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2011年1月 4日

2011年日本外交に残された道

21世紀最初の10年があっという間に過ぎていった。本来であれば、日本は90年代のバブル崩壊後の「失われた10年」を取り戻すべく、2000年代初頭は、新たな経済成長期を迎えるはずだった。しかし、気がついてみれば、日本経済回復のシナリオは大きく外れ、財政も当初は2011年にプライマリーバランス(基礎的財政収支)が黒字に転換する予定だったが、赤字幅は削減どころか、さらに拡大した。もはや「経済大国」という言葉は死語になり、2010年は日本経済が世界第2位から40年振りに転落した歴史的な転換点となった。20年後の日本は中国の4分の1程度になるという。

この流れから読み取れるのは、バブル崩壊後の10年は単なる「失われた10年」ではなく、日本の長期的停滞の序章であり、小手先の改革ではこの流れを食い止めることはできない時代に入ったと捉えるべきであった。そして今もなお、その流れは一層強くなりつつあり、大津波が沖合の見えるところまで押し寄せてきているのである。手をこまねいて何もしなければ、津波に飲み込まれるしかない。

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2010年3月10日

「核密約」調査は大きな一歩前進だが

この度の外務省による日米密約に関する調査報告は、遅かりしという印象は拭えないが、政権交代がなければ果たしえなかった。そして「公然の秘密」となっていた密約の実態を相当程度明らかにし、今後の外交文書の記録や公開のあり方等、いくつかの点で教訓を導き出したことは大いに評価できる。しかし一方で、日米安保の意義、非核三原則と核の傘との関係等、今後の我が国の安全保障を考える上で、自民党政権時とは違う健全な安保議論に結びつけようとする踏み込みは無く、引き続き根源的な課題を残すことになった。

今回の調査は、政権交代による効用の評価として、密約の検証自体を実施したことに加え、「いわゆる『密約』問題に関する有識者委員会報告書(以降、報告書)」の内容において、明白な公文書が無くても「広義の密約」という概念を持ち込み、暗黙の了解や合意があれば密約は存在すると規定したことである。これまでの政権であれば、有識者の第三者委員会とは言え、政治的圧力により日米で合意した公文書が日本で発見されない限り「密約」とは認定しなかったのではないかと思われる。「報告書」の冒頭で、座長である北岡伸一氏は、「決定的な証拠がなくても歴史研究者として確実に推定できることについては、踏み込んで判断を行うべきだと考えた」と記している。歴史を解釈する上で、このような考えに基づき、報告書を取りまとめた北岡氏のリーダーシップに心より敬意を表したい。ちなみにこの「報告書」そのものが戦後の日米外交史を知る上で貴重な資料と言えよう。

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2010年1月14日

日米安保改定50周年(2)-条約名は「世紀の誤訳」か

通称「安全保障条約」は、いわゆる「安全保障」と共に、「相互協力(世界の平和と繁栄を希求した日米の経済協力等)」が大きな柱になっていることはほとんど知られていない。その遠因は、条約の日本語名にもあると思っている。「安全保障条約」の日本語公式名称は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」。しかし英語の公式名称は、"Treaty of Mutual Cooperation and Security Between Japan and The United States of America"なのである。 この日本語と英語の名称に、大きなニュアンスの違いがあるのはおわかりだろうか。つまり英語での条約(Treaty)は、「相互協力」と「安全保障」の双方に掛っているが、日本語は「安全保障」のみであり、条約としては「安全保障」のみをカバーする印象を与えている。協議の過程で最初に英語での名称・条文を確定したと思われるが、その後の英訳による日本語名は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障にかかる条約」と訳すのが自然であった。(注:英語及び日本語の条約文書が共に正文で署名)

つまりこの日本語訳により、条約の一方の柱である「相互協力」が重要視されず、「安全保障(日本防衛)」のみが必要以上に強調される結果になりはしなかったか。政治的な重要性は後者の「安全保障」にあったにせよ、「相互協力」も大切な柱であった。この名称により、「相互協力」は条約に付随する確認文書的なものにすぎないような印象を与えたことは否めない。やはり名称は条約の全体像を表すべきものであって、この日本語訳は「世紀の誤訳」ではないかと思っている。

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2010年1月 9日

日米安保改定50周年(その1)、新たな日米関係を築く節目に

日米同盟の根幹となっている日米安全保障条約が1960年1月19日に締結されて50周年を迎える。当然のことながら、日米政府は2010年を日米関係強化に向けた節目の年にしたいと思っているが、普天間基地移設問題をはじめ鳩山政権の一連の言動に米国が不信感を抱き、日米の政府間に大きな溝が生じている。

しかし今の日米関係の現状は、鳩山政権だけに責任を押し付けるのではなく、これは政権交代による民意の現れであり、日米安保が抱える積年の構造的な国内問題が噴き出した形として捉えるべきである(勿論米側にも問題はあるが)。従って問われているのは、国民一人ひとりなのである。この問題が生じたお蔭で、日本国民は今後の安全保障政策や日米関係を初めて本気で考える絶好の機会が与えられ、長期的に見れば日米両国にとってはプラスであると捉えたい。

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2009年12月16日

外国人参政権で考えるべき視点と日本

民主党小沢幹事長は、訪れていた韓国での講演において、永住外国人の地方参政権を認める法案を次期国会に提出すべきと発言し、早速一部のメディア等で反対の声があがった。改めてこの政策が日本人のアイデンティティに絡む根深い問題であることを感じざるを得ない。しかしそもそも、民主党の幹事長が法案を提出すべきであると発言することは、政策決定の一元化を目指す党の方針に反することであり、韓国に対しても約束するかのような印象を与えたことは、二国間の外交関係にも影響を与えかねない懸念すべき点である。

この課題は政権与党内でも、国民の間でも意見が分かれており、地方だけではなく、国政にも影響を与えかねない重要な問題として捉えられている。まずは国民的な議論を経て、十分なコンセンサスを得ることが重要であろう。小沢幹事長の立場で言えば、外国人参政権の付与は党の基本政策(マニフェストには含まれず)に列挙されており、その実現を目指すことは理解できない訳ではない。また民主党の国会議員は、この党の基本政策に賛同して(実際に署名する)議員になった事実もあり、そのことも十分踏まえるべきである。しかし小沢幹事長の発言で懸念することだが、法案に党議拘束をかけ、力尽くで成立させるような行動は絶対に避けるべきである。国民と共に、与党内で慎重に議論を尽くすことが、民主党が目指す国民の視点に立った政治に適うことである。

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2009年10月21日

普天間基地問題に決断を下すべき時が来た

ゲーツ米国防長官が来日し、11月のオバマ大統領来日を控え、沖縄の米軍普天間基地の移設問題がヤマ場にさしかかっている。結論から言えば、苦渋の決断ではあるが、民主党は日米政府間で合意したキャンプ・シュワブ沿岸部移設計画を沖縄県知事が容認する沖合への移動(50メートル程度)の微調整で早急に決着を図るべきである。その理由をいくつかの観点で述べてみたい。

第一に普天間基地移設問題は、沖縄における米軍基地負担軽減の一環であり、何といっても基地の安全性への対処が根本にある。1996年の「沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会」での最終報告、いわゆるSACO合意から13年の年月が経ち、その後も様々な角度から日米の間で検討が加えられ、2005年に合意した「再編実施のためのロードマップ」でも、普天間基地の移設は最大の柱となっている。2004年の沖縄国際大学のヘリコプター墜落事故は記憶に新しいが、今もなお危険な状態が続いているのである。ここは一日でも早く、普天間基地を移設することが先決であり、キャンプ・シュワブも完璧ではないが、代替策がない以上、さらに先延ばしするのではなく、皆が何とか受け入れられる案で進めるべきである。もし微調整の範囲を超える形での変更を主張するのであれば、他の基地の整理・返還まで白紙に戻る可能性が高い。

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2009年9月14日

鳩山民主党の自主外交とは

 民主党の外交理念は、1996年の結党以来、色々言葉は変わっても、底流にあるのは「自主外交の確立」である。今回の総選挙でのマニフェストでは、その一番の特徴が「緊密で対等な日米関係を築く」に現われており、その関連の政策として「日米地位協定」及び「在日米軍のあり方」の見直しが提起された。
 
 鳩山由紀夫氏の政治の原点は、祖父である鳩山一郎氏に見ることができる。一郎氏は、由紀夫氏の政治哲学に大きな影響を与えた「友愛革命」を提唱し、外政では「自主外交」を目指した。歴史は繰り返すのか、興味深い事実は60年程前に遡ることができる。戦後まもなく日本自由党を結成した鳩山一郎氏は、総選挙で第一党を勝ち得ながら、「公職追放」で総理になれなかった。しかしその後政界に復帰し、1954年11月、日本民主党を結成した。そして当時、麻生太郎氏の祖父であり、「対米協調外交」を歩んでいた自由党の吉田茂総理を退陣に追い込み、総理の座を手に入れた。まさに今回の総選挙同様に、鳩山ブームを巻き起こしたのである。その鳩山一郎首相は、米国中心の外交から転換し、1956年、懸案であった日ソ国交回復を実現し、その直後に日本の国連加盟を果たした。

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Profile

若林秀樹(わかばやし・ひでき)

-----<経歴>-----

1954年東京生れ。
1976年早稲田大学商学部卒業。
1979年ミシガン州立大学院農学部修士課程終了。
現在、08年3月からワシントンにある政策シンクタンク、CSIS(戦略国際問題研究所)の客員研究員。
80年からヤマハ(株)勤務、労組役員を経て93年からワシントンの日本大使館1等書記官として政府開発援助(ODA)と日米協力を担当し米国際開発庁(USAID)から表彰を受ける。帰国後は電機総研副所長を務め、01年に民主党比例区で参議院議員に初当選。在職中は「次の内閣」経済産業大臣・財務副大臣、国際局副局長を歴任。さらにイラク、シリア、イラン等を訪問し安全保障、復興支援、核問題等幅広く国際問題に取り組む。08年はCSIS(戦略国際問題研究所)客員研究員として活動し、09年1月より非常勤客員研究員。現在、(財)日本国際フォーラム常勤参与・主任研究員。

BookMarks

-----<著書>-----


『希望立国、ニッポン15の突破口』
2006年9月、日本評論社



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