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2011年2月28日

高野尖報:北朝鮮にも波及?中東ネット革命

 26日付日経の小さな記事で、北朝鮮北東部の両江道・恵山で24日朝、エジプト民主化デモの事実を伝え「独裁政権を追い出す運動が国際的に展開されている。目を見開き、世の中を見ろ」という内容のビラが大量にまかれたと報じている。韓国の北朝鮮向け民間ラジオが伝えたところを引用したもの。中国国内で印刷して持ち込まれ、住宅地や路上にバラ撒かれたもので、誰が撒いたかは不明。また中朝国境に近い平安北道・新義州では、住民が警察との小競り合いから抗議デモが発生、軍部隊が鎮圧に当たったという。

 近着の『AERA』3月7日号に「北朝鮮でも暴動が始まった」によると、新義州の件は、市場で警官に殴られた商人が意識不明になり、家族や仲間数百人が抗議に立ち上がり、軍が主導して45人が死亡したとも言われる。『AERA』によると、

▼2月14日ごろ、平安北道・竜川など数カ所で「もう生きていけない、電気と米をよこせ」という抗議も起きた。

▼咸鏡北道・清津では、14年間にわたって些細な罪で住民を刑務所に送って住民の恨みを買っていた元警察署長が数人の住民から石を投げられて死亡した。

 北では、フェイスブックはもちろんインターネットそのものが使えず、携帯電話がようやく始まったばかり。08年末に、皮肉なことに、エジプトの通信企業オラスコム・テレコムと提携して携帯事業を始めたばかり。とはいえ人口2400万人のうち携帯を使えるのは、金を持っている60万人程度でしかない。が、アラブの独裁国も中国も北朝鮮でさえも、経済を発展させようとすれば世界との情報接続を増進せざるを得ず、となるとその電子手段が反独裁の民主化運動の武器となることを阻むことが出来ない。▲

2011年2月27日

高野尖報:イエメンの「大統領制」の実態

 近着の米MEMRI(非営利独立の「中東報道研究機構」)緊急報告No.3584は、スエーデン在住のイラク人ジャーナリストがリベラル系サイトに投稿した、アラブ各国の政権にはびこる汚職や親族支配を批判する記事を紹介している。その中で特に凄いのは、イエメンのサレハ大統領が一族郎党をどんなポストに就けているかのリストで、改めてこれらの国々の親族支配とはどういうもので、それに対する民衆の怒りの深さがどれほどのものなのかが理解できる。なおイエメンは、先の高野論説に付した「中東・北アフリカ主要国データ」では、一応、曲がりなりにも選挙による大統領制を採っている国に分類してある。が、実態はこうなのだ。しかも、リストはまだ続くが全部は書ききれないと著者は付言している。

《サレハ大統領につながるイエメンの官公吏リスト》

・アリ・アブダラ・サレハ(父)
 イエメン共和国大統領

・アーマド・アリ・アブダラ・サレハ(息子)
 共和国防衛隊および特殊部隊司令官

・ヤヒヤ・ムハマッド・アブダラ・サレハ(甥)
 治安部隊司令官

・タレク・ムハマッド・アブダラ・サレハ(甥)
 私兵部隊司令官

・アンマー・ムハマッド・アブダラ・サレハ(甥)
 国家治安維持機関司令官

・アリ・ムーセン・サレハ・アル・アフマル(異母兄弟)
 第一師団司令官

・アリ・サレハ・アル・アフマル
 空軍および第六航空連隊司令官

・タウフィク・サレハ・アブダラ・サレハ(甥)
 国家タバコ・マッチ会社会長

・アーマド・アル・カハラニ(第四夫人の父)
 首都の市長、知事、長官などを歴任

・アブダラ・アル・ラーマン・アル・アクワ(第三夫人の兄弟)
 大臣、知事などを歴任後、現在首都の市長

・オマール・アル・アルハビ(義息の兄弟)
 イエメン石油会社の統括部長

・アブダラ・アル・カリム・イスマイル・アル・アルハビ(婿のおじ)
 副首相、企画大臣、社会開発基金理事長

・カーレド・アル・アルハビ(義息)
 大統領官邸監督官

・アブダラ・アル・ワハーブ・アブダラ・アル・ハジリ(第二夫人の兄弟)
 駐米イエメン大使

・カーレド・アブダラ・アル・ラーマン・アル・アクワ(第三夫人の兄弟)
 外務長官

・アブダラ・アル・カーレク・アル・カードヒ(従兄弟)
 イエメン航空社長

・アブダラ・アル・カーヒ
 在タイズ・アル・マジド軍司令官

・マーディ・マクワラ(大統領の出身地より)
 南部軍司令官

・ムハマッド・アリ・ムーセン(大統領の出身地より)
 東部軍司令官

・サレハ・アル・ダーニン(大統領の出身地より)
 前カーレド軍司令官

・アリ・アーマド・ドウェイド(義息)
 部族問題庁長官

・ヌアマン・ドウェイド(義息の兄弟)
 サヌア州知事、前はアムラン地区知事でアムラン・セメント工場長経歴10年

・ジュブラン・ムジャヒド・アブ・シャワリブ(義息の兄弟)
 アムラン地区知事

2011年2月26日

高野尖報:米国がアフガニスタンで無人機爆撃を止めている訳

 今週のニューズウィークが巻頭コラムで、パキスタンで米国が無人機によるパキスタン北西部への攻撃を停止していると報じている。私の知る限り、日本の新聞ではこのことは報じられていない。

 無人機攻撃は、アフガニスタンでの戦局膠着と米兵殺傷被害の増大(米兵死者数は昨年1年間で436人で過去最悪)に音を上げた米国が、オバマ政権になってから一段と重視している戦術で、ワシントンのCIA本部に通勤する若年兵が画面を見ながら遠隔操作でアル・カイーダ戦闘員がいそうな村々をゲーム遊びでもするかのように爆撃する作戦で、当然にも一般市民の巻き添えが甚だしく、米シンクタンクの推計で04年からの6年間で1734人のパキスタン人が爆殺され、少なくともその2割が罪のない民間人だった。パキスタンのネットでは「米国の心ないテロリズムが人々を虫けらのように殺す」といった言葉が飛び交っている。

 その無人機攻撃がこのところ1カ月も行われておらず、ニューズウィークによると、パキスタン人は当初、天候のせいだと思っていたが、そうではなくて、米人で元特殊部隊員で今は現駐パキスタン大使館員のレイモンド・デービスなる人物が1月末にラホールで、強盗と見られるパキスタン人2人をピストルで射殺、本人と米側は正当防衛を主張しているものの、パキスタン警察は殺人罪での起訴を求めていて、両国の対立問題となっている。米政府としては、この状況で「パキスタンの法律や主権を踏みにじる米国の傲慢」とパキスタン側から見られている無人機攻撃を続けるとますます反米感情を煽ることになると見て、攻撃を控えているという。

 しかし、無人機攻撃というものそれ自体が文明論的な立場から見てどうなのか。2月17日付毎日の「記者の目」欄の大治朋子記者による「オバマ大統領の無人機戦争」によれば、米国だけでなく「40カ国以上が開発競争を繰り広げている」というが本当なのか! 日本は「無人爆撃機の製造禁止を国連に働きかけるべきではないか。▲

2011年2月25日

高野尖報:北京が畏れる中東若者革命の波及

《これまで「高野論説」という形で、INSIDERと共通の本格的な論説を書くことにこだわってきたが、まったくウンザリするような政治状況で気合いを入れて論じる気がなかなかおこらないことに加えて、9月末に安易かつ不当な値上げに抗議して40年間慣れ親しんだ煙草を止めてしまったために集中力がなくなり、まずは一服してからエイヤッと書き始めるリズムが取れなくなって、余計に出稿量が減ってしまった。先日の大阪高野塾で最新の知見をあれこれ披露しつつ講演したところ、参加者から質問というか要望があって、「今日のような具体的な話をもっと機敏かつ小まめにザ・ジャーナルに出してくれればいいのに」と言われた。考えてみればその通りで、私は毎日多量の新聞・雑誌に目を通し、政治家・財界人に会い、地方に行って講演をすれば経済人や市会議員や市民活動家に会ったりもして、たくさんのヒントやアイディアやキーワードを溜め込んでいて、それは私のジャーナリストとしての基本動作なのだが、昨今はそれらを溜め込むばかりで、「いずれ論説を書く時に参考にしよう」と思ってはいても、なかなかそうはいかずに死蔵されていく。自分でもこのままではまずいと思ってきたので、この大阪塾生の提言を機に、「高野論説」とは別に「高野尖報」と称して、昨日今日に見聞きして私の感性に引っかかった情報を半処理状態のまま思いつくままに「ザ・ジャーナル」上に投げ出していくこととする。尖報というのは英語で言えばFlash(News)で、閃光、ひらめき、一瞥などの意味を併せ持った私の造語である。なお早稲田のジャーナリズム大学院では「新聞の読み方」と題してそのようなジャーナリストの基本動作を講じているので、4月から新学年が始まれば、本欄はそれとも連動することになろう。》

──────────────────────

 今日『クーリエ・ジャポン』4月号が届いた。米ファスト・カンパニーから訳出した中国のファイスブック、ツイッター事情についての記事が面白い。中国政府は「グレート・ファイアウォール」と称する、現代の万里の長城とも言うべきインターネット検閲システムを構築して、米フェイスブックやツィッターなど国外のSNSに人民が接続することを阻んでいるが、その結果、中国国内にそれと似たようなサービスが次々に登場して、当局との果てしない追いかけごっこが始まっている。当初は清華大学の学生向けとして始まったフェイスブックのそっくりさん「人人網」は1億6500万人、若手社会人向けの「開心001」は9500万人のユーザーを抱え、なお毎日数十万の新規ユーザーを獲得して成長を続けている。

 もちろんそれらのサービスは、チベット亡命政府のダライ・ラマやノーベル平和賞の改革家=劉暁波など"危険"なキーワードをチェックするよう求める政府の規制から自由ではありえないが、それでもユーザーたちは「語呂合せや言葉遊び、画像などを駆使して検閲をくぐり抜ける方法を探し出して、自分たちの考えを表現している」という。

 実際、SNSを武器の1つとした中東若者革命が爆発が中国国内に波及することは北京にとっては恐怖で、18日頃からネットで始まった「20日午後に北京はじめ13都市で民主化要求の集会を開こう」という呼びかけは、数万人の検閲官が転載先まで虱潰しのように追いかけて次々に削除した。21日付日経によると、当局は国内SNSに「工作員を登録させ、民主派グループに接近したり、ネット上の"友人"となって活動状況を把握しようとしているが、ユーザーはエジプトを『ミイラの国』、デモを『散歩』と隠語に言い換え、また削除された論文も人海戦術で繰り返し転載したりして反撃を続けている。

 22日付読売によると、中国のネット人口は4億5000万人に達しており、「若者を中心に、当局の接続規制をかいくぐり、反政府的情報を共有しようとする動きが続いて」いて、「規制サイトを閲覧できるソフトや、国外サーバーにある特殊なサイトなどを通じて、当局が隠そうとする情報も出回っている」という。

 「人民の海に逃げ込む」のが毛沢東流のゲリラ戦術の基本だが、その正統な後継者は今やネットを活用する若者たちであって、電子的な人民の海に中国共産党が空しく抵抗しつつそれに呑み込まれそうになっているのは皮肉としか言いようがない。▲

2011年2月24日

高野孟の遊戯自在録014

2月1日(火)

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 南房総は滅多なことでは雪が積もらないが、昨夜の雪は今日まで残った。朝風呂に入ると、北川の清澄山系にうっすらと雪が被ってまるで温泉気分。遊びに来る娘が「ここにいると、箱根や伊豆に行こうなんて気にならないよね」と言うが、そのとおりなのだ。

 鳩山由紀夫の秘書から、明日外国人特派員協会で行うスピーチの日英両文の草稿を送ってきた。旧民主党結成時のことに触れ、特にその外交政策で「アジア重視」を謳っていたことを、当時の私の論考なども参考にして述べているので、一応目を通しておいてくれとのこと。菅総理が軽々に「日米基軸」と断言して「東アジア共同体」について全く触れないことをやんわり批判していて、なかなかいい文章だ。これはザ・ジャーナルに転載させて貰おう。

2月2日(水)

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 午前中、自宅隣の荒れ地の藪刈りの続き。野バラと茅と葛の蔓ががんじがらめになっているのを、草刈り機、鋸、鎌などを用いて切り拓いていくのだが、バラも葛も根っこが頑丈で普通の植木鋏を使うとたちまち刃こぼれして使い物にならなくなってしまう。そこで今日は早々に作業を切り上げて、館山市内の越前刃物専門店「田中惣一商店」に、前々から目を着けていた「根切り鋏」を買いに行った。1万円といういいお値段だが、これなら相当な荒仕事をしても刃こぼれなど起きそうにない。

 田中さんは元は越前から刃物をかついで房総を行商で回っていたが、雪のないこういう温暖なところに暮らしたいと思ってここに店を開き、この土地の暮らしに適した刃物を越前に特注して店に並べて評判になった。今は店の半分は娘さんのフェア・トレード・ショップになり、第3世界から適正な値段で仕入れた衣類や雑貨を置いていて、これもまた楽しい。家内と一緒に行くと、私は左の刃物コーナーに行って田中の爺様と刃物談義をし、家内は右のフェア・トレード売場に行って娘さんとおしゃべりをする。

★田中惣一商店 http://www.awa.or.jp/home/more/

 夕方、車で15分の清澄山系の山中にある「白壁の湯」に行く。目の前の渓流にそびえ立つ巨大な白い岸壁を見ながら入る露天風呂が格別なのだ。男湯、女湯とも他に誰もおらず貸し切り状態だった。

2月3日(木)

 今日は14時から、千葉県佐倉市で商工会議所の新春講演会。会場が国立歴史民俗博物館のホールなので、早く行って久しぶりに博物館を回ることにした。車で館山道から東関東道に入ると直に佐倉で、家から1時間ほどで着いてしまう。日本人の生活史を通史的に展示している博物館は全国でもここだけで、興味が尽きない。しかも1年前に「現代」を取り上げた第6展示室がオープンし、「戦争と平和」「戦後の生活革命」の2テーマで1930年代から70年代までを表現している。戦争の部分はさぞかし扱いにくく苦心されたことと思われるが、なかなかバランスの取れた上手な展示だった。

★国立歴史民俗博物館 http://www.suisen.co.jp/http://www.rekihaku.ac.jp/ 

 講演が終わり、控え室で蕨和男市長らと歓談していると来客が2人。1人は大学同級生のMさんで、リタイアして佐倉に住み社会福祉協議会の理事をしている。もう1人は大隈塾社会人ゼミ2期生だった某食品会社勤務のTさんで、何と春の統一地方選で佐倉市議に立候補するのだと言う。大いに激励した。大隈塾の学生ゼミのほうからも2人が府中市と横浜市で市議に立候補するし、大隈塾のコーディネーターの村田信之(蓮舫の亭主)も目黒区議に立つ。大隈塾は次世代の政治家育成塾という一面もあるのだ。夕方帰宅。

2月4日(金)

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 夕方に名古屋入り。中日新聞栄文化センターのAさん、その上司のMさん、同センターの料理教室の先生のIさんで、遅ればせの新年会。食通のMさんが連れて行ってくれたのは栄の丸善書店の裏にある小料理屋「むら鍬」。最上の素材を真っ直ぐに活かすキビキビとした包丁さばきに圧倒された。日本酒をいささか飲み過ぎてバタンキュー。

2月5日(土)

 午前中、名古屋の街をウロウロして、昼前に名古屋を出て大阪へ。名古屋駅では上り線ホームにあるグランディールのカツサンドを買うことが多い。JR東海系で売っている「やわらかカツサンド」が嫌いで、どこの駅でもそれ以外のカツサンドを探究している。今日は下り線なので、わざわざ隣のホームに上がってそれを買って、まだ時間があるので待合室で座って新聞を広げようとすると、目の前の席に着いたマスクをかけた怪しい男が「高野さん、どうも」と言う。マスクを外すと、何と原口一博前総務相。昨年末の「ミヤネ屋」の討論番組で隣に座って以来だ。「菅さんが何を考えているか分からない」と言うから、そんなん簡単、菅とはこういう男なのよ、と説明してやったら「ああ、そういうことですか。初めて分かった」と納得していた。

 大阪は高槻市で、辻元清美の後援会で講演と彼女とのトーク。「民主党政権とは何か」という話をした。社民党支持者の左がかりばかりが来ているのかと思えば、歯科医師会の幹部が勢揃いしているのには驚いた。辻元は古い古い知り合いで、ピースボートが世界一周旅行を始めた頃にニューヨークからグアテマラまで船内講師として乗船したことおもあった。96年総選挙で彼女が社民党から出ることになった時は、私は旧民主党の立ち上げに命懸けになっていたので、「何で今時、社民党から出るんだ」と罵倒した。彼女は「高野が私の立候補を妨害している」とかビラに書いたりして、一時は険悪になった。そういうことも今となっては懐かしい思い出で、彼女も社民党を辞めて「こうなってようやくあの時高野さんに言われたのがどういう意味か分かったわ」と言うのである。

2月6日(日)

 終日鴨川。読書と薪割り。

2月7日(月)

 12時から『朝日ジャーナル』のための座談会。ITジャーナリストの佐々木俊尚さん、メディア・プランナーの荻上チキさんと共に、週刊朝日=山口一臣編集長の司会で新聞・雑誌など旧メディアとネットの新メディアとの対比について語り合った。夕方、情報労連の機関誌『REPORT』編集部から「民主党政権の今後と春の統一地方選」についてインタビュー。夜は小学館の旧知の編集者たちと焼き鳥屋で「成長の限界2.0」というテーマのオムニバス地図帳を作る件で打ち合わせ。東京泊。

2月8日(火)

 大阪で「ミヤネ屋」出演。ほぼ全編「相撲の八百長」問題で、あと若干は芸能。しゃべることなし。この番組は、経緯があって前身の番組から関わってそれなりに楽しんでは来たけれども、そう言っては何だが所詮は昼ワイド。私が喋ることはそう多くなくて、人からも「何であんなのに出ているんですか」と軽蔑的ま言われ方をすることもしばしばで、もうそろそろ潮時かの感もある。4月に大幅な番組再編の予定があるとの話も漏れ伝わっているので、そうなるとコメンテーター陣も入れ替えがあるだろうから、政治や国際以外は嫌々コメントしている私などお払い箱になる可能性が大きい。

 昨年サンプロが終わって、その後はTVのレギュラーは「ミヤネ屋」だけとなり、それでも当初は毎週出演であったのが、TV業界の衰弱化を反映して、まず最初は(1)それまで毎日4〜5人のコメンテーターが並んでいたのを3人にするので、隔週の出演にしてくれ、次に(2)1回の出演料をン万円から1万円削減させてくれ、さらには(3)今まで番組終了後にホテル泊まりを認めてきたがその費用が出ないので日帰りで帰京してくれ......と、どんどんみみっちくシュリンクしてきて、私らは気分が萎えていくのですね。こうやってTV界は廃っていくのでしょう。

2月9日(水)
 朝、薪の整理を少々。書斎に山と積まれた新聞・雑誌を整理して紐で縛って外へ。新聞は朝毎読はじめ日経、ヘラルド・トリビューン(NYタイムズ国際版)、赤旗、日本農業新聞、地元の房日新聞まで8紙とっているので、2カ月も溜めると1メートルを超える高さに積み上がって処理が大変なのだ。

2月10日(木)

 終日、税務申告のための伝票整理に費やして、夕方、会計事務所宛に宅配便で送付。毎年、どうしたってこのために丸一日費やさなければならないが、今年は3月15日ギリギリにならずに済んだのがよかった。

2月11日(祝)

 朝から雪模様。娘・婿・孫が来訪する予定になっていて、大雪なったら困るなあと思っていたが、それほどのこともなく、昼前に到着。さっそく午後から、鴨川市街の「池田」という魚屋さんが店の裏で開いている料理屋に行って「金目鯛煮付け定食1200円」とかを堪能して、それからロマンの森=白壁の湯へ。孫娘は、男湯と女湯のどっちに入る?と言われて、一瞬ためらったあと「ジジと入る」と言って頂いて、ジジ・パパと共に男湯へ。ババ・ママは女湯へ。雪がしんしんと降って見る見るうちに辺りの樹木や岸壁が雪に染まっていくのを眺めながらの温泉はまた格別。孫は「今ね、パパと私は温泉にはまっているの」と言うくらいの温泉好きで、パパと2人で長湯するので、私はのぼせそうになって先に出る。2人は明日は鴨川グランドホテルの温泉プールに行くと張り切っている。

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 夕方になるとかなり雪が積もってきて、これじゃあもしかしたら明朝は車が動けなくなるかもしれず、そうなると明日の浜松、明後日の静岡の静岡体文協の2日連続の特別講座に間に合わないかもしれないと心配になり、夕方家を出て東京で娘の家に泊まることにした。が、東京への道すがらラジオを聞くと、今日も新幹線がだいぶ遅れ、明日も降り方次第ではどうなるか分からないというような話なので、思い切ってそのまま静岡へ。駅前のビジネスホテルをとってから、駅ビルにある魚料理の名店「大作」でしんみり酒を飲んだ。いるかをメニューに載せている店も珍しい。途中、昨年9月末に「休煙」して以来4カ月半ぶりに煙草を買って吸ったら、結構美味しいというだけでなく、この間いろいろ考えあぐねていた諸々の事柄が雲が晴れるようにスッキリと整理されてきて、なるほど煙草は「集中力を高める」というのは本当だと実感した。

2月12日(土)

 午後から浜松で「民主党政権でどうなる日本」について講演。中高年中心に70人ほどが熱心に聞いて下さって、質問者も多数。一番前の席に座って真っ先に質問したオバ様が「今まで胸の中でモヤモヤしていたものが一気に晴れて希望が湧いてきました」と言ってくれたのが嬉しかった。

 体文協を50年近く主宰しているのは佐野つとむさん。私とは断続的ながら何十年の付き合いで、昨年も体文協の「社会人大学」の講師として呼んで頂いた。佐野さんは静岡きっての食通で、講演の前後に県内の超一流の居酒屋や寿司屋やおでん屋や天麩羅屋に連れて行ってくれるので、それが何よりの楽しみ。昨夜飲んだ静岡の「大作」も彼に連れて行かれた店の1つだ。今日は、講演後、まだ日が高いので、これも佐野さんお馴染みの「珈琲香爐」に行って、オーナーの女傑=橋詰満子さんとおしゃべりをして、5時半になるのを待ちかねて、佐野さんが浜松一と言う割烹料理屋「大内」に行く。何もかも行き届いた料理を頂きながら、袋井市の酒蔵のこれぞ名品という「國香」の純米吟醸酒をぬる燗にして飲んだら止まらなくなってなって、佐野さんと体文協の事務局を担当している娘の桐子さんと飲み始めて、途中から珈琲店の橋詰さんも加わって、4人でお銚子を十数本空けてしまうという大酔っ払い状態で、静岡に帰りホテルへ。

2月13日(日)

 朝からパソコンを開いて仕事をして、まだ時間があったので静岡駅前の市美術館の「棟方志功展」へ。これは凄かった。棟方は好きで結構観ているが、極初期の油絵から始まって代表的な板画作品を豊富に並べ立て、とりわけ板画72枚組み合わせといった大型作品をこれでもかという具合に飾っているのには圧倒された。津軽に根ざした縄文的情念が渦巻いていて、頭がクラクラするほどの衝撃を受けた。右のチケットに使われている図は「華狩頌」と題した板壁画で、拡大すると下のようである。棟方によると「アイヌが祭するとき、いちばん先に、東、西、南、北に向かって、特別きれいなけずり花----ご幣のような矢を天に向かって打つんです。けものを狩るには弓とか鉄砲とかを使うけれども、花だと、心で花を狩る。きれいな心の世界で美を射止める。...弓を持たせない、鉄砲を持たせない、心で花を狩るという構図で仕事をした」と。高句麗遺跡の壁画の写真からインスパイアされたというだけあって、中国、朝鮮、日本が入り交じったような不思
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議なオリエンタリズムが漂う、私の好きな作品だ。

 佐野さんが昼に迎えに来て、新静岡駅裏の蕎麦屋「吉野」でニシン蕎麦を堪能。ご夫婦の誠実さと研究熱心がそのまま味として伝わってくる極上の店だ。14時から昨日に続き講演。100人ほどが集まって頂いた。終了後、一昨日も行った「大作」で珍しいものを一杯食べて飲んで帰京、帰宅。

 田原牧さんから「会社のルーティーンワークをやり繰りして自腹で数日前からカイロに来ています。...今から帰国します」とメール。自費で飛ぶというのが凄いな。早速様子を聞かなければ。

2月14日(月)

 昨秋末から娘と孫が鴨川に来ていて、本当はゆっくり遊びたいのだが、後ろ髪を引かれる思いで出勤、朝10時から半蔵門でJFNラジオ番組を仙谷由人さんをゲストに収録。「マスコミは全く関心を持たないが、例えば診療費のほんのわずかな値上げで医療崩壊が止まり、43万人も医療・介護の雇用が増えた」といった話が面白かった。終了後、仙谷さんと昼食懇談。菅政権が目先のことに追われるのは仕方がないとして、中長期の視点に立った政策形成をやっていかないと、という話になった。

 午後、新宿で全日本トラック協会の研修会の講演。この研修会に呼ばれて政治展望の話をさせて頂くのは毎年定番となっている。夕方帰宅して孫と夕食。孫が「ジジとお風呂に入りたい」と言い出して、「おお、そうかそうか」と相好を崩しつつ風呂で遊ぶ。入る前に「あのね、お風呂にミカンの皮を入れると香りがいいんだよ」と言うので、「おお、そうかそうか」と2人でミカンの実を食べながら皮を湯に投げ入れる。3歳半なのにいろんなことを知っていて、生活の楽しみを企画する能力を持っているのには、まこと驚かされる。

2月15日(火)

 朝、自宅で東海ラジオに電話出演し、エジプト市民革命の話をする。急いで支度をしてバスで上京し、大阪で午後から「ミヤネ屋」。相変わらずの(新ネタなしもロクにないままの)大相撲八百長問題を延々やるのにはウンザリだったが、東京都知事選の構図についての話題はなかなかよくまとまっていた。夜は「大阪高野塾」で講演と懇親会。11時まで飲んで梅田泊。

2月16日(水)

 朝大阪を出て盛岡へ。15時から岩手県中小企業中央会の講演。会長さんは「酔仙」の銘柄で知られる造り酒屋のオーナーの鈴木宏延さんで、懇親会にはその酒が出た。切れ味のいい酒で、私も東京などで飲むことがある。帰京して東京泊。


2月17日(木)

 9時から東芝本社の情報システムフェアで講演。控え室で副社長の並木正夫さんとお話しをしていたら、中国から電気機関車の注文が殺到していて追いつかないほどだと言う。三菱重工も日立も電気機関車を作らなくなって、いま日本では東芝が唯一のメーカー。新幹線を外国に売り込むという話で持ちきりだが、電気機関車が年に何百台も中国に輸出されているとは意外だった。ちょっとネットマナー違反だけれども、東芝HPの中の「機関車」のページへの直通はこちら。


 夜は浅草で冨永龍司さんの台東区議選出馬の出陣式。龍司さんは、蕎麦処「十和田」の女将にして全国おかみさん連合会会長の冨永照子さんの息子さん。無所属で出ることになり一緒に写真を撮る人がいないから「高野さん、お願いよ!」と言われて、本当はそういうことはしないのだが、おかみさんに言われたら仕方がない。私の顔写真入りのポスターが浅草の街の角々に張られていてうかうか歩けない。バスで帰宅。

2月18日(金)

 今週はやたらに講演が多い。宇都宮からタクシーで鹿沼市に行き、鹿沼信金の創立85周年特別講演会。「日本はモノづくり資本主義の王道を進み、高度資本財と高級消費財の輸出で21世紀ユーラシアの大繁栄に貢献しつつ、その元気を国内に大環流させよう」との持論をブチ上げて好評だった。ニューサンピア栃木という温泉付きのやたら豪華な会場で、これ何ですかと聞くと、故渡辺美智雄が厚生年金の金で建てさせた施設で、後に二束三文で民間に払い下げられたものだと。シャンデリアのブラ下がる個室で信金幹部の皆様と会食したが、何となく居心地が悪かった。深夜帰宅。

2月19日(土)

 午後、家内と共に渋谷でフラメンコの女王=マリア・パヘス&舞踊団の舞台。切れ味鋭いステップに加えて、異様なほど長く見える腕が別の生き物のように柔らかく動くのが凄い。今朝届いたみかんを箱ごと孫のところに届けて帰宅。TBS「報道特集」で金平さんが鳩山の「抑止力は方便?!」発言を単なる"失言スキャンダル"としてではない掘り下げ方をしていて面白かった。

2月20日(日)

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 朝、久しぶりに落ち着いて新聞を全部読んで、いくつかメモや図表を作った。昼前から外に出て、春を迎える準備。土手や庭のあちこちで山になっている落ち葉を手押し車で30杯ほども集め、7本ある巨大な枯れすすきを草刈り機で根元から切って、ほとんど半日がかりで燃やす。その合間に蕗の薹が顔を出しているのを見つけて、夕食に天麩羅で食べた。蕗は、まずは蕗の薹から始まって、そのうち何万本でも生えてくるので、煮たり佃煮にしたり干して蕗茶を作ったりして夏まで楽しめる。蕗の薹が出ると、間もなく鶯が鳴き出すはずだ。

2月21日(月)

 終日鴨川。引き続き春の準備で、放ってあった粗大ゴミを整理し、道具小屋を片づけ、刃物をいくつか研ぎ、敷地内から枯れ枝を50本ほど拾い集めて柴にして薪小屋に収める。これは来年の冬に使う分。枯れ枝の柴は1年寝かせれば十分だが、太い薪は最低2年、出来れば3年置くと燃えっぷりがよくなる。夜は原稿書き。

2月22日(火)

 7時半に東海ラジオ。今日は羽田空港に向かう途中の時間となってしまうので、アクアラインの料金所横の駐車場から携帯電話で出演。9時発ANAで福岡へ。時事通信社の内外情勢調査会で「民主党政権で日本はどうなる?」と題して講演。「どうなる?」って、こっちが聞きたいですよ、全く。でも終わって参加者から「今日は思いがけず明るい話で、胸のつかえが下りました」と言って頂いた。私は目先のことはどうでもいいからと言って、超長期の超楽観的な平成維新展望を語るので、よくそう言われる。講演の中で「総理だろうと誰だろうと、何を言っても"発言"として報道されず、"失言スキャンダル"としてしか報道されない。こういうマスコミは狂っている」と言ったら、終了後、時事の支社長が「おっしゃるとおりです。先日も江田五月法相が来福したのですが、本社から来た指示は『柳田法相は広島で失言してクビになった。江田も何か失言するかもしれないからよくフォローしてくれ』。江田は菅の後見人だから政権の行方についてなにか大事なことを言うかもしれないからフォローしろというなら分かりますけど、失言を見逃すなだけですからね」と。

2月23日(水)

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 終日、資料整理と原稿書き。また蕗の薹をたっぷりと天麩羅で。近所の梅はとっくに満開だが、当家の梅は遅くて、ようやくちらほらというところ。

2月24日(木)

 今朝、ちょっとだけ鶯が鳴いた。うちの庭には冬の間ずっとシメというスズメに似た鳥が50〜60羽、群れをなして滞在して、今頃になるとどこかへ飛んでいく。それと入れ替わるように鶯が来て、東の杉のてっぺんと南の森の奥と西の竹林の大体において3方向から鳴き声を競う。今はまだ声がよく出なくて上手く鳴けないが、そのうちソプラノの美声が整って夜明けから夕暮れまで飽きもせずに鳴き続ける。ソプラノといってもあれは雄が求愛のために鳴くのだそうで、カウンターテナーと言うべきか。

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 昨日のNHK「ためして合点」は肩こりの特集で、特になで肩の女性は鎖骨の肩側が下がって横一文字になり、その下を通る血管や神経が圧迫されるというタイプの肩こりになりやすいのだそうだ。家内はまさにそれで、私の鎖骨は太く、「く」の字を仰向けにしたように真ん中で折れて上に上がっていくが、家内は細くて真横である。思わず「合点!」と叫びたくなるような濃い中身だった。

 肩こりと言えば、先日何の気なしに買って新幹線で読んだ松井孝嘉のこの本が目からウロコだった。世に肩こりと思われている症状の中には実は「首こり」が原因である場合が少なくなく、中くらいのスイカほどの重さの頭を支えるための複雑な筋肉が集まり、しかもその間を脳と体を繋ぐ重要な神経や血管が通っている首をこそ大事にケアしなければならない。パソコンに向かってうつむき姿勢を続けるのが特にいけないらしく、意識して小まめに首の体操やストレッチをしたほうがいいとのこと。私は肩こりより首こりに気を付けた方が良さそうだ。


2011年2月 2日

高野孟の遊戯自在録013

1月1日(元旦)

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 どうということもなし、つつがなき元日。近年は京都・嵐山の料亭「おきな」に御節を頼んで、年末に自宅であれこれ料理してバタバタするのをやめている。が、昼前には届くはずの御節が来ない。関西が大雪で宅配便も遅れているのだろうと推測して、あり合わせで繕って家内とお屠蘇を交わした。

 例年、元旦は早起きして太平洋の初日の出を見に行くが、今年は雲が厚く何も見えそうにないのでサボり、午後から海を眺めに行く。鴨川港の漁船の正月飾りが勇ましかった。

 御節は夕方近くなってから届いた。

1月2日(日)

 ひたすらのんびり箱根駅伝往路を観る。早稲田が良さそうだ。

1月3日(月)

 元日と3日の新聞各紙の社説や論調を読み比べつつ、今年の報道の流れを予測するのは毎年の初仕事。今年は、どの新聞も打ち揃って「消費税とTPP」が必須の課題と言っていて、この砲列の揃い方が気味悪い。

1月4日(火)

 午後から、岩手県遠野市の岩間敬君一家3人がやってきた。彼は地元の農家出身で、若いときから馬に惹かれて乗馬や調教を学び、農閑期には乗馬トレッキングのガイドも務めていた(それで私は8年ほど前に遠野で雪中乗馬した際に彼と知り合った)。また普通の乗馬だけでなく、「馬搬」あるいは「地駄曳き」と言って、大型の馬を使って山から木材を運び出す伝統技術にも興味を抱いて、村にわずかに残った馬方の古老に10年ほど前から弟子入りしてその伝承に励んでいた。

 昨年12月に久しぶりに岩間君から連絡があって東京で会った。イギリスにチャールズ皇太子を名誉総裁とする「ワーキング・ホース協会」という立派な団体があって、国内だけでなく全欧州規模で馬搬技術のコンテストなどを行っていることが分かったので、そこへメールを出したところ、「日本にも馬搬技術があるのか。是非日本から参加してほしい」と熱烈な返事が来てしまったので、どうしたらいいか、という相談だった。それは面白いことなので、2012年のコンテストに参加出来るよう応援団を組織して送り出そうということになり、他方、私の地元=鴨川では「馬のある暮らしを再現しよう」という機運が高まっているので、それにも協力して欲しいとこちらからもお願いをした。

岩間「そうならば正月にでも鴨川を訪問したい」
高野「君が来れば鴨川の馬プロジェクトの連中に集まって懇談して貰おう」
岩間「どうせなら、1月4日夜9時からBS朝日で遠野の馬搬の様子を撮影したドキュメンタリーが放送されるんですけど」
高野「じゃあその日に皆に声をかけて一緒にテレビを観よう」

 と話はとんとん拍子に転がって、今日彼が我が家に来て、夕方には地元の馬プロジェクトのメンバーたちも集まった来て大騒ぎとなったのだった。

1月5日(水)

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 午後から早稲田大学「大隈塾」高野ゼミの現役有志13人、OB2人、それに大隈塾担当の非常勤講師=村田信之(蓮舫の旦那、4月に目黒区議選に出馬)が来訪し新年会でまたもや大騒ぎとなった。

1月6日(木)

 某政府高官、共通の友人の元大蔵省幹部と東京で会食。菅首相は仙谷由人官房長官を更迭するかどうか、まだ決断していない。それも含めて菅政権はフラフラに見えるが、実は「ポスト民主党」はおろか「ポスト菅」も浮上していない状態なので、案外続くかもしれない、とのことだった。

1月7日(金)

 終日鴨川。

1月8日(土)

 娘一家が来訪。正月は婿さんの実家に行くので、こちらに来るのは今頃になるのはやむをえない。今更お屠蘇でもないので、鴨川グランドホテルの太平洋が見えるレストランのシーフード・ランチ&赤ワインで正月を祝う。

1月9日(日)

 終日鴨川で孫と遊ぶ。

1月10日(月)

 娘と孫は火曜日まで滞在するが、婿は明日から仕事、私も今晩中に京都入りするので、2人で高速バスで東京へ。孫はパパとジジがいっぺんにいなくなるのが不満そうだった。

1月11日(火)

 京都のホテルから東海ラジオに電話出演。10時にホテルを出て京都造形大学の授業。日本文化の「発酵性」という特質について。昼に終わってそのまま帰宅。

1月12日(水)

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 仙台経由で石巻市へ。15時から七十七銀行の石巻エリア経営者の会で講演と懇親。実は朝日新聞石巻支局には高成田享さんがいる。アメリカ総局長まで務めて、普通なら社のトップ級の役職を目指して当たり前だが、「定年までどこか漁港の通信局に行って『さかな記者』をやりたい」と申し出てここに来たという変わり種だ。前に『こちら石巻さかな記者奮闘記』という著書を送って貰って面白かったこともあり、事前に連絡をしておいた。その「さかな記者」推薦の「喜八櫓」という料理屋に上がって新鮮な魚を満喫した。

1月13日(木)

 石巻から仙石線に乗れば仙台に戻るが、石巻線で北西に小牛田に出て陸羽東線に乗り換えて鳴子温泉に向かう。これも事前の連絡で、仙台在住の民俗研究家=結城登美雄さんと久しく会っていないので温泉に浸かって新年会をやろうということになり、それに農文協『季刊地域』の甲斐良治編集長、そのご両人に可愛がられている当社の上垣が夕方までに「旅館みやま」に集まることになっている。私は石巻では行くところもないので、早めに着いて温泉を楽しもうと、昼前に川渡温泉駅に着いた。無人駅だから駅員がいないのは仕方がないが、降りる客も乗る客も1人もおらず、駅前にも人影は見えない。ここでいつものように宿に電話すればご主人の板垣さんが飛んで迎えに来てくれるが、時間がたっぷりあるので、雪道を歩いて行くことにした。滑って転ばぬようゆっくり歩いても45〜50分、1時間はかかるまいという見当は外れなかったが、誤算はRIMOWAのトローリー(ガラガラ引っ張る2輪付きのアルミ製トランク)で、これは雪道を転がすことは(当然ながら)全く想定していないので、すぐ雪が詰まって動かなくなる。宿に着くと板垣さんが「あれえーっ、歩いてこられたんですか?」と絶句。「いいんです、歩くのが趣味なんです」。

 先にゆっくりお湯に入って、雪景色を眺めながらビールをちびちびと飲んでいるうちに皆さん順次到着し、やがて宴会。結城さんとは、昨年大病されて退院した後一度も会う機会がなかったので、8カ月ぶりくらいか。彼が進める「鳴子の米プロジェクト」5年間の達成と、次のステップとして、農家に空き田んぼで餅米を栽培て貰い、それを経営の苦しい地方の中小の酒蔵に委託して「本物の味醂」を製造して貰って消費者に普及する計画を聞いた。いや、味醂とはまた目の付け所が面白い。味醂は本来、餅米を米麹で発酵させてさらに米焼酎を加えて造るが、普通に出回る大量生産品は、米焼酎の代わりに醸造アルコールを加えて量を何倍にも増やす(「三増酒(三倍増醸清酒)」と呼ばれる安い日本酒と同じ)。これを味醂だと思われては困るので、本物の復活と普及を図ろうということで、話が盛り上がった。

1月14日(金)

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 4日に我が家で開かれた「馬プロジェクト会議」の結果、鴨川自然王国で過去1年間、農業研修生として学んできたO君が、次の1年間は乗馬、調教を身につけて、ここ鴨川で馬のある暮らしを実現したいとの希望を持っているので、彼を遠野市の岩間君の下に送り込むことが出来ないか、という相談になった。岩間君の動きは素早くて、早速この日、前日に鳴子まで来ている私を、東京へ出張途上の本田敏秋=遠野市長に仙台で会わせるという。駅近くのホテルで、市長、市の農林担当、岩間、彼の信頼する馬のパートナーで盛岡市で牧場を営む八丸君、私、鴨川から昨日遠野入りしていた鴨川のO君で昼食をとりながらミーティングし、(1)O君を3月から1年間、県の制度を活用して八丸牧場の研修生として送り込むこと、(2)岩間君と八丸君を今年5月に遠野市の海外研修制度を利用してイギリスに派遣し労働馬協会と接触してくること、(3)これをきっかけに遠野市と鴨川市で馬事文化復興をめざし協力していくこと----などが決まった。凄い勢いの展開だ。満足して帰京。(写真は馬搬の光景)

1月15日(土)

 10時からJFNラジオ収録。ゲストは三宅雪子衆議院議員。お祖父さんは石田博英労相、お父さんは三宅和助シンガポール大使(いずれも故人)という血筋で、ご本人はフジテレビ報道局経済部の記者から小沢一郎に誘われて前回立候補した。お祖父さんは1950〜60年代に度々労相を務め「石田労政」という言葉が出来たくらいで、そのケンカ相手が総評事務局長だった私の父だった。三宅大使は、外務省アジア派で、ベトナム戦争終結前からハノイと隠密外交を展開して早々の日越国交樹立に貢献して「日本のキッシンジャー」とも呼ばれ、私はそのことで取材したことがある。そんな因縁話から始めて、小沢の近況などを聞いた。

 夜は八重洲で、竹中ナミねえと某NHK職員その他と会食。ナミさんはNHK経営委員で、今日がNHK会長選びの山場。どうなったのかなと思いつつ席に着くと、ナミさんが「先ほど決まりました。前JR東海副会長の松本正之さん」と。ふ〜ん。


1月16日(日)

 クビになった仙谷由人官房長官から電話あり。何だか晴れ晴れした様子で、新成長戦略や「新しい公共」など、長い目で見た政策を練り上げていきたいという話だった。

1月17日(月)

 早稲田新年初授業。合間に来年の「高野ゼミ」選抜の面接。25人ほどなので、全員合格とする。例年だと40人以上が志望するので、書類選考のあと面接でふるい落とすのだが、今年は少ない。後で聞くと、事務局のアナウンスが悪くて、志望したかったのに手続きが間に合わなかった者が何人もいた。そういう人は「モグリ」で授業に参加してくれと伝えた。京都へ。

1月18日(火)

 京都のホテルから朝早く、東海ラジオ出演。京都造形芸術大学。ミヤネ屋。何だか疲れたので大阪に泊まることにし、法善寺横丁の割烹「美加佐」にブラリ。

1月19日(水)

 ホテルで早起きして、日本農業新聞のコラム「論点」執筆。本録14日付で触れた遠野市の「馬搬」の話を書いた。これは半年に一度ほど順番が回ってくるリレー・コラムなので、スタンスの取り方が難しいが、編集部は現場の具体的な状況を踏まえた議論で大変よかったと評価を頂いた。24日付同紙に載ったその全文は次の通り。

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伝統文化「馬搬」の復興
若者呼べる山仕事に

 里山暮らしの中で「馬」の役割を復元しようというおもしろい企てが、岩手県遠野市で始まっている。本田敏秋市長の肝煎りで昨年五月に設立された「遠野馬搬振興会」がそれで、今やほとんど廃れかけている馬搬の技術を若い人たちに継承させ、実際の山仕事にもっと活用していこうというのである。
 古くは「地駄曳(じだび)き」と呼ばれた、山で切り出した木材を馬に引かせて里まで運び出すこの方法は、昭和40、50年代までは全国どこでも盛んに行われていたが、その後、機械化の波に押しやられ、また林業そのものが衰退に向かう中で、絶滅危惧技術となり果ててきた。
 遠野の場合、かつては40人ほどの馬方がいて森林組合から作業を請け負っていたものの、今では74歳の菊池盛治さんら3人だけ。ところが今から10年ほど前に菊池さんらに弟子入りして学び始めた当時22歳の地元の農業青年がいて、その名を岩間敬さんという。
 彼はもともと馬が好きで、若い頃から乗馬や調教の技術を身につけ、農閑期には乗馬トレッキングのガイドを務めるなどしていたが(それで私は8年前に遠野で馬に乗ったときに彼と知り合った)、その中で人馬一体の暮らしぶりを象徴する馬搬という伝統技術の素晴らしさに気づいて飛び込んでいき、最近はようやく一人で作業が出来るようになった。このように一人の若者が体を張って「馬文化」を守ろうとしている姿を見て市長も心を動かされ、「振興会」の発足となったのである。さしあたり、市が市有林の一部の搬出作業を菊池さんらに委託するための事業費を予算化し、また研修生受け入れの制度を整備していく。
 遠野の場合は、ペルシュロンなどの1トン級の大型馬を使う。これに独特の馬具セットを装着して「バチ」と呼ばれる鉄ぞりに載せてワイヤで縛った木材を引く。重機が入れない急斜面でも入っていけるし、地表を荒らすことも少ない。何より重機より安くガソリン代もかからない(餌代はかかるが)。
 近年、森林の荒廃に歯止めをかけようと、改めて林道の整備やその林道からさらに分け入るための作業道を増やそうということが言われているようだが、むやみに作業道を増やせば地表がかえって荒廃するし、急峻で作業道など作りようもないような人工林も少なくない。
 何が何でも重機を入れようとするよりも、馬の助けを借りてのんびり切り出すほうがエコなんじゃないですかという遠野からの問題提起は、検討に値すると思うがどうだろうか。
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 夕方から日本政策金融公庫立川支店で講演。私の早稲田のゼミの卒業生=前田が受付をやっていた。東京経由、バスで帰宅。

1月20日(木)

 家に居たかったのだが、私が顧問を務める「ダイヤモンド経営者クラブ」の新春賀詞交換会の記念講演で小泉純一郎元首相が講演するというので、それほど期待している訳でもないけれども、一応、今時何を言うのかなという興味があって、聞きに行った。外交に関して次のように言っていて、この基準に照らして鳩山と菅の違いが浮き彫りになるのが面白かった。

「自民党政権末期に、自民党から民主党、一部評論家にまたがって『日米中・正三角形』論が出てきた。私はこれに反対で、『日米基軸』論だ。日米関係がよくなれば中国はじめ他の国ともよくなると信じている。私がそれを言うと、マスコミは『小泉は、米国とさえ仲良くすれば、他の国のことはどうでもいいと言った』とか報道した。そんなことは言っていないし、実際、中国との間も、怒らせたのは靖国参拝だけで、後はけっこううまくやってきた。 民主党政権も尖閣事件で、日米基軸が大事であることを思い知っただろう」

1月21日(金)

 自車で上京、15時に新宿で妙高市の職員の方々と会い、同市「観光大使」を申しつけられる。いままでは、同市の町興しプロジェクト「妙高里山塾塾長」にして市の「顧問」だったが、それらはそのままに、さらに肩書きが増えるらしい。新宿泊。

1月22日(土)

 名古屋に行って栄中日文化センター。夕方自宅に戻り、19時から地元で「馬を飼う」プロジェクトの会合。

1月23日(日)

 夕方東京に出て、政治家数人と会食。東京泊。

1月24日(月)

 早稲田最終授業。終了後、京都へ。

1月25日(火)

 東海ラジオ、京都造形芸術大、帰宅。京都の授業は今年限りとして、来年は止めることにした。今年は、当初7人ということだったが、内2人は最初から来ない。どうしたのかとフォローすると、1人は「学校を辞めたらしい」とか、もう1人は「よく分からない」とかで、そのうちに3人だったり2人だったり、それも前週来た者と今週来た者が全員入れ替わりとか、「来週までにこの文庫本の第1章だけでいいから読んで来るように」と負荷をかけると翌週は誰も来なかったり...。大学幹部にそれを言うと、そういうことが各所で起きていて、言ってみれば「生きる力」がない学生が増えている、もうお恥ずかしい限りだと。う〜ん...、参りましたね。

1月26日(水)

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 今日は楽しい新春浅草歌舞伎。敢えて千秋楽の第2部15時からのチケットを11枚、「十和田」の女将経由で手に入れて、中高年遊び仲間を募って観劇、その後は十和田で刺身・天麩羅・蕎麦の大宴会という趣向。いやあ座長格の亀治郎がいいですねえ、凄みさえ出てきた。大酔っ払いで都内泊。

1月27日(木)

 自車で都内から千葉市内へ。15時から商工中金千葉支店の講演会。いやあ千葉にも面白い経営者がたくさんいますね。

1月28日(金)

 午後、妙高市の広報担当はじめライター、カメラウーマンらご一統が自宅に取材訪問。

 夜、一杯飲みながら、先日ネットで衝動買いしたiPadをいじり始める。

1月29日(土)

 終日鴨川。館山の田中惣一商店に「根切り鋏」を買いに行く。年末以来ずっと、東隣の不在地主の荒れ果てた土地を少しずつ開墾しているのだが、そこでは野バラと茅と葛の蔦などががんじがらめとなっていて、人が踏みいるのも難しいというほどの場所で、そこで普通の植木鋏を使っていたらたちまち酷く刃こぼれで使いものにならなくなってしまった。そこで田中商店でこれを買うことにしたのである。

 夜、サッカーアジア杯観戦。感動。

1月30日(日)

 終日鴨川。エジプト情勢緊迫。米国は、イラクのフセイン独裁は戦争まで仕掛けて打倒したが、エジプトのムバラク独裁は何ら問題視することなく容認してきた。

1月31日(月)

 終日鴨川。中東研究センターの保坂修司氏が「かつてイラン革命でカセットテープ、東欧革命で衛星放送が果たした役割を、エジプトではフェイスブックやツィッターが果たしている」と(読売)。同じ読売の別の面では、国際交流基金部長の小川忠氏が昨秋日本に招いた中国の著名ブロガー=安替氏の中国メディア事情についての講演の内容を紹介していて、「ツイッターは2009年頃から中国に姿を現し、当局の規制を受けない技術が開発され、安替の言では『数千年の中国大陸史上初の100%言論の自由が守られた全国的プラットフォーム』となっている」と書いている。当局の規制を受けない技術って、本当なのか? グーグルを追い出した中国では、国営新華社通信社と5億人の世界最大の顧客数を誇る携帯電話会社「中国移動」との合弁で「国家級の検索エンジン」を構築中で、これはツイッター対策ではないのだろうか。

高野孟の遊戯自在録012

12月11日(土)















 朝早く家内と共にバスで上京、今日は10時から高田川部屋の相撲の朝稽古を見学して昼から力士たちと一緒にチャンコ鍋を食べる会。初めて見る稽古の激しさには驚いたが、これを朝5時半から始めて12時半頃まで7時間ぶっ通しでやって、昼食・休憩後はまた近くのジムに行ってトレーニングするというのだから尋常なことではない。

12月12日(日)

 終日鴨川。

12月13日(月)

 早稲田のゼミはTPPを議論。午後の大隈塾授業はNPOテラ・ルネッサンスの鬼丸昌也さんが講師。立命館大学在学中からNPOを起ち上げ、アジアやアフリカで地雷撤去、小型武器禁止、子ども兵救済などに取り組む現在31歳。昨年も来て頂いて学生たちに衝撃を与えた。明日は京都造形大は休みなので、高速バスで帰宅。

★テラ・ルネッサンス:http://www.terra-r.jp/

12月14日(火)

 JFNラジオ収録のあと都内ホテルで原稿書き、泊。

12月15日(水)

 10時過ぎ羽田発で能登空港へ。和倉温泉のホテル「のと楽」で北陸銀行の顧客向け講演会
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と懇親会。この辺りはいま「なまこ漁」が絶頂で3月まで続く。ホテル近くにその名もモロに「なまこや」というショップ&レストランがあって、昼食に「なまこづくし定食」を味わった。あとはこの辺では「中島牡蛎」ですね。能登は美味しいものがたくさんある。

12月16日(木)

 11:40能登発で帰るつもりが、羽田からの便が雪とガスで能登に着陸出来ない。金沢まで走って列車で帰るしかないか...と思っているところへ「只今から着陸態勢に入ります」とアナウンス。ロビーで待っていた客の間から拍手が湧いた。1時間遅れで羽田着。

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夜は昭和19年生まれの「一休会」の忘年会で、芝公園の豆腐料理「うかい亭」へ。東京タワーの真下の豪勢な庭を眺めながら痛飲し、東京泊。

12月17日(金)

 岩手県遠野市の農業&馬青年=岩間敬君が「ちょっと相談がある」と電話してきたので夕方、新橋で会う。山で切り出した木材を大型馬を用いて運び出す「馬搬」もしくは「地駄曳き」と呼ばれる伝統技術があって、彼は20歳そこそこだった10年前から地元の古老に弟子入りしてそれを伝承しようとしてきたが、これに関して今年、新しい展開が出てきたので協力して欲しいという話だった。これについては、後に詳しく語ることがあろう。

 19時からプレスセンターで田原総一朗を囲む忘年会。高速バスで帰宅。

12月18日(土)

 終日鴨川。13時にご近所の方々が見えて、小学校廃校跡の活用策について相談。

12月19日(日)

 高速バスで上京、昼から娘宅で孫のクリスマス・パーティ。都内泊。

12月20日(月)

 早稲田授業の年内最終回。16:30からのジャーナリズム大学院の授業は勝手ながらお休みとし、浅草の蕎麦屋「十和田」で主要銀行広報担当と当方周辺記者からなる「四行会」の忘年会。最終新幹線で京都へ。

12月21日(火)

 東海ラジオを終えて京都造形芸術大で授業、「ミヤネ屋」出演、夜は「大阪高野塾」。

12月22日(水)

 東京経由、バスで帰宅。午後から「鴨川自然王国」の忘年会に家内共々参加、清澄山中の
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「白岩温泉」へ。清澄山から養老渓谷へ抜ける林道の途中に忽然とある、これ以上ひなびた宿というのは全国のどこにあるかと思うほどのところで、まずは露天風呂に浸かって、囲炉裏端で宴会。豪華なメニューで大満足、大酔っ払いで、どうやって寝たのか覚えていない。

12月23日(木)

 終日鴨川。

12月24日(金)

 終日鴨川。

12月25日(土)

 バスで上京、名古屋に行って13時から栄中日文化センターの月1度の講義。「2011年はどういう年?」と題して話した。とんぼ返りで帰宅。

12月26日(日)

 終日鴨川。

12月27日(月)

 孫が来訪、近所の餅つきなどに参加。それを尻目に私は残念ながら大阪へ。明日の「ミヤネ屋」のため前泊。

12月28日(火)

 「ミヤネ屋」は年末スペシャル版でいつもの倍の4時間で11:55開始。前半は「朝まで」風の討論番組で、桜井よし子、原口博、森永哲郎の各氏その他多彩な顔ぶれで政治、経済、外交を議論した。桜井さんが相変わらず中国の軍拡に対抗せよといった勇ましいことを叫ぶので「あなた、そんな19世紀みたいなことを言っていたらダメですよ」「国際紛争に処するには、1冊のマニュアル本があるとして、第1章から第9章までは、いかにして戦争にならないようにして収拾するか、最大限努力するかが書かれていて、それが全て失敗した時に、初めて第10章で「軍事力」という話が出てくるんで、その第1章から第9章を語らずにいきなり第10章の話だけしているのは幼稚ですよ」という趣旨のことを言ったら、ムッとした様子だった。これが年内ラストのお仕事。

12月29日(水)

 終日鴨川。大掃除の真似事。

12月30日(木)

 松尾貴史から彼がプロデュースした「松尾貴史のオススメ落語会」に誘われたので、家内と共に自車で横浜「にぎわい座」に行き、立川志の輔ほかを楽しんだ。いま結構落語ブームでチケットはとっくに完売。松尾が無理に取ってくれたようで「関係者席」だった。帰途、館山道の保田ICを降りて自宅に向かう長狭街道沿いにある超優良の蕎麦屋「きのや」で1日早い年越蕎麦を堪能して帰宅。

12月31日(金)

 部屋の片づけ。「紅白」は見ない。

Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

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