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« 高野尖報:"脱原発"から後退りする?野田首相 ----国連原発会合での演説案の奇怪
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高野孟の遊戯自在録033 »

高野尖報:NPOに寄付をすると税金が返ってくる?! ── 寄付税制とNPO法の改正の意義

 私は神奈川県知事認可のNPO法人「神奈川馬の道ネットワーク」の理事長を務めていて、このほどその関係者向けに、6月の国会で与野党一致で採決された市民公益税制改正の意味について、とりわけ従来は極めて難しかった「認定NPO法人」の資格取得が大幅に緩められたことについて、分かりやすく説明してほしいとの要請があって、今日その原稿を送った。この問題については、8月のJFNラジオ「ON THE WAY ジャーナル/高野孟のラジオ万華鏡」で法改正の仕掛け人である岸本周平衆議院議員をゲストに招いて詳しく論じているが、その画期性についてはまだ一般によく知られていないようなので、「NPOに寄付をすると税金が返ってくる?!」と題したその原稿をここにも再掲する。

★         ★

 今年6月というと、マスコミ・野党こぞっての「菅首相は辞めろ」の大合唱で世の中が騒然としていた頃で、あまりニュースにも採り上げられなかったので、気が付かなかった人も多かったと思いますが、実は国会では与野党一致で、これからの日本の社会のあり方にとって重要な意味を持つ法律の改正が行われました。

 正式の名称は「市民公益税制改正」で、その中身は、(1)平成23年度分離税制改正法、(2)改正NPO法の2つです。国会やお役所が使う用語はむずかしくて、そう聞いても何のことやら分かりませんが、ごく簡単に言って、NPO法人はじめ公益法人、社会福祉法人、学校法人など公益性の高い団体に個人や法人が寄付をすると所得税などの税額控除が受けられる----例えば「認定NPO法人」に100万円寄付した人は、所得税と地方税を合わせて最大50万円のキャッシュ・バックを受けられることになり、これまでに比べて格段に寄付をしやすい、寄付を集めやすい制度になりました。

 またNPO法人の制度も大きく変わって、今までの面倒きわまりなかった認証手続きが簡略化されて設立しやすくなったばかりか、税制上の優遇を受けられる「認定NPO法人」の条件も大幅に緩和されて、一例をあげれば「各事業年度に100人以上から3000円以上の寄付を集める」ことができれば、それだけで認定NPO法人として認められることになりました。

 これによって、市民が自分の意思に従って「公益」を創り出していく「寄付文化」がようやく日本で緒に着くことになったのです。またその公益を担う1つの形であるNPOについても制約条件が大幅に取り除かれて、「NPO文化」が一気に育っていく可能性が開かれました。私たち「NPO法人神奈川馬の道ネットワーク」としても、この画期的な制度改正をよく研究して、組織と活動を大きく広げていくために知恵を出し合う必要があります。

●寄付大国アメリカと比べて

 寄付文化がもっとも行き渡っているのはアメリカで、08年の統計で寄付の総額は36兆2258億円でGDPの2.20%、その総額のうち82%が個人による寄付です。イギリスでは、07年で総額1兆0812億円、GDP比0.80%の寄付があり、その94%は個人によるものでした。それに対してこれまでの日本は、07年で総額でアメリカの何と60分の1にも満たない5910億円、GDP比で0.11%、しかも寄付を出したのは81%が法人で、個人はわずか19%。1人当たりGDPではアメリカの4万6860ドルに対して4万2783ドルと、豊かさにおいてけっして引けをとらない日本でありながら、寄付という文化はないに等しかったのです。

 どうしてかと言えば、ひと言でいうと、この国は経済の図体だけは大きくても、中身はまだ発展途上国だということです。明治以来、今日に至るまで、この国では、何が「公益」であるかを決定するのも、その公益の軽重や優先順位を判断して国民の税金をどう配分するかを決定するのも、すべて「お上」であって、われわれ「下々」の者が民間同士で勝手に何が公益かを判断してお金のやりとりをするなど、とんでもないこととされてきたのです。

 アメリカでは、芸術、スポーツ、宗教など広い意味での文化に関わる寄付は基本的に非課税であるため、たとえばの話、ニューヨーク市に住む1人の老婦人が、若い時から何十年もニューヨーク・フィルハーモニーの友の会の会員で毎月のコンサートを楽しんで来たが、晩年を迎えて、一生の思い出として手元にある僅かなお金を同楽団に寄付するのは、もちろん個人の自由です。ところが日本では、今までは、そんなことは許されず、そのお金は相続税などの形で召し上げられて、そうして集まった税金のうちいくらを文化庁に割り振るか、文化庁がまたいくらを楽団への補助金に割り振るか、さらにまたその補助金をどこの楽団に割り振るかは、すべてお上が決めることで、民から民へと勝手にお金を動かすことは出来ませんでした。

●「新しい公共」という考え方
 
 つまり、こういうことです。「公と私」「官と民」で座標軸を立てると、発展途上国=日本では、「公」すなわち公共的価値を担うのは「官」であって、「民」は口出ししてはならない。官こそが高潔な精神に基づいて何が公であるかを決めるのであって、私欲の固まりでしかない民にそんなことを判断することなど出来るはずがない、ということになっていたのです。

 実は、官僚も人の子で、汚職は論外としても、退官後の天下り先にしたいところに過分の補助金を回したり、私欲で動く部分が少なくないのですが、まあ一応、そういうタテマエで世の中のお金の配分方法が罷り通ってきた。それが、民主党政権になって、いろいろ批判もありますが、1つ目新しいことは「新しい公共」という考え方をマニフェストの柱に掲げて、公共はけっして官僚の専有物ではなく、民間や地域もまたそれぞれの意思に従って公共的な価値の創出に積極的に関わるべきであって、そうしないと、中央官僚の知恵だけでは現代社会の多様なニーズを満たすことが出来ないではないか、と言い出したことです。

 今回の法改正も、実はその「新しい公共」の具体化の1つです。NPOは、特に阪神大震災のあと平成10年にNPO法が出来て、ボランティア活動をはじめ市民が自由に行う社会貢献活動を国も促すようになり、現在約4万3000のNPO法人が設立されていますが、その中で「認定NPO法人」はたったの230ほど、全体の0.5%しかありません。それは、税制優遇を受けられるようにするには、総収入に占める寄付金の割合が20%以上であることをはじめとして、そのNPOが広く社会の支持を得ているかどうかを国税庁長官が判定することになっていたためです。国税庁は税金をたくさん集めるのが仕事ですから、認定NPOを増やして税収が減るのを喜ぶわけがない。認定を厳しくするのは当たり前でしょう。

●国税庁の権限が取り上げられた

 そこで今回のNPO法改正では、国税庁からその権限を剥奪して、認定を都道府県の自治体に任せることにし、なおかつ、その認定の基準として、今までの「寄付金が20%以上」という規定もまだ残ってはいますが、それ以外に、上述した「毎年3000円以上の寄付を100人以上から集める」とか「事務所が所在する自治体の条例で個別に指定を受ける」とか、新しい規定が付け加えられて、そのうち1つの規定を満たしただけで認定NPOとなることが出来ることになりました。3000円の寄付者を100人以上ということであれば、まともな活動をしているNPOなら、どこでも目標に出来る緩やかな垣根だし、また自治体が自分で条例を作ればもっと別の形で垣根を低くすることも可能でしょう。

 寄付金の税額控除とは、税金を払う国民の側が自分で税金の使い途を決めることが出来るということで、つまりは税金の民主化を意味します。日本が官僚主導の発展途上国状態をきっぱりと卒業して、成熟した民主主義国家、市民社会になっていくための第一歩として、この新しい制度をわれわれ自身が活用し、さらに拡充していくよう下から突き上げていくことが必要です。

 そうは言っても、まだ半信半疑の方もいるかもしれません。しかしそれは、明治以来100年余り、官僚主導、つまりは「お上にお任せ」の思想にドップリと浸かってそれを不思議と思わないでやってきたわれわれの奴隷根性のせいではないでしょうか。

 もう一度言いますが、まず我が馬の道ネットワークも、実際に3000円×100人以上の寄付者を集めて認定NPOになりましょう。認定NPOに寄付をした人は、税務申告に当たって、所得控除にするか税額控除にするかを選択することが出来ますが、税額控除を選択した場合、寄付金額マイナス2000円の40%が所得税から、さらにその10%が住民税から、合計50%(ただし所得税額の25%が限度)控除されます。仮に10万円を認定NPOに寄付したとして、その寄付を通じて社会に貢献しようという貴方の気持に免じて、半分の5万円を国が負担することにして貴方にお返ししましょう----つまり貴方は実質5万円の支出でNPOに10万円の活動資金を与えることが出来るわけです。だったら、最初から10万円の支出を覚悟していたのだから、いっそのこと寄付を20万円にしようかという人も出て来るかもしれない。そのようにしてNPOという新しい公共文化圏を広げていこうというのが今回の趣旨です。

 多くの先進国だけでなく、タイなど東南アジアの国々でも、企業と並んでNPOが社会の一角を占めて、経済活動の担い手となり多くの雇用も生みだしています。アメリカでももっとも市民意識の高いカリフォルニア州では、州GDPの約10%をNPOが生みだしていると言われています。そうすることによって市民の知恵が社会の中を縦横に巡るような本当の成熟先進国のあり方が作られていくのです。神奈川馬の道ネットワークを認定NPOに発展させていくために皆様のご理解とご協力をお願いします。▲

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http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

高野 様

日本は、確かに寄付文化が発達していません。お金はお上が集めてお上が分配すると言う考え方というか、社会構造ができていて、私たちは見事にマインドコントロールされています。

私なども、国際的な機関ということで、ユニセフ、国境なき医師団など大きな団体に寄付する以外は、個人的つながりによる付き合い上の寄付に限定されています。

今回の法律改正は、調べれば分かることですが、このジャーナルでも確か高野氏が取り上げたのではないでしょうか。確かに自民党では絶対実現できない政策が実現しており、政権交代した実績は出ています。

これからは、国と地方の在り方を変えていかなければならず、地域主権を徹底し、地域の特性を住民が創造していくためには、住民の寄付の重要性がいやがうえにも増してくるものと思います。

このような意味でも、公的機関に収めるお金の半分でも、国民の自由意思が尊重されるようなシステムが成立したことは極めて大切なことと思っています。少なくともお仕着せではない文化を地方が選択できるようになったことの意義は高く評価したい。

これからは、公的機関がなかなか参加しにくい、また住民の自由意思で運営してほしいNPOを育てる体制を整備してほしい。ただ、NPO同士の差別化だけは気をつけて進めていただきたいと思います。

NPO法人の制度にしても、その他の政府の施策にしてもそうですが、当初は素晴らしいコンセプトで進んでいながら、いつの間にか既にある組織、大企業だけのための制度になるのが通常です。

一例を挙げると、IT無料講習という制度がありました。無料講習の主体はすべて某大手が握り、町のIT教室(パソコン教室)というようなところは軒並み、講習を担う機関となれませんでした。施策が民業を完全に圧迫したのです。このため、地域のパソコンサポートを担っていたちいさなパソコン教室は軒並み潰れていきました。結果、地域に密着した家庭のサポートを行えるような小さなパソコン教室は、軒並み壊滅的な打撃を受けたのです。

現状の例で言えば、事業仕分けで看板の付け替えが行われた雇用能力開発機構の担っていた仕事も、要件ばかりが厳しくなり、真面目にこつこつと活動し指導しているNPOなどは参画できなくなっています。(ちなみに、事業仕分けの成果を高らかに挙げる馬鹿馬鹿しさは、目玉であった雇用能力開発機構の解体が実は看板の付け替えに終わっていることでも明らかです。このことから考えると、民主党の一部の勢力は、看板付け替えに余念のないパフォーマンスばかりを追い求めているという批判は当たっています。)

認定基準を甘くすれば、その制度を悪用しようという連中が必ず登場します。本来、このような悪用している事業所などを丁寧に訪問すれば、悪用は簡単に防げるはずです。実態の把握は実に簡単ですが、行政の見た目の健全性確保のために、それをしておりません。そうした地道な実態に即した取組みは一切なされず、制度の基準それ自体を厳しくするのが行政のやり方です。このことは民主党政権になっても同様で、むしろ見た目の、つまりパフォーマンスのために制度の枠組みとなっています。意味不明なまでに緻密なだけで、穴だらけの厳しい基準を設け、結果、大手企業だけが認定される制度つくりに余念がありません。

なぜこんなことになるのかという理由が、高野氏の論説を見ていて分かりました。

>3000円の寄付者を100人以上ということであれば、まともな活動をしているNPOなら、どこでも目標に出来る緩やかな垣根

という高野氏は意気揚々と述べています。
NPO法人は寄付で成り立っていると思われがちですが、その多くはそうではないという実態を高野氏はご存知なのでしょうか。

寄付で成り立つようなNPOは、もともと著名人とか有名人とかを看板にすえていたり、地域的なNPOであれば看板とは別に背後に地域の有力企業がいて、その企業の手足となっていたりするNPOばかりです。地域の名称をつけていても、実は大手のデパートの手先のような団体であって「地域」ではなく、一部企業のための活動をしているNPOが多くあります。

有象無象のNPOではなく、真に社会貢献しようとしているNPOであっても、寄付金集めは困難を極めます。私自身、いろいろなボランティア活動を通じて、いくつものNPOに関与していますが、確かにその志の元に人は手弁当で集まってくれます。これはNPOならではの素晴らしいところです。ところが、一人3000円の寄付を100名集めるなんてことはなかなかできません。実際にはNPOを立ち上げた幹部たち、つまりは言いだしっぺの負担によって成り立っているというNPOが全てです。

著名人を中心とし、それだけで利権・人脈を求めて人が集まるようなNPOであれば認定を充たすことなど実に簡単です。ここ大阪のNPOであれば、大阪を応援するために出来たとされるNPOなどはその最たるものです。そしてこうしたNPOは、一旦形が出来上がってしまうと、志あるボランティアの参画は難しくなります。手足として参加するほかありません。

このように見てくると、利権・人脈の塊のようなNPOが優遇され、更に人を集めることを可能とするのが今回の改正であるとしか私には見えません。

菅氏が本当の意味で市民活動家として活動されたのであれば、おそらくは100名という数字の大きさをご存知のはずです。まともな活動をしようと思えば思うほど、難しい数字です。私はいろいろとボランティア活動をしていますが、その経験からすれば一人100円程度なら簡単に集まります。交通費が各自5000円かかっても、人は集まります。しかし、繰り返しになりますがひとり3000円の寄付は、早々に集まるものではありません。もちろん、大口の寄付を細分化して、名前を借りて寄付を集めたことにすることは、至極簡単な帳面上の操作で可能です。多くはそのようにして要件を充たすことになるのではないかと想像できます。それが許されるのであれば、3000円を100人以上という要件は至極簡単ですね。どのNPOも中心人物の年間の持ち出しは30万円どころではないからです。

しかし、それは『違法』です。真面目にやろうとしているNPOには、踏み込めない行為です。また、そんな手間暇をかけることはできないのです。会計帳簿上、単純な記載日のずれですら違法は違法であるとして賛同している高潔な高野氏が、このような帳簿操作を推奨されているとは思えません。

そうであるなら、利権のための、あるいは著名人の人集めのための、くだらぬNPOを認定するための制度、いつもの利権とは違うけれども、ちょっと思い立ってボランティアをしようとするごく普通の市民が構築し利用できる制度ではないと私は考えざるを得ません。

私は、この法案成立コラムで、自分なりに調べた結果、これまでの認識を改めることになる。
これまで、ボランティア活動=NPOの活動と考えていた。確かに、奉仕・支援活動という意味では、共通面がある。けれど、その内容は、全くと言ってよいほど異なる。
ボランティア活動は、特定個人の支援活動であってもよいが、NPO活動は、特定個人や特定企業などの活動であってはいけない、公共性が求められる。更には、一過性活動でなく、継続性が求められる。その活動は、報告義務があり、ボランティアでは、その義務がない。
その垣根の内、幾分低減されたことは、私は歓迎することであると思う。
確かに、こうした活動は、性善説の上に成り立ち、悪用される可能性がないとは言えない。
それだけに、活動の報告義務など透明性や活動目的が明確でないといけないと思える。
このコラムにあえて苦言を呈するなら、【神奈川馬の道ネットワークの活動目的】が明確に記載されていない内容では、片手落ちとも思えるのである。
又、日本に寄付行為が少ないとする提言も頂けない。あえて言うなら、都市部の多くにおいて、そうした行為を忘れてしまったと私には思えるからです。アメリカ式の個人主義が、歪められて個人の勝手と言う思想(カラスの勝手でしょ)に繋がっていると思えるからです。今回の震災で、お互いが助け合うと意識が復元されたのでないかと私は信じています。
数年前に我が集落の神社修復が必要となる。その時税金から控除される意識なく、寄付が集まる。元々公共性に関わる寄付行為や奉仕活動は、日本人にも多くあった。
それが、わが身の急がしや個人主義によって薄められたと私には思えるのです。
こうしたことを法律で制定しなければならない状態に陥っている現状が、悲しくもあり、哀れと言えるものとも思える。

<理念のカケラもない>
高野様、こんにちは。オリジナル民主党の理念づくりに関わった方とも思えない論説に怒りより心配が先立ちます。
もともと、民主党の政策では、10万円まで100%控除になっていたはず。10万円が大切なキーではなく100%控除がミソだった。つまりは財務省に関係なく税の使い方を納税者自身が決められる、という理念こそが捨ててはいけない民主党の約束だった。
良く言われのは、地方自治体に対する各種交付金について9割までは国が負担する1割は地方の負担。確かに、負担が少ない。しかし1割でも霞ヶ関は権限を持てば思い通りに統治できるのです。だから絶対に手放さない。
ことほど左様に、財務省が首を縦に振らないなら、例え1万円でも100%控除を勝ち取るべきで、それこそが国民に寄附文化、新しい公共、国民の自立的判断を促す施策だ。
私は50%財務省に上納する今回の法案は、立法府の民主党理念の敗北と判断する。

 
 
本田勉(2011年10月22日 19:34)氏
> 数年前に我が集落の神社修復が必要となる。その時税金から控除される意識なく、寄付が集まる。元々公共性に関わる寄付行為や奉仕活動は、日本人にも多くあった。
それが、わが身の急がしや個人主義によって薄められたと私には思えるのです。
こうしたことを法律で制定しなければならない状態に陥っている現状が、悲しくもあり、哀れと言えるものとも思える。
 
 
 “ボランティア”
和訳が 社会奉仕活動でもないのでしょう。
 日本社会に 馴染み難い言葉かもしれません。
 組織立てて活動を行うにしても、活動が法律によって 定義されることに 違和感がある。
 現在的に 必要なのでしょうが・・・。
  
 「地域社会」
 田舎には まだあるのでしょう。
 都市部では 消えている。
 都市部周辺では 地域社会を存続させるために、賃貸物件に住まわれる方は 基本的に排除する傾向も見受けられる。
 
 同様に 空き地や森もフェンスで囲われ 部外者は立ち入れなくなっている。
 社会的な傾向もあるのでしょうが、子供社会とそれを見守る大人の目が 失われてしまった。。。。。
 
 日本には より濃密に 地域社会内を基本限定として、
 ボランティア的なものは 当たり前のように存在していた。
 教えられ 意識的に行う行為としてではなく、、、、、
 “村八分” 日常的に村外れな状態。
 残りの二分は 火事とお葬式、この時は“村人”扱いされます。
 
 
 遺伝子的に、 
この国には 現在のように「中央主権」的な政府を持つあり方は
似つかわしくないのかもしれませんネ。。
 
 

太郎 | 2011年10月24日 01:13様
色々な示唆に富んだレスありがとうございます。又少し横道にそれます。
以前に日本は、「わ」の国と呼ばれ、日本人に適した名前である旨の投稿をしました。
地域の結集制は、「わ」で示すことができます。この「わ」を乱すものが、除外され、村はじきと呼ばれるものや村八分に繋がると思われます。村八分は閉鎖的社会の象徴と思われがちですが、私はそう思っていません。残りの2分に寛容性があり、個人の生存、尊重を認めているからです。謂わば、言論の自由・表現の自由を認めているものとも考えられます。
「わ」を乱さないために、掟(法)があり、長(中心点)の求心力の強さがあると思えます。
また、「わ」を維持するためには、協力し合うと言うことが当然と言う思想も生まれました。
先人の教えには、色々学ぶものが数多くあると思えます。
>この国には 現在のように「中央主権」的な政府を持つあり方は
似つかわしくないのかもしれませんネ。
のご主張には、少し違和感があります。
【現在のような「中央集権」に問題あり】と思えるからです。
集落>市町村>県>国のそれぞれの係わり合いをどの様に捉えるかで、「中央集権」も趣きが違ってくると思えるからです。図で表現する方がよいのですが、点在する「わ」(集落等)を1つの統一主体と、線で繋ぐのか、輪の中に組み入れるのか、又その輪を全部組み入れる大きな輪、若しくは一部分組み入れるのかで、その業態は異なってきます。つまりは、中央の形をどの様にするのかで、中央集権国家の形も変わります。
現在の日本は、戦後の復興と言うこともあり、大きな輪ですべての周りの輪を包み込む形で進められてきた。本来、戦後復興と共にこの輪を小さくし、それぞれの「わ」の係わりを見直していく方がよかったのでないかと考えます。
一部組織は、民営化という形で、中央の「わ」から出ましたが、まだ不要な組織や権限が数多く残っています。
大きな「わ」で、すべてを統括する形のまま、国家が進み、中央に巨大な力(官僚組織)を与え、小さな「わ」は、与えられるものに満足し、不足となれば、中央に依存する、独自で解決する思考を失い、独自性を失ったのでないかと思います。
現在地方は、その力に目覚めていると思えます。一部の人は、それを地方やこのNPO活動のような組織と中央の対立と受け止めている趣もあります。
私は、そう思いません。内なる「わ」が徐々に大きくなり、国家という「わ」から飛び出す勢いであり、それを何とかして、従来の「わ」の中に押し留めたいとする勢力の1つが、官僚組織でないかと考えます。
ですから、中央集権に問題があるのでなく、中央集権の形態を転換できない中央の組織に問題ありと考えます。
官僚組織そのものが、未だ思考停止であり、既存の中央集権形態に甘んじていると思えるのです。そのよい例が「復興庁」の在り方です。

 
 
本田 勉(2011年10月24日 18:35)氏
> 一部の人は、それを地方やこのNPO活動のような組織と中央の対立と受け止めている趣もあります。 私は、そう思いません。
> 中央集権に問題があるのでなく、中央集権の形態を転換できない中央の組織に問題ありと考えます。


 賛同します。


> つまりは、中央の形をどの様にするのかで、中央集権国家の形も変わります。
> 本来、戦後復興と共にこの輪を小さくし、それぞれの「わ」の係わりを見直していく方がよかったのでないかと考えます。


 頓珍漢なコメントになるかと思いますが ご容赦。
宗教は 社会から認知され・許容を受け 立派な教会を持った瞬間に、その“教え”は 終焉したと感じてます。
ソ連邦の高大な社会主義実証実験が 終わったにもかかわらず、総括されないでいるから、“民主集中制”などと云うトリックの残滓が残っていると思います。
“異端の徹底排除” “批判思想の粛清”が 歴史的に行われ続ける。

 個人と社会の関係性の問題。
  村八分は 個人を排除する論理ではない。
  許容するものと存じます。

 
 国と官僚システムは [継続性]に重きを置きます。
これなくして 国の安定は得られません。
政治が替えてゆくしかありません。
保守的改革か、急激な変革かは 社会情勢に寄ります。
より“求めたい。”のが 世代交代に基づく改革 です。。。

 国がいかなる形態を採用するかは 社会情勢に大きく依存するのでしょう。
それでも 明治政府以来 この国は、徳川幕府の時代まで積み上げてきた“埋蔵金”を 使い尽くしたように感じます。
歴史的に見ても 明治以前に 地方は地方独自で 国土を有効に利用し、万遍なく人材を育んでいました。
近代日本の繁栄は 偏ったものだったと 考えます。。
 
 

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Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

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