文闘春潮 編集長9/x:人類の平和と繁栄への道 ガンダーラ
ガンダーラ、それはインダス文明発祥の古代インド十六大国の一つ。現アフガニスタンの首都カブールに位置していた。
かつてそこは世界の商人が行き交い、内陸の交通路にある東洋と中東が交差する都であり、中国・ペルシャ・ローマを結ぶ文明の十字路でもあった。
国際的な商業都市として栄え、同時に客人を受け入れもてなす寛容な人々と文化、崇高で美しいガンダーラ美術、巡礼地としても発展した歴史を持っていた。
十八世紀の帝国主義時代からこんにちに至る二百年間のアフガニスタンは、代わる代わる正義の名の下に進出した大国列強の思惑に翻弄され、破壊と侵略それに伴う内戦の歴史に塗り替えられてしまった。
現在、食料・衣料・住居・医療施設が不足し、国民の半数ちかくが職に就けず、不衛生な水が原因で幼児の死亡率も高く、昔、旅人をもてなし農業と牧畜を営み牧歌的だった人々の心と国土は荒廃してしまった。
日本でガンダーラと言えば、幾度となく映画やTVドラマとして製作された「西遊記」の挿入歌のイメージが強いと思われるが、私の記憶に間違いが無ければ英語版の挿入歌で世界各国でも放映された。
その歌詞にあるガンダーラとは、1「誰も皆行きたい 愛の国ユートピア 何処にあるのか どうしたら行けるのだろうか 教えてほしい」2「生きる事の苦しみさえ消える あまりにも遠い 自由で素晴らしい 心の中に生きる幻なのか」と歌われている。
アフガニスタンの問題を考えたときに、もし、神や奇跡の存在があるとしたならば、ブッタが現在の状況を予言し、人の口を借りてアフガニスタンの人々の苦しみや悲しみを訴え、世界の人々に問うているのではないのだろうかとさえ思ってしまう。
ベトナム戦争を人々は止められなかったのかもしれない。しかし、若者たちを中心に解決策を模索し、その答えを日本にも求め、キリスト教では無い禅仏教の教えや、松尾芭蕉の奥の細道がルート66に繋がり世界へと広がって行った。
およそ西暦五百年、東の終着点にまで仏教が伝わり、サンスクリットが漢語になり日本語になって文化や風習を纏い日本に定着していった。
中国・インドと仏教伝来のアジアの道が世界経済の中心になろうとしている今、インドガンダーラより日本に齎された自由や平和、繁栄への贈り物の恩返しを、かつて、三蔵法師の通った道を千五百年の時を経て歩み、日本人が解決しなければならないのかもしれない。
コメント (8)
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投稿者: 《THE JOURNAL》編集部 | 2009年10月22日 04:03
かつて彼の地パキスタン北西辺境州(NWFP)の彼等は僕に対しこの呼称(辺境)に不満を漏らしたが、まさにガンダーラ芸術の花開いたところである。今日日は即刻過去である。今この辺境の地では最新鋭無人爆撃機が飛び交い、またあらゆる兵器により貧しさ故に隊列に加わった農民や子供達をも殺し続けている。僕が彼の地を離れる理由となった直接的事件(警察に対する自爆攻撃)は200ドルとも300ドルとも言われる16歳のあまりに若い少年の命の代償によって為されたと聞いた。引きちぎられた彼の肉体の一部は数メートル頭上の渋柿平種無の枝にぶら下がっていたという。
彼等はカーライルの狂気も知っている。カーライルの非人道性にはビンラディンも及ばない、彼らの知的レベルはビンラディンのそれの足元にも及ばないと吐露していた。
彼等イスラム教徒の多くは無数に散在する仏教遺跡を大事に守ってきた。僕も桃花咲き誇る中にある誰も訪れることのない、彼らの休息の場である遺跡を訪ねたこともある。
この地が平和を取り戻した時。
訪問されることを心からお勧めしたい。きっと暖かく向かい入れてくれるであろう。ヒンドゥークシ山脈の懐北西辺境州SWAT、Kalam
そして天空の地フンザ、この地に立って空を見上げれば、世界が狂いつつあることに、病理の深さに、身震いするかもしれない。
それとも逸見氏の言うように「自らを理性の側において他者の狂気を軽々しく騙ってはならない」と鳥肌がたつかもしれない。
僕は最近よく彼の地に残してき荷物を取りに行く夢を見る。そしてかつては忙しい故にあまり訪ねることができなかった無数の遺跡群を見て歩いている。
ブラジル カーチンガにて。
一部 逸見庸「記憶と沈黙」から引用
投稿者: peacebuilder | 2009年10月22日 08:47
意味不明です。ご自分のブログで訴えられたら良いのでは
投稿者: 0990 | 2009年10月23日 03:59
日本の立ち位置が今のままでよいのか、と問われているのでしょう。
投稿者: ケイ | 2009年10月23日 07:13
「欲」が「強欲」に変わり遂に崩壊したバベルの塔を尻目に、アレキサンダーやアーリア人までもが目指した美しいガンダーラは、異文化・異人種・異言語・異宗教がスムースに交わり尊重し合った、人類史上他に類を見ない見事な平和な土地だったのでしょう。
仏教思想とギリシャ哲学を交換し、その考えを互いに貪るように勉強し合った学者も多かった事でしょう。
時計の針を逆回しし、人類が来た道を振り返ると、今現在「何故こうなってしまったのか?」という事が見えてきます。(私はカソリック信者ですが、「キリスト教権力」が犯した罪を、本当に苦々しく思っています。)
世界中に情報のインフラが整い、ロバやラクダに乗らなくても“グローバル”がパソコンひとつで手に入る今日、人間が獰猛ではない知的生物だとするならば、本来なら電子シルクロードの道が今でも延々距離を長くし、あちこちにユートピアが出来ていても不思議はないのに、どうやら悲しいかな人間は、獰猛な生き物だと思わざるを得ない歴史が多すぎます。かといって、ガンダーラはまぎれもなく存在し、そこにはその獰猛さにブレーキをかける人間の「知」があった筈です。それは「和」が心地良いものだと言うことを、人間が知っているからでしょう。
奈良に行くと「ああ、日本は本当にシルクロードの終点だったんだなぁ」と言うことが、眼に入るもの全てから感じ取れます。仏像のアルカイックスマイルを見ていると、長い道のりの中で削ぎ落とすものは削ぎ落とし、日本の土壌に合ったものはアグレッシブに取り入れ、もしかしたら集大成とも言えるかもしれませんね。
すると、今度は日本を発信地とし日本人が賢者となり、シルクロードを再び逆戻りすれば、ガンダーラの地を今一度踏めるかもしれません。
そんな雄大なロマンスを、結構具体的に想像できる記事でした。
投稿者: LEE | 2009年10月23日 18:36
深いため息は時に耳を澄まして聴いてみるべきですね。
ガンダーラがアフガニスタン、カブールであることの教えてくれる深いため息は、いつまでも頬杖をつきながら反芻させる音です。
投稿者: 南の光 | 2009年10月24日 21:34
素敵で考えさせられる記事をありがとうございます。なんだかキャメル色の砂漠の光景が目に浮かぶようです。。贈り物の恩返しを日本から出来たらいいですね!
旅先で(といってもイギリスですが)垣間みたアラブ系の人達の印象は、情け深くて弱者に優しい、でもけんかっ早くて怒りだしたら止まらない、というものでした。音楽も日本の演歌っぽくてタクシー運転手さんなんかトラック野郎ぽい感じでした。笑
だから危険なテロの巣窟とかそういうのばかり強調され続けているのには違和感を感じます。やっぱりそこを叩き続けるのでは絶対に問題は解決しないと思う。
日本としては、完全に復興支援のみということで一日も早く安心して眠ったり食べたり働いたり勉強したり...そういうことが出来る様な援助を徹底的に行う手助けをし、民間レベルの元気を取り戻し、昔の様な美しい国になって欲しいです。
とにかく武力による解決なんてありえないと思います。
投稿者: satocotori | 2009年10月25日 22:09
仁義なき世界の中で、日本として私も、政治的・国益に適う事ばかりを考えて疲れました。
人間として、個人としてナイーブかもしれませんがアフガニスタンを考えてみました。
コメントを下さいました皆様、有難うございました。
投稿者: 文闘春潮 編集長9/x | 2009年10月25日 23:36