「負けない生き方」とは
■『負けない生き方』まえがきより
いつの時代でも「最近の若い奴はろくなもんじゃない」といわれてきた。
たしかに自分自身を振り返っても、若いときはろくなものではなかった。
しかし世間の常識からすると、欠陥だらけに見える若者でも、若いということはそれだけで「力」だ。だから世の中が「最近の若者は……」といくら騒いでも、そんなものはどうでもよいと私は聞き流してきた。
だが、どうしてもやりすごすことのできない数字が現れた。
「新卒で就職した若者の三人に一人が三年以内に会社を辞めている」
どう考えても辞めすぎだ。
しかも一度辞めてしまうと、次々と転職を繰り返す人たちが少なくないという。
そんな折、私の事務所にしつこく執筆依頼の連絡をしてくる三十代の編集者がいた。
「自分たち就職氷河期世代の話を書いてほしい」
なぜ、そんなに簡単に会社を辞めてしまうのか。
辞めるのは簡単だが、転職をただ繰り返すばかりで、明るい未来があるのだろうか。
日本経済のなかで自分たちはいったいどのような存在なのか。
そんな疑問を次々とぶつけてくる編集者だった。
彼の友人、知人たちとも直接、間接に話を聞く機会を得た。
私は世代論というものがあまり好きではない。
人の人生というものは、すべて個別具体的に論じるべきものであり、世代ごとの共通項にいくら注目したところで、一人ひとりの人生に意味のある論評などできるわけがないと考えていたからだ。
だから、この執筆依頼にはなかなか乗り気になれなかった。
しかし、一九七〇年代生まれの氷河期世代が経験した極端な就職難が、彼らのその後の人生に及ぼした影響の大きさを知れば知るほど、社会人となった氷河期世代がその後、どのような人生の軌跡を描いてきたのか、知りたくなった。
なぜなら社会人にとってもっとも重要なことは、社会人としてどのように初めの一歩を踏み出したかにあるからだ。
ここがあいまいだと、そのあいまいさが最後までついてまわることになりかねない。
氷河期世代がかかえこんでしまった困難は、まさにそこにある。
では、どうしたらいいのか。
そんなノウハウは存在しないし、そもそも人生を語る際に「ノウハウ」などという言葉をもち込むことじたいに私は嫌悪をいだく人間である。
「どうしたらうまくいくか」という問いかけには答えられない。
すると編集者は、ならば「どう生きたらいいのか」を教えてくれという。
正しい問題設定だが、それに答えることは簡単ではない。
だが、私が仕事を通じて見てきた素晴らしいビジネスマンたちの生き方を紹介することはできる。
あるいは功なり、名を遂げた人たちの口からでた貴重なアドバイスを伝えることくらいならできなくはない。
そんな気持ちで本書の執筆を引き受けた。
しかし、執筆の合間、合間で聞いた氷河期世代の肉声は重たかった。
聞けば聞くほど、しっかりとした何かを伝えなければいけないという思いが強くなり、筆の運びも遅くなった。
本書がどこまで氷河期世代の一人ひとりの人生のなかで意味をもちえるのかわからないが、自分の人生を俯瞰して、そのあり方を自分自身で考えなおしてみるきっかけになれば、これ以上の喜びはない。