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高野孟の遊戯自在録023

5月23日(月)

 早稲田授業のあと、当方の若いスタッフが最近仲良くしている「将来大物間違いなし」の某政治家の秘書と4人で一杯飲もうということになり、溜池の焼き鳥の名店「八っちゃん」を予約しようとしたら、「建物の老朽化で外壁が崩落し、いま店の前の歩道も通行止めになっている」とのこと。前から「危ないよね」と言っていたのだが、大丈夫かね、全く...。仕方なく、八重洲地下街の居酒屋に変更した。

5月24日(火)

 朝から雨。終日デスクワークで、夕方ホッとして昨日頂いたカタクチイワシの酢漬けで晩酌したら、これが地獄の食あたりとなってしまい、深夜2時過ぎに体中痒くて目が醒めて、たちまち上から下から激しい排泄作用が始まって2時間トイレに立て籠もり。2時間ほどで治まり、全身の発疹も嘘のように消えたものの、胃酸の逆流による胸焼けヒリヒリと、脱水症状による全身倦怠で、眠ることも出来ない。

5月25日(水)

 七転八倒しつつ水を飲んではうつらうつらを繰り返して、昼前にようやく起き上がって近くの国保病院に駆け込んだ。「典型的な食あたりですね。重大な感染といった心配はありませんから」と、アッサリしたもので、薬を貰って帰って来た。梅雨時以降は特に光り物は気を付けなければ。私は、舌が敏感なほうで、賞味期限など一切信用せず口に入れて大丈夫なら食べてしまうし、逆にちょっと傷んだものはすぐに分かって、家でも店でも『これちょっと味がおかしいよ』と忌避できるので、こういうことは滅多にないが、酢で絞めてあるとその味覚センサーが働きにくい。10年以上前だったか、出先で失敗した時も牡蠣酢だった。

 夕方から三浦半島で予定されていた「NPO法人・神奈川馬の道ネットワーク」の幹事会は欠席。自分で電話を掛ける気力もなくて、家内に伝えて貰った。神奈川県茅ヶ崎市の海岸にほとんど活用されていない「青少年キャンプ場」という施設があって、それを馬のいる野外活動施設として再生できないかということを5年も前から県に提案してきて、このほど市の方から「指定管理者に立候補してくれ」という前向き提案があって、その事業構想を検討する会議なので、どうしても行きたかったのだが、残念。

5月26日(木)

 今日も寝ていたかったが、大阪で日刊労働通信社のセミナーがあり、穴を空ける訳に行かないので、死ぬ思いで車を運転して高速バスのバス停に行き、バスの中で1時間半、新幹線でまた2時間半、うつらうつらを繰り返しながら、天満橋の会場に辿り着いただけでほとんど燃え尽き状態。開演まで1時間、控え室で横にならせて貰い、しかし講演は手を抜くことが出来ないので、全力で1時間半、しゃべりきる。当初予定では日帰りとなっていたが到底無理なので、天然温泉付きのホテル阪神を取って直行、薬と水だけ飲んでウトウトを繰り返すこと15時間半。

5月27日(金)

 さすがに何か食べないといけないので、ヨロヨロと出て行って近くのコンビニでバナナを買って、無理矢理1本押し込む。それ以外は液体しか入っていかない。断続的ながらも長時間眠ったので、少しよくなって、温泉で身を整え、新幹線で帰京。しかしもうそこまでで、バスで家に帰って明日また名古屋行きのために出てくるという気力も体力もなく、安宿を取ってひたすら薬と水とバナナと睡眠。その合間に、無理矢理身体を起こしては明日の名古屋のレジュメづくりに取り組むのだが、いつもなら30分で済む作業が途切れ途切れで3時間をかけても終わらない。ようやく送信したのは午前6時前だった。

5月28日(土)

 13時から名古屋の中日文化センターで月1回の講義「新・世界地図の読み方」。私はいつでも全身全霊をかけてしゃべるから、この2時間の講義も、いつもは目一杯やって受講生から質問を受ける時間もなくなることが多いのだが、今日はダメで、1時間20分しゃべったところで燃え尽きてしまった。あとは質問に答える形になって、かえってそのほうが皆さんには良かったようだ。

 東京駅地下の喫茶店で、東京FM系JFNの毎週ラジオの1回分を追加録音。家に辿り着いて、バナナ以外の固形物として初めてジャガイモのスープを摂って、少し力が湧いた。

5月29日(日)

 朝から梅雨らしい雨。家内はチェンバロの演奏会とお仲間との食事会があるとかで出て行った。明日の授業の準備など、やることは山ほどあるのだが、相変わらず30分もデスクに坐っていると姿勢が崩れてきて1時間横になるといった有様で、能率が悪い。近所のK君が草刈りの手伝いに来てくれて、いつもなら一緒にやるのだが今日は勘弁して貰ってお任せ。夕方、帰りがけに淡竹の筍を掘って2本、置いていってくれたので、鯖の味噌煮の缶詰で筍を茹でるという信州方式(信州では根曲り竹の筍だが)の食べ方で1本の半分ほどを食べた。こんなことを自分でやろうと思うだけ元気になったということだ。

5月30日(月)

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 まだ本調子ではないものの、ほぼ日常生活に復帰。早稲田の授業では、5月17日付毎日新聞文化欄の座談会で赤坂憲雄(福島県立博物館館長/政府復興会議委員)の「東北はまだ植民地なのか」という発言を採り上げて、「君ら、このひと言をどう受け止めるか。『植民地』って、どこの植民地なのか。『まだ』って、いつからのことなのか?」と問いかけた。30人ほどの高野ゼミでも、200人の大隈塾授業でも、答える者はいない。大学院ゼミで中国人留学生が「アメリカの植民地ですか......」と反応したのが唯一。「そのくらい君らは、『日本って何だ』ということを考えたことがないんだよ」という話をした(これは、近く論説にまとめておくことにしよう)。

tsuchiya1.jpg
 夜、水素エネルギーに詳しい槌屋治紀=システム技術研究所所長に久しぶりにお会いする予定だったが、まだ体調に自信がないので来週に延期して頂いた。槌屋さんとは、もう20年以上も前だろうか、月尾嘉男=東大名誉教授のお声掛かりで旧科学技術庁の未来社会予測プロジェクトでご一緒して以来。後に彼が故藤本敏夫と若い頃から縁があったと知って驚き、何年か前には鴨川自然王国の田植えに研究所の若いスタッフの皆さんを連れて参加したのでお目にかかることが出来た。「脱原発→自然エネルギー」というのが世の中次第に主流となりつつあるが、私は単に原発が自然エネルギーに置き換わるのではなくて、自然エネを含む全エネの統合的なプラットフォーム(活用基盤)が「水素」となる「水素エネルギー社会」が到来するのではないかと思っていて、そのあたりについてご教示を受けようと思っている。

5月31日(火)

 昨日届いた「八ッ場あしたの会」の機関誌『Tomorrow』巻頭に、高木久仁子さん(高木仁三郎市民科学基金事務局長、八ッ場あしたの会顧問)の「原発と八ッ場ダムに共通するもの」という一文がある。福島や新潟の原発も、八ッ場ダムも、地元民の要請によるものではなく、政府と利権政治家、原発企業、ゼネコンの利益のための事業であり、カネの力で住民を切り崩し抑え込んで迷惑施設を押しつけてきた。結局は、地域振興に寄与するどころか、自治体財政悪化や過疎化をもたらし、地元がますます原発依存から脱出困難になる蟻地獄状態だ、と。
★八ッ場あしたの会:http://www.yamba-net.org/

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 そう言えば、故高木仁三郎さんの遺著とも言える『原子力神話からの解放/日本を滅ぼす九つの呪縛』が、講談社+α文庫から先日復刊されて、懐かしくてさっそくアマゾンで注文した。「原子力についてかなり多くの本を書いてきて、もう新しく言うことは何もないかなと思って」いた彼が、癌との闘いを押して本書を書かなくてはいけないと決意したのは、99年9月の東海村JOCウラン加工工場の事故とそれによる作業員=大内久さんの死の衝撃からのことだった。今から10年前に、「これから2010年にかけて、運転開始から30年を超える原発が2基、5基、10基というふうに増えていきます。それまでに原発を止めないと、40年くらいの寿命をもった原発がますます増えてしまいます。そういう時代に大きな原発事故が起こる可能性を、私は本当に心配しています」。その予言通りになった。高木さんの原子力資料情報室を引き継いだ西尾漠さんのまえがきを付して緊急復刊された本書を、「どこに本質的な問題があるのか」を知ろうとするすべての人に読んで欲しいと思う。

6月1日(水)

 高田造園の高田宏臣さんのチームが久しぶりに来訪。5月連休前に石組みや玄関周りの三和土など土木的な作業はほぼ終わっていたが、それから連休、高田さんらの東北被災地支援、雨などいろいろあって約1カ月ぶりの作業再開である。これからは植栽を中心とした作業に入っていく。楽しみなことだ。
★高田造園設計:http://www.takadazouen.com/ →「作庭日記」欄に当家も時折登場。

 私も、食あたりから1週間を経て、いつまでもダラダラしていると体が鈍るばかりなで、今日は朝から覚悟を決めて、作業小屋の前に山積みにしたまま何年も野ざらしにしていた薪用木材の整理に着手した。もう3年も前に運び込まれたが、どれも直径30センチ以上、長いものは1メートル以上で、重くて運ぶのも切って割るのも大変で、なかなか手を着けられないでいるうちに、一部は虫に食われて腐ってボロボロになり、景観は悪いし、通行の邪魔にはなるし、困っていた。で、今日は1本1本持ち上げて、使い物にならないほど傷んだものは裏まで担いで行って捨て、部分的に傷んだものはその部分を切除して残りを生かして、健全なものと共に井型に組み上げて今後の薪割り作業がしやすいように整えた。夕方までかかって綺麗になったが、久々の肉体労働でヘトヘト。明日、熱でも出さねばいいが......。

6月2日(木)

 雨。13:25発の高速バスで出て、江戸東京博物館の「五百羅漢展」へ。江戸末期の絵師=狩野一信の渾身の連作が芝・増上寺に奇跡的に保存されていたものをこのほど一気に全幅公開!ということで、江戸から明治初期にかけての伊藤若冲、曾我粛白(粛は草冠がつく)、河鍋暁斎と続く、従来は日本美術史の傍流というか逸れ者扱いされてきたいわゆる「奇想の系譜」の人たちが好きな私としては、観ないわけにはいかない。確かにそれぞれの着想はおもしろいし物語性もあって惹かれるところも少なくなかったが、何しろ羅漢ばかり100幅も並べて観るのは結構辛くて、途中で疲れてしまった。美術史愛好家にはまたとない企画なのだろうけれど、私のように1枚の絵にバッと飛びついて世界観的インスピレーションを得たらそれで満足というような見方しかしない者には、ちょっと重すぎた。
★五百羅漢展:http://500rakan.exhn.jp/top.html

 夜は銀座で、インサイダー周辺の記者人脈と大手銀行4行の歴代広報担当者との懇親会「四行会」の絡みで会食。30年前に始まったのがこの会で、記者側は私が最年長で、やや下の団塊世代に属するフリーのT、講談社系のS、小学館系のTとSで、基本的に顔ぶれが変わらない。先方は、昔は住友、三和、東海、富士で、だから「四行会」なのだが、バブル崩壊後、住友は01年にさくら(太陽神戸+三井)と合併して三井住友に、三和と東海は02年に合併してUFJとなり、さらに05年に東京三菱(三菱+東京)と合併して三井住友UFJとなり、富士は02年に第一勧銀および興銀と合併して「みずほ」となって、変転著しく、前の何銀行が今はどの銀行になっているのかは、ちょっと考えたくらいでは分からないほどだ。今日は、そのうち三井住友で長年広報担当を務めたUさんが、その後地方の有力支店長などを経験してこのほど本店広報部長となって戻ってきたのと、小学館のSが3月末で定年を迎えたこととを理由に、記者側メンバーと三井住友の新部長以下広報スタッフの皆さんで一杯飲もうという趣旨だった。フリーのTの「小学校同級生」が女将の小料理屋はなかなか美味しくて、私にとっては食あたり以来ほとんど10日ぶりの本格和食フルコースで、「こんなに食べて大丈夫か」と怯えながらも完食した。最終バスで帰宅。

6月3日(金)

 家内が所用で横浜に出るというので、朝、高速バス停まで送って、そのまま館山のゴルフ練習場に行って球を打つ。この10年ほどは年に1〜2回ほどの付き合いゴルフだけなので、来週火曜日の高校同級会のコンペに備えて、せめてゴルフクラブが錆びていないかどうかくらいは確かめておかないといけない。100球も打ったら息が切れて、ビジターは1球10円なので絞めて1200円。午後から夜は仕事。やっと中断・休憩なしにデスクに向かうことができるようになった。

6月4日(土)

 薪の整理を続行。今日は、森の中など4カ所に放置されたままだった薪材料を全部、収拾した。伐採整備をした時に「これは薪に使える」と思って適度に斬ったり枝を落としたりしたものを集積するのだが、これがまたなかなか手が着かなくて、そのうちに草に埋もれて腐ってしまったりする。気になって仕方がなかったのを、今日は、細いものは5〜6本まとめて、太い丸太は1本ずつ肩に担いで、計100本ほどをすべて運び出して、ここでまた積み上げてしまうといつになるか分からないので、そのまま丸鋸、チェーンソー、ログマチックで切って割って薪小屋に収めた。ログマチックはフィンランド製の薪割り道具で、最近、薪割り族の間で人気が高い。そのうち写真入りで紹介しよう。

momiji2.jpg
 途中、ふと気が付くとモミジに薄らピンクの可愛い花がたくさん咲いている。単葉のトンボの羽のような形で付け根にぽっこりと膨らみがあり、長く伸びる茎まで含めると竹トンボのようでもある。調べるとこれは花ではなく実で「翼果」と呼ぶのだそうだ。これがやがて風に乗ってクルクルと回りながら出来るだけ遠くに飛んで子孫を実生させるのである。自然のデザイン力は凄い。

6月5日(日)

 終日デスクに向かう。高田造園チームは、梅雨の間の晴れを惜しむかのように、昨日も今日も来て、門から玄関周りにかけての高中木の植栽をほぼ完了した。高木はコナラ、モミジ、ケヤキなど、中木はいろいろな種類の落葉樹で、全体として家が柔らかな雑木林に囲まれているという雰囲気が醸し出されてきた。後はたぶん4〜5日をかけて下草を植え、残りを地のままに残す部分と野芝を植える部分とに分けて仕上げをし、数カ月に及ぶ作業を終えるのだろう。住んでから4年余、今までは、遠景に山を望み、中景に敷地内外の大きな榎と欅の森が迫って、それらを眺めるだけで満足していた。家やベランダ周りの近景には、何の考えもなしに適当に何本かの雑木を植えていただけで、このように近景を意図的に整えることで家〜近景〜中遠景がお互いに引き立て合うような心地よい緊張関係が生まれるなど思いもよらないことだった。やはりプロの造園家の仕事は奥が深い。▲

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Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

→ブック・こもんず←



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