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2010年1月27日

日米安保改定50周年(3)-日米同盟の矛盾に挑戦

1月19日、安保改定の署名から50年を迎え、日米両国は、外務・防衛担当の閣僚による「共同声明」を発表した。その声明には日米同盟を礼賛する美辞麗句が並んでいるが、いくら読み返しても、両国政府のこの声明に込める熱意が一向に伝わってこない。それだけ日米同盟は成熟した関係にあるという見方が出来ないわけではないが、やはり現下のぎくしゃくした関係が反映しており、その証拠に署名は日米首脳ではなく、関係閣僚に格下げになったような印象は否めない。

そもそも長く続いた一党支配から政権交代が起きれば、鳩山政権にならずとも摩擦が起きるのは当然である。今起きている問題は、もともと日米同盟が抱えている矛盾や疑問点が露出したのであり、そのほとんどが想定された範囲である。むしろ、これらの問題を解決して逆に日米同盟を強化することは可能である。問題は、その前提条件として、政府が関係改善への強い意思と実行能力を持っているかどうかだ。

日米同盟には、以下の3つの矛盾や問題点を抱えている。第一番目は、日米に限らず、同盟に対する依存度が高ければ高いほど、主権国家としての自主性を損ない、相手国に追随しがちになりやすいということである。日本の安全保障にとって日米同盟は、唯一と言ってもいい、最も重要なものであるが、アメリカにとってのそれは、自国の安全保障の一部にすぎない。ヨーロッパは、NATO(北大西洋条約機構)の印象が強いが、それに加え、欧州安全保障協力機構(OSCE)やEU内の欧州安全保障政策(ESDP)があり、それぞれの役割分担がある。その意味において、安全保障に関する対米依存度を下げようする鳩山政権の試みは意味がない訳ではない。問題は、しっかりとした時間軸に沿った青写真と実行力があるかどうかだ。仮にアジア諸国と良好な関係を築き、東アジア共同体構想を足掛かりにアジア版多国間安保機構を模索したい意向があるとしても、それは構想であって実現には20年、30年単位の時間がかかる。まずは政権党として現実の安全保障をいかに担保するかが求められている。沖縄の負担を軽減することは重要であるが、一方で現状の安全保障の要である日米同盟を危機にさらすようでは意味がない。

二番目は「核密約」等に関わる長年の矛盾点である。日本は、日米同盟によって、米国の世界戦略に巻き込まれる可能性を排除する仕組みは必要であるが、「核密約」の存在等により、鳩山政権は苦しい対応を迫られている。日本の意志に反したアメリカの行動を支援するか否かは、主権国家である日本の判断である。その点において、条約上は、「自国の憲法上の手続きにしたがって共通の危険に対処するように行動する」とあり、アメリカにとっても、自動的にアジアの戦争に巻き込まれないようにするための仕掛けがある。さらに「事前協議制度」により、米国は日本と協議しなければ、在日米軍を域外の戦闘作戦行動に参加させることはできない等の取り決めをしている(有名無実化しているが)。また問題になっている「非核三原則」も巻き込まれる不安を和らげるための措置であったが、「核密約」の存在がほぼ露呈し、過去の矛盾した対応が明らかになった。日本は「米国の核の傘」による抑止力で日本を守って欲しいという意志を持ちながら、非核三原則を掲げる安保政策の矛盾にどう折り合いをつけるのか。いつまでも、二つの顔を使い分けるには限界がある。

最後は、同盟を強化すればするほど、同盟が想定している敵国を刺激する側面である。当面想定される国は、中国と北朝鮮であるが、この点について日米同盟は、日本の軍事的台頭を抑えると共に、アジア・太平洋地域の平和維持にも寄与している役割がある。中国や韓国からも、日米同盟の亀裂を危惧する声すら聞こえてくる。鳩山政権は、日米同盟を強化しすぎて中国等を刺激したくない配慮があるのかもしれないが、日米関係が良くなければ、日中関係も良くならない。日本が中国に擦り寄れば、日本の安全保障が保たれると思うほど、国際関係は甘くないのである。

日米同盟は、もともと対等な関係にあり、法的にも主従関係ではない。しかし日本は自国の安全保障を主体的に考えず、実態として主従関係にならざるを得ない状況を放置してきたのである。日本が日米安保条約の廃棄を望むのであれば、米軍はすぐにでも撤退するであろう。問題はそのことを日本が望むかである。この安保改定50周年を契機に、日本の長期的な利益に照らし合わせ、どのような安保体制や国際関係の下で日本の国益や安全保障が保たれるのか、その原点に立ち返って考える機会にすべきである。鳩山首相の強いリーダーシップを求めたい。

2010年1月18日

ハイチ大地震に見る日米中の対応の違い

6千人以上が犠牲になった阪神大震災から1月17日で丸15年を迎えた。あの時の教訓はどこに生かされているのであろう。その4日前の13日の早朝、中央アメリカの島国、ハイチ共和国は大地震に見舞われ、現時点で死者は5万人から10万人に達すると言われている。常に繰り返される自然災害は、非力な人間に対して容赦なく襲いかかる。被害が甚大になるのは、いつもインフラ等が脆弱な途上国であり、その中でもより貧困な層が一番の犠牲者になる。西半球で最も貧しいと言われているハイチは、その典型的な例であると言えよう。亡くなられた人々のご冥福と共に、被災者、ご家族等に対して、心からのお見舞を申し上げたい。

アメリカにとってハイチは裏庭であり、今日までの歴史的な関わりや、国内にハイチ出身の移民を抱えていることから、オバマ政権は物心共に迅速且つ大規模な支援活動を行っている。2005年、ハリケーン・カトリーナがルイジアナ州を中心に襲い、当時のブッシュ政権はその対応の悪さで世論の批判を浴びた。それが今回の迅速な対応につながったとも報じられている。すでに、米軍だけで1万人規模の兵士が救援活動を行っており、それ以外の政府機関、NGO、民間企業、有名人等を含め、相当な規模の支援になろう。またクリントン、ブッシュ元両大統領も支援の前線に立ち活動している。そこには与党も野党もない。あるのは、アメリカ国民全体が立ち上がり、応援している姿である。


国連はもちろんであるが、各国も迅速に支援活動を開始した。地震国の日本としては、逸早く支援に乗り出すべきであったが、反応は極めて鈍く、初動も遅れた。国際緊急援助隊の出動が命じられたのは、丸1日半が経った14日午後、そして日本を出発したのは、地震発生後丸3日が経った16日の夜である。地震の被災者の救出には、発生後2日、48時間以内に救援活動を開始することが重要であり、遅くても3日72時間以内でないと生存者を救う可能性は極めて低くなる。恐らく現地に到着して活動を開始できたのは、丸4日以上経っていたことになろう。せっかくの援助隊の派遣も、初動の遅れが支援活動の有効性に大きく影響したことになる。

一方、どうしても比較してしまうのは、発生後33時間で現地に救助隊を到着させた中国との比較である。米国以外では「世界の中で一番に最初に到着した中国の救援隊」という紹介で、その映像が全米をカバーするTVネットワークで放映された(実際にはアイスランド等が早かったようだが、映ったが勝ち)。アメリカ人のみならず、この映像を観た世界中の人々の中国に対する印象は言うまでもない。中国にとっては、勿論、それなりの思惑がある。軍事・経済で影響力を持ち始めた中国は、人道分野でも世界に貢献する姿を広め、中国脅威論を多少なりとも弱めたいところである。また何よりも、台湾のみと外交関係を持っているハイチに対して恩を売り、後の外交関係の樹立につなげたい狙いがある。中国がハイチ国連平和維持活動(PKO、MINUSTAH)に警察官を派遣しているのは、その理由からでもある(残念ながら今回の地震で8名の中国人が命を落とされた)。本来、外交というのは、国益と国益のぶつかりあいであり、綺麗ごとだけではなく、中国のようなしたたかさも必要なのである。

日本はこれまでの経験を踏まえ、24時間以内で国際緊急援助隊チームを編成し、日本を飛び立てる力を持つまでになった。非軍事面での世界貢献を強調し、世界の人々の命を守り「友愛」を標榜する鳩山政権であればこそ、米国や世界に対してその政治思想をカタチに現すチャンスであった。反応が鈍く初動のタイミングが遅れた政治的判断ミスが悔やまれる。このような緊急時への対応で政権の真価が問われる。まだまだ頭に体がついていってない一例である。

医者であり、2002年に癌で亡くなられた今井澄参議院議員は、日本の国会議員としては極めて珍しく、1994年以来、短期間に2回ハイチを訪れ、その実情を私に話してくれたことがある。貧しいハイチを目の当たりにした故今井議員が、この地震の惨状と、日本の対応を知ったら、さぞかし嘆かれたことであろう。

2010年1月14日

日米安保改定50周年(2)-条約名は「世紀の誤訳」か

通称「安全保障条約」は、いわゆる「安全保障」と共に、「相互協力(世界の平和と繁栄を希求した日米の経済協力等)」が大きな柱になっていることはほとんど知られていない。その遠因は、条約の日本語名にもあると思っている。「安全保障条約」の日本語公式名称は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」。しかし英語の公式名称は、"Treaty of Mutual Cooperation and Security Between Japan and The United States of America"なのである。 この日本語と英語の名称に、大きなニュアンスの違いがあるのはおわかりだろうか。つまり英語での条約(Treaty)は、「相互協力」と「安全保障」の双方に掛っているが、日本語は「安全保障」のみであり、条約としては「安全保障」のみをカバーする印象を与えている。協議の過程で最初に英語での名称・条文を確定したと思われるが、その後の英訳による日本語名は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障にかかる条約」と訳すのが自然であった。(注:英語及び日本語の条約文書が共に正文で署名)

つまりこの日本語訳により、条約の一方の柱である「相互協力」が重要視されず、「安全保障(日本防衛)」のみが必要以上に強調される結果になりはしなかったか。政治的な重要性は後者の「安全保障」にあったにせよ、「相互協力」も大切な柱であった。この名称により、「相互協力」は条約に付随する確認文書的なものにすぎないような印象を与えたことは否めない。やはり名称は条約の全体像を表すべきものであって、この日本語訳は「世紀の誤訳」ではないかと思っている。

そして今、日米安保条約改定50周年を機に、この条約にある「相互協力」の部分に改めて光を当てることで、この条約が今日的な安全保障を取り巻く環境にも適合し、この「安全保障条約」が未だ輝きを失わず、「日米安保の再定義」を可能とするものであると捉えている。

まず条文(前文及び第二条)を見てみよう。
前文:日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し(省略)。
第二条 締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、これらの制度の基礎をなす原則の理解を促進することにより、並びに安定及び福祉の条件を助長することによつて、平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する。締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する。

わずか10条からなる条約に、この世界の平和と繁栄を希求する「日米の非軍事面での相互協力」がきちんと明記されている。つまりこの条約は、軍事力(ハードパワー)を中心とした狭義の安全保障だけでなく、経済協力など、非軍事(ソフトパワー)における協力、広義の安全保障を担保するための日米協力の概念が含まれているのである。

そして今、我々の生活において安全上の脅威を与えているのは、気候変動等の環境問題、貧困等の途上国の開発問題、食料や水の安全問題、HIV/AIDSや新型インフルエンザ等の感染症、テロや組織的な犯罪等である。その意味において、これらの地球的な課題に対応するためには非軍事面での協力も必要であり、この条約の「相互協力」を重視することで、この条約を「包括的な安全保障」という観点から再定義し、日米の新しい協力の枠組みが提起されるべきものとして捉えることができる。もちろん、言うまでもなく軍事面での安全保障を軽視してはならないが、このような包括的な安全保障という観点で日米安保を捉えることも重要なのである。その具体的な日米の協力内容については、次稿の日米安保改定(その3)に譲ることとする。

2010年1月 9日

日米安保改定50周年(その1)、新たな日米関係を築く節目に

日米同盟の根幹となっている日米安全保障条約が1960年1月19日に締結されて50周年を迎える。当然のことながら、日米政府は2010年を日米関係強化に向けた節目の年にしたいと思っているが、普天間基地移設問題をはじめ鳩山政権の一連の言動に米国が不信感を抱き、日米の政府間に大きな溝が生じている。

しかし今の日米関係の現状は、鳩山政権だけに責任を押し付けるのではなく、これは政権交代による民意の現れであり、日米安保が抱える積年の構造的な国内問題が噴き出した形として捉えるべきである(勿論米側にも問題はあるが)。従って問われているのは、国民一人ひとりなのである。この問題が生じたお蔭で、日本国民は今後の安全保障政策や日米関係を初めて本気で考える絶好の機会が与えられ、長期的に見れば日米両国にとってはプラスであると捉えたい。

今回は、まず日米が共有する価値観と日米関係について考えてみたい。
戦後の日本社会の基礎は、戦勝国のアメリカによって形作られた。社会の骨格としては、米国主導により民主化に向けた五大改革を実施し、現行憲法等を制定。外交・安保では国の防衛をアメリカに委ね、主に米国との関係を通じて国際社会との距離を測る外交を展開した。経済では、アメリカの技術と大量生産方式を取り入れ、米国市場を活用して発展した。これらの過程を通じて、日本はアメリカの影響を大きく受け、無意識の内にも米国型の社会を目指してきたと言える。特に筆者を含む戦後世代は、米国のソフトパワーの影響をまともに受け、「洗脳」されたとまでは言わないまでも、日本とアメリカは、同じ価値観を共有しているということに何の違和感もなかった。

そして今、日米両国は、自由と民主主義、市場経済、法の支配、人間の尊厳及び人権といった普遍的価値観を共有した先進国であり、だからこそ成熟した同盟関係を一層強化し、世界における共通する脅威に対処すべきであるという説明がよくなされる。つまり日米は、戦争では戦ったけど、価値観は一緒で似たもの同士だから、協力して仲良くやろうよ、という考えが前提にあるらしい。この考え方は安倍晋三元首相が唱えた価値観外交にも通じるところがあり、価値観の違う独裁・軍事国家や覇権を唱える国と一線を画し、ややもするとこれらの国に対して民主化等を迫るやや高圧的な外交になりかねない。ブッシュ政権も、民主主義を旗印に米国側に就くのかどうか、色分けした外交を展開し、結果としてイスラム圏諸国等と不必要な対立を招いた。

共有する価値観に基づく日米関係は、一見もっともらしい理由付けなのだが、一口に同じ価値観と言っても様々な違いがある。むしろお互いの価値観には違いがあり、多様な価値観を認める外交の展開が必要ではないだろうか。曖昧模糊とした「価値観」の色分けで国際関係を考えると大きな間違いの元になりかねない。判断すべき基準は「国際ルール」と「国益」である。例えば日米は普遍的価値観を共有すると言っても、育まれてきた長い歴史、文化、宗教観、地理的条件、自然環境、政治、社会・経済構造等に大きな違いがあり、結果として個々人の価値観を形成する物事に対する捉え方は、様々な点で大きな相違が存在していると思っている。むしろ世界中で日米ほど、国のかたちや価値観の違う国はなく、その違いを鑑みて物事を進めていかないと、大変な誤解や摩擦を生じやすい関係にあると見たほうがよい。今の普天間基地の問題も、日米は同盟関係にあるから、同じ価値観を共有しているから、合意通りに実施するのは当然であると、米側が高圧的に押し付けることは望ましくない。お互いの立場の違い、抱えている事情を考慮する余裕を持って欲しい。

21世紀初頭の今、外交も米ソ冷戦時代から、新興国が台頭する多極化の時代に入り、日米安保を取り巻く環境も大きく変わろうとしている。何となく価値観が同じだから、アメリカが言うことだからではなく、世界と調和の取れた日本の国益確保の為に、アメリカと如何に付き合い、新たな関係を如何に築きあげるべきなのか、2010年は、普天間基地問題を解決して日米関係が改善し、日本にとって今後の外交・安全保障政策、そして新たな日米関係を考える節目の年になることを切に願うものである。

2010年1月 1日

2010年は日本の将来を考える骨太の議論を

 2010年の今年、日本経済の規模は中国に抜かれ第3位となり、1968年から42年振りに2位の座から転落する見込みだ(2009年に転落した可能性も否定できないが)。これは以前から予測されていたことであり、単に名目上の国際比較で順位が下がっても、国民生活にはあまり意味がない。と言うのは簡単だが、この「米国に次ぐ第2位の経済大国」が敗戦国、日本の国民の自尊心を支えてきたことは事実である。この3位への転落、そして更なる経済的地位の低下が今後日本人の意識にどうような影響を与えるのか計り知れないが、今年は改めて等身大としての国力を冷静に見極め、骨太の議論を通じて日本の将来を考える絶好の機会にすべきである。

 戦後の日本は、吉田路線(軽武装、経済優先、日米関係重視)の下で、経済面では飛躍的に発展し、経済大国、ストロング・パワー経済になった。しかしそれで失ったものも大きい。外交の分野で日本は、冷戦期の米ソの対立から、冷戦の終了、米国の一極支配、中国の台頭の今日まで、日米同盟の下で一貫して大国間に隠れたミドル・パワー外交を展開した。実態として日本は、日米安保の下で日本の国土防衛を米国にゆだね、政治的には米国の決定に常に追随せざるを得ない外交を繰り返した。その結果として日本は、真の独立心を失い、経済成長で芽生えた大国としての意識と実際に行っている行動とのギャップに悩んだ戦後外交を歩んだ。この吉田路線の陥没を「経済大国」という自尊心が支え、また無意識の内にも国際貢献という名の下でその陥没を埋める作業を行ってきた。鳩山首相が訴える「対等な日米関係」、「自立外交」を訴える根本要因もここにある。

 憲法も日米安保も生れて約60年が経つ。戦後の日本において、外交の枠組みのみならず、日本の社会、国民の行動意識まで一番影響を与えたのは、この現行憲法(特に第9条)と日米安保であると言っても過言ではない。今年は、憲法で言えば、国会に憲法改正を視野に置いた憲法調査会が設置されて丸10年、安保で言えば新日米安保条約が締結されて50周年の節目を迎える。改めてこの大きな枠組みのあり方について、仮に同じ結果に落ち着こうとも、原点に立ち返って議論すべきである。

 昨年末に鳩山首相は憲法改正に向けた議論を進めるべきと述べて波紋を呼んだ。しかし国会では、憲法調査会の下で、2005年に憲法改正に向けた報告書がすでに提出されている。民主党も幅広い憲法改正に向けた「憲法提言」を発表した(私もその中で、人権を中心とした第3章「『人間の尊厳』と共同の責務の確立を目指して」の担当責任者として草案作成に深く関わる)。その頃には少なくとも社民党も含めて国会では憲法改正に向けた論議が活発に行われていたのだが、戦後レジームの脱却や集団的自衛権の解釈見直しを声高に訴えた安倍首相の退陣と共に憲法改正へのモメンタムが消えてしまった。しかし現在も、憲法調査会を設置した意義は全く消えうせていない。衆参で憲法審査会、憲法調査会は依然として存続しており、改めて憲法のあり方について幅広く国民と共に議論を再開すべきである。

 そして新日米安保条約については、本年9月に締結50周年を迎える。改めて日本の安全をどう守るのか、国民と共に日本の安全保障政策を考えるきっかにすべきである。この条約を破棄するのか、継続するのか、継続するにしてもこの条約に新たな使命を持たせるような再定義を行うのか、国民の選択である。タブーなき議論を期待したい。現下の国際情勢、日本を取り巻く安全保障上の脅威等を総合的に考えれば、自ずと答えは出るであろう。そうすれば、普天間基地移設問題等についても、どのような結論にせよ国民の合意はより得られやすいはずだ。

 重要なことは、国のあり方を規定する現行憲法や日米安保に関して、所与のものとはせず、そのあり方について思考停止になってはならないことである。その議論をせずして、関連する税制や社会保障、地方分権のあり方、普天間基地の問題等を議論しても、国民の理解に基づく合意は見出しにくい。いわば国家像を見出す作業が必要だ。いつもミクロの議論ばかりしていると、角を矯めて牛を殺すことになりかねない。2010年、改めて骨太の議論をしよう。

Profile

若林秀樹(わかばやし・ひでき)

-----<経歴>-----

1954年東京生れ。
1976年早稲田大学商学部卒業。
1979年ミシガン州立大学院農学部修士課程終了。
現在、08年3月からワシントンにある政策シンクタンク、CSIS(戦略国際問題研究所)の客員研究員。
80年からヤマハ(株)勤務、労組役員を経て93年からワシントンの日本大使館1等書記官として政府開発援助(ODA)と日米協力を担当し米国際開発庁(USAID)から表彰を受ける。帰国後は電機総研副所長を務め、01年に民主党比例区で参議院議員に初当選。在職中は「次の内閣」経済産業大臣・財務副大臣、国際局副局長を歴任。さらにイラク、シリア、イラン等を訪問し安全保障、復興支援、核問題等幅広く国際問題に取り組む。08年はCSIS(戦略国際問題研究所)客員研究員として活動し、09年1月より非常勤客員研究員。現在、(財)日本国際フォーラム常勤参与・主任研究員。

BookMarks

-----<著書>-----


『希望立国、ニッポン15の突破口』
2006年9月、日本評論社



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