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2011年12月23日

高野孟の遊戯自在録033

 長らくご愛読頂いた本録ですが、11月以降は、「まぐまぐ!」上での有料メルマガ「高野孟のTHE JOURNAL」配信開始に伴い、装いも新たに「閑中忙記」および「房総田舎暮らし徒然の記」という形で継続しています。大変恐縮ですが、同メルマガのご購読手続きをして頂いた上で引き続きご愛読下さい。よろしくお願いします。たかの

2011年9月17日

高野孟の遊戯自在録032

9月1日(木

 鴨川自然王国の「里山帰農塾」の通算第39回、今年度第3回が9月17〜19日に開講するので、メールのやりとりでその打ち合わせ。今回のテーマは「地域コミュニティで暮らす」ということで、私の5年目に入った鴨川暮らしの体験に基づいて「コミュニティとは何か」を講義してほしいとのこと。東日本大震災の復興を考えても、結局のところ、国が何をしてくれるかと上からの施策を待っていてもどうにもならず、それをどうだこうだ批判しているよりも、地域の共同体が下から知恵を結集して何とかするしか仕様がない。東北の現実は、国よりも自治体やそれを支える地域のほうが問題解決能力があり、それが発揮されることをむしろ妨げているのが国による一律的な規制やその背景にある不毛な平等主義ではないかと思えてくる。例えば、仮設住宅を作るのに、当初、国が各県各市町村で一定の基準を満たすように作れと命令したことが、各地の実状に応じた対応にとって大変な妨げになったと聞いた。この国はそのような馬鹿馬鹿しさで満ちている。
★鴨川自然王国/里山帰農塾:http://www.k-sizenohkoku.com/

9月2日(金)

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 野田内閣の組閣人事のニュースを聴きながら、今日は丸1日、刃物類の手入れ。鉈は、大中小3種類は私が知り合いの高知県南国市の鍛冶屋「トヨクニ」で自分で鍛造した----とは言っても格好だけで、プレス機械で叩きながら軟鉄本体に鋼を焼き締める作業をちょっとだけ体験させて貰ったというだけで、後はプロが刃を叩き柄を付けて仕上げて送ってくれるだけなのだが----ものがメイン。他に、もっとゴツい山林用と細身の竹割り用などがあるので、鉈だけで5本も6本もある。何カ月に1度は全体を点検して、錆を取ったり刃を研いたりして、いつもベストの状態にしておかなくてはならない。写真は自製の鉈の3兄弟。

9月3日(土)

 朝7時に北海道放送の中村美彦キャスターのラジオに電話出演。野田内閣について原稿執筆。そのあと道具小屋に籠もって道具の整理作業。

9月4日(日)

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 先月末に館山の田中惣一商店で買ったノコギリがビニールのチャチなケースに入っていたのが気に入らなくて、半日かけてケースを製作した。こういうケースを、板切れを貼り合わせて、カチッと填まるようちょっとした仕掛けを施して、柿渋、弁柄、漆、くるみなど植物油といった伝統塗料を適当に組み合わせて塗り上げるのが、私の趣味の1つ。今回は、柿渋を1回だけ塗った上に荏の油を板に沁み込むほどたっぷり塗って磨き、最後にニスを薄く塗った。左にあるのは、以前に作った稲刈釜のケースでこれは柿渋と弁柄を混ぜて塗ってある。

9月5日(月)

 午後に出て、麻布の事務所で打ち合わせの後、サントリーホールでソプラノの中丸三千繪のモノオペラ。プーランクの「人間の声」50分、三枝成彰の「悲嘆」90分を一夜で歌い遂げる中丸の迫力に圧倒された。

9月6日(火)

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 朝の東海ラジオは野田新首相の党・内閣人事はまずまずで、「輿石幹事長」は小沢もビックリのズバリ内角高め直球ではないかというお話。10時から釜沼北の棚田クラブの脱穀作業。本来4日の日曜日に会員参加のイベントとして予定していたのが、台風の影響による雨で延期となった。急な変更でしかもウィークデーなので都会人会員の参加は無理なので、地元会員の米国人C君夫妻、陶芸家のM君、家族を都会に残して単身赴任で農業を目指しているI君、それに私が参加。3時間ほどで2反歩余りの会員用田んぼの脱穀を終え、指導者である4人の爺様の1人Sさん宅に運び、乾燥機に投入した。夕方涼しくなってから、春に植えた野芝の伸び放題を刈り込む作業に着手。

9月7日(水)

 13時半から引き続きSさん宅で、籾摺。昨日乾燥機に入れた籾を、今度は籾摺機に流し込んで、玄米状態で流れ出てくるものを30キロ袋に詰めるのが全自動で行われるので、人力が必要なのは袋の口を縛って積み上げるだけ。30キロ袋で28袋、840キロ、ということは14俵、ということは反当り7俵で、出来のよかった昨年よりやや少ないが、まずまずの収量である。21組の会員に分けると1組当たり40キロの配分となる。年会費が3万円なので、単純に計算すれば10キロ=7500円の米ということになるが、田植え・稲刈りはじめ月1回程度のイベントで遊ばせて貰い、その度に何十人分の昼食を用意してくれて、またイベントの合間には爺様方がいろいろな準備作業や田んぼの手入れを怠らない訳だから、高くないどころか、ボランティアで世話してくれている爺様方に感謝しなければならない。夕方、家の芝刈り続行。

9月8日(木)

 明後日、雑誌の取材が来るので、家内は家中、私は散らかり放題の書斎の大掃除。午後から原稿を書き始めたが、夕方、なでしこジャパンの試合を観戦しながらビールを飲み始めてしまったので完結せず。

9月9日(金

 早朝から原稿書き続行。終わってから大掃除の続きで、芝刈り、畑の雑草取り、道具小屋の片づけなど外回りの整備を行う。昼から「9・11」10周年関連の記事をまとめて読み、論点を整理した。夕方車で横浜に出て「NPO神奈川馬の道ネットワーク」の年次総会に出、理事長として挨拶と司会を果たし、21時過ぎに帰宅。

9月10日(土)

 トステム・グループのPR誌の「お宅拝見」という感じの取材で、編集者、ライター、カメラウーマンが来訪、2時間ほど家で過ごしてから13時過ぎに一緒に鴨川自然王国へ。今日は王国会員プラス早稲田の高野ゼミ現役&OBによる稲刈りで、学生15人ほどで4時間でほぼ1
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反歩を刈った。例年通り、今年も鎌で指を切る奴がいて、スタッフが近くの病院に運んで2針縫って貰って来た。始まる前に、(1)鎌は鞘がないから持ち歩く時は気を付けろ(だから私はケースを自製している=9月4日参照)、(2)腰に差すと転んだ時に腹や尻に刺さるぞ、(3)稲を刈る時は勢いをつけて叩き切ろうとしたり力を入れて水平に引いたりしないで(水平に引くと勢い余って足に刺さる)、そーっと差し込んで左手で掴んだ稲束の後ろに当てて斜め上に引き上げれば何も力を入れなくともサクッと切れる、(4)左手で稲を束ねる時は親指を下にせず小指を下にしろ(親指は独立して動くからうっかり下に伸ばすと鎌に当たって切りやすい)----などと懇切丁寧に説明するのだが、そもそも今の若者は"刃物教育"を受けていないから扱いが巧くない。私ら子供の頃は、誰もが肥後守を持ち歩いて近所の大工の息子から研ぎ方まで教わったし、小学校4年くらいからは「海軍のおじさん」と呼んでいた母方の叔父にハイキングやキャンプに連れて行かれて米軍お下がりの大型ジャックナイフで何から何まで自分で細工することを教えられたものだ。町村信孝が文科大臣の時に学校でナイフによる傷害事件が起きて「学校に刃物を持ち込むな」という通達を出したので、私は「逆だ。学校で刃物の扱いを教えろ」と猛然たる抗議文を送った。町村は昭和19年生まれの「一休会」のメンバーである。

 夜は焚き火を囲んでバーベキューの大宴会。ほどほどで軽4輪を運転して帰った。

9月11日(日)

 昼前の高速バスで千葉市に行き、民主党千葉県連の政治スクールの記念講演。早稲田の大隈塾社会人コースの卒業生で今年春に大手食品会社を辞めて佐倉市議選に民主党から立候補、初当選した高木大輔君からの依頼なので、喜んで行った。県議・市議中心の100人ほどの方々に、「民主党政権3年目の課題」について講じた。

9月12日(月)

 東京FM系JFNの全国ラジオの収録は自民党の異端児=河野太郎さんがゲスト。「核燃料サイクルは破綻している。即刻、計画を取りやめろ」という持論を40分間、思い切り語って貰った。明快で気持ちよかった。東京泊。

9月13日(火)

 東海ラジオは、野田首相が「安全な原発は再稼働」と言うがどういう基準で安全というのか、私の基準だと再稼働を検討してもいいものは数基しかなく、再稼働は実質的に不可能で、その意味ですでに原発は終わっている、という話をした。午後から大阪へ行き、日本政策金融公庫の大阪西支店の講演。19時半に心斎橋の「若松」で何年かぶりに愚弟=津村喬と一杯飲んで近況を報告し合った。今は京都に住んで、相変わらず「気功」で頑張っているようだ。大阪泊。

9月14日(水)

 新幹線の車内誌『ひととき』9月号に「主に食文化の視点から世界各地を取材」しているというフォト・ジャーナリスト=森枝卓士が、こんなことを書いている。「『とりあえずビール』が嫌いだ。そんな消極的な理由でビールを選ぶなんて、ビールに失礼ではないか。
『××ビールが飲みたい』ということでなければ。それが酒飲みの矜持ではないか」と。な〜にを言っているんだ。「とりあえずビール」というのは、上着を腕に抱えていても背中を汗が流れ落ちるような暑い日の夕方に、ようやく店に飛び込んで、「あ、つまみは後でゆっくり頼むから、取るものも取り敢えず先にビールを持って来てよ」という、もう午後の内から夕方のこの1杯のことばかり夢想していたビール好きが、もう多くの言葉を費やすのももどかしいという
気持で発する切羽詰まった省略形なのだ。飲み屋に行って「うーん、冷酒にしようかな、芋焼酎のロックにしようかな、まあ取り敢えずビールにしておこうか」なんて迷う奴がいると思ってこんなことを書いたのだとしたら、貴方こそ酒飲みの心理が分かっていない。人様に向かって「酒飲みの矜持」とか言うのは10年か20年早いんじゃないの。
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hagi.jpgのサムネール画像tsuribana.jpgのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像
 帰宅すると、彼岸花が出始めていた。萩も今が盛りだし、ツルバナの実も
赤く熟れて鳥についばまれるのを待っている。残暑が厳し
いながらも初秋の気配が広
がってきた。▲

2011年8月31日

高野孟の遊戯自在録031

8月10日(水)

 9時から釜沼北の棚田クラブの草刈りということで、張り切って出掛けたが、集合場所に来ていたのは会員で東京からの移住者であるIさんだけで、指導者である4人の爺様方は誰もいない。2人で「あれ?日にちを間違えたかな」と言いながら連絡をとると、部落の婆様が昨日だかに亡くなって、葬儀社に頼らない昔ながらの村の葬式をやるのでてんやわんやになって、今日は出られない、昨日のうちに会員の皆さんに連絡するのを忘れていた、誠に申し訳ないとのこと。昔ながらの村の葬式って民俗学的に興味あるよね、とか言いながらIさんと2人で田んぼ周りの草刈りをした。まったく、村の暮らしには窺い知れぬ深いものがある。

8月11日(木)

 近くのホームセンター=コメリで一寸角の木杭を長中短交えて買ってきて、既に敷設した新しい水源(8月9日付参照)からのパイプを支持するための杭打ちを開始。これはなかなか手間がかかりおいそれとはいかない。

8月12日(金)

 午前中、東隣地斜面で前に草刈りしておいた部分の枯れ草を燃やす。膨大な量なので、山火事にならないよう風向きを考えながら火力をコントロールする。午後はパソコンに張り付いて仕事。

8月13日(土)

 3分の1世紀を超える付き合いのジャーナリスト仲間とその奥様、計5人が鴨川来訪。元インサイダー同人で今はINSIDELINEを主宰している歳川隆雄夫妻、報道写真家の山本皓一夫妻、前日刊ゲンダイ記者で今はBS11の役員兼キャスター、鴨川の海辺に別荘マンションを
nagashima2.jpg
持っている二木啓孝で、16時頃に二木の車で我が家に到着、一服してから天津小湊の魚料理店「なが島」へ。ここは、前にも書いたことがあると思うが、外房随一の魚料理の名店で、皆さん大満足。車で5分の二木のマンションに移動して海の夜景を見ながらの2次会で日本酒を飲んでヘロヘロ。二木はそこに泊まり、歳川・山本両夫妻は我が家と近くの「青少年研修センター」に分宿した。

8月14日(日)

 歳川・山本両夫妻と共に我が家のベランダで朝食を摂っているうちに二木が到着して合流、11:30に出て鴨川・曽呂地区にあるスペイン料理屋へ。前にも書いたと思うが、え!こん
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なところに何が?と思うような田んぼの中にある一軒家で、立体造形アーティストの岡部さんご夫婦が金土日のみ予約制で開いている。地元の魚介類、自家栽培のトマトはじめ有機野菜を用いた本格スペイン料理で、特にお勧めはイカ墨のパエリア。皆さん大満足で、グルメ志向の歳川も「都内にいくつかスペイン料理屋があるが、こんなのは初めて」と絶賛してくれた。帰路途上にある故・水田三喜男元蔵相の生家に立ち寄り、昔の茅葺き日本家屋とはどういうものかというレクチャーを受けてすっかり感心して、そこで皆さんとお別れした。

8月15日(月)

 南に面した庭にミニ小川を作る作業を開始した。これについては、ある程度完了したところで報告する。午前はその作業で、午後は読書と資料整理。

8月16日(火)

 午前中、小川作りを続行。午後は原稿書きと読書。

8月17日(水)

 今日も朝から小川作り。午後は原稿書き。

8月18日(木)

 一念発起して、書斎の床に山積みになっている新聞・雑誌の切り抜きなど資料を抜本的に整理して、捨てるものが7割、残したものをきちんと分類してファイルするという、丸1日掛かり(朝5時から夜9時まで)の大作業に取り組んだ。3カ月に1度ほどこうやって身辺を整理すると、やらなければならないことが浮かび上がって来て、よーし、本でも1冊書こうかという気になってくる。

8月19日(金)

 久々に雨が嬉しい。小川作りと原稿、読書。

8月20日(土)

 終日、小川作りに没頭。

8月21日(日)

 本日、7月半ばから断続的に続けてきた「第3水源」から約200メートルの配管工事と、それに伴う「ミニ小川」工事が一応完成した。
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 そもそも我が家の上水の水源は3つあって、元々のメインである第1水源は、ここへ引っ越して以来使っている近所の農家Sさん所有の西隣地の森の中の湧き水。これはなかなか優れた水源で、正常時には1分間1.5リットル以上の水量があるので、それを基準として砂による浄化装置を設け、それを貯水用の8トンタンクに導いて使っている。が、この水源は昨年夏の渇水時には枯れかけたし、今年も空梅雨のせいか水量が落ちるなど、水量にムラがあり、ヒヤヒヤさせられることも少なくない。そういう場合の補助的な第2水源として、第1水源近くの堰堤から漏れ出ている水があって、それをパイプで繋いで使うこともあるが、これは濁りがやや強くて、非常時以外は余り使いたくない。そこで今夏は、新たな第3水源として、東隣地の排水溝の脇から出ている水量豊富な湧水を引っ張ることにした。水源一帯の放置されて藪化した草地を草刈り機で切り開いて、次にその手前の荒れ果てた森に人の通れる道を作り、そこを通じて延々200メートル余りパイプを敷いて浄化装置にまで繋いだことは、本録7月24日、8月4日、同9日でも書いた。

 それで様子を見ていたところ、最初のうちは第3水源の豊富な水量のおかげで8トンタンクはたちまち満水となりオーバーフローが勢いよく流れ出て、まことに満足すべき状態だったが、ふと気が付くとオーバーフローが止まっている。調べると、第3水源からのパイプの継ぎ手が途中で外れて漏れてしまっている。「あ、繋ぎ方が緩かったか」と繋ぎ直すが、また半日か1日の内に同じことが別の継ぎ手のところで起きる。それで気が付いたことは、第3水源の水量が多い上に、森の道を出て我が敷地内に入ってからの落差が大きいために水圧が高すぎて、浄化装置の適正処理能力(1.5リットル/分)に合わせてバルブを絞ると、どこかの継ぎ手が弾けるように外れてしまうのではないか、と。

 200メートルすなわち4メートルの20ミリ水管を50本繋いでいて、ということは継ぎ手が50カ所あるので、どこが外れたか草地の斜面を登り森の道を抜けて東隣地の藪の中にある水源まで一々探査して繋ぎ直すのは容易なことではない。もちろん、全部のパイプの継ぎ手を接着剤で固定して地中に埋設してしまうという手もあるのだが、そうすると何か変更が生じて繋ぎ直す場合や事故が起きてメンテナンスが必要になった場合に、いちいちパイプを掘り起こして切断しなければならず、かえって不便になる。そこで、敷地内に入ってからしばらくのところに分岐を設けて、半分ないし3分の2に減水・減圧した分を上水タンクに流し、半分ないし3分の1を分岐に流して、それを主水源として南斜面にビオトープ小川を作ることを思い付いた。

 ビオトープ風に池や川を作るには、下に遮水シートを敷いて上から土を被せ石を置くなどする方式と、手近に粘土があればそれを撞き叩いて固める叩き粘土方式とがある。我が敷地は、50年前までは棚田だったところで、初めから田んぼに適したこの地域特有の重粘土の土質だから、叩き粘土方式が合っている。

 分岐から30メートルほどパイプを引っ張って、南の緩やか斜面の中程にある榎の根元あたりから水が流れ出るようにして、それを小川の起点とした。パイプから流れ落ちる水の勢いで地面に穴が開かないよう、石をいくつか置くと、翌日にはもうその石の下にサワガニの親子が棲み着いていた。そこから先は、鍬で掘ってチョロチョロ小川を作っていくのだが、ただ溝を掘っただけでは自然の起伏や穴ボコがあり、草や葛の根や石があちこちに突出したりもしていて、そこからたちまち水漏れしてしまうので、まずは大雑把にカケヤで地面の粘土を叩いて水の道筋をつけながら、底と縁の土を手作業で固めていく。これは根気の要る仕事で、指で水の流れる底や縁を1センチ刻みで探って、指先がブスッと潜ってしまう柔らかいところは上から粘土を詰めて、拳で叩いて締めて、根っこの切れ端や石が出ているところは取り除いて穴を粘土で埋めて、最終的には親指でどこを押してもほとんど凹まない程度にまで固めていく。一度や二度やっても、見落としがあるし、また時間の経過とともに水の流れで思わぬところに穴が開いたりするので、五度六度、十度とそれを繰り返して、次第に水漏れのない水路を作り上げていく。

パイプの出口をその榎の近くに持ってきたのは、理由があって、実はその榎の根元に元々からの自然の水源があって、昔はもっと豊富に出ていたのかもしれないが、今は雨が降った後にはチョロチョロ流れ出てその辺りがちょっとした湿地帯になるが、晴れが続くと出なくなってしまうというところがある。その湿地帯に傾斜を付けて水を導き、パイプから出た水による小川と合流させて水量を補うことができるのではないかと考えたからである。こういう自然の湧き水は、放っておいて出て来た水の行き場がないままにしておくと、だんだん枯れてしまう。行き場を作ってやって、常に水を一方向に引っ張るようにしてやると、地中の水の路がクセが付いて、いつも出るようになる。これは本当に面白い現象で、男女の仲に喩えるべきか、いつも引っ張ってやればこちらに向いてくるが、それを怠ると土中の水路が浮気を起こしてどこかに分散して思うところに集中しなくなる。巧く行くかどうか分からないが、これまで数日観察したと
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ころでは、このところ断続的に雨が降っていることもあるが、この自然水源も水を出し続けている。写真左は「小川」のスタート地点で、中央上の榎の幹の手前に分岐されたパイプの出口があり左側を流れ落ちてくる。榎の幹の右下あたりに自然水源がありそこから引いた水が右側を流れて合流する。

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 小川の出口は、ベランダ横の側溝で、そこに竹の半割を伝った水が石の上に落ちて側溝に流れ込む「掛け流し」の仕掛けを作った。ご近所の皆さんが「庭先に水が掛け流しで出ているとは、これまた贅沢なことで」と羨ましがってくれるのが嬉しい。それはそうで、水源を見つける、そこからパイプを200メートルも引く、水が多すぎるから分岐して調節する、粘土を固めて小川を作る、それを掛け流しで側溝に落とす、その側溝をビオトープとして活用してクレソンを育てる----といったことは都会ではいくら金を出しても実現できない。金で買えない幸せがあるというのが里山である。

 これから1カ月ほど経つ内に、パイプと天然の両水源からなる小川と掛け流しと側溝とを丁寧にメンテしていくと次第に落ち着いてきて、水漏れの心配も少なくなるだろうから、そうしたら途中に水生植物が付きやすい小さな池や、小鳥が好きな瀬や砂地の部分を作って変化をつけていくことにしよう。側溝には、毎年カエルやトウキョウサンショウウオが産卵するので、適度の水深と水質を確保しなければならない。

8月22日(月)

 このところ新聞・雑誌などで熱中症対策で適度に塩を補給しろとか、そういう意味で塩入り飴が売れているとかいった記事が目につくので、「塩とは何か」について、従来から考えを積み重ねてきたことを書いておこうと思い立って、「塩と海と人」と題して明け方から書き始めたら、どんどん長くなって、夕方までかかってしまった。長いので3回に分けてINSIDER及びThe Journalに載せることにしたが、「総理大臣が交代しようかというこの時期に、こんな暢気なことを書いていていいのか!と言われそうなので、いや分かっているけど敢えてやってるんだという意味で「高野閑話」という冠を付けた。これまで「高野論説」(editorial)と「高野尖報」(flash)という冠があったが、これを付け加えて、私がINSIDER及びThe Journalに書く原稿はたぶんこの3つのどれかに分類されることになるだろう。閑話は英語ではidle talkかな。それ以外にThe Journal上の本稿「遊戯自在録」である。

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  さて、塩の話だが、要点は、塩を摂ることは塩化ナトリウムを摂ることと同義ではなく、生命の母である海水の組成に出来るだけ近い多様なミネラル類を塩化ナトリウムと共に摂ることでなければならないはずで、それには私の知る限り、沖縄の「ぬちまーす」が世界で一番だという
にある。
★ぬちまーす:http://www.nutima-su.jp/

8月23日(火)

 朝の東海ラジオは、なぜ菅直人首相が辞めなければならないのか、私は理解不能であるという話をした。菅がいいというのではなく、立候補者が菅よりマシだという理由が分からないということである。

 Ko君が草刈りの手伝いに来てくれて、敷地上半分が綺麗になったので、水パイプのラインの要所に杭を打ち込んでパイプを固定する作業を行った。

8月24日(水)

 元大阪読売社会部の大記者=斎藤喬さんが昨日亡くなったという報せが届いた。肝不全だった。元々底なしの酒飲みで、10年前に読売を定年退職後、立命館大学などで若いジャーナリストの育成に情熱を傾けていたが、その間にどんどん酒量が増えて、休みの日など朝から飲んで明るいうちにウィスキーを1本空けてしまうほどで、夕方会った時にはすでに泥酔に近い状態ということもあり、「こんな飲み
方をしていたら、いずれ...」と覚悟をしてはいたが、ショックが大きい。

 紛らわすためもあって、20日付日経土曜版の「家族で一日楽しめる道の駅」人気ランキングで東日本第3位に館山市の「南房パラダイス」が挙げられていたのを思い出して、もっと手近な道の駅はいくつか常用しているが「ここは行ったことなかったねえ。近くにこんな素晴らしいところがあったとは」と、家内と出かけた。が、嘘ばっかり。「国内最大級の屋内型動植物園を併設、熱帯の草花や鳥を観賞できる。レストラン、売店は海鮮料理や南国フルーツのスイーツが充実」という日経の宣伝文句も、確かに熱帯・亜熱帯植物を集めた温室の数々は大したものだけれども暑くて夏に行くものではないし、海鮮料理のはずのレストランは週末のみ営業で閉まっていて、喫茶部のまずいカレーを食う羽目に。このくらいの"外れ"も珍しいというくらいの最低の体験で、マスコミのランキングなど信じてはいけないことを思い知った。

8月25日(木)

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 夕方から、三浦半島の乗馬クラブ「クリエ三浦」で、私が代表を務めるNPO神奈川馬の道ネットワークの幹事会が開かれるので、家から車で出て、20分ほどで金谷港着、14:20発の東京湾フェリーに乗って40分で久里浜へ。時間が余るので、港の脇のカインズでしばらく時間を過ごして現地へ向かう。帰りは久里浜19:10発の最終フェリーに間に合って20:15帰宅。久々にこのフェリーに乗った。横浜に住んで鴨川に通っている頃はしょっちゅうで、車の誘導係のおじさんと顔馴染みになるほどだったが、今は東京へ出ると言えばアクアライン経由なので、すっかりご無沙汰になってしまった。写真は久里浜港に入る「かなや丸」。この超アナログ感がいいですね。

8月26日(金)

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 13:00過ぎに車で出て品川経由、大阪へ。18:00から高槻市の葬儀場で斎藤喬さんの通夜。焼香が終わった後のお経が続いている間にチョロッと抜け出して、大阪ミナミ・法善寺横丁の「美加佐」へ。ここは大阪随一だと言って斎藤記者が十数年前に私を連れて行ってくれて、以来私が、自分はもちろん家内や友人まで連れて、通ってきた店。斎藤さんの通夜に飲むところはここしかない。8時過ぎに店に行くと、おかみさんも親父もも、「どうしたんですか、こんな時間にお一人で?」と。大体は5時か6時に誰かと一緒に行くから、そう言われても仕方ない。「いや、今日は斎藤記者のお通夜だったのよ」「えっ!亡くなったの?」ということで、親父と献杯を重ねた。大阪泊。

8月27日(土)

 朝5時起き。ジャーナル原稿、今日午後の名古屋「栄中日文化センター」講座のレジュメを執筆・送信。さらに今日の斎藤記者の告別式に出られないので、求められていた弔辞を手持ちのデジカメ=CANON G9のビデオ機能で4分半ほどのメッセージにして撮ってMacに落として、DVDにコピーして、それを高槻市の葬儀場に届けてから名古屋に向かった。ビデオ弔辞の内容はおよそ次の通り。

▼もう3分の1世紀を超えていますよね、最初に斎藤さんと知り合ってから。私が週刊誌の取材で大阪の闇社会を探るといった仕事で大阪に来ていて、「そういう話は読売の斎藤記者だよ」と紹介されたのでした。それから、まあよく飲みましたね。......最後は1年ちょっと前、法善寺横丁だったと思います。でも、飲み始めてから15分もしたら、もう椅子の上で眠ってしまって。それを見て、「ああ、誘わないほうがよかったのかな」と。私と会えば酒になってしまう。まさか斎藤さんとコーヒーかクリームパフェでしゃべってるなんて考えられませんから。その頃は毎週、大阪に来ていたんですが、何となく誘いそびれて...。それっきりになってしまいました。コーヒーでもいいから会えばよかったのか。今は何とも複雑な気持ちです。

▼私もジャーナリスト生活を40数年続けてきて、この世界にたくさんの知人や仲間がいますが、その中で特
別な存在が2人いて、1人は師匠と呼べる人、これももう亡くなりましたが。もう1人が兄貴と呼べる、3歳上の斎藤さんでした。この2人に共通するのは、ジャーナリストの心意気----「全世界を、1人で引き受ける」という気概です。世界のどこで何が起きても、日本のどこで何が起きても、自分の目でそれを見極めて、その意味を問い詰めて、そしてジャーナリストと出来ること、書けることは何かを決める。そのことを2人から学びました。しかし、毎日毎日をそのように張り詰めて生きるのはしんどいことで、だからその神経の緊張を一時ほぐすために少々の酒が必要だったのでしょう。

▼もうそちらに行ったんですから、2度と死ぬことはない訳ですから、好きなだけ酒を飲んで下さい。...いずれ私もそちらに行きます。...そうしたら、斎藤さんは、天国の入り口で私を迎えて、「おお、よく来たね。待ってたよ」と言うんでしょう。...「天国にも提灯横丁があってねえ。いい店があるんだよ」てなことを言うんでしょうね。...それまでしばらくのお別れです。さようなら。

 名古屋の講座は、何で菅ではダメなのか。今出ている候補者で官僚体制と戦えるのか、脱原発路線は後退しないのかなど、この代表選それ自体のバカラしさについて語った。

 18:30過ぎ帰宅。前日から孫が来ていて「ジイジ〜、待ってたよ〜」とか言われてメロメロ。

8月28日(日)

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 孫を含め家族3世代で参加している「釜沼北棚田」の稲刈り。今年は空梅雨が祟って生育期に水が不足気味で、作柄が心配されたが、まあまあ昨年並みの収量にはなりそうだし、放射能は心配ないという検査結果が出ている。27組の家族連れ約50人と言っても幼児もいるので実働40人ほどで9時半から手刈りで刈り始めて、13時までかかって予定の4枚の田んぼのうち3枚とちょっとくらい。数日前に雨が降って田がぬかるんでいるので効率が悪い。後は爺様たちが機械で刈ることになる。村の公民館に移ってバア様たち手作りの鶏の混ぜ御飯で昼食。8月15日に4歳の誕生日を迎えたばかりの孫は張り切っていたのだが、前夜から風邪っぽく微熱があるので早期リタイアして家で昼寝していた。しかし、「晩ご飯はどこへ行こうか」と言うと即座に「池田。お魚と白いご飯」と、ハッキリしている。池田は、本録には何も出て来るが、鴨川市内にある魚料理の名店で、ご飯はもちろん地元の長狭米を使っているので、魚もご飯もおいしい。アジの塩焼き、イクラ、タコの唐揚げでご飯も茶碗一杯平らげたので、これなら風邪も治るだろう。「また来るからねー」と去って行った。

8月29日(月)

 朝、涼しい内から、まずは昨日、私、家内、婿が使った稲刈鎌3本や地下足袋の手入れ。鎌はもう1度洗って研いで油を塗ってケースに収める。もっと大型の草刈鎌は雑草刈りにしょっちゅう使うが、小型でシャープな稲刈鎌は年に1度、私専用のは9月に入って自然王国の稲刈もあるので2〜3度使って1年間お休みだから、来年取り出した時に「あれ?錆びてしまった」というのではお話にならないので、丁寧にケアする。

 次にベランダ脇の側溝の泥を渫って水の流れをよくする作業。8月21日の項で述べた、ビオトープ小川の出口の掛け流しがこの側溝に流れ込む。これまでは、雨が多いと水が溜まり、そうでないとカラカラに
creson.jpg乾いてしまうという繰り返しだったが、掛け流しの水がたとえチョロチョロでも常時流れ込むとなると、この側溝自体が1つのビオトープとなる。まず手始めに、半分死にかけていたクレソンを生き返らせた。クレソンは夏には弱く、秋になるとどんどん増えて大きくなる。

午後は、寝室南面の窓の外に置いてあるゴーヤの緑のカーテンの
蔓が伸びすぎて垂れ下がって絡み合ってしまっているのを、上に竹棒を継ぎ足して、もつれを解いて伸びやすいようにしてやるのに2時間を費やした。さらに夕方は、今春に高田造園が植えた野芝が伸び放題になっているので、まずベランダ東側のメイン芝庭の部分の刈り込みに着手。結局、終日外にいて、民主党代表選の様子は居間から聞こえるテレビの音声でフォローした。結果? まあ「海江田にならなくてよかった」のひと言に尽きる。

8月30日(火)

Ko君が手伝いに来てくれる日なので、今日は、敷地の柿の木が榎と抱き合ってしまって昨年も一昨年も実りが悪かったので、榎を切り倒して柿を解放する作業に取り組む。柿と言っても渋柿だが、「柿酢」を作るにはたくさん実らないと困るのだ。榎は多分25〜30年もので直径30センチほどの中くらいの太さで、根元から切り倒してしまえば簡単だが、それでは柿の枝が折れてしまう。長いはしごをかけてノコギリで丁寧に榎の枝を切り落として、幹だけにしてからチェーンソーで幹を倒した。落とした枝の葉先を払って薪になりやすいよう始末して、2人で2時間の作業だった。昼食前に、チェーンソーの分解掃除と刃の目立て。心を込めてやると30分ほどかかるが、これをやっておくと次に使う時に気持ちよく作業できる。

 午後はKo君は奥の方の草刈、私は芝刈を続行。芝面の地形が
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入り組んでいる上、周りに微細な植栽もあるので、大型の手押し芝刈機でバーッと刈る訳にはいかず、手持ちの電動バリカンと手動バリカンで刈りながら、雑草を除いていくので時間がかかる。除草剤を使わないので、雑草を1本1本抜くのは手間だが、このメイン芝面に関しては、ずっと手入れしてしてきたので、ほとんど雑草も生えない。端の方に行くと雑草が少し進出してくるが、高田造園の高田さんによると、「ゴルフ場じゃないから、適度に雑草が混じっていいんですよ」とのことだから、選択的に雑草を残しながら刈り上げる。刈り終わると、大小2つのクマデを使い分けてサッチ(芝の枯葉の堆積)を掻き出して、根の方まで酸素と日光が届くようにしてやる。写真左は東側から見た芝面とその向こうのベランダ。芝面の右は前からあった高麗芝、左はそれを半分剥がして高田造園が植えた野芝。

8月31日(水)

 台風の影響で雨のはずが、なかなか降りそうにないので、午前中に芝刈りを続行。これでベランダ東側のメイン芝庭については一応(第1回の)作業を終えた。まだ台所口前、門からのアプローチ脇、風呂場前、浄化槽周りの4カ所の芝生が手入れを待っている。

 昨日の「東京新聞」によると、海江田が第1回投票で1位となる公算が大きくなったことで仙谷由人が危機感を持ち、28日夜に鹿野と密かに接触、鹿野が第2回投票で前原に投票することには抵抗があると言ったのに対して、仙谷は「分かった。野田を2位にするよう、前原の票を野田に回してもいい」と言ったという。ホホーッ、なかなかの駆け引きをやるもんじゃないかと思い、仙谷本人に聞くと、何と、「全くの出鱈目、創作です。この間のマスコミ記事はリークと揣摩憶測とフィクションが殆どです。小沢史観のうえに、仙谷由人ミニ史観で書いています。マスコミの劣化はひどいものです。私は鹿野道彦さんには会っていません」だと。ひえーっ、聞いてみなければ分からないものだ。新聞を真に受けて、「東京新聞によれば、仙谷もなかなかしたたかで...」とか論評したりすれば大恥をかいてしまう。▲


2011年8月11日

高野孟の遊戯自在録030

8月1日(月)

 今日で早稲田は前期最後の授業。午後の大隈塾授業では、東北被災地の支援ボランティアについて議論したが、「行きたいと思うがどこで何が出来るのか分からない」「物見遊山になるのでは」「目的意識を持って行かないと意味がない」「慌てて現地に行くよりも根本的なことを勉強するのが先ではないか」等々の意見が少なからずあって驚いた。締めくくりに発言した私は、「行って下さい。テレビで現地の様子を見ているだけでは、五感のうち視覚と聴覚しか使っていない。それで物事を分かったような気になる人間を私は軽蔑する」と言った。私ら若い頃には、考えるより先に体が動いて、理屈は後から付いてくるのが当たり前だったが、今の若者はまず勉強してじっくり考えて、失敗しないような道筋が見つかれば行動に移してもいいかな、それも面倒くさいかな、といった思考回路を辿る者が多い。頭の先っぽで考えるのでなく、体全体で考えろと言うんですが...。

8月2日(火)

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 朝のラジオの後、終日読書。井上ひさし『吉里吉里人』下巻をようやく読了。玉木正之さんから贈られた『「大相撲八百長批判」を嗤う/幼稚な正義が伝統を破壊する』(飛鳥新社)が面白い。まったく、「幼稚な正義」が大相撲だけでなく日本をダメにしている。明治学院大学の中尾茂夫教授から頂いた『米ドルの内幕』(左右社)は「市場の原理」と「帝国の論理」の交点でアメリカという国の多面性を整理しようとする分かりやすいドル論。

8月3日(水)

 夕方、千葉駅行きの高速バスで出て、千葉刑務所近くの名門料亭「花長」で佐倉市の蕨和雄市長と懇談。大学同級生で製紙会社を退職後、今は佐倉で陶芸や農作業の傍ら社会福祉協議会の役に就いている森田尚武君も同席した。2月に佐倉商工会議所の講演会に行った時に、控え室に市長と森田が控え室に来てくれて、「一度そのうち...」という話になっていたのが、市長からのお声掛かりで実現した。蕨さんは75年早大商学部卒、東京銀行で香港、ニューヨーク勤務も体験した国際派銀行マンの出身で、94年に蕨産業を設立してゴルフ練習場やラベンダーランドなどを経営した実業家でもあるだけに、2007年に無所属で佐倉市長に当選してからは財政再建や福祉施設の充実に手腕を発揮、1期目のマニフェスト達成率が9割を超えるという実績をあげ、今春再選された。「長命を寿(ことほ)ぐ社会を作らないと。厚労省のように長命を厄介視していてはダメですよね」と言うと、「寿ぐとはいい言葉だ。それ頂きます」と言っていた。美味しい料理とお酒で、私の終バスぎりぎりまで話が尽きなかった。
★わらび和雄HP:http://www.warabikazuo.com/

 森田が「例の『西東』を今日、市長にお渡ししておいたよ」と。『西東』とは、早大文学部西洋哲学科と東洋哲学科のOB有志が7年前に創刊した同人誌で、その創刊号の巻頭特集で、西哲同級生で僧侶・歌人の福島泰樹が私をインタビューするという形で、50ページにも及ぶ対談記録「我カク戦ヘリ」が載っている。その号にはまた、私が別稿で「還暦を期して安房鴨川で"エセ山林地主"となるの記」を書き、森田も佐倉惣五郎伝説についての考察を寄稿している。とんだお目汚しで恥ずかしいが、まあ私がどんな人生波乱の末に鴨川に暮らしているかを理解して頂くにはこの1冊に勝るものはないだろう。「我カク戦ヘリ」の全文はここにある。

8月4日(木)

 朝、家内を高速バス停まで送って、そのまま水道用の金具を探しに君津のジョイフル本田へ。我が家から一番近いホームセンターはコメリだがここは店が小さく、車で15分かかるカインズ鴨川店は倍以上の店構えで大抵の用は足りるが、30分かかるジョイフルまで行けば他にないものもほぼ必ず見つかる。昼間は何をしなくとも倒れそうなほど暑いので、15時半まで待って、長中短の角杭20本と鎌、鋸、その他小道具を担いで山に登り、先日仮設置した水道管の補強工事に取り組む。水源と最終的な貯水タンクの間には大きな落差があり、現状でも問題なく水は通っているものの、途中には土手あり起伏ありで、塩ビの20ミリ菅は凹部ではたわんでしまう。水に勢いがあるうちは問題ないが、勢いがなくなった時が心配だし、たわんだ所に少しずつ泥が溜まる危険があるので、凹部には杭を打って菅を金具で止めて支え、凸部では土を削って上り傾斜を解消したりして、できるだけ水平もしくはやや下りの傾斜をつけながら繋いでいく。結構面倒な作業で、1時間半ほどで約半分を完了。次の部分は地面を大きく削る必要があり、それにはシャベルか鍬が必要で、それを下まで取りに戻ってまた上がってくるだけの元気がなかったので、今日はそこまでで終わり。

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 写真は、ほぼ出来上がった森の道とそこを通る水道管。藪状態の森を切り拓いて、他人の森だから大きな立木には手を着けられないが、倒木はチェーンソーで切って脇にどけ、雑木は草刈り機でなぎ倒し、飛び出している枝は鋸で切り、頭上を覆う蔓類は鎌で切り落として人が通れる森の道を作り、そこに水道パイプを這わせて、一寸角の杭に金具で固定して持ち上げたり、地面を鍬で削って凹ませたりして高低差を調整し、水源から森の道の出口までの約120メートルをほぼ水平もしくはやや下りになるようにする。森の道を出て我が敷地に入ってからの約80メートルは一気呵成の下りなのでほとんど支えなどは必要ない。

8月5日(金)

 朝5時から執筆。昼に娘と孫が来訪(7日のお祭に備えて)。孫が来るともうダメですね。ブランコを押せ、キックボードに乗るのが上手くなったから見てろ、ゴーヤとミニトマトを採りに行こう、カタツムリが逃げ出したから探せ、花火がやりたい等々で終日振り回される。

8月6日(土)

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 朝から懸案だった自転車の修理。(株)ユニバーサルトライクの前2輪・後1輪の3輪で、鴨川に引っ越してトヨタのBladeという車を買った時に、友人だった故・勝又基夫=千葉トヨペット社長が我が家に遊びに来て、家内が運転しないことを知ってプレゼントしてくれたもの。とはいえ家内は乗ることもなく、私は400メートル下のスーパーにも軽自動車で行くので、せっかくのトライクも軒先に放置されたまま後輪がパンク(?)したり金属部分に錆が出たりして気になっていた。別に、これに乗ってどこかへ行こうという訳でもないのだが、やはりモノは大切にしなければいけない。まず雑巾で綺麗に拭いて、チェーンなどに錆落し油をかけて金属ブラシで磨き、それから空気が抜けてペチャンコになっている後輪を外してチューブを点検すると、パンクはしていないが一部劣化しているし、バルブのゴムは完全に寿命が来ている。カインズに車で走って部品を買い揃えて交換した。昔の男の子はこういうことは全部自分でやったんだが、今の子供はどうなんだろう。孫が見に来て「何してんの?」と言うから、「自転車でも何でも、自分のドーグは大事にして、いつも自分できれいにしておくんだよ」と諭した。

 トライクは、仙台発のベンチャーで、前2輪を連動させる世界初のパラレルリンク機構を開発して米欧亜で国際特許を取得、05年に創業してたちまち東北経済連合会の「宮城県優れもの百選」に選ばれたり雑誌『サライ』の賞を授けられたりして話題になった。私のは、すでに今年4月に生産中止となった「スポーツタイプ」で、前輪16インチ×2・後輪22インチ、外装8段変速、前カゴ付き、重量29キロというもの。今はこの電動アシスト式のものが売れているらしい。我が家は敷地内も門から玄関口まで結構きつい傾斜があり、門を出てからも下の舗装道路まで約200メートルの砂利の坂道なので、家内が乗るとすれば電動アシストでないと無理かもしれない。田舎暮らしには車が必須で、今は家内も、下のスーパーで氷を買ってこい、車で7分のセブンイレブンで振込をするから連れて行けとお気楽に言っているが、私が先に逝ったらどうするのか、考えておかなければならない。

 20時に明日のお祭の助っ人に志願した早稲田の高野ゼミ現役2人、OB4人、引率の村田信之の計7人が近所の焼肉店「味家」に到着、「好きなだけ飲み食いしろ」とは言ったが、大盛りのドンブリ飯を3杯お代わりした奴がいたのにはビックリした。OBは、米紙東京支局、大手銀行、映像制作会社、日経BPに勤務で、3杯飯を食ったのは銀行員。明日が早いので21時半にお開きにして、彼ら7人は鴨川自然王国の山小屋に宿泊。

8月7日(日)

 大山不動尊のお祭。鴨川市の旧大山村の中心にある大山不動尊は、その奥の山頂にある高蔵神社と併せて、神亀元年(724年)に良弁僧正が開いた、関東三大不動尊に数えられる由緒あるお寺で、毎年8月に行われる夏祭には、早朝に6地区=6神社からお神輿が出てお昼に不動尊境内に集結して賑やかに雨乞いの儀式を行い、夜は青年会が中心となってやはり6台の山車が旧大山小学校の校庭に集まり縁日が開かれ、花火も打ち上げられる。と言っても、ここでも高齢化の波は深刻で、とうの昔から6地区のうち3地区では、渡御者と呼ばれる担ぎ手が足りずに大人神輿は出せず、子供神輿だけが出るという有様だった。私の住む金束地区では、近くの航空自衛隊レーダー基地の屈強な隊員たちが、地元貢献活動の一環として毎年20人ほどが参加してくれて、ようやく渡御者が確保されてきたが、今年は大震災被災地への派遣があって「10人しか出せない」と知らせがあって、地区の長老たちは「神輿が出せるかどうか」と心配した。そこで私が大隈塾ゼミの学生やOBに声をかけたところ、現役2名とOB4名が手を上げて、村田先生引率で来てくれることになったのだ。

 今日は6時半に八雲神社集合、まずは御神酒で乾杯して、笛と太鼓のお囃子に乗って村の若衆が入れ替わりで唄う木遣りが響き渡り、白丁を着揃えた渡御者がそれに「さぁードッコイ!」などと合いの手を入れて調子を合わせ、ひと渡り盛り上がったところで7時過ぎにお
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神輿の出発。最初は田んぼの中の農道を静々と進む。村の各所に大注連縄が飾られて、お神輿がそれをくぐる度に有力者の家の玄関先・庭先に接待所が設けられていて、ビールや酒やジュース、スイカやトマトや鶏唐揚げや漬け物等々が振る舞われる。世話人は「お酒は水分補給になりませんからねー」と叫ぶが、どうしたってビールに手が伸びてしまうのは仕方ない。街道筋に出ると、蛇行したり揉んだり指したりと動きが段々激しくなって、10時過ぎに6カ
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所目の接待所に着く頃にはもう酒と汗にまみれてヘロヘロ状態。それでも頑張って(と言っても途中一部はお神輿をトラックに乗せ、渡御者は冷房付きのマイクロバスで移動という軟弱ぶりもあるのだが)11時前後に大山不動尊の仁王門前に6地区からのお神輿が集結、足利尊氏が寄進したという急な石段を順次境内まで担ぎ上げる。境内ではまたひとしきり激しく揉んだり指したりしながら、まずは山頂にある高蔵神社への階段下にお参りし
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て、次に不動尊の社殿にお神輿を突っ込んで揉み上げ、三三九度の手拍子を打って渡御を完了する。

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 それから地区ごとに境内にシートを敷いてビールとおにぎり弁当の昼食。「ビールが冷えていない!」と不満の声が湧き起こる。食べ終わるか終わらないうちに寝っ転がって昼寝する者が続出する(もちろん私も)。「さあ、時間だよ」とたたき起こされて、14時過ぎに出発、今度はトラックとバスを多用して残りの注連縄と接待所3カ所を一巡するのだが、その最中に雨がザーッと降ってきて、一時は道ばたの倉庫に避難しなければならないほどだった。「おおーっ、雨乞いが効いたなあ」と一同大喜び。実際、今年は空梅雨で田んぼが地割れを起こすなど稲の出来が心配になるほどだったので、雨乞いしてすぐに天が応えてくるとひとしお嬉しいのだ。

 16時、神社に帰り着いて解散。学生諸君は私の家によってシャワーを浴び、一杯飲んでから高速バスで帰京した。遠いところまで助っ人に来てくれてどうもありがとう。村人たちも皆さん感謝していました。学生諸君にとっても「村とは何か」を体感するいい機会となったと思う。

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 幸いに夜までに雨は上がり、山車行列は無事挙行することが出来た。私は孫を連れて縁日と花火を楽しんだ。何日も前から浴衣を着るのを楽しみにしていた孫は、露天でピカピカ光るネックレスと指輪をバアバに買って貰って上機嫌だった。

8月8日(月)

 今朝の朝日新聞の1面と3面、福島第一原発3号機のメルトダウンについての田辺文也=社会技術システム研究所所長(旧日本原子力研究所の元主任研究員)の分析は大事なことを指摘している。3号機で3月13日朝に6時間に及ぶ空焚きが起きてメルトダウンが始まり、それが翌14日の水素爆発を引き起こして溶融核燃料の一部がメルトスルーして圧力容器の底を破って格納容器に落ちたことは、東電・政府も後に認めたが、田辺説によると、その後21日に大量の水蒸気が発生し23日に黒煙が吐き出されたのは、格納容器下部で新たな爆発が起きて「再溶融」が始まったためだという。これについては、論説でも改めて採り上げたいが、要するに政府・東電は事故の深刻さを過少に印象づけようとして本当に起きていることを隠しているのではないかという疑惑がますます深まったということだ。

 16時からお祭の大注連縄など飾り付けの片づけ。こういう村の共同作業は、出ない家は3000円支払うというペナルティ・システムになっているが、ただでさえ働き手が少ない中で、出れば喜ばれる。今回は男性は70歳代が2人、60歳代が私を含め2人、50歳代以下が2人、女性が70歳代4人の参加で、作業は30分ほどで終わり、提灯、ぼんぼり、電線などを組の集会所の倉庫に収めると、早速、ビールと焼酎、鰻や天麩羅の入ったおつまみ弁当が出て、明るいうちから宴会が始まる。「もう帰るの? もっと飲もうよ〜」と叫んでいる人もいたが、19時で中締めとし退散した。

8月9日(火)

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 9時に下のガソリンスタンドのKaさんといつも手伝って貰っているKoさんが来て、水の濾過装置の清掃。何度も述べているが、我が家の上水は山の湧き水を使っていて、どうしても細かい粘土の粒子が混じる。それをKaさん考案並びに製作の砂の濾過装置を通して、牛乳運搬用の8トンタンクに貯めてポンプアップしてすべての水を賄っているが、年に2〜3回は掃除しないと粘土が溜まって濾過機能が落ちる。5本のパイプに下から石、ナイロンフィルター、砂が詰めてあるのを取りはずして中身をバケツに空けて水で洗浄してまた詰め直す。さらに今回は、旧来の第1水源とそれが不足しそうな時に使う補助的な第2水源に加えて、先日来作業を進めている新しい第3水源のパイプも接続して水量を増やすため、そのパイプの接続とバルブの取り付けを行った。水量が増えたと言っても、それをそのまま濾過装置に流し込むと中の砂が踊ってしまうので、1分間に1.5リットル程度の流入になるようバルブで調節する。これがなかなか面倒で、何しろ相手は自然の水源だから、いつも一定量で出ているとは限らず、うっかりしていると、水量が衰えたり、途中に泥が詰まったりして、タンクの貯水がなくなりかけて慌てたりする。昨夏は猛暑のせいで数日間とは言え水源が止まって困った。今年は第2水源が加わったのでその心配はなさそうだが、逆に水量が多すぎて濾過装置が悲鳴をあげないよう、小まめにチェックしなければならない。

 午後上京して、東京FM系JFNのラジオ番組収録。今回のゲストは岸本周平衆議院議員(民主党、和歌山1区)。東大法学部から大蔵省、途中で米プリンストン大学客員講師も務めたりしながら、48歳の時に辞めてトヨタに入社、当時、経団連会長や経財諮問委員会委員をしていた奥田碩会長のアドバイザーを務めた。その後、政治家を目指して故郷で05年立候補するが落選、09年総選挙で初当選した。私とは、役人の終わりからトヨタに行ったあたりから知り合いで、09年選挙の時には頼まれて応援ビデオに出演したりした。

 今回のテーマは、6月に全会一致で成立した「NPO法改正」。岸本さんが仕掛け人となって、自民党の加藤紘一が会長、民主党の鳩山由紀夫が顧問、辻元清美が幹事長、彼自身が事務局次長で「NPO議員連盟」が作られ、その人々による議員立法として、認定NPOの余りに狭い要件を緩和し、またNPOに寄付をするとその5割が寄付者に戻って来る税制優遇を盛り込んだ画期的な法改正が実現した。その詳しい中身は、JFNのホームページ→高野孟のラジオ万華鏡からPodcastして頂きたい。また近く岸本さんにザ・ジャーナルで本格的に論じてもらうつもりだ。
★高野孟のラジオ万華鏡:http://www2.jfn.co.jp/owj/tue/index.php →タイトルスペース下の「高野孟のラジオ万華鏡」の茶色文字をクリック


2011年8月 3日

高野孟の遊戯自在録029

7月20日(水)

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 鹿砦社の乾坤一擲の緊急出版、特別取材班編著『東電・原発おっかけマップ』が、取次から扱い拒否の措置を受けたと知らせがあった。ある意味で当然で、おっかけの名の通り原子
村の住人たちの名前、顔写真、住所、自宅の写真とそのアクセスマップまで出しているので、個人情報なんたらの今日では大手取次がビビるのは当然だろう。それを承知の上で敢えてこういう形で出した鹿砦社の蛮勇を称えるべきで、実際、同社HPによると、それでかえって注文が殺到、早晩品切れになる見通しという。お求めは同社HPからどうぞ。

 今日も断続的に激しい雨が降り、木々が喜んでいる。
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7月21日(木)

 大型台風の影響による断続的な大雨は去ったが、強風が続きアクアラインは通行止め。午後に浜松で講演の予定があるので、9時半の高速バスで出て12時過ぎに新幹線に乗るつもりにしていたが、アクアラインの海周りルートが止まると高速バスは千葉から湾岸線の陸周りルートに迂回するので、30分から1時間余計に時間がかかる。用心して8時半のバスに乗ったが、案の定、湾岸線も首都高速も渋滞で、3時間かかって11時半に東京駅着。無事講演には間に合った。

 東京まで戻って、溜池の焼き鳥「八っちゃん」に久方ぶりに。大震災後、初めてかな。「サンデー・プロジェクト」があった昨年3月までは、出演日前日は向かいの全日空ホテル(現ANAインターコンチネンタル・ホテル)泊だったので、ここへよく来ていたが、番組がなくなって同ホテルに泊まることもなくなり、そもそも鴨川住まいになって都内で飲むことが少なくなって、ご無沙汰気味で申し訳ない。聞けば、八っちゃんの店が入っている3階建てのビルの外壁が崩落して前の歩道が通行止めになり3日間営業を中止したとかで、大震災の影響かと思えばそれとは関係なく、単にビルがぼろくて前々から危険だから直せと大家に要求していたのに大家がケチで先延ばしにしている内に事故になり、結局、八っちゃんに3日間の休業補償まで払うことになって、小さなケチが大きな損を呼ぶという典型となったという。赤坂の安宿に泊。

7月22日(金)

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 7時24分の新幹線で長野を経由して妙高市へ。私は縁あって妙高市の顧問と観光大使を拝命していて、1年に1度この時期に1泊2日で同市を訪れて現地を視察し、「妙高里山みらい塾」を開催することになっている。午前中に「道の駅あらい」と「妙高山麓直売センターとまと」を視察。道の駅あらいは、上信越自動車道の新井IC&PAに隣接する広大な敷地に、本部の情報館はじめ野菜直売所、日本海鮮魚センター、和洋中レストラン、ホテルなど17の施設が立ち並んで、全体の年商が20億
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円を超える全国有数の道の駅である。特に夏場は、長野県の人が日本海岸に海水浴に行って帰りに食事をして魚や野菜を買って行くというパターンが多いという。昼食後は、市が運営する都会人向けの農園付き賃貸別荘「クラインガルテン」とその横に新設された都市農村交流施設、そして市内にある「国際自然環境アウトドア専門学校」を見学した。

 引き続き、アパリゾート妙高パインバレーで高野講演会と意見交換会、「妙高里山未来塾」の年次総会、そして入村明(にゅうむらあきら)市長を交えての懇親会と、まあ盛りだくさんの1日だった。新潟市で3つの会議をこなして戻ってきた市長、開口一番「ねえ、菅総理はあと1年くらいやるんじゃないの?」と...。妙高は日本酒が旨いので、つい飲み過ぎて、バタンキューでアパリゾート泊。アパのホテルはどこも、あのおばさんの顔写真があちこちに貼りだしてある上に、ベッド脇に右翼雑誌が置いてあって、どうも寝心地がよくない。

7月23日(土)

 朝7時半出発、長野9時発の特急で名古屋へ。午後、中日文化センターで「菅首相は脱原発で突っ張れ!」という講義。急ぎ帰京して18時から二子玉川で、私が長年団長を務める草ラグビー団「ピンク・エレファンツ」の総会と宴会。来年秋には福岡で「第19回ゴールデンオールディーズ世界ラグビー祭」が開催される。35歳以上のラガーメンが世界中から集まって、「スクラムは押してはいけない」「60歳以上の選手にはタックルをしてはいけない」などの特別ルールで国際試合を楽しむフェスティバルで、2年に1回開かれている。日本はもちろんアジアで開かれるのは初めてで、「よ〜し、皆でこれに参加しよう!」ということになった。年齢層ごとにパンツの色が決まっていて、私は65〜69歳なので「金色」を穿かなければならない。

 そして再来年は、チーム創立30周年を迎えるので、我がピンク主催で仲間チームから100人ほどの中高年ラガーを招待してお祭をやる。ピンクもだいぶ高齢化して、単独で試合を組むのは難しくなってきたが、そうやって仲間チームと共にラグビーを"生涯スポーツ"としていくつになっても楽しもうという精神だけは変わらない。

7月24日(日)

 芝生の雑草取り、薪割り、"森の道"整備。森の道というのは、現在の我が家の唯一の水源である西側隣地の湧き水が、空梅雨のせいか今ひとつ水量が足りず不安なので、このほどK君の発案で東側隣地の排水溝横の無駄に地面に吸い込まれて行っている流れを活用して第2水源とし、そこから200メートル余りパイプを繋いで自然の落差を利用して貯水タンクまで引っ張ろうということになって、これは水量も豊富で濁りも少ないので、水が涸れる心配をしなくて済むようになるのではないかと大いに期待されるのだが、それにはまずその水源と我が敷地の間の荒れ果てた森を切り拓いて、パイプを敷設できるようにしなければならない。

 もちろんその森は誰だか知らない他人の所有のものだが、もう何十年も放置されたままの元は杉林で、杉の倒木が折り重なったところに雑木が生え、蔓ががんじがらめに巻き付いて、立ち入ることすらできない無惨な有様である。他人の森に無断で手を着けるのはもちろんルール違反だが、これほどまでに酷く放置された森のほんの一部を整備して水道パイプを通すくらい、喜ばれることはあっても怒られることはないんじゃないかという判断で、先日来、K君にも手伝って貰いながら少しずつ切り拓き始めている。草刈り機で足元の雑草や灌木を刈り、買ったばかりのナギナタ鎌(7月10日付本録の写真参照)で絡みつく蔓や蔦を払い落とし、チェーンソーで折り重なる倒木や張り出した枝を切断して脇に積み上げて行くのはなかなか難儀なことで、1時間で3メートルほどしか進まない。あと2〜3回やらないと、パイプが敷けるようにはならないだろう。

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 全身グショグショの汗の上に泥や木屑を浴びて、まあ凄まじい姿で山から下りて来ると、家内が「あーっ、そのまま入って来ないで、外で全部脱いで頂戴!」と金切り声を上げる。分かってますよ...。シャワーを浴びると、何と嬉しいことに、ゼミのOBで今春市会議員に当選したS君夫妻から秋田の地ビールが届いていた。「秋田・川反(かわばた)のあくらビール」の1リットル瓶2種類のセットで、5年連続で国際ビールコンベンションで金銀銅のいすれかの賞を獲っている逸品。飲んだ途端に「旨い!」と声が出るほどのビールに久々に出会った。これで森の中の苦闘が報われた。
★あくら麦酒醸造所:http://www.aqula.co.jp/

7月25日(月)

 早稲田デー。ゼミは「矛盾論」と続きと武谷三段階論に基づく「実体論」の講義。大隈塾授業は自民党の石破茂政調会長。田原さんが「この人が総裁になれば自民党は変わる」と大いに持ち上げながら学生たちに紹介したが、ご本人はボソッと「私は出戻りだから」と。出戻りは総裁になれないとか言っているから自民党は旧態を脱することができないのだ。ジャーナリズム大学院では、中国人留学生が2人いるので、中国新幹線事故の話題で盛り上がった。

7月26日(火)

 朝からK君と一緒に"森の道"整備作業。暑い。夕方から、ご近所の皆さんが「民宿平山」に集まって馬のタック君の歓迎会。日系ブラジル人のO君と日本人で以前にサンパウロのスラム街に住み着いてボランティアをしていた経験のあるSさんのカップルは、ジャーナリストの仕事をしながら農業と養蜂に取り組んでいるが、2人とも大の馬好きで、それが高じて先月末に与那国から1歳10カ月の与那国馬の子馬を連れてきてしまった。それで、前々から「鴨川で馬がいる暮らしを目指そう」と語り合ってきた両君をはじめ、加藤登紀子さんや天津の神主さんや市役所の職員や、いろいろな人々が集まってタック君とご対面し、その後民宿でバーベキュー宴会ということになったのだ。与那国馬は日本在来種の中でも小型で、あと1年して人を乗せられるようになっても体高はせいぜい130センチほど。それでも力は強いし耐久力もあり、体重80キロまでの人を乗せられる。主のO君はその日を目指して懸命に減量に取り組んでいる。
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7月27日(水)

 朝、涼しい内に1人で森の作業を続行。妙高市から「こそば亭」の日本古来種を用いた「こそば」が送られてきたので、早速賞味した。全国コンクールで第1位を得たりして評判がいいのだが、改良種に比べて収量が少なく粒も小さいので、到底注文に追いつかない状態だと聞いた。美味しいです。

7月28日(木)

 名古屋のANAホテルで日本政策金融公庫熱田支店の講演会。「日本再生の鍵は中小企業が握る」という話で、実際、後の懇親会では面白い中小企業の経営者に何人もお会いした。終わって19時半でまだ早いので、栄のカウンター割烹「むら鍬」まで足を伸ばして鮎と鱧で一杯、いや二杯、三杯...。同ホテル泊。

7月29日(金)

 10時東京着。そのまま上野の国立博物館で開催中の「空海と密教美術展」へ。これはなかなか凄い。有名な東寺講堂の立体曼荼羅21体のうち8体を運んで作ったミニ立体曼荼羅は、何やら不穏な空気が漂って胸騒ぎさえ感じた。

 15時からは一転、「五木ひろしチャリティーコンサート」で中のサンプラザホールへ。五木倶楽部主催で、大震災復興支援の趣旨にニトリなど4社が賛同して後援し、ニトリの似鳥昭雄社長から招待券を送られたので五木ひろしはあんまりだけど「スペシャルゲスト=松山千春」に惹かれて行った。第1部と第3部の五木の歌はどれを聴いても同じようだが、第2部の松山のしゃべりと歌は相変わらずの迫力だったし、彼ら2人がお互いの持ち歌を交換して歌ったのも面白かった。が、3時間20分はさすがに長くて、高速バスに乗る前に東京駅地下街でビールを一杯飲んで勢いをつけて帰った。

7月30日(土)

 朝から、降るのか降らないのか、空模様が気になる。というのも、4月から6月にかけて我が家の造園工事をやって貰った高田造園設計事務所の高田宏臣さんはじめ携わったスタッフ全員が家族連れでやってきて、15時からバーベキューの完成祝賀パーティをやることになっているのだ。スタッフとその奥さん方で12人、生まれたばかりの赤ん坊と幼稚園児くらいの子どもが合わせて5人、それに前日から来ているうちの孫一家3人と手伝いに来てくれた家内の妹、それに私ら2人で総計23人になるので、外で出来るのか、家の中でやらなければならないのかで、準備の仕様も大違いになる。

 昼過ぎに「少々の雨が降っても外でやろう」と腹を決めて、バーベキュー炉の上にCainzオリジナルの2.5メートル四方のテント(6980円)を張って、それと12人掛けのデッキチェア&テーブルの大型の傘が繋がるように配置して、大型クールボックス2つに氷を詰めて1つは缶ビールで、もう1つは、先日「旨い!」と叫んでしまった秋田のあくらビールを取り寄せて詰め込んだ。14時半に炭を点け始めているともうご一行が続々到着、子どもらはたちまちブランコに乗ったり庭というか山野を駆け回ったりして勝手に遊び始め、男たちは飲み始め、奥さんたちは屋内でテーブルを囲んでおしゃべりし、あとは何が何だか分からない大騒ぎの中で暗くなるまで宴が続いた。雨は1〜2度ザーッと降ることもあったがにわか雨で、テントが十分に役目を果たした。

 ちょうどタイミングよく、田原総一朗さんが毎年この時期に送って下さる琵琶湖の活き鮎が今朝届いたので、これは私がw型に竹串を打って塩をまぶして、炭火にじっくり当たるよう斜めに立てかけて焼いて好評だった。

 この様子は、高田さんのブログにも早速写真入りで紹介されている。
http://www.takadazouen.com/index.html →「作庭日記」

7月31日(日)

 孫が早起きなので、外で遊ぶ。昼は孫の意見で、車で10分ほどの蕎麦屋に行く。4歳前の子どもにしてはたぶん珍しい蕎麦好きで、ザル蕎麦を1枚分ほとんどツルツルと食べて「蕎麦湯を下さい」などと言っている。大人はカレー蕎麦、冷やしタヌキ蕎麦、天麩羅蕎麦などで、ほとんど定番化している。

 戻るとK君が来ていて、「裏の草刈りをやり始めたら草刈り機のハンドルが折れてしまった。何か他に手伝うことがありますか」と言うので、じゃあ、"森の道"を完成させて第2水源からパイプを敷く作業を完了しようということになり、チェーンソー、鉈、鋸など山道具を担いで森に上がる。30分ほどで森の道が貫通、パイプをタンクまで繋いだ。後は要所要所、木杭でパイプを支えて弛まないように造作しなければならないが、今日はもう暑くてバテたので後日にしようということに。

 夜は、これも孫のお気に入りの鴨川市中の魚料理屋「池田」に行った。ここの名物は金目鯛だが今日はちょっと出遅れて18時半だったので、もう売り切れ。こんなの見たことないと誰もがビックリする特製天丼を頼んだ。何がビックリって、海老や穴子や野菜の天麩羅1つ1つが超大型で、丼の2倍くらいの高さまで盛り上がっていて、ご飯まで届かないうちに天麩羅だけでお腹が一杯になってしまうほどなのだ。▲

2011年7月20日

高野孟の遊戯自在録028

7月10日(日)

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 土佐の和式刃物専門店「トヨクニ」からのメルマガで、「ナギ型造林鎌」を売り出していて、「草刈り機より断然早い!気持いい!安全!」とか謳われているのを見たら欲しくなって注文しておいたのが、今日届いた。刃渡り24センチのがっしりしたナギナタ型の片刃に120センチの長柄がついた無骨なもので、重量は女性向きの380グラム、男性用の420グラム/450グラムの3種があるが、私はためらうことなく450グラムを選んだ。

 平らな草原では草刈り機が威力を発揮するが、森や藪を切り拓く時には狭いところをかい潜ったり、よじ登ったりしてして進むのに、草刈り機は長くて重くて、扱いにくい。特に、頭上に覆い被さった枝や引っ絡まった蔦を払い落とすには草刈り機は不便で、空振りしてイライラしたりすることも多い。なので、これならばいいんじゃないか、と。

 トヨクニは、もう十数年も前に若手経営者のための講演で高知市に行った時に3代目の社長と知り合って、刃物フェチの私としては、昔ながらの本格和式刃物を手作りで製造しつつもネット通販を活用してアウトドア用など新しい需要も掘り起こしているその経営姿勢に感心して、その後何度か鍛冶工場を訪れて刃物打ちを体験させて貰ったりして、私の身の回りにはナイフ、釜、鉈、斧などトヨクニ製品がいろいろ揃っている。それがまた1つ増えた。
★トヨクニ:http://www.toyokuni.net/

7月11日(月)

 午前の早稲田での大隈塾高野ゼミでは、菅の脱原発と海江田の親原発の"矛盾"をどう捉えるかという話。午後の大隈塾授業では、大隈塾授業・ゼミのOBで現役の教育学部学生の税所篤快君の講義。彼は、高野ゼミの前期を終えてから忽然と消えてしまって「あいつどうしたのかな」と思っていたところ2年後にまた現れて、ゼミの後期を受講したいと。聞けば、バングラデシュに行っていきなりグラミン銀行のムハマド・ユヌス総裁(06年ノーベル平和賞受賞者)の懐に飛び込んで、同国の貧しい農村で大学進学の機会に恵まれない高校生のためのパソコンとDVDを通じた予備校システムを実験的に構築。或る1つの村で、それがなければ到底大学受験の機会などありえない30人の高校生のうち18人が一流大学に現役合格するという目覚ましい成果をあげた。現在は、これをNPOとしてシステム化して、バングラデシュのみならず東南アジア各国に普及しようと図っている。7月初めには、米国に本拠を置くSIFE(Students In Free Enterprise=大学生が企画・実施する社会貢献事業に対する支援を行うことにより、優れたリーダーを養成することを目指すNPO)の日本大会で、税所君のプレゼンテーションが高い評価を受けて優勝し、日本代表として10月にクアラルンプールで開かれる世界大会に出場することになった。

 大隈塾の授業/ゼミはそもそも、次世代リーダーの育成が目的で、ということはつまり、「お前ら、月並みな就活なんかやめて、誰もやったことのないような事業をおっ始めて、面白い人生を送ろうよ」という趣旨である。その中から、本当にそのようにチャレンジする奴が現れて、授業の講師となって後輩たちに自分の挑戦について語るというのは、私が最初から企図している自己増殖的プログラムで、今回がその初めてのテスト・ケースとなった。
★SIFE Japan:http://www.sife.jp/

 18時半から新宿で、坂本順治監督、原田芳雄主演の「大鹿村騒動記」の試写会。監督からお誘いを受けたので駆けつけた。大鹿村は現存する南アルプス山麓の村で、江戸時代から続く「村歌舞伎」の伝統を守っている。その村歌舞伎の年に一度の公演を巡って、原田演じる鹿肉レストランのオーナーとそれを取り巻く人脈が織りなす、まあドタバタ喜劇と言っていい娯楽編。何と言っても、原田とその元妻の大楠道代の存在感と練達の演技が凄味があるし、石橋蓮司、岸辺一徳、松たか子、佐藤浩市、三國連太郎など脇役も豪華絢爛。これは当たるでしょう。
★大鹿村騒動記公式サイト:http://ohshika-movie.com/

7月12日(火)

 朝は東海ラジオ。昼は読書と原稿書き。夜はご近所の隣組「埋田組」の寄合で8月7日大山不動尊のお祭準備について打ち合わせ。私の属する金束地区のお神輿の担ぎ手(正しくは渡御者と言う)が不足で、お神輿を出せるかどうかの瀬戸際だと長老たちは悩んでいる。というのも、500〜600キロもあるけっこう重いお神輿で、常時40人、交代要員を含め60人ほどが必要だが、高齢化に伴い年々担ぎ手が減って、金束地区の場合は、近年は自衛隊の若者たち20人に応援を頼んできた。ところが今年は東北大震災での出動もあって「10人しか出せない」と言われてしまったのだ。大山不動尊を奉じる5地区のうち2地区は、もうずっと前からお神輿が出せなくなっていて、我が金束地区、鴨川自然王国が属する平塚地区とあともう1つ、3台しかお神輿が出ない状態が続いてきて、ここで金束も出ないとなると祭そのもののピンチとなる。「高野さん、いつも田植え・稲刈りに来る学生さんたちに声を掛けてくれない?」と言われて、帰って早速、ゼミの現役、OBOGの会のメーリングリストで招集をかけた。さて、何人集まるか。

7月13日(水)

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 昼過ぎのバスで上京して、今日は東京FM系JFNの番組収録。ゲストは弁護士で浜岡原発差止訴訟弁護団長の河合弘之さん。彼と大下英治の共著『脱原発』(青志社)を素材に
「原発はすぐ止めよう」「すぐに止めてもガス火力を増強すれば電力不足にはならない」などと大いに語り合った。

 終わって17時から淺草の蕎麦屋「十和田」で友人たちと会食。ほぼ同じ顔ぶれで時折やっている飲み会で、早めに十和田で一杯飲んで、19時半頃からすぐ近くのライブハウス「HUB淺草」に席を移して、私の高校同級生・ブラスバンド同期生でデキシーランドジャズの今や大御所のトランペッター=外山喜雄の演奏を楽しむという趣向。外山は、大震災による液状化で浦安の家が傾いて避難所生活をしていて、おまけに、悪いことは重なるもので、夫婦で東北被災地へ支援に行った時に奥さんが転んで手首を骨折してバンジョーが弾けない。今日は左手だけでピアノを叩いていた。それでも底抜けに明るいのが彼らで、今日も外山は「やっとこのごろ、トランペットの音が分かってきた」などと言う。高校1年生の時から吹き始めて52年間、本番がある日もない日も365日、必ず最低3時間は練習するという彼が、「やっとこのごろ」とはねえ。プロの道とはそういうものなんだね。家内と淺草泊。

7月14日(木)

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 家内は孫の世話を頼まれているとかで早く出て行って、私はホテルで原稿書き。外へ出ると昏倒しそうなほど暑い。15時から内神田の製紙会社で講演があり、「21世紀日本の課題」とタイトルが付いていたが、どんなタイトルでも最近は「原発を止めて世界初の自然エネルギー・水素エネルギー社会を実現しよう」という話しかしない。

 帰宅すると、幻冬舎から小出裕章=京都大学原子炉実験所助教の新著『原発はいらない』が届いていた。早速ウィスキーを舐めながら2時間で読了。やっぱり小出さんが一番分かりやすいし説得力がある。東北大の原子核工学科の学生だった時から40年余、原子力研究者でありながら"反原発"を貫いてきた、その人生を賭けた発言の重みだろう。

7月15日(金)

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 名古屋に日帰りで証券会社の投資家向けの講演会。投資家だろうと誰だろうと関係ない、今日もまた「原発を止めよう」だ。新幹線の往復で、鎌田實『なさけないけどあきらめない』(朝日新聞出版)を読んだ。チェルノブイリ現地に自分自身を含め医師団を94回も出して20年間関わってきた諏訪中央病院名誉院長が、「ぼくは、反省している。......原発の恐ろしさをよく知っているにもかかわらず、原発をすぐにやめろとは言わなかった」と痛切に語る。すぐに止めろと言わなかったのは「経済が悪くなると勝手に思い込んだからだ」。結局、原発は、カネと命のどちらが大事かという問題に行き着いていく。

7月16日(土)

 10時から鴨川自然王国「帰農塾」今年第2回の開講式。13時半から講義で、今回の全体テーマが「自給自足」ということなので、「火とは何か」「薪ストーブの勧め」について話した。火とは何か、エネルギーとは何かを考えるには、我々の祖先が少なくとも160万年前からエネルギーの主力として用いてきた薪というバイオマス燃料を自分で扱うのが一番だと。田淵義男によると、日本のエネルギー消費に占める薪の比率は0.2%だが、欧米では8%、北欧では15%で、いくら石炭や石油の時代になっても、それはそれとして伝統文化としての薪&ストーブはきちんと保持している。これは馬も同じで、自動車の時代が来ても、それはそれとして人類数万年の友である馬は暮らしの一部として残していて、例えばフランスでは人口6000万に対して850万の乗馬人口があってその7割は女性。バカンスには田舎を村から村へと馬でゆったりと旅するのが今も昔も人気の過ごし方である。経済効率オンリーで、石油や自動車に飛びついて薪や馬を簡単に投げ捨てるのが日本人である。田淵によると、日本ほどの森林量があるとエネルギーの10%まで薪で賄うことが可能なのだという。

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 写真は我が家の薪小屋。薪は割ってから最低でも1年半、出来れば3年寝かせてから燃やすと芯まで乾いて綺麗な炎が出る。我が家の焚き方だと、この一面の上下表裏で大体1年分ほどで、4面あるうちの3面が埋まっているから、3年分のストックがあることになる。冬に停電が来て毎日焚いてもまあ2年は大丈夫。しかし薪割りはなかなか大変で、道具もいる。手前の和式斧と鉞(まさかり)も確かトヨクニだったかな。洋式の緑色のは人から貰ったもの。その上の黄色い鉄棒のようなものはフィンランド製のログマティックという道具で、内側の重い鉄棒を片手で持ち上げてドスンと落とすと刃先が丸木を押し割っていく。斧を振り回すより力がいらず危なくもないということで、このところ薪割り族の間で人気の優れものである。チェーンソーは、その辺のホームセンターで売っているのではダメで、森林作業のプロ用のゼンリンという普通の倍近いお値段の高級品。冬でもほとんど一発でエンジンがかかるというのが売り物だ。結局、道具というのは、値段と性能は比例していて、安物を買って何度も買い換えるより初めからしっかりしたものを買って一生もので使うのが一番である。実を言うとこのチェーンソーも、10年間で日本製マキタ、ドイツ製STIHLに続いて3台目。もう買い換えることはないと思う。

7月17日(日)

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 今朝の朝日新聞「声」欄に「経団連会長の原発発言に疑問」という投書が載っている。経団連の米倉弘昌会長が"脱原発"への動きにお怒りのようだが、そもそも原発は大口需要家のために国が血税を注いで造ったもので、しかもそこから派生する仕事を受注して大いに潤ったのも経団連傘下の大資本と、それら企業から多額献金を受けた自民党ではないか。経団連が被害者顔で会見に臨み、原発停止で電力不足に陥ると企業は海外へ逃げざるを得ないという「脅迫」までおこなっているのはいかがなものか、と。

 その通りだ。あの陶製のタヌキの置物のような顔でウワゴトのように原発大事を言い募るのを見ていると胸が悪くなる。原発がないと電力が足りなくなるというのも、そうなると電気代が大幅に上がって企業がこぞって外へ出て行くというのも、はっきり言ってデマである。これは近く論説で採り上げよう。

 夜は帰農塾の交流会という名の宴会。今回は受講生が14名と近来にない多さで、中には、首都圏から能登半島の奥に移住してそこで地域興しに繋がる何かを始めるためにいろいろなところに顔を出して勉強しているという44歳男性、前々から農的生活に関心があり、加藤登紀子の本を読んで参加したという三重県四日市の31歳女性など、遠くから熱心に来て下さった方がいて感動する。

7月18日(月)

 休日だが、今年は授業が5月連休明けから始まって授業日数が足りないので、平常通りの早稲田デー。ゼミでは、毛沢東『矛盾論』を題材にして、物事をダイナミズムにおいて捉える思考方法をどう身につけるかを説いた。午後の大隈塾授業には福山哲郎官房副長官を招いて「日本のエネルギー政策」について講義と質疑応答。その中身もさることながら、枕で語った大震災発生の瞬間から3日間、一睡も出来なかった官邸での戦いの話が面白かった。ジャーナリズム大学院は、「今朝の日経新聞を読んでどんな問題意識を持ったか」を発表しあう授業。韓国人男子、中国人女子の留学生たちも積極的に発言してなかなか活発だった。

 夜はホルモン焼でゼミの飲み会。ゼミ生でない者も混じって10人ほどで賑やかなことだった。東京駅で終バスに乗る前にコーヒーを飲む。バス停から家までわずか15分ほどだが、真っ暗な峠越えの山道を運転するので少しは醒まさなければならない。12時過ぎに無事帰宅。

7月19日(火)

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 台風の影響で久々の雨の恵み。6月に植栽を終えたばかりの雑木、下草、野芝が枯れないか、このところずっと心配で、家内と交代で水遣りに励んできたが、今日は緑が息づいている。庭木より深刻なのは田んぼで、このあたり一帯、どこもカラカラで地割れを起こしている。平地の田んぼはみな川からポンプで水を汲み上げているが、山の上の棚田は大変で、タンク車で水を注入してしのいでいる。今日明日の雨で一息つけるだろう。

 8月7日の大山不動尊のお神輿担ぎの助っ人は、ゼミ現役・OB7人が名乗りを上げてくれて、私を含めて8名の名簿を組長さんに届けた。「いやあ、自衛隊が減った分が埋められて大助かりだ」と喜んで貰えた。学生たちも、高速バス代4000円は自己負担、報酬なしで朝6時から午後4時までの重労働というのによく来てくれるよな。とはいえ、7名来るとなると、バスの座席予約、バス停までの送迎の車の手配、宿泊・食事の用意等々、こちらも準備が必要で、その手配で午前中を潰した。▲

2011年7月 9日

高野孟の遊戯自在録027

7月4日(月)

 早稲田・大隈塾授業の今日の講師は白木夏子=HUSUNA代表取締役。ロンドン大学で国際開発経済を学んだ後、国連人口基金ハノイ事務所、アジア開発銀行研究所でインターンを経験、投資ファンド会社勤務を経て09年に日本初の"Ethical Jeweller(倫理的な宝石店)"=HASUNAを起業した。エスィカルという言葉のちょっと変わった用法だが、フェア・トレードのフェアと似たような意味合いで、多くは途上国で行われているジュエリーの貴金属素材の採掘から生産・加工・デザイン・流通のすべての過程を可視化して、それに関わるすべての人々の幸福を最大化し、また環境への負の影響を最小化するよう仕組まれた、言わば宝石におけるフェア・トレードである。

 まだ10代の時にインドに滞在して、金鉱山の劣悪な環境の下で子どもらが嘘のような低賃金で働かせられているのを目撃して、「自分たちが何の気なしに身につけている装身具が、こんなところで掘られた金で作られているのか!」と衝撃を受け、それがきっかけとなってロンドンで開発問題を勉強した。曲折を経て27歳にして独立して会社を興し、2年後の今年3月、東京・南青山に本店ショップを開店、5月には大阪のデパート内にも出店した。日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2011年キャリアクリエイト部門を受賞した。

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 ご覧のように(写真はご自身のブログから無断借用)笑顔の美しいまだ(ギリギリ)20歳代のお嬢さんと言ってもいいような女性が、自分の夢(というか、学問にも体験にも裏付けられた信念)をしっかりと持って、それを世界を股にかけた逞しい行動力で、確実に実現しつつあるその生き方に、学生たちはほとんど唖然としていた。

7月5日(火)

 15時から東京・秋葉原のホールで木造住宅メーカーの提携先経営者向けの講演。大震災後、日本人はこの100年間の浮かれを反省して本来の暮らしぶりを取り戻すことを考え始めるはずで、そうなるとこの国の風土に合った木造住宅に住みたいと思う人が増えるだろう。ここへ呼ばれたからお世辞を言っているのではなく、私自身、とっくに房総の森の中に木の家を建てて薪ストーブを用いてシンプル&ナチュラル・ライフを実践している----というお話しをした。

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 夜は東京駅地下の居酒屋で、私が協力してこのほど出版された『3・11で現実化した"成長の限界"が日本を再生する』という本の打ち上げで、小学館の編集者2人と一杯。巻頭は浜矩子=同志社大学大学院教授の「成長神話の崩壊を超えて成熟国家としての再生へ」、2番目が私で「アメリカ型大量消費文明からの決別を」、以下7人の方々の論考が並んだオムニバス本。中身は面白いのだが、本はやっぱり、浜さんなら浜さんを「編著者」として立てて表紙に刷り込まないと売れないし、タイトルが長すぎるのは余計に売れないと注文を付けた。

7月6日(水)

地元紙に「今が見頃」と案内があったので、朝、車で7〜8分のところにある「大賀ハス」の蓮田を見に行った。ハスの大権威だった故・大賀一郎博士が昭和26年に千葉市の東大農学部農場で地下6メートルの泥炭層からハスの実を発掘、シカゴ大学で鑑定したところ約2000年前のものと判明した。博士が育てたところ、そのうち1粒が見事に発芽し翌年花が咲いた。以来、世界最古のハスとして県内・国内ばかりか世界各国に根分けされて珍重された。
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7月7日(木)

 午前中に待望の雨がかなり激しく降る。空梅雨で田んぼが干上がって皆困っていたが、これで少しは潤うだろう。

 夕方から近所の焼き肉屋で、鴨川自然王国の皆さんと一杯。医療用大麻の解禁に何か妙策はないかと相談した。

7月8日(金)

 5時に起きて朝風呂に浸かりながら新聞を読み始めて、出たらコーヒーと煙草、赤サインペンとカッター、それに今時だと蚊取線香を用意して、晴れていればベランダのテーブル、雨ならば網戸の内側の床で、新聞を広げるのがいつものペース。

 本日も不快な記事が多いが、その筆頭は、日経の「『健康損なう』警告写真/タバコの箱に19カ国が印刷/WHO、日本にも要請」。癌になった肺の写真などをパッケージの面積の半分以上にしろと。いい加減にしろよ。そんなに毒ならWHOは販売禁止を勧告すればいいではないか。どうしてそうしないのかの理由が分からない。酒のラベルには肝臓癌の写真を貼り付ければいいし、自動車のカタログには交通事故でグジャグジャになった死体の写真を表紙の面積の半分以上の大きさで載せればいいだろう。テレビの画面の下半分には「テレビの見過ぎは人間を白痴にする危険があります」と表示しなければ放送してはいけないことにし
よう。携帯電話の画面なら「使いすぎると電磁波があなたの脳細胞を破壊する危険があります」と常時テロップを入れたい。

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 7時から2時間かけて、先頃植えたばかりの野芝の北側部分を容赦なく侵略して来るスギナを退治し、作業小屋から小さな野菜畑にかけての雑草も一掃した。こういうことをやると、手の爪に泥が詰まって少々洗ったくらいでは落ちないが、そこで威力を発揮するのが、淺草・伝法院通の「かなや刷子」で売っている馬毛の爪刷子。田舎暮らしに必須の愛用品である。

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 11時に家を出て空港から札幌へ。北海道トラック協会青年部の講演で、震災後の日本の生き方と原発の行方について話した。とんぼ返りして22時半から新宿・歌舞伎町の居酒屋で前北海道新聞の高田昌幸記者が6月末を以てめでたく退社したお祝い。2004年に「北海道警の裏金問題」取材班を率いて警察の腐敗を徹底的に追及、その報道ぶりは新聞協会賞、JCJ大賞、菊池寛賞、新聞労連ジャーナリスト大賞を次々に受賞するほど評価を受けたが、同取材班による『警察幹部を逮捕せよ!』(旬報社)と『追及・北海道警"裏金"疑惑』(講談社)の2冊の本が名誉毀損に当たるとして道警が北海道新聞社と高田さんら2人の記者を告訴、昨秋札幌高裁で敗訴が確定した。社は、道知事、道議会与党の自公両党、道警など地方権力総ぐるみの圧力に早々に屈して戦いを回避したばかりでなく、2人の記者を左遷するなどして恭順の意を示した。

 高田さん、51歳。「綺麗さっぱり辞めて、まだ1週間。非常に快適な毎日です」と言うが、さあこれから第2のジャーナリスト人生をどう描くか。若いフリー記者たちや元日刊ゲンダイの二木啓孝らを交えた酒盛りは午前2時近くまで続いた。歌舞伎町の安ホテル泊り。.

7月9日(土)

 昨夜頂いた、間もなく店頭に並ぶ高田さんの新編著『希望』(旬報社)を読み始める。大震災の1年前から企画され取材も進んでいた、生きることの希望のありかを探るインタビュー集だが、大震災が起きたので締め切りを延ばしてその関連の5人を追加してそれを第1部に置いたので、インタビュー相手は63人、ページ数は400ページを超える大冊となった。1人1人の語り口は生々しくて重い。じっくりと読むべき本である。

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 11時から麻布十番でスタッフと打ち合わせのあと、別用で都内に泊まっていた家内を拾って帰る。途中、高速を下りて5分、家まで後10分という街道沿いにあるお気に入りの蕎麦屋「きのや」(前にも本録に何度か出て来ているが)に寄って昼食。ふと見ると店内の雑然たる飾り棚の一角に「白戸三平選集」や「カムイ外伝」が並び、店主と白戸さんが並んだ写真が貼ってある。白戸さんがこの近くに住んでいることは知っていたので、「よく来られるんですか」と訊ねると、「前はよくここにお仲間と一緒に酒を飲みに来てましたが、ここ何年かはもうすっかり...。だいぶお歳だし、息子さんも奥さんもいなくなって一人暮しで、あんまり外へも出ておられないのでは」とのことだった。私らが学生の頃には『ガロ』に連載された「カムイ伝」はバイブルのようで、白戸さんは、マルクスやサルトルや吉本隆明や羽仁五郎やボブ・ディラン等々と並んで、「聖者群」に列せられていた。私のちょうど一回り上だから、そろそろ80歳だと思うが、どんな晩年を迎えておられることだろうか。「カムイ伝」の読み方として優れているのは田中優子『カムイ伝講義』。白戸作品の総覧として恐れ入ってしまうのは......
★白戸三平ファンサイト:http://asa8.com/s/

2011年7月 3日

高野孟の遊戯自在録026

6月29日(水)

 27日付『日本農業新聞』1面に私の「"脱原発"へ流れ急/自然エネ、地産地消を」と題したコラムが掲載された。さっそく昨日から今日にかけて、知り合いの農家から「賛成!」の声が届いたり、農業団体から講演の問い合わせが舞い込んだりした。福島県で土壌の放射能汚染を苦にして自殺までする農家や酪農家が出ているのを見て、農家も農業団体も原発への危機感を深めていて、脱原発からさらに進んで、自然エネを地産地消的に拡大して農村の地場産業に育てようという志向が広まっているようだ。
★日本農業新聞:http://www.agrinews.co.jp/

 このコラムは、「論点」と題して、多くの筆者の持ち回りで年2回ほど順番が巡ってくるもので、趣旨は私がすでにザ・ジャーナルの論説などで言ってきたことの要約にすぎないが、一応ここに全文を引用しておこう。
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 福島第一原発の事故はいつ終息するかの目途が立たないまま、今なお続いている。1〜3号機のいずれも、炉心溶融(メルトダウン)した核燃料が圧力容器内で止まらずに、底部貫通(メルトスルー)して格納容器の下部に達していることは、すでに政府も認めているが、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教が最近テレビなどで発言しているところでは、溶融核燃料がさらに格納容器をも突き破って建屋のコンクリート床を溶かし、地中にのめり込み始めている可能性が高いという。

 まさにチャイナシンドロームの悪夢で、そうなると地中で地下水に接触して超高濃度の汚染水が近くの海に流れ出すという最悪事態となる。しかも、底が抜けているのではいくら水を注いだり冷却装置を取り付けたりしても、もはや核燃料を冷やすことは出来ない。

 想定外の事態が次から次へと連鎖するこの有様を見れば、核爆発という、本来は太陽しか司ることが出来ないエネルギーを人間の手で扱おうとしたこと自体が、大変な傲慢だったのだと思い知らされる。

 多くの人々が「もう原発は止めよう」と考え始めているのは当然で、日本世論調査会が今月11、12両日に行った全国世論調査では、国内の原発を「直ちに全て廃炉にする」9・4%、「定期検査に入ったものから廃炉にする」18・7%、「電力需給に応じて廃炉を進める」53・7%で、遅かれ早かれ原発を止めるべきだとする人の合計は約82%に達した。

 こうしてみると、同じ廃炉でも過激さの違いがあるように映るが、現実にはその違いはほとんど意味がない。全54基の原発のうち現在本格稼働しているのは17基(他に2基が定期点検で調整運転中)で、そのうち5基はこの夏までに法定13カ月間の定期点検に入り、残りも秋以降、来年6月にかけて順次定期点検を迎える。

 いま止まっている災害停止中のものはもちろんのこと、定期点検中のものも、いくら政府が「安全だから再開してくれ」と頼んだところで、福島の事故が現在進行中でその原因究明も緒に就いていないというのに、「はい、OKです」と言える県知事がいるはずがない。ということは、最短、来年夏前には全原発が停止する現実的な可能性があるわけで、上記調査の「直ちに廃炉」と「定期点検に入ったものから」との間に実質的な違いはない。この国は否応なく「脱原発」に向かうのである。

 原発がなくなれば即停電?と恐れる人も多く、それが「電力需給を見ながら」が5割を超えるという数字に表れているが、火力、特にガス火力と企業の自家発電をフル活用すれば原発分を十分補える。むしろこれを機に、太陽光、風力、小水力など自然エネルギーを思い切って増やして、エネルギーの地産地消、自給自足に向かうべきだろう。

6月30日(木)

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 夜は新橋で昭和19年生まれの「一休会」の例会。今回から冒頭に誰かが「20分スピーチ」をすることになり、一番手として私が「原発は終わった」という話をした。ちょうど2〜3日前に、一休会メンバーである弁護士&浜岡原発差止訴訟弁護団長の河合弘之と作家の大下英治との共著『脱原発』が上梓されたばかりで、2人がその本を持ってきて全員に配ったこともあり、その話で大いに盛り上がった。出席者の中では、小沢派の熊谷貞俊(衆議院議員=比例近畿ブロック)だけが「関西電力なんて50%が原発で、原発を止めたら大変なことになる」みたいな間抜けなことを言って袋叩きに遭っていた。

 もう1つ、同じく一休会メンバーの山川泉から告知。音楽・演劇プロデューサーである彼が制作する劇団レクラム舎の芝居「プロローグは汽車の中」が8月5〜7日スタジオAR(世田谷区若林)、同11〜13日あうるすぽっと(豊島区東池袋)で15年ぶりに再上演される。「物語は、日本の北の町から始まる。この町は今、原子力発電所誘致に関する住民投票問題で揺れている。小さな町で反対派と賛成派が睨み合っての大騒動は、公私混同、私利私欲、入り混じっての藪の中。幼友達、その娘、恩師に先生、中小企業、結婚話と謀略、中傷、茶番劇。現代日本の悲喜劇を小さな列車に乗せて贈ります」

7月1日(金)

 午前中、東の隣地の草刈りと、以前に刈って山積みになっている分の焼却。今日は昨日ほど暑くないが、それでも全身汗だくで熱中症寸前。クエン酸入りの水をガブ飲みし、いつも携帯している沖縄産の天然塩「ぬちまーす」をペロペロ舐めて何とか乗り切った。

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 厚労省や医者が「日本人は塩を摂りすぎだ」と国民を脅し続けているが、私に言わせれば、あれは嘘ですからね。かつて専売公社が日本中に普及した「食卓塩」というのは、塩化ナトリウム99.9%の工業塩をそのまま人間にも食わせるという非道いことをして、そんなものを1日何グラムだか以上摂り続けたら大変なことになるという話で、私が愛用する「ぬちまーす」は、世界特許の「瞬間空中結晶製塩法」によって海水そのままに近い組成の自然塩を作っているもので、塩分量は73.97%、あとは21種類のミネラルである。これなら、厚労省基準の2割増しで摂っても塩分摂りすぎにはならず、逆に生命の発生と維持に不可欠なミネラル類をしっかりと摂ることが出来る。

 これを作っている高安正勝さんというのは、私も一度、那覇でお目にかかって酒をご一緒したことがあるが、面白い方で、琉球大学の物理を出て南西航空の技術部門に就職しながら、子供の頃からの発明家志向抑えがたく、会社を辞めて最初に開発したのが、蘭栽培のための水管理システム。蘭というのは、育成にたっぷりの水分が必要だが、だからといってジャブジャブ散水すると根腐れが起こる。それで、水を超微粒子にしたミストの形で花や葉には水分を供給するけれども根には過剰な水分が届かないという仕掛けを開発して、全国の蘭業者からもてはやされた。そのうちに塩の製造が解禁となったので、蘭から塩へと水平思考を展開、海水をミストにして空中に散布すると、超微粒子であるため常温の空気中で水分が蒸発して海水の塩分はじめ全成分がそのまま粉雪のように下の床に堆積するという「最も海水の成分に近い塩」の製造法を開発した。私がお会いした頃は、研究開発に私財を使い果たし、本格的に生産を始めるための工場建設資金への銀行融資もままならず、苦労をされておられる様子だったが、今はすっかり軌道に乗ったようだ。楽天などでも売っているけれども、全商品が揃う直販がお勧め。
★ぬちまーす:http://www.nutima-su.com/

 午後、ネットをうろうろしていたら、YouTubeで仲野茂が「東電イズ・バーニング」を歌っているのに遭遇した。

 シゲルは「アナーキー」を率いて80年代前半に一世風靡し、あの!山下達郎をして「ファンです。レコードは発売日に買いに行く」と言わしめた、伝説的と言っていいロック野郎だが、その彼が85年頃だったと思うが、私が今も団長を務める草ラグビーチーム「ピンクエレファンツ」に入ってきて、「お前、ロック(rock)をやっているんならロック(lock)をやれ」などと訳の分からぬことを言う奴がいて、身長もジャンプ力も要るロックのポジションを無理矢理割り当てられ、一時はずいぶん熱心に試合に出ていた。

 ラグビーに余り来なくなってからは、乗馬に凝って、私が帯広に連れて行って一緒に馬に乗ったり、彼が拠点としていた山中湖の近くの乗馬クラブに私が遊びに行ったりした。彼のライブのトーク・ゲストに呼ばれてステージに上がったことも何度かある。06年にアナーキーの全タイトルを収録したボックスが発売されたが、そのおまけの映像には、私が彼と一緒に馬で疾走したり、酒を飲みながら対談したりしているところも収録されている。
★アナーキー:http://www.anarchy.co.jp/

 彼がデビュー早々に歌った曲に「東京イズ・バーニング」という、クラッシュの「ロンドン・イズ・バーニング」のカバー曲があり、その「何が日本の象徴だ。何にもしねえでふざけんな」という歌詞が天皇批判だということで右翼団体から追いかけ回された挙げ句、放送禁止、アルバムから削除という騒ぎになった。その曲をもじった替え歌が「東電イズ・バーニング」で、「何が原発安全だ。国民欺してふざけんな」と。いいねえ、ロックはやっぱり反骨を通さないと。ラブソングの振りをしていても実はゴリゴリ反骨なんていうロックがこの頃はなくなってしまった。泉谷しげるはこの頃どうしているのかな。そういえば泉谷も怪人=内田裕也もシゲルを可愛がっていた。

7月2日(土)

 いやあ、忙しい1日だった。朝8時半に娘一家3人とその友達の一家3人が着いて、9時過ぎに彼らを引き連れて釜沼棚田クラブの草刈り作業へ。私や何人かは草刈り機で、他の多くの方々は鎌で、田んぼの土手や畦道の草を3時間かかって綺麗に刈り込む。12時に公民館
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に移ってカレーライスの昼食後、休憩。14時に再集合して「おもしろ炭焼き教室」。夏みかん、バナナ、松ぼっくり、枝豆、椿の枝など、各人思い思いのものを煎餅のブリキ缶に入れて針金で縛って炭火の上に置いて15〜20分蒸し焼きにして炭化させる。当家は、家内が前から用意していた蓮の実の乾燥したものを持参して、これはまことに上手く行って「今日のトップ賞だ」と賞賛された。やはり、バナナなど水気の多いもの、椿の枝など葉っぱと蕾の水分の含み方が違うものは上手く行かないようだ。

 17時に終わって、18時半の「ホタル観賞会」まで少し時間があるので、娘とその友達2家族は「池田」(6月26日参照)へ魚を食べに行き、私らは一旦家に戻って、早稲田のゼミ生OB4組9人を迎えて、そのままホタルを観に連れて行く。大山千枚田保存会のスタッフで「田んぼの生き物博士」のA君のホタルについてのレクチャーを聴いた後、釜沼の谷間の田んぼへ。リーダーの爺様が懐中電灯をピッカンピッカンすると、たちまち向かいの黒い森から何十匹という平家ホタルが舞い寄ってきて、我々の頭や肩
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に止まる人なつっこさ。子供たちは「あっ、捕まえたよー」「早く離してやんないとかわいそうだよ」などと大はしゃぎしている。誰かが暗闇で、「日本人は、古来、ホタルを大事にしてきたから、ホタルは決して人を怖がらないんだ」と(右の写真は棚田会員のFさん提供)。

 20時過ぎに終わって、娘や孫は拙宅に戻り、私と家内はゼミOBどもを連れて近くの韓国焼き肉屋へ。彼らが親しくしている地元のM君一家まで加わって大人13人、子供3人の大パーティとなった。実はゼミOB4人のうち2人は、この春にそれぞれ横浜市と府中市の市議に当選、また1人は結婚が決まって既に入籍、秋にも披露宴を開く予定で、それやこれやのお祝いを兼ねた大騒ぎが23時まで続いた。帰ると孫はとっくに寝ていた。

7月3日(日)

 昼からベランダでバーベキュー。娘一家に加えて、昨夜のゼミOBのうち居残ったN君一家3人と地元のM君&娘2人も参加。久しぶりに取り出したコールマンの着火バーナーが不調で、昔ながらの炭火おこし器をガス台にかけて火を熾す。柔らかい切り炭は着火は早いが持ちが悪い。これをガスにかけると3分ほどで半分以上真っ赤になるので、それを大谷石を組んだバーベキュー炉に敷いて、その上に固くて着火が悪いがやたら火持ちのいい備長炭を置く。婿が火吹き竹で煽ると20分ほどで早くも結構な火加減になる。私らが気に入っている三重の牛肉屋さんから届けて貰う(今日は)ランプ肉、私がよく知っている妙高市のエビ養殖屋さんから取り寄せる「妙高ゆき海老」、それに近在の野菜などを焼いて、炎天下、暑い暑いと言いながら野外でたしなむビールが旨い。孫娘は、同年代の来訪者3人と戯れつつ「こうやってみんなで食べるとおいしいねえ」とか言ってご機嫌。N、M両君らが帰った後、夕方まで孫娘と草取り、水撒き、竹の工作などをして外遊び。こうしてジイジが相手をしているひととき、両親は束の間の解放時間を得て昼寝をしたり本を読んだりすることが出来るのだ。孫は来月4歳になる。▲

2011年6月28日

高野孟の遊戯自在録025

6月21日(火)

 朝7時半に東海ラジオ。原発はもう止めようという話。それから終日お勉強と原稿書き。

6月22日(水)

 今日は、高田宏臣=高田造園設計事務所にお願いしていた家周りの工事の最終日。朝8時前にトラック2台で高田さんはじめ5人の職人さんが来てキビキビと仕上げの作業を開始した。

 私は草刈り機を持ち出して、我が家から250メートル下の公道に架かる橋の脇の藪を刈り込んで、ついでにその近くの田んぼの脇の草茫々も綺麗にした。橋のたもとが藪になって枝や草が張り出すと、対向車が見えなくて危ないので、年に一度は刈ることにしている。本来責任を持つべきすぐ横の家は、もう10年以上無人で、家も庭も前の道路も放ったらかしで荒れ放題なのだ。道路にのしかかっている雑木は根元から切って、太い幹は薪用に40センチに切り揃えて、ちょうど一束分ほど持ち帰った。

 昼は、今日が最終日なので、高田造園チーム5人を近くの韓国料理屋に招待して石焼きビビンバを振る舞った。皆さん、汗だくになりながらも美味しいと喜んで頂いて、高田さんなど「ここ、夜に来たいですね」と気に入った様子だった。

 彼らは、午後に仕上げの作業をして15時過ぎに帰って行った。帰る前に一緒に記念撮影をした。
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 こうして出来上がってみると、遠景の山並み、中景の榎の大樹群には今までも満足していたけれども、実はその遠景・中景と家とを繋ぐ「近景」が不在だったことに今更ながら気付かされる。下の写真は「使用前」と「使用後」。右端の榎の大樹のすぐ上は左の門から右手の玄関へ向かって上がって行くアプローチになっていて、その向う側は以前は枕木で土留めが組んであったが、土圧に耐えられそうになく、僅かながら傾いて来たような気がした。それが事の発端で、「石垣を積んだらいいんじゃないか」ということになり高田さんに相談したのが昨年春。相談を重ねるうちに、石垣だけという訳にもいかないから、その周りに植生をするということになり、高田さんお得意の雑木による自然な感じの庭造りの計画が膨らんだのである。駐車場の手前にも向こう側にも爽やかな林が出来て、写真では見えないが地面には山から採取してきたものを中心に下草と野芝が敷き詰めてある。プロの仕業は凄いと思った。

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 今日は夏至で「100万人のキャンドルナイト」。家内が都内に用事で出掛けているので、19時55分からロウソクとバカラのグラスにウィスキー・ロックを用意して、20時ぴったりに電気もテレビもパソコンも元から電気を絶って「たった1人のキャンドルナイト」。しかし1人ではねえ、話相手もいないから本当にすることがない。電気がないとな〜んにも出来ない生活をしているんだなあと思い知らされる。が、フト見るとベランダのガラス戸にホタルが1匹!

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 我が家の100メートルほど下の田んぼにはホタルが出るので、時折、風に乗った逸れ者が遊びに来るのは毎年この季節に1度や2度はあることだが、よりによってキャンドルナイトの開始5分後に来てくれるとは、何たる健気さ。「電気を消したら私の灯もよくみえるでしょう」と言いに来たのだろう。外へ出て後を追うと、孫用のブランコの柱をグルグル回ってからその下の溝のクレソンが生えているあたりに止まって、15分ほどしてフッと消えていった。ちゃんと仲間たちのところに帰れたかなあと心配で、どうせ暇なので、下の田んぼのホタルの住処まで見に行った。家に来てくれた個体を識別できるわけではないけれども、十数匹が強い風を避けて土手の陰でピッカンピッカンしているのを確認して安心した。さて22時まで後1時間半、どうやって過ごすか......。

6月23日(木)

 赤坂憲雄=福島県立博物館館長/政府復興会議委員が毎日新聞の座談会で「東北はまだ植民地なのか」と言い放った(5月30日付本録)のがずっと頭にこびりついていて、本棚から赤坂憲雄編『日本再考/東北ルネッサンスへの序章』(創童舎)を引っ張り出して読み始めた。東北電力が50周年を記念して02年に行った連続公開イベント「東北ルネッサンス」の記録で、赤坂と五木寛之、中沢新一、谷川健一、高橋克彦、高橋富雄、井上ひさし、山折哲雄らとの対話が収録されている。中身は、深い。

 午後、2時間かけて、我が家の下の公道の草刈りを続行。買い物に行く途中の通りがかりの婆さんが「偉いねえ(自分の敷地でもないのにという意味)。綺麗にして頂いてありがとう」と声をかけてくれるのが嬉しくて励みになる。しかし、30度を超える今年一番の暑さで全身汗だくになる。

6月24日(金)

 仙台在住の東北民俗研究家=結城登美雄さんが上京して、農文協の雑誌『季刊地域』編集長の甲斐良治さんと一緒に赤坂で飲むので来ませんかと、当社スタッフから連絡があり、そう言えば3・11後、結城さんと会っていなかったなあと思って、そのために東京に出た。

 東京のチャラチャラメディアは「何でこんなふうに瓦礫がいつまで片づけられないんだ。政府は何をやっているんだ」とか言うけれども、そうじゃないんだ、と結城さんは言う。漁師は長い間の仕来りとして、船が沈んで仲間が行方不明になっても100日は生きていると信じて待つんだ。100日経ったら浜に祭壇を据えて弔って、それから「よーし」と立ち直って仕事に戻るんだ、と。

 今回、津波に全てを渫われて、「もうあんな怖いところには戻らない」と思って1カ月。それから少しずつ「でも、本当はあそこはいい所なんだよね」と思い直し始めるのにもう1カ月。「やっぱり戻って、やり直そうか」と腹を固め直すのにさらに1カ月。それと「百日祭」とがタイミングが合っているのだ、と。深い精神性である。そうやって、そこにしか生
きられない人々が「生きる力」を取り戻していくことが「復興」の根本である。

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 私たちはどうやってそれを少しでも助けることが出来るのか。酔っぱらって出て来たアイディアは、「都はるみ」の100カ所コンサートをやろうということだった。東北の爺さん婆さんに「生きる力」を蘇らせることが出来る一番は、やっぱり都はるみだろう、と。したたか酔って赤坂の安ホテルに沈没。

 たまたま今日発売の『季刊地域』11年夏号の特集「東北はあきらめない」に結城さんの一文も載っているのでお買い求め下さい。


6月25日(土)

 午後から名古屋の栄中日文化センターで月イチの講義。「毎度、脱原発の話で申し訳ないが、いま私の頭の9割がそれで占められているので」と断ってその話。3時に終わって、4時からは伏見の名物居酒屋「大甚」で、私が毎週火曜日に電話出演している東海ラジオ「モルゲンジャーナル」のキャスター&スタッフの皆さんと飲み会。何とそこへ河村たかし市長が忽然と現れて、賀茂鶴のヌル燗をバンバカ飲みながら市議会がいかに馬鹿であるか大演説が始まった。実は、東海ラジオの中心スタッフである河村常臣さんが市長の又従兄弟で、「高野さんが来るから」と事前にインフォームしていたのだそうで、周りのテーブルのオバさんたちも「ウワッー、河村市長だぁ」と大騒ぎ。すかさず「おお、今日は宝塚の同窓会ですか」と握手に応じる市長。こういう出任せが即座に口をつくようでないと政治家にはなれないよね。

6月26日(日)

 大学時代の旧友M夫妻が来訪。Mは政経学部、私は文学部と学部は違うが早稲田の学生運動繋がり、彼の奥さんはうちの家内と高校同級生で共に早稲田に進学し、そこで出会ったM及び私と結婚、という二重の縁がある。昼前に着いたので、そのまま当家の軽自動車で鴨川
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市街の魚定食屋「池田」へ。前に奥さんだけ来た時に家内が案内したら、奥さんが帰ってから「もう一度あの店に行きたい」と言い続け、Mが「そんなに言うなら俺も行ってみたい」ということになって、今日の段取りとなったのだ。池田は、街道沿いの鮮魚店が裏で食堂をやっているという風情で、地元で揚がる新鮮な魚を煮たり焼いたり天麩羅にしたりして安く食べさせてくるるので評判の店で、週末ともなると超満員。今日も12時前に行ったのに駐車場はほとんど満杯、テーブルが空くまで30分近く待たされた。Mと私はここの定番の金目鯛丸ごと1匹の煮付け、奥さんは天丼、家内はイシモチの塩焼きで、一同大満足。ここは本当に、誰を連れてきても旨さと安さにビックリして、必ず「また行きたい」と言い出すから面白い。

6月27日(月)

 早稲田のゼミでは、平泉が世界遺産に登録が決まったというニュースを採り上げて、「平泉に行って中尊寺を観たことがある者は?」と聞くが、ゼロ。「あのな」と。「中国の史書『唐書』では倭国と日高見国を区別していて、日出る国である日本国というのは西日本の倭国のことではなく東日本の日高見国、すなわち蝦夷の国のことなんだ。東北大名誉教授の高橋富雄という先生がそう言っている」。シーン。「で、そのもう1つの日本の系譜の中で、平安時代の終わりの約1世紀、奥州藤原氏の独立王国が栄えてその首都が平泉だった」。シーン。「あのな、お前らヤマト中心の独善的な歴史観を注入されて脳が硬化して想像力が
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凍りついているんだ。脳を軟化させたい者は、赤坂憲雄編『日本再考』という本でも読んでみろ」。ソワソワ。「ところで、井上ひさしの『吉里吉里人』という小説を読んだ奴はいるか?」。ゼロ。「あのなあ、お前ら、もう少し...」という調子で、これはゼミとは言いながら学生に生半可な発表などさせるつもりは毛頭なく、私が一方的に喋り続けて質問の時間もなく終わってしまうことが多いのだ。なので、毎年、1年間の終わりまで本気で付いて来ている者は半分の10人もいればいいほうで、だからと言って私の方から手を差し伸べて救うようなことはしない。落ちこぼれて損をするのは彼らであって、私は何も失うものはない。そういう風だからかえって、登録外のモグリが年々10人ほども来るし、すでに前年度に単位を取っているのに今年度ももう1回出たいというリピーターも何人もいる、早稲田にゼミ数多しといえどもなかなか不思議なゼミであるらしい。

6月28日(火)

 朝、ガソリンスタンドで近所の陶芸家Sさんにバッタリ会ったら、もう一仕事終えたかのような火照った顔をしている。「昨日、お地蔵さんの上で猪が罠に係ったんで、今朝は6時に集まって解体ですよ。私も、解体を覚えなきゃいけないんで、今日は2回目だったんですが、あと1〜2回やれば、ね」と。今年は猪がよく係るようで、鴨川自然王国でも「イノシシカレー」が出ることが多い。▲

2011年6月21日

高野孟の遊戯自在録024

6月6日(月)

 早稲田のゼミでは、先週から「インテリジェンス原論」ともいうべき講義を始めていて、今日は脳と皮膚と内臓という話をした。よく言われる左脳・右脳論というのは俗説で、別に左と右で機能がパッカリ分かれているということではないらしいが、いずれにせよ今の若い人たちが左脳偏重的であるのは疑いもなく、それでは想像力も直感力も沸いてくるはずもないので右脳を鍛えなければならないが、そのためには脳と皮膚や内臓が直結していることを自覚しないとダメなんだ、と。
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 夜は丸の内の寿司屋で、水素エネルギーの専門家=槌屋治紀さんと懇談。水素社会の意味とその必然性について理解が深まった。来週土曜日のFM東京系全国ラジオ番組にゲストとして来て頂くことをお願いした。「たる善」という札幌が本店のこの寿司屋は、鈴木宗男が贔屓にしていて佐藤優もお気に入り。牢屋にいる宗男さん、寿司が食べたいだろうなあ。


6月7日(火)

 早稲田大学高等学院の同級会のゴルフに参加。ゴルフも最近は年に1度か2度程度でさっぱりだが、千葉県山武郡大網町の東急系「季美の森ゴルフクラブ」で懐かしの級友たちと遊んだ。

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 夜、茂木健一郎『ひらめき脳』(新潮新書)を読む。正解のある問題を早く解くには人間はコンピューターにかなわないが、現代の時代状況で正解のない問題に対処するには人間の脳にしかできない能力、すなわち「ひらめき」が重要で、ひらめきは決してコンピューターから生まれることはない、と。

 もう1カ所、「感情の中枢は扁桃核や中脳といった進化的に古い脳で、これらの部位は原始的であるという意味で『爬虫類の脳』とさえ言われることもあった」。その爬虫類の脳による衝動や欲望といった感情を、理性を司る大脳皮質が抑え込むことで人間は社会生活を営むことが出来る----つまり「理性で感情を抑え込んで情緒を安定させる」のが人間らしさの指標であるというのが今までの考え方だったが、感情研究の新潮流では、理性と感情は一体で、感情は理性を含めた脳の認知過程のすべてに不可分な形で関わっていると考えるようになった、という。

 爬虫類の脳で思い出したので、もう1冊、ポール・D・マクリーンの『三つの脳の進化』
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(工作舎)を引っ張り出して斜め読みした。爬虫類脳=反射脳、前期哺乳類脳=情動脳、新哺乳類脳=理性脳は、構造的にも化学組成の上でも、また進化の歴史かいっても、まったくかけ離れているにもかかわらず、人間の脳の中でそれぞれ独自の重い役割を果たしながら、三位一体となった神経組織を形成している。うーん、自分の脳内に爬虫類だった時の反射脳が棲んでいるというのは楽しい話だ。来週、この図を学生らに見せてやろう。

6月8日(水)

 終日シトシト雨。溜まった新聞を半日がかりで一挙に整理してさっぱりした。槌屋治紀『エネルギーのいま・未来』(岩波ジュニア新書)を読む。夜、原稿執筆。

6月9日(木)

 岐阜で政策金融公庫の融資先経営者に「大震災をこえて/日本再建の方途」と題して講演。長良川の鵜飼いの火を遠くに見ながら、iPadの使い勝手をよくして何とか重いMacBookを持ち歩かないで仕事が出来るようにするための設定に取り組む。講演や授業でプロジェクターに接続して資料をスクリーンに映し出すことにやや問題があり、解決策を見いだすのに少し時間がかかった。今の第2世代のiPadだと問題がないのだが、私のは第1世代なので、それ用のアプリを探し出してインストールしなければならない。

6月10日(金)

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 駅で買った石原結實『男が病気にならない生き方』(WAVE出版)を読みながら帰京、帰宅。人間の体重の40%は筋肉で、その筋肉の70%は下半身にあるので、下半身を意識的に鍛えることが健康維持の要である。ウォーキングが一番だが、それを続けるのもなかなか難しいという人は、スクワット運動、踵の上げ下げ運動、ダンベル体操など簡単なメニューを毎日こなせばいい。これなら、毎日とは言わないが、いままでも心掛けていることで、少し努力すれば出来そうだ。ま、私の場合は、薪割り、草刈り、畑仕事などヘビーな作業がいろいろあって、スクワットなどより余程激しい鍛錬になっているのだが。

6月11日(土)

 午後、ジャズ・ピアニストの坂口三代次さんがミュージシャン仲間2人と共に来訪。坂口さんは昭和19年生まれの「一休会」のメンバーで、30年ほど前から鴨川の海沿いに別荘を持っていて、第一線を退いたこの頃は半分ほどはそこで暮らしている。仲間の2人は、定年を過ぎてからジャズ歌手になったTさんと、鴨川のラーメン屋のご主人で元プロのベーシストのYさん。明日はそのYさんの店で3人によるジャズのライブがある。

6月12日(日)

 朝8時半に橋のたもとに集合して、地元の「地滑り防止組合」の年に1度の草刈り作業と総会・懇親会。30人ほどが集まって、男衆は草刈り機、女衆は鎌で地滑り防止用に敷設されたU字溝の周りの草を刈ったり竹を切ったりゴミを除いたりするのだが、何せ範囲が広いので、午前中2時間半ほどでは一部しかやり切れない。私は、自分の家の隣にある不在地主の土地の草ボウボウを刈る作業を分担した。11時半に八雲神社に再集合して、簡単な総会のあとは宴会。作業で汗をかいた後の昼間のビールは効きが早い。

 夜は家内や友人とラーメン屋でのジャズ・ライブへ。自由闊達、変幻自在の坂口さんのピアノを堪能した。

6月13日(月)

 早稲田デー。午後の大隈塾授業は朝日新聞の星浩さんの新聞の使命と将来についての講義。星さんもすっかり朝日を代表する政治記者となって、田原総一朗に言わせれば、この先、編集局長か主筆になること間違いなしとか。ジャーナリズム大学院の「新聞の読み方」演習では、いくつかの新聞・雑誌から3つの記事をピックアップして、それを活用しつつ1本の記事を書くという練習をした。

6月14日(火)

 昼過ぎに羽田を出て青森へ。今日の夜は青森市で、明日は弘前市で日本生命青森支社の講演がある。講演まで少し時間があったので、ホテル近くの青森県郷土資料館へ。県の自然と文化を要領よく展示していて面白かった。

 講演と簡単な懇親会のあと、日生の担当の方に案内されて居酒屋「いし乃」へ。獲れたてのホヤが美味しかった。

6月15日(水)

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 午前中バスに乗って三内丸山の縄文遺跡を訪れる。もう6度目か7度目で、ほとんど三内丸山フリークと言ったところだが、ここは来るたびに新しい発見があって飽きない。出土物の展示室が移転・新装なって一層充実していて嬉しかった。バスで市内に戻り、昨日から読んでいた石森愛彦『多賀城/焼けた瓦の謎』(文芸春秋)を読み終える。

 ヤマトが律令国家形成から早々の724年にエミシを征圧するための前進拠点として多賀城を築いたものの、780年にはエミシ
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の反乱で陥落、大炎上する。以後20年余り、ヤマトは5万、10万の大軍を繰り返し送り込んでエミシの制圧を図るが度々敗退、最後は英雄=アテルイ率いるエミシ連合軍と征夷大将軍=坂上田村麻呂の朝廷軍との胆沢大決戦でようやくアテルイを降伏させ、京都に連れ戻って斬首、飛鳥時代から奈良時代にかけて約150年続いた第1期ヤマト・エミシ戦争は終息に向かう。が、その後もエミシとその後継アイヌのヤマトに対する武装反乱は断続的に1000年以上にわたって繰り返され、最終的に明治政府が1869(明治2)年に開拓使を設置、99(明治32)年に「旧土人保護法」を制定してアイヌを囲い込んだことでその抵抗の歴史を終えた。

 夕方、弘前市に移り講演。夜は津軽三味線奏者として知られる渋谷和生さんの店「あいや」で郷土料理を頂きながらライブ演奏を楽しんだ。近海マグロの中落ちが800円で、スプーンで掻き取りながら食べるのだが、余りに巨大で3人で食べきれないほどだったのには驚いた。

6月16日(木)

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 朝早く、弘前城を散歩。ここの桜は見事だが、それが咲いていないと何もない。昼に青森空港を出て帰京、事務所と近くのホテルで打ち合わせや取材など3件をこなした後、18時半から白金台の八芳園で「東京高野塾」。今回は高野塾の常連メンバーと「日本元気丸」プロジェクトの若手経営者の皆さんとの共同開催ということで、「原発はもうやめよう」という話をした。22時に上野で、NYメトロポリタン・オペラを観終わった家内をピックアップして帰宅。

6月17日(金)

 今夜は、私の早稲田のゼミOBでプロのミュージカル歌手になった辛源がミュージカル「ミツコ」の主役級を演じるというので、家内共々、青山劇場に行く。辛は、イギリス人を父に在日韓国人を母にロンドンで生まれ、中学・高校を神戸で過ごし、高校3年の時に1年間韓国に留学した後、06年に早稲田大学に入って私
の学生となった。が、すぐに米ペンシルバニア大学に留学して学問と舞台芸術を探究、08
singen.jpegのサムネール画像年にはオーディションを経てブロードウェイ・ミュージカル「レント」に準主役で出演、その東京公演の時にもゼミ生らと共に応援に行った。「ミツコ」は、日本で最初の国際結婚でしかもオーストリアの貴族に嫁ぐということで話題となったハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵夫人=青山光子の生涯を描いた作品で、彼女が生んだ5人の子供のうち次男のリヒャルトが後に欧州統合の夢を熱く説いて「EUの父」と呼ばれるのだが、そのリヒャルトが辛の役なのだ。彼のマルチナショナルな出自と風貌が役柄とマッチして、歌も演技も前作の時より格段に巧くなって、すっかり主役の1人としての存在感を出していた。

 「ミツコ」東京公演は6月29日まで続くが、ダブルキャストのため辛君の出演は今日が最後だ。


6月18日(土)

 夕方、東京FM系の全国放送JFN「ON THE WAY JOURNAL/高野孟のラジオ万華鏡」の録音で赤坂のスタジオへ。ゲストは槌屋治紀さんで原発と将来の水素社会への移行の段取りについて40分間話し合った。この番組は、毎週火曜日の朝5時半から30分間で、誰が聴くんだろうと思っていたが、昨秋から始めたJFNホームページでのポッドキャストで好きな時間にダウンロードして聴いてくれる方が10万人も20万人もいて、なかなかバカにならない。ラジオもこうやってネット経由で多様な端末で聴くことができるようになって、可能性が大きく広がっているのだろう。

 これ、サイトの構成がちょっとおかしくて、行き着くのが難しいんですが、
★JFNトップページ:http://www.jfn.co.jp/jfn_top/
 →「番組一覧はこちら」をクリック
 →「ON THE WAY ジャーナル」をクリック
 →「高野孟のラジオ万華鏡」をクリック
 →さらに右下の「高野孟のラジオ万華鏡」をクリック
 ......これでようやく私の担当分の一覧が出てきます。トップページから検索をかけても辿り着かないのでご注意を!

6月19日(日)

 終日、原稿書き。夜、開沼博『「フクシマ」論/原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土
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社)を読み始める。東大の博士課程在学中の気鋭の社会学者が、5年前から福島の原子力ムラに通い詰めて、そこに暮らす人々が実は「原発を半世紀近くにわたって抱擁し続けてきた"幸福感"」に満たされているという「外から見ている限り決してつかみきれない」現実に直面する......。福島をフィールドにしていてこの事態に遭遇したのは偶然には違いないが、深いところからフクシマを見つめる眼差しにたじろぐほどだ。

6月20日(月)

 早稲田デー。ゼミでは、岡田英弘『世界史の誕生』を素材に世界史的想像力について。先々週は地球生物史的想像力、先週は日本史的想像力で、今日はこれだからね。学生も目を白黒しているが、付いてくる奴だけ付いてくればいいという基本方針だから構うことはない。そのかわり、最後まで食らいついて来る奴には、上記の辛源もそうだが、凄いのが一杯いて面白い。午後の200人授業で
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は本学出身のメディア・ジャーナリスト=津田大介さんをゲストスピーカーにデジタル・メディア、とりわけツイッターが「動員のメディア」となる可能性について。若い学生にとって身近なテーマなので、質問も活発で、終了後、津田氏が「早稲田の学生をちょっと見直しましたよ」と。▲

2011年6月 5日

高野孟の遊戯自在録023

5月23日(月)

 早稲田授業のあと、当方の若いスタッフが最近仲良くしている「将来大物間違いなし」の某政治家の秘書と4人で一杯飲もうということになり、溜池の焼き鳥の名店「八っちゃん」を予約しようとしたら、「建物の老朽化で外壁が崩落し、いま店の前の歩道も通行止めになっている」とのこと。前から「危ないよね」と言っていたのだが、大丈夫かね、全く...。仕方なく、八重洲地下街の居酒屋に変更した。

5月24日(火)

 朝から雨。終日デスクワークで、夕方ホッとして昨日頂いたカタクチイワシの酢漬けで晩酌したら、これが地獄の食あたりとなってしまい、深夜2時過ぎに体中痒くて目が醒めて、たちまち上から下から激しい排泄作用が始まって2時間トイレに立て籠もり。2時間ほどで治まり、全身の発疹も嘘のように消えたものの、胃酸の逆流による胸焼けヒリヒリと、脱水症状による全身倦怠で、眠ることも出来ない。

5月25日(水)

 七転八倒しつつ水を飲んではうつらうつらを繰り返して、昼前にようやく起き上がって近くの国保病院に駆け込んだ。「典型的な食あたりですね。重大な感染といった心配はありませんから」と、アッサリしたもので、薬を貰って帰って来た。梅雨時以降は特に光り物は気を付けなければ。私は、舌が敏感なほうで、賞味期限など一切信用せず口に入れて大丈夫なら食べてしまうし、逆にちょっと傷んだものはすぐに分かって、家でも店でも『これちょっと味がおかしいよ』と忌避できるので、こういうことは滅多にないが、酢で絞めてあるとその味覚センサーが働きにくい。10年以上前だったか、出先で失敗した時も牡蠣酢だった。

 夕方から三浦半島で予定されていた「NPO法人・神奈川馬の道ネットワーク」の幹事会は欠席。自分で電話を掛ける気力もなくて、家内に伝えて貰った。神奈川県茅ヶ崎市の海岸にほとんど活用されていない「青少年キャンプ場」という施設があって、それを馬のいる野外活動施設として再生できないかということを5年も前から県に提案してきて、このほど市の方から「指定管理者に立候補してくれ」という前向き提案があって、その事業構想を検討する会議なので、どうしても行きたかったのだが、残念。

5月26日(木)

 今日も寝ていたかったが、大阪で日刊労働通信社のセミナーがあり、穴を空ける訳に行かないので、死ぬ思いで車を運転して高速バスのバス停に行き、バスの中で1時間半、新幹線でまた2時間半、うつらうつらを繰り返しながら、天満橋の会場に辿り着いただけでほとんど燃え尽き状態。開演まで1時間、控え室で横にならせて貰い、しかし講演は手を抜くことが出来ないので、全力で1時間半、しゃべりきる。当初予定では日帰りとなっていたが到底無理なので、天然温泉付きのホテル阪神を取って直行、薬と水だけ飲んでウトウトを繰り返すこと15時間半。

5月27日(金)

 さすがに何か食べないといけないので、ヨロヨロと出て行って近くのコンビニでバナナを買って、無理矢理1本押し込む。それ以外は液体しか入っていかない。断続的ながらも長時間眠ったので、少しよくなって、温泉で身を整え、新幹線で帰京。しかしもうそこまでで、バスで家に帰って明日また名古屋行きのために出てくるという気力も体力もなく、安宿を取ってひたすら薬と水とバナナと睡眠。その合間に、無理矢理身体を起こしては明日の名古屋のレジュメづくりに取り組むのだが、いつもなら30分で済む作業が途切れ途切れで3時間をかけても終わらない。ようやく送信したのは午前6時前だった。

5月28日(土)

 13時から名古屋の中日文化センターで月1回の講義「新・世界地図の読み方」。私はいつでも全身全霊をかけてしゃべるから、この2時間の講義も、いつもは目一杯やって受講生から質問を受ける時間もなくなることが多いのだが、今日はダメで、1時間20分しゃべったところで燃え尽きてしまった。あとは質問に答える形になって、かえってそのほうが皆さんには良かったようだ。

 東京駅地下の喫茶店で、東京FM系JFNの毎週ラジオの1回分を追加録音。家に辿り着いて、バナナ以外の固形物として初めてジャガイモのスープを摂って、少し力が湧いた。

5月29日(日)

 朝から梅雨らしい雨。家内はチェンバロの演奏会とお仲間との食事会があるとかで出て行った。明日の授業の準備など、やることは山ほどあるのだが、相変わらず30分もデスクに坐っていると姿勢が崩れてきて1時間横になるといった有様で、能率が悪い。近所のK君が草刈りの手伝いに来てくれて、いつもなら一緒にやるのだが今日は勘弁して貰ってお任せ。夕方、帰りがけに淡竹の筍を掘って2本、置いていってくれたので、鯖の味噌煮の缶詰で筍を茹でるという信州方式(信州では根曲り竹の筍だが)の食べ方で1本の半分ほどを食べた。こんなことを自分でやろうと思うだけ元気になったということだ。

5月30日(月)

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 まだ本調子ではないものの、ほぼ日常生活に復帰。早稲田の授業では、5月17日付毎日新聞文化欄の座談会で赤坂憲雄(福島県立博物館館長/政府復興会議委員)の「東北はまだ植民地なのか」という発言を採り上げて、「君ら、このひと言をどう受け止めるか。『植民地』って、どこの植民地なのか。『まだ』って、いつからのことなのか?」と問いかけた。30人ほどの高野ゼミでも、200人の大隈塾授業でも、答える者はいない。大学院ゼミで中国人留学生が「アメリカの植民地ですか......」と反応したのが唯一。「そのくらい君らは、『日本って何だ』ということを考えたことがないんだよ」という話をした(これは、近く論説にまとめておくことにしよう)。

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 夜、水素エネルギーに詳しい槌屋治紀=システム技術研究所所長に久しぶりにお会いする予定だったが、まだ体調に自信がないので来週に延期して頂いた。槌屋さんとは、もう20年以上も前だろうか、月尾嘉男=東大名誉教授のお声掛かりで旧科学技術庁の未来社会予測プロジェクトでご一緒して以来。後に彼が故藤本敏夫と若い頃から縁があったと知って驚き、何年か前には鴨川自然王国の田植えに研究所の若いスタッフの皆さんを連れて参加したのでお目にかかることが出来た。「脱原発→自然エネルギー」というのが世の中次第に主流となりつつあるが、私は単に原発が自然エネルギーに置き換わるのではなくて、自然エネを含む全エネの統合的なプラットフォーム(活用基盤)が「水素」となる「水素エネルギー社会」が到来するのではないかと思っていて、そのあたりについてご教示を受けようと思っている。

5月31日(火)

 昨日届いた「八ッ場あしたの会」の機関誌『Tomorrow』巻頭に、高木久仁子さん(高木仁三郎市民科学基金事務局長、八ッ場あしたの会顧問)の「原発と八ッ場ダムに共通するもの」という一文がある。福島や新潟の原発も、八ッ場ダムも、地元民の要請によるものではなく、政府と利権政治家、原発企業、ゼネコンの利益のための事業であり、カネの力で住民を切り崩し抑え込んで迷惑施設を押しつけてきた。結局は、地域振興に寄与するどころか、自治体財政悪化や過疎化をもたらし、地元がますます原発依存から脱出困難になる蟻地獄状態だ、と。
★八ッ場あしたの会:http://www.yamba-net.org/

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 そう言えば、故高木仁三郎さんの遺著とも言える『原子力神話からの解放/日本を滅ぼす九つの呪縛』が、講談社+α文庫から先日復刊されて、懐かしくてさっそくアマゾンで注文した。「原子力についてかなり多くの本を書いてきて、もう新しく言うことは何もないかなと思って」いた彼が、癌との闘いを押して本書を書かなくてはいけないと決意したのは、99年9月の東海村JOCウラン加工工場の事故とそれによる作業員=大内久さんの死の衝撃からのことだった。今から10年前に、「これから2010年にかけて、運転開始から30年を超える原発が2基、5基、10基というふうに増えていきます。それまでに原発を止めないと、40年くらいの寿命をもった原発がますます増えてしまいます。そういう時代に大きな原発事故が起こる可能性を、私は本当に心配しています」。その予言通りになった。高木さんの原子力資料情報室を引き継いだ西尾漠さんのまえがきを付して緊急復刊された本書を、「どこに本質的な問題があるのか」を知ろうとするすべての人に読んで欲しいと思う。

6月1日(水)

 高田造園の高田宏臣さんのチームが久しぶりに来訪。5月連休前に石組みや玄関周りの三和土など土木的な作業はほぼ終わっていたが、それから連休、高田さんらの東北被災地支援、雨などいろいろあって約1カ月ぶりの作業再開である。これからは植栽を中心とした作業に入っていく。楽しみなことだ。
★高田造園設計:http://www.takadazouen.com/ →「作庭日記」欄に当家も時折登場。

 私も、食あたりから1週間を経て、いつまでもダラダラしていると体が鈍るばかりなで、今日は朝から覚悟を決めて、作業小屋の前に山積みにしたまま何年も野ざらしにしていた薪用木材の整理に着手した。もう3年も前に運び込まれたが、どれも直径30センチ以上、長いものは1メートル以上で、重くて運ぶのも切って割るのも大変で、なかなか手を着けられないでいるうちに、一部は虫に食われて腐ってボロボロになり、景観は悪いし、通行の邪魔にはなるし、困っていた。で、今日は1本1本持ち上げて、使い物にならないほど傷んだものは裏まで担いで行って捨て、部分的に傷んだものはその部分を切除して残りを生かして、健全なものと共に井型に組み上げて今後の薪割り作業がしやすいように整えた。夕方までかかって綺麗になったが、久々の肉体労働でヘトヘト。明日、熱でも出さねばいいが......。

6月2日(木)

 雨。13:25発の高速バスで出て、江戸東京博物館の「五百羅漢展」へ。江戸末期の絵師=狩野一信の渾身の連作が芝・増上寺に奇跡的に保存されていたものをこのほど一気に全幅公開!ということで、江戸から明治初期にかけての伊藤若冲、曾我粛白(粛は草冠がつく)、河鍋暁斎と続く、従来は日本美術史の傍流というか逸れ者扱いされてきたいわゆる「奇想の系譜」の人たちが好きな私としては、観ないわけにはいかない。確かにそれぞれの着想はおもしろいし物語性もあって惹かれるところも少なくなかったが、何しろ羅漢ばかり100幅も並べて観るのは結構辛くて、途中で疲れてしまった。美術史愛好家にはまたとない企画なのだろうけれど、私のように1枚の絵にバッと飛びついて世界観的インスピレーションを得たらそれで満足というような見方しかしない者には、ちょっと重すぎた。
★五百羅漢展:http://500rakan.exhn.jp/top.html

 夜は銀座で、インサイダー周辺の記者人脈と大手銀行4行の歴代広報担当者との懇親会「四行会」の絡みで会食。30年前に始まったのがこの会で、記者側は私が最年長で、やや下の団塊世代に属するフリーのT、講談社系のS、小学館系のTとSで、基本的に顔ぶれが変わらない。先方は、昔は住友、三和、東海、富士で、だから「四行会」なのだが、バブル崩壊後、住友は01年にさくら(太陽神戸+三井)と合併して三井住友に、三和と東海は02年に合併してUFJとなり、さらに05年に東京三菱(三菱+東京)と合併して三井住友UFJとなり、富士は02年に第一勧銀および興銀と合併して「みずほ」となって、変転著しく、前の何銀行が今はどの銀行になっているのかは、ちょっと考えたくらいでは分からないほどだ。今日は、そのうち三井住友で長年広報担当を務めたUさんが、その後地方の有力支店長などを経験してこのほど本店広報部長となって戻ってきたのと、小学館のSが3月末で定年を迎えたこととを理由に、記者側メンバーと三井住友の新部長以下広報スタッフの皆さんで一杯飲もうという趣旨だった。フリーのTの「小学校同級生」が女将の小料理屋はなかなか美味しくて、私にとっては食あたり以来ほとんど10日ぶりの本格和食フルコースで、「こんなに食べて大丈夫か」と怯えながらも完食した。最終バスで帰宅。

6月3日(金)

 家内が所用で横浜に出るというので、朝、高速バス停まで送って、そのまま館山のゴルフ練習場に行って球を打つ。この10年ほどは年に1〜2回ほどの付き合いゴルフだけなので、来週火曜日の高校同級会のコンペに備えて、せめてゴルフクラブが錆びていないかどうかくらいは確かめておかないといけない。100球も打ったら息が切れて、ビジターは1球10円なので絞めて1200円。午後から夜は仕事。やっと中断・休憩なしにデスクに向かうことができるようになった。

6月4日(土)

 薪の整理を続行。今日は、森の中など4カ所に放置されたままだった薪材料を全部、収拾した。伐採整備をした時に「これは薪に使える」と思って適度に斬ったり枝を落としたりしたものを集積するのだが、これがまたなかなか手が着かなくて、そのうちに草に埋もれて腐ってしまったりする。気になって仕方がなかったのを、今日は、細いものは5〜6本まとめて、太い丸太は1本ずつ肩に担いで、計100本ほどをすべて運び出して、ここでまた積み上げてしまうといつになるか分からないので、そのまま丸鋸、チェーンソー、ログマチックで切って割って薪小屋に収めた。ログマチックはフィンランド製の薪割り道具で、最近、薪割り族の間で人気が高い。そのうち写真入りで紹介しよう。

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 途中、ふと気が付くとモミジに薄らピンクの可愛い花がたくさん咲いている。単葉のトンボの羽のような形で付け根にぽっこりと膨らみがあり、長く伸びる茎まで含めると竹トンボのようでもある。調べるとこれは花ではなく実で「翼果」と呼ぶのだそうだ。これがやがて風に乗ってクルクルと回りながら出来るだけ遠くに飛んで子孫を実生させるのである。自然のデザイン力は凄い。

6月5日(日)

 終日デスクに向かう。高田造園チームは、梅雨の間の晴れを惜しむかのように、昨日も今日も来て、門から玄関周りにかけての高中木の植栽をほぼ完了した。高木はコナラ、モミジ、ケヤキなど、中木はいろいろな種類の落葉樹で、全体として家が柔らかな雑木林に囲まれているという雰囲気が醸し出されてきた。後はたぶん4〜5日をかけて下草を植え、残りを地のままに残す部分と野芝を植える部分とに分けて仕上げをし、数カ月に及ぶ作業を終えるのだろう。住んでから4年余、今までは、遠景に山を望み、中景に敷地内外の大きな榎と欅の森が迫って、それらを眺めるだけで満足していた。家やベランダ周りの近景には、何の考えもなしに適当に何本かの雑木を植えていただけで、このように近景を意図的に整えることで家〜近景〜中遠景がお互いに引き立て合うような心地よい緊張関係が生まれるなど思いもよらないことだった。やはりプロの造園家の仕事は奥が深い。▲

2011年5月22日

高野孟の遊戯自在録022

高野孟の遊戯自在録022

5月12日(木)

 昨日に続き終日雨降り。来週から本格的に始まる早稲田のゼミと大学院ジャーナリズムコースの授業のパワーポイントを全面一新すべく集中的に作業。ジャナコースは韓国や中国からの留学生も3名混じるので、分かりやすくする工夫が必要なのだ。pptはこんな感じの1ページで始まる。

5月13日(金)

 鴨川自然王国「里山帰農塾」の今年第1回が今日から2泊3日で行われる。10時からの開講式で7名の参加者に塾長として挨拶した後、一旦帰宅してレジュメを作成、13時からの講義に臨む。今回は私、農文協『季刊・地域』編集長の甲斐良治さん、加藤登紀子さんの各講師とも「3・11後」をテーマに語ることになり、私は「3・11と原
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発」について話をした。

 夕方、家内の所望で車で10分ほどにある保田の隠れた名店「きのや」に蕎麦を食べに行く。長狭街道沿いにポツンとある謎のような店で、遠く(例えば埼玉県)から来る人もいる。天麩羅ソバが逸品で、いつもそれになってしまうが、今日は趣向を変えてカレー南蛮ソバ。孫一家を連れてくると、パパは「ここ
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なら毎日来てもいい」とご機嫌になってお銚子を傾け、孫はざるソバを何も漬けずにモクモクと食べる。本物のソバにはそれ自体に力があることを3歳9カ月の幼児のほうが敏感に識別するのだろう。「私とパパはね、ソバ好きなの」だって。

5月14日(土)

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 朝からK君に手伝って貰って、浄化槽(本録4月18日参照)のチップ交換作業。汚水系と雑排水系の2系列ある内の、まずは汚水系のチップ槽から、古くなったチップを一旦シャベルで掻き出す。深さ2メートルもあるコンクリ槽なので容易なことではない。2人がかりで午前中一杯かかかってようやく掻き出し完了。K君は午後から仕事があって帰ったので、午後からは一人孤独に、掻き出した古いチップから汚れた部分を取り除いて埋め戻し、その上から新しいチップを投入して混ぜ合わせるという作業を繰り返す。3時間半かけて終了。これで汚水系は機能を回復するはずだ。

 18時半から、王国で帰農塾の飲み会。今日の夕方に講義した農文協の甲斐良治さん、遅くなって大阪のチャリティー・コンサートから帰った加藤登紀子さんも参加して盛り上がる。


5月15日(日)

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 朝から浄化槽メンテ続行。今日はK君に加えて、いつもいろいろ手伝って頂いているご近所の「便利屋さん」Kz女史も参加して貰って、もう1つの雑排水系のチップ槽の大掃除。10時前に中断して、すぐ近く(車で3分)の大山不動尊の「火渡り祭」に。真言宗の修験道の古式に則って、ホラ貝を吹きながら山から下りてきた僧侶が結界の真ん中に用意した護摩に火を点けて、燃え尽きた跡をならして消し炭にしたところを信者が順繰りに裸足で歩いて渡るという儀式である。

 とって返して、引き続き浄化槽の作業。午後3時過ぎに、ご近所のIさんが仲間のYさんと一緒に来訪、「筍を少し採らせて下さい」と。うちの周りは淡竹(はちく)の竹林があって、今時はまあ次から次へと筍が出て採りきれない。自分でも毎日、2〜3本を掘り出しては味噌汁にしたり、若布と一緒に炊いたり、皮ごと焼いて叩きにして酒のつまみにしたりするが、もういいやというくらいで、ご近所にも「どんどん採って下さい」と言っているので、いろいろな人がやってくる。で、今夜は車で5分くらいのIさん宅で筍を肴に一杯飲むことになった。

5月16日(月)

 早稲田の授業の第2回。大隈塾授業は、塾長の田原総一朗さんの講義。自分がジャーナリストになった経緯とその思いを語って、学生からの質問も活発だった。

5月17日(火)

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 今時、新緑の森の中で目立つのはミズキの白い花。ゆったりと横に伸びる枝に雪が積もったかのように白い塊がフワフワと浮かんで目を惹く。前々からあれは何だろうかと思っていて、何人かに聞いたが「ああ、あれ、よく見ますよね」といいながら誰も知らない。図鑑をひっくり返してようやくミズキと分かった。ハナミズキは米国を象徴する花でもっとアッサリと可憐に咲くが、和種のミズキはモコモコと咲いて存在感がある。

 昼に東京でスタッフと打ち合わせ。経営四苦八苦のザ・ジャーナルに投資しようかというベンチャー・キャピタルからのお話があるとか。ザ・ジャーナルはこれまで、楽天ニュースとの提携関係で何とか維持してきたが、大震災の影響で楽天の本体の市場が大変なようで、提携見直しを言ってきている。ベンチャー投資があれば別の思い切った展開が出来るかもしれない。

 夜、大阪の高野塾。「脱原発」という話をして、そのあと飲み会で盛り上がった。

5月18日(水)

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 昼過ぎ帰宅。家内が友達と旅行で不在なので、干物を焼いて昼食をとり、ベランダで風に吹かれて読書。槌屋治紀『燃料電池と水素エネルギー』(ソフトバンク・クリエイティブ)が平易に書かれていて分かりやすい。槌屋さんとは、十年以上前に月尾嘉男=東大名誉教授のお声掛かりで旧科学技術庁の未来予測プロジェクトでご一緒して知己を得、後に鴨川自然王国に仲間を引き連れて田植えに来られたので驚いて、聞けば故・藤本敏夫とは旧い友人だったという。私は、脱原発・脱石油を順次進めて2030〜50年にかけて水素エネルギー社会を実現すべきだという考えなので、久しぶりに槌屋さんに連絡して意見交換することにした。

 ベランダの前の庭(というのは人工的に造作された空間を言うのであって、我が家の場合は年に4〜5回の草刈り以外に何の手も入れない、言わば原野状態)では、雑草が生え放題。いや、昭和天皇がおっしゃったように「雑草という草はない」のであって、決してそのように一括りにしてはいけない。これはたぶん、天皇家の根本思想で、彼らにとって「国民とか大衆とかいう人はいない」ので、園遊会でも被災地お見舞いでも、あのように親身になって声をお掛けになるのである。

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 で、我が家の雑草花畑だが、手前の薄いピンクの花は北米原産のハルジオン(春紫苑)、黄色の花は欧州原産のブタナ(和種のコウゾリナとは一見区別がつかないが後者は葉に剛毛がある)、ヒョロッと長いのは欧州原産のヒメスイバ(和種のスイバは酸模[スカンポ]は1メートルにも伸びるがこれはその半分くらいなのでヒメが付く)。

5月19日(木)

 朝から薪ストーブの煙突掃除。4年前に設置して、我が家の焚き方では一冬にせいぜい30日ほどしか焚かないので、まあいいかと一度も掃除したことがなかったが、今年は大震災による停電もあってずいぶんお世話になった。初めてなので、販売店に出張してやってもらおうかとも思ったが、うちのベルギー製ネスター・マーティンの輸入代理店は京都の京阪エンジニアリングなので、新幹線代まで含めて結構なお値段になるので、自前でやることにした。ホームセンターで竹の柄に煙突のサイズに合った鋼製タワシが付いた道具を480円で買ってきて、まずは屋内の天井近くの接合部を捻って中間部分を取りはずして、その上部にビニール袋を被せてテープで止める。それから屋根に上がって笠を取りはずし、上からタワシを入れて煤をビニール袋に落とす。中間部分は外に持って行って煤を払い、タールはクリーナーと鉄の爪(スクレイパー)で削り、水で洗い流す。それからストーブ本体の煙道周辺の煤を丁寧に取り除き、最後に火室を徹底的に清掃する。本来はパッキンも交換しなければならないが、見たところ、ごく一部2センチほどが崩れているだけなので、今年は不要と判断した。全体で1時間半ほどの作業だった。やれば出来るということだ。

 午後、イギリスを訪問していた遠野市の馬青年=岩間君とその兄貴格の盛岡の牧場主=八丸君が、成田空港から東京経由、我が家に帰国報告に来てくれた。岩間君が森から木材を切り出すのに馬を使う「馬搬」という伝統技術を継承しようとしていることは、本録1月4日付で触れた。また、その後私が遠野市の本田市長とお会いして岩間・八丸両君をイギリス馬搬協会(ホース・ロギング・アソシエーション)の年次総会と競技会のイベントの視察に送り出すという話がまとまったことは1月14日付で述べた。それで彼らは本当に、遠野市の青年海外研修制度の支援を受けてイギリスに行ってきたのだ。はるばる極東の地からやって来た仲間ということで大いに歓待され、協会長の自宅に泊めて貰っていろいろよくして貰い、しかも競技会では、他人の馬を借りて初出場した岩間君が優勝してしまったのだ。競技は、実際に森で木材を運び出すのに必要な馬を操る技術をゲーム化したもので、結構難しいが、彼はじっくり観察してたちまち要領を悟って、見事にやってのけた。来年は全欧競技会が行われる予定で、彼らが招かれることは確定的である。日本の馬技術は凄いし、それを担う日本の若者も凄い。

5月20日(金)

 先週末に浄化槽の整備を終えたので、その周りの雑草を刈って、なおかつ雨水が槽内に流れ込まないように土を削って整地した。鍬とシャベルとレーキを使って6時間の重労働。さらに刈り取った枯れ草や旧い芝生の根の2メートルほどの高さにもなる山を燃やすのに1時間半。終わってビールを飲んだらグッタリでパソコンに向かってウトウトしていると家内が旅行から帰ってきた。

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 北海道・襟裳岬のTさんからエゾオオサクラ草の写真が届いた。「咲きました」としか書き添えていないが、「また襟裳に馬に乗りに遊びに来ませんか」という意味だろう。

5月21日(土)

 朝5時から夕方6時まで、ひたすら水素エネルギーについて本とウェブで研究。だいぶ理解が深まった。「人工クロロフィル」で光合成によって水素を生産するという原理が面白そうだ。夕方、来訪中の家内の妹と3人で、車で10分ほどの温泉「白壁の湯」へ。

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 夜、原稿を書いている途中に、急に「そうだ、草刈機のカバーを作ろう」と思いついた。明日は釜沼棚田の草刈りイベントで、今年は孫一家は都合で来られないが、昨年彼らが来た時に、私が使う草刈機の刃を裸のまま軽自動車の天井に括り付けたら、娘と孫に「怖い」と言われた。確かに、何かの拍子に縄が外れたら頭に刃が当たる危険がある。何かカバーを作らなくてはと思いつつ、先延ばしにしていたのを思い出して、ウィスキーを飲みながら1時間ほど構想を練って設計図を作り、道具小屋に行って適当な板切れを探して線引きし、鋸で切ったりしてやり始めたら止まらなくなって、家内から「夜中に何やってるの?」と言われながら、午前1時までかかってほぼ完成した。

5月22日(日)

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 9時半から釜沼棚田の草刈り。家内を含む一般会員は草刈鎌で畦道の平らなところを刈るが、指導者の爺様たち4人と私を含む数人は自前の草刈機で急斜面を刈っていく。45度以上かという斜面で踏ん張って草刈機を操るのは相当辛い作業で、足が吊りそうになってしまう。昼前に終わって公民館でカレーライスの昼食。2皿食べてしまった。

 釜沼棚田の会員の何人かが淡竹(はちく)の筍を採りたいというので、3家族計8人を案内して帰宅。シャベルを3本持ち出して堀り方を指南する。そこへ、早稲田ジャーナリズム大学院高野ゼミの今年3月卒業の鈴木貫太郎が出現、聞けば昨日から鴨川自然王国に来て田植えを手伝っていたという。彼は今、ニューヨーク・タイムズ東京支局でアシスタントとして働いていて、東北大震災の取材に当たっている。近所の韓国焼肉店に連れて行ってご馳走し、被災地の様子を聞いた。▲

2011年5月11日

高野孟の遊戯自在録021

高野孟の遊戯自在録021

4月28日(木)

 「節電」ということについて考えをまとめておこうと思い立って、朝から資料を整理しWebで検索し始めたが、みなさん言っていることが意外といい加減というか断片的かつ思い付き的で、もっとじっくり考えて整理すべきテーマであることが分かってきた。今日は取り敢えず前振りだけ書いて、少し時間をかけて研究することにした。まあ、夏ピークまでまだ時間はあるからね。

4月29日(金)

kama-taue.jpgのサムネール画像 5月連休の鴨川は棚田の田植えシーズン。今日はその第1弾で、家族で参加している釜沼北の棚田クラブの田植えである。

 鴨川市の西の奥地である大山地区(旧大山村)には、「首都圏から一番近い棚田」として有名な美しい「大山千枚田」があり、そこで地元が始めた「棚田オーナー制度」がすっかり定着して、大小様々137枚の田んぼの年間オーナーになりたい参加希望者で溢れ返っている。一度オーナーになった人(家族あるいは会社などグループ)の年々継続が優先されるので、空きが生じた分だけ毎年抽選で募集されるが、それを求める長大なウェイティング・リストが出来ているほどだ。そこで、中心の大山千枚田だけでなく、地区内のあちこちにそれを補完する言わば支部として小規模の棚田クラブが6〜7つほど出来ていて、私らが昨年来参加しているのは、そのうちの1つの釜沼北の棚田である。

 私のところから車で6〜7分の山間にある7枚の棚田に、20組の(私のような)地元素人もしくは首都圏都会人の年間オーナーを1口3万円会費で募集して、それを平均年齢80歳を超える4人の練達の爺様たちが指導して、田植え準備のクロ塗り・代掻き・田植え・差し苗・草取り・稲刈り・脱穀等々の年間予定に沿って米作り作業を行う。地元組の私は時間が許す限り全日程に参加するよう務めているが、何と言っても田植えと稲刈り、そして脱穀後の収穫祭は大きなイベントで、会員の家族や知人を含め50人超える人々が集まって盛り上がる。

 今日は東京から孫一家3人と、もう一組、知人のお母さんと娘2人のお試し参加者が朝8時半にやってきて、私らと計8人が車で6〜7分の田んぼに向かう。棚田を横切るように20本ほどの鯉幟が青空に舞って美しい。聞けば、爺様たち4軒の3世代分の鯉幟を集めたのだという。後の2世代分はナイロン製だが、爺様たちが子どもの頃の第1世代分は布製で、一段と味わいが深い。

 4時間ほどで7枚の田植えを終えて、村の公民館で遅い昼食をとって解散。我が家はそこから車で10分ほどの「白壁の湯」温泉へ。なにしろうちの3歳9カ月の孫娘は無類の温泉好きで、「気持ちいいねえ」とか言いながらいつまででも入っているので、こちらがのぼせてしまう。

4月30日(土)

 昼過ぎに出て大阪へ。在阪の某テレビ局社員H君を中心とする農業と地域興しのためのNPOを作ろうという若者集団の定期会合に出席して、「21世紀を農の世紀に!」と題して私がレクチャーし、その後に彼らの仲間の中村哲治参院議員(民主党)が森林法改正と森林組合の活性化の方策についてレクチャーして、17時過ぎから福島駅近くの仕舞屋風の蕎麦処に場所を移して宴会。みんな気持ちのいい人たちだ。彼らのうち有志8人は明日早朝に上京して、鴨川自然王国の田植えに参加する。大阪泊。

5月1日(日)

 始発の新幹線で帰京、帰宅。11時に元日刊ゲンダイ記者、今はBS-11解説委員の二木啓孝がカメラマンと共に来訪、来週土曜日朝10時から45分間の「報道原人」という番組で「この際ライフスタイルそのものを考え直そう」という趣旨の特集をやるので、その取材。自宅で「薪ストーブのある暮らし」を撮影した後、一緒に自然王国に上がって、田植えにやってくる早稲田の高野ゼミ現役&OB約30人プラス大阪のH君たちのグループ8人を出迎え、早速田植え作業にかかる。

gakusei.JPGのサムネール画像 田植え期としては異様に気温が低い上、小雨がぱらつき風も吹いて寒いが、男子学生の幾人かや中村議員は何とTシャツ1枚で頑張っていた。大阪組のM君は泥に足をとられて尻餅をつき半身びしょ濡れ。「風邪引くから上がれよ」と言っても「いえ、何のこれしき。途中で止める訳に行きません」と、言い放つ。若い人は元気だ。そのまま宴会に雪崩れ込んで、私は飲酒運転にならない程度で引き揚げたが、若者たちは朝3時半頃まで飲んでいたらしい。

5月2日(月)

 田植えは昨日やり終えてしまったので、今日の午前中は畦や土手の草刈り。王国スタッフの林君が「草刈りは村の美学である」という文化論を一席ぶってから、鎌を扱う注意を述べて、作業開始。私は自分の刈り払い機を持って行って、手刈りでは間に合わない個所をカバーした。11時過ぎに終わり、大阪組の8人を我が家に招いてベランダでコーヒーをご馳走した。口々に「理想の環境ですねえ」「ここにいたら東京に出て行きたくなくなるのは分かりますよ」と言うので、実際には水源や浄水装置の管理から下水浄化槽のメンテナンス、年に5〜6回の全敷地の草刈り、アプローチの道路の地均し、薪割り、ストーブの煙突掃除等々、田舎暮らしは汗なしには成り立たないのだという話をした。

5月3日(火)

sashi.JPG 朝から釜沼北の棚田の「差し苗」作業。29日に行った田植えのアフターケアで、田んぼに入って一株ずつ見て回り、植え方が下手で根が浮いてしまったところや間隔が狭すぎたり広すぎたりしているところを植え直し、また畦沿いを機械植えして残りを手植えした場合はその境目が巧く植わっていなかったりするのでそれを補正して、出来るだけ美しく田んぼを整えるのである。こういう作業には、都会人会員はほとんど来ないから、爺様たちと私ら地元会員数人でやる。初心者やうちの孫を含めて子どもも田植えに加わっているから、乱れている個所があるのは当然だが、それにしては「今年は全体としては綺麗に植わっているよ」と爺様の評価。思ったより早く2時間半ほどで作業を終えて、腰を伸ばしながら見渡すと、一段と田んぼの美しさが増している。

 午後、高速バスで東京に出て、本屋巡りの後、喫茶店でビンラーディン殺害についての論説を執筆。夜、赤坂で某政府高官らと会食、「浜岡原発だけはとにかく止めないと」という検討が進んでいるとのこと。当然だ。最終のバスで帰宅。

5月4日(水)

 午前中原稿書き。午後から原発関連の本を3冊読破しつつ、合間に道具小屋周りの草ボウボウを整理した。

5月5日(木)

 原発関連の資料整理と来週月曜日から始まる早稲田の授業に備えてパワーポイントづくり。王国の林君から、来週13日から3日間予定している「里山帰農塾」の今年度第1回がこれまでのところ申し込みが1人だけで、開催するかどうか判断を迫られているとの知らせがあった。もう10年も年に4〜5回開催してきたが、こんなことは初めてで、これもやはり大震災による"自粛"ムードというか、何となく落ち着かず気分が萎えてしまうという風潮と関係があるのだろうか。

 帰農塾は元は故・藤本敏夫が発案し、ちょうどその頃に発足したNPO「ふるさと回帰支援センター」の具体的な取り組みの第1号に指定されて始まったもので、始まった途端に藤本が亡くなったので、やむなく私が塾長を引き受けている。田舎暮らしをしたいがきっかけが掴めないといった人たちを募って、私や加藤登紀子さんや農文協の甲斐良治編集長の講話を聴いたり、農作業を体験したり、すでに帰農した先輩の苦労話を聞いたりしてもらうのが趣旨。これまでに500人ほどがここを通過して、そのうち半分くらいの人が何らかの形で「農的生活」を実践しているというから、こんなささやかな活動も継続していればバカにならない成果を生むのである。

 10年間の歴史を汚すような開催中止の不名誉だけは避けたいので、ザ・ジャーナルを含めあちこちで告知を強化するよう手配した。今年はあと7月、9月、11月に開催するので、ご関心ある方は参加して下さい。
★鴨川自然王国「里山帰農塾」:http://www.k-sizenohkoku.com/satoyama/satoyama_top.html

5月6日(金)

 元インサイダーのスタッフでライターのKとRが鴨川にやってきて、原発人脈の奇々怪々についての本を鹿砦社から緊急出版することになったので協力しろと言うので、10時から王国の庭のベランダで企画会議を開いた。ちなみに、鹿砦社の松岡利康代表には近々ザ・ジャーナルにブログを開設して貰うことで準備を進めている。
★鹿砦社:http://www.rokusaisha.com/

 昼過ぎの高速バスで上京し、15時からBS-11「報道原人」の収録。4月から始まった新番組で、二木キャスターに女子アナが付いて、ゲストを迎えてのトークと取材VTRによる特集をメインとして、さらに今週の気になるニュースを解析するという、なかなか楽しい番組で、このたびの大震災と原発事故、計画停電といった体験から導き出される1つの方向性は、余りに便利で金さえ出せば何でも成し遂げられる都会生活という幻想を見直して、縄文以来1万年の日本農耕文明の根本に立ち返ることではないかといった話をした。
★報道原人:http://www.bs11.jp/news/1349/

5月7日(土)

 姪すなわち家内の弟の娘の結婚式が六本木で行われ、何年かぶりに洋食のフルコースを満喫した。夕食はもう要らないかという気分だったが、家内と次女と3人で麻布十番の干物専門店に行って日本酒を少々たしなんだ。東京泊。

5月8日(日)

 朝7時に麻布十番の事務所に行き、明日からの早稲田の授業の準備作業をしようと思ったが、溜まった郵便物の整理をしている内に、デスク周りに山積みになっている本が(地震のせいもあって)半ば崩れかけていたり、床に酒の空瓶が転がって埃が溜まっていたりするのが気になって、2時間かけて大掃除をした。9時から13時まで明日の授業のためのパワーポイントを作成、14時からサントリーホールでベテランのソプラノ歌手=佐藤しのぶのコンサートへ。佐藤しのぶの「大震災被災者のことを思って全身全霊で歌います」という姿勢が伝わってとてもよかったし、N響トップメンバーによる弦楽5重奏団も素晴らしかった。

5月9日(月)

 早稲田の授業初日。10時40分からの高野ゼミ「インテリジェンスの技法」では、自己紹介をしつつ、人間の五感と第六感とは何かという話をした。インテリジェンスについて語り始める時に、私がスタート地点として学生たちに示すのがこの図で、この三角形が時計回りと反時計回りに自由に高速回転するようになると「お前ら、一人前のインテリになるってことよ」と説く。
triangle2.jpg

 13時からの大隈塾授業では200余人を相手に「大隈塾の心得」という講義をした。

「君らは、自分の努力や親の支援があって早稲田に入ることが出来、またその中でも400人以上が応募する大隈塾の選考をくぐり抜けて今この教室に坐っていて、何事も自分の力でここまで来たと思っているかもしれないが、それは違う。日本の大学進学率は50%強で、君らと同年代の若者の半分は、大学なんぞに行きたくないという人もいただろうけれども、行きたくても行けなかった人もいるだろう。世界全体で考えれば、大学に行くことが出来る者は同年代の若者の1割にも満たないだろう。そんなことを言ったって、自分はそういう人たちに何か迷惑をかけている訳ではないんだから、と思っているかもしれないが、学びたくとも学ぶことが出来ない世界中の圧倒的多数の若者たちの悔しさの裏返しとして君たちが今ここにいるのだということ、その人たちによって自分が生かされているということに、想像力を働かせて貰いたい。そう思うことで自らを律することが、ノブレス・オブリージュということだと思う」

 16時半からのジャーナリズム大学院の実習科目「新聞の読み方」は、今年は8人の定員に対し7人の履修者で、うち韓国人男性1人、中国人女性2人、日本人は男性1人、女性3人。最初に各自が日常どのように新聞を読んでいるかを訊ねると、複数紙を購読しているのは日本人男性1人だけで、あとは1紙購読が精一杯。外国人留学生の場合は、購読料負担もバカにならないこともあるのだろう、「ネットで」「図書館で」「日本語の勉強のためもっぱらテレビでニュースを見る」など。私の記者修業は毎朝15紙に目を通すことから始まり、それが情報感覚を磨く何よりの基礎訓練となったと話すと、ビックリしていた。

5月10日(火)

kuroi1.gifkuroi2.gif 15時から虎ノ門のスタジオに、テロやスパイ問題の専門家=黒井文太郎さんを迎えてJFN(東京FM系全国ネット)のラジオ番組収録。テーマはもちろんウサマ・ビンラーディン殺害。黒井さんは元『ワールド・インテリジェンス』という雑誌の編集長で、同誌廃刊後はフリー・ジャーナリストとしてこの分野で著書を多数上梓している。比較的新しいのはこの2冊かな。

 地下鉄で淺草に行き、18時から故・花田満孝さんを偲ぶ会。北海道・遠軽に住む元はと言えば伝説的な熊撃ち名人だが、晩年は目を悪くして銃を持つこともなくなり、世間には優れた養蜂家として知られていた。私は、15年前に故・藤本敏夫に連れられて帯広に行くようになって知り合い、帯広の牧場にある我々の山小屋や遠軽の彼の自宅で、また彼がひいきにしていた東京・銀座のフランス料理店で、よく酒を飲み交わした。いつのことだったか、藤本が生きていたのだから10年以上前ということになるが、藤本と一緒に遠軽を訪ね、それこそ熊が出そうな山奥の沢でオショロコマ釣りをして、4人で1時間半に300匹も釣ってその晩に全部唐揚げにして食べてしまったことがあった。1年前に、いつものように奥さんと一緒に軽トラで山に分け入って元気に仕事をして、家に帰ってパタンと倒れて死んでしまった。私の1つ上だから、今の私と同じ67歳。子供たちのためのアウトドア総合訓練基地を作りたいというのが夢で、私たちも支援していたが、それを果たさぬままの夭逝だった。延々と続く挨拶を聞いているが辛くなって、ソッと会場を抜けて近くの蕎麦処「十和田」で春野菜の天麩羅を肴に一杯飲んで帰った。
hanada.jpg

5月11日(水)

 終日雨で、予定していた浄化槽のバイオチップ入れ替え作業が出来ず、終日、本稿を含め3本原稿を書いたり、明後日の帰農塾の講義用のパワーポイントを作ったり、溜まった本や雑誌を読んだりして過ごす。▲


2011年4月27日

高野孟の遊戯自在録020

4月15日(金)

ikegami.jpgのサムネール画像のサムネール画像 昨日帰りがけに東京駅の書店で池上永一『統ばる島』を買って高速バスで読み始め、今朝読了。琉球王朝終末期の首里城内の葛藤を描いた怪奇幻想物語『テンペスト』、その続編の『トロイメライ』など、那覇市出身の池上の小説は沖縄フリークの私を夢中にするが、最新作のこれは今度は八重山群島に舞台を移して島々それぞれの神と人との交わりを映し出す。もう50年も前に行ったっきりの石垣島や西表島に、また行きたくなった。

 午後家を出て、19時から虎ノ門で早稲田大隈塾の高野ゼミ・岸井ゼミ恒例の謝恩会。現役ゼミ生が企画して、彼らのうちこの3月で大学そのものを卒業する者たちを送り出すと共に、我々教師らにも礼を言って頂くという趣旨で、ゼミのOBたちも駆けつけて後輩たちと酒を酌み交わす。今年は、3月下旬に予定していたのが震災の影響で予約していたレストランの台所が安全点検のためガスが使えないとかで延期となり、大隈塾社会人ゼミのOB会と合同でこの日に開いたので一層賑やかなことだった。田原さんは今日が77歳の誕生日で、ケーキを贈られて上機嫌だった。合間に田原さんが囁く。「菅はダメだな。自分で仙谷を官邸に呼び戻したのに、仙谷が自分の首を掻くんじゃないかと疑心暗鬼に陥って遠ざけている。仙谷に見放されたらお終いなのにね。馬鹿な奴だ」。酔っぱらって東京泊。

4月16日(土)

 朝帰宅。午後、近所に住む木工家の馬場健二さんがお客さんを連れて来訪。馬場さんは私共が横浜にいた頃からご近所づきあいをしていた方で、実は鴨川のこの家を建てる際に、「馬場さんが作る大きな木のテーブルを居間の真ん中に据えた家を建てたい」という基本コンセプトの下、設計家も馬場さんの知り合いの辻健次郎さんを紹介して貰い、その辻さんがこの家を任せるならここしかないと指名した藤森工務店に施工をお願いすることになったという経緯がある。それで馬場さんが半ば現場監督のようになって建築現場にしょっちゅう来ているうちに、「この辺、いいなあ。僕も引っ越そうかな」ということになり、今はご近所に工房と自宅を構えている。で、馬場さんのテーブルが欲しいというお客が現れると、自分の工房は手狭で道具が散らかっているので、我が家をショールーム代わりにしてお客を案内してくるのである。今日のお客さんは、東京の人で、前に馬場さんのテーブルを見て欲しくて仕方がなくて、今度家を建て替えることになったので是非これを居間に据えたいと思うという話だった。成約するといいのだが。

4月17日(日)

ishigaki.jpgのサムネール画像 6日から始まった高田造園による家周りの改造はだいぶ進展して、石垣はほぼ積み終わって先週後半からは玄関あたりの造作にかかっている。玄関前から南側のベランダ近くまで敷いてあった芝生は半分は一旦剥ぎ取られ、石や植木を配した上で一部植え戻されるとのことだが、残った半分は、その辺の工事計画がどうなるのか分からす、毎年春先に行う手入れを全く施さないで放置していたので、雑草が茂っている。それで今日はその残った半分について丸1日かけて、雑草を全て取り除き、伸びすぎたところは鋏を入れ、熊手で丁寧にサッチ(地面にビッシリ詰まっている芝の枯葉)を取り除き、スパイクでエアレーション(15センチおきくらいに穴を開けて土中に酸素を通してやる)を施し、最後に竹箒で表面を掃いて綺麗にしてからたっぷりと散水する----という作業を行った。芝が息を吹き返して緑が増すのが楽しみだ。

4月18日(月)

 先日来、我が家のバイオ浄化槽が不調で、調べたところ、しばらくケアを怠っていたところ肝心の木材チップが劣化したり流出したりでだいぶ減っていて、浄化能力が低下しているらしいことが分かって、今日、このシステムの開発元である札幌の会社からUさんが点検のため出張して来てくれることになった。

joukasou.jpgのサムネール画像 これは、旭岳頂上の山小屋などでも使われているもので、生活雑排水とトイレ汚水とをそれぞれ2つの曝気槽で攪拌し予備分解した後、チップを充満した槽に導いてバクテリアの力で完全分解して水だけを排出する。前にも書いたと思うが、我が家は上水は山の湧き水で、下水はこれなので、上下水道とも敷地内で完結・自立しているというのが自慢なのだが、上水は保健所に持って行って検査にかければ飲料水として不許可だし、この下水システムは一般の合併浄化槽の基準に合致しないとかで不許可だから、丸っきり違法状態。私がこれでいいんだと思えばそれでいいんですね。そもそも、ここは「地滑り防止区域」内で、家の建築そのものも、役所に建築確認申請を出そうとしても「出さないでくれ」と言われる。木造2階建て以下は建てるのは勝手だが、役所はそれをオーソライズしないという訳だから、言ってみれば違法建築。だいたいが違法な人生ですからね、そういうことがふさわしいのでしょう。

4月19日(火)

yamashita.jpgのサムネール画像 Uさんは点検続行。私は昼前の高速バスで上京、京都へ。17時半から内外情勢調査会で講演の後、英国の燃料電池技術ベンチャーの日本代表をしているYさんと一杯。水素エネルギー社会の可能性について大いに語り合った。スズキはすでに水素スクーターの試作機を動かしているし、トヨタは2015年に水素自動車を発売すべく開発を急いでいる。アップルも携帯電子具を水素で動かすことを考えているようだ。自然エネは原発の代替にならないという常識が罷り通っているけれども、意外に水素が早道ではないかという私の前々からの予感が当たるのだろうか。彼のお気に入りの木屋町通のカウンター割烹「やました」がよかった。

4月20日(水)

 早朝京都を出、10時に東京駅地下の喫茶店で「宣伝会議ライター講座」受講生のOさんの取材を受ける。卒業課題で「大麻解禁の是非」を採り上げたいと。若い女の子がいい心がけだ。麻は古代以来、日本文化の根幹で、天皇こそ本来、麻文化の担い手である。それを、戦後GHQに屈して大麻取締法など作ったのが愚の骨頂の売国行為で、一日も早くまず医療用大麻を解禁して、それを手掛かりに麻文化を復興すべきであると話した。

 帰宅してUさんと今後の方針について打ち合わせ。夜は、加藤登紀子さんらと「嶺岡牧プロジェクト」つまり江戸時代に嶺岡山系全体で営まれていた牛馬牧場の伝統をどうしたら復元できるかという相談をした。
★嶺岡牧から学ぶ会:http://mineokamaki.org/ja/index.html

4月21日(木)

 今日は、早稲田のジャーナリズム大学院のオリエンテーションの日だが、わずか3分のプレゼンテーションのために上京するのもしんどいので、事前に作ったVTRを送って代行して貰った。大学院では今年も「新聞の読み方」の実習講座を担当する。

wkakura.jpg 眼科の権威である若倉雅登先生から『健康は眼にきけ/名医が教える眼と心のSOS』(春秋社)を贈本して頂いたので熟読。眼の老化についての章が特に面白かった。若倉先生は、日本で先駆的な眼科専門病院である井上眼科の院長で、先生が推奨する画期的な目薬「サンテメディカル10」の宣伝キャンペーンに某広告代理店からなぜか私が指名されて対談したのが出合い。眼を、それ単独ではなく脳をはじめ身体全体との関連で捉えなければならないという根本的な健康観に、大いに共感させられた。

4月22日(金)

 溜まっていた雑誌30冊を読破、必要な記事10本ほどを保存して後は廃棄。『中央公論』5月号と『世界』5月号の地震学の権威で東海大地震の警鐘者=石橋克彦神戸大学名誉教授の言説が光る。

4月23日(土)

 名古屋の中日文化センターで、首都圏直下型地震と、東海大地震で浜岡原発が破裂した場合の終末的な危機について講義。東海地方の人でも案外、浜岡原発の怖さを知らないのに驚く。伏見の居酒屋「大甚」で一杯飲んで帰る。

4月24日(日)

 朝から、我が家に至る200メートル下からの砂利道の整備に取り組む。車の轍で凹みが出来て、そこに大雨の時に水が流れて掘り下げられていくのを、ツルハシ1本で砂利と土を削って凹みを埋め戻しながら、雨水が横の側溝に流れるように傾斜をつけていくのは、なかなかしんどい作業で、1日かかっても200メートル全部はやりきれない。しかし、年に何度かこうやって丁寧に世話してやることで、アスファルトやセメントよりも余程気持ちのいい砂利道が確保される。

 この200メートルの砂利道を使う家が3軒あるのだから、舗装をするとか、砂利を支給するとか、何とか出来ないのかと前に市役所に言ったら、担当が見に来て「これが農道だったら予算がないではないが、それでも1年に20メートルくらいずつしか出来ないんですね。調べてみますが、これはたぶん農道じゃないんで、そうすると......」とか言うので、もう結構ですと断って、自分でやることにした。これはたぶん、昔からの村の林道もしくは作業道で、赤道(あかみち)と言って公図上では記載はされていても地番を持たない言わば無主地で、法律的には国有地(なのでそれを含む土地を勝手に売買できないことに一応はなっている)、実質的には村の共有物である。

 地元のOさんが草刈り機を持って手伝いに来てくれたので、私が整備中の道路の両脇と敷地内の一部の道の草刈りをお願いし、夕方終了後、近所の謎の焼肉店に飲みに行った。

4月25日(月)

 震災の影響で今年は早稲田大学の授業開始が5月連休明けになるので、私のゼミ生たちも我慢しきれずに、顔合わせミーティングと飲み会をやりたいというので、午後から上京。学生会館の部屋を借りて、20数名のうち半分以上が集まり、自己紹介と私からの挨拶、ゼミOBからのアドバイス等あって一旦解散、18時から高田馬場駅前で飲み会。こういう学生の飲み会は駅界隈にごまんとある料理2000円+酒1000円で飲み放題といった店で行われる。「お前らねえ、こんなところで中国産の業務用スーパー向け加工食品を食う方が、東北地方の野菜を食うより余程怖いんだぞ」などとお説教。突然、憲法改正をめぐって大激論が始まるなど、元気な集まりだった。酔っぱらって東京泊。

4月26日(火)

 日本橋のホテルで5時起床、目の前のコンビニでドリップコーヒーと新聞を買って、いつもどおりの朝の勤行。ドリップコーヒーは旅の必需品で、いつもは「1杯19円」とか新聞広告しているブルックスを段ボールで取って、出がけに玄関横の納戸で数袋をバッグに放り込むのだが、昨日はうっかり忘れた。どのコンビニでも、ドトール、モンカフェ、UCC、スタバなどいろいろな製品を置いているが、値段と香り・美味さのバランスでブルックスが一段上のような気がする。

 朝日の天声人語がこれからの原発是非の議論に触れて、サンデル教授の「丁寧な議論をすること。...賛否両派が相互に敬意を持って、公然と議論できれば、民主主義は深まる」という言葉、アトリー英元首相の「民主主義の基礎は、他の人が自分より賢いかもしれないと考える心の準備です」という言葉を引いている。こういう心の準備がみんなにあれば、ネット世界ももう少し不毛でなくなるんでしょうがねえ。

 昼前に帰宅。コメリに走って、木の丸棒とL字型金具を買ってきて、風呂場の天窓を床から開閉できる道具を作った。そのままでもいいのだが、ヤスリをかけてスベスベにして椿油を薄く塗って艶を出して、その辺に立てかけておいても不細工でないようにした。夫婦とも年取ってきて、バスの縁のタイルに乗って手を伸ばすと滑って転がり落ちる危険があるので、前からやらなくてはと思っていたのが、ようやく実現した。これで潜在的な事故原因が1つ取り除かれた。

4月27日(水)

 aodamo.jpg地震学者の石橋克彦教授が『世界』5月号の論考「まさに原発震災だ/"根拠なき事故過信"の果てに」で、「現代日本における原子力は、国策として莫大な人と金が注ぎ込まれ、大多数の国民にとって絶対的な善である点において、敗戦前の帝国軍隊に似ている」「半藤一利氏の『昭和史1926-1945』を読むと、日本がアジア太平洋戦争を引き起こして敗戦に突き進んでいった過程が、現在の日本の「原発と地震」の問題にあまりにも似ていることに驚かされる」と書いていて、なるほどと思ったので、半藤本を引っ張り出して読み始めた。これはいずれザ・ジャーナルの論説でも採り上げよう。

 今年は、あおだもの白い花がよく咲いた。家内が好きで3〜4年前に4本植えたが、こんな花一杯は初めて見た。▲

2011年4月15日

高野孟の遊戯自在録019

4月1日(金)

hiyodori.JPG このところ暖かくて、大山桜に続いて陽光という種類の桜が急に咲いた。これが咲くと毎年やってくる1羽の桜フェチのヒヨドリがいて、「今年も彼奴は来るのかなあ」と思っていると、やっぱり来た。ほとんど1日中、陽光に取り憑いて、ほとんど狂ったように花弁に嘴を突っ込んでいる。たまに鶯のつがいが花に寄ってくると、追い払う仕草をする。

4月2日(土)

 静岡体文協の3カ月連続講座の今日が3回目で、昼に東京を出て浜松へ。14時からの講座では、予定では「米中関係と世界構造の変化」という話をすることになっていたが、東日本大震災の跡ではそれもいささか間抜けなので、「核も原発もない世界への日本の使命」という話に切り替えた。

 会場に静岡文化芸術大学の西洋音楽史の研究家=K先生が来ておられて、終了後、同じ建物の下にある「浜松市楽器博物館」を案内して貰った。ここは、日本唯一の楽器博物館で、1階は日本を含むアジアの楽器のコレクション、地下は西洋楽器で、その約半分の面積を、ここの一番の自慢であるクラシック・ピアノが占めている。このピアノを用いてコンサートを開き、その演奏ぶりをCDに収めて記録するという貴重な仕事をしているのがKさんである。

※浜松市楽器博物館 http://www.gakkihaku.jp/

 それから浜松駅前の天麩羅屋「天八」で一杯飲んで静岡へ。昨日から風邪気味で、講演中も咳をしたりしていたので、体文協事務局の佐野嬢が心配して「すごく効く風邪薬があるんですよ」と静岡駅から遠くない漢方薬局「医心堂」に連れて行ってくれて、そこの「風邪スペシャル」セットを購入した。これが抜群で、小児用風邪薬のニギンSと栄養剤ビルトンリコレという2つの液剤を100ccの白湯に注いで、それでビタミンCの粉末とイブプロフェンという消炎鎮痛剤を飲むと、30分ほどでもうスッキリしてくる。寝る前にもう一度飲んで、朝には鼻水も咳も止まっている。これまで、風邪の引きかけはカコナールと決めていたが、この方が効く。10セットをまとめ買いすると1本おまけが付くというので早速取り寄せることにしよう。

※医心堂薬局 http://www.ishindo.net

4月3日(日)

 午後、体文協の静岡教室。そのまま帰京、帰宅。

4月4日(月)

kiji.JPG 今日は、昼間は某ゴルフ会、夜は某編集者の退職祝いパーティの予定だったが、いずれも中止で、鴨川で過ごす。原発・エネルギー関連の本を5冊、まとめて読む。今日は庭に雉が遊びに来た。今年見かけたのは2回目だ。

4月5日(火)

 バイオ下水処理装置が不調で、トイレの流れが悪くなる。取り敢えず応急措置をして流れるようにはなったが、木材チップに棲み着いた微生物の働きですべてを浄化する最終槽の攪拌用のエア送出能力が下がっているようで、これは素人には手に負えないので、施工した札幌のUさん、地元の水道配管業のHさんと相談して来々週に大々的な総合点検を実施することになった。

 この装置の原理は、山頂の山小屋や建設現場など公共下水道に放出できない場所で使われているもので、微生物の力で有機物を分解する点では一般の合併浄化槽と同じだが、違うのは汚泥の沈殿がないこと、最後に塩素消毒する必要がないこと、出てくる水をトイレなどの二次用水として循環的に使用するので敷地外に排出しないで済むこと、などである。我が家は、浄水も湧き水を濾過してタンクに貯めて使っているので、上下水とも敷地内で自立的に完結している。それを維持するには手間もコストもかかるが、その分、安全と安心を得ることが出来る。

4月6日(水)

 今日から高田造園設計事務所の高田宏臣さんのチームが来る。我が家の門(というほどのもではなく門柱代わりにコンクリ打ちっ放しの板とニュージーランド製の鐘が立っている)ところから玄関までのアプローチの片側は、今まで枕木を積んで土留めにしていたが、どうも土の重みに耐えかねている様子なので、石組みにしたらどうかということになり、新進造園家として活躍中の高田さんに相談したところ、それなら全体的な景観を考えて植栽を含めてデザインしましょうと言って頂いて、そうは言っても高田さんはあちこち引っ張りだこで忙しく、半年以上も待ってようやく今日の着工となった。工事の様子は、高田造園ホームページの「作庭日記」で、現在進行形で写真入りで紹介されていくという。どんなふうに生まれ変わるのか楽しみなことだ。

※高田造園 http://www.takadazouen.com/index.html

4月7日(木)

tksanshouo.JPG 早朝から午前中一杯、書斎に引き籠もり。午後から、造園工事がやりやすいよう周辺部の草刈り。側溝に今年もトウキョウサンショウウオが卵を生んでいて、中で1センチほどの稚魚が動き出しているのが見える。

4月8日(金)

 来週のラジオ収録のゲストに原子力資料情報室の共同代表=西尾漠さんを迎えるので、彼の近著『原発は地球にやさしいか/温暖化防止に役立つというウソ』(緑風出版)を読む。まったくねえ、何が環境にやさしいだ。前に論説で書いたが、放射能を吸うくらいならCO2を吸う方がマシだ。同情報室は、反原発運動の理論的支柱だった故高木仁三郎さんが創立したもので、私がそこに出入りして西尾さんとも知り合ったのは30年以上も前のことだ。午後、200メートルほど下の砂利道の凸凹を修理。時々補修していないと、雨と車の轍で穴が大きくなってしまう。

4月9日(土)

lux.JPG 夕方から孫の幼稚園入園祝いということで久々に(今週初めてだ!)上京する。家内を用事先で下ろしてから、私は秋葉原電気街の見回りに行く(用がなくても時々、大型書店、古書店街、家電・パソコン店、ホームセンターなどを見て回るのは私の趣味なのだ)。電気部品・計測器の店頭に「ルックス計で節電を!」と書いてあったのに釣られて2950円で買った。1万5000ルックスまで測れるようになっていて、50〜300団欒、300〜550食事、550〜1000読書・勉強、1000〜1500ワープロ・精密作業と一応の目安が示してあって、あちこち計測すると面白い。薄曇りの野外は3000ルックス、ANAホテルの喫茶室は50ルックスだった。孫は、来週から幼稚園に行くのが、一段大人になったような気分で嬉しくて仕方なく、はしゃぎ回って生意気に磨きをかけていた。ビール1杯だけ婿さんに付き合って、冷ましてから運転して帰宅した。

4月10日(日)

kuro2.JPG kuro1.JPG今日は釜沼の棚田で、3月12日のクロ切りに続いてクロ塗りの作業だ。昨年のこの日は、指導者の平均81歳の爺さま4人に加えて私と、近くに住む米国人Cとその日本人の奥さんの3人だけだったが、今年は他に、最近移住してきたHさん、棚田会員の若いご夫婦やその子どもら、1人で来た女性など賑やかで、作業ははかどった。最初に鋤で田の土を掻き取って畦に盛り上げ、次にそれを鍬で形を整えて水漏れが起きないようにするのだが、田の水が多すぎたり、土の掻き方が浅かったり、盛り上げ方が不揃いだったりすると、巧くクロの形が整わず崩れやすくなる。何度か経験を積んだ私でもとうてい爺さまたちには敵わない。

 夕方、スタッフのMと腸内洗浄クリニックや水に関わるビジネスをしているF社長が来訪。Fさんは商売物の木曽の湧き水を1ケース持ってきてくれた。彼は浦安で液状化の被害に遭い、どうしたらいいか途方に暮れていると言う。聞けば、基礎にレールが敷いてあって地震の揺れにも液状化にも強いという謳い文句に惹かれて買ったマンションが、とんでもない、20何階の上から下まで壁に何本もの亀裂が入って、修復のしようもなく、余震があるたびに亀裂が拡大していないか物差しで測りながら暮らしているという。慰めの言葉も見付からない。

4月11日(月)

hurisode.JPG 淺草おかみさん会の創立18周年のお祝いがあるので、夕方淺草に行き、おかみさん会代表=冨永照子さんのお店「十和田」で春野菜の天麩羅と日本酒のぬる燗で勢いをつけてから近くの会場へ。この手の祝い事はほとんど中止・延期になっているが、もう1カ月経ったし、このままでは淺草も沈没してしまうという思いから敢えて予定通り開いたという。花やしきの社長に聞いたら、地震後、すぐに遊具を点検して数日後から営業再開したが、春休みシーズンだというのに当初は1日2〜3人しかお客が来ず、その後段々お客が戻っては来たけれどそれでも例年の半分。アルバイトさんに半分辞めてもらったけれど、いつまで持つか分からない状態という。どこも大変だ。

 夜は、早稲田のジャーナリズム大学院を出てNYタイムズ東京支局でアルバイトをしているSが通訳兼ガイドとして米人記者に付いて東北を回ってきたというので、ライブハウス「HUB淺草」で一杯奢って話を聞く。ここはほとんどデキシーランド・ジャズだが、今日の演奏はベテランのベース奏者=根市タカオのトリオにゲストのサックス奏者を加えたスウィング・ジャズ。根市さんから、私が昔、旗輝夫さんのスタジオに遊びに行った時にお会いしましたと言われてビックリした。淺草ビューホテル泊。

4月12日(火)

 sky.jpg午前中ホテルの部屋で仕事。窓の正面に、大震災にもめげずに3月18日に634メートルに達したトーキョー・スカイ・ツリーがそびえる。午後は喫茶店とサウナで過ごして、夜は今度は、冨永照子さんの息子=りゅうじさんの台東区議立候補決起集会で挨拶。高速バスで帰宅。

4月13日(水)

 古市一雄さんから近著『南房総からの日本再考』(まどか出版)が送られてきた。小市さんは鴨川市役所に長く務め主に企画部門や町おこしを担当し、退職後は、鴨川にも校舎のある城西国際大学に一次籍を置いたものの、一昨年総選挙で自然王国代表だった石田三示さんが衆議院議員となったのに伴い、請われて政策秘書になっている。市役所時代から長年、地元紙『房日新聞』の人気コラム「展望台」の執筆陣の1人で、前著『地方の品格』と同様、本書もそのコラムを編んだもの。帯に一言書けと頼まれたので「いま安房鴨川は中高年や30台の若者たちにとって、憧れの移住希望先No.1である。なぜそうなのかは本書を読めば分かる」という言葉を贈った。

4月14日(木)

Nishio.jpg 昼からJFNのラジオ番組収録。ゲストは原子力資料情報室の西尾漠さん。20年ぶりくらいだろうか、かつての反原発青年が白髪混じりの落ち着いた紳士になっていた。


2011年4月 3日

高野孟の遊戯自在録018

3月21日(月)

 早稲田大学から、来年度の入学式はじめ入学ガイダンス、科目登録、前期授業期間を丸々1カ月延期して、授業は5月6日からとするとの知らせが届いた。素早く、かつ適切な決断だと思う。また、3月13日に予定されていて延期となった大隈塾の高野ゼミ・岸井ゼミ合同の謝恩会は、4月15日に行いたいと学生の幹事から言って来た。これもまた適切で、華やかなことをいつまで自粛していても社会生活は転がらない。

 3月19日付の米紙ウォールストリート・ジャーナルの「全世界400基の原発のうち地震危険地帯に立地している原発のほとんどは日本と台湾にある」という調査結果を、WSJ日本語メルマガで知って、その要約だけではよく分からないので英語原文に当たり、さらにいくつかの資料と付き合わせて、自分なりに分かりやすい資料を作るのに半日を費やした。

3月22日(火)

 朝、東海ラジオの電話出演を終えて高速バスで東京経由、大阪で「情報ライブ・ミヤネ屋」に。当然にも大震災のニュース分析が中心。実はこれが私の同番組出演=月2回レギュラーの最終回で、今後は政治ネ中心の臨時コメンテーターとして時に応じてナマもしくはVTRで出演することになった。

miyane.jpgのサムネール画像 思えばこの番組も、05年11月に週1回の「激テレ★金曜日」として始まった時から縁あって出演し、半年後にそれが月〜金=週5回の帯の夕方ワイド「情報ライブ・ミヤネ屋」に昇格してからは火曜日のレギュラー・コメンテーターとしてずっと出演してきた。その後、司会の宮根誠司の軽妙な切り回しが評判となって、大阪発の全国ネット番組となったものの、テレビ局の経営ピンチは大阪読売TVも例外でなく、私の出演も毎週だったのが月2回になるなど、厳しい状態が続いてきた。今回は、番組自体を大改変するので非レギュラーになってほしいということなので、5年半経ってそろそろ潮時かという気持もあり、快く了承した。

 同夜、「5年間お世話になりましたので」と、同番組のチーフプロデューサーはじめ宮根、レポーターの中山アナウンサーなどとの飲み会を開いてくれて、東心斎橋の「金目鯛と鯖のしゃぶしゃぶ」の店で痛飲した(写真は宮根、中山アナと)。

3月23日(水)

 朝、大阪のホテルで原稿書き。午後帰宅して、前記ウォールストリートの調査結果についての精査を続行、原稿を執筆。

3月24日(木)

 学生時代の友人から「東京に住んでいる娘が東京は大丈夫か?」と不安がっているが、どうこたえたらいいものかというボヤキのメールがあったので、次のように答えておいた。

「鴨川でも逃げ出す奴がいて、東京でも知り合いの社長とか金持ちが静岡、大阪、沖縄、ハワイに逃げている。私には、逃げようもない東北の被災者たちに背を向けて自分だけ助かろうという発想は全くない。東京都心まで福島原発から230キロ、鴨川の拙宅まで270キロ。天皇陛下と日本政府中枢が東京を離脱したら、それを見届けてから私も退避するかもしれないが、それまではここで頑張る。今夜も停電したが、薪ストーブがあるから大丈夫。今日、私が主宰する《ザ・ジャーナル》に論説を書いて、その中で、静岡に逃げるなんて愚の骨頂、浜岡原発は活断層の真上に乗っていて日本で一番地震に弱い原発として有名で、しかも余震で静岡沖地震が起きているというのに、無知のなせる業としか言いようがない、と書いた。乳幼児を抱えて、それを守るためにというなら分からなくもないが、大阪には、私の知り合いの社長が3人、女房だけ連れて、社員を放ったらかしにして逃げて、北新地で酒を飲んで遊んでいるが、指揮官は部下の安全を見極めて最後に退避するのが当たり前でしょう。人格が割れるよね。スイス地震局が指摘するように、日本列島が5メートルもズレて、日本周辺のすべての活断層が活発化しているから、何が起きてもおかしくない。大阪に逃げたって原発が14基も集中する福井が地震や津波でやられたら関西圏は全滅。沖縄ならいいだろうと言うが、台湾の原発が近くて、これも日本同様、海岸立地で危ない。日本では原発の恐怖から逃れられる場所はない。《ザ・ジャーナル》に書いたが、地震にも津波にも弱い世界の原発39基のうち35は日本に、残り4は台湾にある。そういうことを考えたこともなくて、オール電化とか、電気使いたい放題の暮らしをしてきた日本人が、今更逃げ惑っても始まらない」

3月25日(金)

 今日の午後予定されていた早稲田大学ジャーナリズム大学院の謝恩会とそれに引き続く高野講座の飲み会は中止。謝恩会そのものは中止になったのかどうか分からないが、高野講座の飲み会幹事をやっている仕切屋が、東北被災地に取材に入っていて帰って来られないから仕方がない。

3月26日(土)

 高速バスで出て名古屋へ。中日新聞栄文化センターの講義。話は当然、大震災。終わって控え室で久しぶりに玉木正之さんと会った。私の講義は13時〜15時で、玉木さんは15時半からなので、その休み時間に時折顔を合わせることになる。私が神奈川県の大船に住んでいた時は、玉木さんがご近所で、彼が犬の散歩のついでに拙宅に寄ったり、共通の寿司屋で飲んだりしたが、この頃はこれくらいしか会う機会がない。綺麗に本が並べてある本棚は地震で崩れやすいが、我々のように無造作にギッチギチに本が詰め込んである本棚は余りに重量があるのでなかなか倒れにくいというような馬鹿話で盛り上がった。

3月27日(日)

sakura2.jpg 昨日今日、ようやく少し暖かくて、我が家の大山桜が開花した。次に咲くのは陽光で、もう芽がプチンプチンに膨らんでいる。大島桜はまだ、山桜はまだまだ。土筆も一遍に伸び始めて、摘んで初物として食した。

 仕事の合間に、ベランダの前の側溝に溜まった泥や落ち葉を掻き出して水の流れをよくした。上の方のクレソンが落ち葉に埋まって伸びられないのがかわいそうだし、この時期にはトウキョウサンショウウオやアオガエルが卵を産むのでそれも助けてやらねばならない。

3月28日(月)

tsukusinbo.JPG 娘と孫が来訪、対応に明け暮れる。孫と一緒に、やや開きすぎになった蕗の薹、今年は豊作の椎茸、出始めたばかりの土筆を収穫して、蕗の薹と椎茸は天麩羅に、土筆は煮付けにして夕食に出した。3歳7カ月の孫は「ジイジの家は広くて、いろんなものが生えてておもろいねえ」と言う。都会育ちの子にこういう経験をさせるのも田舎暮らしのジイジの役目である。

3月29日(火)

 孫がやや風邪気味なので早朝から薪ストーブの具合を調整して暖を確保する。今年は寒くて、4月が近いと言うのに朝5時、6時に起きると室温は真冬と同じ14〜15度。それが、薪ストーブをボンボン焚くと30分ほどで18〜19度くらいまで上がる。やがて8時頃になると、南の森の上から太陽が覗いて室内にまで陽が差して、20度くらいになり、もう薪を継ぎ足さなくても夕方近くまでその温度が維持される。都会のマンション暮らしの孫らには少し寒く感じられるらしいが、カーディガン1枚羽織ればこれで十分である。

 昼前から近所の農産物直売所「みんなみの里」で孫を連れてイチゴ狩り。大人どもは少し摘むとお腹が一杯になるが、孫は「おいしい、おいしい」と売っている1パック分ほども食べて、さらにイチゴソフトクリームも平らげていた。

3月30日(水)

 朝8時に運転して家を出て羽田空港から福岡経由で五島列島の福江市に。同商工会議所で大震災の特に原発の何が問題か、その先にどう日本再建を図るのかというお話をした。懇親会の後、一部の方々と魚料理「奴」に行って刺身やオコゼの味噌汁を堪能した。懇親会の席でも二次会でも話が出たが、水産庁が推進する「人工海底山脈」という怪しい巨大海洋土木事業が五島沖でも行われようとしていることに福江商工会議所は環境保護の観点から反対したけれども、政治家・水産会社・水産庁の強固な政財官構造に蹴散らされ、来年度から本格工事が始まるという。電源開発が吐き出す石炭灰を巨大なブロックに整形して海底に投げ込んで人工的に山脈を作って海流の流れを操作すると、表層のプランクトンが増えて漁獲量が何倍にも増えるし、プランクトンによるCO2吸収効果も上がる、ハザマが開発した"環境に優しい技術"なのだという。私は初耳だったが、直感的に変だと感じる。人工的に海底の形状に大きな変更を加えて、確かに漁獲量はアップするかもしれないが、それが環境と生態系に与える長期的な影響は検証済みなのかどうか。また、投げ込むのが石炭灰ブロックである必然性はたぶん何もなく、そもそも電源開発の産廃処理というところから始まった話ではないのか。一度、調べてみる必要がある。

gotou.JPG 講演の前に時間があったので、ホテルの目の前の城跡にある「五島観光歴史資料館」を覗く(写真の、ちょっとやりすぎじゃないのと思えるお城風の建物、手前が図書館、億が歴史資料館)。大した展示ではなかったが、遣唐使の国内最終基地として栄えた独特の歴史を伺うことが出来た。栄えた----というのは、最初は1隻=150人、後には4隻=600人もの団が往復に寄港して様々な交流が生まれたというだけでなく、嵐で遭難した船(ほぼ半分は沈んだそうだ)の宝物をちゃっかり頂戴したり、海への恐怖にかられた乗組員が脱走して五島の山中に逃げ込んで住み着いたりして、そういうことがいろいろミックスして面白い文化が生まれたのだいう。キリシタンの島で今も教会がたくさん残っているとは知っていたが、もっと奥深い歴史があることが分かった。

3月31日(木)

koto-kessaku.JPG 朝9時過ぎに福江空港を出ると、福井岡経由、11時45分に羽田に着く。遠いようで近い。五島特産の飛魚を干した食用の「塩あご」と出汁用の「焼きあご」を土産に買った。

 二木啓孝が「ちょっと相談事が」と言うので、彼の記者仲間のOと3人で品川駅近くでお茶を飲んだ。面白いプロジェクトを立ち上げつつあって、私にも協力してほしいと。快諾した。

 明るいうちに帰宅。孫らは昨日のうちに東京に戻っていて、孫専用のお絵かきボードに傑作が残されていた。子どもはみな生まれながらアーティストなのだと分かる。

2011年3月22日

高野孟の遊戯自在録017

3月8日(火)

 東京に向かう車を途中で止めて7時半から東海ラジオ。8時45分に品川駅に着いて、いつものように港南口の駅ビル「アトレ品川」3階クイーンズ・イセタンに隣接するDeli SeleQ(これはセレキューと読むのだろうか)という弁当コーナーで朝食を選ぶ。ここは、ベーカリー、寿司、和食、洋食、中華、タイ料理などいろいろな弁当があり、しかもその場で調理して出しているので、新幹線の改札を入った中にあるJR東海系列の独占的な弁当屋の工場生産ものよりも格段においしい。飲料も緑茶が95円でだいぶ安い。

 今日は名古屋の内外情勢調査会のダブルヘッダーで、昼から同会の尾張一宮支部で「民主党政権で日本は大丈夫か」の講演。実はこういう会員制の講演組織もこのご時世では運営が大変で、昭和40年代から続いたこの支部も今回が最終回で、名古屋支部に統合されるとか。質問に立った参加者の方から、「今日は、長年この会に参加してきて、初めてというくらいたくさんメモを取りながら聞いた。最終回にふさわしい中身の濃い講演をして頂きありがとう」と言われて嬉しかった。終わって名鉄で豊田市に移り、夕方から同会豊田支部で同タイトルの講演。ここでも「21世紀の日本文明について希望が持てるような素晴らしいお話しでした」との感想を頂きました。ありがとうございます。19時半に終わって、ホテル近くの居酒屋で一杯、豊田泊。

3月9日(水)

 7時過ぎに宿を出て名古屋経由で帰京、10時半から会計士の先生と税務申告の打ち合わせ。夜は社内会議2つ。東京泊。

 2月2日付論説で「熟議の民主主義」について述べたところ、インサイダー読者である横路孝弘衆議院議長から「熟議の言葉は、昭和22年3月14日の尾崎行雄議員の選挙革正決議案の趣旨説明演説などに時々用いられていた」と、当時の衆議院議事録のコピーを添えてお便りが届いた。「立憲政治によって開かれたところの議会は、打ちとけて国家全体のために懇談熟議すべき場所であります。討論ではない。懇談熟議、おのおのおのれの主張はあるけれども、それはごく穏やかに述べて、お互いに譲り、力を協せて国家全体の利益をはからなければならない。それが議会の本体であって、英語の議会などというのは、懇談会という意味で発足しているのであります。ところが日本では懇談会どころではない。討論会のごとく、恐しい、はげしい言葉を用いて、互いに悪口誹謗するのが議会の真面目と心得て、今日もなおそのれ継続してござるように見受けられます」だと。政治が進歩していないことがよく分かる。

3月10日(木)

 9時半から東京FM系の全国ネットJFNのラジオ番組収録。今回のゲストは中東専門家の宮本律さん----と思ったら、30分前に「体調を崩して行かれない」と。即席で一人でしゃべった。昼から乗馬クラブ「クリエ三浦」のS会長と、私が代表を務めるNPO神奈川馬の道ネットワークの活動方針について打ち合わせ。続いて16時から丸の内で映画監督の坂本順治さん、プロデューサーの椎井友紀子さんの2人と久方ぶりに会う。私はいつのことか忘れていたが、彼らに言わせれば16年前に2人から「M資金をテーマにして映画を撮りたい」という相談を受けたことがあった。私は駆け出しフリー記者の頃に週刊文春でこのテーマを取材して連載し、80年に日本経済新聞社から本にして出したことがある。至らぬ本だが、M資金についての文献は他にほとんどないので、その話になると30年以上経った今でも私に声が掛かるのだ。「随分時間が掛かったが、ようやくその機運が出てきたので」と、企画書と脚本の「準備稿1」を持ってきてくれた。原案・原作は作家の福井晴敏さんで、講談社で活字で発表されていくのを追いかけるようにして監督が脚本を書き、映画化を進めていくのだという。早速、夜の会合までの時間に読んでみると、これがなかなか面白い。映画化の成功を祈りたい。

 その本は『M資金/知られざる地下金融の世界』と題して1980年に日本経済新聞社から出され、もちろん今は絶版。調べたら私の手元にも1冊もなく、Amazonで探すと古書が3冊あったものの安いのでも5980円。自分の本を6000円も出して買うのもバカらしいので止めた。

chinaairforce.jpgのサムネール画像
 夜は19時から私もメンバーの「文化戦略会議」の塾で、森本敏=拓大教授のコーディネーターで、海上自衛隊の俊英と言われる2人の海将による「中国の海洋戦略と日米の海洋政策」のセミナー。田原総一朗、岡本行夫、ペマ・ギャルボ、三枝成彰、堀紘一、それに私などが意見を述べたり質問をしたりした。私は戴旭という中国の現役空軍大佐が書いた『中国最大の敵 日本を攻撃せよ』(徳間書店)を引用して、こちらから見ると、中国が勢いに任せてどんどん日本近海に海軍力を進出させてきて心配で仕方がないが、中国の方は逆に、米国が組織して日本、台湾、東南アジア、インドをつなぐ「C型包囲網」によって完全に包囲されつつあると危機感を募らせているのであり、この双方の認識ギャップの余りの大きさをそのままにしてお互いに疑心暗鬼を募らせているのは不毛だという趣旨を述べた。このことはいずれ論説できちんと展開したいと思う。夜遅く帰宅。

3月11日(金)

 昨日までの3日間過密日程だったので、自宅でのんびりしているところへ大地震。私は書斎にいて取り敢えず大きな本棚が倒れないよう抑え、家内は居間にいて食器棚を抑えたが、2000年にウズベキスタンの首都タシケントの市場で1ドルで買った粗末な壺が床に落ちて割れた。被害総額1ドルである。余震を警戒しながら家の内外を見回ったが、壁のひび割れや地崩れなどの異常は見当たらず、一安心した。

 地震と同時に停電で、テレビも移らずネットも繋がらず、固定電話はもちろんドコモの携帯も繋がらないので、何が起きたのか分からない。ようやく思いついて車まで行ってラジオを点けて、東北地方を襲った大地震であると知った。ずっと車の中にいる訳にもいかない
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し......と考えを巡らせていると、鈴木寛=現文科副大臣の結婚式の引き出物で貰った非常用の手回しラジオ&懐中電灯があったのを思い出して物置から探し出した。しかし電池が入っておらず、単3の買い置きも丁度切れている。もちろん手でハンドルを回せば発電するのだが、ずーっと回しているのも疲れそうなので、下のスーパーに行った。スーパーももちろん停電で、薄暗がりの中でロウソクを立て、レジが動かないので懐中電灯で電卓を照らして会計をやっていた。それでやっとラジオが聴けるようになったが、そろそろ暗くなってきたので、ロウソクと薪ストーブの用意だ。電気は元がダウンすればすぐに切れる。プロパンはしばらくは大丈夫だが、近所のガソリンスタンドがボンベを配給してくれなければいずれ切れる。完全に自立しているのは薪ストーブだけで、こういう時はこの時代後れの超アナログ機器が暖かさだけでなく心の平安まで与えてくれる(写真は今年の或る雪の日のもの)。薪は二冬過ごせるだけのストックがあるから、3月一杯寒くても大丈夫だし、プロパンが切れても何カ月でも煮炊きが出来る。停電は12時間続き、午前2時35分に点灯した。少しだけテレビを観て寝た。

3月12日(土)

 早朝からテレビで被災地の状況を見つめ続けたが、こんなことをしていても仕方がないので、午前中は予定通り、車で5〜6分の釜沼北の棚田の「クロ切り」作業に行く。私は鴨川自然王国の棚田会員制度が始まって以来15〜16年来のメンバーというだけでなくその世話役で、早稲田大学大隈塾の学生の田植え・稲刈り参加もそこで受け入れているが、それとは別に昨年からは、娘や孫、その友達連中の参加出来る場所として釜沼北の棚田会員にもなっている。ここは、谷間の美しい棚田があり、平均年齢81歳の爺さまたち4人が指導して20組ほどの会員に7枚の田を提供している。

kurokiri.JPG
 クロ切りは、田植え準備の最初の作業で、水が入り始めた田の縁の土をシャベルで切り取って整え、4月の「クロ塗り・代掻き」に備える。クロ塗りは、鋤や鍬で田の泥を縁に塗りつけて水漏れが起きないようにする作業だが、それに先だって昨年のクロを削り落としておくのがクロ切りである。田植えや稲刈りともなれば、全会員が家族連れで嬉嬉として参加するが、その前段のこういう地味な作業には都会からわざわざやってくる人はいない。ましてや大震災の翌日である。今日は、爺さまたちの他には、最近この辺りに引っ越してきた農業志向のHさんの2人だけだった。ここらの田んぼは重粘土で、だから「長狭米」といって江戸時代から有名な美味しい米が出来るのだが、耕すのは重くて骨が折れる。80歳を超えた爺さまたちは無駄な力を使わずに綺麗に切り進む。

 午後は個人HPの改定作業。夜は田んぼで一緒だったHさんらと飲みに出る。夜、何人かの東北地方の知人に安否確認。

3月13日(日)

 夜に早稲田大学のゼミの謝恩会が虎ノ門で開かれる予定だったが、予約した店はガスが使用禁止だし、ゼミ生やOBの中には東北に実家がある者も何人かいて、それどころではないということになり延期。HPの改定作業を継続。3人の旧知の米人ジャーナリストから事態の捉え方について質問のメールがあり、分かる限りのことを回答した。

3月14日(月)

 高校の同級生&ブラスバンド仲間だった外山喜雄からメールで、浦安の自宅が液状化で「まるで柔らかいプディングの上にのっているように、大きな家全体がゆったりと揺れてづけているのです、、、、我が家や他の家の揺れが止まってから後、裏の家の揺れは5分ほど続きました。その家の揺れにあわせて、さっきのザッブーン、ザッブーンと言う音が地中から伝わって来ます。揺れが止まって、音もやんで来て、ようやく実際にわが家が傾いていることに気がつきました」と。東京湾岸でもこんなことが起きているんだと絶句した。傾斜は1000ミリ行って50ミリ上がっているというから約3度。「家の中で登りがきつい」。埋立地は怖い。

3月15日(火)

 朝、東海ラジオの電話出演だが、計画停電の第1グループで6時20分から停電なので、携帯電話で対応。話は当然、大地震のことだった。それにしてもこの計画停電というのはどうなのか。いきなり公共交通機関が運休や間引き運転を強制されるというのは、話が逆さまではないか。停電すると信号機が止まるというのも改めて驚いた。コイン駐車場に入れた車が出せなくなるというのも、考えれば当たり前だが、今まで気づかなかった。

ikkojin.jpg
 コンビニに寄った時に目に付いて、『一個人』という雑誌の「大人の博物館探訪」特集を購入。私は結構な博物館(含美術館)マニアで、旅先で少し時間があると立ち寄ったりするので、いつもトランクに細部を観察するための単眼鏡を放り込んであるくらいなので、これは保存版だ。オーソドックスな国立博物館からユニークなテーマの地方博物館や神社仏閣の宝物館まで、たくさん紹介されている中で、特に興味を惹かれて行ってみたいとマークしたのは、名古屋市科学館に今年3月19日オープンする世界最大のプラネタリウム、東京にあるのに珍しく私が目を向けたことがなかったお台場の日本科学未来館と目黒寄生虫館、2年前に開館した島根県立古代出雲歴史博物館などだった。浜松市楽器博物館は4月に講演に行った際に専門家の案内で見学することにしている。

magno.JPG
 蛇足:私が長年使っている単眼鏡は、ドイツ屈指の光学メーカー=エッシェンバッハのMAGNO vario 6X16という、今はもう廃版となっているオールド・ファッションのもの。6X16とは倍率6倍、対物レンズ内径16ミリ。この16ミリはほとんど最小の数値で、これが大きくなるほど明るさも解像度も増すが、その分レンズが大きくなって重くなる。博物館・美術館用の場合は、「ギャラリー・スコープ」と呼ばれることもある遠近両用の、ということは最短焦点距離が小さいものを選ばないとダメで、私のは25cm。同じ単眼鏡でもアウトドアで望遠鏡として使うものだと、5mから先にしか焦点が合わないので、博物館では使い物にならない。

3月16日(水)

 朝8時25分の高速バスに乗って東京へ。10時半から赤坂のスタジオでJFNのラジオ収録。10日に宮田律さんが体調を崩して録音できなかった分の仕切り直しで、リビアやバーレーンの緊迫を中心に縦横に語って貰った。「高野さんはいろんなことに詳しいから今日はしゃべりやすい」と言って頂いてありがたかった。バスがいつ止まるか分からないのでウロウロしないですぐに帰宅。ホームセンターをちょっと覗いたら、電池、灯油、コンロ用ガスボンベ、コールマンのキャンプ用ランタンとボンベなどが払底していた。

 夜はまた停電で、そうするとロウソクを点けて薪ストーブを焚いてラジオを聴きながら酒を飲むしかない。元々遅寝早起きの私が、早寝超早起きになってしまった。

3月17日(木)

 大震災以来、呆然としてテレビの画面を眺めていることが多くて、さあ仕事をしようと思うと停電でネットが切れたりして、落ち着かない状態が続いてきたが、気を取り直して資料整理と原稿執筆。合間に知り合いの米人ジャーナリストらからメールでいろいろ質問が飛んできて、それにいちいち英語で返事を書くのは仕事が中断されてつらいのだが、大事な仲間たちが日本を心配してくれているのだから、真剣に答えなくてはいけない。

 新潟県妙高市の広報誌『M TOURISM』春号が届いた。巻頭見開きの「妙高ゆかりの人」という連載シリーズで私のインタビューが載っている。同市との関わりは、04年に宮城県鳴子町で全国グリーンツーリズム大会が開かれた時に私が出たセッションに当時は新井市長だった入村=現妙高市長が来場されていて、その後に妙高に講演で呼んで頂き、地域興しのための「妙高里山みらい塾」塾長にかつがれた。年に1回ではあるが1泊2日で行って、総会と後援会、大宴会、視察やウォーキングなどを行う。市顧問、観光大使などの肩書きも頂いていて、これらはもちろん無償だが、そうやって1つの地域の人々と深くお付き合いすることで多くのことを学べるのが嬉しい。

3月18日(金)

 朝から近所のK君が来てくれたので、先月27日に続いて一緒に淡竹の林の整理作業。途中から私は抜けて、作業小屋に行って書斎の本棚の転倒防止の木枠をDIYで製作。その2本の本棚は背が高くて天井との隙間が22センチで、既製のつっかい棒ではなかなかピッタリのものがない。前から娘に「これが倒れたら死ぬよ」と言われていながら延び延びにしていて、先日ちょっと怖い思いをしたので、ホワイトウッドの角材で長方形の木枠を作って2種類の補強金具で強度を増して、隙間にピッタリ収まるものを2個作った。これで娘に叱られなくて済む。

3月19日(土)

 今日は67歳の誕生日。浦安で家が傾いた外山はじめ何人かの同年生まれと何軒かのネット通販からHappy Birthdayのメールが届いた。私は本当は昭和19年4月17日生まれだが、幼稚園でみんなで並んでお遊戯とかさせられるのが嫌いで、3カ月だけ行って不登園になって、そのへんでブラブラ過ごしていた。それで母親が困って、社会党の区議に頼んで戸籍の誕生日を3月19日に書き換えて、1年早く小学校に入れてしまったのだ。初めから1学年飛び級という格好で、人よりも人生を1年分、得していることになる。

3月20日(日)

 今朝から予定されていた我が草ラグビーチーム「ピンク・エレファンツ」の年寄りラグビー大会は中止。私が還暦を迎えた7年前に「高野団長還暦記念大会」を誕生日前後に開いてくれて、我がチームだけでなく対戦相手のオーバー・フォーティー(40歳以上)が100人ほども集まってヨタヨタ試合と大宴会を楽しんで以来、これが恒例のようになっていたが、この事態では中止もやむを得ない。

 早稲田大学から、卒業式も入学式も中止し、4月6日から始まるはずだった授業も連休明けの5月6日からに8月4日までに変更すると知らせがあった。今時の大学では半期に15回の授業日数確保がやかましく言われるが、これだと7月18日(祝)を授業日にしても13回しか出来ない。後は期間中のレポートなどでカバーするということのようだ。これまたやむを得ない。

manbow.JPG
 夜は鴨川市のラーメン屋で大震災支援チャリティのためのジャズ・ライブが開かれた。鴨川在住の練達のジャズ・ピアニスト=坂口三代次さんが呼びかけたもので、私も家内やご近所5〜6人を誘って参加した。坂口さんは昭和19年生まれの「一休会」のメンバーで、鴨川の海岸近くに別荘を持っていたが、今はこちらで暮らすことの方が多い。彼の行きつけのラーメン屋が「マンボウ」で、そこのご主人の山口さんは元東京キューバンのベース奏者。彼らのミュージシャン仲間2人も駆けつけて、暗闇にいきなり大輪の花が咲いたような束の間の楽しみを与えてくれた。ライブは無料で、出演者はもちろん無償。会場に募金箱を置いて集まったお金を鴨川市役所を通じて被災地に寄付するという。▲

2011年3月 6日

高野孟・遊戯自在録016

3月1日(火)

 朝の東海ラジオは中東情勢。10時東京発で大阪に行きミヤネ屋出演。沢尻エリカ様とかいう女優の別れる別れないという話がメインでコメントの余地がなかった。夕方、最近知り合った在阪の某テレビ局のエリート社員H君が、一千ン百万円の年収を捨ててでも農業を通じての村興しのためのNPOを組織する事業に身を投じたいという話なので、心斎橋の「本多」というワインバーで一杯飲みながら相談に乗った。聞けば、彼自身がMBAを持つ経営コンサルタントの有資格者で、しかも30歳代半ばの同年代で一流銀行や証券に務める金融プロ、弁護士、会計士、司法書士などを含む10数人の仲間が「21世紀は農だ!」という思いを共有して、その誰もが人も羨むような地位と収入を捨てて自ら土に触れる暮らしを始めようと決意し合っているという。凄い話で、大いに支援することにした。別れてから、近くの気に入りの居酒屋「若松」に久々に寄って飲み足して、大阪泊。

3月2日(水)

 朝5時に起きて午前中は読書、資料整理、原稿書き。午後から茨木市でみずほ総研の講演に出て夜帰宅。

3月3日(木)

 雛祭り。我が家は老妻と2人きりで今更お雛様でもないのだが、毎年、娘たちや孫の幸せを祈って2月中旬からきちんと飾る。メインは、長女が生まれた時に妻の親たちから贈られた昔風の端正な本格派の一対だが、他に千葉県長生郡に在住の人形作家=千葉惣次さんの手に成る江戸時代の泥人形の手法を継承した素朴な雛がいくつもあって、それらを家中に並べてほのぼ
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のとした気分を楽しむ。午後、家内を乗せて車で上京、家内は孫の家で雛祭りのお食事会へ。孫への土産は、今朝我が家で山ほど獲れた蕗の薹と椎茸である。私は浅草に行って、96年旧民主党結成時の裏方たちとの同窓会。皆さん、この政権状況では「あの時の苦労も報われない」と歎くことしきりで、「さあ、どうするか」という話になった。浅草泊。

3月4日(金)

 午前中、ホテルで資料作り。午後から、早稲田のジャーナリズム大学院の授業のためのオリエンテーション・ビデオ撮影。それから朝日新聞の都庁担当、小学館の編集部、徳間書店の軍事雑誌のライターからそれぞれ1時間ずつ3連続インタビューを受けてクタクタ。7時から昭和19年生まれの会「一休会」の宴会で、今日は加藤登紀子さんを含め20数名が参集する盛会で大いに談論風発した。登紀子さんは昭和18年生まれだが、この会は私と藤本敏夫が呼びかけて始まったので、彼女を最初から特別会員とし、藤本が亡くなった後も出来るだけ都合をつけて来て貰うようにしている。

 民主党からは、岡崎トミ子参議院議員(前男女共同参画担当大臣)、峰崎直樹内閣官房参与(前参議院議員)の2人が見えた。峰崎さんは先の参院選で引退して財務副大臣も下りたが、民主党きっての財政・税制通として内閣の参与としてその方面の政策立案の中心を担っている。2人とも現状に「参ったなあ」と言いながらも元気で何よりだが、この会には自民党のほうが多くて、中川秀直、丹羽雄哉、細田博之、町村信孝など錚々たる面々がいるのだが、政権交代してからというもの、誰一人として顔を出さない。「こんなことじゃあ自民党の再生も難しいよな」と大下英治、小椋佳、長野厖士らが並ぶテーブルでひとしきり話題となった。

3月5日(土)

 今日と明日は静岡体文協の3カ月連続特別講座の第2回で、まずは浜松へ行って「中東民主革命と中国、北朝鮮の怯え」という話を2時間。主宰者の佐野つとむさんが胸の血管の詰まりを手術して昨日まで2週間入院していたと聞いてびっくり。飯よりも酒よりも好きな煙草を禁じられて辛そうだったので、最近煙草を少しだけ復活している私も静岡の焼き鳥屋でご一緒している間は控えめにした。

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 早めにホテルに戻り、iPadに必要なアプリを組み込んで、重い思いをしてパソコンを持ち歩かなくてもこれだけで一通りの仕事ができるようカスタマイズする作業を継続。しかしどうしても画面内の仮想キーボードは、メールの返事程度はともかく、長い原稿を書くには適さないので、今朝新幹線に乗る前にビックカメラ(注)に寄って買い求めてきた携帯用のワイヤレス・キーボードも接続した。キーボードを持ち歩くのは面倒ではあるが、それを合わせてもMacBookよりは体積的に小さく、重量もちょうど半分の1キロと軽い。キーボードは、写真左のMacBookのそれと全く同仕様なので原稿書きのスピードが鈍ることはない。真ん中にあるのがイー・モバイルのWiFiモデムで、最初の設定さえしてしまえば、iPadでもMacBookでも(あるいは両方一緒でも)起動しさえすれば自動的にネットに繋がるので、起動の度に接続の操作を繰り返す必要がない。右横の黒いペンはヘッドがソフトなタッチペンで、iPadの画面に指でタッチすると脂や汚れが付くので、出来るだけこれでやる。持ち歩く時はiPad上部のイヤホンジャックに差し込んでおくと見失うことがない。

 ちなみにこのiPadは、イー・モバイルの2年間通信契約付きで何と6000円台という超低価格のをネット通販で買った。機械は事実上タダで、月々何千円かの通信料で回収するという商法だ。そう言えば、昨日泊まった浅草のホテルは、Schickの最新型のひげそりプレゼントという宿泊プランで(知らずに楽天トラベルで値段だけ見て適当にクリックして予約したのだが)、これも、Schickは替刃が高価なので、本体をタダで配って替刃で儲ける仕組みである。

注:これビッグでなくビックなんですね。ふと気になって同社の投資家向けページのQ&Aを見たら「Bicはバリ島のスラングで、大きい(Big)という意味と、さらに単に大きいだけでなく中身のある大きさを意味する」のだと。フ〜ン。

3月6日(日)

 午前中ホテルで仕事。14時から静岡労政会館で体文協の特別講座を終えて佐野さんや参加者有志数名でまたまた静岡駅構内の魚料理店「大作」で懇談し、18時半過ぎの新幹線で帰宅。

3月7日(月)

 先週は5日も外泊だったので、久しぶりに自宅でくつろぐ。冷たい雨がちょっと降り止んだ隙に、蕗の薹を一山ほども採取して晩酌に備える。採りきれない蕗の薹は10センチくらいまで伸びて花を咲かせて花畑状態になっているけれども、後から後から出てくるのでしばらくは楽しめる。

2011年3月 1日

高野孟の遊戯自在録015

2月24日(木)

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 静岡の佐野さんに「一度使ったら止められない」と薦められて注文していた「ガラスペン」が届いた。台東区入谷の「佐瀬工業所」が製造する大正ロマン風の手作りの逸品で、片方は、ペン先から軸まで全部ガラスの高級品。ペン先が緑でインクを吸い上げる8本の真っ直ぐの溝が付いていて、軸はうっすらとしたサーモンピンクで8本の溝がついたものを絶妙にひねって、見た目に美しくまた握りやすい形に仕上げている。もう片方は、竹軸の廉価品3本セットで、先代が師匠の下から独立して明治45年に「カネモ印」の屋号で売り出した時のままなのだろう、「登録商標/簿記、図引、細字用/品質請合別製/平和万年筆/東京製作品」という昔懐かしいラベルが貼ってある。3本セットは他に中字用、太字用である。

 説明書きによると、ガラスペンは明治35年に風鈴職人だった佐々木定次郎氏が日本で初めて開発した。先代の佐瀬米蔵・えん夫妻はその下で修業して独立し、昭和までは主としてこの3本セットのような竹軸、セル軸のものを作っていたが、2代目の佐瀬勇さんが平成に入ってペン先から軸までガラス製の一体型を開発した。ガラス棒を均等にひねってネジリ模様を出していくには、左右の手を同じ速さで回し続ける特別の業が必要で、それ故に佐瀬さんは台東区優秀技能者、指定生活文化財に認定されている。確かにこれは「文化財」で、少しでも応援して後の世に残したいと思う。


2月25日(金)

 夕方から福島市で内外情勢調査会の講演。会食が終わってもまだ8時前で、少し飲み足りなかったので居酒屋に入り、「国権」という凄い名の地酒と春野菜の天麩羅を頼んだら蕗の薹が付いて来た。こんなのウチでいくらでもタダで食べられるのに、と思った。

2月26日(土)

 福島から東京で乗り継いで名古屋へ。月に1度の「中日新聞栄文化センター」の講義で中東情勢を2時間語る。真っ直ぐ帰ればば夕食の時間に家に着くのだが、今日は家内が旅行中で留守なので、名古屋で軽く飲むことにして、4時の開店を待ちかねるように御園座近くの「大甚」に。4時5分過ぎに入ったというのに、もはや1階は中高年男性を中心に満杯。親父さんが「1階が満席でね。あ、今日は1人? それなら何とかなるわ」と、裏から丸椅子を持ち出して割り込ませてくれた。「繁盛して凄いね」と言うと「土曜日はいつもこうなのよ」と。

 ここは、前にも紹介したことがあると思うが、池波正太郎が愛した店の1つとして雑誌に紹介されていたのを読んで、10年ほど前から寄らせて貰うようになり、東海ラジオ「モルゲン・ジャーナル」(毎週火曜日朝7時半から生出演)のキャスター&スタッフの皆さんとの年に1〜2度の飲み会も必ずここと決まっている。数十種類のつまみの小皿が並んでいるのをセルフ・サービスで取りに行って、空になった皿はお銚子やビール瓶と共に自分の前に重ねて置いておく。ぎゅう詰めの相席だから、自分のスペースは広くなく、もう皿が置けなくなったら帰れということなのだろう。それで「お勘定!」と言うと親父が大きな算盤を持ってきて、皿の形と色で値段を識別して素早く計算する。

 経営者だという隣の方が「菅さんはどうにかなりませんか」と聞く。「どうにもなりませんね」と答えると、「じゃあ日本は沈没ですか」。「いやあ、そんなことはありませんよ。政治がダメなのは今に始まったことではないんで、政府がダメでも国民が利口だというのは国柄のようなもんですから。特に日本の経営者と労働者は優秀だから、それでこの国はもっているですよ」「そうねえ、あんまり悲観しない方がいいのかもね。この店だって、明るいうちからこんな満員で、みんな笑って、楽しそうに飲んでますもんね。日本は大丈夫だ」。ずいぶん素直な人だ。

2月27日(日)

 近所のK君が手伝いに来てくれたので、北側隣地の淡竹(はちく)の竹林を整備。密集しすぎた竹を間引いて、枯れて倒れたのを運び出して、風通しをよくして、陽の光が少しでも奥まで射すようにしてやって、春の筍狩りに備える。淡竹はアクが出ないので、そのまま刺身や皮ごと火で炙って焼き筍で食べるのが美味しい。今から5月が楽しみだ。と言っても、2人で夕方までやって全体の100分の1くらいしか手が着かない。斬るのは簡単だが(と言っても、斜めになったのが途中で過重がかかってバーンと張り裂けて飛び跳ねたりすることもあるので、注意が必要)、大きいので太さ15センチ、高さ30メートルほどのを運び出すのが大変で、けっこう時間がかかる。気が遠くなるような話なのだが、それでもやればやっただけ綺麗になるのが嬉しい。

 疲れて自分で夕食を作るのが面倒になったので、裏の林道からその先の田んぼの畦道をカメラをぶら下げて散歩しながら、韓国焼肉屋まで歩いて行った。昼の12時から飲み続けているという某部落の新年会の人たち20人ほどで一杯で、ここでも「1人? だったら今椅子を持ってくるから」とママさんに言われて、丸椅子で端っこに相席となった。大酔っ払いの村人が抱きついてきて「先生、日本は大丈夫ですかね」と。まるで昨日の名古屋の繰り返しだ。

2月28日(月)

 朝から暴風雨。買ったまま放ってあったiPadを開いてイー・モバイルとの無線LAN接続を設定した。午後東京に出て、iPadのケース(というより袋)、立てて使う時の脚、タッチペンなどを購入。夜は、かつて下の娘が留学した際に親代わりを務めて頂いたワシントンのNさんが来たので、久しぶりに麻布十番の「はじめ」で家内、娘共々会食した。「はじめ」は私の事務所の4軒隣の居酒屋の名店で、前は社員食堂兼応接室のような感じで週に1度ならず通い、亭主のAさんは私と一緒に鴨川で田植えをしたり帯広で馬に乗ったりする遊び仲間だったが、6年ほど前だったか癌で急逝し、それが悲しくて一時足が遠のいたのに加えて、4年前に私が鴨川に引っ越して余り東京で酒を飲まなくなったために、余計に間が空いてしまった。この店の定番は、納豆掻き揚げ、豆腐ハンバーグ、帯広産の黒豚ベーコン、イクラ丼といったところですかね。刺身も毎日築地で仕入れるので文句なし。豆腐ハンバーグなど、ダイエット志向の米国人インテリなどに食べさせると涙を流さんばかりに喜ぶ。

2011年2月24日

高野孟の遊戯自在録014

2月1日(火)

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 南房総は滅多なことでは雪が積もらないが、昨夜の雪は今日まで残った。朝風呂に入ると、北川の清澄山系にうっすらと雪が被ってまるで温泉気分。遊びに来る娘が「ここにいると、箱根や伊豆に行こうなんて気にならないよね」と言うが、そのとおりなのだ。

 鳩山由紀夫の秘書から、明日外国人特派員協会で行うスピーチの日英両文の草稿を送ってきた。旧民主党結成時のことに触れ、特にその外交政策で「アジア重視」を謳っていたことを、当時の私の論考なども参考にして述べているので、一応目を通しておいてくれとのこと。菅総理が軽々に「日米基軸」と断言して「東アジア共同体」について全く触れないことをやんわり批判していて、なかなかいい文章だ。これはザ・ジャーナルに転載させて貰おう。

2月2日(水)

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 午前中、自宅隣の荒れ地の藪刈りの続き。野バラと茅と葛の蔓ががんじがらめになっているのを、草刈り機、鋸、鎌などを用いて切り拓いていくのだが、バラも葛も根っこが頑丈で普通の植木鋏を使うとたちまち刃こぼれして使い物にならなくなってしまう。そこで今日は早々に作業を切り上げて、館山市内の越前刃物専門店「田中惣一商店」に、前々から目を着けていた「根切り鋏」を買いに行った。1万円といういいお値段だが、これなら相当な荒仕事をしても刃こぼれなど起きそうにない。

 田中さんは元は越前から刃物をかついで房総を行商で回っていたが、雪のないこういう温暖なところに暮らしたいと思ってここに店を開き、この土地の暮らしに適した刃物を越前に特注して店に並べて評判になった。今は店の半分は娘さんのフェア・トレード・ショップになり、第3世界から適正な値段で仕入れた衣類や雑貨を置いていて、これもまた楽しい。家内と一緒に行くと、私は左の刃物コーナーに行って田中の爺様と刃物談義をし、家内は右のフェア・トレード売場に行って娘さんとおしゃべりをする。

★田中惣一商店 http://www.awa.or.jp/home/more/

 夕方、車で15分の清澄山系の山中にある「白壁の湯」に行く。目の前の渓流にそびえ立つ巨大な白い岸壁を見ながら入る露天風呂が格別なのだ。男湯、女湯とも他に誰もおらず貸し切り状態だった。

2月3日(木)

 今日は14時から、千葉県佐倉市で商工会議所の新春講演会。会場が国立歴史民俗博物館のホールなので、早く行って久しぶりに博物館を回ることにした。車で館山道から東関東道に入ると直に佐倉で、家から1時間ほどで着いてしまう。日本人の生活史を通史的に展示している博物館は全国でもここだけで、興味が尽きない。しかも1年前に「現代」を取り上げた第6展示室がオープンし、「戦争と平和」「戦後の生活革命」の2テーマで1930年代から70年代までを表現している。戦争の部分はさぞかし扱いにくく苦心されたことと思われるが、なかなかバランスの取れた上手な展示だった。

★国立歴史民俗博物館 http://www.suisen.co.jp/http://www.rekihaku.ac.jp/ 

 講演が終わり、控え室で蕨和男市長らと歓談していると来客が2人。1人は大学同級生のMさんで、リタイアして佐倉に住み社会福祉協議会の理事をしている。もう1人は大隈塾社会人ゼミ2期生だった某食品会社勤務のTさんで、何と春の統一地方選で佐倉市議に立候補するのだと言う。大いに激励した。大隈塾の学生ゼミのほうからも2人が府中市と横浜市で市議に立候補するし、大隈塾のコーディネーターの村田信之(蓮舫の亭主)も目黒区議に立つ。大隈塾は次世代の政治家育成塾という一面もあるのだ。夕方帰宅。

2月4日(金)

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 夕方に名古屋入り。中日新聞栄文化センターのAさん、その上司のMさん、同センターの料理教室の先生のIさんで、遅ればせの新年会。食通のMさんが連れて行ってくれたのは栄の丸善書店の裏にある小料理屋「むら鍬」。最上の素材を真っ直ぐに活かすキビキビとした包丁さばきに圧倒された。日本酒をいささか飲み過ぎてバタンキュー。

2月5日(土)

 午前中、名古屋の街をウロウロして、昼前に名古屋を出て大阪へ。名古屋駅では上り線ホームにあるグランディールのカツサンドを買うことが多い。JR東海系で売っている「やわらかカツサンド」が嫌いで、どこの駅でもそれ以外のカツサンドを探究している。今日は下り線なので、わざわざ隣のホームに上がってそれを買って、まだ時間があるので待合室で座って新聞を広げようとすると、目の前の席に着いたマスクをかけた怪しい男が「高野さん、どうも」と言う。マスクを外すと、何と原口一博前総務相。昨年末の「ミヤネ屋」の討論番組で隣に座って以来だ。「菅さんが何を考えているか分からない」と言うから、そんなん簡単、菅とはこういう男なのよ、と説明してやったら「ああ、そういうことですか。初めて分かった」と納得していた。

 大阪は高槻市で、辻元清美の後援会で講演と彼女とのトーク。「民主党政権とは何か」という話をした。社民党支持者の左がかりばかりが来ているのかと思えば、歯科医師会の幹部が勢揃いしているのには驚いた。辻元は古い古い知り合いで、ピースボートが世界一周旅行を始めた頃にニューヨークからグアテマラまで船内講師として乗船したことおもあった。96年総選挙で彼女が社民党から出ることになった時は、私は旧民主党の立ち上げに命懸けになっていたので、「何で今時、社民党から出るんだ」と罵倒した。彼女は「高野が私の立候補を妨害している」とかビラに書いたりして、一時は険悪になった。そういうことも今となっては懐かしい思い出で、彼女も社民党を辞めて「こうなってようやくあの時高野さんに言われたのがどういう意味か分かったわ」と言うのである。

2月6日(日)

 終日鴨川。読書と薪割り。

2月7日(月)

 12時から『朝日ジャーナル』のための座談会。ITジャーナリストの佐々木俊尚さん、メディア・プランナーの荻上チキさんと共に、週刊朝日=山口一臣編集長の司会で新聞・雑誌など旧メディアとネットの新メディアとの対比について語り合った。夕方、情報労連の機関誌『REPORT』編集部から「民主党政権の今後と春の統一地方選」についてインタビュー。夜は小学館の旧知の編集者たちと焼き鳥屋で「成長の限界2.0」というテーマのオムニバス地図帳を作る件で打ち合わせ。東京泊。

2月8日(火)

 大阪で「ミヤネ屋」出演。ほぼ全編「相撲の八百長」問題で、あと若干は芸能。しゃべることなし。この番組は、経緯があって前身の番組から関わってそれなりに楽しんでは来たけれども、そう言っては何だが所詮は昼ワイド。私が喋ることはそう多くなくて、人からも「何であんなのに出ているんですか」と軽蔑的ま言われ方をすることもしばしばで、もうそろそろ潮時かの感もある。4月に大幅な番組再編の予定があるとの話も漏れ伝わっているので、そうなるとコメンテーター陣も入れ替えがあるだろうから、政治や国際以外は嫌々コメントしている私などお払い箱になる可能性が大きい。

 昨年サンプロが終わって、その後はTVのレギュラーは「ミヤネ屋」だけとなり、それでも当初は毎週出演であったのが、TV業界の衰弱化を反映して、まず最初は(1)それまで毎日4〜5人のコメンテーターが並んでいたのを3人にするので、隔週の出演にしてくれ、次に(2)1回の出演料をン万円から1万円削減させてくれ、さらには(3)今まで番組終了後にホテル泊まりを認めてきたがその費用が出ないので日帰りで帰京してくれ......と、どんどんみみっちくシュリンクしてきて、私らは気分が萎えていくのですね。こうやってTV界は廃っていくのでしょう。

2月9日(水)
 朝、薪の整理を少々。書斎に山と積まれた新聞・雑誌を整理して紐で縛って外へ。新聞は朝毎読はじめ日経、ヘラルド・トリビューン(NYタイムズ国際版)、赤旗、日本農業新聞、地元の房日新聞まで8紙とっているので、2カ月も溜めると1メートルを超える高さに積み上がって処理が大変なのだ。

2月10日(木)

 終日、税務申告のための伝票整理に費やして、夕方、会計事務所宛に宅配便で送付。毎年、どうしたってこのために丸一日費やさなければならないが、今年は3月15日ギリギリにならずに済んだのがよかった。

2月11日(祝)

 朝から雪模様。娘・婿・孫が来訪する予定になっていて、大雪なったら困るなあと思っていたが、それほどのこともなく、昼前に到着。さっそく午後から、鴨川市街の「池田」という魚屋さんが店の裏で開いている料理屋に行って「金目鯛煮付け定食1200円」とかを堪能して、それからロマンの森=白壁の湯へ。孫娘は、男湯と女湯のどっちに入る?と言われて、一瞬ためらったあと「ジジと入る」と言って頂いて、ジジ・パパと共に男湯へ。ババ・ママは女湯へ。雪がしんしんと降って見る見るうちに辺りの樹木や岸壁が雪に染まっていくのを眺めながらの温泉はまた格別。孫は「今ね、パパと私は温泉にはまっているの」と言うくらいの温泉好きで、パパと2人で長湯するので、私はのぼせそうになって先に出る。2人は明日は鴨川グランドホテルの温泉プールに行くと張り切っている。

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 夕方になるとかなり雪が積もってきて、これじゃあもしかしたら明朝は車が動けなくなるかもしれず、そうなると明日の浜松、明後日の静岡の静岡体文協の2日連続の特別講座に間に合わないかもしれないと心配になり、夕方家を出て東京で娘の家に泊まることにした。が、東京への道すがらラジオを聞くと、今日も新幹線がだいぶ遅れ、明日も降り方次第ではどうなるか分からないというような話なので、思い切ってそのまま静岡へ。駅前のビジネスホテルをとってから、駅ビルにある魚料理の名店「大作」でしんみり酒を飲んだ。いるかをメニューに載せている店も珍しい。途中、昨年9月末に「休煙」して以来4カ月半ぶりに煙草を買って吸ったら、結構美味しいというだけでなく、この間いろいろ考えあぐねていた諸々の事柄が雲が晴れるようにスッキリと整理されてきて、なるほど煙草は「集中力を高める」というのは本当だと実感した。

2月12日(土)

 午後から浜松で「民主党政権でどうなる日本」について講演。中高年中心に70人ほどが熱心に聞いて下さって、質問者も多数。一番前の席に座って真っ先に質問したオバ様が「今まで胸の中でモヤモヤしていたものが一気に晴れて希望が湧いてきました」と言ってくれたのが嬉しかった。

 体文協を50年近く主宰しているのは佐野つとむさん。私とは断続的ながら何十年の付き合いで、昨年も体文協の「社会人大学」の講師として呼んで頂いた。佐野さんは静岡きっての食通で、講演の前後に県内の超一流の居酒屋や寿司屋やおでん屋や天麩羅屋に連れて行ってくれるので、それが何よりの楽しみ。昨夜飲んだ静岡の「大作」も彼に連れて行かれた店の1つだ。今日は、講演後、まだ日が高いので、これも佐野さんお馴染みの「珈琲香爐」に行って、オーナーの女傑=橋詰満子さんとおしゃべりをして、5時半になるのを待ちかねて、佐野さんが浜松一と言う割烹料理屋「大内」に行く。何もかも行き届いた料理を頂きながら、袋井市の酒蔵のこれぞ名品という「國香」の純米吟醸酒をぬる燗にして飲んだら止まらなくなってなって、佐野さんと体文協の事務局を担当している娘の桐子さんと飲み始めて、途中から珈琲店の橋詰さんも加わって、4人でお銚子を十数本空けてしまうという大酔っ払い状態で、静岡に帰りホテルへ。

2月13日(日)

 朝からパソコンを開いて仕事をして、まだ時間があったので静岡駅前の市美術館の「棟方志功展」へ。これは凄かった。棟方は好きで結構観ているが、極初期の油絵から始まって代表的な板画作品を豊富に並べ立て、とりわけ板画72枚組み合わせといった大型作品をこれでもかという具合に飾っているのには圧倒された。津軽に根ざした縄文的情念が渦巻いていて、頭がクラクラするほどの衝撃を受けた。右のチケットに使われている図は「華狩頌」と題した板壁画で、拡大すると下のようである。棟方によると「アイヌが祭するとき、いちばん先に、東、西、南、北に向かって、特別きれいなけずり花----ご幣のような矢を天に向かって打つんです。けものを狩るには弓とか鉄砲とかを使うけれども、花だと、心で花を狩る。きれいな心の世界で美を射止める。...弓を持たせない、鉄砲を持たせない、心で花を狩るという構図で仕事をした」と。高句麗遺跡の壁画の写真からインスパイアされたというだけあって、中国、朝鮮、日本が入り交じったような不思
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議なオリエンタリズムが漂う、私の好きな作品だ。

 佐野さんが昼に迎えに来て、新静岡駅裏の蕎麦屋「吉野」でニシン蕎麦を堪能。ご夫婦の誠実さと研究熱心がそのまま味として伝わってくる極上の店だ。14時から昨日に続き講演。100人ほどが集まって頂いた。終了後、一昨日も行った「大作」で珍しいものを一杯食べて飲んで帰京、帰宅。

 田原牧さんから「会社のルーティーンワークをやり繰りして自腹で数日前からカイロに来ています。...今から帰国します」とメール。自費で飛ぶというのが凄いな。早速様子を聞かなければ。

2月14日(月)

 昨秋末から娘と孫が鴨川に来ていて、本当はゆっくり遊びたいのだが、後ろ髪を引かれる思いで出勤、朝10時から半蔵門でJFNラジオ番組を仙谷由人さんをゲストに収録。「マスコミは全く関心を持たないが、例えば診療費のほんのわずかな値上げで医療崩壊が止まり、43万人も医療・介護の雇用が増えた」といった話が面白かった。終了後、仙谷さんと昼食懇談。菅政権が目先のことに追われるのは仕方がないとして、中長期の視点に立った政策形成をやっていかないと、という話になった。

 午後、新宿で全日本トラック協会の研修会の講演。この研修会に呼ばれて政治展望の話をさせて頂くのは毎年定番となっている。夕方帰宅して孫と夕食。孫が「ジジとお風呂に入りたい」と言い出して、「おお、そうかそうか」と相好を崩しつつ風呂で遊ぶ。入る前に「あのね、お風呂にミカンの皮を入れると香りがいいんだよ」と言うので、「おお、そうかそうか」と2人でミカンの実を食べながら皮を湯に投げ入れる。3歳半なのにいろんなことを知っていて、生活の楽しみを企画する能力を持っているのには、まこと驚かされる。

2月15日(火)

 朝、自宅で東海ラジオに電話出演し、エジプト市民革命の話をする。急いで支度をしてバスで上京し、大阪で午後から「ミヤネ屋」。相変わらずの(新ネタなしもロクにないままの)大相撲八百長問題を延々やるのにはウンザリだったが、東京都知事選の構図についての話題はなかなかよくまとまっていた。夜は「大阪高野塾」で講演と懇親会。11時まで飲んで梅田泊。

2月16日(水)

 朝大阪を出て盛岡へ。15時から岩手県中小企業中央会の講演。会長さんは「酔仙」の銘柄で知られる造り酒屋のオーナーの鈴木宏延さんで、懇親会にはその酒が出た。切れ味のいい酒で、私も東京などで飲むことがある。帰京して東京泊。


2月17日(木)

 9時から東芝本社の情報システムフェアで講演。控え室で副社長の並木正夫さんとお話しをしていたら、中国から電気機関車の注文が殺到していて追いつかないほどだと言う。三菱重工も日立も電気機関車を作らなくなって、いま日本では東芝が唯一のメーカー。新幹線を外国に売り込むという話で持ちきりだが、電気機関車が年に何百台も中国に輸出されているとは意外だった。ちょっとネットマナー違反だけれども、東芝HPの中の「機関車」のページへの直通はこちら。


 夜は浅草で冨永龍司さんの台東区議選出馬の出陣式。龍司さんは、蕎麦処「十和田」の女将にして全国おかみさん連合会会長の冨永照子さんの息子さん。無所属で出ることになり一緒に写真を撮る人がいないから「高野さん、お願いよ!」と言われて、本当はそういうことはしないのだが、おかみさんに言われたら仕方がない。私の顔写真入りのポスターが浅草の街の角々に張られていてうかうか歩けない。バスで帰宅。

2月18日(金)

 今週はやたらに講演が多い。宇都宮からタクシーで鹿沼市に行き、鹿沼信金の創立85周年特別講演会。「日本はモノづくり資本主義の王道を進み、高度資本財と高級消費財の輸出で21世紀ユーラシアの大繁栄に貢献しつつ、その元気を国内に大環流させよう」との持論をブチ上げて好評だった。ニューサンピア栃木という温泉付きのやたら豪華な会場で、これ何ですかと聞くと、故渡辺美智雄が厚生年金の金で建てさせた施設で、後に二束三文で民間に払い下げられたものだと。シャンデリアのブラ下がる個室で信金幹部の皆様と会食したが、何となく居心地が悪かった。深夜帰宅。

2月19日(土)

 午後、家内と共に渋谷でフラメンコの女王=マリア・パヘス&舞踊団の舞台。切れ味鋭いステップに加えて、異様なほど長く見える腕が別の生き物のように柔らかく動くのが凄い。今朝届いたみかんを箱ごと孫のところに届けて帰宅。TBS「報道特集」で金平さんが鳩山の「抑止力は方便?!」発言を単なる"失言スキャンダル"としてではない掘り下げ方をしていて面白かった。

2月20日(日)

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 朝、久しぶりに落ち着いて新聞を全部読んで、いくつかメモや図表を作った。昼前から外に出て、春を迎える準備。土手や庭のあちこちで山になっている落ち葉を手押し車で30杯ほども集め、7本ある巨大な枯れすすきを草刈り機で根元から切って、ほとんど半日がかりで燃やす。その合間に蕗の薹が顔を出しているのを見つけて、夕食に天麩羅で食べた。蕗は、まずは蕗の薹から始まって、そのうち何万本でも生えてくるので、煮たり佃煮にしたり干して蕗茶を作ったりして夏まで楽しめる。蕗の薹が出ると、間もなく鶯が鳴き出すはずだ。

2月21日(月)

 終日鴨川。引き続き春の準備で、放ってあった粗大ゴミを整理し、道具小屋を片づけ、刃物をいくつか研ぎ、敷地内から枯れ枝を50本ほど拾い集めて柴にして薪小屋に収める。これは来年の冬に使う分。枯れ枝の柴は1年寝かせれば十分だが、太い薪は最低2年、出来れば3年置くと燃えっぷりがよくなる。夜は原稿書き。

2月22日(火)

 7時半に東海ラジオ。今日は羽田空港に向かう途中の時間となってしまうので、アクアラインの料金所横の駐車場から携帯電話で出演。9時発ANAで福岡へ。時事通信社の内外情勢調査会で「民主党政権で日本はどうなる?」と題して講演。「どうなる?」って、こっちが聞きたいですよ、全く。でも終わって参加者から「今日は思いがけず明るい話で、胸のつかえが下りました」と言って頂いた。私は目先のことはどうでもいいからと言って、超長期の超楽観的な平成維新展望を語るので、よくそう言われる。講演の中で「総理だろうと誰だろうと、何を言っても"発言"として報道されず、"失言スキャンダル"としてしか報道されない。こういうマスコミは狂っている」と言ったら、終了後、時事の支社長が「おっしゃるとおりです。先日も江田五月法相が来福したのですが、本社から来た指示は『柳田法相は広島で失言してクビになった。江田も何か失言するかもしれないからよくフォローしてくれ』。江田は菅の後見人だから政権の行方についてなにか大事なことを言うかもしれないからフォローしろというなら分かりますけど、失言を見逃すなだけですからね」と。

2月23日(水)

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 終日、資料整理と原稿書き。また蕗の薹をたっぷりと天麩羅で。近所の梅はとっくに満開だが、当家の梅は遅くて、ようやくちらほらというところ。

2月24日(木)

 今朝、ちょっとだけ鶯が鳴いた。うちの庭には冬の間ずっとシメというスズメに似た鳥が50〜60羽、群れをなして滞在して、今頃になるとどこかへ飛んでいく。それと入れ替わるように鶯が来て、東の杉のてっぺんと南の森の奥と西の竹林の大体において3方向から鳴き声を競う。今はまだ声がよく出なくて上手く鳴けないが、そのうちソプラノの美声が整って夜明けから夕暮れまで飽きもせずに鳴き続ける。ソプラノといってもあれは雄が求愛のために鳴くのだそうで、カウンターテナーと言うべきか。

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 昨日のNHK「ためして合点」は肩こりの特集で、特になで肩の女性は鎖骨の肩側が下がって横一文字になり、その下を通る血管や神経が圧迫されるというタイプの肩こりになりやすいのだそうだ。家内はまさにそれで、私の鎖骨は太く、「く」の字を仰向けにしたように真ん中で折れて上に上がっていくが、家内は細くて真横である。思わず「合点!」と叫びたくなるような濃い中身だった。

 肩こりと言えば、先日何の気なしに買って新幹線で読んだ松井孝嘉のこの本が目からウロコだった。世に肩こりと思われている症状の中には実は「首こり」が原因である場合が少なくなく、中くらいのスイカほどの重さの頭を支えるための複雑な筋肉が集まり、しかもその間を脳と体を繋ぐ重要な神経や血管が通っている首をこそ大事にケアしなければならない。パソコンに向かってうつむき姿勢を続けるのが特にいけないらしく、意識して小まめに首の体操やストレッチをしたほうがいいとのこと。私は肩こりより首こりに気を付けた方が良さそうだ。


2011年2月 2日

高野孟の遊戯自在録013

1月1日(元旦)

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 どうということもなし、つつがなき元日。近年は京都・嵐山の料亭「おきな」に御節を頼んで、年末に自宅であれこれ料理してバタバタするのをやめている。が、昼前には届くはずの御節が来ない。関西が大雪で宅配便も遅れているのだろうと推測して、あり合わせで繕って家内とお屠蘇を交わした。

 例年、元旦は早起きして太平洋の初日の出を見に行くが、今年は雲が厚く何も見えそうにないのでサボり、午後から海を眺めに行く。鴨川港の漁船の正月飾りが勇ましかった。

 御節は夕方近くなってから届いた。

1月2日(日)

 ひたすらのんびり箱根駅伝往路を観る。早稲田が良さそうだ。

1月3日(月)

 元日と3日の新聞各紙の社説や論調を読み比べつつ、今年の報道の流れを予測するのは毎年の初仕事。今年は、どの新聞も打ち揃って「消費税とTPP」が必須の課題と言っていて、この砲列の揃い方が気味悪い。

1月4日(火)

 午後から、岩手県遠野市の岩間敬君一家3人がやってきた。彼は地元の農家出身で、若いときから馬に惹かれて乗馬や調教を学び、農閑期には乗馬トレッキングのガイドも務めていた(それで私は8年ほど前に遠野で雪中乗馬した際に彼と知り合った)。また普通の乗馬だけでなく、「馬搬」あるいは「地駄曳き」と言って、大型の馬を使って山から木材を運び出す伝統技術にも興味を抱いて、村にわずかに残った馬方の古老に10年ほど前から弟子入りしてその伝承に励んでいた。

 昨年12月に久しぶりに岩間君から連絡があって東京で会った。イギリスにチャールズ皇太子を名誉総裁とする「ワーキング・ホース協会」という立派な団体があって、国内だけでなく全欧州規模で馬搬技術のコンテストなどを行っていることが分かったので、そこへメールを出したところ、「日本にも馬搬技術があるのか。是非日本から参加してほしい」と熱烈な返事が来てしまったので、どうしたらいいか、という相談だった。それは面白いことなので、2012年のコンテストに参加出来るよう応援団を組織して送り出そうということになり、他方、私の地元=鴨川では「馬のある暮らしを再現しよう」という機運が高まっているので、それにも協力して欲しいとこちらからもお願いをした。

岩間「そうならば正月にでも鴨川を訪問したい」
高野「君が来れば鴨川の馬プロジェクトの連中に集まって懇談して貰おう」
岩間「どうせなら、1月4日夜9時からBS朝日で遠野の馬搬の様子を撮影したドキュメンタリーが放送されるんですけど」
高野「じゃあその日に皆に声をかけて一緒にテレビを観よう」

 と話はとんとん拍子に転がって、今日彼が我が家に来て、夕方には地元の馬プロジェクトのメンバーたちも集まった来て大騒ぎとなったのだった。

1月5日(水)

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 午後から早稲田大学「大隈塾」高野ゼミの現役有志13人、OB2人、それに大隈塾担当の非常勤講師=村田信之(蓮舫の旦那、4月に目黒区議選に出馬)が来訪し新年会でまたもや大騒ぎとなった。

1月6日(木)

 某政府高官、共通の友人の元大蔵省幹部と東京で会食。菅首相は仙谷由人官房長官を更迭するかどうか、まだ決断していない。それも含めて菅政権はフラフラに見えるが、実は「ポスト民主党」はおろか「ポスト菅」も浮上していない状態なので、案外続くかもしれない、とのことだった。

1月7日(金)

 終日鴨川。

1月8日(土)

 娘一家が来訪。正月は婿さんの実家に行くので、こちらに来るのは今頃になるのはやむをえない。今更お屠蘇でもないので、鴨川グランドホテルの太平洋が見えるレストランのシーフード・ランチ&赤ワインで正月を祝う。

1月9日(日)

 終日鴨川で孫と遊ぶ。

1月10日(月)

 娘と孫は火曜日まで滞在するが、婿は明日から仕事、私も今晩中に京都入りするので、2人で高速バスで東京へ。孫はパパとジジがいっぺんにいなくなるのが不満そうだった。

1月11日(火)

 京都のホテルから東海ラジオに電話出演。10時にホテルを出て京都造形大学の授業。日本文化の「発酵性」という特質について。昼に終わってそのまま帰宅。

1月12日(水)

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 仙台経由で石巻市へ。15時から七十七銀行の石巻エリア経営者の会で講演と懇親。実は朝日新聞石巻支局には高成田享さんがいる。アメリカ総局長まで務めて、普通なら社のトップ級の役職を目指して当たり前だが、「定年までどこか漁港の通信局に行って『さかな記者』をやりたい」と申し出てここに来たという変わり種だ。前に『こちら石巻さかな記者奮闘記』という著書を送って貰って面白かったこともあり、事前に連絡をしておいた。その「さかな記者」推薦の「喜八櫓」という料理屋に上がって新鮮な魚を満喫した。

1月13日(木)

 石巻から仙石線に乗れば仙台に戻るが、石巻線で北西に小牛田に出て陸羽東線に乗り換えて鳴子温泉に向かう。これも事前の連絡で、仙台在住の民俗研究家=結城登美雄さんと久しく会っていないので温泉に浸かって新年会をやろうということになり、それに農文協『季刊地域』の甲斐良治編集長、そのご両人に可愛がられている当社の上垣が夕方までに「旅館みやま」に集まることになっている。私は石巻では行くところもないので、早めに着いて温泉を楽しもうと、昼前に川渡温泉駅に着いた。無人駅だから駅員がいないのは仕方がないが、降りる客も乗る客も1人もおらず、駅前にも人影は見えない。ここでいつものように宿に電話すればご主人の板垣さんが飛んで迎えに来てくれるが、時間がたっぷりあるので、雪道を歩いて行くことにした。滑って転ばぬようゆっくり歩いても45〜50分、1時間はかかるまいという見当は外れなかったが、誤算はRIMOWAのトローリー(ガラガラ引っ張る2輪付きのアルミ製トランク)で、これは雪道を転がすことは(当然ながら)全く想定していないので、すぐ雪が詰まって動かなくなる。宿に着くと板垣さんが「あれえーっ、歩いてこられたんですか?」と絶句。「いいんです、歩くのが趣味なんです」。

 先にゆっくりお湯に入って、雪景色を眺めながらビールをちびちびと飲んでいるうちに皆さん順次到着し、やがて宴会。結城さんとは、昨年大病されて退院した後一度も会う機会がなかったので、8カ月ぶりくらいか。彼が進める「鳴子の米プロジェクト」5年間の達成と、次のステップとして、農家に空き田んぼで餅米を栽培て貰い、それを経営の苦しい地方の中小の酒蔵に委託して「本物の味醂」を製造して貰って消費者に普及する計画を聞いた。いや、味醂とはまた目の付け所が面白い。味醂は本来、餅米を米麹で発酵させてさらに米焼酎を加えて造るが、普通に出回る大量生産品は、米焼酎の代わりに醸造アルコールを加えて量を何倍にも増やす(「三増酒(三倍増醸清酒)」と呼ばれる安い日本酒と同じ)。これを味醂だと思われては困るので、本物の復活と普及を図ろうということで、話が盛り上がった。

1月14日(金)

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 4日に我が家で開かれた「馬プロジェクト会議」の結果、鴨川自然王国で過去1年間、農業研修生として学んできたO君が、次の1年間は乗馬、調教を身につけて、ここ鴨川で馬のある暮らしを実現したいとの希望を持っているので、彼を遠野市の岩間君の下に送り込むことが出来ないか、という相談になった。岩間君の動きは素早くて、早速この日、前日に鳴子まで来ている私を、東京へ出張途上の本田敏秋=遠野市長に仙台で会わせるという。駅近くのホテルで、市長、市の農林担当、岩間、彼の信頼する馬のパートナーで盛岡市で牧場を営む八丸君、私、鴨川から昨日遠野入りしていた鴨川のO君で昼食をとりながらミーティングし、(1)O君を3月から1年間、県の制度を活用して八丸牧場の研修生として送り込むこと、(2)岩間君と八丸君を今年5月に遠野市の海外研修制度を利用してイギリスに派遣し労働馬協会と接触してくること、(3)これをきっかけに遠野市と鴨川市で馬事文化復興をめざし協力していくこと----などが決まった。凄い勢いの展開だ。満足して帰京。(写真は馬搬の光景)

1月15日(土)

 10時からJFNラジオ収録。ゲストは三宅雪子衆議院議員。お祖父さんは石田博英労相、お父さんは三宅和助シンガポール大使(いずれも故人)という血筋で、ご本人はフジテレビ報道局経済部の記者から小沢一郎に誘われて前回立候補した。お祖父さんは1950〜60年代に度々労相を務め「石田労政」という言葉が出来たくらいで、そのケンカ相手が総評事務局長だった私の父だった。三宅大使は、外務省アジア派で、ベトナム戦争終結前からハノイと隠密外交を展開して早々の日越国交樹立に貢献して「日本のキッシンジャー」とも呼ばれ、私はそのことで取材したことがある。そんな因縁話から始めて、小沢の近況などを聞いた。

 夜は八重洲で、竹中ナミねえと某NHK職員その他と会食。ナミさんはNHK経営委員で、今日がNHK会長選びの山場。どうなったのかなと思いつつ席に着くと、ナミさんが「先ほど決まりました。前JR東海副会長の松本正之さん」と。ふ〜ん。


1月16日(日)

 クビになった仙谷由人官房長官から電話あり。何だか晴れ晴れした様子で、新成長戦略や「新しい公共」など、長い目で見た政策を練り上げていきたいという話だった。

1月17日(月)

 早稲田新年初授業。合間に来年の「高野ゼミ」選抜の面接。25人ほどなので、全員合格とする。例年だと40人以上が志望するので、書類選考のあと面接でふるい落とすのだが、今年は少ない。後で聞くと、事務局のアナウンスが悪くて、志望したかったのに手続きが間に合わなかった者が何人もいた。そういう人は「モグリ」で授業に参加してくれと伝えた。京都へ。

1月18日(火)

 京都のホテルから朝早く、東海ラジオ出演。京都造形芸術大学。ミヤネ屋。何だか疲れたので大阪に泊まることにし、法善寺横丁の割烹「美加佐」にブラリ。

1月19日(水)

 ホテルで早起きして、日本農業新聞のコラム「論点」執筆。本録14日付で触れた遠野市の「馬搬」の話を書いた。これは半年に一度ほど順番が回ってくるリレー・コラムなので、スタンスの取り方が難しいが、編集部は現場の具体的な状況を踏まえた議論で大変よかったと評価を頂いた。24日付同紙に載ったその全文は次の通り。

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伝統文化「馬搬」の復興
若者呼べる山仕事に

 里山暮らしの中で「馬」の役割を復元しようというおもしろい企てが、岩手県遠野市で始まっている。本田敏秋市長の肝煎りで昨年五月に設立された「遠野馬搬振興会」がそれで、今やほとんど廃れかけている馬搬の技術を若い人たちに継承させ、実際の山仕事にもっと活用していこうというのである。
 古くは「地駄曳(じだび)き」と呼ばれた、山で切り出した木材を馬に引かせて里まで運び出すこの方法は、昭和40、50年代までは全国どこでも盛んに行われていたが、その後、機械化の波に押しやられ、また林業そのものが衰退に向かう中で、絶滅危惧技術となり果ててきた。
 遠野の場合、かつては40人ほどの馬方がいて森林組合から作業を請け負っていたものの、今では74歳の菊池盛治さんら3人だけ。ところが今から10年ほど前に菊池さんらに弟子入りして学び始めた当時22歳の地元の農業青年がいて、その名を岩間敬さんという。
 彼はもともと馬が好きで、若い頃から乗馬や調教の技術を身につけ、農閑期には乗馬トレッキングのガイドを務めるなどしていたが(それで私は8年前に遠野で馬に乗ったときに彼と知り合った)、その中で人馬一体の暮らしぶりを象徴する馬搬という伝統技術の素晴らしさに気づいて飛び込んでいき、最近はようやく一人で作業が出来るようになった。このように一人の若者が体を張って「馬文化」を守ろうとしている姿を見て市長も心を動かされ、「振興会」の発足となったのである。さしあたり、市が市有林の一部の搬出作業を菊池さんらに委託するための事業費を予算化し、また研修生受け入れの制度を整備していく。
 遠野の場合は、ペルシュロンなどの1トン級の大型馬を使う。これに独特の馬具セットを装着して「バチ」と呼ばれる鉄ぞりに載せてワイヤで縛った木材を引く。重機が入れない急斜面でも入っていけるし、地表を荒らすことも少ない。何より重機より安くガソリン代もかからない(餌代はかかるが)。
 近年、森林の荒廃に歯止めをかけようと、改めて林道の整備やその林道からさらに分け入るための作業道を増やそうということが言われているようだが、むやみに作業道を増やせば地表がかえって荒廃するし、急峻で作業道など作りようもないような人工林も少なくない。
 何が何でも重機を入れようとするよりも、馬の助けを借りてのんびり切り出すほうがエコなんじゃないですかという遠野からの問題提起は、検討に値すると思うがどうだろうか。
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 夕方から日本政策金融公庫立川支店で講演。私の早稲田のゼミの卒業生=前田が受付をやっていた。東京経由、バスで帰宅。

1月20日(木)

 家に居たかったのだが、私が顧問を務める「ダイヤモンド経営者クラブ」の新春賀詞交換会の記念講演で小泉純一郎元首相が講演するというので、それほど期待している訳でもないけれども、一応、今時何を言うのかなという興味があって、聞きに行った。外交に関して次のように言っていて、この基準に照らして鳩山と菅の違いが浮き彫りになるのが面白かった。

「自民党政権末期に、自民党から民主党、一部評論家にまたがって『日米中・正三角形』論が出てきた。私はこれに反対で、『日米基軸』論だ。日米関係がよくなれば中国はじめ他の国ともよくなると信じている。私がそれを言うと、マスコミは『小泉は、米国とさえ仲良くすれば、他の国のことはどうでもいいと言った』とか報道した。そんなことは言っていないし、実際、中国との間も、怒らせたのは靖国参拝だけで、後はけっこううまくやってきた。 民主党政権も尖閣事件で、日米基軸が大事であることを思い知っただろう」

1月21日(金)

 自車で上京、15時に新宿で妙高市の職員の方々と会い、同市「観光大使」を申しつけられる。いままでは、同市の町興しプロジェクト「妙高里山塾塾長」にして市の「顧問」だったが、それらはそのままに、さらに肩書きが増えるらしい。新宿泊。

1月22日(土)

 名古屋に行って栄中日文化センター。夕方自宅に戻り、19時から地元で「馬を飼う」プロジェクトの会合。

1月23日(日)

 夕方東京に出て、政治家数人と会食。東京泊。

1月24日(月)

 早稲田最終授業。終了後、京都へ。

1月25日(火)

 東海ラジオ、京都造形芸術大、帰宅。京都の授業は今年限りとして、来年は止めることにした。今年は、当初7人ということだったが、内2人は最初から来ない。どうしたのかとフォローすると、1人は「学校を辞めたらしい」とか、もう1人は「よく分からない」とかで、そのうちに3人だったり2人だったり、それも前週来た者と今週来た者が全員入れ替わりとか、「来週までにこの文庫本の第1章だけでいいから読んで来るように」と負荷をかけると翌週は誰も来なかったり...。大学幹部にそれを言うと、そういうことが各所で起きていて、言ってみれば「生きる力」がない学生が増えている、もうお恥ずかしい限りだと。う〜ん...、参りましたね。

1月26日(水)

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 今日は楽しい新春浅草歌舞伎。敢えて千秋楽の第2部15時からのチケットを11枚、「十和田」の女将経由で手に入れて、中高年遊び仲間を募って観劇、その後は十和田で刺身・天麩羅・蕎麦の大宴会という趣向。いやあ座長格の亀治郎がいいですねえ、凄みさえ出てきた。大酔っ払いで都内泊。

1月27日(木)

 自車で都内から千葉市内へ。15時から商工中金千葉支店の講演会。いやあ千葉にも面白い経営者がたくさんいますね。

1月28日(金)

 午後、妙高市の広報担当はじめライター、カメラウーマンらご一統が自宅に取材訪問。

 夜、一杯飲みながら、先日ネットで衝動買いしたiPadをいじり始める。

1月29日(土)

 終日鴨川。館山の田中惣一商店に「根切り鋏」を買いに行く。年末以来ずっと、東隣の不在地主の荒れ果てた土地を少しずつ開墾しているのだが、そこでは野バラと茅と葛の蔦などががんじがらめとなっていて、人が踏みいるのも難しいというほどの場所で、そこで普通の植木鋏を使っていたらたちまち酷く刃こぼれで使いものにならなくなってしまった。そこで田中商店でこれを買うことにしたのである。

 夜、サッカーアジア杯観戦。感動。

1月30日(日)

 終日鴨川。エジプト情勢緊迫。米国は、イラクのフセイン独裁は戦争まで仕掛けて打倒したが、エジプトのムバラク独裁は何ら問題視することなく容認してきた。

1月31日(月)

 終日鴨川。中東研究センターの保坂修司氏が「かつてイラン革命でカセットテープ、東欧革命で衛星放送が果たした役割を、エジプトではフェイスブックやツィッターが果たしている」と(読売)。同じ読売の別の面では、国際交流基金部長の小川忠氏が昨秋日本に招いた中国の著名ブロガー=安替氏の中国メディア事情についての講演の内容を紹介していて、「ツイッターは2009年頃から中国に姿を現し、当局の規制を受けない技術が開発され、安替の言では『数千年の中国大陸史上初の100%言論の自由が守られた全国的プラットフォーム』となっている」と書いている。当局の規制を受けない技術って、本当なのか? グーグルを追い出した中国では、国営新華社通信社と5億人の世界最大の顧客数を誇る携帯電話会社「中国移動」との合弁で「国家級の検索エンジン」を構築中で、これはツイッター対策ではないのだろうか。

高野孟の遊戯自在録012

12月11日(土)















 朝早く家内と共にバスで上京、今日は10時から高田川部屋の相撲の朝稽古を見学して昼から力士たちと一緒にチャンコ鍋を食べる会。初めて見る稽古の激しさには驚いたが、これを朝5時半から始めて12時半頃まで7時間ぶっ通しでやって、昼食・休憩後はまた近くのジムに行ってトレーニングするというのだから尋常なことではない。

12月12日(日)

 終日鴨川。

12月13日(月)

 早稲田のゼミはTPPを議論。午後の大隈塾授業はNPOテラ・ルネッサンスの鬼丸昌也さんが講師。立命館大学在学中からNPOを起ち上げ、アジアやアフリカで地雷撤去、小型武器禁止、子ども兵救済などに取り組む現在31歳。昨年も来て頂いて学生たちに衝撃を与えた。明日は京都造形大は休みなので、高速バスで帰宅。

★テラ・ルネッサンス:http://www.terra-r.jp/

12月14日(火)

 JFNラジオ収録のあと都内ホテルで原稿書き、泊。

12月15日(水)

 10時過ぎ羽田発で能登空港へ。和倉温泉のホテル「のと楽」で北陸銀行の顧客向け講演会
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と懇親会。この辺りはいま「なまこ漁」が絶頂で3月まで続く。ホテル近くにその名もモロに「なまこや」というショップ&レストランがあって、昼食に「なまこづくし定食」を味わった。あとはこの辺では「中島牡蛎」ですね。能登は美味しいものがたくさんある。

12月16日(木)

 11:40能登発で帰るつもりが、羽田からの便が雪とガスで能登に着陸出来ない。金沢まで走って列車で帰るしかないか...と思っているところへ「只今から着陸態勢に入ります」とアナウンス。ロビーで待っていた客の間から拍手が湧いた。1時間遅れで羽田着。

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夜は昭和19年生まれの「一休会」の忘年会で、芝公園の豆腐料理「うかい亭」へ。東京タワーの真下の豪勢な庭を眺めながら痛飲し、東京泊。

12月17日(金)

 岩手県遠野市の農業&馬青年=岩間敬君が「ちょっと相談がある」と電話してきたので夕方、新橋で会う。山で切り出した木材を大型馬を用いて運び出す「馬搬」もしくは「地駄曳き」と呼ばれる伝統技術があって、彼は20歳そこそこだった10年前から地元の古老に弟子入りしてそれを伝承しようとしてきたが、これに関して今年、新しい展開が出てきたので協力して欲しいという話だった。これについては、後に詳しく語ることがあろう。

 19時からプレスセンターで田原総一朗を囲む忘年会。高速バスで帰宅。

12月18日(土)

 終日鴨川。13時にご近所の方々が見えて、小学校廃校跡の活用策について相談。

12月19日(日)

 高速バスで上京、昼から娘宅で孫のクリスマス・パーティ。都内泊。

12月20日(月)

 早稲田授業の年内最終回。16:30からのジャーナリズム大学院の授業は勝手ながらお休みとし、浅草の蕎麦屋「十和田」で主要銀行広報担当と当方周辺記者からなる「四行会」の忘年会。最終新幹線で京都へ。

12月21日(火)

 東海ラジオを終えて京都造形芸術大で授業、「ミヤネ屋」出演、夜は「大阪高野塾」。

12月22日(水)

 東京経由、バスで帰宅。午後から「鴨川自然王国」の忘年会に家内共々参加、清澄山中の
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「白岩温泉」へ。清澄山から養老渓谷へ抜ける林道の途中に忽然とある、これ以上ひなびた宿というのは全国のどこにあるかと思うほどのところで、まずは露天風呂に浸かって、囲炉裏端で宴会。豪華なメニューで大満足、大酔っ払いで、どうやって寝たのか覚えていない。

12月23日(木)

 終日鴨川。

12月24日(金)

 終日鴨川。

12月25日(土)

 バスで上京、名古屋に行って13時から栄中日文化センターの月1度の講義。「2011年はどういう年?」と題して話した。とんぼ返りで帰宅。

12月26日(日)

 終日鴨川。

12月27日(月)

 孫が来訪、近所の餅つきなどに参加。それを尻目に私は残念ながら大阪へ。明日の「ミヤネ屋」のため前泊。

12月28日(火)

 「ミヤネ屋」は年末スペシャル版でいつもの倍の4時間で11:55開始。前半は「朝まで」風の討論番組で、桜井よし子、原口博、森永哲郎の各氏その他多彩な顔ぶれで政治、経済、外交を議論した。桜井さんが相変わらず中国の軍拡に対抗せよといった勇ましいことを叫ぶので「あなた、そんな19世紀みたいなことを言っていたらダメですよ」「国際紛争に処するには、1冊のマニュアル本があるとして、第1章から第9章までは、いかにして戦争にならないようにして収拾するか、最大限努力するかが書かれていて、それが全て失敗した時に、初めて第10章で「軍事力」という話が出てくるんで、その第1章から第9章を語らずにいきなり第10章の話だけしているのは幼稚ですよ」という趣旨のことを言ったら、ムッとした様子だった。これが年内ラストのお仕事。

12月29日(水)

 終日鴨川。大掃除の真似事。

12月30日(木)

 松尾貴史から彼がプロデュースした「松尾貴史のオススメ落語会」に誘われたので、家内と共に自車で横浜「にぎわい座」に行き、立川志の輔ほかを楽しんだ。いま結構落語ブームでチケットはとっくに完売。松尾が無理に取ってくれたようで「関係者席」だった。帰途、館山道の保田ICを降りて自宅に向かう長狭街道沿いにある超優良の蕎麦屋「きのや」で1日早い年越蕎麦を堪能して帰宅。

12月31日(金)

 部屋の片づけ。「紅白」は見ない。

2011年1月24日

高野孟の遊戯自在録011

またまた間が空いてすいません。とりあえず昨年末近くまで追いつきます。

11月11日(木)

 家内が手配した3歳の孫の七五三祝の着物を届けに東京へ。夕食後、帰宅。

11月12日(金)

 朝の高速バスで東京に出て、10:30から赤坂のスタジオでJFNのラジオ番組収録。ゲストは尾立源幸参議院議員。去年の事業仕分けでは立役者の一人だったが、今年は財務政務官でむしろ逆の立場。そのへんの話から聞き始めた。お馬鹿なマスコミは、民主党員である政務三役が省庁の利益の側に立って一旦仕分けしたものを、また蓮舫指揮下の民主党の仕分け人が吟味するのは、屋上屋を重ねるもので矛盾しているなどと書いているが、そんなことはないのであって、官僚体制の言うなりにならないよう政務三役のところでひとまずスクリーンをかけておいて、しかしそれはどうしたって省庁寄りになりやすいから、それを仕分け人が、他省庁との兼ね合いも含めたより全体的な見地から、そして外部の視点も織り込んだ世間常識的な視線も重ね合わせて、もう一度吟味するのは屋上屋でも2度手間でもなくて、出来るだけ多くの知恵を集めて本当の無駄を暴き削っていくためのダイナミックなプロセスである。そうやって政権内部の矛盾を上手に熟成させつつ、よりマシな解決に導いていくという弁証法的方法論を理解しない奴が多すぎる。

11月13日(土)

 朝バスで出て名古屋へ。13:00から中日新聞栄文化センターの月一度の講座。今回は、尖閣諸島の漁船衝突事件をどう見たらいいかを話した。

★栄中日文化センター:http://www.chunichi-culture.com/ 11年4〜9月新学期受付中。

 15:00に終わって丸善で書籍から洋品売場まで各階を40分かけて視察(ということをどこかの大型書店で月に一度はやるようにしている)。さらに伏見まで歩いて16:00開店と同時に居酒屋「大甚」に。毎週火曜日の朝07:30から電話生出演している東海ラジオ「モルゲン・ジャーナル」のキャスター&スタッフの皆さんと早すぎる忘年会。この店は、前にも本録で書いたが、私が10年以上も前に雑誌の「池波正太郎が愛した店」特集に挙げられていたのを見て以来、年に何度かは行っている。16:00開店と同時にアッというまにほとんど満員になり、そのほとんどが中高年層で占められているという光景は、いつも変わらない。この中高年パワーを見ると「日本は大丈夫」と思えてくる。酔っぱらって帰京、東京泊。

11月14日(日)

 13:00から明治神宮に孫と娘夫婦、双方のジジババの計7人が集合して七五三のお祝い。待合室にひしめいている何十組が、着付け、写真、お参りと流れ作業のベルトラインに乗せられているかのように手際よく捌かれて行って、なあるほど、七五三というのも1つのビジネスとして形が出来上がっているものなのだと感心した。そのあとANAホテルの中華料理で祝宴を張った。

11月15日(月)

 早稲田のゼミは「地域主権論」の続き。3つ授業を終えて、18:15から大学隣接のリーガロイヤルホテルで大学の中枢実権派のお二人と会食、「大隈塾」という枠組みをあと3年間は続けて、その先のことはどうなるか分からないという話だった。そのあと京都へ。

11月16日(火)

 朝ホテルから東海ラジオ。京都造形大で「縮み志向の日本人」の話。飛び出して大阪で「ミヤネ屋」。帰宅。

11月17日(水)

 終日鴨川で読書、執筆、飽きると草刈り。

11月18日(木)

 午前中、草刈り。夕方バスで出て「東京高野塾」。帰宅。

11月19日(金)

 終日鴨川。

11月20日(土)

 孫と娘が鴨川来訪。孫と共に林に分け入って、ちょっと大きくなりすぎた椎茸を収穫した。夕方、暗くなりかけると、孫が「花火をやりたい」と言う。「花火は夏の暑いときにするものなんだよ。今はもう秋で、暗くなると外は寒いから」と言っても、「やりたい」と言って聞かない。本録で前に書いたが、江戸伝統の本格派の線香花を取り寄せて夏にベランダでふんだんにやったのが気に入っているらしい。それで、納戸にしまっていた残った花火を持ち出して季節離れの花火大会をやった。その最中に孫が何だかしみじみした口調で、「コト(本人の名)もお庭がほしいなあ」と。東京のマンション住まいの彼女は、好きなときに花火でもバーベキューでも焚き火でもやりたい放題に出来るここ鴨川の庭がうらやましく思ったようなのだ。「じゃあコトちゃん、パパに『お庭を買って』と言ってみたら」と娘。全くねえ、東京では子供は土に根ざすどころか触れることもないまま育たなければならないから、生物としての本能が開花しない。うちの孫はまだここでの体験があるから「庭がほしい」と思う感性を持ちうる。有り難いことだ。

11月21日(日)

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 朝10:00に釜沼の公民館に集合、今日はこの地域伝統の手法による正月の注連縄(しめなわ)づくりの講習会で、私共ジジババと娘と孫で参加。私が田舎が凄いと心から思うのはこういう時で、何の変哲もない藁の束から、一定の格式に従った注連縄があれよあれよという具合に出来上がっていく。日本人の手仕事は本当に「美しい」と思うのである。

11月22日(月)

 早稲田の授業もそこそこに、18:00からホテルオークラで「京を食べる愛でる」というイベント。私は、この手の都心ホテルで開かれる「グルメ」っぽいイベントは一切興味がなく、ほとんど行ったこともないのだが、今回が違ったのは、この京都側からの出品者に「長慶寺健太郎」が含まれていて、その彼から誘われたからである。

 これはねえ、話せば長いことになりますが......。

(1)今から15年ほども前に、故藤本敏夫に誘われて北海道=帯広に、超有名レストラン「ランチョエルパソ」のマスターであり、郊外にある「リバティファーム」のオーナーでもある平林英明を訪ねた。

(2)そのころリバティファームは馬牧場&乗馬クラブで、そこで、それまで乗馬は貴族の遊びではないかと思っていた私は、北海道の原野や森林や雪原をワイルドに乗り回す野外乗馬の魅力に触れてたちまち虜になってしまった。

(3)それでリバティファーム内に何人かの東京人の共有でログハウスを持って、年に4〜5回は帯広に行って馬を乗り回し、またそうやって帯広に行った時には、「十勝渓流塾」と称して、地元の皆さんと夜を徹して酒を飲んで地域興しをどうするかといった議論を交わようになった。

(4)その頃に、関西方面からフラッと帯広にやってきてそのまま居着いてしまったのが長慶寺という根っからの野生児で、レストランで働きつつ牧場の仕事も手伝い、よく一緒に馬に乗ったりもしていた。10年ほど前、99年か00年のことだったと思うが、突然「カナダに行く」と言い出して姿を消した。一度、様子を知らせる手紙が来て(農と言える日本・通信No.46=http://www.smn.co.jp/takano/noto46.html)、それからまた1年か2年して帰国はしたものの、帯広には戻らず、兵庫県だかの実家の近くで牛を飼うのだとか言って、それきり消息を聞くこともなかった。

(5)ところが、今月初めに帯広に行って平林に会うなり、彼が「長慶寺から連絡があってさ」「えぇー!何しているの?」「それが、丹後の老舗の造酒屋の常務さん」「ひぇー!何のこっちゃ?」というわけでさっそく電話をすると、「いやあ、高野さん、お久しぶりです。あ、そうだ、今月22日に東京のホテルオークラで京人フレンズ倶楽部主催の『京を食べる』というイベントがあり、ウチが京都府を代表する日本酒ということで選ばれて私がお酒を注ぎに行くので、よろしかったら来ませんか」と。聞けば、5年ほど前に思い立って杜氏の修業に入り、その関係から丹後半島伊根町の向井酒造の跡継ぎにして女杜氏の久仁子さんと知り合って意気投合、今年結婚したばかりなのだという。「いや、チョーケイが常務か、参った参った」......

 という訳で、常務殿からのご招待で、今日は家内共々、京都の著名シェフが京都の食材を用いて腕を振るった料理の数々を東京人200人ほどが楽しむというイベントに参加、長慶寺と再会を果たした。

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 彼が婿入りした酒屋は、丹後半島東岸の舟屋で知られる伊根町で古くから続く向井酒造。メインのブランドは「京の春」で大吟醸から普通酒までいろいろあり、他にもたくさんのラベルで出しているが、中でも秀逸は赤米で造った「伊根満開」。赤とピンクの間のロゼ・ワインのような美しい色で、まろやかな味で甘みも濃い。まさにワインの感覚で中華やイタリアンにも合わせることができそうだ。丹後半島の先の方でこんな酒造りをしている若い人たちがいて、それがこういうイベントで京都を代表する酒として紹介され、しかもそれが自分の古い知り合いだったというのだから嬉しくなってしまう。

※向井酒造 http://www.kuramoto-mukai.jp/index.html

11月23日(火)

 休日で京都の授業は休み。朝早く東京から帰って終日鴨川。

11月24日(水)

 終日鴨川。明日以降、週末の講演や番組に向けて資料整理、レジュメ&ppt作成。合間に草刈りなど。

11月25日(木)

 14:00に車で出発、浅草ビューホテルで16:00からNTT労組の幹部研修会で講演。菅政権は確かに大変だが、NTT労組=旧全電通は自治労や電機労連と共に96年旧民主党の生みの親なんだから、こんな程度のことで怯むな、と発破を掛けた。

 18:00前に蕎麦屋「十和田」へ。十和田の女将で浅草おかみさん会会長の冨永照子さんから1週間ほど前に「相談があるのよ」と電話があって、「来週、浅草で仕事があってビューホテルに泊まるから、夕方お店に行きますよ」と言っておいた。何かと思えば、息子さんが区議会議員に出馬することになって、こんな状況だから民主党ではなくて無所属のほうがいいのだが、そうなると一緒に写真を撮る人もなかなかいなくて困っているから、ここで対談しているところを写真にしてパンフに載せるので承知して頂戴と。はい、仰せの通り致します。

 で、カウンターで天麩羅、刺身、最後は蕎麦でいい気分になって、徒歩1分、これも十和田の女将が作った都内ベストのデキシージャズのライブ場「HUB浅草」へ。いつもは私の高校同級生にしてブラスバンド同期生の外山喜雄とデキシーセインツを聴きに行くのだが、今夜は何をやっているかも知らずにバーボンウィスキーのロックを目当てにフラリ寄ったところが、バンジョーの青木研をリーダーとするデキシーキャッスルの出番だった。私にとっては初めての出合いで、まずは青木のバンジョーの超絶技巧に驚愕し、次にチューバの濱文人のメリハリの利いたリズム感に浮き浮きし、ヒエーッこんなバンドがあったのかと感心し、思わずCDも購入してしまった。








11月26日(金)

 早朝浅草を出て08:30から麹町の某民間研究所で講演。13:00過ぎから霞が関で鈴木宗男代議士と会食。冤罪での収監を目前にしての、言わば私的なお別れ会。別れ際、何と挨拶をしていいのか分からず、「では、行ってらっしゃいませ」と(ヤクザ映画の台詞だよ、まるで)。夜は「朝まで生テレビ」で今回は22時台から直前収録。櫻井よしこさんの古典的国家主義にはウンザリ。都内ホテル泊。

11月27日(土)

 午後から明治学院大学の中尾茂夫教授の企画により、「法人資本主義」論で知られる奥村宏=前中央大学教授と共に世界と日本の経済の先行きについてシンポジウム。夕方帰宅。

11月28日(日)

 終日鴨川で資料整理と原稿執筆。

11月29日(月)

 バスで出て早稲田で授業3つこなし、19時から戸塚町の沖縄居酒屋でゼミの飲み会。20:30で失礼して最終新幹線で京都へ。

11月30日(火)

 京都の大学からミヤネ屋へ。18:00前に法善寺横丁の「美加佐」で松尾貴史と落ち合って痛飲。的場湾の極上の牡蛎を生とフライの両方で食べられたのが幸せでした。その後、心斎橋の島田紳助のバーに行ったのだが、どうやってホテルに帰ったかよく覚えていない。

12月1日(水)

 帰京して麹町のホテルにチェックイン。ホテルからホテルへと渡り歩くような暮らしもいい加減ウンザリだが、日程が立て込む時は仕方がない。明日は早朝7時30分からこのホテルで石田三示衆議院議員の初めての朝食会があり私が「民主党政権の行方」についてスピーチをするので、前泊というわけで、石田代議士もそうなので麻布十番の「はじめ」で落ち合った。「はじめ」はインサイダー事務所の4軒隣にあって私が応接間兼社員食堂のように通っていた居酒屋で、亡くなったご亭主の新井さんは私との縁から「鴨川自然王国」の田植え・稲刈りなどのイベントに熱心に通うようになり、またその延長で帯広にも行って一緒に野外乗馬をするなど、私の大切な仲間だったが、何年か前に癌で急逝した。石田さんが「新井さんが亡くなってから店に行っていない」と言い、私も鴨川に越して都内で酒を飲むことが急減してそこにも余り行っていないので、じゃあ久しぶりに一緒に行こうということになったのだ。ちなみに、この店で出る「黒豚ベーコン」は帯広産の逸品である。

12月2日(木)

 朝食会が9時30分に終わって、事務所に出て雑務を処理。15時から目黒のJR総連本部で幹部研修の講演。これも「民主党政権の行方」について。労組も皆、先が見えなくて困っている。バスで帰宅。

12月3日(金)

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 久しぶりに鴨川でのんびり。車で7〜8分のところに「もみじロード」と言って数キロの谷の両岸がもみじで埋め尽くされている名所があるので観に行った。例年だともっと一斉に真っ赤になるが、今年は天候不順のせいかばらつきが大きいようだ。







12月4日(土)

 今日は夕方にバチスタ手術で有名で小説や劇画やTVドラマの主人公ないしモデルにもなっている心臓外科医=須磨久善先生が、医学界の何とか賞を受賞したお祝いのパーティが虎ノ門で開かれるので、家内共々出席するのだが、その前に私も家内もそれぞれ済ませたい用事があるので、昼頃に東京駅に着くバスで出た。家内はどこかへ行って、私はまず銀座のCANONのサービスセンターに行って、PowerShot G9のレンズが傷つき中にもゴミが入ってしまったのが直るのかどうか訊ねると、「え、簡単でして、このレンズ・ユニットを丸ごと交換します」と。「な〜んだ、随分簡単なんだ。けど、お値段はどうなんでしょう、新品を買った方が早いなんてことはないんでしょうか」「いえ、この程度の修理は一律1万2070円です」「そんならお願いします」「1週間後に宅配でお届けします」というわけで、置いてきた。

 G9はいわゆる「高級コンパクトデジカメ」の部類で、性能的に使いやすいのと、クラシカルな外見が好きでぶら下げていても様になるのが気に入って、もう何年もどこへ行くにも持ち歩いて酷使してきたので、レンズが傷むくらいのことは当然だろう。PowerShotの最新バージョンはG12で、性能的にはだいぶ進化しているから、買い換えてもいいのだが、1万ナンボで直るのなら無理に買い換えることもない。が、考えてみると明後日に京都でちょっとした予定があって、カメラがないと困る。ん〜、どーしようか。

 私は携帯電話のカメラは大嫌いなのだ。あのカシャ−ッというわざとらしい電子的シャッ
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ター音は、要するに、女子高生のスカートの中を盗撮したりすることを防ぐためでしょう。カメラが人間を疑っているというか、お前らそんな程度の品性だろうがと馬鹿にされているようで、あの音を聞く度に吐き気を催す。そんなものをオメオメと使うわけにはいかない。やっぱりカメラはカメラで、正々堂々、私はこういう考えでこのカメラを持ちたいということを鮮やかにしないといけない。1週間待てば修理から戻って来るのだから我慢すればいいのに、明後日に使うカメラがないとなると急に落ち着かなくなってきて、有楽町のビックカメラで、先日来ずっときになっていたSIGMAの、これも高級デジカメなのだが、ちょっとコンセプトがコダワリっぽいDP1xというものの実物を見に行ったのが運の尽きで、見た途端に欲しくなって買ってしまった。

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 何が面白いって、今時ズームが当たり前のデジカメ戦線にあって、敢えて35ミリカメラ換算で28ミリ相当という広角単焦点レンズであることと、イメージセンサーに一眼レフ並みの1400万画素の大型を搭載していて普通のコンパクトデジカメのそれに比べると面積比7〜12倍の大きさを持っていること。加えて、別売アクセサリーのビューファインダーが可愛くて、フラッシュ取り付け用のホットシューにこれを填めるとまことに格好がいい。何だかんだ合わせて10万円くらいですかね、年に一度、自分に与える贅沢ボーナスです。

 SIGMAは言わずと知れた交換レンズのメーカー。それがカメラづくりに乗り出して既存のコンパクトデジカメ(コンデジ)に対して一種の異議申立てをした。どういうことかというと、コンデジはコンパクトさ(小型軽量化)を競うために一眼レフより遥かに小さなイメージセンサーを搭載し、それによる画質低下については口にしないようにして、センサーのサイズはそのままでピクセルピッチだけを極小化して画素数を稼ぐという高画素化を盛んに宣伝した。また、画質低下を補うか、もしくはそれを気にせずに済むようないろいろ便利な付加機能をどんどん増やすことを競い合った。カメラ屋の店員に聞くと「画素数が大きければいいってものでもないんですね」といった言い方をすることがあるが、それはこのことなんですね。SIGMAは、こういうのはおかしいんじゃないか、と。それで、一眼レフ並みの大型イメージセンサーを載せて、なおかつ1つのピクセルで光の3原色とりこむことの出来るFoveonX3を採用して、あくまで画質にこだわる姿勢を鮮やかにした。

 私は初めて知ったのだが、SIGMAの説明によると「ほぼすべてのデジタルカメラのセンサーは、基本的にはそれだけでは色を取り込むことができないモノクロームセンサーであるということをご存じでしたか? センサーは色情報を取り込むことができないので、センサー表面にRGBの3原色を規則的に配置したカラーフィルターを配置して、水平方向に色を記録しています。......1ピクセルで1色しか取り込むことができず、その他の2色情報は切り捨てられてしまいます。......後段の画像処理工程で『デモザイク』と呼ばれる色の補完処理を行って、各ピクセルが失った色を復元させています。この補完処理は、基本的に隣接するピクセルから失った色を推測で取り込むことによって行われています」と。

 これって、すごい面白い。いくら高画素化しても、普通のコンデジでは1ピクセルで1つの色しか捉えられず、グリーン2ピクセルに対して青と赤が各1ピクセルの計4ピクセルでようやく擬似的・推測的に元の色を再現しようとしていることになる。さらに、普通のコンデジの色処理では「デモザイク」処理をする際に「偽色」といって被写体とは関係のない変な色が出ることがあって、それを防ぐために普通のコンデジではレンズ構成にもう1つのフィルターを挟み込んでいて、それが余計に解像度を落としていると言う。こんなことって知らないですよね。SIGMAが近接的とはいえ異分野から独自コンセプトを持って既存カメラ業界に殴り込んで来たことで、こういうことが浮き彫りになったのである。

12月5日(日)

 終日鴨川。午後、ラグビー早明戦をTV観戦。快勝。

12月6日(月)

 早稲田授業。夜、京都へ。

12月7日(火)

 朝ホテルから東海ラジオ。京都造形大の授業。13時に家内と落ち合って東山の「對龍山
荘」へ。これは東山一帯にいくつもある金持ちの別荘の一つで、去る11月にニトリが買い取って、似鳥社長から「見に行ってくれ」と案内があったので、またとない機会だと思い見学させて頂いた。

 夕方から嵐山の割烹「おきな」へ。日本古来の「旬」とは何かを本当に体験したかったら、この店に月一度、通うことをお勧めします。

12月8日(水)

 京都で朝時間がある時は、イノダコーヒー本店でコーヒーとサンドイッチのブランチ。13時前に京都を出て掛川へ。15時から掛川法人会で講演。東京駅からバスで帰宅。

12月9日(木)

 15時から東京国際フォーラムで「青果物流通研究会」の総会で講演、有楽町ビル地下の居酒屋で忘年会、さらにそのあと銀座の昭和レトロ風パブで2次会。この会は、青果物卸「松源」グループの鹿間茂さんが中心になって全国のヤル気のある青果物流通業者・生産農家を集めて故・藤本敏夫と一緒に議論するということで始まったもので、藤本の死後は、こうして私が年末の総会の折に講演して忘年会にも付き合うのが恒例となっている。酩酊して東京泊。

12月10日(金)

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 千葉県長生郡の芝原人形作家=千葉惣次さんの作品展の日なので、早朝東京を出て帰宅、車に家内とその妹を乗せて笠森観音近くの会場に急ぐ。芝原人形は、江戸〜明治期に盛んに作られた素朴な泥人形の郷土玩具で、一時途絶えていたのを千葉さんが復興して4代目を継いでいる。今頃に正月飾り、2月にお雛様と、年に2回しか作品展をしないため、開館前から並んでいいものや目新しいものを買い占めてしまう熱烈ファンが何人もいるので、早めに行かないと棚が寂しくなってしまうのだ(写真は干支の正月飾りの展示)。

 最初は3年前だろうか、作品展が開かれることを新聞で知って訪ね、以来ほぼ欠かさず作品展には行っているので、我が家にもだいぶ人形が増えた。


2010年11月18日

高野孟の遊戯自在録010

更新が飛び飛びになりすいません。一挙に約1カ月分を掲載します。

10月7日(木)

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 8時25分の高速バスで上京、午後に大阪でアリコジャパンの講演があり日帰りして、品川のホテル泊。新幹線往復とホテルの部屋で池上永一『トロイメライ』(角川書店)読了。池上は沖縄出身の作家で、前作の『テンペスト』は、滅亡の淵に立たされた琉球王朝の王宮内の葛藤や陰謀や倒錯を幻想的に詠い上げた傑作だったが、この新作はその続編というのか姉妹編というのか、同じ時代を那覇の市井の賑わいの側から見た人間模様で、前作の主要人物がチョイ役でチラチラ出てくるのが面白い。『テンペスト』はこのほど角川文庫に収録され(全4巻)、また舞台化が決まり、来年2月に東京・赤坂ATCシアター、3月に大阪・新歌舞伎座で上演される。http://tempest2011.jp/index2.html




10月8日(金)

 9時半から赤坂のスタジオで収監目前の鈴木宗男さんを迎えてJFNのラジオ収録。相変わらずの意気軒昂。最後は、これでしばらくお別れということで、「じゃあ行ってらっしゃい、と言ったらヤクザ映画みたいですが」と冗談めかして送り出したものの、心中はしんみりとした気分だった。東京泊。

10月9日(土)

 朝7時から北海道放送の中村美彦の番組に電話出演。8時50分東京発のぞみで広島へ。14時から広島の青年税理士クラブ設立40周年記念の公開講演会で、リーガロイヤルホテルに500人ほどが集まった。アメリカの"カネがカネを生む資本主義"が破産して行き先不明に陥っている中で、日本は額に汗して働いて新しい価値を生み出す"モノづくり資本主義"の王道を進むべきだ、という話をした。

 夕方に新川町のカウンター割烹「白鷹」へ。ここは、十数年前に広島本拠の家電量販店デオデオの創業50周年だったかのイベントが広島と岡山であって、私と草笛光子さんが呼ばれて、その時に夕食に連れて来られたと記憶するが、とても丁寧な包丁さばきに感心してその後何度か一人でぷらりと寄ったり、広島の知人を連れて行ったりして、そうは言っても年に1回も来ることはないというのに、お店の親父も若女将もよく覚えていてくれて歓待してくれるのが嬉しい。脂の乗ったアジと今が盛りのカワハギが美味しく、またここの定番のウニとホウレン草の炒め物が大好きで、堪能した。

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 昨日の午後から今夜にかけて、冲方丁(うぶかたとう)『天地明察』(角川書店)読了。徳川第4代家綱の時代に、800年続いた中国由来の暦がさすがに狂いを隠せなくなっている原因を科学的に解明して、守旧派官僚の抵抗を押し切って日本独自の太陰暦を創造し採用させるという大転換を成し遂げた、棋士にして数学者・天文学者の渋川春海の波乱の生涯を描いた小説。大陸文化の受容と日本独自の創造との間にどういう弁証法が働いているのかが見えてくるところが凄い。

10月10日(日)

 7時に広島を出て帰京。早稲田の高野ゼミ1期生で総務省に入ったNaが、来年からイギリスに留学することになったので、推薦状を書いて貰いたいと言って来たので、品川駅で会った。「そんなもん、書いている暇はないから、お前が自分で書いて持ってくればサインするよ」「分かりました」と。高野ゼミ1期というのもなかなかで、今NiとUの2人が本サイト=ザ・ジャーナルの薄給の編集スタッフ、上記Naは総務省、Kaは外務省で現在海外で研修中、Suは都下で市会議員立候補をめざして活動開始という具合で、波乱に満ちた人生を選んでいるのがいいですよね。

 夕方、繁茂しすぎた道路際の笹藪&葛蔓の整理。笹藪を伝った葛が2本の櫻に纏わり付いているのを断ち切るなんてことが、急斜面で足場が取れないので案外大変で、草刈り機、鉈、高所用鋸、脚立などを動員して2時間もかかって何とか処理した。

10月11日(月)

 今日は祝日で早稲田の授業はお休み。朝から昨日の続きで笹藪と櫻の木の周辺を綺麗にする。昼前に家内共々、車で都内に出て孫のところへ。夕方まで過ごして新幹線で京都へ。

10月12日(火)

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 京都造形芸術大学の授業の後期前半は、李御寧の名著『「縮み」志向の日本人』(講談社学術文庫)がテキスト。今日はまだ学生らが同書を読んでいないというか手に入れていない様子なので、第1章について私が要約してポイントを伝える。来週、少なくとも第2章までは読んで来いと言ったが、果たしてどうなんだろうか。

 午後は「ミヤネ屋」。もっぱらチリの鉱山事故の救出作戦の話題。帰京。大下英治『菅直人 総理の野望/小沢一郎との死闘』(KKベストセラーズ)読了。大下の取材を受けたので、私の証言(?)もちょっとだけ出てくる。





10月13日(水)

 終日鴨川。家内は同窓会の用事があるとかで、夕方戻ったら栗ご飯を炊くからと言い置いて東京に出掛けた。ということは、栗拾いをして皮を剥く面倒は私に押しつけられたわけだ。さずがに栗も終わりで、大粒のを2キロ近く拾い集めてから樹を見上げると、もうほとんど毬(いが)は樹上に見当たらない。熱湯で3分間茹でて冷めないうちに剥けば、厚皮は簡単に取れるが、中の渋皮はとんでもなく手間がかかる。30分で終わるつもりが1時間以上もかかってしまった。「でも、その苦労をしたから余計に栗ご飯が美味しいのよ」と涼しい顔で言う家内...。

 それにしても、栗は放っておいても毎年よく成るが、2本の渋柿は去年も今年も10個くらいずつしか実が付かない。一昨年は山ほど獲れて、それで柿酢を作って上手に出来たのだけれど。

10月14日(木)

 終日自宅雑用。夜、藻谷浩介『デフレの正体』(角川書店)読了。日本経済が巧く行かないことを専門家があれこれと複雑に説明するけれども、要するに人口の波が経済の元気を決めているのであって、そこが分かれば難しいことは何もないと言う。分かりやすい。

10月15日(金)

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 終日自宅。買い物に出たついでに、近所に「ぼけよけ地蔵」というまことに有り難い小さなお堂があるのに近頃お参りしていないことに気づいて、立ち寄ってお賽銭を投げてきた。

10月16日(土)

 朝から芝生の手入れ。今年は夏の猛暑で到底外に出ることが出来ずろくに手入れもしてやらなかったので、これはブラウンパッチかイエローパッチか象の足跡か、まさに象に踏み荒らされたように直径数十センチほどの円形の枯れ跡がだんだん広がっていく病気が出てしまって、かわいそうなことをした。丁寧にバリカンを入れ、熊手でサッチ(刈った葉)を掻き集め、人が歩いて土が硬くなったところはスパイクで穴を開けて根を切り空気を送り込むようにして、さらに全体に肥料配合の目土を撒いて均すという作業で、大した面積でないのにほぼ1日掛かりである。

10月17日(日)

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 7時25分の高速バスで上京、日比谷公園で「土と平和の祭典」なので、発案者の加藤登紀子さん、実行委員長のヤエちゃん、明治学院大学教授&なまけものクラブ代表の辻信一さん他と共に開会式に列席、恒例の鏡割りをやって朝から樽酒でご機嫌。ブースには鴨川自然王国やご近所の岡田夫妻なども出店していた。写真は開会式の後、樽酒を振る舞う登紀子さん。

 13時から早稲田大学創立125周年のホームカミングデーのイベントで、田原総一朗、見城美枝子、私でトーク。大隈講堂がほぼ満席になっていた。終わって外に出ると、ちょうど同講堂前広場の特設ステージで、我が高校同級生にしてブラスバンド仲間の外山喜雄(トランペッター)が自分のバンドを率いてデキシーランド・ジャズの演奏。そこへ司会役のタモリが飛び込みでトランペットを吹くというハプニングも。タモリは「モダンジャズ研究会」OBだから、デキシーとはまるっきり合わなかったな。

 明日はどうせ早稲田の授業なので、今日は早稲田のホテル泊まり。鶴巻町に「山水」というとてもいい寿司屋があるのでそこで一杯飲んで早寝。

10月18日(月)

 高野ゼミは今日から「地域主権国家」論について学生が分担して発表を行う。午後の大隈塾授業、夕方のジャーナリズム大学院ゼミを終えて京都へ。

10月19日(火)

 京都造形芸術大からミヤネ屋へ、そして夜は大阪高野塾と懇親会と、関西で目一杯の1日。

10月20日(水)

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 早朝大阪を出て帰京。車中で若倉雅登『目の異常、そのとき』(人間と歴史社)読了。若倉先生は、神経眼科が専門で、日本で最初の眼科専門病院とされる東京・お茶の水の井上眼科病院の院長。私は何年か前に、目薬の新製品のキャンペーン企画で先生と「目と健康」についてweb対談をしたことがあって、目を狭く捉えるのでなく脳や体全体との関係で広い視野から見ていくという視点に大いに共感した。著書も多いがこれは最近お送り頂いた最新のエッセー集。勉強になった。

 知人から若狭湾の超高級干物が送られてきたので、家内が通販で衝動買いしたTIGERの最新型魚焼器を初めて使ってみたが、これは驚くべき優れもの。どういう原理なのか分からないが煙が全く外へ出ないし、焼き具合もカレイがうっすらきつね色に仕上がって美しい。

10月21日(木)

 夕方、事務所に「サンデーフロントライン」の取材。「仙谷由人とは?」についてしゃべれと...。そのあと近くの蕎麦屋「更級堀井」でスタッフの飲み会兼打ち合わせ。東京泊。

10月22日(金)

 北九州に飛んで、14時から市主催の「地域主権」講演と市長を交えてのシンポ。20時羽田着、帰宅。

10月23日(土)

 13時から名古屋で中日文化センターの講座。習近平次期首席と中国幹部の世代論を話した。

10月24日(日)

 午前中、懸案となっていた水の浄化装置とタンクの清掃。ご近所のKaさんとKoさんが手伝いに来てくれる。と言うか、浄化装置はKaさんの設計並びに製作なので微妙な調整は彼にやって貰うしかないのだ。

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 午後からはKoさんと共に東隣の放置された荒れ地の草刈り。これは草刈りなんてもんじゃなくて、野バラと茅と葛ががんじがらめに絡んで2メートル余りの壁のようになって近づくことも出来なくなっているのを切り開いていく作業で、(1)まず縦に切り込みを入れて蔦と枝の絡み合いを分断して、(2)次ぎに横に払って枝を切り崩していって、(3)バラの根元に刃が届くとこまで行ったら、太さ10センチくらいまでならそのまま草刈り機で叩き切って倒し、(4)さらにバラや葛の根が地中を縦横に走っているのを泥や石もろともめくり返すように掘り上げていって、(5)それらを後で燃やしやすいようにフォークやレーキで5メートルほどごとに山のように積み上げていく----ので、その辺の雑草刈りの3倍か5倍くらいの体力と技術が要る難作業。これをやっていて、私は刈り払い機のポールがボッキリ折れたことが一度、Koさんはアルミ製のハンドルを折ったことが三度もある。写真奥に見えるのがまだ刈っていない藪。これを右手前のように刈り上げて、中央のように積み上げていく。このあとさらに、枯れ枝・枯れ草に火を着けて燃やしながら、周辺にもう一度草刈り機をかけ、また鉈やシャベルなどを使って根を掘り出していく。

 終わって、Koさんと共に近所の韓国料理屋「味家」さんへ。ご近所の知り合いが何人もいて地元話題で盛り上がる。

10月25日(月)

 午前の早稲田ゼミは、地域主権国家論の学生発表の続き。午後の大隈塾授業は、今日から「元気な女」シリーズ。第1回の今日は、辻元清美。京都泊。

10月26日(火)

 毎週火曜日の朝7時半は東海ラジオ「モルゲン・ジャーナル」に電話出演。今日は京都のホテルから。朝食後、京都造形芸術大の今日の授業のためのpdfを作ってメールで送り、10時過ぎホテルを出て同大へ。

 今日は「ミヤネ屋」がないので、久しぶりに芦屋の「タバタデンタルクリニック」の田畑勝彦先生のところへ。以前は、半年に一度ほど何もなくても通って歯の点検と清掃をして貰っていたのだが、鴨川への引っ越し大騒動を境に何となく足が遠のいて間が空いてしまったので、元のペースに戻さなければならない。

 田畑先生は、5〜6年前だろうか、歯の具合が良くなく困っている時に「歯医者だったらこの先生に限りますよ!」と芦屋に住む友人に紹介されてお訪ねし、その明るい人柄、診断と治療方針について明快な説明をしてくれる説得力、さらに個人病院でありながらインプラント治療、レーザー治療、オールセラミック技工などの高度技術、矯正歯科や審美歯科の機能をも院内に備えていて、歯の健康から美容までをトータルに面倒見てくれるその総合力にすっかり感心して、以来お世話になっている。

 最初にお会いしたときに、私はこんなお話しをした。田原総一朗さんが60歳になったときに酷い便秘状態に陥ってものが食べられず痩せてきてしまって、「癌じゃないか」と3週間も内科検査をしたのに何も出ない。「神経性内臓機能不全」という全く無意味な病名のまま退院することになり、その前に、検査データを持って内科以外の全部の科を回ってくれと院長から言われて、歯科に行った。すると先生が「田原さん、近年、歯をいじったことはありませんか」と聞く。「あります。去年、インプラントを2本入れ、それ以外も全部治療したんだが、あまり具合が良くない」「どれどれ...」ということで、結局、何百万円もかけたその歯の治療が巧く行っておらず、特に全体の噛み合わせが狂っているために、食べる度に起こるストレスが内臓に打撃を与えてきたという病の構造が明らかとなった。歯がおかしいと、頭痛になったり、酷い肩こりになったり、田原さんのように内臓が弱ったり、出方は人によっていろいろだが、原因不明の病の元が実は歯だったということはままあることなのだ、と。で、歯を全部直して内臓も治った。どうも日本の歯医者は、一本一本の歯を治すのは職人技的に巧くても、歯並びとか噛み合わせとなると「それは矯正歯科を紹介しますからそこへ行って下さい」ということになったり、歯の具合と他の病との関係を全く視野に入れていなかったり、縦割りに分断されていて、歯を中心とした健康のあり方をトータルに指導してくれることが余りに少ないのではないか。何年か前にある経済人にその話をしたら、「その通りで、自分は歯医者で酷い目に遭ったことがあるので、以来、ぜいたくなようだがアメリカの歯医者に行っている」と語っていた、と。

 田畑先生は、まったく同感で、だからこのクリニックは、この狭いところに、例えば技工室を2つ設けて常勤の技工士を2名置くなど、可能な限りの総合性を追求していて、それは患者の側に立って歯を中心とする心配事や悩みはなんでも相談に乗りますよという意味なのだとおっしゃった。それですっかり意気投合してしまったのだった。元プロ野球選手の新庄剛志も先生のファン&患者で、彼のトレードマークの真っ白な歯も、打撃の際に激しく噛みしめて壊れることがある奥歯の入れ歯も、先生の言わば"作品"である。先生が4年前に『今いる場所で、一流になれ』という本を出版した際にも、新庄選手は表紙の帯に写真入りで登場して激励の言葉を述べていた(そう言えば、新庄は近頃どうしているのかなあ)。

 関西方面でいい歯医者を探している方、今の歯医者に不満や疑問がある方は、是非、田畑先生のところをお訪ね下さい。近く私が本サイトで始めることを計画中の「ドクターたちとの対話」シリーズにも登場頂く予定です。

※タバタデンタルクリニック http://www.tdc.gr.jp/

10月27日(水)

 午前中、隣の荒れ地のうち前に草を刈ったごく一部を焼却し、仕上げ刈りをする。24日に書いたような具合に切り開いた藪は、そのままでは汚らしいので、枯れ草を山火事にならないようコントロールしながら燃やしつつ、回りをレーキできれいに掻き集めて火に投げ入れて、そこまでするとようやく地面が見えてきて、残った草株や根っ子や枯れ枝の堆積などが視認できるので、もう一度草刈り機で地面を引っ掻くようにして仕上げていく。またこれでようやく、埋もれていた地崩れ防止用の排水溝も全貌を現してくるので、溜まった泥や枯れ葉をシャベルや鍬で取り除いて水が流れるようにしてやる。不在地主がこのように、何十年でも土地を放置し荒れ放題にしているのは本当に迷惑で、特にこの隣地は昔、地崩れを起こしたことがあって、排水溝などを泥に埋まったままにしておくのは危険なのだ。

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 午後、上京して八王子で日本生命の講演会。夜、帰宅。往復で安田登『身体能力を高める「和の所作」』(ちくま文庫)読了。著者は、能楽師にして米国の身体運動理論"ロルフィング"の公認トレーナーという面白い肩書きの人で、能に代表される日本古式の身体作法や呼吸法に科学的な光を当て、それを子供たちの教育に役立てるなど活動をしている。私はこういう方面にはかなり詳しくて、自分の健康法としてもいろいろ採り入れているが、「大腰筋」という深層筋を鍛えることが肝心で、それには簡単な鍛え方の方法があるという話はまことに新鮮だった。

10月28日(木)

 終日鴨川。

10月29日(金)

 終日鴨川。雨で外に出られないので、来週に予定された大学授業3つ、帯広での講演、鴨川での帰農塾講義のレジュメを一気に作る。どんなレジュメも前夜か当日朝にバタバタやるのに、こんなこともあるんだ、と自分で感心した。何でも早めにすれば気持にゆとりが出て、いいものだ。

 知人のTさんから電話で「1月の新春浅草歌舞伎、どうする?」と。相談の上、例年のごとく中高年遊び仲間10人ほどで昼の部の切符をとって、そのあと蕎麦屋「十和田」で宴会ということにして、十和田のおかみさんに頼んで手配を完了、写真入り案内状を作製してメール配信した。浅草歌舞伎は毎年、若手が思い切って大きな役に挑戦してのびのびと演じるので人気が高く、すぐに完売となってしまうので、おかみさんに頼んでおかないと10枚もまとめて買えないのだ。

10月30日(土)

 夕方から千葉の幕張で「大地を守る会」35周年のパーティがあるので張り切っていたが、大型台風の首都圏接近で房総半島も激しい暴風雨。高速道路の運転も危険かもしれないということで、出席を見送った。

 夕方、成毛真よりメールあり、明日の国際孔球会のゴルフコンペは中止と。これも張り切っていたんだが、残念。「孔球」とは中国語でゴルフのこと、「国際」は何の意味もない形容詞、実体は北川正恭=元三重県知事が知事を辞めて東京に出てきて「遊び方が分からない」と言うので、成毛や私らが作ってやった遊びの団体。北川も、昭和19年生まれの「一休会」のメンバー。

10月31日(日)

 台風は去って薄日がさして、これならゴルフは出来たなあと今更ぼやいても仕方ない。

11月1日(月)

 早稲田の授業の後、車で帰宅。館山道の鋸南保田ICを下りて長狭街道を進行中、物陰から急に車が出てきて、至近距離だったので慌ててハンドルを切ったら、濡れた路面でスリップして、反対側のガードレールに車の右前部をぶつけてしまった。こちらがビックリしてハンドルを切りすぎただけで、相手の車と接触していないので、向こうは「驚かしてすいませんでした」と言ってはいたが、私の自損事故ということになる。

 今日の日経「第二部」は、焼酎特集。この日が「本格焼酎・泡盛の日」なんだそうで、12ページに及ぶ別刷PR版。ソムリエで知られる田崎真也が登場して「普段よく飲むのは焼酎」と語っているのが面白かった。

 朝日の別刷「THE GLOBE」は「魚とつきあう」特集で、朝日の経済部→北米総局長→論説委員で定年を迎え、敢えて「さかな記者」をやりたいと言って石巻支局長となった高成田享が健筆をふるっていて懐かしかった。彼の最新本は、『こちら石巻さかな記者奮闘記』(時事通信社)。

11月2日(火)

 今日は京都の大学は学内行事で授業はなし。ミヤネ屋もなし。朝早く東海ラジオを済ませた後、車を修理に出したので、普段は地元でしか使っていない軽4輪で東京へ。18:00新橋の「酔心」で大下英治と会って食事をしながら取材を受ける。仙谷由人官房長官についての本を出すんだと。この人は、週刊誌のトップ屋出身らしく今話題の人や出来事について、まだ話題が消えないうちに単行本にして出してしまうという、早書き芸で勝負している珍しい物書きだ。彼も昭和19年生まれの「一休会」の仲間で、ここ「酔心」は、広島出身の大下が最初は車のセールスか何かをやっていた時代に給料日にはちょっとだけご馳走を食べたという思い出の店なんだそうで、彼に呼び出された時は必ずここと決まっている。飲んだので東京泊。

11月3日(水)

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 昼前の飛行機で帯広へ。「ランチョ・エルパソ」の平林夫妻が迎えてくれて、そのまま大樹町の手作り農家チーズ工房「半田ファーム」へ。昭和初めから続く牧場で、今のご主人の半田司さんは3代目。15年ほど前から奥さんと一緒にチーズづくりに取り組み、試行錯誤を経て13年ほど前から販売開始。160頭の乳牛を出来るだけ自然放牧に近いやり方で飼って、健康な牛乳を生産するところから始まる本物のナチュラル・チーズは、たちまち大評判で、NHKの番組になったり、楽天やANAなどのe-shopにのったりしているが、ご本人は慌てず騒がずのマイペースで「まあ、ゆっくりやろうや」という感じ。工房の2階のティールームと呼んでいるショップ兼カフェを私がお訪ねするのは1年ぶりか2年ぶりで、「やあ、お久しぶり」と挨拶を交わすか交わさないかという間にもう「このワイン、ちょっと飲んでみてよ。このチーズと合うでしょ」となって、まだ日の高い2時だというのに宴会状態に。


 と、さきほどから向こうのカウンターに坐って子供2人を遊ばせていた若い人がスッと立ってきて、「平林さんですよね。私、柏台牧場の相馬です」「あっ、そうだよね」と、お互い名前と評判はよく知っているがじっくり会って話したことがなかったという関係らしい。半田さんが「この人は、相馬行胤さんと言って、本当に相馬藩の殿様の家柄なんだ。この奥で、父親の代から肉牛牧場をやっている」と説明する。「ヒエーッ、恐れ入りました」と。本人は照れる風もなく「トノサマ・ビーフ」というブランド名を記した名刺を出して、「ええ、私が34代目です」とニコニコしている。前々から、合い挽き肉を使ったハンバーガーくらい何が入っているか分からない怪しいものはなく、是非とも自分のところで育てたビーフ100%のバーガーをもっと多くの人に食べて貰いたいと思って、今年はついに「トノサマ・ビーフ号」という移動店舗を作ってイベントなどへの出張販売を始めたのだという。


 平林=豚、半田=乳牛、相馬=肉牛とそれぞれではあるが、出来るだけor全く家畜にストレスをかけないで育てようという思いで繋がっている3人が、たまたまここで一緒になって、そこにまたどういうわけか私がいて、「阿蘇の産山村に井信行さんという凄い肉牛飼いがいて、通年放牧は前からやっていたが、今回、何年もかかって、輸入飼料を一切使わずに自分らで作った小麦やトウモロコシや米粉で育てる方法を確立した人がいて、今年2月にはその試食会を銀座でやって、菅直人も来たんだ」みたいな話をすると、相馬の殿様が「え、100%。それは凄いな」と興味を持ったりするという、まことに面白い大樹町の午後となった。

 相馬さんの自慢のステーキ肉をお土産に貰って、帯広市内の「ランチョ・エルパソ」へ。6時から、昔からの私の知り合いや、今年4月の帯広市長選に関わった何人かが集まって飲もうという話で、そこへ、石川知裕衆議院議員も姿を現すことになっている。石川さんは明日に後援会の大きなイベントを計画していて、その講演者として私が呼ばれたというのが、そもそも今回の帯広行きの趣旨で、それならばと前日入りしたというわけなのだ。

 まずはトノサマ・ビーフを試食。旨い。ほぼ自然放牧で、変な栄養剤やホルモン剤や抗生物質などを投与しないで、ここまでナチュラルでありながら、ほどほどに脂が乗った、柔らかい肉が作れるのか、と。ウーン、どう考えたらいいのか。産山村の肉は、ゴリッとしていて、それでいて深い味わいがあって、「あぁ、牛肉とは本来こういうものだったのか」と思い知らされるが、このトノサマ・ビーフはそれとはまた違って、別の価値観を突きつけて来る。

 フラフラに酔って、駅近くのホテルへ。帯広のホテルや旅館がいいのは、天然温泉付きのビジネスホテルがあって、しかもその温泉が「モール温泉」と言って、火山系ではなくて、太古の植物の堆積物が地下で自然発熱して湧き上がってくるという世界でも何カ所しかない珍しいもので、このほとんどコーヒー色の繊維混じりの柔らかなお湯が私は大好きなのですね。今日は初めて泊まった「ドーミーイン」という新しいホテル。大浴場や露天風呂もなかなかよかったです。

11月4日(木)

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 二日酔い状態を朝風呂で克服、ややもして平林夫妻が迎えに来て、市内から南へ約30分、拓成の彼らの自宅兼牧場に豚どもに会いに行く。いや凄いですよ、何万坪だかの林間に800頭の豚が走り回っていて、私らが柵を越えて入っていくと、何か美味しい餌でもくれるかと思うのか、ブーブーと擦り寄ってきてズボンなどたちまち泥だらけになってしまう。

 5時半から石川議員後援会の資金パーティ。600人だかの会場が満杯の盛況で、廊下で会う人たちの中にも「小沢一郎がどうなろうと、石川は十勝の希望ですから、頑張って貰わないと」と熱く語る爺さんがいて、石川議員もなかなかいい地盤を培ってきたんだと感心した。最終便で帰京。

11月5日(金)

 地元で、午前に鴨川自然王国「帰農塾」今年第4回の開講式、午後からは私の講義で「森」の話。森と川と土と田と畑と海という繋がりについて話した。

11月6日(土)

 朝5時15分に家を出て「四行会ゴルフ」へ。この四行会というのは四半世紀を超える長い歴史があって、私が38歳の時に仕事のし過ぎと酒の飲み過ぎで肝臓がおかしくなって背中に激痛が走って倒れるという事件があり、3カ月間の鍼治療で一応治ったのだけれども、そんなに仕事をしてそんなに酒を飲んでいたのではすぐ再発して死にますよ、少しは体を動かすことをしないと、と医者に言われた。そう言われちゃいましたよという話をしたら、当時三和銀行の広報担当のSさんが「じゃあゴルフをやりましょう」と言い出して、「エーッ、私はゴルフはちょっと主義主張とも趣味嗜好ともかけ離れていて...」とか言って渋っていたのだが、早速、翌日昼にSさんから事務所に電話が掛かってきて、「高野さん、いま財布に3万円ありますか」と。「あ、丁度3万円ありますけど」。「じゃ、お迎えに上がります」。ン?と思っているうちにSさんが黒塗りの車で、当時神保町の当事務所に乗りつけて来て、「はい、今から御徒町のロイヤルゴルフに行きます、当行御徒町支店の優良顧客ですので、何の心配もいりません」と拉致される。そのロイヤルゴルフで、ドライバーなどウッド3本とキャディバッグと靴と手袋を買うと、何と丁度3万円。アイアンは、Sさんのお古のSportingのセットを貰ったので、それをバッグに収めて、一応形が出来た。「あれよ、あれよ」という思いだが、Sさんは手際がよくて「はい、これで道具は揃いましたから、今から芝ゴルフ練習場に行きます」「はい、打ってぇー!」みたいなことで、私の望んだわけでもないゴルフライフは約30年前に半ば強制的に始まってしまったのだった。

 で、そのうちにSさんの三和はじめ住友、富士、東海の都銀4行の広報担当と、私らインサイダー周辺の記者4人で年に1〜2度、ゴルフをやろうじゃないですかということになって、「四行会」というものが始まった。銀行の側は、合併に次ぐ合併で変遷があったし、また各行の広報担当は3年か5年で交代するのですでに10代を超える人事の通過があっただろうが、私ら記者の側にはほとんど変わりがなく、今日まで続いてきたのである。記者側では、最初から変わらないのは私、日刊ゲンダイの元は編集長で今は社長の下桐治、インサイドラインの歳川隆雄かな。後一人は多少変遷があったが、ほとんどの期間は元週刊ポスト編集長の坂本隆だろう。私も、近頃はゴルフも年に数回というところなので、ゴルフ場に行ってバッグを開けるとクラブのグリップにカビが生えていたりして、まあ不熱心なことこの上ないが、それでも今日は、30〜60歳代までいる8人2組で私が最年長でありながら、4つのドラコンのうち2つを私が獲得して(スコアはともかく)気持のいいゴルフだった。どういうことかと言うと、私は近頃は年に数回しかゴルフをやらないけれども、普段から農林作業で足腰を鍛え続けているので、毎週のようにゴルフをやっている彼らよりも飛距離が出るのである。

 夕方鴨川に戻り、帰農塾の焚き火を囲む飲み会に参加。酔っ払い運転で帰宅(したらしい)。

11月7日(日)

 終日鴨川で雑用。

11月8日(月)

 早稲田授業のあと京都泊。

11月9日(火)

 京都の授業では、李御寧『「縮み」志向の日本人』第3章で、自然を縮小して目の前に配置する「庭」について述べているところを採り上げて、それと岡本太郎『日本の伝統』第4章「中世の庭」を重ね合わせて、「庭」と日本人について論じた。学生が付いて来ているかどうかは分からないのだが、そんなことはどうでもよくて、私は自分が興味のあることを勝手にしゃべっている。

 帰京し、東京駅で家内と合流して勝鬨の第一生命ホールで「ショパンの愛したプレイエル・ピアノ」コンサート。私が以前に本欄で、横山幸雄のショパンが素晴らしかったという話を書いたことがあり、それを読んでいて頂いたTHE-JOURNAL常連らしい静岡文化芸術大学文化政策学部の小岩信治准教授から、「横山ショパンとはまた違う世界をお聴かせできると思います」という丁寧なお誘いを頂いたので、チケットを求めて行くことにしたのだった。プレイエルというのは、ショパンがパリで過ごした時代のピアノ・メーカーの名で、今回は1830年製という骨董品的なピアノを小倉貴久子が弾き、それに5人の弦楽が付くというしつらえで、そのピアノのくぐもったような音色が、弦楽器の音色とマッチしてなかなか良くて、大いに楽しみました。

11月10日(水)

 終日鴨川。図書新聞から前田和男『民主党政権への伏流』の書評を頼まれていたので、午前中はそれで潰す。原稿の全文は以下の通り。
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 これは本である。図書新聞が扱うのは本に決まってるよと言われそうだが、いや、これは久しぶりに出会った本らしい本である。第一に、厚い。六百五十ページ弱、約五センチ。本棚を眺め渡しても、辞典類を除いてどれよりも厚く、圧倒な存在感がある。第二に、中身が濃い。帯の謳い文句にあるように「民主党政権はどこへ行くのか!?/十人の『伏流』たちの証言から日本政治の行方を見定める」というのが本書の趣旨である。昨夏の民主党政権誕生という一大奔流は、実は、過去二十年間に起きたたくさんの挑戦や試行錯誤や挫折を「伏流」としてそれらが大合流する形で湧き起こってきたものであり、そのそれぞれの伏流を担った、どちらかというと余り有名でない、裏方や事務方、仕掛け人、あるいはすでに舞台から去った元政治家といった人びと十人を選んでインタビューすることを通じて、「民主党政権とは何か」を浮き彫りにしようとした。自民党独裁を倒そう、社会党を政権の獲れる党にしよう、その見込みはないから新党だ、いや党ではなく新しい市民政治運動だ......十人にはそれぞれの熱い思いがあり、その時々に全人生を賭けてそのことに取り組んだ。多くは果たされなかったその思いの深さを掴むには、インタビューは執拗かつ徹底したものにならざるをえず、だから本が厚くなった。
 十人の顔ぶれはこうだ。学生運動からシンクタンク創業、土光臨調を経て細川護煕の日本新党のビジョンづくりを担った金成洋治。新党さきがけから衆議院に当選し村山内閣の「首相補佐」を務めた錦織淳。銀行マンから椎名素夫の公設秘書、選挙プランナーを経て大前研一の「平成維新の会」の事務局長になった三浦博史。仙谷由人らと共に一九九〇年総選挙で当選し社会党内に「ニューウェーブの会」を作った松原脩雄。社会党左派の論客で同党の「体質改善」=現実路線への転換に尽くした高木郁郎。社会党田辺書記長の特別秘書として政党の枠組みを超えた知事の連合、いわゆる「殿様連合」を仕掛けた仲井富。社会党の地域活動家から党本部職員、村山首相の首席秘書官となった河野道夫。学生運動、タクシー運転手から海江田万里の秘書を経て「日本版オリーブの木」運動の仕掛け人となった若尾光俊。社会党改革派のブレーンからローカルパーティ「東京市民21」の代表委員となった住沢博紀。そして、民主党の直接の源流となった「リベラルフォーラム」の事務局長の松本収......。こうして並べると、名前を聞いたこともないという人も混じっているかもしれない。誰でも知っている著名人にではなく、現場で苦労を重ねたスタッフやブレーンにとことん話を聞くというその目線の低さが本書の厚みを支えていると言える。
 余談ながら、松本収の章には「リベラルフォーラム」の当初からのメンバーの一人として私の名前も出てくる。同フォーラムは、鳩山由紀夫と横路孝弘が言い出して、すぐに海江田、仙谷、それに唯一人の非議員として私が呼び込まれて九五年二月に始まったもので、最初の半年は秘密裏に、後の一年間は公然と、リベラルな新党を結成するための政策協議や組織工作がここを舞台として展開され、それが九六年九月の旧民主党結成に繋がった。そこに私が関わることになるのは、遡れば、ほぼ同世代である仙谷・松原らが作った「ニューウェーブの会」の勉強会に呼ばれたり、その延長で江田五月、菅直人らが加わって社会党乗っ取りを策した「シリウス」に参加したり、社会党=田辺委員長時代の安保政策見直し作業の諮問メンバーに入ったり、ジャーナリストとしての則をこえて新しい政治文化を作る運動に首を突っ込んできたからである。その意味では、私も「伏流」の一部を担ってきたわけで、だから余計に身につまされる思いで一気に本書を読んだ。
 読了してまず思ったのは「これを民主党議員全員に読ませなくては」ということだった。特に直近の衆参選挙で上がってきた「小沢チルドレン」などは、民主党がどんな経緯と思いの積み重ねの末にここまで辿り着いているのか、恐らく何も知らずにピーチク言っている。次ぎにマスコミの記者連中である。マスコミの短視眼と刹那主義は今に始まったことではないけれども、それにしてもこの一年余り、どうでもいい目先のことを針小棒大に取り上げて竹槍で突くように突き回す「民主党叩き」はほとんど常軌を逸している。なぜ政権交代が起こらなければならなかったのか、そこで生まれた民主党政権は確かに未熟で、私にしても見ていられないようなところもあるけれども、しかしどういう日本の将来を創り出そうとしているのか、大きな歴史の流れの中で国民が熟慮・熟議する材料を与えるのがマスコミの役目だろうに。特に若い記者は本書を読んで少しは無知を克服してほしい。
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2010年10月 8日

高野孟の遊戯自在録009

9月24日(金)

 台風の影響で風と雨が続く。
 
9月25日(土)

 今日は、名古屋の栄中日文化センターの月に一度の講義の日。民主党代表選、大阪地検特捜の大犯罪について話すつもりで、昨日のうちにレジュメも送っておいた。台風の影響がまだ残って風が強いので、一応出発前に確かめると、東京湾アクアラインは通行止めになっていない。万全を期して9時前に自車で家を出て30分余りでアクアラインの手前の袖ヶ浦ICまで行くと「強風 通行止め ここで下りろ」の表示が......。係員に「出る前に確かめたら大丈夫だったのに。いつから通行止めになったの」「今しがたです」「俺、10時半までに品川で新幹線に乗らなきゃいけないだけど」「私に言われても困るんです。すいません」「......」。

 今から千葉回り湾岸線で東京駅に向かっても、どうせこの状況で湾岸線各所も渋滞しているから到底間に合わない。電話して相談の上、今日は断念して、別途、補講を設けることにして、何かションボリした気分で家に引き返した。

 ただ、不幸中の幸いと言おうか、昨日来の風雨で栗が大量に落ちているのは間違いなく、それを放置して出掛けるのが気になっていた。ウチは庭(というより原野)の奥に天然の栗の大木が4本あって、放っておいてもよく実る。栗はイガが開いて地に落ちると、すぐに虫が穴を開けて入り込んだり、猿が来て綺麗に中身を食べてしまう。我が家には来たことがない(と思う)が、猪も両前足でイガを押さえつけて器用に栗を食べるという。アクアラインが止まったお陰で早めに栗拾いが出来てよかった。

 
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 今日が2回目の収穫で、バケツに3分の2、5キロほどだろうか。水に浸すと虫に食われたのは浮くからそれを取り除き、さらに浮かない奴でも虫食いのがあるので、よく見なければならない。残ったのは二百数十粒。水洗いして新聞の上に広げてよく乾かして、空気穴をたくさん開けたビニール袋に分けて詰めて冷蔵庫に入れると、1カ月から最長2カ月は風味を失わないと、村の婆様に教えられたので、その通りにする。

 実は今朝早く、出掛ける前に、車で7〜8分の主基(すき)地区で土木業を営むMさんから電話があり、「今日どうしてんの。鰻を獲ったから食べにお出でよ」「いやあ、残念。俺、今から名古屋なの。明日は?」「明日は俺がダメだ」という会話があった。それでMさんに電話をして、「アクアラインが閉まって名古屋に行かれなくて帰って来たから」と言うと、「じゃあ来なよ」。で、栗の処理が終わった後、16時半過ぎに貰い物の大吟醸を持って出掛けた。

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 Mさんは山遊び・川遊びの達人で、このあたりの川で天然の鰻や藻屑蟹を獲っては人を集めてバーベキュー・パーティで振る舞うのが趣味という、食べる側にとってはまことに有り難い存在なのだ。今日のメインは体重1.5キロ、牛乳瓶よりもやや太いほどの大鰻。これを炭火で焼くと、養殖物のフニャッとした感じとは異質の、肉も皮もしっかりとしたゴリッという歯ごたえがあり、しかも脂臭さが全くなくて美味しい。「皮が硬いって言う人もいるんだけどさ」「いやあ、このくらい歯ごたえがあるほうがいいよ」「養殖物に馴らされちゃっているのかな、俺たち」と、皆さん大騒ぎしながら味わった。したたか酔って、代行運転を頼んで帰る。

9月26日(日)

 終日かけて、明日から始まる早稲田の後期授業の計画を立案し、素材を製作する。

9月27日(月)

 8時25分発の高速バスで上京。10時40分からの高野ゼミでは、民主党代表選結果どう見るかをブチまくる。13時からの大隈塾授業は田原総一朗の講義、「何で君らは尖閣問題で中国はけしからんとデモをしないのか」と、例によって若者たちを挑発する。16時30分からジャーナリズム大学院の「新聞の読み方」演習。

 19時から六本木のカフェを会場に、十勝"どろぶた"試食会。どろぶたとは、帯広の著名レストラン「ランチョ・エルパソ」のオーナーである平林英明さんが自宅兼牧場で放し飼いで育てている自然そのままの豚で、こんな飼育方法を採っている養豚家は全国で何人もいないらしい。元はと言えば、今から15年ほど前に故・藤本敏夫に「帯広に面白い奴がいるから」と連れて行かれて牧場を訪れたのが最初の出合い。その頃は自宅兼牧場には豚はいなくて馬で、私はそこで北海道の原野を馬で走り回る楽しみを覚えた。が、そのうち馬牧場が豚牧場になって、平林さんの豚肉づくりの仕事がどんどん深化していくことになった。今日の試食会は、その1つの到達点を表すもので、これを機に我が「ザ・ジャーナル」でも新たに「ごはんず」というコーナーを設けて食の本物を追求して行こうと思っているのだが、その第1弾としてこの十勝どろぶたの「子豚オーナー制」募集を始めることにしたい。

 最終新幹線で京都へ。

9月28日(火)

 7時半東海ラジオ電話出演。10時40分、京都造形芸術大学のゼミ第1回。14時、大阪讀賣TV「ミヤネ屋」は、アントニオ猪木さんをゲストに迎えて、北朝鮮の最新訪問ビデオの大公開。番組後、京都に戻って、夕方に花見小路の「橙」で一杯。カウンターの隣が延暦寺のお坊様3人連れで、話が盛り上がった。京都泊。
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9月29日(水)

 朝に帰京し、『民主党政権への伏流』を書いた前田和男さん(9月18日参照)との対談を録画、ザ・ジャーナルに即掲載。

9月30日(木)

 終日鴨川。下の街道から我が家までの200メートルほどの砂利道の要所要所を整備。車が砂利や土を押しのけて轍の痕が出来て、そこに雨水が流れて段々凹みが深くなっていくので、年に2回はツルハシやレーキを用いて凸凹をならして、ついでに回りの土手の草も刈っておくのである。

10月1日(金)

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 終日鴨川。栗拾い。薪割り。裏山で採った彼岸花を追加的に植え付け。彼岸花というのは不思議なほど律儀にお彼岸の直前に一斉に吹き出るように花を咲かせるものだが、今年はさすがに猛暑で季節を見失ったらしく、1週間以上遅れて今頃が盛りである。

10月2日(土)

 終日鴨川で雑用に明け暮れる。栗がだいぶいい感じになってきて、大粒のが増えてきた。見上げると、まだまだ実が付いているので、あと3〜4回は収穫が楽しめそうだ。

10月3日(日)

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 今日は、我々が会員として参加している釜沼の棚田保存会の「収穫祭」。朝9時には娘夫婦&孫もやってきた。ちょっとだけ孫に栗拾いを体験させてから、一緒にお祭会場へ。公民館の座敷と庭を使ってのバーベキュー大宴会で、余興も盛りだくさん。地元婆様の日本舞踊、在日ブラジル人の半農半フォトジャーナリストである岡田ヘジナウドの稲刈り風景写真のスライドショー、半草木染め作家半ミュージシャンのギター&オリジナルフォークソング、その彼のギターと在日アメリカ人の半農半翻訳家のクリスによるインド風の横笛による即興セッション、そのクリスの伴奏による彼の奥さんエリのベリーダンスと、これが房総山奥の過疎村の収穫祭の出し物かよ〜というグローバルな文化レベルでの展開が続く。

★ヘジナウド岡田&下郷さとみの「百一姓blog」:http://hyakuishou.exblog.jp/ 
★エリの「Life in Awa」:http://elli.harrington.jp/ →ベリーダンスの写真も!
 
 13時半に解散。ビールと日本酒でいい加減酔っぱらってしまったが、なにしろ3歳の孫が昨夜の電話の段階から「ジージの家で、バーベキューでサンマを食べて、暗くなったら花火をやりたい」とのたってのご所望なので、スーパーに寄って新鮮なサンマと牡蛎、それに野菜少々を買って帰り、急いで炭火を熾した。婿と2人でハイボールを飲んで角瓶1本空けてしまった頃にようやく暗くなってきたので、孫がお気に入りの本物の江戸前花火(8月28日参照)の残りを楽しんだ。

10月4日(月)

 車で早稲田へ。午前、高野ゼミ。「地域主権国家論」と「東アジア共同体論」という2大戦略課題について2班に分かれて研究しろと指示。午後、大隈塾は私のスピーチの番で「農と食の21世紀」という問題提起をして討論した。夕方のジャーナリズム大学院ゼミは「小沢と検察」など。19時品川発で京都へ。

10月5日(火)

 ホテルで7時半に東海ラジオ出演、小沢、そして尖閣。京都造形芸術大は、午前はレギュラーの芸術表現ゼミ。午後は「キャリアデザイン講座」の臨時講師で「日本文化を見る目」の講義。帰京。

10月6日(水)

 栗拾いがいよいよ最後の山場。2日間空いたこともあり大粒のが8キロほども獲れた。到底食べきれないので、ご近所に配る。クリスのところにも「クリスにクリですよ」と持って行ってやった。朝と夕の2回に分けて、東隣の荒れ地の草刈り。野バラに茅や葛の蔓が絡んで分け入ることも出来なくなり、やがて葛が道路にまで蔓を伸ばしてきてどうにもならない。不在地主は何もしないから、自分でやらなければ仕方がないのだ。

2010年9月24日

高野孟の遊戯自在録008

9月21日(火)

 昨日、萩の写真を添付するのを忘れた。
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 品川発10:17で大阪へ。「ミヤネ屋」出演。トップニュースは「村木事件を担当した大阪地検特捜部の主任検事が証拠のフロッピーディスクのデータを改竄?」。前代未聞......と言うよりも、表沙汰になったのが初めてだというだけことで、最初にストーリーをデッチ上げてそれに沿って供述調書を創作し、脅しや欺しで無理矢理署名させて公判に持ち込んで、かつ都合のいい証拠だけ提出して都合の悪いものは隠蔽するという、検察の特に特捜部に顕著な"冤罪体質"が、最も愚劣な形で露見したのである。この前田恒彦という主任検事はクビ間違いなしだが、彼個人の"犯罪"として片づけるには余りにも事は重大で、大阪地検検事正のみならず検事総長の責任問題にまで発展するだろう。私は番組で、「特捜部というのはそもそも、戦後GHQが『そんなもの要らない』と言うのを、検察が必死で工作して、まず『隠匿退蔵物資事件捜査部』を作って、つまりは旧日本軍の物資が闇に隠れてしまうのを摘発してGHQの管理に移すという仕事をやって媚びを売って、それが後に東京地検特捜部に発展した。今回の事件は、結局、そこまで遡って、特捜というものが本当に要るのかどうかというところまで行くのではないか」という趣旨で発言した。

 17時半から法善寺横丁の「美加佐」で知人と一杯。さよりの一夜干しが極上だった。歩いて心斎橋の「BAR JAZZ」で久しぶりに聴くLPレコードのソニー・ロリンズでラムのロック。大阪泊。


9月22日(水)

 早朝大阪を出て帰宅。途中、君津ICで下りてホームセンター=ジョイフルホンダで木材、塗料等を買い、465号線沿いの「川口金物店」に寄る。川口さんは、辺鄙なところにポツンとある農具中心の小さな金物屋だが、ホンダやカインズなどのホームセンターにはないプロ用の農具・刃物を厳選して置いていて、南房総全域から客がやってくる。親父と話し込んで、「この鎌は、長野の伝統工芸士が作っていて、凄いんだ。ほら、見てごらん。首のところはこんなに厚みがあるのに先の方に行くとこんなに薄くなっている。こういう鎌は今はなくなってきた。3500円でちょっと高いけど、自分で研いでちゃんと使えるなら一生ものだよ」とか言われて、刃長7寸、柄1尺6寸の大型草刈り鎌を買ってしまった。

 溜まった雑誌を10冊ほど流し読み。『週刊朝日』は小沢復活論で、鈴木宗男、上杉隆らの座談会を載せている。今週の週刊誌では『週刊現代』だけが「小沢は終わった」論で、あとは大体において「小沢は必ず蘇る」論。まあそうなったほうが面白いからね。『クーリエジャポン』のメイン特集は「本当に必要な知識はマスコミでは得られない」、30ページ近くを使って主としてアメリカのネット・メディアの最新動向を伝えていて勉強になった。「ツイッターの次はタンブラー(Tumblr)だ」とか、「GOOGLEが実験中の新ニュース・サービス『ファストフリップ(Fastflip)』に注目せよ」とか、知らないことがいろいろあった。

 書斎からふと窓を見ると、10メートルほど離れた柿の木の葉っぱの上になにやら塊のようなものが......。双眼鏡で覗くと、何と蛇が昼寝している。これはヤマカガシかな。地が赤っぽいのはたぶん幼蛇。蛇の樹上昼寝は初めて見たので望遠レンズで撮っておいた。2時間後に見たらいなくなっていたので、どこかへ出動したのだろう。
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今日は旧暦の8月15日で中秋の名月。この夜、かぐや姫は月に帰って行った。うちの3歳の孫娘は新暦の8月15日生まれで、月を見るのが大好きなので、私は「かぐや姫の生まれ変わりだ」とか言ってジジバカ扱いされている。娘に電話して「ちゃんとお月見をやりなさいよ」と念を押した。

 夕方、近くのスーパーにウィスキーその他を買いに行くと、レジ近くにヤマザキパンの「月見だんごセット」が置いてあるので買ってきた。家内が欧州旅行中で、一人でお月見をしても仕方ないとは思ったものの、孫の健康を祈ってススキを飾りだんごを供えた。それをやっている最中に背中のほうからNHKニュースが「先ほど今日が満月だと申し上げましたが、満月は明日でした」とか言っていた。「エッ」と思ったが、どうせ明日は雨だろうからこれでいいことにしよう。

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9月23日(木)

 久々の慈雨。朝刊に村上正邦元労相の「躍進日本!春風の会」設立記念の会が9月28日、明治記念館で開かれるとの広告が出ていた。村上さんは2001年に、KSD財団が進める「ものづくり大学」計画を後押しして賄賂を受け取ったとして逮捕され、地裁・高裁とも有罪で05年に収監、昨年秋に仮釈放されていた。これも国策捜査の疑い濃厚な事件で、そのため宮崎学、魚住昭、佐藤優ら「神保町グループ」とは縁があって、そのせいかどうか、村上事務所からザ・ジャーナルに対し、「ニコ動も考えたが、こういうマトモな内容はやっぱりザ・ジャーナルだろう」ということで「当日の模様を生中継してくれないか」との申し入れがあった。自民党の右といっていい方面からもそのように言って頂くのはメディアとして有り難いことで、喜んでお受けすることにした。第1部は中曽根大勲位と米長邦雄永世棋聖の記念講演、第2部は懇親会。懇親会は多彩な顔ぶれになりそうなので、当方のゲリラ取材が活躍するだろう。

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 雨で外に出られないので、昨日買った鎌のケースを製作。柄は柿渋、ケースは柿渋に「合煤」という焦げ茶色の伝統顔料を混ぜたものを塗った。ついでに、娘夫婦が稲刈りで使った2本を含め全部で5本ある鎌を片端から研いで油を塗って整備した。鎌は刃先が薄くてデリケートで、一度錆びさせたら劣化が始まってしまい、いくら研いでも刃こぼれが酷くなるので、お手入れが肝心。

 夕方、ニラレバ炒めと地元産アジの干物で、一昨日知人から送られてきた宮崎県国富町=八町坂酒造場の濁り酒「しこたま」を賞味しながら、通販で届いたDVD12巻セット『森浩一が語る日本の古代』のうち第1巻「考古学の楽しみ」、第2巻「旧石器時代・縄文時代」、第3巻「縄文時代・東の文化」、第4巻「弥生時代・西の文化」までを計4時間26分、一気通観。これはなかなか優れもので、最新の考古学の成果を漏れなくカバーしながら、どこがどう新しい成果なのかを上手に整理してくれている。昔は縄文時代を「原始時代」と呼んだものだが、とんでもない、当時世界最先端の高度な文明であったことがよく分かる。

 

2010年9月20日

高野孟の遊戯自在録007

9月10日(金)

 昼過ぎに車で出て1週間ぶりに上京。コンクリの照り返しが足元から這い上がり、空調の排熱が頭から降りかかる都会の暑さは田舎とは全く質が違って、不快度3倍だろう。クラクラする。午後、芝公園で労組幹部のセミナー、夜、帝国ホテルで東京青年会議所不動産クラブの総会で、いずれも民主党代表選と日本再建の行方というテーマで講演。22時帰宅。

9月11日(土)

 9・11事件9周年というのに、私は家内と共に京都で立川志の輔の独演会を楽しんで、帰りに浜松の「天八」で天麩羅を味わうという、お気楽な1日で、アメリカ国民に申し訳ない。

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 志の輔独演会は、京都造形芸術大学に春秋座という立派な劇場があって、そこの企画で昨年の今頃に続いて第2回の催し。志の輔はいま落語界の人気No.1で、どの公演もたちまち完売でプラチナチケットとなる。この公演も、確か5月連休明け頃に学内にポスターが掲げられたので、私は教員ルートでサッと2枚確保したが、6月になるかならないうちにもう「完売御礼」の札が貼られていた。

 14時開演。まずは弟子が前座で出て与太郎噺。聞きながら思い出したのは、数ある与太郎噺の1つ「サンマの見張り」。お父さんが与太郎に「台所のこのサンマ、猫が来るといけねえ、よく見てろよ」と言い置いて出掛け、帰ってくるとサンマがない。「どうしたんだ」「へえ、見てろと言われたんでずっと見てたら、猫が来てくわえていきました」「ばかやろう」みたいな話だったと思うが、これって、鳩山政権における小沢一郎だよね。小沢は二重権力、陰の実力者、闇将軍などと言われていながら、鳩山首相の普天間問題での迷走を放置し、また自分と鳩山の「政治とカネ」問題では検察=マスコミ連合軍の総攻撃に正面切って対決して血路を開く方策も示さず、その結果わずか8カ月でせっかくの鳩山政権を崩壊させてしまった。しかも自分も道連れになって辞任する羽目となるお粗末の一席である。小沢側近からは、「政策は政府、選挙は党という分担があったので口を出せなかった」という幼稚園のお子ちゃまがベソをかくような弁解が聞かれるが、こんなことを言っているようではお終いだ。誕生間もない革命政権なんだから、その指導部は1日に10回でも連絡を取り合いながら次々と降りかかる難題に対処して、傷だらけになって前進するのでなければならないだろう。政府・党の役割分担があるので、本当はいい案も持っていたのに口を出せないでいるうちに、政権が壊れてしまった? 与太郎のサンマじゃないか。

 てなことを考えているうちに、真打ち登場。昨年同様、前半に新作、休憩を挟んで後半は古典物という構成で、2時間たっぷり楽しんだ。本当は楽屋にご挨拶に伺いたいところだが、今日は終演後、拍手もそこそこに待たせたタクシーに飛び乗って、京都発16:56のひかりに乗らなければならない。浜松に止まるひかりが1時間に1本なので乗り遅れるとどうにもならなくなる。16:20でけっこう厳しいなあと言いながら地下駐車場に下りると「やさか」タクシーが2台待っていて、どちらも「高野さんというお名前は伺っていません」「えーっ」。春秋座の事務員に頼んだのが間違いだった。きっと自分の名前を言って私の名前を言わなかったのだ。「間違いがあるといけないので、一応、本部に問いあわせますから」「そんな時間はないんだ。56分のひかりに乗らないと大変なことになる」とか言ってようやく出発。何とか発車時間の4分前に駅に着いた。

 浜松の改札で静岡体文協の佐野つとむさん(8月31日参照)が待っていてくれて、駅前の天麩羅「天八」(9月2日参照)へ。2日に行ったことを家に帰って話したら家内が是非行ってみたいと言うのでこの日程となった。食事途中で、携帯がオフのままだったことに気づいて開けると、何と、志の輔師匠から「今日はお出で頂いてありがとうございます」というご丁寧な留守電が。いやー、あのタクシー騒ぎで列車に間に合うかどうか焦りまくったので、こちらからご挨拶しなければいけないのをすっかり忘れていた。あとでお詫びの手紙を出すことにしよう。22時前に東京駅着、22時20分発の高速バス最終で24時前に帰宅。

9月12日(日)

 今日は、米西海岸の大学の研究所で日本・アジア研究に携わるダンと、日本に長く住む彼の義理妹夫妻&2人の娘、計5人が鴨川に遊びに来るというので、朝から大忙し。まずは家中を大掃除。それから鴨川自然王国に行って8人乗りのミニバスを借りて、東京駅から高速バスでやってくる彼らを「富楽里」バス停まで迎える。道の駅の1階が農協・漁協の地元産品特売場になっていて、ダンはビワとその多様な加工食品の山を見て「うおぉぉぉ!僕はビワに目がないんだ。こんなにビワの食品が並んでいるのを初めて見た。アメージング!」とか興奮して、ビワゼリーを箱ごといくつも買い込んでいた。アメリカ人がビワを食うとは初めて知った。

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 まだ昼食にはやや早いが(早めの昼食になるから朝食は控えめにと予め警告しておいた)、車で20分の1つ隣の道の駅「三芳村・雛の里」のハンバーガーショップ「BINGO」へ。コンテナを改造したような小さな店で陽気な夫婦がやっていて、特に和牛を用いたローストビーフ・サンドと超大型ハンバーガーが人気で、いつ行っても列が出来ている。米人5人は店を見ただけで「これは完全にアメリカンだ!何で畑の中にこんな店があるんだ」と興奮状態。妹の旦那は米一流紙の特派員だから、さっそくマスターを掴まえて、「あなた、アメリカに住んだことがあるでしょ」と取材開始。「いやあ、住んだことはないよ。何十年も前に西海岸に何週間かいて、その時にアメリカのハンバーガー屋に嵌って、こういうのを日本でやりたいと思って始めたんだ」とマスターがスラスラと英語で受け答える。私とダンはローストビーフ・サンドとA&Wのクールビアの取り合わせ。「クールビアを置いてあるのもアメリカン感覚だね」とダン。

 そこから東に山を越えて太平洋岸を北に走り、鴨川グランドホテルでお茶。大山千枚田を見て拙宅に着いたのが14時頃。ひと渡り家の中と周りを探索して貰って、ベランダでダンの私へのインタビュー。民主党政権と特に東アジア共同体づくりを目指す外交政策について。ダンは先週は京都で、日本、韓国、中国、シンガポール、インドなどの学者・ジャーナリストを集めた東アジア共同体のシンポジウムを組織してきたばかりで、「日本の新アジア主義」についての論文をまとめようとしているので、まことに熱心で、インタビューは2時間以上もに及んだ。この頃あまり英語をしゃべらないので、うまく言葉が出ないが、自民党時代の小沢一郎の通訳もしていたことのある妹が助けてくれて何とかこなしたものの、疲れた。

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 17時に家を出て、車で30分の田んぼの中のスペイン料理屋「パエジエラ」へ。彼らはまたもや「何で田んぼの中にスペイン料理屋があるんだ!日本は不思議だ」と大騒ぎ。ベランダにしつらえられたテーブルに着くと、本当に目の前には棚田が広がって、山の稜線に近いところに誰かの別荘らしいログハウスが見えるだけ。ここは、造形アーティストの岡部さん夫妻が自宅で週末のみ予約客相手に開いているプライベート・キッチンで、自宅の畑で採ったトマトはじめ野菜やハーブ、地元で上がったイカや魚、スペインから取り寄せた特別の食材やワインなどを取り合わせた、たぶん日本で最上のスペイン料理を出してくれる。彼らも、今まで食べたスペイン料理でベストだと絶賛し、特にイカ墨のパエリアが気に入ったようだった。そこから30分、富楽里で東京駅行き最終の20時25分のバスに乗せてお別れした。妹の旦那からはその夜の内に「素晴らしい1日だった。私たちは日本橋小舟町に住んでいて、この辺にも(あのスペイン料理にはかなわないが)すばらしいレストランや居酒屋があるので是非遊びに来てくれ」とメールが入っていた。

9月13日(月)

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 昨夜は、私は運転手だからスペイン料理屋でワインを飲めなかったので、彼らを送って家に戻ってから、貰い物の日本酒大吟醸を少し飲んだ。桐箱に入った何やら高級品で、その桐箱を見ながら杯を傾けていて「あ、この板を使って鎌のケースを作ろう」と思いついた。鎌は田舎暮らしに必須の道具で、稲刈り用、柔らかい草用、硬い草用、枝切り・山仕事用など色々あり、素材もステンレス製の安物から本格鍛造品まであって値段も様々。私もいくつか使うが、中心はちょっとお値段の張る頑丈な鍛造品で柄にゴムが撒いてあるのが滑らなくてよい。鎌というのはとても鋭利で、持ち歩き方が難しい。この近所でも何年か前に、裸で腰に差していて畦で滑って転んで腹部を刺したお年寄りがいる。それで、新聞紙をガムテープで止めた簡単なケースを被せていたのだが、どうも美しくない。何か巧いやり方はないものかと思って、ベテランの爺様たちの様子も観察してきたが、なかなかない。で、昨夜、大吟醸の桐箱を撫でていて突然、あ、こうすればいいんだと形が思い浮かんだのだ。

 それで今朝は早くから作業開始。箱をバラして厚さ4ミリほどの板にして、それを鎌の刃の大きさに合わせて切って、隙間を空けて貼り合わせる。ここまでは簡単だが、出し入れするのに多少抵抗がある程度にしないとすぐに抜け落ちてしまうという辺りが難しい。入り口に刃が出入りする動きに沿うようなカーブをつけた木片を貼り付けて抜けにくくするが、そ
れでも角度によっては抜け落ちる場合がある。そこで車で5分のコメリに走って、レの字型のフック金具を探してきて、ケースに収めた後に鎌の首にカチッと引っかけるようにした。丁寧にヤスリをかけて砥の粉を塗って、柿渋に弁柄を混ぜた塗料を作って塗り上げて、昼までかかって完成。ついでに、色を合わせるために同じ塗料を鎌の柄にも塗ってやった。ちょっとした工芸品の趣があって、これでまた庭や畑の作業が楽しくなる。
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 午後、読書。米原有二他『京都の老舗』で京都の文化の奥深さをしみじみ味わった。姉妹本『京都の職人』と合わせて読むことをお勧めしたい。

夜は鴨川自然王国の若いスタッフたちと韓国料理「味
家」へ。加藤登紀子さんの次女で歌手のヤエち
ゃんの旦那で自然王国代表にして野菜畑担当のミツヲ君、王国を手伝いつつ「安房マネー」の活動に取り組む半農半アーティストの
林良樹君、研修生のニキ君、王国に滞在中の
リック(9月6日参照)、さらに今日から何日か王国に泊まって農作業を手伝うという私の早稲田ジャーナリズム大学院の学生=鈴木貫太郎、それに私の6人かと思っていたら、さらに登紀子さんの長女の旦那のタカシ君まで徒歩で山を下りてきて参加、7人の大宴会となった。タカシ君たちは最近、見晴らしのいい田んぼの中に新居を建てて移住、10月からは自宅を開放してカレー・ショップを開くということで準備中。明日は食品衛生ナンダラの資格取得で館山に行くと
いう。ヤエちゃんも王国内の藤本敏夫記念館で週末だけのカフェを開いていて結構流行っている。いいねえ、若い人たちがどんどん移住してきて思い思いの発動を始めていて、その蓄積が今に必ず何
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か爆発
を起こすだろう。


9月14日(火)

 今日は羽田発9時5分の富山行きに乗るのだが、7時半からの東海ラジオの電話出演がちょうど車を運転して家を出る時間になってしまう。仕方がないので6時半に出て空港の駐車場に着いたところで携帯電話で受け答えすることにした。話題はもちろん、今日の民主党代表選。「どちらになるか分からないが、私はどちらになっても大変さは同じだと思う」と話した。

 富山では、全日本不動産協会参加の同政治連盟主催の講演会。一般市民に開放する形式で、丁度この日というタイミングもあるのだろう、800人も押しかけて満員で、肝心の会員たちは別室でモニターで講演を聴く羽目になったそうだ。私の後は読売テレビ解説委員長の辛坊治郎さんで、その後5時半から懇親会。不動産協会はゴリゴリ自民党支持で知られた団体だから「こうなると大変でしょう」と会長さんに尋ねると、「いやあ、是々非々というか、各都道府県それぞれの事情でバラバラですよ。本部としても、陳情に行くにしても自民党と民主党の両方に行かなければならないので手間もかかるし気も遣います」と。

 宴会を途中退席してホテルの部屋から電話で、代表選結果についてJFNラジオ向けにコメント収録。まだ8時で寝るには早いので、近くの沖縄料理屋に行って豆腐よう(豆腐を小さく切って米麹と泡盛でチーズ様に発酵させた中国伝来の保存食)を嘗めながら泡盛古酒を一杯、いや二杯。

9月15日(水)

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 代表戦後の大騒ぎをテレビで見ていたらそのまま寝てしまったようで、朝3時に目が覚めた。コーヒーを淹れて、ホテルの便箋を1枚取り出して、代表選をどう見るかについてメモを作る。私の場合、あるテーマについて情報を整理して視点を立てるときには、マインドマップ方式で1枚の紙に12時の方向から時計回りにいろいろな要素を書き込んで一目で一覧できるようにする。これ1枚あれば、このテーマについて3時間でもしゃべれるし、作る過程で頭が整理できるので、1時間半の講演なら見なくてもしゃべれる。

 5時になったので近くのコンビニで新聞全紙を買い込んで、床に広げて眺め渡す。地元紙に出ていた共同通信の西川特別編集委員の「拝啓小沢一郎様」がちょっと面白かったのでメモに付け加えたが、後はどの社説も解説も平凡だった。帰京して、午後に半蔵門でJFNのラジオ収録。私の後に同じスタジオで田原総一朗さんも収録ということで顔を合わせたので、10分ほど意見交換。彼は、幹事長は岡田がいいと言っていた。そうだねえ、岡田だと党のカネは1円たりとも使途不明にはならないだろう。家に帰って富山で頂いてきた鱒寿司を賞味する。

9月16日(木)

 16時に家を出て新宿で「東京高野塾」。民主党政権の行方を語る。今日は、長沢純さん(8月19日参照)が参加してくれた。終わって宴会で焼酎をしたたか飲んで今日は隣のホテル泊まり。

9月17日(金)

 朝5時からホテルで原稿執筆。7時に新聞と煙草を買いに出てそのまま朝食。安ホテルの朝食バイキングはもうウンザリだ。これだけ似たようなメニューがどこでもでてくるということは「仕出し」なんですかね。誰か業界事情に詳しい人がいたら教えて下さい。チェックアウト時間まで原稿執筆して羽田空港から鹿児島へ。

 
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 夜、サンロイヤルホテルで鹿児島信金のお得意さんの会「ハッピー会」で講演。「ハッピー会」で講演するのは2回目、このホテルに泊まるのは3度目。全客室で目の前に桜島が見えて「地球の鼓動が聞こえてきます」というのが売り物で、鹿児島で講演会というとここか格式ある城山観光ホテルかどちらかに決まっているらしい。

 懇親会の席で、伝統工芸品の薩摩錫器を製作販売している「大辻朝日堂」の大辻賢一さんから訴えがあった。江戸時代、明暦年間に鹿児島で錫採掘が始まり、文化年間にその錫を使った錫器の製造が始まって、戦後も3社がその伝統を引き継いできたが、昭和末から他の2社は大阪の浪華錫器の大手資本の軍門に下ってその下請けとして大量生産に携わるようになり、今では伝統の技法を守っているのは大辻朝日堂しかない、ところが県は、他の2社も含めた3社に等しく「伝統的工芸品」指定を下しており、これは詐欺であるというだ。皆さん、鹿児島に言って薩摩錫器がほしいなあと思ったときには、必ず大辻朝日堂が本物ですので、よく見極めて買うようにして下さい。

9月18日(土)

 朝、鹿児島を出て帰宅。午後は鴨川自然王国「帰農塾」の講義。今回の通しテーマは「命」ということなので、「土と命、そしてミミズ」という話をした。

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 夕方帰宅すると、前田和男『民主党政権への伏流』(ポット出版)が届いていた。644ページ、4.3センチの厚さの今時珍しい大著で、細川政権、大前研一「平成維新の会」、社会党「ニューウェーブの会」、社会党内の改革路線、「殿様連合」、村山政権、「オリーブの木」運動、ローカルパーティ、「リベラルフォーラム」など、民主党の源流となった"伏水流"を、それぞれに深く関わった10人の裏方当事者に徹底インタビューして、この20年間に政治シーンで何が目論まれ、何が挫折し、何が生き残った挙げ句に今の民主党政権があるのかを検証する、これは歴史に残る貴重なドキュメンタリーである。引き込まれるように読み始めた。





9月19日(日)

 早朝、ミニトマトの採取と手入れ、ゴミ燃やし。前田の本を読む。午後から名古屋に行って、河村たかし市長の市議会リコール署名運動を激励。知り合いの焼き鳥屋で一杯飲んで、ホテルで前田の本の続きを読む。深夜読了。前田に次のメールを送った。

▼御著書をお送り頂きありがとうございました。
▼一昨日夜帰ると届いており、同夜〜昨日の名古屋行き新幹線〜名古屋のホテルで深夜までで一気読了しました。大変なお仕事をされたと感服します。「伏流水」というイメージ・コンセプトがいいです。今の民主党のピーチク連中に教科書として読ませたいです。もしまだだったら、仙谷由人に一冊、送っておいてくれませんか。私から口添えして、全議員に配付しろと言います。
▼また私の「少々はしゃぎすぎ」を含めての発言を取り上げて頂いてありがとうございます。私はこの多くのプロセスに首を突っ込んでいますが、知らないこともたくさんあって、「ああ、そういうことだったのか」と得心することも多々ありましたし、また、「この辺はもうちょっと入り組んでいてアヤがあるんだよな」というところもいくつかありました。
▼誤植が2〜3あったので(「過度的」→過渡的、どこだったか選挙の票数など)再版の際は訂正を。これは歴史の記録として長く残る本となると思いますので。
▼さしあたり、私の「ザ・ジャーナル」でこの本を取り上げたいので、私と貴殿の対談という形で録画で撮りたいと思いますがいかがでしょうか。ご了承頂ければ日程をお打ち合わせしたいと思います。宜しくお願いします。たかの

9月20日(月)

 名古屋から帰宅。午後、鴨川自然王国の「帰農塾」閉講式に加藤登紀子さんと共に出席。9人の受講者の1人の30歳代の若者が「来年、鴨川に引っ越します」と宣言してくれたのが嬉しかった。

 今は萩が満開。黄色の蝶や蜂が盛んに花に取り付いている。

2010年9月 9日

高野孟の遊戯自在録006

8月11日(水)

 終日自宅で資料と本棚の整理。合間に直売所に買い物に行ったら、赤紫蘇があったので1袋買ってきて赤紫蘇ジュースをつくる。夏バテ防止にいいし、飲んで花粉症に効いたとか、塗ってアトピーが治ったとかいう話もあって、最近人気らしい。作り方は簡単で、1袋300グラムほどの紫蘇を茎ごと洗って水を切り、2リットルの湯で5〜7分ほど煮て葉を取り出し、砂糖と酢(クエン酸)を加えれば出来上がり。鮮やかなルビー色が珍しく、客に出すと「えっ、これ何ですか?」と言ってくれるのが楽しい。ネットで調べると、青紫蘇を半分混ぜたり、青紫蘇だけでやっても、色は落ちるが味や香りはかえってよくなるというから、次回は試してみよう。青紫蘇なら庭の畑に捨てるほど生えている。赤紫蘇も自分で育てれば買わなくて済むな。

8月12日(木)

 資料整理の続き。とにかく暑くて外へ出られないので、普段の年だとほとんどつけることのないクーラーをつけて屋内で何かをやるしかない。

8月13日(金)

 燃やせるゴミはできるだけ庭のドラム缶で燃やして家から外へ出さないようにしているので、朝、涼しいうちに焚き火を始めたら、足を滑らせて熱したドラム缶に左手を触れてしまい火傷した。ちょっとだけだからと無精をして、いつものように軍手をはめて長靴を履くのでなく素手とサンダルのままだったのが禍した。左掌の3分の1ほどが水膨れになり、すぐに水で冷やして、魔法の馬油を塗ってしばらく様子を見ることにして、10時過ぎから家内と、近所で開催中の「コヅカ・アートフェスティバル」に出掛ける。

 コヅカは私の住んでいるあたりの地名。私のところから長狭街道を挟んで向い側の森の中に住まいとアトリエと奥さんが焼くパン工房を構えている画家の宮下昌也さんが中心となって、南房総在住の30人以上のアーティストたちに呼びかけて約7000坪の森を舞台に「人と自然と地域をつなぐ」をテーマに、美術・工芸・音楽・食・トークなど様々な展示やイベントを15日間にわたって繰り広げる、今回が第1回の試み。ここでも赤紫蘇ジュースのソーダ割りが出た。展示場で、家内はガラス細工のネックレスを、私はブルーの麻製Tシャツを買って、それから奥さんのパン工房に寄って1週間分のパンを買って山を下りる。

 やっぱり火傷の痕が気になるので、午後に車で5分ほどの国保病院へ。今日は外来診療は午前中だけでもう終わっていたが、急患扱いで院長先生が診てくれて、ステロイド系の消炎剤を出してくれた。「ご承知だと思いますが、副作用が出ることがあるので、塗りすぎず、また他の目的に転用しないように」と。この薬を出す時にこのように注意してくれるのは、いいお医者さんです。

8月14日(土)

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 島田雅彦の新刊『悪貨』を読む。我々が無条件にあって当たり前と思っているカネとは何かを考えさせられる哲学的冒険小説。ベランダで本を読んでいて、ふと気が付くと、鶯の鳴き声が聞こえない。たぶん昨日は聞こえていたように思うから、毎年2月中下旬から8月中旬まで、夜明けから日没まで、3〜5羽が東西南北に分かれてステレオサウンドで休むことなくさえずり続ける「鶯シーズン」が終わったのだろう。いつもこのように突然、一斉に声が消えてしまうので、鶯は渡り鳥で、来年の春先までどこか遠くへ言ってしまうのかと思っていたが、本を繙くと、そうではなく留鳥もしくは漂鳥だそうだ。鳴いているのは雄で、早春から真夏までの繁殖期を通じてさえずり続けて雌を誘う。一度カップルが成立しても、藪の中の鶯の巣は動物などに襲われやすく、卵を奪われることも少なくない。子育てに失敗した雌は二度三度と結婚を繰り返すので、その雌を「今度はこっちへおいで」と雄が呼び込むのがあの鳴き声。結果的に一夫多妻制になるのだという。あのコロラチュラ・ソプラノのような可愛い声が、実は精力絶倫の雄のハーレムづくりの呼び込み声とはねえ。雄の中には、夏まで余りに必至に叫び続けたために喉の皮膚が伸びてたるんでしまう者もいるという。

8月15日(日)

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 9時に近所のKoさんが来て、水タンクの掃除。湧き水から濾過装置を通した水を溜めても、どうしても粘土の微粒子が入って底に溜まるので、半年に1度は水を抜いてデッキブラシで内部を綺麗に磨く。今年はついでに、釜沼の炭焼き小屋から椎・樫系の堅炭を4袋買って、網袋に小分けしてタンクの底に入れ、浄水効果を高めることにした。炭焼きの爺様によると「半年に一遍くらい引き上げて、水洗いして陽に干してまた入れれば、いつまででも使えるよ」とのこと。

8月16日(月)

 京都造形芸術大学から「大文字送りを見る会」にご招待を受けていたので、家内共々京都へ。京都までの新幹線で宮元健次『日本人の美意識』(光文社新書)読了。日本人の美意識の根本は「侘び・寂び」よりも「優美」であると言う。

 我々がお気に入りの嵐山の割烹「おきな」に早めに行って夕食をとり、北白川の大学へ。まずは屋上の野外能舞台で上原まりさんの薩摩琵琶で平家物語の一節を鑑賞して、それが終わってややもすると東山の「大文字」が点き始める。「おおーっ、点いた点いた」とか言いながら、点いてしまえばそういつまでも見ているものでもないので、ぞろぞろと先ほどの能舞台の観客席となっている西向きのベランダに引き返すと、もう椅子が全部片づけられていて、そこから北の「妙法」、北西の「舟形」、西の「左大文字」と「鳥居」が順次点火されていくのを見ることができる。なるほど、これが「五山送り火」か。毎年来ようかというものではないが、一度は本物を見てみるものだ。京都泊。

8月17日(火)

 午前中に内田樹『街角のメディア論』読了。「情報を評価するときに最優先の基準は『その情報を得ることによって、世界の成り立ちについての理解が深まるかどうか』ということです。僕はそう信じています」。同意。そういう情報をメディアが伝えなくなって久しい。「メディアの不調はそのままわれわれの知性の不調である。......メディアが集中豪雨的に論じる論件については僕たちも選択的に詳しい。けれども、メディアが扱わないトピックについてはほとんど何も知らない」。

 午後は大阪で「ミヤネ屋」。夏枯れヒマネタのオンパレード。夜は「大阪高野塾」。飲み会の後、京都に戻って泊。

8月18日(水)
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 東山の高台寺南門前にある「金網つじ」のショップへ。金網の道具も今ではほとんど機械編み。「つじ」は数少ない手編みの伝統を守っている工房で、笊、網、杓子などどれをとっても手作りの温もりが感じられて美しい。我が家では前から「つじ」製の「手つき焼き網」を使っていて、これは、ガスの火がセラミックを赤く熱して、その熱が3センチほど上にセットされた金網に「遠火の強火」風に当たるよう仕組まれた逸品で、例えば食パンをこれでじっくり焼くと、同じパンをトースターで焼くのと明らかに香ばしさが違う。ちなみに写真奥は、京都錦小路「有次」の銅製薬缶。ン万円というお値段に随分迷って店を3度も出たり入ったりしたあげく、「これを買えば、もう一生、薬缶を買うことはないんだから」と腹を決めて買って、もう何十年も使っている逸品。やっぱり道具は京都です。

 高台寺に参拝し、境内で開催中の「妖怪展」を観て、炎天下「ねねの道」を歩いて八坂神社を抜けて祇園交差点の「いづ重」で鯖鮨と季節限定の鮎鮨で昼食。帰京。

8月19日(木)

 午後、自宅に元スリーファンキーズの長沢純さんがファイナル・ファンタジー開発者の宮本雅史さんを伴って来訪。どういう取り合わせかと思ってしまうが、今春に千葉県稲毛にオープンした「遊と住が一体化した高齢者向けコミュニティ付き分譲マンション"スマートコミュニティ"」の事業パートナー同士。巨大な敷地にマンションとレストラン・スポーツ文化施設・グランドなどを完備したクラブハウスがあって、高齢者がアクティブなコミュニティライフを楽しめるようにという、日本では先駆的な試み。投資家が宮本さん、社長はバンダイ一族の山内成介さん、広告塔が長沢さんということらしい。この新しいコンセプトを世にひろめるにはどうしたらいいかという相談だった。私は、都市型もいいけれど、田んぼを共有しそれぞれが家庭菜園で野菜作りも楽しめる田園型のコミュニティを作ったらどうかと提案したが、宮本さんはとっくにそれを考えていて、埼玉県で準備中とのこと。伝統的なコミュニティは崩壊して久しく、簡単には元に復さないが、高齢者同士で新たなコミュニティを結成して余生を楽しむというスタイルはアメリカなどでは盛んで、ビックリするほどの規模のものもある。これからの1つの方向だろうかと思った。

8月20日(金)

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 家内を東京行きのバス停まで送ってから、トマト畑の世話、ゴミ燃焼、ペットボトル処理、講演会用のレジュメ準備など雑用に明け暮れる。知人から貰ったワイン・オープナーの握りの側板が剥がれてしまったので修理した。ゴム製の側板を反対側も剥がして、東急ハンズで1枚100円で買っきた黒檀と紫檀の板を同じ形に切って接着し、時間をかけて木工ヤスリとサンドぺ−パーで磨き上げた。一カ所、削り過ぎたところがあって気に入らないが、まあまあの出来だ。写真の上は、世界の逸品とされるフランス・ライヨールのワイン・オープナー。姿も美しく機能も優れていて、長年これを使っている。これがあるから、側板が剥がれるような安物をわざわざ時間を費やして修理しなくてもいいようなものだが、自分で直せば直るものを面倒だからと捨てるのが嫌いな性分なので仕方ない。

8月21日(土)

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 山形の養鶏農家=菅野芳秀さんから新著『玉子と土といのちと』(創森社)が送られてきたので読む。1000羽のニワトリを地飼いしている菅野さんならではの土の文明論が心地よい。ついでに、津軽で完全無農薬・無肥料でリンゴを作ろうと悪戦苦闘した木村秋則さんの『リンゴが教えてくれたこと』(日経プレミアシリーズ)と、永田農法で有名な永田照喜治さんの『食は土にあり』(NTT出版)も一気読了。土は命のみなもと、ということを皆忘れている。

 夕方、当社スタッフのUと石田三示衆議院議員秘書のMが来訪。今朝、十勝のランチョ・エルパソから届いた極上の豚肉を一緒に味わった。Uは、早稲田大学の高野ゼミ1期生で、在学中から十勝のランチョ・エルパソに出入りして、地飼い放牧の豚に惚れ込んでしまった。卒業後、地方のIT優良企業に就職したが、経緯あって退社、現在は「ザ・ジャーナル」の編集スタッフとなっているが、豚への思い醒めやらず、「ザ・ジャーナル」のサイトを通じてエルパソの豚肉を頒布する仕掛けを作ろうと奮闘中。Mは、鴨川自然王国のスタッフだったが、同王国代表だった石田が突然、衆議院議員になってしまい、その秘書となって頑張っている。

8月22日(日)

 水タンクを点検すると、何と、8トンタンクがほとんど空で、残り0.5トン(1日分弱)ほどしか溜まっていない。大慌てで調べると、この日照り続きで肝心の湧き水の水源が極度に細っている。この水源は、地元の古老や近所の皆さんも認めている優秀な水源で、これまでどんな日照りのときにも枯れそうになることは一度もなかった。が、何十年ぶりとかいうこの猛暑でついに力尽きかかっているらしい。我が家の上水はこれに頼っているので、いよいよダメならポリタンクで水を運ぶしかない。いやあ、困った。とはいえ、まだチョロチョロとは出ているので、まあ何とかなるだろう、様子を見てみようということに。

 午後4時から、近くの廃校となった大山小学校の講堂で、加藤登紀子さんの次女でここで「半農半歌手」の生活を送っているヤエちゃんのデビュー10周年コンサート。500円のチケットとはいえ、この山の中でどれだけ人が集まるかと心配しながら行ったのだが、地元の爺ちゃん婆ちゃんや子連れの若い人たちが400人以上も集まって満杯の大盛況。歌もよかったし、大成功でした。

8月23日(月)

 2〜3日前に電話が来て日本TV『太田総理』の収録が月曜日にあるので出演してほしいと。聞けば、この収録が27日放映で「最終回」だと言う。4年半も頑張ってきた番組で、惜しむ気持が働いて「じゃあ出ましょうか」ということで、夕方上京。「正義の戦争はあるのか」というテーマで正面切ってやりたいというので、1時間半、石破茂元防衛庁長官、生方由紀夫民主党衆議院議員、テリー伊藤らと結構大真面目にやり合った。

 番組前に家内から電話で「水が出なくなった」と赤信号コール。我が家の水供給システム・プロジェクトの中心人物である地元のKaさんとKoさんに電話して、明日緊急集合することになった。

8月24日(火)

 水源は細っていて明らかに水需要をまかなえない。すぐ近くの堰堤から流れ出ている水があって、こちらはいつもと変わりなく出ている。本来の水源よりやや水が細く、やや濁りが強いが、これを補助水源として使わざるを得ない。塩ビ管を30メートルほど繋いで、水量と落差の関係で水圧が弱く浄水装置を通すと抵抗が強すぎて順調に流れないかもしれないという判断から、そのままタンクに直結した。濁りが除去できないが、今はそんなことを言っていられない。

 Kaさんの計算では、1分間=0.5リットルの流入量なので、1時間=30リットル、まったく使用しなければ33時間=1トン、10日弱=7トン(タンクの実質容量で満杯)が貯まる計算となる。ところが実際には、飲用・料理用の水はペットボトルを使い、風呂は出来るだけ鴨川温泉の日帰り入浴を利用するとして、トイレは使わざるを得ないし、洗濯も最小限やらざるを得ないので、現実には2週間でようやく満杯ということだろう。

 ところで、人間は1日にどのくらい水を使うものなのか。読売新聞と東京大学が共同で行った調査では、都内の3人暮らしの家庭で1人1日=280.7リットル、都水道局の08年統計では240リットルだと言う。米ミシガン州デトロイトのある家庭では231.9リットルだが、夏に芝生のスプリンクラーを使うと使用量は倍増する。他方、アフリカ・ケニヤの11人家族では家族全員で1日=223リットルで、やはり我々は水についてとんでもない贅沢をしていることになる。何百リットルと言われてイメージしにくければ、普通のポリバケツが1杯=10リットルだから、日本人が1人1日バケツ28杯ということだ。水道の蛇口を1分間流し続けるとバケツ1杯、シャワーを5分間流し放しにするとバケツ5杯である。

 用途別では、都水道局の06年調査によると、トイレ28%、風呂24%、炊事23%、洗濯16%、洗顔など9%となっていて、トイレが最も多い。水洗トイレが出始めた1960年代には1回の使用料が20リットルもあったが、今は13リットルが普通。TOTOの最新技術では大で4.8リットル、小で3.8リットルにまで切り詰めているが、それでも1日10回使えばバケツ5杯分となる。上海万博の日本産業館ではINAXの最新式トイレが異常なほどの人気だったそうで、これも日本が世界に誇る超精密な流水管理設計技術の成果である。洗濯機は、水流で汚れを落とす旧来の縦型よりも、前面にドアが付いたドラム式のほうが叩いて汚れを落とすので水の使用量が少ない。と言っても8キロの衣類を洗うのに100リットル以上の水を使う。日立の最新の循環ポンプ型洗濯機は9キロの衣類に73リットルだそうだ。

8月25日(水)

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 ロバート・グリーン『検証・核抑止論』(かもがわ出版、2010)を読む。著者は英海軍の核攻撃機のパイロットも務めた元軍人で、退役後は核兵器廃絶の運動に取り組んでいる。訳者の梅林宏道さんが解説で書いている。「テレビを見ていると、『米国の核の傘が要らないというのなら、日本が核武装せよというのか』という単純で古くさい議論を未だに繰り返している政治家や評論家ばかりが目立っている。世界の大部分の国は米国の核の傘も核武装も放棄している。日本が特殊に危険な国際環境の中にいるという議論も言い逃れにすぎない。エジプトはもっと危険な場所にいると言えようが『新アジェンダ連合』[2000年のNPT再検討会議で核保有5カ国に核兵器完全廃棄を約束させるのに貢献したスウェーデン、エジプトなど7カ国の連合]の一員として発言している。......日本に問われているのは、北東アジアの安全保障環境を核の傘を必要としないものに変えていくような政策的創意と政治的リーダーシップであろう」

 わざわざ広島に行って「日本には核抑止力が必要」と言い放った菅直人首相にこの本を読んでもらいたいものだ。

 夕方、鴨川温泉「かんぽの宿」の太平洋ビューの大浴場へ。

8月26日(木)

 暑い。資料整理に疲れて昼寝。夕方「かんぽの宿」。

8月27日(金)

 午後、JFNのラジオ番組を収録。ゲストは上杉隆さん。やる必要もない代表選だが、小沢一郎が勝って本当に剛腕を振るうところを見てみたい気もするというような話をした。夕方、ANAホテルにチェックインし、早めに近くの居酒屋に行って一杯飲んで、ホテルに戻って半分眠りながら「太田総理」最終回の放映を観る。1時間半の収録がわずか20分に編集されていて、私に限らず出演者の多くの発言の肝心な部分が削られている。酷い編集をするものだと腹が立った。12時に目覚ましで起きて、テレビ朝日「朝まで生テレビ」に久々出演。「米中新冷戦はあるのか?」で、ないというのは私、生方議員、宋文洲くらいか。

8月28日(土)

 午後、名古屋の栄中日文化センターで月1度の講座。民主党代表選をどう見るか。外へ出ると、栄交差点の広場で河村たかし市長が汗だくになって「市議会リコール」の市民署名を訴えていた。市長は大勢の市民やテレビカメラに囲まれてモミクチャだったので、顔見知りの支援ボランティアに声をかけて激励した。

 自宅に戻ると、明日の釜沼の稲刈りに備えて娘夫婦と孫が来ている。前回、8月上旬に来たときに、そのへんのセブン・イレブンで300円で買った中国製の花火をやったら余りにお粗末だったので、その後研究して、東京・台東区の花火問屋「山縣商店」から本物の江戸風花火のセットを取り寄せておいた。何と言っても線香花火が本命で、中国製のパチパチパチで終わりというのとは違って、(1)牡丹(まず小さな火花と共に丸い火の玉が形作られる)、(2)松葉(細かく華やかな火花が濃密に出る)、(3)柳(柳の葉に似た細長い火花が流れ落ちる)、(4)散り菊(菊の花びらのような可憐な火花がゆっくりと出続ける)----の4段階がくっきりと表現されていて飽きない。「あっ、揺らすと玉が落ちちゃうよ」とか言いながら大人も楽しんだ。やっぱり子どもには"本物"をみせないと。

8月29日(日)

 釜沼の棚田クラブの稲刈り。家内が孫のお守りをして、私と娘夫婦が鎌を振るう。もう15年やっているが、こんなに暑い稲刈りは初めてだ。昼過ぎまでかかって4枚を刈り終えて(あとは爺様たちが機械で刈る)、公民館でカレーの昼食。そのまま「かんぽの宿」へ行って入浴。夜は東京で某政府高官、某宗教団体幹部と懇談、東京泊。

8月30日(月)

 終日原稿執筆。

8月31日(火)

 朝、東海ラジオ電話出演。昼前の高速バスで東京経由、静岡へ。静岡市に本拠を置く歴史のある文化団体「静岡体文協」で、総会の記念講演プラス社会人大学の講座で今日から3日間に6回の講演がある。体文協のリーダーは佐野つとむさんという何とも洒脱な紳士で、この活動を50年近くも続けている。毎年、夏から秋にかけて社会人大学を県内3カ所で5回(静岡・浜松は昼夜2回、島田は夜のみ)×講師4〜5人で計20回組織することを中心に、観劇会や歴史探訪ツァー、全国の銘菓の頒布、レストラン・居酒屋探訪などを行っていて、中高年層を主体に熱烈な佐野ファンが会員として参加している。私は、最初に呼んでもらったのは24年前だそうで、以来何度かお世話になっている。

 静岡きっての食通である佐野さんだから、昼はこの居酒屋や天麩羅屋、夜は寿司屋や焼き鳥屋と連れて行かれるのが楽しみである。講演のテーマは「民主党政権の1年と日本のゆくえ」で、今日は午後に静岡で総会記念講演のあと島田に移動して教室。終了後、焼津の「松乃寿司」へ。もう閉店時間なのに開けて待っていてくれるのが嬉しい。静岡泊。

9月1日(水)

 昼は静岡駅構内の地魚料理「大作」でサンマ定食。静岡で昼夜2教室。夜は参加者数名やスタッフも一緒に静岡繁華街の焼き鳥屋でしたたか飲んで、最終で浜松に移動、泊。

9月2日(木)

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 昼は、浜松駅前のビル陰に「よくぞ生き残ったものだ」と思うような終戦直後のしもた屋風の狭い店で86歳の親父が一人で取り仕切る天麩羅屋「天八」へ。24年前にもここに連れてこられて感動したことを覚えていて、「あの爺様は元気かなあ」と思っていたのだが、何度も大病をしては生き返って、相変わらず頑固
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な商売を続けている。旨い。仕事前で酒が飲めないのが残念と言いながら、我慢できずに壜ビールを佐野さんと半分ずつ飲む。飲んべえは意地汚いね。写真左は店内の佐野さんと奥の親父。写真右は、最初にクルマエビが2本出て、その次ぎに出てくる頭の唐揚げ。佐野さんがこの店に連れてきた日本民芸館の元学芸員氏が、これを見たとたんに箸を止めて黙って見つめている。「どうしたんですか」と問うと、「エビの足が美しい!」と言ってまた見つめ続ける。「天ぷらが冷めちゃいますよ」と促すと、ようやく顔を上げて、目を潤ませながら「このエビの足と器の取り合わせ。これは生きた民芸だ!」と。なるほどねえ。我ら凡人は食って飲むことしか考えないが、学芸員ともなるとそういう美意識が働くものなのか。浜松会場で昼夜2回をこなして新幹線で品川着22時33分。ホテル泊。

9月3日(金)

 午前中、上野・国立博物館の「誕生!中国文明」展。さすがに3日間で6回の講演に疲れていて、昼まで寝ていたい気もしたが、5日で終わってしまうので頑張って行った。中国の殷の前の夏王朝は長い間、神話でしかないと考えられてきたが、最近の河南省での考古学的発見で決して幻ではないことが明らかになりつつあり、その関連の展示が面白かった。

 午後、神保哲生の「ビデオ・ニュース」収録。宮台真司と私は「どちらでもいいし、"小沢首相"も怖いもの見たさで見てみたい気もするけれども、どちらかと言えば菅でいいじゃないか」という説だった。神保君は米国から帰って「日本初のビデオ・ジャーナリスト」として活動し始めた頃から知っていて、10年前にビデオ・ニュースを創設して悪戦苦闘していた時代も見てきた。近年は有料会員もだいぶ増えて経営も安定しているようで、スタッフも4〜5人に増えていた。私は5年ぶりの出演だという。彼とは早稲田のジャーナリズム大学院での教員仲間でもある。

 夜は横浜で、私が代表を務める「NPO法人神奈川馬の道ネットワーク」年次総会。神奈川県中に馬で乗り回せる馬の道を作ろうという団体で、今の焦点は、葉山町の湘南国際村の敷地内の開発中止となった広大な原野で馬を乗れるようにすること、茅ヶ崎市に湘南海岸ルートと相模川河川敷ルートを繋ぐ拠点を設けることで、その実現について協議した。

 今夜は家内も別用で鎌倉に来ているので、大船の旧宅に泊まろうかと思ったが、この暑さでクーラーの利かない家に泊まったら死ぬかもしれないので、大船駅前のホテルをとった。それで、久しぶりに我々がこよなく愛する大船の寿司屋「もり山」に行って心置きなく飲んだ。ここに住んでいた時は、夫婦で、あるいは玉木正之さんらと、しょっちゅう来ていたので懐かしい。

9月4日(土)

 朝、横浜発館山行きの高速バスで帰宅。午後から鴨川自然王国の会員たちの稲刈り。夜は宴会。

9月5日(日)

 午前は引き続き会員稲刈り。午後から早稲田の高野ゼミ生やOBたち15人ほどが来て稲刈り。夜は宴会。

9月6日(月)

 午前は引き続き学生稲刈り。昼のカレーを食べてから学生たちが高野宅へ。「ウェー」「ヒャー、すげえ」「俺、将来、絶対こういう家に住もう」「お前にゃあ無理だよ」など15分ほど大騒ぎして高速バスの停留所に向かって行った。

 ニュージーランド在住のジャーナリスト・翻訳家にして農民のリック田中が学生たちと同じバスで稲刈りに来たので、夕方は2人で近所の藪の中の韓国料理屋「味家」へ。ビールもまっこりもいくらでも飲めて困ってしまう。しかしここは送迎付きなので運転の心配をしなくてもいい。リックはNZの奥さんと大喧嘩をしてしまって帰るに帰れないので、しばらく王国に寄宿して農作業に従事することになった。

9月7日(火)

 暑い暑いとばかり言ってこの猛暑の間、外の仕事をサボッていたら、体重が2キロ増えていた。意を決して、外の道路沿いから門柱にかけて生い茂った草を刈り、樹木に絡んだ蔓を切ってやったり、午前中一杯働く。午後から来週の講演3つ分のレジュメづくりで、本を9冊読み直してメモを作る。

 水タンクが空になってから2週間、ようやくほぼ満杯になった。満杯ということは2人で普通に使って10日分はあるから一安心。後は補助水源が細くなる以前に大雨が降って地中に水が染み渡るのを祈るばかりである。

9月8日(水)

 午前中、雨がパラつく中、道路沿いの土手に紫陽花などが植えてあるところを草刈り。と言ってもここは刈り払い機で丸坊主にするわけにいかないので、植えたものや残しておくべき雑草と抜くべき雑草を区別して1本1本手で抜いていくので、幅2メートル×長さ30メートルほどを綺麗にするのに4時間はかかる。高さ1メートル弱の抜いた草の山が3つ出来た。途中、雨と汗でシャツがぐしょぐしょになって肌に貼り付くので脱いで裸でやっていたら、当然のことながらアブとブヨに数カ所食われた。

 午後から一時は激しい雨。木や草が喜んでいる。しかしこの程度の雨では水源は回復しない。夕方、近所のS婆様が「うちの新米、おいしいから食べて」と持ってきてくれる。雨の中をまあご親切に。

9月9日(木)

 午前中に本稿執筆。結構楽しみにしてくれている読者もいるので、もっと頻繁に更新したいのだが、つい後回しになる。ここ数日、何とはなしに禁煙(休煙?)していたが、長い原稿を書くとつい若いときからの癖で煙草に手が出る。

2010年8月14日

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7月28日(水)

 10時から新阪急ホテルで民放連賞「報道部門」の近畿地区審査会。テレビ大阪制作の「天空の教室〜中国四川省・標高3000mの希望」が満場一致で第1位になり、近畿からの代表作として全国審査に送られることになった。第2位は朝日放送制作の「刻まれた記憶〜JR脱線事故5年」で審査員特別賞となった。報道部門の審査員は、大宅映子(評論家)、宮本勝浩(関大教授)、吉岡忍(作家)、若一光司(作家)と私の5人。宮本さんを除いて知り合いばかりなのでモメることもなくすぐに決まった。隣では「教養部門」の審査が行われていて、玉木正之(スポーツライター)、崔洋一(映画監督)、見城美枝子(青森大教授)らこれまた知り合いばかりが来ていた。玉木さんから新著『続・スポーツ解体新書』(財界展望新社)とNHK教育テレビ「歴史は眠らない」で9月に玉木さんが担当する「柔(やわら)の道」のテキストを頂いた。

「柔の道」は帰りの新幹線で早速読んで面白かった。今年9月に東京で第28回世界柔道選手権大会が開かれるが、東京での開催は何と!1958年の第2回大会以来52年ぶりだという。それだけ「柔道」は「JUDO」となって世界を駆け巡っている訳だが、約半世紀ぶりに東京へ帰ってきたこの大会のテーマは「原点回帰」。しかし柔道の原点とは何かというと、分かっているようで分からない。そこを玉木さんが解き明かしていく...。

 4時から虎ノ門のスタジオでJFNのラジオ番組収録。今回のメインは、映画監督の若松孝二さんを迎えて、6月封切り、8月14日から全国一斉公開の最新作『キャタピラー』についてのインタビュー。この映画は凄い。昨夜、大阪のホテルでデモDVDを見て震えた。戦場のシーンはほとんど1つもないのに、これほど戦争の怖さを深く考えさせられる映画には出会ったことがない。戦争体験が風化していく中、特に若い人たちには絶対に観て貰いたい。監督のメッセージ:忘れるな、これが戦争だ!

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7月29日(木)

 久々の雨に森の木も鳥たちもはしゃいでいる。雨の中、畑のミニトマトの世話。大きいトマトは雨よけを張ったり手間がかかるが、ミニトマトは放っておいてもどんどん実が成って毎日2人では食べきれないほど獲れる。ただ枝の伸びが早くて隣同士で絡まったり地面に寝そべったりするので、もっと長い支柱を立てて棕櫚縄で縛り直さないといけない。縄は「八の字」にして、枝が支柱に擦れて傷まないようにする。昼からマーク・ロランズ『哲学者とオオカミ』(白水社)を読み始め、夕方読了。ひょんなことからオオカミを飼うことになって11年間を一緒に過ごした哲学者が、オオカミの生き方に照らされて人間とは何か(どんなにくだらない存在であるか)の思考を深めていく過程が面白い。

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7月30日(金)

 昼過ぎまで雨。合羽を着てシャベルを持って、庭の湧き水から発する小川の途中にボラが出来て水が地中に流れ込んでしまっているので、小川のコースを変えて水が下の排水口に流れていくように修理工事。ボラは水の力で自然に出来る大きな穴で、放っておくとどんどん水が地中に流入して地崩れの原因となる。気が付いたら小まめに直さないといけない。午後、原稿書きと読書。

7月31日(土)

 朝9時過ぎ、家内と共に車で10分ほどの「古代大賀蓮の里」を見に行く。自宅から鴨川市内に向かう長狭街道沿いに看板が立っていて、前から気になっていたのだが行く機会がなかった。蓮は6月末から8月中旬までの夏の花だからまだ咲いているだろうと思って行ってみた。街道から200メートルほど入った田んぼの中に1反歩かもう少し広い蓮田があり、さすがに盛りは過ぎた感はあるものの、直径30センチもあるかと思われる花がたくさん咲いている。「大賀蓮」というのは、蓮研究家の故・大賀一郎博士が昭和26年に千葉市検見川の東大総合運動場の敷地内で地下6メートルの泥炭層から蓮の実を3粒発掘し、これをシカゴ大学で鑑定したところ2000年前のものであることが判明、発芽を試みるや1粒だけが発芽に成功し、増殖させて「世界最古の蓮」として内外各地に根分けした。ここもその1つで、どうも個人が私有地で守り育てているらしい。

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 蓮池の縁には俳人=中原道夫の「蓮の實の飛び損ねたる無聊かな」という句碑が建っている。調べてみると、「蓮の実飛ぶ」というのは秋の季語で、蓮の実は秋になるとポンと音を立てて弾けるのだそうで、その瞬間を見たいと思って退屈(無聊)しのぎにずーっと見ていたがいつまでたっても弾けないという句意のようだ。

 午後から、東京の娘夫婦&孫の家へ。彼らが夏期休暇旅行中、預かっていたミニトマト2鉢とアサガオ1鉢を返しに行く(というのは口実でバアバが孫に会いたくて仕方がないというのが本当の理由)。夜は、娘らも評判は聞いていて「一度行ってみたかった」という大井町線・緑が丘駅前の元力士が営むちゃんこ屋「芝松」へ。終末のせいか、1階から3階まで100人は入るという大きな店がほとんど満員。もつ煮、夏限定メニューのトウモロコシ揚げ、刺身盛り合わせ、牛タタキ、ちゃんこ鍋......全部美味。もうすぐ3歳になる孫はどういうわけか居酒屋風メニューが大好きで、もつ煮をほとんど独り占めして「おいしいねえ」と言いながら食べていた。


娘らを近くのマンションまで送って、夜なので1時間15分で鴨川帰着。

8月1日(日)

 昨日、緑が丘の「芝松」の店を出ようとしたら、ご主人がカウンターから飛び出してきて、「いやあ、高野さん、いつも(テレビを)観てますよ」と言って、同店自慢の「力士味噌」と名古屋場所の番付表をお土産にくれた。毎場所の番付表は正価1枚50円、関係者は原価28円でまとめ買いして支援者やお客に配るので、この店でもまだ余っていたのだろう。banduke.jpeg

 で、夕方に「力士味噌」を嘗めて一杯飲みながらその番付表を眺めていて、改めて外国人力士の多さを実感した。最上段の横綱から前頭16枚目までの東西合わせて42人中、外国出身者は17人で41%。序の口までの全710人中では、外国人が11カ国58人で8.2%。国別では、多い順からモンゴル35人、中国7人、ロシア・グルジア各3人、ブルガリア・ブラジル・韓国各2人、カザフスタン・エストニア・チェコ・ハンガリー各1人で、上位に余りいないので気が付かなかったが中国が国別2位なのは、いささか驚いたし、11カ国のうち8カ国が旧ソ連圏(コメコン諸国)であるというのも面白かった。こうしてみると、相撲はもはや汎ユーラシアのものである。というか、確かに日本の相撲は『古事記』『日本書紀』にも何度も出てくるほどで、日本独自の文化&神事と結びついたものなのだろうが、同種の格闘技はユーラシアから地中海にかけて広く行き渡っていて、例えばロシアのプーチン首相は少年時代からロシア相撲の「サンボ」と日本式の柔道に親しんでいる。

 7月28日の項で触れた玉木正之「柔の道」では、相撲のルーツは中央アジア=モンゴル方面から中国に伝わって、紀元前後の漢の時代に髷や回しの様式が整えられて日本に伝わったものとされている。ということは、相撲は元々国際的な色彩の濃い競技だったわけで、それを「国技」と呼ぶようになったのは、101年前に相撲興行のための常設館が両国に出来て、命名を任された板垣退助が(戯れに、というか景気づけに)「國技館」と名付けたことによる。

 国内出身の力士の出身都道府県を見ると、多い順から、東京49人、愛知43人、大阪40人、福岡35人(以下、鹿児島、青森、熊本、千葉、茨城、兵庫)などで、やはり年1回場所開かれているところに志願者が多いようだ。これからは、場所も巡業もドメスティックに考えないで、モンゴルや中国やロシアなどにどんどん展開してアジアやユーラシアの若者をリクルートしたらどうなのか。

8月2日(月)

 早朝、暑くならないうちに草刈りを1時間半。シャワーを浴びて郵便物を解くと、新右翼=一水会の機関紙『レコンキスタ』が来ていて、7月13日に二木啓孝が同会のフォーラムで語った講演録があり、それとは別に鈴木邦夫=同会前代表の「平成文化大革命」と題したエッセイがある。「朝まで生テレビはじめあの頃は全国で討論番組が随分とありましたね」という話から、次のように言っている。

「東海テレビは、高野孟さんと蓮舫さんが司会で、毎回面白い特集をやっていた。東海テレビだが、この討論番組だけは東京の貸しスタジオで収録していた[本当は収録でなく生中継]。『あの番組の司会をやって蓮舫さんは政治に目覚めたんですよ』と二木さんは言う。そうだったのか。これは随分と凝っていたし、テーマや企画が面白かった。たとえば、『漫画興国論』とか『三枝成彰の洋魂和才のすすめ!』などがあった。漫画も個別に取り上げ、『沈黙の艦隊は浮上するか』『今こそ世直し源さんを』といったテーマもやった。二木さんもよく出ていたし、田原総一朗さんもよく出ていた。僕も何回も読んでもらったし、ここで三枝成彰さん、新井将敬さん、ビル・トッテンさんなどと知り合った。毎回、知的刺激があって楽しかった」

 いやあ、よく覚えているなあ。鈴木邦夫に出て貰ったのは覚えているが、漫画論をやったのは覚えていない。これは東海テレビ発の『週刊大予測』という番組で、その前身から数えると91年4月から2年間続いた。地方発の本格的な情報番組であったこと、私がコメンテーターではなくメイン・キャスターでやった唯一の番組だったことが画期的だったし、アシスタント・キャスターにまだ24〜25歳だった蓮舫を起用し、それが彼女が硬派番組を担当した初めてで、そこでの経験が後に彼女が政治家に転身する導火線になったこと、NHK会長を辞めさせられたばかりの島桂次さんに準レギュラー的に出演して貰い、それが機縁で95年に島・高野の共同事業として日本初のインターネット週刊誌「東京万華鏡」を起ち上げることにもなったことなど、なかなか運命的な思い出深い番組となった。

8月3日(火)

 「ミヤネ屋」出演で大阪日帰り往復。司会の宮根誠司は今週は夏休みでハワイとかで、キャスターは局アナが代行。中国人観光客激増のインパクト、予算委員会論戦と9月民主党代表選など。代表選には海江田万里や原口一博が小沢グループを背景に立候補するのかという話題になり、私は、そんなふうに小沢の操り人形みたいなのを立てて相変わらず小沢が陰に回って操るなどというのは、もはや世間に通用しない、やるなら小沢が自分で立たなければ駄目だ、という趣旨を述べた。

 昨日からNHK-BS2で山本薩夫監督生誕100年スペシャルをやっていて、昨日は「金環食」、今日は「不毛地帯」。懐かしくて2日連続見てしまった。何より驚いたのは、中心人物たちがほとんで例外なく劇中で煙草を吸っていること。今では信じられないですよね。

8月4日(水)

 早朝から芝生の雑草取りと浄化槽の点検。昨日から読み始めたデイビッド・モントゴメリー『土の文明史』(築地書館)を読了。文明の盛衰にはいろいろな要因があるが、最も基本的なのは土壌劣化で、ローマ帝国もマヤ帝国もそれで滅び、アメリカ帝国も中国帝国もそれで衰えていくと説く。だとすると、日本は本来の土と農と食の文明を取り戻せば滅びない。

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 同書は第2章で、彼のダーウィンが死の1年前の1881年に出版した最後の著作が『ミミズと土』(原題は「肥沃土の形成」、平凡社)で、その結論が「国中のすべての腐植土は何度もミミズの腸管を通ってきており、またこれからも通るであろう」というものだったと紹介している。このダーウィンのミミズ論とその後のミミズ堆肥農法の世界的広がりを自身のガーデンニング体験をベースにルポしたのが、最近出たばかりのエイミィ・ステュワート『ミミズの話』(飛鳥新社)である。農業を実践する立場からの名著としては畏友=菅野芳秀『生ゴミはよみがえる/土はいのちのみなもと』がある。菅野には早稲田・大隈塾で何度かこの話をしてもらった。土とは何かは日本文明論の大きなテーマだ。

8月5日(木)

 午前中に早稲田大学の大隈塾・高野ゼミ、ジャーナリズム大学院ゼミ、京都造形芸術大学授業の計約30人分の前期レポートを一気に読んで採点、成績表を送付する。この3つの授業の中では、学部1〜2年生主体の高野ゼミが抜群に抽象概念の操作能力が高い。夕方、少し涼しくなってから芝生にバリカンをかける。

 先日、浅草おかみさん会の冨永照子理事長(蕎麦処「十和田」おかみ)から頼まれて、町のPR誌『浅草に行こう!』に原稿を書いて、そのゲラが送られてきた。全文次の通り。
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 父母ともに東京生まれで、私も築地に生まれて疎開の後は世田谷で育ったので、まあ江戸っ子の端くれである。母は日本橋の商家育ちで下町への思い入れが強く、私が幼い頃には「お出かけ」というと下北沢から井の頭線で渋谷に出て、当時は地下鉄はそれ一本しかなかった銀座線で終点の浅草まで行って、松屋百貨店の遊園地でお猿の電車や鬼の胸にボールを当てるとウ−ッと唸る射的で遊んで、帰りに洋食屋でハンバーグ定食を食べるというのが決まりだった。
 小学五年生の夏休みの宿題で、浅草を起点に言問橋から永代橋までの隅田十橋を足で歩いて写真とスケッチでルポする絵巻物を作って、教師からすごく褒められて、考えてみるとそれが私が後にジャーナリストの道に進む原点だったかもしれない。この時カメラを胸に下げて歩いていて、警官に「このカメラどうしたんだ?」と尋問されて泥棒扱いされる屈辱を味わったことが、生涯を貫く「権力嫌い」の原点となったことも含めてである。
 高校生の時には本業のブラスバンドの傍ら「ストリップ研究会」を組織して浅草六区に通い詰めたし、大学生になって酒を飲むのは新宿ゴールデン街か浅草の神谷バーだった。近頃は「十和田」の二階で「振袖さん」を呼んで宴会をやって、二次会は「HUB浅草」でジャズを聴くというコースに凝っていて、機会あるごとに友人たちを誘っている。
 浅草が凡百の軽々しい商店街や飲食街と違うのは、こうすれば受けるだろうというような功利的な思惑で外面だけを取り繕うのではなく、そこに何代も根を張って生きている人たちが自分のスタイルで頑固な商売を繰り広げていて、「いや、なに、イヤなら来なくていいんだよ」とでもいうようなプライドを前面に押し出しながらも、実はとても人なつっこくて、遊びの本質を弁えている客ならばどこまでも深く付き合ってくれるという江戸っぽい粋がりにある。私のささやかな体験の範囲では、京都の祇園以外には浅草にしかこのような底深さはない。とくに若い人たちには、本当の遊びを覚えたければ浅草に通いなさいと言いたい。
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8月6日(金)

 朝から芝生の手入れの続き。RYOBIの芝生用バリカン、大型植木鋏、鎌、金属製熊手などを駆使して丁寧に刈り込んで、全体だけでなく必要なところには集中的に肥料入り目土を入れていくという作業は根気が要る。午後に原稿2本執筆。

8月7日(土)

 今日は、地元の高倉神社・大山不動尊の夏祭り。大山不動尊は、成田や相模大山と並んで「関東三大不動尊」の一つと呼ばれ、源頼朝奉納の太刀、足利尊氏寄進の石段、地元出身の木彫師「波の伊八」作製の欄干などで知られる、なかなかに由緒あるところで、この一帯の信仰の中心。朝から旧大山村の5つの地区から御神輿が出て昼前に集結、尊氏の石段の最後の急峻を御神輿を引っ張り上げて境内で激しく揉み上げる荒事があって、夜には各地区から山車が引かれて旧大山小学校の校庭でお囃子の競い合いが行われる。

 娘夫婦&孫がこれを楽しみにしていて、今年も参加。午前中に、我が家から300メートル下の街道沿いで御神輿を見送って、午後は鴨川グランドホテルのレストランを予約して、孫の3歳のお誕生日祝い。夕方までベランダにビニール・プールを広げて孫を遊ばせたりして、暗くなってから夜祭へ。夕食は屋台の焼きそばとたこ焼きと缶ビール。初めて浴衣を着た孫は遊び疲れてクタクタで、帰路に私に抱かれて眠ってしまい、せっかく用意した花火はやらずじまいだった。

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 前回孫が来た時に、その辺のコンビニで300円だかで100本ほども入っている中国製花火セットを買って、それでも孫は結構喜んでいたが、やっぱり安物は安物で、線香花火も昔のような華やかさはなく、最後は火の玉になってそれでもまだ落ちずに頑張って火花を出し続けるという風情はまったくない。「今は花火もこんなになってしまったのかなあ」ともの足りなく思っていたところ、7月14日付読売夕刊に「線香花火、起承転結の美」という記事があって、東京・台東区両国の花火・玩具卸「山縣商店」の山縣常浩社長が「線香花火は火花が4段階に変化する。玉が長持ちし、牡丹、松葉、柳、散り菊に喩えられるその起承転結がクッキリと出るのが、国産品の特長。輸入品は松葉の後にあっけなく玉が落ちてしまうが、国産はここからが長いんですよ。しぶとく菊の花を咲かせ続けた後、ふと玉が落ち、後には静かな余韻が残る。まるで人の一生みたいでしょう。これをじっくり味わってほしい」と語っていた。そうそう。何がもの足りないかって、このこの人生論にも繋がる華やかさとはかなさのドラマ性なのだ。「おっ、まだまだだぞ」と言いながらみな息を殺すように火玉を見つめて「あー、落ちた」と、 終わってもしばらく黙ってため息をついたりしている。それが線香花火なのですね。早速ネットで注文して、今朝から「夜になったら花火やるからね。今日はホンモノの花火だから」とか言っていたのだが、本人が眠ってしまってはどうしようもない。とまれ、ホンモノとは何かを子や孫に伝えるのは私ら世代の義務なのです。

★山縣商店:http://www.hanabiya.co.jp/

8月8日(日)

 孫たちを家に置いて、私共夫婦は渋谷の東急文化村で佐渡裕プロデュースのオペラ「キャンディード」へ。レナード・バーンスタイン作曲の名作を、いま世界中で引っ張りだこの演出家ロバート・カーセンが演出、芸術監督兼指揮者が佐渡という豪華な布陣。元々はバーンスタインが1950年代アメリカのマッカーシズム(赤狩り)に抗議するため、ヴォルテールの同名の小説を題材に痛烈な社会風刺を盛り込んだブロードウェイ・ミュージカルとして作り上げたものだが、ブッシュ政権時代にこの演出を手掛けたカーセンは、バーンスタインのその精神を受け継ぎながら、それを上回るほどの皮肉やブラックユーモアでブッシュばかりでなくサルコジやブレアやプーチンまでコケにする暴走ぶりで、めちゃくちゃ面白かった。世界の未来についての楽観主義と悲観主義との両極端の間で激しく揺れ動きながら人間の幸せを求めて激しく旅を続けるという筋書きだが、最後の結論は、幸せは何処か遠くにあると思って当て所(ど)ない旅を続けるのではなく[と主人公は言う]一所(ひとところ)に落ち着いて「森を拓いて、自分の畑を耕すことだ」と。終了後、玉木正之さんらと共に楽屋に佐渡さんに挨拶に行ったので、「私、いま、房総半島で森を拓いて畑を耕してますから。結論が同じです」と言ったら、佐渡さんが大笑いしていた。佐渡さんは来年、ベルリン・フィルを振る。小澤征爾に次いで日本人指揮者は2人目。楽しみなことだ。

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 「キャンディード」は今日が最終日。7月24日から7日間、佐渡さんが芸術監督を務める兵庫県立芸術文化センターでやったあと、東京でこの日まで3日間。これは是非再演してもっと多くの人に観て貰いたい。


8月9日(月)

 終日雨なので、久しぶりに1日掛かりで2台のパソコンの大掃除。今はMacBookをメインにして家でも出先でも基本的にこれですべてを処理するが、家にはもう1台デスクトップのMac miniが置いてあって、これの方が画面が大きく、しかもナナオの高性能モニターを縦長にしてあるので、グラフィックな作業をする時や、落ち着いて長い文章を書く時などはそちらを使う。

 作業にかかる前に、書類やメールボックスなどに溜まっている要らないファイルや、両方のマシンでダブっているファイルなどを片端から捨てて、さらにゴミ箱から完全に消去する。ご存じのように、ファイルを単にゴミ箱に捨てただけでは、インデックスが消えただけでファイルそのものはディスクに残っているから「完全に消去」しなければならない。3000とか4000とかのファイルを完全消去するには30分ほどもかかる。それから、まずはMacOS付属のユーティリティソフトでハードディスクを簡単チェックする。これは、何度やっても「問題はないようです」という答えが返ってきてどうももの足りない。逆に言えば、この頃のMacOSの機能向上と、マシンの側のハードディスクの大容量化で、ほとんどメンテが要らなくなっているということなのだろうが、過去にさんざん苦い思いをしている私はこれでは満足しない。そこで次ぎに「テックツールプロ」という診断・修復ソフトで16項目のテスト。さらに「iDefrag」という私の大好きな最適化ソフトがあって、ディスク上のあちこちに散らばってしまう同種や関連のファイルをキレイに並べ替えて、しかもそれをカラフルな画面で同時進行で見せてくれるので、「おおー、こんなバラバラが一挙にひとまとめになったぞ!」「あれ、どうしてここに少しだけ赤色ファイルを残すんだ?」とか、一喜一憂して見ているのが面白い。だが、その最適化の一番徹底的にやってくれるレベルを選択すると1台チェックし終えるのに3時間から5時間かかるので、ずーっと見ている訳にもいかない。2台で全工程約10時間。ほぼ1日仕事になる。

 今時のMacは原因不明の事故でいきなり動かなくなるということはほとんどなくなったが、時折このように大掃除をして、小さな不具合を直しておくと、ますます安心なのだ。昔はよく動かなくなって、何時間も悪戦苦闘して何とか修復するといったことがあって、旅先でそうなった時のために裏蓋を開けるための六角ドライバーを筆箱に入れて持ち歩くことまでしていたが、今はそれもしなくなった。

 私はワープロ歴29年、パソコン歴27年、Macに転向してから18年。そのMac歴の間にも恐らく100回を超えるトラブルに直面し、その度に何とかして自分で問題解決をするようにして、どうにもならなくて我が社や周辺のコンピュータ技術者や専門家に相談したのが10回ほど。彼らが「これは駄目だからメーカー修理に持ち込んでくれ」と言ってもまだ頑張って自分で何とかして、本当にどうにもならないハードウェアの破損でメーカー修理に持ち込んだのが1回だけ。原理や技術的知識は何も分からなくても、論理で考えればたいていのトラブルは解決可能なのである。それにしても、MacはOSXくらいから後は全くトラブルなしになって、その延長に今日隆盛のiPadがあると思う。近頃は皆iPadで、二木啓孝も田中良紹も山口一臣も持って歩いている。買おうかなあ、どうしようかなあ、と思い惑うのは、私の余りに長きMacとの付き合いが邪魔しているからである。

8月10日(火)

 朝、東海ラジオ。台風の影響で雨が降ったり止んだりなので、予定していた水タンクと浄水装置の大掃除は延期。それで今日は、長く放ったらかしだった個人ホームページ「高野孟の極私的情報曼荼羅&あーかいぶ」を大改造。目次ページのグラフィックも飽きたのでやめて、簡単な表組みで分かりやすく組み直して、中身についても要らなくなったファイルを捨て、更新が必要なものは更新し、リンクが切れているものは張り直し、最後はサーバー側に入って不要ファイルを大量に捨てた。これもほとんど1日掛かりの仕事で、夏休みくらいしか出来ない。

 ウェブページ作成ソフトは、いろんなことが出来そうな何万円もする高級なものがいくつもあって、つい手が出そうになるが、我々ごときではその複雑な機能を使いこなせないことをとっくに思い知ったので、数年前からKompoZerというフリーソフトを使っている。これで十分で、今年から日本語化もされたのでますます使い勝手がよくなった。


8月11日(水)

 引き続きパソコン内の書類と自分の頭の同時整理。早稲田と京都造形の今年前期講義に使用した文書、レジュメ、画像、資料等がただ乱雑にそれぞれ1つのフォルダーに投げ込んであるのを分類・整理すると、「もうちょっとこういう文献を使えば分かりやすかったんじゃないか」などいろいろ反省点も浮かぶ。

8月12日(木)

 コモンズという出版社から天空企画編『ウチナー・パワー/沖縄 回帰と再生』が贈られてきたので、すぐ読む。「沖縄のもつ本当の豊かさについてさまざまな角度から具体的に論じた本は、意外とほとんどありません」という宣伝文句の通り、第1章では食と農、漁業、医療、マングローブなど、第2章では沖縄に古くからある集落ごとの住民共同出資による「共同売店」の可能性など、第3章では伝統の祭と若者への継承などが取り上げられていて興味深い。沖縄の海人(うみんちゅ)は、イノーと呼ばれる礁湖で魚介類や海藻類を獲り、また近くを流れる黒潮に(かつては)サバニと呼ばれる高速舟で乗り出して大型回遊魚を獲るので、沖縄漁業は多品種少量生産で、魚種は2440種と、北海道を除く本州の2364種よりも多いという。漁獲量の多いのは意外にもマグロ(53%、カツオやカジキを合わせると60%超)、次いで体調1メートルに及ぶソデイカなどイカ類(13%)、いずれも黒潮に乗ってやってくる。魚種が2千数百種というのは、食用に供せられる魚がそれだけあるという話だが、昨11日付日本経済新聞の「春秋」欄が書いているところでは、日本近海に生息する生き物は確認できただけで3万3000種余りで、全世界の海洋生物種の15%に及ぶ。世界の25の海域の中でも、最も生き物の多様性に富んでいるのが日本近海で、それは、南北に長く複雑な地形を持つ国土、その列島の両側でぶつかる寒流と暖流など、他に例のない多様な自然環境によるらしい。

 「春秋」の記事の元は、海洋研究開発機構などの研究グループが8月2日発表した「日本近海の生物多様性」というレポート。全文はPLoS(科学公共ライブラリー) Oneに掲載されている。と言っても、見つけにくいだろうから、ちょっとルール違反だが直接到達するURLを記しておこう。


 これは英文なので、最下部の「Supportion Infomation」のまた一番下に日本語のpdfファイルが上下に分けて置いてある。

8月13日(金)

 朝、庭のドラム缶でゴミを燃やしていて、足元の濡れた斜面でツルンと滑って左手でドラム缶に触れてしまい大やけど。取り敢えず水で冷やして、私の万能薬(?)「馬油」を塗って処置し、予定どおり、地元で開催中の「コヅカ・アート・フェスティバル」を見に行く。私のところから街道を挟んだ反対側の山の中に暮らす画家/デザイナーの宮下昌也さんが中心になって南房総中心に約30人のアーティストが参加して屋外・屋内に作品を展開した、今回が第1回の試み。麓に車を置いて1キロほどの山道を上がっていくと、森の中にモニュメントやハンモックを使った子供の遊び場やティピー(インディアンのテント)・ゲル(モンゴル人のテント)なんどいろいろあって、頂上の「森の家」には地元作家による絵、ガラス細工、陶器、織物など面白いものをたくさん展示販売している。家内はガラスのネックレスを、私は麻の縄文Tシャツを買って、それから歩いて5分ほどのところで宮下さんの奥さんがやっている「天然酵母パン屋『かまどの火』」に寄ってパンを買って帰る。

★コヅカ・アート・フェスティバル:http://ag-kozuka.net/

 手の水膨れが酷いので、一応、近所の国保病院へ行って抗炎症剤を塗ってもらった。

8月14日(土)

 今夏のNHKの"終戦記念もの"は量的にも多いし質的にも充実している。今日の衛星第2「あの日昭和20年の記憶」3時間半は見応えがあった。

2010年7月26日

高野孟の遊戯自在録004

日誌を綴るのは難しい。ちょっと油断するとすぐ間が空いて何週間も溜まり、あ〜あどうしようかなあと思っているうちにまた何週間も過ぎるという具合で、今日フト気が付いたら2カ月近くも遅れてしまっていて愕然とした。飛ばしてしまって最近情報から書き繋いでもいいいのだが、一応日誌として始めたことなので、簡略化してスピードを上げて追いつくようにしよう。

6月3日(木)

 午後、浅草公会堂で「全国商店街おかみさん交流サミット」で「『地元学』で始まる地域おこし」と題して講演とパネル・ディスカッション。終わってすぐにタクシーで錦糸町に飛んでいって、東祥三衆議院議員の後援会総会で「鳩山辞任と今後の政治課題」について講演。参院選東京選挙区候補の小川敏夫、比例代表の清水信次両氏が挨拶に来ていた。会場に二見伸明さんが座っていたのには驚いた。東・二見両氏はかつての小沢=新進党の同志だから当然か。しゃべり終わってそのまま浅草に舞い戻り、おかみさんたちの懇親パーティに参加。こちらには民主党の蓮舫と自民党比例代表の佐藤ゆかりの両氏が挨拶に来ていた。参院選もすでにたけなわの感がある。

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※浅草おかみさん会:http://www.asakusa-okamisan.com/

6月4日(金)

 朝8時に車で家を出て神奈川県葉山町の「葉山国際村」へ。私が代表を務める「NPO神奈川馬の道ネットワーク」のメンバー10人余で同村の敷地の未使用の原野に乗馬トレッキングのコースを開発するという話が持ち上がっていて、そのための視察。県担当者の説明を受けた後に徒歩で1時間ほど見て回った。夜、横浜でジャーナリストの先輩=北岡和義さんと一杯飲んで、川崎駅前のホテル泊。
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6月5日(土)

 桜ヶ丘カントリークラブで半年ぶり(?)ゴルフ。「国際孔球会」という変な名前(孔球とは中国語でゴルフのこと)の会があって、北川正恭=元知事、成毛真=インスパイア社長らと年に何度かゴルフをしたり福井までカニを食べに行ったりしている。パターのグリップにカビが生えていたのには驚いたが、その割にはスコアは私にしてはまあまあで、ドラコンも1つ獲った。

6月6日(日)

 朝5時起きで、『日本農業新聞』のコラムを執筆。終わって朝食、そのあと草刈り作業を少々。13時から鴨川市文化体育館で、地元出身の石田三示衆議院議員が主催する「民主党・生物多様性フォーラム」を聞きに行く。基調講演は宇根豊さん(百姓、農と自然の研究所元代表)。宇根さんとは前にいつどこで会ったか忘れるほどの久しぶりだったが、「生物多様性という概念は結構だが、日本の百姓からすれば、これも外来語。昔の日本の百姓は、日に三度も田んぼを見回るほど周りの自然を愛していて、約600種類もの生き物の名前を識別していた」という名調子を聞いて心地よかった。なーにが生物多様性だ、今頃欧米人が言い出して、それを有り難がっている日本人はどーしたんだ、ということだ。このことは、いずれザ・ジャーナルでも論じたいと思う。日本農業新聞のコラムは年に2回ほど順番が巡ってくる回り持ちで、今回が第1回。「国民皆農時代へ/まず自分の自給率を」と題したその全文は以下の通り。
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 安房・鴨川の山中での田舎暮らしも丸三年が過ぎた。そもそもは、十五、六年前に故・藤本敏夫に誘われて、彼がこの地で営んでいた農事組合法人「鴨川自然王国」を訪れたのが発端である。房総の緑深い山並みに包まれて大小の棚田が点在するその景観を見て、東京から車でわずか一時間半の距離にこんな日本農村の原風景のような里山があったのかとまず驚き、しかし中に分け入ってみれば、田畑は荒れ森林は病み、平均年齢七十歳を超える集落にはそれをどうする力も残っていないことを知ってもう一度驚いて、放っておけない気持になり、それから月一度のペースで泊まりがけで通っては田植え・稲刈り、大豆・味噌づくり、森林整備などに精を出すようになった。
 作業を終えて一風呂浴びてから焚き火を囲んで飲む酒は格別に旨く、そういう時に藤本が口癖のように繰り返したのは、「二十一世紀は再び農の世紀になる。いや、しなければならない。農業とは言わない。農業はプロの農家が逃げ出すほど大変だ。もちろん若い人たちの中に農業に挑戦する人が増えることを期待するけれども、まず大事なことは、国民誰もが、何らかの程度と方法で土に触れ、農に携わって、自分の食う物の一部でもいいから自分で作ることを通じて、生命の連鎖を体感すべきだ」ということだった。彼がよく引き合いに出したのは、石原完爾将軍が戦後、山形県庄内の共同農場に立てこもりながら発した「都市解体・国民皆農」のメッセージで、「高き経済力と豊かな文化的生活は国民皆農によってのみ獲得することができる」という石原思想を今こそ蘇らせるべきだと熱を込めて語った。
 私はそれに大いに共鳴してますます熱心に鴨川の農場に通い詰め、そして還暦を期して自分もこの近くに引っ越して国民皆農を率先実践することを約束した。残念ながら藤本は癌で亡くなり、王国は加藤登紀子と次女夫妻に引き継がれたが、私は彼との約束を守って、その近くに千八百坪の荒れ果てた山林を買い求め、一年かけて開墾し、二年かけて家を建て、三年前に家内共々移り住んだのだった。
 私の食料自給率はかなり高い。米と味噌は自然王国の共同作業で作っているし、野菜も王国産の野菜と自宅のささやかな畑でかなりの程度賄っている。それだけでなく、ほとんど原野状態の庭ではタラの芽もフキもツクシもウドもクレソンもハチクの筍も山椒も採り放題で、仮に流通が途絶えても食い物に困ることはない。国の食料自給率をパーセントで云々することはほとんど意味がなく、肝心なことは一人一人が自分の自給率を上げることに責任を持つことではないのだろうか。
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6月7日(月)

 早稲田授業。夜は、早稲田のジャーナリズム大学院ゼミの学生と飲み会。品川のホテル泊。

6月8日(火)

 品川発6時台の新幹線に乗って京都へ。車中で毎週火曜日レギュラーの東海ラジオに携帯電話で出演。午前、京都造形芸術大の授業。今回は「日本の風土」論。飛んで出て大阪で「ミヤネ屋」出演。17時に早稲田の高野ゼミOGで大手食品会社の大阪支店営業で頑張っている奴が「2年目で仕事は成果も上げてどんどん任されるようになって面白いのだが、反面、こんなことしていていいのかと悩みも膨らんで」と言うので、日航ホテル裏のワインバーで人生相談。深夜帰宅。

6月9日(水)

 吉元政矩=元沖縄県副知事が上京中なので、午前中に時間を頂いてロング・インタビュー。面白かった。これほど強靱な戦略的思考の持ち主は滅多にいない。夜は浅草の蕎麦屋「十和田」で昭和19年生まれの会「一休会」の例会。「振袖さん」(本来の浅草芸者とは別のサラリーウーマン芸者集団で、これも十和田のおかみの企画による街おこしプロジェクト)3人を上げて大宴会。2次会はすぐ側のジャズカフェ「HUB浅草」で、一休会メンバー(私の高校同級&ブラスバンド仲間)の外山喜雄のデキシージャズを鑑賞。浅草ビューホテル泊。
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6月10日(木)

 長野新幹線経由で妙高市へ。私はもう何年も妙高市の(無給)顧問兼「妙高里山みらい塾」塾長を仰せつかっていて、年1回の塾の総会&イベントに参加する。今年は「赤倉観光ホテル」を舞台に、まずは周辺トレッキングで汗をかいてからホテル内で高野講演、塾総会、懇親会があり、翌日は笹ヶ峰高原でトレッキングという過密日程。泊まったのは同ホテルの新築なった別館の露天風呂付ルームで、極上でした。
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6月11日(金)

 笹ヶ峰高原で練達の案内人に導かれてトレッキングを楽しんだ後、帰京。

6月12日(土)

 18時から渋谷のイタリア料理「リストランテG」で、ショパンを弾かせたら日本一の横山幸雄のディナーショーに家内や友人の皆さん計8人で参加。ワインを飲まない訳にいかないので品川のホテル泊。
※リストランテG:http://www.ristoranteg.com/

6月13日(日)

 早朝品川を出て帰宅、8時半から地域の「地滑り防止組合」の草刈り共同作業に。午前中で終わって昼から総会を兼ねた宴会。

6月14日(月)

 早稲田で授業。午前中の高野ゼミは「民主党政権と『百年目の大転換』」。午後の大隈塾授業は、全国おかみさん連合会の会長で浅草「十和田」経営者の冨永照子さんが講師。「あんたたち、勉強ばっかしてても駄目よ!」と発破をかけて貰う。ジャーナリズム大学院のゼミを終えて京都へ。

6月15日(火)

 午前は京都造形芸術大のゼミで、梅原猛を素材に蝦夷と沖縄の話。午後は大阪で「ミヤネ屋」出演、夜は「大阪高野塾」。

6月16日(水)

 ライフストアの清水信次会長が何と83歳で民主党比例代表に立候補するというので、ライフストア本社兼選挙事務所に激励に行って、そのあと銀座の北京ダックの銘店「全聚徳」で会食。清水さんとは「朝まで生テレビ」初期によくご一緒し、また蓮舫のお父さんと親友だったので蓮舫の結婚式でも私が仲人、彼が主賓の一人ということで同席したり、何だかんだと数十年のお付き合い。小沢一郎に口説かれての出馬だが、それにしてもこのお歳で大手術する病も抱えながら「日本を変えたい!」と立ち上げる気力に感動する。全聚徳は北京に本店を持つ150年近い歴史を持つ老舗で、日本では「大地を守る会」(藤田芳和会長)の出資で新宿と銀座に店がある。リーゾナブルな料金で「北京本店よりおいしい」と言われる最上の北京ダックが食べられるのでお勧めです。

6月17日(木)

 午後、京都で講演。夜は久しぶりに嵯峨・釈迦堂前の割烹「おきな」へ。瀬戸内寂聴や麻生圭子ら京都在住の著名人も"隠れ家"的に愛用している名店。旬にこだわった料理と酒好きの親父との会話が楽しい。京都にはいろいろ謎があるが、地下鉄のホームに置いてあるこの人形もかなり謎。暴力団追放の看板も凄い。
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6月18日(金)

 京都から東京経由で長野へ行って講演。

6月19日(土)

 終日自宅。ベランダ脇の排水溝のクレソンの間をサワガニが元気に歩き回る。絶滅危惧種のトウキョウサンショウウオも卵から孵って、もうしばらくするとどこか山の中に消えていく。
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6月20日(日)

 午後から地元・旧大山小学校講堂で加藤登紀子さんの発案で「嶺岡牧の歴史を振り返る」集会が開かれた。私の自宅や登紀子さんの鴨川自然王国の南に広がる嶺岡山地は江戸時代からの軍馬放牧場だったところで、年に一度馬を追い込んで競りにかける「馬追い場」などの遺構が多く残っている。それを文化遺産として見直して村おこしに繋げていこうという趣旨で、60人ほどが集まって鴨川市郷土資料館の研究員によるスライド映写と解説、地元アマチュア写真家による昔の風景の紹介などを熱心に聞いた。私は求められて、「いずれ自宅で馬を飼って、馬に乗って居酒屋に行く」という個人的な計画について話した。

6月21日(月)

 早稲田の授業の後、19時に六本木裏通りの小さな天麩羅屋の狭い座敷で鳩山由紀夫前総理と会食。総理である間は電話をすることすらなかったが、辞めたので約1年ぶりにお会いした。「東アジア共同体研究所でも作って、ロシア外交を含めてアジア外交を自由な立場で進めたらどうか」と提案した。品川のホテル泊。

6月22日(火)

 京都へ。夕方は大阪・法善寺横丁の割烹「美加佐」で、クリーニング業界の反逆児=(株)ハッピーの橋本英夫社長と会食。この店に常備されている老舗「さつま白波」製の芋焼酎「明治の正中」がいいです。氷を入れた大ぶりの陶器の片口に一旦注いで冷やしながら氷と馴染ませておいて、それを氷を入れたロックグラスに小分けしながら飲むという、ここの女将独特の二段階方式がなおさら味と香りを引き立てる。
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6月23日(水)

 虎ノ門のスタジオでJFNのラジオ番組収録。週イチ番組を4回分一遍に録るので割り振りが難しい。夕方、旧知の米経済ジャーナリスト=リチャード・カッツが来日しているのでANAホテルのロビーで1時間半ほど意見交換。「選挙前に消費税増税を言い出すなんて菅は頭がおかしい」と。

6月24日(木)

 終日鴨川。朝涼しいうちにゴミを燃やしたり材木の整理をしたり屋外作業。朝食後、原稿数本執筆。夕方早めに飲み始めてサッサと眠り、3時に目覚ましをかけてW杯日本・デンマーク戦を観る。

6月25日(金)

 そのまま起きて、終日資料整理や授業素材づくり。

6月26日(土)

 月1回の中日新聞・栄文化センターの「新・世界地図の読み方」講義。終了後、毎週火曜日朝に電話出演している東海ラジオ「モルゲンジャーナル」のパーソナリティが4月から源石和照さんに交代したので、アシスタントの佐藤友香さんやスタッフの皆さんと飲み会。場所は私がお気に入りの伏見の「大甚」。池波正太郎が愛した店の一つとして雑誌に紹介されていたので10年ほど前から時々行っている。夕方4時開店というのが粋で、それを待ちかねた中高年層がドーッと入ってきてたちまち満員状態になる。飲み物は生ビールと瓶ビール、菊正宗と賀茂鶴の冷やか燗だけで焼酎は置いていない。つまみは小皿に盛って並べてあるのを自分でお盆を持って取りに行く。皿の形で値段が決まっていて、片づけないでテーブルに積んでおくと、最後に親父が大きな算盤で計算してお勘定となる。回転寿司と同じ方式だが、この店は開店寿司などという無粋なものが出現する遙か昔からこれでやっているので、こちらがオリジナル。たまに一人で行って冷や酒を頼むと、親父が「今日はお一人ですか」とか言って、普通の安物のお猪口を引っ込めて取って置きの切り子の盃を出してくれるのが嬉しい。

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6月27日(日)

 名古屋を朝出て帰宅。

6月28日(月)

 早稲田授業。6時半から高田馬場で高野ゼミの飲み会。最終新幹線で京都へ。

6月29日(火)

 京都授業のあと帰京、虎ノ門「酔心」で作家の大下英治からインタビューされる。旧民主党結成の経緯や鳩山・菅・仙谷らの人となり、それに蓮舫について。大下も昭和19年生まれの「一休会」メンバー。

6月30日(水)

 終日鴨川。

7月1日(木)

 終日鴨川。サイバー大学のネット授業の採点簿作製、送付。

7月2日(金)

 朝9時から連合の元総評系労組が中心になった「平和フォーラム」の勉強会で普天間問題について講演。「菅さんも仙谷さんも仲間で、普天間移設反対運動がやりにくくて...」と言うから、「そんなことはない。全国動員かけて座り込み阻止闘争を盛り上げて、菅が強行しようとすれば流血の事態が避けられないという状況を作るべきだ」と煽っておいた。午後、京都造形大学が明治神宮外苑の一角に建設した「東京キャンパス」のお披露目式典に参加。4時から新橋のスタジオで二木啓孝、山口一臣とザ・ジャーナル=楽天ニュースの参院選終盤の情勢分析番組を収録。

7月3日(土)

 11時から都内で講演。孫が鴨川に来るので飛んで帰る。

7月4日(日)

 娘と孫、娘の友達夫妻と赤ん坊も参加して釜沼棚田の草刈りイベント。急斜面で草刈り機を振り回して左足首を少々傷めた。農家のばあちゃんたち手作りの昼食を頂いて解散。夜7時に希望者が再集合して、棚田の裏の山間に蛍を見に行く。じいさまが懐中電灯をピッカンピッカン点滅させると、それに釣られて森から100匹もの蛍が我々の頭上に集まってくる。子供たちはもちろん大喜びだが、親たちも「こんなに凄いの見たことない!」と歓声をあげる。
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7月5日(月)

 早稲田デー。京都泊。

7月6日(火)

 京都造形大の授業は「七福神」や祇園祭の「山鉾」に見る日本の多国籍=多文化性というお話。写真は、授業にも用いた、拙宅に飾ってある七福神。千葉県長生郡の江戸風芝原人形作家=千葉惣次さんの作品。
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7月7日(水)

 18時から新宿で東京高野塾。

7月8日(木)

 長野で政策金融公庫支店の優良経営者グループに講演。

7月9日(金)

 終日鴨川。

7月10日(土)

 鴨川。放ったらかしだった梅の木3本の枝切り。どんどん切ってやらないと実が付かないと言われたので、『ウメの本』を買って四季それぞれの手入れ法を勉強して取り組んだ。

7月11日(日)

 午前中、近所のKさんの手助けを得て草刈り。午後に出てザ・ジャーナル=楽天の「参院選ナマ特番」へ。ホテル泊。

7月12日(月)

 早稲田デー。ゼミでは「日本史」にはアイヌ史とヤマト史とオキナワ史があるのだという話。日本史の常識の嘘をめくり返す感性を持ってほしい。京都泊。図は、沖縄ではポピュラーな新城俊昭著の高校副読本『琉球・沖縄史』の巻頭に出てくる「日本史の3本柱」。
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7月13日(火)

 京都授業は今日が前期最終。「××に見る日本文化の多様性」というレポートを課す。

7月14日(水)

 鴨川。日曜日に切った梅の枝やずっと以前に切って山積みにしてあった雑木の枝を電動ノコで40センチに切り揃えて薪にして、薪小屋に積む。半日がかりで大汗かいて、これでストーブを焚けば5日分くらいか。

7月15日(木)

 終日原稿書き。

7月16日(金)

 午前中、原稿書きの続き。午後から家内と、車で20分ほどのところにある農家レストラン「じろえむ」へ。地元の養鶏農家が築300年の茅葺き家屋を使って開いている。ばあちゃんがかまどで焚くご飯、有機野菜や野草、地飼い鶏の卵を贅沢に使った卵焼きを堪能した。
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7月17日(土)

 鴨川自然王国で今年第2回目の「里山帰農塾」の開講式と講義。「日本農耕文明の特徴」という話をした。

7月18日(日)

 終日鴨川。自宅から見る夕焼けが美しい。
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7月19日(月)

 祭日で早稲田は休講なので、自宅で日本民放連盟賞の近畿地区「報道番組部門」審査のため各局が応募した6作品を見て評価を書く。どれも1時間やそれ以上の力作なので、見るだけで1日がかりだ。JR福知山線脱線事故から5年を扱ったものが2作品、男性が親や妻を在宅介護しなければならない例が増えていて今の制度では補助を受けられない過酷な実態を描いたもの、高次脳機能障害者の苦悩、殺人・傷害事件で裁判で勝っても賠償金が払われない被害者が半分以上もある問題、など重いテーマばかり。海外取材ものは中国・四川省の少数民族の最貧村の教育熱を追った1作のみだった。審査は28日に大阪で行われる。吉岡忍、大宅映子さんらも一緒。彼らがどういう評価を下すか楽しみだ。

7月20日(火)

 京都の大学は休みに入ったので真っ直ぐ大阪に行って「ミヤネ屋」に。読売テレビの上の方が「高野は民主党寄りの発言をする危険があるので、選挙前は出すな」と言ったとかで、今月は後半に出演日が偏って、久々の出演。東京に戻って、麻布十番の焼き鳥屋でザ・ジャーナルのスタッフや楽天ニュースの責任者と選挙特番のお疲れさん会。東京泊まり。

7月21日(水)

 徳島法人会で夕方から講演。懇親会で隣に座った会長さんが仙谷官房長官の同級生で、全国的に有名な菓子舗「小男鹿本舗富士屋」の社長だった。

7月22日(木)

 帰京して夜は外国特派員協会でPR界の名物男だった椎野育太さんを偲ぶ会。新聞記者や雑誌編集者、企業の広報担当者など昔懐かしの顔ぶれが150人ほど集まった。

7月23日(金)

 鴨川。暑くて外で仕事が出来ない。珍しくクーラーをかけた。

7月24日(土)

 午後、名古屋の栄中日文化センターで講義。栄の丸善で本を見て歩き4階でコーヒーを飲み、それからホテルに荷物を置いて4時過ぎから「大甚」で一杯、という名古屋で時間がある時の定番コース。時間が余るので、伏見の「村上寿司」へ。土曜日なので先客はどこぞのドクターが一人だけ。ここにはポツンポツンと年に1回程度だろうが10年以上も来ていて、その間に親父さんが引退して息子に代替わりした。女将が電話したらしく、帰るころになって親父さんが「いやあ、お懐かしゅうございます」とわざわざ店に挨拶に来てくれて恐縮した。

7月25日(日)

 ホテルで朝4時起きして原稿書き。午後に今池のホテルで講演。名古屋は死ぬほど暑い。

2010年6月24日

高野孟の遊戯自在録003

 これ、ユウギでなくユゲと読みます。「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとうやうまれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さえこそ揺るがるれ」(後白河上皇撰述「梁塵秘抄」)ということですかね。

5月4日(火)

 終日自宅。午後から上水システムの点検。我が家の生活用水は全量、湧き水に頼っている。総じて南房総は水が乏しく、水道の一部は霞ヶ浦あたりから延々と引いて賄っている有様で、水質はよいとは言えず、しかもカルキたっぷりで不味い。おまけに、我が家に市水道を引くには、一番近いと言っても200メートル先までしか配管が来ていないので、そこから分岐させて農道に管を埋めて引っ張り上げる工事をしなければならないが、その工事費が何と1メートル当たり1万円、計200万円の自己負担となり、加入料も含めると300万円近い出費を強いられる。300万円かけて不味い水を安定確保するか、何かあれば枯れてしまうかもしれない敷地内外の湧き水を使うか----悩んだ末に、結局、湧き水にしたのだった。

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 敷地内にも水源があるが、だいぶ表層の水らしく、雨が降るとドッと増えて日照りが続くと細るので、不安が大きい。それに比べて、隣の地元農家Sさん所有の森の中には、昔は下の方の家で生活用水に使っていて最近まで田んぼに水を引くのに使っていたという山の滲み出し水があって、家を建てる前に1年間観察したところでは、真夏の日照り続きでも枯れることがない。そこでSさんにお願いしてこれを借りることにし、(1)水源にセメントで槽を作り、屋根を張って雨水や落葉が舞い込むのを避け、(2)それを塩ビ管で40メートルほど引っ張って、(3)5本の極太管に石と砂を詰めた濾過器に下から上へと通して、(4)それをまた塩ビ管で引いて、牛乳運搬トラック用のスチールタンク(容量8トン)の中に溜め、(5)家屋までポンプアップする----という完全手作りの上水システムを作り上げた。(1)(2)(4)は、当時、鴨川自然王国代表で今は民主党衆議院議員の石田三示さんの設計・施工、(3)は近所のガソリンスタンドの社長Kさんの苦心の設計・作製、(5)は地元水道工事屋さんの仕事、という地元パワーによる合作物である。

 ここは5〜7メートル下は岩盤で、その上に重粘土が乗っている地層なので、滲み出し水と言っても地下水ではない。しかし、敷地内の水源よりは深いところか出ているらしく、そのため枯れることなく常時チョロチョロと出続けるけれども、どうしても粘土が混じるので少々の濁りが生じる。それを濾過器を通した上、タンクの中でも多少とも沈殿させ、そしてさらに台所の蛇口ではポット型の浄水器に竹炭を入れたものでもう一度濾過して使う。元の水を保健所の水質検査に出しても「濁り」と「大腸菌群検出」で飲用不可となるが、濁りの問題はそういうやりかたでほぼクリアしていて、気にならないどころか非常においしい天然ミネラル水だし、風呂などはまるで温泉のように体が暖まる。

 他方、大腸菌群というのは、そもそも日本のお役所の水質検査では、土や空気や水など自然界にも店で売っている野菜にも一般家庭の台所などにもごく当たり前に存在する「大腸菌群」と、その中の「糞尿性大腸菌群」のそのまた一部である病原性「大腸菌」とを区別しないで、「大腸菌群が検出されないこと」を飲用の可不可の基準にしてしまっているので、ほとんど全く意味がない(と学問的にも指摘されている)。土はそもそも生物や微生物の死骸が風化した岩石と混じったものであって、そこを通ってくる水に大腸菌群が出ないはずがないのだ。水源の上に人家でもあれば、大腸菌そのものの検査を徹底しなければならないが、我が家の場合はどこまで行っても森で、将来にわたって家が建つことがない地形なので、何も恐れることはなく保健所の検査結果は無視しているわけである。

 そうは言っても、放っておくと水源の槽の底、パイプの曲がり角や水量調節用のバルブの周り、そしてもちろん濾過器の内部などに微粒粘土が溜まるので、週に1度はバルブを開放して簡単に掃除し、月に1度は水源の掃除も含めて丁寧に掃除し、そして年に2度は8トンタンクの水を全部放出して内部の洗浄を徹底的に行う。今日は、その月に1度の丁寧掃除を行ったのである。

 都会に暮らしていれば、栓をひねれば水が出るから「水とは何か?」「どうやって最高の水を手に入れられるか?」を考えることもない。そこが田舎暮らしの面白いところである。

5月5日(水)

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 私が代表を務める「NPO神奈川馬の道ネットワーク」のイベントで、三浦半島で野外乗馬トレッキング。いつものアクアライン経由で東京湾を渡るのでなく、家から20分ほどの金谷港に車を置いて東京湾フェリーで対岸の久里浜へ。このフェリーの何ともローカルな風情が好きで、引っ越す以前、横浜に住んで鴨川の農園に通っている頃にはよく利用した。今はアクアラインの通行料値下げでだいぶ客が減って困っているようだ。山崎養生さんはここに橋を架けろと言っているが、私は船を残して貰いたいと思う。「クリエ三浦ホーストレッキングファーム」に13時集合し、大根畑、海岸、港町などを3時間ほど巡った。

5月6日(木)

 終日自宅。読書、草取り、薪作り。

5月7日(金)

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 羽田発11:25JALで那覇経由、久米島へ。以前に鴨川の我が家から遠くないところに居を構えていた移住者仲間のIさん夫妻が諸事情あって1年半前に久米島に引っ越したので、家内共々、一度訪ねてみようと言っていたのが、ようやく実現した。普天間移設問題の大詰めで湧いている沖縄に遊びで行くのは少々気が引けるが、これはこれで割り切らないと仕方ない。大雨で飛行機が遅れて16:30過ぎ着。空港のすぐ近くのホテルにチェックインして一休みしてすぐにIさん宅へ。閑静な住宅地の中にあるどっしりとした赤瓦の古い平屋の中をきれいにリフォームして住んでいる。Iさんらが近くの海岸で採取したモズクでビールを1杯飲んでから、徒歩1分の寿司屋兼居酒屋「すし春」で夜光貝と車海老を中心とした刺身と寿司をご当地の泡盛古酒「美ら蛍」で堪能した。

5月8日(土)

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 今日も雨を覚悟していたのに朝から快晴。ホテルの前の珊瑚礁が美しい。Iさんの案内で郷土博物館「久米島自然文化センター」「久米島紬ユイマール館」「ウミガメ館」など駆け巡るように島内観光をしたあと、夜はIさんのお仲間の本土からの移住者夫妻2組を交えて居酒屋「松乃屋」で大宴会。

5月9日(日)

 また雨。「美ら蛍」を製造している泡盛工場「米島酒造」を見学。ジャポニカ米を白麹で仕込んで醸造する日本酒は雲南起源の照葉樹林文化であるのに対して、泡盛はタイ産のインディカ米を黒麹で仕込んで蒸留する熱帯雨林文化の流れに属する。奄美では米でなく黒糖を、薩摩では芋を主原料に使う。久米島には蔵が2つあり、大手の「久米仙」は本土でもよく知られる全国ブランドだが、米島酒造は正反対に、蒸釜2台・蒸留器1基を家族労働で守って昔ながらの味を頑固に保っている。午後は琉球王国時代の士族の260年前に建てられた屋敷「上江洲家」の端正なたたずまいを見学した。夕方発って19:00羽田着。

5月10日(月)

 早稲田でゼミと授業を3コマ。京都泊。

5月11日(火)

 京都造形大で授業1コマ。飛び出しで大阪で「ミヤネ屋」、今日の特集はギリシャ経済危機。そのまま帰京。

5月12日(水)

 終日自宅で原稿を書いて飽きると草取り。夜は近くの韓国家庭料理店「味家」さんで知人たちと一杯。

5月13日(木)

 今日は高速バスで東京に出る。自車を運転していけば品川駅まで1時間10分、都心や早稲田まででも1時間20分で行くので、時間がない時はそうするが、片道100キロの運転は楽ではないし、館山道、安くなったとはいえアクアライン、首都高の高速料金もガソリン代も馬鹿にならないので、ゆとりがある時はバスである。自宅から軽自動車で20分弱で館山道の道の駅「富楽里」のバス停があり、そこの無料駐車場に車を置いて東京駅行きのバス(2100円)に乗ると1時間20〜30分で東京駅に着く。計1時間40分から2時間近くはかかるけれども、眠ってもいいし本や新聞を読んでもいいしヘッドフォンで音楽を聴いてもいいし、楽なのだ。新宿で打ち合わせを3つこなして、夜は「東京高野塾」。東京駅22時20分発の最終バスで24時前に帰宅。

5月14日(金)

 鴨川自然王国の「帰農塾」で朝から開講式と講義。午後は都内に出て白金台の病院でピロリ菌の検査。4月に人間ドックを受けた時に1週間の投薬で退治するよう命ぜられ、その効果があったかどうかを調べる簡単な検査だ(結果は後日)。16時30分から港区のホテルで、王子インターパックという会社の取引先を集めた講演。王子製紙の子会社で米国の技術を用いて超硬質の段ボールを製造し、例えば機械を輸出する時に昔は木枠で囲っていたのを今ではその段ボールで梱包するのだそうだ。こんな技術があるのかと感心した。終わってすぐに浅草に駆けつけて、浅草おかみさん会主催の「三社祭の集い」に遅れて参加。どういう集まりか知らないまま行ったが、料亭の大広間に浅草の名士や経済界のおかみさん会応援団の人たちが200人ほども集まり、浅草芸者も総揚げという大宴会。隣に座った針木康雄さんから「二次会に行こう」と言われたが、玄関の大混雑ではぐれてしまったので、商店街を練り歩く御神輿を応援しながらブラブラ歩いて、デキシーランドジャズのライブハウス「浅草HUB」に寄ってボトルキープのバーボンを2〜3杯飲んで、浅草ビューホテルでバタンキュー。

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5月15日(土)

 朝6時にホテルを発って帰宅、すぐに着替えて、軽自動車に草刈り機と燃料タンクを載せて、北釜沼の田んぼの草刈りイベントへ。都会から来た家族連れの棚田会員20人ほどと一緒に、田植えが終わった棚田の土手や斜面を綺麗にするのだが、草刈り機を持っているのは地元農家の指導者たち4人(平均年齢80歳!)と私だけで、他の一般会員の皆さんは鎌で作業するので、若手(?)の私が頑張らなければならない。急斜面で草刈り機を持ったまま滑ると危険極まりないので、先輩からのアドバイスに従って今回からは「スパイク付き地下足袋」を使う。底にイボイボと鋭い突起が付いているプロ仕様で、普通の地下足袋の倍ほどのお値段。これはさすがのカインズでも置いておらず、ワークマンに行かないと買えない。

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5月16日(日)

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 羽田発9時25分JALで熊本へ。今日から2泊3日で阿蘇大草原と霧島高原で乗馬を楽しもうというわけで、友人の田中雅文さんが主宰する「フリーダム・ライディング・クラブ」(内外の乗馬ツァー専門の旅行企画会社 http://www.mmjp.or.jp/freedom/)のツァーに参加した。そのため、明日の早稲田大学と明後日の京都造形芸術大学の授業は勝手ながら休講。京都の大学が「休講には理由を添えて届出が要るんですが」と言うので、「NPO神奈川馬の道ネットワーク代表として九州地方の乗馬事情視察及び報告書作成のため」と書いて出しておいた。熊本空港で田中さんや他の6人の参加者と合流、早速、阿蘇大草原の真っ直中にある乗馬クラブ「グリーンバレー」(http://www.gv-aso.com/)へ行って、1時間半ほどのトレッキングと田中さんによる新しい野外競技「トレック」の実習。近くの公営温泉で汗を流してから牧場でバーベキュー。

5月17日(月)

 午前中、再度阿蘇で2時間の騎乗のあと、車で昼食休憩を挟んで3時間ほどかけて宮崎県都城市にある別の乗馬クラブ「サウスヒルステーブル」(http://www.wshs.net/)へ移動。予定では翌日に騎乗することになっていたが、明日は天気が崩れそうなので今日乗ってしまったほうがいいという相談になり、阿蘇とは打って変わった山岳森林トレッキングを約2時間楽しんだ。霧島温泉の古い旅館で宴会。

5月18日(火)

 早起きして小雨降る中を目の前の霧島神宮に参拝。雨で乗馬も観光もままならないので、旅館の座敷で田中さんによる「トレック」競技及び馬の生理学についての講義を聴く。黒豚丼で昼食のあと空港へ。

5月19日(水)

 親しい友人の芳賀昭八郎さんが長い癌との戦いの末に亡くなって、横浜・妙蓮寺で葬儀。芳賀さんは音楽舞台制作会社「カンバセーション」(http://www.conversation.co.jp/)の社長として、サードワールド系を中心として世界中から素晴らしい音楽や舞台を見つけてきては日本の聴衆に紹介する仕事を通じて日本の音楽シーンを何度も塗り替えてきた。私は特にフランスの騎馬オペラ「ジンガロ」の日本公演では実行委員長を務め、農水省と掛け合って馬の検疫条件を緩和させるなど一緒に苦労してきた。前夜に「弔辞を」と言われて、ぶっつけ本番でおよそ次のように語った。

「芳賀さん、あなたがこんなことになって、困っています。あなたが病に冒されて次第に痩せ細っていきながらも、なお音楽への情熱を絶やすことなく、最後まで新しい企画やプロジェクトに力を降り注ごうとするのを見ていて、私は、もし音楽の神というものがあるなら、あなたにもう何十年かの人並みの人生の時間を与えて、もっともっと大きな仕事をさせるよう「奇跡」を起こしてくれるに違いないと信じていました。しかし、やっぱり、神なんていなかったんですね。あなたが日本の音楽をはじめとした舞台芸術の世界に対してなしてきた多大の、いや多大というのは量的な表現で適切ではないですね、日本ではまだほとんど知られていない世界最先端の価値ある音楽資産をめざとく見つけ出して、どんな苦難をも乗り越えてそれを引っ張ってきて公演として成功させることを通じて、日本の音楽シーンに新しい"質"を付け加え続けてきたあなたの仕事ぶりは、もう見ることが出来ません。いろいろなことを一緒にやってきましたが、4年前のフランスの馬芝居「ジンガロ」の最初の日本公演を実現するまでの苦心惨憺は忘れることが出来ない思い出です。ヨーロッパと日本の動物検疫の基準の違いで、数十頭の訓練された馬の何頭かが入国を許されないかもしれない。1年以上も前から農水省の権益当局と折衝を続けても埒が開かず、土壇場で私があなたと一緒に農水大臣室に乗り込んで、「あんたら、国民の幸せを実現するのが仕事だろうが!」と怒鳴り上げて、それでもダメで、公演開始3日前に成田空港に着いた馬のうち座長バルタバスが乗る言わば主役の馬も含め数頭が入国を認められずそのまま送還されるという事態となった。その日の夜中、あなたと片腕の中西幸子さんと3人でしんみり焼酎を飲みながら、「中止だね」「10億円の損害かね」とか言いながらお通夜をしているるその場に、2時か3時頃、バルタバス座長から中西さんの携帯に電話があって、「入国できた馬を使って俺が何とかするよ」と...。こんなことを毎回やっていれば命は縮みますよね...。さあ、もうゆっくり休んで下さい。芳賀さん、ありがとう。さようなら。」

5月20日(木)

 終日鴨川自宅。夕方、先日知り合った鴨川の私立高校の先生が「家を新築する参考にしたいので高野さんの家を見せてくれ」と訪ねてきた。

5月21日(金)

 静岡県富士市の法人会で講演。担当の方がお茶屋さんの社長で、「新茶の正しい淹れ方」を実演付きでレクチャーしてくれて勉強になった。名刺を見ると「日本茶コンサルタント」(という検定があるんだそうだ)の肩書きも入っていて、外国にまで講習に出掛けているという。そこで新茶をお土産に頂いて、さらに会場に沼津在住の六本木男声合唱団の元団員ご夫妻が懐かしがって訪ねて下さって、そちらからも新茶を頂いてしまったので、自分のトランクのほかに紙袋を2つ抱えて名古屋へ。ホテルに荷物を置いて栄から程近い東新町の「貴寿司」で一杯。狭いカウンターの隣で盛り上がっていた3人組の1人が「オオーッ、高野さんだ。私、大ファンなんですよぉ〜」と叫んだりして、大騒ぎになってしまった。ここのご主人は、おいしい寿司があると聞くと福岡でも唐津でも食べに行ってしまうというちょっと珍しいほど研究熱心なプロフェッショナル職人で、いつも最上のものを見事な包丁さばきで出してくれる。

5月22日(土)

 中日新聞・栄文化センター(http://www.chunichi-culture.com/)で月に1度の「新・世界地図の読み方」講座。今日は北朝鮮による(?)韓国艦撃沈事件、普天間移転と「抑止力」論など。終了後帰宅。こんなレジュメを配った。

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韓国艦沈没は「北朝鮮魚雷」?!

●毎日21日付が比較的分かりやすい論調。
「米朝協議狙い"瀬戸際"過激化/交渉再開、可能性低く」
「6カ国協議、再開遠のく」

「安保理決議は困難」
・「万が一、朝鮮側の攻撃だったとして、結果論だが、これで平和協定の必要性が米国にも分かったのではないか」(北朝鮮政府関係者)
・北は「4者」=和平協定交渉を先行、米韓は「6者」=核協議を先行という駆け引き
・米の関心は「核流出」→核テロ

普天間問題のカギは「抑止力」論に

●ザ・ジャーナルでは昨秋以来、「本当に沖縄に海兵隊は要るのか?の論争を真正面から仕掛けろ」と言い続けてきた。(www.the-journal.jp→高野論説orインサイダーの項)

●中日新聞5月16日付社説「"抑止力論"の呪縛」
・首相が沖縄で「在沖米軍がすべて連携し、抑止力が維持できるという思いに至った」と言ったが説得力はない。むしろ、公約を守れなかった言い訳に抑止力という概念を持ち出したと言うべき。
・在沖海兵隊はイラクやアフガニスタンに派遣され、太平洋地域での訓練・演習にも頻繁に参加しているが、その間沖縄を空けても日本・極東で抑止力が著しく低下したという話は聞かない。
・朝鮮半島有事での海兵隊の役割は、米市民らの救出、北の核兵器確保が主とされるが、それは機動力であり抑止力ではない。(→毎日4月1日付スタルダー司令官の妄言)
・中国と米国が万一対峙した場合、航空優勢や制海権の奪い合いになるから、海兵隊よりも米海空軍の役割が大きい。
・尖閣列島も一義的には自衛隊の役割で、海兵隊が介入するかは確定的でない。
・そもそも有事には米本土から増援部隊が投入されるので、海兵隊が沖縄にいなければ抑止力にならないとは考えにくい。
・首相は「緊密で対等な日米同盟関係」を掲げるなら、県内移設の困難さを明確に伝え、仕切り直して、米軍基地(全体)の適正配置を協議すべき。

●毎日4月1日付「測り難い"抑止力"/沖縄海兵隊の意義」
・1月ワシントンでの日米安保セミナーで日本側から「沖縄の海兵隊の役割は何か、はっきりした説明がほしい」「"抑止力"という言葉で片づけず、より明確にしなければ、もう日米同盟が持たない」と。
・95年少女暴行事件後、米軍は海兵隊のオーストラリア移転を日本に打診。
・オバマ政権が今年2月発表の「4年ごとの国防政策見直し(QDR)」では「在日米軍の存在を確実にしつつ、グアムを安保の拠点に」という方向。
・「海兵隊の実力部隊をグアムに移し、現行計画で移ることになっている司令部隊を沖縄に残せばいい」(主要閣僚)。

鳩山の「常時駐留なき安保」論
●旧民主党結成直後の96年11月号「文芸春秋」論文の該当部分の全文(省略)
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5月23日(日)

 朝から雨の中、「早稲田の米プロジェクト」の学生&OBたち十数人が田植え。私の家のすぐ下の田んぼなので、合羽を着てちょっとだけ手伝って激励した。昼食後、全員が我が家に立ち寄ってくれたのでお茶をご馳走して懇談した。

2010年5月12日

高野孟の遊戯自在録002

4月19日(月)

 早稲田デー。今日から東京、大阪、高松とホテル泊まりが続くので、こういう時は、自家用車で羽田空港や品川駅に行くと駐車場代が嵩むので、地元徘徊用の軽自動車で17〜18分のバス停まで行って無料駐車場に停めて、高速バスで東京に出る。東京駅まで1時間半、7時25分に乗ると(今日は渋滞がまったくなかったので)8時50分に着く。地下鉄で15分ほどで「早稲田」。喫茶店で1時間余り新聞を読んだり資料を整理したり授業用のpdfファイルをつくったり。

 18時に授業を終えて電車で品川に行って高輪東武ホテルにチェックイン。品川駅前のお気に入りの中華屋で白湯ラーメンを食べて西麻布へ。今日は私も創始メンバーの「エンジン01文化戦略会議」のイベントで、元々は森本敏=拓殖大学教授が講演することになっていたのに、直近になって森本さんから「1人でやっても面白くないから、私と正反対の意見の貴君に来て貰って対論したい」と要請があったので参加した。話題の1つはもちろん普天間問題で、私が「抑止力とは何かという論争を米国に仕掛けていったら、結局、米海兵隊は全部グアムに引いて頂くのが一番いいのでは」という趣旨のことを述べたら、会場にいた日経新聞の田勢康弘さんが「高野さんがこれほど"左"だとは思わなかった」と。右か左かという問題ではなくて、沖縄の心をどこまで分かるかという深いか浅いかという問題なんですが、田勢さんは余りよく分かっておられないようでした。

4月20日(火)

 6時37分品川発の新幹線で京都へ。途中、7時半から携帯で東海ラジオに出演。京都駅から地下鉄とタクシーを乗り継いで京都造形芸術大学へ。まだ時間が早いので、向かいの「小川珈琲」で新聞・雑誌を読む。

 小川珈琲は、イノダコーヒーと並ぶ京都の珈琲店の老舗だが、ちょっと商売を広げすぎのようで、直営店以外に単に小川の珈琲豆を使用し販売しているというだけのフランチャイズ店が多く、ここ北白川店もそれ。珈琲を注文すると即座に出てくるということは、そのへんの喫茶店同様、作り置きして暖めてあるのをジャーッと注いで持ってくるわけで、珈琲専門店としてのプライドも心遣いも欠如している。やっぱり京都で朝に珈琲を飲むなら、堺町通三条下ルのイノダコーヒー本店がいいですね。
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モカをベースにしたヨーロッパタイプのホットコーヒー(500円)とトースト(350円)で十分幸せになるし、朝にはいささか重いので昼に行った時に注文することが多いが、名物のカツサンド(1730円)は至福です。

 京都造形芸術大学の講義が終わって飛び出して大阪で「ミヤネ屋」出演。夜は「大阪高野塾」。






4月21日(水)

 午後新大阪を出て岡山経由で高松へ。17時から時事通信=内外情勢調査会の講演。目の前のメインテーブルに、地検検事正、自衛隊司令官、陸運局長などが並んでいてしゃべりにくいことこの上なかったが、(1)検察=マスコミ一体の小沢潰しは常軌を逸している、(2)普天間問題は海兵隊のグアム全面撤退が望ましい、(3)国交省OBの天下りは目に余る----などとブチ上げてしまった。終了後、地元経済界の有力者が寄ってきて、「今日は私が思っていることをズバリ言って頂いてスッキリした。私は、大平正芳後援会から森田実後援会を経て、今は民主党を応援しているが、ここ高松では民主党支持を口にするのもはばかられるような有様で、今日は本当によかった」と。私は別に民主党支援を呼びかけているわけではないのだが、官僚体制と癒着したマスコミの報道ぶりが余りにも短視眼的で民主党政権が生まれた歴史的必然性についてまったく無理解だということを強調するので、結果的に民主党を応援していることになるのだろう。

 夜は街に出て手近な居酒屋で一杯。

4月22日(木)

 朝に高松を出て羽田経由で鴨川へ。

4月23日(金)

 終日、畑作業と薪割り。薪がだいぶ溜まってきた。薪の標準的長さは40センチ。薪小屋の奥行きは約100センチあって裏からも積めるので、上下2段を1列として4列×2で全部で8列。そうそう毎日、朝から晩まで焚くわけではない拙宅の焚き方だと一冬で1列の表裏を全部使い切るかどうかという程度。
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ということは、この薪小屋が全部埋まると来冬から数えて4年分ストックがあることになる。が、今はまだ埋まっていないので3年分弱というところか。写真で右端の列の上下と2番目の列の下は今積んでいるもので、切り口がまだ茶色。2番目の列の上は昨年秋に切った細目のもので、少し白茶色になっている。写真には写っていないが、左端の列は2年前の冬に積んでいるので、すっかり灰色がかって完全に乾燥しきったことを示している。来冬はこれを使う。


4月24日(土)

 品川駅を11時に乗って13時から名古屋の栄中日文化センターで月イチやっている「新・世界地図の読み方」講座。孫が来ているので急いで帰宅。

4月25日(日)

 田植え。この地での田植えは15〜16年前からで、最初は故藤本敏夫が主宰した農事組合法人「鴨川自然王国」でお遊び程度に。やがて同王国で棚田トラストを中心とする会員制度を整備して、田舎暮らしを体験したい都会人が年会費を払って会員となり、月1回=1泊2日の作業日を決めて集まって、その都度、田んぼの田植え、草取り、稲刈りのほか野菜の植え付けや収穫、大豆の栽培と味噌づくり、森林整備などを行うようになった。私はその事務局長役を担ったこともあり、約10年間にわたってそのほぼ全日程に参加してきた。それでこの鴨川の山奥がすっかり気に入ってしまって、還暦を機にその近くに引っ越すことになったのである。

 今ももちろん王国の会員で、その田植えには参加するが、それに加えて6〜7年前からは、早稲田大学で私が担当している高野ゼミの学生たちが田植え・稲刈りに来るようになったので、5月連休中の某日午後から翌日午前までは会員の田植え、入れ替わりでその午後から翌々日午前までは学生の田植え、という日程が定例化した。

 さらにこれらとは別に、今年からは、これも自宅から車で5分ほどの北釜沼地区の「奥谷津棚田」の会員に新規加入した。というのも、王国の会員や学生の田植えはそれぞれ40〜50人という規模になって作業も宴会も戦争状態で、私もその監督や指導で精一杯であるため、家内が東京に住む娘夫婦と孫を連れて参加しようとしても大騒ぎに巻き込まれてしまう。そこで家族で落ち着いて棚田遊びを楽しめる場所を別途確保することになったのだ。

 今日は私と家内、娘と孫、娘の友人家族2組が参加し、昨日までの冷たい雨が嘘のようなポカポカ天気の下、昼過ぎまでに予定の田植えを終えて公民館でカレーライスの昼食、解散。自宅へ戻って夕方早めからベランダでバーベキュー。野外で炭をおこして焼くと同じ牛肉でも味がまったく違うのが不思議だ。

4月26日(月)

 早稲田デー第3回。10時40分からのゼミでは、私が第1回で、「高野式心象曼荼羅図」
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(マインドマップの自己流版)の手法を用いて「高野孟とは誰か?」を自己紹介したのを受けて、学生各自がその手法を真似た図を作ってきて各自3分で自己紹介。なにせ受講生が30人いる上に、選に漏れた者やすでに一度は履修を終えたのに再度聴きたいというリピーターなど7人がモグリで入ってきているので、90分では回りきらず、残りは連休明けに持ち越しとなった。13時からの大隈塾授業は田原総一朗名誉塾頭の講義。夕方のJA−ナリズム大学院の授業を終えてそのまま京都へ。

4月27日(火)

 7時半からホテルの電話で東海ラジオに出演。タクシーで京都造形芸術大へ。終了後、京都国立博物館で開催中の「長谷川等伯展」に行ったが、なんと入り口で「150分待ち」と言われて断念。雨の中を京都駅まで歩く途中、「ラーメンを食べよう!」と思いついて京都で一番の誉れ高き塩小路下ルの「本家・第一旭たかばし本店」へ。軒先で10分間余り待たされて叉焼たっぷりのラーメンと餃子を堪能した。

4月28日(水)

 午後自宅を出て高速バスで東京に出て15時からJFNラジオの収録。ゲストは「日本創新党」の斎藤弘政調会長(元山形県知事)。30分対談したが、それでもこの党が何をしようとしているのかイマイチよく分からなかった。

 19時から新宿歌舞伎町で喜納昌吉のライブ。最初に3曲やってから、喜納さんが突然「さて、こういう時節なので、今日は特別にゲストを呼んでいます」と言い出して、上杉隆と私が舞台に上がって3人で30分間トークをするという趣向。私が「昨日、小沢さんに会ったんだって?」と聞くと、喜納さんが「うん、会いましたよ。元気そうでしたよ」と答え、上杉さんが検察のデタラメを糾弾するといった滑り出しで、やがて話題は当然、普天間問題に。私と上杉が「平野官房長官がヒドい」と言うと、喜納が「平野を官房長官にしたらと鳩山に言ったのはボクなんだよ」と。笑うよね。東京駅から高速バスで帰宅。

4月29日(木)

 終日自宅。

4月30日(金)

 イセ食品会長で世界的な美術コレクターとしても知られる伊勢彦信さんが主宰する美術鑑賞の会が時折開かれていて、今日は上野精養軒で昼食をとりながら細川護煕元首相の講演を聴いてから国立博物館で開催中の「細川家の至宝」展を観るという段取り。細川さんには政界を引退されてから初めて直にお目にかかったが、昔とまったく変わらない元気溌剌ぶりに驚いた。湯河原の山荘で陶芸、書画、最近は油絵まで始めて、好きなことばかりやっているのだから元気も当たり前か。至宝展は、第1部が細川家に代々伝わる家宝の数々、第2部が元首相の祖父に当たる護立氏が蒐集した内外美術品を展示している。どれも凄いが、私が一番心惹かれたのは第2部の片隅にあった中国・河南省で出土した春秋戦国時代(前5〜3世紀)の「銀人立像」だった。上野公園は八重桜が満開。
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5月1日(土)

 鴨川自然王国で王国会員の田植え。夜は焚き火の周りで宴会。

5月2日(日)

 同じく自然王国で、早稲田大学の高野ゼミを中心とする学生たちの田植えと宴会。今年はOB・OGを含めて45人が参加し人数が多いので、3時間ほどで割り当ての田んぼ3枚を植え終えた。夜、ゼミ生の喜屋武が三線(さんしん=沖縄蛇皮線)を弾いて歌い出すと、加藤登紀子の次女で歌手のヤエちゃんも沖縄風メロディーの自分の持ち歌をアカペラで歌った。学生たちは徹夜で飲んで議論したりしているので、私は車が田んぼに落ちない程度で切り上げて自宅に帰った。
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5月3日(月)

 9時から二日酔いの学生相手に野外講義。600万年前に裸足で土を踏みしめることから「ヒト」が生まれ、1万年前に土を耕して農を始めたことで「人間」が生まれたのだという話をした。

2010年4月24日

高野孟・遊戯自在録001

 ザ・ジャーナル上での「高野論説」=インサイダー記事とこのブログとの書き分けが結構むずかしくて、どうもこちらがお留守になってしまうので、ここではまさに極私的な旅と田舎暮らしの徒然日記のようなものを折に触れて綴ることにした。最近、50年ぶりに鈴木大拙の『東洋的な見方』(岩波文庫)を開いたら、純真無垢の赤子が大人になってさんざん煩悩世界を彷徨った末に再び赤子が無心に遊ぶ様に近づいて行くことが禅の極意で、それを「遊戯自在」と表していたのが目に入ったので、そうありたいものだと思ってそれをタイトルに借用した。「遊戯」は仏語では「ゆげ」で、「心にまかせて自由自在に振る舞うこと」の意味だそうな。

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Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

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