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2011年4月27日

高野孟の遊戯自在録020

4月15日(金)

ikegami.jpgのサムネール画像のサムネール画像 昨日帰りがけに東京駅の書店で池上永一『統ばる島』を買って高速バスで読み始め、今朝読了。琉球王朝終末期の首里城内の葛藤を描いた怪奇幻想物語『テンペスト』、その続編の『トロイメライ』など、那覇市出身の池上の小説は沖縄フリークの私を夢中にするが、最新作のこれは今度は八重山群島に舞台を移して島々それぞれの神と人との交わりを映し出す。もう50年も前に行ったっきりの石垣島や西表島に、また行きたくなった。

 午後家を出て、19時から虎ノ門で早稲田大隈塾の高野ゼミ・岸井ゼミ恒例の謝恩会。現役ゼミ生が企画して、彼らのうちこの3月で大学そのものを卒業する者たちを送り出すと共に、我々教師らにも礼を言って頂くという趣旨で、ゼミのOBたちも駆けつけて後輩たちと酒を酌み交わす。今年は、3月下旬に予定していたのが震災の影響で予約していたレストランの台所が安全点検のためガスが使えないとかで延期となり、大隈塾社会人ゼミのOB会と合同でこの日に開いたので一層賑やかなことだった。田原さんは今日が77歳の誕生日で、ケーキを贈られて上機嫌だった。合間に田原さんが囁く。「菅はダメだな。自分で仙谷を官邸に呼び戻したのに、仙谷が自分の首を掻くんじゃないかと疑心暗鬼に陥って遠ざけている。仙谷に見放されたらお終いなのにね。馬鹿な奴だ」。酔っぱらって東京泊。

4月16日(土)

 朝帰宅。午後、近所に住む木工家の馬場健二さんがお客さんを連れて来訪。馬場さんは私共が横浜にいた頃からご近所づきあいをしていた方で、実は鴨川のこの家を建てる際に、「馬場さんが作る大きな木のテーブルを居間の真ん中に据えた家を建てたい」という基本コンセプトの下、設計家も馬場さんの知り合いの辻健次郎さんを紹介して貰い、その辻さんがこの家を任せるならここしかないと指名した藤森工務店に施工をお願いすることになったという経緯がある。それで馬場さんが半ば現場監督のようになって建築現場にしょっちゅう来ているうちに、「この辺、いいなあ。僕も引っ越そうかな」ということになり、今はご近所に工房と自宅を構えている。で、馬場さんのテーブルが欲しいというお客が現れると、自分の工房は手狭で道具が散らかっているので、我が家をショールーム代わりにしてお客を案内してくるのである。今日のお客さんは、東京の人で、前に馬場さんのテーブルを見て欲しくて仕方がなくて、今度家を建て替えることになったので是非これを居間に据えたいと思うという話だった。成約するといいのだが。

4月17日(日)

ishigaki.jpgのサムネール画像 6日から始まった高田造園による家周りの改造はだいぶ進展して、石垣はほぼ積み終わって先週後半からは玄関あたりの造作にかかっている。玄関前から南側のベランダ近くまで敷いてあった芝生は半分は一旦剥ぎ取られ、石や植木を配した上で一部植え戻されるとのことだが、残った半分は、その辺の工事計画がどうなるのか分からす、毎年春先に行う手入れを全く施さないで放置していたので、雑草が茂っている。それで今日はその残った半分について丸1日かけて、雑草を全て取り除き、伸びすぎたところは鋏を入れ、熊手で丁寧にサッチ(地面にビッシリ詰まっている芝の枯葉)を取り除き、スパイクでエアレーション(15センチおきくらいに穴を開けて土中に酸素を通してやる)を施し、最後に竹箒で表面を掃いて綺麗にしてからたっぷりと散水する----という作業を行った。芝が息を吹き返して緑が増すのが楽しみだ。

4月18日(月)

 先日来、我が家のバイオ浄化槽が不調で、調べたところ、しばらくケアを怠っていたところ肝心の木材チップが劣化したり流出したりでだいぶ減っていて、浄化能力が低下しているらしいことが分かって、今日、このシステムの開発元である札幌の会社からUさんが点検のため出張して来てくれることになった。

joukasou.jpgのサムネール画像 これは、旭岳頂上の山小屋などでも使われているもので、生活雑排水とトイレ汚水とをそれぞれ2つの曝気槽で攪拌し予備分解した後、チップを充満した槽に導いてバクテリアの力で完全分解して水だけを排出する。前にも書いたと思うが、我が家は上水は山の湧き水で、下水はこれなので、上下水道とも敷地内で完結・自立しているというのが自慢なのだが、上水は保健所に持って行って検査にかければ飲料水として不許可だし、この下水システムは一般の合併浄化槽の基準に合致しないとかで不許可だから、丸っきり違法状態。私がこれでいいんだと思えばそれでいいんですね。そもそも、ここは「地滑り防止区域」内で、家の建築そのものも、役所に建築確認申請を出そうとしても「出さないでくれ」と言われる。木造2階建て以下は建てるのは勝手だが、役所はそれをオーソライズしないという訳だから、言ってみれば違法建築。だいたいが違法な人生ですからね、そういうことがふさわしいのでしょう。

4月19日(火)

yamashita.jpgのサムネール画像 Uさんは点検続行。私は昼前の高速バスで上京、京都へ。17時半から内外情勢調査会で講演の後、英国の燃料電池技術ベンチャーの日本代表をしているYさんと一杯。水素エネルギー社会の可能性について大いに語り合った。スズキはすでに水素スクーターの試作機を動かしているし、トヨタは2015年に水素自動車を発売すべく開発を急いでいる。アップルも携帯電子具を水素で動かすことを考えているようだ。自然エネは原発の代替にならないという常識が罷り通っているけれども、意外に水素が早道ではないかという私の前々からの予感が当たるのだろうか。彼のお気に入りの木屋町通のカウンター割烹「やました」がよかった。

4月20日(水)

 早朝京都を出、10時に東京駅地下の喫茶店で「宣伝会議ライター講座」受講生のOさんの取材を受ける。卒業課題で「大麻解禁の是非」を採り上げたいと。若い女の子がいい心がけだ。麻は古代以来、日本文化の根幹で、天皇こそ本来、麻文化の担い手である。それを、戦後GHQに屈して大麻取締法など作ったのが愚の骨頂の売国行為で、一日も早くまず医療用大麻を解禁して、それを手掛かりに麻文化を復興すべきであると話した。

 帰宅してUさんと今後の方針について打ち合わせ。夜は、加藤登紀子さんらと「嶺岡牧プロジェクト」つまり江戸時代に嶺岡山系全体で営まれていた牛馬牧場の伝統をどうしたら復元できるかという相談をした。
★嶺岡牧から学ぶ会:http://mineokamaki.org/ja/index.html

4月21日(木)

 今日は、早稲田のジャーナリズム大学院のオリエンテーションの日だが、わずか3分のプレゼンテーションのために上京するのもしんどいので、事前に作ったVTRを送って代行して貰った。大学院では今年も「新聞の読み方」の実習講座を担当する。

wkakura.jpg 眼科の権威である若倉雅登先生から『健康は眼にきけ/名医が教える眼と心のSOS』(春秋社)を贈本して頂いたので熟読。眼の老化についての章が特に面白かった。若倉先生は、日本で先駆的な眼科専門病院である井上眼科の院長で、先生が推奨する画期的な目薬「サンテメディカル10」の宣伝キャンペーンに某広告代理店からなぜか私が指名されて対談したのが出合い。眼を、それ単独ではなく脳をはじめ身体全体との関連で捉えなければならないという根本的な健康観に、大いに共感させられた。

4月22日(金)

 溜まっていた雑誌30冊を読破、必要な記事10本ほどを保存して後は廃棄。『中央公論』5月号と『世界』5月号の地震学の権威で東海大地震の警鐘者=石橋克彦神戸大学名誉教授の言説が光る。

4月23日(土)

 名古屋の中日文化センターで、首都圏直下型地震と、東海大地震で浜岡原発が破裂した場合の終末的な危機について講義。東海地方の人でも案外、浜岡原発の怖さを知らないのに驚く。伏見の居酒屋「大甚」で一杯飲んで帰る。

4月24日(日)

 朝から、我が家に至る200メートル下からの砂利道の整備に取り組む。車の轍で凹みが出来て、そこに大雨の時に水が流れて掘り下げられていくのを、ツルハシ1本で砂利と土を削って凹みを埋め戻しながら、雨水が横の側溝に流れるように傾斜をつけていくのは、なかなかしんどい作業で、1日かかっても200メートル全部はやりきれない。しかし、年に何度かこうやって丁寧に世話してやることで、アスファルトやセメントよりも余程気持ちのいい砂利道が確保される。

 この200メートルの砂利道を使う家が3軒あるのだから、舗装をするとか、砂利を支給するとか、何とか出来ないのかと前に市役所に言ったら、担当が見に来て「これが農道だったら予算がないではないが、それでも1年に20メートルくらいずつしか出来ないんですね。調べてみますが、これはたぶん農道じゃないんで、そうすると......」とか言うので、もう結構ですと断って、自分でやることにした。これはたぶん、昔からの村の林道もしくは作業道で、赤道(あかみち)と言って公図上では記載はされていても地番を持たない言わば無主地で、法律的には国有地(なのでそれを含む土地を勝手に売買できないことに一応はなっている)、実質的には村の共有物である。

 地元のOさんが草刈り機を持って手伝いに来てくれたので、私が整備中の道路の両脇と敷地内の一部の道の草刈りをお願いし、夕方終了後、近所の謎の焼肉店に飲みに行った。

4月25日(月)

 震災の影響で今年は早稲田大学の授業開始が5月連休明けになるので、私のゼミ生たちも我慢しきれずに、顔合わせミーティングと飲み会をやりたいというので、午後から上京。学生会館の部屋を借りて、20数名のうち半分以上が集まり、自己紹介と私からの挨拶、ゼミOBからのアドバイス等あって一旦解散、18時から高田馬場駅前で飲み会。こういう学生の飲み会は駅界隈にごまんとある料理2000円+酒1000円で飲み放題といった店で行われる。「お前らねえ、こんなところで中国産の業務用スーパー向け加工食品を食う方が、東北地方の野菜を食うより余程怖いんだぞ」などとお説教。突然、憲法改正をめぐって大激論が始まるなど、元気な集まりだった。酔っぱらって東京泊。

4月26日(火)

 日本橋のホテルで5時起床、目の前のコンビニでドリップコーヒーと新聞を買って、いつもどおりの朝の勤行。ドリップコーヒーは旅の必需品で、いつもは「1杯19円」とか新聞広告しているブルックスを段ボールで取って、出がけに玄関横の納戸で数袋をバッグに放り込むのだが、昨日はうっかり忘れた。どのコンビニでも、ドトール、モンカフェ、UCC、スタバなどいろいろな製品を置いているが、値段と香り・美味さのバランスでブルックスが一段上のような気がする。

 朝日の天声人語がこれからの原発是非の議論に触れて、サンデル教授の「丁寧な議論をすること。...賛否両派が相互に敬意を持って、公然と議論できれば、民主主義は深まる」という言葉、アトリー英元首相の「民主主義の基礎は、他の人が自分より賢いかもしれないと考える心の準備です」という言葉を引いている。こういう心の準備がみんなにあれば、ネット世界ももう少し不毛でなくなるんでしょうがねえ。

 昼前に帰宅。コメリに走って、木の丸棒とL字型金具を買ってきて、風呂場の天窓を床から開閉できる道具を作った。そのままでもいいのだが、ヤスリをかけてスベスベにして椿油を薄く塗って艶を出して、その辺に立てかけておいても不細工でないようにした。夫婦とも年取ってきて、バスの縁のタイルに乗って手を伸ばすと滑って転がり落ちる危険があるので、前からやらなくてはと思っていたのが、ようやく実現した。これで潜在的な事故原因が1つ取り除かれた。

4月27日(水)

 aodamo.jpg地震学者の石橋克彦教授が『世界』5月号の論考「まさに原発震災だ/"根拠なき事故過信"の果てに」で、「現代日本における原子力は、国策として莫大な人と金が注ぎ込まれ、大多数の国民にとって絶対的な善である点において、敗戦前の帝国軍隊に似ている」「半藤一利氏の『昭和史1926-1945』を読むと、日本がアジア太平洋戦争を引き起こして敗戦に突き進んでいった過程が、現在の日本の「原発と地震」の問題にあまりにも似ていることに驚かされる」と書いていて、なるほどと思ったので、半藤本を引っ張り出して読み始めた。これはいずれザ・ジャーナルの論説でも採り上げよう。

 今年は、あおだもの白い花がよく咲いた。家内が好きで3〜4年前に4本植えたが、こんな花一杯は初めて見た。▲

2011年4月15日

高野孟の遊戯自在録019

4月1日(金)

hiyodori.JPG このところ暖かくて、大山桜に続いて陽光という種類の桜が急に咲いた。これが咲くと毎年やってくる1羽の桜フェチのヒヨドリがいて、「今年も彼奴は来るのかなあ」と思っていると、やっぱり来た。ほとんど1日中、陽光に取り憑いて、ほとんど狂ったように花弁に嘴を突っ込んでいる。たまに鶯のつがいが花に寄ってくると、追い払う仕草をする。

4月2日(土)

 静岡体文協の3カ月連続講座の今日が3回目で、昼に東京を出て浜松へ。14時からの講座では、予定では「米中関係と世界構造の変化」という話をすることになっていたが、東日本大震災の跡ではそれもいささか間抜けなので、「核も原発もない世界への日本の使命」という話に切り替えた。

 会場に静岡文化芸術大学の西洋音楽史の研究家=K先生が来ておられて、終了後、同じ建物の下にある「浜松市楽器博物館」を案内して貰った。ここは、日本唯一の楽器博物館で、1階は日本を含むアジアの楽器のコレクション、地下は西洋楽器で、その約半分の面積を、ここの一番の自慢であるクラシック・ピアノが占めている。このピアノを用いてコンサートを開き、その演奏ぶりをCDに収めて記録するという貴重な仕事をしているのがKさんである。

※浜松市楽器博物館 http://www.gakkihaku.jp/

 それから浜松駅前の天麩羅屋「天八」で一杯飲んで静岡へ。昨日から風邪気味で、講演中も咳をしたりしていたので、体文協事務局の佐野嬢が心配して「すごく効く風邪薬があるんですよ」と静岡駅から遠くない漢方薬局「医心堂」に連れて行ってくれて、そこの「風邪スペシャル」セットを購入した。これが抜群で、小児用風邪薬のニギンSと栄養剤ビルトンリコレという2つの液剤を100ccの白湯に注いで、それでビタミンCの粉末とイブプロフェンという消炎鎮痛剤を飲むと、30分ほどでもうスッキリしてくる。寝る前にもう一度飲んで、朝には鼻水も咳も止まっている。これまで、風邪の引きかけはカコナールと決めていたが、この方が効く。10セットをまとめ買いすると1本おまけが付くというので早速取り寄せることにしよう。

※医心堂薬局 http://www.ishindo.net

4月3日(日)

 午後、体文協の静岡教室。そのまま帰京、帰宅。

4月4日(月)

kiji.JPG 今日は、昼間は某ゴルフ会、夜は某編集者の退職祝いパーティの予定だったが、いずれも中止で、鴨川で過ごす。原発・エネルギー関連の本を5冊、まとめて読む。今日は庭に雉が遊びに来た。今年見かけたのは2回目だ。

4月5日(火)

 バイオ下水処理装置が不調で、トイレの流れが悪くなる。取り敢えず応急措置をして流れるようにはなったが、木材チップに棲み着いた微生物の働きですべてを浄化する最終槽の攪拌用のエア送出能力が下がっているようで、これは素人には手に負えないので、施工した札幌のUさん、地元の水道配管業のHさんと相談して来々週に大々的な総合点検を実施することになった。

 この装置の原理は、山頂の山小屋や建設現場など公共下水道に放出できない場所で使われているもので、微生物の力で有機物を分解する点では一般の合併浄化槽と同じだが、違うのは汚泥の沈殿がないこと、最後に塩素消毒する必要がないこと、出てくる水をトイレなどの二次用水として循環的に使用するので敷地外に排出しないで済むこと、などである。我が家は、浄水も湧き水を濾過してタンクに貯めて使っているので、上下水とも敷地内で自立的に完結している。それを維持するには手間もコストもかかるが、その分、安全と安心を得ることが出来る。

4月6日(水)

 今日から高田造園設計事務所の高田宏臣さんのチームが来る。我が家の門(というほどのもではなく門柱代わりにコンクリ打ちっ放しの板とニュージーランド製の鐘が立っている)ところから玄関までのアプローチの片側は、今まで枕木を積んで土留めにしていたが、どうも土の重みに耐えかねている様子なので、石組みにしたらどうかということになり、新進造園家として活躍中の高田さんに相談したところ、それなら全体的な景観を考えて植栽を含めてデザインしましょうと言って頂いて、そうは言っても高田さんはあちこち引っ張りだこで忙しく、半年以上も待ってようやく今日の着工となった。工事の様子は、高田造園ホームページの「作庭日記」で、現在進行形で写真入りで紹介されていくという。どんなふうに生まれ変わるのか楽しみなことだ。

※高田造園 http://www.takadazouen.com/index.html

4月7日(木)

tksanshouo.JPG 早朝から午前中一杯、書斎に引き籠もり。午後から、造園工事がやりやすいよう周辺部の草刈り。側溝に今年もトウキョウサンショウウオが卵を生んでいて、中で1センチほどの稚魚が動き出しているのが見える。

4月8日(金)

 来週のラジオ収録のゲストに原子力資料情報室の共同代表=西尾漠さんを迎えるので、彼の近著『原発は地球にやさしいか/温暖化防止に役立つというウソ』(緑風出版)を読む。まったくねえ、何が環境にやさしいだ。前に論説で書いたが、放射能を吸うくらいならCO2を吸う方がマシだ。同情報室は、反原発運動の理論的支柱だった故高木仁三郎さんが創立したもので、私がそこに出入りして西尾さんとも知り合ったのは30年以上も前のことだ。午後、200メートルほど下の砂利道の凸凹を修理。時々補修していないと、雨と車の轍で穴が大きくなってしまう。

4月9日(土)

lux.JPG 夕方から孫の幼稚園入園祝いということで久々に(今週初めてだ!)上京する。家内を用事先で下ろしてから、私は秋葉原電気街の見回りに行く(用がなくても時々、大型書店、古書店街、家電・パソコン店、ホームセンターなどを見て回るのは私の趣味なのだ)。電気部品・計測器の店頭に「ルックス計で節電を!」と書いてあったのに釣られて2950円で買った。1万5000ルックスまで測れるようになっていて、50〜300団欒、300〜550食事、550〜1000読書・勉強、1000〜1500ワープロ・精密作業と一応の目安が示してあって、あちこち計測すると面白い。薄曇りの野外は3000ルックス、ANAホテルの喫茶室は50ルックスだった。孫は、来週から幼稚園に行くのが、一段大人になったような気分で嬉しくて仕方なく、はしゃぎ回って生意気に磨きをかけていた。ビール1杯だけ婿さんに付き合って、冷ましてから運転して帰宅した。

4月10日(日)

kuro2.JPG kuro1.JPG今日は釜沼の棚田で、3月12日のクロ切りに続いてクロ塗りの作業だ。昨年のこの日は、指導者の平均81歳の爺さま4人に加えて私と、近くに住む米国人Cとその日本人の奥さんの3人だけだったが、今年は他に、最近移住してきたHさん、棚田会員の若いご夫婦やその子どもら、1人で来た女性など賑やかで、作業ははかどった。最初に鋤で田の土を掻き取って畦に盛り上げ、次にそれを鍬で形を整えて水漏れが起きないようにするのだが、田の水が多すぎたり、土の掻き方が浅かったり、盛り上げ方が不揃いだったりすると、巧くクロの形が整わず崩れやすくなる。何度か経験を積んだ私でもとうてい爺さまたちには敵わない。

 夕方、スタッフのMと腸内洗浄クリニックや水に関わるビジネスをしているF社長が来訪。Fさんは商売物の木曽の湧き水を1ケース持ってきてくれた。彼は浦安で液状化の被害に遭い、どうしたらいいか途方に暮れていると言う。聞けば、基礎にレールが敷いてあって地震の揺れにも液状化にも強いという謳い文句に惹かれて買ったマンションが、とんでもない、20何階の上から下まで壁に何本もの亀裂が入って、修復のしようもなく、余震があるたびに亀裂が拡大していないか物差しで測りながら暮らしているという。慰めの言葉も見付からない。

4月11日(月)

hurisode.JPG 淺草おかみさん会の創立18周年のお祝いがあるので、夕方淺草に行き、おかみさん会代表=冨永照子さんのお店「十和田」で春野菜の天麩羅と日本酒のぬる燗で勢いをつけてから近くの会場へ。この手の祝い事はほとんど中止・延期になっているが、もう1カ月経ったし、このままでは淺草も沈没してしまうという思いから敢えて予定通り開いたという。花やしきの社長に聞いたら、地震後、すぐに遊具を点検して数日後から営業再開したが、春休みシーズンだというのに当初は1日2〜3人しかお客が来ず、その後段々お客が戻っては来たけれどそれでも例年の半分。アルバイトさんに半分辞めてもらったけれど、いつまで持つか分からない状態という。どこも大変だ。

 夜は、早稲田のジャーナリズム大学院を出てNYタイムズ東京支局でアルバイトをしているSが通訳兼ガイドとして米人記者に付いて東北を回ってきたというので、ライブハウス「HUB淺草」で一杯奢って話を聞く。ここはほとんどデキシーランド・ジャズだが、今日の演奏はベテランのベース奏者=根市タカオのトリオにゲストのサックス奏者を加えたスウィング・ジャズ。根市さんから、私が昔、旗輝夫さんのスタジオに遊びに行った時にお会いしましたと言われてビックリした。淺草ビューホテル泊。

4月12日(火)

 sky.jpg午前中ホテルの部屋で仕事。窓の正面に、大震災にもめげずに3月18日に634メートルに達したトーキョー・スカイ・ツリーがそびえる。午後は喫茶店とサウナで過ごして、夜は今度は、冨永照子さんの息子=りゅうじさんの台東区議立候補決起集会で挨拶。高速バスで帰宅。

4月13日(水)

 古市一雄さんから近著『南房総からの日本再考』(まどか出版)が送られてきた。小市さんは鴨川市役所に長く務め主に企画部門や町おこしを担当し、退職後は、鴨川にも校舎のある城西国際大学に一次籍を置いたものの、一昨年総選挙で自然王国代表だった石田三示さんが衆議院議員となったのに伴い、請われて政策秘書になっている。市役所時代から長年、地元紙『房日新聞』の人気コラム「展望台」の執筆陣の1人で、前著『地方の品格』と同様、本書もそのコラムを編んだもの。帯に一言書けと頼まれたので「いま安房鴨川は中高年や30台の若者たちにとって、憧れの移住希望先No.1である。なぜそうなのかは本書を読めば分かる」という言葉を贈った。

4月14日(木)

Nishio.jpg 昼からJFNのラジオ番組収録。ゲストは原子力資料情報室の西尾漠さん。20年ぶりくらいだろうか、かつての反原発青年が白髪混じりの落ち着いた紳士になっていた。


2011年4月 9日

高野尖報:光も音も過剰な日本

 8日付の朝日「天声人語」が「照明を落とした地下鉄の駅こそパリの明るさだと、仏語教師が懐かしがっていた。あちらが暗いのではなく、震災前の東京が明るすぎたのだ」と書いているが、その通りで、私も昔、仏紙リベラシオンの特派員に「東京って何でこんなに電気を点けるのですか。大きいオフィスはどこも天井に何百本も蛍光灯をギンギンに点けていて、私はサングラスをかけないと居られない」と言われたことがある。「ここ10年、けばけばしく外壁を照らす店舗が増えました。オフィスの照度も1000ルクスと過剰。就寝時の闇との落差が大きすぎて、安眠できない人がいるほどです」と、照明デザイナーの石井幹子さん(天声人語)。

 1000ルクスというのは、家庭の照明の明るさについてのJIS規格によると、書斎や子どもの勉強部屋で読書・勉強に適切とされている500〜1000ルクスの最大値。リビングや鍛冶室で手芸・裁縫など細かい作業をするには750〜2500ルクスとされていて、それに次ぐのが読書・勉強の1000ルクス以下。後は、リビングや寝室で読書をしたり化粧をしたりするのは300〜750でOK、リビングでの団らんや応接室のテーブルや子どもの遊びなどは150〜300となっているが、なかなかこんな風にはコントロールされていないのではないか。で、大抵の日本の巨大オフィスの1000ルクスは、部屋の隅々にまで読書・勉強に必要な照度を確保しようとするもので、どう考えても常軌を逸している。フランスはじめヨーロッパでは家庭もオフィスも地下鉄など公共施設も、全般照明は日本人にはどうしたのかと思われるほど暗く、必要なところにだけスポットやランプが当てられている。それはそうで、オフィス全般が200ルクスでも、自分のデスクに300ルクス程度の卓上ランプがあれば合計500ルクスは確保できて、仕事には十分だし、席を立つ時には自分の卓上ランプはオフにするからもっと節電になる。我が家はそのようにしている。

eff_i02a.gifのサムネール画像

 照明がギンギンのリビングで液晶テレビを見ると、テレビの輝度もコントラスト比も目一杯に上げなければならず、それを「鮮やかな画像だ」と喜ぶような風潮もある。これは節電とは直接関係がないが、刺激が強すぎて目にも脳にもよろしくない。アンダーな照明の下で適切な輝度とコントラスト比に調整して見る方がよい。我が家の場合は、初めからそのようにコントロールされたナナオのTVモニターなので、それこそ昔のフランス映画を見るのに近い穏やかな色調で目に心地よい。

 日本は音も過剰である。先日、福岡から新神戸に行くのに新幹線レイルスターに乗ろうとしたら4号車に「サイレンス・カー」という表示がある。車掌さんに尋ねると、博多を出発したら最後、終点までその車両だけ車内放送が一切流れないのだと。面白いので、途中から席を替えて貰って2時間ほどを過ごしたが、これがまことに快適で、JR東海その他でも是非とも採用して貰いたいと思った。

 日本の駅や列車はたぶん世界一、五月蝿い。駅に着いてエスカレーターに乗ると、「手や顔を出すと危険です。黄色い線の内側に立って、手すりにおつかまり下さい」「エスカレーターでたばこを吸うと火災の危険がありますので、おたばこはご遠慮下さい」「エスカレーターの降り口付近に立ち止まると危険です」とスピーカーが叫び続けている。国土交通省とかの規則でこのように警告し続けなければいけないらしい。

 東京駅でも新横浜駅でも、改札口では、たいていは若い女の職員が、酷い場合は2人もいて、口々にマイクで「ご乗車ありがとうございます。こちらは新幹線乗り場です。切符は2枚重ねてお入れ下さい」というようなことをわめき続けている。出口の場合は「こちらはJRへの乗り換え口です。前方に切符が1枚出て参りますので、忘れずにお取り下さい」とがなっている。切符の入れ方が分からなかったり、出た切符を取り忘れたりするのは、たいていは旅慣れないお年寄りや子供であるはずで、全乗客に遠くからスピーカーの大音声を浴びせている暇があったら、近くに立って黙って目配りして、さりげなくサポートしてあげればいいことじゃないか。

 ホームに上がると年配の男の職員が「列車が入って参りますのでお気を付け下さい」「お下がり下さーい!危ないですよ、下がって!」などと、時には緊迫した口調で絶叫している。ようやく列車に乗って、さあ一寝入りしておこうかと思うと、まず録音の放送があってこれがのぞみの何号でありどこ行きであり途中どこの駅に止まるかが通知され、もうそれだけで十分なのだが、次に英語で同じことが繰り返され、これで終わりかと思えば、車掌の生放送でさらに詳しく、この列車が何両編成で一番前が1号車で一番後ろが12号車であって、喫煙可能なのは何号車であり、トイレは奇数号車の前寄りだかにあり、携帯電話の使用についてのご注意と危険物の持ち込み禁止のお願い、そしてさらに到着駅と到着時間と接続列車、乗り換え時間が短いから隣のホームに急いで行け、ホームと列車の間が空いているところがあるので落ちるな、特に子供連れのお客様は必ず手を引け、といった親切極まりないご注意、運転手と車掌の所属と氏名まで含め延々と説明がある。運転手の名前なぞ顔を合わせることもないんだから関係ないよね。こういう無意味な駅や車内の放送を止めれば少しは節電になるのではないか。

 やっと静かになったと思うと、今度は車掌が検札に回ってくる。東北など東日本の新幹線はしばらく前から、自動改札を通った切符については車掌の端末にデータが送られるようになって検札がなくなったのはありがたい。東海道新幹線の車掌に「なぜJR東海はこのシステムを採り入れないのか」と訊ねたら、「私どもはよりきめ細かいお客様へのサービスを心がけておりますので」と言う。眠っていても叩き起こす、弁当を広げていても有無を言わさず切符を出せと言うのが、どうしてきめ細かいサービスになるのか。先日は隣のおばさんが網棚に乗せた荷物を下ろして切符を取り出そうとしたら、テーブルの上の缶コーヒーが倒れて白のスカートにぶちまけてしまって、泣きべそをかいていましたっけ。JR東日本は、検札がなくなったのはいいのですが、ワゴン販売の売り子が「お弁当にサンドイッチ、有機栽培の豆を使ったホットコーヒー、ビールにお酒はいかがですか」と大声で呼びながら通っていく。この点は、JR東海のほうがやや静かだ。

 飛行機の機内放送もつらい。救命器具の装着の仕方を説明するのは国際的な決まり事のようだが、あんなもの海の上に首尾良く不時着できた時にだけ役立つかもしれないというだけのことで、山にぶつかったり、他の飛行機と空中で接触したり、ハイジャックに遭ったり、ミサイルで撃たれたり、滑走路を突き抜けたり、たいていのありそうな事故の時には関係ないのに、なぜあんなにこだわるのか理解不能。だから誰も見ていない。機長の挨拶も余計だし、英語の放送もやめてほしい。特に全日空国内線の英語アナウンスは100人に99人が、英語をしゃべる外国人には絶対に聞き取れない酷いカタカナ英語で、日本人にも外国人にもただの騒音にすぎない。

 静けさの中の落ち着いた佇まいを尊ぶ日本の伝統とは異質の、このキンキラキンで騒がしく、はしたなくも薄汚い文化は一体どこから湧いてきてこれほどまでに蔓延ったものなのなのだろうか。▲

2011年4月 4日

高野尖報:「安全神話」に溺れた東京電力

 佐藤優が自分のブログで言うように、「批判はあとからでも出来る」「東京電力の専門家が、専門的知見と職業的良心に基づいて活動できる環境をどうすればつくることができるかを考えることが不可欠だ」と言うのは、確かに1つの見識ではある。しかし、福島第一原発の事故勃発以来、20日余りの間に明らかにいなったことは、自ら創り出した「安全神話」に長きにわたり胡座をかいてきたこの企業が、初歩的な危機対応も出来ずにおろおろしている無様な姿であり、専門家と称する彼らに任せておいても、今後、事態沈静化だけでも数カ月、廃炉までには数十年はかかる安全確保のプロセスは完遂できる保証はないという冷厳な現実である。これまでの検証を通じて、政府と国民はこれからこの企業をどう扱うか、議論をし始めなければならない時が来ている。

 毎日新聞4月4日付は、1面左肩と10・11面の2ページを費やして、震災検証取材班による「検証・大震災」の初回として、原発事故発生から2日間の政府と東電の動きを追った。またAERA4月11日号の「東電『原子力村』の大罪」も、東電側の対応ぶりを追っている。官邸はじめ政府のどの部署も東電も、みなドタバタなのは仕方がないとして、両記事を通じて改めて浮き彫りになるのが東電の余りの行き当たりばったりぶりである。

《電源車調達》
 11日、電源喪失で炉心溶融の危険が予想される中、東電は「冷却作戦」のための電源車を東電及び東北電力管内からようやく6台、掻き集めて現地に向かわせるが、陸路の輸送は困難を極め、ようやく東北電力が提供した2台が国の現地拠点「福島オフサイトセンター」に到着したのが午後9時。バッテリーも切れて無電源に陥るタイムリミットまで2〜3時間しかない。ところがそこで分かったことは、電源の繋ぎ口が津波に使っていて接続できず、しかも、仮に接続できる状態であったとしても、毎日によると「高電圧の電源車を繋ぐための低電圧用のケーブルが用意されていなかった」ので、またAERAによると「ケーブルが短くて使えず、プラグも合わなくて、本社に「500メートルのケーブルが必要だ」と連絡が届いた。「そんな長いものは社内を探してもみつからない」。12日の午前0時を過ぎても幸いなことにバッテリーはまだ動いていて、危なかった2号機の水位も何とか安定を回復していた。その頃ようやく低圧ケーブルは調達できたものの「関東から空輸を準備中」という段階。そうこうするうちに、午前2時半、今度は1号機の格納容器内の圧力が上昇しはじめ、その3時間後には外部に大量の放射線物質が漏出した......。

《ベント》
 このことだけを見ても、東電が非常用電源の喪失という事態をまったく想定しておらず、その場限りの対応に終始した様が見て取れる。ベントと呼ばれる弁を開けて格納容器内の水蒸気を外に逃す作業を始めるかどうかをめぐっても、毎日によれば11日午後10時の段階で早くも保安院は「必要」と判断したものの東電はその判断を採らず、午後11時過ぎの官邸の会議で首相はじめ斑目春樹=原子力安全委員長や保安院幹部らが「早くベントをやるべきだ」との意見で一致、12日午前1時半には海江田万里経産相を通じて東電に指示したが、午前2時20分の保安院の会見で中村審議官は「最終的にベントすると判断したわけではない。過去にベントの経験はない。一義的には事業者の判断だ」と、国が命令するものではないとの考えを示した。それを受けて午前3時過ぎに開かれた東電の会見では小森常務がようやく「国、保安院の判断を仰ぎ、ベント実施の判断で進めるべしというような国の意見もありまして」と、国が言うならやらないでもないがというような他人事の言い方をした。結局、1号機でベントが開始されたのは12日午前10時17分だったが、時すでに遅く、5時間後に1号機で水素爆発が起きた。もちろん「ベントとは毒ガスの放出」(東芝の元格納容器設計者=後藤政志:AERA)であり、ためらうのは当然だが、それにしても「国が責任をとってくれるならやってもいい」という東電の態度がありありである。

《海水注入》
 海水注入でも同様で、12日の午後6時には菅首相が真水の注入を諦め海水を使うよう指示したが、東電が「炉が使えなくなる」と激しく抵抗した。AERAによると廃炉を前提とした海水注入は「株主代表訴訟を起こされるリスクがあるので、民間企業としては決断できない。政府の命令という形にしてくれないと動けない」(東電元幹部)というのが東電のホンネだと言う。数万人、ことによっては数十万人の命がかかっているというのに、それと、株主訴訟で自社が損失を被るのとを天秤にかけているのがこの会社である。

  東電が「『安全神話』が崩れていく現実を直視できず、初動の対応を誤った」(毎日)が、惨事の致命的な原因であったことは疑いをいれない。と同時に、官邸が「政治主導にこだわりながら東電や保安院との緊密な連携を図れず、結束して危機に立ち向かえなかった」(同)のも事実である。しかしそれを首相側から見ると「東電も保安院も原子力安全委も(深刻な事態から目を背けようと)ぐるになっていたとしか思えない」(同、首相周辺)と映っている。官邸の危機管理態勢、原子力行政の仕組み、それらと電力会社とのトライアングルをどう再構築するか、もっと突っ込んだ検証が必要である。▲

2011年4月 3日

高野孟の遊戯自在録018

3月21日(月)

 早稲田大学から、来年度の入学式はじめ入学ガイダンス、科目登録、前期授業期間を丸々1カ月延期して、授業は5月6日からとするとの知らせが届いた。素早く、かつ適切な決断だと思う。また、3月13日に予定されていて延期となった大隈塾の高野ゼミ・岸井ゼミ合同の謝恩会は、4月15日に行いたいと学生の幹事から言って来た。これもまた適切で、華やかなことをいつまで自粛していても社会生活は転がらない。

 3月19日付の米紙ウォールストリート・ジャーナルの「全世界400基の原発のうち地震危険地帯に立地している原発のほとんどは日本と台湾にある」という調査結果を、WSJ日本語メルマガで知って、その要約だけではよく分からないので英語原文に当たり、さらにいくつかの資料と付き合わせて、自分なりに分かりやすい資料を作るのに半日を費やした。

3月22日(火)

 朝、東海ラジオの電話出演を終えて高速バスで東京経由、大阪で「情報ライブ・ミヤネ屋」に。当然にも大震災のニュース分析が中心。実はこれが私の同番組出演=月2回レギュラーの最終回で、今後は政治ネ中心の臨時コメンテーターとして時に応じてナマもしくはVTRで出演することになった。

miyane.jpgのサムネール画像 思えばこの番組も、05年11月に週1回の「激テレ★金曜日」として始まった時から縁あって出演し、半年後にそれが月〜金=週5回の帯の夕方ワイド「情報ライブ・ミヤネ屋」に昇格してからは火曜日のレギュラー・コメンテーターとしてずっと出演してきた。その後、司会の宮根誠司の軽妙な切り回しが評判となって、大阪発の全国ネット番組となったものの、テレビ局の経営ピンチは大阪読売TVも例外でなく、私の出演も毎週だったのが月2回になるなど、厳しい状態が続いてきた。今回は、番組自体を大改変するので非レギュラーになってほしいということなので、5年半経ってそろそろ潮時かという気持もあり、快く了承した。

 同夜、「5年間お世話になりましたので」と、同番組のチーフプロデューサーはじめ宮根、レポーターの中山アナウンサーなどとの飲み会を開いてくれて、東心斎橋の「金目鯛と鯖のしゃぶしゃぶ」の店で痛飲した(写真は宮根、中山アナと)。

3月23日(水)

 朝、大阪のホテルで原稿書き。午後帰宅して、前記ウォールストリートの調査結果についての精査を続行、原稿を執筆。

3月24日(木)

 学生時代の友人から「東京に住んでいる娘が東京は大丈夫か?」と不安がっているが、どうこたえたらいいものかというボヤキのメールがあったので、次のように答えておいた。

「鴨川でも逃げ出す奴がいて、東京でも知り合いの社長とか金持ちが静岡、大阪、沖縄、ハワイに逃げている。私には、逃げようもない東北の被災者たちに背を向けて自分だけ助かろうという発想は全くない。東京都心まで福島原発から230キロ、鴨川の拙宅まで270キロ。天皇陛下と日本政府中枢が東京を離脱したら、それを見届けてから私も退避するかもしれないが、それまではここで頑張る。今夜も停電したが、薪ストーブがあるから大丈夫。今日、私が主宰する《ザ・ジャーナル》に論説を書いて、その中で、静岡に逃げるなんて愚の骨頂、浜岡原発は活断層の真上に乗っていて日本で一番地震に弱い原発として有名で、しかも余震で静岡沖地震が起きているというのに、無知のなせる業としか言いようがない、と書いた。乳幼児を抱えて、それを守るためにというなら分からなくもないが、大阪には、私の知り合いの社長が3人、女房だけ連れて、社員を放ったらかしにして逃げて、北新地で酒を飲んで遊んでいるが、指揮官は部下の安全を見極めて最後に退避するのが当たり前でしょう。人格が割れるよね。スイス地震局が指摘するように、日本列島が5メートルもズレて、日本周辺のすべての活断層が活発化しているから、何が起きてもおかしくない。大阪に逃げたって原発が14基も集中する福井が地震や津波でやられたら関西圏は全滅。沖縄ならいいだろうと言うが、台湾の原発が近くて、これも日本同様、海岸立地で危ない。日本では原発の恐怖から逃れられる場所はない。《ザ・ジャーナル》に書いたが、地震にも津波にも弱い世界の原発39基のうち35は日本に、残り4は台湾にある。そういうことを考えたこともなくて、オール電化とか、電気使いたい放題の暮らしをしてきた日本人が、今更逃げ惑っても始まらない」

3月25日(金)

 今日の午後予定されていた早稲田大学ジャーナリズム大学院の謝恩会とそれに引き続く高野講座の飲み会は中止。謝恩会そのものは中止になったのかどうか分からないが、高野講座の飲み会幹事をやっている仕切屋が、東北被災地に取材に入っていて帰って来られないから仕方がない。

3月26日(土)

 高速バスで出て名古屋へ。中日新聞栄文化センターの講義。話は当然、大震災。終わって控え室で久しぶりに玉木正之さんと会った。私の講義は13時〜15時で、玉木さんは15時半からなので、その休み時間に時折顔を合わせることになる。私が神奈川県の大船に住んでいた時は、玉木さんがご近所で、彼が犬の散歩のついでに拙宅に寄ったり、共通の寿司屋で飲んだりしたが、この頃はこれくらいしか会う機会がない。綺麗に本が並べてある本棚は地震で崩れやすいが、我々のように無造作にギッチギチに本が詰め込んである本棚は余りに重量があるのでなかなか倒れにくいというような馬鹿話で盛り上がった。

3月27日(日)

sakura2.jpg 昨日今日、ようやく少し暖かくて、我が家の大山桜が開花した。次に咲くのは陽光で、もう芽がプチンプチンに膨らんでいる。大島桜はまだ、山桜はまだまだ。土筆も一遍に伸び始めて、摘んで初物として食した。

 仕事の合間に、ベランダの前の側溝に溜まった泥や落ち葉を掻き出して水の流れをよくした。上の方のクレソンが落ち葉に埋まって伸びられないのがかわいそうだし、この時期にはトウキョウサンショウウオやアオガエルが卵を産むのでそれも助けてやらねばならない。

3月28日(月)

tsukusinbo.JPG 娘と孫が来訪、対応に明け暮れる。孫と一緒に、やや開きすぎになった蕗の薹、今年は豊作の椎茸、出始めたばかりの土筆を収穫して、蕗の薹と椎茸は天麩羅に、土筆は煮付けにして夕食に出した。3歳7カ月の孫は「ジイジの家は広くて、いろんなものが生えてておもろいねえ」と言う。都会育ちの子にこういう経験をさせるのも田舎暮らしのジイジの役目である。

3月29日(火)

 孫がやや風邪気味なので早朝から薪ストーブの具合を調整して暖を確保する。今年は寒くて、4月が近いと言うのに朝5時、6時に起きると室温は真冬と同じ14〜15度。それが、薪ストーブをボンボン焚くと30分ほどで18〜19度くらいまで上がる。やがて8時頃になると、南の森の上から太陽が覗いて室内にまで陽が差して、20度くらいになり、もう薪を継ぎ足さなくても夕方近くまでその温度が維持される。都会のマンション暮らしの孫らには少し寒く感じられるらしいが、カーディガン1枚羽織ればこれで十分である。

 昼前から近所の農産物直売所「みんなみの里」で孫を連れてイチゴ狩り。大人どもは少し摘むとお腹が一杯になるが、孫は「おいしい、おいしい」と売っている1パック分ほども食べて、さらにイチゴソフトクリームも平らげていた。

3月30日(水)

 朝8時に運転して家を出て羽田空港から福岡経由で五島列島の福江市に。同商工会議所で大震災の特に原発の何が問題か、その先にどう日本再建を図るのかというお話をした。懇親会の後、一部の方々と魚料理「奴」に行って刺身やオコゼの味噌汁を堪能した。懇親会の席でも二次会でも話が出たが、水産庁が推進する「人工海底山脈」という怪しい巨大海洋土木事業が五島沖でも行われようとしていることに福江商工会議所は環境保護の観点から反対したけれども、政治家・水産会社・水産庁の強固な政財官構造に蹴散らされ、来年度から本格工事が始まるという。電源開発が吐き出す石炭灰を巨大なブロックに整形して海底に投げ込んで人工的に山脈を作って海流の流れを操作すると、表層のプランクトンが増えて漁獲量が何倍にも増えるし、プランクトンによるCO2吸収効果も上がる、ハザマが開発した"環境に優しい技術"なのだという。私は初耳だったが、直感的に変だと感じる。人工的に海底の形状に大きな変更を加えて、確かに漁獲量はアップするかもしれないが、それが環境と生態系に与える長期的な影響は検証済みなのかどうか。また、投げ込むのが石炭灰ブロックである必然性はたぶん何もなく、そもそも電源開発の産廃処理というところから始まった話ではないのか。一度、調べてみる必要がある。

gotou.JPG 講演の前に時間があったので、ホテルの目の前の城跡にある「五島観光歴史資料館」を覗く(写真の、ちょっとやりすぎじゃないのと思えるお城風の建物、手前が図書館、億が歴史資料館)。大した展示ではなかったが、遣唐使の国内最終基地として栄えた独特の歴史を伺うことが出来た。栄えた----というのは、最初は1隻=150人、後には4隻=600人もの団が往復に寄港して様々な交流が生まれたというだけでなく、嵐で遭難した船(ほぼ半分は沈んだそうだ)の宝物をちゃっかり頂戴したり、海への恐怖にかられた乗組員が脱走して五島の山中に逃げ込んで住み着いたりして、そういうことがいろいろミックスして面白い文化が生まれたのだいう。キリシタンの島で今も教会がたくさん残っているとは知っていたが、もっと奥深い歴史があることが分かった。

3月31日(木)

koto-kessaku.JPG 朝9時過ぎに福江空港を出ると、福井岡経由、11時45分に羽田に着く。遠いようで近い。五島特産の飛魚を干した食用の「塩あご」と出汁用の「焼きあご」を土産に買った。

 二木啓孝が「ちょっと相談事が」と言うので、彼の記者仲間のOと3人で品川駅近くでお茶を飲んだ。面白いプロジェクトを立ち上げつつあって、私にも協力してほしいと。快諾した。

 明るいうちに帰宅。孫らは昨日のうちに東京に戻っていて、孫専用のお絵かきボードに傑作が残されていた。子どもはみな生まれながらアーティストなのだと分かる。

Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

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