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2009年5月23日

女性議員の品格

しかし、今回の代表選挙って、何だったのでしょう・・・。

あまりに期間が短くて総括すらできなかった気がします。せめて土日をはさむべきでしたし、若手から第三の候補者が出るべきでした。そうしたら、メディアも国民ももうすこしこの選挙に注目したと思いますし、メディアジャックだって可能だったはずなのに・・。

前回の自民党の総裁選もひどいものでしたが、たとえ「ゴレンジャー」と小馬鹿にされようと、女性や若手を出馬させることで注目をひきつけることに成功しました。

それに比べて民主党は…わたしが知っているだけで、名前の売れている中堅議員がふたり担ぎだされるという動きがありましたが、本人が逃げてしまいました。

いっぽう女性議員は…小池百合子議員のように批判の対象にすらならないのが現状なのではないでしょうかと残念になりました。

誰か思い切ってフレッシュで政策通な女性議員が挙手してみてもよかった気がします。

さて、すこし前に、共同通信の「きららぎ会 ハイタイム」でこのような講演をさせていただきました。

みなさんは、日本の女性国会議員や女性初の宰相に対して、どのような考えをもたれていますか?

◎女性議員の政治力アップに期待政党、メディアは意識改革を

列国議会同盟(IPU)によると、上院(日本は参院)を除く女性国会議員数比較で日本は104位と主要先進国の中で依然最低水準―。ルポライターの横田由美子氏は3月24日、共同通信社のきさらぎ会ハイタイムで講演し、日本の女性議員にとって政策力、当選力アップが課題となるとの見解を示すと同時に、政党、メディア、有権者の女性議員に対する意識改革が必要と訴えた。

講演「女性議員の品格」の要旨は以下の通り。

▽抜てきと使い捨て
日本の人口の半分は女性のはずなのに、今の永田町、霞が関は男性の視点でしか物事を見ていない。女性議員を取り巻く現状は、衆参両院議員合わせて721人いる中、女性議員は89人で、1割ちょっとぐらいしかいない。

衆院で見ると、1946(昭和21)年に8.4%だったが、47(同22)年から93(平成5)年までは1~3%、100人に1人か2人ぐらいしかいかなった時期が長く続いた。参院でも10%を超えたのは、89年(平成元)年以降で、旧社会党の土井たか子委員長によるマドンナブームを機に女性が増えてきたが、それでも10~20%前後でしかない。政治の世界で「数は力だ」と言われる中、力になり得ない。

しかし、女性議員に「人寄せパンダ」的に客(有権者)をうまく引きつけることができるという利点があるので、一定の数は存在する。これには良い面と悪い面がある。男性と比べると、選挙の顔にしてもらいやすく、その分当選しやすいし、目立つので抜てきもされる。

麻生内閣を見ると、女性閣僚は野田聖子消費者行政担当相と小渕優子少子化対策担当相の2人だが、小渕さんはまだ衆院当選3回。男性議員で当選3回生が入閣することはまずない。半面、実力が蓄えられる前に抜てきされ、使い捨てられるという悲しい現実がある。

▽語れない、戦えない
女性議員が実力不足と批判される理由は「政策が語れない」し「小選挙区が戦えない」からだ。議員会館を訪ねると本棚に一冊も本がなく、占い師を常駐させていた議員は、国家観を尋ねてもまともに答えることができなかった。アナウンサーから転身した議員に「国政で自分が何をやりたいのか」と質問書を何度も送ったが、「わたしのホームページ(HP)にすべて書いてあります」と、返ってきたのはHPのコピーだった。

政党、メディア、そして有権者にも問題がある。候補者を選定する段階で、いろいろな問題点を抱える候補だと分かっていても、自民党にしても民主党にしても公認し、選挙用の「広告塔」として利用した。マスコミは、彼女らを追いかけ回し、「女性の涙」を繰り返し報じた。その内容を見た有権者は何となく彼女らの名前を書いてしまった。そんな悪循環を感じる。

地盤・看板・かばん(お金)を持たない普通の女性が政界に打って出て当選することは、非常に大変なことで普通は無理。選挙にお金が掛かり、何千万、億単位ともいわれる。人脈も持っている人は少なく、票を集めるのも大変だ。地方に行けば行くほど夜ごと集会がある。1日に3件も4件も出席して、頭を下げて有権者から話を聞く。企業に勤めていたOLではなかなかできることではない。

政策を語れない議員が「風」だけで当選してしまっている。人の声を聴き、生活に資する政策を実行するのが政治家の仕事だが、今は目線は高く、声なき声を聴くこともない。そういう方は政治家でなく政府の審議会の委員でも務めていればいい。民主党の幹部議員が「女性は選挙の顔になるし党のイメージが上がるので、候補者にしたいが、落選しても再挑戦する女性はいない」と、はっきり言っていた。

▽女性政策以外が重要
女性議員は党ごとにカラーがある。自民党は女王蜂系。多くの男性の中で女性がわずかという形でやってきた人が多く、大抜てきも受ける。あでやかさだけでなく、クリーンなイメージを演出したいとの思いがある。民主党はどちらかというと優等生的でおとなしいタイプが多い。今どきのファッションセンスを持ち合わせ、カラーがないというのがカラー。公明、社民、共産各党は党の看板に乗っかって組織票で戦う人たちとのイメージがある。

米大統領選で注目を浴びたヒラリー・クリントン国務長官とか共和党副大統領候補だったアラスカ州のサラ・ペイリン知事と比べると、日本の女性政治家は政策を語ることができない。ヒラリー氏は自ら政策を作れるだけの能力を持っている。サラ氏も思想的に好き嫌いはあるにしろ、銃規制や人工妊娠中絶、同性婚に反対を打ち出し、ぶれることはなかった。

昨年の自民党総裁選に初の女性候補として立候補した小池百合子氏は子育てとか、働く女性に対する支援を訴えていたが、これはある意味で「楽」だ。女性が女性政策を前面に出してしまったら、男性は追及できない。女性の視点は大事だが、女性+政策を強調するあまり、逆に女性の反感を買った。地方票がゼロだった理由もそこにあるのではないか。

どうすれば女性初の宰相が生まれるのか─。政策を自ら作り語れ、資金も集め、人の心もつかめる女性議員が多くなれば現実化してくる。女性宰相を目指すような人は小選挙区でおじちゃん、おばちゃんの支持を得て、都会でも政策を語れるようでなければ難しい。小選挙区で戦い抜ける人が増えないと、底上げにつながらない。
 
どの企業でもポジティブ・アクション(積極措置)が議論され、政界にもクオータ制(人数割当制)を導入しないと女性の国会議員は増えないと言うジャーナリストはたくさんいるが、わたしは反対している。さまざまな分野で女性が活躍し、社会的構造が変っていけば女性議員も相乗効果で増えていくのではないか。女性議員の実力、品格の向上と同時に、これまでと違う人をトップにという政治的危機が生じたときに初めて女性宰相が誕生する。ただ、それが何年後かは分からない。

〈共同通信社会員情報誌「Kyodo Weekly」「政経週報」4月13日号より〉

2009年5月10日

官僚政治の復活?

大型連休が終わり(いつの間にという感じですが・・)、官僚たちも次々と出勤してきて、霞が関も(ついでにわたしも)通常の生活に戻りつつあります。

今週、出席した会合で話題になっていたことのひとつに田母神元幕僚長が、講演で大忙しだということがありました。なんでも、年間で150回近い〈講演予約〉が入っているとか。1回、4~50万円で計算したら・・・羨ましい限りです。

まさに、局地的な保守バブル。

最近保守系は論壇も政界もリベラル系におされて肩身の思いをしていたようですから、田母神さんがガス抜き的な存在になっているのでしょうか。

余談ですが、安倍元首相の何事もなかったかのような活動ぶりに怒りを感じます。清和会の内輪もめに危機感を抱いた森元首相が存在感のある安倍さんに依頼して、あちこちの国に〈親書〉を持たせて訪問させているとか。あのような辞任の仕方をした安倍さん、一度バッチを外して民意を問うべきだったはずです。

さて、田母神さんの話に戻ります。

なぜ彼の話題をしたとかというと、田母神問題のひとつには、〈航空幕僚長〉の地位にありながら、集団的自衛権の行使などで、政府見解とは異なる意見を発表したことがありました。発言内容の是非は別として、官僚のあり方を論じる意味で、すごく重要なことだったはずなのに、いつのまにかこちらもスルーされていました。

じつは、あの発言以来、田母神さんが言った「表現の自由」「言論の自由」を盾に、やたらと表立って発言したがる若手や中堅官僚に出くわすことが増えました。

それこそ是非は、意見の内容にもよると思います。

硬直しきった霞が関のシステムを構造改革しなくてはいけないことに違いはありません。見切りをつけて霞が関を去った元官僚が、ある意味お気楽な立場で外部から問題点を指摘するよりも、組織内改革を目指す官僚たちが、遅々として進まないどころか、後退しているようにもに見える公務員制度改革について議論するのは、非常に重要なことです。

でも田母神発言というのは、その内容や彼の職責からして、超えてはいけない一線を超えていたと思うのです。

官僚たちの最近の言動も明らかに分を超えているのではないかというものが増えてきました。出席した会合でも、
「民主党に政権を取らせてもいい。与党議員とのしがらみがリセットされて楽になるから。各省、すでに民主党担当チームをつくってご説明を繰り返している。民主党になっても派手な改革など無理です。われわれ、霞が関官僚に変わる人材などいない。政界再編にでもなれば、行政改革をやってる場合じゃないから、ますます僕らの出番です」

こんな発言が20代の若手から飛び出しましたが、宴席なだけに本音だったのでしょう。

また、最近の彼らの特徴としてブログでの発信があります。だいたいは〈匿名ブログ〉ですが、自分の身分を明かした上で、堂々と意見を主張し始めているものも目立ってきました。

総理の腹心である首相秘書官からしてそうです。「岡本総理」、「麻生暴走列車の車掌」とも揶揄される岡本全勝総理秘書官は〈岡本全勝のページ http://homepage3.nifty.com/zenshow/〉で、地方行政などに対して持論を展開しています。ちなみに、首相秘書官はそれまで、財務、外務、経済産業、警察各省庁の4人体制でしたが、麻生総理の鶴のひと声で、総務省(旧自治)出身の岡本氏の起用が決定したことは、かなり話題になりました。

すこし前ですが、文科省では、前川喜平大臣官房審議官(初等教育局担当)が、小泉元首相の三位一体改革に徹底的に反対して〈奇兵隊、前へ!〉というブログを作成し、省内に隊員を集い、義務教育費削減に異を唱えました。

前川審議官は霞が関では、現銭谷文部科学次官の〈特攻隊長〉とも呼ばれています。彼の行動には、これまた内容の是非はさておき、非常に危ういものを感じました。

麻生政権の15兆円の経済危機対策もそうですが、官僚たちは弱体化などしておらず、復権を進めている気がしてならない。各省、ここぞとばかりに、自分たちに都合のよい予算をつけていることからもうかがえます。

少なくとも、前の世代の官僚には、黒衣に徹して「官僚政治」を行うという「矜持」があったはずです。以前よりもさらに厚顔無恥な官僚政治が始まっているのではないかと危惧します。

2009年5月 2日

「諸君!」休刊に思う

気持ちのいいお天気ですね。

ようやくきょうから本格的なお休みという方も多いのではないでしょうか。

わたしは、次に出版する予定の本の原稿をこのゴールデンウィークですこしでも書き進めようと頑張っています。

そんな中、「諸君!」の最終号が届きました。「論座」、「月刊現代」につづき、とうとう「諸君!」までもが休刊に追い込まれました。巷では雑誌ジャーナリズムの危機が叫ばれてはいますが、こうして手にとってみると、改めて胸にせまるものがあります。

昔からわたしは、オピニオン誌と呼ばれる月刊誌が好きでした。初めて署名記事を載せていただいたのは「論座」です。「月刊現代」で育てていただき、ここ1~2年は、主に「諸君!」で書いていました。

「月刊現代」から「諸君!」に仕事の主舞台を移したのにはいろいろな理由があって、ありていに言うと、編集者と揉めて「月刊現代」で「霞が関人事興信録」という連載を続けられなくなったからです。

「月刊現代」を去り、難民状態だったわたしに書く場を与えてくれたのが、「諸君!」
の内田博人編集長だったのでした。

霞が関人事興信録・防衛省編である「昇格一年 防衛省は「三級官庁からの脱却を果たしたか」」という記事が掲載されたのは、2007年12月号の「諸君!」でした。同号では、「帰ってきた防衛大臣、吼える」というタイトルで、石破茂現農水大臣にもインタビューしています。

振り返ると、3誌の中では一番、書き手を自由に泳がせてくれる媒体でした。最後、八ヶ月間で4本も記事を担当してくれた編集M君のことは、取材であちこち引きずり回しただけでなく、無駄玉ばかり打たせてしまいました。こころの底から申し訳ないです。でも、労を惜しまずバックアップしてくれたからこそ、できた取材がたくさんありました。ライターは、信頼できる編集者に支えられてはじめて、取材に没頭できるのだと知りました。

そんなことを思いながらページをめくり、決意しました。

次の書籍の原稿がひとだんらくしたら、雑誌への寄稿(とくに週刊誌)を再始動させます。

ここ1年ほど、すこし疲れを感じていたこともあり週刊誌のお仕事は完全にさぼっていました。月刊誌に書き始める前、わたしの仕事の中心は週刊誌でした。

新聞やテレビが報じることのできない題材を扱い、スクープを書くことが、フリーランスの雑誌記者を職業に選んだ人間の本懐だったはずです。

皮肉にも、「諸君!」の最終号で思い出しました。


下記は、「月刊現代」の休刊に合わせて書いたブログ記事です。


「月刊現代」休刊とジャーナリズムの未来を考えるシンポジウム3月30日午後6時15分から、東京都千代田区の内幸町ホールで、「『月刊現代』休刊とジャーナリズムの未来を考えるシンポジウム」がひらかれるそうです。

詳細は、下記記事などでどうぞー♪
月刊現代休刊に執筆陣が冊子やシンポ

MSN産経ニュース


ご案内をいただいてから、いろいろ逡巡することもあり、わたしは早くから行かないことに決めていました。

とはいえ個人的にはいろいろ感慨深く、まあセレモニーではよい話だけするものだという伝統(?)にのっとり、きょうは「月刊現代」での思い出をすこし振り返ろうと思います。

はじめて「月刊現代」でお仕事をしたのはいつだっけと本棚を探してみると・・・

なんと2003年の12月号。6年近くも前!!!

わたしもとうが立ってくるはずです。

「官僚OB 新人候補者座談会 霞が関を捨て、永田町を襲う理由」


・・という座談会の司会とライターをしたのでした。

「月刊現代」と「月刊文藝春秋」で書くのは、ライターになった以上は憧れだったので、とても嬉しかったのを覚えています。

編集者は、当時名物コラムだった「肇の一歩」を書いていた青木肇さん。

わたしは、学生時代からこの世界に入ったため、年齢はそれほどではありませんが(女としてはかなり終わっている)、ずいぶんたくさんの編集者にお会いさせていただきました。

それでも「好きな編集者を3人あげて」と言われたら、一番に挙がるのが青木さんです(あとのふたりは内緒)。

その当時は、政治系の記事はまったく書いておらず、女性のトレンドとかキャリアを書いていました。

この分野は女性ライターが多いので、競争が激しくて、いろんな意味であんまり大事にもしてもらえなかったけど、いまより純粋に楽しかったというか、笑顔は多かったかもしれない!!

ただ、キャリア的には行き詰まりを感じていたことも事実で、そういうわたしに

「よこたさんは、あまり興味がないかもしれないけど・・・」

と霞が関の取材を始めさせたのは青木さんだったのでした。 

それをきっかけに、永田町のミニスカ秘書やテカガミストと呼ばれた植草一秀さんの手記やインタビューの仕事に続いていくのですが、それこそ取材のいろはや原稿の書き方、まとめ方から教えてもらいました。

それまで野放し状態の新聞社系の仕事ばかりしていたので、編集の方と本格的に一緒に記事をつくるのは、とても新鮮な作業でした。

アポなしの取材などでは、電柱の後ろに隠れて、ひと(わたし)に呼び鈴を押させる青木さんでしたが、インタビューや原稿を確認する段階になると、二重人格を疑うほど鬼(迷、いや名)編集者に変わるのでした。

月刊現代が、無名のライターを発掘して、育てあげようという意欲を持った数少ない媒体であったことは間違いないでしょう。そういう意味で、いまのわたしの仕事の原点は月刊現代にあります。


昨年から、ずいぶん雑誌の休刊が相次ぎました。わたしも、たくさんクライアントを失いました。フリーランス記者の廃業は増加の一途をたどっています。

でも、それも時代の流れ。時代とシンクロする仕事である以上、仕方のないことです。力ない者、時流を見誤った者は淘汰されるのが宿命です。

ノンフィクションは儲からないし、仕事の9割以上は嫌なことだし、人から嫌われるし恨まれるし、硬派なネタになればなるほど縁遠くもなります(と、最後は余計ですね)。

だけどそうした中で、ほんのすこしでも、ほんの一瞬でもやり甲斐を見つることができたら、自分の記事が大局的には国家のためになっていると思うことができれば(やや大げさでしょうか)、中毒になるはず。

そういうお仕事をさせていただいた、最初の媒体ではなかったかといま思います。〈2009年3月19日 ペコちゃん日記より〉

Profile

横田由美子(よこた・ゆみこ )

-----<経歴>-----

埼玉県出身。
96年、青山学院大学卒。在学中より、ライター活動を本格化。
以後、フリーランスを貫く。
新聞、雑誌で主に、女性、官僚、政治をテーマに記事を執筆。
趣味はクラシックバレエとワイン。

-----<連載>-----

朝日新聞be「読み解く」

日刊現代「霞が関の掟」(毎週木曜)

-----<出演>-----

『ザ・インタビュー』
(BS11)
アシスタント・キャスター

『ニュースの深層』
(朝日ニュースター)
サブ・キャスター/月・水・金担当

BookMarks

ペコちゃん日記
http://blog.livedoor.jp/yumikoyokota/

-----<著書>-----


『官僚村生活白書』
2010年6月、新潮社


『ヒラリーをさがせ!』
2008年1月、文藝春秋


『私が愛した官僚たち』
2007年2月、講談社




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