豊後の小兵衛:ことばを失った日本人(2)
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さて本論に入る前に、西松問題に隠れてしまったが、件の漢字検定協会理事長親子の逮捕・立件には胸のすく思いであった。それは、その稼ぎぶりは羨ましくもあり、かつ、にがにがしく思っていた。
実用のモノから遙かに縁遠い出題が多く、クイズ感覚の漢字問題に文科省がお墨付きを与えたことがそもそもの間違いである。
さても、Mehrlichtさんの「大学の講堂で聴講するような内容」には該当しないが、昔の銭湯あがりのよもやま話ほどに読み取っていただけば当方も気が軽い。
雑音はこれほどにして、今回は少し皆さんを試させて頂く。それは難しいことではなく、漢字の筆順に関することで「右」と「左」という漢字を手書きする時、みなさんはどう書かれますか。
正しくは、右の場合は一画目は縦から書き、次に横画を書く、左の場合は、横画が先で、次が縦となる。もしかしたらエッと思われる方、常識じゃんといわれる方、二通りに割れるとは思うが、多くは同じ筆順で書かれているのではと推測するが、如何・・・・。
この左右文字の一、二画は漢和字典を繙くときの部首にはなく、それぞれ「口」と「工」を部首として探すことになる。ほんじゃぁこの二画は何者となるが、これは「手」の象形であり、右のそれは右手の象形、左のそれは左手の象形が変化したものである。部首としては「てへん」に変化して、字義は同じである。
それで「口」はそのまま、「工」は一説には大工道具の「鑿」、また一説には「定規」の象形という。これからの推論で、漢字が生まれた3.500年前から、右手で食材を口に移す、鑿や定規は左手で押さえる、つまりは右利きが多数であったことを窺い知ることができる。右手の象形を一部としている漢字は「事」「書」「筆」などがあり、やはり右利きが通常だった。はて、どの点画が右手の象形かな?。
つぎに「上」と言う漢字はどうだろうか?。歴史的筆順は横・縦・横であるが、今の学校では、縦・横・横と教え、試験に歴史的筆順で回答すると×である。
先に、飯間浩明さんが「現場の教師がフレキシブルに対応する余裕」と指摘されたが、実は文科省も「筆順指導の手引き」として「学習指導上の混乱を来さないようにとの配慮から定められたものであって、そのことはここに取りあげなかった筆順についても、これを誤りとするものでもなく、また否定しようとものでもない」とはっきりと示してはいるが、教育現場では全く守られてはいない。
この原因は、教員養成過程で使用される唯一の統一テキストである「書写指導の12ヶ月」(美術新聞社刊・久米公監修)に次のように明記され「学校教育の場では、教育的見地から、合理的な原則によって一通りの筆順に整理されていることはきわめて大切である」と縛りを掛けている。監修者の久米公氏は元文部省視学官であり、法を遵守する立場にいながら、この体たらくである。
同じく、元文部省視学官であった某氏との会話を採録する。(書道教室・指導者研修時)
小兵衛「文部省の筆順指導は許容を認めているが、教育現場で歴史的筆順を誤りとする根拠は如何・・・」
某氏「複数の正解を有することは、学校現場に混乱を来し、好ましくない」
小兵衛「ならば、歴史的筆順に依らず草書で書いた時、その判読は不可となるが、その点如何に」
某氏「小中で草書を学ぶことは学習指導要領にはなく、現実ではありえない」
小兵衛「ならば、その昔に書かれた草書体の判読に障碍は・・・・・」
某氏「仮定の質問には答えられない。何れにしても、当方が示した筆順指導(文部省指針に非ず)に従わない書道教室はじゃまだと申し上げておく」
官僚支配の弊害は政治や経済問題、そして医療問題のみではないことはご理解願えたろうか。次の世代を担うべき教育の世界で横行する数々の悪弊、これを払底せねばこの国の行く末は危うい。
因みに、麻生総理が書き初めとしてテレビカメラの前でパフォーマンスをやらかしたが、あの毛筆書の一部は誤字だった。理由は、行草書には紙面に書かれていない点画があり、それを「筆意」という。つまりは、筆意が読み取れない文字は判読不能となり、それを誤字という。
旧師範学校では上記に書いたことは常識であり、幅広い見識を、厳しさの中にあっても真の「ゆとり教育」が行われていた。しかもその大半は全寮制で学費のみならず生活費も支給された。学業の機会均等が保証され、所得格差による弊害を除去した人材育成の枢要な仕組みでもあった。
それを、こともあろうに「軍国主義を助長した」として、これも米駐留軍の命令で、普通課程の大学に統一再編され、現在に至っている。(http://ja.wikipedia.org/wiki/師範学校を参照)
要は制度に問題があったのではなく、その運用を間違ったのであり、ここでも日本特有のすばらしい仕組みの命を奪った。分かりやすく例えれば、皆さんのおうちにある「包丁」、これは殺傷の用具ともなるが、その責任は包丁にはない。
参考までに漢字制限に至る経緯が見える当時の新聞社説を紹介する。
引用始め(國語問題論争史・土屋道雄著 玉川大学出版部より)
昭和20年11月12日、讀賣報知新聞の社説は「漢字を廢止せよ」と掲げ「新日本建設のための文化政策はいろいろと提示されてゐる」が「ここに民主主義の發達と密接に結ついた問題で、いまだに忘れられてゐる重要なものがある。それは國字問題だ」として、「階級的な敬語その他の封建的傳習の色濃い日本の國語が大いに民主化されねばならぬのはいふまでもない」「かつてレーニンは『ローマ字の採用は東洋民族の一革命であり民主主義革命の一構成分子』といふ意味を述べたといふことである」「漢字を廢止するとき、われわれの腦中に存在する封建意識の掃蕩が促進されあのてきぱきしたアメリカ式能率にはじめて追随しうるのである。文化國家の建設も民主政治の確立も漢字の廢止と簡單な音標文字(ローマ字)の採用に基づく國民知的水準の昂揚によつて促進されねばならぬ」と論じてゐる。これは敗戦に伴ふ物心兩面の混亂した當時の病的な世相を代表する記念碑のやうなものである。(ママ)
引用終わり
資料収集時には、朝日、毎日にもほぼ同じ内容の社説があったと記憶しているが、膨大な資料に紛れて所在不明となっていることから、どなたかご提供を願えれば幸甚である。
上の新聞社説に明確に記されている通り、当時の文部省の方針が「漢字廃止、ローマ字採用」であったことは十分に読み取れる。 (以下次回)
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コメント (5)
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投稿者: 《THE JOURNAL》編集部 | 2009年7月 2日 17:11
筆順の問題についての見解には賛成です。漢字制限について かかれた部分で,戦後すぐの漢字改革期の文部省の方針が「漢字廃止」であったことは,いまさら いうまでもなく,よく しられていることではないでしょうか。それより,この2つの問題の つながりが わかりません。
筆順にかぎらず,たとえばローマ字についてだって,ヘボン式は例外であり訓令式が原則だと きめておきながら,まったく まもられていないなど,いちど きめた方針を正式に転換するでもなく,たた ひたすら ほねぬきにする姿勢は,いたるところに みいだすことができます。憲法に対する政権の態度は その最たるものでしょう。
漢検の問題ですが,いまでも「めやす」であるとはいえ常用漢字という使用の基準が存在しているのだから,どうせ検定をするのであれば,常用漢字表外の漢字は「使用しない」で かくというような試験をしてほしいと おもいます。常用漢字から どの漢字をはずし,あらたに そこに どの漢字をいれるかと さかんに議論されていますが,はずすも いれるも,いまや表外字であるかどうかなど かまわず,つかい放題つかわれているのが現状ではありませんか。わたしは,その点で,豊後の小兵衛さんとは まったく見解を異にします。でも,筆順は めやすであり,強制しようとするものでないという きまりをまもらせようとする豊後の小兵衛さんなら,漢字制限に対しては多様な意見があるとはいえ,いったん常用漢字という めやすをきめたのなら,おおやけの文章では これをまもり,それをはずれた使用は私的な領域や文学活動,芸術活動などで おこなうべきという一種の けじめには賛成していただけるのではありませんか。
外来語のハンランには否定的な態度をとる かたがたが,漢語の増殖にはムトンチャクである理由が,わたしには まったく わかりません。
投稿者: 秋月康夫 | 2009年7月 2日 18:51
秋月康夫さん
私は貴方の論には一切賛同しない。なぜなら、貴方が唱える説は、前にも書いたとおり「古証文」の蒸し返しであって時代を反映していない。
水村早美著・日本語が亡びるときには「人は読めることばの<図書館>にしか出入りできない」と書いていますので、熟読を希望します
さらに願わくば私の友人である金文学氏(広島文化大学講師・北京大学客員教授・放送大学客員教授)の、比較文化学・比較文学論も参照して欲しい。
日中韓に精通し、文化、文学を比較論として展開し、私たちが戦後に受けた偏狭な教育ではなく、文字通り「大陸的」壮大な思想を展開しています。
いまここでお答えできるのは力及ばず、それしかない。
豊後の小兵衛
投稿者: 豊後の小兵衛 | 2009年7月 3日 17:44
豊後の小兵衛さま
『墨・149号、153号』のご紹介ありがとうございました。
これまで 豊後さんがThe Journal に投稿されました論考をあちこち探して読んでいました。現代の若い子らはメールの返事が30分でも遅れるともう絶交状態になるそうです。ゆったりとあるいは勢いをつけて筆を運ぶ書の世界で流れる時間とは相容れない時代になってしまったようです。言い訳のようですがご紹介いただきました『墨』に対する返事が遅くなって申し訳ありません。とても興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。「漢字と教育」をめぐって思いめぐらしたこともない私には豊後さんの論考に学ぶことばかりです。
妻の母も長年にわたり書に親しんでいます。千字文やら般若心経など気の向くままに題材を見つけては毎日筆を運んでいます。時々「コレとコレとどちらがいいと思う」などと『書』評を求めてきます。まったく才のない私は「コッチが力強くていいんじゃない」などと見当違いのことを言ってはお茶を濁しています。そのたびに『書』の美を判断する基準や根拠はどこにあるのかとか、自分はなぜコチラの方を美と感じたのかなどと考えさせられます。
この程度ですので豊後さんはじめ深い見解をもつ投稿諸子の意見に学ぶことはあってもコメントなどできません。しかし、今後も「ことば」についての豊後さんの論考を愉しみにしています。ありがとうございました。
投稿者: mehrlicht | 2009年7月 6日 22:46
mehrlichtさん
ご丁寧なコメントを痛み入ります。私ごとを申せば、私は小学校への入学時に、自分の名前をひらがなでも書けませんでした。数も10までで、11は「とういち」ですから、教室は爆笑でした。それでも「脱脂粉乳」のまずいミルクと、石のように固い「コッペパン」を樂しみに登校し、小学校時代は6年間無欠席で通しました。
戦前の父は高等師範学校、母は女子高等師範の教師であったにもかかわらず、私にはイロハさえ手ほどきをしなかったのです。その理由は戦後の教育方針に戸惑いがあり、その価値観が激変したなかでどうして良いか分からなかったと言います。
戦後の黒塗り教科書の強制使用に反発して、私の入学時には両親とも退職していましたが、子供心に「混沌」としていたことは鮮明に記憶しています。
代替して両親が与えたのは数多くの文学書と、いまで言うならザラ紙といいますか、黄色というよりも茶色に近い用紙に印刷された「こどもの科学」という月刊誌でした。
それと並行して与えられたのは「イソップ物語」の全巻で、これは今でも私の中に生きていると感謝しています。
もう一つは「躾」でしょうか。筆を駆使する「筆遣い」と、二本の箸を駆使するそれはおなじ動作であり、これは幼少期から泣くほどに訓練されました。最初は大豆を、次は小豆ですが、ここまでは存外はやく習得しますが、次の縫い針をつまみ上げるのは至難でした。今の箸は小豆をつまむことさえ難しい「塗り箸」になってしまい、思いを遂げたければ自分で削り出すしかありません。
等々、いま私たちが生きてあるうちに、子供たちに伝えきれなかったもの、価値観を、せめて孫には伝えたいと、残り少ない日々を思い描いています。
そうは言うものの、孫の取扱は「マニュアル」がないだけに難しいのも事実ですね。
昔は親よりも賢い子供を育む仕組みがあったようですが、そんなものを思い出しながら、編集部の許諾が得られれば書いてみたいと考えています。
ありがとうございました。
豊後の小兵衛
投稿者: 豊後の小兵衛 | 2009年7月 7日 16:52