Calendar

2011年1月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

« 高野孟の遊戯自在録010
メイン
高野孟の遊戯自在録012 »

高野孟の遊戯自在録011

またまた間が空いてすいません。とりあえず昨年末近くまで追いつきます。

11月11日(木)

 家内が手配した3歳の孫の七五三祝の着物を届けに東京へ。夕食後、帰宅。

11月12日(金)

 朝の高速バスで東京に出て、10:30から赤坂のスタジオでJFNのラジオ番組収録。ゲストは尾立源幸参議院議員。去年の事業仕分けでは立役者の一人だったが、今年は財務政務官でむしろ逆の立場。そのへんの話から聞き始めた。お馬鹿なマスコミは、民主党員である政務三役が省庁の利益の側に立って一旦仕分けしたものを、また蓮舫指揮下の民主党の仕分け人が吟味するのは、屋上屋を重ねるもので矛盾しているなどと書いているが、そんなことはないのであって、官僚体制の言うなりにならないよう政務三役のところでひとまずスクリーンをかけておいて、しかしそれはどうしたって省庁寄りになりやすいから、それを仕分け人が、他省庁との兼ね合いも含めたより全体的な見地から、そして外部の視点も織り込んだ世間常識的な視線も重ね合わせて、もう一度吟味するのは屋上屋でも2度手間でもなくて、出来るだけ多くの知恵を集めて本当の無駄を暴き削っていくためのダイナミックなプロセスである。そうやって政権内部の矛盾を上手に熟成させつつ、よりマシな解決に導いていくという弁証法的方法論を理解しない奴が多すぎる。

11月13日(土)

 朝バスで出て名古屋へ。13:00から中日新聞栄文化センターの月一度の講座。今回は、尖閣諸島の漁船衝突事件をどう見たらいいかを話した。

★栄中日文化センター:http://www.chunichi-culture.com/ 11年4〜9月新学期受付中。

 15:00に終わって丸善で書籍から洋品売場まで各階を40分かけて視察(ということをどこかの大型書店で月に一度はやるようにしている)。さらに伏見まで歩いて16:00開店と同時に居酒屋「大甚」に。毎週火曜日の朝07:30から電話生出演している東海ラジオ「モルゲン・ジャーナル」のキャスター&スタッフの皆さんと早すぎる忘年会。この店は、前にも本録で書いたが、私が10年以上も前に雑誌の「池波正太郎が愛した店」特集に挙げられていたのを見て以来、年に何度かは行っている。16:00開店と同時にアッというまにほとんど満員になり、そのほとんどが中高年層で占められているという光景は、いつも変わらない。この中高年パワーを見ると「日本は大丈夫」と思えてくる。酔っぱらって帰京、東京泊。

11月14日(日)

 13:00から明治神宮に孫と娘夫婦、双方のジジババの計7人が集合して七五三のお祝い。待合室にひしめいている何十組が、着付け、写真、お参りと流れ作業のベルトラインに乗せられているかのように手際よく捌かれて行って、なあるほど、七五三というのも1つのビジネスとして形が出来上がっているものなのだと感心した。そのあとANAホテルの中華料理で祝宴を張った。

11月15日(月)

 早稲田のゼミは「地域主権論」の続き。3つ授業を終えて、18:15から大学隣接のリーガロイヤルホテルで大学の中枢実権派のお二人と会食、「大隈塾」という枠組みをあと3年間は続けて、その先のことはどうなるか分からないという話だった。そのあと京都へ。

11月16日(火)

 朝ホテルから東海ラジオ。京都造形大で「縮み志向の日本人」の話。飛び出して大阪で「ミヤネ屋」。帰宅。

11月17日(水)

 終日鴨川で読書、執筆、飽きると草刈り。

11月18日(木)

 午前中、草刈り。夕方バスで出て「東京高野塾」。帰宅。

11月19日(金)

 終日鴨川。

11月20日(土)

 孫と娘が鴨川来訪。孫と共に林に分け入って、ちょっと大きくなりすぎた椎茸を収穫した。夕方、暗くなりかけると、孫が「花火をやりたい」と言う。「花火は夏の暑いときにするものなんだよ。今はもう秋で、暗くなると外は寒いから」と言っても、「やりたい」と言って聞かない。本録で前に書いたが、江戸伝統の本格派の線香花を取り寄せて夏にベランダでふんだんにやったのが気に入っているらしい。それで、納戸にしまっていた残った花火を持ち出して季節離れの花火大会をやった。その最中に孫が何だかしみじみした口調で、「コト(本人の名)もお庭がほしいなあ」と。東京のマンション住まいの彼女は、好きなときに花火でもバーベキューでも焚き火でもやりたい放題に出来るここ鴨川の庭がうらやましく思ったようなのだ。「じゃあコトちゃん、パパに『お庭を買って』と言ってみたら」と娘。全くねえ、東京では子供は土に根ざすどころか触れることもないまま育たなければならないから、生物としての本能が開花しない。うちの孫はまだここでの体験があるから「庭がほしい」と思う感性を持ちうる。有り難いことだ。

11月21日(日)

IMG_1947.JPG
 朝10:00に釜沼の公民館に集合、今日はこの地域伝統の手法による正月の注連縄(しめなわ)づくりの講習会で、私共ジジババと娘と孫で参加。私が田舎が凄いと心から思うのはこういう時で、何の変哲もない藁の束から、一定の格式に従った注連縄があれよあれよという具合に出来上がっていく。日本人の手仕事は本当に「美しい」と思うのである。

11月22日(月)

 早稲田の授業もそこそこに、18:00からホテルオークラで「京を食べる愛でる」というイベント。私は、この手の都心ホテルで開かれる「グルメ」っぽいイベントは一切興味がなく、ほとんど行ったこともないのだが、今回が違ったのは、この京都側からの出品者に「長慶寺健太郎」が含まれていて、その彼から誘われたからである。

 これはねえ、話せば長いことになりますが......。

(1)今から15年ほども前に、故藤本敏夫に誘われて北海道=帯広に、超有名レストラン「ランチョエルパソ」のマスターであり、郊外にある「リバティファーム」のオーナーでもある平林英明を訪ねた。

(2)そのころリバティファームは馬牧場&乗馬クラブで、そこで、それまで乗馬は貴族の遊びではないかと思っていた私は、北海道の原野や森林や雪原をワイルドに乗り回す野外乗馬の魅力に触れてたちまち虜になってしまった。

(3)それでリバティファーム内に何人かの東京人の共有でログハウスを持って、年に4〜5回は帯広に行って馬を乗り回し、またそうやって帯広に行った時には、「十勝渓流塾」と称して、地元の皆さんと夜を徹して酒を飲んで地域興しをどうするかといった議論を交わようになった。

(4)その頃に、関西方面からフラッと帯広にやってきてそのまま居着いてしまったのが長慶寺という根っからの野生児で、レストランで働きつつ牧場の仕事も手伝い、よく一緒に馬に乗ったりもしていた。10年ほど前、99年か00年のことだったと思うが、突然「カナダに行く」と言い出して姿を消した。一度、様子を知らせる手紙が来て(農と言える日本・通信No.46=http://www.smn.co.jp/takano/noto46.html)、それからまた1年か2年して帰国はしたものの、帯広には戻らず、兵庫県だかの実家の近くで牛を飼うのだとか言って、それきり消息を聞くこともなかった。

(5)ところが、今月初めに帯広に行って平林に会うなり、彼が「長慶寺から連絡があってさ」「えぇー!何しているの?」「それが、丹後の老舗の造酒屋の常務さん」「ひぇー!何のこっちゃ?」というわけでさっそく電話をすると、「いやあ、高野さん、お久しぶりです。あ、そうだ、今月22日に東京のホテルオークラで京人フレンズ倶楽部主催の『京を食べる』というイベントがあり、ウチが京都府を代表する日本酒ということで選ばれて私がお酒を注ぎに行くので、よろしかったら来ませんか」と。聞けば、5年ほど前に思い立って杜氏の修業に入り、その関係から丹後半島伊根町の向井酒造の跡継ぎにして女杜氏の久仁子さんと知り合って意気投合、今年結婚したばかりなのだという。「いや、チョーケイが常務か、参った参った」......

 という訳で、常務殿からのご招待で、今日は家内共々、京都の著名シェフが京都の食材を用いて腕を振るった料理の数々を東京人200人ほどが楽しむというイベントに参加、長慶寺と再会を果たした。

1007_2.jpg
 彼が婿入りした酒屋は、丹後半島東岸の舟屋で知られる伊根町で古くから続く向井酒造。メインのブランドは「京の春」で大吟醸から普通酒までいろいろあり、他にもたくさんのラベルで出しているが、中でも秀逸は赤米で造った「伊根満開」。赤とピンクの間のロゼ・ワインのような美しい色で、まろやかな味で甘みも濃い。まさにワインの感覚で中華やイタリアンにも合わせることができそうだ。丹後半島の先の方でこんな酒造りをしている若い人たちがいて、それがこういうイベントで京都を代表する酒として紹介され、しかもそれが自分の古い知り合いだったというのだから嬉しくなってしまう。

※向井酒造 http://www.kuramoto-mukai.jp/index.html

11月23日(火)

 休日で京都の授業は休み。朝早く東京から帰って終日鴨川。

11月24日(水)

 終日鴨川。明日以降、週末の講演や番組に向けて資料整理、レジュメ&ppt作成。合間に草刈りなど。

11月25日(木)

 14:00に車で出発、浅草ビューホテルで16:00からNTT労組の幹部研修会で講演。菅政権は確かに大変だが、NTT労組=旧全電通は自治労や電機労連と共に96年旧民主党の生みの親なんだから、こんな程度のことで怯むな、と発破を掛けた。

 18:00前に蕎麦屋「十和田」へ。十和田の女将で浅草おかみさん会会長の冨永照子さんから1週間ほど前に「相談があるのよ」と電話があって、「来週、浅草で仕事があってビューホテルに泊まるから、夕方お店に行きますよ」と言っておいた。何かと思えば、息子さんが区議会議員に出馬することになって、こんな状況だから民主党ではなくて無所属のほうがいいのだが、そうなると一緒に写真を撮る人もなかなかいなくて困っているから、ここで対談しているところを写真にしてパンフに載せるので承知して頂戴と。はい、仰せの通り致します。

 で、カウンターで天麩羅、刺身、最後は蕎麦でいい気分になって、徒歩1分、これも十和田の女将が作った都内ベストのデキシージャズのライブ場「HUB浅草」へ。いつもは私の高校同級生にしてブラスバンド同期生の外山喜雄とデキシーセインツを聴きに行くのだが、今夜は何をやっているかも知らずにバーボンウィスキーのロックを目当てにフラリ寄ったところが、バンジョーの青木研をリーダーとするデキシーキャッスルの出番だった。私にとっては初めての出合いで、まずは青木のバンジョーの超絶技巧に驚愕し、次にチューバの濱文人のメリハリの利いたリズム感に浮き浮きし、ヒエーッこんなバンドがあったのかと感心し、思わずCDも購入してしまった。








11月26日(金)

 早朝浅草を出て08:30から麹町の某民間研究所で講演。13:00過ぎから霞が関で鈴木宗男代議士と会食。冤罪での収監を目前にしての、言わば私的なお別れ会。別れ際、何と挨拶をしていいのか分からず、「では、行ってらっしゃいませ」と(ヤクザ映画の台詞だよ、まるで)。夜は「朝まで生テレビ」で今回は22時台から直前収録。櫻井よしこさんの古典的国家主義にはウンザリ。都内ホテル泊。

11月27日(土)

 午後から明治学院大学の中尾茂夫教授の企画により、「法人資本主義」論で知られる奥村宏=前中央大学教授と共に世界と日本の経済の先行きについてシンポジウム。夕方帰宅。

11月28日(日)

 終日鴨川で資料整理と原稿執筆。

11月29日(月)

 バスで出て早稲田で授業3つこなし、19時から戸塚町の沖縄居酒屋でゼミの飲み会。20:30で失礼して最終新幹線で京都へ。

11月30日(火)

 京都の大学からミヤネ屋へ。18:00前に法善寺横丁の「美加佐」で松尾貴史と落ち合って痛飲。的場湾の極上の牡蛎を生とフライの両方で食べられたのが幸せでした。その後、心斎橋の島田紳助のバーに行ったのだが、どうやってホテルに帰ったかよく覚えていない。

12月1日(水)

 帰京して麹町のホテルにチェックイン。ホテルからホテルへと渡り歩くような暮らしもいい加減ウンザリだが、日程が立て込む時は仕方がない。明日は早朝7時30分からこのホテルで石田三示衆議院議員の初めての朝食会があり私が「民主党政権の行方」についてスピーチをするので、前泊というわけで、石田代議士もそうなので麻布十番の「はじめ」で落ち合った。「はじめ」はインサイダー事務所の4軒隣にあって私が応接間兼社員食堂のように通っていた居酒屋で、亡くなったご亭主の新井さんは私との縁から「鴨川自然王国」の田植え・稲刈りなどのイベントに熱心に通うようになり、またその延長で帯広にも行って一緒に野外乗馬をするなど、私の大切な仲間だったが、何年か前に癌で急逝した。石田さんが「新井さんが亡くなってから店に行っていない」と言い、私も鴨川に越して都内で酒を飲むことが急減してそこにも余り行っていないので、じゃあ久しぶりに一緒に行こうということになったのだ。ちなみに、この店で出る「黒豚ベーコン」は帯広産の逸品である。

12月2日(木)

 朝食会が9時30分に終わって、事務所に出て雑務を処理。15時から目黒のJR総連本部で幹部研修の講演。これも「民主党政権の行方」について。労組も皆、先が見えなくて困っている。バスで帰宅。

12月3日(金)

momiji.jpg
 久しぶりに鴨川でのんびり。車で7〜8分のところに「もみじロード」と言って数キロの谷の両岸がもみじで埋め尽くされている名所があるので観に行った。例年だともっと一斉に真っ赤になるが、今年は天候不順のせいかばらつきが大きいようだ。







12月4日(土)

 今日は夕方にバチスタ手術で有名で小説や劇画やTVドラマの主人公ないしモデルにもなっている心臓外科医=須磨久善先生が、医学界の何とか賞を受賞したお祝いのパーティが虎ノ門で開かれるので、家内共々出席するのだが、その前に私も家内もそれぞれ済ませたい用事があるので、昼頃に東京駅に着くバスで出た。家内はどこかへ行って、私はまず銀座のCANONのサービスセンターに行って、PowerShot G9のレンズが傷つき中にもゴミが入ってしまったのが直るのかどうか訊ねると、「え、簡単でして、このレンズ・ユニットを丸ごと交換します」と。「な〜んだ、随分簡単なんだ。けど、お値段はどうなんでしょう、新品を買った方が早いなんてことはないんでしょうか」「いえ、この程度の修理は一律1万2070円です」「そんならお願いします」「1週間後に宅配でお届けします」というわけで、置いてきた。

 G9はいわゆる「高級コンパクトデジカメ」の部類で、性能的に使いやすいのと、クラシカルな外見が好きでぶら下げていても様になるのが気に入って、もう何年もどこへ行くにも持ち歩いて酷使してきたので、レンズが傷むくらいのことは当然だろう。PowerShotの最新バージョンはG12で、性能的にはだいぶ進化しているから、買い換えてもいいのだが、1万ナンボで直るのなら無理に買い換えることもない。が、考えてみると明後日に京都でちょっとした予定があって、カメラがないと困る。ん〜、どーしようか。

 私は携帯電話のカメラは大嫌いなのだ。あのカシャ−ッというわざとらしい電子的シャッ
tosatsu.jpg
ター音は、要するに、女子高生のスカートの中を盗撮したりすることを防ぐためでしょう。カメラが人間を疑っているというか、お前らそんな程度の品性だろうがと馬鹿にされているようで、あの音を聞く度に吐き気を催す。そんなものをオメオメと使うわけにはいかない。やっぱりカメラはカメラで、正々堂々、私はこういう考えでこのカメラを持ちたいということを鮮やかにしないといけない。1週間待てば修理から戻って来るのだから我慢すればいいのに、明後日に使うカメラがないとなると急に落ち着かなくなってきて、有楽町のビックカメラで、先日来ずっときになっていたSIGMAの、これも高級デジカメなのだが、ちょっとコンセプトがコダワリっぽいDP1xというものの実物を見に行ったのが運の尽きで、見た途端に欲しくなって買ってしまった。

sigma.jpg
 何が面白いって、今時ズームが当たり前のデジカメ戦線にあって、敢えて35ミリカメラ換算で28ミリ相当という広角単焦点レンズであることと、イメージセンサーに一眼レフ並みの1400万画素の大型を搭載していて普通のコンパクトデジカメのそれに比べると面積比7〜12倍の大きさを持っていること。加えて、別売アクセサリーのビューファインダーが可愛くて、フラッシュ取り付け用のホットシューにこれを填めるとまことに格好がいい。何だかんだ合わせて10万円くらいですかね、年に一度、自分に与える贅沢ボーナスです。

 SIGMAは言わずと知れた交換レンズのメーカー。それがカメラづくりに乗り出して既存のコンパクトデジカメ(コンデジ)に対して一種の異議申立てをした。どういうことかというと、コンデジはコンパクトさ(小型軽量化)を競うために一眼レフより遥かに小さなイメージセンサーを搭載し、それによる画質低下については口にしないようにして、センサーのサイズはそのままでピクセルピッチだけを極小化して画素数を稼ぐという高画素化を盛んに宣伝した。また、画質低下を補うか、もしくはそれを気にせずに済むようないろいろ便利な付加機能をどんどん増やすことを競い合った。カメラ屋の店員に聞くと「画素数が大きければいいってものでもないんですね」といった言い方をすることがあるが、それはこのことなんですね。SIGMAは、こういうのはおかしいんじゃないか、と。それで、一眼レフ並みの大型イメージセンサーを載せて、なおかつ1つのピクセルで光の3原色とりこむことの出来るFoveonX3を採用して、あくまで画質にこだわる姿勢を鮮やかにした。

 私は初めて知ったのだが、SIGMAの説明によると「ほぼすべてのデジタルカメラのセンサーは、基本的にはそれだけでは色を取り込むことができないモノクロームセンサーであるということをご存じでしたか? センサーは色情報を取り込むことができないので、センサー表面にRGBの3原色を規則的に配置したカラーフィルターを配置して、水平方向に色を記録しています。......1ピクセルで1色しか取り込むことができず、その他の2色情報は切り捨てられてしまいます。......後段の画像処理工程で『デモザイク』と呼ばれる色の補完処理を行って、各ピクセルが失った色を復元させています。この補完処理は、基本的に隣接するピクセルから失った色を推測で取り込むことによって行われています」と。

 これって、すごい面白い。いくら高画素化しても、普通のコンデジでは1ピクセルで1つの色しか捉えられず、グリーン2ピクセルに対して青と赤が各1ピクセルの計4ピクセルでようやく擬似的・推測的に元の色を再現しようとしていることになる。さらに、普通のコンデジの色処理では「デモザイク」処理をする際に「偽色」といって被写体とは関係のない変な色が出ることがあって、それを防ぐために普通のコンデジではレンズ構成にもう1つのフィルターを挟み込んでいて、それが余計に解像度を落としていると言う。こんなことって知らないですよね。SIGMAが近接的とはいえ異分野から独自コンセプトを持って既存カメラ業界に殴り込んで来たことで、こういうことが浮き彫りになったのである。

12月5日(日)

 終日鴨川。午後、ラグビー早明戦をTV観戦。快勝。

12月6日(月)

 早稲田授業。夜、京都へ。

12月7日(火)

 朝ホテルから東海ラジオ。京都造形大の授業。13時に家内と落ち合って東山の「對龍山
荘」へ。これは東山一帯にいくつもある金持ちの別荘の一つで、去る11月にニトリが買い取って、似鳥社長から「見に行ってくれ」と案内があったので、またとない機会だと思い見学させて頂いた。

 夕方から嵐山の割烹「おきな」へ。日本古来の「旬」とは何かを本当に体験したかったら、この店に月一度、通うことをお勧めします。

12月8日(水)

 京都で朝時間がある時は、イノダコーヒー本店でコーヒーとサンドイッチのブランチ。13時前に京都を出て掛川へ。15時から掛川法人会で講演。東京駅からバスで帰宅。

12月9日(木)

 15時から東京国際フォーラムで「青果物流通研究会」の総会で講演、有楽町ビル地下の居酒屋で忘年会、さらにそのあと銀座の昭和レトロ風パブで2次会。この会は、青果物卸「松源」グループの鹿間茂さんが中心になって全国のヤル気のある青果物流通業者・生産農家を集めて故・藤本敏夫と一緒に議論するということで始まったもので、藤本の死後は、こうして私が年末の総会の折に講演して忘年会にも付き合うのが恒例となっている。酩酊して東京泊。

12月10日(金)

ningyou.JPG
 千葉県長生郡の芝原人形作家=千葉惣次さんの作品展の日なので、早朝東京を出て帰宅、車に家内とその妹を乗せて笠森観音近くの会場に急ぐ。芝原人形は、江戸〜明治期に盛んに作られた素朴な泥人形の郷土玩具で、一時途絶えていたのを千葉さんが復興して4代目を継いでいる。今頃に正月飾り、2月にお雛様と、年に2回しか作品展をしないため、開館前から並んでいいものや目新しいものを買い占めてしまう熱烈ファンが何人もいるので、早めに行かないと棚が寂しくなってしまうのだ(写真は干支の正月飾りの展示)。

 最初は3年前だろうか、作品展が開かれることを新聞で知って訪ね、以来ほぼ欠かさず作品展には行っているので、我が家にもだいぶ人形が増えた。


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.the-journal.jp/mt/mt-tb.cgi/7791

コメント (2)

■コメント投稿について編集部からのお願い

《THE JOURNAL》では、今後もこのコミュニティーを維持・発展させていくため、コメント投稿にルールを設けています。はじめて投稿される方は、投稿の前に下記のリンクの内容を必ずご確認ください。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

高野さん、こんにちは。
読ませていただきました。
高野さんみたいに、かっこよく生きたいです。僕は。憧れます!!

お孫さんの【「庭がほしい」と思う感性】は素敵ですね!

いまの東京の子どもたちは土に触れる機会がないわけですから、かわいそうですね。
できれば、子どもは泥んこになって遊んで育ってほしいと思ってしまいます。

土に触れること、本当に大事ですね。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

※[投稿]ボタンをクリックしてから投稿が完了するまで数十秒かかる場合がございますので、2度押しせずに画面が切り替わるまでお待ちください。

Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

→ブック・こもんず←



当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.