Calendar

2009年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

« 2009年9月 | メイン | 2009年11月 »

2009年10月31日

赤虎頭巾:タイについて(1)── 仏に愛された国

 このコーナーの、流れとは少しかけ離れるかもしれませんが、海外情報を少々時間つぶしに入れさせていただきます。

 タイと日本(或いは、ヨーロッパ、東アジア)とでは、生存に関する基礎条件が大きく違います。
 タイは国土面積約51万4000平方km(日本の約1.4倍)人口約6300万人(日本の約半分)、人口の割には、平坦な耕作可能な土地が多く、しかも農業に関する気象条件には実に恵まれています。

 雨季(6月から10月)には、殆ど毎日1回十分な量の雨が降り、しかも殆どが朝方もしくは夜で、日中は強烈な太陽が照り付けますから、全ての植物が良く成長します。
 乾季についても、700km~800kmの平坦な土地をゆっくり流れてきた、栄養分を十分に含んだ、水が豊富にあり、かんがい用の水路を整備できた土地では、年4回のお米の収穫が自然条件としては充分に可能です。 

 しかし半面過酷な熱さがあります。平均気温は恐らく30℃超、4月、5月の乾季には45℃に近づき、家の中にいても寝転がっている、ばかりで物を考えることも出来ません。
 小生も、一度4月のソンクラン(タイ正月ータイが一番熱いときです)の休暇中に、クーラーが故障し、日中はランニングシャツ一枚で無念無想、ひたすら横になっているばかりでした。
 ただ、そのときに吹いてきた風の爽やかさは格別で、恐らく仏陀はこのような状態で悟りを開いたのかなとも思いましたが。

 この熱さのため、人間及び動物(牛、馬)の移動距離はかなり制限されます。
 今でもタイの人々は殆ど歩きません、恐らく800m程度が、精一杯ではないでしょうかわれわれはワイシャツ・ネクタイ・背広で歩くと、400mがいいところです、それ以上歩くと全身汗みどろとなり仕事になりません。

 この移動距離の制限と思考時間の制限は、国内での経済交流の停滞、経済競争の不活発さを生み、発展の遅さと、人口増加率の低さを生んだのではないでしょうか。

 タイの国としての成立は、13世紀のスコータイ王朝とされていますが、その約900年の歴史には飢饉の記録はありません。(日本の歴史には、6世紀の奈良王朝以来530回ほどの飢饉の記録が残されており、10万人を超える餓死の記録も多々残っているようです。)

 タクシン前首相は、「タイには貧乏人はいない、怠け者がいるだけだ、タイの農民は一日2時間しか働かない」といったようですが、確かに、タイのお年寄りで、小生の子供のころの日本の農村のお年寄りのように腰が折れ曲がった方を見たことはありません。
 またバンコクを少し出れば、耕作されていない土地が多々広がっており、田舎に行けば、耕作意欲のある農民には、未だに、政府が土地を分け与えています。

 このような環境ですから、餓死の危険があるところまで困窮すれば、人々は新しい耕作地を拡大し、或いは少し勤勉に2期作を3期作、4期作に切り変えて食物が確保できるというわけです。

 97年の通貨危機の際には、多くのバンコク近郊の労働者が職を失いましたが、彼らは家財道具を借り上げのピックアップトラックに積み、田舎に帰り帰農しただけのことでした。

 今回の、景気悪化も同様で、多くの工場が閉鎖し労働争議も一部有りますが、悲惨な話は殆ど無く、ホームレス等の姿も殆ど見かけません。

 このような、生存条件及び生存競争の緩やかさが、一寸人見知りが強いのですが、「微笑みの国-Land of smile」といわれる、タイの暖かい、笑顔がきれいな人々を作り出したのでしょう。
 小生は、日本で、人事を長くやりましたので、人の笑顔には敏感なのですが、タイの人の笑顔のきれいさには良くだまされてしまいます。

 タイの人々は、そのようなタイを「仏に愛された国」と呼んでいます。

2009年10月30日

吉田巌:米国国家の歪みと日本への影響

米国にも古き良き時代もあったのだが、すっかり変わり果てた。その主原因をあげるとすれば、周知の米国議会1913年の連邦準備銀行法案(FRB法案)可決であろう。これを境に、国際金融資本連合による米国支配が決定的となった。いわゆる虚実の二重国家の誕生である。

現在の米国は民主主義国家と標榜するが、金融資本連合による陰の独裁圧制とも見ることができよう。卑近な例を示せば、米国通貨発行権と管理権を国の管理下に置く法案にサインしようものなら、金融資本連合の許容範囲を超え、逆鱗に触れ、過去の歴史が証明しているように、いつでも大統領暗殺が企てられる。ある意味で米国は無法国家である。

哀しいかな、米国大統領といえども、一事が万事、極論すれば国際金融資本連合の操り人形に過ぎないと述べるは過言だろうか。オバマ大統領就任が約1世紀前であったならなと思い耽る。

金融資本連合は新世界秩序形成に向けて、過去の世界戦略が思わしくないという思惑から政治経済のベクトルを「単独覇権から多極主義」へと大きく転換させ始めている。しかし多極主義へと変われば、今まで以上に多難事項も予測される。同時に米国の虚実の二重国家はそのまま存続し、問題は引きずることとなる。このような状況下で鳩山政権は独立国家として是々非々の厳しい自主外交調整能力発揮が必要だ。

また、国連も金融資本連合の影響下にあり、もはや国連の安保理決議事項の多くが正義の印籠に非ずとなってしまった。先のイラク攻撃に関する誤った国連安保理決議事項がある。いまや国連への不信は容易に拭い去れないところまできているのではなかろうか。

米国から日本政府に、毎年、暴力団より質が悪い理不尽な「年次改革要望書」を突きつけられ、まるで隷属国家のごとくに対応してきた。例えば、周知の自民党政権末期の郵政改革しかり、日米安保によるいつまで続くかという名実相伴わない独立国家日本の駐留米軍の再編、基地移転等ならびに最新兵器購入等々、さらに際立つ小泉政権で顕著に増大した米国債(約40兆円増加、2008年度で累積は約60兆円、実質上、売却出来ない国債で、もはや不良資産)購入など、甚大な税金や国民財産の投入に国民は皆、辟易している。

そして今、日本にも国際金融資本連合の触手があらゆるところに伸びてきており、日本企業が隷属とならないために経営者の能力が改めて問われている。既に国際金融資本と関係がある日本の銀行や証券会社は今後、どのように対応していくのか注視したい。資金面では勝てる筈がないのだから、頭を使うしかない。

遅きに過ぎた感はあるが、金融資本連合の横暴、圧制から脱却し、力に依存しない世界平和を実現するためには、米国がFRB法案を見直し、米国通貨の発行権と管理権を米国政府下に置くと同時に、世界各国政府首脳が一致団結して「世界の地域通貨制度の導入、実施」、国連改革(IMF制度と世銀の人事見直し、・・・等々)は避けて通れないのではなかろうか。

2009年10月25日

豊後の小兵衛:ことばを失った日本人(5)

 さても間延びした連載で、諸兄には忘れられているとは思うが、役目がら書いてみたい。
 「いま日本人はものごとをどう考えたらいいかわからなくなって、途方に暮れている。日本語のことがあれこれ取り沙汰されるのは、そのせいではないか」と書いているのは、作家の丸谷才一氏で、「考えるための道具としての日本語」と題する新聞記事の一節である。
 ここでは、初回から「漢字制限」の不都合について記してきたが、丸谷氏は「思考の道具としての日本語についてはちっとも配慮しないのが近代日本の言語政策であった」と断じている。
 ことばとは、事象の伝達の道具という役割とともに、「思考の道具」という性格がある。人はことばを使うからものごとが考えられる。その「ことば」に優劣があったらどうなるかは自明でもあろう。
 繰り返しになるが、漢字制限とは「思考の制限」そのものともいえるのではないか。以上について、日本語研究家の大野晋氏は、戦後の国語政策に関し、(引用始め・中公文庫、対談 日本語を考えるより)漢字の形はいじった、かな遣いはきちんとしていない。そういう状態で、しかも原稿書けば、この字はないからと削られて、「僻地」と書けば「辺地」に勝手になおすというわけでしょう。新聞社はそれをやってきた。そういう状態のもとでは、言語は体系としてぐずぐずになる。言語がぐずぐずになるということは、なぜそれを哲学者や評論家たちが問題にするかといえば、それは認識がぐずぐずになるということだからですよ。(引用終わり)
 と発言しているが、今の私たちは「ぐずぐずになった日本語」でものごとを考え、国家の行く末を論じているのだが、その認識をどれほどの人が有しているのだろうか。
 同じく、同著の中で江藤淳は、(引用始め)私が間違いなく日本人だと証拠立ててくれるものは一体何だろうかと思った。そのとき、自分の内的言語は日本語以外にはない、と思ったのですね。その日本語が空間を超えて日本にいる友人や同胞と自分とをつなげているものであり、また、時間を超えて記紀(日本書紀と古事記=筆者注)、『万葉』の時代と自分とをつなげ、おそらく未来の日本人にも自分を結びつけているものであるという感じがしたのです。(引用終わり)
 因みに、存命中の江藤淳は小沢一郎氏の良き理解者であったことが、世川ブログ
http://blog.goo.ne.jp/segawakousuke)に採録されているので、参照願いたい。

 さて、新聞報道によれば「常用漢字表」の決定が間近である。相も変わらずいくつかの漢字を出したり入れたりと、まったく以てご苦労なことである。今時、まとまった記述はパソコン全盛期であることから、その使用については文章を書く人が決めればそれで良い。難解で不都合であれば、私の投稿と同じで読む人は少なく、かといって、どなたかの「ひらがな」ばかりの文章では、これまたバカにされたようで読む人も少数だろう。
 ことばを「思考の道具」と定義するなら、そのルールをお上が決めるのではなく、それぞれに任せるのが民主主義の原則でもあろうと思うし、新政権も、ゆくゆくはこんな小さな無駄さへも洗い出して排除するように願いたい。
 「いま日本経済はあやうく、政治はひどいことになっている。一方、日本語に対する関心がすこぶる高い。この二つの現象は別々のことのように受取られているけれど、実は意外に密接な関連があるはずだ。というのは、誰も彼もが国を憂えているが、しかし何をとう考えたらいいか、わからない。何も頭に浮ばない。」とは、先に引用した丸谷氏の締めのことばであるが、ネットにはびこる文章に、この危機感を有しているのが見えないのが寂しい限りである。

赤虎頭巾:United States! Where are you going?

ブッシュとネオコンの支配が終わり、オバマの登場で漸くまともなアメリカが戻ってきたかと思っていたら、医療保険反対のデモ、ノーベル平和賞受賞への反対とのCNNの世論調査結果、アフガン対応をめぐってのごたごたと、大分様子がおかしくなってきました。

実際のところ、アメリカの人々が如何変化しているのか、マスコミ報道だけで判断するのは危険ですが、小生の好きな、SF作家オーソン・スコット・カード(出世作エンダーのゲーム)のブログを見てみますと、かなり過激なことになっていました。

彼はもともとは、民主党の支持者であったとのことですが、小生が彼のブログ(Hatrack River)を見始めた時点では、強烈なブッシュ=マケイン支持で、民主党ではイラン、イラク、アフガンでのテロリストの戦争に負けると、共和党応援の論陣を張っていました。

オバマ大統領の勝利以降、政治ブログの記載がぱったりと止まっていたのですが、9月20日に"I am back"の標題で再開しました。

「オバマは極左で"he's a radical leftist"約束破りで、嘘つきだ"Obama has now broken promise after promise and told lie after lie"」という、なかなか強烈な内容です。

やはり、医療保険の問題、アフガン戦争での政権内のごたごたあたりを問題にしていますが、どうも、東欧での、ミサイル迎撃システムの配備停止が一番逆鱗に触れたようです(多分ご先祖が、東欧出身?)。

アメリカのある層の、意識の変化を示すものかと思います。

私は、アメリカが好きでした。フィリップ・マーローとハインライン、ジョン・フォード。

『タフでなければ生きていけない。優しくなれなければ生きている資格がない。If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.』

のアメリカは、ちょっと田舎くさいのですが、好きな国でした。 

ブッシュのアメリカの新自由主義も、「50年前にアメリカが日本を打ち負かして『民主化』したことが世界から評価されているように、今から50年後には、アメリカがイラクを皮切りに世界を民主化していくことが、素晴らしい業績として評価されるに違いない」との演説にあるように、アメリカ国民の内のカードのような人々にとっては、世界の人々を自由に導く戦いとして、受け止められていたのでしょう。

アメリカが今後如何変わっていくのか、オバマ大統領のチェンジは、果たして達成できるのか。

鉄鋼、電気はとっくに崩壊し、自動車産業も壊滅に近づき、ITも実質的に空洞化、頼みの金融ビジネスまでが大きな打撃を受けて、いまや国内には農業と軍需産業しか飯の種がなくなってきているアメリカのようですが、タフな戦争で飯を食うのではなく、優しい生きている資格のある活路を見出してもらいたいと思います。

2009年10月22日

文闘春潮 編集長9/x:人類の平和と繁栄への道 ガンダーラ

ガンダーラ、それはインダス文明発祥の古代インド十六大国の一つ。現アフガニスタンの首都カブールに位置していた。
かつてそこは世界の商人が行き交い、内陸の交通路にある東洋と中東が交差する都であり、中国・ペルシャ・ローマを結ぶ文明の十字路でもあった。
国際的な商業都市として栄え、同時に客人を受け入れもてなす寛容な人々と文化、崇高で美しいガンダーラ美術、巡礼地としても発展した歴史を持っていた。

十八世紀の帝国主義時代からこんにちに至る二百年間のアフガニスタンは、代わる代わる正義の名の下に進出した大国列強の思惑に翻弄され、破壊と侵略それに伴う内戦の歴史に塗り替えられてしまった。
現在、食料・衣料・住居・医療施設が不足し、国民の半数ちかくが職に就けず、不衛生な水が原因で幼児の死亡率も高く、昔、旅人をもてなし農業と牧畜を営み牧歌的だった人々の心と国土は荒廃してしまった。

日本でガンダーラと言えば、幾度となく映画やTVドラマとして製作された「西遊記」の挿入歌のイメージが強いと思われるが、私の記憶に間違いが無ければ英語版の挿入歌で世界各国でも放映された。
その歌詞にあるガンダーラとは、1「誰も皆行きたい 愛の国ユートピア 何処にあるのか どうしたら行けるのだろうか 教えてほしい」2「生きる事の苦しみさえ消える あまりにも遠い 自由で素晴らしい 心の中に生きる幻なのか」と歌われている。
アフガニスタンの問題を考えたときに、もし、神や奇跡の存在があるとしたならば、ブッタが現在の状況を予言し、人の口を借りてアフガニスタンの人々の苦しみや悲しみを訴え、世界の人々に問うているのではないのだろうかとさえ思ってしまう。

ベトナム戦争を人々は止められなかったのかもしれない。しかし、若者たちを中心に解決策を模索し、その答えを日本にも求め、キリスト教では無い禅仏教の教えや、松尾芭蕉の奥の細道がルート66に繋がり世界へと広がって行った。
およそ西暦五百年、東の終着点にまで仏教が伝わり、サンスクリットが漢語になり日本語になって文化や風習を纏い日本に定着していった。
中国・インドと仏教伝来のアジアの道が世界経済の中心になろうとしている今、インドガンダーラより日本に齎された自由や平和、繁栄への贈り物の恩返しを、かつて、三蔵法師の通った道を千五百年の時を経て歩み、日本人が解決しなければならないのかもしれない。

2009年10月21日

湯原:官僚悪者論と政治家の責任

国政を託された民主党政治家は独りよがりの考えでなく、先ずは民主党の国家ビジョンと使命を把握し、異なる意見があるなら納得いくまで大いに議論すればよい。そして本質的問題把握と政策形成能力を磨かなければならない。特に経験の浅い政治家たちは得意の専門分野を作り、能力向上に励み、官僚を使いこなし、立法府の責任ある仕事を成し遂げる責務がある。政治家の責任は重大だ。政策形成に関して、資金の関係で十分でないなら、レベル高い国民のボランティア活動をもっと利用するのも一方だ。

官僚悪者論、その所以は縦割りの省庁権益を第一義あるいは天下りに酔いしれる官僚の身から出た錆である。まじめに働いている国家公務員もいようが、影響力が大きい例えば局長以上の官僚の行動は国家公務員の鏡であらねばならず、自ら身を正さなければならない立場にいたのだが、現実は大きく乖離してきた。官僚悪者論を誰かが煽っていると見るは被害妄想だ。官僚悪者論の国民への定着は意識高い国民自らが情報を集め、ジャーナリズムの役割を自ら放棄した劣化マスメディア報道に対するリテラシー向上の結果でもある。

甘い蜜の天下りが出来ない、立法府に仕え国民公僕となることがいやだと感じる人は大卒後の国家公務員志望を諦めて民間に就職せよ。また既に天下りや陰の権力行使等の悪しき夢見て国家公務員となった人は直ちに転職を考えよ。国家財政はそんな本末転倒の公務員に給料を投じる余裕などない。

官僚は国に奉仕する公僕の原点に戻らなければならにない。立法府の力量ある政治家に仕え、案件に対し、自民党政権下でのような省庁権益、天下り等の我欲達成を最優先させ、隠蔽、捏造も混じる調査報告資料でなく、主権国民を第一義とする正しい調査報告資料に根本から変えなくては、官僚悪者論は容易に消え失せるものではない。

2009年10月13日

コスモス:前政権の負の遺産処理

 政権交代後、民主党連立政権は前途多難である。いわずもがなの半世紀以上に及ぶ自民党政権の官僚主導の枚挙に遑が無い負の遺産処理である。前政権下での主権国民の意向を無視した官僚による省庁権益の維持拡大、政策の官僚への丸投げ、私利私欲の族議員の跋扈など言語道断だ。

 今朝(10/8)の東京新聞の特報に風力発電問題が掲載された。こんなところにも前政権の腐敗を見る思いがする。いまさらの感があるが、旧自公政権での問題放置に起因するものである。これは氷山の一角であろう。

 低炭素社会に向けた再生可能エネルギーの代表の一つである風力発電が諸外国で爆発的な普及期に入っているのに、何故か日本ではなかなか普及しない。その原因は単に騒音、自然破壊、生態系への影響だけの問題ではない。

 騒音、自然破壊、生態系への影響等に関しては、その関連情報を十分に公開し、風車建設に近隣住民の合意形成がなされてこなかったこと、さらに関連法整備がなされなかったことが普及を阻む要因となっているといえる。自由な民間投資と関連法整備(FITも含む)は車の両輪であり、どちらが欠如しても事業はうまく進まない。

 諸外国では風力発電の騒音規制の基準が決められており、風車の建設位置は近隣住民の家から何m以上離れていなければいけないとか規制されているが、日本ではその基準さえ無い。苦情が出れば対応するといった実に環境後進国ぶりである。さらに風力発電は環境アセス法の適用対象外となってきたことも重大な問題だ。

 結果論ながら、随分と昔から風車建設の影響を多くの人が指摘し、その都度、場当たり的な施策を行政が後手後手で行ってきたのが実状だ。明らかに前政権の行政府、立法府の不作為である。

 風力発電の普及期といわれながら、こんなお粗末な状況であり、前政権は縦割り行政のもとで我が国の低炭素社会実現に総論賛成で各論反対であったのだ。長期エネルギー政策全般の中で再生可能エネルギー政策がいかに疎んじられてきたかを明確に証左するものである。

 公知のように、EUでは2020年までにエネルギーミックスにおける再生可能エネルギーの割合を20%に引き上げるという目標が達成されれば、再生可能エネルギー部門に約280万人の雇用創出と、全体でGDPの約1.1%に相当する付加価値の創造が期待できると試算している。
http://www.deljpn.ec.europa.eu/modules/media/news/2009/090602c.html

 政権交代した今こそ、持続可能でない原発ならびに化石燃料から如何に段階的に脱していくのか、長期エネルギー政策に関する主権国民の合意形成が必要だ。民主党連立政権下で、持続可能な再生可能エネルギーへの代替の長期ロードマップ作成ならびに代替に向けた課題克服のための研究開発推進、法整備、再生可能エネルギー設備の計画的導入等が問われている。

 日本が抱える雇用創出問題ならびに経済効果の観点からもこれまでの政策見直しは不可避である。

2009年10月 6日

豊後の小兵衛:地図を逆さまに広げよう ── 政権交代とは発想の転換である

 おそらくはわが国の歴史に残るであろう衆議院選挙は、民主党の圧勝で終わり新政権が発足した。
 早速にも主要閣僚は国際会議に列席し、新政権は日本の「存在」を国際的に示しているのではと感じている。ここしばらく、日本という国は、外交上「お荷物」といえば語弊もあるだろうが、決して「品格ある国」との印象を持たれていなかったのでは、と感じることが多かった。
 しかし、新首相の顔は「国の代表」として引き締まり、就任間もなくでありながら、そしてまた圧勝という余波をも背景にし、国際的耳目を集めるに存分の働きだったと思う。
 これから年末に掛け、諸課題に取り組むための予算編成など胸突き八丁が続くが、しばらくは静かに見守ることが肝要ではないだろうか。
 その新政権で、諸手を挙げて歓びたい事象があり、皆さんも注目して頂きたい。それはいくつかの新組織がつくられ、そこここに「新看板」が掲示された。たとえば「国家戦略室」であるが、白木の板に墨痕鮮やかに、しかも力強い毛筆書であり、私はこの看板から新政権の意気込み、決意を感じとった。なぜか、それは政府関連のみならず、このごろ、この類の「看板」のほとんどが「ワープロ書き」と想定されるものであり、関係者の識見を疑っていた。その昔は「○○事件捜査本部」などの看板も、書家の手で書かれたであろうと推測することが多かったが、この頃は目にすることも少なかった。
 省庁の看板も然りである。例えば「文部科学省」、この原板は省庁再編の折、書家である今井凌雪先生の揮毫であると漏れ聞いているが、力強さの中にも風格がある。
 それに反して「国土交通省」の初期の看板はいただけなかった。これも風聞だが、時の大臣である、扇千景氏の揮毫であったというが、「恥」という思想の欠如を思わせた稚拙な書だった。
 その昔から「名詮自性」(名は体を表すと同義語)というが、(ただし私の場合、それは当たらない。)看板はその象徴であるからして、軽いもの、稚拙なものは、本体さえも私は疑うが、そんな時代背景にもとづく新政権の意気込みを、たった一枚の看板から読み取れると私は理解した。
 次は、前原国交省大臣である。「ダム建設中止」とする大方針をピクリとも動かさず地元民と向き合う。それも尊大でなく、真摯に耳を傾けるその姿には「心ある政治家」を感じた。無論のこととしてこれからが大事であることは謂うまでもない。

 新政権発足を機に、もう一つ、声を大にしていいたいことがある。それは沖縄の「普天間基地」問題である。否、普天間に限らず、沖縄に集中する米軍基地問題である。民主党のマニフェストでは、普天間問題につき、最大国外移転、最低でも県外移転と謳っていたから、先づは「国外移転」を大目標に踏ん張って貰いたい。私は軍事の、そして外交の専門家でもないことから、「落としどころ」などは理解できない。単純な脳みそしか持たない一市民感情として、沖縄に集中する米軍基地は「異常」と思う。
 何故か、それは戦中・戦後、私たちは沖縄を犠牲にして「平和」を謳歌してきた。その自覚なしに平和を語る資格などない。平和とは「心配やもめごとがなく、おだやかなこと」と大辞泉にあるが、これは自分の身のまわりだけが「おだやか」ならば良しとするのでなく、少なくとも沖縄を同胞とするなら、その苦難を排除する、よしんば排除が適わなければ分かち合う、それが家族であり同胞ではないだろうか。
 戦後60有余年、私たちは沖縄がおかれている過酷な条件、それは「基地経済」という、自立の道を閉ざされた環境を見て見ぬふりをして過ごして来た。何か事件があると一時期は火の手があがるが、程なく消えていつしかもとの木阿弥である。
 鳩山新総理は「日米対等」を謳い、中国との問題解決に加え、ロシアとの平和条約締結も提唱した。ならばこの際、沖縄問題もメインテーブルに載せ、同時並行で議論することを期待したい。

 私たちは地図を見る時、北を上にすることに慣らされてきたが、政権交代とは発想の転換でもあることから、この際に試して欲しい。南を上にして、沖縄・小笠原・本土のそれぞれに点を置き、三角形を描いてみよう。そこには広大な海が拡がり、発想を変えれば無尽蔵の「食糧生産地」でもある。
 または、小さな島国でありながら、独特の文化を育んできた。それは近年の芸能界を見れば明らかなように、異色のタレントも生み出し、音楽は出色でもある。そしてまた、若い女性プロゴルファーの活躍もある。まさに「ウチナンチュウ」の面目躍如たるものがり、自立の道が開かれれば、もっと大きく飛翔することだろう。
 それは戦後一貫して「小さくまとまる」ことだけを追っかけてきた私たちに勇気を与え、眠っている「縄文資質」を覚醒させるに違いない。
 これらを「地政学的」などという詭弁を弄する時期はとうに過ぎた。

2009年10月 4日

武藤功:脱官僚依存の基本は何か──「官僚党」にトドメの一撃を加えること

[1]

 官僚依存政治からの脱却をかかげて、鳩山政権が出発した。まずは順調な滑り出しといえよう。内閣発足早々に断行した「事務次官会議」の廃止がその口火となった。次いで行われた「事務次官らの記者会見禁止」も原則的には了解できる。「経済財政諮問会議」の廃止はなお大きな意味を持つ。これこそ、影で官僚が仕切る政官財トライアングルの中枢機関であり、自公政権が推進してきた「構造改革の司令塔」だったからである。

 その他、政治主導のための省庁運営に政務三役(担当大臣、副大臣、政務官)が責任を持つという体制も軌道に乗り出した。官僚抜きの予算編成方針を決める「基本政策閣僚委員会」もできた。そして、この予算編成方針によると、これまでの省庁官僚によるシーリング方式をやめ、大臣の査定にもとづく概算要求方式に改めるという。また、9月29日の閣議では、高級国家公務員の独立行政法人役員への天下りの禁止も決めた。これは政権奉仕の官僚行政への見返りとして、天下り先の法人組織を設置してかれらのための指定席を設けるという「政・官のギブ・アンド・テイク」のシンボル的な制度であったから、この禁止の意味するところは小さくない。

 具体的な脱官僚行政政策では、この9月末日までの間にシンボル的な課題が二つ着手された。一つは岡田外相による非核三原則にかかわる「核持ち込み」の密約問題にたいする解明の調査命令である。これは自民党政権までも選別して情報隠しをつづけてきた外務官僚の反国民的な国務態度を文字通り象徴してきた疑いのある官僚主導政治そのものであったから、新外相がこの「官僚あって外交なし」という事態の是正に乗り出した意義は大きい。

 二つには、前原国土交通相が計画から半世紀以上にもわたって地域住民を翻弄してきた八ッ場ダムの建設中止を政権マニフェスト通りに明確にしたことである。この建設事業は官僚政治による国費ムダ使いの典型的な公共事業といえたから、地域住民と関係自治体が建設の継続に猛然と大きな声をあげているなかにあっても、ポピュリズムに流されることなく政権公約通りに実行しようとしていることは、鳩山政権の「脱官僚依存政治」にたいするやる気を窺わせるものといえる。そもそも半世紀以上にもなって完成しない事業を「有用な治水・利水事業」などはいえないのである。地域住民には同情すべき点が多々あるとしても、この結果をすべて「国の責任」(しかも崩壊した自公政権は責任を負えない)としてすますのではなく(そこでは官僚政治に従属して膨大な資金を投じてきた関係都県の責任も自覚されなければならない)、自らの地域主権者としての自己責任を考えなければ地域の民主主義はいつまでたっても達成されないことを自覚すべきであろう。

 その他、前原国交相は、ムダな高速道路建設の隠れ蓑としてきた「国幹会議」の廃止も明言した。また、長妻厚労相は、後期高齢者医療制度や負担を強いる障害者自立支援法の廃止などを明らかにしている。

[2]

 しかし、一方、政治主導による官僚依存政治からの脱却という課題については、新政権の側にもいくつか懸念される問題点があることも見えてきた。その最大の懸念は、脱官僚依存を首尾一貫したものとするための基軸がどこにあるのかという点がよく見えてこないことである。このため、新大臣たちの脱官僚政治への意欲は大いに評価するとしても、その官僚への対応にバラツキが目立ち、統一的な官僚対策の理念が見えてこない。たとえば、長妻厚労大臣のように、官僚たちに民主党のマニフェストをかざして「国民の命令書です。熟読して下さい」と言うのはいいが、問題はその官僚の読み方なのだ。

 長妻大臣はそれを正当にも「官僚のアカ」を洗い流して読みなさいというのであるが、官僚にはそれだけではその真意が伝わらない。なぜなら、その「官僚のアカ」こそ、自民党の事実上の一党独裁の長期政権としての「55年体制」が生んできた権力との癒着のなかで溜まったアカであり、いわば党派的なアカだからである。したがって、その「党派」の解体こそが、「アカの洗浄」の第一の条件となることを官僚たちに自覚させなければならない。

 半世紀以上にもわたって続いた「55年体制」は、自民党が巨大な官僚群を権力に忠実な党派としての「官僚党」に仕立て上げ、その知恵と力を従属政党のごとくに使いこなすのに十分な歳月を与えた。そればかりか、この官僚党は政治的主人の自民党すら掌中にからめて、天下の巨大政党のごとくに国政を主導することもしばしばだった。とくに法律の制定と執行については、官僚の独壇場として国政運営の中枢を支配してきた。議院内閣制を官僚内閣制に変質させてきたといわれる所以である。

 憲法上は、官僚たちは内閣の職務として「法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務」(73条4号)を内閣の命によって行う権限しかないのであるが、実際には行政権と立法権の双方にかかわり、立法においても国会議員よりも大きな関与権を与えられてその制定や改廃に携わってきた。また、行政的な権限の行使についても、閣僚の権限をこえるようなかたちで「政務処理」を行ってきた。「外交関係を処理すること」(73条2号)にかかわるなどがその例である。

 その象徴的な脱法行為がさきにみた外務官僚による「核持ち込み密約」問題の隠蔽疑惑行為である。なぜ、このような立憲政治を否定するような官僚政治が行われるかといえば(あるいは行われてきたという疑いがあるかといえば)、国政を仕切るのは自分たちだという国家官僚的な正統意識があるからだ。この点では、明治憲法よりも早くできた官僚制度(その政治局の役割をしてきたのが、民主党が今回廃止した「事務次官会議」だった)から尾を引く官僚意識となって作用しているといえる。そして、自民党は明治の始めに薩長の藩閥政府がかれら官僚を自らの股肱として使役したと同じように、この官僚党を国民支配の道具として最大限に利用してきた。

 つまり、「官僚のアカ」は自民党政権と癒着し、その族議員を介して甘い汁を吸うところで溜まってきた。「省益」などという国民には理解不能な言葉が流通してきたのは、その甘い汁を吸う局面においてである。したがって、その「官僚のアカ」を洗い流すためには、まずそのアカを浮き立たせている官僚構造としての官僚党の解体が先決である。かれらが自民党のためにはセッセと書類づくりをしても、野党には紙一枚渡そうとしないできた偏りは、その党派的な偏りによる情報統制をあらわし、その徹底的な野党差別はかれら権威主義的な官僚政治の神髄をなしてきた。

 そこでは公務員の「全体の奉仕者」(憲法)・「国民全体の奉仕者」(国家公務員法)という立場は問題にもならなかったのである。自民党はその野党差別の情報管理を利用して事実上の一党支配を維持し、メディアもまたこの官僚の管理のもとに記者クラブ制を取り、かれらの情報コントロールと政権維持に協力してきた。

 これらの事実からも、情報管理による野党差別と弱者切り捨て(これについては非正規雇用労働者の派遣切りから高齢者や障害者や母子家庭差別など切りがないほどである)を神髄としてきた官僚的政治構造を解体し、かれら官僚たちを「政治権力への奉仕者」から「国民全体への奉仕者」へと解放することが急務であることが明らかになろう。

[3]

 そして幸いなことに、いまこの巨大な官僚党は断末魔の時にある。脱官僚政治をかかげた民主党への圧倒的な国民の支持によって、ほとんど息の根を止められそうな状況にある。かたちの見えない巨大政党として自公政権を支えてきた官僚党の存在は国民の目には見えにくいが、それを目に見えるかたちであらわしたのが自民党の歴史的敗北であった。つまり、この歴史的敗北は官僚党の影武者と化した自民党が一身にあらわしたものであって、その実質の敗北者は国政を一党支配的に仕切ってきた官僚党なのである。

 この官僚党の断末魔は、1991年に「ソ連共産党」という巨大官僚党が解体されたときのことを思い起こさせてくれる。それは明らかに当時のソ連の歴史的状況に対応できなくなった赤い官僚党がその歴史的使命が終わったことを鮮明にした出来事であったが、日本の官僚党の倒壊もその前例にもれず、日本的な新しい状況に適応できずに、その国家党としての歴史的使命を終えた事態を明らかにしたといえるからである。国民自身が今度の総選挙を通じてその答えを出したのである。

 この意味では、1996年(平成8)、小沢一郎ひきいる新進党が総選挙に対する当時のマニフェスト(「国民との五つの契約」)に「官僚依存を排し、政治家が責任を持つ政治を実現する」という一項を入れた意義が再評価されなければならない。おそらく、この一項こそ、立憲政治の確立のためには脱官僚政治が不可欠な条件であることを明快に認識した始めての憲政史的出来事であったといえる。かつて、健全な官僚政治の希求者であった後藤新平は「官僚政治の弊を矯(た)むるには官僚政治を以てしなければならぬ」と説いたが、その官僚政治は後藤の時代から100年の歴史において、かれが一面で危惧していたように「官僚者流の権力濫用」を重ね、「未熟官僚政治たる政党」政治を壟断してきたのであったが、小沢はその後藤の批判的立論を現代的な立憲政治の論理によって乗り越えようとしたといえる。この小沢の立憲政治の論理と実践は、その金権問題などへの悪評に余りある政治的先見性として評価することができる。

[4]

 さて、問題はこの断末魔に陥っている官僚党に対するトドメの一撃をどう加えるかである。官僚党はいま断末魔に陥っているとはいえ、まだ臨終の時を迎えたわけではない。何しろ、明治時代の天皇の輔弼党という時代までさかのぼれば、138年も生きながらえてきた党なのだ。この断末魔を甘く見ることはできない。官の政に対する操作術や懐柔術には100年をこえる磨きがかかっている。知恵や情報もまだ涸れてはいない。つまり、しっかりとしたトドメを刺すことが肝腎なのである。しかも、このトドメは条理のある言論と透明な政策論、あるいは法治による制度改革によって行わなければならない。単なる一般的な禁止措置に終わらせてはならないし、逆差別というような粗雑な報復的な方法を用いてもならない。

 それではどうするか。政党政治を強化することである。これはさきの後藤新平が言うように、明治時代の政党が「未熟官僚政治」のレベルにとどまったということ自体が官僚政治を助長し、「人民の権利に対する官僚者流の暴行」(後藤)を許してきたという歴史的な教訓を踏まえて、真に国民と結びついた政党を基盤とする立憲政治を実現することである。この国民と政党との間に官僚が介入する余地がないようにすることである。このことは、現行の国家公務員法でも、「職員は、政党その他の政治的団体の役員、政治的顧問、その他これらと同様な役割をもつ構成員となることができない」(102条3項)というようにうたわれているが、「55年体制」下では政権党たる自民政治家の「政治的顧問」の役割を果たした高級公務員たちがゴマンと存在したのである。

 つまり、いま必要な政治主導とは、かれら公務員を「政治的顧問」とすることなく、政治家が自ら政党政治の原点に立って国民の声をくみ上げ、立案し、立法化し、政策として国民に返していくことである。官僚はその政策の実行段階において国民に奉仕する立場から、中立・公正な職務として事務や事業の執行に当たればいいのである。政の領域に入り込む必要はいささかもないし、そのための党派を作る必要もない。

 この意味では鳩山政権のガヴァナンスの在り方に一縷の心配がないではない。それは鳩山首相が強調している「政府・与党の一元化」という問題についてである。政策の一元化を図るのはいいとしても、そこには党の存在までも政府のもとに一元化してしまうようなニュアンスが窺えるからである。もし、そうなるなら、鳩山政府自体が巨大な国家党となって、本来の政党を抑圧する事態にもなりかねないのである。鳩山首相やその閣僚たちには、マスコミが書きたてている小沢幹事長との「政権二元論」を警戒するあまり、「政府・与党の一元化」に腐心しているようにも見えるが、鳩山首相自身が「党代表」だという事実を忘れてはならない。

 立憲政治の核心たる政党政治の基礎は、文字通りその政党にあるからである。その政治全体のなかの「部分」である政党であることによって、他党との競争のなかで国民の声に独自に接近できるという政治の民主主義的な仕組みこそ大切なのだ。また、健全な政党があってこそ、官僚党の存在を許さない政治的基盤がつくられる。つまり、自民党独裁の「55年体制」を支えてきたかれら官僚党に最後のトドメの一撃となるものこそ、国民と結ばれた政党のさらなる前進なのだ。

 先日、孫を連れて、幕張メッセの「恐竜展」を見に行った。その全長35メートルという巨大恐竜を眺めていてつくづく思ったことは、公務員群を束ねた巨大な官僚党が化石化した恐竜のごとくに現実に適応できなくなってしまった姿である。恐竜の長い首は高所の食物を求めて伸び切り、もはや進化の限界を超えて当時の地球環境に適応できなくなった姿をあらわしていたが、甘い汁を吸うために「省益」という長い首をふりまわして国民を欺いてきた官僚党もまたかくの如くかと思われたのである。この意味では、恐竜のごとき官僚党は倒れるべくして倒れたが、民主党はその埋葬を正しく手早く行なわなければならない。

*  *  *  *  *

ashikabi0907.jpg
『葦牙 35』
2009年7月、同時代社

writing by 武藤功(文学誌『葦牙』編集長)
http://www1.odn.ne.jp/ashikabi/

2009年10月 3日

妹尾:議員の口利きをなくす方法

 議員等と官僚の接触禁止について、英国では官僚と議員の接触は原則禁止されていると聞いています。民主党内でも一時その種の話が菅さんから述べられていましたが情報公開等の観点から沙汰止みになったようです。

 そこで議員(業界関係者)と面会(談笑、電話)等接触があった場合や上司からの口頭での命令指示の場合、官僚に「接触等記録」を作成保存することを義務付けることを提案します。

 議員等(上司の指示命令を含む)と面談(電話)した官僚は日時、面談場所、面談(指示命令)の案件、面談(指示命令)の要旨(内容の正確さについて相手の確認を得る)面談後面談を確認している同僚等が事実確認を行い最終的に上司に報告の後に記録を保存する。(保存期間は5年)

 これがあれば例えば村木局長(当時課長)が誰と面談したのかどうか、塩田元部長が指示したのか、塩田元部長はどの政治家から依頼を受けたのかがはっきりします。族議員等の跋扈口利きを防ぐ意味でも是非この記録の作成は義務付けて欲しい。

 鳥取県では片山知事の在職時議員の反発を受けながらも実施したところ議員の口利きが殆んどなくったそうです。

Profile

日本語の「ヨロン」という言葉には「世論」と「輿論」という2種類の漢字があります。実は、この2つの言葉は大きく意味が異なっていて、「世論(セロンとも読みます)」とは「感情的な世間の空気」のことで、「輿論」とは「議論を積み重ねてできあがった公的意見」のことを指します。《よろんず》が目指すものは後者の「ヨロン=輿論」をつくることであり、そのために、《よろんず》では情報のプロ・アマに関係なく自由闊達に議論を交わすための場所を提供します。メディアの調査で発表される「ヨロン=世論」とは違う真の「ヨロン」をつくるため、執筆者・出演者・読者のみなさんに、この新しい“知の共有空間”に参加いただけるよう呼びかけます。

読者投稿募集中!
↓ ↓ ↓
《よろんず》への投稿はコチラから

必ずお読みください!
↓ ↓ ↓
コメント投稿についてのお願い

BookMarks

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.