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2011年3月29日

高野尖報・今は物資でなく資金を送って下さい

 早稲田大学の高野ゼミのOBで、今は大手問屋で働いているA.O.から次の便りがあった。現場で不眠不休で物流復旧に取り組んでいる者の現実感覚がよく表れていると思うので、本人の許可を得て要約・転載する。
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 問屋で物流=ロジスティクスを担当しているA.O.です。円滑に物資を供給するように物流を管理する泥臭いお仕事です。地震発生以来、不眠不休で物流復旧に努めておりますが、皆様には大変ご迷惑をおかけしております。

【復興支援と物流について】

 さて、支援と物流の話を少しだけ述べます。

 支援に関して私の考えを結論から述べさせていただきますと「今は物資ではなく資金を送ってください」と言わせていただきます。個人、もしくは小規模の団体の支援物資は、物流現場側からすると、混乱要因にしかならないといっても過言ではありません。物流現場が混乱すると本来届けるべき物資の物流も止めてしまう恐れがあります。

 昨年、「日通ペリカン便」と「日本郵政ゆうパック」が統合したときの混乱を覚えておりますでしょうか。平時でも、物流は混乱するとモノが届きません。有事ではどうなるか想像に難くないと思います。現実に起きている通りです。

 膨れ上がる受注件数⇒膨れ上がる入荷⇒在庫スペースがない⇒荷捌きする人が足りない⇒荷捌きする場所もない⇒出荷できない。

 あて先不明品の仮置場所がない...。アブラが確保できない...。小型or大型トラックがない(荷物の性格に合わせた仕様のトラックが必要です)...。伝票(受領書)が発行できない...。配達人員が確保できない...。この「負のスパイラル」がメーカー、問屋、小売(個人配送センター)、でそれぞれおきていたら----物流現場は混乱し、運営できなくなります。

 そういう中でも物資を円滑に届けるように管理するのが「ロジスティクス」のもともとの意味なのですが、やっぱり難しいですね。精度の高い日本の物流ですが、精度の高さが足かせになっている部分が出てきてしまいました。まだまだ成熟しなければならない市場です。

 大手企業のさまざまな支援や国際支援もあり、現地には食料をはじめかなり多くの物資が届いていると聞いております。最終配送のところで上述の問題で届けられないのが問題となっているようです。モノがあるのに届けられない・・・。物流マンとして非常に歯がゆい思いです。

 というわけで、「支援物資はもう少し落ち着いて物流網の復旧を待ってから、送ってあげてほしい」というのが、物流管理側からのお願いです。

※被災地以外の被災者受入れ先は自分の足でも届けられますので別です。

 それまではあらゆる物資に交換可能な「資金」を「日本赤十字社」など信頼をおける団体を通して送付してあげたほうが集める効率も送付の効率も圧倒的に良く、結果論、一番現地のためになるわれわれの出来る活動かなと思います。

 みなさま、周りの個人もしくは小規模の団体が被災地に「支援物資」を送ろうとしている場合は、もう少し待つか、資金送付に変更するように説得できる場合は説得してください。もちろん、おすすめはしませんが自分の足で届ける場合は別ですよ。


 水道水が飲めない??という報道後、またもや物流現場は混乱しています。電池、米、カップめん。みなさま。モノはあります。どうか「買いだめ」はしないでください。

 日本の物流に何が起きたか、追って皆様にご報告できればと思っております。(そんな中、新聞だけは翌日から欠品することなくコンビニにも並んでいました・・・独自の単品物流網とはいえ、すごいですね。)

【ボランティア活動について】

 さて、いろいろと議論が交わされているボランティア活動についてです。ボランティア活動は元来独善的であるので、その点を考えるとすぐに矛盾にぶちあたります。ですので、その点の議論には参加しません。

 深いことは何にも考えずに、震災2日後の日曜日には募金活動をボーイスカウトにて実施いたしました。翌週も全隊の予定を変更させ、募金活動を実施いたしました。仕事との折り合いがつかず、私は1日だけの参加となってしまいました。私の隊の統括は副長に任せました。こういう時、組織の強さが出ますね。

 結果、延べ4時間で約410,000円。驚きました。わずか4つの小売店の駐車場での募金活動でこの金額。赤い羽根共同募金では2時間で1万円も集まりませんが、今回は無言で「1万円」を入れてくれる方もいらっしゃり、みなさまの熱い想いをひしひしと感じました。

 ボーイスカウトという組織に対する信用を前提に募金してくれた多くの八王子恩方地区の方々の想いは「日本赤十字社」を通して現地に送付いたしました。最適な物資になって被災者のみなさまの役に立っていることを心の底から祈っております。

「ボーイスカウトとしてやるべきことをやった」と自負していますので、この行為が売名であると周りからいわれても否定はしませんし、気にもしません。

 本当のことを言うと現地で炊き出しなど物理的なボランティアをしたいのですが、「余震や二次災害に巻き込まれるおそれがある」などとして人の支援は断っているようです。現実的にさまざまな調整を考えると、素人の人的支援は受け入れ側の行政府に非常な負担をかけますので、私は正解だと思います。▲


2011年3月28日

高野尖報・地元=鴨川でも被災者支援の活動が始まった

 私の住む千葉県鴨川市の大山地区でも、東日本大震災の被災者を支援するボランティア活動が始まっている。一昨日までに、拙宅から500メートルほどの街道沿いの旧大山小学校廃校跡で、避難者50人程度をいつでも受け入れられる準備が整い、昨日からは常駐事務局が発足、現在現地との間で受け入れのマッチングのための折衝が進んでいる。同地区在住の、主として30歳代の都会からの移住者がイニシアティブをとって、市当局や地区幹部を巻き込みながらも純民間のプロジェクトとして動き出したもので、こういう房総の山奥の村にもこのような市民力があるのだと、我々年寄りはほとんど唖然としながら付き従っている。

 以下、事務局を担う林良樹君からのメールを転送する。

千葉県鴨川市に住む林良樹です。
 
僕の暮らす鴨川市の大山地区にある廃校になった旧大山小学校を、市長から借り受け被難所の準備を進めてきました。
 
鴨川市と言っても、海から30キロくらい離れた山間部にある大山地域の高台にある廃校の小学校ですので、津波のトラウマがある方も安心の里山農村地域です。
 
今までに畳150枚、布団約50組近くを集め、トイレ、ガス、電気、水道を整備し、いよいよ受け入れが最低限可能なところまで整いました。
 
ただ、小学校なのでお風呂が宿直室にしかありません。しかし、歩いて約20分の研修センターにお借りできるお風呂があり、またバスでの移動となりますが、市の福祉センターのお風呂をお借り出来そうです。 他に、仮設風呂を建設する計画もあります。各教室を2つに区切って1教室に、ふた家族(ひと家族5人前後を想定)で、6教室に12家族、約50人前後を受け入れ可能な想定で準備を進めています。
 
ただ、来る方の状況に応じて、臨機応変に対応ますので、人数や家族構成によっては、教室を区切らなくても良いと思っています。
 
家庭科室は調理室、図工室は食堂、音楽室はコミュニティスペース、会議室はキッズルーム、職員室は事務局、宿直室はスタッフルームとレイアウトしています。
 
情報は下記のウェブサイトに随時アップしていますのでご覧ください。
 
「鴨川市大山支援村」
http://hinansho.awanowa.jp/
 
連絡先はこちらです。
 事務局 04−7098−1425
Eメイル info@hinansho.awanowa.jp
 
 
市役所、亀田病院、旅館組合、ペンション組合、民宿組合、天津神明神社等と連携し、鴨川市全体でネットワークして受け入れる体制をつくっています。
 
すでに、鴨川市全体で200名位の被災者を受け入れています。

現地はまだまだ混乱しているようですが、災害のあわれた方の状況を、少しでも改善したいと思いますので、
被災地にコンタクトの取れる方は、この情報をお伝えください。
 
鴨川の穏やかな里山であたたかく迎え入れたいと、地域が一体となってお待ちしています。よろしくお願いします。
 
鴨川市大山支援村事務局 林良樹

2011年3月22日

高野尖報・東海沖、東京湾地震に警戒をとスイス地震局

 国際的に権威ある地震研究のセンターであるスイス地震局は、17日付けで、東日本大地震・大津波について速報的な分析を発表した。その中で同局は、環太平洋地域で今後起きるかもしれない地震について「地震の予測は依然として不可能だが、過去に大地震があってその後起きていない地震空白域(コスタリカ、南海、ペルー、カリフォルニア、アリューシャン、カスカディア)あるいは直近の大地震が誘因となって地震が起きたところ(2004年アンダマン海の後の南東スマトラ、ビルマ、アッサムや2011年東北の後の東海)などの重要ホットスポットが注目される」と述べている。

★スイス地震局:http://www.seismo.ethz.ch/index_EN
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 空白域として出てくる地名を米地質調査所や理科年表の世界地震一覧などによって補うと、コスタリカ=2007年(M7.9)、南海=1944年(8.1)、ペルー=1868年(9.0)、カリフォルニア=1906年(サンフランシスコ、7.8)、アリューシャン=1946年(ウニマク島、8.1)、カスカディア=1700年(9.0)などを指すものと見られる。また地図上で赤丸(M9.0-9.5)や大きい黒丸(8.5-8.9)が付いているが文中に言及していないところを拾うと、チリ=1960年(9.5)、アラスカ=1964年(9.2)、カムチャツカ=1952年(9.0)、スマトラ=1833年(8.9)などである。

 スイス地震局はさらに「余震及び誘発地震の危険」と題して次の図を掲げ、次のように指摘している。
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▼余震は今後とも続き、たぶんM8以上になるが、更なる被害は予想されない。
▼3月11日の新潟地震(M6.6...図ではM6.2, 5.5となっている)と同15日の静岡地震(6.2)を含めて、あちこちの内陸の活断層が活発化している。
▼東海及び南海の震源域はまだ動いていないが、これが最大M7.9-8.2を伴い、かつ東京地方の近くで起こりうる最大の危険である(図の水色四角形)。

 なお、今回の大地震で日本列島が動いたというニュースは報じられてきたが、この中に掲げられた下図を見ると、大変なことが起きたことが実感できる。地震による断層のずれは最大18メートルで、それによって本州北部は地震と同時に東に向かって最大5メートル、地震後にさらに0.5メートル動き、それによって地軸が最大10センチ移動した。北米プレートとユーラシア・プレートの境に当たる「糸魚川〜静岡構造線」で日本列島がボキリと折れるのではないかという幻想さえ湧いてくる。▲
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高野孟の遊戯自在録017

3月8日(火)

 東京に向かう車を途中で止めて7時半から東海ラジオ。8時45分に品川駅に着いて、いつものように港南口の駅ビル「アトレ品川」3階クイーンズ・イセタンに隣接するDeli SeleQ(これはセレキューと読むのだろうか)という弁当コーナーで朝食を選ぶ。ここは、ベーカリー、寿司、和食、洋食、中華、タイ料理などいろいろな弁当があり、しかもその場で調理して出しているので、新幹線の改札を入った中にあるJR東海系列の独占的な弁当屋の工場生産ものよりも格段においしい。飲料も緑茶が95円でだいぶ安い。

 今日は名古屋の内外情勢調査会のダブルヘッダーで、昼から同会の尾張一宮支部で「民主党政権で日本は大丈夫か」の講演。実はこういう会員制の講演組織もこのご時世では運営が大変で、昭和40年代から続いたこの支部も今回が最終回で、名古屋支部に統合されるとか。質問に立った参加者の方から、「今日は、長年この会に参加してきて、初めてというくらいたくさんメモを取りながら聞いた。最終回にふさわしい中身の濃い講演をして頂きありがとう」と言われて嬉しかった。終わって名鉄で豊田市に移り、夕方から同会豊田支部で同タイトルの講演。ここでも「21世紀の日本文明について希望が持てるような素晴らしいお話しでした」との感想を頂きました。ありがとうございます。19時半に終わって、ホテル近くの居酒屋で一杯、豊田泊。

3月9日(水)

 7時過ぎに宿を出て名古屋経由で帰京、10時半から会計士の先生と税務申告の打ち合わせ。夜は社内会議2つ。東京泊。

 2月2日付論説で「熟議の民主主義」について述べたところ、インサイダー読者である横路孝弘衆議院議長から「熟議の言葉は、昭和22年3月14日の尾崎行雄議員の選挙革正決議案の趣旨説明演説などに時々用いられていた」と、当時の衆議院議事録のコピーを添えてお便りが届いた。「立憲政治によって開かれたところの議会は、打ちとけて国家全体のために懇談熟議すべき場所であります。討論ではない。懇談熟議、おのおのおのれの主張はあるけれども、それはごく穏やかに述べて、お互いに譲り、力を協せて国家全体の利益をはからなければならない。それが議会の本体であって、英語の議会などというのは、懇談会という意味で発足しているのであります。ところが日本では懇談会どころではない。討論会のごとく、恐しい、はげしい言葉を用いて、互いに悪口誹謗するのが議会の真面目と心得て、今日もなおそのれ継続してござるように見受けられます」だと。政治が進歩していないことがよく分かる。

3月10日(木)

 9時半から東京FM系の全国ネットJFNのラジオ番組収録。今回のゲストは中東専門家の宮本律さん----と思ったら、30分前に「体調を崩して行かれない」と。即席で一人でしゃべった。昼から乗馬クラブ「クリエ三浦」のS会長と、私が代表を務めるNPO神奈川馬の道ネットワークの活動方針について打ち合わせ。続いて16時から丸の内で映画監督の坂本順治さん、プロデューサーの椎井友紀子さんの2人と久方ぶりに会う。私はいつのことか忘れていたが、彼らに言わせれば16年前に2人から「M資金をテーマにして映画を撮りたい」という相談を受けたことがあった。私は駆け出しフリー記者の頃に週刊文春でこのテーマを取材して連載し、80年に日本経済新聞社から本にして出したことがある。至らぬ本だが、M資金についての文献は他にほとんどないので、その話になると30年以上経った今でも私に声が掛かるのだ。「随分時間が掛かったが、ようやくその機運が出てきたので」と、企画書と脚本の「準備稿1」を持ってきてくれた。原案・原作は作家の福井晴敏さんで、講談社で活字で発表されていくのを追いかけるようにして監督が脚本を書き、映画化を進めていくのだという。早速、夜の会合までの時間に読んでみると、これがなかなか面白い。映画化の成功を祈りたい。

 その本は『M資金/知られざる地下金融の世界』と題して1980年に日本経済新聞社から出され、もちろん今は絶版。調べたら私の手元にも1冊もなく、Amazonで探すと古書が3冊あったものの安いのでも5980円。自分の本を6000円も出して買うのもバカらしいので止めた。

chinaairforce.jpgのサムネール画像
 夜は19時から私もメンバーの「文化戦略会議」の塾で、森本敏=拓大教授のコーディネーターで、海上自衛隊の俊英と言われる2人の海将による「中国の海洋戦略と日米の海洋政策」のセミナー。田原総一朗、岡本行夫、ペマ・ギャルボ、三枝成彰、堀紘一、それに私などが意見を述べたり質問をしたりした。私は戴旭という中国の現役空軍大佐が書いた『中国最大の敵 日本を攻撃せよ』(徳間書店)を引用して、こちらから見ると、中国が勢いに任せてどんどん日本近海に海軍力を進出させてきて心配で仕方がないが、中国の方は逆に、米国が組織して日本、台湾、東南アジア、インドをつなぐ「C型包囲網」によって完全に包囲されつつあると危機感を募らせているのであり、この双方の認識ギャップの余りの大きさをそのままにしてお互いに疑心暗鬼を募らせているのは不毛だという趣旨を述べた。このことはいずれ論説できちんと展開したいと思う。夜遅く帰宅。

3月11日(金)

 昨日までの3日間過密日程だったので、自宅でのんびりしているところへ大地震。私は書斎にいて取り敢えず大きな本棚が倒れないよう抑え、家内は居間にいて食器棚を抑えたが、2000年にウズベキスタンの首都タシケントの市場で1ドルで買った粗末な壺が床に落ちて割れた。被害総額1ドルである。余震を警戒しながら家の内外を見回ったが、壁のひび割れや地崩れなどの異常は見当たらず、一安心した。

 地震と同時に停電で、テレビも移らずネットも繋がらず、固定電話はもちろんドコモの携帯も繋がらないので、何が起きたのか分からない。ようやく思いついて車まで行ってラジオを点けて、東北地方を襲った大地震であると知った。ずっと車の中にいる訳にもいかない
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し......と考えを巡らせていると、鈴木寛=現文科副大臣の結婚式の引き出物で貰った非常用の手回しラジオ&懐中電灯があったのを思い出して物置から探し出した。しかし電池が入っておらず、単3の買い置きも丁度切れている。もちろん手でハンドルを回せば発電するのだが、ずーっと回しているのも疲れそうなので、下のスーパーに行った。スーパーももちろん停電で、薄暗がりの中でロウソクを立て、レジが動かないので懐中電灯で電卓を照らして会計をやっていた。それでやっとラジオが聴けるようになったが、そろそろ暗くなってきたので、ロウソクと薪ストーブの用意だ。電気は元がダウンすればすぐに切れる。プロパンはしばらくは大丈夫だが、近所のガソリンスタンドがボンベを配給してくれなければいずれ切れる。完全に自立しているのは薪ストーブだけで、こういう時はこの時代後れの超アナログ機器が暖かさだけでなく心の平安まで与えてくれる(写真は今年の或る雪の日のもの)。薪は二冬過ごせるだけのストックがあるから、3月一杯寒くても大丈夫だし、プロパンが切れても何カ月でも煮炊きが出来る。停電は12時間続き、午前2時35分に点灯した。少しだけテレビを観て寝た。

3月12日(土)

 早朝からテレビで被災地の状況を見つめ続けたが、こんなことをしていても仕方がないので、午前中は予定通り、車で5〜6分の釜沼北の棚田の「クロ切り」作業に行く。私は鴨川自然王国の棚田会員制度が始まって以来15〜16年来のメンバーというだけでなくその世話役で、早稲田大学大隈塾の学生の田植え・稲刈り参加もそこで受け入れているが、それとは別に昨年からは、娘や孫、その友達連中の参加出来る場所として釜沼北の棚田会員にもなっている。ここは、谷間の美しい棚田があり、平均年齢81歳の爺さまたち4人が指導して20組ほどの会員に7枚の田を提供している。

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 クロ切りは、田植え準備の最初の作業で、水が入り始めた田の縁の土をシャベルで切り取って整え、4月の「クロ塗り・代掻き」に備える。クロ塗りは、鋤や鍬で田の泥を縁に塗りつけて水漏れが起きないようにする作業だが、それに先だって昨年のクロを削り落としておくのがクロ切りである。田植えや稲刈りともなれば、全会員が家族連れで嬉嬉として参加するが、その前段のこういう地味な作業には都会からわざわざやってくる人はいない。ましてや大震災の翌日である。今日は、爺さまたちの他には、最近この辺りに引っ越してきた農業志向のHさんの2人だけだった。ここらの田んぼは重粘土で、だから「長狭米」といって江戸時代から有名な美味しい米が出来るのだが、耕すのは重くて骨が折れる。80歳を超えた爺さまたちは無駄な力を使わずに綺麗に切り進む。

 午後は個人HPの改定作業。夜は田んぼで一緒だったHさんらと飲みに出る。夜、何人かの東北地方の知人に安否確認。

3月13日(日)

 夜に早稲田大学のゼミの謝恩会が虎ノ門で開かれる予定だったが、予約した店はガスが使用禁止だし、ゼミ生やOBの中には東北に実家がある者も何人かいて、それどころではないということになり延期。HPの改定作業を継続。3人の旧知の米人ジャーナリストから事態の捉え方について質問のメールがあり、分かる限りのことを回答した。

3月14日(月)

 高校の同級生&ブラスバンド仲間だった外山喜雄からメールで、浦安の自宅が液状化で「まるで柔らかいプディングの上にのっているように、大きな家全体がゆったりと揺れてづけているのです、、、、我が家や他の家の揺れが止まってから後、裏の家の揺れは5分ほど続きました。その家の揺れにあわせて、さっきのザッブーン、ザッブーンと言う音が地中から伝わって来ます。揺れが止まって、音もやんで来て、ようやく実際にわが家が傾いていることに気がつきました」と。東京湾岸でもこんなことが起きているんだと絶句した。傾斜は1000ミリ行って50ミリ上がっているというから約3度。「家の中で登りがきつい」。埋立地は怖い。

3月15日(火)

 朝、東海ラジオの電話出演だが、計画停電の第1グループで6時20分から停電なので、携帯電話で対応。話は当然、大地震のことだった。それにしてもこの計画停電というのはどうなのか。いきなり公共交通機関が運休や間引き運転を強制されるというのは、話が逆さまではないか。停電すると信号機が止まるというのも改めて驚いた。コイン駐車場に入れた車が出せなくなるというのも、考えれば当たり前だが、今まで気づかなかった。

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 コンビニに寄った時に目に付いて、『一個人』という雑誌の「大人の博物館探訪」特集を購入。私は結構な博物館(含美術館)マニアで、旅先で少し時間があると立ち寄ったりするので、いつもトランクに細部を観察するための単眼鏡を放り込んであるくらいなので、これは保存版だ。オーソドックスな国立博物館からユニークなテーマの地方博物館や神社仏閣の宝物館まで、たくさん紹介されている中で、特に興味を惹かれて行ってみたいとマークしたのは、名古屋市科学館に今年3月19日オープンする世界最大のプラネタリウム、東京にあるのに珍しく私が目を向けたことがなかったお台場の日本科学未来館と目黒寄生虫館、2年前に開館した島根県立古代出雲歴史博物館などだった。浜松市楽器博物館は4月に講演に行った際に専門家の案内で見学することにしている。

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 蛇足:私が長年使っている単眼鏡は、ドイツ屈指の光学メーカー=エッシェンバッハのMAGNO vario 6X16という、今はもう廃版となっているオールド・ファッションのもの。6X16とは倍率6倍、対物レンズ内径16ミリ。この16ミリはほとんど最小の数値で、これが大きくなるほど明るさも解像度も増すが、その分レンズが大きくなって重くなる。博物館・美術館用の場合は、「ギャラリー・スコープ」と呼ばれることもある遠近両用の、ということは最短焦点距離が小さいものを選ばないとダメで、私のは25cm。同じ単眼鏡でもアウトドアで望遠鏡として使うものだと、5mから先にしか焦点が合わないので、博物館では使い物にならない。

3月16日(水)

 朝8時25分の高速バスに乗って東京へ。10時半から赤坂のスタジオでJFNのラジオ収録。10日に宮田律さんが体調を崩して録音できなかった分の仕切り直しで、リビアやバーレーンの緊迫を中心に縦横に語って貰った。「高野さんはいろんなことに詳しいから今日はしゃべりやすい」と言って頂いてありがたかった。バスがいつ止まるか分からないのでウロウロしないですぐに帰宅。ホームセンターをちょっと覗いたら、電池、灯油、コンロ用ガスボンベ、コールマンのキャンプ用ランタンとボンベなどが払底していた。

 夜はまた停電で、そうするとロウソクを点けて薪ストーブを焚いてラジオを聴きながら酒を飲むしかない。元々遅寝早起きの私が、早寝超早起きになってしまった。

3月17日(木)

 大震災以来、呆然としてテレビの画面を眺めていることが多くて、さあ仕事をしようと思うと停電でネットが切れたりして、落ち着かない状態が続いてきたが、気を取り直して資料整理と原稿執筆。合間に知り合いの米人ジャーナリストらからメールでいろいろ質問が飛んできて、それにいちいち英語で返事を書くのは仕事が中断されてつらいのだが、大事な仲間たちが日本を心配してくれているのだから、真剣に答えなくてはいけない。

 新潟県妙高市の広報誌『M TOURISM』春号が届いた。巻頭見開きの「妙高ゆかりの人」という連載シリーズで私のインタビューが載っている。同市との関わりは、04年に宮城県鳴子町で全国グリーンツーリズム大会が開かれた時に私が出たセッションに当時は新井市長だった入村=現妙高市長が来場されていて、その後に妙高に講演で呼んで頂き、地域興しのための「妙高里山みらい塾」塾長にかつがれた。年に1回ではあるが1泊2日で行って、総会と後援会、大宴会、視察やウォーキングなどを行う。市顧問、観光大使などの肩書きも頂いていて、これらはもちろん無償だが、そうやって1つの地域の人々と深くお付き合いすることで多くのことを学べるのが嬉しい。

3月18日(金)

 朝から近所のK君が来てくれたので、先月27日に続いて一緒に淡竹の林の整理作業。途中から私は抜けて、作業小屋に行って書斎の本棚の転倒防止の木枠をDIYで製作。その2本の本棚は背が高くて天井との隙間が22センチで、既製のつっかい棒ではなかなかピッタリのものがない。前から娘に「これが倒れたら死ぬよ」と言われていながら延び延びにしていて、先日ちょっと怖い思いをしたので、ホワイトウッドの角材で長方形の木枠を作って2種類の補強金具で強度を増して、隙間にピッタリ収まるものを2個作った。これで娘に叱られなくて済む。

3月19日(土)

 今日は67歳の誕生日。浦安で家が傾いた外山はじめ何人かの同年生まれと何軒かのネット通販からHappy Birthdayのメールが届いた。私は本当は昭和19年4月17日生まれだが、幼稚園でみんなで並んでお遊戯とかさせられるのが嫌いで、3カ月だけ行って不登園になって、そのへんでブラブラ過ごしていた。それで母親が困って、社会党の区議に頼んで戸籍の誕生日を3月19日に書き換えて、1年早く小学校に入れてしまったのだ。初めから1学年飛び級という格好で、人よりも人生を1年分、得していることになる。

3月20日(日)

 今朝から予定されていた我が草ラグビーチーム「ピンク・エレファンツ」の年寄りラグビー大会は中止。私が還暦を迎えた7年前に「高野団長還暦記念大会」を誕生日前後に開いてくれて、我がチームだけでなく対戦相手のオーバー・フォーティー(40歳以上)が100人ほども集まってヨタヨタ試合と大宴会を楽しんで以来、これが恒例のようになっていたが、この事態では中止もやむを得ない。

 早稲田大学から、卒業式も入学式も中止し、4月6日から始まるはずだった授業も連休明けの5月6日からに8月4日までに変更すると知らせがあった。今時の大学では半期に15回の授業日数確保がやかましく言われるが、これだと7月18日(祝)を授業日にしても13回しか出来ない。後は期間中のレポートなどでカバーするということのようだ。これまたやむを得ない。

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 夜は鴨川市のラーメン屋で大震災支援チャリティのためのジャズ・ライブが開かれた。鴨川在住の練達のジャズ・ピアニスト=坂口三代次さんが呼びかけたもので、私も家内やご近所5〜6人を誘って参加した。坂口さんは昭和19年生まれの「一休会」のメンバーで、鴨川の海岸近くに別荘を持っていたが、今はこちらで暮らすことの方が多い。彼の行きつけのラーメン屋が「マンボウ」で、そこのご主人の山口さんは元東京キューバンのベース奏者。彼らのミュージシャン仲間2人も駆けつけて、暗闇にいきなり大輪の花が咲いたような束の間の楽しみを与えてくれた。ライブは無料で、出演者はもちろん無償。会場に募金箱を置いて集まったお金を鴨川市役所を通じて被災地に寄付するという。▲

2011年3月19日

高野尖報・行政も医療も商店も報道も頑張っている

早稲田のゼミの教え子で今は福島の新聞社で働いている者から14日付で報告があった。「行政は頑張っています。医療も、商店も、報道も、それぞれの持ち場で頑張っています。田舎の強みでしょう、共同体も機能して支え合っています」という言葉が力強い。以下、許可を得て全文転載する。
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ご無沙汰しております。高野ゼミ1期のSKです。
一昨年の夏から、地元福島の新聞社に勤務しています。
私の家族は無事ですが、やはり連絡のつかない友人は多数います。
だいたいの状況は皆様ご承知の通り。水や電気の使用に制限があり、余震が止む気配は一向にありません。
街を歩けば割れたガラスや砕けた石垣が至るところに散乱しています。最低限のもの以外には、片付けに手が回らないのです。
昨日あたりから福島市内の避難所に、いわきや他県ナンバーの車が目につくようになりました。
海側の惨状は筆舌に尽くし難く、避難してきた友人も、後にしてしまった故郷の話のときだけは込み上げる嗚咽を抑え切れませんでした。

幸い地震の当日以外は天気もよく、澄んだ青空に紅梅がよく映えます。夜は静寂と星座の瞬きしか聞こえません。

感じることには温度差があります。想像力は、被害の中心地から離れるに従い少なくなるでしょう。縁のあるなしが、それを余計顕著にします。
福島にいる僕ですら、そうです。被災地と一つに括るのも憚られるくらい、海側とそれ以外の人間に走った痛みは異なると思います。
そのうえで、あくまで自分の生活圏からしか所見を述べることは出来ませんが、行政は頑張っています。医療も、商店も、報道も、それぞれの持ち場で頑張っています。田舎の強みでしょう、共同体も機能して支え合っています。
天に向ける憤りや、原発行政への怒りはあれど、大きな混乱はなく、身を寄せ合い日常を待ち望んでいます。原発に対しては、今は怒りより祈りです。どうかこれ以上被害が増えませんようにと、皆のテレビに向ける眼差しは静かです。耐えることに悲壮感はさほどありません。
給水所で、楽しそうに水をかついで駆けていく子どもを見ました。さっき余震で大口開けて泣いていたのは誰だっけ。とかく子どもはよく泣きよく笑います。

福島市近郊での安否確認程度なら、できます。避難所の様子を見てくることも出来ます。それ以上遠くに足を伸ばすことは出来ませんが、何かあれば遠慮なくどうぞ。
画像は弊社の1ページ。自画自賛ですけどね(笑)、いいでしょ、こんな新聞(^_-)泣きそうになりました。
では。乱筆乱文失礼。
また飲みましょう☆

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高野尖報・日本のために世界が祈る

 知人から送られてきたので、紹介する。小学校の先生が「子どもたちに希望を伝えたい」という思いで作成しYouTubeに投稿したビデオで、世界中の人々が日本のために祈っていること、このような事態でも日本人のほとんどが気品を重んじて行動していることが素直に伝わってきて嬉しい。▲

2011年3月 6日

高野孟・遊戯自在録016

3月1日(火)

 朝の東海ラジオは中東情勢。10時東京発で大阪に行きミヤネ屋出演。沢尻エリカ様とかいう女優の別れる別れないという話がメインでコメントの余地がなかった。夕方、最近知り合った在阪の某テレビ局のエリート社員H君が、一千ン百万円の年収を捨ててでも農業を通じての村興しのためのNPOを組織する事業に身を投じたいという話なので、心斎橋の「本多」というワインバーで一杯飲みながら相談に乗った。聞けば、彼自身がMBAを持つ経営コンサルタントの有資格者で、しかも30歳代半ばの同年代で一流銀行や証券に務める金融プロ、弁護士、会計士、司法書士などを含む10数人の仲間が「21世紀は農だ!」という思いを共有して、その誰もが人も羨むような地位と収入を捨てて自ら土に触れる暮らしを始めようと決意し合っているという。凄い話で、大いに支援することにした。別れてから、近くの気に入りの居酒屋「若松」に久々に寄って飲み足して、大阪泊。

3月2日(水)

 朝5時に起きて午前中は読書、資料整理、原稿書き。午後から茨木市でみずほ総研の講演に出て夜帰宅。

3月3日(木)

 雛祭り。我が家は老妻と2人きりで今更お雛様でもないのだが、毎年、娘たちや孫の幸せを祈って2月中旬からきちんと飾る。メインは、長女が生まれた時に妻の親たちから贈られた昔風の端正な本格派の一対だが、他に千葉県長生郡に在住の人形作家=千葉惣次さんの手に成る江戸時代の泥人形の手法を継承した素朴な雛がいくつもあって、それらを家中に並べてほのぼ
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のとした気分を楽しむ。午後、家内を乗せて車で上京、家内は孫の家で雛祭りのお食事会へ。孫への土産は、今朝我が家で山ほど獲れた蕗の薹と椎茸である。私は浅草に行って、96年旧民主党結成時の裏方たちとの同窓会。皆さん、この政権状況では「あの時の苦労も報われない」と歎くことしきりで、「さあ、どうするか」という話になった。浅草泊。

3月4日(金)

 午前中、ホテルで資料作り。午後から、早稲田のジャーナリズム大学院の授業のためのオリエンテーション・ビデオ撮影。それから朝日新聞の都庁担当、小学館の編集部、徳間書店の軍事雑誌のライターからそれぞれ1時間ずつ3連続インタビューを受けてクタクタ。7時から昭和19年生まれの会「一休会」の宴会で、今日は加藤登紀子さんを含め20数名が参集する盛会で大いに談論風発した。登紀子さんは昭和18年生まれだが、この会は私と藤本敏夫が呼びかけて始まったので、彼女を最初から特別会員とし、藤本が亡くなった後も出来るだけ都合をつけて来て貰うようにしている。

 民主党からは、岡崎トミ子参議院議員(前男女共同参画担当大臣)、峰崎直樹内閣官房参与(前参議院議員)の2人が見えた。峰崎さんは先の参院選で引退して財務副大臣も下りたが、民主党きっての財政・税制通として内閣の参与としてその方面の政策立案の中心を担っている。2人とも現状に「参ったなあ」と言いながらも元気で何よりだが、この会には自民党のほうが多くて、中川秀直、丹羽雄哉、細田博之、町村信孝など錚々たる面々がいるのだが、政権交代してからというもの、誰一人として顔を出さない。「こんなことじゃあ自民党の再生も難しいよな」と大下英治、小椋佳、長野厖士らが並ぶテーブルでひとしきり話題となった。

3月5日(土)

 今日と明日は静岡体文協の3カ月連続特別講座の第2回で、まずは浜松へ行って「中東民主革命と中国、北朝鮮の怯え」という話を2時間。主宰者の佐野つとむさんが胸の血管の詰まりを手術して昨日まで2週間入院していたと聞いてびっくり。飯よりも酒よりも好きな煙草を禁じられて辛そうだったので、最近煙草を少しだけ復活している私も静岡の焼き鳥屋でご一緒している間は控えめにした。

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 早めにホテルに戻り、iPadに必要なアプリを組み込んで、重い思いをしてパソコンを持ち歩かなくてもこれだけで一通りの仕事ができるようカスタマイズする作業を継続。しかしどうしても画面内の仮想キーボードは、メールの返事程度はともかく、長い原稿を書くには適さないので、今朝新幹線に乗る前にビックカメラ(注)に寄って買い求めてきた携帯用のワイヤレス・キーボードも接続した。キーボードを持ち歩くのは面倒ではあるが、それを合わせてもMacBookよりは体積的に小さく、重量もちょうど半分の1キロと軽い。キーボードは、写真左のMacBookのそれと全く同仕様なので原稿書きのスピードが鈍ることはない。真ん中にあるのがイー・モバイルのWiFiモデムで、最初の設定さえしてしまえば、iPadでもMacBookでも(あるいは両方一緒でも)起動しさえすれば自動的にネットに繋がるので、起動の度に接続の操作を繰り返す必要がない。右横の黒いペンはヘッドがソフトなタッチペンで、iPadの画面に指でタッチすると脂や汚れが付くので、出来るだけこれでやる。持ち歩く時はiPad上部のイヤホンジャックに差し込んでおくと見失うことがない。

 ちなみにこのiPadは、イー・モバイルの2年間通信契約付きで何と6000円台という超低価格のをネット通販で買った。機械は事実上タダで、月々何千円かの通信料で回収するという商法だ。そう言えば、昨日泊まった浅草のホテルは、Schickの最新型のひげそりプレゼントという宿泊プランで(知らずに楽天トラベルで値段だけ見て適当にクリックして予約したのだが)、これも、Schickは替刃が高価なので、本体をタダで配って替刃で儲ける仕組みである。

注:これビッグでなくビックなんですね。ふと気になって同社の投資家向けページのQ&Aを見たら「Bicはバリ島のスラングで、大きい(Big)という意味と、さらに単に大きいだけでなく中身のある大きさを意味する」のだと。フ〜ン。

3月6日(日)

 午前中ホテルで仕事。14時から静岡労政会館で体文協の特別講座を終えて佐野さんや参加者有志数名でまたまた静岡駅構内の魚料理店「大作」で懇談し、18時半過ぎの新幹線で帰宅。

3月7日(月)

 先週は5日も外泊だったので、久しぶりに自宅でくつろぐ。冷たい雨がちょっと降り止んだ隙に、蕗の薹を一山ほども採取して晩酌に備える。採りきれない蕗の薹は10センチくらいまで伸びて花を咲かせて花畑状態になっているけれども、後から後から出てくるのでしばらくは楽しめる。

高野尖報・「参議院の優越」はおかしい!

 6日付け毎日新聞「反射鏡」欄で、冠木雅夫論説委員長が「"参議院の優越"を何とかしなければ」と書いていて、私も賛成である。周知のように、憲法及び国会法上では「衆議院の優越」が定められているにもかかわらず、現実には民主党政権は、衆議院で過半数を大きく上回っていながら参議院で過半数割れしているために、衆議院での再可決に必要な3分の2を確保できなければ予算関連法案を通すことができない。参議院が政権の生殺与奪の権を握る形である。

 欧米の政治制度に詳しい大山礼子駒沢大学教授は『日本の国会/審議する立法府へ』(岩波新書)で、(1)内閣提出法案の審議に内閣の関与を強める、(2)国会審議を通じて合意形成する、(3)参議院の権限を弱め言論の力で存在感を発揮することなどにより、国会の機能を高めようと問題提起している。「カリスマ性をもたない弱いリーダーもある程度指導力を発揮でき、逆に強いリーダーが登場した場合はその権限行使をチェックできるような枠組みを」と記している。

 また、政治学者の北岡伸一東京大学教授も『グローバルプレイヤーとしての日本』(NTT出版)で、「首相を決めるのは衆議院議員選挙であるということの再確認」が重要であり「参議院の敗北ぐらいで責任問題を問うべきでない」と強調する。両教授とも、3分の2条項を過半数にし、「ねじれ」が常態化する中でもそれを前提に物事を決める仕組みにする必要があると主張する。

 ----以上、冠木論説の要約。

 「参議院の優越」というのは、例えば仙谷由人前官房長官の更迭がそうである。彼の言動の是非はともかくとして、衆議院は別に彼を職務に不適格と認めていないのに、参議院が問責すれば総理と内閣はタジタジとなって大臣を首にせざるを得ないというのは、どう考えてもおかしい。本来であれば、参議院の問責を受けて、衆議院がそれを否定する留任決議を上げて、そのような悪しき慣例を作らないという衆議院の自負を決然と示すべきだったが、民主党内でも小沢派が反仙谷で凝り固まっていて造反する恐れがあったのでやらなかったのだろう。情けない話である。

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 同じ6日付の読売新聞の書評欄では、橋本五郎特別編集委員が上述の大山礼子の著書を採り上げて、「信頼回復への処方箋示す」と評価している。国会審議の形骸化は数字の上でも明らかで、衆議院本会議の審議時間は、イギリス下院、フランス下院の10分の1以下で、委員会の審議時間も減っている。法案の修正は1割にも満たない。何がそうさせるのか。大山によると、

(1)「事前審査」----内閣提出の法案を与党が閣議決定前に審査し承認するという長きにわたる慣例は、法案成立が確かなものになるという意味で内閣にとって「必要悪」ではあったが、その結果、与党議員の影響力は増大し、内閣のリーダーシップは低下し、国会は与野党の対立図式の下での駆け引きに終始することになる。政権交代で「事前審査」そのものは廃止されたものの、内閣が与党頼みの国会運営を止めて自らの責任で法案を修正するなど国会審議に積極的に関与し、与党議員も国会の場で議論に参加して野党共々よりよい法案に仕上げていくというふうにしないと、熟議する国会にはならない。

(2)「会期不継続原則」----1つの会期が終わるたびに継続審議の手続きをしないと法案が廃案になってしまうというこの原則を見直さないと、野党は時間切れ廃案ばかり狙うことになる。これでは審議は深まりようもなく、諸外国ではすでに廃止している。

(3)「参議院の優越」----日本では「ねじれ」の常態化で、参議院が事実上、立法の拒否権を握っているが、フランスでは法案が下院、上院を2往復しても決着がつかない場合、下院が最終的に決めることになっている。日本の衆議院の「3分の2再可決」は過半数再可決にすべきである。そもそも、下院で圧倒的過半数を持ちながら上院で過半数がないため連立政権を組むことは当然という考えは国際的にも極めて異例である。

 ----以上、橋本書評の意訳的な要約。

 「強い参議院」のもう1つの問題は、昨年7月時点で最大5倍という1票の格差であり、それが政策形成を歪めていると指摘されている。それを含めて、参議院自身が自ら早急に一大改革に取り組まなければ、参議院廃止論が勢いを増すばかりである。私自身は、例えば(都道府県制度がある現状では)全国の知事が自動的に参議院議員となって地方の主張や利害を突き出しつつ調整するような文字通りの「言論の府」にするか、それもできないなら廃止すべきという意見である。

 なお、たまたま毎日と朝日の6日付書評欄は北岡の著書を採り上げているが、いずれも外交政策についての提言に焦点を当てていて、同書の国会改革の部分には触れていない。▲

2011年3月 1日

高野孟の遊戯自在録015

2月24日(木)

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 静岡の佐野さんに「一度使ったら止められない」と薦められて注文していた「ガラスペン」が届いた。台東区入谷の「佐瀬工業所」が製造する大正ロマン風の手作りの逸品で、片方は、ペン先から軸まで全部ガラスの高級品。ペン先が緑でインクを吸い上げる8本の真っ直ぐの溝が付いていて、軸はうっすらとしたサーモンピンクで8本の溝がついたものを絶妙にひねって、見た目に美しくまた握りやすい形に仕上げている。もう片方は、竹軸の廉価品3本セットで、先代が師匠の下から独立して明治45年に「カネモ印」の屋号で売り出した時のままなのだろう、「登録商標/簿記、図引、細字用/品質請合別製/平和万年筆/東京製作品」という昔懐かしいラベルが貼ってある。3本セットは他に中字用、太字用である。

 説明書きによると、ガラスペンは明治35年に風鈴職人だった佐々木定次郎氏が日本で初めて開発した。先代の佐瀬米蔵・えん夫妻はその下で修業して独立し、昭和までは主としてこの3本セットのような竹軸、セル軸のものを作っていたが、2代目の佐瀬勇さんが平成に入ってペン先から軸までガラス製の一体型を開発した。ガラス棒を均等にひねってネジリ模様を出していくには、左右の手を同じ速さで回し続ける特別の業が必要で、それ故に佐瀬さんは台東区優秀技能者、指定生活文化財に認定されている。確かにこれは「文化財」で、少しでも応援して後の世に残したいと思う。


2月25日(金)

 夕方から福島市で内外情勢調査会の講演。会食が終わってもまだ8時前で、少し飲み足りなかったので居酒屋に入り、「国権」という凄い名の地酒と春野菜の天麩羅を頼んだら蕗の薹が付いて来た。こんなのウチでいくらでもタダで食べられるのに、と思った。

2月26日(土)

 福島から東京で乗り継いで名古屋へ。月に1度の「中日新聞栄文化センター」の講義で中東情勢を2時間語る。真っ直ぐ帰ればば夕食の時間に家に着くのだが、今日は家内が旅行中で留守なので、名古屋で軽く飲むことにして、4時の開店を待ちかねるように御園座近くの「大甚」に。4時5分過ぎに入ったというのに、もはや1階は中高年男性を中心に満杯。親父さんが「1階が満席でね。あ、今日は1人? それなら何とかなるわ」と、裏から丸椅子を持ち出して割り込ませてくれた。「繁盛して凄いね」と言うと「土曜日はいつもこうなのよ」と。

 ここは、前にも紹介したことがあると思うが、池波正太郎が愛した店の1つとして雑誌に紹介されていたのを読んで、10年ほど前から寄らせて貰うようになり、東海ラジオ「モルゲン・ジャーナル」(毎週火曜日朝7時半から生出演)のキャスター&スタッフの皆さんとの年に1〜2度の飲み会も必ずここと決まっている。数十種類のつまみの小皿が並んでいるのをセルフ・サービスで取りに行って、空になった皿はお銚子やビール瓶と共に自分の前に重ねて置いておく。ぎゅう詰めの相席だから、自分のスペースは広くなく、もう皿が置けなくなったら帰れということなのだろう。それで「お勘定!」と言うと親父が大きな算盤を持ってきて、皿の形と色で値段を識別して素早く計算する。

 経営者だという隣の方が「菅さんはどうにかなりませんか」と聞く。「どうにもなりませんね」と答えると、「じゃあ日本は沈没ですか」。「いやあ、そんなことはありませんよ。政治がダメなのは今に始まったことではないんで、政府がダメでも国民が利口だというのは国柄のようなもんですから。特に日本の経営者と労働者は優秀だから、それでこの国はもっているですよ」「そうねえ、あんまり悲観しない方がいいのかもね。この店だって、明るいうちからこんな満員で、みんな笑って、楽しそうに飲んでますもんね。日本は大丈夫だ」。ずいぶん素直な人だ。

2月27日(日)

 近所のK君が手伝いに来てくれたので、北側隣地の淡竹(はちく)の竹林を整備。密集しすぎた竹を間引いて、枯れて倒れたのを運び出して、風通しをよくして、陽の光が少しでも奥まで射すようにしてやって、春の筍狩りに備える。淡竹はアクが出ないので、そのまま刺身や皮ごと火で炙って焼き筍で食べるのが美味しい。今から5月が楽しみだ。と言っても、2人で夕方までやって全体の100分の1くらいしか手が着かない。斬るのは簡単だが(と言っても、斜めになったのが途中で過重がかかってバーンと張り裂けて飛び跳ねたりすることもあるので、注意が必要)、大きいので太さ15センチ、高さ30メートルほどのを運び出すのが大変で、けっこう時間がかかる。気が遠くなるような話なのだが、それでもやればやっただけ綺麗になるのが嬉しい。

 疲れて自分で夕食を作るのが面倒になったので、裏の林道からその先の田んぼの畦道をカメラをぶら下げて散歩しながら、韓国焼肉屋まで歩いて行った。昼の12時から飲み続けているという某部落の新年会の人たち20人ほどで一杯で、ここでも「1人? だったら今椅子を持ってくるから」とママさんに言われて、丸椅子で端っこに相席となった。大酔っ払いの村人が抱きついてきて「先生、日本は大丈夫ですかね」と。まるで昨日の名古屋の繰り返しだ。

2月28日(月)

 朝から暴風雨。買ったまま放ってあったiPadを開いてイー・モバイルとの無線LAN接続を設定した。午後東京に出て、iPadのケース(というより袋)、立てて使う時の脚、タッチペンなどを購入。夜は、かつて下の娘が留学した際に親代わりを務めて頂いたワシントンのNさんが来たので、久しぶりに麻布十番の「はじめ」で家内、娘共々会食した。「はじめ」は私の事務所の4軒隣の居酒屋の名店で、前は社員食堂兼応接室のような感じで週に1度ならず通い、亭主のAさんは私と一緒に鴨川で田植えをしたり帯広で馬に乗ったりする遊び仲間だったが、6年ほど前だったか癌で急逝し、それが悲しくて一時足が遠のいたのに加えて、4年前に私が鴨川に引っ越して余り東京で酒を飲まなくなったために、余計に間が空いてしまった。この店の定番は、納豆掻き揚げ、豆腐ハンバーグ、帯広産の黒豚ベーコン、イクラ丼といったところですかね。刺身も毎日築地で仕入れるので文句なし。豆腐ハンバーグなど、ダイエット志向の米国人インテリなどに食べさせると涙を流さんばかりに喜ぶ。

高野尖報:日本はそんなにダメな国なのか?

 井沢元彦『人類を幸せにする国・日本』(祥伝社新書)と竹田恒泰『日本はなせ世界でいちばん人気があるのか』(PHP新書)の2冊を一度に読んだ。「ダメな日本」という自虐的認識が蔓延する中で、敢えて逆振りした勇気の書と言っていい。

 井沢のは、第1章「日本のモノづくりが人類を幸せにした」で、軽自動車、オートバイ、トランジスタラジオ、ホームビデオ、電卓、クウォーツ時計、産業用ロボット、ウォークマン、ゲーム機、新幹線、乾電池、胃カメラ、光ファイバー、太陽光発電、一眼レフカメラ、デジカメ、カラオケなど、総じて日本人が世界に先駆けて開発し商品化して世界中でもてはやされてきた製品を列記している。それらの共通の特徴は、小型化、自動化、低価格化で、その文化的基礎は韓国の文明批評家で文化部長官も務めた李御寧の名著『「縮み」志向の日本人』(講談社学術文庫)が喝破した「縮み」志向にある。井沢も文中で同書に触れている。

 第2章では、インスタント・ラーメン、レトルト・冷凍食品、合鴨農法、缶入り飲料、養殖マグロ、寿司など食品を通じての世界貢献、さらに第3章ではクロサワ映画、アニメ、折り紙など文化面での寄与について述べている。彼はまえがきで、本書のタイトルを見て「冗談か」と思った人もいるかもしれないが「地球文明の中で日本人がその幸福と発展に果たしてきた役割は、実はきわめて大きい」のであって「そのことを当の日本人がいちばん知らない」と指摘している。

 竹田は旧竹田宮家の出であるだけに、日本文明の根源としての天皇への礼賛に傾きすぎる嫌いはあるものの、縄文以来1万年にわたって育まれてきた「和の心」を軸とした日本精神を復興する「ジャパン・ルネッサンス」を通じてこの国が再び世界の中で輝きを取り戻すだろうという趣旨には、私も大賛成である。06年に英BBCが世界33カ国4万人を対象に行った調査で「世界に良い影響を与えている国」として最も高く評価されたのが日本だった、という話から説き起こして、食やモノづくりや建築やアニメまで、どれをとっても日本人特有の緻密さ、真面目さ、こだわってとことん突き詰めていく精神が宿っていることを明らかにしている。

 私は常々、米欧金融資本主義の退廃が深まる中(中東が揺れるとすぐに原油投機に走るこのハイエナぶりはどうだ!)、日本は今こそ縄文以来の先進的精神を元にしたモノづくり資本主義の王道を進んで21世紀ユーラシアの大繁栄と結びついて行くことこそ救国の方途だと講演や講義でも説いているが、その意味で竹田の書を心強く読んだ。

 毎日新聞は今年1月1日付の子ども向け「週刊Newsがわかる」のページで、「日本はダメな国なの?」と題して、「豊かで安全、世界でも人気。暗いことばかり言わずに力合わせてもっといい国に」と書いた。またピムコ・ジャパンの高野真社長もどこだったかの新聞コラムで、日本は研究開発費と特許取得件数で世界一、対外純資産で世界一、国土が狭いと言うが排他的経済水域では世界6位...などと列記して「今こそ日本の良さに目を」と呼びかけていた。その通りである。▲

Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

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