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« heizou:エネルギー問題を議論しよう!
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野本祐治:地方分権は財源の分捕り合戦ではなく理念から »

《よろんず》投稿受付中!

 6月25日の開設以来、《よろんず》にたくさんの投稿をいただき、ありがとうございます!
 
 みなさんからいただいたご意見やご感想は、スタッフがすべて目を通し、今後の運営の参考とさせていただいています。また、政策に関する記事を希望するコメントがたくさんありましたが、こちらは総選挙に向けて特設コーナーを新設し、議論していきたいと考えています。

 今後もコラムをもっとたくさん掲載し、議論の場として発展させていきたいと考えていますのでよろしくお願いします。

 前回の投稿欄はコメント数が100に近づきましたので、読者からの新しい投稿についてはこの記事のコメント欄にお願いします。

 なお、投稿文に関しましては、文面自体に変更を加えることはありませんが、レイアウトの都合上、「改行」「句読点」「文字詰め」「リンク」等を入れる場合がありますので、あらかじめご了承ください。

 みなさん、よろしくお願いいたします!!

【過去の読者投稿欄】
http://www.the-journal.jp/contents/yoronz/2009/06/the_journal.html

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コメント (93)

■コメント投稿について編集部からのお願い

《THE JOURNAL》では、今後もこのコミュニティーを維持・発展させていくため、コメント投稿にルールを設けています。はじめて投稿される方は、投稿の前に下記のリンクに書かれている文章を必ずご確認いただきますよう、お願いします。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

強きものは常に弱きものを挫き、踏み躙る。
勝者は常に敗北者を敗北させる。
これらの不幸な二項対立を脱するパラダイム・チェンジが必要なのではないだろうか?
混乱と変化は常に痛みをともなうものである。
原理原則にとらわれ過ぎるのは、愚かなことである。

◆ 7/21解散、8/30選挙は憲法違反なのか?

 本日(7/21)午後1時過ぎ、衆議院本会議にて『憲法7条に基づく衆議院解散(内閣の助言と承認による天皇の国事行為)』が宣言された。これでいよいよ総選挙に向けて号砲が打ち鳴らされたことになる。
 さて、この異例に長いとされている解散~総選挙までの40日という期日の扱いについて、一部の掲示板では『憲法違反』ではないかという解釈論が展開された。

論拠は以下の3法である。
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◇ 日本国憲法(第4章 国会)

第54条(衆議院の解散、総選挙、参議院の緊急集会)
衆議院が解散されたときは、解散の日から40日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から30日以内に、国会を召集しなければならない。
2 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。
  但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
3 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、
  次の国会開会の後10日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。

【法庫.com】:日本国憲法
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM


◇ 公職選挙法(総選挙)

第31条 衆議院議員の任期満了に関る総選挙は、議員の任期が終る日の前30日以内に行う。
2 前項の規定により総選挙を行うべき期間が国会開会中又は国会閉会の日から23日以内にかかる場合においては、その総選挙は、国会閉会の日から24日以後30日以内に行う。
《改正》平9法127
3 衆議院の解散に因る衆議院議員の総選挙は、解散の日から40日以内に行う。
4 総選挙の期日は、少なくとも12日前に公示しなければならない。

【法庫.com】:公職選挙法
http://www.houko.com/00/01/S25/100.HTM


◇ 国会法18章捕捉

第133条
 この法律(※国会法)及び各議院の規則による期間の計算は、当日から起算する。

【法庫.com】:国会法
http://www.houko.com/00/01/S22/079.HTM
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 ここで問題となるのは、本日(7/21)を期日計算の起算点にするか否かである。
民法など慣例法では、期間計算の起算点については原則として初日を算入せず翌日から起算し(初日不算入の原則)、初日算入は例外的な扱いとなるものらしい。
他方、国会法14条(会期の起算)・133条(期間の計算)、公職選挙法256条(任期の起算)、刑法23条1項(刑期の計算)・24条1項(受刑・時効期間)、刑事訴訟法55条1項但書(時効期間)、民事訴訟法95条2項(裁定期間の始期)、戸籍法43条1項(届出期間の起算日)、年齢計算ニ関スル法律1項(年齢の起算日)等は「初日算入」にて算定される。

【期間計算の根拠条文】(実務の友)
http://www5d.biglobe.ne.jp/Jusl/TomoLaw/KikanLaw.html

 本日(7/21)を第1日に算入すると、40日後というのは8月29日であり、投票日として予定されている8月30日(日)は第41日目に該当するするので、従って違憲選挙となる可能性もゼロではない。
「初日算入/不算入」については明確な条文もなく議論の残るところだろうが、国会法では「初日算入」が原則。法令の発効も議員の任期も初日算入、選挙関連で言えば例えば「第31条 衆議院議員の任期満了に関る総選挙は、議員の任期が終る日の前30日以内に行う。」「期日前投票は当該選挙の期日の公示又は告示があつた日の翌日から選挙の期日の前日までの間というように、「前」「後」が明記されるもの以外は「初日算入」が原則になっているのではないかと思われる。
憲法54条に戻ると、「選挙の日から30日以内に、国会を召集」というのは開票日を含めて30日以内ということ(当選者の任期は選挙日に起算される:公職選挙法256条)であり、だとすれば「解散の日から40日以内」という解釈が“解散の翌日”から起算するとすれば不合理である。

 起算日の解釈で最もわかりやすいのが、衆・参相互に送られる法案議決に関してであろう。つまり「見なし否決」所謂「60日ルール」だが、憲法第五十九条において、

  2 衆議院で可決し,参議院でこれと異なつた議決をした法律案は,
    衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは,法律となる。
  3 前項の規定は,法律の定めるところにより,
    衆議院が,両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。
  4 参議院が,衆議院の可決した法律案を受け取つた後,
    国会休会中の期間を除いて六十日以内に,議決しないときは,衆議院は,参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。 ・・とある。

 この場合の「六十日以内」は参議院に法案が渡った日を初日として算定されている。
例えば昨年2月29日に衆議院を通過し参議院に送られた『ガソリン税の暫定税率を復活させる改正租税特別措置法』は「60日ルール」に基づき4月28日に参議院における「みなし否決」とされ、4月30日(2/29を含めて62日目)に衆議院において再可決された。
上記のように国会内のルールでは「初日算入」が原則ではないかと思う次第である。

 今解散~総選挙における「40日」の定義は、実際には内閣法制局の精査を諮問し、(後付であっても)法律的な整合性は与えられているかも知れない。
そもそもは巷間伝わっていた【7/14解散~8/8選挙】の延期を、友党にごり押しされた麻生総理が「自らの手で然るべき時期に判断」できなかった結果が招いたお粗末な日程づくりが騒ぎの元ではあるが、これで一日解散を遅らせていたらまたぞろ「ぶれた」と評判を落とし、反麻生勢力を封じ込められないという脆弱な政権体質が露呈されるのをいぶかったものであろう。
つくづく醜態な内閣の終わり方である。

本当に解散となりました。
まずはめでたいことと思います。
しかし、民主党の候補者諸氏、我々応援者ともども気を抜かず、世論におごることなく選挙を戦わなければなりません。

と、同時に民主党に望むことも思い切り申し上げたいと思います。

民主党はこれからの40日間の戦いに乗り出す。
この時、この期間だからこそ望むことを思いつく度ごとにばらばらと申し上げたい。

まずは、「元株や」の名にちなんで株式市場について一言。
現在用いられている譲渡益課税の税率10%について。
これは、日経平均が25,000円以上となるまで、手をつけてはいけません。
一部民主党内には30%などとイカレタことをいう方もいるようだが、20%を口にした瞬間に自民党からの鞍替え支持者や、私のような規制の嫌いな民主党支持者の支持を失うことは間違いありません。
株式市場は、長くまるで博打場のように言われ続けてきました。
とんでもないことです。これも自民党の罪だと思います。
株式市場は、国民の主要な財産の一つです。
言わずもがななことですが、株式市場は、公的な年金、生命保険、いかがなものかとは思うが農中、損害保険、民間の年金等等さまざまな資産の運用先です。
これが20年間ぶっ壊れたまんまなのです。
年金なんか、まともに話ができる環境ではなくなっているのはここにも大きな原因があります。
89年当時600兆円あった市場が今、20年後の今、300兆円しかないのです。当時のバブルの崩壊を考慮しても1000兆円やそこらあってもなにもおかしくないのにです。
国の産業政策・金融政策の誤りもあったでしょうが、国民・そして国民の目を気にする政治家が、国家的な重要財産をこんな風にしてしまったのです。

民主党にはやってもらうことがいっぱいありますが、まずは元株やさんのお願いです。

解散万歳!・・・なぜ解散宣言のあと「万歳」をするのかよくわかりませんが昔からの慣わしと聞きます・・・さて、今回の選挙は「政権選択」であると言われていますが、もう一つ大切なことがあると思います。それは郵政解散が正しかったのか否か・・・この選挙できちんと検証する必要があると思います。一連の「かんぽの宿」問題をはじめ国民の財産とも言われる郵政財産を一部の利権者に叩き売りするのは許されることではありません。心配されるのは、ゆうちょ銀行とかんぽ生命保険の両会社の株式を100%売り出そうとしていることです。これは国民の財産を売り飛ばすのと同じことではないでしょうか?米国をはじめとする外資が乗り出してくることは容易に想像がつきます。なぜなら「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書」にはこのことが明確に書き記されています。2004年10月14日
http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20041020-50.html
国民は本当に郵便局を完全に株式会社として売り飛ばしていいのかどうか・・・今回の選挙が最後の選択になります。もう一度冷静になってよく考えてみなければなりません。

民主党は総選挙で必ずしも”政権交代”を果たしえない。

 小選挙区制と過去の得票数、政党獲得議席の関係をベースに、今回の都議選結果から、総選挙結果を占った”政権交代”の可能性は厳しいものである。
と言う優れた分析が出ています。
植草一秀氏ブログ
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/
 勝敗のカギは、”自公”の結束を”野党連合”の結束が上回るかと言うことです。
 野党がバラバラになり、民主党単独で、”自公”に対すれば、恐らく、国民の期待を裏切る、惨めな結果になってしまうだろう、と言うことです。
 長丁場の戦いは”足腰の強い組織政党に有利です。都議選の逆境のなかで、議席増を果たした公明党を見れば判ります。また、政権与党として、一緒に”美味しい汁”を一緒に吸ってきた、同じ穴のムJナ同士の”利権結束”はかなり強い筈です。
 民主党は、よっぽど、厳しい現実を認識して、民主党だけの結束ではなく、野党リーダとしての結束を徹底して追及しないと、以外と簡単に”自公連合”に敗れるかも知れません。
 過去の歴史を見るまでも無く、戦いで”結束力の強さ””使命感による士気の高さ”が、勝敗を決めています。民主党は、今、世間で喧伝している内容と異なる”現実”を知るべきです。

やつと麻生氏も解散出来た。本来は都議選後すぐしたかつたが、公明党の抵抗にあい、それもままならつたのである。あれほど「私がきめさせていただきます」とタンカをきつていたのに情けないかぎりである。それに慣例になつている夕方の記者会見で北挑戦の船舶関連法が民主党が反対したため出来なかつたなどとのたもうているこんな嘘を平然と言う人間に矜持などという言葉を使う資格はないしかも最後まで民主党への悪口(批判とは呼べない)に終止して、この男の幼児性をあらためてみた。1国の公の職にある総理としての場での発言としては落第である。NNKも公共の電波を使い、党の宣伝をさせる愚をおかしてはならない。 百歩譲つて他党の事を言うなら鳩山代表にも同時間に発言の場をもうけるべきである。一言つけ加えるならまたぞろ投げだし前総理連中が台湾問題で凝りもせずNNKの放送内容に権力をバックに圧力をかけている。私のウオッチするところ、まだまだNNKは政権与党に気を使い過ぎている。放送委員会の進言にも少なからず抵抗しているようだ。 マスメデイアはかつての小泉劇場を多いに反省し、我々、国民もメデイア
リテラシーを鍛える事がもとめられる例えばよくいわれる「説明責任」なるアスコミによるある意図をもつたアンケート調査のあいまいさに危惧をおぼえる。私など政治と金の問題も大切だが、有罪率99%の司法の現実、自白中心主義等、検察と民主主義、検察と裁判所とのズブズブの関係の方が顔がみえにくいことともあいまつてよっぽど危惧する問題である。それこそ小沢氏の秘書逮捕に対して検察は説明責任を果たすべきである。 天の声などどこかの新興宗教じやあるまいしそんな情緒的言葉でなく法律家ならもつと論理的に説明すべきであり、アスコミも情報のリーク合戦ばかりせずそれも政治献金だけを追いかけず、検察と民主主義の危うさをもつと報道すべきである。お上はいつも正しいことをやつているとの思い込みは昭和史から現在の冤罪事件まで数えあげたらきりがないほどである。そしてそれは権力によつて行使される故、重大なのである。裁判員制度以前に解決すべき事柄がたくさんある。説明責任で思いだしたが「政権担当能力」この言葉がこんなていたらくな自民党内閣から恥ずかしげも発せられるか、理解しがたい。政権投げだし、酒や女性狂い
の閣僚達(麻生氏のお友達らしい)の辞任、外交の麻生が売りなのに影が薄い総理、これでは日本が軽くみられ、それこそ国益を損なうといわざるをえない。 こんな内閣なら中学生でも(中学生には失礼かな?)やつていけそうで民主党政権ができてもこれ以下になりようにないから今この言葉を使うのはマスコミ諸君、きわめてナンセンスであると認識されたし!最後に麻生政権への感想を述べてみたい。政局より政策と口では言うがならばリーマンシヨックがおきた後、昨年12月に補正予算を何故すぐ出さなかつたのか、解散すれば政治空白をうむなどと念仏のごとく述べていたが自分にとつて不利ならば、あれだけ補正要望があつたのに馬耳東風だつた。あの時は特にスピードが要求されていたのである。にもかかわらず多くの借金をして4回も予算を通したと自画自賛している。借金をして予算を組むことぐらいそれこそ中学生でも出来る一事が万事、単細胞的脳にこの国をまかす不幸、それにあの自民党懇談会の誰かがいっていたつぶれかけの会社の株主総会の烏合の集の醜態に議員ひとりひとりは自己嫌悪におちいらないのだろう。 敵は民主党ではな
く、そういう自身、党に対する自省の無さにある事に気付きべきではないのか…政治家はフランスやドイツでは哲学や文学者であり、人間としての深みがある指導者がいる。麻生氏がカフカをどこまで理解してるかはなはだ疑問だが名前をだされる以上どうか正確に把握してしゃべつてもらいたい。マンガも悪くないがマルクスや丸山真男現代では鶴見俊輔など勉強されたらとおせつかいながらふと考えてしまう。

最近、「原子力ルネッサンス」という、あまり響きがいいと思わない言葉を耳にされる方も多いのではないかと思う。言葉の出所は、原子力ビジネス展開を図りたいところからでたものであることは想像に難くない。地球温暖化が人為炭酸ガスであるという科学的根拠が必ずしも明確でない状況で「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の強引な決め付けによるお墨付きも大きく影響して、世界的に見て、原子力発電関連ビジネス画策組織が活気づいているようだ。これらの無視できない因果関係分析は別の議論としたい。

ここは冷静に考えてみる必要がある。原子力発電の燃料から始まって環境汚染が懸念される厄介な高レベル放射性廃棄物等までトータルとしての科学技術が完成されたものであり、民主的な手続きのもとで国民合意形成がなされたものであるならば、原子力発電ビジネスも大いに賛成し、支援したい。しかし、脚下照顧、先ずわが国の現実を見よと言いたい。足元がぐらついているのに、政官民一体のビジネス強化支援による海外進出機運とは一体、如何なることかと言いたい。現在、高レベル放射性廃棄物の深地層処分は幸いなことに未だ実施されておらず、原子力発電所、再処理工場を除いて、深刻な環境汚染云々の議論には至っていないが、これまでの枚挙に暇がない公害の発生構図と全く同じ構造的問題を潜めたまま、ビジネス展開を図ろうとしていることを指摘せざるを得ない。問題が起きるたびに、経営責任者がマスコミの前で形式的に頭を下げる醜態が繰り返されることは、いい加減に終止符を打ちたいものである。

まるで、夏休みの宿題を抱えた子供に親が叱責しているような「ちゃんとやるべきことをやってから好きなことをしなさい」の状態と酷似しているようなものだ。その位、稚拙な状態が戦後も今も企業の構造的問題として、絶えることなく続いていると言わざるを得ない。

我が国が民主主義国家であるならば、国民に大きな影響、負荷を与えると懸念される事業に関しては、先ずは、事業主体が説明責任も含めて、国民合成形成を図ることが真っ先に行われてしかるべきなのではなかろうか。これは何も原発問題に限らず、公共事業含め、今日、科学技術と社会の接点で起きている枚挙に暇がない多くの分野の問題に対しても敷衍されることである。原科幸彦教授指摘のように、合意形成のために議論の場を設定し、事業主体は国民が判断可能な正しい十分な情報を提供し、公開の場で、利害関係者として行政関係者、市民代表者、NGO 、専門外の異分野の専門家、産業界が一堂に会し、科学性と民主制を担保し、議論を行うことが不可避である。もちろん、議論の司会者が中立でなく、利害関係当事者あるいは根回しされた御用識者では全く意味がないことは言うに及ばない。

明治以来の旧態依然たる日本を変えるためにも、今回の衆議院選挙は重大な意味を有している。有権者全員が投票所まで足を運び、一票を投じよう。

小泉元秘書官が言うには「ネットの書き込みは便所の落書き」だそうです。ネットはけっこう真実を伝えているのに、、、。自分達がどれだけ日本を悪くしたかを反省もしないで、麻生批判をしている。麻生さんはグズでどうしようも無いかもしれないが、みんな「小泉の尻拭い」をしてるんですよ。ああ気の毒な麻生さん。ああ気の毒な自民党(ぶっ壊されて)。ああ気の毒なチルドレン。

自民党細田幹事長はどうも好きになれないタイプで(河村氏、町村氏も)
なんとも言えない嫌味のある一言一言に虫酸が走る。下記は先日のTVの時の模様と民主党からの抗議文です。
この抗議文の中には細田氏の嫌味は書かれていませんが、あの筋張った顔から想像してください。

2009/07/23
【抗議文】7月19日放映「サンデープロジェクト」での発言について

自由民主党幹事長  細田 博之殿

民主党役員室長  平野 博文

 貴殿は7月19日放映「サンデープロジェクト」の中で、自民党が作成したフリップを持ち出し、民主党の子ども手当について増税批判を繰り返しました。しかし、貴殿のフリップおよび発言には、基本的な誤りがあります。

 まず、フリップには「所得税と住民税控除の廃止→年間14万2000円の増税(負担増)」とありますが、民主党が主張している配偶者控除と扶養控除の廃止は所得税のみであり、住民税は含んでいません。

 また、「子ども手当(月額1万3000円)→年間15万6000円の支給」とありますが、月額1万3000円というのは暫定的な金額であり、子ども手当は月額2万6000円です。

 このような我が党の主張に基づけば、「夫婦・子ども2人以上」世帯はもちろん、「夫婦・子ども1人」世帯であっても、すべての世帯で収入増となります。例えば、番組中でも挙がった「年収600万円の夫と専業主婦、2歳児1人」世帯の場合、年11万6000円の収入増となります。特に、現在児童手当が支給されていない中学生の子どもを持つ世帯や、もともと配偶者控除のない共働き世帯にとっては、より大きな収入増となります。

 このように、基本的な事実関係すら誤ったフリップをテレビ番組に持ち込み、誤解と偏見に満ちた批判を繰り返して国民に誤解を与えたことは極めて不当であり、看過できません。今後は正しいデータに基づく内容のある政策論戦をお願いしたいものです。貴殿および自民党対し強く抗議するとともに、同様の批判やフリップ・広報物の作成・使用を厳に慎まれるよう求めます。

以上
民主党HPより

原子力発電が話題に上がっていますが、今の日本の原子力発電は全発電量の3割を超え、あたかも原子力発電は不可欠のようなことを耳にすると思いますが、実態は全くの誤解であることがわかります。原子力の専門家によれば「発電所の設備能力で見ると原子力は全体の約18%しかなく、原子力が発電量では3割を超えているというのは、実は原子力発電所の設備稼働率だけを上げ、火力発電所の殆どを停止させているからなのです(実に、3割という数字はこのカラクリなのです)。また、これまでの実績から見ると、日本の最大電力需要量は火力と水力発電の合計でまかなえなかったことは殆ど無かったのです。よく真夏のピーク時に電力が少し足りなくなるのは1年のうちの真夏の数日、そのまた数時間でしかなく、企業の自家発電、操業時間調整、クーラー温度設定調整で十分乗り越えられます」と明快な説明をされています。また原発は核分裂反応が進む運転時のみは炭酸ガスは出さないのですが、原発のウラン資源採掘から放射性廃棄物処分まで原発の一連のサイクルを考慮すると、実は大量の炭酸ガスを排出しているのです。
まだまだ、原子力発電に関しては、「ええそんな事が」という事実がいかに多いことか、国民は傍観者ではいられません。

民主党の政策は基本的にどれも可処分所得を増やす政策ですから消費が拡大しない理由はどこにもありません。

むしろ麻生の政策はそれと真逆で消費税増税を言ってるわけですからどう転んだって消費が拡大することなんてあり得ないことぐらい素人でもわかる話です。

「景気が良くなれば給料も上がり・・・だから痛みに耐えて!」という大嘘がばれてしまったため政界を引退せざるを得なくなった小泉さん(これは私が勝手に思っていることですがw)によって自分さえ良ければそれで良いといった風潮を世に広めた罪は重いです。株主や経営者だけ儲かれば従業員なんてどうでも良いといった風潮も、今までの古き良き日本式経営をずたずたにして将来に希望の持てない社会を生み出してしまいました。

そのつけを払ってもらうってのが今回の解散なんじゃないですか?

党内に新自由主義・市場原理主義のウィルスが入ってしまってものが何も決められなくなって機能不全を起こした自民党よりは民主党のほうが基本路線は全くぶれていないと思うのは私だけでしょうか?

私は小沢一郎がスタンドプレイで大連立をしようとしたときにそれを食い止めた民主党本体に対してむしろ信頼してます。つまりは小泉のように一個人のスタンドプレイによって今までの継続性など全く無視して非論理的に勝手に政策が変わったりしない安心感はむしろ民主党のほうにあるんじゃないかと。

サプライズに踊りあまりに個人プレイばかりが目立った後期の自民党政治に国民ももう飽き飽きして来たってのが本音のところなんじゃないかと思いますね。

”植草一秀氏の生命が危ない!”と言う話

 最近、総選挙を前に、最高裁判決で、自公政権を批判する強力なイデオローグ、植草一秀氏、佐藤優氏が、上告棄却を受け、実刑収監される動きになっています。また、北海道で絶大な支持を得ている”鈴木宗雄氏”にも、選挙対策で有罪判決、収監されるのでは、と信じがたい噂もあります。
 3月の小沢氏秘書逮捕に始まり、郵便不正利用事件、さらには横峰議員周辺と、民主党を狙った”検察”司法官僚の荒っぽく、露骨なやり口が、最近、特に目立ちます。本来の汚職の本山、自民党はお咎めなしの一方的なもの。
 こういう最近の、何か”度を越えた”検察、司法官僚の動きには、国民は注意が必要と思います。
 例えば、冤罪を主張して、最高裁の上告棄却で、選挙前に二ヶ月間、収監される予定の、植草一秀氏についてです。これから、検察・警察の支配下にあるもとで、”不慮の事故”或いは、”右翼のテロル”と言う、生命に関る”危険”が危惧されています。
 国策捜査に代表される、国権の恣意的な悪用は、最後は理不尽な謀略的な暴力により、生命を奪うことです。言論を暴力で封じることは絶対に許してはならないと思います。
 植草一秀氏の収監に伴う”生命の危機”を危惧する人たちが居ます。皆さん、主義主張は別として、日本の民主主義の現状として認識して下さい。
http://www2.realint.com/cgi-bin/sbbs.cgi?uekusa

ゴンゲンさんも書かれていますが、
植草氏が間もなく収監されてしまうそうです。

彼の書いた本や、ネット上の文章を読む限り、彼の主張が正しいのではないかと考え込んでしまう。
彼が有罪であるとする根拠が、あまりに薄弱なのです。
当然、警察・検察は自分らが正しいなどという宣伝活動はしてくれません。裁判だけです。
そして、その裁判では、「疑わしきは罰せず」など、どこかへ打ち捨てられています。

痴漢であるとして検挙された際、それを認めた人、つまり「痴漢…犯罪者」は、書類送検で終わり、それを認めない人間(無実かもしれない人間)に対しては、長期間の懲役刑が科される。

私は、植草氏は何もやっていないと思う。そう、はめられたのだと考える。

総選挙を目の前にしたこの時期、彼の心を思うと、心が重い。

ある神奈川県人が書いた次の様な記事が有った。。。。。

「こと逗子葉山においては、民主党支持層を越えて、浅尾氏個人の支持は圧倒的である。彼の清廉さ、育ちの良さ、品の良さという人物もさることながら、きちんとした仕事を残しているという実力を評価されているに他ならないのではないか。こういう人は強い。仮に彼が自民党にいったとしても、自民党ではなく「浅尾」に票が入るのだから。」。。。。。。。。。。。。。


「清廉さ、育ちの良さ、品の良さという」・・・・・・・こんな事が何で政治に関係があるのか?愚かな事です。これまで民主党で当選してきて、この政権交代と言う時に、党の方針に従わなくてどうするのか? こういう自分だけ良ければいう輩は絶対に国民の代表になって欲しくない。彼の血筋は血統書付かも知れないが、アマちゃんなんだ!!こういう人間を神奈川4区の有権者の皆さん絶対に当選させないで下さい。

こういうアマちゃんはどこか安倍元総理や麻生総理に共通している。

今の国民の政権交代させたいという気持ちが分かってない。困った奴!!!

不思議なインターネットサイト「植草一秀氏を守るBBS]

 2009年07月24日12:21に投稿したゴンゲンです。皆様に、HPサイトを紹介したのですが、今日は、私自身、”Google ツールバーのリンクエラー”でアクセスが出来なくなっています。
 先日、同サイトは、NTT西日本のセキュリテイツールVer.16(マイクロトレンド社製) の「違法行為」と言う理由のブロックに会い、アクセスが出来ませんでした。
 取りあえず、ブロックチェックの「暴力行為」をオフにセットしてアクセスしておりました。
 似たようなスペルの周辺サイトには、”性暴力”売りのものがありましたが、当サイトは、文字通りの”守るサイト”で真面目なものと見受けられました。
 NTT西日本に”何が違法行為か”問い合わせましたところ、「セキュリテイソフトがHP内容の語句に反応したのでしょう、中身はソフト製造元しかわかりません。なお、非公開です」と言う答えでした。
 今、迷惑メールや犯罪HPやウイルスから、身を守るために、「セキュリテイソフト」は必須になっています。また、PC(プロバイダー)次第では、標準装備になっています。
 昨日のTV(WBS)でボットと言うスパイウエアが紹介されて、自分が知らない内に完全にキイ操作と画面を監視されている内容が放映されました。今、日本のPCの30万台以上がウイルスに感染しているだろうと解説していました。米国、韓国など、政府が対策として、”インターネット情報”の監視に動いている。日本も対策が必要ではないか、と言う趣旨の話がありました。
 インターネットは、サービス提供会社の、プロバイダーさえ統制できれば、意外と情報監視(管理)は簡単と思えます。
 セキュリテイソフト、プロバイダーの、アクセス排除や、HP拒否の判断を、誰がするのか、とても怖い要素も潜んでいます。
 私の今、身近に起こっている”違法行為”でブロックされたサイト「植草一秀氏を守るBBS」が、私の技術上の未熟による
些細な問題であれば、幸いと思っています。

ゴンゲンです。先に言っておりました「植草一秀氏を守るBBS]サイトが、2009年20時30
分に、アクセス可能になりました。
 アクセス不可の間に、セキュリテイ対策ツール(マイクロトレンド社製)「ウイルス/スパイウエア対策」を1回流しただけです。
 とにかく、先方か、当方かの技術上の問題だったかも知れませんが、現在、アクセスが回復しております。
 ただ、マイクロトレンド社ツールでは、”違法行為”のサイトブロックはかかったままです。(オフにしてアクセスしています)
 とにかく、このサイトに関しては、不思議な現象が続いていますので、ウオッチしようと思っています。

☆ 総選挙に向けて
昨夕(29日)、突然の来訪者があった。昭和53年生まれの31歳、北陸のI県で政治家を目指して頑張っているY君で、彼は小沢一郎政治塾の二期生でもあり、法学部卒の硬骨漢である。
ちょうど夕食時でもあったことから、御多分に洩れず「まず飯を食え、話はそれから」と会話は始まったのだが、普段なら我が家の冷蔵庫をカラにするのに「今日は飲めません」という。
こちらは当然のこととして「泊まり」を予定したのだが、この足で福岡に出て、明日一番の飛行機で帰るという。「ならば主な要件は?」と聞くと、年内に行われる地方議会選挙に無所属での立候補が決まり、その報告だという。「バカだなぁ、電話で済むことじゃないか」、「おおかたそういわれると思いましたから、アポも採らずこうして出向きました」とのたまう文字どおりの「馬鹿者」である。
で始まった会話は「九州の選挙情勢は如何ですか?」と、やはり政治家の「ゆでたまご」だけに、並の31歳とは話題が違う。「よりも、地元の北陸はどうだ」と問うと「それがですね、私が関わる選挙事務所にかぎってのことですが、小兵衛さんならおそらく激怒するでしょうね」。
「もう勝ったつもりのようですよ、自分も役目がら朝8時には事務所に入るのですが、責任者が来るのは早くて10時、時には昼過ぎに来て、さしたる指示も出さずに、事務所にある数紙の朝刊を読みふけっています。夕方になると勤め帰りの支援者の方がパラパラ出入りするのですが、それだけで、候補者一人があちこち走り回っているだけです」。選挙前のポスターは、しっかり貼り替えも終わり、ビラのポスティングも、全戸を対象に配布を終えたともいう。事前準備が長かっただけに「支援者カード」も相当数回収したそうな。
経験則に従うと、支援者カードほど頼りにならないものはない。ある選挙で事前準備が整わず、重複やロスをみても最低20.000は必要な支援者カードが3.000ちょっとしかない。「よし、今からカードを回収しいていたら選挙が終わるから、それは止めて○○○○」と路線転換をして勝ち取った得票は、15.900で400ちょっとの差で負けだった。別の機会には有権者総数の二倍の支援者カードがあるという。これははっきり眉唾であり、「頼りにするな」との戦術で臨んでぶっちぎりの圧勝だった。
この二回の選挙で実務を担当したのがY君で、以後、私のところに出入りするようになった。「これをやれ」と私が指示を出すと「公職選挙法第○条○項に引っかかりますからダメです」と、さすが法学部卒だけに隙がない。「ならばお前が右代表でしばらく泊まってこい」と、むちゃくちゃな選挙でもあった。
選挙とは法を犯してはならないが、候補者をどうアッピールするか、ギリギリの勝負が求められる。駅頭立ちもあり、ビラもポスターもありだろう。しかしそれらはどの候補者もやっていることであり、その違いから抜け出すことは至難である。
「で、どう思う」、「やりかたによっては圧勝すると思うのですが、もう緩みが出ているのではないですかね」である。至極当たり前のことだが、選挙はこれが一番怖い。
実は解散直後の土曜日(25日)に、某自民党候補者の政策担当秘書の来訪を受けた。「解散と同時に会館事務所を閉じ全員選挙区に張り付きました。わたしも安宿住まいでしばらく過ごします」。
情況を問うと「従来の支援者は固め終わりました。地方議員の方々の目の色もこれまでとはまったく違い、あれこれお願いしなくても独自に動いていただき、選対本部は浮動票対策に集中できて、大変助かっています」とのこと。
福岡の某自民党陣営では「悔しいけど今度は民主党で決まりです。だから、お宅の家族票だけはうちにくれませんか。負けても次に繋げるにはそれなりの票が欲しいのです」と今から泣きを入れているが、これは田舎の年寄りにはぞんがい有効であり、これをお盆を挟んでやられたらどうなるだろうか。
以上、隔靴掻痒にひとしい選挙情勢報告ではあるが、解散直後に駆け足で北部九州を見て回ったことと大きな違いはなく、自民党の危機感に対する民主党の緩みとはいわないが、もう一つの物足りなさを感じている。ある大物事務所の担当は「小兵衛さんは政権交代派ですが、まぁ見ていてくださいよ」とうそぶいたが、はてどうなることやら・・・・・。

豊後の小兵衛


我が国の「持続可能な再生可能エネルギー政策」が「持続可能でない原発政策」に比して、いつものことながら見せかけだけで強力に推進されない理由は何だろうか。

各省庁の権益に固執する官僚と族政治家の資質問題がある。エネルギー政策は、経産省(資源エネルギー庁)(例:原子力発電)、農水省(例:バイオマス)、国土交通省(例:小水力)、環境省(例:廃棄物)等と、所管省庁毎に分かれており、横断的に我が国の統括した意思決定がなされていない。国の将来のための持続可能な再生可能エネルギーに関する長期政策推進は見せかけであり事実上は機能していない。卑近な例では、経産省傘下の資源エネルギー庁などは原子力発電権益をなりふりかまわず維持、拡張に明け暮れ、官僚の悪しき裁量権、影の政治権力を駆使し、形骸化した審議会(構成メンバーは官僚、御用学者と業界関係者)を開催するとともに関連業界との裏取引等、暗躍している。一方、与野党問わず、族政治家は自分の選挙の票田支援団体(例えば電力総連、電力会社等)の権益を守るために、原子力発電推進のため、裏でなんでも有りで官と業の間を声を大にして暗躍している。ここには民主主義国家としての民意はどこにも無いに等しい。

すでに原発事業はバックエンドも含めれば民間事業体が経営できる代物ではなくなっており、国策として何兆円から何十兆円にも膨れ上がろうとしている莫大な税金が狂人技で湯水のようにつぎ込まれて、ようやく成立する化け物と化している。青森県の六ヶ所村の核燃料再処理工場の膨れ上がる莫大な経費などその極めつけである。競争下の民間事業なら、原発はとっくに事業停止に追い込まれていただろう。また電力自由化などの競争事業化政策など、ふたを開ければ、体制は殆ど旧態依然のままであった。何十兆円になるか分からないほど莫大な国民の税金を使う原発を推進するなら、その民意はいつどこで得られたのかと問いたい。

よく引き合いに出される原発事業の必要性も実は殆ど無いに等しい。炭酸ガス排出は核分裂反応が起きる運転時には確かに排出しないが、安全性、経済性を無視して、炭酸ガス排出のためにだけ原発が正当化される理由はどこにもない。柏崎刈羽原発の地震災害のように、一旦原発が停止すれば、バックアップの火力発電所(大量炭酸ガス排出の根源)を稼動させなければいけなくなることは記憶に新しい。そして、原発のリスク計算を行った保険会社が保険を断念した事実は、原発の危険性の証そのものでもある。原発の燃料となる化石燃料のウラン鉱石も早晩、底を付くことは判明しており、持続可能でないことは明らかである。高速増殖炉も核兵器利用の国を除いて世界中で破綻している。将来性のある「持続可能な再生可能エネルギー」を利用すれば、原発は数十年で段階的に代替でき、段階的に原発は廃炉できることもすでに明らかになっている。これこそが民意ではなかろうか。

政権交代が叫ばれる中、今こそ、「持続可能でない原子力発電」から「持続可能な再生可能エネルギー」へのギアチェンジを国民的議論に醸成する好機である。日本の殆どの新聞、テレビのマスコミは政府の悪しき「記者クラブ制度」も大きく影響し、また広告収入依存体質のもとで、日常化した偏向報道、不公正報道で、本来の存在意義であるジャーナリズムはすでに崩壊していると言わざるを得ない。国民からすれば、ジャーナリズムを捨てたマスコミなど、戦時中の悪夢を呼び起こすだけの存在でしかない。マスコミが信頼できない以上、ネット活用も含め国民自身のバトンリレーによる「エネルギー政策の民意」の国民的議論を期待して止まない。

また、ニ階氏秘書を検察が不起訴にしたとの見出しを見ましたが・・・

西松の問題は、いい加減書くのをやめようと思っているのですが、時間が経つと新たな問題意識が芽生えてしまうもので、お許し下さい。

9月から始まると言われている大久保秘書に対する公判について思うのですが、
裁判の判決というのは、被害者の感情と世論の後押しによって量刑が重くなったりしているので、世論ということは重要な要素になってくるのではないかと思います。

何が世論というかの判断は、マスコミに大きく取り上げられたかどうかで判断するのではないかと思われます。

私達が今回の西松事件に関連して学んだことは、検察は逮捕或いは起訴の直後にリーク情報を強要に近い形で報道させるということでした。

そう考えると、有罪率99.9%という数字は、検察とマスコミのタッグによる芸術的な数字に思えてなりません。

大久保秘書の公判においても同じように世論も判断基準の一部に入ってくるかもしれませんので、大々的報道はされましたが、そのほとんどはリーク情報であり世論では無いということをはっきりさせておく必要があると思います。

うろ覚えですが、例の天の声という演出をした西松建設側の公判の翌々日の朝日新聞の社説だったと思いますが、「・・抗議の声が耐えないじゃないか・・・」
という朝日の検察に対する悲痛な叫び声が記事になっていた。
もちろん「天の声」報道を検察の言われるがままにしたことに対する抗議であると思われます。
新聞社がこんなことを記事にするという事は、その数は相当なものだと想像ができます。

このことからも、マスコミは大々的に報じてきたことは事実ですが、世論というようなまとまった声にはならず、むしろその逆に、検察の捜査手法やマスコミの報道姿勢に対す批判が強いということが現実であることをここに申し上げておき、関係する裁判官がご覧になることを期待したいと思います。

【朝日新聞が、郵便不正問題で、姑息にもシレっと訂正記事!】

愛知県選挙区の牧前衆院議員の秘書が、郵便不正DMに関わったと
いう問題で、朝日新聞は次のような「訂正」を一面に掲げました。

WEB版にはまだ出ていないし、おそらく出ないと思われますので、
掲載致します。
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訂正
4月19日付「日本郵便 牧議員秘書訪問後 証人 不正DM一度は拒否
『白山会』挙げ注意文書」の記事で、約158万通の不正DMが日本郵便
新東支店から発送される前に、牧義夫・衆院議員(当時)の秘書が
関係支社を訪れ、訪問後に発送が認めれられたとしたのは誤りでした。
その後の大阪地検特捜部の捜査で、訪問時期は新東京支店から
不正DMが発送された後であることが分かりました。
見出しとともに訂正します。

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馬鹿野郎、何シレっと訂正してるんだ。
不正DM発送後に訪問したのなら、発送に関係ないという話じゃないか。

ということで、ご報告までに。

- → +
国の借金をきれいに返して さらにプラスにできると言うことですか?
自民党さん

民主党が政権を獲ったら

「借金返済省」をただちに作って

今選挙で運良く当選できた自民党議員から大臣を任命。
自民党議員には、今までスル―していたことに心血を注ぎ、
「- → +」を実現してもらいたいと思う。
借金を返済するのは長きにわたり政権を握り、借金を膨らませた「自民党」の「責任力」を示す良い機会でしょうから。

・8/30〝一罰(×)一揆〟で腐敗司法に天誅を!
・〝一票一揆〟と〝一罰一揆〟で日本を変えよう!

8/3、植草元教授が終に収監され、次は選挙中の鈴木宗男かと懸念される一方、

7/31東京地検は検察審査会の不起訴不当決議を無視して二階秘書を再度不起訴にし、
更に(8,000余人に150億被害;自殺者も)NFS未公開株詐欺事件も4度の告発を退け、7/5付佐久間特捜部長宛質問書にも沈黙したまま、犯罪継続を黙認している。

偏向検察・偏向司法はもう引っ込みがつかず、そのまま対決路線を突っ走るのだろう。

こうなれば我々も怒りをぶつけガチンコ勝負するしかない。
此処で退いて不条理を許せばそれこそ行く末は暗黒の治安維持法の世だ。

本ジャーナル「宮崎学:全く呆れる」コメント中に国民審査×つけの呼びかけがあったので、偏向司法一掃!を目指し、国民審査×つけ運動を下記サイトで始めました。
http://blog.livedoor.jp/syukenzaimin/

スローガン
・立て全国の有権者、轟きわたる一罰(×)で偏向判事に百戒を!
・ 今こそ民主憲法伝家の宝刀79条、国民審査権の出番だ!
・ インチキ判事を追放し、公正と正義の国へと世直しだ!

ここに上記サイトから〝一罰(×)一揆〟参加案内を転載します。
上記サイトには期日前投票があるので訪問し一×事前投票されますようお願いします。

1.〝一罰(×)一揆〟参加案内
①必須条件=当日投票
最高裁判事の国民審査は衆議院銀選挙と同時になされるので、期日前投票では行使できません!
〝一罰(×)一揆〟参加者は必ず当日投票すること。

②どんな理由でどの判事に×をつけるか。
国民審査を呼びかける下記2団体を発見しました。
ⅰ「国民審査を機能させるプロジェクト」http://himenn.seesaa.net/?1246495605
ⅱ 弁護士会「一人一票実現国民会議」

ⅰでは植草事件で上告棄却(有罪確定判決)を言い渡した、
 近藤崇晴、那須弘平、田原睦夫判事
※裁判員制度導入の立役者竹崎博允最高裁長官

ⅱでは
一票格差2.17を合憲とした那須弘平、涌井紀夫判事らを各々罷免事由該当判事として一罰(×)を呼びかけています。
 
ⅲこれに対し本稿では
長期独裁政権の手先と化し、司法の独立を破壊し汚した司法界の最高責任者として最高裁全判事の罷免を求めます。

一罰×百戒、主権者不在の腐敗司法一掃!
偏向裁判偏向検察NO!を司法界最高権力者への×で示そう!
「一票一揆」と「一罰(×)一揆」で日本を変えよう!

※ 注記:世紀の悪制、裁判員制度
失政のツケを回され苦境に喘ぐ国民はその日暮らしで手一杯である上、人を裁く重さや死刑判断に躊躇する素朴で真っ当な常識から辞退を望んでも、
それは許されず懲役6ヶ月以下・罰金50万円以下の重罰で、一方的に死刑判断を含む裁きを強要する、国民の3大義務の他更に過酷な義務を勝手に課した国民無視の大負担強要制度。

そしてこの悪制度の公告宣伝に血税50億が新聞テレビ業界にばら撒かれた。
瀕死の国民から搾り取った血税は失業者や中小企業救済には決して回さず、宣伝費名目でテレビ・新聞業界人への高給保証に回される。
破産寸前の国庫から打ち出の小槌の大判振る舞い…

これこそ国策捜査に業界総連合が加担した理由だ。ジャーナリスト魂を売り渡し親方日の丸で養われる、与党の僕マスコミの命運は自民党と一蓮托生だから。

そんな金があれば真っ先に、世界一バカ高く(米国の100倍くらいか)、外国人が眼を回す
訴訟費用を下げ、憲法が保障した裁判を受ける権利を国民に保障し、
裁判員には歪んだ司法の象徴事件―国策捜査と国策不捜査、不当起訴と不当不起訴、国・公務員の責任は決して認めぬ不当行政訴訟判決(薬害訴訟その他)、冤罪再審決定に参加させるべきではないか。

3.国民審査投票に御参加下さい
〝一罰(×)一揆〟の進捗度を示す国民審査の期日前事前投票版。
8/30まで投票可。皆で×数累計を空前の高さにまで上げ、偏向判事に国民の怒りを知らしめ、一揆を一気に盛り上げよう!


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2.平成の悪奉行に告ぐ

「天井天下唯我独尊」これが日本の司法官の本質だ。

その独善的司法権濫用で多くの無実の民を塗炭の苦しみに陥れてきた。
無辜の民が汚名の下で無念の服役や死刑執行を強いられる一方で、

塀の外では真の黒幕が、
何度も告発された巨悪の黒幕-
かんぽの宿の不正売却疑惑、森田知事、二階・与謝野両現役大臣の違法献金の他、政権与党大物政治家らの巨額違法献金、
与謝野献金に絡む某証券会社150億円証券詐欺、この詐欺に利用された新銀行東京やこの疑惑銀行に絡む都議会議員違法融資疑惑、
某宗教団体要人の巨額脱税疑惑…等、
国民・国家の生命・財産に大打撃を与えた政財界の黒幕が放置され、今も堂々と同種犯罪を遂行中だ。

「巨悪の摘発」の本務を放棄した検察は、返す刀で反体制者を次々と、ビラ撒きや痴漢等の微罪・冤罪で摘発しマスコミ総動員で連日フレームアップして社会的に抹殺し、
迷宮入りが危ぶまれれば、自白を強要し生贄を犯人に仕立てる。

検察暴走の唯一の歯止め、弱き正義の味方…のはずの裁判所は
不公平裁判で冤罪を確定させ、
誤審判明後も再審を拒否し、
決定的証拠で誤審が確定しても
真摯な謝罪も反省も無く
「被告は立ちなさい」と一段上からふんぞり返って命令する。

正義の女神テミス像(正義・力・公平)を門前に抱く最高裁よ、
皮肉なことに日本のテミス像の目隠しは「法の下の平等」を戒める象徴ではなく、
「法の下の不平等」の象徴に、あってはならぬ「正義と真実の目隠し」になり下がってしまった。
司法への信頼は地に落ち、世界最高の良好な治安は劇的に崩壊して今や昔の語り草…
司法権の濫用(不当行使と不当不行使)のもたらした結末は、弱肉強食の恐ろしき無法国家だ。

しかし今やB層と見下された国民も,3/3西松献金大久保秘書逮捕=国策捜査をきっかけにこれら多くの隠蔽された警察国家の数々の職権濫用・人権侵害行為に目覚めた。

今こそ有権者国民は立ち上がり、平成の悪代官一派、
「検察・司法」に正義の鉄槌を、
厳正な憲法裁きを下そうぞ。

悪代官様と一蓮托生の、インチキお裁きを下され続けたお奉行様方よ、
8・30は、主権者国民が貴殿らを裁く番だ!

原子力発電の莫大な廃熱と炭酸ガス排出との関係はどうみればよいだろうか。
原子力発電は核分裂反応を起こしている運転時には炭酸ガス排出はないが、地球温暖化を考えると運転時だけ議論しても殆ど意味がないため、全体のライフサイクル(燃料採掘、燃料輸送、発電所建設、運用、保守等が対象)を考慮したとき、全体でどの位のエネルギーが消費されて炭酸ガスが排出されているかを評価して、はじめて意味あるものとなる。

ライフサイクル全体を通して消費される全エネルギーを対象とした炭酸ガスの排出量の試算結果は以下の通り(文献1)。
1)化石燃料の火力発電(燃料となる石油、石炭、天然ガスにより炭酸ガス排出量は異なる)の炭酸ガス排出量:
KWhあたり519gから975g
2)化石燃料の原子力発電:
2-1)北海道電力・関西電力・四国電力・九州電力は全て加圧水型原子炉(PWR):
    35g/KWh
2-2)東京電力の沸騰水型原子炉(BWR):28g/KWh
3)再生可能エネルギーの太陽光発電:53g/KWh(改良型1:44g/KWh、
  改良型2:26g/KWh)
4)再生可能エネルギーの風力発電:29g/KWh(改良型:20g/KWh)
5)再生可能エネルギーの地熱発電:15g/KWh
6)再生可能エネルギーの中小水力発電;11g/KWh
となっている。最も炭酸ガス排出量が少ない中小水力発電は今後の地方分権下での分散型エネルギーネットワーク構築に適しており、里山の多い地方の活性化につながることが期待される。地熱発電の潜在資源量は日本の電力需要の約3割に相当するともいわれており、今後が楽しみである。太陽光発電、風力発電も改良が進んでおり、26g、20gと炭酸ガス排出が低減されるのも近いといえる。

上記試算は原発の設備利用率は70%と仮定したときの値であり、2008年度の実績は約60%(過去には50%台のときもあった)であるため、原発の炭酸ガス排出量は増加する。また、原発(BWR型)の濃縮法を現在と異なる方法を採用したと仮定すると24g/KWh、リサイクル型で22g/KWhと試算されている。いずれにしても、これらの数値の平均をみる限り、原子力発電は再生可能エネルギーより炭酸ガス排出量は多いかまたはコンパラオーダーといえる。

原子力発電の試算で炭酸ガス排出に関する要因が一点考慮されていない。 文献2によると、「今日、100万kWの原子力発電が標準的になったが、核分裂反応が起きている原子炉の中では300万KW分の熱が発生しており、その300万KW分の熱のうち、100万KWを電気にしているだけで、残りの200万KWは海に捨てている。原発の発電熱効率はなんと約33%である。火力発電所の熱効率は50%を越えている。(注:このことを考えても原発はいかに損失が大きい発電であるかということがわかる)。100万KWの原発の廃熱は1秒間に70トンの海水の温度を7度上げることになる。日本には55基の原発があるため全部稼動すると7度上昇する温廃水は1年毎で1000億トンとなる。日本の全降水量は1年毎で6500億トン、日本の全河川水量が1年毎で4000億トンであるから、いかに原発の海水の温廃水量が莫大であるかがわかる。日本の全河川流量に換算すれば約2度も暖かくしていることになる」。すなわち、原発の温廃水が海水を温め、これに起因して海水中に溶けている炭酸ガスが大気中に排出されることになる。

もう少し詳細には文献3が参考になる。「大気中に含まれる炭酸ガスは約7900億トンに比較して、海洋中に吸収、蓄積されている炭酸ガスは380000億トンと圧倒的に多い(IPCC試算)。海洋は人類が放出する炭酸ガスの30%相当を吸収するとされている。そして海水温が1度上昇すると、海に蓄えられていた炭酸ガスの2%が大気中に放出されることになる。日本沿岸の海水中の炭酸ガス濃度に関しては、伊勢湾の南方あたり、東経137度線太平洋での気象庁による観測で、平均して340ppm前後、他の地域の濃度も同じくらいとみれば、原発の「海温め効果」=年間2万1600億トンの海水が1℃上昇することにより、実に年間で1470万トンの炭酸ガスを排出していることになる。(注: 2万1600億t(1℃上昇する海水)×340ppm(平均炭酸ガス濃度)×2%(1℃上昇で放出される割合)≒1470万t )。この量は、2005年の日本の炭酸ガス排出量総計12億9200万トンの1.15%に相当。「マイナス6%」の削減が目標とされている中でとても無視できない量であることは間違いない」。数値の詳細は文献3に譲りたい。

いずれにしても原発の温廃水に起因して沿海の限られた領域にしろ海水温度は確実に上昇する。これにより海水中の炭酸ガスが大気中に放出され続けることになる。本要因を考慮したライフサイクル全体での原発の廃熱による海暖め効果による炭酸ガス排出を試算に含める必要があるといえる。

今後、日本も躍起になっている海外への原発の新設の進出で、世界的に原発が増えれば、世界の該当沿海の海水温が上昇し、気象への影響ばかりでなく、炭酸ガス排出量は現在より増え、温暖化が人為炭酸ガスとIPCC流の考えを踏襲すると、原発増設は地球温暖化をさらに加速する要因となり得よう。

参考文献):
1)本藤祐樹、内山洋二、森泉由恵「ライフサイクル炭酸ガス排出量による発電技術の評価」、電力中研研究報告 Y99009、2000年3月; H. Hondo, Energy  30(2005)2042
2)http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/kyoto0210.pdf
3)http://www.actio.gr.jp/2008/09/29101109.html

政権交代、統治の仕組み変革に期待する

「行政の機能不全」

 7月23日、日経新聞朝刊一面の特集<選択09衆院選―何が問われるか>に編集委員署名入りで<「機能不全」変える好機>の記事が掲載されていた。一節に「政治の機
能不全は、07年参院選で自民党が大敗した後の衆参ねじれ国会で顕著になった」と述べられている。

政治が機能不全に陥っていて、統治機構の転機にあり今度の総選挙がその好機であることには異存はない。しかし、ここ半世紀余り官僚のサジ加減以上に政治が機能したという実感はあまりない。政治の機能不全は遥かに以前から顕著であった。

記事はまた「選挙後、参院を『政局の府』にしないための国会改革は急務である」とも書いている。おそらく記者の理解の中には、政府なり与党が提出した法案がスンナリ成立することが効率的で機能する政治との思い込みが存在しているのであろう。ここ三年以内に三人の首相が就任し、三代続けて国民の信を問うことを避け政権にしがみついているような与党が居座っていたのである。多くの国民からすれば、政局は望ましい政策実現の重要な手段であると認め理解していたかにみえる。参院の議席数与野党逆転は「ねじれ」どころか民意を反映した政治実現の機会到来と、期待の方が大きかった。この記事に象徴されるような論調が大手マスメディアに蔓延している。このようなスタンスと多数国民との認識の乖離こそ顕著である。

前回参院選以来、国会における法案審議の議論が深まり、場合によっては与野党の妥協が成立し協力のうえ国民のより多くのニーズが汲み上げられた政治が始まるとの期待は、残念ながら衆院与党の2/3の数を恃んだ強引な再可決なる議会運営により裏切られてきた。揮発油税等の暫定税率延長、インド洋給油新法、特別給付金のばら撒き、的外れな補正予算などなど国民生活に影響が大きい重要法案ほど、そのように処理されてきたのである。

かって、政治家が、国民の生活と国の将来を心から想い政治を機能させたことはあったのであろうか。一大転換期にあった明治維新後と国家存亡の危機に直面した太平洋戦争敗戦後の一時期がそうだったのでは、と歴史は示してくれる。時代が生んだ志の高い政治家がリーダーシップを発揮し、優秀な官僚群を育て組織し来るべき新時代に対応する体制を構築して臨んだことが窺える。ところが現状は、長期政権により生じた与党の驕り、国民意識からの乖離、鈍感な時代認識等が政治の機能不全を招き、その延長線上に暴挙が繰返された。挙句、筋違いの言い訳を繰り返し、また党利党略の基準を優先し議員任期近くまで解散を引伸ばし前代未聞の予約解散、40日後の総選挙である。国民の生活など眼中にないご都合政治である。

とりわけ、行政の機能不全は目を覆うばかりの惨状で情けない。国の将来に希望を見出せず危機感を持った国民の政府・与党に対する怒りは静かであるが燎原の火の如く広がっていた。早い解散・総選挙を望む世論に結集していたのである。


「何が不全なのか」

оビジョンとターゲット・・・国(自治体)のあるべき姿、進むべき進路が見えない。(政治の理念に示されるはずだが不鮮明であった。思い付きばら撒き政策などに繋がってしまう)

о理念と政策の位置づけ・・・この理解と合意を欠いている。(政局より政策が大事。党内で政策が不一致だ。政党間の政策の違いがわからない。などなど声高にいう)

о情報の処理と管理・・・行政を戦略的に推進する基礎となるべき情報が一元的に管理されておらず、活用の認識もバラついている。(国家のグランド・デザインなど描きようがない)

о政策の立案と政策の選択・意思決定、政策の実施・・・機能の違いを理解していない。
(どのような質のことをどの組織・人が役割りを担うかの理解がないから合意もできない)

о決定された政策の実行組織の責任・権能・・・官僚に権限があって責任がない。人事権また人事評価など不明瞭。(制度的に政治のリーダーシップが阻害されている)

о行政組織・政策成果の管理・・・実施された政策の質・量の客観的な評価、行政実務の管理、情報公開が不十分。(国民の税金の使途の適否、政策間の整合、次の政策立案への活用がなされない)

必要最低限と思われる機能だけとっても上記のような不全が認められる。いずれかの政党が立派なマニフェストを掲げ、それが支持されて結果政権を任されたとしても、この行政の機能・組織・運用といった統治システムの構築がなされていなければ従来と同じような政治しか実現されない。そしてまたしても、不毛の議論がジャーナリスト・訳知り顔評論家等によって戦わされ、これに政治家も巻き込まれて場当たり、風頼みの行動へと引き戻されていくことは目に見えるようだ。


「自治体の行政機能は」

ところで、どこか地方自治体で行政機能が整備され、運営に成果を挙げている良い例があったら知りたいものである。政府はそこに学ばせてもらえばいいのだが。

いま話題の地方分権には賛成である。しかし、自治体においても機能・組織が不備であれば、分権は機能不全の拡散となる。たまたま見識に優れリーダーシップに恵まれた首長が選出されているところ、地域の経済基盤に恵まれているところと、そうではない自治体との地域間格差がハッキリ広がる結果となり後者の地域住民は不幸に襲われる。

 未だに自分達がオピニオンリーダーだと勘違いしているマスメディアは、よくメディアに露出する一部の首長だけが、「国民的人気がある」と喧伝する。それを喜ぶ彼らは気の毒である。結果が全ての立場だから、他の県知事や村長さんと同等に責任を果たして初めて評価を得る。にもかかわらず、勘違いマスメディアは自ら祀り上げた偶像を付和雷同、競って担ぎ出し取材する。こんな循環を苦々しく想っている賢い視聴者は、またかと辟易しページを畳みチャンネルを変えて拒否をする。

メディアの、特に政治畑に身を置く人々は現状の既得権益擁護の政治的文化に染まりきっているかの如くである。一般国民より能力に優れているというエリート意識からか、居心地のよい閉鎖的世界に身を置く故か、自分達に世論の誘導が可能と信じているかに見受けられる。狭い世界の話題に、偏差値よろしく遅れてならじ、と群がり地方分権、首長連合、人気首長と囃し煽る。極めて情緒的で視野が偏っている。そこをわからない政党が、票集めパンダよろしくタレント首長を国政に担ぎ出そうとする。賢く冷静な国民の冷ややかな反応、強い反撥に戸惑うことになる。三流ドラマのシナリオ・ライターのようである。

どこの政党にもTVに出演していれば票が集まると思い込んでいる風頼みの議員がいるが、有権者多数の生活意識や価値観の変化に気づいてはいない。確かに、自民党が選挙対策に位置づけたと言われるB層なる人々も存在しよう。また、タレントのような知名度だけの基準で議員や首長が選出される例がままある。しかし、いまや自らの将来を自分で論理的に考え、社会に役割を果たそうと考える成熟した生活者が圧倒的多数である。画面に映る人物の挙措に真贋を見極める目を持つから、出演者はリスクに晒され怖い存在でもある。なによりも、現在の時代の変化の担い手は、政財界に君臨する重鎮でも、シタリ顔の評論家やマスメディアのジャーナリストなどでもなく一般の生活者達なのである。政治のインフラであるべき行政の機能、それを役割り分担する組織の構築・整備にこころ致さぬ政治家や、自らを高みに置きポピュリズムなどとうそぶくマスメディア人は、国民多数の生活者を衆愚と看做して行動する点で同種の古代人に見える。自然淘汰しか道がないとしたら寂しいが、自己責任だから仕方ないということなのだろうか。

責任ある地方自治体の首長には、ピエロのようなパフォーマンスにウツツを抜かすことなく行政機能整備こそを優先的に進めるよう期待したい。


「日本再生の統治システム(機能と組織・運用)」

およそ組織運営を体験した人であれば、その組織集団の達成すべき目標、目標達成のための機能、それぞれの機能を担う組織構造、人員・人材配置、工程スケジュール等を考えるのが当然であろう。国の統治は、国民の生命・財産、国際的な平和維持などに重い責任を負っている。膨大にして複雑な課題が交差するから、より綿密な統治の仕組みの構築が必要であろう。重い役割りを担う政治にあって、機能が不全のままでは済まされない。国家の存立に関わる重大事である。

民主主義を標榜する国家であれば、機能不全を放置して担当能力を欠いてきた政権を交代させる責任が主権者たる国民にある。今度の総選挙の争点は「政権交代の是非」であり、「従来の官僚主導統治システムの継続か、国民の代表による政治主導の統治か」の選択である。政権交代が現実となったら、政権を託された政党には、まず、統治システム構築、これを有効に運用するノウハウの習得、スキルの涵養が求められる。

期待する政党を支持するだけの一民間人には、行政機構に蔓延ってきた悪しき文化を払拭する大変な労力と時間、変化を拒む勢力の抵抗の強さの程度を想像することしか出来ない。せめて、革命的努力を強力に後押しする世論の形成に参加し、共に闘う覚悟を固めたい。

その一環として、過去の学習や体験に基づく必要最低限と思われる機能と組織の関連を整理・列挙してみたい。
ザ・ジャーナル愛好の諸賢や専門家の叡智を結集いただき、政権交代の効果を磐石にできるよう願いながら・・・。
    
<機    能 > 
         
【行政の指揮命令機能】

・政治理念の確立と周知徹底
・閣僚および官僚トップの人事権 掌握
・政策実現への指揮命令
・行政の最終責任etc

< 担 当 組 織 >

・内閣総理大

 いうまでもなく、政治(政党)の理念の確立は最も優先順位の高い作業である。これを共有する同志が政党を結成する拠りどころとなるからである。また、政策を策定する時の選択基準となるからである。政策は選択の幅もあり、時代・環境により変化が当然であるから、党内に不一致の場合が生じても自然である。理念は受益者(国民側)からの視点で設定されるべきものであるから、理念実現の観点から国民の幸せ・国益を追求して他党の政策と同一の場合も当然である。しかし、理念が共有されない政党間の連立など野合に堕ちる。理念を異にする同志はあり得ない。議論を尽くし相容れないならば政党を離れるべきである。

 ことほど左様に理念は政治の根幹に位置するが、民主党には立派な説得力のある理念が存在すると信じている。平和国家の実現、自由で公正な社会、自立と共生、安全で安心な生活、これらを補強する友愛(高野氏論説によるとフランス革命時の自由・平等・博愛という旗印の博愛に通じる概念ということで心強い)など普遍的な理念に反対な者は支持を取り下げたらいい。
(国民新党代表、共産党の民主党が政権を取った場合、政策の賛否により是々非々で望むという発言は高い見識である。社民党はいかに。また党内に政策の違いがあれば、不勉強のマスメディアが政策の不一致を騒いでも無視すれば良い。ゆっくり徹底議論し民主的に決定していけば良い。かって、民主党党内に理念を異にするような発言・行動が目立った例がある。支持者の期待を裏切り自らの政治生命にも影響しようから自重が求められる)

 この理念実現に行政のすべての資源を駆使し、人事を掌握し各組織を叱咤・激励し、他の機能・組織間の必要な調整を行う役割りは内閣総理大臣が果たすべきである。


< 機    能 >

【情報評価機能】
【政策立案機能】
(法案立案機能)

・情報収集・整理分類・分析・体 系化・伝達・公開基準作成
 
・政策立案・説明・提案・共有
・教育etc

< 担 当 組 織 >

・内閣情報局

・国家戦略局


 政策策定は立法府の議員によってなされる場合もあろうが、政府の政策は政治理念に基づき長期的・総合的・体系的に一元的になされるべきである。<政策の評価・意思決定>と<政策の実施>、そしてこの<立案>の機能を混同して捉え意味も理解せず議論されるから混乱が生じている。また、立案も実施も縦割りの各省庁が行っているから体系的・総合性に欠け部分極大化し、理念や国家戦略から離れた省益優先の視野の狭い政策しか出てこなかった。

 内閣府に国家戦略局を新設して臨む構想とのことで前進である。が、ここでの機能は立案に限定し、政策案の選択、内容の是非や優先順位の決定は次の決定機能に任せないと従来とさして変わらない自己満足的な運営になろう。各省庁の立案機能は全てなくし、決定された政策実行機能に専念させるべきである。国家戦略局は重要政策だけ、2-30名の陣容でなどというのでは形だけのものとなってしまい変革のコアがなくなってしまう。現実的には各省庁にある政策立案部署の人材を全てこの組織へ集約して始めれば機能は遅滞なくスタートする。勿論、各省庁には実行計画だけを作成する企画部門は残っても差し支えなかろう。

 形の見えないものを体系的に、予算を含め実施可能で有効な政策案に仕上げ、提案し意思決定を導き出す作業故、相当な見識、経験、客観的で自己犠牲的精神等を有する人材が必要であろう。各省庁に所属した企画部門の人材の抜擢活用、民間の有識者など選抜が絶対条件となる。臨時に召集される諮問会議などには不可能な仕事である。

 政策立案機能に先駆けて、さらに重要で、わが国の機能の中で最も理解が遅れているのが情報に関する機能である。戦略に優れた先進各国には必ず国家情報センターのような機能が存在しよう。行政に関する情報の一元管理は必須である。

 現在、情報の悩みは、情報が多すぎることである。これらの選択・収集の基準となるのも、掲げている理念である。理念実現に関連するものだけ絞って集めればよい。また、収集した情報を分析し、それぞれ関連付け体系化する作業も理念に基づいて行えばよい。このように一連の作業により加工された情報こそインテリジェンスとして価値をもつ。理念は単なる響きのいい言葉などではなく、ここでも極めて重要な基準を示すものである。このような価値ある情報は、国の将来の方向付けに役立ち、政策立案にも政策選択にも実施行動の判断にも大きな影響をもたらすのである。
 戦略局と並んでこの機能と担当組織は必ず内閣府に設けるべきである。組織名は国家情報局でも内閣情報センターでも機能を果たすのに適した名称であれば、組織内外に理解され易い。


< 機    能 >

【政策案等の評価・決定機能】

・政策(案)・予算案・法案等の 審議・意志決定etc

< 担 当 組 織 >

・閣僚会議(必要により与党政調 会長、他機能責任者を含む)
・(安全保障会議)
・(国民生活向上会議)
・(経済諮問会議)
・(外交審議会)
・(教育審議会)etc

 政策立案組織・議員・民間団体等から提案される政策(案)、予算案、国会提出法案等の評価を行い意志決定する機能。また、政策相互の関連づけ優先順位なども総合的に判断し決定する機能も併せ持つ。ここで決定された事項が総理大臣の指示に基づき閣僚を通じて実行を担う各省庁に命令される。

 この機能を担うのは閣議がふさわしい。実行が命じられた時、実行組織の責任者が意志決定に参加していたことが内容の理解と効率的実施に決定的効果をもたらすからである。総理と閣僚に加え他機能の責任者、場合により与党政調会長・執行部等意志決定に必要メンバーを加え機動的に評価・決定を行うべきである。政策の見直し、修正が必要となったとき、或いは次の政策にフィードバックの折り、これらメンバーが決定機能に参加しておくことは有効である。

より緊急性、専門性の高い政策判断を要する場合は閣議にプラス専門委員会・諮問会議等の招集が考えられる。民間の叡智・経験・見識の活用はこの機能でこそ果たされるべきである。(従来の如く、諮問会議は立案の役割を持たせないことが肝要。あくまで意志決定に必要な助言を仰ぐというポジションが適当)


< 機    能 >

【政策実施機能】

・実行スケジュール策定・組織編制・人員配置・予算執行・進捗管理
修正改良提案・記録・報告 etc
               < 担 当 組 織 >

・担当各省庁
        
           
 決定事項を忠実に効率的、有効的にひたすら実行する機能である。これが公務員の本来的な役割りである。従来、予算編成を含む政策立案、評価、実施の全ての機能を縦割りの省庁に与えているから独善的、非効率、前例踏襲型で省益優先の行政しか実現でき得なかった。

この機能は各省庁が担当するが、ここの機能分化は不全解消の絶対条件である。自惚れ官僚は、政治にその決断ができないと高を括っているだろうが、公務員制度改革に先駆けて機能・組織変更を行えばよい。必要なら立法措置を講じて政治のリーダーシップを発揮すべきである。


< 機    能 > 

【行政管理機能】

・主税・主計・監査・会計検査
・採用・人事・成果評価・修正勧 告・改良提案・各種人材教育etc

< 担 当 組 織 >

・財務省(社会保険庁)
・行政刷新会議
・業務監査院
・会計検査院
・人事院etc


 企業でいえば管理本部の機能である。各省庁の業務実施が意志決定通り忠実に、無駄なく実施され、期待通りの成果を挙げているか客観的に管理し、各機能にフィードバックする機能である。現在、各省庁単位に存在しダブっている機能をここに集約することで管理の効率性を高め、客観的・公正・公平なチェックが可能となる。

 この役割りは、ヒトとカネに関わる事務を扱っていた機能の集約がポイントとなるから、財務省は他の省庁と横並び実施組織ではなく、また、予算配分の権能を握る組織でもなく、あくまで意志決定機能で決定され国会承認を得た事項の管理事務実施部門に特化すべきである。その他、機能を担う各機関名称は例としてのものである。
 
 各省庁の成果の質・量に関わる評価は、次なる政策に反映され人事評価にも反映されるので極めて重要である。行政刷新会議が用意されるとの情報もあるが、国家戦略会議と並んで形だけ加えられることなく実質的に統治の仕組みが変革され、日本再生の政治が根づくことを期待している。

 以上、組織運営上の基礎的な機能を列挙してきたが、これらの機能・組織が分離して存在することが整備の要諦である。一箇所に集中していれば「独裁国家」
である。現状のように、決定だけ政治が行っているように装って実質その他の機能をキャリア官僚に預けられた国家は「社会主義国家」となる。他国から「官僚社会主義国家」と揶揄される所以である。

 統治の仕組みが分からない野次馬は、総理が一人で政策を決定すれば「独裁的」といい、機関としての決定が滞れば、総理に決断力がないと非難しよう。理念とか事実と言葉が異なれば「ブレた」といわれてやむを得ない。しかし、政策がより良く修正されて「ブレた」といわれる筋合いはない。党員同士、また閣僚間ですり合わせていない政策に違いがある場合は多い。行政の機能のありようを理解していない常識外れに非難される筋合いもない。毅然と対処していただきたい。

 限られた支持団体にのみ配慮して政策を決定すれば、既得権益擁護の政治と変わらない。そのような妥協、圧力を察知すれば、主権者の大部分は直ちに支持撤回をすることになろう。判断の基準を政治理念におき、国民多数の生活に根ざした政治へと変革して欲しいと願う。ならば、新生政権党には、贔屓の引き倒しのような要求は慎みたい。

投稿者 東 利明 2009年8月5日21:40

原爆症を選挙利用する偽善者達へ原爆症を救済するため判決が出る前にこの前で敗訴した人々まで、基金を作り政府が救済すると麻生、舛添氏がいかにもわざとらしい表情でパフオーマンスしている。記者会見までするという。全てが選挙のための自民党の不純な動機に国民の多くがその根性のあさましさに気付かないとでも思つているのか、これは例の東国原の自分を売るためのもつともらしい地方分権の言質と同じである。国民の何10年をも苦しみをみえみえの選挙対策につかうとは本当に情けない。動機が不純ならその行動はすぐみすかされ、国民の支持はえられない。何故もつと早い時期に決断出来なかつたのか?原爆の日になどパフオーマンスもいい加減にして、いつそ正直に選挙のために原爆症を利用させてもらいましたと記者会見で言えばいい。そうすれば少なくとも「偽善者」のそしりだけは免れるだろう。自民党はもはやその辺まで劣化し落ち込んでいると自ら認識すべきである。以上 追記 もし総選挙が今月なければ政府、自民党、麻生氏は絶対に原爆症の全面救済などとは言わない事を断言しておく。なお私の発言は現実に原爆症で苦しんでおられる方がたの問題とは次元の異なる
ものである。

原爆症を救済するため判決が出る前にこの前で敗訴した人々まで、基金を作り政府が救済すると麻生、舛添氏がいかにもわざとらしい表情でパフオーマンスしている。記者会見までするという。全てが選挙のための自民党の不純な動機に国民の多くがその根性のあさましさに気付かないとでも思つているのか、これは例の東国原の自分を売るためのもつともらしい地方分権の言質と同じである。国民の何10年をも苦しみをみえみえの選挙対策につかうとは本当に情けない。動機が不純ならその行動はすぐみすかされ、国民の支持はえられない。何故もつと早い時期に決断出来なかつたのか?原爆の日になどパフオーマンスもいい加減にして、いつそ正直に選挙のために原爆症を利用させてもらいましたと記者会見で言えばいい。そうすれば少なくとも「偽善者」のそしりだけは免れるだろう。自民党はもはやその辺まで劣化し落ち込んでいると自ら認識すべきである。以上 追記 もし総選挙が今月なければ政府、自民党、麻生氏は絶対に原爆症の全面救済などとは言わない事を断言しておく。なお私の発言は現実に原爆症で苦しんでおられる方がたの問題とは次元の異なる

政策の脱官僚化について
民主党中心の野党連立政権誕生後、現在の「資源エネルギー庁」を解体、廃止し、新たに「段階的脱化石燃料化に向け、明確な国家の長期エネルギービジョンのもとで、持続可能なエネルギー政策全般を体系的に策定、実行する「エネルギー省」を創設することを提案したい。そのための多くの法整備も必要となろう。もちろん、組織を創って魂入れずでは、これまでの自公政権のような官僚への丸投げ政策と同じとなり、同じ過ちを繰り返すこと必定である。政治家主導ということは国民の公僕である官僚を動かしていく力量が問われる。この自信がないなら、これからの政治家には不向きといえる。

現在、水力、地熱、風力、太陽光、バイオマス、原子力等々とエネルギー源ごとに、所管が各省庁に分散している。いつものことながら、縦割り組織のもとで、総論賛成、各論反対に終始し、持続可能な長期国家エネルギービジョンが国民によく見えない。我が国は幸いなことに、海に囲まれた緑豊かな日本の独特の地形に起因する持続可能な莫大な量の再生可能エネルギー(水力(中小水力も含む)、地熱、バイオマス、風力、太陽光、太陽熱、潮汐、潮力、波力、海洋温度差等々)が眠っている。しかしながら、再生可能エネルギー設備容量はここ何十年も誤差の範囲程度しか増えていないにも関わらず、持続可能でない原子力発電の設備容量だけが偏重して増大を続けている。今の再生可能エネルギーに関する国際情勢の中で、誰が見ても、恣意的意図を感じざるを得ない。

日本の緑豊かな山々はまさに水の宝庫である。今後の地方主権による地方活性化の切り札にもなり得る分散型発電ネットワーク構築にも適した水力発電は昔から日本の貴重なエネルギー源となり、日本の発展を育くんできた。そして地球温暖化問題で話題の「ライフサイクル全体の炭酸ガス排出量」は水力発電が全てのエネルギー源の中でもっとも少ない。しかし、残念なことに、水力発電はその能力を発揮できないように操作されている。2006年度の大規模水力発電の設備容量は4738万KW、これに対し、原子力発電の設備容量は4947万KWである。実に奇しくも、この二つの設備容量は大差ない。このわずかな209万KW程度の差はなんとでもなる。中小水力発電および他の再生可能エネルギーで補っても十分余りある。取りも直さず、殆ど既存の水力発電だけで原子力発電の代替が可能であることを意味している。

今まで、二次エネルギーの中で、発電比率は原子力発電が3割を超え、なくてはならない存在であると、さんざん、国や電力会社、マスメディアから国民は聞かされてきた。実態は水力発電の稼働率を極端に低く抑え(約20%程度)、さらには火力発電の稼働率も低く抑え、原子力発電の稼働率だけを高めた(約70%程度)結果、出現した数値であり、別に本当に原子力発電が必要故の数値ではない。ただ、火力発電の稼働率を低く抑えることは方向としては間違っていないため、これは認めたとして、水力発電まで低く抑えるのは稚拙で姑息な狂人業であり、論外である。水力発電の炭酸ガス排出量は原子力発電より最大で約3分の1と少なく、実に優れもので、時代の要請に合致しているにも関わらず、むざむざと発電設備を眠らせている。国民には歪曲した情報で3割云々で原発の不可欠さを認知させる洗脳トリック報道を流し、一方で、膨大なコストを要する原発設備の拡充を政官業一体となって推進してきた。そして、このような状況のもと、日本は世界中で最も高い電気料金を支払うはめになった。例えば、家庭用で、米国の2.4倍、産業用で3.3倍もの高い電気料金を払わされている。これも、政官業なれあいの護送船団方式のもとでの独占電力業界の甘い経営体質のなせる業であることを国民はしっかりと認識する必要がある。

では原子力発電は今後どうするのかと問われよう。原子力発電の減価償却は16年(最近、原発のコスト算定価格を低く見せるため40年に変更したようであるが)となっているように思う。これを一つの目安に原子炉の寿命がくれば、新設は凍結し、廃炉事業に移行する。紆余曲折が予想されるが、全国の原発はこの形態で順次、段階的に廃炉とする。確かなセーフティネットのもとで、原子炉産業に関わってきた多くの関連組織の人は移行期間を通して、他産業の職業訓練を受け、円滑な移行が望まれる。はたして独占電力会社は「分散発電ネットワーク」という黒船が迫るなかで、会社存続の可否含め、どのように事業再編を果たすか問われよう。しかし電力の分散発電化は歴史の必然的な流れであり、対抗するのではなく、電力会社が持つ冠たる発電、送配電技術を「分散発電ネットワーク」と融合させる方策を講じるべきだろう。電力会社の組織エゴでなく、国民のための事業を使命とするならば、生き残る道はいくらでも存在している。

最大の問題は原発の排出した死の灰である高レベル放射性廃棄物の始末である。安全保管に100万年間もの気の遠くなるような期間を考えると、最終決定者の責任の所在はあまりにも不明朗であり、人間の傲慢さによる無謀な計画といわざるを得ない。明るい見通しがあるとは思えない、危なっかしいガラス固化技術や3層人工バリア容器による放射能閉じ込めの不完全さが懸念されるもとでの深地層処分技術は、国民合意形成がなされていない現状、到底受け入れられないと思う。不完全技術の押し付けは、過去の公害事例がそうであったように、いつしか生死に関わる重大な公害を誘発し、またしても責任を取らない官の悪行として子々孫々まで歴史的に語り継がれることになる。したがって、再処理にしても未完技術であり、完成するまで進めるという方針でのようであるから、同じ論法で、安全な人工バリア技術が完成するまで研究開発を続けるか、又は現在の深地層処分法を見直し、より安全な別の処分方法を研究開発するかが残された道と考える。

ところで、最近、米国オバマ現政権のエネルギー長官に就任したローレンス・バークレー国立研究所所長で、ノーベル物理学賞を受賞したスティーブン・チューが前ブッシュ政権のエネルギー政策の見直しとして、高レベル放射性廃棄物処分に関して言及している資料を読む機会があった。要は、毒は毒をもって制するに近い話である。溶融塩原子炉で高レベル放射性廃棄物の燃焼無毒化ができないかというもののようである。実に興味深いが、その実現可能性に関しては専門外の私には今すぐにはわからない。日本も深刻な問題であり、暗礁に乗り上げている深地層処分にこだわらず、国民が安心できる別のアプローチを探ることも重要なのではないだろうかと思う。見直しばかりで、いかに、官主導の政策が成果を急ぐあまり、国民不在であるかを裏返している。今更、面子など、もともと無きに等しいのだから、もう一度、見直し、高レベル放射性廃棄物の無毒化処理に関する核物理の基礎研究の拡充も一方ではなかろうか。

しかし、それにしても、高速増殖炉は世界的にすでに破綻していると思うが、日本だけが孤立して、何故続けようとしているのか意図がよく分からない。当然、高速増殖炉が頓挫、破綻しているのであるから、もはや放射能汚染著しい再処理工場はもはや泥舟である。政策実行資金が困窮といいながら、国税を何十兆円もドブに捨てることになり、無駄以外のなにものでもない。再処理工場での存在意義を見出すため、いつもの通り、国民合意形成もなく、官業の浅知恵として藁にも縋る思いで、効率の悪いMOX燃料化を始めた。とにかく、国策として原発に関する数々の関連政策に躍起になっている姿は、国民合意無く、異様に感じる。日本の非核3原則のなし崩しへとつながりかねない由々しき問題を秘めているように思えてならない。過去の国会の政府答弁から本音が透けて見えるのであるが、最近、元外務次官が証言した核密約があった事実から考えても、エネルギー部局の官僚が代々、原発政策に関して秘密裏に引き継いでいることがあったとしても何ら不思議ではないが、この議論はまた別としたい。

焦土に立ちて2     (民意の大改革こそ、官僚主導にとどめを刺す)


昨今の討論から情報価値の高い3つの投稿を参照して、脱官僚主導社会の心がまえ
を考察したい。

http://www.the-journal.jp/contents/takarabe/2009/08/post_47.html#comment-83754

http://www.the-journal.jp/contents/takarabe/2009/08/post_47.html#comment-83837

http://www.the-journal.jp/contents/yokota/2009/08/post_5.html


       上記投稿を拝読し、感じたのは、

官僚の自信の中心にあるのは、行政サ-ビスの実務遂行は自分達が握っているとい
う自負がある事。

本来議会制民主主義の優位は国家地域関係なく立法であるべきなのに、国の先人が
ドイツから引っ張ってきたビスマルクの亡霊は今日までこの国の政治風土に大きな

影を刻み、財界がせっせと営業活動にいそしむ中地域活動の主導は官僚が握り続け、
長年に渡り、税の再配分だけに集中する政治屋達が立法を牛耳る悲劇的な状況が、
保守の内部で進行してきた。

この風土は私達が生まれてきた時から、この国が依存していた「伝来」の型である。
私自身、この依存から離れた型で社会を運営していく方法をとても想像しにくい。

しかし、この亡霊はそろそろ日本から追い出さなくてはならない。去年の暮れの頃
を思い出してもらいたい。
今まで営業活動に励んできた財界は、事もあろうに利益誘導しか芸の無い政治屋達
に向かって、こうの賜ったのだ。

「不況を克服する展望をさっさと描けなければ、人は雇えない。」

行政の主導すらままならない政治屋に向かってこれを言うのは、早い話が火事が起
きてから火事場で救出活動を押しつけあう様なもので、どう見てもみにくい内輪も
めにしか見えない。

昔はこんな政治風土でも好機能した時代もあったのだろうが、もはや私達の生活の
役にはたたないという事だ。むしろ肥大化した組織はいつでも有害である。

さて再度社会を構築するなら、その構造はまず基本に戻って考えるのがもっとも単
純である。

国の法規が議会制民主主義を範とするなら、力の中心は立法が担うべきだ。

その場合、
地域主権が基礎自治体へ税源を確保させる近未来、地域性が高い予算執行を議会は
監督すべきだし、同時に議員立法も今まで以上に地域において地域的かつ積極的に
行われなければならない。

国でも地域でも議員は、自分の存在意義を定義しなおし、自分を選出してくれた地
域の主権者達の「リ-ダ-」として活動の中心に立つべきではないか?

そして、今までは見過ごされてきたが議員に高度な政策創造の機能を付与するため
に各地域に概念として「政策大学」を創建し、議会による地域運営の中心にしたら
どうだろうか。

「議員も市民も学生」というシステムを創り、大学という頭脳で主権者と議員をつ
なげ活動団体を形成すれば、自ずから指導力を持ち得ない人物は議会に名乗りをあ

げても公選を勝ち残る事はできなくなり、地域社会と市民生活の関係にも大きな進
化をもたらし、主権者の意識改革にも大きく貢献する。

政権党の理念が主体となる政権交代時代にも、頭脳の促進による市民の価値観の深
化はこれからの時代に合致している。

市民の自己研鑽こそ、120年続いた官僚主導、ビスマルクの亡霊を退治するもっとも効果的な処方箋である。

「核兵器廃絶を悲願とし、非核3原則を遵守する日本国」と「原発政策推進により見做し核兵器製造技術を保有するに至る日本国」はまさに理想と現実の相剋といえる。先哲は人の心の状態を次のように説示する。一つは肉体の五感を超越して働いている境涯であり、他方は肉体の五感と共に働いている境涯である。凡夫、煩悩の人の心の状態はもちろん後者である。非核3原則は前者に対応しよう。今、改めて、広島、長崎への原爆投下により亡くなられた方々のご冥福を祈りたい。

国内、国外問わず、不法、合法関係なく、例えば、銃を所持すれば、人の心が乱れれば、いつでも使用され、悲惨な事件が起きていることは周知の通りである。米国が原子力発電技術を北朝鮮に原子力平和利用として供与したが、結局、現実は核兵器と核拡散の脅威にさらされている。原発の原子力平和利用とは名ばかりである証左である。もっとも、これまた米国の自作自演による北アジアの火種とも解釈できるが、この議論はまた別の機会にしたい。いずれにしても、日本とて、北朝鮮とて、イデオロギーと関係なく、置かれた状況が変われば、邪悪な道へ振り子は動く。人間のさがであろう、その位、人は危ういものを孕んでいることを前提に物事を考えて丁度よいのである。

1982年4月5日の参議院での政府答弁に「自衛のための必要最小限度を越えない戦力を保持することは憲法によっても禁止されておらない。したがって、右の限度にとどまるものである限り、核兵器であろうと通常兵器であるとを問わずこれを保持することは禁ずるところではない」とある。最近になり、自民党の閣僚経験者、総理大臣経験者が「核兵器の保有は憲法では禁止されていない」とか、「小型であれば原子爆弾の保有も使用も問題ない」とかの暴論を吐いているが、昔の政府答弁そのものを踏襲しており、自民党の非核3原則はすでに有名無実化していることを認識しておかねばならない。さらに元外務省次官の「核密約の存在」の証言も奇しくも北朝鮮問題と絡みタイミングよくでてきた。また、外務省幹部の談話として、「個人としての見解だが、日本の外交力の裏付けとして、核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい。保有能力はもつが、当面、政策として持たないという形でいく。そのためにも、プルトニウムの蓄積と、ミサイルに転用できるロケット技術は開発しておかなければならない」と何のひねりも無くほざいている。

自民党はあまりにも長きにわたり政権党として存在した結果、政官業癒着を進行させ、民意とからかけ離れた政治家ならびに官僚を誕生させてきた。そして官僚丸投げの政策を次々と実施してきた。現在の日本の原発の状況を俯瞰すると、原子炉、再処理、ウラン濃縮技術による核兵器製造技術を手にし、さらにロケット技術はすでに有しており、これらの技術が合体すれば、いつでも核兵器ミサイルを発射できる。あたかも、エネルギー部局の官僚により歴代受け継がれてきたかのごとく、原発政策の推進と過去の政府答弁とはあまりにもよく符合していることは偶然ではなかろう。このような状況下で電力会社を介した原子力発電による電気エネルギーの国民への供給という目くらましにより、おおかた原発政策の真の狙いは国民には見えていない。これまでの政府答弁、自民党政治家、官僚等の発言から、邪悪な道に、いつ転んでもおかしくない状況になりつつある。国民の皆が目を覚まし、原発と再処理工場の廃止に関し、声を大にする必要性が問われているのではなかろうか。

「原子力発電は運転時には炭酸ガスを排出しない」は本当か?
これまでに「原子力発電は運転時には炭酸ガスを排出しない」と鬼の首でも取ったかのごとく宣伝し、クリーンな発電であり、おおいに原発は推進すべきとばかりに、国、電力会社、メディアから、さんざん聞かされてきた。はたして本当だろうか。少し、検討してみよう。

原子力発電の1基の出力はおおよそ100万KWである。原子力発電所の原子炉の中では核反応により約300万KW相当の熱が発生している。その内、100万KW分だけが電気に使われ、残りの200万KWは海に捨てられている。海に捨てられた200万KW分の熱により確実に海水が温められている。その結果、海の中に溶けている炭酸ガスが大気中に放出されると考えられる。

注1を参考に試算した結果、原発運転時にはKWhあたり約12gの炭酸ガスが大気中に放出されることになる。年間、日本の55基の原発が運転されている時には約350万トンの炭酸ガスが排出される。ところで、北海道電力・関西電力・四国電力・九州電力の原発は全て加圧水型原子炉を使用しており、注2の文献では、ライフサイクル全体の排出炭酸ガス量は35g/KWh、一方、東京電力は沸騰水型原子炉を使用しており、ライフサイクル全体の炭酸ガス排出量は28g/KWhと試算されている。これらの炭酸ガス排出量試算には原発運転時の廃熱により海水が温められることによる炭酸ガス排出は考慮されていない。従って、真のライフサイクル全体では上記の約12gを合算する必要がある。その結果、加圧水型原子炉では47g/KWh、沸騰水型原子炉では40g/KWhとなる。また注2の文献に中小水力発電のライフサイクル全体の炭酸ガス排出量は11g/KWhと試算されているので、これと比較すると、原発は約4倍から約5倍程度炭酸ガス排出量が多いことがわかる。

また、2008年1月1日現在、運転中の世界の原発は435基あり、世界の原発が運転時に排出する炭酸ガスを試算すると年間で総計約2800万トンと膨大な量になる。ちなみに、燃料消費による世界全体の炭酸ガス排出量は2005年度で人口1人当たり4.22トンを考えると、2800万トンもの炭酸ガス排出量は無視できる量ではない。今後、世界の原発は500基程度に増える予定とされており、その影響は益々甚大となる。さらに原発運転が海の温度に直接影響を与えることは、地球の海洋学の観点からも、大気流、太陽の影響等の相互作用含めたフィードバック現象による気候変動は非線形的に重大な影響がもたらされる可能性もあり、今後の大きな課題である。

以上から、国、電力会社、メディアが一体になり、「原発は運転時に炭酸ガスを排出しない」と吹聴するのは科学として問題があると指摘しておきたい。

参考文献:
注1)原発の廃熱の影響に関して:
1)http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/kyoto0210.pdf;
2)http://www.actio.gr.jp/2008/09/29101109.html)
注2)本藤祐樹、内山洋二、森泉由恵「ライフサイクル炭酸ガス排出量による発電技術の評価」、電力中研研究報告 Y99009、2000年3月)

☆ことばを失った日本人(4)

 さても、時季外れではあるが、新聞・テレビで日食、日食と大騒ぎだった。しかし「日蝕」が正しい。それも、皆既日食ではなく、「皆既日蝕」である。この括弧括りをVistaで見ると私の意図通りに表記されるが、XPでも新フォントに置き換えられていないマシンは、略字体でしか表示されない。
 前回、「WindowsXPからVistaに変わるなかで、字体が変わるものが多くあることを確かめよう」と書き、それを検証すべきと思案したが、現在のネットとPCの環境では不可であり、恥ずかしながらの路線変更である。ただ、WEB上にはJIS2004として多様な情報があり、それを参照していただくことで代替したい。結論として、「日蝕」や「皆既」など、多くの正漢字が標準で表示・印刷できるようになった。
 一例として、再三登場した「阿辻哲次先生」の「辻」は、皆さんのディスプレイ上では一点之繞になっているはずだが、メモ帳などに貼り付けて見て頂く(Vistaは標準、XPは新フォントに置換えが済んだもの)と二点之繞になる。阿辻先生が文化審議会の委員だから「辻」だけを正漢字に戻したのではなく、「多くの漢字に書体変更がある」とだけここには記しておきたい。

 さて私の手元に、明治10年8月29日版権免許と奥付に記された「小學習字本」全8冊揃いがあるが、その題名どおり、当時の尋常小學生のための習字手本である。發兌所(発行所)には東京の回春堂を筆頭に京都・鳩居堂などの7社の老舗が並んでいるが、見開きには「文部省編纂拔萃」とあることから、本邦初の国定教科書と思われる。
 著者は「修史館一等編修官兼宮内省文學御用掛 従五位 長苂(草冠に火)公書」とあり、この人は大分県日田市天瀬町(旧日田郡天瀬町)出身の長三洲である。幼少期には咸宜園で学び、後に官軍の奇兵隊に入り、大学少丞、文部大丞、教部大丞、文部省学務局長、侍読、宮内省の文字御用掛などを歴任した人でもある。(詳細はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/長三洲を参照)
 またも前置きが長くなったが、序文には「三洲長先生書名甲於天下為世・・・・・」と漢文が記されていて、この教科書を現在に置き換えるなら、小学1年生から中学3年生が使うことになるが、今では書の専門家でないとその読み下しすら難しい。題字は順を追って書くと、一・三條實美、二・岩倉具視、三・木戸孝允、四・大久保利通、五・伊藤博文、六・土方久元、七・野村素介と並び、いずれも明治の元勲である。
 でなにが言いたいか、もう諸兄には落が見えたと思うが、明治維新を成し遂げた先人たちは、くそ難しい「国語」を学んで欲しいと考えていたことの証ではないだろうか。
 ことばは時代とともに変化する、それはどんな公権力をもってしても止めることはできない。しかし、その公権力で国語力を貶めたのが明治中期以降の「国語教育」であり、昭和20年にはその命脈が断たれて今日がある。平均的な大学生ですら、森鷗外、夏目漱石の原文が読めないのを、はたして「普通の国」とか「先進国」といえるだろうか。
 読売新聞の正漢字書きは「讀賣新聞」だが、「読売」を流布したのは新聞社であり、それを後押しして、漢字学者から「誤字」と指摘される事態を招いたのは当時の通産省である。
 このJIS漢字コードも、規格が制定された年によって、漢字の形に大きなちがいがあるという点が問題もある。平成12年当時のWindowsで入力した「森鷗外」をそのまま印刷すると「森躾外」になる。ところが昭和53年のJISでは「鷗」となっていて、昭和58年のJIS改訂で「鴎」と改めた。
 「躾」と「鷗」が入れ替わるのは、その後割り振るJISコードを変更したからである。
 とここまでは国内問題で済んだが、初期のJIS規格には一部不備があり、マイクロソフトがShiftJISなる独自の規格を搭載したころから余計ややこしくなった。
 以下関連資料:漢字制限による「同音の漢字による書き換え例」の拔萃(昭和31年7月5日発表「国語審議会の建議と報告」より)

愛慾→愛欲、闇夜→暗夜、意嚮→意向、慰藉料→慰謝料、遺蹟→遺跡、叡智→英知、叡才→英才、恩誼→恩義、恢復→回復、火焔→火炎、劃期的→画期的、肝腎→肝心、徽章→記章、饗応→供応、魚撈→魚労、燻製→薫製、下尅上→下克上、元兇→元凶、交叉→交差、涸渇→枯渇、坐礁→座礁、撒布→散布、屍体→死体、七顛八倒→七転八倒、終熄→終息、蒸溜→蒸留、訊問→尋問、尖端→先端、戦歿→戦沒、象嵌→象眼、褪色→退色、颱風→台風、歎願→嘆願、智慧→知恵、長篇→長編、顛覆→転覆、倒潰→倒壊、曝露→暴露、叛逆→反逆、蕃殖→繁殖、叛乱→反乱、筆蹟→筆跡、辺疆→辺境、編輯→編集、繃帯→包帯、輔導→補導、摸索→模索、熔岩→溶岩、輿論→世論、諒解→了解、煉炭→練炭などなど。

 何とか意味が通じるものの見苦しい書替え例、語源から大きく離れその出自さへ不明となる書替え例など、およそ国語の専門家が例示したとは思えない書き換え例もあるが、「そんなこたぁ、どうでもいい」が世情の大勢なのだろうか。

豊後の小兵衛

我が国の原子力発電を直ちに停止しても、なんら支障は生じない。
政府の説明によると、2006年度の2次エネルギー構成は、おおよそ原子力31%、石炭火力25%、LNG火力26%、石油等火力9%、水力9%となっている。これまで資源エネルギー庁、各電力会社、学者、コメンテーター、評論家、シンクタンク代表等々により、マスコミを介して機会あるごとに原子力発電は我が国の2次エネルギーの約3割を占めており、もはや不可欠のエネルギー源であると耳にたこが出来る位国民は聞かされてきた。そして今後の政府計画(官僚丸投げ政策)では原子力発電を4割程度まで増やす予定である。しかし、今となっては、これらの説明は国民に対する「トリック」であったと考えざるを得ない。その物理的根拠を以下に示す。

上記比率は水力発電の稼働率ならびに火力発電の稼働率を極端に下げ、原子力発電の稼働率のみ上げた結果の構成比率であり、原子力発電がなければ2次エネルギー供給が出来なくなることを意味していない。脱化石燃料化の観点から火力発電の稼働率は今後も段階的に下げていかねばならない。問題は水力発電の稼働率の低減である。2006年度の原子力発電の設備容量は4947万KW、大規模水力発電の設備容量は4738万KWであり、我が国の原子力発電は全部で55基有り、平均稼働率は約70%、水力発電のそれは約20%である。では原子力発電55基を全て停止して、原子力発電分の代わりを水力発電で全て賄うことは出来るだろうか。答えは、簡単な計算から水力発電の設備稼働率を約73%にすれば可能であると同時に水力発電の稼働率は未だ十分余裕があることがわかる。この事実から、我が国の原子力発電55基を全て運転停止して、水力発電の設備稼働率を73%にすれば2次エネルギー供給の観点から、なんら支障を来さない。したがって、原子力発電を止められない本当の理由は電気供給が不足するのではなく、各電力会社の国民無視の利益確保と後述する我が国の核兵器製造技術保有が絡んでいるといえる。

原子力発電は米国から原子力平和利用と称して当時の両国の政官業思惑が絡んで我が国に持ち込まれたものであり、国民への電気供給のための石油代替目標は単なる「目くらまし」であったことになる。これまで日本のエネルギー政策も御多分に漏れず自民党政権が官僚に丸投げして形成されてきた。結局、原発政策(原発、再処理、ウラン濃縮)は核兵器製造技術を擁することを潜在させたものであり、米国も表だっては核兵器製造に反対を唱えながらも、多極化が進む国際情勢の中で裏では日本の非核3原則のなし崩しを黙認しているとも解釈できる。我が国が原子力発電を止められないもう一つの理由がまさにここにある。原発エネルギー政策は国民に対する背信行為でもある。

今後のエネルギー政策の中心課題は改めて、「持続可能でない有機物化石燃料を必要とする火力発電および持続可能でないウラン化石燃料を必要とする原子力発電を段階的に廃止することであり、既存水力発電、未利用中小水力発電、地熱発電、風力発電、太陽光発電、太陽熱利用、波力発電、潮汐・潮力発電等々の再生可能エネルギーに関する研究開発への重点投資ならびに全ての再生可能エネルギーに対する固定価格買取制度適用の上での利用推進政策への本格的移行」であるといえる。再生可能エネルギーを有効利用する上での問題克服のため、例えば、蓄電技術および再生可能エネルギーによる水素生産による貯蔵技術、電力利用形態等に関する研究開発の一層の促進はいわずもがなである。まさに案ずるより産むが易しである。これまで我が国は数限りなく難題技術を克服し、世界に誇れる多くの実績を有してきた。

民主党中心の連立政権が誕生すれば、政治主導でエネルギー政策を見直す又とない機会到来である。余りにも、これまで主権国民不在の官僚主導のエネルギー政策形成がなされてきた。政官業の癒着と組織エゴはまさに、ぼうふらが湧くおけの水のごとき状態の固定観念と譬えられ、只々既存独占事業の利益にしがみ続け、電力発電産業を衰退に自ら落とし込むのか、あるいは直接ならびに間接的に新たな且つ大きな雇用創出を伴う未来産業への移行のどちらを選択するのかが問われている。発電事業はすでに転換期に立っており、現在の最悪状況の脱却の可否は企業経営者の判断ではなく一重に国の政策いかんにかかっており、無責任な公僕官僚には到底任せられず、政治家の力量が大きく問われている。非核3原則を死守する立場で、将来の世代に負の遺産を残さないために、持続可能なエネルギー源を基底に据えた研究開発と利用推進政策こそが第一優先となることをゆめゆめお忘れなきように重ねて願いたい。

焦土に立ちて 3 (新しい投票期間、活用の薦め)


さて、いよいよ総選挙本番。
残りわずかな期間を残し、次の月替わりには泣いても笑
っても4年間を位置づける新しい日本の布陣が決まる。

皆さんには不謹慎とお叱りを覚悟の上で、いやがうえに
も息詰まりの激しい世情の中、先行きに今不思議な開放
感を感じてしまうのは、私の甘さゆえの事だろうと思う。

今回ここで提言させていただきたいのは、少し視点を変
えて、昨今の投票環境についての一考察である。

実は私は今年の始め、地元の首長選挙で生まれて初めて
不在者投票をおこなった。理由は投票日当日、地元を離
れるゆえであったがその利便の向上に大変感心した記憶
がある。

郵送されてきた投票券を持参すれば、ほとんどこちらの
都合で、投票できてしまうのだ。

法がそれとなく、事前投票の機会を制限してきた過去の
選挙法が改正されて久しく、今のところあまり話題に上
がる事も少なかったが、これは今までの認識を変えけれ
ばならない、制度の画期的な改革ではないだろうか。

というのも、現在、私は地方分権ではなく「地域主権」
による人々の絆の復権を強く支持しており、その意義を
知り合いに個人で運動しているが、今回の決戦において

も投票日当日まで、だめ押しでその話をするのに地元か
ら離れるので、不在者投票を早々に済ませた。

そのとき知人に渡すため、地元候補の事務所にマニフェ
ストを貰いに出掛け、つい話のついでに投票を済ませた
と口を滑らせたら、期せずに事務所には喚声が上がった。

こちらの事務所では、いま本番の消耗戦を連日スタッフ
は続けており、かならずしも報道されているほどには、
まわりの期待を感じているわけでは無いのではなかろうか?

一部で危惧されているように、「暑いから」「別に行か
なくても、大勝しそうだから」 あるいは
「風が何か強そうだから、少し弱めるのに」などと、
見えない霧の中で、周りの雑音に気を取られたりせず、

そんな理由で投票権を無駄にするくらいなら、投票率
を少しでも挙げるためにも、

「一日だけではない。すでに投票日は始まっている。」

事を、みんなで再認識すべきではないだろうか。
理由としては、

私のように地元を離れる。これも立派な理由だ。むしろ、
この理由が原因で投票しなかったとしたら、その方が遥か
に問題だろう。

さて、恐縮だが不在者投票により今回の決戦で、私の自分
の分はすでに終わった。後は今まで個人で勝手に働きかけ
た人々に対しての、彼らの反応が残るのみである。

そのせいで、とても心が軽く、また今回地元候補への思い
がけない声援も出来た。
勿論このくらいの事は、皆さんならすでにご承知だと考える。

みなさんもそれぞれ意中の候補に、少し早めの声援を贈られ
てはいかがだろうか。

現在、編集部からのお知らせや意見募集の記事を除いて、《よろんず》の記事に取り上げられたものが11あるうち、本名か氏名として不自然でない名称と思えるもので書かれたものは1つか2つしかありません。また11の記事のうち5つを豊後の小兵衛さんが書いたものが占めています。少しずれてきてないですか?

柏崎刈羽原発再開の意義を改めて問う
2007年7月に発生した新潟県中越沖地震により世界最大出力を誇る柏崎刈羽原発が脆くもすべて停止状態に陥ったことは記憶に新しい。活断層に関する信頼できぬ評価解析のもとで稼動してきた原発がやはり地震災害にあった。今までの国の原子力安全委員会、原子力安全保安院の耐震基準、安全のお墨付きは何だったのか。みっともない責任逃れの常套言葉「想定外」が使われ、いつもの通り責任は有耶無耶である。安全性に問題ありと多くの識者、国民から指摘される中で、発電設備の更改、耐震補強工事等々を進め原発運転再開云々までに再び至っている。この間、バックアップの火力発電所を運転させ、燃料費高騰下での原油消費ならびに膨大な量の炭酸ガス排出をもたらすと同時に東京電力の経営にも甚大な影響を及ぼした。この状況を目の当たりにし、国民の一人として実に理解に苦しむことが多い。

東京電力柏崎刈羽原発1号機から7号機までの総出力は約821万kWである。稼働率は約70%であるため、実際の稼動出力は約575万kWとなる。一方、東京電力管内の水力発電の総出力は約852万kWである。すなわち、柏崎刈羽原発1号機から7号機全てが停止したとき、東京電力管内の水力発電設備を約67%で稼動させれば代替できることがわかる。地震災害前の水力発電の稼動率が約20%であることを考慮すると、東京電力管内の水力発電設備の稼働率を約87%にすれば、柏崎刈羽原発および火力発電所を稼動させずとも、東京電力の需給はバランスし何ら支障は来さない。

原発の代替と称してバックアップの火力発電所をわざわざ稼動させ、火力発電用の燃料消費ならびに不足する電力と称して外部から電力を購入するという硬直化した電力会社の発電事業経営の実態には只々呆れかえるばかりである。このような理不尽な経営が行えるのも国の護送船団による独占電力事業の所以である。独占弊害の影響を国民は直接、間接に受けているのである。なぜ、炭酸ガス排出量が最も少ない既存の水力発電設備稼働率を低く抑え続け、眠らせているのか。これは歴とした株主に対する背信行為でもあろう。ひとたび、水力発電の設備稼働率を増大させると、原発の存在意義そのものが脆くも崩れ去る重大事が白日の下にさらされることになり、これだけは避けたいという国と電力会社の本音が透けて見える。原発がいかに不要で、無駄で、危険性も明確となっている中で、国民合意形成等もあり得るはずもなく、責任所在も不明確のまま、とにかく原発による利益を得るため、組織エゴとして原子力発電を黙々と運転し続けるという誠に道にはずれた由々しきことが続けられている。まさに狂っているとしかいいようがない。原発事業は悪行三昧の無法地帯と化している。

以上、半ば国策の原発事業はあまりにも道理に合わぬことが多過ぎる。このような事態に至った理由としては以下の事が考えられる。長く続き過ぎた自民党政権の中で、だらしなく、能力不十分の政治家を相手にする公僕官僚はいつしか政治家を裏でバカにし、本末転倒の省庁権益優先の政策形成に現を抜かすようになった。また明治以来、政治主導でなく公僕官僚主導のもとで官と業の癒着の政策形成が日常茶飯事となり、主権国民の意向を無視してきた。国民には電気供給というめくらましを使い、政官業癒着のもとで、原発を非核3原則の事実上のなし崩しの不可欠要具として偏重保護してきたことは紛れもない事実である。

政策の見直しも無く、責任の所在も不明朗で、結論ありきの原発政策一つを取ってみても明らかなように、長きにわたる官僚主導で力量なき政治家集団による政権がいかなる事態を国民にもたらすかをここ50年近く、否という程、十分に学んだはずである。

政権交代後の民主党連立政権は持続可能なエネルギー政策をはじめ山積する多くの諸問題に対し政治主導で主権国民の意向を、市民参加ならびに合意形成を含めて、是々非々で旧来からのしがらみなく、どのように反映させていく体制を新たに構築するのか、注意深く見守りたい。

法を作る者は、法を破っても良いのか?


何処に投稿すればよいか分からないのと、今ここに至っては取るに足らないことになっているのだろうが、
やはり、衆議院議員選挙の違法行為を黙って見過ごすわけにはいかない。

まずは、こちらのページをご覧いただきたい。

http://blog.mawatari.info/

本人は、1400日続けていたブログ更新を途切れさせたくないと言うことだが、そして制約はあるが何とか続けると言うことだが、違反行為ではなかったか。

しかも法を作る者が、自ら作った法に違反する。
新人候補だから、法を作ったわけではないだろうが、それでも、違反は違反。

たとえ悪法であっても、与野党とはずに守っているときに、このような行為を許しておけるのだろうか?

放置している当局、及びこの候補者の師匠である元法務大臣のお考えを聞きたい。

またあと数日とは言え、出来るだけ多くの方の抗議をこの候補者に送ると言うこともしないと、違法行為を平然として行くであろう。

上杉隆殿、貴殿はいわゆるフリージヤーナリストとして活躍されておられる事に間違いはないでしようか?まあフリーであろうがなかろうがジヤーナリズムの本質とは何ら関係ないとは私は思いますがところで上杉氏を大阪のムーブという番組で始めてあなたの発言の内容等を知りそのシンプルな口調ながらピリッと本質をついた発言に感心したものでした。勝谷まさひこ氏の毒舌的本音トークの対面にあつて淡々とした喋り方に両氏ともに私もだいぶ勉強させられました。ムーブがなくなり週刊誌等で上杉氏の書かれたものを読んだりしていました。ただ週間文春に於ける選挙運動に関してのルポに少し違和感を覚えました。確かに鳩山氏のナンバでの演説に小泉氏程の熱さはなかつたのは事実でしよう。その他の事実もおそらく上杉氏が書かれた事に間違いはないでしよう。しかし私が思うに果たして小泉劇場なる政治が残した負の遺産はわが国のある種の民度の低さを露呈させたのではないかと思うのです。つい最近の東国原騒動は政策以前のタレントの本音みたいなものに国民がある学習効果として冷めた評価をしたのでしよう。私など小泉氏の単細胞が彼が総理になる前から受けい
れなかつたし何故あれほどの人気(人気はある面、政治家には必要な要素と否定はしませんが)があつたのか今もつて理解出来ません。政党はその政策で勝負し国民はその政策で政党を選べばいいのであり余りに誰が党首で人気があるとかないとか少なくともメデイアに携わる人々は軽けいに発言するのは、現在のメデイア報道が氾濫し劣化してる中、本質からはなれている。硬い話で恐縮だが、かつて政治学者、丸山真男は本店と夜店(支店)の例えで政治を語るところがあるが今の報道はまだ夜店の段階までいつてないように思う。上杉氏に於かれましてはぜひ本質と現象をたえず念頭におかれ活躍されますよう期待しています。事実はある現象を示しますが、その表現に恣意的なものがあつたり単なる興味本位なものならそれは前向きなものとして読者に何の学びももたらさない。週刊誌にそれを求めるのは酷かもしれないが上杉氏には単なる事実描写するだけのジヤーナリストで終わつてほしくない故私見として失礼を承知で長々と述べてみました。

第3者による司法組織のチェック制度導入
民主党中心の連立政権に早々に導入検討をお願いしたいことが一つあります。それは、先刻ご承知の通り、警察、検察、裁判所等の司法組織が制度疲労を起こしており、明らかにおかしくなっていることである。どこの組織にも良識派はいるのものだが、「やましき沈黙」ではないがこれに近いことが起きていることは紛れもない事実である。すでに放置されてきたため、とんでも無いことが次から次へと起きている。上層部が腐敗していれば下部組織に属するものは鋭く感じるため、いくら良き訓示を垂れようが、綱紀粛清しようが所詮、馬の耳に念仏、士気が緩むのは当然である。昨今の次から次へと起こる警察、検察、裁判所不祥事がこれを端的に物語っている。

自民党政権が半世紀以上続き、政官業が癒着により腐敗したように、同様に司法組織も好き勝手し放題で、司法にありながら、無法地帯化し、腐敗が現実のものとなっている。これは司法組織が聖域化し、実質上、だれも意味あるチェックをしてこなかったためである。これまで表沙汰になった裏金問題など氷山の一角である。あげくの果てには、国民から見ても明らかに不公正で、おかしいと思えることが起きる。それは、政権党の思惑と無法地帯化した司法組織保全のためには総理大臣などなられたら甚だ都合が悪いと判断した検察官僚の思惑が一致したことによる小沢秘書逮捕という言わばでっちあげである。

本来、メディアのジャーナリズムが正しく機能していればかなり改善されるのだが、現在のメディアはもはや断末魔の様相を呈しており、悪しき検察記者クラブを介し、司法の手先と化している。これではもはやメディアの存在意義はすでに消失している。

もう一度、原点の戻り、直接、「第3者による司法組織のチェック制度」の新設を提案したい。検察審査会はあくまで個別案件に対するものである。これまでの長きにわたる自民党政権下での霞ヶ関の各省庁による約数百兆円では済まされない莫大な無駄金の使い道と同様に、司法の悪行の実態を民主党中心の連立政権下で白日の下にさらさないと、霞ヶ関の組織の自己改革など期待できない。

自民党、特に厭味で小理屈ばかりならべ大言壮語する町村信孝氏は最大派閥の長でありながら自身の小選挙区で知名度の低い野党候補に敗れ何と比例復活という制度に救われ、また国会にのこのこ出てくるみたいですな、人の事はいろいろ悪口を言い聞くところによると人格的に同僚議員から長でありながら信頼や尊敬の念も得られてなかつたようだ。何故最大派閥の長で経験もじゅうぶんな氏が総理候補にもあがらない理由はそんなとこにあつたのだろう。言葉はいささか汚いが汚い氏にあえて「どのツラさげて出てくるのか」と言いたい。もう一人、小池百合子-風車のお百合などヤクザ映画のヒロイン気取りのナルシストなんだから選挙で負けたらさっさと退場すべきだろう。一時は総理選挙まで出たんだから比例で救われるような愚はそれこそ、お百合のプライドが許さないはずなんだが… 人間、恥の心を失うと普通、自己嫌悪におちいるものなのにいつたい何を考えているのか、そこそこ世間に認知された政治家は保険などかけず退路を絶つて戦う覚悟ぐらいみせよ!

「天下りをなくせ」だけでは問題は解決しません。
各省庁の官僚の天下りは政官民癒着の腐敗要因一つとなっており、国税の無駄経費の温床であります。だから天下りは禁止せねばなりません。しかしながら、現在の諸官庁任用制度は入省年次が人事の優先事項となっていまして、ポストに限りがあるため、民間と比べ、かなり早い50歳代での転出が実態であります。

天下りに代わる方法は、退職して自ら起業するか、自ら交渉して行き先を探すか、ハローワークに通って職を探すか、各省庁が特別職を用意して60歳位まで働いてもらう等の選択種が考えられます。最後の選択種は国が特別職を用意する方式で、税金で保証する仕組みとなるため、年収は現役時代から下がり、約半分程度が妥当なところでしょうか。

すでに歪が顕在化しています。独立行政法人(独法)への天下りを無くしたように見せるため、民間人を独法に送り込み、その代わり、官僚が民間に天下るいわゆるバーター取引が始まっています。これではまたもや民間とのズブズブの癒着が絶えなくなります。もっとも、現存独法の中にも明らかに天下り先のために設立されたものもあり、誠に不要なものと判断されるものも散見され、これはこれで廃止含めて別途検討が必要と思います。

国が公務員制度改革の中で官僚の人事問題の決着をつけるべきですが、官僚の抵抗が強く、結局頓挫し、解決に至っておりませず、中途半端で、抜け穴だらけであります。政官ズブズブの旧自民党政権のもとでやろうとしましたが、できっこないことは始めからわかっていました。

やはり政権交代した民主党政権なら官僚主導から政治家主導のもとで人事制度改革は実行出来るのではないでしょうか。鉄は熱いうちにと申します。次から次へと矢継ぎ早に実施していただきたいものです。第3者検討機関を設けられ、利用されるのも一方かもしれません。いずれにしましても、長年の懸案問題であり、毎年の膨大な無駄出費をなくす上からも早期に実施する必要に迫られているように思います。

◆鳩山さんの論文◆
権威あるアメリカのマスコミ
ニューヨークタイムズがわざわざ悪意をもって、論文の部分掲載をするとは、にわかに信じがたい。
今回の騒動は、タイミングからしても大変不自然であり、反民主党の何某かが図ったものであろう。
来年の参議院選挙にむけて、早くも作戦決行と言ったところか。
日本国民の民意が今回の衆議院選挙で明らかになった以上
日本国内からではなく、まずは海外からたたいてもらう算段か。
あまりにも姑息である。
選挙後には「のりぴー隠れ蓑報道」をぱったりとやめて、ここぞとばかりに「論文報道」・・・マスゴミは腐っている。

株式市場を大切にしよう

政権が変わった。
この際だから、株式市場を再検討してみないだろうか。
株式市場は、国の宝です。富の源泉であり、富の牧場のような場所です。

日本人は、従来、株に対してどちらかと言えば否定的な見方をしてきました。
「私は株はやらないから・・・」
「株なんて博打でしょ」
こんなものです。
しかし、よく考えてみてください。皆さんが支払っている年金や保険の掛け金は、どのようにして運用・保全されているのでしょうか。
債券と株で運用されているわけです。(そんな単純じゃないとは言わないでください)
皆さんのお金の一部は、株式市場に流れていることを忘れてほしくないのです。
株が上がれば、皆さんのお金も増えます。下がれば逆のことが起こります。
そして、ここ20年ほど、日本の株は下がり続けたわけです。
皆さんは、意図せずして大損を被っているのです。
どうしてそんなことになってしまったのか。
日本経済が悪くなったからだ、などと簡単に理解してよいものとは、私は思いません。

国民の大多数が、株式市場に興味・関心を持たなかったから、損をしてしまったのだと私は言いたいのです。

私が言いたいのは、下がることを停めさせろなどと言うものではないのです。
国民が注視していれば、バカな運用やむちゃくちゃな運用はできない。ということなのです。

国民が監視していれば、国家がもっとまともに市場を監視し、より良い市場を保たせるための措置を講じてきたはずだと言いたいのです。

もう30年以上前になりますが、私が証券界に入って少しものが分かり始めたころ、ものすごく驚いたことがあります。
投資信託という商品についてです。(以下投信)
投信とは、投資家から大小様々な金額を集め一つの巨大きな金額の投資基金を作ります。そして、それを投資家に代わってプロの運用者が、効率よく有利に運用する商品です。
銀行に置いとけば2%にしか回らないものを、5%、7%に回して投資家のお役に立とうという商品です。

その投信を運用する会社と言うのが、何と証券会社の完全な子会社だったのです。独立した存在ではなかったわけです。おかしいと思いませんか。
証券会社は、株を売り買いしていただいて手数料をいただき利益を出します。
手数料が上がらない時、苦しい時、証券会社は、どこかに株を売り買いしてくれるお客様はいないかな?と、一生懸命になります。
そんな時、何とも都合のいいお客様があったわけです。
投資信託です。子会社です。役員は意のままです。
投信に、株を売り買いさせればよいわけです。
その株が儲かるかどうかは問題ではありません。
買わせれば手数料が入ります。
その持ち株を売るともうかるか損になるかは問題ではありません。
売らせれば、手数料が入るのです。
本当に、そんなことをするんですか?まさか。と思うかもしれません。
私も、証拠を持っているわけではありませんし、当時の関係者の方もそんなことをしていましたと証言はしないでしょう。
しかし、やっていたはずです.

もう一つ、くだらない話を
バブルのころですが、某生保の運用担当者が株を買いに来るのです。だれか、知らない人の名前で。
「***を、いくらいくらで何万株買ってくれ」と。
買っておくと、数日して、その株が上がりだすのです。
そうです。その生命保険会社が、買っているのです。
巨額のお金を運用する生命保険の運用部にいると、何を買うのかがわかるのでしょう。または、自分が買っているモノを買いたくなるのでしょう。
この話なんかは、当然証拠はありませんし、だれも証言もしないでしょう。
しかし、実態としてあったのです。

なぜ、そんなことが行われたのでしょう。
お金を預けている人が、自分のお金の行方に無頓着だったからではないでしょうか。
国は、証券取引法でちゃんと規制していました。証券会社も、一応そんなことはいけないときつく指導していました。
でも、持ち主が無関心だったら、少しくらいのことは分からないだろうと思いますよね。
そのことで、増えたのか、減ったのかわからなんですから。
ただ、結果を見て増えていれば納得し、減っているときは、担当者に文句を言い「もうこんなもの買わない」と言っておしまいだったんですから。

今では、上記のような簡単な犯罪はなくなったと思います。
なくなったと思いたいです。

しかし、相変わらず国民の皆さんは、証券市場に無関心です。くだらない規制は、お国がどんどん作ってくれるのですが、本当に皆さんのためになっているかどうかわかりません。おそらく役立っていないでしょう。

簡単に書くつもりがどんどん長くなってしまいました。
馬鹿な犯罪のことを書くのは本意ではなく、そんなことがないようにして、本当の国の宝としての市場を創っていきましょうと結論を持って行きたくて書いています。

1990年正月の株式市場は、大幅安から始まりました。
そして、39000円弱から20000円すれすれとなる10月まで途中で5000円ほどのアヤ戻りを入れたものの、何と7カ月で19000円もの幅の大幅な下げを記録したのです。それからもなお下げ続けるのですが・・・

問題は、この下げ相場の中で、日銀は金利を上げ続けたことです。
89年5月3,25%だったものが、90年8月には6%にも引き上げられており、その金利が91年7月まで続いたのです。
株価は、それでも下げ止まらず92年8月の14309円まで下がりました。

この2年8カ月とは一体何だったのでしょうか。
この間マスコミも、バブル退治を叫んでいたように思いだします。
時の総理大臣は、5年分の年収で家が持てるように地価を下げると、言っていました。

去年の9月以降の世界の中央銀行と国家のリーダーそしてマスコミの行動はどうだったでしょうか。
「利下げ」「財政出動」の大合唱で、資産の下落を防げと叫んでいました。
これを、日本を反面教師とした行動と言ってしまうのは簡単です。
しかし、反面教師がいなくても、金利を上げてはいけないことくらい、高校生にでもわかることでした。

なぜ、「平成の鬼兵」などと言う気違いをほめそやすことをこの国と国民はやったのでしょう。
当時、私は、汚い字で原稿用紙に4枚か5枚、「こんなことをしていてはいけない」と、田原総一郎氏にお手紙しましたが、当たり前かもしれませんが返事はありませんでした。
そして、「サンプロ」も、「朝生」も、このことについては何も語りませんでした。

なぜでしょうか。
国民は、株や土地が下げ止まることを望んでいなかったからでしょうか。
確かに、バブル成金に対するやっかみはあったと思います。
千昌夫氏が破産してしまうことを、面白おかしく眺める雰囲気はあったでしょう。
しかし、本当の理由は、市場が何なのかを、国民は知らなかったからなのだと思います。
六百兆円もあった市場の時価総額が二百兆円にまで減って、本当に損をするのはだれなのかを、この国の人々は知らなかったのです。
知らなかったから、興味も持たなかったのです。
自分たちの生活がおかしくなっていく原因が「ここ」にあることに気がつかなかったのでしょうか。

またうまい具合にこのバブルの崩壊の中で、さまざまな悪行が表面化しました。
金融機関の不正。証券会社の不正。横領、横流し、飛ばし…
数え上げたらきりがありません。

市場は、株は、悪行の塊であると思われてしまったのです。
そんなもんが集まるところだから、株なんてものはだめなのだ。まともな人間がやってはいけないことなのだ。
と、なってしまって「おしまい」だったのです。
誰も、今この時が来ることをまともに考えようとしなかったのです。
「可能性としては8000円もありますね」
「年足の罫線から見ると、トレンドは5000円近辺をも暗示してますね」
などと言っても、誰も気にしませんでした。
市場関係者自体が、株式市場のことなど真剣には考えていなかったのでしょう。

当時のキャノンの社長様は「わが社は財テクなどしていないから大丈夫だ」「ものづくり一筋だ」と、のたまって世の称賛を浴びたりしていました。

「一体だれのおかげで、キャノンは大きくなったんだ。
お客様は当たり前だ。
設備投資の資金は、証券市場から持っていったのだろう。それを忘れたのか。」まだ30歳を少しすぎたばかりでしたが、本当に腹が立ったのを覚えています。
(キャノンはそれ以来大嫌いで、キャノンの株は空売りはしても買うことはしません・・・プリンターだけは仕方がなかった)

何が言いたいのだ!!

そうです。
なぜ日本の国民は、株式市場を興味を持ってみようとしないのでしょうか。
六百兆が二百兆になってしまったから、生命保険会社が何社もつぶれたのです。
(地価が下がった影響の方が大きいかもしれませんが、市場として理解するには株式の方が理解しやすいので、勘弁して)
株が下がって一番損害を受けるのは国民です。
これは、間違いのない事実です。
今でも、このことは少しの人しか気がついてくれてないみたいです。
それどころか、今もって株で金もうけをする人間を見ると嫌悪の情をあからさまに見せています。
「ハゲタカ」なんて言葉がマスコミで騒がれるのはその表れでしょう。

株や土地といった資産は、個人の財産としてだけではなく、国民の財産だということに目を向けないといけません。
このまま、いつまでも市場を「博打場」ととらえていると、この国は滅ぶか、あるいは、人のものになってしまうでしょう。

株は国民の宝だということに気がついていただきたい。

焦土に立ちて4  (お互い様、敵に塩を送る。)

メディアは世の中がひっくり返ったと言って連日民主
政権について強烈報道を繰り返しているが、今回の大
勝には見逃せない制度の不備がある点には、いまだつ
っこんだ言及は見ない。

私は今回、落選によって職を失う議員スタッフには、
彼らの身分にセフティ・ネットを構築する余地がある
と、提言する。


今回民意は、大きく民主を選んだ。
衆議院では、今後も民意によって議席の勢力が激変す
る事態が、容易に想像できる。

過去にも落選によってたくさんの悲劇が見過ごされて
きた。しかし戦前からの日本の政治史では、これらは
長きに渡り、敗北のリスクとして見過ごされてきた悪
習がある。

選挙は勝てば大きく表舞台に躍り出るが、敗けた時に
は力も立場も失う覚悟が求められる。だからこそ候補
を名乗った者は死力を尽くして選挙に向き合い、表舞

台への一枚の切符を欲っしてスタッフ一丸になって、
闘い抜くという論理だが、4年前を思い出して欲しい。

民主党は60議席を自公に奪われた。あるいはその時
に気がつくべきだったのだが、今回の選挙ではそれを
200議席近く奪い、大量の衆院選難民を生み出した。

議員一人に3人スタッフがつけば、生活の糧を失う人
は600人近くになり、その影響を受ける家族は倍々
ゲ-ムになる。

今回の様な、途方もない市民革命はそうは無いかもし
れない。しかし小選挙区制度は、このダイナミズムを
システムの中に内包しており、これを補う何らかの安

全網の構築は健全な制度運用に不可欠ではないだろうか。

前回民主党から60議席奪取した責任者は、民主への
スタッフの移動を、機密の面から問題視していると聞
いているし、民主の側にも同じ意見があると考える。

では、新議員の所に転職してもらわなければ、彼らの
優れた才能は発揮できないのだろうか?
衆参両院600人を超える議員とそのスタッフ180
0人+αは、自分達の報酬をシェアして、仲間を救う
事はできないのだろうか?

では、連立与党と野党第一党、政権が交代するたびに
国の方針が大きく変わる。その行動においてはある種
の一貫性が重要だが、その認識を創り上げるための仕
組は必要ないのか?そこに人財は必要ではないか?

必近の例では例えば与党が、各中央官庁の各課会議に
3人程度、政務方のオブザ-バ-を常時出席させ、会
議の内容を傍聴するとする。

そのオブザ-バ-は、政務官付きの政務秘書の監督下
にあり、直接政権の機密に触れる事はなくても、官庁
の活動を政務が傍聴できるだけで、政務側の人事考課
には有益である。

自民党のスタッフだった人でも、自分の分野の知識を
有益に活用できるしこうして時間を得れば、次の仕事
先も捜す幅を広げられる。

これから政権交代が常態化してこそ、新しい民主主義
のステ-ジに、私達は昇れる。

今のままでは、「私の人生のツマズキは、衆議院議員
の事務所に就職したことです。」と言われる様になり、
いずれ、成り手がいなくなる。

不自然な証拠。高知白バイ事件

「みなさん、時速10kmで走るバスが急ブレーキをかけたら1.2mのブレーキ痕がつくと思いますか?」

高知で民間人のバスと白バイの衝突し、白バイ隊員が亡くなるという事故がありました。

バス運転主は停止していたバスに白バイが突っ込んできたと主張しています。
バスに乗車していた学生と引率の先生もバスが停止していたと言っています。
バスの後ろに止まっていた車の運転手の校長先生もバスが止まっていたと言っています。

また、窓の外を眺めていた生徒は「バスが止まっていたら白バイが突っ込んできた」と証言し、校長先生も「止まっていたバスに白バイが突っ込んで来た」と証言しています。

常識的に考えれば突っ込んできた白バイ隊員が悪いと思うのですが。

これらの証言に対し高知県警は、

バスが道路を横切って走行し白バイを跳ね飛ばした。衝突に驚いた運転手は急ブレーキをかけた。と主張しています。
その証拠に、1.2mのブレーキ痕の写真と、バスが時速10kmで進行していたのを見たというたった1名の同僚隊員の証言を出しました。

止まっていたのに走っていたといわれ、ブレーキをかけてもいないのにブレーキ痕がある。

バス運転手側はブレーキ痕の捏造を疑い、そのことを裁判で主張すると「罪を逃れるためのウソ。反省が見られない」。として一審は有罪。

二審では、目撃者の生徒と事故鑑定士が証言する準備をしていたのですが何もできず、即日結審されてしまいます。

そして、最高裁も控訴棄却。

1年4か月の実刑となってしまいました。現在元バス運転手の片岡さんは刑務所にいます。

「一審後、明らかになったおかしな事実」

・2メートルのブレーキ痕

テレビで放映された映像や、高知県警の写真数枚を支援者が検証したところブレーキ痕は2メートル近い長さでした。
なんと高知県警がちゃんとブレーキ痕をチョークでなぞったものが2メートル近くあったのです。一体時速10kmで急ブレーキで2メートルのブレーキ痕ができるものでしょうか?なぜ裁判では1.2メートルまで短くなったのでしょうか。

・調書の指紋捏造

その意図を謀りかねるのですが、検察作成の目撃生徒の調書の指紋押印が、本人のものでない事が分っています。

その他にもおかしな事が結構あります。それらは家族、ネット支援者のブログで紹介されています。

高知白バイ事件=片岡晴彦収監中 http://littlemonky737.blog90.fc2.com/
高知に未来はあるのか? http://kochiudon2.blog105.fc2.com/
なぜ交通事故で冤罪や捏造が?-K察&司法監視委員会 http://r110.blog31.fc2.com/ 
Goodbye! よらしむべし、知らしむべからず http://c3plamo.slyip.com/blog/
きっこのブログ http://www3.diary.ne.jp/user/338790/
高知白バイ事故=冤罪事件確定中 http://blogs.yahoo.co.jp/littlemonky737

みなさん、どう思います?

<今のうちにサウスパークのDVDを輸入しておいて隠し持ち、英語のスラングまでもマスターし、真夜中にひっそりと楽しむ時代が来ない為に>

ロシアでは最近、風刺画も禁止される様になったが、政治と芸術(コメディー)は表裏一体であり、ジャーナルではこの部分が欠落しており、民主政権になる以上、保守派の論人も参加してもらう事がサイトの活気、発展に繋がっていくだろう。
また、誰もが分かっているので営業妨害にはならないと思いますが、唯一リベラリストとして世間に影響力を与える第一線を保ち、常に流される世論や権力と戦い、幼稚な日本の民主主義や言論の自由にリスク(死)を覚悟して、訴えてきたジャーナリストは今は田原総一郎一人しかいない。
本人はジャーナリストとは思っていないだろうが、テレビ出演をした次の日にイラクで死んだカメラマンや、日本の為に人生を捨てた政治家など、言論を戦わせてきたジャーナリストの端くれとしての責任からジャーナリストを名乗るのだろう。(発した事の弁解をしてはいけないのも、当たり前である。)

心のヨリドコロ、はたまた、ハキダメか?理想郷を求めるカルト集団サイトになる前に、ワンダーランドの住人の、ピーターパンやミスタービッグに、本気でぶつかり、ぬるま湯に浸からないジャーナリストの気概を期待しつつ、プロならば教えて行く事も大切なのではないだろうか、少なくとも高野さんには責任があり批判を恐れずキャパシティーを広げ、田原氏に何かあった時、志を受け継ぐ覚悟が日本の為に必要であり、残念ながらカントリージェントルマンになる理想は叶わないだろう。

国民新党の亀井代表が総務大臣ポストを要求していることで、またぞろ郵政民営化問題が火を噴きそうな感じである。
私は、郵政の民営化は100%必要な措置であると思う。
しかし、株式の公開がそのための必要十分条件だとは考えない。
自民党政権の時でも、民間の経団連などを組み入れることのない第3者委員会(経営監視組織)による監視のもとでの民営化を探るべきだったと思っている。
まして、民主党政権であれば、戦略本部などを機動的に運用して、実効ある簡素な監視組織を作り出すことは容易なことだと感じている。
旧郵政省のもとの郵便組織は、巨大な資金を運用部に預けることで、「財投」という得体の知れぬ妖怪のような資金運営を行ってきた。この点のみにおいて、小泉の改革は必要だった。
しかし、中曽根に倣い、株式を公開することが最終目的化していることにすべての問題があった。

そもそも、国鉄・専売そして電信電話公社といった民営化、株式公開された組織は、一体だれのものだったのだろう。と、私は考える。
言うまでもなく、国民の財産だったはずだ。
ところが、借金だけは国民のつけとして、きれいさっぱりとした体で民営化、株式上場と、およそ国民の反対意見など無きがごとく突っ走ってしまった。
その結果はどうだったのだろう。
功罪はどちらだったのだろう。
売却代金収入が国庫を潤した話など、現在の国債発行残高を考えれば、何の言い訳にもならない。
その評価はなされたのだろうか。
この問題にかかわることは、一大論文を書くことになってしまうので、ここでは行わない。
しかし、NTT一つとっても、郵政ファミリーによる電波や国への入札の私物化、更に、競争原理が働かないために起こった通信費用の高値安定。
この点だけとっても、とても大成功の民営化などとは言えない。

また、株式公開についてはどうだろう。
借金を肩代わりした国民はすべからく上場の果実を得られるべきだったが、巧妙に上昇を演出された上場・流通過程で、利益を得た国民がどれだけいただろうか。
損した個人株主までいる。
いや、抽選などという、さも「民主的」を装った分配にあずかれなかった国民の損失は、いかに大きいものだったろう。

自民党は、郵政でも再度これをやろうとした。
株に無関心な国民の無知に付け込んだ「詐欺」と言っても過言ではない。
外資に持っていかれるとかなどの以前の問題である。

西川社長を外すのは当たり前のこと。その他の役員も全員不適当だと考える。

適材がいなければ、しばらくは、国家戦略局あずかりで、株主は、総理大臣100%でもよいではないか。(当然財務大臣でもよいが)

何しろ、郵政は、民営化はしなくてはならないが、株式公開はするべきではない。
やりようは、いくらでもあるはずだ。

<自民党の再生>
国の権利が強まれば、個人の自由・権利が損なわれ、個人の権利が拡大すれば、国の権力・統治能力が弱まり、個人に責任も分配され、国の存在理由も薄らいでくる。
成熟した国になればなるほど、透明性が増し、自由や権利が個人に渡らざるをえなくなると同時に、国民一人一人のリテラシーが問われる様になる。
これは、経済も下へ流れ、文化も共有することになり、インターネット・携帯電話の普及と共に世界がフラット化する事を意味する。世界の国々は社会民主主義へと進んで行く。

では、世界経済不況の中、国民の生活は苦しくなり、また、世界的な方向性から左側に針が振れるのは当然だが、民主党も鳩派と鷹派の様に、かつての自民党と同様に日本の政治は一党で受け持っていく事になるのだろうか。日本人の国民性からその可能性も高いが、保守としての自民党の再生ははたして無いのだろうか?
基本的な対立軸を整理すると、人類の歴史は大なり小なり、いつも持っている者と持たざる者の戦いであった。単純に労働者と経営者に置き換えると、労働者は何時でも賃金を多く貰う為に権利を主張し、一方経営者は出来る限り賃金を安く抑え利益を追求し、会社の維持・拡大に努めたい、当然経団連・各団体は少しでも権利が拡大する事を望み、保守理念も個人に自由と権利が拡大すれば、国の権利が縮小し、国家国民という意識が希薄になり、纏まりを欠き、国の在り方が揺らいでいく事に懸念を感じる、国とは国民であり言語であり習慣であり郷土である。伝統、文化、日本国領土の防衛の軽視が行く行くは日本では当たり前に存在すると思われていた国の破壊へと齎される懸念である。

社会民主制という世界が向かう大きな流れの中で、保守政党が政権を担う事はもう無いのだろうか。
ほんの四、五年前はリベラルという言葉を発する事さえ恥ずかしく、時代遅れ、無知、青いというレッテルが貼られていた。保守政党の台頭は基本的に外圧を受ける場合であり、国外では対立する国、国内では移民(外国人)による諸々の社会不安であり、宗教・文化・経済・民族・領土、対立するあらゆるところに統一された国力を必要とし、国家主義的な保守性は国民一人一人に内在し自尊心に直結する。
だからと言って現在不況の中、主だった外圧も無いのに安部政権から衆議院選挙に至り右傾向を前面に出しては、国家権力のアピールに繋がり、逆に国民は不安を感じただろう。

自民党の復活、それは民主党にヒントがある。まずは野党に転落したことを確認することだ。利権も無い、法律も通せない、議員の立場も弱い、危うい。民主党がどこまで各省庁の無駄を省けるか疑問だが、経理をみて末端まで金の流れを調べ上げ、そこで働いている人間と金の使われ方を把握するのは単純な作業だが面倒な作業でもあり、改革の為には少なからず民主党の中にも甘い汁を吸ってきた人間がいない事を願いつつ、もし、改革、無駄を省けと叫んでいた自公の政治家の秘書以下の関係する人間達まで合法的に幽霊会社の様な所で血税をむさぼっていた事があったとしたら自民党は今以上に厳しい状況になっていくが、少人数になったにせよ自民党の壮大なる歴史に時間をかけ総括をし、各対立したグループと失政(新自由主義経済による行き過ぎた金融資本主義・政官業の癒着により改革が進まなかった事)や権力闘争に終始時間を割いてしまった事を反省し、意見をすり合わせ、郵政民営化の狂権を謝罪して和解をし、既に一体となっている公明党が看板をおろす事によって合流をし(単独では力が発揮できず、リベラル陣には理念が遠く、拒否反応がある)、リベラル思考の政権では国が衰退する(対立軸が必要である)という基本的な議員一人一人の立ち位置を確認し、戦後の日本から脱却した新しい保守党としての理念の下、再結集することである。

先進国である以上、保守の政策といってもリベラル陣と大きくは変わらずグラデイションの差の様なものでしかないが、個人よりも国(組織・企業)の権利に重点をおく為、大胆な経済対策・規制緩和策が行え、現在の社会状況を踏まえれば最低限セーフティーネットを構築した上での農業を含めた強い日本経済の復活を旗印に、外国人(移民)の受け入れを大幅に緩和し(これは保守党にとって逆に有利な政策である)、逆三角形の人口比率ではどんなに経済対策を打った所で効果が持続しないどころか年金や保険も維持できず、人口減少は国の消滅を導く為、日本人倍増計画として民主党よりも強力な子宝政策を掲げ、またこれは保守党の理念にも合致し、なおかつ、リベラル陣よりも強力に推し進められる政策でもあり、大前提である日米安保の堅持を含めた三点・日本経済の復活(大胆な経済政策) ・日本人倍増計画(子宝政策) ・強力な安全保障(日米同盟)を政策の柱に、国民が最も怒りを覚える自民党が出来なかった血税の使われ方(医療・保険・年金・郵政を含む)の見直しには協力する姿勢を示し、個別に具体的な(まともな)政策を打ち出せば、自民党は、もともと団体・組織に重点をおいた組織選挙であった為、民主党よりも地方組織がしっかりしている上、組織に有利な政策上、反映しやすいはずであり、再度、地盤を固めていけば、次の衆議院選挙では互角に戦え、民主党が失策を犯すような事があれば選挙制度上、政権交代もありえるだろう。


 -出たい人でなく出したい人を-

いささか古い情報となるが、長野県のローカル紙信濃毎日新聞の記事より。

「自薦16人、他薦は約50人 長野市長選候補者民主党の公募 9月19日(土)

 任期満了に伴う長野市長選(10月18日告示、25日投開票)で、民主党長野市支部は18日、5日から行っていた候補者の公募を締め切った。同支部によると自薦は16人、他薦は約50人という。25日をめどに1人に絞り込む方針。

 同支部は、現職の鷲沢正一氏に対抗する候補の擁立を目指し、推薦などの形で公募候補を支援する考え。個別の応募者の名前は明らかにしていない。

 国政で連立政権を組む社民、国民新両党関係者も交え、近く選考に入る。ただ、北沢俊美・民主党県連代表が防衛相に就任した影響などで、最終決定は25日を過ぎる可能性もあるとしている。」


なんと、自薦他薦合計66名が民主党の「長野市長選候補者公募」に応募したという。
この数だけを見れば、なかなかめでたい話であるが、もし先の総選挙でこれほど長野県民主党が大勝利しての勢いがなければ、これだけの方々が応募したであろうか?

むしろこれた応募された66名の方々に、応募の理由の中に民主党の勢いを考えていたのかを問いたいし、選考する立場の人にも同じ問いに答えてもらいたい。

さて、この長野県民主党の動きとは別に、既に8月前から現長野市長に対する対立候補を擁立して、長野市政の今後を問いていこうという動きがあった。
またこれは来年の長野県知事選挙とも深く連動する理由がある。
田中康夫前知事の「県民目線の県政」から「利権型の従来の県政」へ戻した現村井県政をここで止めるためには、その県政の黒幕とも言える長野市長との対決は避けられないのである。

前回投稿でも書いたが、長野県の民主党にはこの「田中康夫的」なものに対する敵対的な感情が存在しているようで、既に市民グループが長野市長選に対する対立候補擁立を考えている動きに対して「与しない」という姿勢があった。
そして紆余曲折があり、今回の「公募」という手段を長野県民主党はとったわけだが、市民グループが擁立しようとしている人物は応募をしなかった。

その理由は「決して民主と対決するのではなく、『市民の代表として出るから民主もいっしょにやりましょう」というスタンス』と言うことである。
また、一党一派に偏すると言うことが長野市政を改革するとき、無用であるとも考えたのではないだろうか。
露骨に言い方になるが、長野県民主党の「公募」に「応募」して選挙をすれば、たとえ勝利しても長野県民主党の枠内でしか市政運営が出来ないと言うことになる。

それにより、場合によっては市民グループが擁立をしようとしている人物は、現長野市長と対決ばかりでなく、長野県民主党が擁立した『公募』候補とも戦うという厳しい状態に陥ることとなる。

特に、長野市を選挙区とする議員は、この人物が応募しなかったことで激怒しているようである。
市民が擁立しようとしている人物に対して、普通に「いっしょにやろう」と言えば良いものを、わざわざ「公募」にして「応募」するのを待っているというのは、すごい上から目線であり、上にも書いたように民主党の枠内に押さえ込もうという考えが見え隠れしている。


ここで私が敢えて『長野県民主党』と書いているのは、この長野市長選挙に関しては中央と長野県とでスタンスが異なっているようなので、このように書き分けをした。

長野県民主党は25日までに『出たい人でなく出したい人』を選びきれるかどうかで、政党としての成熟度を問われる。

「旧今市の小1女児殺害:DNAは元県警幹部」

足利事件のニュースとして、驚くべき話ではないでしょうか。

この県警幹部は、取調べも何も行われていないのか?

警察官であるというだけで不問となったのか。

もっと記者に突っ込んでほしいところです。

皆さん、どう思いますか?

毎日新聞

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090920ddm041040110000c.html

栃木・旧今市の小1女児殺害:DNAは元県警幹部 「有力証拠」一転対象外に
 栃木県今市市(現日光市)で05年12月、小学1年の吉田有希ちゃん(当時7歳)が連れ去られ、遺体が茨城県常陸大宮市の山林で見つかった事件で、栃木・茨城県警の合同捜査本部が遺体周辺から採取し、犯人特定の手掛かりになるとみていた男のDNAが、栃木県警の元捜査幹部のものだったことが捜査関係者への取材で分かった。捜査活動中に付着したとみられ、事件現場におけるDNAの取り扱い方法が問われそうだ。

 捜査関係者によると、遺体やその周辺からは有希ちゃんやその家族以外の複数のDNA型が検出された。合同捜査本部は犯人特定の手掛かりになるとみて関係者らから任意で粘膜を採取し、このDNA型と照合するなどして捜査を進めてきた。

 ところが今年5月、足利事件の再審請求即時抗告審で行われたDNA型の再鑑定で、被害者の着衣に付着していた体液と、無期懲役が確定し服役していた菅家利和さん(62)のDNA型が一致しないとの結果が出た。栃木県警は体液は捜査員のものだった可能性もあるとみて、当時の捜査員のDNAを採取して調査。有希ちゃん殺害事件で現場から採取されたDNAについても同様に調べたところ、一部が元捜査幹部のDNA型と一致した。

 犯人特定の手掛かりになるとみられた男のDNAが事件発生から3年以上もたって捜査の対象外となったことに、捜査関係者からは「現場に残されたDNAと捜査員のDNAを迅速に照合する仕組みが必要ではないか」との声が上がる。

 ◇情報提供チラシ、「男」と断定やめる
 犯人特定の手掛かりになるとみられていたDNAが栃木県警の元捜査幹部のものだったことが判明後、合同捜査本部は事件の情報提供を呼びかけるチラシやポスターから、犯人を「男」と断定する文言を削除していた。

 昨年ごろまで作製されたチラシやポスターは犯人像について「冷酷で残忍な男です」とうたっていた。しかし今夏に新しく作り直したチラシなどからこの文言は削られ、現場付近で目撃された白い不審車両の情報を掲載するようになった。

 ある捜査関係者は「手掛かりになるはずのDNAが元捜査幹部のものと判明し、犯人が男か断言できなくなった」とみているが、毎日新聞の取材に応じた捜査幹部は「『冷酷で残忍な男』という表現が変なので削除しただけ」と説明している。

「記者クラブ」解放問題と、より重要な「政治とメディア・事務次官の会見禁止」について

 「記者クラブ」解放の問題がこのサイト及びネット上で盛り上がっているようです。「既存メディアとの違い」及びいわゆる大メディアの既得権という点で、注目するべき論点だと思います。

 しかし、政治報道という観点からみれば、私の意見では「より重要」、もしくは同程度に重要な問題があります。
それは、「政・官の役割」と「メディア」の問題です。


(1)「官僚主導政治」からの脱却の重要性
 いわゆる「脱・官僚主導政治」が、現下の日本の民主制において最重要の課題であることについては、様々に述べられています。このサイトでは、高野氏が
INSIDER No.503《ASO》8月30日、「次の100年」が始まる!─この総選挙の歴史的な位置づけ」で述べられていますし、多くの方が同意すると思います。

 そして、政策決定上、現代日本の官僚機構があらゆる先進国の中で異様な程自律的かつ強力な権力主体であることは、世界中のアカデミシャンの知るところです。それを一般に日本における「官僚主導」の政策決定システムと称しています。(「官僚内閣制」と表現する論者もいます)

 私自身も、このサイトでは
【News Spiral】 (7/28) 民主党マニフェスト発表会で鳩山代表が政権交代を訴える![動画] へ
>それは,高野氏が極めて適切に論じられたように,本当に重要な,まさしく「100年目の大転換」の開始となり得るものです。そして,それは後進国において「追いつけ追い越せ」型というか,真似するべきモデルがあった時代(こういうことには,官僚機構は比較的適している)から,冷戦後となりかつ世界最先端の国になり,政策決定に真の意味での「創造性」が本当に求められる時代の政治経済社会状況において,官僚機構が政策決定上の障害となっていることが明らかになっているからです。レーガンは大きな政府・福祉国家が人々を不幸にする状況を表現し,「政府は問題を解決しない。今や政府こそが問題なのだ。」と表現しました。現在の日本の状況は,「官僚機構は問題を解決しない。官僚機構こそが問題なのだ」ということになるでしょうか。その意味で,高野さんがお出しになった論点に全く同意します。
と投稿しました。
「100年に一度の改革」として、我々は「官僚主導の政策決定」を「成熟先進民主制国家型」の「政治主導・政党主導」の政策決定に変容させる必要があります。

 (なお現段階で、「脱・官僚政治」への有権者の支持・期待も大変大きいようです。もちろん、それは「明治以来100年のより良い先進国型民主制の実現」などといった認識というよりは、単純に「天下り」「無駄遣い」批判ということだと思いますが、当然重要です。)

 以上、まず第一に、今日「脱・官僚主導の政策決定」実現は、日本の民主制を世界レベルで競争力のあるものに変化させていく上で、不可欠である一方、「100年のシステム」を変革させていくものである以上、極めて困難な事業であることを、認識する必要があります。

 そして、この点は、皆さんご承知のように、民主党マニフェスト冒頭にも掲げられ、新政権における最重要課題と認識されているようです。さらに、その点を実行するための第一弾として、新政権最初の閣議で、「政・官の在り方」(平成21年9月16日 閣僚懇談会申合せ )
http://www.kantei.go.jp/jp/tyokan/hatoyama/2009/0916siryou2.pdf
が、文書として確認されました。

 ここで決定された「政・官」のあり方に関する「原則」その他は、概ねよくできた、かつ重要なものです。(なお、その重要性にも関わらず、大手新聞で全文を報じたのは、日経のみだと思います。)

 その中では、「政・官の在り方」に関する「基本認識」として、
1、「政」が、「政策の立案・調整・決定」を行い、「官」の政治的中立性を監視し、「官」を指揮監督すること
2、「官」は、法令に基づき主に「政策の実施、個別の行政執行」を行ない、さらに「政」に対し「政策の基礎データや情報の提供、複数の選択肢の提供等、政策の立案・調整・決定を補佐」することが明瞭に述べられています。

 この「政・官の在り方」に関する文書は、新政権、および今後の政権運営において繰り返し引用されるべき文章です。(さらに、「政治主導」を徹底化させるよう改定版が出されるかもしれませんし、法制化もなされるようです。正しい戦略だと思います。)


(2)「政治主導型政策決定」実現と従来の「政治・官僚・メディア関係」
 この原則を確認することは重要ですが、新システムを効果的に機能させる上で、さらに様々な仕掛けというか、改革が必要です。その最重要の論点のひとつが「メディアと政・官の関係」改革です。

 ここで、従来の日本政治において「政・官」と「メディア」がいかなる関係をもっていたかを認識することが重要となります。

長谷川 幸洋 (著) 『日本国の正体 政治家・官僚・メディア――本当の権力者は誰か』(講談社、2009年)という著作があります。

山本七平賞を受賞したようですが、私自身も日本の全てのメディア・ジャーナリスト、特に大手テレビと新聞メディア人は、全員きちんと読むべき著作だと本当に思います。(まずは、新人研修で、どうでしょう?)著者は、元中日新聞の論説委員で、各種審議会にも関わってきた人物です。

 そして、この長谷川氏の著作の重要な点は、官僚制優位の「政治構造」の下、もしくはその「政治構造」を支える形で、従来の大手メディアの「ジャーナリスト」と称される人々が、(社内での「出世」を目指す過程で)「構造的に”官僚のポチ”」となっていく、55年体制下の政治・メディア状況を明瞭に描いている点です。内部的に「優秀な」官僚は、自らの省益に有利な情報を適切な形で流してくれる、大手メディアの優秀な「ポチ」を飼っていることが求められるとの描写は、ある種衝撃的です。(そして、記者本人は、そのことに気づいていない、もしくは気づいて「出世」を求める中で共棲している・・)

 従来の日本のマスメディアに特異な問題は、色々あるのでしょうが、
「特オチ」を避け、(官庁・政治家リークによる)「特ダネ」を求める文化の中で、
官庁記者クラブ制の下、官庁側の組織的・選択的リークに踊らされて、結果として(しばしばジャーナリスト自身が明確にそうと意識せずに)「取材官庁に有利な政治状況をつくる道具(官僚のポチ)」になっている点が、その最大のものであるように思えます。
 そして、この点は、(日本の民主制を「改革」していく上において)是非行なわなければならない重要問題だと思います。

 *なお、先週日曜日にNHKで解説員が新政権の内政・外交を議論する「双方向解説そこが知りたい」という番組を観ました。NHK解説員は、NHKの中で多くの人がめざすポストなのでしょうが、やはりこの人たち、この著作で述べられた環境で「出世」してきた人たちなんだな、ということをまざまざと感じさせました(外交安保はまだましですが、内政はかなりひどいですね)。ぜひ、長谷川氏の著作を読んで、「官僚機構のポチ」となっていないか我が身を振り返って頂きたいところです。*

 さらに、「日銀総裁人事」「西松事件」における、民主制国家においてあってはならないと考えられる大手メディアの驚くべき報道姿勢の重要な要因も、基本的にはここにあるとみるべきだと思います。財務省ポチになっている大手メディア経済部記者、検察リーク情報を金科玉条としてしまう検察詰めポチ記者、の行動様式が重要な要因といえるでしょう。まあ、そういった「現場」を全体としてきちんと統括できていないという問題は、さらに深刻なのでしょうが・・

 このような中、55年体制下では、「官」が政策決定を事実上(省庁毎のボトムアップ的政策決定の過程で)握ってしまったり、「官」が「メディア」に対し(「政」と独立した権力主体として、つまり「政治的中立」を事実上犯す形で)組織として様々な事実上のキャンペーンやメディアへの働きかけを堂々と行なっていました。脱「官僚主導」を実現するには、こういった活動を原則として許さない「政治主導・政治優位の政策決定システム」設計、そのためのメディアとの適切な関係構築が必要である、ということになります。(民主制において、「官僚機構の政治的中立性」という観点からみれば、これはいわば本来「当たり前」の事であるはずなのですが、55年体制下これは驚くべきことに全く守られていませんでした。)

 以上、繰り返しになりますが、従来の「政治・官僚とメディア」の関係は、決定的問題があり、これも「55年体制からの脱却」という側面から、真剣に考えねばならない、ということになります。


(3)「政治主導型・先進民主制国家型政策決定」における「政治・官僚・メディア」関係
 そこで、大手メディアでも話題になった、「事務次官会見の原則禁止」問題です。(大臣記者会見を生で観ていた方は、お気づきだと思いますが、記者がー多分読売記者だと思いますがー、ほとのどすべての大臣にこの点に関する同種の質問をして、 「知る権利が侵される」など、ほとんど因縁をつけるような対応をしています。生放送がなされている中で、自らの既得権を保持するための質問を繰り返す姿には、ほとほとあきれますね・・)

 これは、一見先の論点と明瞭な結びつきがないようにみえるかもしれませんが、重要な関連があります。おそらく、官邸側(中枢)の意思は、この面でも「英国型」の「政・官とメディア」関係を形成しようとするものだと考えられます。

 これについて、大手メディアでまともな報道は、悲しい程ほとんどなされていません(ほとんど意味不明の「知る権利」論による反対のみです・・)が、朝日が一応是非双方の立場の識者のコメントをのせています。

 あるブログで、朝日に掲載されたコメントを引用し、さらにそれについて非常に的確にふれていたものがあったので、再引用します。

http://ameblo.jp/ysf/entry-10344702896.html
>〈桂敬一・立正大講師(ジャーナリズム論)の話〉 権力の使い方を全く間違っている。政治が許した形でしか権力への取材は認めないというのはファシズム。報道の自由なぞ存在しなくなる。官僚にしてみれば、取材の申し出の一つ一つについて、政治家へお伺いをたてることなど現実的に出来るはずもない。結局は「政治家でなければ答えられない」と取材を拒むことになるだろう。
>
>専門家がこんな頓珍漢なことをコメントするのですから、いわんやマスコミが狼狽し糾弾する気持ちも理解できますが、
>
>〈英国政治に詳しい阪野智一・神戸大教授(比較政治学)の話〉 政治主導が定着している英国では、官僚はあくまで政治家を補佐する立場。政治的中立と守秘義務が課せられ、記者と接触すべきでないとされている。説明責任、結果責任を負うのは国民からの負託を受けた政治家だ。日本ではこれまで政策の立案のみならず発信まで官僚が握ってきた。新政権の方針は正常な政と官の関係に移行しようというもので、現時点でどこまで実現できるかは未知数だが、とっぴとは思わない。
>
>こうした真っ当な意見があることは救いです。
>逆に言うと、すべて政治家が責任を持ち政治家が話す当たり前の姿を理解することです。
>そのためにはマスコミ自体が、記者クラブから脱却して本当の意味でのジャーナリスト、批評・批判する記事を書く必要があるでしょう。
>「政治家にお伺いしないと取材に応じられない」役人相手の何を取材するのですか?

(引用終わり)

桂敬一・立正大講師(ジャーナリズム論)という人物、(朝日が社論にあった人物を選んだだけかもしれませんが、)日本のジャーナリズム論、メディア研究の水準の低さを示すようで、悲しい限りです。

 英国における「官」は、政権交代が常態化している2大政党システムの下、時の政権に技術的に仕えるという意味での「政治優位」が明確で、「政」と独立に様々な(日本の「官」が従来普通に実行してきたような)政治的活動を行なうことが想像することすらできない主体です。そして、それを実現する手段として、「官」には規範的に「政治的中立性」「守秘性」が要求され、匿名取材はもちろん会見すら通常は認められません。
 よって、「官」が対外的に政治活動を組織的に行なう(これは、かなり広い意味です。たとえば、財務省主税局が、間接税増税のために様々に「活動」することは、当然の事ながら明瞭な「政治活動」です。)55年体制下の日本の政策決定のあり方とは、本当に「政」「官」の位置づけが異なるのです。

 そして、選挙により「政権」を選択し、その「政治」が主権者である有権者に「信託」を得て、「政権公約」を実現し、「統治」を行なう。そして、その統治が時期選挙において有権者に「審判」される、というメカニズムである以上、さらに米国並みに上級公務員の大々的な「政治的任用制」を実施しない以上、2大政党型政治システム下で、「英国型」の官僚像実現は、ほとんど論理的帰結というべきだと私は思います。(当然、一定のアレンジは必要でしょうが・・)

 よって、今回の措置は、阪野氏が的確に述べる通り、本来当然というべきです。

 ただし、「官」と「メディア」の関係のあり方を、長期的に(「官」の「守秘性」「匿名性」「政治的中立性」を実現していく)「英国型」に移行していくこととしたとしても、当面この問題をどのようにしていくかを考えなければなりません。また、事実に関するブリーフィングまですべて政党政治家が担当することは、現段階では実際問題として難しい側面もあるでしょう。

 そして、長谷川氏の分析からも明らかなように、本当の問題は、実は「会見」を行なうことではなく、「匿名(ということになっている)リーク」による「取材」です。上級公務員が政治的見解を公にしてはならない、という意味での「会見」禁止は、その問題に対処する前提にすぎないと思います。

よって、
当面のあるべき「政・官とメディア」について、以下のことが必要だと思います。

 繰り返しになりますが、基本的目的は、従来やられてきたような「政」と独立した「官僚機構による組織的リーク」「組織的政策推進キャンペーン」を断固として阻止することにあります。具体的には、

1、公開の「官」による(政治的見解を原則的に含まない)事実に関するブリーフィングを、「政」が許可した場合に限り認める。
2、「官僚機構による(政治的中立性に反する)組織的リーク」を阻止する必要から、「官」による「匿名リーク」を禁止する。(必要な取材は、非匿名である場合、許可する。ただし、「政治的中立」を犯す活動は、処罰の対象となり得る。)

とすることが必要であると思います。
 なお、これはメディア側にも一定の対応を求めなければなりませんが、基本的には「公務員規範」を、法制化を含めて「政治的中立性」「守秘義務」を厳格化する形で、決定していくことで実現可能です。なお、中長期的には、従来の記者クラブ制も含めて、メディア側に対応を求めることが必要かもしれません。
 そして、状況判断によっては、この種の問題を「記者クラブ解放」と同時に、一気に実現するという方法もあるかもしれません。

 なお、組織ではなく、官僚個人として、(職を賭して)「内部告発」(法的不正の告発)をする場合、企業におけるそれと同様の保護が、少なくとも中長期で必要となるでしょう。しかし、現下の状況は、それとは全く異なることは、まともな人であれば、明瞭に理解できるはずです。

 この辺をどのように「仕切るか」は、民主制の設計において極めて重要な点です。現段階で、(会見を聞く限り)個々の閣僚は充分に認識していないかもしれません。(方向性として明確だったのは、藤井財務相でしょうか。菅戦略相は、当然理解していると思いますが・・)

 繰り返しになりますが、当面の目標を、明確にする必要があります。以前の投稿でも述べ、高野氏も「100年以来の改革」と述べる、官僚機構が先進国において異常な程度「自律」し、政策決定と権力のあり方に決定的に影響を与えかねない状況を脱する、ことが現下の日本民主制の最大の課題であると認識するべきです。つまり、「官僚機構は、物事を解決しない。官僚機構こそが、問題なのだ」です。

 よって、「事務次官会見の原則禁止」は手始めであるべきです。大手メディアのキャンペーンに対抗できるかどうか、疑問もありますが、これをきっかけに、まさしく、「政治主導の政策決定システム」に適合させた「官による組織的リーク活動禁止」を含む「政治・官僚・メディア関係」を構築できるか、ここ1ー2ヶ月は正念場だと思います。

 ただし、この問題が、結構やっかいなのは、従来の(本当は全く匿名でないのに形式的には匿名に基づく)「取材」が、ある種日本の大手メディア人に身についた(先進国では異常な)「文化」のようになってきた点かもしれません。55年体制が本格的に終了しつつあり「政治」が先進国型となりつつある今、メディアも先進国型に変化していかなくてはならないのだと思います。困難かもしれませんが、日本のメディア人には充分そのことが可能であると信じたいと思います。

 もちろん、「官」が「政治」や「メディア」に介入しなくなった後(本当に実現可能か否かは、未だ不透明ですが)、つまり「官」が全体として、鳩山内閣新任直後の閣僚懇談会で確認された「政・官の在り方」に、文字通り合致した「吏員」としての先進国において当然の身の丈にあった文化を身につけ、民主制における適切な位置づけを得た後、改めて真の権力者たる「政治」を批判的に監視する努力をすることが、「メディア」に求められます。

 そして、記者クラブ制の下、「官僚のポチ」となっていった記者と同様の構造で、政治家についた記者が「政治家のポチ」になる事例もあります。そして、そこで日本のジャーナリズムは改めて真価を問われることとなるでしょう。(ただし、私は、2大政党型の政党間競争が活発である限り、基本的にはこの点をあまり強く心配をしていません。)

 「官僚主導政治」改革の要点は、「政」が局長以上の「官」の人事権を(公募制も含め)明瞭に掌握することにある、と以前投稿しましたが、それと共に、55年体制から脱却する、メディアとの適切な関係を築くこともまた、極めて重要だと思います。


追記;なお、何でもかんでも、「マスメディアは、バカ」「マスコミは、結託している」「自分たちが属する(正義の)勢力に敵対的」あるいは「マスゴミ」と考えるのは、いわゆる「カルトの心情」です。気をつけましょう。興味深いのは、あらゆる何らかの「信者」が、常にマスメディアが「偏向」し、「自分たちに敵対的」である、と考える点です。共産主義者や左翼も、特定宗教狂信者も、民族主義者や右翼も、自らの考えを身内で「正当化する論理」は、驚くほど酷似しています。

<民主党の真実>
まず、私は官邸記者会見がオープンでない事にホッとした。もちろん、オープンにしても良かったと思うが、公約に入れなかったのは民主党にメディア戦略があると感じていたからだ。
国民の手によって政権が変わった、新しくなった、透明性がある、期待できる、安定しているなどの政府の良いイメージを伝えるのも、伝えないのもマスコミである。未だ国民の世論は、既存(記者クラブ所属)の新聞とテレビの影響を大きく受けて形成される。
発足したばかりの政権で混乱もあり、ネガティブな案件も抱えており、会見をオープンにする事としない事へのメリット、デメリットのリスクマネージメントが官房を中心に備わっている、つまり私は、民主党が理想主義的で現実離れした素人集団ではないかと言う一抹の不安が、このことによって解消された。
外務省会見をオープンにした事は、もちろん、岡田大臣の単独行動ではなく対外的な事でもあり、国内的にはFOX-TV(政府戦略)の影響を受けて以来、マスコミは同じ論調で基本的に政府よりの報道をするようになり、その動向と反応、時間稼ぎ、一部のガス抜き、また、会見をオープンにする姿勢をみせているものと思われる。
リベラル理念からも、日本(民主党)の未来の為にも、政府はいずれタイミング(声が大きくなる、段階的に)をみて記者会見はオープンにするだろうが、この政権につく短い期間で、情報を分析し戦略を練り、支障を来たさずに判断が下されていると云うことは、官邸、官房のガバナンス(統制)がとられていると考えられる。

民主党政権が日本のあり方を変える「東アジア共同体」という大構想を掲げているが、これは、今なを続く冷戦構造の脱却と考えられる。
冷戦構造とは共産圏からの日本の防衛であるが、ソ連が崩壊した後もアメリカの国防に組み込まれ、日本各地に米軍基地が存在しており、無駄に高額な武器を買い、毎年、総額五兆円とも云われている軍事関連費を捻出し、おもいやり予算だけでも二千億円以上にものぼる。
経済においても、米国市場が大きなウエイトを占めていた為、度重なる不利な条件にも克服をし、日本経済は右肩上がりの成長を遂げていったがそれも無くなり、また、債務国であるはずの現在に至るアメリカの繁栄は、有利な経済システムを作り、基軸通貨の利を活かし米ドルを刷り続け、借金をして物を買いまくり、その金の支払いは米国債という形で日本だけで三分の一をも負担し買い支え、総額六百兆円を超え、更に、経済の安定と称して帳消しにしようとしている。
どれだけ日本人が働いても年金すら出ない仕組みである。

東アジア共同体戦略とは、市場が移りつつあり成長を期待されるアジアが世界経済の牽引役になり、共通通貨を作ることにより活性化させイニシアティイブをとり、現在の経済システム・バランスを作り変えていく事である。
中国と深い関係を構築し軍事的緊張が緩和される事により、おのずと、北朝鮮・ロシアとの関係も改善される様になり、防衛費の削減に繋がり、更に、大市場であり経済成長が見込まれるロシア・中国に日本は接しており、その先にはインドがあるという、地政学上、経済においても非常に有利な立場にある。

しかし、これは目標であって目的ではない。
真の目的は、アジアの経済圏が世界の中心となり、米国債を握る日本と中国が手を結ぶ事により、アメリカに国の存亡に係わる程の切迫感を抱かせ、日本の存在無くしては成り立たないという、アメリカ政府の共通認識にさせる事で、日本はアメリカの政治的介入・圧力を抑え、外交交渉を有利に進めることが本当の狙いである。
これが「対等な日米関係」の構築である。

確か民主党は鳩山総理始め主要議員達も従来の既存メディアの閉鎖的特権意識の強いいわゆる「記者クラブ」を開放しフリージヤーナリストにも同じ土俵で情報公開、質疑応答する事になつていたのではないのか…しかるにこの前の大臣会見ではあいもかわらずありきたりな質問しか出来ない既存の記者の姿しか見えず、ある女性記者は事務次官会議がとりやめになつた事を何を勘違いしているのか知る権利や報道の自由が侵されるなどとトンチンカンな質問をどの大臣にもしていた。事務次官会議と報道の自由など別に何の関係もない。取材したければ官僚にすればいいのであり、藤井大臣がキッパリと行政官は行政の仕事に専念し政治は政治家が責任を持つそれだけの事と明快に答えられた。本当にこんな低次元の質問しか出来ない大手メデイアに記事を書かれるのはもううんざりする。パソコンばかりの音だけが目立つただけだ。民主党が官僚が操る政治から脱皮しようとしているのにその発信元の既得権益に守られてきた記者クラブ制を温存するなど約束違反、情報開示からかけ離れている。これでは自民党と同じではないのか、原因は平野官房にあるのか官邸にいる霞が関からきている官房副長に丸めこめられているのか前向きな検討をしなければそれこそ政権党であるだけが目的の旧来の自民党と何ら変わらない。こういう問題は政策よりも軽んじられるが、国民も議員も案外注意してないところから官僚支配の構図に気がつけば陥つていたなんて事にならないよう細心の注意をすべきだ。何しろ霞が関文学なるものが存在しているのだからー何せ政権は発足してまもないことだし各省につかれた政治家(特に外交デビューの鳩山氏やダム問題をかかえる前原氏、問題山積の厚生の長妻氏、エセ地方分権にくれぐれもご注意されたい原口氏、まだ組織として法制化されてない国家戦略局等始動してまもないし各大臣も自分の部署の把握に精いっばいだろうし、仕事の成果はそれこそ長い目でいかねばならないだろう。しかし全体的な視点から特に内閣官邸の在り方は注視しておかねばならない。最近では安倍内閣のお友達官邸の失敗にみるように官房と霞が関副官房との在り方は総理を裸の王様にしないためにも重要な事だ。鳩山氏が平野氏への信頼感から失礼ながらその政治力に?をもつ私としては官邸改革がなされるのかと今回の記者クラブ問題から危惧を覚える。
杞憂であればいいのだが-余談だが行政刷新会議大臣の仙石氏がいみじくもこれからは既得権益を守ろうとするある部分の官僚達の政権を陥れようとメディアに悪意のリークを流しそれに乗つたメディアが前から後ろから斜めから情報の垂れ流しをしてくるだろうとはつきり発言しておられた。この辺の事情は例の小沢氏の件で嫌というほどこの国の危なかしさをみてきたわけだからこれから起こるであろう本格的な旧体制との戦いに心しておくべきだろう。政治改革なくして日本の未来はない。郵政民営化ぐらいで改革がなされると思つた小泉、竹中は本質的改革を何もしてこなかつたのである。政治改革こそが国の未来にとつて再重要課題であり、その先に国民生活の安定が実現されるであろう。

オリンピツクに鳩山総理や幸夫人をあれほど民主党に悪態をたれた石原慎太郎のただの名誉のため会議に出させようとの魂胆には絶対のるな!皇室まで政治利用とする右翼独裁者石原の私欲に都民も気付くべきだ。オリンピツク開催にもそれほどの熱も国民は感じていないのではないか、聞くところによると招致活動に1000億近くかかつているらしい。国民がリオデジヤネイロやスペインみたいに80%も越えているならまだしも開催希望が最低の日本に何故そんな大金を費やすのか、新銀行東京の大きな負債からも石原は責任を他におしつけ自身は逃げている。真の保守主義者なら「恥」をもつとも重んじるものなのに石原にはそれすらない。唯我独尊もいいところである。話は少し長くなつたが石原がそれこそ土下座(余り好きな言葉ではないが)でもして直接、鳩山氏に過去の言説を詫びるぐらいの態度を示さないかぎり政権が始動しだして問題山積の中、外国まで行く必要性は全くない。国民の生活も不安定な状況でオリンピツクどころではない。どうしてもというなら出たがり屋の麻生太郎にお願いしたら-同じ自民党でウマもあいそうだし、麻生も今は暇なんだろうし、どつちみちオリンピツクはきそうにないし、それ位の奇抜な事でもするよう私から提言します。

<YU-AI グローバルスタンダード>

私は西松事件を、ロッキード事件の再来と推測している。ロッキード事件に関しては田原総一郎氏の著書にも記してあるが、アメリカの関与があった思われる。
もしそうであるならば何故アメリカは、小沢一郎・鳩山友愛リベラル理念を恐れるのだろうか?

日本が民主党政権に変わった時のアメリカの分析も、推測の域からは脱しないだろうが田中イズムの後継者小沢一郎と鳩山理念は、少なくともアメリカ従属政権ではない事が伺える。
前回の<民主党の真実>で民主党の掲げる、「東アジア共同体」と「対等な日米関係」で考えられる事を掲載したが、その後の民主党政権の動向からも、アメリカ追随ではない事が垣間見られる。

官直人が日本の議会制民主主義のモデルになったイギリスへ、国会運営・立法府の在り方を学びに何度か飛んだ。このことは世界が注目したアメリカサミットの裏で、小沢一郎のイギリス訪問への地ならし及び新たな日英関係の構築が狙いと考えられる。
サミット期間中の日豪首脳会談も忘れてはならない。また、初めの外遊先に韓国を選んでいる。
これは民主党政権が、今までのアメリカを中心とした同盟国の枠組みを変える為であると考えられる。

国連でのCO2の25%削減や途上国への技術協力を謳った鳩山イニシアティブとは、更なる日本の技術を他の追随を許さないほど高め、かつて、イギリスが産業革命を成し遂げ世界を制し、次にアメリカが産業ではない、知的財産権・インターネット関連・金融などのソフト面で世界基準(ルール)を作り出し世界を制した歴史を踏まえ、日本が低炭素産業革命を実現し、世界標準のイニシアティブを握る事により、アメリカ(グローバルスタンダード)基準を変える事と考えられる。

鳩山民主党政権の掲げるリベラル理念とは、戦略的友愛精神の実現である。

 議員等と官僚の接触禁止について、英国では官僚と議員の接触は原則禁止されていると聞いています。民主党内でも一時その種の話が菅さんから述べられていましたが情報公開等の観点から沙汰止みになったようです。
 そこで議員(業界関係者)と面会(談笑、電話)等接触があった場合や上司からの口頭での命令指示の場合、官僚に「接触等記録」を作成保存することを義務付けることを提案します。
 議員等(上司の指示命令を含む)と面談(電話)した官僚は日時、面談場所、面談(指示命令)の案件、面談(指示命令)の要旨(内容の正確さについて相手の確認を得る)面談後面談を確認している同僚等が事実確認を行い最終的に上司に報告の後に記録を保存する。(保存期間は5年)
 これがあれば例えば村木局長(当時課長)が誰と面談したのかどうか、塩田元部長が指示したのか、塩田元部長はどの政治家から依頼を受けたのかがはっきりします。族議員等の跋扈口利きを防ぐ意味でも是非この記録の作成は義務付けて欲しい。
 鳥取県では片山知事の在職時議員の反発を受けながらも実施したところ議員の口利きが殆んどなくったそうです。

 おそらくはわが国の歴史に残るであろう衆議院選挙も、民主党の圧勝で終わり新政権が発足した。
 早速にも主要閣僚は国際会議に列席し、新政権は日本の「存在」を国際的に示しているのではと感じている。ここしばらく、日本という国は、外交上「お荷物」といえば語弊もあるだろうが、決して「品格ある国」との印象を持たれていなかったのでは、と感じることが多かった。
 しかし、新首相の顔は「国の代表」として引き締まり、就任間もなくでありながら、そしてまた圧勝という余波をも背景にし、国際的耳目を集めるに存分の働きだったと思う。
 これから年末に掛け、諸課題に取り組むための予算編成など胸突き八丁が続くが、しばらくは静かに見守ることが肝要ではないだろうか。
 その新政権で、諸手を挙げて歓びたい事象があり、皆さんも注目して頂きたい。それはいくつかの新組織がつくられ、そこここに「新看板」が掲示された。たとえば「国家戦略室」であるが、白木の板に墨痕鮮やかに、しかも力強い毛筆書であり、私はこの看板から新政権の意気込み、決意を感じとった。なぜか、それは政府関連のみならず、このごろ、この類の「看板」のほとんどが「ワープロ書き」と想定されるものであり、関係者の識見を疑っていた。その昔は「○○事件捜査本部」などの看板も、書家の手で書かれたであろうと推測することが多かったが、この頃は目にすることも少なかった。
 省庁の看板も然りである。例えば「文部科学省」、この原板は省庁再編の折、書家である今井凌雪先生の揮毫であると漏れ聞いているが、力強さの中にも風格がある。
 それに反して「国土交通省」の初期の看板はいただけなかった。これも風聞だが、時の大臣である、扇千景氏の揮毫であったというが、「恥」という思想の欠如を思わせた稚拙な書だった。
 その昔から「名詮自性」(名は体を表すと同義語)というが、(ただし私の場合、それは当たらない。)看板はその象徴であるからして、軽いもの、稚拙なものは、本体さえも私は疑うが、そんな時代背景にもとづく新政権の意気込みを、たった一枚の看板から読み取れると私は理解した。
 次は、前原国交省大臣である。「ダム建設中止」とする大方針をピクリとも動かさず地元民と向き合う。それも尊大でなく、真摯に耳を傾けるその姿には「心ある政治家」を感じた。無論のこととしてこれからが大事であることは謂うまでもない。

 新政権発足を機に、もう一つ、声を大にしていいたいことがある。それは沖縄の「普天間基地」問題である。否、普天間に限らず、沖縄に集中する米軍基地問題である。民主党のマニフェストでは、普天間問題につき、最大国外移転、最低でも県外移転と謳っていたから、先づは「国外移転」を大目標に踏ん張って貰いたい。私は軍事の、そして外交の専門家でもないことから、「落としどころ」などは理解できない。単純な脳みそしか持たない一市民感情として、沖縄に集中する米軍基地は「異常」と思う。
 何故か、それは戦中・戦後、私たちは沖縄を犠牲にして「平和」を謳歌してきた。その自覚なしに平和を語る資格などない。平和とは「心配やもめごとがなく、おだやかなこと」と大辞泉にあるが、これは自分の身のまわりだけが「おだやか」ならば良しとするのでなく、少なくとも沖縄を同胞とするなら、その苦難を排除する、よしんば排除が適わなければ分かち合う、それが家族であり同胞ではないだろうか。
 戦後60有余年、私たちは沖縄がおかれている過酷な条件、それは「基地経済」という、自立の道を閉ざされた環境を見て見ぬふりをして過ごして来た。何か事件があると一時期は火の手があがるが、程なく消えていつしかもとの木阿弥である。
 鳩山新総理は「日米対等」を謳い、中国との問題解決に加え、ロシアとの平和条約締結も提唱した。ならばこの際、沖縄問題もメインテーブルに載せ、同時並行で議論することを期待したい。

 私たちは地図を見る時、北を上にすることに慣らされてきたが、政権交代とは発想の転換でもあることから、この際に試して欲しい。南を上にして、沖縄・小笠原・本土のそれぞれに点を置き、三角形を描いてみよう。そこには広大な海が拡がり、発想を変えれば無尽蔵の「食糧生産地」でもある。
 または、小さな島国でありながら、独特の文化を育んできた。それは近年の芸能界を見れば明らかなように、異色のタレントも生み出し、音楽は出色でもある。そしてまた、若い女性プロゴルファーの活躍もある。まさに「ウチナンチュウ」の面目躍如たるものがり、自立の道が開かれれば、もっと大きく飛翔することだろう。
 それは戦後一貫して「小さくまとまる」ことだけを追っかけてきた私たちに勇気を与え、眠っている「縄文資質」を覚醒させるに違いない。
 これらを「地政学的」などという詭弁を弄する時期はとうに過ぎた。

白川勝彦氏がそのブログで書いておられるが、私も全く同じ様に感じる。
民主党になって、何か変わっただろうか?と。
氏は、裁判所・議員会館での手荷物検査を止めたらいかがと書いておられるが、私は、法律の制定や改変を伴わずにできるもの、「記者会見の公開、記者クラブの解散」が、一番望ましい変化だと思っている。
それと、ぶら下がりを止めること。
さらに望むならば、交通違反の摘発を、警告優先に変えること。
スピード違反、飲酒運転の摘発は、摘発でよいと思う。
しかし、駐車違反や、見えにくい「看板」の見落としによる車線の誤りなどは、とりあえず「注意」でもよいだろうと思う。

ご批判は、様々あろうとは思うが、ただの思い付きですのでご勘弁

これからの4年間で、日本の政治の在り方は、大きく変化するだろうと思う。
お金の配分が様変わりになるだろうと思う。
民主党が、その志を曲げない限り、大きな変化が起こるだろうことは、信じている。

しかし、そんな信じている国民ばかりではない事を理解すべきだ、と思う。
国民の支持は、熱しやすく冷めやすい。
とりあえず、目に見える変化もあってしかるべしと思うのは、間違いだろうか。
どんなつまらない事でも、「ああ、民主党はやっているな」という実感は、必要なのではないか。

<新たなる日英同盟>

前回の<YU-AIグローバルスタンダード>では、アメリカ中心の同盟国の枠組みを変え、アメリカのグローバルスタンダードをジャパンスタンダードに変えて、民主党は国際的な経済戦略を含め日本のこれからのあり方を標していると書いたが、実は<グローバルスタンダードの崩壊>または<民主党の全貌>と題して、もっと挑発的で過激な内容にしようと思っていた。しかし、<民主党の真実>でのご批判を考慮して、題名・内容とも少しマイルドなものにしてしまった。今回はその反省を踏まえ前回の文章を補った、より深い内容にしようと思う。

前回、小沢幹事長の訪英は国連・サミットの裏で目立たない様に行われた。これは国際的な刺激を防ぐ為である。では何故、そこまで気を配ったのだろうか。
日本がモデルにしたイギリスの立法府・国会運営の在り方を、民主党が初めて政権を担った事で視察・参考にする事が表向きの名目だ。しかし、私はこの動きは「東アジア共同体構想」よりも直接的で現実的な、日本のあり方を転換する民主党の最重要戦略に位置付けられていると推測している。

民主党政権には足りないものが二つあると指摘されている。国の成り立ちの根幹ともいえる国防と経済戦略だ。裏を返せばアメリカと距離を置くという事は、今までの日本の国際的な関係や構造を変えなければならないという事だ。
戦後日本はアメリカとの二国間を軸とした政策により、国防・経済とも世界一強い日米同盟を構築していった。しかしこれは冷戦構造の中では有効であったが、国防に関しては独立国としてはバランスを欠き、現在の状況では負担になる部分が大きくなってしまった。経済構造においても同様である。
このことを踏まえ、民主党政権の最重要戦略とは何なんであろうか。

自民党政権下の日本は、アメリカ一国を重要視した国防・経済の政策方針であった。民主党政権は今まで軽視してきた他の国との関係をバランスよく構築し、特にイギリスとの関係を深める事は、ヨーロッパとの窓口にもなり、王位制で民主政治のお手本でもあり、国が辿って来た経緯や日本と同じ程の島国で大きなEU経済圏が隣にある地政学的にも良く似た立場を経験してきた国で、軍事面ではアメリカも参考にしてきた世界最高水準を持ち、経済面では金融国家として成長を果し、アジア圏での連携を深めるオーストラリアを含め、CO2排出権取引でイニシアティブを握るEUに食い込む為にも、ニュージャパンにとって政治・軍事・経済とも日本に無いノウハウを持つイギリスは最重要国であり、イギリスにとっても日本のテクノロジーや新たな市場の為の重要な国になるだろう。

これから民主党政権が行う立法府のあり方はマスコミで伝えられているとおりだと思うが、イギリスは日本に訪れるであろう問題も、繁栄、衰退を繰り返し経験してきた国だ。金融国家として変貌し好景気の中、大量の移民を受け入れ、手厚い社会保障を実現していった。現在は世界同時不況になり保守系の政権に変わり、当然の事の様に起こる雇用をめぐる移民へのトラブル、シングルマザーの増加など、働かずして国の援助で生活が出来てしまう程の社会保障へのあり方の問題、民主党の政策において参考に出来る問題を抱えている。
国防に関しては実戦はもちろんだが、現実的にはテロ対策に活かされるであろう特殊部隊のノウハウや存在は否定されているだろうがエシュロンメンバーの加入を含めた通信傍受などの諜報関連の強化とアメリカ一辺倒であった為の国防費が抑制されることの期待ができる。

アメリカは民主党オバマ政権になり、一国主義や核兵器の使用、CIAなどによる反米政権へのクーデター支援や親米政権への極秘援助などを明らかにして謝罪し、国際社会への協調路線に転じた。
日本では半世紀以上続いた自民党政権から、小沢の田中イズムと鳩山の友愛精神が両氏の根底に流れ受け継がれてきたリベラル理念が融合し民主党政権へと変わった。これは日本が転換する必然の結果であったのかもしれないが、民主党政権の鍵を握るのはアメリカではなく、形を変え一世紀を越えて再び結ばれるであろう新たな日英同盟ともいえるイギリスとの関係である。

【日本の冤罪率を検証してみるのはどうでしょう】

The Journalは高野孟氏が管理者ということで取り上げるのにはいささか抵抗があるのかもしれませんが、2009年10月5日に植草一秀氏が刑期を終え、帰還されました。
私は、痴漢に関しては、そもそも何を持って有罪にするかと言えば、大抵は被害者の証言が重視され、提出される証拠から目撃者の証言まであまりに胡散臭いこともあり、言い換えればでっちあげ可能の詐欺罪に利用できますので、『痴漢』という犯罪自体は存在するでしょうけど、立件された事案については基本冤罪だと思っております。
また、足利事件のように今になって冤罪だと判断されるものもあれば、飯塚事件のように菅谷さんと同じDNA判定の不備が出てきながら、久間三千年さんのようにえらく順番をすっ飛ばして死刑にされてしまった事件もあります。
そして鉄馬さまが9月25日に投稿された通りで、すぐ近所でも起こりそうな感じのことが、
http://www.the-journal.jp/contents/yoronz/2009/09/1dna.html#more
という風にでっちあげの事件で有罪になったりしてます。
記憶に新しいところでも3月3日の小沢一郎公設秘書・大久保氏の逮捕にしてもそうです。
伊丹十三氏の件もありました。

日本では(少し古いデータで申し訳ございませんが起訴率63%でこの数値は国際的には低い
そうですけど)起訴された事例に対して有罪率99.9%ということで、しかし、はたしてこれは本当なのかどうかが上記だけでも疑わしくなるわけで、収監された人の中には冤罪に苦しめられている人が相当いるんじゃないかと思ってしまいます。
とすれば、いつ何時、政治がらみじゃないとしても、自分自身がこういった冤罪に巻き込まれないとも言えず、新政権が樹立を目指しているとはいえ、取調の可視化も、検察、警察という司法機関が(本当は抵抗する人たちをばっさり切ってしまえばいいんだけど)執拗に抵抗していることから法制化までしばらくかかりかねませんので、有罪率99.9%に対して冤罪率がどれだけあるかを検証してみるのはどうでしょう。
北朝鮮の拉致を平然と見落とし、1995年に県内に潜伏していると言われながらオウム指名手配犯をあっさり見逃してしまうような某県警の例もあります。
このような警察がいること自体、はたして本当に日本の有罪率は99.9%なのでしょうか。

国家戦略室のメンバーに新たに日銀の政策委員会室の職員を起用とのこと、一抹の不安を覚える。日銀の5000人弱の職員はみなし公務員扱いであり、当然国民からみて日銀全体の透明性が問われる。

国の重要な将来政策を決める国家戦略室に民間人を起用の際は、慎重に、十分なる身辺調査がなされて起用されるべきである。人事を急ぐあまり、どこからかの怪しげな推薦で身辺調査不十分にならぬように願いたい。

あまり多くを語らないが、日銀と米国FRB(別称:国際金融詐欺集団)との深い関係を考えれば、日銀の運営は米国FRBの影響が全く無いといえば嘘になり、陰に陽に受けていると見るのが妥当である。日銀職員起用と聞くだけでは当然疑問が生じる。

いずれにしても、以前からくすぶり続けている日銀法を改正するなりして、国民から見て日銀運営の透明性を上げるように情報をもっと公開すべきである。

<新たな日英同盟>の文章の中で、保守党系の政権に変わったは、誤りです。
ドイツと混同していました。
お詫び申し上げます。「労働党は」と訂正していただければ幸いに思います。

片山善博氏が戦略会議の委員に選ばれた。選挙前から民主党本部や大阪府連に電話やメールで是非彼を政権が取れたら地方自治や公務員制度改革でのプロなのでその力を借りるべきだと訴えた。ちょうど橋本知事が地方分権を唱えていたし彼には何より強い発信力があつた。方向性としては間違いではないのだが、果たして現状の地方自治がどうなつているかを考察すれば知事会ひとつとつても地方分権のマニフエスト評価でもあの自民や公明に民主党より高評価を与える愚を平然とした。少なくとも民主党はずつと地方分権を主張していたし自公が選挙目当ての公約である事ぐらい誰でも分かろうといえるのにいわゆる出来レースを恥ずかしげもなく全国知事会は政権党にすりよつていたのである。何10年も政権にいて地方分権などおよそ眼中になかつたのではないのか、メディアもその辺の事実に触れようともせず、当時所詮タレントに過ぎないエセ地方分権をネタに自分を売りこもうとした東国原をヒーローの如く追い回していた。最近、また懲りもせずテレビ画面にでてきている。少しは宮崎のため真面目に政治をしろと言いたい。話は片山氏からそれたが、この東国原の件も含め中央公論に地方分権、地方自治の問題点を多岐にわたり論ぜられている。彼は最近マスコミに時々顔を出し評論家づらしている前総務大臣の増田氏とは格の違いを感じる。一言言わしてもらえば自民党の総務大臣でいた間あなたは本当に影が薄く少なくとも改革派知事のかけらも感じじられませんでした。大臣を退いたからといつてテレビに出て最もらしい事を発言するのに恥ずかしさを覚えないですか?まあ自民党の政権に入った時点で改革という言葉は増田氏の頭から消えていた、またはあなたは改革者では本来なかつたのかもしれませんが…何はともあれ片山善博氏は浅野氏、増田氏よりも鋭い洞察力、見識、実績を持つておられなおかつ自然体でのそのインテリジエンスに多いに期待したいと思う。

前政権の負の遺産処理
政権交代後、民主党連立政権は前途多難である。いわずもがなの半世紀以上に及ぶ自民党政権の官僚主導の枚挙に遑が無い負の遺産処理である。前政権下での主権国民の意向を無視した官僚による省庁権益の維持拡大、政策の官僚への丸投げ、私利私欲の族議員の跋扈など言語道断だ。

今朝の東京新聞の特報に風力発電問題が掲載された。こんなところにも前政権の腐敗を見る思いがする。いまさらの感があるが、旧自公政権での問題放置に起因するものである。これは氷山の一角であろう。

低炭素社会に向けた再生可能エネルギーの代表の一つである風力発電が諸外国で爆発的な普及期に入っているのに、何故か日本ではなかなか普及しない。その原因は単に騒音、自然破壊、生態系への影響だけの問題ではない。

騒音、自然破壊、生態系への影響等に関しては、その関連情報を十分に公開し、風車建設に近隣住民の合意形成がなされてこなかったこと、さらに関連法整備がなされなかったことが普及を阻む要因となっているといえる。自由な民間投資と関連法整備(FITも含む)は車の両輪であり、どちらが欠如しても事業はうまく進まない。

諸外国では風力発電の騒音規制の基準が決められており、風車の建設位置は近隣住民の家から何m以上離れていなければいけないとか規制されているが、日本ではその基準さえ無い。苦情が出れば対応するといった実に環境後進国ぶりである。さらに風力発電は環境アセス法の適用対象外となってきたことも重大な問題だ。

結果論ながら、随分と昔から風車建設の影響を多くの人が指摘し、その都度、場当たり的な施策を行政が後手後手で行ってきたのが実状だ。明らかに前政権の行政府、立法府の不作為である。

風力発電の普及期といわれながら、こんなお粗末な状況であり、前政権は縦割り行政のもとで我が国の低炭素社会実現に総論賛成で各論反対であったのだ。長期エネルギー政策全般の中で再生可能エネルギー政策がいかに疎んじられてきたかを明確に証左するものである。

公知のように、EUでは2020年までにエネルギーミックスにおける再生可能エネルギーの割合を20%に引き上げるという目標が達成されれば、再生可能エネルギー部門に約280万人の雇用創出と、全体でGDPの約1.1%に相当する付加価値の創造が期待できると試算している。

政権交代した今こそ、持続可能でない原発ならびに化石燃料から如何に段階的に脱していくのか、長期エネルギー政策に関する主権国民の合意形成が必要だ。民主党連立政権下で、持続可能な再生可能エネルギーへの代替の長期ロードマップ作成ならびに代替に向けた課題克服のための研究開発推進、法整備、再生可能エネルギー設備の計画的導入等が問われている。

日本が抱える雇用創出問題ならびに経済効果の観点からもこれまでの政策見直しは不可避である。

前政権の負の遺産処理
政権交代後、民主党連立政権は前途多難である。いわずもがなの半世紀以上に及ぶ自民党政権の官僚主導の枚挙に遑が無い負の遺産処理である。前政権下での主権国民の意向を無視した官僚による省庁権益の維持拡大、政策の官僚への丸投げ、私利私欲の族議員の跋扈など言語道断だ。

今朝の東京新聞の特報に風力発電問題が掲載された。こんなところにも前政権の腐敗を見る思いがする。いまさらの感があるが、旧自公政権での問題放置に起因するものである。これは氷山の一角であろう。

低炭素社会に向けた再生可能エネルギーの代表の一つである風力発電が諸外国で爆発的な普及期に入っているのに、何故か日本ではなかなか普及しない。その原因は単に騒音、自然破壊(定義が問題であり、環境アセス法に基づいて議論が必要)、生態系への影響(環境アセス法に基づいて議論が必要)だけの問題ではない。

騒音、自然破壊、生態系への影響等に関しては、その関連情報を十分に公開し、風車建設に近隣住民の合意形成がなされてこなかったこと、さらに関連法整備がなされなかったことが普及を阻む要因となっているといえる。自由な民間投資と関連法整備(FITも含む)は車の両輪であり、どちらが欠如しても事業はうまく進まない。

諸外国では風力発電の騒音規制の基準が決められており、風車の建設位置は近隣住民の家から何m以上離れていなければいけないとか規制されているが、日本ではその基準さえ無い。苦情が出れば対応するといった実に環境後進国ぶりである。さらに風力発電は環境アセス法の適用対象外となってきたことも重大な問題だ。

結果論ながら、随分と昔から風車建設の影響を多くの人が指摘し、その都度、場当たり的な施策を行政が後手後手で行ってきたのが実状だ。明らかに前政権の行政府、立法府の不作為である。

風力発電の普及期といわれながら、こんなお粗末な状況であり、前政権は縦割り行政のもとで我が国の低炭素社会実現に総論賛成で各論反対であったのだ。長期エネルギー政策全般の中で再生可能エネルギー政策がいかに疎んじられてきたかを明確に証左するものである。

公知のように、EUでは2020年までにエネルギーミックスにおける再生可能エネルギーの割合を20%に引き上げるという目標が達成されれば、再生可能エネルギー部門に約280万人の雇用創出と、全体でGDPの約1.1%に相当する付加価値の創造が期待できると試算している。本段落引用は(http://www.deljpn.ec.europa.eu/modules/media/news)

政権交代した今こそ、持続可能でない原発ならびに化石燃料から如何に段階的に脱していくのか、長期エネルギー政策に関する主権国民の合意形成が必要だ。民主党連立政権下で、持続可能な再生可能エネルギーへの代替の長期ロードマップ作成ならびに代替に向けた課題克服のための研究開発推進、法整備、再生可能エネルギー設備の計画的導入等が問われている。

日本が抱える雇用創出問題ならびに経済効果の観点からもこれまでの民主党の現政策見直しは不可避である。

温室効果ガス25%削減は今以上の環境悪化を加速する原発増設は含まず、新エネ関連産業創出を前提にしたものと信じております。

亀井静香は、結局古い自民党の残骸だったのかもしれない。

郵政選挙の激しい洗礼、その後の厳しい野党暮らしで一皮むけた「新生 亀井静香」を期待したのが、どうも間違いだったような気がする。

かつての自民党議員の集金法の代表的な一つ「恫喝」手法の、誠に完璧な見本をやられてしまったのだろうか。
「貸し渋り、貸しはがし防止法」は、ほとんど(期待された、国民のための)「モラトリアム」の体をなしそうにない形で幕引きとなりそうな予感がする。
マスコミが大騒ぎをしてくれたことで、亀井氏の政権における「影響力、存在感」は、予想以上の大きさで印象付けられてしまった。
また、国内の「銀行」は、亀井大臣の力を脳裏に刻み込まれた。
どういう形かは分からないが、亀井さんの政治資金集めに貢献する団体の一方の旗頭になるのかもしれない。(企業献金が禁止されても、様々な形で)

こういうやり方、政治が嫌で民主党を選んだ者にとっては、白昼夢を見ているような気がする。
目まいがしそうだ。

この内閣は、4年間いじられるべきではないと思っていたが、やはり来年7月の参議院選挙ののち改造されるべきなのだろうと感じた一幕だったような気がする。

先日の知事会をテレビで見た範囲だが、以前に比べずいぶん言いたい事を言つていた。自民党政権下での官僚内閣制での恐怖から逃れたからだろう。情けないない知事がいかに多かつたという事だ。こんな自民党的既得権にどつぷりつかつた知事達に果たして地方分権など本当に出来るのかと私はある種の危惧感を覚える。片山善博氏がお喋つておられたが地方分権(地方自治)はあくまで住民のためにあるのであり、単なる知事の権限強化で知事の仕事がやりやすくなるようなものではあつてはならないのである。彼がある提案をした時に賛成したのはあの脱ダム宣言を多くの反対の中で果敢にした田中康夫氏だけだつた。これでだいたいの現状の地方の長の姿が透けて見える。話は少しそれるがよく大きな政府か小さな政府がいいかという議論があるが、国民にとつては生活の安定がはかられればどちらでもいい事なのだ。よつて金科玉条の如く地方分権が先走りするエセ地方分権には細心の注意が肝要であろう

官僚悪者論と政治家の責任
戦後の混乱期ならびに高度成長期において行政府の官僚が国家統制の計画経済を推進し、時の社会情勢が幸いして大いに成功した。しかし、この政治形態は明らかに行政府の官僚が立法府のなすべき政策形成を行うという逸脱したものであり、政治を歪ませてきた。これは立法府の半世紀以上にわたる自民党政治家の怠慢ならびに官僚の執拗な抵抗に起因するものである。不幸にもこの歪な政治形態は化石と化し、現在に残り、その鬱積が今回の政権交代の大きな要因の一つとなった。

国政を託された民主党政治家は独りよがりの考えでなく、先ずは民主党の国家ビジョンと使命を把握し、異なる意見があるなら納得いくまで大いに議論すればよい。そして本質的問題把握と政策形成能力を磨かなければならない。特に経験の浅い政治家たちは得意の専門分野を作り、能力向上に励み、官僚を使いこなし、立法府の責任ある仕事を成し遂げる責務がある。政治家の責任は重大だ。政策形成に関して、資金の関係で十分でないなら、レベル高い国民のボランティア活動をもっと利用するのも一方だ。

官僚悪者論、その所以は縦割りの省庁権益を第一義あるいは天下りに酔いしれる官僚の身から出た錆である。まじめに働いている国家公務員もいようが、影響力が大きい例えば局長以上の官僚の行動は国家公務員の鏡であらねばならず、自ら身を正さなければならない立場にいたのだが、現実は大きく乖離してきた。官僚悪者論を誰かが煽っていると見るは被害妄想だ。官僚悪者論の国民への定着は意識高い国民自らが情報を集め、ジャーナリズムの役割を自ら放棄した劣化マスメディア報道に対するリテラシー向上の結果でもある。

甘い蜜の天下りが出来ない、立法府に仕え国民公僕となることがいやだと感じる人は大卒後の国家公務員志望を諦めて民間に就職せよ。また既に天下りや陰の権力行使等の悪しき夢見て国家公務員となった人は直ちに転職を考えよ。国家財政はそんな本末転倒の公務員に給料を投じる余裕などない。

官僚は国に奉仕する公僕の原点に戻らなければならにない。立法府の力量ある政治家に仕え、案件に対し、自民党政権下でのような省庁権益、天下り等の我欲達成を最優先させ、隠蔽、捏造も混じる調査報告資料でなく、主権国民を第一義とする正しい調査報告資料に根本から変えなくては、官僚悪者論は容易に消え失せるものではない。

<人類の平和と繁栄への道 ガンダーラ>

ガンダーラ、それはインダス文明発祥の古代インド十六大国の一つ。現アフガニスタンの首都カブールに位置していた。
かつてそこは世界の商人が行き交い、内陸の交通路にある東洋と中東が交差する都であり、中国・ペルシャ・ローマを結ぶ文明の十字路でもあった。
国際的な商業都市として栄え、同時に客人を受け入れもてなす寛容な人々と文化、崇高で美しいガンダーラ美術、巡礼地としても発展した歴史を持っていた。

十八世紀の帝国主義時代からこんにちに至る二百年間のアフガニスタンは、代わる代わる正義の名の下に進出した大国列強の思惑に翻弄され、破壊と侵略それに伴う内戦の歴史に塗り替えられてしまった。
現在、食料・衣料・住居・医療施設が不足し、国民の半数ちかくが職に就けず、不衛生な水が原因で幼児の死亡率も高く、昔、旅人をもてなし農業と牧畜を営み牧歌的だった人々の心と国土は荒廃してしまった。

日本でガンダーラと言えば、幾度となく映画やTVドラマとして製作された「西遊記」の挿入歌のイメージが強いと思われるが、私の記憶に間違いが無ければ英語版の挿入歌で世界各国でも放映された。
その歌詞にあるガンダーラとは、1「誰も皆行きたい 愛の国ユートピア 何処にあるのか どうしたら行けるのだろうか 教えてほしい」 2「生きる事の苦しみさえ消える あまりにも遠い 自由で素晴らしい 心の中に生きる幻なのか」と歌われている。
アフガニスタンの問題を考えたときに、もし、神や奇跡の存在があるとしたならば、ブッタが現在の状況を予言し、人の口を借りてアフガニスタンの人々の苦しみや悲しみを訴え、世界の人々に問うているのではないのだろうかとさえ思ってしまう。

ベトナム戦争を人々は止められなかったのかもしれない。しかし、若者たちを中心に解決策を模索し、その答えを日本にも求め、キリスト教では無い禅仏教の教えや、松尾芭蕉の奥の細道がルート66に繋がり世界へと広がって行った。
およそ西暦五百年、東の終着点にまで仏教が伝わり、サンスクリットが漢語になり日本語になって文化や風習を纏い日本に定着していった。
中国・インドと仏教伝来のアジアの道が世界経済の中心になろうとしている今、インドガンダーラより日本に齎された自由や平和、繁栄への贈り物の恩返しを、かつて、三蔵法師の通った道を千五百年の時を経て歩み、日本人が解決しなければならないのかもしれない。

石原東京都知事を含め関東5県の知事達が大層に八ツ場ダムに大名行列みたいにゾロゾロうろついてその結論が「ダム中止反対~」の大合唱とはまことにおぞましい。前原国土交通大臣を独裁者呼ばわりなんかしてしらじらしいかぎりだ。独裁者といえばオリンピック招致に負けブラジルがフランスを金でご機嫌をとつたとか小心者で負け惜しみをぐたぐた言つて国際的に非難をあびたあの石原慎太郎の事だろう。それにポチの如くよりそう知事達の情けなさにはあいた口がふさがらない。こんなパフオーマンスやるならあの東国原も誘ってやればいいのに…本当にダムが必要だと思っているのかはなはだ疑問だ。結論からいえば簡単な事で無駄な公共事業が空港、港湾、道路等を自民党とそれに群がる既得権益者の一部のためにいかにこの国の形が歪められてきたかという事だ。私の近所の四国に何で3本も橋をかける必要があったのかと古い過去ではあるが今でも私の脳裏にその思いが浮かぶ。話は少しそれたが、こんな知事達に権限と金を渡して地方分権が果たしてうまくいくのかはなはだ心配だ。熊本の川辺川ダムみたいに色々な観点から検討し、ダムありきが全てではないと住民と知事による結論に至る。そういう地方自治を心底、望む。一時の感傷的な同情論で政治家は大きな方向性を見誤つてはならぬ。公益を絶えずその思考回路にへばりつけておくべきだろう。まさか石原は息子が自民党の幹部であるゆえに民主党に横やりをいれようとしているのではないだろうとは思うがわざわざ山崎拓の応援のため九州にまでいつて選挙演説するぐらいだから怪しい私欲がみえかくれする。山崎とは政治的には随分、考えは違ったのではないか、もはや石原は真の保守から離れて最近はやりの自己の保身のみをはかる官僚と同質になつてしまつたようだ。早くオリンピックの150億の総括や新銀行東京に反省をこめて仕事をしろといいたい。独善的なその体質がオリンピック支持率がわずか55%しかなかつた都民のある意味の白けの理由になつていると謙虚に考えてみるべきだろう。おそらく石原には本質的に無理だとは分かつてはいるがあえて言つておこう。最後にダム問題に関して八ツ場ダムの住民の方が〔本当にこのダムが必要なら50何年もかからずもう出来ている〕この言葉には実感としての真実が存在している。中止反対を叫ぶ政治家や官僚達の詭弁はもはや何の説得力も持たないと早く気づくべきだろう。マニフエストに書いてあるからとかマスコミはわざと形式的に国民の声みたいに誘導したがるし国民もそれにごまかされている面がある。無駄であるとか優先的な政策をどうするかを表現したものがマニフエストなのであつてその内容を軽視した風潮をメディアは特に注意をはらうべきだろう。この頃、何も分かつてない膳場アナとか他の女性アナまで3流大衆紙の読みすぎか国家戦略局の菅さんは影が薄いなどとろくに戦略局の位置づけや意味も勉強もせずただ面白しろおかしく発言して悦に入っている。本当にニユース番組も劣化しまくつている。後藤とかいうキヤスターもつまらん事を言つていた。以後、見ないけれど一応TBSなら筑紫氏の後継ではないのか、そうだとすればかなりの実力差は否めない。あんな発言しか出来ないのならいつそいないほうがいいだろう。今となつては筑紫氏が懐かしいし、いわゆる政治評論家やキヤスター連中にもこれというのがいなくなつた。こういう状況なら民主党の論客が政治をメディアを使い国民に語つてもらいたいものだ。思いつくままの雑談で失礼しました。

<長野市長選挙での民主党の大きな過ち>

長野市に原口氏と管氏が22日23日24日とそうとうに力を入れた遊説に来られますが、当然、民主党推薦の小林候補の応援のために来ると言うことでしょう。
小林候補については、元々市議補選に出る予定の小物。

以下のアドレスにも問題が書かれている。
http://blog.livedoor.jp/tuigeki/archives/52458911.html

これを読んでも賢明な読者は、この人物の卑小さがお分かりと思う。

しかも今はSBC放送で軌道修正した口約束をしているが、最初は浅川ダム建設推進を公言した男。

つまり、ムダなダムをダム利権のために押しすすめようと言う村井県政と歩調を合わせ、民主党のマニュフェストと真っ向対立する候補者を長野県連が推したこと自体間違いだし、当面軌道修正したとしても内心は推進を考えているであろう人物です。
(元々長野県の民主党はダム推進派ですからしょうがない利権擁護政党ですが)

また、2000年の長野県知事選挙の時田中氏の対立候補選挙事務所に県職員でありながら、「お手伝い」に詰めていた人物と同一人物ではという疑惑もある人物です。

ちなみに地元ローカル信濃毎日新聞10月18日の記事でも
「(前略) 個別の課題では、賛否の声が出ている市民会館の建て替えと、県が計画する浅川ダムへの姿勢などに違いが見える。

 市民会館の建て替えについて、鷲沢氏は議論する絶好の機会とし、討論会などで市民と検討したいとの立場だ。これに対し高野氏と小林氏は、白紙に戻した上で考え直す方針を示す。

 浅川ダムは、鷲沢氏と小林氏が治水面などから必要とする。高野氏は、計画の中止を県に要請すると主張している。」
このように小林氏の考えは浅川ダム推進を明言している。

このような人物を民主党が副代表や総務大臣を使って応援すると言うことは、民主党が自ら総選挙の時のマニュフェストを、踏みにじる行為を平気ですると言うことを証明することではないですか?

市民が立てた候補者高野氏は「コンクリートより人を大事にする市政を!」と鳩山代表が総選挙の時に訴えたスローガンを継承しているが、小林氏は「人よりコンクリートを大事にする市政」と考えているのだろう。

その「ムダなダム推進派でコンクリートに優しい候補者」を民主党の2大カンバンが総力戦で応援するとは、本当に面白い景色です。

原口氏や管氏がどのような顔をして、どのような美辞麗句で自らのマニュフェストに反する、ただ単に篠原議員の親友と言うことで、急遽長野市議補選から市長選に「天下り」した候補者を持ち上げるのか、楽しみとも言える。

長野県での総選挙で民主党を「政権交代」で応援した人たちに期待を裏切る行為ですね。

これは全国にも波及しますよ。

鳩山代表や小沢幹事長のお考えを知りたい。

民主党の勢力を伸ばすためには、「政治理念もへったくれもない」、と言うのが民主党の党是なのだろうか?

最後に市民が擁立し、最初は長野県民主党も擁立に傾いたのが「浅川ダム」の問題で意見が合わず、ダム推進を求めて篠原議員の親友で県職員の天下りを対立候補として立てたという経緯だが。

その強大で傲慢な長野県民主党に押しつぶされようとしている、市民派の候補高野登氏を紹介したブログを見つけたので紹介しておきます。

http://kurumayama1925.naganoblog.jp/e335809.html


United States! Where are you going?

ブッシュとネオコンの支配が終わり、オバマの登場で漸くまともなアメリカが戻ってきたかと思っていたら、医療保険反対のデモ、ノーベル平和賞受賞への反対とのCNNの世論調査結果、アフガン対応をめぐってのごたごたと、大分様子がおかしくなってきました

実際のところ、アメリカの人々が如何変化しているのか、マスコミ報道だけで判断するのは危険ですが、小生の好きな、SF作家オーソン・スコット・カード(出世作エンダーのゲーム)のブログを見てみますと、かなり過激なことになっていました。

彼はもともとは、民主党の支持者であったとのことですが、小生が彼のブログ(Hatrack River)を見始めた時点では、強烈なブッシュ=マケイン支持で、民主党ではイラン、イラク、アフガンでのテロリストの戦争に負けると、共和党応援の論陣を張っていました

オバマ大統領の勝利以降、政治ブログの記載がぱったりと止まっていたのですが、9月20日に”I am back”の標題で再開しました。

「オバマは極左で“he's a radical leftist”約束破りで、嘘つきだ“Obama has now broken promise after promise and told lie after lie”」という、なかなか強烈な内容です。

やはり、医療保険の問題、アフガン戦争での政権内のごたごたあたりを問題にしていますが、どうも、東欧での、ミサイル迎撃システムの配備停止が一番逆鱗に触れたようです(多分ご先祖が、東欧出身?)。

アメリカのある層の、意識の変化を示すものかと思います。

私は、アメリカが好きでした。フィリップ・マーローとハインライン、ジョン・フォード。
 『タフでなければ生きていけない。優しくなれなければ生きている資格がない。If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.』のアメリカは、ちょっと田舎くさいのですが、好きな国でした。 

 ブッシュのアメリカの新自由主義も、「50年前にアメリカが日本を打ち負かして『民主化』したことが世界から評価されているように、今から50年後には、アメリカがイラクを皮切りに世界を民主化していくことが、素晴らしい業績として評価されるに違いない」との演説にあるように、アメリカ国民の内のカードのような人々にとっては、世界の人々を自由に導く戦いとして、受け止められていたのでしょう。

 アメリカが今後如何変わっていくのか、オバマ大統領のチェンジは、果たして達成できるのか。

 鉄鋼、電気はとっくに崩壊し、自動車産業も壊滅に近づき、ITも実質的に空洞化、頼みの金融ビジネスまでが大きな打撃を受けて、いまや国内には農業と軍需産業しか飯の種がなくなってきているアメリカのようですが、タフな戦争で飯を食うのではなく、優しい生きている資格のある活路を見出してもらいたいと思います。

ことばを失った日本人(5)

 さても間延びした連載で、諸兄には忘れられているとは思うが、役目がら書いてみたい。
 「いま日本人はものごとをどう考えたらいいかわからなくなって、途方に暮れている。日本語のことがあれこれ取り沙汰されるのは、そのせいではないか」と書いているのは、作家の丸谷才一氏で、「考えるための道具としての日本語」と題する新聞記事の一節である。
 ここでは、初回から「漢字制限」の不都合について記してきたが、丸谷氏は「思考の道具としての日本語についてはちっとも配慮しないのが近代日本の言語政策であった」と断じている。
 ことばとは、事象の伝達の道具という役割とともに、「思考の道具」という性格がある。人はことばを使うからものごとが考えられる。その「ことば」に優劣があったらどうなるかは自明でもあろう。
 繰り返しになるが、漢字制限とは「思考の制限」そのものともいえるのではないか。以上について、日本語研究家の大野晋氏は、戦後の国語政策に関し、(引用始め・中公文庫、対談 日本語を考えるより)漢字の形はいじった、かな遣いはきちんとしていない。そういう状態で、しかも原稿書けば、この字はないからと削られて、「僻地」と書けば「辺地」に勝手になおすというわけでしょう。新聞社はそれをやってきた。そういう状態のもとでは、言語は体系としてぐずぐずになる。言語がぐずぐずになるということは、なぜそれを哲学者や評論家たちが問題にするかといえば、それは認識がぐずぐずになるということだからですよ。(引用終わり)
 と発言しているが、今の私たちは「ぐずぐずになった日本語」でものごとを考え、国家の行く末を論じているのだが、その認識をどれほどの人が有しているのだろうか。
 同じく、同著の中で江藤淳は、(引用始め)私が間違いなく日本人だと証拠立ててくれるものは一体何だろうかと思った。そのとき、自分の内的言語は日本語以外にはない、と思ったのですね。その日本語が空間を超えて日本にいる友人や同胞と自分とをつなげているものであり、また、時間を超えて記紀(日本書紀と古事記=筆者注)、『万葉』の時代と自分とをつなげ、おそらく未来の日本人にも自分を結びつけているものであるという感じがしたのです。(引用終わり)
 因みに、存命中の江藤淳は小沢一郎氏の良き理解者であったことが、世川ブログ
(http://blog.goo.ne.jp/segawakousuke)に採録されているので、参照願いたい。

 さて、新聞報道によれば「常用漢字表」の決定が間近である。相も変わらずいくつかの漢字を出したり入れたりと、まったく以てご苦労なことである。今時、まとまった記述はパソコン全盛期であることから、その使用については文章を書く人が決めればそれで良い。難解で不都合であれば、私の投稿と同じで読む人は少なく、かといって、どなたかの「ひらがな」ばかりの文章では、これまたバカにされたようで読む人も少数だろう。
 ことばを「思考の道具」と定義するなら、そのルールをお上が決めるのではなく、それぞれに任せるのが民主主義の原則でもあろうと思うし、新政権も、ゆくゆくはこんな小さな無駄さへも洗い出して排除するように願いたい。
 「いま日本経済はあやうく、政治はひどいことになっている。一方、日本語に対する関心がすこぶる高い。この二つの現象は別々のことのように受取られているけれど、実は意外に密接な関連があるはずだ。というのは、誰も彼もが国を憂えているが、しかし何をとう考えたらいいか、わからない。何も頭に浮ばない。」とは、先に引用した丸谷氏の締めのことばであるが、ネットにはびこる文章に、この危機感を有しているのが見えないのが寂しい限りである。

 静岡と神奈川の参議院補欠選挙の結果が報道されています。

 6時過ぎにチェックしたときは、投票率が前回に比較して大きく下がったとのことで、どちらに有利なのか分からなかったのですが、結果は両方とも民主党の圧勝とのことでした。

 選挙直前のマスコミ報道は(テレビは見れないのですが)、普天間問題、郵政新社長選任、鳩山首相の事務所家賃問題、岡田外相のお言葉問題、みんなの党の質問問題と、これでもかこれでもかの反民主キャンペーンでした。
 その結果で民主支持層が離れたのが投票率の低さに繋がったのかとも推測しましたが、結果を見ると逆で、自民党の支持層が選挙に行かなかったようです。

 この選挙結果から、二つのことが言えるのではないでしょうか。

 ひとつは、大新聞及びテレビの世論操作力が大幅に落ちてしまったことが確認された。
 まじめな企業は広告費の支出媒体の抜本検討に入るべきでしょう。

 他の一つは、自民党は本当に根底的に反省して出直さないと次の参院選で、息の根を止められる。

 特に次の国会で、鳩山首相の献金問題、郵政新社長の選任問題など馬鹿なテーマで論戦を挑んでいるようだと本当に溶解してしまうのではないでしょうか。

 アメリカの人々は、共和党とFOXの巻き返しでぶれてきているようですが、日本は微動だにしていないようです。

 「静かなる革命」は深化中です。

つい数ヵ月前まで日本郵政の簡保の宿で西川社長をあたかも悪の権化で鳩山邦夫が正義の使者のように世論もマスコミも言つていたように記憶するが今回、斎藤氏が社長に内定されるや何と前にも増してマスコミは民主党叩きにちまなこになつている。あの田原や竹中もうるさいかぎりだ。私は簡保の件でも邦夫氏が決して正義であるとは思えなかつたし西川氏が悪の権化とも思えない。この国はそれこそ小沢氏が何も発信していないのに想像たくましくある物語を作り、悪の源のような報道を平気で評論家もメディアも躍起になっている。あさましい限りだ。私があえて違和感をもつのは西川氏が住友銀行時代、しきりに郵政の金融を非難していたのに何故、彼が日本郵政の社長になつているのかという事だつた。民営化になつたからだと言うかもしれないが素直に考えるならその転向に共感は得られないだろう。そして民営化が今数々の問題を起こし国民がその政権を選択した以上、民営化見直しをしばらく見届ける時間は必要だろう。とにかく1か月そこそこの政権を若い嫁を根性悪くいじめる姑のような報道各社はその心根の貧しさを恥じよ!と言いたい。50数年続いた自民党政権のこびり
ついたウミやホコリを掃除するには相当な時間はかかるものだ。そんな事は誰が考えても分かろう。そんな批判よりはまずマスコミ自身が自らの報道の在り方を検証してからにしてもらいたい。官僚、特に検察に代表される司法官僚にとりいつてリーク情報を垂れ流す愚はもういい加減にすべきだ。ネタを他社より早く抜くための芸能週刊誌的発想はいくら日本人の民度が低いからといつてジヤーナリズムの本質を捨ててもらつたら困るのだ。既得権益者のポチになつていては単なるヤカラと何ら変わらない。いみじくも私が接している若者の数人は新聞もとらずテレビもあまり見ないのはお金だけでなくメディアはウソが多いと体感的嫌悪感をもつていた。私は活字文化は大切だと考えるが、若者達のその白けも現状のメディアの実態を一言で言い当てている。しつかりとウオッチしているのだ。これでは新聞文化の未来は暗いといわざるをえない。次に竹中氏のいい加減さを指摘しておきたい。ちょうど日本が金融危機の時、あの人の話も聞かず下品で独尊的な田原の番組で竹中は自由化や規制緩和のもと、今いろいろ話題の亀井氏とペイオフに関して激論を戦わしていた。竹中はペイオフ解禁を
するべきでこんなグローバルな事も出来ない日本に発展はないと主張した。亀井はこんな時に絶対にしてはならない、もう少し景気のみ通しが経つてからにすべきだと主張した。そして国会でペイオフ解禁は先送りされる法案等が通った。その時、金融担当大臣だつた竹中は一人国会の大臣席から深々と頭を下げていたのである。いくら政治に妥協はつきものといえ、こんな茶番を竹中はよく出来るものかとあぜんとした。彼はいわゆる純粋の意味での政治家ではないし小泉の経済政策のための知恵袋として政治家になつたのである。その証拠に大臣を辞めたらさつさと議員の職を投げだした。学者なら学者らしく自分の言葉にポリシーを持つべきだろう。あれでは完全なる二枚舌と言わざるをえない。去年、派遣村で苦労された湯浅氏からも竹中氏は日本には貧困はないと言つた事をさりげなく、しかし痛烈に批判されていた。ペイオフ解禁をしなかつた亀井氏の主張は今となつては正解だつたし、小泉、竹中のアメリカべつたりの新自由主義経済が貧困率にみられるようにこんな格差社会を生んでしまつた。何も竹中一人に責任があるとはいわないがテレビに頻繁に出て詐欺師まがいの口のうまさで詭弁を言わず少しは謙虚に静かにしていろといいたい。ホリエモンと竹中が日本を変えるなど本当に不遜な過去を反省すべきだ。あのグリーンスパンでさえ涙を浮かべ自身を責めていた。中谷氏も自身の過ちを率直に述べられていた。結論からいえばつまるところ人間の品性に帰するのかもしれないが…それと田原は自民党のまわしものなのか天下りだ天下りだとわめきちらし、細川政権をつぶしたのは小沢と斎藤だとおよそ評論家とも言えない短絡的発言をしていた。斎藤氏はかなりの実力者やにあるようで何よりそれ故に自民党の御用官僚ではなかつたようだ。表面的現象だけではなくもつといろいろ複眼的視点で思考しなければ事象の奥にある本当の意味は把握出来ない。自民党議員の言いがかり発言なら彼らのレベルから屁とも思わないが(麻生前総理も国会の所信表明演説で自らの政策を述べず前代未聞の民主党批判ばかりしていたし他の議員達の政策の勉強不足がやけに目立った)少なくとも長い政治評論でメシを食うてきた田原総一郎なら森田実や青山繁晴、三宅久之、岩見隆夫、早野透、それに立花隆みたいな硬直化した言説で晩年を汚されないようにとりあえず切望しておこう。もうひとつ民主党の真面目そうでディベートが苦手そうなずるさのない副大臣に目に余るホメ言葉はもういい加減にしろといいたい。宮沢を引っかけた話法が自慢なのかもしれぬが出てくる政治家に毎回、毎回お世辞話を言うのを聞くのは耳障りなだけだ。相手に対する礼儀でも何でもない。小沢氏に深みのある政策論をぶつけ合うぐらいのキヤスターになればいくら喋りが苦手な彼も喜んで出演するだろう。それには独尊的でしようむない政局論ばかりしていたら駄目だと言つておこう。いわゆるリアリストは本来、もつと内在する理想が感じられるものであるしそこにはある深みのある哲学が存在しているのだ。皮肉な事に私の心を動かす彼らはメディアに露出しないのだ。この国の文化レベルの低さ故であろう。

米国国家の歪みと日本への影響
米国にも古き良き時代もあったのだが、すっかり変わり果てた。その主原因をあげるとすれば、周知の米国議会1913年の連邦準備銀行法案(FRB法案)可決であろう。これを境に、国際金融資本連合による米国支配が決定的となった。いわゆる虚実の二重国家の誕生である。

現在の米国は民主主義国家と標榜するが、金融資本連合による陰の独裁圧制とも見ることができよう。卑近な例を示せば、米国通貨発行権と管理権を国の管理下に置く法案にサインしようものなら、金融資本連合の許容範囲を超え、逆鱗に触れ、過去の歴史が証明しているように、いつでも大統領暗殺が企てられる。ある意味で米国は無法国家である。

哀しいかな、米国大統領といえども、一事が万事、極論すれば国際金融資本連合の操り人形に過ぎないと述べるは過言だろうか。オバマ大統領就任が約1世紀前であったならなと思い耽る。

金融資本連合は新世界秩序形成に向けて、過去の世界戦略が思わしくないという思惑から政治経済のベクトルを「単独覇権から多極主義」へと大きく転換させ始めている。しかし多極主義へと変われば、今まで以上に多難事項も予測される。同時に米国の虚実の二重国家はそのまま存続し、問題は引きずることとなる。このような状況下で鳩山政権は独立国家として是々非々の厳しい自主外交調整能力発揮が必要だ。

また、国連も金融資本連合の影響下にあり、もはや国連の安保理決議事項の多くが正義の印籠に非ずとなってしまった。先のイラク攻撃に関する誤った国連安保理決議事項がある。いまや国連への不信は容易に拭い去れないところまできているのではなかろうか。

米国から日本政府に、毎年、暴力団より質が悪い理不尽な「年次改革要望書」を突きつけられ、まるで隷属国家のごとくに対応してきた。例えば、周知の自民党政権末期の郵政改革しかり、日米安保によるいつまで続くかという名実相伴わない独立国家日本の駐留米軍の再編、基地移転等ならびに最新兵器購入等々、さらに際立つ小泉政権で顕著に増大した米国債(約40兆円増加、2008年度で累積は約60兆円、実質上、売却出来ない国債で、もはや不良資産)購入など、甚大な税金や国民財産の投入に国民は皆、辟易している。

そして今、日本にも国際金融資本連合の触手があらゆるところに伸びてきており、日本企業が隷属とならないために経営者の能力が改めて問われている。既に国際金融資本と関係がある日本の銀行や証券会社は今後、どのように対応していくのか注視したい。資金面では勝てる筈がないのだから、頭を使うしかない。

遅きに過ぎた感はあるが、金融資本連合の横暴、圧制から脱却し、力に依存しない世界平和を実現するためには、米国がFRB法案を見直し、米国通貨の発行権と管理権を米国政府下に置くと同時に、世界各国政府首脳が一致団結して「世界の地域通貨制度の導入、実施」、国連改革(IMF制度と世銀の人事見直し、・・・等々)は避けて通れないのではなかろうか。

タイについて 1、仏に愛された国

 このコーナーの、流れとは少しかけ離れるかもしれませんが、海外情報を少々時間つぶしに入れさせていただきます。

 タイと日本(或いは、ヨーロッパ、東アジア)とでは、生存に関する基礎条件が大きく違います。
 タイは国土面積約51万4000平方km(日本の約1.4倍)人口約6300万人(日本の約半分)、人口の割には、平坦な耕作可能な土地が多く、しかも農業に関する気象条件には実に恵まれています。

 雨季(6月から10月)には、殆ど毎日1回十分な量の雨が降り、しかも殆どが朝方もしくは夜で、日中は強烈な太陽が照り付けますから、全ての植物が良く成長します。
 乾季についても、700km~800kmの平坦な土地をゆっくり流れてきた、栄養分を十分に含んだ、水が豊富にあり、かんがい用の水路を整備できた土地では、年4回のお米の収穫が自然条件としては充分に可能です。 

 しかし半面過酷な熱さがあります。平均気温は恐らく30℃超、4月、5月の乾季には45℃に近づき、家の中にいても寝転がっている、ばかりで物を考えることも出来ません。
 小生も、一度4月のソンクラン(タイ正月ータイが一番熱いときです)の休暇中に、クーラーが故障し、日中はランニングシャツ一枚で無念無想、ひたすら横になっているばかりでした。
 ただ、そのときに吹いてきた風の爽やかさは格別で、恐らく仏陀はこのような状態で悟りを開いたのかなとも思いましたが。

 この熱さのため、人間及び動物(牛、馬)の移動距離はかなり制限されます。
 今でもタイの人々は殆ど歩きません、恐らく800m程度が、精一杯ではないでしょうかわれわれはワイシャツ・ネクタイ・背広で歩くと、400mがいいところです、それ以上歩くと全身汗みどろとなり仕事になりません。

 この移動距離の制限と思考時間の制限は、国内での経済交流の停滞、経済競争の不活発さを生み、発展の遅さと、人口増加率の低さを生んだのではないでしょうか。

 タイの国としての成立は、13世紀のスコータイ王朝とされていますが、その約900年の歴史には飢饉の記録はありません。(日本の歴史には、6世紀の奈良王朝以来530回ほどの飢饉の記録が残されており、10万人を超える餓死の記録も多々残っているようです。)

 タクシン前首相は、「タイには貧乏人はいない、怠け者がいるだけだ、タイの農民は一日2時間しか働かない」といったようですが、確かに、タイのお年寄りで、小生の子供のころの日本の農村のお年寄りのように腰が折れ曲がった方を見たことはありません。
 またバンコクを少し出れば、耕作されていない土地が多々広がっており、田舎に行けば、耕作意欲のある農民には、未だに、政府が土地を分け与えています。

 このような環境ですから、餓死の危険があるところまで困窮すれば、人々は新しい耕作地を拡大し、或いは少し勤勉に2期作を3期作、4期作に切り変えて食物が確保できるというわけです。

 97年の通貨危機の際には、多くのバンコク近郊の労働者が職を失いましたが、彼らは家財道具を借り上げのピックアップトラックに積み、田舎に帰り帰農しただけのことでした。

 今回の、景気悪化も同様で、多くの工場が閉鎖し労働争議も一部有りますが、悲惨な話は殆ど無く、ホームレス等の姿も殆ど見かけません。

 このような、生存条件及び生存競争の緩やかさが、一寸人見知りが強いのですが、「微笑みの国-Land of smile」といわれる、タイの暖かい、笑顔がきれいな人々を作り出したのでしょう。
 小生は、日本で、人事を長くやりましたので、人の笑顔には敏感なのですが、タイの人の笑顔のきれいさには良くだまされてしまいます。

 タイの人々は、そのようなタイを「仏に愛された国」と呼んでいます。
 

谷垣総裁代表質問

国会が始まりました。 The Journal では、田中氏は今国会の意味、高野氏は鳩山首相の所信表明演説について力のこもった拳々服膺すべき論文を発表しておられます。

  恐らく、谷口総裁の代表質問についても、識者の方々が、評価を発表されるでしょうが、小生としても、感じたことが少々ありますので、まとめて置きたいと思います。

 8月30日の選挙で、自民党は、国民の支持を受けられず惨敗しました。その原因は何か、いろいろあるでしょうが、最も大きなのは、自民党の行ってきた政治を国民が支持しなかったということでしょう。

 企業であれば、その提供してきた、製品なりサービスが消費者の支持を失った、或いは今まで満足していた消費者の大多数が、満足しなくなったということです。

 このまま倒産しても良いというのであれば別ですが、政権復帰可能な2大政党の一方の柱としてとして今後も活動を続けるということであれば、まず自らのビジネスプランを真剣に反省し再び政権復帰が可能な、大多数の消費者が獲得できるようなプランを再構築しなければなりません。

 商品に欠陥は無かったか、消費者の好みが変わったのではないか、宣伝戦略はどうだったか、販売点網に変化がおきたのではないか、セールス部隊の活動力は低下していないか、相手商品が売れている原因は何か、我が社の協力代理店網はどうなっているのか先ず、自らの足元を真剣に再検討し、弱点を発見し正さなければなりません。

 その上で、再び消費者の嗜好に会った新商品開発、或いは既存製品について消費者の心を取り返せるコミュニケーションを立案し再起を図るべきではないでしょうか。

 そのために先ず何よりも肝心なのは、従来の自社商品の欠陥、どう考えても欠陥が無いというのであればその宣伝戦略上の問題点を発見し、対処策を考えることです次に販売店網、セールス部隊等の問題も詰めなければなりませんが。

 残念ながらというか、開いた口がふさがらないというか、谷垣社長、総裁のプレゼンテーション、代表質問の新聞報道を読むと、肝心な、自社商品についての反省がどれほどなされたのか全く見えません。

 以下自民党株式会社セールスマンの、社長プレゼンに対するコメントです。

 「あの会社に将来を託すのは危険」といいますが、今まで託されてきた我が社の従来の製品・現在に不満だから消費者は選択を変えたのでしょう。では我が社はどういう新製品を提供しようというのでしょうか、少なくとも従来の我が社製品の問題点をどう把握し改善しようというのか、ヒント程度はプレゼンしないといけないのではないでしょうか。

 「マニフェストが達成出来なかった場合どう責任を取るのか」、確かうちの先代社長は、公約が達成できないことなどたいしたことではないでしょうといった筈です。その反省をしないで、どう責任を取るかと詰め寄るのは如何なものでしょうか。

 「無駄遣い削減が出来ていない、9.1兆円の財源は出てくるわけが無い」、では我が社はやってきたのでしょうか、社長は長年の経験から、どの部分が無駄で何処を削ればいくら出るとお考えですか。 

 「消費税を含む抜本税制改革で、財政再建の道筋を示した」、我が社の案は、現在のお客さんに対する値上げ増税で、無駄遣いして出来た会社の借金をかえすということですか、これではお客さんは一層逃げていきませんか。

 「普天間飛行場で、一歩間違えば安全保障政策が立ち行かなくなる」、ブッシュ政権の対テロ戦争に追随し、真の安全保障である国際間の平和構築にいたる政策を示したことも無く、大飛行場をつくる税金バラまきで沖縄の人々を押さえ込んできた我が社では迫力がありません。
 我が社は、どういう安全保障政策を取るのですか、相変わらずとなりの狂犬に頼りっぱなしですか。どうもあの犬も大分弱ってきているようですよ。

 「献金問題に対する納得いく説明を」、先ず我が社の政治献金の内容について充分説明するべきではないでしょうか、企業献金に付いてはどう考えるのでしょう、どうせもらえなくなりますからこの際廃止を提案しませんか。

 日本の将来、マニフェストに付いての責任の取り方、無駄遣い削減、国民の負担をできるだけ少なくする財政再建、日米安全保障で構築する将来の国際関係、政治と金の問題に対するあるべき姿、これらについて我が社はこうしたいがお宅はどうなのという、選択肢(自社の商品)を示した上で、お客さんに訴えないと、商売敵の商品に対する悪口やネガティブ・キャンペーンだけでは勝てないことは、つい先だっての商戦、ではっきりしたのではないでしょうか。

 我が社再建への路は遥かに遠いようですが、日はだんだんと暮れて行きます。
 社長!早く結論を出してください。

タイについて 2 タイの人々と日本の人々 ありとキリギリス

 広く平坦な国土と、灼熱の太陽、豊富な水という自然条件のタイ国は、「微笑みの国」と呼ばれる、タイを生み出したのですが、この条件はタイの人々の、我々北半球の人間とはかなり異なる特徴も生み出したようです。

 我が社の顧客で、在タイ5年という、若い課長さんのところにお邪魔した際、「私は、5年いますが、最初の1年はタイが大好きになりました、しかし、本格的に仕事をしだした2年目からタイが大嫌いになりました」という話しが出ました。 小生も、5年目ですが、お気持ちは分かりますので、その話に大分花が咲きました。

 内容は次ぎのようなものでした。1、タイ人は、時間を守らない。2、タイ人は、勉強しない
3、タイ人は、厭なことが有るとすぐ会社を辞めてしまう。
4、タイ人は、タイ人同士で協調して仕事が出来ない。
5、タイ人は、仕事の決められた手順が守れない。

 勿論タイの人の中にも、勤勉で時間厳守、協調性に富み、仕事の手順がきちんと守れる人も居るのですが、確かに、上にあげたような観点から見ると、余り芳しくない人々が多いようです。

 何故そうなのか、小生は、前回に上げた「仏に愛された国」というタイの生存条件が、他の国とは違うところからきているのではないかと思います。 

 タイも日本も、長らく農業の国として生存を確保してきたわけですが、その条件はえらく違います。

 先ず日本の農業には、四季が有り、時間が非常に重要な役割を果たします。田植え、種まきにしても、刈り取りにしても、何時でもいいというわけには行きません。
 四季の移り変わりにより、それを実行しなければならない時節は制限されます、ある期間の内に済ませなければ、一年の収穫はふいになり、寒い冬がくれば、収穫を得られなかった家族は場合によっては、死と向かい合わなければなりません。

 一方タイでは、その辺はルーズです、季節はありますが、日本の夏と冬の違いはなくいわば一年中が常夏の国で、今でも田舎に行くと、たわわに実った田んぼのとなりに、青々とした田植えがすんだばかりの田んぼが並んでいます。
 日本のような、時間厳守という、習慣がなかなか身につかないのも当然かと思います。 

 勉強が嫌い、或いは勉強する習慣がないというのは、このようなルーズな生存条件からも来るのでしょうが、前回上げた、熱さということにもよるのかと思います。乾季は特に暑いのですが、とにかく一年中熱いので、一つのことを長時間考えるのは先ず無理です。
 人間は元々、ひとつのことを継続して考えられるのは15分までという話を聞いたことがありますが、タイでは恐らく5分間熟考することすら難しいのではないでしょうか、これではややこしい勉強ができるはずがありません。

 ちなみに、私の秘書は、一応高校卒業生なのですが、通分計算は出来ません。タイの高校卒業生の割合は、約13%で、タイでは高学歴です。
 また商工会議所大学の優等生の女の子に、損益計算書と対貸借対照表について質問したところ言葉自体を知りませんでした。

 協調性ですが、これも恐らくタイの農業の特性からきているのでしょう、日本では、コメ作りは単一の農家だけでできるものではなく、稲刈りにしても、田植えにしても制限された時間内に済ませなければならない作業、或いは、水の管理のための水路や貯水池の管理は共同作業です。隣近所で協調できない家族は、村八分となり生きていけません。

 タイの農業は、前述したとおり、時間の制限がありません。水は、放って措いても天から充分振ってきます。
 共同作業の必要性は、極めて低く、協調性がなくても生きていけないことはありません。
 どうしても否になったら、村を飛び出て新しい田んぼを開拓すれば良いのです。日本と違って、山奥に行かなくても、人の居ない、耕作されていない平坦な土地がまだまだ十分あるのです。 このことは、タイの人の会社が厭になったら直ぐ出て行く、という性格にも反映しているのでしょう。

 手順が守れない、というのも恐らく同じだと思います。日本の農業は、人口に比して極めて少ない土地を、大変な努力と工夫をしてぎりぎりまで生産性を上げるように使い込んできた農業です。 細かい手順と、改良、改善を積み重ねて日本のコメ作りは面積あたりで今でもタイの3倍の収量を確保しています。
  そこでは、手順を覚え、手順を守るということが家族の生死に直結してきたのでしょう。

 一方タイでは、熱い中で、面倒な手順を考えるのも、覚えるのも大変です、とにかく楽をして過ごせればそれで良いわけで、上手くいかなかったら、別のところに行けば飯は食っていけるのです。

 タイの人の良く使う言葉に、マイペンライ、サバイサバイという言葉があります。マペンライはなにか問題が起こった際に使う、「大丈夫」という意味の言葉で、少々問題が起こっても、ほっぽらかして出て行けば何とかなるよという性格を反映しているようです。サバイ、サバイは、「気持ちにこだわりがなく、気分が良い」という意味です。
 深刻に物事を考えたり、面倒な問題に陥ったりしていない場合に使うことばですが、これは彼らにとっては最も重要な精神状態です。

 お金が儲かっても、気苦労するのは真っ平ごめんなのです。

「一所懸命」、一生懸命の元々の言葉で、中世の武士が自己の領地を守ることに命を賭けたところから来た言葉と聞いたことがありますが、タイには一所懸命(一生懸命)に相当する言葉はないようです。

 日本人とタイ人を比較すると、ありとキリギリスの童話を思い出します。
 ただこのキリギリスには、寒い冬が来ず、一生歌って過ごせるところがえらい違いですが。

郵政民営化と金融本来の役割

 斎藤氏の郵政新社長の就任と郵政改革について、大前研一氏が、配信ブログの「ニュースの視点」で、かなり厳しい批判をしています。

 ポイントはこれでは郵政はこれまでどおり、人々の貯蓄を集めて国債運用することになってしまう、ということですが、何時もの鋭い指摘にもかかわらず、今回の話はポイントがずれているのではないでしょうか。

 今までの問題は、そうやって国債に運用され、政府に入った金が、自民党と官僚により利権漁りの無駄な公共事業と、天下り先の確保のための無駄な公益法人に突っ込まれてきた点です。

 それが、政権交代した民主党により、真に人々のためになる政府の施策展開に使われるのであれば、民間出身の社長の下で訳の分からない、アメリカの金融カジノに突っ込まれ、雲散霧消してしまうよりは遥かにましでしょう。

 このくらいのことは、大前氏のような頭の良い人にはわかっている話ですから、何故そこを省いて、民主党叩き更には小沢さん叩きを始めたのかというところに目が行ってしまいます。
 大前氏の議論は、いつも感服するところが多いのですが、この人も、どこか訳のわからないところの御用評論家かと理解し、今後充分気をつけなければならないなと感じました。

 閑話休題。

 本稿の本題ですが、金融の本来の役割についてです。

 人間が、経済活動を行うとそこには余剰が発生するケースがあります。

 一つの国の中のある地域、或いは個人の一生において、生産物の分配がある程度公平であれば、その地域、その時間帯では使い切れない余剰な生産物が発生する訳です。

 これを空間と時間をこえてスムーズに移動させるのが、貨幣(お金)が果たす役割で、金融の本来の役割は、この貨幣の保持と移動を円滑に仲介するということです。

 老後のために節約し、余ったお金をためておいたら、政府のわけの分からない公共事業や、特殊法人のために使われたり、アメリカの金融カジノで、アメリカ人の浪費のためのサブプライムローンのギャンブルや、石油や金の投機取引、イラク、アフガニスタンの戦争で儲けている軍事産業の設備投資に使われては、経済は活性化しませんし我々の生活は良くなりません。

 本来金融機関は、裕福な個人或いは地域であまったお金を預かり、成長している地域、会社に貸し付けて、その儲けを分けてもらい、預けた人に利子をつけてお返しするというのが仕事です。

 日本であれば、グローバル化にもかかわらず、日本でしか出来ない技術を生かし外貨を稼いでいる物造り企業、海外に物造り拠点を移し悪戦苦闘しながら世界市場で戦っている企業に先ず投資するべきでしょう。

 或いは新しい環境技術で今後のエネルギー転換に対応しようとしている企業、更には日本のサービス産業(金融、IT,教育、医療、観光、文化―漫画も含めます)の国内体制の強化と今まで、漫画を除いては殆ど行われてこなかった海外進出のために投資するべきです。

 金融サービスで言えば、現在インドでは、TATA社の30万円自動車の大当たりなど、急激な自動車産業の成長で設備が足りなくなっています。

 弊社の顧客は、20年以上経ったヨーロッパ製の中古の機械5台で、土曜日を含め週24時間3交代、日曜日も1シフトで働いています。

 弊社はこの企業からの受注を受けて機械を作ったのですが、相手先の銀行融資が上手くいかず完成したのものの我が社の工場で半年寝ており、社長は資金繰りで苦労しています。 

 その際聞いたのですが、インドの銀行金利は貸し出しで年利19%、定期預金は年利15%、個人の住宅金融は月利2%(年利24%弱)という高金利のようです。

 急成長しているのですが、分配の問題もあるのでしょう国内貯蓄が不足し資金調達が出来ず、成長を実現化するための設備投資が出来ていないのです。

 何とか手助けしようと、日本政府系の金融機関、銀行、商社、リース会社等に相談しましたが、インドの金融機関並みの或いはそれ以上の金利を要求するか或いは拒否かで、いずれも全くリスクは取りません。

 話が、自分の商売がらみの方向へそれてしまいました。

 郵政新会社の再出発を契機に、郵政を含めた日本の金融が、米英のカジノ金融への資金供給機関或いは日本国債の消化機関でもなく、世界規模で、真に必要な投資を支援し、しっかりしたリターンが得られるインターナショナルな金融ビジネスの方向に踏み出してくれないものかと期待しています。

 The Journal 編集部様 御中

 前略

 何時もお世話になっております。
 
 小生の昨日付けの投稿”某人気ブログランキング異変”重大な事実誤認がありました。
 真に申し訳ありませんが、全文削除をお願いできませんでしょうか。今後は、2度とこの様なことが無い様十分チェックの上投稿させていただきます。
 お忙しいところを勝手なお願いで恐縮ですが、何卒よろしくお願い申し上げます。
            早々
          赤虎頭巾 拝

国は何のためにあるのか

 辺さんの論考に刺激を受けて、コメントを書いたのですが、皆さんのコメントを含め、読み返しているうちに、もっと書きたくなったので、こちらに投稿させていただきます。 何時も長々とした駄文で申し分けありません。ご海容ください。

 朝日の狙いがは、東アジアの緊張緩和に水を差すこと。
 それで利を得るのは、今やアメリカの唯一の国内産業となっている、軍需産業と、それをバックにしている共和党というのは、理解できる筋書きですが、私が同時に考えたのは、金正日はそもそも何を狙って、拉致を行ったんだろうということでした。 

 二次大戦まで続いた、日本の植民地支配に対する意趣返し、日本へのスパイ活動のための要員育成などいろいろあるのかもしれませんが、如何考えてもそのことが、北鮮の人々の安全で幸せな生活を守ることに繋がるのか、なかなか理解しがたいところです。

 もっとも、彼らの主張を聞いていると、アメリカ+韓国+日本による侵略に対して殆ど病的といっていいような恐れを抱いており、更にそのことを北鮮の人々に教え込んで居るようですから、それを踏まえれば、拉致による対日スパイ活動要員の育成には、立派な国防の意義があるという論理になっているのかもしれません。

 そこまで考えてきて、国というものはなぜ生まれてきたのかと考えました。

 論語の顔淵編十二に、孔子が弟子の子貢の、国の政治を行ううえで肝心なことは何ですかという質問に対して、「食を足し、兵を足し、民を信にす」と答えたという部分があります。

 解釈はいろいろあるようですが、小生の私解では、経済(食)を整えて人々が生活できるようにし、軍備(兵)を整えて他国からの侵略に対して安全保障をおこない、礼儀(法律と教育)を行って、人々が信儀あるようにする(調和して暮らしていけるようにする)ということではないかと考えています。 

 この後、子貢が突っ込みを入れて、3つの要件の優先順位を尋ね。 
 孔子は、先ず兵を捨て、次には食を捨てる、「民に信なくば立たず」との有名な言葉を吐くのですが、今の北朝鮮人民民主主義共和国は、先代の金日成以来の先軍政治で、兵と信(プロパガンダと洗脳教育によるものでしょうが)のみのようです。

 それでも曲がりなりにも国は成立しているのだなあと考えました。

 更に考えたのが、いったい国とは何だろうということでした。国があれば、他国からの侵略を防ぐために兵があります。 

 北朝鮮に限らず、今この時代でもなお多くの国で、軍が独裁的な権力を握り実質的には北朝鮮と同様の、人々の生活(食)を無視し、その生血を絞る先軍政治が行われています。
 アメリカもある意味ではそうかもしれません。 民主主義の本家本元を称しながら、実際は、圧倒的な暴力を所有する軍が権力を握り、他国から国民を守るためではなく、国民を支配し、自己の権力と利益を維持拡大するために、他国との緊張関係を作り出し煽っている。

 そう見てみると、今の国というシステムはそろそろ止めたほうがいいのかななどとも思われてきました。或いは、意味のなくなってきている、システムは、所詮消滅していくのかな、などとも考えました。

 しかし、人間は所詮は獣ですから、国境がなくなり、国と国との諍いがなくなっても今度は、人と人との諍いが始まります。

 それを調整するために設けられる検察、警察、裁判所という強制機関と、人が生きている限り止めるわけには行かない経済活動を行えば、必ず出てくる富裕層、公的、私的組織の上層階級とが手を握り、警察国家が出現するのでしょう。

 これを防ぐにはどうするか。
 高野さん或いは鳩山さんが言うように、地方主権を確立することが先ず先決なのでしょう。

 警察及び行政などという、人々の相互関係調整の必要性から生まれたはずなのに、あっというまに、国という抽象化した化け物に化けてしまい、遠いところに行ってしまう権力を、人々の身近に引き戻し、その手に取り返すことからいくのが、王道なのでしょう。

 そう考えれば、小沢さんの、一年生議員選挙区重視の原則は、まさに日本の、或いは日本から始まるかもしれない世界の民主主義再構築の根源です。

 民主党の静かなる革命が成し遂げられることを、タイののどかな人々の、のどかな民主主義のための戦いが勝ち取られることとともに仏に祈りたいと思います。
 

続報 高知白バイ事件 再審請求にむけて

高知県警の証拠捏造を訴え続けた片岡さんが刑務所に収監され1年が過ぎました。通常であれば仮出所も考えられる時期との事ですが、警察を相手に訴訟を起こしている場合はまず無理らしいす。

事件発生時から粘り強く取材を続けていたジャーナリスト「山下洋平」さんが高知白バイ事件の本を発売する事になりました。

・どんな事故だったの?
・片岡さんは何をしたの?
・高知県警、裁判所はどうだったの?
・地元記者クラブ、マスコミの対応はどうだったの?

いまひとつ分かりづらいネットの情報、本になった事により事件の何が問題なのかが具体的に分かると思います。

また支援者のブログによると「そこまで書いていいの?」という事も書いてあるらしいです。

支援者ブログの記事

http://littlemonky737.blog90.fc2.com/blog-entry-239.html

『あの時 バスは止まっていた』ついに出版 - 高知白バイ事件=片岡晴彦収監中 2009年11月03日 04:10

来春出所直後、再審請求をする予定ですので、ひとりでも多くの方に読んでいただきたいと思い、紹介させていただきます。

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「あの時、バスは止まっていた」 山下 洋平 (著)

・内容紹介

証拠捏造、司法の歪み――次は、あなたかも

高知で起きた白バイ衝突死事故。止まっていたバスに、白バイが衝突。しかし、バスの運転手は裁判で有罪に、そして刑務所に入れられた。バスに同乗していた中学生・教師はみな「あの時、バスは止まっていた」と証言する。


2006年3月3日、高知県春野町の国道で、高知県警の白バイと遠足中のバスが衝突し、白バイ隊員(当時26歳)が亡くなった。事件後、バスの運転手、片岡晴彦さん(53歳)は免許を取り消され、また同年11月には業務上過失致死罪で起訴され、2007年6月に禁固1年4カ月の判決が高知地裁で下された。
だが、片岡さん運転のバスは止まっていた。そこに時速100kmは出していただろう思われる白バイが突っ込んできたのだ。白バイは追跡中ではなかったので、明らかにスピード違反。しかし、警察・検察が証拠写真として捏造したと思われる「1m以上のバスのブレーキ痕」が決定的証拠とされた。職を失った片岡晴彦さんは、毎朝3時起きで新聞配達をして食いつなぐことになった。
事故当時、中学生22人と教師3人がバスに乗っていたが、皆、バスは止まっていたと証言している。バスの後ろで自家用車に乗って一部始終を目撃していた中学校長も同じだ。納得がいかない片岡さんは控訴したものの、事故時バスに乗っていた生徒の証言や証拠を高松高裁は一切退け、即日結審。地裁判決と同じく禁固1年4カ月(執行猶予なし)の判決が下された。
今年8月、最高裁判所から片岡晴彦さん宛に「上告棄却」の通知が届いた。つまり、門前払い。次いで10月23日午後1時に地検への出頭命令が届き、現在、片岡さんは獄中の人となっている。この事件の問題点は警察・検察・司法にとどまらず、報道に当初消極的だった地元新聞・テレビの姿勢にも及ぶ。


この事件は「明日はわが身」であることを物語っている――何の罪も、何の交通違反を犯していなくても、警察がその気になれば逮捕される、有罪にされるという事態が、日本社会に歴然と存在する。また、来年5月から始まる裁判員制度では、われわれ自身が事件の判決に立ち会う事になるかもしれない。この一般市民が巻き込まれた現在進行形の事件を下敷きに、読者一人ひとりが事件の当事者、そして事件を裁く裁判員の視点から本気で向き合う契機になる。

著者について

山下 洋平f(やました ようへい)

KSB瀬戸内海放送 報道記者。高松本社報道制作ユニットに勤務後、岡山本社報道制作ユニットへ。『おかしい』と思ったらとことん突っ込むその取材力には定評があり、1年間追い続けた贈収賄事件では、全てのテレビ・新聞を出し抜いての完全スクープ映像を全国ネットで放送。本企画の事件も、第一線で追い続けてきた。

ことばを失った日本人―異聞

 このブログで再々紹介した世川ブログの筆者・世川行介氏が、氏独特の切り口で論説を書いてくれる約束ができ、編集部の同意も得られたのだが、故あって「小沢私論」(仮題)の再構成に没頭していて、その隙間がなくなっている。
 そこでしばしの繋ぎとして、ブログの転載を思い立ち、同意が得られたことから、数回にわたり、その一部を私の手で紹介することとした。なお、改行は文体を損なわない範囲で私の手を加えた。

 小沢一郎への想恋歌

 2009年3月4日 23:11:07
 小沢一郎という政治家は、悲運を属性にしている男ではないか。
 そう思ったのは、今から十数年前、細川連立内閣が突然瓦解した時だった。
 政治理念よりも自分の立場や権利を重視する人たちのつまらない思惑によって、〈理念の実現〉という闘いの結晶が崩れていくのを眺めながら、この男は、いま、どんなに口惜しいのだろうか、と思った。

 あの時、世界の変革の本質にまるで無自覚だった旧社会党の代議士たちと、我欲だけで動き回って、当時一等高級だった保守理念を泥まみれにした武村正義とかいう代議士だけは、今思い出しても反吐が出そうになる。公明党や欲得勘定だけの自民党離脱組などは、論外だ。

 僕は、その直後から、政治などという大仰な世界とは全く無縁な男になり、特に、歌舞伎町に身を沈めている間は、世間の動向などに関心を持たなくなった。
 馬鹿な国民だらけの日本国家なんかどうにでもなればいい。日本国家よりも、歓楽街に潜むオーバーステイのクラブホステスの涙の方が、よっぽど重い。本心からそう思って生きた。

 ただ、時折、日本社会のニュースに接するとき、小沢一郎は、今、何をしているのだろうか、彼は何を考えながら政治にたずさわっているのだろうか、と思った。

 僕がこの日記を書き始めたのは、小沢民主党が参院選で勝利する直前だった。

 小沢民主党が勝利した後からでは、何でも適当なことが書ける。まだ勝利が見えていない時期にきちんと公言おくべきだ、と考え、2007年7月29日の日記に、「彼が政治を見る眼は曇っていない」
「小沢一郎がいなくなったら、日本の保守政治はおしまいだな、と思ってきた」と書いた。

 今もそう思っている。

 印象批評のような、あるいは芸能人へのファン投票のような浅い認識で政治が議論されるこの国において、悪党面の小沢一郎たった一人が、不器用きわまりない表現で、〈保守政治理念〉を語り続けてきた。
 しかし、彼の言葉はいつも、マスコミや旧左翼、あるいは天敵自民党によって、曲解報道され、彼の真意が国民に伝わることはなかった。
 つまり、彼は孤独を生きてきた。

 最近の世論調査で、「首相にふさわしい人」で、小沢一郎が一位になったと聞いた時、一番苦笑しているのは当の小沢一郎ではないか、と笑った。
 僕が、小沢一郎のどこを一番評価するのか、と言えば、それは、彼が、「政治家に下りていった人間」だからだ。
 多くの政治家たちは、「政治家に昇っていこう」とする。吉田茂だって、田中角栄だって、小泉純一郎だって、結局は、政治家に上昇していこうとした人間ばかりだ。
 戦後、そういう上昇志向を棄てて、政治家に〈下降〉していこうとしたのは、小沢一郎ただ一人だった、と僕は理解している。
 この点について、きちんと書こうとするとかなりの注釈が必要となるんので、省略する。

 彼と同質の匂いを放っている人物を探すとしたら、おそらく、明治期の西郷隆盛だろう。西郷もまた、政治的リアリストの立場から、国家理想を語る場所に〈下降〉しようとした人間だった。

 それがわかるから、江藤淳は、小沢一郎を高く評価し、孤立無援になっていた小沢一郎に、産経新聞の一面を使ってまで、「一度水沢に帰って隠遁しろ」と書いた。
 江藤淳は、その卓越した文学的嗅覚で、小沢から離れることのない悲運の匂いをも嗅ぎ取っていたのではないか。僕には、そう思えてならない。

 東京都知事石原慎太郎が、自分は、盟友江藤淳がなぜあんなに小沢一郎を高く評価するのかがわからない、と書いていたのを読んだ時、上昇志向を生きてきたお前にはわからないだろうな、と思った。
 政治家を、〈下りていく職業〉と規定する生き方は、そんな発想を持ったこともない多くの日本人から理解されようもない。しかし、小沢一郎は、それを自分に課し、愚痴もこぼさずに、一歩一歩着実に歩いてきた、ように思う。

 そして、今回の事件だ。
 これまで日本国家を支配してきた〈自民党的〉なるものが、最後の力を結集して、小沢一郎を撃ちに向かったのだ。生死をかけた政治闘争は熾烈なものだから、法を手中にした側の力によって、小沢一郎は無傷では済まなくなるかもしれない。

 ただ、今日、NHKニュースを見ていて、この最後決戦は、〈自民党的〉なるものが望むような結果には、すんなりとならないのではないか、という印象を受けた。

 小沢の反論に納得賛成する声があり、唐突な逮捕・強制捜査に、政治的策略の匂いを嗅ぎ取った国民も大勢いる。つまり、あっさり潰すには、小沢一郎という存在は、大きすぎる存在になっている。
 しかし、今回無傷で終わったとしても、小沢一郎なる政治家は、政治家という畳の上で大往生できる男ではなく、非業の末路を迎えるのではないか、という気がしてならない。
 ただ、僕たちには、それが彼の悲運に見えるのだが、おそらく、それこそが、彼が夢見てきた「政治家の生き様」であり、最大の勲章であるのかもしれない。

 だから、もし、まだ、僕がこの世にいたならば、彼が政治から退く最後の場面で、僕なりの大拍手を捧げたい、と思っている。
 今はまだ負けるな。小沢一郎。                            続 

タイについて3、番外編

本稿は小生の“タイについて、1、仏に愛された国” に頂いた、ハンドルネーム”こと恵美“さまからのコメントに対する回答です。

拝啓  こと恵美様

 遅くなりましたが、頂いたコメントについてのお返事です。

1、貧困問題  
勿論、タイはまだまだ貧しい国です、最低賃金は一日約600円、日本の時間当たりの最低賃金額とほぼ同じです。大卒の初任給が、2万5000円程度ですから、私が卒業したときよりも低く、日本の高度成長が終わる少し前という水準でしょうか。 
ただ、衣、食、住の生存に必要なコストが日本或いは北の寒い国々とは全く比較になりません。
 例えば最高級のタイ米が、イギリス資本の立派なスーパーで5kg約550円、安い米ですと150円程度。 屋台のタイラーメンは一杯約60円、散髪代が約270円。1年中、Tシャツ、短パン、サンダル履きでOKです。
 住を追われれば、そこらで寝転がっても、凍え死にの心配はありませんし、本当に困れば、まだまだ家族の絆は強いですから、親戚、兄弟の家に転がり込み、屋根の下に、布一枚を準備して、たたみ一畳分のスペースを分けてもらえば生きて行けます。

 確かに貧しいのですが、生存コストが格安なので、目を覆うというような貧困はタイにはありません。 
 なお、日本(約50%)のほか、米欧、台湾・韓国等の投資による工業化と産業発展によって国民所得も上がってきました。15年前2000ドル/年程度であった、一人当たりの国民所得は現在では5000ドル/年にまで上昇してきています。 

 2、Lady 問題

 確かにタイでは、そんな情景を一杯見かけます。  日本人に限らず、おなかが突き出て、頭のはげたヨーロピアンやアメリカンの老人が、飛行場や観光地で、タイの若い女性と手を組んで楽しそうに歩いています。
 こと恵美さんは見るに耐えなかったとのことですが、タイでの人々の受け止め方は少し違うようです。
 正式に籍を入れているケース、タンガンと言われる慣習上の結婚しかしていないケース、単なるお友達といろいろケースはありますが、彼女たちはみんな自分の自由意思で、彼らと付き合っているのです。
 周りの彼女たちの友人や親族からは、ほとんどの場合、ラッキーねと見られています。

 勿論一夜限りの女性たちも多くいますが、タイにおいては、外人観光客が行く場所では、マフィアがらみの奴隷売春はすくなく、親の借金に縛られてというケースも殆ど聞いたことがありません。    ただし、地方或いはタイの人しか行かない場所は如何なのか、これは我々には分かりませんが、タイの人と付き合っている限りでは、余り悲惨な話はないようです。  
 なお、タイのその手の店の、みかじめ料は、タイの警官の組織としての収入源のようで、大事な外国人のお客が不愉快な思いをしないよう取り締まっていますから安心のようです。
 ちなみに、タイの観光収入はなんとGDPの17%程度とのことです(今回不況の突入前)。最近、バンコクでぼったくりクラブの事件が報道されましたが、この被害者は、タイ政府の高級官僚のようで、背景は、政治問題かもしれません。

 3、男性/女性 

 女性が働き者、男性は怠け者とのことですが、これはお付き合いになったお友達の方の偏見でしょう。
 確かにそういう見方をしている外国人も多く、タイの女性もそういう話をする人が多いのですが、実際に工場等で働く様子をみると、男性が特にのんびりしているという感じはありません、事務所も現場も、みんながのんびりしています。 
 細かく観察するとタイの人々は、女性も、男性も日本人に比較すると怠け者だと言えるでしょう。
 これは、タイの人々の、日本、或いは北の国々の人々との生存条件の違いから来るもので、良い悪いではなく、それでこれまでやってこれた、ということだと思います。

 例外は、ご友人の華僑の人々(正確には中国系移民の人々)です。彼らは、男女に限らず勉強も良くしていますし(ただタイの場合は教育水準が、教える教師と長く続いた政府の愚民政策の問題もあり、一部の富裕層を除いては、実に低いのですが)勤勉です。

 なお、タイの女性の特色は、実に口うるさいことです。女のおしゃべりは洋の東西を問わないようですが、タイは特に激しく、男は無口で黙って働くのが美徳、がみがみ言うのは女の特権となっているようです。 タイの男性は確かに浮気物が多いのですが、あれだけ細かくしょっちゅう小言を言われ続けていれば、それも仕方がないのかなとも思えてきます。

 タイはおっしゃるとおりレディ・ボーイが多いのですが、彼らはみんなお喋りです、ひょっとしたら、おしゃべりしてもタイの人々から白い目で見られないように、タイの男性はレディ・ボーイになる人が多いのかなとも思います。
 
 勿論一番のポイントは、汗を流して働くより、きれいな格好をして楽に暮らせるのが良いわということでしょう。 
 タイの人の最高の価値観は、スーワイ(美しい)で、他人に対する侮蔑の言葉はメン(臭い)です。彼らは、1日3-4回は水浴び、歯磨きを行います。朝、昼(都会では歯磨きのみのケースが多そうですが)、夕方帰宅後、就寝前とおこなっているようです。”スーワイ(美しい)、サート(清潔)、サムカン(大切)、ティスット(一番)”、清潔で美しいのが、一番大事なのです。 

 3、華僑支配(中国系の移民支配) 
 これはおっしゃるとおりで、タイに限らず、インドネシア、フィリピンと東南アジアは殆どそうです。
 北の国から来た彼らは、働き者で、勉強家です。 経済においても、政治においても彼らが国をリードし、キリギリスの人の良い、怠け者のタイ人の上に立っていくのは仕方のないことでしょう。
 タイ人にとって見れば、政治とか会社経営とかそんな面倒くさいことは任せるから適当にやって頂戴、俺らは楽しく生きているよ。仏陀は、何事も程々が良い(中庸が良い、張りすぎた弦は切れる)、欲を掻き過ぎるなと言っているじゃないか、あんまりがみがみ言うのなら、田舎に帰ってのんびりやるわ、ということだったのでしょう。
 ただ、この構造は、勤勉なバンコク周辺に住む中国系の多いハイソの人々が、貯めたお金を地方の貧しい人々に高利で貸し付けて、生産物と土地を安く買い叩くという方法などで、分配の不平等を生み、タイの国全体としての成長を阻害してきたようです。

 これを壊したのが、1997年の通貨危機の後に登場した、タクシン元首相です。
 タイ版の田中角栄の彼は、工業化と国土総合開発のデユアルトラック政策を掲げ、バンコク周辺の工業化で潤った金を税金で吸い上げ、農民への低利の貸付金制度の導入、従来放っておかれた地方の道路、通信、教育等のインフラ整備、一村一品運動等の地域産業開発にまわし、貧しかった地方農民層の生活が変わってきました。
 更に、電力、石油、鉄道等の国営企業の効率化、民営化を進め、親方日の丸の不効率部門であった、政府、公共事業の改革を進めるとともに、軍予算の抑制、富裕層の医者の搾取のメカニズムであった医療にどんな病気も30バーツ(約75円)で面倒を見る公共医療システムを導入し、貧しい人の子弟にも政府の奨学金で海外留学の道を開くというのを頂点とした教育政策を推し進めました。

並行して、自分のビジネスもしっかりやったようで、それに対する批判が高まり、さらに本当にそういう開発経済が良いのかという観点から「足るを知る経済 Sufficiency Economy」という主張も出てきていました。

 そのような中で、タクシン前首相の政権は、締め上げられた軍と、国営企業及び国の機関の労働組合が実行部隊となった3年前のクーデターで転覆しました。
 軍の給料は、クーデター後1年で2倍になり(今年も上げたようですが)、訳の分からない最新鋭の戦闘機、戦艦等が(市場価格の2倍とも言われる)高い値段で購入され、教師に対する厳しい再教育制度はご破算になりました。

 国を追われ、現在はドバイを初め周辺の各国を転々としているタクシン元首相ですが、タイの人々の支持は依然強く、国王への350万人の恩赦願いの提出、支援の私営テレビ局のスタート、全国各地での定期集会、持ち回りの民主主義学校の開校などが行われ、“我々が選んだ首相を返せ”、“軍主導の談合似非政府ではなく再選挙を行い、民主的に政府を選びなおせ”、"軍が作った新憲法を廃止し旧憲法に戻せ”との運動が盛り上がっています。
 今年行われた国会議員の補欠選挙は東北部はタクシン派の大圧勝で、現政権党地盤の南部の選挙も、政権側が勝ちましたが接戦でした。今、解散総選挙をやれば恐らくタクシン派が勝つでしょう。
 一方、上層階級が支持する反タクシン派のPADは、タクシン支持の地方の農民は教育がなく、無智でタクシンに騙されていると主張し、一人一票(One man one vote)の民主主義は未だタイには早い、当面は選挙3割任命7割システムの国会とするNew Politicsがタイにはふさわしいと、NPP(New Politics Party)を結党して活動を開始しました。しかしこちらの方は、今のところは、余り活発ではないようです。

 のどかで伸びやかだったタイも、グローバル化による経済発展と情報のIT化で、人々の意識が変わり、日本と同じく、長年の、民主主義とは名ばかりで実際は、政官財軍報支配体制の国から、変わっていこうとしているようです。

 しかし、タクシン派集会の様子を見ると、参加者の7割方が、女性のおばさんで、政治演説の合間には歌あり踊りありと、深刻ではなく、いかにも楽しくやっています。 
 このあたりは、サヌーク・サヌーク(楽しい、気持ち良い)が好きで、シリアス、真剣、真面目が(これはタイ語でなんと言ったか、めったに聴かない言葉なので出てきません、今度秘書に聞いてみます)大嫌いな相変わらずのタイだなーと、妙に納得させられています。

思いもかけず、長文のお返事になってしまいました。タイでは男は寡黙なのが良いとされていますし、なんと言っても他の国のことで遠慮もあり、小生もかなりお腹に溜まっているようです。“おぼしきこと言わぬは”の心境が良く分かります。

ともあれ、今後とも、厳しいコメントをお願いいたします。
 先ずは御礼まで。
             敬具            赤虎頭巾 拝

普天間基地問題の焦点は何か
オバマより鳩山が断然正しい
武藤 功

政府の間で、普天間飛行場の移設問題が揺れていると報じられている。岡田外相が嘉手納統合案の検証を言い、北澤防衛相は名護市へ移設という前政権案を容認するかのような方向性を見せている。これに対して、鳩山首相は、11月14日のシンガポールでの記者団との懇談で、「日米合意を前提にしない」と言い、さらに来年1月の「名護市長選が念頭にないわけではない」として結論の先送りを示唆した。私はこの「先送り論」をその首相の沖縄への姿勢として強く支持する。
「安保バカ」の諸論議
これに対して大手メディアは、閣僚の見解の不一致を危惧する一方、11月13日のオバマ大統領との首脳会談における「迅速な結論」合意に反すると批判的だ。とくに『読売』は普天間問題によって「日米間にキシミ」が生じているとする「社説」(各紙とも14日付)によって「早急な政治決断」を促したばかりか、「米大統領への背信行為」(17日付)として非難した。『毎日』の「社説」も、「普天間問題について首相が「最後は私が決める」というだけでは国民の不安や米側の疑念をぬぐうことはできない」と批判した。
『朝日』の「社説」は、「普天間問題の先送り」も「首脳会談の意義を損なうものではない」としていたが、17日になると普天間移設について「迷走」が続いているとし、「米国も沖縄も」不信を強めていると批判した。『日経』も普天間問題を首脳会談の議題としなかったことは、「外交」ではなく「社交」だとする「社説」を掲げて批判した。もちろん、対抗政党の自民党は待ってましたとばかりに、「日本と極東地域の平和と安定の問題を名護市長選に絡めていいのか」(石破政調会長)と論難している。
これらの批判にもかかわらず、私が鳩山首相の「先送り論」のスタンスを支持するのは、岡田外相ら閣僚やメディアや石破氏の見方や意見よりも、鳩山首相の意見の方がはるかに誠実に沖縄県民の方を向いているからである。石破氏は言うに及ばず、岡田氏やメディアの所論が向いているのは、沖縄県民よりもアメリカの方である。それらは、この半世紀を超える日米安保体制(改定前の安保条約が調印されたのは1951年)のなかで維持されてきた「55年体制」の延長線上にある視点だ。
それが鳩山政権以前の「55年体制」といわれる事実上の一党支配体制が官僚主導の「安保政治」によってすすめてきた沖縄米軍基地認識を一歩も出るものではないことも明白である。それに比べると、鳩山首相の「先送り論」には、戦後始めて政治論をたてて沖縄基地問題に取り組もうとしている姿勢が窺える。政治論というのは、政府が沖縄県民の方を向くということである。たしかに、まだその姿勢の「兆し」といえるほどのものかもしれないが、この政治状況においてはそれは実に貴重なものであり、未来の国民が確実に実体化しなければならないものである。
人口が密集する宜野湾市の中心にある普天間飛行場問題は、沖縄に集中する米軍基地のなかでももっとも不適切、不条理な基地であり、人間無視、軍事優先ということでは植民地的施設以前といえるもので、文字通りの国辱のシンボルともいうべき基地である。「55年体制」の終焉を告げた自公政治は、橋本政権以来、その移設返還という県内タライ回しの確約に足を取られて、結局は解決できないできた。それにもかかわらず、自公政権は石破氏らを先頭に「日本と極東地域の平和と安定」というお題目を唱え続けて「沖縄の軍事基地化」という現状の固定化を推進してきた。そして、政権交代である。
ところが、その政権交代を実現させた民主党の大多数の議員は、石破氏らの「お題目」の線上にあり、沖縄県民の方は向いていない。いわゆる「安保バカ」という点ではメディアや石破氏の立場と同じである。その立場からしか普天間問題が見えないから、「日米関係がきしむ」「早く結論を出せ」「国民が不安になる」といった米軍基地翼賛論議がメディアの紙上や画面に踊ると、すぐに浮足だってしまうことになる。オバマやゲーツによって仕切られた旧政権との合意案で「早期決着」という米国国益論に向かって駆け込もうとする。
鳩山首相が言うように、決着の時間は基地を貸している日本側が決めればいいのだ。国外に撤去させるか、県外に移設するのか、その主導権は日本側が持たなければならない。あまりにも当然のことである。
そうした国民的主体性を見せないから、北朝鮮にもその「安保バカ」ぶりを利用されて、かれらのブッシュとの丁々発止の外交駆け引きを援助する羽目になる。ブッシュ政権と金政権はその点では相互依存関係にあった。国務長官を務めたパウエル氏が「北朝鮮はもっとも手ごわい相手だ」と言った意味もここにある。ゆえに、米国もまた北朝鮮の核武装の脅しを含む「瀬戸際外交」なるものを十分に利用して、「日米安保」と在日米軍基地の維持強化をはかってきた。いわば、北朝鮮というフィクショナルな「危機」は、かれら米国の「極東の安全」というお題目にとっても、かれらの軍事産業の繁栄のためにもありがたい存在なのだ。
その結果、日本だけが、沖縄住民をはじめ基地のある地域住民を苦しめながら、数千億円にものぼる「思いやり」予算までつけて、「安保神話」の産物である沖縄米軍基地を後生大事に守る羽目になったわけである。この「安保バカ」がもっとも嵩じたのが外務省の役人たちで、かれらはこうした米朝の相互関係についてはまったく「読めない」まま、愚者の楽園に安んじてきた。麻生政権までの「55年体制」政治は、この「読めない」官僚政治に依存し、日本の外交を文字通りの「対米従属」にまで貶めてきた。石破氏を自民党の「防衛通」などと180度誤認して持ち上げてきたメディアも、この点では同罪である。
フィリピンの教訓
もし、この「安保バカ」という規定を承服できない粗雑な規定だと思う役人やジャーナリストがいるなら、たとえばフィリピンのことを考えたらいい。フィリピンでは、1992年に、いずれもアジア最大といわれたスービック基地(米陸軍)とクラーク基地(米空軍)を完全に撤去させた。その根拠となったのは1987年に非核条項を盛り込んだ憲法であったが、この二つの米軍基地が憲法の「非核条項」に違反するという理由で国会が主導して撤去させたのである。しかも、その撤去後の広大な土地の平和利用によって11万7千人もの雇用を創出し、米軍基地雇用労働者の三倍の労働者を生み出した。
そればかりか、米軍基地がなくなれば抑止力もなくなって安全保障が危うくなるなどという石破氏らの「安保バカ」論議とはうらはらに、巨大基地を撤去させたフィリピンは石破氏らの言うところの「平和と安定」を維持している。南アジアの不安定な地域に位置する枢要な米軍基地といわれながらも、その撤去後の15年以上もの歳月を見ると、外国との関係では平和そのものである。どこの国からも侵略されたという話は聞かない。この間、戦争のしっぱなしというのは、実はアメリカであった。アメリカこそ、この間ほとんど常に戦争国家の主役であった。アフガン戦争でもイラク戦争でも、もはや第二次世界大戦の二倍の歳月を要しているのである。
この「戦争国家」アメリカの異常と米軍基地を撤去させたフィリピンの平和を考えたなら、沖縄の普天間飛行場を即刻撤去させたとしても、日本の安全は何一つ損なうことがないと分かるだろう。日米同盟の神髄は、この「米国の戦争的介入」を防ぐというところにあるのであって、かれらに基地を提供してその他の外国の侵略に対応するところにあるのではないのである。つまり、冷戦構造の崩壊後の世界において、現行安保条約第6条に言う「アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」という基地使用権は、もはや日本にとっては無用の長物なのである。沖縄米軍基地の見直しとは、この安保条約第6条の見直しに他ならないのである。
この問題が分からないのは、沖縄を日本人の目で見ないで、米国人の目で見ているからだし、安保条約を日本人の立場で考えないで、これまでの「官僚依存」同様に「アメリカ依存」の目でしか物を見ようとしないからだ。
オバマの矛盾
鳩山首相との首脳会談のあとの共同記者会見において、オバマ大統領は「米国と日本は対等なパートナーだ。これは日米同盟にも在日米軍再編にも反映されている」と述べたが、これは沖縄の視点からみたらまるで的外れの議論だ。沖縄住民が半世紀以上にもわたって、米軍基地にこれほど苦しめられ、辱められ、殺されてきたのに、そのシンボルたる普天間基地を前において、これは「シニアとジュニアの関係ではない」などと言うのはほとんど寝言に等しいといえる。かれは自分のライフヒストリーでは差別と痛みを乗り越えてきた人物といえるが(その点では私はかれを熱烈支持する)、国と国との関係ではその差別も痛みもほとんど見えていない。大統領になって国益と戦争という旧態のメガネをかけると、こうなるという典型的な姿を日本において露呈した。このメガネからは鳩山首相のいう「対等な日米関係」の意味がまったく見えてこないのは当然である。
オバマ氏も一応は、「新政権が旧政権の政策を見直すのは当然のことである、自分もそうしてきた」として鳩山政権の基地見直しを一応は容認する姿勢を示したが、その基地見直しの作業部会については「迅速に終わらせたい」とも述べて、事実上旧自公政権の普天間移設案で決着させたい意向を表明した。オバマ氏自身が前ブッシュ政権との間でチェコとポーランドの両国が合意していたミサイル防衛システム配備計画を中止(9月17日)した例でも明らかなように、鳩山政権がブッシュ政権と自公政権が合意した普天間移設計画を見直すのは何ら異常でも異例でもないのに、この点ではかれの姿勢は蒙昧である。
この蒙昧は、単に普天間問題にとどまらない様相を見せている。オバマ氏は日本訪問のあとに中国上海を訪問し、11月16日、青年たちとのタウンミーティングに出席し、人権問題について演説した。そのなかでリンカーンの奴隷解放の理念について触れ、それは「いかなる国も自由と平等の原則によって恒久的な存在となる」ことだと説明した。中国の青年たちには、それが美しい理念として受け止められたことを私は疑わない。しかし、オバマ氏はその言葉を宜野湾市民の前で語れるだろうか。米軍基地の存在によって平和的生存というもっとも根本的な人権を脅かされている住民に、オバマ氏は人権とリンカーンの理念を語ることができるであろうか。これはオバマ氏の大きな矛盾であり、ある意味では人権と戦争という絶対的に相いれない二律背反のジレンマというべき立場にかれ自身がいる。
このオバマ大統領に比して、鳩山首相の普天間問題の「先送り論」の立場には矛盾はない。「早期決着」を言うメディアや石破氏らには矛盾とみえるかもしれないが、それはかれら自身が「安保バカ」という無自覚な矛盾のなかにいるからである。先ごろ渡米した松沢神奈川県知事が沖縄の痛みをよそに「名護市辺野古への移設で早期に決着すべき」などと述べたことは論外としても、同じ閣内の岡田外相までが「両国政府の合意は重い」などいい、この外相に同調して「早期決着」を言う北澤防衛相やその同盟者である米国応援団を前にしては、鳩山首相の「先送り論」も風前の灯かもしれないが、この歴史的な局面においてかれが「名護市長選まで見て」という姿勢を示したことは決して忘れられるべきではない。
鳩山首相への期待
しかし、もちろん私は鳩山首相によって、フィリピン型ですっきり普天間基地撤去の実現が可能だと幻想しているわけではない。それは鳩山氏に強固な理念がないからではなく、肝腎の閣僚や与党議員にフィリピンの国会議員ほどの理念も意欲もないからである。そしてこの与党議員の周りには多くの日本国民がおり、かれらは「憲法9条」は持っているものの、こと米軍基地に対してはそれをフィリピン憲法の「非核条項」同様に有効に活用することができないできたからである。国民的な広がりを見せている「9条」運動も、その意味ではまだまだ揺籃期にある。その結果が沖縄県民の米軍基地反対運動を孤立させ、自公政権の売国的な基地政策を生きながらえさせてきたといわざるを得ない。
したがって、この厳しい状況は当然のことながら、鳩山首相の言う普天間問題の「先送り論」に影響し、それを締めあげることになる。自公政権を一挙に退陣させた力を持つ国民には、普天間問題についてもアメリカの圧力をはねのける可能性があるが、その前提条件となる国会の対応があまりにも鈍すぎる。沖縄県民も、展望が開ければ1、2年の辛抱は十分に可能であろうが、国会議員や本土の世論があまりにも「安保ウイルス」に感染されすぎているので、「先送り論」に秘められた鳩山ビジョンを開花させるところまでは行けないだろう。
しかし、それでも私は、この難問山積の局面において、鳩山氏が「一瞬の輝き」のごとく歴史の闇を照らしだした普天間決着「先送り論」に注目しておきたい。政府論議のなかで、それだけが唯一沖縄県民の方を向き、日本外交としての「平和論」として米軍基地の撤去の可能性に一歩アプローチした論議だと思えるからである。戦争(武力)による紛争解決の無効性がこれほどあからさまになってきた第二次大戦後の世界を見るなら、そして現実のイラク・アフガン戦争のドロ沼を見るなら、軍事基地によって世界を平和にすることができないことがあまりにも明白であるとき、おずおずとしたものであれ、政府を背負う人物が沖縄県民の方に目を向けようとしたことは記憶に値する。日米対等という戦後政治の悲願も、そこにあったはずである。
一方のオバマ大統領にとっては、こと日本に関してはまだトルーマン時代の域を超えていない。普天間問題ごときに国益を絡めているようでは、プラハで約束した「核のない世界」の実現など永遠に不可能であるということも理解できていない。その明白な証拠が、日米首脳会談のあとの記者会見で、記者から「広島、長崎への原爆投下についていまでも正しいと思っているか」という問い掛けを受けながら、一言も返答ができなかったところにあらわれていた。賢いオバマ氏には、その答え得ないことに良心の屈辱を味わったはずである。その屈辱の味こそ、広島、長崎で液状化して焼き尽くされた人間のニガイ苦い生存の味にかかわるものであり、原子力戦争にまで怯えなければならない沖縄県民の生存の味なのである。
最早、オバマ氏も理解すべきだ。沖縄の住民が「希望」を語り、より良いものへの「変革」を語り得る人間であるために、せめてその普天間返還について一刻の猶予もかなわぬほど身を焦がし続けていることを。普天間基地を閉鎖し、撤去しても、「極東の安全」には蚊ほどの脅威ももたらさないことを。そのオバマ氏の理解が、いま輝いては消えかかっている鳩山氏の「見直し論」に光を与えることは疑いない。もし、そのために語り合う言葉がないというなら、オバマ氏の「チェンジ」や「希望」はアメリカだけに通用する「独特のものであり、普遍的なものではない」ということになる。それこそ、オバマ氏にとっては、さらに大きな屈辱であろう。鳩山首相の「友愛」も試練に立たされているが、オバマ大統領の「チェンジ」はさらに厳しい正念場に直面しているのである。(文芸誌「葦牙」編集長)

「緊急経済対策として軽自動車の規格拡大へ!」
>
>  民主党は経済対策として「農業」「介護」に雇用を見出すとしていますが、農業従事者や介護従事者の所得は現時点で「製造業の派遣労働者」の所得よりもはるかに安く「農業」「林業」「介護」に人が流れることは難があります。 そもそも「農業」で生活出来ないから「出稼ぎ」する為に「製造業の派遣労働者」になったのですから・・。 (前振りはここまでとして)
>
>  「軽自動車」のメリットはなんと言っても「維持費」の安さにほかありません。 圧倒的な税金の安さ。 エコカー並の低燃費。
>
> がしかしその大きさの制限ゆえ「最大積載量」の小ささ、搭乗人数制限(4名まで)、排気量の小ささなどの為、「軽自動車」の足かせとなっています。 
>  「新たなる経済対策」として「軽自動車の規格変更」を考えても良いのではないかと思っています。 税制面の優遇措置はそのままで「1000~1300cc)の規格に変更するのです。
>  そうすれば「軽自動車」からの乗り換えだけでなく、普通車からのシフトによる買い替え需要が発生します。 当然、トヨタ・日産なども生産に乗り出し、市場が活性化されます。 
>  税収が減収するという批判もありますが、多くの乗り換え需要が発生し相対的に税収があがる可能性があります。 「エコカー」減税よりも遥かに市場が活性化されると思います。 仕事を失った多くの「派遣労働者」は「新たな派遣先」を見出すことが可能となります。
>  もはや、アメリカ向けの高級車を作り続ける必要性はありません。 アジアでも十分販売できる車作りをすべきです。 「軽自動車の規格拡大」はその為の布石にもなります。
>
> この「軽自動車の規格変更」は民主党政権にとってそんなに「ハードル」の高い政策であるとは思えません。 「普通車」の税収は減少しますが新たに「税金」を投入する必用はありません。 
>  いずれ「電気自動車」の時代がきますがそれまでの暫定措置で良いのです。 
>
>
> 「農業」「林業」「介護」などは現時点でも所得が低いのです。それらの産業に人が増大すればさらに「低所得」になります。 その為に多くの農業保障をし「介護報酬」を引き上げ、財政は更に悪化するでしょう。 増税は避けられません。 益々「可処分所得」は悪化します。
>
> 民主党がどうの自民党がどうのと言っている場合ではないのです。 現在のこの不景気を乗り切る為にはありとあらゆる政策を考え、実現可能であれば即刻対応すべきです。

鳩山政権も百日を過ぎ年を越し、そろそろ、冷静にその行く末を考える必要がある。そして考えた結果、甚だ心許ない、それどころかかなり否定的な結果しか導き出せなかった。つまり、鳩山政権がこのまま続けば、日本は計り知れない打撃を受け混迷に至ると鹿思えないのだ。

その理由としては大きく経済政策、および安全保障の二つの柱で、この政権、否、民主党政権はきわめて危険な要素を持っているからだ。民主党、鳩山政権自体にもきわめて大きな問題があるが、挙げればきりがない。思いつくままでも、

閣内の政策の不一致で、各大臣が全く別々の主張をしており、総理にそれをまとめる能力がない。

連立の乱れ、すなわち連立を組んでいる社民党、国民新党に振り回され、政策が決められない。

小沢一郎氏が全てを決する小沢院政。

なりふり構わず見てくれの良い若い女性を多用し、実現性の無い撒き餌政策を用いたあからさまな集票マシンシステム。

実現不可能なマニフェスト。

きわめて曖昧な友愛をキーワードとするごまかし。平和、繁栄、友愛などはどうすれば実現出来るかが問題であり、その手段を明らかにしないまま政策であるかのように取り上げた無神経、厚顔破廉恥。

しかし、多かれ少なかれ他の政党も同じようなことをしており、どうせ票を取ってなんぼの選挙であるから、これをとやかく言ってもきりがない。ただ、切実な問題は、先にも挙げた、経済政策、安全保障の二本柱に決定的な欠点があることだ。

1)経済政策の根本的な間違い

マニフェスト段階からさんざん言われていたことだが、正に財源無きばらまき政策に尽きる。つまり、限られたパイを、そのまま大きくすることもせずに切り取ってばらまいてしまえば、パイを大きくするための元手を食いつぶすようなものであり、早晩ばらまきも出来なくなる。いわば、金の卵を産むガチョウを絞め殺して食べてしまうようなものだ。パイを大きくする、すなわち経済力を活性化し、税収を上げなければならないのに、そのための戦略がまるでない。なお、パイを大きくするのは物作りであり、産業であるから、産業の育成を考えずに税収を増やすなど、不可能なのだ。では民主党は産業の育成にどのような方法を採っているだろうか。何もない。

象徴的に語られているのが科学技術予算削減であり、先行投資を潰している事だ。スパコンや宇宙開発事業、バイオ科学、省エネ技術などは今のところ日本はトップグループかそれに準じているが、しかし、スパコンなどはかなり後が無くなっている。総じて、これらの産業は今すぐ産業に反映し金を生み出すものではない。例えば百の基礎研究を続けてものになるのは五か十くらいのものではないのか。だから、九十か九十五は無駄なのかと言えば、むろん、それらの無駄を最初から承知の上で研究を続けるから五か十が成果を生み出すわけだ。

この不景気にもかかわらず欧米ではこの種の予算を二千年に比べ十年でほぼ倍にした。日本は微増にとどまっている。アメリカは膨大な軍事予算が科学技術の基礎研究の注がれており、日本とは桁違いの予算を擁し、さらにこの不景気にあって、さらに研究費を増やしている。日本は逆行しているのだ。これが、将来の取り返しの付かない遅れとなって現れてくるが、それが五年後か十年後かは分からない。しかし、先行投資を怠れば確実に日本の優位性は失われる。戦争中日本の航空技術は明らかに世界一であった。それを恐れたアメリカが日本に於ける航空技術研究を八年に渡って禁止した。その結果、日本は現在も航空産業では世界の一角を占めるまでに至っていない。ただし、その技術が新幹線となって活かされてはいるが。

資源のない日本の唯一の強みは物作りであり、この世界的不景気でも日本の先端技術関連の製造設備、産業資源が売れ続け金を稼いでいるのは、日本がこの民生技術で突出した競争力を持っているからだ。何度も書いているが、韓国がメモリーやテレビ、造船などで日本を遙かに凌駕したシェアを持っているといっても、その製造設備、技術、基幹部品を日本から買っているため、韓国の輸出が増えれば増えるほど対日赤字は増えている。つまり、韓国のシェアが増えることにより、日本は利益をより多く採っているわけだ。

この形は、円高にはあまり影響されない。世界中の先端技術による製品が売れれば売れるほど、日本に金が入ってくるから日本経済は強いのだが、それは長年の努力のたまもの、基礎研究を停滞無く続けてきた結果だ。民主はこの流れを断ち切ろうとしている。

公共事業削減が税金の無駄を省く目玉として、いわば象徴的な意味を持っているようだが、公共事業はそれ自身が緊急避難的な失業対策でもあり、またこれにより地方が潤うのは事実だ。ただし、従来の自民政権時代にあった癒着や利権などの問題も確かに改めなければならないが、公共事業そのものを目の敵にするのは間違っている。

郵政の再公営化は、従来郵政の莫大な金を国が使っていた形式を、民営化することで民間に自由に使わせるねらいがあったが、それを民主は潰してしまった。単にアメリカからの押しつけだとの意識があったとしか思えない。

農家戸別支援により農家を支援すれば消費も伸びる、食糧自給率も上がると言うことらしいが、せっかく気運が高まってきた企業による大型農業をつぶすことになる。従来、日本の個人農家はその効率が悪いが故に若い人間が離れ、そして安い輸入品に太刀打ち出来ず、競争力を失ってきた。そこで、自民時代に農業の会社化が押し進められ、現実に企業が農業に参入し、休眠中の農家から土地を借りて大規模農業に乗り出している。そのためエネルギー効率が上がり機械化が進められ、また、個別農家ではどうしても交渉力が弱かった農業機械販売企業、種苗企業、販売企業にたいし発言力がまし、さらに多くの雇用を生み出し、そしてコストの軽減から安い野菜を消費者に届けることが出来るようになっている。しかし、従来採算がとれないことで休農し農業会社に土地を貸していた農家が、損をすれば国が補填してくれると言うことで土地を貸さなくなり、大規模化、効率化の目玉であった農業企業がやりにくくなる。むろん、新しい雇用も生まれなくなる。

およそ、政府の干渉を受け保護を受けた産業が対外的な競争力を持った例など世界中どこを探してもないのだが、民主はそれをやっているわけだ。

子供手当も所得制限無しとのことだが、今年は半額、来年からは満額支給になる。そして、その政策が功を奏して子供が増えると、子供手当はもっと増えてくるが、その負担は当然子供を持っていない家庭にかかってくる。子供は社会で育てる意識も結構だが、基本として子供は親が育てるのだ。実際、子供手当をもらっても貯金をするという家庭が多いとのアンケート結果が出ているが、実際に子供手当をもらわなければ子供を育てられない家庭と年収二千万の家庭と同じ支給をして本当に公平と言えるのか。ちなみに二千万とは、所得制限をしたとしての線引きとして一時挙げられた数字だ。

それで消費が増え、雇用が増えるのか。むしろ、安い保育所を沢山作る方がよほど消費の伸び、雇用の創出に効果的ではないのか。高校生の全額無料も、奨学金制度の充実で本当に必要な生徒に充実させた方が効率的だろう。高校生を持つ家庭の全てが貧困ではないし、高校に行かない勤労少年にたいし不公平ではないのか。働きたくないから高校へ行くもの、高校生としての当然の学力も有していない者が行く私立高校にも援助を与える理由があるのだろうか。

高速無料化によりCO2排出が増え、渋滞が増え高速道路の意味が無くなり、高速を利用しない一般の負担増加につながる。そして、エネルギー効率も高くCO2排出の少ない新幹線に打撃を与える。これについて民主は明確な答えを出していない。

登録型派遣法改定により、派遣労働が制限されれば企業は当然雇用を控える。人員の流動性をなくすことになり、余剰労働力を持つ余裕のない企業は成り立たなくなるため、雇用が失われる。

徳政令により金の流れを止めることになり、信用力の低い企業は金を借りられなくなる。

CO2 25%削減を国際公約にすることにより、すでに限界までCO2削減を成し遂げている日本企業は競争力を失い、また削減枠を海外、たぶんに中国から買うことになる。それは何も生み出さない無駄使いでしかない。

国家の貯蓄(埋蔵金)の食いつぶしが明らかになり、すでに来年度の分まで手を付けている。今後ばらまきを続けてゆくためには、重税か外国からの借金しかない。

今本来やらなければならないのは、日本の産業力を高め、企業を支援することで雇用を生み出し、消費者が潤うようにすることであり、買いたい物が無く先行きが不安な消費者に金をばらまいても貯蓄に回るだけのこと。その内に、貯め込んだ金の使い道もなくなる。

しかし、経済政策よりももっと深刻なのは

2)安全保障の間違い

中国に一方的に歩み寄るだけの友好では、やがて日本が中国に差し出される結果になる。友好とか協調とは互恵でなければならないが、中国には日本に向いて盛んに微笑は振りまくものの(只だから)実質的に日本に向かっての歩み寄りは一切無い。詳しくは私のブログの中郷関連に書いてあるのでここでは書かない。

そう考えると、東アジア共同体構想、すなわち日中韓三カ国の協調体制が如何に中身のないものかわかる。一方的に日本から搾り取ろうとする中韓とどのような協調体制がとれるのか。これも、私のブログに書いてあるので、ここに詳細は書かない。

中国に対する姿勢の一つとして、北澤防衛大臣は与那国島に自衛隊を置くかと訊かれ「今の時代にアジア諸国と連携していく情勢の中、いたずらに隣国を 刺激する施策はいかがなものか」と否定的な考えを示したとのこと。自国領土内に自国の軍隊(日本では自衛隊)を置くことにいささかの遠慮も要らないし、それは当然の権利である。この驚くような防衛大臣の言葉は、すでに民主の姿勢がのっぴきならないところまで来ていることを示している。なにしろ、北澤氏が気を遣っている相手は、沖縄が日本領と認めず、日中合意を反故にしてEEZでのガス田開を一方的に進め、靖国や歴史問題で好き放題内政干渉をしている国なのだ。
  
竹島問題も民主の姿勢を遺憾なく発揮している。教科書の記述で竹島と言う言葉を使わなかったのは韓国に対する気遣いなのだろうが、日本国民に対する気遣いはどうなったのか。竹島は日本領土ではないのか。日本領土であるならば、きちんと教育し、そして韓国が不法占拠し、国際司法裁判所への提訴にも応じていない事実を伝えるべきではないのか。

友愛の船とは、災害時自衛艦に自衛隊以外にも他国の人間を乗せ災害救助に向かわせるのだそうだ。その構想をオバマ氏に鳩山氏が話そうとしたところ、オバマ氏に話を遮られたそうだ。あまりの馬鹿さ加減に、オバマ氏も哀れに思ったのではないか。どこの世界に、自国の軍艦に他国の身分も知れない人間を乗せる馬鹿がいるだろうか。いや、日本以外の話だが。

ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091114/plc0911142200011-n1.htm
  
災害救援に自衛艦活用 CEOサミットで首相
2009.11.14 21:49

 鳩山由紀夫首相は14日午後(日本時間同)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)最高経営責任者(CEO)サミットで講演し、「東アジア共同体」創設に向けた環境整備の一環として、海外で起きた災害救援などに自衛艦を活用する「友愛の船」構想を明らかにした。

さらに

ttp://www.asahi.com/politics/update/1128/SEB200911280002.html
  
海自イージス艦に中国国防相 「機密」へ異例の招待2009年11月28日11時26分

 26日に来日した梁光烈・中国国防相が30日、海上自衛隊のイージス艦「ちょうかい」を訪問する。同艦は、米国が開発した艦隊防空システムを積み、弾道ミサイル防衛の能力も備えた「機密の固まり」(海自幹部)で、共産圏の国防高官を招くのは極めて異例だ。

これなどは何が問題なのか、民主には到底分かるまい。  
  
私のブログには中国の実態、韓国の実態、アメリカとの軋轢などについて細かく書いてある。全てをここに載せればきわめて長くなるので詳細は私のブログttp://takaojisan.blog13.fc2.com/を参照していただきたい。そうすれば、彼らの主張する正三角形の関係、すなわち、日中米は正三角形の頂点にある等距離を保つべきだとの主張が如何に無意味で危険か分かる。

他にも様々あるが、民主政権が続けばこの国の存亡に関わる。これはたんに、鳩山氏、小沢氏の個人的スキャンダルや好き嫌いの問題ではない。だからといって自民が良かったわけではなく、だからこそ政権交代が起きたのだろう。

望むべくは自民、民主が分裂し良識派が合同して第三の保守系政党を形作り政権の受け皿になることだろうが、おそらくそのための時間はあまり無い。とすると、次善の策として、自民を中心とした多数の連立政権だろうか。

自民は腐りきっているが、民主の危険性よりはましだと思える。だから、もし自民と民主の二者択一をしなければならないのであれば、苦渋の選択として自民を選択する。

坂中英徳(さかなか・ひでのり)氏による次の記事
「少子高齢化の暗雲をはね除ける移民1000万人構想」

に対し、意見を申し述べたい。ご本人の記事には反論コメントが出来ないようになっているので、ここに投稿する次第である。氏の元記事をお読みになった上で、以下の私の主張をお読みいただきたい。

----------------------------------------------

この主張にはかなり危険な要素があるし、その前提が間違っている。まず前提として間違っている点を挙げる。

>その人口が減少の一途をたどれば、国家は衰退し、経済は縮小し、社会は成り立たなくなる。これは自明の理だ。

全く自明の理ではない。人口が国家の力の源泉であるなら、どうして中国やインド、そしてアフリカの人口大国がいままで大国になり得なかったのか。過去に於いて、男子の数がそのまま兵力になっていた時代でさえ、これらの人口大国は常に欧米の餌食にしかならなかった。この歴史の事実を見るだけで、人口が減れば国家が成り立たないのが自明の理だとは言えないはずである。

>少子高齢化がもたらした閉塞状況を打開し、未来への展望を開くために我々は何をなすべきか。それは青少年の共感を呼ぶ「日本の未来像」を示すことだ。

問題は人口ピラミッドのゆがみであり、高齢化社会になることだが、これは本質的に1000万人の移民受け入れで解決するわけではなく、むしろ社会のゆがみをさらに拡大する要因となる。詳細は後述する。

>しかし、これを続けていけば、はたして日本人口は増加に向かうのだろうか。

確かに解決しなければならない問題だが、移民受け入れは解決にならない。

> したがって、かなりの長期間にわたって、人口危機を和らげる特効薬と考えられる国の政策は、人の「国際移動」に焦点をしぼって、外国から移民を受け入れる以外にないのである。しかもこれは効き目が早い。

まず少子高齢化社会が解決出来ないと決めつける根拠はない。方法は様々あるだろうし、現実にフランスや北欧諸国などでは積極的な政策で人口減にブレーキがかかっている。

> 私は、前述のとおり、50年間で1000万人の移民を迎えることを提案している。少子化と高齢化の人口問題に「移民立国」で対処し、日本の中に世界の「人材」を取り入れるものである。異なる民族がまじわることで、新たな文化と創造力とエネルギーを生み出し、日本を生き生きした国にしようというものだ。これは、日本の未来を担う少子化世代に希望を与える国家ビジョンではないか。

氏の提案では国家を破壊する。もちろん、自然な外国人の受け入れや帰化を防ぐ必要はないし、もともと、この島国の人間達も遠い昔様々な外国から渡ってきた人たちの子孫であり、また数百年、数十年にわたってごく自然に日本に住み着き、日本人となった人たちも多い。それはいわば自然増であり、1000万もの移民を政策として受け入れるのとは大きく違う。

まず受け入れる民族として考えられるのは隣の人口大国中国からであろう。今でさえ多くの不良滞在中国人が様々な問題を起こし、密航や偽装結婚で日本に入り込み、国から引き継いできた反日教育を子供達に施し、そして彼らだけの集団を作る。これが世界で大きな問題になっていることを無視してはならない。また、50年もの間に入ってきた彼らは、当然日本人よりも出生率が高く、結局彼らのみが増え、日本人の人口増が却って抑制される可能性が高い。すなわち、人口ピラミッドがますますいびつな形になるし、50年後、累計一千万の移住者はその出生率の高さから2000万ではきかない数に増えているだろう。一方、減少する本来の日本人の人口の5分の一以上を移民が占める状態が受け入れられるのだろうか。

もちろん、人種差別で中国人を排撃すべしと言うのではない。自ら日本を愛し、日本人として生きようと決心している中国人も多いだろう。だから、それは自然増に任せておけばよい。彼らが根強い反日教育で洗脳され、日本国内で人口の5分の1にもなるゲットーを作る危険性を考えたことがあるのだろうか。現実に、これは単なる杞憂ではない。私のブログttp://takaojisan.blog13.fc2.com/にも詳しく書いてあるが、中国は他国との協調をしない国であり、また政策として反日政策を採り続け、歴史を捏造し思想言論の自由を封じかつ強烈な日本憎悪思想を教育し続けている国である。そのような刷り込み教育を受けた大量の中国人が現実に周辺国に大量に流入し、その国の根底を揺るがしている例は枚挙にいとまがない。チベット、トルキスタン、内蒙古は言うに及ばず、現在ではミャンマー、ネパール、ブータンなどが彼らの浸食にあっている。

彼らが日本に住めば日本に敬意を払い価値観を自然に受け入れるだろうと考えてはならない。むろん、本人の理性で、本人の意思でそうなる中国人はいるだろうが、中国の国策としての道具として人民を使う手段は今に始まったことではない。

> 多数の移民を受け入れた欧州では、生活習慣や宗教の違いによるトラブル発生など、国民と移民の社会統合に悪戦苦闘している。フランス、ドイツなどで起きている移民の問題点を持ち出し、「日本は移民を受け入れるべきではない」という意見もある。

これに対する対策を一切述べずに移民作を主張するのでは説得力が皆無である。なにしろ、大規模移民以外の方法で人口増を実現する方法が無いと決めつける根拠がない。試行錯誤はあろうが、現実にフランスや北欧諸国などでは人口増に転じている例もある。日本独自の方法でそれを模索すべきではないのか。

また、日本の人口が果たして少なすぎるのかどうかは全く別の問題であり、かつて日本の適正人口は5000万と言われていたこともあるし、実際、大量の移民をブラジルやペルーに送り出していたこともあった。

適切な人口がどの程度かは正確には分からないが、少ない人口でインフラを集中出来、国民の生活レベルを上げ、ひいては購買力を上げることも可能だ。

人口と購買力は比例しない。経済力も比例しない。世界の2%しかいない日本人が世界第2位の経済大国を創り上げ、世界でトップクラスの技術立国となり、世界トップクラスの先進国になった。これは、国民の数が適切であり、教育やインフラ投下などがきわめて効果的に行われてきた為だ。

なぜ未だに中国、インドが途上国であり、さんざん欧米に蹂躙されてきたかの理由を考えてみるべきなのだ。人口さえ増えれば国力が上がるなどは余りに安易であり、危険である。

> 例えば、人口激減に見舞われている農林業地帯では、

農業、林業も大規模化機械化が可能であり、むしろ、もっと従事者人口を減らして効率を上げる方法を考えるべきなのだ。徒に人間を増やせばよいというものでない。

> 現在、300万の農業人口のうち、180万は65歳以上だから

労働力不足は存在しない。現実に今でも大量の失業者がおり、大量の不法滞在者が仕事をしている現実を無視してはならない。肉体労働は機械が取って代わり、事務、開発などはコンピューターがやる時代、20年、10年前と比べて一人あたりの生産性が如何に上がったかを無視することが出来るだろうか。農業も大型企業かを進めれば効率が上がり、省力化できる。今の農業労働力不足は、日本農業に魅力が無く、若い人間が離農するからだ。これを解決しないでただ海外から入れればよいと言うのは、本末転倒と言わざるを得ない。


>移民受け入れ計画は国会の承認事項とし、特定の国の人または民族にかたよった移民の受け入れは行わないことを鉄則とする。

これこそ、世界から不公平と言われるだけのこと。移民の必要性が多い国もあれば少ない国もある。要するに相手次第であり、これを日本の法律で決めるなど出来ない。現実に決めても、それが相手国の不満を生むだけだ。


>外交上・安全保障上の利益にかなうだけでなく、多民族の国民統合を比較的容易に成し遂げられるだろう。

現実に多民族国家がそれを理由に安定している例があるなら挙げてみて欲しい。アメリカの最大の問題は民族の和解ではなかったのか。

>例えば、英国、カナダなどで導入されているポイント審査制を参考に、日本語能力、学歴、職歴、年収など具体的な審査項目を定め、公表する。

これは自然増に適応すれば済むこと。

> 「移民1000万人構想」は、外国人材の受け入れという意味では、有史以来の日本開国を目指すものである。

その必要性はない。世界の多民族国家も、歴史の必然性で自然にそうなっただけであり、政策的に民族移動をしたわけではない。むしろ、現在シベリアやチベットなどに政策で大勢の中国人が移住し、急速に漢民族化が行われている。ロシアでは露骨にその締め出しにかかっているくらいだ。チベットやトルキスタン、内モンゴルでは民族浄化が行われている。

50年後、日本人口の5分の一以上が政策的に反日意識を植え込まれた中国人とその子孫にしめられることが何を意味するか、今主張している筆者が見届けられるわけではあるまい。政策的に反日思想云々は考えすぎだと言うのは自由だが、現実に中国が今やっていることを見、世界中に中国人ゲットーが出来ていて、世界でも犯罪の温床になっていると危機感を持たれている。中国人だけに門戸を開くわけではない、と言うのは勝手だが、需要と供給の関係からすればそれはあり得ない。

> しかし、グローバリゼーションの大波と人口崩壊の危機が迫る時代に生きる日本人は、もはや「日本人だけの世界」に閉じこもって安穏に暮らすことはできないと肝に銘じるべきだ。「移民歓迎」と「共生社会」の旗を掲げ、異なる民族と正々堂々と向き合い、「外国人と共に生きる世界」を築くしか生き延びる道はない。

しかし、世界では日本をうらやましく思っているとの本音もちらほら聞こえてくる。サルコジ氏だけではあるまい。

> 「『小さな日本』の立場から『大きな日本』の立場に変わった」ことが研究者のあいだで話題になっていると、私をよく知る山脇啓造明治大学教授から言われた。確かに未曾有の規模の移民受け入れを公言している。しかし、50年間で1000万人の移民を入れても、総人口は3000万人も減ることに留意すべきだ。

まさに、人口の民族分布の内、どの部分が減ってどの部分が増えるかを考えるべきであり、結果として中国の民族浄化作戦に手を貸すことになる。戦わずして日本を手に入れる事が出来るなら、中国がためらうはずがない。日本の意志だけで事が進むと考えるのは甘すぎる。日本人が減って中国人の出生率の高さから強固な反日意識を持った中国系日本人が数千万になると言うことは、どういう事か、1000万移住を主張される前に、きちんと説明していただきたい。

民主政権の危険性

鳩山政権も百日を過ぎ年を越し、そろそろ、冷静にその行く末を考える必要がある。そして考えた結果、甚だ心許ない、それどころかかなり否定的な結果しか導き出せなかった。つまり、鳩山政権がこのまま続けば、日本は計り知れない打撃を受け混迷に至ると鹿思えないのだ。

その理由としては大きく経済政策、および安全保障の二つの柱で、この政権、否、民主党政権はきわめて危険な要素を持っているからだ。民主党、鳩山政権自体にもきわめて大きな問題があるが、挙げればきりがない。思いつくままでも、

閣内の政策の不一致で、各大臣が全く別々の主張をしており、総理にそれをまとめる能力がない。

連立の乱れ、すなわち連立を組んでいる社民党、国民新党に振り回され、政策が決められない。

小沢一郎氏が全てを決する小沢院政。

なりふり構わず見てくれの良い若い女性を多用し、実現性の無い撒き餌政策を用いたあからさまな集票マシンシステム。

実現不可能なマニフェスト。

きわめて曖昧な友愛をキーワードとするごまかし。平和、繁栄、友愛などはどうすれば実現出来るかが問題であり、その手段を明らかにしないまま政策であるかのように取り上げた無神経、厚顔破廉恥。

しかし、多かれ少なかれ他の政党も同じようなことをしており、どうせ票を取ってなんぼの選挙であるから、これをとやかく言ってもきりがない。ただ、切実な問題は、先にも挙げた、経済政策、安全保障の二本柱に決定的な欠点があることだ。

1)経済政策の根本的な間違い

マニフェスト段階からさんざん言われていたことだが、正に財源無きばらまき政策に尽きる。つまり、限られたパイを、そのまま大きくすることもせずに切り取ってばらまいてしまえば、パイを大きくするための元手を食いつぶすようなものであり、早晩ばらまきも出来なくなる。いわば、金の卵を産むガチョウを絞め殺して食べてしまうようなものだ。パイを大きくする、すなわち経済力を活性化し、税収を上げなければならないのに、そのための戦略がまるでない。なお、パイを大きくするのは物作りであり、産業であるから、産業の育成を考えずに税収を増やすなど、不可能なのだ。では民主党は産業の育成にどのような方法を採っているだろうか。何もない。

象徴的に語られているのが科学技術予算削減であり、先行投資を潰している事だ。スパコンや宇宙開発事業、バイオ科学、省エネ技術などは今のところ日本はトップグループかそれに準じているが、しかし、スパコンなどはかなり後が無くなっている。総じて、これらの産業は今すぐ産業に反映し金を生み出すものではない。例えば百の基礎研究を続けてものになるのは五か十くらいのものではないのか。だから、九十か九十五は無駄なのかと言えば、むろん、それらの無駄を最初から承知の上で研究を続けるから五か十が成果を生み出すわけだ。

この不景気にもかかわらず欧米ではこの種の予算を二千年に比べ十年でほぼ倍にした。日本は微増にとどまっている。アメリカは膨大な軍事予算が科学技術の基礎研究の注がれており、日本とは桁違いの予算を擁し、さらにこの不景気にあって、さらに研究費を増やしている。日本は逆行しているのだ。これが、将来の取り返しの付かない遅れとなって現れてくるが、それが五年後か十年後かは分からない。しかし、先行投資を怠れば確実に日本の優位性は失われる。戦争中日本の航空技術は明らかに世界一であった。それを恐れたアメリカが日本に於ける航空技術研究を八年に渡って禁止した。その結果、日本は現在も航空産業では世界の一角を占めるまでに至っていない。ただし、その技術が新幹線となって活かされてはいるが。

資源のない日本の唯一の強みは物作りであり、この世界的不景気でも日本の先端技術関連の製造設備、産業資源が売れ続け金を稼いでいるのは、日本がこの民生技術で突出した競争力を持っているからだ。何度も書いているが、韓国がメモリーやテレビ、造船などで日本を遙かに凌駕したシェアを持っているといっても、その製造設備、技術、基幹部品を日本から買っているため、韓国の輸出が増えれば増えるほど対日赤字は増えている。つまり、韓国のシェアが増えることにより、日本は利益をより多く採っているわけだ。

この形は、円高にはあまり影響されない。世界中の先端技術による製品が売れれば売れるほど、日本に金が入ってくるから日本経済は強いのだが、それは長年の努力のたまもの、基礎研究を停滞無く続けてきた結果だ。民主はこの流れを断ち切ろうとしている。

公共事業削減が税金の無駄を省く目玉として、いわば象徴的な意味を持っているようだが、公共事業はそれ自身が緊急避難的な失業対策でもあり、またこれにより地方が潤うのは事実だ。ただし、従来の自民政権時代にあった癒着や利権などの問題も確かに改めなければならないが、公共事業そのものを目の敵にするのは間違っている。

郵政の再公営化は、従来郵政の莫大な金を国が使っていた形式を、民営化することで民間に自由に使わせるねらいがあったが、それを民主は潰してしまった。単にアメリカからの押しつけだとの意識があったとしか思えない。

農家戸別支援により農家を支援すれば消費も伸びる、食糧自給率も上がると言うことらしいが、せっかく気運が高まってきた企業による大型農業をつぶすことになる。従来、日本の個人農家はその効率が悪いが故に若い人間が離れ、そして安い輸入品に太刀打ち出来ず、競争力を失ってきた。そこで、自民時代に農業の会社化が押し進められ、現実に企業が農業に参入し、休眠中の農家から土地を借りて大規模農業に乗り出している。そのためエネルギー効率が上がり機械化が進められ、また、個別農家ではどうしても交渉力が弱かった農業機械販売企業、種苗企業、販売企業にたいし発言力がまし、さらに多くの雇用を生み出し、そしてコストの軽減から安い野菜を消費者に届けることが出来るようになっている。しかし、従来採算がとれないことで休農し農業会社に土地を貸していた農家が、損をすれば国が補填してくれると言うことで土地を貸さなくなり、大規模化、効率化の目玉であった農業企業がやりにくくなる。むろん、新しい雇用も生まれなくなる。

およそ、政府の干渉を受け保護を受けた産業が対外的な競争力を持った例など世界中どこを探してもないのだが、民主はそれをやっているわけだ。

子供手当も所得制限無しとのことだが、今年は半額、来年からは満額支給になる。そして、その政策が功を奏して子供が増えると、子供手当はもっと増えてくるが、その負担は当然子供を持っていない家庭にかかってくる。子供は社会で育てる意識も結構だが、基本として子供は親が育てるのだ。実際、子供手当をもらっても貯金をするという家庭が多いとのアンケート結果が出ているが、実際に子供手当をもらわなければ子供を育てられない家庭と年収二千万の家庭と同じ支給をして本当に公平と言えるのか。ちなみに二千万とは、所得制限をしたとしての線引きとして一時挙げられた数字だ。

それで消費が増え、雇用が増えるのか。むしろ、安い保育所を沢山作る方がよほど消費の伸び、雇用の創出に効果的ではないのか。高校生の全額無料も、奨学金制度の充実で本当に必要な生徒に充実させた方が効率的だろう。高校生を持つ家庭の全てが貧困ではないし、高校に行かない勤労少年にたいし不公平ではないのか。働きたくないから高校へ行くもの、高校生としての当然の学力も有していない者が行く私立高校にも援助を与える理由があるのだろうか。

高速無料化によりCO2排出が増え、渋滞が増え高速道路の意味が無くなり、高速を利用しない一般の負担増加につながる。そして、エネルギー効率も高くCO2排出の少ない新幹線に打撃を与える。これについて民主は明確な答えを出していない。

登録型派遣法改定により、派遣労働が制限されれば企業は当然雇用を控える。人員の流動性をなくすことになり、余剰労働力を持つ余裕のない企業は成り立たなくなるため、雇用が失われる。

徳政令により金の流れを止めることになり、信用力の低い企業は金を借りられなくなる。

CO2 25%削減を国際公約にすることにより、すでに限界までCO2削減を成し遂げている日本企業は競争力を失い、また削減枠を海外、たぶんに中国から買うことになる。それは何も生み出さない無駄使いでしかない。

国家の貯蓄(埋蔵金)の食いつぶしが明らかになり、すでに来年度の分まで手を付けている。今後ばらまきを続けてゆくためには、重税か外国からの借金しかない。

今本来やらなければならないのは、日本の産業力を高め、企業を支援することで雇用を生み出し、消費者が潤うようにすることであり、買いたい物が無く先行きが不安な消費者に金をばらまいても貯蓄に回るだけのこと。その内に、貯め込んだ金の使い道もなくなる。

しかし、経済政策よりももっと深刻なのは

2)安全保障の間違い

中国に一方的に歩み寄るだけの友好では、やがて日本が中国に差し出される結果になる。友好とか協調とは互恵でなければならないが、中国には日本に向いて盛んに微笑は振りまくものの(只だから)実質的に日本に向かっての歩み寄りは一切無い。詳しくは私のブログの中郷関連に書いてあるのでここでは書かない。

そう考えると、東アジア共同体構想、すなわち日中韓三カ国の協調体制が如何に中身のないものかわかる。一方的に日本から搾り取ろうとする中韓とどのような協調体制がとれるのか。これも、私のブログに書いてあるので、ここに詳細は書かない。

中国に対する姿勢の一つとして、北澤防衛大臣は与那国島に自衛隊を置くかと訊かれ「今の時代にアジア諸国と連携していく情勢の中、いたずらに隣国を 刺激する施策はいかがなものか」と否定的な考えを示したとのこと。自国領土内に自国の軍隊(日本では自衛隊)を置くことにいささかの遠慮も要らないし、それは当然の権利である。この驚くような防衛大臣の言葉は、すでに民主の姿勢がのっぴきならないところまで来ていることを示している。なにしろ、北澤氏が気を遣っている相手は、沖縄が日本領と認めず、日中合意を反故にしてEEZでのガス田開を一方的に進め、靖国や歴史問題で好き放題内政干渉をしている国なのだ。
  
竹島問題も民主の姿勢を遺憾なく発揮している。教科書の記述で竹島と言う言葉を使わなかったのは韓国に対する気遣いなのだろうが、日本国民に対する気遣いはどうなったのか。竹島は日本領土ではないのか。日本領土であるならば、きちんと教育し、そして韓国が不法占拠し、国際司法裁判所への提訴にも応じていない事実を伝えるべきではないのか。

友愛の船とは、災害時自衛艦に自衛隊以外にも他国の人間を乗せ災害救助に向かわせるのだそうだ。その構想をオバマ氏に鳩山氏が話そうとしたところ、オバマ氏に話を遮られたそうだ。あまりの馬鹿さ加減に、オバマ氏も哀れに思ったのではないか。どこの世界に、自国の軍艦に他国の身分も知れない人間を乗せる馬鹿がいるだろうか。いや、日本以外の話だが。

ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091114/plc0911142200011-n1.htm
  
災害救援に自衛艦活用 CEOサミットで首相
2009.11.14 21:49

 鳩山由紀夫首相は14日午後(日本時間同)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)最高経営責任者(CEO)サミットで講演し、「東アジア共同体」創設に向けた環境整備の一環として、海外で起きた災害救援などに自衛艦を活用する「友愛の船」構想を明らかにした。

さらに

ttp://www.asahi.com/politics/update/1128/SEB200911280002.html
  
海自イージス艦に中国国防相 「機密」へ異例の招待2009年11月28日11時26分

 26日に来日した梁光烈・中国国防相が30日、海上自衛隊のイージス艦「ちょうかい」を訪問する。同艦は、米国が開発した艦隊防空システムを積み、弾道ミサイル防衛の能力も備えた「機密の固まり」(海自幹部)で、共産圏の国防高官を招くのは極めて異例だ。

これなどは何が問題なのか、民主には到底分かるまい。  
  
私のブログには中国の実態、韓国の実態、アメリカとの軋轢などについて細かく書いてある。全てをここに載せればきわめて長くなるので詳細は私のブログttp://takaojisan.blog13.fc2.com/を参照していただきたい。そうすれば、彼らの主張する正三角形の関係、すなわち、日中米は正三角形の頂点にある等距離を保つべきだとの主張が如何に無意味で危険か分かる。

他にも様々あるが、民主政権が続けばこの国の存亡に関わる。これはたんに、鳩山氏、小沢氏の個人的スキャンダルや好き嫌いの問題ではない。だからといって自民が良かったわけではなく、だからこそ政権交代が起きたのだろう。

望むべくは自民、民主が分裂し良識派が合同して第三の保守系政党を形作り政権の受け皿になることだろうが、おそらくそのための時間はあまり無い。とすると、次善の策として、自民を中心とした多数の連立政権だろうか。

自民は腐りきっているが、民主の危険性よりはましだと思える。だから、もし自民と民主の二者択一をしなければならないのであれば、苦渋の選択として自民を選択する。
  
たまたまだが、次のような記事を見つけた。至極もっともな判断と思うので、ここに追記する。(10/01/05)

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ttp://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100105-OYT1T01155.htm?from=main5

10大リスクに「日本」、首相を酷評…米社
 【ワシントン=小川聡】危機管理を専門とするコンサルティング会社「ユーラシア・グループ」(本部・ニューヨーク)は4日、今年の10大リスクを発表し、「日本」を5番目に掲げた。


 発表によると、「官僚と産業界の影響力を制限しようとする民主党の活動が、より高い政治的リスクを生み出している」と指摘。鳩山首相を「選挙だけでなく、効果的な意思決定にも長(た)けていない」と酷評し、「今年1年と続かない可能性がある」とした。

 また、「真の実力者である小沢民主党幹事長は閣外におり、正式の政策(決定)ラインからも隠れている」と、二重権力に伴うリスクも解説している。

 10大リスクの1位は「米中関係」、2位は「イラン」だった。

 同社は、国際情勢や国内の政治的変化がビジネス環境や金融市場に与える影響の分析を専門とする企業。

(2010年1月5日20時53分 読売新聞)

日本国内で天皇を批判するときナゼ恐怖感が皆の脳裏に浮ぶのか、皆に正直に告白してもらいたい、日本人とはなにかがよくわかるインタビュー集になるよね

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日本語の「ヨロン」という言葉には「世論」と「輿論」という2種類の漢字があります。実は、この2つの言葉は大きく意味が異なっていて、「世論(セロンとも読みます)」とは「感情的な世間の空気」のことで、「輿論」とは「議論を積み重ねてできあがった公的意見」のことを指します。《よろんず》が目指すものは後者の「ヨロン=輿論」をつくることであり、そのために、《よろんず》では情報のプロ・アマに関係なく自由闊達に議論を交わすための場所を提供します。メディアの調査で発表される「ヨロン=世論」とは違う真の「ヨロン」をつくるため、執筆者・出演者・読者のみなさんに、この新しい“知の共有空間”に参加いただけるよう呼びかけます。

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