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豊後の小兵衛:ことばを失った日本人 »

新コーナー《よろんず》に注目!

《THE JOURNAL》には、毎日数多くの読者コメントがアップされます。

その内容も非常にクオリティが高く、むしろこのサイトは、執筆陣をとりまく読者コメントで成り立っている...と言っても過言ではありません。

その一方、編集部には「もっと議論したい」「コラムを書きたい」といった意見も寄せられており、私たちとしましては、一度読者の方々から“何をやってみたいか”を思い切ってお聞きしようと思いました。

そこで編集部から1つ提案したいのは...

通常のコメントではなく、「メイン記事のつもりで」コメント欄に1000文字以内のコラムを書き込んでいただき、その投稿文の中で「これは面白い!」と思ったものは独立した記事として取り上げ、その記事を元に、編集部が識者や政治家に意見を求める・・・

というものです。

《THE JOURNAL》内に掲載されたニュースを別の視点から分析したり、まったく取り上げられていないニュースについての論評でも結構です。

上記のほかにも「こういう使い方があるのではないか」「こんな企画はどうか」等ありましたら、お気軽に何でも書き込んでみてください。

なお、投稿文に関しましては、文面自体に変更を加えることはありませんが、レイアウトの都合上、「改行」「句読点」「文字詰め」「リンク」等を入れる場合がありますので、あらかじめご了承ください。

《THE JOURNAL》としましては、共感・共有できるテーマでしたら、どんどんそのスペースを拡張していく心づもりでいます。

これはその試みの第一弾です。

みなさん、よろしくお願いいたします!!

関連記事
議論が輿論を創る!《よろんず》が始まります(高野 孟)
http://www.the-journal.jp/contents/takano/



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この一覧は、次のエントリーを参照しています: 新コーナー《よろんず》に注目!:

» 「日本がウソをついていることは明らかです」 元外務次官 送信元 ラ・ターシュに魅せられて
日中、街をうろついていたら、 「不幸がどうのこうの」 って政党が 「害宣車」 を走らせていました。笑いましたね。 「我々は、北朝鮮のミサイ... [詳しくはこちら]

コメント (99)

■コメント投稿について編集部からのお願い

いつも《THE JOURNAL》にご参加いただき、ありがとうございます。

他のサイトでは見られない質の高い真剣なコメントに、ブロガーや編集部はもちろん、ジャーナリストを含む多くの方が参考にしているとの声が寄せられています。

今後もこの意義ある場を維持してゆくため、コメント投稿者の方々には、以下のことを厳守いただくようお願いいたします。

投稿は原則として本名で行ってください。本名での投稿が難しい場合は、名前として不自然でない名称でお願いします。これは、理由のない安易な偽名・匿名の乱用は、《THE JOURNAL》のコメンテーターと読者が本当の意味で責任ある議論の場を育てていくことにマイナスであるとの高野孟の信念に基づく考え方です。

また、編集部が記事に対する批判コメントを削除することはありませんが、「誹謗中傷」「常識に反するワードの使用」「日本語として理解不能」「記事内容との関連性がうすい」「匿名や複数ハンドルネームでの投稿」など、このコミュニティの発展を阻害する投稿については削除させていただきます。そのほか、議論の展開のなかで投稿者同士が感情的な応酬になりそうな場合、編集部の独断で該当のコメントを削除する場合もあります。最低限のマナーを守って投稿していただければ、いかなる内容のコメントでも、こちらの好みで削除することはありません。

なお、コメントは、このサイトを構築するシステムの関係上、「毎時5分と35分」に自動更新されるよう設定されております。投稿されてもすぐに反映されませんが、上記の時刻になれば自動で書き込まれます。

以上になりますが、ご理解・ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

「THE JOURNAL」なのですから、ジャーナリズムについて取り上げて頂きたい。
消費者が金を出す情報とは何か。
ジャーナリストは自らの記事で、どのような効用を追求すべきなのか。

マスコミはバブル崩壊後の先送りを批判したが、自らが果たした役割については知らぬふりを決め込んだ。

勉強不足でフレーミング(またはウケ狙いのストーリー)だけに頼った記事が風評被害をもたらしている現状は、その辺が明確になっていないためではないかと感じています。

まずは、前の衆院選で得た2/3で自公両党がやったことを検証しなければいけないと思います。
特に、4年前に両党が掲げたマニフェストをどれだけ達成したか、何と言っても衆院で2/3の勢力を与えられたのだから遣ろうとすれば国民に約束したほとんどのことが出来た筈です。

国民との約束をどの程度守ったのか?
議論する価値が有ると思います。

編集部の方(逹)の本業が何かは存じ上げません。
しかし、
「その内容も非常にクオリティが高く、むしろこのサイトは、
執筆陣をとりまく読者コメントで成り立っている...と言っても過言ではありません。」
と、認識されているとしたらとんでもない。
このサイトは、
ごく一部の執筆陣と多数の読者コメントで成立していると考えます。
編集部発の文書の質・量をもう少し上げてください。
新コーナーを立ち上げるのはそれからでもよろしいのでは。

誤字だとおもう 2008年になっていますな

投稿者: 《THE JOURNAL》編集部 日時: 2008年06月22日 14:56

な様

ご指摘ありがとうございます。時計は自動表示なのですが、古い時間になっていました。お詫びして訂正致します。

本日(25日)の麻生首相の記者会見は「安心社会実現プランを国民に知らせる」ための講演だった!?

1週間前から記者クラブを予約したというので、首相は内閣改造でも発表して解散を明示するのかと期待して迎えた本日。テレビもラジオも実況中継はなし。そして速報で流れる「解散はそう遠くない」のオンパレード。こんなことを聞くために1週間も待たされたのかと怒りが湧き上がる。そしてやっと見つけたノーカット版の記者会見ならぬ講演の全貌 by 日テレサイト。
http://blog.dai2ntv.jp/nocut/2009/06/post_581.html
みなさん、ご覧になりましたか?

講演の内容は、未曾有の経済危機に対処するために短期的経済回復を目標にせざる終えず且つ十分な効果を挙げているという言い訳に終始しており聞くに堪えないが、分厚い報告書も記者には資料として渡してあるということで、麻生内閣の内政構想プラン-雇用、教育、そして社会保障ハンドブックや安心保障カード-などの具体的な内容は明日の報道を待つしかありませんが、必見(聴)は、記者の質問です。執拗に食い下がる彼らの質問に、はじめて自分と同じどす黒い不満のマグマを感じました。いやー、メディアはそれほど腐ってなかったかな。

前回(6月17日)の党首討論の惨敗を受けて、逆転ホームランを狙った講演の予定だったのでしょうが、1週間のタイムラグは長すぎる。明日の報道も東国原知事や与謝野、佐藤大臣の違法献金の話題にさらわれて効果半減でしょう。そもそも、これは記者クラブへの講演会であり、私たち国民の一体誰に向かっての国のあり方を語ったつもりだったのか、時期も手法も最悪、やはり自民党は変われないですね。

私は日本の将来像をどう描くかについて語って欲しい。
小泉改革のときはアメリカの新自由主義の化けの皮が剥がれていなかったので、規制緩和で幸せになれると勘違いしていた人も多かった。規制緩和や民間に任せるは手段であって目的ではない。目的は国民を幸せにすることのはず。
新自由主義が自己崩壊し将来像も描けない状態で「改革を後退させるな!」と叫び続けるのは、手段と目的を取り違えている。
もう1度将来像を描きなおし、そのための正しい手段を選択し直さなければならない。

ジャーナリスト
マスコミュニケーション
有識者の所見
上記複合の広告記事

の違いがわからぬアホの立場で書かせて頂きます。

結局、上に挙げたような方々は、どこまで行っても「上から目線」なのであって、この事をアホは肯定せざるを得ないわけです。

また、そうでなければ、こういう方々のポジショニングが危うくなると思うわけです。

ボトムアップ的な理想的構想は結構なのですが、アホにとっては、こうした「上から目線」の情報が、実質的に意味するもの、あるいは、狙われている効果について、正しく見極める事が重要なのです。

見せかけの「輿論」によって「世論」が誘導されている事は、戦前戦後を一貫しているのであって、「輿論」の当事者こそが自らの膿を出し切る事が最も重要な事だと思えます。

どうか教えてください。

いわゆる、
メディアリテラシーの真髄を。
「上から目線」で。
アホを煽てても、ドアホになるだけですから。

世間に疎い年寄りにわかりやすい報道を期待してます。
小難しい表現を専門家の皆さんがお使いになるのが目立つので、年寄りに理解しやすい表現で語り合えればと思います。

もはや何を書いても
YAHOOに削除されるので
こちらに書かせて下さい。
よろしくお願いします☆

まるで独裁者気分♪

検察の「説明責任」=

他人の裁判を利用して

自己主張する事らしいです。

この人達って

税金で食べてる意識あるのかな?

国民の前で記者会見しないし

取材する人も選ぶって・・

何様!?

まるで殿様気分だね☆

http://himicoco.cocolog-nifty.com/

こんにちは
執筆陣の記事が多くなってくると、どの記事により多くのコメントがついてるのか、どの記事に現在多くのコメントが続々と活発に寄せられているのか、読者には把握するのが困難です。
それで思うのですが、2chのシステムのように、記事タイトルの後ろに、最初からのコメント累積数を載せるか、24時間内のコメント累積数を載せるようにすれば、現在どの記事に活発にコメントが寄せられているかが一目瞭然で読者に便利と思います。
それと、より活発にコメントが寄せられてる記事を上位に持ってくるなども考えられます。

先に、「ことばを失った日本人」という拙文を投稿したが、下記の文書は文化審議会・
漢字分科会委員であった某氏が、私が編集・発行する月刊誌に連載を寄こしてくれ
た一部であるが、ここに転載して、もう一度読者のみなさんにお考え頂きたい。

因みに、戦後の漢字制限にいちはやく飛びついたのが新聞各社であり、出版社は
「文化的齟齬を来す」と反対であったと記録にあり、それは後段に譲りたい。
新聞の劣化は、昨日、今日の課題に非ず、一線記者の熱意とは裏腹に、それは戦前から途切れることなく進んでいると私は思う。

転載始め(平成12年5月号・書法掲載)

 日本でも、戦後には一貫して漢字の使用制限が推進されてきました。これは日本
に進駐してきた連合軍による戦後処理の一環で、連合軍の中で文化関係を担当し
たロバート・キング・ホールなる人物が中心となって運営されたといわれています。
 日本の漢字制限は、漢字の字形を簡単にすることと、使える漢字の種類を減らす
こと、の二本立てで進められました。
 戦後の国語改革で最初に設けられた漢字の制限枠は、1946(昭和21)年に制定
された「当用漢字表」であり、これには合計1850字が収められました。
 そしてほどなく各字に対する音読みと訓読みを定めた一覧表「当用漢字音訓表」
が制定され、難しい読み方や恣意的な訓の氾濫を防止する工夫がおこなわれまし
た。
 「当用漢字」の「当用」とは、「当面のあいだ」という意味でつけられた名称です。
つまりそれはあくまで暫定的なものとして制定されたのですが、しかし内閣訓令と
して定められたものですから、社会に対して一定の制限的効果を発揮しました。
 政府が発布する法令や公文書、あるいは新聞・雑誌・放送などの公共出版物、
それに学校の教科書では、この規格にしたがって漢字を使うようにと厳格に指導
され、この表に入っていない漢字を使わねばならない語彙は、他の言葉に言い換
えるか、あるいはひらがなで書くかのどちらかとされました(ルビは原則として使わ
ない、と定められています)。
 こうして定められた「当用漢字」は、当初は漢字を全面的に廃止して、仮名書き
またはローマ字書きに移行するための過渡期的な処置としての位置づけを与え
られていましたが、やがて世相が落ち着きだすにつれて、漢字制限の是非をめぐ
って、国語審議会を中心に、賛否両論の議論が激しく戦わされてきました。そして
その結果、当用漢字表の制定から35年も経過した1981年になって、ようやく
「常用漢字表」が制定されました。
 この時に定められた「常用漢字表」は収録字数が当用漢字表より95字増えて
おり、合計1945字が収められました。漢字の数がほんの100字足らずですが増
加したことについても、漢字制限論者の中には「文字言語政策の反動化である」
と激しい抗議をした人もいました。しかしそれよりもっと大きな波紋をよんだのは、
「当用漢字」が日常的に漢字を使う際の制限としての役割を色濃くもつものであ
ったのに対し、「常用漢字」が日常的な漢字使用の「目安」とされた点でした。
このように制限的な性格が希薄になったことに対しても、やはり強い抵抗感と
不満感を表明する人がいました。
 「來」に対する「来」、「數」に対する「数」など、本来の正しい字形を省略した形
の漢字を、過去の日本では「略字」と呼んでいました。それが戦後は規範的な
字形となったわけです。
 これによって漢字の画数は大幅にへり、特に子供たちにとって漢字学習の負
担がぐっと軽くなりましたし、識字率も一層向上しました。漢字の簡略化が教育
面で大きな成果をあげてきたことは、もちろん否定できない事実です。
 しかし戦後の学校教育では、簡略化を進めるばかりで、漢字の字形の面での
過去からの継承をほとんど教えなかったようです。つまり戦後の子供たちは、
「芸」や「図」は習っても、「藝」や圖」をほとんど教わらなかったのです。
 旧から新への字形の継承をないがしろにしたことの結果として、戦前に印刷
された旧字体の書物や雑誌を、今では高校生はおろか、大学生ですら、ほとん
どまともに読めないという現実を招来することとなりました。これがマスコミなど
でほとんど議論にならないのが、私にはまったく不思議でならないのですが、
まったく同一の言語が使われていながら、せいぜい五十年ほど前に印刷された
物を、現役の大学生の多くが読めなくなっているという現実は、国の将来にとっ
てまことに憂うべき事態であると思います。

転載終わり

 以上、私たちは思考の道具である「ことば」(漢字だけではないが、これも後段に譲りたい)の制限を受け60有余年が過ぎた。もうそろそろその恐ろしさに気づくべききではないか。

豊後の小兵衛

毎回、質の高い、コメントに勉強させていただいています。私が、皆様にご意見が聞きたいことは、3つあります。  1、地方分権について  今、何かと話題になっています。自民党、民主党、知事たちも、「地方分権」を、言っていますが、これは、第2の「郵政民営化」になる危険を孕んでいると思います。地方は、負債があり、財源を、5対5で、与えられて、権限が与えられたとしても、住民への恩恵が、いきわたるのは、難しいこと、地方に裁量権が、行くため、望ましくない投資家に、実質的に支配される可能性もあります。民主党が、言っていた、外国人地方参政権のことを考えても、不安がいっぱいです。サービスは、近くがいいのですが、きちんと吟味されず、ただ「地方分権」のお題目を唱えるのは、危険です.  2、 国営漫画喫茶なるハコモノについて   約200億円の無駄遣い、だったら、母子加算へ、という、当然の意見以前に、補正予算で唐突に出てきたように見えたこの計画が、安部総理の時からのもので、経営を、民間に任せるという、麻生総理の発言が、ありました。この民間というのが、クセモノで、漫画、アニメなど、製作者が大切にしている著作権などソフトコンテンツを、「国営」の名の元に集めて、ある特定の民間に利益を誘導するのではないかと、思っています。
3、 日本型地域初エネルギーについて   太陽光、バイオマスも世界一の技術だったのに、進まない日本。地方から、廃材、間伐材での火力発電、生ごみのバイオマスと始まっていますが、利権や、妨害でひろがりにくいようです。地震国であること、起伏にとんだ地形であること、地方に雇用を作れることなど、メリットが多いと思います。原子力は、地震画多く、地価水脈が多いことから、日本には向かないと考えます。小規模な発電、バイオエタノール精製について、ご意見を伺いたいです。 

【外国人地方参政権】を特集して下さい。
ネットにて自民党支持者が、民主党を批判する最大の攻撃材料としているもの。そして最近、この《THE JOURNAL》に参加し、必死に攻撃し続けている『シンイチ』様。彼が言うには民主党政権になれば日本が取り返しの付かない状況に追い込まれると恐怖を煽り続けています。
韓国や中国に日本が乗っ取られる。民主党の執行部は売国を望むものが占めているのだと。血税は全て中・韓の為に使われる。
既にその法律を先駆けて窮地に落ちたオランダを例に挙げその惨状を語るが、そのソースは何時も同じ個人ブログで、真実はどうなのかも判らない。一平民がオランダまで行って調べるなんて無理です。ネット研究も限界が有る。
http://musume80.exblog.jp/1326745
それが民主党政権になれば即実行されると断言・・・今回、民主党はあえてマニフェストから外したと聞きましたが。

子供の頃に『ノストラダムスの大予言』が流行り1999年7月に人類は滅亡するとテレビや雑誌が特集を組み、多くの国民は信じ、「産んだらこの子が可愛そう」なんて相談する妊婦まで居たそうです。
結局何事も無く、ただ本を書いた人や映画・テレビで儲けた人は居ても謝った人は居ませんでした。

それに近い妄想話と極端な恐怖例の為に、待望の政権交代、国民の手に政治と血税が取り戻すことが可能な選挙が行われる状況を壊すなんて有ってはならない。
だから、ここに集まる政権交代を「良」と考えるブログ主の方
(高野さん・田中さん、山口さん・二木さん)の有識者の意見を聞きたい。そしてこんなことで民主党を批判させ続ける状況を打破してほしい。不安に思う人に安心させてほしい。
テレビでは「TVタックル」「たかじん委員会」等、娯楽政治番組でしか取り上げず、その不安を煽った自民党議員がいたが・・・
(在日韓国人女性に自民党議員が一括されてた)、政治家同士の熱い議論を見た記憶がありません。この議論は、テレビではご法度なのですか?それとも本当に馬鹿馬鹿しい議論で取り上げること自体が恥ずかしい事という話でしょうか?
危険な思想の方が一部の市に集中し独立をする!?本当にそんな思想を持つなら、簡単に取れる帰化制度を利用して行えばいいだろう。
そんな大掛かりで数十年後の不確かな不安より、先の見えない国民生活を良くしてくれそうな政策を掲げる党を売国と罵る行為にこそ問題が有ると思うがどうでしょうか?わたしも他のサイトで討論や反論はしていますが今一、自信や確信が持てていません。
追伸で、
沖縄ビジョンや、移民問題、人権擁護法についても語ってほしい。

解散総選挙が秒読みに入り政権交代も目前に迫ってくる緊張感が漂っている。
ここは新政権を担うであろう現野党の方々の主張を聞いておくべきではないかと思う。自民・公明を否定するもの良いが、それだけでは心許ない。

民主党:原口氏、浅尾氏、長妻氏など

社民党:福島氏、保坂氏など

国民新党:下地氏、亀井亜紀子氏など

新党日本:田中氏、有田氏

それぞれの方がお考えになる日本の具体像を今一度確認しておきたい。時間的にみて全ての方からコメントをいただくことは難しいかも知れませんが《THE JOURNAL》で各党・各議員の投稿をお願いするか、主張を取材していただればとてもありがたいと思う。

以前から気になっていたことを書かせていただきます。それは介護について。

現在、介護が必要になると認定を受け業者に連絡をし、ヘルパーさんに来てもらうという仕組み。

この場合、例えば仕事を休んで、或いは辞めて家族で介護する場合、国の補助は一切なし。

個人個人の介護認定をしている訳だから、国からの補助を業者に渡すという仕組みは要らないのではないか。子ども手当てと同じように、等級に合わた金額を本人へ振り込めば良いのでは。

どう見ても今の仕組みに納得がいかない。わざと煩雑にしているのではないかと、勘ぐりたくなる。

本人に渡せば介護の必要な本人はもっと自由に出来るし、介護の会社も例えばヘルパーさんの給与についても、もっと自由に出来る。どうして許認可にしてヘルパーさんの給与まで国が決める必要があるのか。

介護に関する私の認識が間違っていましたらご指摘願いたい。

テーマ〈既存メディアはインターネットとどう向き合うべきか。或いは、インターネットは既存メディアとどのような関係に立つべきか〉

 紙の新聞・雑誌離れはインターネットの普及より以前から起こっていたのではないかと思われますが、しかし、インターネットの普及がそれに拍車をかけたことは疑いないでしょう。そして、私の見るところでは、紙の新聞・雑誌も、或いはテレビ・ラジオも、インターネットにどう向き合うべきかについて、確たる方針を獲得しているとは未だに思えません。また逆に、インターネットの側は、言論発信の場として自らには相当の実力があると思っているが、しかしなお、紙媒体に対して自らが二次的・日陰的存在であると思っているのではないかと思われます。このような状況は今後変わるのかどうか、そして変わるのならどのように変わるのか、或いはどのように変わるべきなのか。

 私自身は、現在のところ低落傾向にある紙媒体のメディア或いはテレビ・ラジオは、インターネット上で起こっていることをもっと取材すべきではないかと思っています。ブログ時評を行なうのはその一例ですが、それに限らず、例えば今どういうメールマガジンが大勢の人に読まれているかとか、インターネット上のWebサイト(或いはブログ)の創設の傾向は全体としてどのようになっているかとか、オンラインでのショッピングにはどういう傾向が見られるかとか、要するに一言で言えば、インターネットはもっと取材されるべきだと思います。これが、紙媒体等とインターネットとの新たな関係の第一歩たりうるのではないかと思われます。

 インターネットの側からは、アーカイブとしての紙媒体という側面がもっと注目されるべきではないかと思います。今英語その他の古書が例えば次のWebサイト
http://www.archive.org/advancedsearch.php
で大規模に公開されつつあることは、知る人ぞ知るところですが、それに限らず、新聞や雑誌の古い記事もインターネット上で閲覧可能とすることによって(有料とすべきか無料とするかという問題はありますが)、大げさに言えば人類の知的生活が大きく変わる可能性があります(フランスなどでは古い新聞・雑誌等もインターネットで閲覧できるようになってきていますので、事態は既に現に変わりつつあるのかもしれません)。

 アメリカでは、インターネットの普及に伴い、日本に先んじて既存メディアが存亡の危機に追い込まれつつあるとの報道もあります。インターネット上でまず考えるべき話題として好適なのではないかと思い、投稿する次第です。

《THE JOURNAL》編集部さま
いつもお仕事ご苦労様です。面白いコーナーが立ち上がりました。さて、個人的には選挙前ですので、うめさまの「地方分権」についてを立ち上げて頂きたいです。まず全国の都道府県の現状情報を知る事によって、マスコミが伝えない、各都道府県の知事の真の実力を知る事が出来ると同時に、(東のようなパフォーマー知事を潰すためにも)地方からみた現状の制度による”縛り”を分析する事で、制度上の問題点が洗い出されてくるからです。わたしも、地方分権の問題は、単に財源、権限を移譲するだけで、地方の諸問題が解決するとはとても思えないからです。分散している、地方別の情報を相互にリンクし、精査する事で問題点を洗い出したほうが、よいアイディアが出てくるような気が致します。

2つ追加させて下さい。


1.「プラザ合意」
85年秋、(宮澤喜一は)プラザ合意から意気揚々と戻ってきた蔵相の竹下登に対し、「自分がしたことの意味が本当に分かっているのですか」と噛みついたことがある。
(西野「検証 経済暗雲」より借用)

宮沢自身にも本当には分かっていなかったのではないか。

バブルとその崩壊後の長期停滞

郵政民営化と年次改革要望書

中国が人民元のコントロールに拘る意味

民主党の財源論、西川社長の進退、中国の先行きetc、何を論じても、発端を遡れば、戦後日本経済のターニング・ポイントとなったプラザ合意に辿り着く。


2.「EUとロシア」
日本のマスコミは米国と中国にのみ多くの紙幅を割き、それ以外の地域の動向に無頓着すぎる。

冷戦終結と米国の経常収支悪化が世界の構造を変えてしまった。

兵器以外にさしたる売りものがなく、海外からの投資で輸入の代金を払い続ける米国。
米ドル基軸の世界経済は、いつまで米国を養えるのか。

EUが目指したものは何か。
「ユーロ」が持つ意味は何か。
プーチンの情け容赦のない弾圧は何のためか。
EUとロシアの組み合わせは世界をどう変えるのか。


上の2つが日本の経済と外交を考える際の基礎になるのではないかと思います。

今、私の住んでいる長野県では15年前に起きた忌まわしい「松本サリン事件」の実録ドラマが放映されています。
全国放送されているとは思いませんが・・・。

あの頃、新聞を始めマスコミ各社は被害者である「河野」一家を警察の発表をろくに調べないで、犯人扱いして二重の被害者にしてしまった。程度の低い長野県警は最初から被害者を犯人として、決めつけていた。
「教育権」として誉れ高い松本の人々も、犯人とし被害者である「河野家」をバッシングした。


あのとき私は百科事典でサリンなる物がどういう事か調べて、素人が簡単に作れる物でないと分かったが、マスコミは簡単に作れると報道していた。
「河野」さんは、その後で地下鉄サリン事件が起きていなければ、7人を毒殺した犯人として死刑になっていたのかも知れないのです。

あれから私はマスコミという存在を信用していないのです。
マスコミ人の低俗さ、無知、これらを隠してさも良識の代表のように振る舞う。

そして今、小沢秘書冤罪事件でもマスコミは警察や検察とスクラムを組んでいる。
15年前に自分たちが犯した間違いに対して全く反省していないと言うことですね。

ここに寄稿しているジャーナリストの皆さんは、この松本サリン事件に対して当時どのように考え報道したか、の総括をしてください。

幼き、おめでたい民主党。

今回の知事どもの騒ぎ、自民党の別動隊と思うべし。

政権交代が現実味をおび、改革への期待が高まるこの時期、なぜあえて争点を複雑にし、有権者を戸惑わせる状況を作ろうとするのか。答えは明白、民主党への政権交代を拒否するとの行動のあらわれであろう。

東国原のお茶の間パフォーマンスには騙されないにしても、橋下氏の実績伴う言動には、めろめろになりそうなわが国民。
民主党幹部は速やかに橋下氏への接触をはかり、真意を判断し、敵なら敵(おそらくそうなるだろうが)として、早急に対策を講ずべきである。

しかし、さすがは自民党。民主党の弱点を的確についている。
無党派層と風向き頼みの足腰の弱い民主党には、「別の変革」をぶつければちょろいもの。労働組合の基礎票しかない民主党は、大勝もすれば大敗もする。

小生はかつての参院選大勝時、TV・新聞を総動員して、党員拡大の一大キャンペーンを行う絶好の機会だと、民主党へメール提案した。

現在の政治状況の閉塞感のなかにおいて、自意識ある有権者は、自らの政治スタンスを確立し、間接的ながら今日の変革に参加したいという希望を、少なからず持っている。

その絶好の機会が先の参院選大勝時であった。このときなら根拠なき推測ながら、百万人単位で党勢を拡大し、労組依存から少しでも脱却することができた思えるのである。

これにより、民主党員となった有権者は、若干の党費負担で機関紙を読み、総選挙の演説会場に労組員のような動員ではなく、自らおもむき、足腰の強くなった民主党の風景を垣間見ることができたであろう。

民主党組織委員長柳田稔、広報委員長奥村展三、国民運動委員長小沢鋭仁らは、党員拡大に関心があるのか?民主党のホームページの組織をみても、党員数がそもそも表示されてない。一般企業では千載一遇の機会を逃したこの3人は、間違いなく落第組である。

こうした民主党の弱さは、仮に政権交代しても、長続きしない原因になると思え、橋下氏はそれを見透かしているのかもしれず、そうであればよほど大人であるかもしれない。

しかし、彼らが唱える「地方分権・地方主権」にはおおいに異論がある。なぜなら現状の地方政治において、彼ら改革派は圧倒的少数派であり、多くは議会と談合癒着する首長(役人出身多し)が未だ殆どだ。

実際、官僚の天下りが問題となっているが、地方でも殆どすべての退職役人に再就職があてがわれる。しかしそのこと自体に目くじらを立てるつもりはない。問題はお茶飲み、新聞読み、パソコンのぞいて帰宅する。つまり、働かずに金を手にする典型的パラサイト。これでは財源移譲してもざるに水なのだ。

いまは国の無駄遣いがとりあげられるが、実際には地方も同じ。

だから、上(国)がまず変わらなければならない、地方分権先行では傷が全国に拡大する。

豊後の小兵衛さま

「ことば」について私のささやかな体験をお伝えします。
とある日、中央線に乗っているとき隣で可愛い小学生らしき男の子が一心不乱に本を読んでいます。どんな本を読んでいるのか横目で眺めていたらその書には「漢字」の横に「ひらがな」のルビがびっしりふられていました。お茶の水で降りる子供に「何読んでるの」と問いかけました。はにかんで見せてくれた本には「妹尾河童」とありました。このような形で漢字に接するならこの子には漢字に対する免疫力が確実に備わるだろうと感じ入りました。

何事もうろ覚えで申し訳ありませんが作家の井上ひさしさんはエッセイの中で当用漢字などやめて「漢字」に「ひらがな」のルビをふればよいという趣旨の主張をされています。私は諸手をあげて賛成しています。八万語もあるとされる漢字を全て読みこなすためには「ひらがな」のルビをふるか漢和辞典で調べる以外にはありません。漢和辞典を使った経験がある人なら理解してくれる筈です。画数を正確に算出するのも煩雑の極みです。子供の頃から画数23の漢字でも「ひらがな」のルビで自在に読めるようになれるのですから文科省の小役人の小賢しい方針などはやめてしまえば良いだけの話です。

漢字とひらがなのルビの組み合わせのメリットは読み手の負担を大きく軽減してくれます。できれば高橋和己の著作集などもルビ付きで読みたかったとすら思います。この作家の漢字を残らず読めるとゴルゴする人は麻生太郎にあらずとも希有ではないでしょうか。私は子供たちのためにこそ「ひらがなルビつき漢字」の本を作るように国の助成金すらつけても推進する価値があると考えています。

豊後の小兵衛さま
私の不注意で「ことばを失った日本人」の記事を見逃してしまいました。掲載日時を教えていただけないでしょうか。是非読みたいと思います。

”地方分権”は、タレント知事の自己PR文句では!!

 国と地方がそれぞれの役割を果たして、国民の生活、財産、生命を守って、世界に貢献して行くのが”政治の基本”。当然、過疎とセーフテイネットの破壊された地方に、自力だけでは対応できないことも多い。国の援助、連携でのサポートも欠かせない筈。

 東国原知事も橋本知事も、”ウケ”を狙った発言が多いだけで、あんまり中身がない。”ワンフレーズでウケを取った小泉元首相”とダブル。単なる個人的な野心だけではないでしょうか?
ウラのホンネでは、セコイ”ギブ&テイク”を計算、交渉しているだけではないのでしょうか?

 二人が言ってる”地方分権”の中身を分析した論説はないでしょうか?民主党の主張と何が違うのでしょうか?

 自民党や、自民党もどきに”地方分権”なかまを求めるなど、なんとなく、キナ臭く、胡散臭いのですが。

 

 

<介護と貧困についてのテーマ設定を>
今、毎日の様に、介護疲れによる親殺しや夫婦間殺人、無理心中がニュースになっています。先進国としては異常だと思うのです。両親を看取った私も、一歩間違えば親を殺していたのかもしれません。
多くの場合、介護は貧困と絶望の入口です。親が要介護となったとたんに、施設がなく、あったとしても入所費が高額で、私のように一人っ子や兄弟がいても二人では入所費を賄えないのです。
そこで、自分の将来への夢も希望も捨てて、つまりは仕事を辞めて、親の年金が頼りの在宅介護が始まります。
痴呆が始まると、いくら一生懸命介護をしても、親から口汚く罵られます。ヘルパーさんが来てくれる一日2〜3時間を除いてず〜とです。しかも、いつまで続くとも知れず、段々と親に憎しみすら抱くようになるのです。こんな残酷なことがあるでしょうか?
私の場合は、父が痴呆になり病院から退院を宣告され施設も入れないと言われ、仕事を辞めなければならないと覚悟した正にその時、医学書の責任編集者の方から手を差し延べて頂き、事なきを得ました。
コネクションという汚い手を使い、やっと仕事を手放さなくて済みました。
そんな私に介護を語る資格はないと承知の上であえて申し上げます。少子高齢化の日本では在宅介護制度はムリがあると。母を先になくし、一時期、父の面倒を見ていましたが、それでも「ワァー」と叫んで、家中を破壊したい衝動にかられました。専業主婦ができるのは、恵まれた人々だけです。殆どは、日々の暮らしで必死です。
私は介護の問題が解決しない限りこの国の人々は幸せになれないと思っています。
民主党も自民党も程度の差はあれ、在宅推進派です。私は親不孝なので仕事を辞めませんでしたが、清水由紀子さんのように親孝行な人ほど絶望に追い込まれる社会は間違っています。
与野党各党は、どう考えているのか、ぜひお考えを聞かせて頂きたいと思います。

em5467-2こと恵美 さん

「介護と貧困についてのテーマ設定」に賛成です。今現在、そして将来の我が国でこれは避けて通れない。恵美さんの書込みで身につまされております。今我が国では親の介護のために、十分な経験値のある働き盛りの男女が職場を離れなければならない現実があります。切り崩す資産がある方、時間に融通の効く業態の方はなんとかなるやも知れませんが、そうでない多くの場合には、今まさに日本を背負える働き手が両親の介護に回る必要に迫られています。そもそもが子育てに追われて蓄えもなく、子育てが終わったと思ったら介護、もとよりギリギリの収入でそうしてくれば、介護のために就労時間が減るとすぐさま貧困が始まります。そうして最後には老々介護となります。

これを解決するには、今すぐにでも北欧型の高負担高福祉型にやり方を変えて行かざるを得ないと思われてなりません。働き盛りが職場から離れては、後輩達へノウハウの伝授もままならず、勢い国力が衰退するでしょう。

それから私自身の経験では、介護に関してハード面で恐ろしく国の予算の使われ方にムダがあることを知りました。たとえば介護のために住まいのバリヤフリー化を考え、家屋内に新たに手すりを設置したり、段差をなくすといった小さな工事になったときのことです。これを介護サービスの会社でケアマネージャーに依頼すると国から工事の補助金が出ますが、工事代金明細を見るととんでもない料金が付いております。介護サービス会社に依頼せず、近所の大工さんに同じことを頼めば1/4以下の予算で可能なような工事の中身です。まあこれに関しては介護業界を食べさせるという国の政策なのかも知れません。

それと細かいところでは、お風呂用の補助椅子などと言う物などいわゆる介護用品ですが、どう考えても高額過ぎます。同じような物をもっと安価に作れるはずだと。

介護関係の福祉行政はいちど根本から洗いなおす必要がありと思っています。

企画、テーマに関することではないので、申し訳ないのですが、コメントにおける転載と引用に関して少し気になっております。

編集部にお訊ねします。
コメントが一つの記事として掲げられ、多くの読者に対し発信される以上、やはり著作権の取り扱いは疎かにできないのではないかと思っております。
稀にコメント中に「これは無断転載ではなかろうか」という文章を拝見します。書かれたご本人は、純粋に善意であって、よかれと思ってやっておられるとわかります。
なので、なおさら引用、転載について一定のガイダンスを記して、善意の投稿者を守るべきではないかと思っております。
このまま何らの注意喚起のないまま、コメントの投稿文を記事に引き上げる試みをされるというのはどうなんでしょうか。問題なしというご判断なのでしょうか。わたしは、いささか無謀という気がしております。

できれば編集部のお考えをうかがいたいのですが・・・。

選挙制度改革について

 日本の選挙は、長らく中選挙区制、大選挙区制がとられてきた。現在、衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並列制が、参議院議員通常選挙の一部は比例代表制がとられている。しかし、参議院議員通常選挙の一部や地方議員選挙では、依然として中選挙区制、大選挙区制がとられている。僕は、中選挙区制、大選挙区制は、政党政治と全くと言っていいほど調和しないと考えている。なぜならば、同じ党の人間が対立候補として票を食い合い、共倒れになる可能性があるからだ。当選候補よりも政党としての得票数が多いとしても、結果的に誰も当選しないということになりかねず、正確に民意を反映しない制度なのではないだろうか。
 そこで、政党政治における民意を反映しやすい選挙制度を考えてみたい。国会の選挙制度については議員定数削減問題と絡めて考えていきたいと思う。
 まず、衆議院であるが、現在の小選挙区比例代表並立制の下、小選挙区150人、比例区150人にして、比例区を広域ブロックから全国区に変えることが望ましいと思う。広域ブロックよりも全国区の方が、小政党が当選しやすく、このような削減方法なら、小政党も受け入れやすいように思える。
 次に、参議院であるが、選挙区を廃止し、非拘束名簿式比例代表制の全国区のみの議員定数100人にすることが望ましい。参議院の選挙区は一部で中選挙区があるうえ、長らく1票の格差が問題になっている。比例全国区であれば、1票の格差は解消することができる。また、この比例代表制度は、候補者名で投票することができるため、理論的には無所属でも立候補が可能であり、無所属にも立候補を認めるべきだと思う。
 そして最後に地方議会であるが、現在の選挙区を維持した上で、選挙制度を、現在の中選挙区制、大選挙区制から非拘束名簿式比例代表制に変えるべきだと思う。現在の制度では上記のように、正確な民意を反映できないからだ。非拘束名簿式比例代表制にすれば、各政党は定数いっぱいまで候補者を擁立でき、同じ党の候補者の運動は、票の食い合いではなく相乗効果となる。また、この制度は上記のように無所属の立候補も理論上可能であり、当然、無所属の立候補も認めるべきだと思う。
 最後に書いた地方議会の選挙制度は、あまり注目されないが、国政選挙制度と同様に重要な問題であり、見直しを議論する必要があるのではないでしょうか。

直接の趣旨とは違うかもしれませんが、意見を求める場でもあるようなので、いくつかリクエストをさせてもらいます。


■希望するテーマ・企画について

・サイトとしては調査報道ではなく分析や論説がメインだとは思うが、他のメディアが報じない事件や「その後どうなったか?」を取り上げてほしい。(例えば、「高橋洋一氏の事件の真相」「核持ち込み密約問題の元外務次官に対する取材」など。

・「かんぽの宿騒動」など背景の複雑さや、ジャーナリスト間でも意見の割れる問題に関しては、町田徹さんなども呼んで、異なる立場の人同士の議論を動画でみせてほしい。(この問題に関しては、単純な二元論になっている傾向があると思うのでなおさら)

・小沢西松問題を取り上げたニューヨークタイムズの記者へ逆取材するなど、日本のメディア問題に対する海外からの視点や事例を取り上げてほしい。


■サイトの使い勝手等について

・他の方の要望にもあるが、どの記事に最新のコメントがついているのか?その数は?など、執筆者ごとの階層ではなくトップページで一覧できるようにしてほしい。

・上記がすぐには無理なら最新記事と最新コメントのRSS配信を

・本体とよろんずのデザイン・色味がまったく同じで、全体TOPからよろんずへのリンクも無いので、もう少し今どこを見ているのかを分かりやすくしてほしい。

・細かいことだが、動画の音声レベルの調整を(曲などはレベルが高く音声はかなり低い感じ)


■運営等について

・本名or匿名問題について、読者の意見が各記事に散逸している状態なので、この件に限らず議論が予想される場合は一つのエントリーを立てて意見を集約してほしい。

・インターネットの特性を活かした、高野さんや論者、読者を交えた音声チャットによる議論なども検討してほしい。

方向性について意見を述べさせてください。
前回、小沢一郎前代表の西松事件の際、この板や他のネット上の掲示板などに、かなり多数の検察や与党批判の意見が出ていたにもかかわらず、結局、ああいった結末になってしまって、ネット上での意見は一体なんだったのかとすごい無力感でした。できれば新企画では、ネット上のバーチャルな動きが現実の社会に影響するムーブメントを起こすような方向へ持っていければいいですね。

前回の須田・高野会談では、鳩山弟を誤解しているようだ。
彼は常に先が見えている、あの目の大きさは伊達ではない。
民主立ち上げ、都知事出馬、落下傘候補、麻生支持、、、
浮き沈みが激しい永田町の中で全て計算出来ていて、回を重ねるごとに磨きこまれ精度が上がっている。
選挙後の自民・民主どちらに転んでも良いポジションを作る為には、内外から批判を浴びずに麻生から離れる事はなかなか難しいのではないかと思っていたが、官僚達の足元を嗅ぎつけ何度かトライしてきたが、今回の件では完璧にはまった。
総仕上げの先週のテレビ出演では、笑いをこらえての神妙な面持ちはオスカー俳優などめではない。
北海道宗谷岬から南は沖ノ鳥島まで半年先の風向きを感じる事の出来る目・耳・鼻は、プロサーファーとしても大成していただろう。
一方、小池百合子だが、はっきり覚えていないが最近防衛がらみの何かを電撃辞任したが、あまり注目を浴びなかった。

日本の行政府、官僚機構についてやっていただけると面白いと思う。

よく、日本は優秀な官僚がいたから戦後の目を見張る復興が可能だった…というような話を聞きますが、果たして本当でしょうか。
仮に事実としても、本当に国民のために機能したのはせいぜい10年でしょう。

本当に東大を出た優秀な人材がそんなに必要なのでしょうか。
もし必要だとしたら、それは日本の政治家とその政治家を選んだ国民のせいなのだと思います。

基本的に役人は言われたことを的確に行えばよいわけで、政策を考えるのは政治家の仕事です。

キャリアなどという存在は、害こそあれ国民の幸福のためには本来必要のないものだと考えております。
必要なのは、政策を考えることのできる頭を持った政治家であるはずです。政治家こそ役人を指揮して国を動かさなくてはならないはずなのですが、この国では…?

アホウ君でさえ、あべの腹痛ボンボンでもリーダーになれてしまう仕組みって一体何なんだろうと思うのです。

少々めちゃくちゃ言ってます。

初めて投稿させていただきますが、正直な思いを書きます。

以前、高野さんがTHEJOURNALは政治ネタや経済ネタのみを扱うサイトではないとおっしゃられていました。

もちろん、このごろの政治と金にまつわる一連の問題は国民にとって無視できない非常に大切なトピックです。ですが、いまのTHEJOURNALは、どうにも偏りすぎているように感じます。社会ネタやスポーツ、事件なども同じように鋭い視点で扱ってほしい。読者の大多数の支持を得られるネタに動かされてしまう、そちらの事情もわかりますが、そういいった編集方針は本来のジャーナリズムの姿とは異なるように思います。

「よろんず」が読者主導とはいえ、読者の人気に左右されることのない、マスコミ世論とは異なるヨロンをつくり上げる場になればと思います。

私はコモンズからの読者ですが、いまのTHEJOURNALはaryoshaさんの記述にあるように一部の執筆陣のコラムによって支えられていると感じます。そこに読者コメントが加わったことがTHEJOURNALへの変化といえるでしょう。THEJOURNAL編集部としてのオリジナル記事はここのウリではないのでは?

【抜本的税制改革】~消費税より累進・相続・法人税を上げろ~

2度目の投稿でスミマセン。
やっと、先週の朝まで生テレビ『激論新たなる貧困』の録画を見終えて つくづく政権交代をしないでこの日本を救う道は無い!との思いを新たにしました。番組の中でも他の人とは一味違う味を充分発揮し、自民党政府が行ってきた「金持ち優遇政策」を批判する本当のお金持ち・森永卓郎さんには頑張って発言をし続けてほしい。見た目からかキャラ的なのか、必ず他の出演者から批判・バッシングされるが、私は彼の発言が 一番正しいのではないかと思っています。

しかし民主党政権に成ろうが、雇用・低所得者・介護・医療・年金と本当に多くの問題が積み上がり今までの悪政・官僚任せの出鱈目な行政のツケとなった 国と地方合わせて1000兆を越えるという借金が重石となりそうです。国の無駄使いを止めさせて、子育て支援、教育費無料・個別農家保障・高速道路無料化も実現させることが出来る筈です。そこまででかなり国民生活にゆとりと活力が生まれる事が予想されます。

ただ問題はこの後です。どうしても、それ以外の問題の解決には財源が足りません。そしてその後は民主党政権でも消費税増税を謳って4年後の衆議院選挙を行い、もう一度、勝利を得て信認された後に消費税を段階的に上げていくことに成るのでしょうが・・・

与野党・マスコミは消費税増税やむなし、これほどみんなが負担して公平な税は無いという論調が一般的です。森永さんや共産党ぐらいの少数派がいくら「低所得者にはキツイ負担増で不公平な逆進性だ!」と叫んでもスル~されてしまう。


まず、このソースを見てください。
http://hb8.seikyou.ne.jp/home/o-shoudanren/200904/200904gakushuupanfu.pdf

そしてこちらは消費税の問題を取り上げる良いブログ。これを見て勉強中です。

http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-588.html

それでは如何すればいいのか?
もちろん、累進課税や相続税・法人税の見直しが最優先。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/HATTORI-n/a220-6.htm
こちらは読み応えがあり、ソースもしっかりしていて信頼がおけるものでした。ぜひトップに戻り、全てを観覧して見てください。こう言った反対論が全くマスコミが取り上げないのは マスコミ自体が優遇されている経団連がスポンサーだということも有るのでしょうが余りにも取り上げることが少ないと思います。

消費税には多くの問題が含んでいる事実。この戻り税以外にも中抜き、零細企業の問題等が山積です。
http://hb8.seikyou.ne.jp/home/o-shoudanren/hayasi.pdf.pdf

この国の仕組み、システムを変えていくのなら【税金全てを抜本的】に洗いなおしていかなければ国民は幸せになれません。
政権交代が起こるなら、この問題も大きく取り上げ、議論してヨーロッパ並みの高福祉国家を目指してほしい。本当なら既にそれに近い高負担を してきた筈なのですから。
更なる消費税の増税の前に、行うことが多々有る事実。全てを行って尚、最終的に消費税という順序で国民に 負担を求めるのが『国民の生活が第一』というスローガンの政権に相応しい政策だと思う。その時は、国民も理解を示すと思います。自分の払ったお金が将来の自分に如何使われるのかを示すことが大切です。

この問題が「世論」で当たり前に成ってほしい。

THE JORNEAL編集部の皆様、本サイトを拝見しております。ぜひ、テレビ、ラジオメディアのあり方について企画していただければ幸いです。

<医師不足と救急医療>
 この前の党首討論でもほんの少しだけ医療問題の取り上げ、NICUのたらい回しを例に挙げて、救急医療の破綻の原因の一つが医師不足であるとの主旨発言がありました。
ただこの問題を合併症を持つ妊婦さんの問題であるとか、NICUの病床数の不足に特化したことと考えれば、大抵の方が「私はあまり関係がない」という認識に陥ってしまいがちです。しかしこの一連の問題はだれもが関係があることなのです。
 これは救急医療、あるいは脳外科・胸部外科といったいわゆるタフな外科系も含んだ問題で、市民の方誰しもがその被害に直面する可能性のある問題です。
鳩山代表は時間の制約のためとは思いますが、表面的な指摘で終わりました。その言葉通りに受け取れば医者の数を増やせば、救急医療、産科/新生児医療が解決するかの如く誤解されてしまいます。
これらの問題の背景には、①救急医療、産科/新生児医療の保険制度そのものの問題②このようなタフな医療に携わる医師の待遇の問題③医師の総数に比べての実労働力が不足している問題などがあります。
簡単に解説すれば救急医療、救急搬送には「空きベット」が必要だということを御存知でしょうか?何を言っているのかと思われるでしょうが、ベットが空いていなければ救急搬送は受け入れられません。救急医療の場、産科/NICUの現場でもベッドの稼働率を中心としたその科の独立採算制が求められます。資本主義なので当たり前と言われればそれまでですが、大学病院、公的基幹病院でも当然経営改善会議が頻繁に開かれ、稼働率が悪ければすぐ指摘を受けます。現場では、何とかベットを埋めなければという強迫観念で、比較的軽症と思われる症例でベッドを埋めてしまうということが現実に起きています。そうなるといざという時に、現に入院しているヒトを追い出すわけにはいかないので、搬送を断るというようなことが実際に起きています。これでは救急病院や産科/NICUの病床を増やしても、システムが変わらなければ結局はベットを埋めておかなければ経営は成り立たず、同じことになってしまいます。救急搬送を必ず受けるとするならば、「空きベット」の分を国が補償しなければ到底「必ず受ける」などということは非現実的です。②はこれが最も困難な問題だと思いますが、市中病院で手に余した重症症例を受ける基幹病院の医師の待遇が悪過ぎるということです。休みもろくにとれない、給料は安い、重患であるが故に訴訟のリスクが高い症例が多い基幹病院に医師が留まるような努力を国は何もしていません。医師の総数を増やしても、開業医に流れてしまい、タフな科に残る医師は減る一方です。日本医師会系の医師からは反論が来るのは覚悟で言いますが、基幹病院のタフな科の医師と開業医の待遇を逆転させなければ、救急医療、産科/NICU,タフな外科系医師は減りつづけるでしょう。また9時から5時の勤務で、呼び出しのない科に専攻が集中するのも当たり前です。③現在医学部学生のうち女子学生の比率が半分に迫ろうとしています。女性は妊娠、出産は勿論、今のところ育児も女性が担う例がほとんどです。この間はどうしても医療の場から離脱します。一次的な離脱は当然として、そのまま完全に医療から離れる例も少なくありません。女医の労働力確保のためには、思い切った支援がない限り、女医の労働力は半減してしまいます。女医だけ特別扱いという反論もあるでしょうが、できれば労働環境を改善しなければならない優先順位の高い職業と考えて頂きたいと思います。
医学部の定員を増やしても、一人前になるには大学教育に6年、卒業してからも5年~10年かかります。今、医学部の定員を1-2割増やしただけで解決するような問題では決してないのです。身内のヒトが、救急搬送される場合を想像すれば、だれにとっても他人ごとではないのですが、厚労省、文科省の愚策はいつも通りあきれるばかりです。豚インフルエンザの厚労省の愚策、無策は御存じの通りですが、文科省の愚策は週刊文春6月18日号、25日号の“新生児医療「文科省」に殺される”を参考にして頂きたいと思います。以上は中にいる人間の言葉ではありますが、医療は市民のものですから、この悲惨な現状を一般の方にも是非知って頂きたいと思います。日本はこんな国なのですが、何とかしなければ・・・・・

渡辺喜美氏の正体は? 自民党を離党した時は、ちょっと感激したが、どうもその後の様子がおかしい。竹中・小泉に通じているのではないかと思われる節あり。共産党と同じように、結果的に民主党の脚を引っ張っていると思われる。その良い例が、静岡県知事選だ。海野氏は当選しないと思われているが、渡辺氏はこの海野氏を応援し、民主党の川勝氏の脚を引っ張り、坂本氏の味方をする。官僚打破と言いながら、内心は官僚の味方か?

すみません。
報道関係の方々、
教えて下さい。

捕虜となって、戦時中に
日本で強制労働させられたと言うオーストラリア人の方が、
息子さんと来日すると言うニュースを聞いたのですが、
どうなりました?
教えて下さい。

一応ニュースを見て知ったので、
その後が知りたくて・・。

選挙前で、規制がひかれてるの
ですか?

別にどうでもいいのですが、
報道されたもんですから、
興味を持ちました。

教えてくれないのなら、
最初から報道しないで下さい。

国政への転出を県民が認めてくれず、知事職に留まることになったとしたら、もう真面目に仕事に取り組むつもりはない、このような県政サボタージュ表明とも受け取れる東国原宮崎県知事の発言を伝える記事が、6月29日の『宮崎日日新聞』インターネット版 http://www.the-miyanichi.co.jp/ くろしおコーナーに掲載されていた。6月26日に宮崎県日南市で開かれた政治資金パーティで東国原知事が述べた言葉だという。
「宮崎に骨を埋める覚悟でタレントを辞めて帰って来た」、「県民から託された職責の重さを痛感している。県民の目線での行政に努めることを約束します」。県知事選当選後に述べた東国原知事の言葉である。先の発言に至るこの大きなブレはいったい何なのか。宮崎のために、地方のためにと言いながら、空念仏のように唱え続ける「地方分権」という言葉からは、おおよそ具体的な内容がほとんど伝わってこない。そもそも、「県民のために」という言葉が本物ならば、冒頭で紹介したような無責任な発言など、間違っても口から出てくるはずはないだろう。一週間の幾日かを東京暮らしで過ごし続けているうちに、県民目線などすっかり失ってしまったのだろうか。さらには、「しがらみのない県政の実現」を目指していたはずの知事には、自民党とのしがらみを持ってしまった途端、県民との約束など、どうでもいいものになってしまったのだろうか。そういえば、自民党のかつての総理も、公約など守らなくてもたいしたことではない、というようなことを国会の場で言い放ったことがあった。朱に交われば赤くなる、とはよく言ったものである。
温かな気持で迎え入れてくれた故郷の有権者の信頼をさえたやすく裏切ってしまうような候補者が、国政の場で有権者の信頼に応えてくれる、などとはとうてい思えない。
『宮崎日日新聞』が6月26、27日の両日に行った世論調査によると、東国原知事の衆院選出馬に反対する者が6割余りをも占めたという。この結果の重さを、知事には痛感してもらいた。宮崎県の知名度を全国的に上げるということでは、確かな実績を残した知事である。その実績を今後の政治活動にしっかりといかすのも、台なしにしてしまうのも、東国原知事のこれからの行動次第である。

「ことばを失った日本人Ver2」 
 さて本論に入る前に、西松問題に隠れてしまったが、件の漢字検定協会理事長親子の逮捕・立件には胸のすく思いであった。それは、その稼ぎぶりは羨ましくもあり、かつ、にがにがしく思っていた。
 実用のモノから遙かに縁遠い出題が多く、クイズ感覚の漢字問題に文科省がお墨付きを与えたことがそもそもの間違いである。
 さても、Mehrlichtさんの「大学の講堂で聴講するような内容」には該当しないが、昔の銭湯あがりのよもやま話ほどに読み取っていただけば当方も気が軽い。

 雑音はこれほどにして、今回は少し皆さんを試させて頂く。それは難しいことではなく、漢字の筆順に関することで「右」と「左」という漢字を手書きする時、みなさんはどう書かれますか。
 正しくは、右の場合は一画目は縦から書き、次に横画を書く、左の場合は、横画が先で、次が縦となる。もしかしたらエッと思われる方、常識じゃんといわれる方、二通りに割れるとは思うが、多くは同じ筆順で書かれているのではと推測するが、如何・・・・。
 この左右文字の一、二画は漢和字典を繙くときの部首にはなく、それぞれ「口」と「工」を部首として探すことになる。ほんじゃぁこの二画は何者となるが、これは「手」の象形であり、右のそれは右手の象形、左のそれは左手の象形が変化したものである。部首としては「てへん」に変化して、字義は同じである。
 それで「口」はそのまま、「工」は一説には大工道具の「鑿」、また一説には「定規」の象形という。これからの推論で、漢字が生まれた3.500年前から、右手で食材を口に移す、鑿や定規は左手で押さえる、つまりは右利きが多数であったことを窺い知ることができる。右手の象形を一部としている漢字は「事」「書」「筆」などがあり、やはり右利きが通常だった。はて、どの点画が右手の象形かな?。

 つぎに「上」と言う漢字はどうだろうか?。歴史的筆順は横・縦・横であるが、今の学校では、縦・横・横と教え、試験に歴史的筆順で回答すると×である。
 先に、飯間浩明さんが「現場の教師がフレキシブルに対応する余裕」と指摘されたが、実は文科省も「筆順指導の手引き」として「学習指導上の混乱を来さないようにとの配慮から定められたものであって、そのことはここに取りあげなかった筆順についても、これを誤りとするものでもなく、また否定しようとものでもない」とはっきりと示してはいるが、教育現場では全く守られてはいない。
 この原因は、教員養成過程で使用される唯一の統一テキストである「書写指導の12ヶ月」(美術新聞社刊・久米公監修)に次のように明記され「学校教育の場では、教育的見地から、合理的な原則によって一通りの筆順に整理されていることはきわめて大切である」と縛りを掛けている。監修者の久米公氏は元文部省視学官であり、法を遵守する立場にいながら、この体たらくである。
 同じく、元文部省視学官であった某氏との会話を採録する。(書道教室・指導者研修時)
 小兵衛「文部省の筆順指導は許容を認めているが、教育現場で歴史的筆順を誤りとする根拠は如何・・・
 某 氏「複数の正解を有することは、学校現場に混乱を来し、好ましくない」
 小兵衛「ならば、歴史的筆順に依らず草書で書いた時、その判読は不可となるが、その点如何に」
 某 氏「小中で草書を学ぶことは学習指導要領にはなく、現実ではありえない」
 小兵衛「ならば、その昔に書かれた草書体の判読に障碍は・・・・・」
 某 氏「仮定の質問には答えられない。何れにしても、当方が示した筆順指導(文部省指針に非ず)に従わない書道教室はじゃまだと申し上げておく」
 官僚支配の弊害は政治や経済問題、そして医療問題のみではないことはご理解願えたろうか。次の世代を担うべき教育の世界で横行する数々の悪弊、これを払底せねばこの国の行く末は危うい。
 因みに、麻生総理が書き初めとしてテレビカメラの前でパフォーマンスをやらかしたが、あの毛筆書の一部は誤字だった。理由は、行草書には紙面に書かれていない点画があり、それを「筆意」という。つまりは、筆意が読み取れない文字は判読不能となり、それを誤字という。

 旧師範学校では上記に書いたことは常識であり、幅広い見識を、厳しさの中にあっても真の「ゆとり教育」が行われていた。しかもその大半は全寮制で学費のみならず生活費も支給された。学業の機会均等が保証され、所得格差による弊害を除去した人材育成の枢要な仕組みでもあった。
 それを、こともあろうに「軍国主義を助長した」として、これも米駐留軍の命令で、普通課程の大学に統一再編され、現在に至っている。(http://ja.wikipedia.org/wiki/師範学校を参照)
 要は制度に問題があったのではなく、その運用を間違ったのであり、ここでも日本特有のすばらしい仕組みの命を奪った。分かりやすく例えれば、皆さんのおうちにある「包丁」、これは殺傷の用具ともなるが、その責任は包丁にはない。

 参考までに漢字制限に至る経緯が見える当時の新聞社説を紹介する。
 引用始め(國語問題論争史・土屋道雄著 玉川大学出版部より)
 昭和20年11月12日、讀賣報知新聞の社説は「漢字を廢止せよ」と掲げ「新日本建設のための文化政策はいろいろと提示されてゐる」が「ここに民主主義の發達と密接に結ついた問題で、いまだに忘れられてゐる重要なものがある。それは國字問題だ」として、「階級的な敬語その他の封建的傳習の色濃い日本の國語が大いに民主化されねばならぬのはいふまでもない」「かつてレーニンは『ローマ字の採用は東洋民族の一革命であり民主主義革命の一構成分子』といふ意味を述べたといふことである」「漢字を廢止するとき、われわれの腦中に存在する封建意識の掃蕩が促進されあのてきぱきしたアメリカ式能率にはじめて追随しうるのである。文化國家の建設も民主政治の確立も漢字の廢止と簡單な音標文字(ローマ字)の採用に基づく國民知的水準の昂揚によつて促進されねばならぬ」と論じてゐる。これは敗戦に伴ふ物心兩面の混亂した當時の病的な世相を代表する記念碑のやうなものである。(ママ)
                              引用終わり
 資料収集時には、朝日、毎日にもほぼ同じ内容の社説があったと記憶しているが、膨大な資料に紛れて所在不明となっていることから、どなたかご提供を願えれば幸甚である。
 上の新聞社説に明確に記されている通り、当時の文部省の方針が「漢字廃止、ローマ字採用」であったことは十分に読み取れる。       以下次回
豊後の小兵衛

日本を改革しよう

日本の現状
1)日本の貿易収支は今回の経済危機以前まで堅調に推移していた
2)1990年以降、日本の内需は継続的に落ち込んでおり消費低迷が続いている
3)1990年以降、所得格差は広がり続けており小泉政権以後高所得者層は格段に増えた
4)1990年以降、低所得者層が拡大しており貧困層(年収が137万円以下の層)の人口が1000万人を超えている

これからどうしたら良くなるか?
ずばり社会保障費負担の適正化だ、それには政権交代が必須であり自民党では絶対できない。社会保険保険料の上限を廃止し所得割により公平な負担に改める、これが急務と言いえよう。
この大改革により社会保障財源問題は解決され医療費や介護費の個人負担を無くせることは大きい。

現在は年収が1410万円で健康保険料は上限となり726万円で厚生年金保険料は上限となる。
この為、高所得者層の社会保険費負担は所得割りで見ると極端に低く、年収が一億円の人だと実質0.4%程度の負担でしかない。その結果が社会保障財源の大幅な不足であり、低所得者だけが非常に大きな社会保険費負担を強いられている(30%強)

改めるとこうなる。
社会保障費の所得割を単純に35%とすると・・・

1億円の所得がある人
社会保険料は35%で3500万円 (法人負担も同様に3500万円)
税金は控除後の6500万円の50%で3250万円
可処分所得は3500万円となる。

まぁ、こんなものだろ。
社会保障費の財源はこれで十分であるしあり余った財源は国政に使ってもよい。

■地デジ
先日、地デジ対応のテレビを我が家に設置して初めて気がついたこと。
サッカー日本代表VSオーストラリアの試合を地デジのクリアな画像で(感激しつつ)見ていました
隣の部屋では家族が食事をしながらアナログテレビで観戦中
サッカー好きな私はストイックに一人 画面に集中するのでした。
その時、事は起こりました。
隣の部屋から「やったー」と大きな声が聞こえ、数秒後に日本の先制点。???
そうです、地デジ放送はアナログよりも数秒遅れるのです。

ミサイル問題、地震検知など、人命にかかわるニュース速報伝達における貴重な数秒が地デジによって失われるのです。
(数秒でミサイルは避けられませんが・・・)

この件に関しては、ニュースで見たような記憶もかすかにありますが、日本サッカーの先制点が味気ないものになって初めて気づいたのです。
その恐ろしさに。

地デジを強制的に推進するならば、この数秒間をなんとかしたほうが良いのではないかと素人ながらに思うのです。

アメリカのカリフォルニア州のシュワルツネッガ-知事が「非常事態を宣言」と夕方7時のNHKニュ-スです。私が考えていた「現代の黒船」の第一報です。間も無く日本を襲うであろう津波=「オバマ
ショック」の第一波と思われます。始めは小さくとも第二派、第三派と大きくなっていくのが自然の摂理であり、経済の原則だと思います。いよいよ「超大国の崩壊」と言う津波です。今まで色々な方が書物などで公然と語られています。それがいよいよ日本国民の目の前に現れてきました。今からでも遅くはありません。政治家、経済学者等も含み当サイトで先ず議論してはいかがでしょうか?提案いたします。

THE GUESTと名乗る、へっそ曲がりです.

3月より、「説明責任」という言葉がしょっちゅう出ていますが、それについて。

本来、「説明責任」というものは、ないと思います.ただし、説明不足により不利益を被る事はありますが。
ですから、マスコミが小沢氏に「説明責任」を押し付けようとしていましたが、それに対して答える必要はない。
また、説明するなら最も政治的に効果のある時期に説明すればいいだけの事です。
(でも、今説明しようとしても、証拠は検察に持っていかれていますし、大久保秘書と打ち合わせる事も保釈の条件で制限されていると思われますので、つらい事ですね。)

また、検察の「天の声」発言についても、同様に「説明責任」はありません。
でも、小沢氏側は、説明を促す方法はあります。

名誉毀損罪について
第二百三十条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀(き)損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
第二百三十条の二
3 前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
公開の裁判においての発言なのですから、あきらかにこの罪に該当します。また、罰せられないためには検察は
天の声が真実であるか、または確実な証拠において真実であると誤診していたという事を証明しなければならない。
なお、この罪は親告罪で、名誉毀損を受けた者が告訴しなければならない。
実際に告訴するかどうかについては、政治的な判断があり、即座に告訴するか、選挙にぶつけるべきか、
保釈の選挙後に大久保秘書と小沢氏が打ち合わせる事が可能になった後、告訴する旨を発表するか、
色々あると思います。

なお、私は40年近く前に法律を勉強しただけですし、細かな事は判りません。
名誉毀損を受けた者は大久保秘書か小沢氏か、などは不明です。

追伸。
この文章を書いたので誤解されないように言いますが、私は小沢信者ではありません。
小沢氏が嫌いです。
顔が嫌いです。
最初に彼が自民党の幹事長のとき、嫌いだなと思ったのですが。
その後彼が自民党を飛び出し、細川内閣荷かかわった時、もしかしたら偏見かもしれない、と思いました。
でも、自自連合や、先年の大連立に関わった時にやっぱり、とおもいました。
最も、小沢氏の顔はともかく、自分自身の顔も嫌いで、毎朝鏡を見るたび、自己嫌悪に陥ります。
(だから、本名を使わず、HNでの投稿といたします。ご了承ください。)

ところで、推敲している最中に、この文章は大久保秘書と小沢氏が無実(天の声を発していない)だという事を
前提にしている事に気がつきました。
小沢氏は、無実を言明して居ます。でも、十分な反論をしていると思えません。
私は、論理的には小沢氏が、この件については「ノンギルティ」だと思っています。(イノセントとは思わないけど)
でも、反撃が弱すぎる。
もしかしたら、誰か、「虎の威を借る狐」を想定しているのではないか??
だれか、部下が勝手に刑法の職務強要罪(天の声)をおかしたと思っているのではないか?

小沢氏が「天の声を言っていない」との発言は、ASAHI.COMだったと思いますが、見ました。
この、「JOURNAL」を大久保さんが読んでいれば、一言、「私はノンギルティ」だと書き込んでください。
イノセントでなくてもいいです。

東京 T.S 様やem5467-2こと恵美 様が取り上げています、介護問題はこれから避けて通れない問題だと思います。これから老齢化がますます進み、核家族化と相まって深刻な問題が発生すると思います。老老介護で疲れはて、看病する側が欝になり寝込んだり、或いは悲観して親族間の殺人がますます増えて来ると思います。子供達も自分達の生活がいっぱいで、なかなか親の面倒を看ることすら出来ない。親達への肉体的・精神的な援助が出来ないばかりか、金銭的にも負担するのが苦しいと言う娘がいる。老老介護に疲れ病気になり、1人を病院・施設に入れようと思ってもなかなか入所待ちが多く入れないし、費用もかなり掛かる。病院の場合、医療費削減のしわ寄せから、大部屋は少なく直ぐ埋まるため、入院当初は多くの場合、個室に入れられ、かなり高額の負担が掛かり、かなり家計を圧迫する。小生の隣人が最近入院したが、月に30~40万掛かるという。これを長く続ける事は経済的に不可能な家庭が多いのが現状だと思います。舛添厚生大臣が親を介護して来たから、介護の専門家だといいているが、おそらく彼は全く下々の事は分かっていないと思います。何故なら、彼には経済力があり、また代議士・大臣として施設側もしっているから、環境の良い施設に入所も出来るでしょうし、施設での扱いもおそらく特別だったと思います。世間とはそういうものです。
今、老人を自宅で介護できるのはかなり裕福な家庭でないと無理かと思います。或いは、貧しいために施設に入れるお金が無いために、子供か連れ合いが苦労しながら見ているのが現状です。
 介護の問題はどれが良いか分かりません。ただ、脳梗塞になり認知症が酷くなった家内の母親を8年間看病しましたが、口で表す事の出来ないほど大変だったです。
 介護は真剣にやればやるほど親子で喧嘩になります。認知症故にかなり反抗しますし、知らないでいると徘徊し、皆で手分けして探し回る、下の世話も大変です。
肉体的にも、精神的にも、金銭的にも全てこちらに掛かってきます。子供が何人有っても同じです。看るのは1人です。話が後先になり恐縮ですが、東京 T.S 様が言われる、家族が看た場合にも介護料金が家族に払われる様にするのも考える時期に来ている感じが致します。樋口恵子氏など一部の分けの分からない人間達が「女性は外に出るべきで、何でもかんでも男女平等、家族は介護をすべきでなく、プロに任せるべきだ。」と強調し過ぎたため、その考えについていけないお年寄りにしわ寄せが来ている。樋口氏の様にお金を稼げる人は少ないのです。或いはホームにも行けない寝たきり老人を娘さんが介護している事もある。実際、パート或いは常勤で勤めても意外に女性の賃金が低く、稼いだお金より老人病院・介護施設に払う方のお金が大きく、仕方なく家で看ている家族を考えると、東京 T.S 様の言われる様に仕方なく家で看ている家族には、少なくともパートで働くくらいのお金(約10万程度)は国は出しても良いのは、、、。実際、介護保険を使って、家事手伝いをお願いしたり、訪問介護をしてもらっても、24時間ヘルパーや看護士が看てくれる分けでなく、大部分は家族の献身的な介護によって成り立っています。施設に預けたり、介護職員を派遣してもらうより、家族に10万位出してもずっと安いです。そうは言うものの、小生と家内は私の母親と同居し、母が交通事故で死亡した翌年に家内の母が脳梗塞になり、上記した様にその後遺症の認知症で大変苦労しました。
小生は仕事をしていたので、余り苦労とは思わなかったが、家内は真剣に介護したため、かなりストレスがたまった様です。どこかの市で老後の介護に必要な費用を不動産を担保にして貸し出す試みも有るみたいですが、これから先、社会保険・介護保険の財源として、消費税に安易に飛びつくでなく、親の介護もしない子孫に不動産やその他の財産を残す必要も無く、財産は介護・社会保険に有効にまわしたらいかがでしょうか?
また、子供が介護した場合には、相続は親を看た子供が全額もらう様にすべきと思います。
今の法律は親の面倒を看た人と看ない人が同じように相続権が有るというのもおかしな事かと思います。財産は有ればあったで、無ければなくてもめる事例は税理士さんの話で沢山有るみたいです。


 1、家族介護に介護料を支う。
 2、親を看ない子供は相続権が無い。親族が誰も看ない場合には財産を介護基金に寄付する。

でも、実際は反対意見も多いでしょうね。

自民党の小池百合子元防衛相は5日午前のフジテレビの番組で、鳩山由紀夫民主党代表の政治資金収支報告書への虚偽記載問題について「(鳩山氏は)説明責任を全然果たしていない。これで首相の芽はなくなったんじゃないだろうか」、、、、との報道有り。他党の事をとやかく言う前に、自民党の与謝野・尾身・林・二階・町村・河村さらに元自民の森田知事などの事をはっきりさせてから言いたら如何ですか?そんな民主の事を言う前に鏡を見て、化粧を直した方が良いのでは、、、、。いずれにせよ小池女史の総理は有りませんよ。万一、兆一総理になる様な事が有れば、日本が沈没する時でしょう。

「児童ポルノ法改正に関する問題点について」

今、考えていただきたい案件があります。
皆様、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律(児童ポルノ法)」という法律が現在、改正されようとしていることはご存知でしょうか?
もともとは児童の保護を名目とした法律で、現在その名目を大きく逸脱する改正がされようとしています。

そもそもの児童ポルノ法は1998年 橋本政権下で成立、1度改正されてます。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO052.html

本年6月26日より2度目の改正のため審議が始まり2つの案があがっています、是非御一読ください。

与党案(http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/youkou/g16901032.htm?OpenDocument )
民主党案(http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/youkou/g17101012.htm?OpenDocument )
与党案では、単純所持禁止 および・社会法益 を中心となっており将来的な創作物表現規制(映像・絵など)に対する付則が含まれております。
他方野党案では複数回取得禁止及び保護法益を個人法益(「実在」児童の保護)に定義し創作物表現に関しては規制に繋がる部分を排除されております。

共に児童の保護には問題ない法案に見えますが現在有力視されている与党案には大きな問題があります。
端的に言いますと、規制の定義に不透明な点があり、「18歳未満に見えるもの」かつ、それが実在のものでないものにまで適用される疑いがあることです。
また表現物にまで規制が及ぶと、書籍・映像作品のみならず最悪個人的な写真にまで適用される危険があり(審議会でも指摘されております)
これらが運用するものの意思や能力によっては、冤罪問題が叫ばれる中、言われ無き被害者を増やす可能性があり、肝心な児童の保護については、ほとんど手付かずのまま放置されるという本末転倒な事態となり、
結果、「誰のためかわからない」法律が生まれようとしています。
また、野党案においては収得罪の定義による冤罪や個人法益の保護の難しさも指摘されていることを付け足しておきます。

この提案は特定の政党を貶したり褒めるものではありません、
ぜひ議事録や審議会の動画がありますのでご覧の上で考えてください。
しかし安易かつ不明瞭な規制は萎縮と衰退を生むことを
児童だけでなく今ここにいる私たちや現実・創作問わない表現までが被害者ともなりえることをこれを期にこの問題を真剣に考えてみてください。

真剣な男がもてる時代

東国春知事の言動はなんなんだ。
地方分権とか言いながら「へらへらへらへら」
総理にしろと言いながら「ニタニタニタニタ」
あれでは、宮崎から早く出たいだけだと言うことが見え見えだ。
自民から出馬できないとわかったら、おそらく1年後には知事をやめて、東京で芸人復帰しているんだと思う。
ふざけた男だ。

最近は、主張をするニュースキャスターがいなくなったな~と思っていたのですが、
よく聞いていると、どこの局でも同じくらいのご老体がいて、外見の違いもわからないくらい似通った方々が
かなりの迫力で主張をしていることに最近気が付きました。
ただ、声は張りあげているのですが心に響かない。
なぜかと言うと、誰に向かって話しているのかがわからないからだと思いました。
視聴者を、俺が教育してやる。と思いながら話しているのか、或いは、これだけお国のために力説しているのだから
明日かもっと記事をくれと記者クラブに向かって話しているのか・・・・
やはり、視聴者を包み込むような包容力がなければ聞かせられないのだと思います。
その為には、まず視聴者の意見を聞くことが大事だと思います。興味を共有する努力もしないでただ一方的に話しても誰も聞いていないでしょう。
もっと報道番組を真剣に考えるべきだと思います。

昨日(7月5日)静岡県知事選で民主党 川勝 平太候補が接戦を制して見事当選を果たしました。
投票率は61・06%で、前回(44・49%)を16・57ポイント上回ったそうです。
この選挙は、民主分裂選挙で自民有利と言われていて、また、渡辺喜美なども相手方の応援に駆けつけ
足を引っ張ったが、見事勝利しました。
前回よりも16.57ポイント上回った投票率に、このサイトなどで政治を真剣に考えている有権者の票が含まれているのだと思います。
16.57の内、全てならすごいことですが、10でも日本の政治を変える力を持っていると思います。

真剣と言えば、小沢一朗氏。
鳩山代表になってすぐのFNN辺りの世論調査で、民主の支持率が、31%前後で、
その前回調査で小沢民主党最後の支持率が22%前後だったと思います。
約2ヶ月に渡ってマスコミ全局にあれだけ金太郎飴のような誹謗中傷を浴びながらの数字です。
真剣な人物が評価される時代になってきたと感じています。
大久保秘書が逮捕された日か起訴された日かどちらか忘れましたが、小沢さんが全身全霊を込めて身の潔白を訴えました。
それを聞いた、女性が「さすがですね~」と小沢さんに感銘を受けた様子がTVに映し出されたのが印象的でした。
小沢代表の辞任会見で「小沢さんやめないで~!」と女性の声。
やはり、真剣な男はもてると思った瞬間でした。
その女性はどこの方かは知りませんが、毎日、支持者から来る小沢代表への激励のメールを読んでいるような職員であったなら、
身内の小宮山議員の言動やマスコミの報道と現実の違いにさぞ心を痛めたことだろうと察しています。

T.FUJI 様・・・・小沢代表の辞任会見で「小沢さんやめないで~!」と女性の声。やはり、真剣な男はもてると思った瞬間でした。その女性はどこの方かは知りませんが、毎日、支持者から来る小沢代表への激励のメールを読んでいるような職員であったなら、身内の小宮山議員の言動やマスコミの報道と現実の違いにさぞ心を痛めたことだろうと察しています。・・・・・・・・・・・・・・・この女性はおそらく山口4区の「とくらたかこ」候補と思います。「とくらBlog」へアクセスして見て下さい。
 皆さんで応援しましょう!!!

The JOURNALのいいところは、

第一に、「玄人」の論考とそれに対する「素人」の批評が同時に読めることである。特に読み手としての「素人」の「玄人」の論考に対する「批評」は、時に「絶賛」となって「玄人」を励ますこともあるし、時に辛らつな言辞となって「玄人」たる筆者を戸惑わせることもある。この相互性こそがThe JOURNALの真骨頂というべきであろう。当然のことながら、「玄人」の立場はアプリオリに「優越」してるわけではない。その「論考」の質が常に問われているのである。特に「記者クラブ」という閉鎖的な「護送船団」システムのなかでのうのうと「終身雇用」というぬるま湯に浸ってきたであろう「マスゴミ」出身者にとっては、その戸惑いはよほど大きいのではと推察できる。ここでは肩書きは通用しない。如何にその文章に説得力があるか、文章の質だけが「勝負」を決するのである。その意味で、ここでは「玄人」と「素人」は対等・平等である。

第二に、さまざまな「玄人」の論考を「比較」できることの「利便性」がある。それは「論考」そのものの比較から、「玄人」たる筆者の立ち位置の比較にまで及ぶことがある。時には、「論考」よりもその背景にある筆者の立ち位置そのものが「素人」の「批評」の対象になることもあるから「玄人」もうかうかできないだろう。ここでは「御用性」がいつでも槍玉にあがってしまが、その点で「素人」の嗅覚はすこぶる鋭い。しかし、逆に「御用性」を持った「玄人」の論考が存在することにも、皮肉だが、一定の意味があるかもしれないとも考える。「比較」できることの効用である。「素人」の目を肥やすことに貢献するであろう。「素人」の「批評」にもめげず、「御用」マスゴミの一員の方にも大いに「論考」をお寄せいただきたい。お願いしておきます。

第三に、「素人」の「批評」どうしの切磋琢磨という意味での相互作用が「素人」自身を磨くということがあるだろう。「素人」の「批評」を読むこともこのThe JOURNALを読む楽しみの重要な要素である。その「相互作用」を通じて、The JOURNALという場が一つの「共同体」的な連帯感情の醸成に寄与しているという気がする。意見の違いは大いに結構。日本人はとかくに「議論」に不慣れというところがある。「荒らし」という事態が頻々と発生するのもその一つの現れといえよう。ネットの「匿名性」が拍車を掛けている面も否定できない。しかし、その弊害にもかかわらず、The JOURNALという場で、健全な議論が活発に行なわれる効用ははかりしれない。みんなでこの議論の場を育てていきたいと切に願う。「玄人」と「素人」の壁を越えて意見の違いを愉しみたいと思うのである。

最後にひとつ、こうあって欲しいという「素人」としての願望をあげてみると、何故「玄人」が「玄人」の論考に対して「批評」をしないのだろうか。ひょっとして、暗黙の了解としてお互いの「批評」はしないという取り決めでもあるのだろうか。相互批判はしないという。「素人」としては、「玄人」同士の相互批評を読みたいという密かな願望を禁じ得ない。「玄人」と「素人」入り乱れて論争が起こるという「夢」をみることがあるのだが。

いずれにしても、私がThe JOURNALを発見した意味は大きく、毎日新たな「論考」とコメントを読ませていただき、偶には自分でも投稿してみるという愉しみを皆さんと共有しているということが正直愉快だと感じている次第である。

梅光様わざわざありがとうございました。
2009-05-12 08:34付の記事に確かにそのことが書かれていました。
長州藩にしっかりとした民主党議員がいるのは心強いですね。
山口4区の「とくらたかこ」
応援しています。

「これは面白い!」

などと編集部各位に思われては困るわけで、したがって、
黙殺という事になるのでしょうけれど、

臓器移植

に対する無関心は、日本のジャーナリズムの恥じるべきところなのではないかと思われます。もちろん、一般庶民の恥でもありましょう。

衆院解散はいつか??などというような、どうにもならん、よって、どうでもよい事。いや、ジャーナリズムにとっては、ネタとして最も大切なのかも知れませんが、そんな、一般庶民にとっては雲の上の出来事で騒がせてもらうよりも、人が死ぬのはいつか??という事のほうがはるかに大切です。

さて、改正A案に賛同なさる方々のお考えの基本は、

「死に行く者は死を選択して生きるものに貢献せよ」

という事であろうと思われます。私の感情的な反応をあえて書くならば、「食人族」といったところでしょうか。しかしながら私も、自分自身はさておき、我が子がレシピエントなら、胸をはって堂々と「食人族」の謗りを受け止め、土下座でも詐欺でもドロボウでも、いや、殺人でさえ、現実問題として捉えるに違いありません。

自らの品行方正を装う「無関心」は、結果的に力や声の大きさに屈する社会を築くのです。その意味で臓器移植の問題は、日本社会を象徴する問題に思えます。

レシピエントの救済という観点については、私はなんら異議をさしはさむ資格をもちません。しかし、救われるべき幼き命の尊さは、失われ行く幼き命の尊さと同じであります。

宗教的価値観や科学的哲学的解釈論はさておき、誰もが等しく共有できる問題意識であるドナーの意思や家族の感情、医療現場のありかた、財産・相続等の法的問題など、多くの重要な課題を放置して、人の命の尊さを振りかざすのは、悪人の所業と言わざるを得ません。

自分自身や家族がレシピエントとなる時、私自身が悪人と呼ばれる事は厭いませんが、家族の事を思うとやはり、ドナーとなられる方々への十分な配慮こそ、臓器移植治療の本質的な問題であろうと思います。かく言う私もいつドナー候補となるか解らないのです。

脳死は人の死か? と、マスコミは騒ぎます。そうではありません。

脳死という医学的 and/or 法的な定義を採用して、
自分や家族の死を受け入れる事ができますか?

という事だと思います。いや、ひょっとすると、脳死こそ人の死であると決めてしまう事のほうが望ましいと考える人も多くいるでしょう。脳が機能しない人体が単なる「資源」ならば、受精後数ヶ月間、脳が生成されていない胎児も「資源」として利用される日が来るのかもしれません。

こういうSF的な妄想も、実は再生医療に大きく関連するわけで、臓器移植治療に無関係ではありません。

いずれにせよ、現時点の法律や一般常識に照らせば、臓器移植治療は、ドナーに死んでもらわなけれなならないのだという事から目を背ける事はできないわけで、やはり、ドナーの立場に立った、「無関心」を戒める意見交換が必要かと。

THE GUESTさんへ

私は、信者ではありませんが、小沢一郎は好きです。
彼の良さは、人に嫌われることです。
顔が悪人面と言えるかもしれない点も良いですね。

小沢氏は、総理なんかやる気ないのかもしれないけど、やらせたいなー

佐藤優氏有罪について特集してください。

「そのまんま東」宮崎県知事モドキが自民党から立候補するとマスコミは取り上げているが、おそらくもうその目はないと思います。彼の誇大妄想的な考えとお笑い芸人のなせる業でこういう状態になっていますが、既に自民党でも少し良識のある議員からは覚めた意見が出ています。おそらく今の国民は少し利口になり、変革を求めているから、県庁前でキャーキャー言っている「おばちゃん」も意外に選挙では「そのまんま」に投票しないと思います。また、宮崎県民の多くの方が今回の騒動をみて、「そのまんま」を県知事にしたのを後悔しているのではないだろうか?恐らく国政に転向するのも、「県知事モドキ」に戻るのも
どちらも賞味期限が切れ、一時はテレビのコメンテイターに取り上げられるかも知れないが、やがて本職の三文お笑い芸人に戻っても直ぐに飽きられ、その次に新聞やテレビで取り上げられるのは「淫行か暴行」などかも知れません。
 過日、古賀氏と一回目に対談した時の様子をどこかの会合で漫談の様に表情を変えながら面白おかしく語っていたのをテレビで見たが、彼は芸人だなあ~と思いました。

前置きが長くなりましたが、宮崎県のセールスマンの手腕はテレビの応援もあり、まあまあ成功したと思いますが、県知事の仕事はそれだけでは無いはずです。何も国民には伝わって来ません。(国政に出る出なければ、宮崎県民だけ知れば良いでしょうが、、、)
是非、宮崎県の県庁職員や県会議員の「知事モドキ」に対する評価をどなたか企画して下さい。
 県の職員が彼の行政手腕を本当に評価しているなら、、これから「モドキ」は外します。
 

腹が立つやら、くやしいやらなので、論説とは関係ないのですが、コメントさせてください。郵政解散のときに票取りにしぼったターゲットがB層に分類される人達だったことが後から知ることになったわけです。

騒がれている東国原知事の国政転出を画策している自民党自身がB層だったことが証明されたようなものです。正に類は友を呼んだわけです。

3月に行われた千葉県知事選において森田陣営は、対立候補の吉田氏に対していすみ鉄道の社長のイスを途中で投げ出して出馬すると自民党県議団を通じてネガティブキャンペーンをはりました。

吉田氏は東国原知事と違い、一年足らずで一定の成果を出していたにもかかわらずです。

信念も理念も何もなく、政治家として国家と国民を支えていくと言う矜持さえない彼らに政治家をやらせ、議員歳費を渡す価値がどこにあるのでしょうか。

真面目に真剣に考えなければならない事を、TVに出て面白おかしく茶化して、それを商売にしてお金をもうけ、無責任な言葉の羅列を出しっぱなし。TV界なぞ最低な連中の吹き溜まりだと言う事だけがハッキリした事実です。

芸人の言葉が社会に対して鋭い刃物のような役割を果たすのは、自らを社会の底辺においておくからに他なりません。上昇気流に乗ってしまった時点でもう芸人としての鋭さは終っているのです。

私も含めて日本国民全体が所詮こんな頭のレベルだろうと毎日繰り返し繰り返し言われているようで、本当に腹が立ちます。

投稿者: 久美子 | 2009年07月08日 11:49 様の意見に大賛成


国民を総白痴化にしているのはマスコミかも知れません。そろそろテレビ界も目を覚まして下さい。これまで政権を担ってきた自民党も、その末期とは言え情けないです、「そのまんま東」何かに乗せられて、、、。

民主党学生部を目指す
学生と民主党をつなぐ活動を進めるため、学生部のような組織を作ろうということで学生部準備会を立ち上げた。
『民主党の政策を学生にわかりやすく伝え、学生の声を政策に反映させ、学生、若者と民主党の架け橋として活動していきます』
学生部準備会の中心メンバーは、組織委員会青年局が主催するオフィシャルインターンシップの参加者や各議員事務所のインターン、学生ボランティア約20人
ということらしい。
いいですね。若い人を育てましょう。取り急ぎ

どこから見ても幼稚な自民党の行動。
私は田舎生まれ。周囲は全て自民党。それに背けば村八分。そんな中でここまで来たが、既に見切りはつけている。買えば免罪符とパー券を押し売りしてゆく組織との付き合いには決別した。貧乏人を脅かし更にむしり取る姑息な手段には我慢がならない。
地方選で連敗中の自民党が、何で鳩山さんを妬み追い落とそうとしているのか戦略が分からない。選挙民が愛想をつかして野党を贔屓にし始めているのに、民主党を責めてもぼろ隠しにしかならないだろうに。都議選とどちらが大切なのか、それとも自民党には余力があると穿っているのか。行く先は墓穴しかないと思う。小沢さんの一件以来、選挙民に伝わらない政権政党とマスゴミの心。彼らの能力の限界点をたっぷりと見せて貰った。
静岡選挙での自民党側の言い草が振るってる「まだ半分は取ってる」と。それって何?もう半分以上も取られ負けているではないか!負け惜しみは笑い話にもならない。

一部訂正申し訳ありません。・・・・・・・・・・・・「そのまんま東」宮崎県知事モドキが自民党から立候補するとマスコミは取り上げているが、おそらくもうその目はないと思います。彼の誇大妄想的な考えとお笑い芸人のなせる業でこういう状態になっていますが、既に自民党でも少し良識のある議員からは覚めた意見が出ています。 おそらく今の国民は少し利口になり、変革を求めているから、県庁前でキャーキャー言っている「おばちゃん」も意外に選挙では「そのまんま」に投票しないと思います。また、宮崎県民の多くの方が今回の騒動をみて、「そのまんま」を県知事にしたのを後悔しているのではないだろうか?恐らく国政に転向するのも、「県知事モドキ」に戻るのもどちらも賞味期限が切れ、一時はテレビのコメンテイターとして使われるかも知れないが、やがて本職の三文お笑い芸人に戻っても直ぐに飽きられ、その次に新聞やテレビで取り上げられるのは「淫行か暴行」などかも知れません。
 過日、古賀氏と一回目に対談した時の様子をどこかの会合で漫談の様に表情を変えながら面白おかしく語っていたのをテレビで見たが、彼は芸人だなあ~と思いました。

前置きが長くなりましたが、宮崎県のセールスマンの手腕はテレビの応援もあり、まあまあ成功したと思いますが、県知事の仕事はそれだけでは無いはずです。何も国民には伝わって来ません。(国政に出るでなければ、宮崎県民だけ知れば良いでしょうが、、、)
是非、宮崎県の県庁職員や県会議員の「知事モドキ」に対する評価をどなたか企画して下さい。
 県の職員が彼の行政手腕を本当に評価しているなら、、これから「モドキ」は外します。
 

◆ サミットを『花道』にするな! ◆

・・・と書くと、麻生総理延命論・擁護論のように思われるかも知れないが全く違うことをまず最初にお断りしておく。

麻生総理が一切の政局話を封印し挑んだ伊・ラクイラサミットにおいては、総理の意に反して益々国際的な存在感を薄め、『JAPAN Passing』が進んでいることを現地同行取材している上杉隆氏がレポートしている
http://diamond.jp/series/uesugi/10085/

今回のサミットに伴う外交交渉では、『外交の麻生』をアピールすべく2月の日露首脳会議では「新たな、独創的で、型にはまらないアプローチ」(外務省)
http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/kaidan/s_aso/russia_09/gaiyo.html
で合意を見たとされる北方領土の帰属問題が話し合われる予定だった。
実際の日露首脳会談は明日(9日)設定されているようだが、そのことすら報道の関心は薄く、またその環境としても冷めてしまったようである。

ロシア側は日本国内で“3日に成立した改正北方領土問題等解決促進特措法(北特法)に反発”を強め、
http://mainichi.jp/select/world/news/20090704ddm007030081000c.html
“ロシア上院は7日、日本と北方四島の住民が旅券・査証なしで相互訪問する「ビザなし交流」を停止するようメドべージェフ大統領に求める声明を採択し”、今後のビザなし交流にも暗雲が広がっている
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090707/erp0907071728005-n1.htm


そもそも政権末期のブッシュ大統領同様、レイムダック状態の日本の総理に対して将来に繋がるリーダーシップを許すほど主要各国・国際社会は甘くない。
外交の場でポイントを上げて求心力低下を阻止しようという目論見が為し得ないことを自覚したのか、プレスの前における麻生総理の笑えない笑顔が凍りつき気味であると印象を持つ諸氏も多いのではないか?
外交というのは素人目にも強(したた)かさがないと足下をすくわれる。それぞれのリーダーが国内においてどれほどのパワーを持っているのかを値踏みした上で、交渉の駆け引きを優位に立たせようと謀るのは常道であろう。
日本が外交基軸としているアメリカとの関係でも、今回のサミット会場での日米首脳会議は「会談」とは名ばかりのランチ前後のカフェ談義(和風に言えば「茶飲み話」)でしかなかったようだ。
「外交の麻生」もここに終焉を迎えたと言って過言ではないだろう。
一方で、ウイグル暴動静定の為急遽直前に帰国した中国・胡錦濤国家主席の不在が返ってその存在感を示しているのは皮肉である。

2006年の小泉総理以降、直近4回のサミットに出席する日本の総理大臣は毎回変わっている。
過去のサミットにおいて、そのような主要国は日本だけである。
例を挙げると、
 1978~81年:福田>大平>大来(外相)>鈴木善幸、
 1987~90年:中曽根>竹下>宇野>海部
 1998~2001年:橋本>小渕>森>小泉
 2006~09年:小泉>安倍>福田>麻生>?
こう何度も何度も同じように「国の顔」が変わっていると、国際的な信用度という意味でも政策の継続性という意味でも存在感を保てないのは当然である。
国内政局に目を転じてみると、必ず政権末期には「サミット花道論」というのが評論筋から持ち出されるが、その行為そのものが大きく国益を損ねていることに気付かねばなるまい。
せめて、「サミット前には安定した政権で」という原則を、政界もマスコミも念頭に置いた判断をすべきである。

以前、豊後の小兵衛氏の投稿「ことばを失った日本人」を読ませて頂いた。
主に漢字に焦点を当てた記述であった。
動機はともかく、近年はあの漢検の盛況が証明するかのように漢字に対し多くの国民の関心が、あるにはある。
土台はあると言えるので、次は機会を見つけて言葉自体にも焦点を当てて欲しい。
さて、上で梅光様が投稿されている中に「国民総白痴化」というワードが見られる。
私は、それを助長する一因に言葉の喪失があると考えている。
品も、知性も無い造語もその類で、最近よく聞かれる「マスゴミ」「アホウ総理」などがそうだ。
それぞれ、「ゴミのようなマスコミ」「(任意で選択した)形容詞+麻生総理」
とすべきではないか。
仮にも一国の総理大臣に対して何様かと。
無闇矢鱈と造語を創り、挙句姑息なイメージ戦略に利用する。
感情の吐露を垂れ流す為に言葉を使用せず品を保てと言いたい。
スローガン好きのお里が知れるだけだ。
私は、そういった言葉を使うメンタリティーを持った人物の見識を疑う。
国や総理大臣の政策が悪いと思うなら、正しい言葉でどんどん批判するべきである。
しかし、総理大臣職自体を貶める結果を招くような、
若しくは、攻撃のみを主眼に置いた物言いは国民にとって何の益も無い。
個々人の受け取り方の違いによって、本質から逸れる事ともなりかねないからだ。
キャッチーでセンセーショナルな言葉も、時と場合により必要かもしれない。
しかし、ここまで恣意的な言葉が氾濫するとコミュニケーションに齟齬をきたす。
一例として(私の勉強不足でもあるが)「B層」と聞いても、私には何の事やらわからない。
調べてみると、実に大雑把で、正確さを期す議論には合わないように感じた。
なんとなくイメージ出来はするが、その定義は例外が多過ぎて使えない用語としか思えない。
こんなものを、そのまま平気で使ったりするところにも、疑問と共に他意を感じる。
誰が誰に言おうと、等しく時に応じて慎むべき言葉がある。
成熟した社会では、国民に言葉を吟味した上で自由と責任の基盤に立ち使用する事を求める。
公共の電波での無責任な言葉の使用などもっての他で、それを垂れ流す者は譬えそれが利害が一致する者の発言だろうと強く非難すべきだろう。
一方、そういった事も含めた言葉の喪失の背景には、社会構造の変化が及ぼした面も多々あるのだろう。
専門性が要求されたり、学歴重視の傾向から置き去られたのが言葉なのかも知れない。
国民的に、言葉を殊更大事にした時代があったのかは知らないが、
言葉の獲得は、その一面では様々な概念の獲得でもあり有意義だと考えられる。
マスコミ云々もあろうが、それとは別に、言葉の高度な共有は国民の知識の底上げに寄与するとの観点に立つべきだ。
もうそろそろ、教育面でその有効性を再評価し、重要課題としてもっと授業に組み込むべきだと思う。

ことばを失った日本人(3) 
 
 引き続き、漢字制限問題について書こう。そもそも何故に漢字をなくそう、制限しようなどの発想が起きたか、その動機は単純であって、江戸末期から明治の初めにかけて、先進国と称された国々の文字数の少なさに驚いたというのが主たる要因である。
 前回紹介した新聞社説は、敗戦直後の狼狽ぶりを表出しているが、文化国家や民主政治がローマ字表記によって成るなら、テロも、戦争も起こりえずこんな簡単なことはない。
 「われわれの腦中に存在する封建意識の掃蕩」をローマ字表記で試そうとも思ったが、ばかばかしくなって止めた。皆さんでお試しあれ。意味を理解するのに数倍の脳力(誤植に非ず)が必要。
 一字、一字を拾って読まなくても、「見て分かる」それが日本語の特長でもある。
 「かなづかい」は別項で語るとして、漢字排斥、若しくは制限論で最初に登場するのは江戸時代中期の学者・新井白石である。無論その後に登場する単純廃止派のような浅薄な主張ではなかったが漢字の多さには異論も述べている。
 ここは学問の府でもないことから、あいだを端折って進めるが、明治に入って郵便制度を創ったことで知られている前島密が、慶応2年、時の将軍徳川慶喜に「漢字御廃止の議」を建白した。
 要約すると「漢字をまったくなくすことは容易ではない」、「文字を習うことに長時間を費やすことはよくない」、「従って仮名文字を用いる」べしと説いている。
 次の、薩摩出身で、初代の文部大臣を務めた森有礼は、「英語をもって日本語に変えるべし」とエール大学教授ホイットニーに書簡を送ったが、「一国の文化の発達は、必ずその国語に依らねばならぬ」と、逆に諭されている。
 福沢諭吉はこの二人のような極論ではなく「ムツカシキ漢字ヲバ成ル丈用ヒザルヤウ心掛ケルコトガ緊要」と説いている。
 江戸末期から明治初期にかけては国語問題に多くの人が発言し、明治35年3月24日、文部省は国語調査委員会を設置した。同委員会は、同年4月から6月まで9回の会議を開き、
1、 文字ハ音韻文字(フォノグラム)ヲ採用スルコトヽシ假名羅馬字等ノ得失ヲ調査スルコト
(漢字は廃止するが、かなにするか、ローマ字にするかを調査する)
2、文章ハ言文一致體ヲ採用スルコヽトシ是ニ關スル調査ヲ為スコト
3、國語ノ音韻組織を調査スルコト
4、方言ヲ調査シテ標準語ヲ選定スルコト
 という四つの調査方針を決定したが、わずか3ヶ月の短期間に、国の根幹ともいうべき課題に「漢字全廃に異論なし」としているが、ことの是非は別にして、どこかの国の総理には「ちっと」は見習って欲しい気もする。
 プロローグで「たかだか10人前後の米国派遣による教育使節団」の仕業とも書いたが、その実はこの「国語調査委員会」が、すでにその基礎はしっかりつくっていたのであり、連中が占領政策に便乗したに過ぎない。これはりっぱな「売国奴」でもある。
 さても、長々と漢字制限、廃止論の背景を端折って書いてきたが、その全貌は「知的生産の文化史―ワープロがもたらす世界」(阿辻哲次書・丸善ライブラリー)に見える。要するに、諸外国との交渉や貿易に伴う文書作成に、ちんたら毛筆で書いていても話にならぬ、しかも数千はある漢字を学ぶなど、非効率このうえない、しかも諸外国は「タイプライター」という便利な筆記具を駆使し、機関銃のように文書を作成するのだから、「めんたま」を白黒したであろうことは想像のうちにある。
 私の友人である金文学先生(北京大学・放送大学客員教授、広島文化学園講師)によると、現在の中国で政治、経済に使われている用語のほとんどは、明治期につくられた「和製漢語」だそうな。
 いま私たちが使っている「国」という漢字は、漢字の歴史には登場しない。正漢字は「國」だが、略字をえらぶ時、中国で使われたことのある國がまえの中に王を書く漢字を転用して、我が国には王がいないことから、1点を付記して玉として国字をつくった、とその真偽のほども分からぬほど、いい加減な漢字を私たちは「正しい漢字」として、戦後の教育をうけた。

 それらの漢字について、先に登場した阿辻哲次先生は、
引用始め(月刊・書法H12年9月号・書法研究會発行)
 『(前段略)しかしはっきりいって、「涜」や「祷」などは明らかに誤字です。私のように漢字の研究を本職とする者から見れば、いったいどこの機関で、どのような議論の結果、このような字体がJISに採用されたのか、いちどじっくりと聞いてみたいところです。しかしいくら誤字であっても、それがやがて習慣として使われ続けると、いつの間にかその形が社会に定着してしまいます。
 この問題についてはちょうど今、国語審議会が審議しているところであり、そして私自身が国語審議会のメンバーとして、まさにこの問題にかかわっていますので、正規の答申が出る前にここで個人的な見解を出すことを避けておきます。
 ただこの問題については、第21期国語審議会(清水司会長)が文部大臣に報告した試案で、「鴎」とか「涜」のように常用漢字表に収録されていない漢字(「表外字」という)については、できるだけ中国の規範的な字書に載っている伝統的な字体(康煕字典体)にするという方針を確定し、ただ社会的に定着している簡略体39字についてのみ「簡易慣用字体」として、略字体を許容する、との方針を引き継いでいる、とだけ申しておきます。伝統的な文化遺産の継承という面から考えて、私個人としても、前期の国語審議会が表外字についてはいわゆる「康煕字典体」を標準とする方針を決定したことを歓迎しています。』                                     引用終わり
 「明らかに誤字」と断定しながら、「個人的な見解を出すことを避ける」と書かれたことに、当時は大笑いだったが、戦後の漢字問題は「制限」のみならず、いい加減なものであったといえる。
 次回は、WindowsXPからVistaに変わるなかで、字体が変わるものが多くあることを確かめよう。PCのOSを変更することで字体が変わるなど、あってはならないとも思うのだが、やっぱり日本はアメリカの最後の州なのかなぁ、困ったもんだ。

豊後の小兵衛

旁葉 烏さん

 お説ごもっともに私も思います。明治期には欧米の制度を受け入れるため、膨大な造語を生み出しましたが、それは今でも活かされていて、漢字の家元中国では、多用されているそうです。もし仮に、造語に「著作権」が付与されたら、かなり稼いだであろうと友人はいいます。多くの造語を生み出すとは、その下地となる「国語力」が豊饒だったのではないでしょうか。
 ご指摘の「新語」は私自身使わないようにしていますが、つい便利なこともあり、「コピペ」など移用しますが、家人の「事故った」は口やかましく修正します。
 ことばの喪失は明治に始まった国語教育政策にあり、やはり初等教育を根本から見直すことが喫緊の課題のように思います。
 どこまで力が及ぶかいささか不安ではありますが、「国語学」という概念を持たないまま進化した私たちのことばには触れざるを得ないと今は考えていますので、批判を含むご意見を頂戴願えれば幸甚です。

豊後の小兵衛拝

さらに、医療を付け加え、 なぜなら、高齢者の介護という問題は、最終的に、介護と医療が限りなく重なってくるのが現実だからです。しかし、現在の国の方針は、介護と医療を切り離そうとするものです。厚労省のお役人が、経費節減と効率化だけ目指して組み立てた、机上の空論にふりまわされ、幾多の高齢者とその家族が、苦しんでいます。  

100歳の姑を今年看取り、また。かつてのヘルパーの経験から、私の感じてきたいくつかの問題を書かせていただきます。

介護保険制度は、我が国の国民の構造的変化、つまり少子高齢化に伴い施行された政策です。
かつては、一家族に3人4人の子共がいるのが普通でしたが、今日の、女性一人あたりの出産率は、1,3人。一方平均寿命は延びて、高齢者の数は増加するばかりです。各家庭が高齢者の介護にたずさわるとすれば、ほとんど、すべての国民が介護に追われ、社会活動、経済活動は衰退し、次世代の養育もままならなくなることが、目に見えています。
だから、国の事業として、「介護の社会化」としての介護保険制度がはじまったのです。
しかし、3年前の介護保険制度の見直し(というよりまさに改悪)により、そもそものスローガンであったはずの「介護の社会化」は、完全に抜けおちたのです。
それまでは、同居家族がいても介護保険の家事援助を受けることが出来ました。
しかし改悪後は、同居家族がいれば、家事援助は受けられなくなりました。つまり、家族は、介護のために仕事をやめなくてはならなくなったのです。
ここで、介護保険の目的は、施行当初と、180度変わったのです。社会状況は、まったく変わっていないにもかかわらず、です。
政府は、在宅介護をメインにかかげましたが、ほんとうに介護問題で苦しんでいる人々が求めているのは、優秀な介護スタッフがいる特別擁護老人ホームです。
しかし、これが2000人待ち。100歳の姑に、「あと、20年ほど待て」なんて、ブラックジョ-クとしか思えません。
民間の老人ホームはあちこちに出来ていますが、数百万円から数千万円の入居金を払い、毎月数十万円を払い続けけられるのは、金持ち老人だけです。
特養にも入れられず、働くこともできなくなった介護者は、やがて、年金もない、貧困のなかで自分自身の老いをむかえることになるでしょう。
運よく特養に入居できたとしても、安心はできません。
特養は、終の棲家と、思っているとしたら、それは、とんでもない間違いです。
老人ですから、さまざまな病気になります。病気になれば、特養には居られません。特養は生活の場所であって、病院ではないからです。病院に入院することになります。
しかし、医療報酬の見直しの結果、3ヶ月たつと、退院しなくてはなりません。3ヶ月で、治って退院できれば、また特養にもどれますが、なんらかの医療行為、点滴などを必要とする高齢者の患者は、もう、特養には、もどれません。
では、どこへゆくか。
現在選択肢は3つあります。
1、長期療養型病床のある病院へ入院する。
2、介護型療養病床のある施設へ入る
3、自宅へもどる
この3つです。

1、長期療養型病床
これは、いわゆる老人病院ですが、3ヵ月後の医療報酬が下げられた結果、採算がとれなくなっています。。そのため多くのこうした病院では タオルやパジャマのリース代と称して、一日あたり、3000円から5000円を支払わなくてはなりません。医療費と合わせてせて、月額30万円ほどの支払いになります。
2、介護型療養病床
病院ではありません。これは、介護施設のひとつと位置づけられています。
つまり特養は、医療行為ができませんが、ここは、医療行為のできる介護施設です。
したがって、介護保険が使え、利用者は、費用の一割を支払うだけで、いることができ、かつ医療をうけることもできます。
3、自宅療養。
訪問医療、訪問看護が、どれだけ充実しているかによるでしょう。
しかし、脳卒中の後遺症などで、意識のない患者を家庭で見ることは、現実として、どこまでできることでしょうか。

高齢者にとって一番良いのは、2の介護型療養病床に入ることです。ここでは、介護と医療が一緒に受けられるからです。
しかし、厚労省のお役人には、これが、お気に召さないようです。
介護型療養病床は、来年には廃止されます。
さあ。月額30万円払えない老人は、どこで、死ねというのでしょうか、道端で、犬のように死んでゆけばよいというのが、我が国の政治家官僚達の目論見なのでしょうか。

老人ホームでの看取りについて加算が認められ、施設によっては、取り組もうとしているところもあるようですが、これが、また机上の空論でお話にならないようです。一定の期間内に、この人は亡くなるる、ということが、決定されていないと、加算の対象にならないのです。
 
とりあえず、このサイトからでも、<介護型療養病床の廃止反対>の声をあげたいと、思います。

また、私のアイデアですが、小学校に特養を併設するというのは、どうでしょうか。小学校を立て替える時に、2階建なら、3階建てにして、一部を特養にするのです。
あるいは、少子化で、すでに空いている教室があるなら、それを利用してもよい。
調理室もあるし、リハビリ用の体育館も、図書室もある。設備投資は、最小で済むでしょう。
何より、自宅と家族から離れて、遠隔地の特養へはいらなくとも、わが町で、生活することができます。高齢者と子ども達のふれあいは、両者を豊かにするでしょう。
文部科学省とと厚生労働省の垣根をこえることができれば、可能だと、思うのですが、皆さん、いかがお考えでしょうか。

訪問介護のヘルパーや、特養で働く介護職員の問題については、また、この次に書かせていただきます。

ねこのしっぽことsumikoです。

なぜか、コメントの最初の部分がアップされておりません。
その部分をここに、書きます。


ねこのしっぽことsumikoです。

なぜか、コメントの最初の部分がアップされておりません。
その部分をここに、書きます。


さらに医療を付け加えて、 なぜなら-----
以下、最初のコメントが続きます。

豊後の小兵衛様
ことばを失った日本人(3)
大変興味深く読まみました。
のみならず大変為になる勉強をさせて頂きました。
次回の(4)と共に、今後のご活躍にも大いに期待しております。

>多くの造語を生み出すとは、その下地となる「国語力」が豊饒だったのではないでしょうか。

まさにその通りだと思います。
現在それが失われつつあるのか、下地の貧弱な私にはわかりません。
が、これは酷いといったものはよく見掛ける事もあり、私自身、自戒するところでもあります。

最後に、拙文を読んでくださった事、さらにご指摘まで頂き感謝致します。
誠に有難うございました。

よろんず
に期待していますが

コメントの順番を
新しいものを上から読めるようにしてもらったら
ありがたいと思います

毎回、日にちの古いものから
出てくるので
スクロールして
新しい物を探さなければならないのは
結構、シンドイです

お願いします

折角の、読者の意見が読みやすいようにお願いします

     大阪府河内長野市
          チョン

原口一博ブログ

2009年07月11日(土)
政権末期の風景

http://www.haraguti.com/diary.php

「東国原知事の「劇場」が自民党とうまくいって、民主党の存在を隠すことになれば、
それに越したことはない。」と言っていたマスコミ関係者の言葉を忘れません。
しかし、事は彼の思惑通りには運びませんでした。堀江さんを持ち上げて、
あとは掌を返したように態度を急変させた時と同じように、東国原さんについても
「駒」としての利用価値がないと見るや使い捨てにするのでしょうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さて、この「関係者」とは誰でしょうか?
非常に興味深いw

☆投票に加わる圧力(!?) 知事たちの危うい選択☆
東国原宮崎県知事が語った国政転身に関するはじめての弱気発言を伝える先日の報道に接し、少なからず考えさせられるところがありました。気になったのは、知事が発した弱気発言そのものなどではなく、その関連で話された言葉です。その内容は、自分は地方分権ということで国にけんかを売ったのだから、これが負け戦になれば補助金の削減等で仕返しをされるかもしれない。県民サービスの低下を招けば自分の責任、というものです。地方分権に対し、より積極的な政党を支持することを訴えつづけている橋下大阪府知事も、これと同様の発言をしています。さらに、橋下知事には、支持政党を決めて総選挙に臨む際には自らのクビをかける、というような発言も以前ありました。一見、地方分権に命がけで取り組むことを表明する、決意表明とも受け取れます。けれども、こうした知事たちの発言には、ある種の危うさが常にまとわりついているのではないでしょうか。
支持する政党が負けた場合、補助金の削減等でいやがらせをされるかもしれない、という発言は、そういう発言をして支持政党を表明する知事を抱える地域住民にとっても、もちろん深刻な問題になるはずです。自分たちの首長である知事が支持する政党が選挙で負ければ、自分たちに不利益がもたらされるかもしれないのですから、これはただごとではありません。そうすると、各地域の有権者は、それぞれの各人が本来持ち合わせている投票の意志とは違った選択を迫られる可能性が生じてくるのではないでしょうか。これに加えて、自らのクビをかける、とまで言い切る橋下知事のいる大阪府民の場合には、知事の支持する政党に大阪府民が投票せず、支持政党が負けるようなことにでもなれば、府民は橋下徹という有能な知事を失うことにもなりかねませんよ、という一種の大阪府知事信任投票を迫られるような様相をさえ呈することにもなりかねません。
知事たちは、霞ヶ関に圧力を加えるため、と話しますが、それ以前に、有権者の投票行為に圧力が加わってしまう、という危険性がそこには潜んでいるのではないでしょうか。
全国知事会で支持政党を決めるかどうかは7月14、15日、三重県伊勢市で行われる知事会で議論されるようです。そのような情勢のなか、日々こうした嫌な感じが募っています。

テレビ朝日「サンデープロジェクト」をつけた時、丁度鳩山代表の献金問題を取り上げていたが、この選挙の前にもう少し自民も民主も内政・外交の重要な問題について論じ合う事が出来ないのかと思いました。政治家は清く正しくだけでなく、と言うよりもっと国民にとって大事な事が有ると思います。こんな小さな事は選挙が済んでからやってもらいたい。政倫理審がどうのこうの・・・アホらしくてテレビを直ぐ切りました。
 国民はもう少し利口になっています。先の静岡の県知事選でも有権者は鳩山氏の献金の事などどうでも良く、今の閉塞感を変えて欲しいという空気がいっぱいでした。「鳩山総理大臣」との掛け声が掛かった程です。田原氏ももう少し真ともの司会をしたら如何ですか?
 国民の気持ちと大分ずれており、KYの代表選手に成り下がりましたね。時代遅れでお気の毒です。

民主党の政策が実現できる理由

私が確か二十歳か十九の時、「第三の波」という本を読んで感動というか夢見心地になったのを覚えています。
その後、生活の中にワープロ、マッキントッシュクラッシク、携帯電話、そして現在のようなインターネット環境の中での生活となっていきました。
メールなどもよくわからない時代に、友人からイーメールならアメリカまで10円で手紙が送れると聞き、そんな馬鹿な?と半信半疑に思いました。
(10円というのは3分以内の市内電話の通話料金。当時はまだ定額制のプロバイダーはなかった。)

時代が変化を続ける中、アメリカ人だったと思いますが、「21世紀に人類はやることが無くなる」と言っているのを聞いて、
すぐに2つの道が頭をよぎりました。
1つの道は、経済活動のOA化によって、減らした時間やそれによって膨らんだお金を適正に分配すれば、日本人も今以上に余暇にレジャーや旅行を楽しむ国民になれる。
2つ目の道は、OA化によって膨らんだお金を、政府が独り占めしてしまえば、失業者であふれてしまう。
・・・多分後者になるだろうというのがその時の私の予想でした。

今現在の不況は、アメリカのサブプライム問題から来ているというのも事実ですが、その前から日本は不況でした。いや、政府が戦後最長の好況などと言っている時も、実感はなどなかった。バブル崩壊後は、常に不況だと言うのが実感です。
なぜ、実感を伴う好況を実現できないのでしょうか?
国に多額の借金があるからでしょうか?
それは口実だと思います。現に、バブル崩壊後も税収はどんどん増え、しかも借金を返済するどころか湯水のように浪費してきました。

この、不況時にさえ税収が増え続けた仕組みこそ、2つ目の道を歩んでいる証拠だと私は考えています。

この、浮いたお金を官僚のために使うのではなく、必要な国民のために使うこと。それが民主党の政策そのものだと思います。

官僚の官僚による官僚のための政治から「国民の生活が第一」の政治への転換は、政府が独り占めしているお金の洗い出しをすることによって、その予算を捻出できるということが、時代の変化から読み取れる方法だと思います。

ゆえに、民主党の政策は、十分に実現可能であり、本来の税の使い方であると思うので、支持しています。

◆◆都議会議員選挙◆◆
民主党が圧勝でした
議席数ももちろんですが
得票率はかなりのものだったのではないでしょうか

どなたか正確な得票率をご存知の方
教えてください

民主党   40.7%
自民党   26.1%
公明党   13.2%
共産党   12.6%

            の、はずです

いい加減、民主主義国家ならとても簡単で、本当の事を、大手マスコミ各位に実行して頂きたいと思っております。

それは新聞、テレビが、自らが自らの是々非々を問うという事です。

だって今本当に問いたいのは、大手マスコミは信用できるか否かでしょう?

何でそんな簡単な事を問わないんだろう?

"現在のマスコミは偏向しているか否か"
に対するアンケートを実行し、
更に、
"今のマスコミは何か公益とは違う意図を持って放送、報道しているか。"を問い、
或は、
"このマスコミ(新聞は、テレビ)は、誰の為に今現在報道していると思うか"

そのような、成人の誰がみても、なるほどと思うような質問をして民意を問い、まず、この信用ならない自分たちを問うのが筋なのに、、、、、、そりゃー、やら無いか。


民主主義上当たり前の世界をまず実現するできるよう高野さん、田中さんをはじめとするthe journalの本物の方々にお願いしたいのです。

だって官僚より、政治家よりも自らを律する事ができないのは大手マスコミじゃないですか。

今こんなにおかしい世の中ののに、まだ竹中平蔵がテレビに招かれて、誰も文句を言わないし、それどころか、小泉時代悪を完全スルーするようにテレビは仕向けてるよ。

岸井氏が降ってわいたような地方自治話に乗って語りに語ったのに、1週間ももたずに潰れた。多分、またこれからもしたり顔で出てくるんだよ。そんな事民間ではあり得ないよ。

情報伝達における責任がぐだぐだで誰も責任を負わない放送を垂れ流す事を是非テレビ出演されている皆さんは考えるべきです。

だって一番変わってないのはマスコミの見慣れた人間じゃないですか。誰が一番既得権益を守っているんでしょうかね?

本当によろしくお願いしますよ。

持続可能な社会に向けた日本のエネルギー政策を挙げたい。特に、これまでの化石燃料代替として荒唐無稽に偏重政策をとってきた原子力発電事業を国民的議論の俎上に載せることである。政官業癒着の原子力発電事業はこれまでの霞ヶ関、ならびに永田町の自・公連立政権は国民に目を向けさせなかった。電事連は莫大な広告料でメディアをも囲い込んだ。
原子力発電の排出する高レベル放射性廃棄物の安全性は砂上の楼閣に等しいことが大問題なのである。先ず、高レベル放射性廃棄物の放射線強度が放射線管理区域レベルまで減衰するのに約100万年かかることを考慮しなければならない。現計画ではキャニスター容器に入れた死の核ゴミである高レベル放射性廃棄物のガラス固化体は、キャニスターの周りを炭素鋼で囲み、その周りをベンナイトという粘土で囲み、地中300m深さに埋める計画である。この固化体の多重防護体自身、研究開発途上のものであり、100万年の間、科学的に安全であることを保証したものでない。腐食、ひび割れ、浸水、地下水汚染、地震、地殻変動等々、100万年の期間には予期せぬことが起こると考えるのは当然である。事故が起こるたびに、よく安易に使われる、責任逃がれの言葉「想定外なことが起こりました」では許されないしろものである。放射性廃棄物行政は泥縄の状況であり、研究開発途上のものを使用せざるを得ないという科学的に無謀な計画を国民の理解も得ずに、莫大な税金を使って国策としてだらだらと行っている。誰が考えても、人の生死に関わる死の核ゴミ廃棄物を約100万年もの長期間、安全に管理・制御できると言える人などいるわけがない。いかに、原子力発電事業がパンドラの箱を開ける無責任事業であったかということである。良く耳にする二次エネルギーとして原発は全体の3割を超える重要なエネルギー源であるという言葉に騙されてはいけない。とにかく、日本の一次エネルギーとして約10%内外の寄与しかない原子力発電は全て停止しても、国家レベルでの節電で回避できる程度のしろものである。政官業癒着ゆえに存在している不要な事業なのである。
長々となったが、政権交代の暁には何としても原子力発電事業は国民的議論として見直すべきである。

<原子力発電のフロントエンド&バックエンド(語句説明は下記文中参照)の経済性ならびに電力料金の観点からの見直し>
原子力発電といえば、忘れもしない通産省、各電力会社、電事連のデータ隠蔽、捏造、等々何でもありということ。下記、原子力発電料金のコスト計算も氷山の一角です。電力会社の原発料金計算のでたらめぶり概要をとくとご覧あれ。以下、http://www.nuketext.org/yasui_cost.html#othercostsからの引用・編集を含む。
1999年以来4年ぶりの試算改訂で、2003年12月16日、電気事業連合会は「モデル試算による各電源の発電コスト比較」を公表した。従来原発の「運転年数=耐用年数」は、減価償却の終わる「法定耐用年数」16年であった。しかし、ここ数年、電力会社や経済産業省などは、あってはならない安全性が二の次となる、「初期投資が大きく、燃料費の割合が化石燃料に比べて比較的小さくなる原発の「耐用年数」を40年として、コスト計算をするようになった。原発の「耐用年数」を40年に引き延ばして、原発のコストをさらに安く見せかけようとしているわけである。恐ろしいことに、安全性など無視して原発電気料金を安く見せかける計算術です。
 運転年数40年・設備稼働率80%の場合、原子力5.3円/kWh(以下すべて単位同じ)、石炭5.7円、LNG 6.2円。しかし従来の法定耐用年数16年の試算では、運転年数15〜 16年・設備稼働率80%として計算すると、原子力7.3円、 石炭7.2円、LNG 7.0円、となるそうです。ここで、設備稼働率が80%など、はたして最近の平均実稼動で存在したのでしょうか。所詮、国民に見せる電力料金など数値遊びで、高い料金でも、いかようにも安く見せれることになる。さらに、経済産業省(旧通産省)・資源エネルギー庁のコスト試算そのものが、きわめて意図的に数字を操られていますが、実はそれ以外にも、料金計算で一番問題なのは、原子力発電には隠されたコストがあるということである。実はここが一番問題なのである。大きく分けて次の4つの内容については、本来原子力発電を成立させるために必須の費用となっているので、厳密な意味では原子力発電のコストに含まれるべきものです。上記計算には含まれていません。
1)電気を捨てる発電所経費(原発は稼動時には常時一定の電力を発電する仕組みであるため、夜間、電力が余ると電気を捨てて、電力需給の平滑化を図る必要がある。そのための揚水発電所)
2)電源三法交付金(地元への原発懐柔策経費)
3)バックエンド費用(原子力発電所で、燃料製造・発電所建設・運転などの「フロントエンド事業」に対し、原子炉の廃炉費用や放射性廃棄物の処理、核燃料サイクルにかかわる事業を「バックエンド事業」と呼んでいる)
4)送電費用
以上を含めると、法外な電力料金になり、これまでの意図的な見せかけの話の根幹が覆ることになるわけです。これまで国民に原発料金は一番安くみせる騙しがばれるのを恐れているのではないでしょうか。化石燃料よりはるかに高い電気料金になるのではないでしょうか。これだけではありませんよ。出るは出るは、でたらめの青森県六ヶ所村の核燃料の再処理事業の経済性、安全性など、もはや、狂人のものとしか思えない。恐ろしくなります。意識の高い多くの善良な国民の声を全く無視して、こんなでたらめが見直しもなく経産省下で行われているのです。これも、まさに政官業癒着のなせる業です。原発ならびに関連事業は、政権交代でしか、見直しの機会はあり得ません。核燃料再処理凍結も含めて見直す必要があります。まさか民主党とて同じ穴の狢ではないでしょうね。次期衆議院選挙では見識あるマニフェストに明確に原発事業の見直しを記載頂きたい。

 民主党は2010年より高速道路の無料化を段階的にすすめるとしています。すでにETC車載器のメーカーは増産を見合わせているともいわれています。

 財源(利用料2.5兆円減?)も含めて、実際に可能か?経済効果はいかほどか(温暖化対策には逆行しないのか)?4年後に自民政権が復活した場合はどうなるのか?などなど、問題点・課題は山積していると思われます。

 自分は今現在は民主党に政権をとってほしいと思っていますが、政策としていかがなものか、皆さんの意見を伺いたいと思います。

皆さん、
問題は自民党だろうが民社党だろうがそんなことはどうでも良いことですよ。一番、我々国民にとって大事なのは政治にも競争原理を持ち込むことですよ。だから、一度、民主党にやらせて見て、駄目ならまた自民党に戻せば良いことでしょう。そんな真剣な政治をやらせるシステムにして初めて国民主権が実現出来るのでは無いでしょうか。違いますか?

21世紀の持続可能社会を構築する上で、いくつかの事例をもとに、意見を少し述べさせて頂きたい。
現状のまま化石燃料を消費し続ければ、地球上の化石燃料文明はおおよそ100年(長く見て200年程度、大同小異)程度しか持続できないということである。他人事ではない。すでに子や孫以降の時代に重くのしかかる負の遺産の対処の道筋をつけることは現世代の喫緊の重大政策課題である。したがって、化石燃料代替なるものを今後100年の超長期計画で軌道にのせる詳細なロードマップ作成が必要となっている。特に日本は周知の通りエネルギー自給率は4%という異常な低さであり、より深刻な問題でもある。化石燃料代替の有力候補は、科学・技術の大きな進展があればまた変わり得ようが、現在のところ、太陽電池、太陽熱、風力、地熱、バイオマス、中小水力、潮汐、潮力等の再生可能エネルギーをおいて他にはない。
もちろん、燃料電池はこれらの諸技術に続く重要な技術と位置づけられる。再生可能エネルギーによる産業は地球規模の21世紀のまさに産業革命になろう。いつの過渡期の時代にも共通していることであるが、しがらみの旧勢力(独占電力産業業界)は鎖国状態に近く、世界の俊敏な変化にまったく追随できていない状況である。まさに幕末から明治維新への変遷と酷似しているように見える。今の体たらくの自・公連立政権には国を託せないことはもはや周知の事実となった。最近の腰砕けの中途半端な固定価格買取制度導入を見れば、いかに信頼に値しない政府であるかが一目瞭然である。
下記に述べるが、エネルギー自給率の低さおよび稼動時炭酸ガスを出さないことから代替は原子力発電という人もいる。これは今日までに国民の声を無視し、暴力的に築いた既得権益を守る政官業の癒着した原子力発電事業の関連組織に属する人たちである。ここは冷静になって、これまでの国民無視および原子力発電の本質的な経済的、技術的安全問題の分析が不可避である。
政府はこれまで化石燃料代替には原子力発電という護送船団による偏重政策をとってきた。原子力発電事業に関しては、肝心の情報開示は十分でなく、データの隠蔽、捏造等は日常茶飯事で、国民の合意形成などあり得ず、政官業癒着のもとで力づくで進めてきた。原子力発電事業は実は本当のことを国民には知られたくないことがあまりにも多く、特に、経済性と安全性問題を隠し通してきたと言った方が正確である。原子力発電事業は21世紀の環境にやさしいエネルギー源としての適格性を根本的に欠いている。ましてや高速増殖炉の危険性と経済性問題は既存の原子力発電よりさらに深刻である。国民は原子力発電は頭から難しいと思い込み、政官業にお任せの状態であり、一方、政府や関連事業体は分かりやすく本当のことを説明すれば国民に反対されるから、決して本当のことは口外しないという悪循環に陥っている。この状況のもとで、意識の高い国会議員、県市町村議員、NPO団体、市民グループ等が危険性、経済性問題を指摘するが、総じて国民の関心は薄く、また官尊民卑が完全に抜け切らず、黙り続けているというのが実態である。これをいいことに、原子力発電事業の政官業一体の横暴ぶりは、さながら、暴力団組織そのものの行動をとってきた。とても民主主義社会に住んでいるとは思えない。ことエネルギー政策の根幹に関しては社会主義国家と同じと言った方がよいのであろう。自民党・公明党連立政権の醜態には反吐がでる思いであった。
日本の将来を支配するといっても過言でないエネルギー政策の閉塞状態を払拭するためにも、やっと好機到来である。断末魔の自民党と公明党がいよいよ表舞台から退場いただく日が刻々と近づいている。久しぶりにワクワク感を覚えるのは私だけではないと思います。政権交代により、国民主権のもとで、今のエネルギー問題を理解し、国民自身が何故、何を、どうしたいのか、そして、そうなればどう良くなるのかを自分の頭で実感できる喜びを体験したいものです。多少しんどいと思いますが、みんなで力を出し合えば、それほどではないと思います。
身近なところでは、全国津々浦々に数多ある自治会を、エネルギー問題をはじめ多くの日本の諸問題を自分の問題として議論できるような開かれたものに変えていく必要があります。さながら、現在の自治会運営状況は100年前の頃といったほうが的確かもしれません。地方分権が叫ばれる中で、一番変わらなければいけないのはボトムの市町村レベルの自治会組織ではないでしょうか。現在の多くの自治会では、極論すれば親睦事業を除けば、市町村からの交付金で縛られた上意下達の役割が殆どといっても過言ではないように思います。とにかく、わずらわしい問題はすべて役所にお任せの時代が明治以来今日まで続いてきた。それをいいことに、役所は政官業の癒着を起こし、自縄自縛の状況に陥り、各省庁は自分たちの権益のための政治にいつしか変貌し、国民のための政治から乖離したといえる。戦後、復興期の各省庁の官の役割は大きなものがあったことは認めるが、もはや、多様化、複雑化した今日の社会では、中央から地方へ権限を渡してこそ、正しい政治が行える時代になって久しいのである。
地方分権はまさに再生可能エネルギーによる分散型発電ネットワーク構築と合致したものであり、非常に適した地方再生の切り札になり得るのではなかろうか。これからがおおいに楽しみである。

『便利さのなかで失うもの』    小兵衛ブログ「言わずもがな」より・・・

 少し古い話題だが、書道関連の情報誌「墨」143号に、高木聖鶴先生の書斎が「巨匠の書室」として紹介されている。
 私も一度きり参上したことがあるが、かなり年季の入った純日本家屋である。玄関もほぼ昔のままだろうとおぼしき佇まいであり、閑静な住宅地の一角にそれはあった。
 紹介のなかで先生は「最近はいずこも文化的な生活で、生活の知恵のようなもが失われて何となくもの足らない」と記されている。
 なるほどお見かけしたお家は現代建築とは無縁とも言えるものであり、瀟洒な佇まいに威厳を感じる造りが施されていたのを思い起こしている。
 都市部にはマンションが林立しているし、私が住む田舎町もそれは例外でなく、JRの駅前周辺はマンションで埋まった。そしてまた、新しく建てられる住宅の多くは工場生産のプレハブ構造で、きわめて短期間の工事で済む。
 古い友人の新築祝いに招かれて、その子細をつぶさに見せて貰ったが、なるほど便利で近代建築の粋を集めただけのことはあるなと感心したが、なにやら違和感を覚えたのは歳のせいだろうか。
 炊事場、おっと今はそうではなく「システムキッチン」と呼ぶそうだが、ご婦人方が働きやすく、かつあらゆる機能が充実しているつくりで、相当な費用も要したらしく「ダンナも大変だな」と同情しつつ眺めいった。
 「始めちょろちょろ中ぱっぱ。赤子が泣いても蓋取るな」、これは昔の竈(かまど)で飯を炊くときの心得だった。始め云々は火加減を言い、例え腹を空かした赤子が泣きわめいても、炊きあがるまでは蓋を開けるなと教えているのである。今どきにこんな飯の炊き方をしているご家庭はないし、最新の炊飯器はこんな微妙な火加減すらもコントロールし、ご婦人の負担は軽くなったと言えるだろう。
 これも聖鶴先生が言う「生活の知恵」のひとつなのだろうが、友人が建てた新築の一画には大きな和室も作られている。しかし、昔のそれと比べると天井が低く何かしら物足りない。低い理由は、一般で売られている材木の寸法が原因で、昔のような構造を希望すると、特注の柱材となり、かなり割高となるそうな。
 世の中は年を経るごとになにごとも便利になる。しかし便利になったその裏側で失われていくものには存外気づかないことを、古いものは教えてくれるが、それは何も建物だけではない。
 その昔、某経営コンサルタントの「野菜の値段を上げたのは、ご家庭の主婦である」という刺激的な演題があり、その心は、曲がったきゅうり、泥のついた大根、人参の類に主婦が手を出さなくなり、その分棄てられるもの、畑で曲がらないように手を加える、出荷前に水洗いするなど、農家の手間が増えるのだから値段が上がるのはあたりまえとの結論である。
 私たちが学ぶ書もまた然りである。書はもともと「自省学習」と称され、自分で書いたものを自分で眺め、そのできばえの善し悪しは自分の目で確かめる、同時に、自分で書く詩文の意味を「消化」しながら筆でかく、この過程のなかで得られるものは、ただ読むだけ、眺めるだけでは得られない。
 これは人様への説教ではなく、私自身の自省でもある。
 日常の仕事の大半は文章を書くことや編集作業にあり、そのすべてをコンピュータに依存している。
 朝の一番は毎日届く数十通の電子メールを読むことに始まり、返信も当然キーボードからであり、その他の作業も手で文字を書く機会はほとんどない。それはご婦人が竈から解放され、日常生活の中から「工夫」という二文字が消えたことと同じである。
 文字を手で書こうとすると簡単な漢字が出てこない。加えて持ち前の悪筆がよりひどくなって、ますます人様に読んでいただく文面から離れていくが、これも「文化的」道具を駆使するあまり、失っていく生活の知恵のひとつである。

 豊後の小兵衛

「マスゴミ」「アホウ総理」という言葉は,国民全体の周知の事実に基づいた命名で,説明抜きで蔑称の意味で使用したとしても,格別違和感はないでしょう。歴史的に見ても,権威主義に対する一般大衆の抵抗として,納得了解できる種類のものです。もし指示対象を「マスゴミ」「アホウ総理」だと思わないとしたら,このご時世に新聞もテレビも見たり読んだりしないか,あるいは知的批判的精神が欠如している証拠で,「THE JOURNAL」の書き手もしくは読者とはおよそ無縁ではないでしょうか。いずれにしても「差別用語狩り」など無用です。

追記:筆者自身も今年4月以降その都度「朝日新聞等各新聞社、NHK等各テレビ局]の[マスゴミ]批判は,下記のURLで展開しております。[マスゴミ]を[マスコミ]と書き改める意志は毛頭ありません。

http://clap.fc2.com/page/fujifuji?url=http%3A%2F%2Ffujifujinovember.cocolog-nifty.com%2Fblog%2F2009%2F03%2F2-1a48.html

最近のテレビの政治報道の司会者達(キヤスターをも含めて)は 何故ここまで国民に対して、あたりさわりのない迎合的発言しか出来ないのだろう。云わく自民党と民主党を公平に批判しておけば波風が立たずどこからも文句は言われないだろうという魂胆がみえみえで本当に情けない報道番組だらけだ。それに政治の本質論、政策と、どうでもいいとはいわないが政治献金の話を同次元で語る事に何の違和感も感じず 古館など1人興奮して「国民もこれではたまりません」などと悦にいつている。よく街のインタビユーなどでどこの政党でも同じで、およそ自分自身は何も発信、行動もせず被害者意識満々の市民がたくさんいる。それらの市民を相手にして発信しているテレビメデイアの罪は深い。そういえば森前首相は選挙の日は有権者は寝ていてくれればいいとか、麻生総理も国民は政治に関心を持つのは好ましくないなどとのたもうていた。おそらくこのあたりが自民党の本音であり本質であろう。もちろん、私だつて政治の事など気もかけずに生活でも出来る社会ならそれにこしたことはない。ただ麻生がアメリカで先進国で経済力が1番と2番な
どと今の日本の現状を考えれば、その発言の軽さに呆れ果ててしまう。 まあそういう議員を選んだのは国民なのだから仕方のない事かもしれないが…その国の民度以上の政治、政府は出来ないとの言葉がよく頭をよぎる。最後にマスコミも政治家も評論家も軽い国民に迎合するなか、横浜の中田市長はしらける国民にあなたがたは政治に何を発信、行動をしたかと国民を叱つておられた。蓋し名言であり、本当の事を反発を恐れずテレビカメラの前で堂々と発言した政治家を私はリスペクトしたい

fujifujiさんの拍手ページの良心派 様
貴方のは考え方は典型的なレッテル思考のように見える。
お伺いするが、貴方の理屈だと「ミンス党」、「管ガンス」、「汚沢一郎」または「お縄一郎」、「小沢自治労」等も、知的批判的精神が溢れる呼び方と言える事にならないだろうか?
また、TV局の電波利用料が他と比較して安すぎて不公平であるとの批判が出るなど、引上げの必要性も叫ばれる昨今、TV局の電波利用料を思い切り下げるとのたまう原口氏などは、
さしずめ「原口ネクスト電波芸者大臣」とでも名付ければ良い?
日教組の親玉「輿石教組(祖)」なんてのも洒落てないかい?
「ぶって姫、悲鳴議員」なんてのも面白いかもしれないが、やはり正確を期して、変態的ともいえる性癖を暴露された姫井議員と呼ぶべきである。
レッテル貼りは、知的さの対極にある下衆な行為だ。
真実の追求よりも、感情や悪意が常に優先される愚行だと知るべし。
貴方が何をどう思っていようと構わない。
しかし、感情のまま一方的な発言を続けるのならば、多くの賛同を得る事は無いだろう。

-以下ウィキペディアより引用-
レッテル思考とは、人・物事に対して自分が貼ったレッテル、あるいは他者によって貼られたレッテルだけで、人・物事に対する評価・判断を決めてしまう思考。人や物事の内実や実態を、ひとつひとつ自分自身で確認しなくても判断できると思い込んでいる思考形態。

ひとつひとつ個別の内容を具体的に検討していないので、実態にそぐわない判断となることが多く、様々な問題を引き起こすことが多い。この思考形態をしている者は自分がそのような思考をしているとの自覚が無いことも多いだけに問題は根深く、レッテル思考をする者の行動は、人権問題や社会問題の原因ともなりうる。
-引用終わり-

 最後の国民視点
~議員エゴの自民党両院議員総会騒動~

 7月21日(火)に衆議院を解散して8月30日を総選挙の投票日とすること、これは麻生首相が最初で最後にリーダーとしての決断をしたものとなるに違いない。

 このリーダーの決断に対して、今、自民党が揺れている。中川元幹事長や武部元幹事長、更には加藤紘一元幹事長らが、地方選挙に連敗した麻生首相の下では総選挙に勝てないからと総裁選挙の前倒しをして首相を交代させようと自民党の両院議員総会の開催を求めて署名活動をしている。

 一方で麻生首相を支えていこうという派閥の領袖たちは署名した議員を翻意させて両院議員総会を阻止して、代わって議員懇談会で済ませようとしている。麻生首相はといえば、その懇談会に出席して地方選挙敗北について弁明をするという。

 総裁選挙の前倒しを巡るこうした一連の迷走の主役たちは誰も彼も自民党の中枢の議員だ。3人の元幹事長、派閥の領袖、そして現職の幹事長や自民党総裁たる麻生首相ら。

 彼らに共通するのは自民党の中枢議員ということだけではない。もう一つ串刺しのように彼らを貫く共通点は、彼らが今握っている権力の座にしがみ付いていたいという保身の念、与党政治家のエゴだ。

 彼らは自分たちが国民視点を基軸にして決断して行動すべき国民の代表であるということを顧みていない。もしかすると自民党の議員達には国民視点という思考回路が停止どころか消滅してしまっているではないのか。

 今、国民が求めているのは自民党内部の両院議員総会でもなければ懇談会でもない。そんな自民党議員だけの井の中の蛙のようなものは国民視点には繋がらない。

 今、国民は長く権力の座に居すぎて官僚政治の腐敗を生んだ自民党そのものに審判を下そうとしている。

 今、国民は麻生首相を先頭にして保身に駆け回っている与党・自民党の政治家たちに審判を下すその時を見つめている。

 今、国民は麻生首相が最初で最後に決断した8月30日投票の総選挙を待っている。
 これはオリンピックにも出場した射撃の“名手”麻生首相が最後の最後に国民視点で的を射た一発なのだ。まさにそれは自民党に最後に残っていた国民視点の射的なのだ。
 しかし、今、自民党の議員たちはその最後の国民視点すら見えなくなっている。

[旁葉 烏]様  ( 2009年07月16日 21:07)

文章は正確に読んで,きちんと理解しないといけません。私は「マスゴミ」と「アホウ総理」に関して,「国民全体の周知の事実に基づいた命名」と述べております。もしあなたが反論するとしたら,例証を上げて,「マスゴミ」と「アホウ総理」という蔑称は「国民全体の周知の事実」ではない,と主張する必要があります。私は「マスゴミ」という言葉を用いた自分の文章を,その言語選択が妥当か,読者諸氏に是非が判断可能なように

http://clap.fc2.com/page/fujifuji?url=http%3A%2F%2Ffujifujinovember.cocolog-nifty.com%2Fblog%2F2009%2F03%2F2-1a48.html

を示しております。十二分にご覧になって,検証してください。なお,事実確認できると思いますが,「アホウ総理」という「揶揄的言葉遊び」は,私は使用しておりません。麻生総理批判は,その程度の軽い皮肉で済ます事のできる事態ではないからです。問題は重大すぎるので,ここでは論じません。テーマを元に戻すと,あなたが例として持ち出している「ミンス党」「管ガンス」「汚沢一郎」「お縄一郎」「小沢自治労」等を,私は「国民全体の周知の事実に基づいた命名」だとは認めません。また,私の性格として,「ぶって姫」とやらに関する「真実の追求よりも、感情や悪意が常に優先」する「感情のまま」の週刊誌的品性下劣な「一方的な発言」については,論究する意志はありません。言葉を費やす価値が皆無だからです。それにしても「Wikipedia」の引用など噴飯物です。反民主党派も遂に「貧すれば鈍する」混乱状態に立ち至りましたね。

編集部へのお願い:「新コーナー《よろんず》に注目!」も87の書き込みのために,長くなってしまったので,「新コーナー《よろんず》に注目!(2)」を新たに作って頂けないでしょうか。最後部まで降りてくるのが面倒です。

このところの自民党のゴタゴタははっきり言ってお笑いですが、その根源に有るのは二世議員が増えた事や認知症がかかったどうしようもない議員が残っているためでは無いでしょうか?是非、今度の選挙では誰とは言いませんが、目立ちたがり屋のお方はお引取り願うほうが良いのでは無いでしょうか? なかなか自分では辞めれないでしょうから、引導を渡しましょう。


民主党にも同じような行動を取られた方が数人おられました。未だ反省されてない様な者がおられましたら、ネットの力で政界から退場していただきましょう!

【地方分権は財源の分捕り合戦ではなく理念から】

地方分権を語る時、避けては通れないのが首都「東京」であると思う。
明治時代に国家の総力を結集して行われた中央集権化は「政治と行政」「経済」はおろか「皇室」「マスコミ」までも東京に集中させた。
その時代には意味のあったことだろう(通信・移動手段等の時代背景)が、今となってはどう考えても一極に集中しすぎている。
災害等の危機管理、また国防の観点からも問題は大きい。
少なくとも「政治と行政」「皇室」は東京から切り離すべきであろう。

まずは、(この国会決議が何故20年近くも放置されたままになっているのかが解らないが)1990年に衆参両院で国会決議された「国会等の移転に関する決議」を動かすべきだろう。
東京都を「首都」ではなく、日本経済の中心を担う一地方都市にしなければならない。
そもそも、ほとんど全てといってもいいくらいの大企業の本社が東京に集中していること自体が異常だが、それぞれの業界を監督・指導しているそれぞれの行政の中心が隣接して存在していて、重ねてその根拠となる法律を作る立法機関までもがそこに存在している。
これではいくら国民が『政官業は癒着するな』と言ったとしても、囁くだけで聞こえてしまうような距離にお互いが居たのでは無理というものだ。

そして「皇室」であるが、天皇陛下御一家はそもそものお住まいである京都御所に移っていただき、政治や経済から距離を置いて落ち着いたお暮らしをしていただくべきだと思う。

国民の象徴がお暮らしになる京都、政治行政の中心になる新首都、そして経済の中心としての地方都市東京。と、現在東京に集中している機能を分散することから地方分権・地方主権を始めるべきだ。

fujifujiさんの拍手ページの良心派 様 2009年07月17日 11:17
先ず、私の投稿を再度読み直して下さい。私は、貴方の言う「周知の事実」に対して、それは事実ではないと反論をしたのではない。私の投稿を要約すると、貴方の理屈は「レッテル思考」のようだと考えられ、それでは賛同が得られないだろうし、何より真実を見失う危険があると感じる。また、知的である事を標榜するのであれば、それ故、尚更表現には気を付けるべきだと意見したに過ぎない。行き過ぎた理の無い擁護はサポーターとは決して呼べず、最早フーリガンと言っても良いくらいだ。
「真実の追求」 この文言を入れたのにも必要性を感じての事で、当然姫井議員の性癖を指しての事ではなく、そのように繋げるのは曲解と云うものだろう。そのリテラシーの欠如も、レッテル思考に因る弊害かと勘ぐりたくなる。この場合は、文中の「事実」に対して「真実」の語句が掛かっていると読まなくてはいけない。一面の真実なる言い回しもあるように、真実は事実を内包している、その関係性を基にしての事なのだ。多くの事実をオミットし、ひとつの事実だけを以って語る、都合の良い事実だけを叫ぶ事は誠実な姿とは言えない。在るべき姿とは出来得る限りの事実を集めて真実を炙り出そうとする事ではないのか。貴方の次の一文は、主語が無い為分らないが、私の事を言っているのならば見当違いも甚だしく、レッテル思考の証左と言えなくもない。

>反民主党派も遂に「貧すれば鈍する」混乱状態に立ち至りましたね。

もうひとつ、ウィキペディアからの引用だからとの理由で、飯を噴かれるのも如何なものか。
大事なのは、その書かれた内容なのだ。権威や肩書きといったもので判断せず、自身で考える事が何故出来ないのだろうか。誰もが編集出来て、出典が定かでない物も一部にあるにせよ、その事実だけを以って論じる事も、貴方が「レッテル思考」である事の傍証となっている。
が、その検証が主題ではなく、だからどうだという事でも無いのでそれは捨て置く。

次の数字は、それぞれ言葉の認知度を探る為に、《参考程度》に検索してみたヒット件数。
左はYahoo検索、検索条件は「順番も含めて完全に一致」
右がGoogle検索、検索条件は「すべてのキーワードを含む」

「マスコミ」 97,600,000 / 16,400,000
「麻生太郎」 16,200,000 / 523,000
「小沢一郎」 7,780,000 / 177.000
「姫井由美子」 364,000 / 75,000

「マスゴミ」 5,560,000 / 1,240,000
「アホウ太郎」 87,000 / 79,300
「汚沢一郎」 1,390 / 16,400
「お縄一郎」 2,220 / 31,200
「ぶって姫」 98,000 / 380,000
「ミンス党」 88,000 / 57,600
「小沢一郎、不動産」 1,130,000 / 画面が消え表示されず

テレビ、ネット、紙媒体をも含むカテゴリーの「マスゴミ」に次ぐのは、意外にも「ぶって姫」であった。流石は良識の府である参議院議員様、大変な人気者である。その他、これらの数字に補正を加え分析してみると良い。ここでは割愛するが色々わかる事があるだろう。

さて、随分とこのコーナーの主旨と外れた投稿となった。反省し、主旨に沿ったものを。
我が国は二院制を採っているが、残念ながら参院は、過去を通じ本来期待されている役割を果たしているとは言えない状態にある。小沢一郎は過去に、貴族院への回帰を掲げていたと記憶している。参院を貴族院とするには方々で異論もあろうが、評価出来る内容であった。参院不要論もある中、民主党へと政権交代が叶った時に、実質上の代表である小沢一郎が政権与党として、この問題に踏み込めるか興味があるところだ。是非国民に参院の在り方、意義を再考させるべく、持論を披露して貰いたいと考えている。
他方で小沢一郎に対し、改革を成し遂げようとするのなら銭も要るだろう。政治も所詮は数の論理、候補者も知名度優先にならざるを得ないのも分る。だから政権を獲るまではあまり理想を言うまい。それだけに、政権与党となった暁には自民党とは違う、日本国民の為の、真の政治を行うであろう民主党に大いに期待している。
そう考える支持者を裏切らない事を望む。

他人の文章に対する読解力もなく,自分が陥っている「レッテル思考」にも気づかないで,〔2ちゃんねる〕に蔓延している唾棄すべき無教養,知性のなさ,非論理的思考,下品で野卑な文体等を,事もあろうに[THE JOURNAL]に羅列する文章の書き手は,今後一切無視します。

親政権与党の方々へ
選挙が迫っているのにマニフェストを身内の党内議員へも非公開で作成中だと、あの読売までもが記事にしております。野党や民主党の揚げ足を取ろうと砕身するより、政権与党の支援にパワーを向けたら如何ですか?
魑魅魍魎な言葉の羅列は無駄な足掻きとしかうつりませんが。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090718-OYT1T00972.htm
憂党の士になりきれないのならThe Journalに投稿する資格はありません。

km.chibaさん、
現時点での自民党のマニフェストならありますよ。
一応。(PDF注意)

まるで野党のものみたいですが。

http://www.jimin.jp/jimin/kouyaku/pamphlet/pdf/2009_nominsyu.pdf

焦土に立ちて 1 (日本の景気対策の中の”組織”主義)

まず結論から先に述べる。
次の衆議院選挙で国の舵取りと決定する党派は、どちらであれ国民の総意を強く先導する
指導力が求められる。

その為には到着点を誰にでも示せる強い理念、3割は虫の息と化した人々の暮らしを再び
鼓舞し、ほぼ半分は呆然自失している国民の意欲を再度昂める希望を謳う言葉、国の内だ
けではなく、外に目を向け、国をまとめて諸事にあたる強い手を持った指導者こそ、

この国を率いていくのに相応しい。

私達はその様な人物の元で、総ての人が一つにまとまって、生活を立て直す努力を始めな
ければ最後には国の中で社会的な共食いが始まり、混乱も深化してやがて悲劇や苦境は国
内で拡大していくだろう。

漏れ聞くところによると、15兆円の補正予算は現与党が国際的に取り交わした約束とい
う側面がある。

この場合、日本に限らず統一行動をとった各国が足並みを揃えて「バラ撒き」という景気
対策を、各国の事情に合わせておこなうという事だ。

大国中国は50数兆という規模だという。これは例年の日本の通常予算を軽く超えている。

さてここで我が国1億2000万の人々は実は、今年15兆円という現金を目の前に置か
れたという事になる。

これが悪名高い定額給付金なら、一人残らず125000円を漏れなく貰えるという事に
なるのだが、この大金の分配方法にこそ、現与党が誰の為、いや何の為にいま現実に国の
舵取りをしているのか明らかな証拠がある。

125000円にバラバラにはしなかった様だが、受取人は国民だったろうか?

冷血な論理のもと意図的に国民にお金が流れる流れは堰きとめられ、お金は貯められた。
その宛先は有名無名、多種多様な「組織」である。

「組織」と敢えて表記したのは、これが鵺の様に奇怪な代物だからだ。

あるいは有名な大企業や金融機関だったり、あるいはあまり知られていない行政管轄の法
人だったり、この大恐慌で100年に一回、突然目の前に置かれた宝くじの様な大金15
兆に有象無象の「組織」は喚声を挙げて争奪戦を繰り広げ、最終の末端である国民は

「組織」のおこぼれにありつける一部を除いて、少子化に発する厳しい医療介護の現実、
生活収入が減る中での相対的に高率化した税金、見当違いの国の借金に、みんなさらされ
たまま取り残された。

今までの舵取りが国民を忘れてしまった理由、それは「組織」と民衆の乖離に目を叛け、
沢山の政治屋がスポンサ-しか見てなかったくせに、かっこつけて詭弁をだらだら演説し、
それを知っていながら無視していた私達が創りだしていた悪循環、そのつけがこの戦争並

みに社会の機能を破壊した大恐慌で、とうとう総ての人の上に降りかかってきた、
それだけの話だ。

前述に戻るがこれからの選択は今までの「組織」中心か、「人間」中心か、その二択を問
われる選挙であると主張する。

国の未来は、人にあるのか「鵺」にあるのか、この勝敗はこれからの私達の命運をさだめる。

いくつかのブログなどで見られるのですが、公明党が民主党との連携を図っていると…。
絶対に止めていただきたい。
皆さん、そんな話を見聞きしませんか?

絶対にそんなことはしてほしくない。
このことだけは、させてはならないと思います。

私も、民主党は公明党を甘く見てはいけないと思います。先週の
「TVタックル」で、公明党)池坊保子氏が、民主党)原口議員に秋波を送り、”これからは民主党さんとも仲良くさせてもらわなければ・・”とぬけぬけと言っていました。
 目的のためには手段を選ばない体質の党であり、政教分離の出来ていない組織であることを考えると、民主党は、しっかり見極めて対処しないと、とんでもないことになる。
 小泉改革の名でなされた、セーフテイネット破壊(年金、医療、福祉の弱いもの切捨て)は、公明党)坂口厚相などが主導し、自民党との”共同正犯”に間違いない話である。
 民主党は、自分の足腰を強くすることを第一に考えて、安易に”数”なり”秋波”に惑わされないように願いたい。
 今、国民は、自分の身の回り(親や子供や親戚や友人や近所の知り合い)に、沢山の”貧困”や”派遣切り”や”病院追い出され”や”失業”を見ているし、自分自身も追い込まれている。かって経験したことがない不安に落とし込まれている。それも、”政治による人災”と感じている。
 民主党は、国民の実態を身をもって感じて、国民目線で、公明党を冷静に見て欲しい。”何を言ったかではなく、何をしてきたか”で。

一般常識を元にたまに投稿させていただいておりますが、3月3日以降の様々な事象について、最近、とても気になっていることがあります。

一つは、(国策捜査と言われる)事件に対する検察の動きが、最初の取っ掛かりは別として、言われている某政府高官の指揮による謀略ではなく、現在の主導は、与党側の少数政党の支持団体が担っているのではないかと感じて仕方が有りません。
理由は、献金問題は、自民党にとって”諸刃の剣”だからです。
あまり騒ぎ立ててもプラスの面が少なく自分たちが傷つく事柄なので、最近は党の幹部ぐらいしか公の席での発言が無いのに、パートナーの某党の議員さんたちはTV出演されるたびに、この事柄のみをことさら強調される発言がMUSTになっているように見えるからです。

それと民主党の真の姿です。
反小沢グループの行動の中に数人の小沢氏の間者がいるような気がします。
また、売られた喧嘩を利用し有利に選挙および後日の布石を着々と打ち続ける小沢氏を感じます。
つまり、民主党の現状は小沢党なのだ、という事なのです。
理由は、小沢辞任後の傀儡と言われる鳩山体制での挙党一致体制と小沢批判の鎮静化です。
それとあまり報道されていませんが、霞ヶ関の対小沢シフトの報道です。
現状は小沢氏の豪腕による物だろうと推測されますが、今は豪腕小沢が機能して辞任前は機能していなかったということなの???
あれほど党内で小沢批判をしていたのに一夜にして豪腕小沢復活したの???
常識的に理解不能な事と思います。

わたしのこの疑問答えられる方がいらっしゃるのでしたら是非教えてください。
お願いします。

あらいぐま 2009年07月20日 06:55さんへ、 答えになってるかわかりませんが、

>>それと民主党の真の姿です。
>>反小沢グループの行動の中に数人の小沢氏の間者がいるような気がします。
>>また、売られた喧嘩を利用し有利に選挙および後日の布石を着々と打ち続ける小沢氏を感じます。
>>つまり、民主党の現状は小沢党なのだ、という事なのです。
>>理由は、小沢辞任後の傀儡と言われる鳩山体制での挙党一致体制と小沢批判の鎮静化です。


あらぬ誤解を受けそうですが、チ-ム オブ ライバルという考え方をとります。
衆議で決めた到達目標を大前提に、役割を任された者がチ-ムの協力も受けるし、
あるいは時には結果を望んでお互い競い合う。

根拠は政権交代という目標設定が、かの党には存在している事です。

>>それとあまり報道されていませんが、霞ヶ関の対小沢シフトの報道です。
>>現状は小沢氏の豪腕による物だろうと推測されますが、今は豪腕小沢が機能して辞任前は機能していなかったということなの???
>>あれほど党内で小沢批判をしていたのに一夜にして豪腕小沢復活したの???
>>常識的に理解不能な事と思います。
>>
>>わたしのこの疑問答えられる方がいらっしゃるのでしたら是非教えてください。
>>お願いします。


ここで政治として考えるから、前が見えなくなります。
あなたはもし、今たくさんの人が陥っているこれからとってもつらくてキツい食べ
ていけない様な生活を国単位で改善していかなければならない時、沈没船から逃げ

出そうとしている人達を自分の地域の代表者(リ-ダ-=指導者)として自分が選
びたいと思うでしょうか?

今回の醜態で、この国の沢山の有力な勢力は一時的に完全な離反を、今雪崩れの様
に興し始めています。すると、先を見据えてどちらにシフトすればいいのか、見え
るものもあるでしょう。

某党の事は一時的な雪崩れのひとつと考えますが、詳しくありません。

私の観察でした。(^^

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