高野孟の遊戯自在録012
12月11日(土)

朝早く家内と共にバスで上京、今日は10時から高田川部屋の相撲の朝稽古を見学して昼から力士たちと一緒にチャンコ鍋を食べる会。初めて見る稽古の激しさには驚いたが、これを朝5時半から始めて12時半頃まで7時間ぶっ通しでやって、昼食・休憩後はまた近くのジムに行ってトレーニングするというのだから尋常なことではない。
12月12日(日)
終日鴨川。
12月13日(月)
早稲田のゼミはTPPを議論。午後の大隈塾授業はNPOテラ・ルネッサンスの鬼丸昌也さんが講師。立命館大学在学中からNPOを起ち上げ、アジアやアフリカで地雷撤去、小型武器禁止、子ども兵救済などに取り組む現在31歳。昨年も来て頂いて学生たちに衝撃を与えた。明日は京都造形大は休みなので、高速バスで帰宅。
★テラ・ルネッサンス:http://www.terra-r.jp/
12月14日(火)
JFNラジオ収録のあと都内ホテルで原稿書き、泊。
12月15日(水)
10時過ぎ羽田発で能登空港へ。和倉温泉のホテル「のと楽」で北陸銀行の顧客向け講演会

と懇親会。この辺りはいま「なまこ漁」が絶頂で3月まで続く。ホテル近くにその名もモロに「なまこや」というショップ&レストランがあって、昼食に「なまこづくし定食」を味わった。あとはこの辺では「中島牡蛎」ですね。能登は美味しいものがたくさんある。
12月16日(木)
11:40能登発で帰るつもりが、羽田からの便が雪とガスで能登に着陸出来ない。金沢まで走って列車で帰るしかないか...と思っているところへ「只今から着陸態勢に入ります」とアナウンス。ロビーで待っていた客の間から拍手が湧いた。1時間遅れで羽田着。

夜は昭和19年生まれの「一休会」の忘年会で、芝公園の豆腐料理「うかい亭」へ。東京タワーの真下の豪勢な庭を眺めながら痛飲し、東京泊。
12月17日(金)
岩手県遠野市の農業&馬青年=岩間敬君が「ちょっと相談がある」と電話してきたので夕方、新橋で会う。山で切り出した木材を大型馬を用いて運び出す「馬搬」もしくは「地駄曳き」と呼ばれる伝統技術があって、彼は20歳そこそこだった10年前から地元の古老に弟子入りしてそれを伝承しようとしてきたが、これに関して今年、新しい展開が出てきたので協力して欲しいという話だった。これについては、後に詳しく語ることがあろう。
19時からプレスセンターで田原総一朗を囲む忘年会。高速バスで帰宅。
12月18日(土)
終日鴨川。13時にご近所の方々が見えて、小学校廃校跡の活用策について相談。
12月19日(日)
高速バスで上京、昼から娘宅で孫のクリスマス・パーティ。都内泊。
12月20日(月)
早稲田授業の年内最終回。16:30からのジャーナリズム大学院の授業は勝手ながらお休みとし、浅草の蕎麦屋「十和田」で主要銀行広報担当と当方周辺記者からなる「四行会」の忘年会。最終新幹線で京都へ。
12月21日(火)
東海ラジオを終えて京都造形芸術大で授業、「ミヤネ屋」出演、夜は「大阪高野塾」。
12月22日(水)
東京経由、バスで帰宅。午後から「鴨川自然王国」の忘年会に家内共々参加、清澄山中の

「白岩温泉」へ。清澄山から養老渓谷へ抜ける林道の途中に忽然とある、これ以上ひなびた宿というのは全国のどこにあるかと思うほどのところで、まずは露天風呂に浸かって、囲炉裏端で宴会。豪華なメニューで大満足、大酔っ払いで、どうやって寝たのか覚えていない。
12月23日(木)
終日鴨川。
12月24日(金)
終日鴨川。
12月25日(土)
バスで上京、名古屋に行って13時から栄中日文化センターの月1度の講義。「2011年はどういう年?」と題して話した。とんぼ返りで帰宅。
12月26日(日)
終日鴨川。
12月27日(月)
孫が来訪、近所の餅つきなどに参加。それを尻目に私は残念ながら大阪へ。明日の「ミヤネ屋」のため前泊。
12月28日(火)
「ミヤネ屋」は年末スペシャル版でいつもの倍の4時間で11:55開始。前半は「朝まで」風の討論番組で、桜井よし子、原口博、森永哲郎の各氏その他多彩な顔ぶれで政治、経済、外交を議論した。桜井さんが相変わらず中国の軍拡に対抗せよといった勇ましいことを叫ぶので「あなた、そんな19世紀みたいなことを言っていたらダメですよ」「国際紛争に処するには、1冊のマニュアル本があるとして、第1章から第9章までは、いかにして戦争にならないようにして収拾するか、最大限努力するかが書かれていて、それが全て失敗した時に、初めて第10章で「軍事力」という話が出てくるんで、その第1章から第9章を語らずにいきなり第10章の話だけしているのは幼稚ですよ」という趣旨のことを言ったら、ムッとした様子だった。これが年内ラストのお仕事。
12月29日(水)
終日鴨川。大掃除の真似事。
12月30日(木)
松尾貴史から彼がプロデュースした「松尾貴史のオススメ落語会」に誘われたので、家内と共に自車で横浜「にぎわい座」に行き、立川志の輔ほかを楽しんだ。いま結構落語ブームでチケットはとっくに完売。松尾が無理に取ってくれたようで「関係者席」だった。帰途、館山道の保田ICを降りて自宅に向かう長狭街道沿いにある超優良の蕎麦屋「きのや」で1日早い年越蕎麦を堪能して帰宅。
12月31日(金)
部屋の片づけ。「紅白」は見ない。
コメント (1)
菅さんを「長い目でみてやろうよ」なんて支持?したり、仙谷さんとの友情をさりげなく「民主党政権への伏流」書評の中で語ったりするから、ジャーナル支持者から総スカンを食う羽目になるのです。
ご自身のブログにも何も書かなくなって、外野のファンは心配でたまりませんでした。
「遊戯自在録」まで放ったらかして。だから「居酒屋田中塾」でジャーナルスタッフに「親分元気かよ」と声かけたんですよ。
あんまり日記を溜めるから「終日鴨川」が増えて、そこが知りたい(鴨川生活の仔細が、都会のコンクリート暮しには羨望の’夢物語’な)のに省略されてガッカリです。
でもようやく年越しできそうで、ほっとしました。
投稿者: 元牢名主 | 2011年2月 6日 19:55