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2009年6月30日

米国知日派、政権交代でも日米関係は楽観的見方

 6月25日、米国下院外交委員会アジア・太平洋・地球環境小委員会で「変化する日本の役割」と題する公聴会が開かれました。証言者として登場したのは、駐日大使の呼び声が高かったジョセフ・ナイ・ハーバード大学教授、日本政治の裏事情を知り尽くしているマイケル・グリーン戦略国際問題研究所日本部長、そして日本の安全保障に詳しいケント・カルダー・ジョンズホプキンズ大学高等国際研究大学院教授等4名。公聴会では知日派の論客と日米関係に詳しい連邦議員とのやりとりが行われ、メディアの関心を引くような発言は無かったものの、今、ワシントンで日本がどのような政治的ポジションにあるのか把握する上で重要な手がかりになったものと思われます。

 一般論として、日米関係に携わっている専門家は、議会において日本に対して敢えて厳しく批判し、あるいは日本の存在感を低めるような話はしませんので、その分を割り引いて聴く必要があります。しかし公式発言であるが故に、議員や専門家としての見方や考えは、その時々の日米関係を考える上で極めて重要です。詳細な議事録をすべて読んでいるわけではありませんが、議論のやり取りや証言者の発言原稿を読む限りにおいて、いくつかのポイントが浮かび上がってきます。

 第一に日米関係は、貿易摩擦時代の日本脅威論からバブル崩壊後の日本悲観論を超え、国民や党派を超えた議会の理解の下で、格段に強固になったと捉えているということです。特に、自衛隊のインド洋沖での給油活動、海賊対策等で日本が同盟国のパートナーとしての役割を果たし、この15年ほどの間に日米協力が格段に進んだことを評価しています。米国のアジア政策では、存在感を増す中国を国際社会に関与させつつも、将来の不確実性を担保する必要はあり、北朝鮮問題等への対応を含め、信頼できる日本と良好な関係を築いておくことは重要であるということです。また地球温暖化や感染症などの地球的課題にも、技術力を持った日本との協力は不可欠であると見ています。これらの発言に目新しさはないものの、日米関係を再確認する上で重要な発言だと思います。

 そして今後の日米関係については、日本が総選挙を控え、政権交代の可能性はあるものの、概ね楽観的に見ています。ナイ教授は、「結論として(日本の政治状況がどうなっても)米日同盟の将来には楽観的である」、グリーン氏は、民主党がこれまで米日同盟に水を差すような対応があったことを踏まえつつも、「民主党が政権に就けば、米日関係の重要性に鑑み、これまでの立場を変えるであろう」、カルダー氏は「民主党は総選挙で少なくとも過半数の議席を取り、来年の参議院選挙でその立場をさらに強固にし、55年体制以降最も大きな政界再編になるかもしれない」、「米日関係は政権交代、政界再編により新たな時代に入り、新たな戦略ビジョンが必要になる」と述べています。議論の中では、北朝鮮の核武装化に対応するために、日本も核保有に踏み切るのではないかとの懸念を表明する発言がありましたが、専門家はその可能性を打ち消していました。

 いよいよ日本は総選挙モードに入ってきました。カルダー氏が言うように、大きな政界再編の波が押し寄せてくるのでしょうか。良好な日米関係を築いておくことは、どの政党が政権につこうとも極めて重要ですし、オバマ政権も日米関係重視の姿勢を見せています。その意味において、今後の日米関係は日本の動向次第のところがあり、政治的混乱で日米関係に亀裂が入らないように、日本の政治体制が一日も早く固まることを期待したいものです。

2009年6月 1日

GM破産法申請、驕る者久しからず

 5月31日、米国政府は、クライスラーに続き、ビッグ3の最大手、ゼネラル・モーターズ(GM)が連邦破産法11条の適用を申請すると発表した。政府の緊急融資を決定した昨年11月、多くの専門家や連邦議員が今日の破綻を予測していたが、その時点での「破綻宣告」は政治的には難しかった。しかしこれで米国の自動車産業は、再生に向けて新たな段階に入ることになる。

 1973年8月、米国ミシガン州ディアボーンにあるフォードの自動車工場を見学したことがある。見学の最初の工程は、停泊している鉄鉱石を満載した船であり、そこから製鉄が始まり、徐々に様々なパーツが作られていった。そして最後は、組み立てられた完成車が工場から出てくる、正に完全な自動車の一貫工場であった。ガイド役のアメリカ人は、これがアメリカ経済を支える自動車産業の強さであり、日本には到底まねできないであろうと、言わんばかりの誇らしげな態度であった。

 あの工場見学以来、同年に起きたオイルショックを経て、アメリカの自動車産業は衰退への道を転がり続けた。時折、あの得意満面なガイドの顔を思い出しては、あの驕りの態度は基本的に今日まで変わっていなかったと考えるのだった。1980年代の貿易摩擦の時代には、政治的な配慮で日本メーカーが「輸出自主規制」を行い、これが結果としてアメリカ自動車産業の甘えを助長し、日本メーカーの現地生産を加速させた。1995年の日米自動車協議では、「日本での米国車を扱う販売拠点は2000年末までに約1千店に達すると予測する」という合意に達した。日本メーカーは、その実現に向けて相当協力したものの、ビッグ3が自助努力をせず、合意内容は水泡に消え去った。そして、ビッグ3は、その後のアメリカ経済の立ち直りで、一時的には息を吹き返したかに思われたが、昨年の世界的な金融・経済危機が経営危機の引き金を引くことになった。やはり環境問題やエネルギー情勢の変化という大きな流れに対応する努力を怠ったツケが、一時的な救済では手遅れの経営破綻となったのである。

 ここから引き出される教訓は、「驕る者久しからず」である。アメリカ経済のシンボルであったビッグ3は、「倒産するはずがない」、「最後は政府が守ってくれるであろう」、「このアメリカで日本車に負けるはずがない」等という甘えはなかったか。「常に進化する努力」を怠れば、企業は衰退し、やがて経営破綻に帰結する。日本もかつてリードしていた半導体や家電等では地歩を失った。日本の自動車産業も安穏としてはいられない。GMの破綻を「他山の石」として、日本の産業も教訓として生かして欲しいものだ。

Profile

若林秀樹(わかばやし・ひでき)

-----<経歴>-----

1954年東京生れ。
1976年早稲田大学商学部卒業。
1979年ミシガン州立大学院農学部修士課程終了。
現在、08年3月からワシントンにある政策シンクタンク、CSIS(戦略国際問題研究所)の客員研究員。
80年からヤマハ(株)勤務、労組役員を経て93年からワシントンの日本大使館1等書記官として政府開発援助(ODA)と日米協力を担当し米国際開発庁(USAID)から表彰を受ける。帰国後は電機総研副所長を務め、01年に民主党比例区で参議院議員に初当選。在職中は「次の内閣」経済産業大臣・財務副大臣、国際局副局長を歴任。さらにイラク、シリア、イラン等を訪問し安全保障、復興支援、核問題等幅広く国際問題に取り組む。08年はCSIS(戦略国際問題研究所)客員研究員として活動し、09年1月より非常勤客員研究員。現在、(財)日本国際フォーラム常勤参与・主任研究員。

BookMarks

-----<著書>-----


『希望立国、ニッポン15の突破口』
2006年9月、日本評論社



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