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武藤功:静かな「市民革命」の日

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 二〇〇九年八月三十日は、夏が終わって秋の気配が漂う静かな一日であった。この日、日本は「五五年体制」といわれた事実上の自民党一党政治体制から、静かに離脱したのである。この離脱を日本的な「市民革命」と呼ぶなら、この革命はこれまでの世界のどこの国も体験したことがないような性格の革命である。一発の銃砲が響くのでもなし、断絶の壁にツルハシが打ち下ろされるのでもなかった。革命の歓呼の声一つ上がるのでもなかった。選挙の騒音は、何気ない日常的な清浄な雰囲気を残して消えた。候補者たちの当落の記憶の光景の外には涙もないし歓喜もないという雰囲気である。政治とは本来、理性的なもののはずだし、波瀾万丈ではなく日常生活をベースに営まれるものだから、この雰囲気にも納得がいくという風であった。

 翌三十一日は台風11号が接近して荒れ模様の朝となったから、昨日の平穏な印象はいっそう深まった。これが一日違いで、台風の日の総選挙となったなら、あるいは昨日の結果とは相当の開きがでたかもしれないとも思わせられた。前日の結果を「市民革命」と命名するとしても、印象としてはそのくらいの脆弱性が危惧される結果のようにも見えた。この意味では、たしかにこの政治変化を革命といってしまうことは、言葉の過剰といえる。しかし一方では、半世紀以上つづいてきた事実上の自民党の一党政治体制を瓦解させたという事実を軽視するのも正しくないという気もする。各紙は自民党の「歴史的敗北」と伝えているが、この重い歴史の事実を辿り直すと、そこに開けてくるのはまさに革命的な変革の光景である。「歴史的敗北」とは事実上の自民党政治の瓦解というにふさわしいものだからである。

 この変化を象徴するのは私の住んでいる「保守王国」とされてきた茨城の政治変化である。七つの選挙区で、民主党が五議席を占めたのである。あとの二議席のうちの一議席は無所属議員であるから、自民党は一議席ということになって、昨日までの民主党とそっくり入れ替わったのである。これはこれまでの茨城の政治事情に通じていた人には信じ難いことである。これまで、茨城の選挙状況は、民主党にとっては日立製作所の労働者が多く住む都市を中心とする選挙区で唯一の議席を守るのが精一杯であった。それが一気に五議席である。この選挙区合計の七人の得票は八一万余となり、政党別の得票の六八万余(四三パーセント)をはるかに上回る。この政党票も、自民党の四五万余(二八パーセント)を圧倒した。こうした民主党優位の事態は同じ「保守王国」とされてきた北関東ブロックの栃木、群馬にも当てはまる。これら「保守王国」が消滅したという事態は、全国的に雪崩を打つごとくに崩壊した自民党政治の基底の変化を象徴していた。

 八月二十九日までに友人たちから送られてきたファックスや電話によると、メディアが挙って予想を立てていた「民主党圧勝」は、もしその通りなら「ファッショナブル」な民意であり、小泉郵政改革選挙の裏返しであって、本質的な変革の要素は微塵もないというものであった。小泉自民党の掌に載って零れかけていた「ゼラチン市民」がそのまま民主党の掌に乗り移っただけだというわけである。

 私も半ばその説に賛成しながら、しかし同時に小泉郵政政権以来の七年間に国内外が経験した変化の波を無視することもできないという思いもあった。アメリカではブッシュ主導の共和党政権が倒れ、オバマ政権にとって代わられた。アフガン戦争とイラク戦争における錯誤の堆積、戦争死者の増大、そしてリーマン・ショックによる経済の暗転のなか、黒人大統領候補の叫ぶ「チェンジ」を受け入れざるを得なくなった。黒人大統領という前例のない事態もよしとしたのである。チェンジするしか、国を担って生きる道を見出すことができなくなったわけである。それはアメリカにとっても、肌の色という壁をこえる「もう一つの市民革命」を意味した。

 日本の戦争は、小泉の郵政改革という「政治戦争」となって行われた。自民党と公明党は大勝利のラッパを吹きならしたが、事態はラッパの方向とは逆な方へとつき進んだ。

 ブッシュが二つの戦争の初期に「勝利宣言」をした時と同様に、その後に惨憺たる状況が訪れたのである。それはブッシュにあっては「九・一一」の死者を上回る膨大な死者と巨額の財政負担をもたらし、自公政権にとっては「官から民へ」という景気のいい掛け声とは裏腹に露骨な格差社会を顕在化させたのである。膨大な労働者の切り捨てとリストラ、賃下げや労働強化、非正規雇用者の増大によるワーキング・プアの出現、そして中小零細企業の倒産や個人消費の落ち込みなどをもたらすことになった。そこに日米ともにリーマン・ショックによって追い打ちをかけられ、金融と生産の双方に瀕死の重傷を負うことになった。日本におけるその象徴が十年以上連続で三万人をこえる自殺者の出現であり、二〇〇八年末の非正規雇用解雇者たちの「年越し派遣村」の開設であった。

 小泉がブッシュ夫妻の前でいい気になってプレスリーの真似事を演じていたころには想像もできなかった事態が出現し、そのプレスリーを演じるという茶番劇がまるで惨憺たるブッシュ政治の模倣をあらわした醜態として思い返される日が来たのである。この結果、小泉自身もさっさと政界から引退してしまい、小泉戦争(郵政選挙)に出兵した市民たちもまたその自公陣営の塹壕から素早く撤兵することを決断した。

 この撤退光景のなかで無残だったのは、公明党だけが一人政権にしがみつくかたちで自公政権の塹壕に残留したことである。ブッシュでさえ、イラク戦争について「最大の後悔」を表明していたのに、自民党に追随して支持したイラク戦争について、ただ一言の反省もない「平和の党」の厚顔無恥が国民に受け入れられるはずもなかった。案の定、太田代表以下北側幹事長、冬柴前幹事長などの中心幹部が落選し、小選挙区の全八議席を消滅させて合計十議席も減らして惨敗した。これは自民党の敗北にも劣らない惨敗といえる。

 都議選では糊塗できた政治の無反省も、国政選挙では通用しなかったのである。創価学会の膨張も、公明党の誕生も、「五五年体制」の閉塞情況が生み出した宗教的、政治的異端といえたが、両者はそれを自民党的な政権の正統によって覆い隠そうとしてきたといえるが、それが通用しなくなったのである。その茶番が破綻したのである。

 ついでに、共産党と社民党についても一言するなら、かれらが「二大政党」の波間に埋没しないで、どうにか現状を維持することができたことは、日本の民主主義が最低のところで機能したことを意味する。両党は戦前からの長い歴史において日本の民主主義の苦闘のシンボルであったが、それを戦後社会において性格づけすることには失敗してきた。一時は両党とも、共産党にあっては宮本時代の「倍々ゲーム」によって、社民党にあっては日本社会党時代の「土井旋風」によって新たな再生を示したかに見えたが、国民的な基盤の形成には至らなかった。それが共産党にあっては小選挙区ゼロであり、社民党にあっては比例区四議席という結果が示していることである。それでも、この両党が確保した十六議席は日本の民主主義の底辺として民主党による「市民革命」の成就に「建設的」(この建設的ということが民主党の非民主的な行動にたいしては「破壊的」な役割を果たすということを認識しているという前提において)な影響を与える可能性は残されている。

 いずれにしろ、国民の方はこの出直し「政権選挙」によって、諸政党より一足先にかれらの「市民革命」へ選択の賽を投げた。ここに「ファッシナブル」で「ポピュリズム」的な選択の要素があるとしても、格好のいい「ファッション」とも確たる根拠のある「ポピュリズム」とも違う、苦みと生活の傷みのある政治反省をともなう選択であったことにおいて、鳩山由紀夫氏ふうにいうと生活者の実感にもとづく「革命的」といえる選択であったともいえる。国民的な熱狂の気配がなかった分、そしては鳩山代表という非カリスマ的で良識的な党首であることによって余計な心配(ファシズムへの民衆暴走)もしなくてすみそうである。それゆえ、「友愛」の政治をかかげる鳩山式のブルジョア民主主義の推進によって新しい「市民革命」の成就への可能性も見えてくる。

 しかし、その可能性のためには、市民と民主党の双方が以下の難解な四つの構造的な問いにこたえていかなければならない。

 一つは言うまでもなく、その「市民革命」的な大勝利をもたらした国民的な構造的要因としての政治的主体の強度の問題である。それが「自公が駄目だから民主にやらせてみたら」という程度であれば、それは泥壁のごとく崩壊する日の早いのは目に見えていよう。市民はその崩壊を防ぐために自らの政治主体にどのような鉄筋を通すことができるか。政治家たちが連発している「国民主権」という言葉に魂を入れるのはかれら政治家ではなく自分自身だということを国民がどれほど日々の生活のなかで自覚し実践できるか。

 二つは、まだ不安定な「ゼラチン」型の市民から強固な「ブロック」型の市民へと脱皮しえないでいる多くの支持者を前にして、民主党自身の政党の強度をどう高めていくことができるかということである。かつての「小泉チルドレン」と見合うかたちで「小沢チルドレン」といわれる数十人の玉石混淆の新人議員が参加してくるなかで、かれらを統一的で自覚的な政権政党に束ね、海千山千の官僚たちと闘う新しい立憲的な民主政治の体制をどう作り出すことができるか。政党による民主主義の体現なくして脱官僚の政治を実現することもできないし、自らの民主的な立憲的統治を実現することもできない。まして、小沢氏の言う明治以来の「官僚政治の打破」はさらにできない。

 三つは、ポスト東西冷戦の世界構造に見合った国内政治体制をつくることができずにきた「五五年体制」に代わって、その閉鎖的な政治から国民を解放する新しい政治をどう創るかという問題である。この課題こそ、「五五年体制」が生み出した巨大な「官僚党」というもう一つの与党を解体させる事業を含むものであり、小沢氏十七年の曲折と学習によってはじめて正面に見据えることができた問題である。この「政官財」癒着の政治を代行してきた官僚党を解体するためには、単なる政治主導をこえる政治力学が必要であり、それは主としてグローバル経済の元締めである「財」とグローバル軍事を主導している「米国」への対応が必要としている力学である。少なくとも、その対応を官僚任せにしてきた現状から脱却し、自らの政治主導で行うことから始めなければならない。この点では、オバマのチェンジが世界の各国に対して超越的に唱えられたのとは趣を異にし、鳩山のチェンジはオバマ政権にも及ぶことを自覚しておかなければならない。

 四つには、前項の「三」の内実となる「市民革命」の探究の問題であるが、国民的な戦後解放の政治ということからも、二つの戦後象徴としての「沖縄米軍基地」と「北方領土」への切り込みが不可避となる。これは「五五年体制」がほとんど手も足もでないかたちで積み残してきた課題であり、官僚政治の無能力と無責任を絵に描いてきた問題である。そしてこれこそ、冷戦構造が刻印された「違法な事態を合法として処理する」インプニティといわれる事態そのものであり、この因縁浅からぬ米ロ二大大国の欺瞞と不法からわが身を切り離すための不可避の課題である。ここにこそ、小沢氏の言う「普通の国」への脱皮がある。

 この意味での「普通の国」へ脱皮ができてはじめて日本の「市民革命」が達成できるといえる。それだけに容易なことではない。マッカーサーから「きみたちは十二歳の少年だ」として徹底して教えこまれてきた民主主義を、今度は成人し熟年期をこえた日本が当のアメリカにたいして教えなければならないからである。つまり、冷戦構造下同様に沖縄に膨大な軍事基地を押し付けている事態は日本にとってあまりに過度な負担を強いることになり、この軍事的な頸木から沖縄住民を解放することが日本の民主主義にとって不可欠だとといことを理解させなければならない。いわば、安保条約の抜本的見直しである。

 一方のロシアに対しても、不法な四島占拠はスターリン主義的な侵略行為の継続を意味するものであるとの国民的認識を提示し、国連や国際社会にも訴えて強力な交渉を展開しなければならない。ポーランドでは、ナチズムと結んだ独ソ不可侵条約をテコに、ポーランドに対する独ソの分割政策が実行された事態に対する検証を提起し、旧ソ連赤軍による「カチンの森」の虐殺事件やポーランド侵攻時の住民抑圧の惨劇を告発しているが、日本の「北方四島」についても、その種の歴史的不当性について世界に公開していくことが必要であろう。旧ソ連の戦後処理としての不法事態を解消するためには、ロシアの顔色を窺いながらの交渉のテクニックだけでは進展をはかることは不可能であろう。

 これらの戦後課題の解決の問題からいえば、今度の選挙による「市民革命」は序の口であるが、要は東西対立構造によって南北の両端から日本を締め上げることになった「冷戦の壁」(「ベルリンの壁」を上回る強固ものである)を打ち砕くところまで前進できるかどうかである。最近の鳩山論文の「ニューヨーク・タイムズ」(電子版)への要約転載論文への米政府高官や米国メディアの反応を見ると、その理解の幼稚さや独善性にあきれてしまうほどであるが、こうした事態を見ると、米国に対する民主主義の再教育はなかなか容易ではない。日本にとっては、このこと一つ取っても「朝日新聞」がいうような「脱米入亜」など望むべくもない事態であることを自覚しておかなければならない。沖縄問題など戦後処理の積み残しのままの「脱米」など幻想にすぎないであろう。

 それゆえ、今回の総選挙の結果には、先に示したように内外にわたるさまざまな課題が集中して提起されているといえるのだ。国民自身の立場からいえば、民主党支持における政治的自立にかかわる課題、民主党の立場からは自身の政党的な結束と展望にかかわる課題、政治の課題としては官僚政治から立憲政治へという行政民主化の再構築という課題、冷戦構造の解消という国際的な政治にかかわる課題などである。いずれも難問ばかりであるが、まずは民主党のリーダーたちが四の難問に至る前段の三つの問題の相関関係をよく自覚してリーダーシップを発揮することが必要であろう。政党の能力とはこのリーダーのリーダーシップ能力と同義語であるといっていい。かれらが党(部分)の判断を国民(全体)の判断から遊離させないことはもちろんだが、さまざまなかたちで避け難い党(部分)の欠陥を国民(全体)に転嫁しないで常に自己の責任において解明することによって、国民へフィードバックしていくような政治スタイルのもとにリーダーシップを発揮してもらいたいものである。

 「党首力」などという言葉がはやっているが、それは「国民力」との紙一重のところにしかできないものであり作用もしないということを肝に銘じておかなければならない。小泉はもとよりブッシュも麻生もその紙一重の隔たりをよく理解しなかったために、その「党首力」の認識を誤って政治を国民から遊離させてしまった。この点、鳩山代表や小沢新幹事長には、党(部分)の利害を国民(全体)に優位させない感覚こそが必要であろう。

 しかし、この問題は簡単なようで簡単ではない。鳩山代表は、三十日の夜、民主党が大躍進するニュースを背景にメディア・インタビューに応じたが、そのなかで国民の生活の問題に触れ、何回も「お暮らし」という言葉を使った。育ちのいい同氏には「お」のつく言葉は自然なものなのであろうが、国民生活の暮らし、小沢氏のいう「国民の生活が第一」という政治課題からいえば、もはやその種の上品な生活としての「お暮らし」が破壊されてしまったところに現実的な問題があり、それゆえに民主党への変革も望んだのであるから、その生活の感覚こそ国民に近づけなければならない。ところが、実生活のなかでの苦労をあまりよく知らないらしい鳩山氏には、その生活の苦境にある国民に見合う言語感覚で政治を語ることができなかった。

 この鳩山インタビューを一緒にテレビで見ていた我が家の女房は、「お暮らしなんて、笑っちゃうね」と不満顔であった。「お暮らし」のために一票を投じたのではないよという顔である。これは総中流といわれてきた生活から脱落した国民の圧倒的多数が持った言語的な違和感であったろう。つまり、政治とは言葉なのだ。この点、「宇宙人」といわれた鳩山氏は早く地上人となって国民的な俗塵にまみれるなかから現実的な「友愛」の政治を拓いていかなければならない。「甘さ」は政治を壊わしたり軟弱にしたりするものとなることはっても、決して新しい政治を創造するものとはならない。

 この「甘さ」ということでは、民主党は比例区への候補者擁立で甘い対応をしたことによって、近畿比例区でみすみす三議席を失う羽目になった。しかもそれは当面の悪政の相手方である自民党に二議席、公明党に一議席というオウン・ゴールの「棚ぼた」を献上する結果となったのである。魯迅ふうにいえば、「ドブに落ちた犬」は打つべきなのに、テキに塩を送るどころか、議席までくれてやることになった。当の民主党にして、それほどの多くの有権者の期待が集まるとは思わなかったのであろうが、三議席といえば近畿比例区ではどんなに少なく見ても八十万票にはなる票数であることを考えると、みすみすそれだけの国民的な期待と意思を無にしてしまったことにおいて、大きな反省が必要である。

 国民新党など、あれだけ頑張っても三議席しか得ることができなかったのだ。この意味で、国民の一票は、「血税」という言葉にならっていえば、思い万感のこもる「血票」なのだ。単なる「マニフェスト」への一票ではない。つまり、それが「市民革命」を起こす原点なのである。この革命的な原点を忘れるなら、民主党が「市民革命」の党となることができないのは明らかである。

 この意味において、真の「市民革命」への道が民主党によって近くなるか、それとも遠いままであるかについては、いましばらく見極めが必要であろう。

(文学「葦牙」の会編集長)

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[敢えて言う「頑張れ自民党」!]などと戯言(たわごと)を述べている御仁とは違って、熱の籠った真摯な「市民革命」論。「市民革命」を成し遂げて、初めて「市民」が誕生する、という歴史的にも正当な論説主張だ、と伺いました。更なる思想的な追究を期待します。

<武藤功様>
静かな「市民革命」の日というタイトルは、言いえて妙だと思います。
小泉に熱狂したゼリーの様な国民とは、今回投票した国民の様子は明らかに違っていました。
小泉郵政選挙と今回の選挙について、どんな層が投票所に行ったのかは?だふん専門家が研究して発表されるでしょうけど、あくまでも皮膚感覚で申し上げます。
私の選挙区は、東京渋谷です。一見、若者が多数いる選挙区に見えますが、実は住民は、マンションに住む家族(新住民)や古くから一軒屋を構える高齢者と一部の富裕層です・・・。
いつもの選挙は、老人と付き添いの家族が大半で、年寄りしかいないのか?という感じです(都議会議員選挙も)。
小泉郵政選挙時は、どこから湧いて出たのかと思う位、投票所には独身と見える若者が押しかけ、ガヤガヤと賑やかで、まるでイベント会場の様でした。
そして今回、投票所には行列が出来、高投票率を予感させるものでしたが、皆一様に寡黙で、ハシャギというものが全くなく、ただ静かに順番を待っていました。いつもより、若夫婦の新住民が多かった印象です。焦っていたのは、投票所の係員だけで、私は、皆が静かなだけに逆に決意を感じました。
ゼリーではなかったと思います。
さて、静かな市民革命は行われたのですが、武藤様ご指摘の様に、民主党政権には眩暈がする位、課題があって、すぐには結果の出ないものも多々あり、私たちは静かに、しかし革命の決意を持って参加しなければなりません。
また、共産党と社民党が現下の選挙制度のもとでも、一定の議席を得た事は、議会運営上、重視すべぎてす。
自民党清和会は、常に日陰の存在だったが故、経世会の議会運営を学ばず、数の力で強行採決を繰り返して、民意が離れました。
経世会出身の小沢・鳩山ラインは、議会運営とは、少数意見の中にこそ真実があることを知っているはずです。
多数決を乱発せず、取り入れるべき意見を取り入れれば、安定政権になるでしょう。
マニフェストおたくの議員たちを、どうねじ伏せられるかが、ポイントで、小沢の豪腕発揮もあるべしと思います。


嗚呼 我々の票が! 悶々とする毎日

小選挙区は共闘している候補者へ
比例区は思いの丈を鉛筆に力を込めて

結果、相手は復活当選。比例区の票は自民2、公明1へ
ふんだり、けったり、どついたり

いっそ皆で引っ越しようかと考えてしまう。
この憤り何処へ持って行けば良いのやら

参議院で勝利して、衆議院比例削減。
国会議員削減、経費削減。
アメリカにも少数党があったかと記憶しています。
少数意見は常に尊重しているのですが、、、、、

福島瑞穂を防衛大臣に据えることが出来れば、そこれこそ 本当の革命でしょう。期待と皮肉を込めて、福島瑞穂を防衛大臣にしてみればいい。それで 美味しいのは むしろ自民党にとってかも。

本当に静かでしたね。
TVの特番だけが一人はしゃいでいて国民から浮き上がっていたように感じました。
私は一足早く期日前投票をしたのですが、そこでも同じような静けさが漂っていました。
今も有権者はこの国の政治がどう動くのかを静かに見つめているようです。
TVの報道番組は相も変わらず「連立交渉」と「人事」に矮小化するばかりで、あきれて観ていてもイライラするだけです。
何故、政治理念がどう変わるのかを語ろうとしないのでしょうか?

武藤功さん・・・防衛大の武藤先生、IBM役員の武藤さんじゃないですよね。
スイマセン知らない方です。

今回民主党が勝ったのは、自民党に辟易していた事、自民党党首への軽蔑もあるとは思いますが、余り最近は話題にならない?、検察のでっち上げ小沢問題がトドメにを刺したとも思います。
これは郷原先生が論評していたように、【禁じ手】で、あり得ません。
これが霞が関を象徴するイメージとなって国民に映ったのであって、大手マスコミが言う【疑惑追及】という観点の問題では無いのはある一定のレベルの衆目の一致するところ。
ここまで来たか・・という事で、漠とした危機感が深層心理に影響したのはインテリ層だけとは思えない。
大手マスコミが疑惑と称して、さんざん放送したのも完全に逆に作用した。

今後は民主党対応に気をつけて、運営する事が肝要。
同等の発言権を要求というのはあり得ません。

自民党からの脱走組を早く取り込んだ方が良い。
日本人はセッカチなのと、マスコミがまた低次元の【ネタ】探しを
して足を引っ張るのは目に見えている。

アメリカとどう、とかいうのはあるが、少なくともロシア・中国、まして北朝鮮と仲良く志向は国民感情としては皆無に近いのだから、そのへんだけハッキリさせておけば、最貧国でもないので、
何とかなるでしょう。

今後は民主党対応に気をつけて、運営する事が肝要⇒社民党の間違い。

ちょっと次元が違い過ぎる。
NPO法人として活動した方が良い。

今回と、消費税導入騒ぎや郵政民営化騒ぎとの共通点と相違点を述べます。

共通点は、「無駄」への抵抗です。
相違点は、ベクトルの向きです。

消費税のときは、「国の無駄遣いを解決せずに、消費税の導入を許していいのか?」というテーマでマスコミは大騒ぎをし、有権者もマスコミに同調しました。
マスコミと有権者のベクトルは同じ方向を向き、選挙はお祭り騒ぎになったのです。

郵政民営化のときも、マスコミは小泉氏の「郵政は国の無駄だから、民営化すべきだ。」という主張に同調して大騒ぎをしました。有権者も、小泉氏の主張を信じてしまったため、マスコミと有権者のベクトルは同じ方向を向きました。
結果、選挙はお祭り騒ぎになりました。

では、今回はどうだったのでしょう。
マスコミは自民党といっしょになって、「民主党のマニフェストは、ばら撒きばかりで無駄だ。」と民主党叩き方向のベクトルで大騒ぎしました。
しかし、有権者はとっくに気付いていたのです。「一番の無駄は、自民党だ」と。
結果として、マスコミのベクトルと、有権者のベクトルは、真反対の方向を向くことになります。お互いが打ち消しあう力関係であるため、民主党圧倒的有利の事前調査結果にも関わらず、お祭り騒ぎにはならないまま、選挙投票は静かに進められたのです。

マスコミは、ネガティヴ・キャンペーンの効果を過信していました。しかし、マスコミが発したベクトルよりも、有権者が発したベクトルの方が予想外に大きかったため、己の力を過信していたマスコミはパニックになります。
ほぼ事前調査どおりの結果になったということは、見方を変えれば、ネガティヴ・キャンペーンを張ったマスコミの無力さを突きつけられたことになるからです。

こんなはずはないとパニックになったマスコミは、「選挙結果は、有権者の意思の現れである」という当たり前のことを忘れ、今でもなお民主党批判を流し続けているのです。
政権を獲って数年後の批判であればともかく、まだ組閣もできていない状態での民主党批判が、有権者批判=視聴者批判であることに考えも及ばないくらいのパニック状態なのです。(最近は、一部のマスコミはパニックから覚めているようですが。)

「郵政選挙」は代議制の原則を無視し、ファシズムそこのけの手法によって、国民を味方につけた小泉首相の完璧な勝利でした。その勝利に大きく貢献したのは、マスコミ。この選挙の正当性を検証することもなく、また郵政民営化の内容を国民に情報提供することもなく、小泉首相のワンフレーズに熱狂し、刺客という願ってもない道具立てのドラマを追いかけ、そこに国民を巻き込んでいきました。あの熱狂の恐ろしさを、私はいま背筋が寒くなる感覚とともに思い出しています。なぜなら、私の感覚もあの熱狂の中で麻痺しかけていたからです。
政権交代が実現した今、国民のひとりである私は、自分を含めた日本国民が、自分たちがどこかわけの分からない方向に勝手につれて行かれるのではなく、自分が選んだ政権に、私たちは、この国をこのようにしたいと発言する意見と意志を持つようにしたいと決意しています。流されていく愚か者には決してなるまいと思っています。
それにしても、テレビのニュースやワイドショーは、どうして、いつまでもわけのわからないコメンテーターを同席させつづけるのでしょうか。キャスターたちは自分たちの力だけではニュースを伝えられないのでしょうか。自分たちの取材能力や見識のなさを、コメントをこうした「識者」にもとめるのは、報道の姿勢としては、「丸投げ」に近いものではないでしょうか。こういう安易な報道姿勢はやめて、自分たちで取材をし原稿を書き、それを私たちに伝えてください。といっても、そんなことをマスコミ、とりわけテレビに期待するのは無理でしょうね。
コメンテーターだけでなく、視聴者に先入見を与えるような言葉を平気で発するキャスターもまた、それをおかしいとも思わないわけですし。
ひとつだけお願いしておきたいのは、これから国を新しく作り変えようとする政権の発足前から、その足をひっぱったり、揚げ足取りをするのはくれぐれもやめてほしいということです。日本を沈没させたくないのなら。

市民革命。
政治を変えるのは政治家ではなく国民の手によって行われた。
これが歴史的事実です。
市民革命という言葉で表現されたことを喜ばしく感じます。
そのことを曲解したのか、その内容に気づいていないのか、マスコミは民主党が国民から信任を受けていないなどとずれたネガキャンを繰り出していますが、国民は自らの意思で民主に政権を任せたのであり、信任はないといった考えは間違っています。
どうやら官も財もマスコミも細川内閣と同様に民主もすぐに消え、また自分たちにとって薔薇色の政権が帰って来ると信じている模様です。
国民の声を聞いて政治をしてもらいたいですね。自公は国民の声を無視して、ろくに議論もせずに強行採決を繰り返しました。ところが選挙になると国民が政権交代の流れを作って話を聞いてもらえないと愚痴っていましたが、いやいや、国民の声から耳をふさいで強行採決を繰り返しいたのような輩に国民が耳を傾けるなんてどこまでご都合主義なんだと怒りを感じたのは私だけではないはずです。
民主はマニフェストで4年間の計をを示して選挙を勝ち抜いたのです。恥じることなく4年間まっとうできれば、市民革命の総仕上げとなります。

政権交代という歴史的な変化を迎えることができたことは、われわれ市民にとって、この上ない幸いである。

市民革命はこれから、はじまる。

民主党は今後も、社民、国民新としっかりと連携して国政に当たってほしい。

私が個人的に関心があるのは、「沖縄米軍基地」問題である。沖縄住民のことを考えると胸が痛みます。日米地位協定は米イラク地位協定よりも酷いことを日本の国民は知っているのだろうか。昔の酷いものが、いまも継続している。こんなことはあってはならない。
基地の国外、県外移設も何とか実現させたい。
市民は声を上げて、市民活動を取り組んでいくことは今後も重要であるし、新政権の政治のリーダーシップに期待を持ちたい。市民と政治の協力によって、市民革命は実現していく。そのようでなければならない。

民主党瓦解を狙った検察のテロ行為を正当化したマス"ゴミ"は、今後も些末なことを突いたり、財源云々とか民主党批判の大合唱となっていくであろうが(まだ、組閣さえ行われていない段階でこれだから)、それに惑わされず今後少なくとも4年間はじっくり見守る事が必要だと思われる。

約50年使い続けた古いシステムだから入れ替えには時間がかかるだろう。何しろ現代の規格にあってない部品構成である。

コンピュータで言えば今はフォーマット(自公政権の退場)をした段階にすぎない、これからさらにOS(民主党政権開始)、アプリ(政権政党の政策遂行を補助するという官僚本来の役割)の構築と進めていかなければならない。

途中で見限ってしまっては、システムは動かなくなってしまう・・・日本という国の終焉とならないよう、民主党には全力をあげてがんばってもらおう。

福島瑞穂と 亀井静香を 重要閣僚として据えることで、死刑制度の廃止に踏み込んで欲しい。
すくなくても、死刑制度を廃止するための手掛かりを 今度の内閣でつかむようにもっていってもらいたい。 そのためには、福島もしくは亀井を法務大臣にすることです。 なんとか、死刑制度の廃止にこぎつけるような方向にいってほしいです。それこそが、リベラルの名前に値す行為と言うものです。わたしはリベラルではないですが。(笑

> 真の「市民革命」への道が民主党によって近くなるか

いずれにしても、4年後は増税が主要なテーマになるでしょう。いよいよ増税は避けて通れない選挙のテーマになる。というのは、そのころに蓄積される国債残高が1000兆を超えるかもしれないから。マーケットがこれを過大なものとして感じれば、国債市場が それでも避けて通ろうとする政府や国民に暴力的にその是正を迫ることになるでしょう。

消費税は20%以上になる。いまから消費税20%を背負うことを覚悟すること。 どの政党が権力を握ろうと そう遠くない先に 消費税20%の時代がやって来る。 あるいは、消費税20%を受け入れないのならば、マーケットが暴力的に生活水準を落としてくるでしょう。

市民革命といっても、そこに明るいばら色の未来があるわけではなく、そう遠くない先に 我々の世代がこれまでの何十年もの つけを払う覚悟をいよいよしなければならない段階に迫っているということ。まずは、そのことを自覚して、革命だ何だということでしょうね。 

いやいや、わたしは今回の選挙結果が革命をもたらすことを否定しているのではなく、消費税20%を背負うということを現実のものとして背負う覚悟を国民の一人一人がすることが もしかしたら 市民革命に つながるかもしれませんよ。
消費税20%を背負うことは、 つけを未来に回さないということの決意であるのだから。そのことに自らが共同体の将来の責任を持つという市民としての証になるかもしれない。

逆に言うと、 民主党が政権を取れば、重税はないだろうと思って民主党に投票をしたのならば、それはまったく誤解になるでしょうね。わたしは 少なくても 将来の重税を覚悟して民主党に一票を入れました。 

浅山 in 武蔵野の大地さま

消費税10%、20%を背負う覚悟はあると思います。ただ、その前提条件が整っていないから、NOと言っているだけだと思います。

無駄遣いばかりしている子供に、小遣いあげろと言われたら、親が「まず無駄遣いをなくしなさい。それでも足りないのなら、改めて小遣いUPの話を出しなさい。話を聞くのはそれからです。」と言い聞かせるようなものです。

しかし、自公政権は、国民の声に真摯に耳を傾けず、ひたすら「小遣い上げろ」コールを繰り返す子供の如きの有様でした。これじゃ、消費税率UPに国民が「ふざけるのもいい加減にしろ」と拒否反応を示すのも当たり前です。

まず無駄遣いをなくし、その上で、民主党がやろうとしている政策を実現するために消費税率をUPするという話であれば、国民は聞く耳を持っているのです。

Rioさん
たしかにそうですね。昔よりは消費税の上げについては理解が出てきているでしょうね。いずれにしても、
消費税は25%程度あって、現時点での借金で賄わられている分が相殺できる。要は、その分生活水準が下がるということです。さらに、この先老人医療など 毎年1兆円ずつ増えていくと予想されているので、25%の消費税でも間に合わないことになる。
いずれにしても、重税時代が遅からずやってくるので、そういう時代は個々人にとってどういう状態になるのか なかなか想像しにくいですが、まあ 生活水準下がることは覚悟すべきでなんでしょうね。個々人にとってそう生易しい時代でないことは確かなようです。

言葉というものは人間が他の生物とは違う決定的な存在事象であり別な意味でいえば他者との関係のなかでその精神性の表現ともいえる。何故こんなあたりまえの事をわざわざ言うのかというとここ最近のメデイアを通して流される何とも恣意性をもつた表現、もしくは芸能的に面白く興味をそそるような報道が余りに多いという事に危惧を覚えるからだ。ついこの前まで頻繁にメデイアをにぎわしたいわゆる「説明責任」という言葉や今はやりの「権力の二重構造」これらを発する発信元の意図を私は騙されないためよ~く観察する必要がある。政治的な事に限らず人はまず社会的事象を「疑え」ということが本当の事を知るために是非、必要なのである。説明責任でマスコミや評論家も錦の御旗をたて小沢氏を追求していた。彼は政治資金規正法にのつとつて決して違反はしてないと説明しても 全然納得せず検察は善であり小沢は悪であると始めからある方程式を使いまるで他人の火事は大きければ大きいたぐいの野次馬根性丸だしの報道をしていた。検察は果たしていつも善(あくまで法と証拠に基づくものであり倫理とは別)なる存在であるとの思い込みに気付くメデイアは
殆ど無かつた。話はそれるがこれでは年金問題で何十年も前の保険料を国民に証明させようとする自らの責任を棚にあげる社保庁、痴漢もしてないのに女性の言い分だけで有罪になるような今の行政、司法のあり方にもつと国民もメデイアも注視しなければならないだろう。有罪率ほぼ百パーセントなる国は先進国ではありえないのだ。裁判員制度以前にあの不幸な足利事件を風化させてはならない。彼には選挙権も与えられてないと聞く。何という不作為だ。今回の二重権力構造なるあいもかわらず、どの局もワンパターンに大昔の細川内閣を例に出し、しかも武村正義に小沢の悪口(でてくる武村も武村だが)を言わしている。あの当時の政治状況と今とでは全てが違うわけだし何より小沢氏もいろいろ経験されたし、それは各個人の普通の市民も何らかの成長はあるものだろう。あえて逆説的にいえば二重でも三重でもいいのだ。単なる仲良しグループで何の成果もあげない政党などいらない。私事で恐縮だが私が仕事している企業はいくつかの権力構造があり感情面でもいろいろぶつかるが赤字も出さず小さいながら売り上げも伸ばしている。目標が第一であり権力構造は二次、三次
におかれている。説明責任に話をもどすが早速ホリエモン関連のテレビ局が小沢氏、鳩山氏は献金の件で説明責任を果たしていますかとのアンケート調査を凝りもせずやつている。75%がしてないとおよそ結果が想定される質問、こういうやり方でやるなら自民党の多くの名前のあがつた議員についてもすべきだ。また自民党のあやふやな政策についても同様の質問をする方がよほどましだ。そしてお上(検察)の過去のおよそ考えられないような間違い事件の数々の事例を報道し国民に知らすべきくらいの前向きな報道を少しはやつてみろと言いたい。そして小沢氏の秘書逮捕について検察は国民に説明責任を果たしていますか?との質問もするべきではないのか、何かを恐れているのだろう。政治と金の問題も大切だが、それよりむしろ検察と民主主義のあり方が根源的に重要ではないかと私は考える。一言つけくわえるなら政治と金に関しては自民党の方がはるかにダーテイではないかぐらいの認識を国民の多数はそれこそ肌感覚としてもつている。その事を検察は再認識すべきだ。何かしらないが裁判員制度なるものが始まつたみたいだし…検察の劣化などと愚民にくれぐれも
言われないようにしてほしいとつくづく思うのである。愚民とは私のようなエリート(地検特捜部の人)ではないどこにでもいる特権意識のないごく普通の市民のことを指すと言つておこう。そういう愚民に疑念をいだかせる小沢氏秘書の裁判が近々、新政権が発足すればまた騒がしい話題をマスコミは酒井何がしかのリーク合戦もどきの報道が続くのだろう。「天の声」なるカルト的ならびに感情的検察の論告を聞かされると思うと今からでも憂鬱な気分になる。このへんで一度、樋渡検事総長に国民の前で堂々と語つていただきたい。 ホリエモンの時もノリピーの時もお偉い様がそれなりのメッセージを出されたのだからこの小沢氏の件では国民の関心も高い故、是非語るべきである。そして最高裁の判事の国民審査もあるわけだし、検察の上層部の国民審査を開かれた行政司法を裁判員制度はめざして発足したのだから 判事同様、特に特捜検事のトップクラスは審査対象にすべきだ。 佐藤優さんや魚住昭さん他多数の方の検察の実情を考察すれば、必ずしも検察は善なる存在でもなさそうだ。いわゆる保守論者の中にもこの小沢問題に対する検察への疑念をも
たれている。最後にあのロッキード事件で有名になつた立花隆氏と堀田力へ言いたい。過去にはそれなりの仕事はなされたことは認めるが最近の言説はあまりに軽い。立花氏はオピニオンリーダーの端しに位置するにしては氏が書かれたものには本当にしようむないものが多い。故池田晶子(哲学エッセイスト)によるまでもなく現象から本質を読み取る力が衰えている。大衆迎合になりさがつているようだ。堀田氏の人間性は多いに認めるが検察は「そんなことはするはずはない」との思いこみは本当の事をみいだす時の判断を誤ませる危険性をはらんでいる。もつと複眼的視点が求められる。道徳や倫理観だけで物事の分析は出来ないのだ。

連立協議が妥結したようですね。あれっと思ったが、「死刑制度廃止」と「夫婦別姓」はどこにいってしまったんだ? ということ。 まあ、社民も民主も 、「死刑制度廃止」と「夫婦別姓」については賛成のはずだから、実行されるはずですが、そのように期待していますよ。

あっ、そういえば、国民新党の亀井さんも 「死刑制度廃止」論者でしたね。ということは、三党そろって 「死刑制度廃止」ということになります。民主党はマニフェストにはないけれども、党の政策として「死刑制度廃止」を打ち出しているはずです。ということで、与党の三党がすべて「死刑制度廃止」ということになります。これで決まりですね、やっと日本も文明先進国の仲間入りできます。

これらを着実に実現することも、市民革命ということがいえます。

静かな「市民革命」の日。いいタイトルです。「選挙の騒音は、何気ない日常的な清浄な雰囲気を残して消えた。」小説のような書き出しに、選挙報道に妙に冷めていたのですが、はじめて熱い気持ちになれました。「この革命はこれまでの世界のどこの国も体験したことがない」、自民党からの「静かな離脱」は日本的な美学でしょうか。
今回の勝利と台風との微妙な関係を私も思います。嵐は歴史を変えますので。暴風雨の中でも静かに市民は革命を遂行したか、を見届けたかった気持ちもあります。
個人的には敗北でした。東京8区、保坂氏を応援していましたが、相変わらずの石原氏の勝利。どうしてこの人に人気があるのか同じ区民としてがっかりです。人心の流れが分からない、ですから、今回の民主党の勝利にもたくさんの疑問符がつきます。自民党的なるものが、壊滅した自民党ではなく民主党から頭をもたげる不安も消えません。ブッシュの愚かさ、小泉さんのプレスリー余興付の軽さは、ある意味見え易かったのですが、新政権はどう賢く発信するでしょうか。
「お暮らし」は預金残高を見て青ざめる経験のないお殿様からの「お言葉」です。「小沢さんのおかげ」は、市民の内なる決断ではなく、国を動かしたのは小沢さんです、と言っているようです。「平和党の厚顔無恥が国民に受け入れられるはずもなかった」公明党。若者を惹きつけた共産党とは違い、勘違いの社民党になってしまえば誰がついていくでしょう。
新政権にケチをつけている訳ではありません。新政権を応援しながらも国民の問いかけは続きます。舵取りの方向に疑問があれば、日常の中で話し合い、呼びかけ、主権在民の底力を発信し続けてこその市民革命と思う日々の中で。
ところで、長妻さんあたりの活躍を期待しますが、急に病気になったり襲われたりしないかと・・・小説の読みすぎですね。

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