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2009年11月30日

日米関係を決める米中関係の深まり

日本、中国等のアジア歴訪を終え帰国したオバマ大統領は、間髪を入れずに今度はホワイトハウスにて、訪問できなかったインドのシン首相を政権初の国賓として向かえ、米印首脳会談を行った。アジアの同盟国である日本と韓国、そして新興国として影響力を増している中国やインド等との距離感を適切に測り、それぞれの国に配慮したしたたかな米国の外交戦略が展開され始めたと言えよう。

しかしその中でも、改めて突出した米中の「蜜月時代」の深まりを感じない訳にはいかない。今回のオバマ大統領の中国訪問では、12年ぶりに共同声明を発表し、両国が今後、「戦略的信頼」を構築、進化させると宣言。気候変動や核廃絶など地球規模の課題解決に米中が主導的な役割を果たしていくことを明確にした。米中G2時代の到来を感じさせるオバマ大統領の中国訪問であった。

米中の間の関係は、米国独立直後の1784年、商船エンプレス・オブ・チャイナ号が広東にたどり着き、通商交易が始まった頃に遡ることができる。1853年ペリーが浦賀に来航するはるか前であり、明治維新よりも80年以上前から米中の関係は始まっていたのである。そしてその関係は今日まで、常に「対立と融和」を繰り返してきた。第二次世界大戦で米中は、同盟国として共に日本と戦い、朝鮮戦争では一転して両国が戦火を交えた。ベトナム戦争でも両国は大軍を現地に送り込んで一触即発の状態に陥る。また米国の台湾国民党政権への支援も米中の対立を激化させた。しかし大きな転機は、1969年「反共産主義者」として登場したニクソン大統領がキッシンジャー補佐官を極秘訪中させて訪れた。そして自ら1972年に訪中して米中和解が実現したのである。

以降の米国大統領は、選挙期間中から就任時にかけては中国に対して厳しい姿勢を見せながら、1、2年後に必ずと言って良いほど、対中融和策に転換している。つまり選挙中は選挙戦略の一環として大国である中国に対して毅然とした姿勢を国民に見せる必要がある。民主党としては人権や民主化の問題、共和党としては安全保障上の脅威等を中心に、言い方は違っても厳しい姿勢で選挙戦に臨む。しかし一旦大統領に就任すると、対立するコストよりも、戦略的に協調する方が米国の国益にかなうという方針に転換し、今日まで一本の長い、底辺で結びついた米中関係の路線が築かれてきたのである。

例えばカーター大統領は、1977年、人権外交を掲げて登場し、中国に対して厳しい姿勢で臨んだが、翌年には、米中国交正常化を発表した。1980年代、親台湾派として登場したレーガン大統領はやがて中国との対立を避け、台湾への武器売却の自制へと舵を切っていった。1989年に起きた天安門事件では、流石に米中関係は冷えたが、1993年に登場したクリントン大統領は当初、厳しく中国の人権問題等を批判したものの、それらの問題を通商問題とは切り離し、貿易拡大策を強化して最終的に融和策に転じた。1998年には、クリントン大統領は日本を素通りして中国を訪問し、米中蜜月を演出したのである。そしてブッシュ大統領は、当初は中国を「戦略的競争国」として敵視したが、9.11移行は協調路線に転じ、中国を積極的に国際社会へ関与させていく政策(engagement政策)に転換し、今日に至っている。

そして後に歴史を振り返れば、2008年の大統領選挙は、米国の対中戦略転換の分水嶺になったと言われるかもしれない。つまりオバマ大統領は、対中関係においては選挙期間中でも「EUや日本とは同盟関係にあるが、中国は敵でもない、味方でもない、競争相手だ」と述べる程度で厳しい姿勢は見せず、第二次世界大戦後では初めてのことになるが、中国との関係で「対立」を前面に出さずに大統領に就任した。そしてこの度の訪中おいては、世界に対して米国の対中戦略の転換を鮮明に印象付けた歴史的な転換点となったと言えるかもしれない。

その上で、これまでも、そして今後とも一層その傾向を強めそうだが、米中関係の行方が日米関係に大きな影響を与えることになるであろう。オバマ大統領は、東京でのアジア政策演説において、米国は今後長期に渡ってアジアへの関与を一層強め、中国とは戦略的な協調関係を強化することを表明した。米国の経済立て直しと安定的な成長のためには、アジアのパワーを活用するしか選択肢はないのである。しかしだからと言って、米国のアジアへの軍事的な関与が経済と比例して維持、強化されるとは限らない。それは、米国の悪化する財政と内政(特に議会)の状況、そして中国の出方次第である。

中国も当面は、米国や国際社会と協調路線を取ると思われるが、今後更に経済、軍事両面で力をつければ、当然のことがなら、中華思想を持ち出すまでも無く自己主張を強めることは間違いない。アジア地域での軍事バランスを維持し、地域の政治的な安定を維持するには、米国の軍事、経済両面での関与が必要である。そのためにも、日米の間の多面的な協力と良好な日米関係の維持は重要であり、普天間基地移設問題は、日米の間の解決すべき重要な試金石であることは言うまでもない。

2009年11月17日

オバマ大統領政策演説の狙い

11月14日、サントリーホールでオバマ大統領のアジア政策に関する演説を聴いた。オバマ氏の演説を直接聴くのは、昨年6月以来2回目である。実際にテレビ放映の方が大統領の顔の表情まで含めてよく分かるし、音声もはっきり聴こえるのだが、ライブでしか味わえない臨場感や楽しみがある。特に体全体から伝わってくる話し手の意志やエネルギーは、直接会場に足を運ばないとわからない。約30分の演説の中でオバマ大統領がどこに力点を置き、どんな思いで喋ったのか。

今回の演説の最大の意義は、大統領としてアジア政策の全体像を初めて明らかにする演説を北京ではなく東京で行い、米国がアジア・太平洋国家として、日米同盟を基軸にアジアに深く関与していくことを宣言したことにある。これ自体は極めて重要なことであるが、オバマ大統領の来日は当初より1日遅れ、鳩山首相が不在であるにもかかわらず、APEC首脳会議の初日を欠席してまで何故、東京で政策演説を敢行したかったのか。ホワイトハウスがこの政策演説を正式に発表したのは、9日になってからであり、米国大使館は慌てて政策演説の準備を行った様子がうかがえた。それでも実施したかった政策演説の狙いは何だったのか。

即ちタイトな訪日スケジュールでも政策演説を東京で開催して日本重視の姿勢を示しつつ、一方で中国との関係を強化する姿勢を中国訪問前に示し、中国との友好ムード醸成に向けた地ならしをしたかったのではなかろうか。

念願のアジア外交に関する政策演説を実施し、日本と中国とのバランスを取るには、無理してでも東京で開催するしか選択はなかったのである。オバマ大統領は、演説の中で中国に対して時間をかけて米中の協力する意義を訴えた。「現実的な協力を追及することが大事だ」、「米中が協力して取り組めば、双方の利益になる」、「米は中国を封じ込めようとは思わない」等、中国重視の姿勢を強調した。中国の人権問題、軍備増強、人民元の切り上げ問題等には一切触れなかった。オバマ氏は、大統領選候補者の時には「中国は敵でもない、味方でもない、競争相手だ」と述べ、人権問題についても問題視する姿勢を見せていたが、予想されていたとは言え、大統領になって対中政策を大きく方針転換したことになる。つまり米国のアジア政策の中で中国との協力関係強化を正式に表明したことに今回の政策演説の最大のポイントがあったと思われる。

細かいが演説の中で気になった点は、普天間基地の問題である。オバマ大統領は、直接、普天間の名前こそ出さなかったが、米軍再編という言い回しで、「両国政府が達した合意を履行するために作業グループを通じて迅速に行動することに合意した」と述べた。つまり政策演説では細かいと思われる作業グループにまで言及し、鳩山首相の「日米合意を協議の前提としない。合意を前提とするなら作業グループはいらない」と述べた点について、「あくまで合意を履行するための作業グループ」という位置づけを明確に示し、鳩山首相に対して釘を刺したことになる。オバマ大統領が政策演説の中で、改めて細部まで踏み込んで普天間基地の日米合意履行に触れたことは、この問題ついては相当な不満を持っている証左であり、普天間基地の辺野古への移設にこだわっている姿勢がうかがわれる。

また北朝鮮問題では、日本の拉致問題に触れたことは大変良かったが、後で言質を取られない様に慎重に言葉を選んでいたことに注目しなければならない。つまり隣国(日本)との関係正常化は、「被害者の家族に完全な形で説明することによってしか実現しない」とし、あくまで拉致問題の「説明」であり、「解決」とか、正常化への具体的な前提条件には触れなかったのである。これは後で、米朝協議を進める上で、いくらでも日本に言い訳ができる言及の仕方であった。

いずれにせよ、この政策演説におけるオバマ大統領の問いかけに、鳩山首相はどう答えていくのか。友好ムード演出も限界にきており、答え方次第では、日米関係の決定的な痛手になりかねない。

2009年11月14日

オバマ大統領初来日に思う日米同盟の原点

オバマ大統領がアジア歴訪の最初の訪問地として初来日し、また東京で重要な政策演説を行うことは、オバマ政権の日本重視の姿勢として率直に評価したい。米国としても、クリントン国務長官が最初の訪問国として日本を選んだように、同盟国としての日本を重視する姿勢を示すと共に、訪問の順番という面子を気にする日本に対して、不必要な摩擦は避けておきたいという本音があるようだ。そしてオバマ政権にとって、今回のアジア歴訪で最も重きを置く国は、日本の滞在期間(実質1日)よりはるかに長い3日間も滞在する中国であることは言うまでもない。

しかしながら、相変わらず日本のメディアは、日本と中国のどちらを重視するのかという二者択一の論点から抜け出せずにいる。米国にとって、日本は今もなおアジアで最も信頼できる重要な同盟国である一方、中国は米国の同盟国でも民主国家でもないものの、既に米国の外交戦略を左右する最も影響力の大きい重要な大国である。即ち、その日中の重要さの質の違いを区別してアメリカの動向を認識すべきなのである。

中国の経済規模は間もなく日本を抜き、遠くない将来にアメリカも抜くことが予測されている(Carnegie Policy Brief によると、2030年頃に米中は並ぶ)。また中国の軍事予算は毎年二桁の率で増大しており、総合力では遥かに及ばないものの、その軍事力はアメリカを脅かすほどになりつつある。地球温暖化では、既に中国はアメリカに並ぶ世界最大の温暖化ガス排出国であり、更なる増加が見込まれる中国を抜きにした削減目標設定は世界にとって意味がないほど、環境面での影響は甚大である。そして言うまでもなく、北朝鮮問題やテロ対策でも中国の協力は欠かせなくなってきている。もはや米国にとって中国は、その動向を無視して一方的に外交方針を決められない存在にまでなっているのである。

そして日本だが、残念ながら国際社会における存在感は益々薄くなりつつある。国際政治の潮流としては、ブラジル等の新興国を含めた多国間による協力や、EUやASEANという地域単位の影響力が高まっている。成熟した関係にある重要な同盟国であっても、日本との関係を重視する比重は構造的に低まっているのである。また長期的に見ても、日本の相対的な経済規模は益々下がり、日本は長期にわたる人口減少時代を迎え、米国における日本の存在感は益々低くなることは確実である。その意味において今後の日本の外交戦略や日米関係を誤らないためにも、国際社会における日本の位置づけ冷徹に捉えておくことが必要であると思われる。

しかし、こういう状況にあっても、何故米国は、日本をこれほどまでに重要視するのであろうか。それは過去の歴史的な経過を踏まえ、日本がアジアにおける重要な民主国家であると共に、日本における米軍基地、取り分け沖縄基地の地政学的な重要性を認識しているからである。だからこそ日米安保が旧条約から数えて60年近くも維持されているのである。すなわち米国にとって、日本における基地の安定的な利用は日米安保の最大の魅力であり、日本にとって、その見返りとして米国が日本の防衛義務を負うことは、最も重要な日米安保の意義なのである。この双方のメリットが日米関係の根幹にあることに認識のズレがあるとするならば(その懸念がない訳ではないが)、日米関係に亀裂が走りかねない。今回の首脳会談では、「核なき世界」の実現や地球温暖化対策、エネルギー分野での協力に合意したが、この日米関係の根幹が崩れては、これらの新たな協力が進展するとは到底思えないのである。

また日米同盟は、日本のみならず広くアジアの安定にも寄与する重要なインフラとしても評価すべきである。日本からみれば、日米同盟は中国の軍事力や北朝鮮のミサイル攻撃に対する抑止効果があり、逆に中国や韓国やみれば、日本独自での軍事大国化を阻止する役割があると見ている。日本は引き続き日米同盟を最も重要な外交の基軸であると考えるのであれば、やはりその基盤である基地問題については、最優先課題として取り組むべきであり、しこりを残すような解決方法を取るべきではない。

もちろん日米安保は必要ないということであれば、話は別である。しかし日本の外交戦略上、そのような選択肢はない。来年2010年は新日米安保の50周年を向かえ、同盟関係は弱まるどころか、更なる強化に向けた日米安保の再定義や、宇宙開発などの新たな脅威への対応を含めた日米安保の重要性が再確認されることになるであろう。だからこそ、今回の首脳会談では棚上げされたが、日米安保50周年を新たな関係強化のスタートとするためにも、同盟関係の原点を改めて再認識し、まずはその象徴としての普天間基地移設問題を早期に解決することが重要なのである。

Profile

若林秀樹(わかばやし・ひでき)

-----<経歴>-----

1954年東京生れ。
1976年早稲田大学商学部卒業。
1979年ミシガン州立大学院農学部修士課程終了。
現在、08年3月からワシントンにある政策シンクタンク、CSIS(戦略国際問題研究所)の客員研究員。
80年からヤマハ(株)勤務、労組役員を経て93年からワシントンの日本大使館1等書記官として政府開発援助(ODA)と日米協力を担当し米国際開発庁(USAID)から表彰を受ける。帰国後は電機総研副所長を務め、01年に民主党比例区で参議院議員に初当選。在職中は「次の内閣」経済産業大臣・財務副大臣、国際局副局長を歴任。さらにイラク、シリア、イラン等を訪問し安全保障、復興支援、核問題等幅広く国際問題に取り組む。08年はCSIS(戦略国際問題研究所)客員研究員として活動し、09年1月より非常勤客員研究員。現在、(財)日本国際フォーラム常勤参与・主任研究員。

BookMarks

-----<著書>-----


『希望立国、ニッポン15の突破口』
2006年9月、日本評論社



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