« 2009年8月 | メイン | 2009年10月 »

2009年9月24日

日米首脳会談「信頼基礎に新たな関係を」─ 戦後史に残る一歩

(共同通信社2009年9月24日配信)

 日米の戦後史に残る歴史的な首脳会談が開催された。鳩山由紀夫氏は戦後初めての本格的な政権交代による戦後生まれの首相。一方のオバマ氏は、「チェンジ」を掲げ、一時の人気は薄れたとはいえ、期待される黒人初の米国大統領である。振り返れば、昨年11月の米大統領選挙での民主党オバマ氏の勝利は、日本でも米国のように「チェンジ」や政権交代が必要との印象を与えたことは間違いない。共に変革への期待が高い首脳として、過去に捉われない新たな日米関係の強化に期待したい。

 しかし日米の間には普天間基地の移転等様々な課題が山積している。米政府は日本の政権交代前から、民主党というよりは「在日米軍で必要なのは第7艦隊だけ」発言に象徴される小沢一郎代表(当時)に対する不信感が強かった。そして今回の総選挙で民主党は「アジア外交の強化」に加え、「緊密で対等な日米関係」の構築や在日米軍のあり方の見直し等を公約に掲げて政権交代を実現した。それだけに、現時点では期待感より警戒感が強いのが実情である。オバマ政権にとって、鳩山政権自体が「未知との遭遇」なのだ。


 両首脳は今回の会談において、日米同盟を進化させ、「核なき世界」等様々な課題に対して緊密に連携することで一致した。良好な日米関係を再構築する上で重要な第一歩を築いたと言えよう。しかし問題はこれからである。真の信頼関係を築くには、言葉だけの外交儀礼では長続きしない。両者の関係を深めることによって、お互いの政権基盤が強固になり、国益にプラスにならねばならない。

 オバマ政権は内政では医療保険改革等で保守層から批判を浴び、また安全保障ではアフガンでの対テロ戦争の成果がおもわしくなく、その支持率は4割を切った(米CNNテレビ)。だからこそ「困ったときの友こそ真の友」である。もし鳩山政権がインド洋の給油活動を止めるのであれば、それに代わる目に見える地域安定への貢献が必要だ。米国も新たな自衛隊の派遣を求めることはないであろう。しかし共に汗を流す人的な派遣を含めた民生分野での一層の貢献が必要である。

 また地球温暖化の問題で日本が温室効果ガスの90年比25%削減を国際公約したことは評価できるが、米国と事前に十分調整した形跡は見られない。この問題で米国は技術力や欧州共同体(EU)との関係で日本を頼りにしている。鳩山政権は独断専行せず、世界一、二の温室効果ガス排出国である米国を巻き込み、共に歩んでいく配慮が必要だ。

 米国は、政権交代は民主主義にとっての必然であると認識しており、日本の民主党そのものに不安がある訳ではない。自公政権下でも、3人連続で首相が1年で職を投げ出し、普天間基地等の問題を前進させることができなかった。

 もちろん日本外交の目的は日米関係を強化することではない。大切なことは、鳩山政権が世界から信用され、日本が真に影響力のある存在になれるかであり、そのためにも日米同盟の強化は必要なのである。

 鳩山政権は、日米同盟重視という基本的な枠組みを変えずに、新たな日米関係を構築できることを日本の国民、そして米政権に説得力を持って示すべきだ。

2009年9月14日

鳩山民主党の自主外交とは

 民主党の外交理念は、1996年の結党以来、色々言葉は変わっても、底流にあるのは「自主外交の確立」である。今回の総選挙でのマニフェストでは、その一番の特徴が「緊密で対等な日米関係を築く」に現われており、その関連の政策として「日米地位協定」及び「在日米軍のあり方」の見直しが提起された。
 
 鳩山由紀夫氏の政治の原点は、祖父である鳩山一郎氏に見ることができる。一郎氏は、由紀夫氏の政治哲学に大きな影響を与えた「友愛革命」を提唱し、外政では「自主外交」を目指した。歴史は繰り返すのか、興味深い事実は60年程前に遡ることができる。戦後まもなく日本自由党を結成した鳩山一郎氏は、総選挙で第一党を勝ち得ながら、「公職追放」で総理になれなかった。しかしその後政界に復帰し、1954年11月、日本民主党を結成した。そして当時、麻生太郎氏の祖父であり、「対米協調外交」を歩んでいた自由党の吉田茂総理を退陣に追い込み、総理の座を手に入れた。まさに今回の総選挙同様に、鳩山ブームを巻き起こしたのである。その鳩山一郎首相は、米国中心の外交から転換し、1956年、懸案であった日ソ国交回復を実現し、その直後に日本の国連加盟を果たした。

 「自主外交」の必要性は、今に始まったことではない。大正から昭和初期に活躍し、「暗黒日記」で知られる清沢洌(きよさわ・あつし)は、「自主外交」を主張すること自体が日本人のインフェリオリティー・コンプレックスであるという。つまり清沢氏に言わせると、「他者の利益だけを目指した外交などあったはずがない。外国と行動を共にしたとしても、それが自己の利益にかなうからであった。肩肘をはって自主外交と言うこと自体が劣等感の現われ以外の何物でもない。日本は大人の真似をしようとする子どもに似ていると言う者がある。これに怒るようでは、この説を証明するようなものだ。いつかこれを笑って済ませるようになりたいものだ(北岡伸一著「清沢洌」)と、言葉だけの自主外交のあやうさを喝破した。今の時代が清沢氏の言う「笑って済ませる時代」に入ったのかどうかという点については、残念ながら疑問であると言わざるを得ない。
 
 鳩山民主党の「自主外交」が具体的に何を意味するのか、政権政党としての政策を待たなければならない。「自主外交」は、自国の立場を主張するだけではなく、相手の立場も尊重し、国際的な信用を得られるかどうかが重要だ。「対米協調」だからと言って、それが「自主外交」ではないとは言えない。「対米協調外交」と「対米追随外交」には大きな違いがある。その違いは、その都度日本が自主的に判断した結果、「対米協調」を選択してきたかどうかである。この点においては、日本独自のインテリジェンス体制は極めて脆弱であり、アメリカ頼みの重要な情報は必ずしもすべて二国間で共有されている訳ではない。日本の安全保障を米国に委ねていることに加え、この情報収集体制の不備と、国家としての毅然とした判断が国民から見えにくい(時に判断をしていない)ことが、「対米追随感」を生み、「自主外交」が必要であるという認識をもたらしている。
 
 今の政治環境は、当然のことながら、祖父の時代とは大きく違うが、対米追随外交の反動という意味では共通点もあり、「自主外交」を目指す背景としては、以下のような現象面が挙げられる。一つは、日本の立場を主張することなく対米追随外交を続けた結果、プラス面よりもマイナス面が政治の声として大きく出始めたことである。戦後60年以上も経ち、日本は成熟した主権国家でありながら、常にアメリカの言いなりであり、経済では米国の市場原理主義に翻弄され、米軍基地や財政支援等の国民負担は日米同盟によってもたらされる利益よりも大きすぎるのではないかという認識である。筆者としては、この考え方に必ずしも同調する訳ではないが、大人と子供の関係から、もう自分も一人前の大人になったので、少しはモノを言わせて欲しいという国民の気持ちは理解できるところである。また二つ目は、対米追随外交にも関係しているが、中国や韓国との関係が歴史問題も含めてしっくりいかず、日本はアジアの一員としての市民権を得ていないのではないか。早く歴史問題に決着をつけ、未来に向けてアジアと共に生きることが重要ではないかという意識である。
 
 確かにグローバル化、IT化が進み、簡単に外国の情報が入る時代になったが、「自主外交」を論ずる以前に、国民の意識はむしろ内向きになってはいないだろうか。「自主外交」とは何なのか。そのための覚悟と現実的な体制は整っているのか。鳩山民主党は、「自主外交」の意味するところを国民に示し、理解を得ることが重要だ。戦後外交史に大きな一歩を記すような鳩山民主党の新たな外交の展開に期待したい。

Profile

若林秀樹(わかばやし・ひでき)

-----<経歴>-----

1954年東京生れ。
1976年早稲田大学商学部卒業。
1979年ミシガン州立大学院農学部修士課程終了。
現在、08年3月からワシントンにある政策シンクタンク、CSIS(戦略国際問題研究所)の客員研究員。
80年からヤマハ(株)勤務、労組役員を経て93年からワシントンの日本大使館1等書記官として政府開発援助(ODA)と日米協力を担当し米国際開発庁(USAID)から表彰を受ける。帰国後は電機総研副所長を務め、01年に民主党比例区で参議院議員に初当選。在職中は「次の内閣」経済産業大臣・財務副大臣、国際局副局長を歴任。さらにイラク、シリア、イラン等を訪問し安全保障、復興支援、核問題等幅広く国際問題に取り組む。08年はCSIS(戦略国際問題研究所)客員研究員として活動し、09年1月より非常勤客員研究員。現在、(財)日本国際フォーラム常勤参与・主任研究員。

BookMarks

-----<著書>-----


『希望立国、ニッポン15の突破口』
2006年9月、日本評論社



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.