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2011年6月28日

高野孟の遊戯自在録025

6月21日(火)

 朝7時半に東海ラジオ。原発はもう止めようという話。それから終日お勉強と原稿書き。

6月22日(水)

 今日は、高田宏臣=高田造園設計事務所にお願いしていた家周りの工事の最終日。朝8時前にトラック2台で高田さんはじめ5人の職人さんが来てキビキビと仕上げの作業を開始した。

 私は草刈り機を持ち出して、我が家から250メートル下の公道に架かる橋の脇の藪を刈り込んで、ついでにその近くの田んぼの脇の草茫々も綺麗にした。橋のたもとが藪になって枝や草が張り出すと、対向車が見えなくて危ないので、年に一度は刈ることにしている。本来責任を持つべきすぐ横の家は、もう10年以上無人で、家も庭も前の道路も放ったらかしで荒れ放題なのだ。道路にのしかかっている雑木は根元から切って、太い幹は薪用に40センチに切り揃えて、ちょうど一束分ほど持ち帰った。

 昼は、今日が最終日なので、高田造園チーム5人を近くの韓国料理屋に招待して石焼きビビンバを振る舞った。皆さん、汗だくになりながらも美味しいと喜んで頂いて、高田さんなど「ここ、夜に来たいですね」と気に入った様子だった。

 彼らは、午後に仕上げの作業をして15時過ぎに帰って行った。帰る前に一緒に記念撮影をした。
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 こうして出来上がってみると、遠景の山並み、中景の榎の大樹群には今までも満足していたけれども、実はその遠景・中景と家とを繋ぐ「近景」が不在だったことに今更ながら気付かされる。下の写真は「使用前」と「使用後」。右端の榎の大樹のすぐ上は左の門から右手の玄関へ向かって上がって行くアプローチになっていて、その向う側は以前は枕木で土留めが組んであったが、土圧に耐えられそうになく、僅かながら傾いて来たような気がした。それが事の発端で、「石垣を積んだらいいんじゃないか」ということになり高田さんに相談したのが昨年春。相談を重ねるうちに、石垣だけという訳にもいかないから、その周りに植生をするということになり、高田さんお得意の雑木による自然な感じの庭造りの計画が膨らんだのである。駐車場の手前にも向こう側にも爽やかな林が出来て、写真では見えないが地面には山から採取してきたものを中心に下草と野芝が敷き詰めてある。プロの仕業は凄いと思った。

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 今日は夏至で「100万人のキャンドルナイト」。家内が都内に用事で出掛けているので、19時55分からロウソクとバカラのグラスにウィスキー・ロックを用意して、20時ぴったりに電気もテレビもパソコンも元から電気を絶って「たった1人のキャンドルナイト」。しかし1人ではねえ、話相手もいないから本当にすることがない。電気がないとな〜んにも出来ない生活をしているんだなあと思い知らされる。が、フト見るとベランダのガラス戸にホタルが1匹!

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 我が家の100メートルほど下の田んぼにはホタルが出るので、時折、風に乗った逸れ者が遊びに来るのは毎年この季節に1度や2度はあることだが、よりによってキャンドルナイトの開始5分後に来てくれるとは、何たる健気さ。「電気を消したら私の灯もよくみえるでしょう」と言いに来たのだろう。外へ出て後を追うと、孫用のブランコの柱をグルグル回ってからその下の溝のクレソンが生えているあたりに止まって、15分ほどしてフッと消えていった。ちゃんと仲間たちのところに帰れたかなあと心配で、どうせ暇なので、下の田んぼのホタルの住処まで見に行った。家に来てくれた個体を識別できるわけではないけれども、十数匹が強い風を避けて土手の陰でピッカンピッカンしているのを確認して安心した。さて22時まで後1時間半、どうやって過ごすか......。

6月23日(木)

 赤坂憲雄=福島県立博物館館長/政府復興会議委員が毎日新聞の座談会で「東北はまだ植民地なのか」と言い放った(5月30日付本録)のがずっと頭にこびりついていて、本棚から赤坂憲雄編『日本再考/東北ルネッサンスへの序章』(創童舎)を引っ張り出して読み始めた。東北電力が50周年を記念して02年に行った連続公開イベント「東北ルネッサンス」の記録で、赤坂と五木寛之、中沢新一、谷川健一、高橋克彦、高橋富雄、井上ひさし、山折哲雄らとの対話が収録されている。中身は、深い。

 午後、2時間かけて、我が家の下の公道の草刈りを続行。買い物に行く途中の通りがかりの婆さんが「偉いねえ(自分の敷地でもないのにという意味)。綺麗にして頂いてありがとう」と声をかけてくれるのが嬉しくて励みになる。しかし、30度を超える今年一番の暑さで全身汗だくになる。

6月24日(金)

 仙台在住の東北民俗研究家=結城登美雄さんが上京して、農文協の雑誌『季刊地域』編集長の甲斐良治さんと一緒に赤坂で飲むので来ませんかと、当社スタッフから連絡があり、そう言えば3・11後、結城さんと会っていなかったなあと思って、そのために東京に出た。

 東京のチャラチャラメディアは「何でこんなふうに瓦礫がいつまで片づけられないんだ。政府は何をやっているんだ」とか言うけれども、そうじゃないんだ、と結城さんは言う。漁師は長い間の仕来りとして、船が沈んで仲間が行方不明になっても100日は生きていると信じて待つんだ。100日経ったら浜に祭壇を据えて弔って、それから「よーし」と立ち直って仕事に戻るんだ、と。

 今回、津波に全てを渫われて、「もうあんな怖いところには戻らない」と思って1カ月。それから少しずつ「でも、本当はあそこはいい所なんだよね」と思い直し始めるのにもう1カ月。「やっぱり戻って、やり直そうか」と腹を固め直すのにさらに1カ月。それと「百日祭」とがタイミングが合っているのだ、と。深い精神性である。そうやって、そこにしか生
きられない人々が「生きる力」を取り戻していくことが「復興」の根本である。

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 私たちはどうやってそれを少しでも助けることが出来るのか。酔っぱらって出て来たアイディアは、「都はるみ」の100カ所コンサートをやろうということだった。東北の爺さん婆さんに「生きる力」を蘇らせることが出来る一番は、やっぱり都はるみだろう、と。したたか酔って赤坂の安ホテルに沈没。

 たまたま今日発売の『季刊地域』11年夏号の特集「東北はあきらめない」に結城さんの一文も載っているのでお買い求め下さい。


6月25日(土)

 午後から名古屋の栄中日文化センターで月イチの講義。「毎度、脱原発の話で申し訳ないが、いま私の頭の9割がそれで占められているので」と断ってその話。3時に終わって、4時からは伏見の名物居酒屋「大甚」で、私が毎週火曜日に電話出演している東海ラジオ「モルゲンジャーナル」のキャスター&スタッフの皆さんと飲み会。何とそこへ河村たかし市長が忽然と現れて、賀茂鶴のヌル燗をバンバカ飲みながら市議会がいかに馬鹿であるか大演説が始まった。実は、東海ラジオの中心スタッフである河村常臣さんが市長の又従兄弟で、「高野さんが来るから」と事前にインフォームしていたのだそうで、周りのテーブルのオバさんたちも「ウワッー、河村市長だぁ」と大騒ぎ。すかさず「おお、今日は宝塚の同窓会ですか」と握手に応じる市長。こういう出任せが即座に口をつくようでないと政治家にはなれないよね。

6月26日(日)

 大学時代の旧友M夫妻が来訪。Mは政経学部、私は文学部と学部は違うが早稲田の学生運動繋がり、彼の奥さんはうちの家内と高校同級生で共に早稲田に進学し、そこで出会ったM及び私と結婚、という二重の縁がある。昼前に着いたので、そのまま当家の軽自動車で鴨川
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市街の魚定食屋「池田」へ。前に奥さんだけ来た時に家内が案内したら、奥さんが帰ってから「もう一度あの店に行きたい」と言い続け、Mが「そんなに言うなら俺も行ってみたい」ということになって、今日の段取りとなったのだ。池田は、街道沿いの鮮魚店が裏で食堂をやっているという風情で、地元で揚がる新鮮な魚を煮たり焼いたり天麩羅にしたりして安く食べさせてくるるので評判の店で、週末ともなると超満員。今日も12時前に行ったのに駐車場はほとんど満杯、テーブルが空くまで30分近く待たされた。Mと私はここの定番の金目鯛丸ごと1匹の煮付け、奥さんは天丼、家内はイシモチの塩焼きで、一同大満足。ここは本当に、誰を連れてきても旨さと安さにビックリして、必ず「また行きたい」と言い出すから面白い。

6月27日(月)

 早稲田のゼミでは、平泉が世界遺産に登録が決まったというニュースを採り上げて、「平泉に行って中尊寺を観たことがある者は?」と聞くが、ゼロ。「あのな」と。「中国の史書『唐書』では倭国と日高見国を区別していて、日出る国である日本国というのは西日本の倭国のことではなく東日本の日高見国、すなわち蝦夷の国のことなんだ。東北大名誉教授の高橋富雄という先生がそう言っている」。シーン。「で、そのもう1つの日本の系譜の中で、平安時代の終わりの約1世紀、奥州藤原氏の独立王国が栄えてその首都が平泉だった」。シーン。「あのな、お前らヤマト中心の独善的な歴史観を注入されて脳が硬化して想像力が
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凍りついているんだ。脳を軟化させたい者は、赤坂憲雄編『日本再考』という本でも読んでみろ」。ソワソワ。「ところで、井上ひさしの『吉里吉里人』という小説を読んだ奴はいるか?」。ゼロ。「あのなあ、お前ら、もう少し...」という調子で、これはゼミとは言いながら学生に生半可な発表などさせるつもりは毛頭なく、私が一方的に喋り続けて質問の時間もなく終わってしまうことが多いのだ。なので、毎年、1年間の終わりまで本気で付いて来ている者は半分の10人もいればいいほうで、だからと言って私の方から手を差し伸べて救うようなことはしない。落ちこぼれて損をするのは彼らであって、私は何も失うものはない。そういう風だからかえって、登録外のモグリが年々10人ほども来るし、すでに前年度に単位を取っているのに今年度ももう1回出たいというリピーターも何人もいる、早稲田にゼミ数多しといえどもなかなか不思議なゼミであるらしい。

6月28日(火)

 朝、ガソリンスタンドで近所の陶芸家Sさんにバッタリ会ったら、もう一仕事終えたかのような火照った顔をしている。「昨日、お地蔵さんの上で猪が罠に係ったんで、今朝は6時に集まって解体ですよ。私も、解体を覚えなきゃいけないんで、今日は2回目だったんですが、あと1〜2回やれば、ね」と。今年は猪がよく係るようで、鴨川自然王国でも「イノシシカレー」が出ることが多い。▲

2011年6月21日

高野孟の遊戯自在録024

6月6日(月)

 早稲田のゼミでは、先週から「インテリジェンス原論」ともいうべき講義を始めていて、今日は脳と皮膚と内臓という話をした。よく言われる左脳・右脳論というのは俗説で、別に左と右で機能がパッカリ分かれているということではないらしいが、いずれにせよ今の若い人たちが左脳偏重的であるのは疑いもなく、それでは想像力も直感力も沸いてくるはずもないので右脳を鍛えなければならないが、そのためには脳と皮膚や内臓が直結していることを自覚しないとダメなんだ、と。
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 夜は丸の内の寿司屋で、水素エネルギーの専門家=槌屋治紀さんと懇談。水素社会の意味とその必然性について理解が深まった。来週土曜日のFM東京系全国ラジオ番組にゲストとして来て頂くことをお願いした。「たる善」という札幌が本店のこの寿司屋は、鈴木宗男が贔屓にしていて佐藤優もお気に入り。牢屋にいる宗男さん、寿司が食べたいだろうなあ。


6月7日(火)

 早稲田大学高等学院の同級会のゴルフに参加。ゴルフも最近は年に1度か2度程度でさっぱりだが、千葉県山武郡大網町の東急系「季美の森ゴルフクラブ」で懐かしの級友たちと遊んだ。

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 夜、茂木健一郎『ひらめき脳』(新潮新書)を読む。正解のある問題を早く解くには人間はコンピューターにかなわないが、現代の時代状況で正解のない問題に対処するには人間の脳にしかできない能力、すなわち「ひらめき」が重要で、ひらめきは決してコンピューターから生まれることはない、と。

 もう1カ所、「感情の中枢は扁桃核や中脳といった進化的に古い脳で、これらの部位は原始的であるという意味で『爬虫類の脳』とさえ言われることもあった」。その爬虫類の脳による衝動や欲望といった感情を、理性を司る大脳皮質が抑え込むことで人間は社会生活を営むことが出来る----つまり「理性で感情を抑え込んで情緒を安定させる」のが人間らしさの指標であるというのが今までの考え方だったが、感情研究の新潮流では、理性と感情は一体で、感情は理性を含めた脳の認知過程のすべてに不可分な形で関わっていると考えるようになった、という。

 爬虫類の脳で思い出したので、もう1冊、ポール・D・マクリーンの『三つの脳の進化』
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(工作舎)を引っ張り出して斜め読みした。爬虫類脳=反射脳、前期哺乳類脳=情動脳、新哺乳類脳=理性脳は、構造的にも化学組成の上でも、また進化の歴史かいっても、まったくかけ離れているにもかかわらず、人間の脳の中でそれぞれ独自の重い役割を果たしながら、三位一体となった神経組織を形成している。うーん、自分の脳内に爬虫類だった時の反射脳が棲んでいるというのは楽しい話だ。来週、この図を学生らに見せてやろう。

6月8日(水)

 終日シトシト雨。溜まった新聞を半日がかりで一挙に整理してさっぱりした。槌屋治紀『エネルギーのいま・未来』(岩波ジュニア新書)を読む。夜、原稿執筆。

6月9日(木)

 岐阜で政策金融公庫の融資先経営者に「大震災をこえて/日本再建の方途」と題して講演。長良川の鵜飼いの火を遠くに見ながら、iPadの使い勝手をよくして何とか重いMacBookを持ち歩かないで仕事が出来るようにするための設定に取り組む。講演や授業でプロジェクターに接続して資料をスクリーンに映し出すことにやや問題があり、解決策を見いだすのに少し時間がかかった。今の第2世代のiPadだと問題がないのだが、私のは第1世代なので、それ用のアプリを探し出してインストールしなければならない。

6月10日(金)

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 駅で買った石原結實『男が病気にならない生き方』(WAVE出版)を読みながら帰京、帰宅。人間の体重の40%は筋肉で、その筋肉の70%は下半身にあるので、下半身を意識的に鍛えることが健康維持の要である。ウォーキングが一番だが、それを続けるのもなかなか難しいという人は、スクワット運動、踵の上げ下げ運動、ダンベル体操など簡単なメニューを毎日こなせばいい。これなら、毎日とは言わないが、いままでも心掛けていることで、少し努力すれば出来そうだ。ま、私の場合は、薪割り、草刈り、畑仕事などヘビーな作業がいろいろあって、スクワットなどより余程激しい鍛錬になっているのだが。

6月11日(土)

 午後、ジャズ・ピアニストの坂口三代次さんがミュージシャン仲間2人と共に来訪。坂口さんは昭和19年生まれの「一休会」のメンバーで、30年ほど前から鴨川の海沿いに別荘を持っていて、第一線を退いたこの頃は半分ほどはそこで暮らしている。仲間の2人は、定年を過ぎてからジャズ歌手になったTさんと、鴨川のラーメン屋のご主人で元プロのベーシストのYさん。明日はそのYさんの店で3人によるジャズのライブがある。

6月12日(日)

 朝8時半に橋のたもとに集合して、地元の「地滑り防止組合」の年に1度の草刈り作業と総会・懇親会。30人ほどが集まって、男衆は草刈り機、女衆は鎌で地滑り防止用に敷設されたU字溝の周りの草を刈ったり竹を切ったりゴミを除いたりするのだが、何せ範囲が広いので、午前中2時間半ほどでは一部しかやり切れない。私は、自分の家の隣にある不在地主の土地の草ボウボウを刈る作業を分担した。11時半に八雲神社に再集合して、簡単な総会のあとは宴会。作業で汗をかいた後の昼間のビールは効きが早い。

 夜は家内や友人とラーメン屋でのジャズ・ライブへ。自由闊達、変幻自在の坂口さんのピアノを堪能した。

6月13日(月)

 早稲田デー。午後の大隈塾授業は朝日新聞の星浩さんの新聞の使命と将来についての講義。星さんもすっかり朝日を代表する政治記者となって、田原総一朗に言わせれば、この先、編集局長か主筆になること間違いなしとか。ジャーナリズム大学院の「新聞の読み方」演習では、いくつかの新聞・雑誌から3つの記事をピックアップして、それを活用しつつ1本の記事を書くという練習をした。

6月14日(火)

 昼過ぎに羽田を出て青森へ。今日の夜は青森市で、明日は弘前市で日本生命青森支社の講演がある。講演まで少し時間があったので、ホテル近くの青森県郷土資料館へ。県の自然と文化を要領よく展示していて面白かった。

 講演と簡単な懇親会のあと、日生の担当の方に案内されて居酒屋「いし乃」へ。獲れたてのホヤが美味しかった。

6月15日(水)

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 午前中バスに乗って三内丸山の縄文遺跡を訪れる。もう6度目か7度目で、ほとんど三内丸山フリークと言ったところだが、ここは来るたびに新しい発見があって飽きない。出土物の展示室が移転・新装なって一層充実していて嬉しかった。バスで市内に戻り、昨日から読んでいた石森愛彦『多賀城/焼けた瓦の謎』(文芸春秋)を読み終える。

 ヤマトが律令国家形成から早々の724年にエミシを征圧するための前進拠点として多賀城を築いたものの、780年にはエミシ
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の反乱で陥落、大炎上する。以後20年余り、ヤマトは5万、10万の大軍を繰り返し送り込んでエミシの制圧を図るが度々敗退、最後は英雄=アテルイ率いるエミシ連合軍と征夷大将軍=坂上田村麻呂の朝廷軍との胆沢大決戦でようやくアテルイを降伏させ、京都に連れ戻って斬首、飛鳥時代から奈良時代にかけて約150年続いた第1期ヤマト・エミシ戦争は終息に向かう。が、その後もエミシとその後継アイヌのヤマトに対する武装反乱は断続的に1000年以上にわたって繰り返され、最終的に明治政府が1869(明治2)年に開拓使を設置、99(明治32)年に「旧土人保護法」を制定してアイヌを囲い込んだことでその抵抗の歴史を終えた。

 夕方、弘前市に移り講演。夜は津軽三味線奏者として知られる渋谷和生さんの店「あいや」で郷土料理を頂きながらライブ演奏を楽しんだ。近海マグロの中落ちが800円で、スプーンで掻き取りながら食べるのだが、余りに巨大で3人で食べきれないほどだったのには驚いた。

6月16日(木)

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 朝早く、弘前城を散歩。ここの桜は見事だが、それが咲いていないと何もない。昼に青森空港を出て帰京、事務所と近くのホテルで打ち合わせや取材など3件をこなした後、18時半から白金台の八芳園で「東京高野塾」。今回は高野塾の常連メンバーと「日本元気丸」プロジェクトの若手経営者の皆さんとの共同開催ということで、「原発はもうやめよう」という話をした。22時に上野で、NYメトロポリタン・オペラを観終わった家内をピックアップして帰宅。

6月17日(金)

 今夜は、私の早稲田のゼミOBでプロのミュージカル歌手になった辛源がミュージカル「ミツコ」の主役級を演じるというので、家内共々、青山劇場に行く。辛は、イギリス人を父に在日韓国人を母にロンドンで生まれ、中学・高校を神戸で過ごし、高校3年の時に1年間韓国に留学した後、06年に早稲田大学に入って私
の学生となった。が、すぐに米ペンシルバニア大学に留学して学問と舞台芸術を探究、08
singen.jpegのサムネール画像年にはオーディションを経てブロードウェイ・ミュージカル「レント」に準主役で出演、その東京公演の時にもゼミ生らと共に応援に行った。「ミツコ」は、日本で最初の国際結婚でしかもオーストリアの貴族に嫁ぐということで話題となったハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵夫人=青山光子の生涯を描いた作品で、彼女が生んだ5人の子供のうち次男のリヒャルトが後に欧州統合の夢を熱く説いて「EUの父」と呼ばれるのだが、そのリヒャルトが辛の役なのだ。彼のマルチナショナルな出自と風貌が役柄とマッチして、歌も演技も前作の時より格段に巧くなって、すっかり主役の1人としての存在感を出していた。

 「ミツコ」東京公演は6月29日まで続くが、ダブルキャストのため辛君の出演は今日が最後だ。


6月18日(土)

 夕方、東京FM系の全国放送JFN「ON THE WAY JOURNAL/高野孟のラジオ万華鏡」の録音で赤坂のスタジオへ。ゲストは槌屋治紀さんで原発と将来の水素社会への移行の段取りについて40分間話し合った。この番組は、毎週火曜日の朝5時半から30分間で、誰が聴くんだろうと思っていたが、昨秋から始めたJFNホームページでのポッドキャストで好きな時間にダウンロードして聴いてくれる方が10万人も20万人もいて、なかなかバカにならない。ラジオもこうやってネット経由で多様な端末で聴くことができるようになって、可能性が大きく広がっているのだろう。

 これ、サイトの構成がちょっとおかしくて、行き着くのが難しいんですが、
★JFNトップページ:http://www.jfn.co.jp/jfn_top/
 →「番組一覧はこちら」をクリック
 →「ON THE WAY ジャーナル」をクリック
 →「高野孟のラジオ万華鏡」をクリック
 →さらに右下の「高野孟のラジオ万華鏡」をクリック
 ......これでようやく私の担当分の一覧が出てきます。トップページから検索をかけても辿り着かないのでご注意を!

6月19日(日)

 終日、原稿書き。夜、開沼博『「フクシマ」論/原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土
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社)を読み始める。東大の博士課程在学中の気鋭の社会学者が、5年前から福島の原子力ムラに通い詰めて、そこに暮らす人々が実は「原発を半世紀近くにわたって抱擁し続けてきた"幸福感"」に満たされているという「外から見ている限り決してつかみきれない」現実に直面する......。福島をフィールドにしていてこの事態に遭遇したのは偶然には違いないが、深いところからフクシマを見つめる眼差しにたじろぐほどだ。

6月20日(月)

 早稲田デー。ゼミでは、岡田英弘『世界史の誕生』を素材に世界史的想像力について。先々週は地球生物史的想像力、先週は日本史的想像力で、今日はこれだからね。学生も目を白黒しているが、付いてくる奴だけ付いてくればいいという基本方針だから構うことはない。そのかわり、最後まで食らいついて来る奴には、上記の辛源もそうだが、凄いのが一杯いて面白い。午後の200人授業で
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は本学出身のメディア・ジャーナリスト=津田大介さんをゲストスピーカーにデジタル・メディア、とりわけツイッターが「動員のメディア」となる可能性について。若い学生にとって身近なテーマなので、質問も活発で、終了後、津田氏が「早稲田の学生をちょっと見直しましたよ」と。▲

2011年6月 5日

高野孟の遊戯自在録023

5月23日(月)

 早稲田授業のあと、当方の若いスタッフが最近仲良くしている「将来大物間違いなし」の某政治家の秘書と4人で一杯飲もうということになり、溜池の焼き鳥の名店「八っちゃん」を予約しようとしたら、「建物の老朽化で外壁が崩落し、いま店の前の歩道も通行止めになっている」とのこと。前から「危ないよね」と言っていたのだが、大丈夫かね、全く...。仕方なく、八重洲地下街の居酒屋に変更した。

5月24日(火)

 朝から雨。終日デスクワークで、夕方ホッとして昨日頂いたカタクチイワシの酢漬けで晩酌したら、これが地獄の食あたりとなってしまい、深夜2時過ぎに体中痒くて目が醒めて、たちまち上から下から激しい排泄作用が始まって2時間トイレに立て籠もり。2時間ほどで治まり、全身の発疹も嘘のように消えたものの、胃酸の逆流による胸焼けヒリヒリと、脱水症状による全身倦怠で、眠ることも出来ない。

5月25日(水)

 七転八倒しつつ水を飲んではうつらうつらを繰り返して、昼前にようやく起き上がって近くの国保病院に駆け込んだ。「典型的な食あたりですね。重大な感染といった心配はありませんから」と、アッサリしたもので、薬を貰って帰って来た。梅雨時以降は特に光り物は気を付けなければ。私は、舌が敏感なほうで、賞味期限など一切信用せず口に入れて大丈夫なら食べてしまうし、逆にちょっと傷んだものはすぐに分かって、家でも店でも『これちょっと味がおかしいよ』と忌避できるので、こういうことは滅多にないが、酢で絞めてあるとその味覚センサーが働きにくい。10年以上前だったか、出先で失敗した時も牡蠣酢だった。

 夕方から三浦半島で予定されていた「NPO法人・神奈川馬の道ネットワーク」の幹事会は欠席。自分で電話を掛ける気力もなくて、家内に伝えて貰った。神奈川県茅ヶ崎市の海岸にほとんど活用されていない「青少年キャンプ場」という施設があって、それを馬のいる野外活動施設として再生できないかということを5年も前から県に提案してきて、このほど市の方から「指定管理者に立候補してくれ」という前向き提案があって、その事業構想を検討する会議なので、どうしても行きたかったのだが、残念。

5月26日(木)

 今日も寝ていたかったが、大阪で日刊労働通信社のセミナーがあり、穴を空ける訳に行かないので、死ぬ思いで車を運転して高速バスのバス停に行き、バスの中で1時間半、新幹線でまた2時間半、うつらうつらを繰り返しながら、天満橋の会場に辿り着いただけでほとんど燃え尽き状態。開演まで1時間、控え室で横にならせて貰い、しかし講演は手を抜くことが出来ないので、全力で1時間半、しゃべりきる。当初予定では日帰りとなっていたが到底無理なので、天然温泉付きのホテル阪神を取って直行、薬と水だけ飲んでウトウトを繰り返すこと15時間半。

5月27日(金)

 さすがに何か食べないといけないので、ヨロヨロと出て行って近くのコンビニでバナナを買って、無理矢理1本押し込む。それ以外は液体しか入っていかない。断続的ながらも長時間眠ったので、少しよくなって、温泉で身を整え、新幹線で帰京。しかしもうそこまでで、バスで家に帰って明日また名古屋行きのために出てくるという気力も体力もなく、安宿を取ってひたすら薬と水とバナナと睡眠。その合間に、無理矢理身体を起こしては明日の名古屋のレジュメづくりに取り組むのだが、いつもなら30分で済む作業が途切れ途切れで3時間をかけても終わらない。ようやく送信したのは午前6時前だった。

5月28日(土)

 13時から名古屋の中日文化センターで月1回の講義「新・世界地図の読み方」。私はいつでも全身全霊をかけてしゃべるから、この2時間の講義も、いつもは目一杯やって受講生から質問を受ける時間もなくなることが多いのだが、今日はダメで、1時間20分しゃべったところで燃え尽きてしまった。あとは質問に答える形になって、かえってそのほうが皆さんには良かったようだ。

 東京駅地下の喫茶店で、東京FM系JFNの毎週ラジオの1回分を追加録音。家に辿り着いて、バナナ以外の固形物として初めてジャガイモのスープを摂って、少し力が湧いた。

5月29日(日)

 朝から梅雨らしい雨。家内はチェンバロの演奏会とお仲間との食事会があるとかで出て行った。明日の授業の準備など、やることは山ほどあるのだが、相変わらず30分もデスクに坐っていると姿勢が崩れてきて1時間横になるといった有様で、能率が悪い。近所のK君が草刈りの手伝いに来てくれて、いつもなら一緒にやるのだが今日は勘弁して貰ってお任せ。夕方、帰りがけに淡竹の筍を掘って2本、置いていってくれたので、鯖の味噌煮の缶詰で筍を茹でるという信州方式(信州では根曲り竹の筍だが)の食べ方で1本の半分ほどを食べた。こんなことを自分でやろうと思うだけ元気になったということだ。

5月30日(月)

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 まだ本調子ではないものの、ほぼ日常生活に復帰。早稲田の授業では、5月17日付毎日新聞文化欄の座談会で赤坂憲雄(福島県立博物館館長/政府復興会議委員)の「東北はまだ植民地なのか」という発言を採り上げて、「君ら、このひと言をどう受け止めるか。『植民地』って、どこの植民地なのか。『まだ』って、いつからのことなのか?」と問いかけた。30人ほどの高野ゼミでも、200人の大隈塾授業でも、答える者はいない。大学院ゼミで中国人留学生が「アメリカの植民地ですか......」と反応したのが唯一。「そのくらい君らは、『日本って何だ』ということを考えたことがないんだよ」という話をした(これは、近く論説にまとめておくことにしよう)。

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 夜、水素エネルギーに詳しい槌屋治紀=システム技術研究所所長に久しぶりにお会いする予定だったが、まだ体調に自信がないので来週に延期して頂いた。槌屋さんとは、もう20年以上も前だろうか、月尾嘉男=東大名誉教授のお声掛かりで旧科学技術庁の未来社会予測プロジェクトでご一緒して以来。後に彼が故藤本敏夫と若い頃から縁があったと知って驚き、何年か前には鴨川自然王国の田植えに研究所の若いスタッフの皆さんを連れて参加したのでお目にかかることが出来た。「脱原発→自然エネルギー」というのが世の中次第に主流となりつつあるが、私は単に原発が自然エネルギーに置き換わるのではなくて、自然エネを含む全エネの統合的なプラットフォーム(活用基盤)が「水素」となる「水素エネルギー社会」が到来するのではないかと思っていて、そのあたりについてご教示を受けようと思っている。

5月31日(火)

 昨日届いた「八ッ場あしたの会」の機関誌『Tomorrow』巻頭に、高木久仁子さん(高木仁三郎市民科学基金事務局長、八ッ場あしたの会顧問)の「原発と八ッ場ダムに共通するもの」という一文がある。福島や新潟の原発も、八ッ場ダムも、地元民の要請によるものではなく、政府と利権政治家、原発企業、ゼネコンの利益のための事業であり、カネの力で住民を切り崩し抑え込んで迷惑施設を押しつけてきた。結局は、地域振興に寄与するどころか、自治体財政悪化や過疎化をもたらし、地元がますます原発依存から脱出困難になる蟻地獄状態だ、と。
★八ッ場あしたの会:http://www.yamba-net.org/

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 そう言えば、故高木仁三郎さんの遺著とも言える『原子力神話からの解放/日本を滅ぼす九つの呪縛』が、講談社+α文庫から先日復刊されて、懐かしくてさっそくアマゾンで注文した。「原子力についてかなり多くの本を書いてきて、もう新しく言うことは何もないかなと思って」いた彼が、癌との闘いを押して本書を書かなくてはいけないと決意したのは、99年9月の東海村JOCウラン加工工場の事故とそれによる作業員=大内久さんの死の衝撃からのことだった。今から10年前に、「これから2010年にかけて、運転開始から30年を超える原発が2基、5基、10基というふうに増えていきます。それまでに原発を止めないと、40年くらいの寿命をもった原発がますます増えてしまいます。そういう時代に大きな原発事故が起こる可能性を、私は本当に心配しています」。その予言通りになった。高木さんの原子力資料情報室を引き継いだ西尾漠さんのまえがきを付して緊急復刊された本書を、「どこに本質的な問題があるのか」を知ろうとするすべての人に読んで欲しいと思う。

6月1日(水)

 高田造園の高田宏臣さんのチームが久しぶりに来訪。5月連休前に石組みや玄関周りの三和土など土木的な作業はほぼ終わっていたが、それから連休、高田さんらの東北被災地支援、雨などいろいろあって約1カ月ぶりの作業再開である。これからは植栽を中心とした作業に入っていく。楽しみなことだ。
★高田造園設計:http://www.takadazouen.com/ →「作庭日記」欄に当家も時折登場。

 私も、食あたりから1週間を経て、いつまでもダラダラしていると体が鈍るばかりなで、今日は朝から覚悟を決めて、作業小屋の前に山積みにしたまま何年も野ざらしにしていた薪用木材の整理に着手した。もう3年も前に運び込まれたが、どれも直径30センチ以上、長いものは1メートル以上で、重くて運ぶのも切って割るのも大変で、なかなか手を着けられないでいるうちに、一部は虫に食われて腐ってボロボロになり、景観は悪いし、通行の邪魔にはなるし、困っていた。で、今日は1本1本持ち上げて、使い物にならないほど傷んだものは裏まで担いで行って捨て、部分的に傷んだものはその部分を切除して残りを生かして、健全なものと共に井型に組み上げて今後の薪割り作業がしやすいように整えた。夕方までかかって綺麗になったが、久々の肉体労働でヘトヘト。明日、熱でも出さねばいいが......。

6月2日(木)

 雨。13:25発の高速バスで出て、江戸東京博物館の「五百羅漢展」へ。江戸末期の絵師=狩野一信の渾身の連作が芝・増上寺に奇跡的に保存されていたものをこのほど一気に全幅公開!ということで、江戸から明治初期にかけての伊藤若冲、曾我粛白(粛は草冠がつく)、河鍋暁斎と続く、従来は日本美術史の傍流というか逸れ者扱いされてきたいわゆる「奇想の系譜」の人たちが好きな私としては、観ないわけにはいかない。確かにそれぞれの着想はおもしろいし物語性もあって惹かれるところも少なくなかったが、何しろ羅漢ばかり100幅も並べて観るのは結構辛くて、途中で疲れてしまった。美術史愛好家にはまたとない企画なのだろうけれど、私のように1枚の絵にバッと飛びついて世界観的インスピレーションを得たらそれで満足というような見方しかしない者には、ちょっと重すぎた。
★五百羅漢展:http://500rakan.exhn.jp/top.html

 夜は銀座で、インサイダー周辺の記者人脈と大手銀行4行の歴代広報担当者との懇親会「四行会」の絡みで会食。30年前に始まったのがこの会で、記者側は私が最年長で、やや下の団塊世代に属するフリーのT、講談社系のS、小学館系のTとSで、基本的に顔ぶれが変わらない。先方は、昔は住友、三和、東海、富士で、だから「四行会」なのだが、バブル崩壊後、住友は01年にさくら(太陽神戸+三井)と合併して三井住友に、三和と東海は02年に合併してUFJとなり、さらに05年に東京三菱(三菱+東京)と合併して三井住友UFJとなり、富士は02年に第一勧銀および興銀と合併して「みずほ」となって、変転著しく、前の何銀行が今はどの銀行になっているのかは、ちょっと考えたくらいでは分からないほどだ。今日は、そのうち三井住友で長年広報担当を務めたUさんが、その後地方の有力支店長などを経験してこのほど本店広報部長となって戻ってきたのと、小学館のSが3月末で定年を迎えたこととを理由に、記者側メンバーと三井住友の新部長以下広報スタッフの皆さんで一杯飲もうという趣旨だった。フリーのTの「小学校同級生」が女将の小料理屋はなかなか美味しくて、私にとっては食あたり以来ほとんど10日ぶりの本格和食フルコースで、「こんなに食べて大丈夫か」と怯えながらも完食した。最終バスで帰宅。

6月3日(金)

 家内が所用で横浜に出るというので、朝、高速バス停まで送って、そのまま館山のゴルフ練習場に行って球を打つ。この10年ほどは年に1〜2回ほどの付き合いゴルフだけなので、来週火曜日の高校同級会のコンペに備えて、せめてゴルフクラブが錆びていないかどうかくらいは確かめておかないといけない。100球も打ったら息が切れて、ビジターは1球10円なので絞めて1200円。午後から夜は仕事。やっと中断・休憩なしにデスクに向かうことができるようになった。

6月4日(土)

 薪の整理を続行。今日は、森の中など4カ所に放置されたままだった薪材料を全部、収拾した。伐採整備をした時に「これは薪に使える」と思って適度に斬ったり枝を落としたりしたものを集積するのだが、これがまたなかなか手が着かなくて、そのうちに草に埋もれて腐ってしまったりする。気になって仕方がなかったのを、今日は、細いものは5〜6本まとめて、太い丸太は1本ずつ肩に担いで、計100本ほどをすべて運び出して、ここでまた積み上げてしまうといつになるか分からないので、そのまま丸鋸、チェーンソー、ログマチックで切って割って薪小屋に収めた。ログマチックはフィンランド製の薪割り道具で、最近、薪割り族の間で人気が高い。そのうち写真入りで紹介しよう。

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 途中、ふと気が付くとモミジに薄らピンクの可愛い花がたくさん咲いている。単葉のトンボの羽のような形で付け根にぽっこりと膨らみがあり、長く伸びる茎まで含めると竹トンボのようでもある。調べるとこれは花ではなく実で「翼果」と呼ぶのだそうだ。これがやがて風に乗ってクルクルと回りながら出来るだけ遠くに飛んで子孫を実生させるのである。自然のデザイン力は凄い。

6月5日(日)

 終日デスクに向かう。高田造園チームは、梅雨の間の晴れを惜しむかのように、昨日も今日も来て、門から玄関周りにかけての高中木の植栽をほぼ完了した。高木はコナラ、モミジ、ケヤキなど、中木はいろいろな種類の落葉樹で、全体として家が柔らかな雑木林に囲まれているという雰囲気が醸し出されてきた。後はたぶん4〜5日をかけて下草を植え、残りを地のままに残す部分と野芝を植える部分とに分けて仕上げをし、数カ月に及ぶ作業を終えるのだろう。住んでから4年余、今までは、遠景に山を望み、中景に敷地内外の大きな榎と欅の森が迫って、それらを眺めるだけで満足していた。家やベランダ周りの近景には、何の考えもなしに適当に何本かの雑木を植えていただけで、このように近景を意図的に整えることで家〜近景〜中遠景がお互いに引き立て合うような心地よい緊張関係が生まれるなど思いもよらないことだった。やはりプロの造園家の仕事は奥が深い。▲

Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

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