« 2011年3月 | メイン | 2011年6月 »

2011年5月29日

もはや倒閣なくして、日本復興はない

 震災発生から2カ月半、官邸がまるで機能していない。ニュースの見出しだけを追ってみれば「復旧」作業はそれなりに進展している。最も分かりやすい事例は被災地と首都圏以西をつなぐ道路の復旧だ。

■阪神淡路大震災の教訓が生きた道路の復旧

 3.11の地震発生からわずか11日後には応急復旧が完了、東北自動車道は早期開通を実現した。東北自動車道から三陸沿岸部の津波の被災地を結ぶ、最低限の物流ルートも早期に確保された。八戸港や宮古港の復旧も早かった。津波に完全にのみ込まれた仙台空港の機能回復も米軍の補助を受けながら驚くほど速やかに行われた。世間からはさしたる評価も受けていないが、被災地への道路、港、空港の機能回復は見事だった。

 霞が関の中堅官僚は国交省の対応についてこんなことを言っていた。

「公共事業面での対応は、阪神淡路大震災の経験等も踏まえて、初動からほとんど条件反射的に対応して、考え得る限り最善の機能回復を図ってきたと思う」

 東北自動車が開通直後に、通行を緊急車両に限定したのも、阪神淡路大震災の反省からだ。

 これまで我々は縦割り行政の非効率を何度となく批判し、また政官業癒着のなかで国益を貪ってきた霞が関の構造改革を強く望んでもきた。だが国家の実態として、霞が関が果たしている機能そのものを排除し、長い歴史のなかで役所に蓄積された膨大な経験や知見を何もかも捨て去って良いなどとは誰もが考えていないだろう。

 だが菅直人首相は霞が関の完全排除こそ「政治主導」だと完全に思い込んでいるに違いない。いや排除すべきは霞が関だけではなく、菅政権から見れば経団連も同類だ。霞が関と財界を徹底的に排除し、その場その場で専門家のレクチャーを受けながらごく少数の素人政治家だけで物事を決めていく。これが国難に際して菅政権がとっている基本スタンスである。

>>日経BPnetにも原稿アップしました。
続きはこちらからご覧下さい!

2011年5月13日

『アジアビジネスで成功する25の視点』

takarabe110513.jpg

 4月25日に新刊「アジアビジネスで成功する25の視点」(PHPビジネス新書)が出版されました。

 「HARVEYROAD WEEKLY」の読者でもあるPHP研究所の編集部長から出版のお話をいただいた時には、正直、ためらいました。

 その理由は「HARVEYROAD WEEKLY」はまさに「生もの」だからです。

 常日頃から私が強く意識していることは、今まさに目の前で起きている世の中の変化を、その場でさばき、

 「今」をどう捉えたらいいのか、それを会員の皆さんにお伝えすることこそが使命であるということです。

 したがって相当な時間が経過した原稿を単行本として出版するのは、腐った魚を冷凍して再販するようなイメージを払拭できませんでした。

 しかしながら、編集の妙といいますか、出来上がった本は、また違う趣を放っています。もちろんところどころ、新たに加筆をしています。

 ご興味があればご覧ください。

2011年5月12日

「安心・安全」のコストを犠牲にしてしまった日本社会

■理解を超えた安値だった

 「おそらく日本のスーパーマーケットで生食用の牛肉を販売している店なんてないと思いますよ。さらに言えば和牛を100g400円以下で販売することもできません。食肉の衛生管理をきちんとやれば、それなりのコストがどうしてもかかってしまう。焼肉酒家えびすの価格の安さは私たちの理解を超えている」

 スーパーマーケット業界でもその優れた経営手腕で知られるベテラン経営者は、そう言い切る。

 焼肉チェーン店と卸売り業者の双方に強制捜査が入った。食中毒の原因となったO-111菌が、いつ、どこで付着したかが焦点になるといわれているが、消費者に直接肉を提供した焼肉酒家えびす(運営会社はフーズ・フォーラス)の責任の重大性は何がどうあれ、変わるものではない。

 同じ牛肉を取り扱うチェーン店でもスーパーマーケットと焼肉店では風景があまりにも対照的だ。スーパーマーケットはそもそも生食用の牛肉など販売すらしていないが、焼肉店はユッケが大ブームで「ユッケのうまい店はいい焼肉店の証」であるかのごとき風潮すらあった。

 もちろん前出のスーパーマーケットの経営者も「牛肉は絶対に生では食べられない」と言っているわけではない。

 「衛生管理をしっかりやれば生で食べることもできます。しかしアルバイトやパート従業員を使いながら徹底した衛生管理をするのは難しいのです。しっかりとしたシステムを作り上げる必要がある。要するに食の安心・安全を確保するにはコストが必要だということです」

>>日経BPnetにも原稿アップしました。
続きは こちらからご覧下さい!

2011年5月 4日

菅政権の「会議乱立」が招く震災復興への致命傷

■「天井以外は被災前のまま」の見事な地震対策
 3月中に再稼動したパナソニック関連工場

「日本のものづくりは並はずれた復原力を持っている」

 3.11の震災直後、関東・東北エリアにある15ほどの関連工場の被災状況をクルマに乗って一気に見て回ったパナソニック社長、大坪文雄は被災したはずの工場の整然たる姿に強く心を動かされた。

「天井は崩落していましたが、視線を目の高さ以下にキープする限り、工場の様子は震災前と何か変わったことがあるのか思ってしまうほど整然としていた」

 ある工場では12万トン級のプレスが15ミリ太いビスを使って数10か所で地面に固定されていた。それでも震度7の揺れに抗しきれず、20センチほどプレスが横ズレした。だが、巨大なプレス機械は横に少しズレたこと以外、何の支障も起きなかった。さらに大坪が驚かされたのは重要な金型を収納しておく棚に施されていた地震対策の見事さだった。

 重量が数10キロもある金型は地震の際、一つ間違えれば、建屋の壁をぶち破り、吹っ飛んでいく。貴重な金型が損傷して使えなくなるばかりか、殺人の凶器にすら変貌する。

 大坪が訪ねた工場では、収納棚の底をやはり太いビスでしっかりと地面に固定し、さらに棚の上板も天井とL字型の留め具で固定。また従来なら収納した金型の前面にたるんだ鎖を両サイドからぶら下げていたそうだが、鎖が太い鉄の棒に取り替えられており、いかなる揺れにも耐えられる万全の対策が施されていた。

 たしかに巨大な揺れの結果、工場の天井は抜け落ちた。しかし、地面の瓦礫さえきれいに片づければ、工場は何事もなかったような日常風景に戻ってしまったのだ。もちろん生産再開までには様々な機器の調整をはじめ難問山積だったが、パナソニックの15工場は3月中にすべて再稼働にこぎつけた。

■「素早い支援」と「凄まじい復原力」
 大企業の現場から感じる復興への手応え

 被災地への支援物資輸送も尋常ならざる速さだった。「災害時は何をさておいても支援に全力をあげる」という創業者松下幸之助の思想は今もこの会社に脈々と生きている。

 震災発生の3日後、宮城県内の関連工場にはAV機器のビジネスユニットから送った大量の水、食料が到着していた。それを工場の社員たちで分け合っただけではなく、工場周辺の被災者にも配った。その際も公平性を損なわぬようにと、工場内の敷地に机をだして、住所、氏名、受け取った支援物資の内容を一人ずつ記帳するということまでやっている。もちろんこの工場の社員たちも被災者だ。自宅が倒壊したり、半壊したり、津波で親族を失った人たちもいる。それでも彼らは、職場の復旧に全力をあげたという。

>>ダイヤモンド・オンラインにも原稿アップしました。続きは こちらからご覧下さい!

Profile

財部誠一(たからべ・せいいち)

-----<経歴>-----

1956年、東京生まれ。
1980年、慶應義塾大学法学部卒業。同年、野村證券入社。
1983年、野村證券退社。
1986年、出版社勤務を経てフリーランスジャーナリストに。
1995年、経済政策シンクタンク「ハーベイロード・ジャパン」設立。「財政均衡法」など各種の政策提言を行っている。

-----<出演>-----

『財部ビジネス研究所』 (BS日テレ、土曜23時〜 再放送:日曜9時〜)

『報道ステーション』
(テレビ朝日系/平日21:54〜)

BookMarks

オフィシャルホームページ
http://www.takarabe-hrj.co.jp/

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.