週刊新潮は死んだ(爆)
(この話題、しつこくてすみません。でも、他人事でないもんで…)
1987年5月に起きた朝日新聞「阪神支局」襲撃事件の「実行犯」による、「実名告白手記」と称する「週刊新潮」の4回に渡る連載が先週終了しました。
事件の被害当事者である朝日新聞社は連載終了まで静観していましたが、2月23日付の朝刊紙面で、「週刊新潮『本社襲撃犯』手記 『真実性なし』と判断」という検証記事を掲載しました。
今週発売の「週刊朝日」も、「検証 週刊新潮『朝日新聞襲撃犯』手記これだけの矛盾」という特集記事を載せています。
結論からいうと、「週刊新潮」の記事はガセでした。
4回の連載で実行犯を名乗る島村征憲(まさのり)氏(65歳)が、真犯人だと断定できる根拠は結局、最後まで示されませんでした。
犯行に至る経緯や当日の模様は、まるで物語のように詳しいのですが、肝心な部分が書かれていない。
真犯人のみが知り得る“秘密の暴露”も期待された物証も出ませんでした。
それどころか、手記はつじつまの合わないことや矛盾だらけでした。
同24日付の朝日新聞には、島村氏に「襲撃を指示」したとされるアメリカ大使館の元職員が、新潮社を訪れ抗議したという記事が出ています。
この記事によると、元職員は島村に3万円貸したことはあるが、「週刊新潮」の記事はデタラメだと言っているそうです。
ああ、ついにこんなことまで……。
さらに驚いたのが同日付の読売新聞です。
島村氏が詐欺で警察に逮捕されたとき、「俺があの事件の犯人だ」と言って、95年に東京・八王子のスーパー「ナンペイ」で起きた、女子高校生ら3人が射殺された事件の「真犯人」を名乗ったそうです。
要は、島村氏は虚言癖のある詐欺師なのです。
朝日新聞の116号事件取材班は、「週刊新潮」の記事を「虚報」だと断じ、「『いい加減にしてほしい』と怒りがこみ上げてきた」と憤りを隠しませんでした。
仲間を殺されているのですから、当然です。
ぼくは正直いって、悲しみで一杯になりました。
なぜならこれは、「週刊新潮」のみならず、週刊誌ジャーナリズム全体の死を意味することに等しいからです。
「週刊新潮」といえば、創刊半世紀を越える老舗の名門週刊誌です。
古さでは「週刊朝日」も負けていませんが、その独特の筆致や物の見方は長く週刊誌記者のお手本とされてきました。
ぼくも駆け出しの頃から「週刊新潮」を読み、今日まで目標にしてきた週刊誌です。
過去、世の中を揺るがしたスクープは数知れません。
その「週刊新潮」がなぜ、あんな記事を載せてしまったのでしょうか。
週刊誌に限らず、マスコミの現場には毎日たくさんのタレコミが寄せられます。
その中には、未解決事件の犯人に関する情報や、「実は私が犯人だ」と名乗る者、あるいは、警察が捕まえた容疑者とは別の真犯人がいるといった類のものが少なくありません。
いずれも、「もし、それが本当ならば」大スクープにつながるような話です。
しかし、残念ながら、それらの九分九厘はウソなのです。
それでも週刊誌記者の悲しい性(さが)で放置はできない。
どんなウソくさい話でも、一度は会って話をして信ぴょう性があるかどうか、徒労とわかっていても裏取りをしようとするものです。
そんな無駄な作業はこの業界にいれば誰もが山のように経験しています。
ぼくもガセネタを追って北海道から九州まで奔走させられたことがあります。
あやうく騙されそうになったのも一度や二度ではありません。
ガセネタ告発者の目的はお金目当てだったり、単なる愉快犯だったり、心の病だったりいろいろです。
虚言癖のある人に限って、新聞や雑誌の記事をよく読み込んでいて、話にディテールがあり、自信満々に話すので、慣れるまではなかなか見抜けないという面もあります。
しかし、島村氏のウソはいずれも簡単に見抜けるものばかりでした。
現に、島村氏は小学館の「SAPIO」編集部にも同じような手紙が送りつけているそうですが、「SAPIO」編集部はまったく相手にしなかったようです。
今回も「週刊朝日」の記者がたった数日、北海道に出張しただけで、いくつも矛盾が明らかになりました。それどころか、編集部から何人かに電話するだけで、島村氏の証言への疑問が沸いてくるのです。
週刊新潮は1年間も彼のウソが見抜けなかったのか?
今月発売の「新潮45」には、「週刊新潮」取材班の署名で、「白日の下に曝された朝日新聞襲撃事件 20余年の沈黙を破った実行犯の手紙と犯行ノート全公開!」という取材過程を書いた記事が掲載されていますが、それを読んでも、「そこまで取材をしたのなら島村氏の証言を真実だと信じても仕方がなかった」と思えるような説得力はなかった、というのが正直な感想です。
考えられることは、「週刊新潮」の取材力がそこまで落ちてしまったか、あるいは、島村氏の証言がウソだと知っていながら掲載したかのどちらかしかありません。
そんなことはあり得ないと信じたいところですが、もし、後者だとしたら、とても悲しい。
これは「週刊新潮」だけの問題ではありません。
「だから、週刊誌はダメなんだ……」まじめな話、ぼくは週刊誌の歴史は、この言葉に対する抗いの歴史だったと思っています。
「そんなことはない」
業界の先輩たちは、「週刊誌はだから、ダメなんだ……」という物言いと常に戦ってきました。
そうして、新聞やテレビでは入り込めない領域で数々のスクープをものにし、読者の信頼を勝ち得てきた。
それを引き継いで、たまたまいまの時代、週刊誌を担っているのが、ぼくたちだ、というに過ぎないのです。
新聞ジャーナリズムに対して、もっとも果敢に戦い、成果をあげてきたのが、週刊新潮ではなかったのか。
それまで新聞社にしか発行できなかった週刊誌市場に、出版社として初めて斬りこみ、
いつしか新聞社発行の週刊誌を抜きさったのが、週刊新潮ではなかったのか。
部数においても、内容においても。
でも、これじゃあまた、「だから、週刊誌はダメなんだ…」に逆戻りです。
ぼくは、それが悔しくて仕方ありません。
まあ、しかし出てしまったものはしょうがないですね。
同じ週刊誌で禄を食む者として、今は、なんとか週刊誌の信頼回復に努めるしかないと思うばかりです。
(追伸)しつこくてすみません。
今週発売の週刊新潮に朝日新聞の検証記事に対する「反駁」が出ています。
これがまた、ヒドイものです。
朝日の検証記事の問題点をあげつらい、「まず結論ありき」のヤツ当たりに近い、としています。
はっきり言って、朝日の検証記事なんてどうでもいいのです。
重要なのは、島村証言が真実かどうかです。
その「挙証責任」は週刊新潮側にあります。
万一、朝日の検証記事にミスや思いこみがあっても、それが島村証言が真実だということにはなりません。
島村氏が襲撃の指示を受けたという「佐山」の証言に対する見解はどうなのか。
週刊朝日が指摘した、時系列が会わない件についてはどうなのか。
八王子スーパーの事件の真犯人だという島村氏の証言を、どうして真実と信ずるに至ったのか。
来週号であらためて読ませてもらいたいものです。

