母子家庭差別など切りがないほどである)を神髄としてきた官僚的政治構造を解体し、かれら官僚たちを「政治権力への奉仕者」から「国民全体への奉仕者」へと解放することが急務であることが明らかになろう。

[3]

 そして幸いなことに、いまこの巨大な官僚党は断末魔の時にある。脱官僚政治をかかげた民主党への圧倒的な国民の支持によって、ほとんど息の根を止められそうな状況にある。かたちの見えない巨大政党として自公政権を支えてきた官僚党の存在は国民の目には見えにくいが、それを目に見えるかたちであらわしたのが自民党の歴史的敗北であった。つまり、この歴史的敗北は官僚党の影武者と化した自民党が一身にあらわしたものであって、その実質の敗北者は国政を一党支配的に仕切ってきた官僚党なのである。

 この官僚党の断末魔は、1991年に「ソ連共産党」という巨大官僚党が解体されたときのことを思い起こさせてくれる。それは明らかに当時のソ連の歴史的状況に対応できなくなった赤い官僚党がその歴史的使命が終わったことを鮮明にした出来事であったが、日本の官僚党の倒壊もその前例にもれず、日本的な新しい状況に適応できずに、その国家党としての歴史的使命を終えた事態を明らかにしたといえるからである。国民自身が今度の総選挙を通じてその答えを出したのである。

 この意味では、1996年(平成8)、小沢一郎ひきいる新進党が総選挙に対する当時のマニフェスト(「国民との五つの契約」)に「官僚依存を排し、政治家が責任を持つ政治を実現する」という一項を入れた意義が再評価されなければならない。おそらく、この一項こそ、立憲政治の確立のためには脱官僚政治が不可欠な条件であることを明快に認識した始めての憲政史的出来事であったといえる。かつて、健全な官僚政治の希求者であった後藤新平は「官僚政治の弊を矯(た)むるには官僚政治を以てしなければならぬ」と説いたが、その官僚政治は後藤の時代から100年の歴史において、かれが一面で危惧していたように「官僚者流の権力濫用」を重ね、「未熟官僚政治たる政党」政治を壟断してきたのであったが、小沢はその後藤の批判的立論を現代的な立憲政治の論理によって乗り越えようとしたといえる。この小沢の立憲政治の論理と実践は、その金権問題などへの悪評に余りある政治的先見性として評価することができる。

[4]

 さて、問題はこの断末魔に陥っている官僚党に対するトドメの一撃をどう加えるかである。官僚党はいま断末魔に陥っているとはいえ、まだ臨終の時を迎えたわけではない。何しろ、明治時代の天皇の輔弼党という時代までさかのぼれば、138年も生きながらえてきた党なのだ。この断末魔を甘く見ることはできない。官の政に対する操作術や懐柔術には100年をこえる磨きがかかっている。知恵や情報もまだ涸れてはいない。つまり、しっかりとしたトドメを刺すことが肝腎なのである。しかも、このトドメは条理のある言論と透明な政策論、あるいは法治による制度改革によって行わなければならない。単なる一般的な禁止措置に終わらせてはならないし、逆差別というような粗雑な報復的な方法を用いてもならない。

 それではどうするか。政党政治を強化することである。これはさきの後藤新平が言うように、明治時代の政党が「未熟官僚政治」のレベルにとどまったということ自体が官僚政治を助長し、「人民の権利に対する官僚者流の暴行」(後藤)を許してきたという歴史的な教訓を踏まえて、真に国民と結びついた政党を基盤とする立憲政治を実現することである。この国民と政党との間に官僚が介入する余地がないようにすることである。このことは、現行の国家公務員法でも、「職員は、政党その他の政治的団体の役員、政治的顧問、その他これらと同様な役割をもつ構成員となることができない」(102条3項)というようにうたわれているが、「55年体制」下では政権党たる自民政治家の「政治的顧問」の役割を果たした高級公務員たちがゴマンと存在したのである。

 つまり、いま必要な政治主導とは、かれら公務員を「政治的顧問」とすることなく、政治家が自ら政党政治の原点に立って国民の声をくみ上げ、立案し、立法化し、政策として国民に返していくことである。官僚はその政策の実行段階において国民に奉仕する立場から、中立・公正な職務として事務や事業の執行に当たればいいのである。政の領域に入り込む必要はいささかもないし、そのための党派を作る必要もない。

 この意味では鳩山政権のガヴァナンスの在り方に一縷の心配がないではない。それは鳩山首相が強調している「政府・与党の一元化」という問題についてである。政策の一元化を図るのはいいとしても、そこには党の存在までも政府のもとに一元化してしまうようなニュアンスが窺えるからである。もし、そうなるなら、鳩山政府自体が巨大な国家党となって、本来の政党を抑圧する事態にもなりかねないのである。鳩山首相やその閣僚たちには、マスコミが書きたてている小沢幹事長との「政権二元論」を警戒するあまり、「政府・与党の一元化」に腐心しているようにも見えるが、鳩山首相自身が「党代表」だという事実を忘れてはならない。

 立憲政治の核心たる政党政治の基礎は、文字通りその政党にあるからである。その政治全体のなかの「部分」である政党であることによって、他党との競争のなかで国民の声に独自に接近できるという政治の民主主義的な仕組みこそ大切なのだ。また、健全な政党があってこそ、官僚党の存在を許さない政治的基盤がつくられる。つまり、自民党独裁の「55年体制」を支えてきたかれら官僚党に最後のトドメの一撃となるものこそ、国民と結ばれた政党のさらなる前進なのだ。

 先日、孫を連れて、幕張メッセの「恐竜展」を見に行った。その全長35メートルという巨大恐竜を眺めていてつくづく思ったことは、公務員群を束ねた巨大な官僚党が化石化した恐竜のごとくに現実に適応できなくなってしまった姿である。恐竜の長い首は高所の食物を求めて伸び切り、もはや進化の限界を超えて当時の地球環境に適応できなくなった姿をあらわしていたが、甘い汁を吸うために「省益」という長い首をふりまわして国民を欺いてきた官僚党もまたかくの如くかと思われたのである。この意味では、恐竜のごとき官僚党は倒れるべくして倒れたが、民主党はその埋葬を正しく手早く行なわなければならない。

*  *  *  *  *

ashikabi0907.jpg
『葦牙 35』
2009年7月、同時代社

writing by 武藤功(文学誌『葦牙』編集長)
http://www1.odn.ne.jp/ashikabi/

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

勉強になりました、頭の整理ができました。ありがとうございました。

私たち、科学を追求する研究者の多くは、それぞれの分野で、原点にまで遡って考えます。

それに倣えば、官僚、つまり国家公務員は、原点であるところの憲法でいう「全体の奉仕者」および国家公務員法の示す「国民全体の奉仕者」に、正しく戻って、職務を行う必要があろう。

そのためには、民主党が政治主導を発揮していただくしかない。

長すぎて読む気がしません

社会保険病院の取扱いを見る限り,長妻大臣が官僚コントロールに失敗した大臣第一号に思えます。彼が得意とする社会保険行政に関しては大丈夫なのかもしれないが,厚労行政あるいは労働行政に関しては早晩機能不全に陥る可能性が高いと思う。「偉そうなこと言うんだったら,全部自分で決めてみろ」と官僚からすべて課題を丸投げされているのではないでしょうか。
天下りが本当のトップの天下りは別として,多くの場合は「お金がもらえる左遷」を意味していることを知らない人が多すぎると思います。この悪習をやめるのは正しいことですが,そのかわり誰も大臣の言うことなんか聞かなくなります。
鳩山内閣組閣の数少ない失敗として,おそらく後年,「あのとき仙石氏を大臣にしておくべきだった」という結論になると思います。

菅さん曰く「ことの半分は、すでに成就した。」
ここからが、本当に大変なところなんですね。

小沢さんへの配慮?警戒心?
政策一元化のはき違え
マニフェストの教条化

不安が点在します。
しかし、政治主導をやり遂げてほしい。

武藤功氏の[脱官僚依存の基本は何か──「官僚党」にトドメの一撃を加えること]は「THE JOURNAL」に久々に掲載された読むに値する力作論説である。「長すぎて読み気がしない」などと戯言(たわごと)を投稿している知的にも精神的にも衰弱劣化している馬鹿者は、恥を知れ。こういう優れた真っ当な論文こそ知識人は著述する必要があるのであって、精神の弛緩した文体にもなっていない週刊誌的な雑記事など読みたくもないのである。繰り返しになるが、この論説の意義は極めて大きいと思われる。確かに勉強になりました。

順序だった武藤様の論説、大変勉強になり、頭を整理できました。
発足間も無い鳩山政権ですが、次官会議の廃止、事務次官らの記者会見禁止、経財諮問会議の廃止など、と矢継ぎ早に宣言する一方で、閣僚たちはそれぞれ“密約問題の調査命令”、ダムや道路などの無駄遣い撲滅のための“国幹会議の廃止”、“高齢者医療制度問題や障害者自立支援法等の改善に着手”など、国民が知る範囲だけでも随分とフットワーク良くスタートを切ったものだナァ、とあらためて新政権の今後に期待が高まりました。
また、明治憲法より早く出来た官僚制度を最大限利用してきたこと、メディアも記者クラブ制などによる情報コントロールで政権維持を図ってきたことなど、その由来の奥深さに驚かされました。更に、官僚たちを「政治権力への奉仕者」から「国民全体への奉仕者」へと解放すること、国民と結ばれた政党をさらに前進させること、との建設的なご提言、その通りと考えます。
この上は、早速臨時国会から始まるであろう自公野党の復権狙いの質疑などに屈することなく、国民から与えられた「信任」と国民への「情報開示」を武器として、正面から突き進んで欲しいと願っています。

プリントアウトし、熟読しました。
良心派様のご意見に一言一句賛同いたします。
鳩山さん。全民主党議員に、必読させてください。

「官僚組織体系の見直し」
大変興味深く拝読いたしました。官僚制度が現状にマッチしなくなり結果として政治実権を握ることができなくなったという時代認識には多くの方が共感されると思います。
 ただ、冥王星氏が指摘されたように、単に官僚の天下りを認めないという方針だけだとやる気をそぐ可能性が大です。この際、根本的に官僚制度の組織体系を換える必要があるのではと愚考いたします。
 随分以前から、多くの企業で「部長・課長」という役職がなくなりました。プロジェクトチームとチームリーダーという単位を基本とした、ピラミッド型に変わるネットワーク型の組織が主流となっています。
 ピラミッド型組織では同期同士の競争が起こり、競争に敗れた者が去るということになります。実際、大企業でも競争に敗れた者が下請け・関連企業に出向という、官僚でいうところの天下りをしてきました。ネットワーク型組織だとこれがなくなるかといえば、正直私にはわかりませんが、ピラミッド型よりかはましであることは容易に想像できます。
 チームリーダーはプロジェクトが終われば、次のプロジェクトに移ってもいいし、民間企業に移ってもいいということにするのがよいかと思います。優秀なチームリーダーはどこの組織も欲しがります。重要なことはこれまでも「天下り」として禁じないことです。
 天下りが問題なのは、それが慣習的かつ閉鎖的なものだからではないでしょうか。官民の人事交流をオープンかつ流動的に行うことは今後必要かと思います。まあ、これは近近しないといけないお話ではありませんが、今後議論の対象になってくるのではないでしょうか。

BBさんへ

天下り先をすべて国直轄組織に戻して,ただの異動にする,というのが私のくだらないアイデアでしたが,天下り先の職員を民間から受け入れるというBBさんのアイデアは画期的だと思います。実際にどうなるのか想像つきませんが,大変面白いですね。現在,非常に困難な官民間の人事交流の壁をぶちぬく可能性があると思います。あるいは完全自由化でなくとも,少なくとも天下り先の人事募集を公募制にするのが現実的かもしれませんね。

冥王星氏へ
コメント有難うございます。ただ、「天下り先の職員を民間から受け入れる」というところまでは、私正直イメージしておりませんでした。
 私のイメージではチーム構成員(現状ではノンキャリアということになるのでしょうか)は身分保障のついた公務員として定年まで勤務します。一方、チームリーダー(現状ではキャリアと呼ばれている方でしょうか)は公務員としてずっと勤務もできるし、民間企業に移動しても良いということです。もちろん民間の優秀な人材が官僚組織のチームリーダーになることも可能です。
 これは思い付きですので、専門家からは一笑に付されるかもしれません。ただ、冥王星氏ご指摘のように、天下りを禁止するだけでは問題の解決にはならないと言う点については全面的に同意いたします。
 天下り先機関は、不要なものは廃止して、必要なものは民営化する。多分冥王星氏がイメージされているのはこのようなことではないでしょうか。必要な(天下り先)機関を民営化して効率を上げるということは重要だと思います。

武藤様

的を得た論説、大変興味深く読ませていただき、感謝いたします。

「長すぎて読む気がしない」などいう失礼な人がいるようですが、雑念で頭が満たされている証拠だと思いますよ。

長妻さんと原口さんは不安要素が多い。二人のうちのどちらかが大臣辞任1号になるのだろうね。

武藤功さん 

世の中に「読み応えのある」書き物は稀有ながら、そこに真摯さIntegrityと謙虚を織り込んだものは更に稀有であり、この書き物はその「稀有中の稀有」と、称賛し敬意を表します。

I.同感する点:
1. Part[2] 【長妻大臣は・・「官僚のアカ」を洗い流して読みなさいというのであるが、官僚にはそれだけではその真意が伝わらない。】
長妻大臣には申し上げたき事あり!! 「惰性」下にある厚生官僚に敬意を表し過ぎ!!(笑)
毎日の陳腐な官僚生活が作り出す「垢」には本人も気付き難いものです。優秀な頭脳では「善くない」とは解っていても、長い歴史に染まった先輩官僚の遣り口に影響される「人間の惰性」は、コトの善悪を「気付き難いもの=【真意が伝わらない】」にするのが人間世界の現実です。
長妻さんが厚労省で苦労されているのは、AmongOthers、「優秀な頭脳」と「人間の惰性」の「読み違い」だと思っています。厚労省官僚は、全省庁の中でもその垢が最も分厚く凝り固まって積み上がっている連中でもあるのだから・・社保庁を観れば一目瞭然。
先ずは「垢磨り」をして「如何に自分達が垢に塗れているか=国民に対する裏切りに塗れているか」を実証して「心」で気付かせることが先ず肝心な作業であって、其れが為されれば、優秀な頭脳は自ずから【「官僚のアカ」を洗い流して】「賢い(※注)仕事」を始めるに相違ない。     (※注)但し、私の分類では、賢い(賢いだけ)=Clever, 賢明な(賢くて明るい)=Wiseを区分しています。

2.Part[4]中段引用【小沢幹事長との「政権二元論」を警戒するあまり・・】
全く同感。底が知れている二重構造論批判に対して、鳩山首相は正々堂々と深みを持って「鳩山・小沢の二頭体制が、混乱する日本政治の建て直しには不可欠かつ最適」と論破すべきだ。それをせずに、限りある民主党の戦力を「政府と党」に二分して総体の力を弱体化させて、二重構造論の批判から逃げるような無様は、直ちに脱するべきだ。然も無くば、今の職責から直ちに退くべきだ。


II.とはいえ武藤さんへの違和感もあって、其処に焦点を当てて以下をお礼状とします(笑)。
1. Part[1]中段引用【ポピュリズムに流されることなく政権公約通りに実行しようとしていることは、・・】 私が民主党に「君子豹変」を薦めたのは、「マニフェストにあるポピュリズムを放擲して、政治の本論を取り戻せ」という趣旨だったが、亀井さんのモラトリアムなど、「新たなポピュリズム」の台頭が目に付く。民主党員の未熟(無能力や志の欠如や覚悟不足を含む)に要警戒=鳩山さんの「リーダーの資質」に深く関わるものである。
とはいえ、前原さんに対するプラス評価の部分は同感します。

2.Part[2]中段引用【外務官僚による「核持ち込み密約」問題・・国政を仕切るのは自分たちだという国家官僚的な正統意識があるからだ】 「国家公務員としての倫理の崩壊」を論じる場合には、「倫理の崩壊」は同一現象であるが、一方の「多数の内務官僚」と、他方の「限定的で特殊環境にある外務官僚」とは別途に論じるべきだと思います。真に仰る「正統性」を理由にして・・。「外交」は優れて「官僚」に馴染む特殊世界であるが故に、同列に論じては、真因を外して的確な解決策に行き着けないと思います。詳細は別途の機会に譲りますが・・。

本稿のご趣旨は僕にはなかなか理解しがたいものです。

>立憲政治の核心たる政党政治

これが所与とされているからかもしれません。何故所与なのかが僕には分かっていません。

わからんわからんと胸を張るつもりは毛頭ないので顔を洗って出直しますが、日本の叡智は憲法も積み上げたものも行きがかりもなにもかもとっぱらってまず無地で考えてその後で歴史でも隣の芝生でも効率でも考え合わせて改めて収斂させても間に合うのではないかと考えます。なんたって100年越えぶりの革命に突入したやに察しておりますので。

<武藤功様>
力作を拝読させて頂きました。
>政策の一元化を図るのはいいとしても、そこには党の存在までも政府のもとに一元化してしまうようなニュアンスが窺えるからである。もし、そうなるなら、鳩山政府自体が巨大な国家党となって、本来の政党を抑圧する事態にもなりかねないのである。<
上記、私も何となく感じていた所、明快にして頂き、霧が晴れる思いです。
先日のサンプロに出演した細野氏は、まともに殆ど発言できませんでした。田原さんが気をつかい「細野さんは立場上、なかなか言えない」を所々に枕言葉の様に何度も挟んでいたのが印象的でした。
政権が発足以来、「内閣に入らない議員は、政策に口を出すな!内閣に入っていても、管轄外の政策には口出ししない。」が徹底されてきた様に思います。私は、本末転倒だと思っていて、政治は生活の中に真実を見出だすべきで、個々の議員が選挙区の国民の懐深く入り込んで、人々の暮らしぶりに鑑みて、代議士として政策を立案すべきなのです。
立法権は国会に負託されているものであり、本来、行政権を負託されている内閣しか政策に関わらせないとは、憲法違反ともいえる暴挙です。
民主党議員の魅力は、自民党議員に比べて、官僚にたよらずとも議員立法を多数成案できる政策立案能力です。
自らの党が自らの議員の翼をもぐとは、飽きれてものも言えません。
私は、党の政調に政策を立案させ、議員立法にて実現すべきと考えています。内閣は、あくまで行政としての調整と役所との橋渡しに徹するべきです。
新たな族議員を産むとの心配は、同僚(特に小沢氏)に対してあまりに失礼ではないでしょうか?

《em5467-2こと恵美》様のお説を拝読して、あらためて読み直してみますと、一縷の心配とされた《小沢幹事長との「政権二元論」を警戒するあまり、「政府・与党の一元化」に腐心》した結果《党の存在までも政府のもとに一元化してしまうようなニュアンス》については、ご指摘通り、鳩山政権のガヴァナンスの在り方にある種の懸念を感じました。でも、杞憂に終わることを祈っています。
かなり前から今の政党政治に疑問を抱いている私ですが、立法府で行使できる「議案・動議の発議権」を制約する如き行政府の姿勢は、《em5467-2こと恵美》様のおっしゃる通り、暴挙と称するに値する行為に感じます。そして、《内閣はあくまで行政としての調整と役所との橋渡しに徹するべき》とされるご意見に全く異論はありません。ただ、超ゾンビ相手の壮絶な戦いを前に、殆ど一歩も踏み出していない今の段階で、そんなに軽々と亀裂が生じる小沢・鳩山両氏の関係なら、残念ながら百年の夢は一瞬にして覚めること間違いありません。
でも、私は、4年どころか多分12年ぐらいかけても、“国民主権の国づくり”を成就させたい一心で、今後も諸氏のご意見を拝読していくつもりです。

<おちあい様>
レスありがとうございました。
さて、私は民主党支持者であり、その上でのダメ出しでした。このサイトに来る「熱烈な自民党支持者様」と同様に、支持しているからこその心配だとご理解ください。
また、小沢さんと鳩山さんの関係の良し悪しは関係なく、国会議員と内閣の根源的な問題があると考えています。
私もおちあい様同様、ゾンビに打ち勝ち、民主党政権の発展を願ってやみません。

《em5467-2こと恵美》様
言わずもがな、と思いつつ、大変失礼しました。でも、安心したことも確かです。ありがとうございます。

私、浅学にて、「(政府、与党の)一元化」の意味が、よく分かりません。
「(内閣、与党の)一元化」ではないのですよね。
それに、「一元化」という言葉の意味もよくわからないのです。

武藤氏も書かれているように、議員内閣制のわが国では、鳩山氏は内閣の首相であると同時に、与党の党首でもあるわけです。

以下は、広辞苑による記述です。

政府とは、「内閣と行政機関を含む、国の統治機構のこと」
これをみると、少なくとも内閣は行政機関ではないようにみえます。
そして内閣の項には、「内閣は、わが国の行政権を担当する最高機関」、とあります。
こちらでは、内閣は最高の行政機関であるようにみえます。
さらに、内閣総理大臣は与党党首でもある、ということですから、内閣は与党議員によって構成される、ということがつけ加わるでしょう。
とすると、三権分立ということを考えると、議員内閣制の内閣は行政機関なのか、それとも立法府に属し、行政の速やかな施行と監督を仕事とする機関なのかが、はっきりしていないように思われるのです。
アメリカのように大統領が、選挙で選ばれ、其の大統領が内閣を組閣するのであれば、大統領の属する政党と議会の与党が、一致するとは、かぎらない。
内閣と議会は独立しているといえるでしょう。
一方大統領が変われば、行政官は一掃され、政府は、すっかり刷新される。内閣と政府は、一元化されているといえるでしょう。
しかし、わが国では、つねに、首相の属する政党は国会で与党です。その意味、内閣と与党は、一体です。一方政権交代で内閣が一新されても、行政官はそのまま居残り、政府の片肺は、一新されません。内閣と政府は一体ではないのです。
しかし、60年に及ぶ自民党内閣は、政権交代がないのを良いことに、もともとの与党との一体とともに、行政府とも一体化してきたのです。いや一体化ではなく行政官に支配されてきたのです。
万年与党と行政、さらには、検察と司法の馴れ合いもあっての司法とが渾然一体となり、三権分立もどこへやら、わが国は、官僚自民政府党の一党独裁国家となりはてていました。
さて、「革命的」政権交代が成し遂げられたいま、わが国の議員内閣制のもとで、新政府がどう機能したら、もっとも三権分立の理念が生かされ、民主政治が機能するようになるのでしょうか。
いまは、試行錯誤の段階であるのは、それはしかたのないことだと思います。なにしろ、100年以上続いた政治の形を初めて変えようとするのですから。
そこで、「与党と政府の一元化」とか、「党は、内閣の政策に口を出さない」とか、「議員立法の禁止」とか「党と内閣を切り離す」
など、いろいろな意見が出てくるのだと思います。
与党と内閣と政府の関係という問題は、議員内閣制にとって、本質的な問題であるように私には思えますので、しっかりいろいろな意見をだして、政府と与党のみならず、識者もふくめて討議し、国民にも(私にも)その理を説明してほしいと思います。

ただ、「与党と政府の一元化」というのは、議員内閣制では、自明のことであると思いますので、ことさらそれを言う理由がわかりません。
また、一方で、「与党と内閣を切り離す」という声もきこえたのは、どいうことなんだろう。
もし、それが、マスコミの「小沢氏の二重権力」とか、「小沢傀儡政権」などという、くだらない民主党へのネガキャンへの姑息な反応であるならば、それはもうやめたほうが良いと思います。
なぜなら、国民が308議席与えた政権与党にたいして、このようなネガガキャンを続けることは、途方もない闇資金の後ろ盾でもない限り、商業マスコミに続けられるわけがないからです。
また、小沢氏がそのネガキャンによって、代表辞任に追い込まれたのは不当なことであり、小沢氏に非はないことを、すでにみな知っているからです。
さらに鳩山氏と小沢氏が、協力して政権運営をしてゆくことは、いままでのいきさつからいっても、首相と幹事長という立場からいっても当然のことだからです。

もうひとつ「一元化」という言葉の意味が、わからないのです。
「一体化」とは、違うということでしょうか。
「内閣と与党の一元化」とは、与党と内閣が、緊密に協力し合うことなのかと思って、それでなくては、官僚システムとの戦いなどできないだろうと、期待していたのですが、どうやら、一元化とは、そんな単純なことではないらしい。
内閣と与党の一元化とは、内閣というシステムのなかに党も組み込む。言い換えれば、内閣が与党を支配する、ということだったのでしょうか。
だから、政策には、口を出させない。議員立法は禁止ということもできるということなのか、とわかってきました。
これは、小沢氏の目指す、議会制民主主義にふさわしい形なのでしょうか。
平野氏は、別の板で、議員内閣制ではなく、内閣議員制になる、と書かれていました。
国会は、最高の権なのですから、行政権である内閣が、与党を支配できるものなのだろうか。
内閣が、行政府ではなく、立法府に属するのであるならば、少なくとも、鳩山内閣が、其の方向であろうとしているのであれば、内閣が、与党を支配するのは正当なことであるということなのでしょうか。
しかし、ある与党議員が、議員立法により、法律を作ろうとすることは、その国会議員の権利であり、国会は、その場であるのではないですか?
ここは、どうなるのでしょうか。
野党議員は、議員立法に権利があり、与党議員には、議員立法の権利がなくても良いというのは何故でしょうか。

内閣と一体化しているわけではないわが国の政府と与党が、一元化されるなどということが、三権分立上可能なのでしょうか。
それは、アイマイな存在である内閣を間にはさんだ、立法と行政の一元化ではないのでしょうか。

私はじめ、国民の頭のなかが、まだ、過去の政治のありかた捕らわれ、民主党を理解出来きれていない部分もあるかもしれません。
民主党からの説明を待ちたいと思います。

議会制民主主義を定着させるという小沢氏に賛同する者です。

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