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2010年3月23日

大統領生命を掛けた医療保険改革に一応の決着

米下院は21日夜、上院で可決し若干の修正を加えた「医療保険改革法案」を賛成219、反対212の賛成多数で可決、今週開催される上院での投票(Reconciliationを呼ばれる調停プロセス)を経て成立する見込みとなった。この医療制度改革は、米国政治100年の課題であり、1965年のメディケア(高齢者向け公的保険)及びメディケイド(低所得者向け公的保険)以来の大きな保険制度改革となる。しかし社会保障の根幹である医療制度の重要な政策決定に野党議員のみならず、民主党議員34名が反対に回った。念願の国民皆保険に近い制度改革という評価はできるものの、多くの人に祝福された新制度の誕生とはならず、国民の間にも亀裂を残すことになった。

若干、これまでの経過を振り返ってみよう。医療保険制度改革は、オバマ氏にとって大統領就任当初からの最重要内政課題であり、支持率が下がり続け中間選挙を控えたオバマ政権にとって、1年間も議論が続いているこの課題に対して何としてでも決着を付ける必要があった。しかし支持率が下がったのも、この医療保険制度改革が原因の一つなのである。そしてこの制度改革の行方に決定的な打撃を与えたのは、1月19日、民主党の牙城だったマサチューセッツ州の上院議員選挙で、この医療保険制度改革に反対した共和党候補者が当初の予想を覆して勝利したことであった。この時は、誰もが中間選挙前に医療保険制度改革の成立は難しいと考えた。そして直前の世論調査でも、この制度改革に対して「賛成」の36%よりも「反対」が48%と明らかに高く、国民からも嫌われていた法案だったのである。

普通であれば、ここはリスクを避け、一旦退いてこの法案の決着を先延ばしにすることも十分考えられた。しかしオバマ氏は、この問題に決着をつけられないような政権であれば、逆にこの中間選挙でボロ負けすると考えたのであった。ここが政治家としての勘所である。そして見過ごせないのが、この逆風を全く気にせず、下院では不人気の「上院案」を下院議員に飲み込ませたペローシ下院議長の手腕であった。もちろん中間選挙を控えた民主党議員も危機感を募らせ、マサチューセッツ州での敗北がむしろ議員間の結束をもたらしたことが背景にあったことは事実であるが。

これが日本であれば、どうだったであろう。米の「医療制度改革」のように、世論調査上は「子供手当て」が明らかに不人気であったとしたら、支持率が下がった鳩山政権が起死回生をかけて法案を強引に通したであろうか。ポイントは、世論調査という天の声をどう捉えるかである。確かに「法案反対」という世論調査結果は謙虚に受け止める必要はあるのだが、世論とは常に変動するものであり、選挙までの時間軸の中でそれに振り回されてはならないという考え方がある。まさにオバマ大統領はこの医療制度改革が米国民のためになるという信念を貫き通し、国民はその先頭に立って戦うオバマ氏のリーダーシップを高く評価するのがアメリカの政治文化なのかもしれない。むしろ今後の米世論は、一旦は不人気であった法案の成立を歓迎し、オバマ大統領への支持率は上がるかもしれない(事実、アフガニスタンへの米軍増派がそうであった)。オバマ氏は日頃から、本心かどうかは別として、「人気取りの政策はしない、国民のためになる政策を実施する。それが原因で一期だけの大統領になっても構わない」という趣旨の発言をしている。

また日本人にとって一番理解できないのは、先進国では常識である国民皆保険を経済大国のアメリカでは何故導入できなかったのかということである。米では国民の2割近く、4600万人とも言われる保険未加入者が放置されている。皮肉にもこれまでの医療保険制度の結果として、逆に保険未加入者は中間層の2割しかなく、8割の人にとって負担増となりかねない国民皆保険への政治的圧力は弱くなったという側面は否めない。しかし最大の理由は、アメリカでは伝統的に政府の関与を嫌う価値観が強く、医療保険は、他の先進国のように、すべての国民に適用されるべき社会保障制度、セーフティネットとして見なされていないことである(少なくともその度合いが低い)。つまり自らの健康維持は自らの責任において行うべきものであり、市場経済の一部である医療では、高額所得者が高度な治療を受ける権利があるのは当然であるという考え方である。しかしそのことで高度医療が進み、米国の医療費を押し上げている要因になっており、さらには高額医療が保険料の高騰を招いて保険未加入者の比率を高めている悪循環にもなっているのである。

いずれにせよ、今回の医療保険改革は大きな前進ではあるが、中身は妥協の産物であり、現行制度の拡充という見方もある。これで本当に国民の95%が医療保険でカバーされ、財政の負担も減るのか、全くの未知数である。ましてや、これでオバマ政権の政治的危機が遠ざかったというのは、もっと不確かなことかもしれない。オバマにとって、今後の最大の課題は経済回復と失業率の改善であり、茨の道は続く。

2010年3月10日

「核密約」調査は大きな一歩前進だが

この度の外務省による日米密約に関する調査報告は、遅かりしという印象は拭えないが、政権交代がなければ果たしえなかった。そして「公然の秘密」となっていた密約の実態を相当程度明らかにし、今後の外交文書の記録や公開のあり方等、いくつかの点で教訓を導き出したことは大いに評価できる。しかし一方で、日米安保の意義、非核三原則と核の傘との関係等、今後の我が国の安全保障を考える上で、自民党政権時とは違う健全な安保議論に結びつけようとする踏み込みは無く、引き続き根源的な課題を残すことになった。

今回の調査は、政権交代による効用の評価として、密約の検証自体を実施したことに加え、「いわゆる『密約』問題に関する有識者委員会報告書(以降、報告書)」の内容において、明白な公文書が無くても「広義の密約」という概念を持ち込み、暗黙の了解や合意があれば密約は存在すると規定したことである。これまでの政権であれば、有識者の第三者委員会とは言え、政治的圧力により日米で合意した公文書が日本で発見されない限り「密約」とは認定しなかったのではないかと思われる。「報告書」の冒頭で、座長である北岡伸一氏は、「決定的な証拠がなくても歴史研究者として確実に推定できることについては、踏み込んで判断を行うべきだと考えた」と記している。歴史を解釈する上で、このような考えに基づき、報告書を取りまとめた北岡氏のリーダーシップに心より敬意を表したい。ちなみにこの「報告書」そのものが戦後の日米外交史を知る上で貴重な資料と言えよう。

その報告書の中で、1点だけ腑に落ちないのは、佐藤首相とニクソン大統領が署名した沖縄への核持ち込みに関する「合意議事録」の扱いである。「報告書」では、佐藤家で発見されたが、後継内閣には引き継がれておらず、効力はないので「密約」には当たらないとしている。しかし仮に外務省が関与せず、それを裏付ける資料がなくとも、その文書は両国首脳が署名した「国際法上での合意(栗山元外務次官)」であり、一時的にせよ両国を拘束する密約であったことは事実である。そして仮に引継がれなかったら、「合意事項」は失効するのであろうかという疑問がわいてくる。もしアメリカ側で引継がれていたら、効力は継続したのであろうか(現に米側は継続していると思っているかもしれない)。少なくとも「国際上の合意」が文書の保管場所や引継ぎの有無で反故にされていいとは思えない。

外交や安全保障の性格を考えれば、時の政権の責任において「密約」の存在は不可避である。しからば、いつ、どのような形で国民に密約の存在を明らかにすべきか課題となる。そしてその際に、本当にその密約の存在が日本の国益や安全保障にかなったのかどうか検証されねばならない。我々はその歴史的検証から教訓を引き出し、それを未来に生かしていくしかないのである。

密約を結んだ背景には、日本国民の強い反核感情があり、時の政権の苦悩があったことは事実である。アメリカ側の核政策、特に核兵器の配備を肯定も否定もしない「NCND政策」と、日本側の「核の抑止」に対する期待や「非核三原則」とを両立させるには、ある意味で「曖昧さ」を保つことが必要であった。しかし冷戦が終結、91年には米軍艦船から戦術核の撤去宣言があり、アメリカでその密約の存在を裏付ける公文書が公開された後も、政府は国民に嘘を言い続けた。しかしほとんどの国民は、政府の発言を信じなかった。むしろ国民の方が現実的な国際政治に敏感であり、日本に核は存在したとしてもおかしくないと思っていたのである。少なくとも政府は、アメリカで文書が公開された後、その核密約の存在を認め、何故、それが必要であったかを国民に説明するべきであった。そこから国民は学んでいくのである。野党の追及や国民の一時的な不支持を恐れた自民党政権や官僚の保身としか思えない。

今回の密約調査は大きな一歩である。しかし、この調査結果を将来の日本の安全保障にどう結びつけ、どのような日米同盟にしていくのか、全く議論がなかったのは残念である。鳩山首相や岡田大臣は、日米関係に影響を与えないように配慮し、国民に対しては「非核三原則」の堅持を述べるだけであった。これでは日本の安全保障に進歩はない。

「真の非核三原則」とは、核の傘には入らないことを意味するものである。しかし日本の安全保障の為には、当面の間にせよ「核の傘」が必要であると判断するのであれば、改めてそのことを明確にすべきであり、そのためにはどのような米国との取り決めが現実的なのか、健全な安全保障議論を行うべきではなかろうか。それによって、国民の合意の下で「非核三原則」も必要であれば変更すべきである。国内有権者向けには「非核三原則」でいい顔をしながら、一方で米国の「核の傘」を当てにする今の姿勢を続けるだけでは、米国の鳩山政権に対する不信感は増すだけである。岡田大臣も「アジア非核地帯」が理想ならば、オバマ大統領の「核兵器なき世界」のように、時間がかかっても、一歩でもそれに近づけるために、今回の調査報告をどう結びつけるのか、発言して欲しかった。

2010年3月 3日

リコール問題で露呈したトヨタが失ったもの

トヨタのリコール問題は、豊田章男社長が出席した下院での公聴会に続き、3月2日、上院でも開催され、大きな峠を越したものと思われる。ここで峠という意味は、政治家やアメリカ・メディアによるトヨタたたきであり、国民の関心の高さである。しかし、これで問題がスムースに解決する方向に向かうとは限らない。全米各地では損害賠償を求める訴訟が数多く起きている。連邦大陪審はトヨタに資料提出を求めるなど、司法当局も動き出した。連邦捜査局(FBI)は、直接的な関係はないとしながらも、公聴会の開催とあわせて、トヨタとも関係の深い日系自動車部品メーカーを反トラスト法違反の疑いで捜査を開始した。今後も対処の仕方を間違えると、この問題は思わぬ方向に行きかねない。

振り返れば、過去にも品質問題では、食品偽装や三菱自動車のリコール隠し等、企業存続の危機に至った事例は数多くあった。さすがに品質重視のトヨタは、取引先が泣くほど品質管理の厳しさには定評があり、このような問題の対極に位置する企業だと思っていた。しかし期待は見事に裏切られた。ここには、他社事例はあくまで他社のことであって、その教訓を自らの企業経営に生かせないという、企業の本質的課題が浮き彫りになった。

今回のリコール問題は、日本の経済発展を支えた製造業、しかもそのトップに君臨し続けた「超優良企業」トヨタに対する信頼低下のみならず、透明性の欠如等、もともと日本にあったマイナス面の印象を強めたことは否めない。このリコール問題を前後して、米国品質調査(09年JDパワー・アソシエイツ)の評価では、韓国の現代自動車がトヨタを上回り、確実にシェアを伸ばしている。電機産業でも、韓国のサムスン電子が日本の得意としていた半導体や薄型テレビ等の家電製品で日本企業を圧倒している状況だ。まさに日本の製造業の衰退を象徴するようなトヨタのリコール問題ではあったが、ピンチはチャンスであり、いずれトヨタが消費者の信頼を回復し、再度「世界の自動車レース」をリードすることを期待したい。

今回のような大きなリコール問題に発展した背景には、「意図的な日本たたき」とまでは言わないまでも、「政治的」な要因があったことは間違いない。ここで言う「政治的」とは、社会は常に様々な利益、思惑、関心を持った人々の活動の集大成であり、物事は常に政治的なのであるという意味においてである。その中で、今回の問題は極めて「政治的」な度合いが高かったと言える。

リコール問題の根本的な背景には、やはり長期的なアメリカ企業(特に製造業)の衰退と共に、現在の深刻な雇用問題を含む経済情勢が大きく影響している。アメリカ国民は、日頃の生活を通じて強い苛立ちを感じており、それが強すぎた日本企業、トヨタに対して、激しい批判として吹き出た形となった。

特に今年は中間選挙の年である。特にオバマ政権の支持率は下がっており、ラフード運輸長官を先頭にここぞとばかり、厳しくトヨタを批判した。また経済危機等への対応で米国連邦議会に対する国民の支持は過去最低になっていたところ、この消費者の安全に関わるリコール問題は、政治家にとって与野党が対立せず、格好の攻撃材料となった。まさに公聴会は、政治家が有権者の信頼を少しでも獲得すべく「政治ショー化」し、メディアはさらにそれを囃したてるように「劇場型」にした。

ここ20年の間に、ビッグスリーは凋落、トヨタは躍進する日系自動車企業の先頭を走り、更に世界のトップ自動車会社に踊りでた。しかし日系自動車企業の車がどんなに品質が良く、どんなに現地雇用を生み出しても、そのブランドはあくまで外国企業の域を出ていない。特に政治家にとっては、トヨタの生産拠点や関連部品メーカー等がないかぎり、トヨタは叩く対象にすぎない。裾野の広い自動車産業の中で、ビッグスリーに関わった人々の鬱積した反感は、アメリカの大地にマグマのごとく深く溜まっていたのである。また多くの国民の間には、認めざるを得ない品質の高い自動車であっても、日本企業への潜在的な不快感が潜んでいたとしても不思議ではない。

現にビッグスリーに携わった雇用者数は、1970年に327万人いたが、2008年には255万人と、72万人、22%減り、この間にアメリカの人口は52%、約1億人増えている。(Moody's Economy.com及びUS Census Bureau)。UAW(全米自動車労組)の組合員も、多い時には150万人いたが、現在は50万人に減少した。この間、ビッグスリーの社会・経済に与えるインパクトは相対的に小さくなり、それを日本企業が埋め合わせ、そのことを快く思っていない人が増加したことも事実である。

今回の騒動でも、問題を大きく政治化させる原動力になったのは、メディアと共に労働組合の存在だと言われている。特に民主党政権において労働組合の影響力は絶大である。トヨタに限ったことではないが、歴史的に日系企業は「デトロイト」を避け、労組の弱い南部へ現地生産拠点を展開した。結果としてトヨタは、UAWによる生産拠点組織化の阻止に成功し、それが現地経営成功の一因だとされていた。そして昨年は、唯一組織化されていたGMとの合弁会社、NUMMI(カリフォルニア州)の閉鎖を発表し、UAWの怒りを買った。

UAWは未だに50万人の組合員を擁し、その上部団体であるAFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産業別労働組合会議)等と共に、現政権に対して極めて大きな影響力を持っている。今回もUAWは、トヨタ車の不買運動をNUMMIの閉鎖とからめて展開し、一方でUAWが全米30州程度で応援している政治家にトヨタのリコール問題追求で圧力をかけたとも言われている。これまでトヨタの米国自動車産業や労組への対応は大きな問題にもならなかったが、日頃の反感がこのような時に吹き出たとも言える。

今回のリコール問題でトヨタは高い代償を払うこととなった。トヨタは、徹底的なコスト削減をはかり、生産では「カイゼン」、「ジュストインタイム」等、所謂トヨタ生産方式を生み出し、効率的な経営で「トヨタ銀行」と言われるほど財務体質の強い企業となった。しかしこの徹底したコスト削減、経営効率の優先により、欠陥情報を隠蔽しがちになり、品質管理が低下する等、失ったものも大きかった。そしてトヨタ躍進の影で、会社の閉鎖を余儀なくされ、仕事を失うなど、負の影響を受けた多くの人々の存在があり、今回の問題では、経済の悪化で苛立つアメリカ社会の気持ちの現われともなった。トヨタは、目先の効率だけでは推し測れない、人間の活動の集大成である社会を相手にしていることも忘れてはならない。今回のリコール問題を教訓に、消費者の信頼を取り戻し、「やはり、さすがにトヨタだ」と言われて欲しいものだ。再度、トヨタ経営の原点に立ち返って欲しい。

Profile

若林秀樹(わかばやし・ひでき)

-----<経歴>-----

1954年東京生れ。
1976年早稲田大学商学部卒業。
1979年ミシガン州立大学院農学部修士課程終了。
現在、08年3月からワシントンにある政策シンクタンク、CSIS(戦略国際問題研究所)の客員研究員。
80年からヤマハ(株)勤務、労組役員を経て93年からワシントンの日本大使館1等書記官として政府開発援助(ODA)と日米協力を担当し米国際開発庁(USAID)から表彰を受ける。帰国後は電機総研副所長を務め、01年に民主党比例区で参議院議員に初当選。在職中は「次の内閣」経済産業大臣・財務副大臣、国際局副局長を歴任。さらにイラク、シリア、イラン等を訪問し安全保障、復興支援、核問題等幅広く国際問題に取り組む。08年はCSIS(戦略国際問題研究所)客員研究員として活動し、09年1月より非常勤客員研究員。現在、(財)日本国際フォーラム常勤参与・主任研究員。

BookMarks

-----<著書>-----


『希望立国、ニッポン15の突破口』
2006年9月、日本評論社



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