先日、中国で面白い話を聞きました。
中国人スタッフにカネを持ち逃げされたり、商品を横流しされたり等々、日本人起業家は上海でさんざんな目にあっています。 そんな上海で苦心惨憺の末に成功した彼らに尋ねてみました。
「中国人のどこが問題なのか」。
そこに返ってきた返事が興味深いものでした。
「悪いのは脇の甘い日本人経営者だ」というのです。
上海でフリーペーパーを発行するある企業の経営者によれば「中国人幹部は社長を良く見ている。この社長について行くのと、会社のカネや商品に手をつけるのと、いったいどっちが得なのか」。騙される日本人こそが問題なのだという割り切り。
そこに辿りつくまでには人に言えぬ苦労があったようですが、 「要は中国人スタッフに尊敬されるかどうかが肝だ」ということでした。 それって日本でも一緒ですよね。
■投資は誰でも「お互い様」
「投資は紙くずになるか、5倍、10倍、100倍 になるか。どちらかしかないと、台湾の人たちは割り切っている」
台湾在住のエコノミストが語る台湾人気質だ。じつはこれが台湾の熱気あふれる新興市場のバックグラウンドである。ただし、台湾人がただ投資好きという話ではない。
「台湾ではサラリーマンだけではなく、官僚や学者でさえ、いずれは自分の会社を持ちたいと誰もが考えています」
まさに「鶏口なるも牛後となる勿れ」だ。人生どこかのステージで起業することを多くの台湾人はごく自然に受け止めているようだ。だから台湾で投資は「お互いさま」感覚で行われる。「起業するぞ」と手を挙げれば、親戚、知人、友人などが気軽に出資してくれる。いずれ自分も起業するから、その時は投資を頼むよという暗黙の了解。まさに「お互いさま」なのだ。
そこでくだんのエコノミストに尋ねてみた。
起業に際して親戚、縁者から出資を受けて事業に失敗した時に大きな問題にならないのか?
お互いさまなどと言っていられるのか?
じつはその答えが冒頭のコメントだった。投資は紙くずになるか、元本が10倍、100倍になるいずれかだという割り切り。だから事業の失敗が親戚縁者のコミュニティー崩壊に直結などしない、というのだ。
>>続きは日経BPnetで
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100414/221266/?P=2
いま私の問題意識のなかで、日に日に存在感を増しているのが日本の新興株式市場の凋落ぶりだ。いまや日本はテクノロジーベンチャーを生み、育てる市場としてまるで機能していない。もっと正確にいうなら、過去にも機能したためしがない。
■ベンチャーを育てられない日本市場
たしかにITバブル当時「IT企業」と聞けば、業績のいかんにかかわらず、猫も杓子も上場させた時代もあった。ところが、コアビジネスの脆弱さから、企業買収で連結決算に厚化粧するほか、業績拡大が見込めないというお粗末な企業が続出。挙句の果てに、ライブドアのように粉飾決算に手を染める新興企業も少なくなかった。
その結果、日本の新興株式市場は証券会社や証券取引所にとって安心安全な企業だけを上場させる、というお粗末な展開に突入した。たとえば2007年前後、東京の不動産市場は明らかにミニバブル化した。そのとたんに不動産ベンチャーが続々と株式公開にこぎつけていった。要するに、日本の証券会社や証券取引所は、ベンチャー企業の将来価値になど一切関心を持たず、目の前の利益、キャッシュフローだけを基準に上場審査をしているということだ。
新興株式市場が果たすべき社会的意義は、傑出した技術やノウハウを持ちながら、担保なしを理由に銀行などから設備投資や研究開発費の資金を調達できないベンチャー企業の将来価値への投資を促すことだろう。ところが日本の新興株式市場は、いま儲かっている企業しか相手にしてもらえないというのが現実だ。そうあってはならないと様々な取組みがあったことは承知しているが、実態は何も変わっていない。だから閑古鳥が鳴き続けている。
>>続きは日経BPnetで
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100405/219367/?P=2