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武藤功:連立政権が意味するものー民主党は少数党尊重の政治革新を

 民主党、社民党、国民新党は9月9日、三党連立政権合意によって、新しい連立政権樹立の方針を示した。鳩山次期政権によって実現した画期的な政治的な出来事といっていい。これは民主党に迎合して言うのではない。むしろ、民主党に厳しい自覚をしてもらいたいために言うことである。

 なぜなら、現在の党リーダーである小沢氏と鳩山氏には、過去の政界編成時に少数政党との対応で誤りを犯した経験があるからである。とくに深刻だったのは小沢氏の場合で、1994年の院内会派更新時に日本社会党を排除したことによって、同党を羽田政権連立から離脱させてしまった。このため、自民党はその排除された社会党を抱き込み、村山首班の連立政権を作り出した。小沢氏は羽田内閣をみすみす潰す結果に導いたのである。

 鳩山氏の場合は、1996年の民主党結党時の社民党との合流に際して、ある種の選別をして民主党に入れる議員と入れない議員とに分断したことである。このため、村山富市氏らは止むを得ず民社党として残留することになった。これは自民党による政権奪取に直結した小沢氏の時と比べると罪は軽いが、政党の再編にかかわる結集論理としては、小沢氏の原理と同じ性格の問題を含んでいた。政治的な結集論理においてイデオロギーを優先させるという性格である。

 もちろん、政党はイデオロギーを基軸に作られる政治集団である。その意味では再編や連立においても政治イデオロギーが重視されるのは当然のことである。しかし同時に、政党再編や政権連立においては、一つの党派イデオロギーでは律し切れない状況への対応という問題がある。この場合、イデオロギーは「小異」となり、新たな状況への対応が「大同」となる。小異を捨てて大同に就くということが求められるゆえんである。

 今度の9日の三党合意は、この「大同団結」を意味したといえる。このプロセスにおいて重要な点は二つある。一つは民主党が選挙戦のなかでも三党共同の路線を明快に打ち出し、それを「衆議院選挙にあたっての共通政策」(8月14日)として有権者に示して選挙戦をたたかったことである。これは政権連立に有権者の意思を反映させたということにおいて、新生党が軸となった細川政権の時とも、自民党が軸となった村山政権の時とも違う重要な点である。細川政権(八党会派連立)も村山政権(自社さ連立)も、政局波乱のなかの政党連立によって一種「瓢箪の駒」のようなかたちで生み出されたが、今度は明快な「政権交代」のスローガンをかかげる鳩山氏のもと、その三党の共同を念頭において有権者が選択できる「政府像」を示してきたからである。

 もう一つ重要な点は、この政権構想を鳩山氏も小沢氏も自覚的に推進したことである。すでに指摘したように政局的結集にしろ、政党的結集にしても、そのなかにあらわれる多数派と少数派との関係を民主的に解読して統合するという課題は両氏にとって鬼門ともいうべきものであったが、小沢氏にあっては1994年の羽田政権以来の、鳩山氏にあっては1996年の民主党結成以来のそれぞれの経験と学習によって、「ニュー小沢」「ニュー鳩山」として新しい立憲的結集論を提起できる地点にまで到達していたという問題である。民主党が衆院では単独過半数を制しながら、その三党連立構想を守って先の合意に達したのはかれらの立憲的モラルの順守のあらわれとみることができる。

 それゆえ、すべての問題が始まるのは、これからであるともいえる。何しろ、今度の三党連立合意は、日本の政治が明治憲法以前の政党草創期から今日までの百数十年間において経験したことのない新しいかたちの立憲的な成果だからである。これまでも連立政権はさまざまあったが(戦後では1947年の片山政権から、昨日の自公政権まで)、しかしそれらは選挙において公約された立憲的な連立というよりも、政局がらみの離合集散の産物であって、明快なかたちで国民的な合意を基礎にしたものではなかった。これまでの連立政権問題や政局再編に「読売新聞」グループの渡辺恒雄会長や労働界の山岸連合会長、あるいは池田創価学会名誉会長らが蔭に陽にさまざまかかわったというのも、そうした非立憲的な連衡合従劇の性質をよくあらわしていた。以前の小沢氏もまたその種の再編劇を演出したり、また自ら巻き込まれたりもしてきたのである。

 今度の三党連立合意が注目されるのは、そうした過去の政治との関係だけからではない。なによりも未来の政治にかかわっている。明治以来、日本の立憲政治は自由民権運動に対する抑圧とその後の明治憲法によって制限を受け、戦後憲法下においても、連合国の占領政策とその後の米国追随の「55年体制」といわれる自民党の一党独裁的な冷戦構造型の長期政権によって健全な発展を妨げられてきた。十年前に発足した自公政権もこの「55年体制」の延長線上にあった。今度の政権交代選挙は、明治以来の官僚政治とこの「55年体制」の閉塞状況を一挙に打破し、その桎梏から政治を解放したところに最大の意義がある。

 つまり、この今日において、国民は自らの手で国民のための国民の政治(リンカーン風にいうと「人民による人民のための人民の政治」)を創造できる地点に立ったのである。この政治の「チェンジ」はオバマ氏のチェンジ以上の意味を持つ。なぜなら、明治憲法からは120年、戦後憲法からは62年目にしてはじめて国民が達成した偉業といっていいほどの意味を持っているからである。単なる二大政党間の政権交代ではない。ましてや「風」の仕業でもない。国民は長い間、それと明確には認識しなかったかもしれないが、自前の民主政治を求めてきた。新聞の論調は、今度の政権交代には「国民はワクワクしていない」というのであるが、それは表面的なところだけしか見ていないからである。その点では自民党指導部が「国民の怒りをよく理解できなかった」といっている方が正しい。戦後政治が明快な希望のビジョンを示してくれなかったから、国民が自ら希望の枠組みを描き出したのが今回の政権交代選挙である。

 したがって、その国民が示した政治の枠組みに魂を入れることができるかどうかは、民主党以下の三党の政治そのものにかかっている。その際、肝腎なのは多数派を持つ民主党が立憲的な政治のモラル(少数派の尊重)を順守することである。三党にはそれぞれの党のマニフェストと連立政権合意のなかの「政策合意」があるが、これらの実行もそう簡単ではないし、その実行に至るプロセスにおいてはさまざま軋轢も生じよう。そうした時、多数派党である民主党の自己抑制的な指導力の発揮によって、三党のそれぞれに独自な政治イデオロギーを社会の多元的で多様な価値意識と整合させるかたちで調整、統合してもらいたいものである。

 もちろん、そのためには少数派党の社民党と国民新党が大政党となった民主党に埋没させられないための正当な自主性の発揮が極めて重要になる。いまのうちから、次回の参議院選挙までの多数派工作の駒に終わるのではないかなどという心配は無用である。なぜなら、社会の多様な政策要求に応えるための立憲的な連立体制の確立という本筋のもとでの三党合意なのであるから、それを正面から受け止めることが新しい共同と連帯を創造する道だからである。

 そうした共同の政治文化を創ることが日本の民主主義にとってきわめて重要なのだ。日本の政治の貧困の最大理由は、その共同性の欠如にあったからだ。保守の側でいえば、翼賛政治的な共同しかないし、革新の側でいえば原水爆禁止運動の分裂はその象徴であろう。それゆえにこそ、政治的な共同性を創り出し発展させることができれば、世界に誇れる日本的な立憲政治のモデルを創り出することも可能となろう。三党が合意した憲法事項、つまり「平和主義」「国民主権」「基本的人権」の三原則の順守によって国民の生活を再建するという政治が開かれるのも、そこにおいてである。

 政治権力は統合にも分断にも作用するが、究極にはそれが国民主権に根差すものであることを肝に銘じた三党合意であると理解したい。禁物なのは、リーマン・ショクから丁度一年目の現在の言葉でいえば、「強欲」である。金融の世界であれ、政治の世界であれ、強欲は墓穴のもとである。民主党にとっての強欲とは、党(パーティ)とはパート(部分)なのだという自覚を忘れて300議席を超える党勢力は国民全体を代表しているのだと錯覚することである。そうした数への錯覚を持たなければ、官僚政治の地獄めぐりを経験してきたリーダーを持つ民主党には、日本の人情と国情に合った共同の民主的「友愛」政治を開くことが可能であろうし、期待できる。(文学誌「葦牙」編集長)

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コメント (15)

何を仰るやら、勘違いも甚だしい。もともと93年の場合、主義主張がバラバラであることを承知の上でただ1点、「政治改革…小選挙区制」を成すための連立だったはずだ。小沢でなくとも分かる「短命内閣」「暫定政権」だった。
この政権は、ことの完成を見て、余勢をかって一気にやろうとしたこと(国民福祉税)が反感を買い分裂を速めたまでだ。
事をめんどくさくしたのは、自社の連立だった。小沢としても、ここまでは読めなかったのかもしれない。
鳩山の「排除の論理」にしても、政権抗争の一つの姿であり、敗者の立場に立ったものが見苦しかっただけのことだ。

今回の連立は全く背景を異としている。
すでに民主党は大政党であり、連立の対象はまさに小政党だったことだ。ただ、参議院での安定多数がないための便法といっても間違いとは思わない。
味噌は、当然来年の参議院選挙である。
連立合意でも見られた一定の譲歩は当面必要かもしれないが、参院選以降もこのまま続けられるものとはとても思えない。
民主党が勝てば当然だが、仮に過半数に満たない場合でも、現状は何らかの変化を遂げているものと思う。
今回のような連立を望む国民が、果たしてどのくらいいるだろうか。民主党に投票した私自身、憲法、外交ではとても社民党を認めることはできない。この私のような人間の方が少ないだろうか。
問題は、民主主義のとらえ方だ。多数決こそが、この制度の根本である。その中で、少数意見があることを認め、無視してはいけない、出来うる限り少数の意見も取り入れる、それが民主主義なんだろうと思う。しかし、少数意見に振り回され、多数の意見が通らないなどは民主主義のはき違えだ。
国民の多数の支持は民主党にある。これを忘れてはいけない。社民党が、その主張を押し出すあまり、政権を不安定なものにしてしまうなら、それは単なる「わがまま」である。
民主主義の原則を忘れてはならない。

武藤氏のお話にはついていけない。

<議会制民主主義について>
選挙は権力を得る為に、多数になる事が肝心だが、議会運営では少数意見に配慮する必要がある。多数決だけでいいなら、議会はいらない。マニフェストと投票結果だけでいい事になる。ことほど左様に連立の友党の話は、充分に聞いて配慮する必要がある。マニフェストを一言一句変えてはならない、とも思わない。
民主党の党内で、何で300議席もある我が党が、少数党の我が儘に付き合わなければ、ならないのか!などと、マスコミに語っているらしいが、彼らは、少数意見にこそ真実があるのだと知って欲しい。
自民党は、2/3議席で、野党からの法案修正に応じず、強行採決を繰り返して自滅した。他山の石とすべきである。

素人の思いつきですが、来年の参議院選挙で民主党が過半数を獲得すると(多分獲得するでしょう)
国民新党と社民党は居ても居なくても大勢に影響が無く成る。
だから今、自分達の存在理由が有るうちに政権の内側に入るのは当然と思いますが。
鳩山首相は4年間は石に齧りついても頑張ると言っていますから国民新党と社民党の名称は残るわけですから。

「政治報道」について考える以下の行事があるそうです。関東近辺にお住まいの方、参加されたらいかかですか?
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20090917-544862.html
記事のソースは共同なんですけど、共同のサイト、記事検索しにくいので、日刊スポーツの記事を貼らせて頂きました。

アメリカ、イギリスの両二大政党が
9・11を眼前にして大政翼賛化して
結局戦争への歯止めが全く効かなくなった
ことを想起すると、二大政党制の危険性を
個人的にはぬぐい去れません。
(いよいよ日本でも健全な政権交代がやってきた、
というこの時期に言うことでもないでしょうが)

特に、元株やさんのご意見がまかり通ると
自分のような改憲反対派の受け皿が
一切無くなってしまいかねない状況に
なりかねません故、小政党を含めた連立の余裕がある
ドイツやイタリアのような政治状況の方が
個人的には希望です。

来年の参院選の展開がどうあれ、
まずは連立党への協調を無下にはしないで
欲しいと思っています。

民主、社民、国民新の信頼に基づいた協力関係は、今後も続いていくと確信しています。

民主は数に驕ることはないはずです。

社民と国民新はそれぞれ、自身の得意分野で力を発揮してくれることを強く期待しています。

<少数政党の意見がマイノリティーの意見と決め付けることは果たして正しいか?>

今回の衆院選で有権者の多くが民主党に政権運営を委ねた。もちろん、連立与党内の少数政党の意見を取り入れることは、必要であろう。
民主党と連立を組む社民党は、マニフェストに護憲を掲げている。しかし、戦争を体験した政治家に留まらず、憲法9条維持を唱える政治家は民主・自民両党に存在する。
郵政民営化も然りであり、野党だけでなく自公政権内にも郵政民営化に反対する政治家は存在し、離党を余儀なくされた。
では、少数政党の意見がマイノリティーの意見と言って良いのか?民主主義の根幹は幅広い意見の集約であり、弱者・少数者の意見を汲み取ることである。

宮沢政権までの自民党は、さまざまな考え方の政治家を有し、幅広い意見を丁寧に汲み上げていたと思われる。
民主党は、かつて(今も?)寄せ集め集団と言われ、自民党離党組・旧社会党・旧民社党などさまざまな考え方の政治家が存在する。これは有権者にとって、少数意見が政策に反映され、バランスの取れた政権運営の期待要因として支持されたのではないか。

例えば、この先日本の政治が政権交代可能な二大政党性になったとすると、幅広い意見の集約や、弱者・少数者の意見を汲み取ることのない政権となるだろうか。そんな政治を我々が求めるはずがない。

武藤功氏のご指摘に関連する、ある古い記事を転載します。

(転載記事要旨)「東京新聞」'94/7/7「連立時代考」より。

ワシントン・ポスト極東総局長(トム・リード記者)
---新生党の小沢代表幹事は。
「ぼくは、彼のファンです。何度か会って話をしましたが、信頼できる人ですね。小沢さんに質問すると、きちんとした答えが返ってくる。ほかの政治家は『難しい質問で』とか『よくわからない』ばかり」
---小沢理論は。
「著書の『日本改造計画』を読んだ限りでは、あまり賛成できません。でも、よしあしは別にして、アイディアやビジョンを持っている政治家は好きです。日本でも米国でも、最近はビジョンのない政治家が多いですから」
---日本は、小沢さんの目指す二大政党制になる?
「なったら良くないし、そうならないだろうと思う。ボクは二大政党制が好きじゃない。米国型の二大政党制では新しいアイディアが出て来ないんです。歴史的に見ても、女性参政権や奴隷解放といった画期的なアイディアは、第三党から出ている。本当に社会が変わるためには、いろんな政党が必要です」
---小沢さんの「普通の国」論は。
「ボク、日本は『普通の国』じゃないと思う。『大国の興亡』の著者ポール・ケネディは『繁栄した国はそれを守るために軍事大国になる』と書いているが、日本はそのパターンに当てはまらない。経済大国になりながら平和主義を貫いていることは、歴史的にも非常に例外。日本が『普通の国』になったら、ボクがっかりです」

*注:米国のマスコミの健全な時期の記者の記事です。


 しかし、直近の課題は、週間朝日の山口の指摘のもあった8.6の初の「総理記者会見」の結果です。
 ジャーナリストの上杉隆氏は、かって鳩山由紀夫氏の民主党代表就任会見で質問をした。それに対する答えは、
「(前略)わたしが政権を取って官邸に入った場合、(質問者の)上杉さんにもオープンでございますので、どうぞお入りいただきたいと。自由に、いろいろと記者クラブ制度のなかではご批判があるかもしれませんが、これは小沢代表が残してくれた、そんな風にも思っておりまして、私としては当然、ここはどんな方にも入っていただく、公平性を掲げて行く必要がある。そのように思っています」
しかし、9.16の総理就任の記者会見では、上杉隆氏・神保哲生 、などのフリーランスやインターネットジャーナリスト達の記者会見への出席が認められなかったのです。
記者クラブという特権をなくすという公約を意図も簡単に反故にするとはどういうことか。許せないことです。

根本は「記者クラブ制度」の解体が出来れば、アメリカのように大衆は愚鈍ではないですから、「多用なジャーナリズム」が生まれれば、すぐ気付くのではないでしょうか?鳩山・小沢氏らの指導による「政権交替」に一番期待するのは、「記者クラブ解体」です。

 武藤さんのご意見はと9月14日NewsSpiralの「参議院補選後の社民党の政権離脱・・」と対比しながら読み比べてみると
 私は9月14日に安定した政権運営のためには数の力がどうしてもで重要ある観点を主に書いてみました。
 今回のご意見は主として少数の意見に耳を傾ける必要(多様な価値観を認める)があり民主党の突出(暴走)を危惧されていることが理解できます。
 たしかにTV出演で目立つ民主党の議員は論も立ち優秀でしょう。一方一部の人からは「政策おたく」と揶揄されています。自分に自信があるためお宅の持つ負の面がまさると政策を信じ脇目も振れず暴走する危険性を感じます。
 此処で党に少数政党のの体験がある小沢氏が幹事長として采配を振るう理由が選挙戦の指揮官としてだけでなく、連立与党間の調整役として大きな意味を持ちます。
 国会の常任委員長の、鈴木外務委員長、田中文科委員長等の適材配置への登用を含め国会で与党からのチェックも意図した布陣となっています。

>小沢氏と鳩山氏には、過去の政界編成時に少数政党との対応で誤りを犯した経験があるからである。とくに深刻だったのは小沢氏の場合で、1994年の院内会派更新時に日本社会党を排除したことによって、同党を羽田政権連立から離脱させてしまった。このため、自民党はその排除された社会党を抱き込み、村山首班の連立政権を作り出した。小沢氏は羽田内閣をみすみす潰す結果に導いたのである。<

ウ~ン、なんとも偏見な方向から見た論法ですね。ここには私や元株や様のような、小沢信者が多くいて、その頃のことはかなり勉強して理解していると思います。これは反論したくなりますね。

政治制度改革を その当時 政策の違う8つの烏合集団を諭し・宥め・妥協してでも通したことが、今回の政権交代に繋がっている事実。
ご用達マスコミは、その後小沢さんを壊し屋だとか、失われた10年だとか言って小沢批判を事あれば持ち出してきますがそれを含めて小沢さんの功績だと思います。百数十年の官僚政治の打破はそんな生易しいものではないのだと。その中で自らの信念を貫き、政権を中に入ったり出たりと揺り動かしてきたのが小沢さんです。そんな政治家、他にいますか?

中選挙区のままでは、今回の選挙でもこれほどの大差はつかず、微妙な情勢でしょう。
当時の政治家一人ひとりが最善策を模索し、結果が社会党の離脱・自社連立に進んだとしても、その背景を一言で【誤りを犯した】で切り捨てられないと思いますよ。
むしろ、苦く辛い貴重な経験を積んだ政治家だからこそ、期待できるはずです。苦労知らずのボンボン総理を沢山見てきましたからね。

少数政党が有ってもいいとは思います。大政党では全ての国民の声を吸い取ることは難しい。今の政治制度で、比例重複だけを無くし、定数も減らせば良いかと。

公明や社民、共産は理念や主張の違いから存在に理解できるし、国民新党は郵政問題が納得すれば自然消滅(合流)するでしょう。

【大地】【田中康夫のにっぽん】などは個人が目立ちたいが為に見えるので、合流が筋です。

しかし、細川内閣当時の新党日本やさきがけのように成りたくて、キャスティングボードを握りたい為だけの少数政党なんてなくしたほうが良い。今で言えば【みんなの党】です。植草さんに言わせれば偽装チェンジ集団(笑)。主張やマニフェストは民主党と似せているが、芯は第二自民党であり、結果が均衡していれば自民に連合し政権交代を阻んだでしょう。余りの大差に存在意義がなくなりましたが。

三党が上手く政権を運営するのは、有る程度の妥協が必要です。でも大きな目標は共通していて国民の生活を守ることを最優先してくれています。国民全てが納得し支持することはありえないのなら、その中での最善策を模索して着実に出来ることから実行してくれれば、暮らし易い国に成っていくでしょう。

多数決で決するルールの下での国会(含委員会--二読制)の役割は主に内閣がその政策の具象としての法律を様々な切り口で吟味することそれそのものとそれを国民に周知せしめることと理解しています。動議-採決だけだったら数分のところを何日もかけてその役割を果たさせる仕組みになっていると理解しています。

メディアは自ら日本のあるべき姿を宣言し、自ら常日頃からto-do-list(具体的でありさえすれば絵空事でも構わない)を作り修正し、その自らあげた各々の項目について各党が打ち出している政策を評価し(この党はこの項目については触れてもいないぞ、も含めて)、時の内閣の行政ぶりと時の国会の議事の実際を、浅い深い狭い広い強い弱いつまらん面白い、が浮き彫りになるような報道を工夫して提供してくれたら、僕は十分に金を払います。

そういうメディアがある社会なら少数政党の主張・指摘も十分国民の耳目を拾えると想像します。かつ、ダメな政党の凋落・消滅も激しく加速すると思います。見込みの党が残りそれが2つでも3つでも5つでも僕は構いません。

連立は参院の野党連立の褒美という見方はあるにせよ、衆院も民主党の力だけで勝ったというわけではなく、社民が重複候補をやめ、比例に回るとか国民新党や鈴木宗男氏の大地が応援に回るなど様々な結集があって地方を覆っていったことを考えればおろそかにはできません。
それから93年の時は8党会派相乗りの大所帯で最大多数党が社会党でしたから、意見調整に手間取りましたが今回は圧倒的に民主党が取っており、しかも参院での連立の実績もありますから93年のようにはならないと思いますけどね。
考えが違う党が意見調整できるのか?という批判はもちろんあるだろうが、考えが一緒なら連立でなく同じ党に入ればいいし、同じ党の中にも考えの違う人たちがそれぞれ会派をつくって棲息しているわけだから意見調整は可能でしょう。
要するに政党としてアイデンティティがどこにあるのかということなんじゃないですか、連立問題って。
特に少数野党はアイデンティティを抜きにして語れませんからね。

[em5467-2こと恵美]氏( 2009年9月17日 19:35)のご意見はいいですよ。

「少数意見にこそ真実がある」

その通りです。これを忘れてはなりません。

ウーさん、援護射撃ありがとうございます。
私には、うまく書けないことをしっかりと書いていただきました。

しかし、「小沢」という文字が出ると、否定的なイメージでしか記述しない自称著述家・ジャーナリストって何なんでしょう。
まるで、暗黙の決め事でもあるみたいです。
まさか、このジャーナルにまでこのような認識の方が寄稿してくるとは。
いかに議論百出とはいえ、どうにも納得いかないのです。

多数決の論理の違和感

「民主主義の基本は多数決である」と戦後民主主義教育ではいやというほど聞かされてきた。自公政党が、ことあるごとに実行した3分の2条項も「強行採決」もすべてはこの「民主主義ルール」に基づいて「多数決の論理」で正当化されてきた。仮にも過半数が議決したなら、少数は従わなければならない、と。

 結果として自公政権が採決した議決は国民を不幸のどん底に落とし込み、それを不服として今回国民は、「政権交代」を選択した。新政権の矢継ぎ早の政策で「安堵」するにせよ、一体自公政権時代の「強行採決」やら3分の2ルールの乱発の道義的責任は皆無なのであろうか。

 学校現場において、「強行採決」という多数の論理を「是」として教えられるものなのであろうか。だからこそ、「過半数」には「少数意見の尊重」がセットで語られるべきなのが「道理」であり民主主義における「道義的責任」なのである。

「連立」として「与党」に参画できた社民党や国民新党は別としても、そして何らの道義的反省すら出てこない自公は論外として、連立に参加してない少数政党もないわけではない。是々非々で対応するという共産党もいる。いま、来年の参議院で過半数を取る事が民主党の最大目標だというけれど、それでどうする?のか、という点でどうも意見が割れているように思われる。曰く「過半数を取れば連立解消できる」「社民党はお払い箱だ」

 民主党の連中が本当にそう思っているなら、その時点で、「お払い箱」であろう。
「少数意見の尊重」には手間隙がかかる。だから「過半数を取ればお払い箱」そんなことには理屈抜きに良識ある国民はノーを突きつけると私は考える。

「奢るなかれ!」「うぬぼれることなかれ!」
多数者こそ、少数者の意見に耳を傾ける姿勢を持つべきことは、裏返せば強者は弱者を見捨てることにつながる。自公の行ってきた「数の論理の横暴」はまさに少数弱者の切捨て以外の何ものでもなかったのである。

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