Calendar

2011年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

Recent Trackbacks

« 2011年8月 | メイン | 2011年10月 »

2011年9月20日

高野尖報:"脱原発"から後退りする?野田首相 ----国連原発会合での演説案の奇怪

 共同通信19日発によると、「野田佳彦首相が22日にニューヨークの国連本部で開かれる『原発の安全性と核の安全保障に関するハイレベル会合』で行う演説案全容が18日、判明した。東京電力福島第1原発事故を受け『原発の安全性を最高水準に高める』と表明、同時に『安全でより信頼性の高い原子力エネルギーの確保は引き続き必要だ』と直ちに『脱原発依存』へ移行しない立場を明確にする。事故原因を徹底検証し、結果は国際社会への全面開示を約束する」という。

 これを受けた19日付東京新聞は第1面で「脱原発依存、明言せず/安全強化『今後も必要』」との見出しを付して報じた。これは一体どういうことなのか。かつて脱原発に突進しようとする菅直人前首相に「脱原発とは言わないで下さいね」と注文を付け「将来的には原発に依存しない社会」というやや穏健な表現に落ち着かせた当時の官房長官=枝野幸男が経産相になって、その穏健な表現さえからも後退して、それを前面に出さない方向にこの内閣は転身しつつあるのかもしれない。

 共同通信が伝えた演説案がもしこの通りだとすると、これは自分の言葉に対する裏切りであるだけでなく、同日東京の明治公園で開かれた原発廃炉6万人集会に象徴される国民感情に対するあからさまな挑戦である。

●野田のフラフラの根源

 9月3日付高野論説(i-NS591)で述べたように、野田の就任直後の初会見でのこれについての彼の発言は次のようなものだった。

▼原発の新設は現実的に困難だ。
▼寿命が来たものは更新することなく廃炉とする。
▼電力需給はこの冬は何とか乗り越えられると思うが、来年は幾分心配なところがある。再稼働できる原発については、ストレステストなど安全性をしっかりチェックした上で、地元の理解を得て再稼働させたい。
▼現体制の保安院が安全性のチェックをするのでは国民の信頼感が得られないと思うが、(保安院の機能が環境省に移る)来年4月まで対応を待つのでは遅すぎるので、過渡的な中で国民の不安をなくすにはどうするか、原発事故担当相を含めて議論したい。
▼将来的に「脱原子力依存」。自然エネルギーの大々的普及や、省エネ社会を着実に推進する流れの中で、丁寧にエネルギー基本計画を作り上げなければならない。

 それを捉えて同論説では「野田もそのやや穏健な表現の継承者である」と、これをさらに明確な脱原発方針に発展させて貰いたいとの期待を交えて、いささか肯定的に評価した。が、13日の所信表明演説では、

▼原子力発電について、「脱原発」と「推進」という二項対立で捉えるのは不毛です。中長期的には、原発への依存度を可能な限り引き下げていく、という方向性を目指すべきです。
▼同時に、安全性を徹底的に検証・確認された原発については、地元自治体との信頼関係を構築することを大前提として、定期検査後の再稼働を進めます。
▼原子力安全規制の組織体制については、環境省の外局として、「原子力安全庁」を創設して規制体系の一元化を断行します。
▼化石燃料に乏しいわが国は、世界に率先して、新たなエネルギー社会を築いていかなければなりません。わが国の誇る高い技術力をいかし、規制改革や普及促進策を組み合わせ、省エネルギーや再生可能エネルギーの最先端のモデルを世界に発信します。

 と、何だかよく分からない論理的な不明確に逆走し始める。第1に、過去3分の1世紀の「反原発」と「推進」の二項対立が不毛だったのは事実だが、「脱原発」と「推進」という二項対立などというものは存在しない。フクシマの後では、すでに全国民的に「脱原発」の方向は(読売新聞の狂った論調などを例外として)ほとんど確定しており、その枠の中で、「即時」という反原発に限りなく近い立場と、朝日新聞などのように「30年かけて」といった事実上原発の存続を肯定する立場と、あるいはその中間的な立場とが対立し得るのであって、その意味で野田は「中長期的には」脱原発依存(つまり「中長期的には」原発存続を容認)の2番目の立場で、しかも「可能な限り」という限定が付いていて(つまり「可能な限り」以上には踏み込まない)、なおかつ朝日新聞などと違っていつまでという年限は明示していない。

 第2に、他方、会見でも所信でも触れていないが、文芸春秋9月号の「わが政権構想」では「新興国を中心に原発導入の流れが加速してい」るので「短兵急に原発輸出を止めるべきではない」と言い切っていたから、なおさら推進に近い存続論ということになる。なぜなら、原発輸出を肯定するということは、今からベトナムやヨルダンなどと交渉を進めて、実際に建設に取りかかって完成するには短くても10年かかり、それで運転開始して最低30年はその運営に責任を持たなければならないのだから、今から最低限40〜50年は原発文化を手放すつもりはないと宣言するに等しいからである。

 野田が国連の会議で言うことがあるとすれば、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマを体験した日本は、もうこれ以上核の悲惨を国内はもちろん全世界で繰り返さないために「核なき世界」の実現のために先頭に立つ決意である、ということではないのだろうか。▲

2011年9月17日

高野孟の遊戯自在録032

9月1日(木

 鴨川自然王国の「里山帰農塾」の通算第39回、今年度第3回が9月17〜19日に開講するので、メールのやりとりでその打ち合わせ。今回のテーマは「地域コミュニティで暮らす」ということで、私の5年目に入った鴨川暮らしの体験に基づいて「コミュニティとは何か」を講義してほしいとのこと。東日本大震災の復興を考えても、結局のところ、国が何をしてくれるかと上からの施策を待っていてもどうにもならず、それをどうだこうだ批判しているよりも、地域の共同体が下から知恵を結集して何とかするしか仕様がない。東北の現実は、国よりも自治体やそれを支える地域のほうが問題解決能力があり、それが発揮されることをむしろ妨げているのが国による一律的な規制やその背景にある不毛な平等主義ではないかと思えてくる。例えば、仮設住宅を作るのに、当初、国が各県各市町村で一定の基準を満たすように作れと命令したことが、各地の実状に応じた対応にとって大変な妨げになったと聞いた。この国はそのような馬鹿馬鹿しさで満ちている。
★鴨川自然王国/里山帰農塾:http://www.k-sizenohkoku.com/

9月2日(金)

nata3.jpg
 野田内閣の組閣人事のニュースを聴きながら、今日は丸1日、刃物類の手入れ。鉈は、大中小3種類は私が知り合いの高知県南国市の鍛冶屋「トヨクニ」で自分で鍛造した----とは言っても格好だけで、プレス機械で叩きながら軟鉄本体に鋼を焼き締める作業をちょっとだけ体験させて貰ったというだけで、後はプロが刃を叩き柄を付けて仕上げて送ってくれるだけなのだが----ものがメイン。他に、もっとゴツい山林用と細身の竹割り用などがあるので、鉈だけで5本も6本もある。何カ月に1度は全体を点検して、錆を取ったり刃を研いたりして、いつもベストの状態にしておかなくてはならない。写真は自製の鉈の3兄弟。

9月3日(土)

 朝7時に北海道放送の中村美彦キャスターのラジオに電話出演。野田内閣について原稿執筆。そのあと道具小屋に籠もって道具の整理作業。

9月4日(日)

nokocase.jpg
 先月末に館山の田中惣一商店で買ったノコギリがビニールのチャチなケースに入っていたのが気に入らなくて、半日かけてケースを製作した。こういうケースを、板切れを貼り合わせて、カチッと填まるようちょっとした仕掛けを施して、柿渋、弁柄、漆、くるみなど植物油といった伝統塗料を適当に組み合わせて塗り上げるのが、私の趣味の1つ。今回は、柿渋を1回だけ塗った上に荏の油を板に沁み込むほどたっぷり塗って磨き、最後にニスを薄く塗った。左にあるのは、以前に作った稲刈釜のケースでこれは柿渋と弁柄を混ぜて塗ってある。

9月5日(月)

 午後に出て、麻布の事務所で打ち合わせの後、サントリーホールでソプラノの中丸三千繪のモノオペラ。プーランクの「人間の声」50分、三枝成彰の「悲嘆」90分を一夜で歌い遂げる中丸の迫力に圧倒された。

9月6日(火)

dakkoku.jpg
 朝の東海ラジオは野田新首相の党・内閣人事はまずまずで、「輿石幹事長」は小沢もビックリのズバリ内角高め直球ではないかというお話。10時から釜沼北の棚田クラブの脱穀作業。本来4日の日曜日に会員参加のイベントとして予定していたのが、台風の影響による雨で延期となった。急な変更でしかもウィークデーなので都会人会員の参加は無理なので、地元会員の米国人C君夫妻、陶芸家のM君、家族を都会に残して単身赴任で農業を目指しているI君、それに私が参加。3時間ほどで2反歩余りの会員用田んぼの脱穀を終え、指導者である4人の爺様の1人Sさん宅に運び、乾燥機に投入した。夕方涼しくなってから、春に植えた野芝の伸び放題を刈り込む作業に着手。

9月7日(水)

 13時半から引き続きSさん宅で、籾摺。昨日乾燥機に入れた籾を、今度は籾摺機に流し込んで、玄米状態で流れ出てくるものを30キロ袋に詰めるのが全自動で行われるので、人力が必要なのは袋の口を縛って積み上げるだけ。30キロ袋で28袋、840キロ、ということは14俵、ということは反当り7俵で、出来のよかった昨年よりやや少ないが、まずまずの収量である。21組の会員に分けると1組当たり40キロの配分となる。年会費が3万円なので、単純に計算すれば10キロ=7500円の米ということになるが、田植え・稲刈りはじめ月1回程度のイベントで遊ばせて貰い、その度に何十人分の昼食を用意してくれて、またイベントの合間には爺様方がいろいろな準備作業や田んぼの手入れを怠らない訳だから、高くないどころか、ボランティアで世話してくれている爺様方に感謝しなければならない。夕方、家の芝刈り続行。

9月8日(木)

 明後日、雑誌の取材が来るので、家内は家中、私は散らかり放題の書斎の大掃除。午後から原稿を書き始めたが、夕方、なでしこジャパンの試合を観戦しながらビールを飲み始めてしまったので完結せず。

9月9日(金

 早朝から原稿書き続行。終わってから大掃除の続きで、芝刈り、畑の雑草取り、道具小屋の片づけなど外回りの整備を行う。昼から「9・11」10周年関連の記事をまとめて読み、論点を整理した。夕方車で横浜に出て「NPO神奈川馬の道ネットワーク」の年次総会に出、理事長として挨拶と司会を果たし、21時過ぎに帰宅。

9月10日(土)

 トステム・グループのPR誌の「お宅拝見」という感じの取材で、編集者、ライター、カメラウーマンが来訪、2時間ほど家で過ごしてから13時過ぎに一緒に鴨川自然王国へ。今日は王国会員プラス早稲田の高野ゼミ現役&OBによる稲刈りで、学生15人ほどで4時間でほぼ1
juku-ine.jpg
反歩を刈った。例年通り、今年も鎌で指を切る奴がいて、スタッフが近くの病院に運んで2針縫って貰って来た。始まる前に、(1)鎌は鞘がないから持ち歩く時は気を付けろ(だから私はケースを自製している=9月4日参照)、(2)腰に差すと転んだ時に腹や尻に刺さるぞ、(3)稲を刈る時は勢いをつけて叩き切ろうとしたり力を入れて水平に引いたりしないで(水平に引くと勢い余って足に刺さる)、そーっと差し込んで左手で掴んだ稲束の後ろに当てて斜め上に引き上げれば何も力を入れなくともサクッと切れる、(4)左手で稲を束ねる時は親指を下にせず小指を下にしろ(親指は独立して動くからうっかり下に伸ばすと鎌に当たって切りやすい)----などと懇切丁寧に説明するのだが、そもそも今の若者は"刃物教育"を受けていないから扱いが巧くない。私ら子供の頃は、誰もが肥後守を持ち歩いて近所の大工の息子から研ぎ方まで教わったし、小学校4年くらいからは「海軍のおじさん」と呼んでいた母方の叔父にハイキングやキャンプに連れて行かれて米軍お下がりの大型ジャックナイフで何から何まで自分で細工することを教えられたものだ。町村信孝が文科大臣の時に学校でナイフによる傷害事件が起きて「学校に刃物を持ち込むな」という通達を出したので、私は「逆だ。学校で刃物の扱いを教えろ」と猛然たる抗議文を送った。町村は昭和19年生まれの「一休会」のメンバーである。

 夜は焚き火を囲んでバーベキューの大宴会。ほどほどで軽4輪を運転して帰った。

9月11日(日)

 昼前の高速バスで千葉市に行き、民主党千葉県連の政治スクールの記念講演。早稲田の大隈塾社会人コースの卒業生で今年春に大手食品会社を辞めて佐倉市議選に民主党から立候補、初当選した高木大輔君からの依頼なので、喜んで行った。県議・市議中心の100人ほどの方々に、「民主党政権3年目の課題」について講じた。

9月12日(月)

 東京FM系JFNの全国ラジオの収録は自民党の異端児=河野太郎さんがゲスト。「核燃料サイクルは破綻している。即刻、計画を取りやめろ」という持論を40分間、思い切り語って貰った。明快で気持ちよかった。東京泊。

9月13日(火)

 東海ラジオは、野田首相が「安全な原発は再稼働」と言うがどういう基準で安全というのか、私の基準だと再稼働を検討してもいいものは数基しかなく、再稼働は実質的に不可能で、その意味ですでに原発は終わっている、という話をした。午後から大阪へ行き、日本政策金融公庫の大阪西支店の講演。19時半に心斎橋の「若松」で何年かぶりに愚弟=津村喬と一杯飲んで近況を報告し合った。今は京都に住んで、相変わらず「気功」で頑張っているようだ。大阪泊。

9月14日(水)

 新幹線の車内誌『ひととき』9月号に「主に食文化の視点から世界各地を取材」しているというフォト・ジャーナリスト=森枝卓士が、こんなことを書いている。「『とりあえずビール』が嫌いだ。そんな消極的な理由でビールを選ぶなんて、ビールに失礼ではないか。
『××ビールが飲みたい』ということでなければ。それが酒飲みの矜持ではないか」と。な〜にを言っているんだ。「とりあえずビール」というのは、上着を腕に抱えていても背中を汗が流れ落ちるような暑い日の夕方に、ようやく店に飛び込んで、「あ、つまみは後でゆっくり頼むから、取るものも取り敢えず先にビールを持って来てよ」という、もう午後の内から夕方のこの1杯のことばかり夢想していたビール好きが、もう多くの言葉を費やすのももどかしいという
気持で発する切羽詰まった省略形なのだ。飲み屋に行って「うーん、冷酒にしようかな、芋焼酎のロックにしようかな、まあ取り敢えずビールにしておこうか」なんて迷う奴がいると思ってこんなことを書いたのだとしたら、貴方こそ酒飲みの心理が分かっていない。人様に向かって「酒飲みの矜持」とか言うのは10年か20年早いんじゃないの。
higan.jpg
hagi.jpgのサムネール画像tsuribana.jpgのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像
 帰宅すると、彼岸花が出始めていた。萩も今が盛りだし、ツルバナの実も
赤く熟れて鳥についばまれるのを待っている。残暑が厳し
いながらも初秋の気配が広
がってきた。▲

Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.