先日、大手エレクトロニクスメーカーのトップと久しぶりにお目にかかる機会がありました。折しも鳩山由起夫新総理が国連で「温暖化ガス25%」を国際公約した直後。「どうですか、この目標は」という問いに対する答えが印象的でした。「25%でも30%でも関係ありません。当社は環境に資する会社になることを目指すのみです」。「民主党政権の支援についてはどんな感想がありますか?」に対しては「何かを期待するつもりはありません。自力でいきます」。
民主党政権はけっこういい滑り出しをしました。しかし外需を否定し、内需専心という非現実的な経済政策だけはいただけません。しかしそれは外需の担い手であるエレクトロニクスメーカーの闘争心に火をつけたようです。
連日、就任早々の前原国交相を悩ませる「八ツ場」と「JAL」。一見するとなんの脈絡もないバラバラの政策課題に見えるが、実はこれらの問題はまるで同根に思える。
■政官業の強欲な癒着構造。
これこそが八ツ場の悲劇やJALの自力再生を阻んできた元凶である。治水、利水が本来ダム建設の大義名分。だが、政官業の癒着構造が維持してきたのはダム建設によってもたらされる巨大利権だ。族議員と官僚とゼネコンを中心とした既得権者の利益が最優先され、本当に必要なのかという議論がないがしろにされたまま、札束で地元対策が行われてきたのが八ツ場ダムの歴史だろう。
国の支援をいくら受けても自力再生できぬJALの甘えた経営は、形を変えた八ツ場ダムである。JALという官営航空会社は株式を公開して民間企業となった後も、政府が一定の株式を保有し続け、歴代社長の多くは旧運輸官僚の天下りだ。
航空行政は政官業癒着の構造そのものだ。採算がとれるとはとうてい思えぬ地方空港建設は、ダム建設にも負けない蜜の味である。空港さえできれば経済が活性化するのではないかという地元住民の勘違いも見過ごせないが、いずれにしても日本中で採算度外視の地方空港建設に歯止めがかけられなかった。その最大の背景は政官業の強欲癒着構造に尽きる。
民主党の目指すべき「脱官僚」とはこの癒着構造をぶち壊すことにほかならない。
>>続きは日経BPnetで
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090925/183459/?P=2
民主党政権の新閣僚たちが次々と「脱官僚」施策を打ち出し始めました。
「天下り凍結」「国の出先機関原則廃止」「八ツ場ダム中止」「補正予算の執行停止」などなど、人により、立場により、評価は分かれるでしょうが、政権交代のダイナミズムは誰しもが感じているのではないでしょうか。
たしかに新任閣僚はまえのめりで、制度設計もなんの調整もなしにスンナリと変革が成就するとは思えません。
しかし政官業癒着で税金をネコババしてきた構図に鋭くメスが入ったことは間違いありません。
大企業敵視、産業政策ほぼゼロの民主党政権には言いたいことは山ほどありますが、若葉マークの政権に多くを望みすぎてもだめでしょう。自民党政権下で溜まりに溜まった膿をだすことが先決です。
「脱官僚」で霞が関は右往左往とばかり思っていたのですが、どうやらやる気のある若手官僚のなかには千載一遇のチャンスと前向きな受け止め方をする人たちも少なくないようです。
既得権の岩盤は官僚一人ではなく、政官財のトライアングルが作りだしたもの。これまではビクともしなかったその岩盤がいままさに崩れかけようとしているのです。
「脱官僚」どころか、新しい秩序構築のために、むしろ官僚が力を発揮する余地がこれから大きくなっていくという期待感です。僻み根性の天下り批判や短絡的な官僚批判の時代は政権交代とともに終わりました。
日本の官僚制度をどう再構築するのか。リアリティのある議論をもう始めなければいけません。
9月4日、民主党大勝の立役者、小沢一郎氏の幹事長就任を伝える新聞、テレビは恥も外聞もなく、いつも通りの小沢批判を繰り広げました。マスコミは小沢氏が無役になれば「院政」といい、官房長官になればまた「権力の二重構造」批判をするのでしょう。
歴史的な政権交代を果たしたとはいえ、民主党は若葉マークです。産み落とされた子馬が、なんとか自分の足で立ち上がろうとしている時なのだから、紋切り型の小沢批判で難癖をつけたり、人事をめぐる党内の不平不満を興味本位で書き立てたりするような、下世話な報道は厳に慎むべきです。
米国のマスコミでさえ、大統領就任から100日間は「ハネムーン期間」と称して、厳しい批判を避ける。まずは「見守る」わけです。日本の報道機関はその程度の常識も持ち合わせていないということになります。
もちろん、批判そのものがいけないわけではありません。
308議席を国民からもらった民主党は、マニフェストに対して絶対的な責任を負っています。国民との約束をどう実現するのか。このチェックに容赦は無用です。手心加えず、民主党に厳しい太刀を振り下ろし続ければいい。
「見守り」つつ「厳しく鍛える」。
それが正常なメディアのあり方でしょう。
「予算の全面見直し」を迫る民主党に霞が関が戦々恐々としている。
なぜか。
ある財務官僚の見立てはストレートだ。
「霞が関が浮き足立っている理由は、業界団体とグルになった予算にメスを入れられたら厄介だからです。そんなことになれば、再就職の機会が激減してしまう」
■浮き足立つ霞が関の官僚たち
お粗末な話だが、それが霞が関の現実だ。個人レベルでは人品骨柄、能力ともに優れた官僚が少なからず存在する。滅私奉公の四文字を体現したような見事な役人ぶりを発揮する人たちも現にいる。だが役所という組織の論理は腐りきっている。
彼らの「省益」とは「天下り先をどれだけ確保するか」だけだと断じていい。ことに役所の実効支配を受けている特殊法人や公益法人への天下りが悪辣なのは、役人OBが働かずに高額の報酬や退職金を掠め取っていることに尽きる。
人口が減り、経済成長もままならず、地方経済が崩壊しているのに、役人は天下り先の確保、拡大に最大の価値を置いている。役所の権限拡大とは予算を大量に獲得して、それを関係諸団体に流し込み、そのおこぼれをOBに横流しする。これが役所の実態だ。
役人の意識がどれほど腐っているか。
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