石津謙介は「人生四毛作」を生きた!
2007月01月16日

私は常々「人生二毛作」と言っているが、宇田川悟さんの新著『VANストーリーズ』(集英社新書)によると、VAN王国を築いて日本ファッション界の“神様”と呼ばれた石津謙介は、何と「人生四毛作」を生きたのだという。「人生を米の生産にたとえてみると、大変よくわかる。土地が肥え、気候がよければ、米も四度を限度に収穫することができ、人生もまたうまく過ごせば、四度の収穫期があるということである」と書いている(『人間的な』)。人間、百歳まで生きると仮定して、それを25年ごとに区切る。すなわち一毛作目は25歳までの人格形成期、二毛作目は50歳までの必死に働いて生活を形成する時期、三毛作目は75歳までの新しい人生を楽しむ時期、最後の四毛作目はもうけものの人生で思うままに生きる時期、だと。

それは直接には、戦時下で岡山の生家の紙屋を閉め、戦後大陸から命からがらで引き揚げ、そして67歳の時にVANを倒産させて、人生で3度、無一文になってそれからもなお「悠貧」を自称して、05年に93歳で亡くなるまで、まさに自由闊達に生きた彼自身の人生に根ざしたことではあるけれども、「25年区切り」と一般化して説かれると、なるほど、そういう構え方もあったのかと感心する。私なんぞはまだ三毛作目に踏み込んだばかりの人生半ば過ぎということになる。

私たちが社会に出て、石津の言う二毛作目を歩み始めた頃が、VANに代表されるアメリカン・トラッドの時代で、紺のブレザーにボタンダウンのシャツを着て派手目のネクタイを結んだ。それは、上の世代のドブネズミ色の背広ファッションに対する、「ただのサラリーマンなんかになるもんか」という粋がりの象徴でもあったのだろう。

40歳前後からテレビによく出るようになって、最初のうち私の女友達グループがスタイリスト集団を作ってほとんどボランティアで衣装の面倒を見てくれていたが、今から15年ほど前だったろうか、1週間に2度続けてアサヒビールの当時社長だったか会長になっていたか、樋口広太郎さんにお目にかかることがあって、たまたま私が2度とも紺ブレ姿だったのを見て、樋口さんが「高野君はいいねえ、いつもトラッドでビシッとして」と言った。それで私は「あ、そうか。俺たちの世代はいつもこれでいいんだ」と思い至り、以後、テレビはもちろん普段のほとんども紺ブレとグレーのズボン一本槍にして、Yシャツとネクタイだけでバリエーションを付けるだけに切り替えた。そう決めてしまうと誠に気が楽になり、今日は何を着ていこうかと迷うことがなくなった。

そうなってから気が付いたのだが、これはソニー・ミュージックエンターテインメント元社長、ソニー・コンピューターエンターテインメント元会長のマルさんこと丸山茂雄さんの真似だったのだ。彼は年がら年中、紺ブレに白のポロシャツ、ジーパンに白のスニーカーというスタイルで、改まったパーティであろうと決してそれを崩さないので有名。ソニーを辞めて03年にインディー・レーベル「に・よん・なな・みゅーじっく」を設立して東京と沖縄を往復する今もそれは変わらない。あそこまで徹することは出来ないしその必要もないけれども、マルさん流を自分なりに応用させて貰った形になっている。ちなみに、マルさん関連のサイトは次の通り。▲

に・よん・なな・みゅーじっく http://www.247music.co.jp/
ダウンロードサイト「247mf」 http://www.mf247.jp/
ブログ「丸山茂雄の音楽予報」 http://d.hatena.ne.jp/marusan55/


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[*]突然の「納豆品切れ」に見る日本人の馬鹿さ加減!
[#]襟裳は今年初めての真冬日、烈風が吹きすさんでいた!
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