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高野孟の遊戯自在録011 »

高野孟の遊戯自在録010

更新が飛び飛びになりすいません。一挙に約1カ月分を掲載します。

10月7日(木)

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 8時25分の高速バスで上京、午後に大阪でアリコジャパンの講演があり日帰りして、品川のホテル泊。新幹線往復とホテルの部屋で池上永一『トロイメライ』(角川書店)読了。池上は沖縄出身の作家で、前作の『テンペスト』は、滅亡の淵に立たされた琉球王朝の王宮内の葛藤や陰謀や倒錯を幻想的に詠い上げた傑作だったが、この新作はその続編というのか姉妹編というのか、同じ時代を那覇の市井の賑わいの側から見た人間模様で、前作の主要人物がチョイ役でチラチラ出てくるのが面白い。『テンペスト』はこのほど角川文庫に収録され(全4巻)、また舞台化が決まり、来年2月に東京・赤坂ATCシアター、3月に大阪・新歌舞伎座で上演される。http://tempest2011.jp/index2.html




10月8日(金)

 9時半から赤坂のスタジオで収監目前の鈴木宗男さんを迎えてJFNのラジオ収録。相変わらずの意気軒昂。最後は、これでしばらくお別れということで、「じゃあ行ってらっしゃい、と言ったらヤクザ映画みたいですが」と冗談めかして送り出したものの、心中はしんみりとした気分だった。東京泊。

10月9日(土)

 朝7時から北海道放送の中村美彦の番組に電話出演。8時50分東京発のぞみで広島へ。14時から広島の青年税理士クラブ設立40周年記念の公開講演会で、リーガロイヤルホテルに500人ほどが集まった。アメリカの"カネがカネを生む資本主義"が破産して行き先不明に陥っている中で、日本は額に汗して働いて新しい価値を生み出す"モノづくり資本主義"の王道を進むべきだ、という話をした。

 夕方に新川町のカウンター割烹「白鷹」へ。ここは、十数年前に広島本拠の家電量販店デオデオの創業50周年だったかのイベントが広島と岡山であって、私と草笛光子さんが呼ばれて、その時に夕食に連れて来られたと記憶するが、とても丁寧な包丁さばきに感心してその後何度か一人でぷらりと寄ったり、広島の知人を連れて行ったりして、そうは言っても年に1回も来ることはないというのに、お店の親父も若女将もよく覚えていてくれて歓待してくれるのが嬉しい。脂の乗ったアジと今が盛りのカワハギが美味しく、またここの定番のウニとホウレン草の炒め物が大好きで、堪能した。

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 昨日の午後から今夜にかけて、冲方丁(うぶかたとう)『天地明察』(角川書店)読了。徳川第4代家綱の時代に、800年続いた中国由来の暦がさすがに狂いを隠せなくなっている原因を科学的に解明して、守旧派官僚の抵抗を押し切って日本独自の太陰暦を創造し採用させるという大転換を成し遂げた、棋士にして数学者・天文学者の渋川春海の波乱の生涯を描いた小説。大陸文化の受容と日本独自の創造との間にどういう弁証法が働いているのかが見えてくるところが凄い。

10月10日(日)

 7時に広島を出て帰京。早稲田の高野ゼミ1期生で総務省に入ったNaが、来年からイギリスに留学することになったので、推薦状を書いて貰いたいと言って来たので、品川駅で会った。「そんなもん、書いている暇はないから、お前が自分で書いて持ってくればサインするよ」「分かりました」と。高野ゼミ1期というのもなかなかで、今NiとUの2人が本サイト=ザ・ジャーナルの薄給の編集スタッフ、上記Naは総務省、Kaは外務省で現在海外で研修中、Suは都下で市会議員立候補をめざして活動開始という具合で、波乱に満ちた人生を選んでいるのがいいですよね。

 夕方、繁茂しすぎた道路際の笹藪&葛蔓の整理。笹藪を伝った葛が2本の櫻に纏わり付いているのを断ち切るなんてことが、急斜面で足場が取れないので案外大変で、草刈り機、鉈、高所用鋸、脚立などを動員して2時間もかかって何とか処理した。

10月11日(月)

 今日は祝日で早稲田の授業はお休み。朝から昨日の続きで笹藪と櫻の木の周辺を綺麗にする。昼前に家内共々、車で都内に出て孫のところへ。夕方まで過ごして新幹線で京都へ。

10月12日(火)

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 京都造形芸術大学の授業の後期前半は、李御寧の名著『「縮み」志向の日本人』(講談社学術文庫)がテキスト。今日はまだ学生らが同書を読んでいないというか手に入れていない様子なので、第1章について私が要約してポイントを伝える。来週、少なくとも第2章までは読んで来いと言ったが、果たしてどうなんだろうか。

 午後は「ミヤネ屋」。もっぱらチリの鉱山事故の救出作戦の話題。帰京。大下英治『菅直人 総理の野望/小沢一郎との死闘』(KKベストセラーズ)読了。大下の取材を受けたので、私の証言(?)もちょっとだけ出てくる。





10月13日(水)

 終日鴨川。家内は同窓会の用事があるとかで、夕方戻ったら栗ご飯を炊くからと言い置いて東京に出掛けた。ということは、栗拾いをして皮を剥く面倒は私に押しつけられたわけだ。さずがに栗も終わりで、大粒のを2キロ近く拾い集めてから樹を見上げると、もうほとんど毬(いが)は樹上に見当たらない。熱湯で3分間茹でて冷めないうちに剥けば、厚皮は簡単に取れるが、中の渋皮はとんでもなく手間がかかる。30分で終わるつもりが1時間以上もかかってしまった。「でも、その苦労をしたから余計に栗ご飯が美味しいのよ」と涼しい顔で言う家内...。

 それにしても、栗は放っておいても毎年よく成るが、2本の渋柿は去年も今年も10個くらいずつしか実が付かない。一昨年は山ほど獲れて、それで柿酢を作って上手に出来たのだけれど。

10月14日(木)

 終日自宅雑用。夜、藻谷浩介『デフレの正体』(角川書店)読了。日本経済が巧く行かないことを専門家があれこれと複雑に説明するけれども、要するに人口の波が経済の元気を決めているのであって、そこが分かれば難しいことは何もないと言う。分かりやすい。

10月15日(金)

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 終日自宅。買い物に出たついでに、近所に「ぼけよけ地蔵」というまことに有り難い小さなお堂があるのに近頃お参りしていないことに気づいて、立ち寄ってお賽銭を投げてきた。

10月16日(土)

 朝から芝生の手入れ。今年は夏の猛暑で到底外に出ることが出来ずろくに手入れもしてやらなかったので、これはブラウンパッチかイエローパッチか象の足跡か、まさに象に踏み荒らされたように直径数十センチほどの円形の枯れ跡がだんだん広がっていく病気が出てしまって、かわいそうなことをした。丁寧にバリカンを入れ、熊手でサッチ(刈った葉)を掻き集め、人が歩いて土が硬くなったところはスパイクで穴を開けて根を切り空気を送り込むようにして、さらに全体に肥料配合の目土を撒いて均すという作業で、大した面積でないのにほぼ1日掛かりである。

10月17日(日)

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 7時25分の高速バスで上京、日比谷公園で「土と平和の祭典」なので、発案者の加藤登紀子さん、実行委員長のヤエちゃん、明治学院大学教授&なまけものクラブ代表の辻信一さん他と共に開会式に列席、恒例の鏡割りをやって朝から樽酒でご機嫌。ブースには鴨川自然王国やご近所の岡田夫妻なども出店していた。写真は開会式の後、樽酒を振る舞う登紀子さん。

 13時から早稲田大学創立125周年のホームカミングデーのイベントで、田原総一朗、見城美枝子、私でトーク。大隈講堂がほぼ満席になっていた。終わって外に出ると、ちょうど同講堂前広場の特設ステージで、我が高校同級生にしてブラスバンド仲間の外山喜雄(トランペッター)が自分のバンドを率いてデキシーランド・ジャズの演奏。そこへ司会役のタモリが飛び込みでトランペットを吹くというハプニングも。タモリは「モダンジャズ研究会」OBだから、デキシーとはまるっきり合わなかったな。

 明日はどうせ早稲田の授業なので、今日は早稲田のホテル泊まり。鶴巻町に「山水」というとてもいい寿司屋があるのでそこで一杯飲んで早寝。

10月18日(月)

 高野ゼミは今日から「地域主権国家」論について学生が分担して発表を行う。午後の大隈塾授業、夕方のジャーナリズム大学院ゼミを終えて京都へ。

10月19日(火)

 京都造形芸術大からミヤネ屋へ、そして夜は大阪高野塾と懇親会と、関西で目一杯の1日。

10月20日(水)

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 早朝大阪を出て帰京。車中で若倉雅登『目の異常、そのとき』(人間と歴史社)読了。若倉先生は、神経眼科が専門で、日本で最初の眼科専門病院とされる東京・お茶の水の井上眼科病院の院長。私は何年か前に、目薬の新製品のキャンペーン企画で先生と「目と健康」についてweb対談をしたことがあって、目を狭く捉えるのでなく脳や体全体との関係で広い視野から見ていくという視点に大いに共感した。著書も多いがこれは最近お送り頂いた最新のエッセー集。勉強になった。

 知人から若狭湾の超高級干物が送られてきたので、家内が通販で衝動買いしたTIGERの最新型魚焼器を初めて使ってみたが、これは驚くべき優れもの。どういう原理なのか分からないが煙が全く外へ出ないし、焼き具合もカレイがうっすらきつね色に仕上がって美しい。

10月21日(木)

 夕方、事務所に「サンデーフロントライン」の取材。「仙谷由人とは?」についてしゃべれと...。そのあと近くの蕎麦屋「更級堀井」でスタッフの飲み会兼打ち合わせ。東京泊。

10月22日(金)

 北九州に飛んで、14時から市主催の「地域主権」講演と市長を交えてのシンポ。20時羽田着、帰宅。

10月23日(土)

 13時から名古屋で中日文化センターの講座。習近平次期首席と中国幹部の世代論を話した。

10月24日(日)

 午前中、懸案となっていた水の浄化装置とタンクの清掃。ご近所のKaさんとKoさんが手伝いに来てくれる。と言うか、浄化装置はKaさんの設計並びに製作なので微妙な調整は彼にやって貰うしかないのだ。

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 午後からはKoさんと共に東隣の放置された荒れ地の草刈り。これは草刈りなんてもんじゃなくて、野バラと茅と葛ががんじがらめに絡んで2メートル余りの壁のようになって近づくことも出来なくなっているのを切り開いていく作業で、(1)まず縦に切り込みを入れて蔦と枝の絡み合いを分断して、(2)次ぎに横に払って枝を切り崩していって、(3)バラの根元に刃が届くとこまで行ったら、太さ10センチくらいまでならそのまま草刈り機で叩き切って倒し、(4)さらにバラや葛の根が地中を縦横に走っているのを泥や石もろともめくり返すように掘り上げていって、(5)それらを後で燃やしやすいようにフォークやレーキで5メートルほどごとに山のように積み上げていく----ので、その辺の雑草刈りの3倍か5倍くらいの体力と技術が要る難作業。これをやっていて、私は刈り払い機のポールがボッキリ折れたことが一度、Koさんはアルミ製のハンドルを折ったことが三度もある。写真奥に見えるのがまだ刈っていない藪。これを右手前のように刈り上げて、中央のように積み上げていく。このあとさらに、枯れ枝・枯れ草に火を着けて燃やしながら、周辺にもう一度草刈り機をかけ、また鉈やシャベルなどを使って根を掘り出していく。

 終わって、Koさんと共に近所の韓国料理屋「味家」さんへ。ご近所の知り合いが何人もいて地元話題で盛り上がる。

10月25日(月)

 午前の早稲田ゼミは、地域主権国家論の学生発表の続き。午後の大隈塾授業は、今日から「元気な女」シリーズ。第1回の今日は、辻元清美。京都泊。

10月26日(火)

 毎週火曜日の朝7時半は東海ラジオ「モルゲン・ジャーナル」に電話出演。今日は京都のホテルから。朝食後、京都造形芸術大の今日の授業のためのpdfを作ってメールで送り、10時過ぎホテルを出て同大へ。

 今日は「ミヤネ屋」がないので、久しぶりに芦屋の「タバタデンタルクリニック」の田畑勝彦先生のところへ。以前は、半年に一度ほど何もなくても通って歯の点検と清掃をして貰っていたのだが、鴨川への引っ越し大騒動を境に何となく足が遠のいて間が空いてしまったので、元のペースに戻さなければならない。

 田畑先生は、5〜6年前だろうか、歯の具合が良くなく困っている時に「歯医者だったらこの先生に限りますよ!」と芦屋に住む友人に紹介されてお訪ねし、その明るい人柄、診断と治療方針について明快な説明をしてくれる説得力、さらに個人病院でありながらインプラント治療、レーザー治療、オールセラミック技工などの高度技術、矯正歯科や審美歯科の機能をも院内に備えていて、歯の健康から美容までをトータルに面倒見てくれるその総合力にすっかり感心して、以来お世話になっている。

 最初にお会いしたときに、私はこんなお話しをした。田原総一朗さんが60歳になったときに酷い便秘状態に陥ってものが食べられず痩せてきてしまって、「癌じゃないか」と3週間も内科検査をしたのに何も出ない。「神経性内臓機能不全」という全く無意味な病名のまま退院することになり、その前に、検査データを持って内科以外の全部の科を回ってくれと院長から言われて、歯科に行った。すると先生が「田原さん、近年、歯をいじったことはありませんか」と聞く。「あります。去年、インプラントを2本入れ、それ以外も全部治療したんだが、あまり具合が良くない」「どれどれ...」ということで、結局、何百万円もかけたその歯の治療が巧く行っておらず、特に全体の噛み合わせが狂っているために、食べる度に起こるストレスが内臓に打撃を与えてきたという病の構造が明らかとなった。歯がおかしいと、頭痛になったり、酷い肩こりになったり、田原さんのように内臓が弱ったり、出方は人によっていろいろだが、原因不明の病の元が実は歯だったということはままあることなのだ、と。で、歯を全部直して内臓も治った。どうも日本の歯医者は、一本一本の歯を治すのは職人技的に巧くても、歯並びとか噛み合わせとなると「それは矯正歯科を紹介しますからそこへ行って下さい」ということになったり、歯の具合と他の病との関係を全く視野に入れていなかったり、縦割りに分断されていて、歯を中心とした健康のあり方をトータルに指導してくれることが余りに少ないのではないか。何年か前にある経済人にその話をしたら、「その通りで、自分は歯医者で酷い目に遭ったことがあるので、以来、ぜいたくなようだがアメリカの歯医者に行っている」と語っていた、と。

 田畑先生は、まったく同感で、だからこのクリニックは、この狭いところに、例えば技工室を2つ設けて常勤の技工士を2名置くなど、可能な限りの総合性を追求していて、それは患者の側に立って歯を中心とする心配事や悩みはなんでも相談に乗りますよという意味なのだとおっしゃった。それですっかり意気投合してしまったのだった。元プロ野球選手の新庄剛志も先生のファン&患者で、彼のトレードマークの真っ白な歯も、打撃の際に激しく噛みしめて壊れることがある奥歯の入れ歯も、先生の言わば"作品"である。先生が4年前に『今いる場所で、一流になれ』という本を出版した際にも、新庄選手は表紙の帯に写真入りで登場して激励の言葉を述べていた(そう言えば、新庄は近頃どうしているのかなあ)。

 関西方面でいい歯医者を探している方、今の歯医者に不満や疑問がある方は、是非、田畑先生のところをお訪ね下さい。近く私が本サイトで始めることを計画中の「ドクターたちとの対話」シリーズにも登場頂く予定です。

※タバタデンタルクリニック http://www.tdc.gr.jp/

10月27日(水)

 午前中、隣の荒れ地のうち前に草を刈ったごく一部を焼却し、仕上げ刈りをする。24日に書いたような具合に切り開いた藪は、そのままでは汚らしいので、枯れ草を山火事にならないようコントロールしながら燃やしつつ、回りをレーキできれいに掻き集めて火に投げ入れて、そこまでするとようやく地面が見えてきて、残った草株や根っ子や枯れ枝の堆積などが視認できるので、もう一度草刈り機で地面を引っ掻くようにして仕上げていく。またこれでようやく、埋もれていた地崩れ防止用の排水溝も全貌を現してくるので、溜まった泥や枯れ葉をシャベルや鍬で取り除いて水が流れるようにしてやる。不在地主がこのように、何十年でも土地を放置し荒れ放題にしているのは本当に迷惑で、特にこの隣地は昔、地崩れを起こしたことがあって、排水溝などを泥に埋まったままにしておくのは危険なのだ。

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 午後、上京して八王子で日本生命の講演会。夜、帰宅。往復で安田登『身体能力を高める「和の所作」』(ちくま文庫)読了。著者は、能楽師にして米国の身体運動理論"ロルフィング"の公認トレーナーという面白い肩書きの人で、能に代表される日本古式の身体作法や呼吸法に科学的な光を当て、それを子供たちの教育に役立てるなど活動をしている。私はこういう方面にはかなり詳しくて、自分の健康法としてもいろいろ採り入れているが、「大腰筋」という深層筋を鍛えることが肝心で、それには簡単な鍛え方の方法があるという話はまことに新鮮だった。

10月28日(木)

 終日鴨川。

10月29日(金)

 終日鴨川。雨で外に出られないので、来週に予定された大学授業3つ、帯広での講演、鴨川での帰農塾講義のレジュメを一気に作る。どんなレジュメも前夜か当日朝にバタバタやるのに、こんなこともあるんだ、と自分で感心した。何でも早めにすれば気持にゆとりが出て、いいものだ。

 知人のTさんから電話で「1月の新春浅草歌舞伎、どうする?」と。相談の上、例年のごとく中高年遊び仲間10人ほどで昼の部の切符をとって、そのあと蕎麦屋「十和田」で宴会ということにして、十和田のおかみさんに頼んで手配を完了、写真入り案内状を作製してメール配信した。浅草歌舞伎は毎年、若手が思い切って大きな役に挑戦してのびのびと演じるので人気が高く、すぐに完売となってしまうので、おかみさんに頼んでおかないと10枚もまとめて買えないのだ。

10月30日(土)

 夕方から千葉の幕張で「大地を守る会」35周年のパーティがあるので張り切っていたが、大型台風の首都圏接近で房総半島も激しい暴風雨。高速道路の運転も危険かもしれないということで、出席を見送った。

 夕方、成毛真よりメールあり、明日の国際孔球会のゴルフコンペは中止と。これも張り切っていたんだが、残念。「孔球」とは中国語でゴルフのこと、「国際」は何の意味もない形容詞、実体は北川正恭=元三重県知事が知事を辞めて東京に出てきて「遊び方が分からない」と言うので、成毛や私らが作ってやった遊びの団体。北川も、昭和19年生まれの「一休会」のメンバー。

10月31日(日)

 台風は去って薄日がさして、これならゴルフは出来たなあと今更ぼやいても仕方ない。

11月1日(月)

 早稲田の授業の後、車で帰宅。館山道の鋸南保田ICを下りて長狭街道を進行中、物陰から急に車が出てきて、至近距離だったので慌ててハンドルを切ったら、濡れた路面でスリップして、反対側のガードレールに車の右前部をぶつけてしまった。こちらがビックリしてハンドルを切りすぎただけで、相手の車と接触していないので、向こうは「驚かしてすいませんでした」と言ってはいたが、私の自損事故ということになる。

 今日の日経「第二部」は、焼酎特集。この日が「本格焼酎・泡盛の日」なんだそうで、12ページに及ぶ別刷PR版。ソムリエで知られる田崎真也が登場して「普段よく飲むのは焼酎」と語っているのが面白かった。

 朝日の別刷「THE GLOBE」は「魚とつきあう」特集で、朝日の経済部→北米総局長→論説委員で定年を迎え、敢えて「さかな記者」をやりたいと言って石巻支局長となった高成田享が健筆をふるっていて懐かしかった。彼の最新本は、『こちら石巻さかな記者奮闘記』(時事通信社)。

11月2日(火)

 今日は京都の大学は学内行事で授業はなし。ミヤネ屋もなし。朝早く東海ラジオを済ませた後、車を修理に出したので、普段は地元でしか使っていない軽4輪で東京へ。18:00新橋の「酔心」で大下英治と会って食事をしながら取材を受ける。仙谷由人官房長官についての本を出すんだと。この人は、週刊誌のトップ屋出身らしく今話題の人や出来事について、まだ話題が消えないうちに単行本にして出してしまうという、早書き芸で勝負している珍しい物書きだ。彼も昭和19年生まれの「一休会」の仲間で、ここ「酔心」は、広島出身の大下が最初は車のセールスか何かをやっていた時代に給料日にはちょっとだけご馳走を食べたという思い出の店なんだそうで、彼に呼び出された時は必ずここと決まっている。飲んだので東京泊。

11月3日(水)

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 昼前の飛行機で帯広へ。「ランチョ・エルパソ」の平林夫妻が迎えてくれて、そのまま大樹町の手作り農家チーズ工房「半田ファーム」へ。昭和初めから続く牧場で、今のご主人の半田司さんは3代目。15年ほど前から奥さんと一緒にチーズづくりに取り組み、試行錯誤を経て13年ほど前から販売開始。160頭の乳牛を出来るだけ自然放牧に近いやり方で飼って、健康な牛乳を生産するところから始まる本物のナチュラル・チーズは、たちまち大評判で、NHKの番組になったり、楽天やANAなどのe-shopにのったりしているが、ご本人は慌てず騒がずのマイペースで「まあ、ゆっくりやろうや」という感じ。工房の2階のティールームと呼んでいるショップ兼カフェを私がお訪ねするのは1年ぶりか2年ぶりで、「やあ、お久しぶり」と挨拶を交わすか交わさないかという間にもう「このワイン、ちょっと飲んでみてよ。このチーズと合うでしょ」となって、まだ日の高い2時だというのに宴会状態に。


 と、さきほどから向こうのカウンターに坐って子供2人を遊ばせていた若い人がスッと立ってきて、「平林さんですよね。私、柏台牧場の相馬です」「あっ、そうだよね」と、お互い名前と評判はよく知っているがじっくり会って話したことがなかったという関係らしい。半田さんが「この人は、相馬行胤さんと言って、本当に相馬藩の殿様の家柄なんだ。この奥で、父親の代から肉牛牧場をやっている」と説明する。「ヒエーッ、恐れ入りました」と。本人は照れる風もなく「トノサマ・ビーフ」というブランド名を記した名刺を出して、「ええ、私が34代目です」とニコニコしている。前々から、合い挽き肉を使ったハンバーガーくらい何が入っているか分からない怪しいものはなく、是非とも自分のところで育てたビーフ100%のバーガーをもっと多くの人に食べて貰いたいと思って、今年はついに「トノサマ・ビーフ号」という移動店舗を作ってイベントなどへの出張販売を始めたのだという。


 平林=豚、半田=乳牛、相馬=肉牛とそれぞれではあるが、出来るだけor全く家畜にストレスをかけないで育てようという思いで繋がっている3人が、たまたまここで一緒になって、そこにまたどういうわけか私がいて、「阿蘇の産山村に井信行さんという凄い肉牛飼いがいて、通年放牧は前からやっていたが、今回、何年もかかって、輸入飼料を一切使わずに自分らで作った小麦やトウモロコシや米粉で育てる方法を確立した人がいて、今年2月にはその試食会を銀座でやって、菅直人も来たんだ」みたいな話をすると、相馬の殿様が「え、100%。それは凄いな」と興味を持ったりするという、まことに面白い大樹町の午後となった。

 相馬さんの自慢のステーキ肉をお土産に貰って、帯広市内の「ランチョ・エルパソ」へ。6時から、昔からの私の知り合いや、今年4月の帯広市長選に関わった何人かが集まって飲もうという話で、そこへ、石川知裕衆議院議員も姿を現すことになっている。石川さんは明日に後援会の大きなイベントを計画していて、その講演者として私が呼ばれたというのが、そもそも今回の帯広行きの趣旨で、それならばと前日入りしたというわけなのだ。

 まずはトノサマ・ビーフを試食。旨い。ほぼ自然放牧で、変な栄養剤やホルモン剤や抗生物質などを投与しないで、ここまでナチュラルでありながら、ほどほどに脂が乗った、柔らかい肉が作れるのか、と。ウーン、どう考えたらいいのか。産山村の肉は、ゴリッとしていて、それでいて深い味わいがあって、「あぁ、牛肉とは本来こういうものだったのか」と思い知らされるが、このトノサマ・ビーフはそれとはまた違って、別の価値観を突きつけて来る。

 フラフラに酔って、駅近くのホテルへ。帯広のホテルや旅館がいいのは、天然温泉付きのビジネスホテルがあって、しかもその温泉が「モール温泉」と言って、火山系ではなくて、太古の植物の堆積物が地下で自然発熱して湧き上がってくるという世界でも何カ所しかない珍しいもので、このほとんどコーヒー色の繊維混じりの柔らかなお湯が私は大好きなのですね。今日は初めて泊まった「ドーミーイン」という新しいホテル。大浴場や露天風呂もなかなかよかったです。

11月4日(木)

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 二日酔い状態を朝風呂で克服、ややもして平林夫妻が迎えに来て、市内から南へ約30分、拓成の彼らの自宅兼牧場に豚どもに会いに行く。いや凄いですよ、何万坪だかの林間に800頭の豚が走り回っていて、私らが柵を越えて入っていくと、何か美味しい餌でもくれるかと思うのか、ブーブーと擦り寄ってきてズボンなどたちまち泥だらけになってしまう。

 5時半から石川議員後援会の資金パーティ。600人だかの会場が満杯の盛況で、廊下で会う人たちの中にも「小沢一郎がどうなろうと、石川は十勝の希望ですから、頑張って貰わないと」と熱く語る爺さんがいて、石川議員もなかなかいい地盤を培ってきたんだと感心した。最終便で帰京。

11月5日(金)

 地元で、午前に鴨川自然王国「帰農塾」今年第4回の開講式、午後からは私の講義で「森」の話。森と川と土と田と畑と海という繋がりについて話した。

11月6日(土)

 朝5時15分に家を出て「四行会ゴルフ」へ。この四行会というのは四半世紀を超える長い歴史があって、私が38歳の時に仕事のし過ぎと酒の飲み過ぎで肝臓がおかしくなって背中に激痛が走って倒れるという事件があり、3カ月間の鍼治療で一応治ったのだけれども、そんなに仕事をしてそんなに酒を飲んでいたのではすぐ再発して死にますよ、少しは体を動かすことをしないと、と医者に言われた。そう言われちゃいましたよという話をしたら、当時三和銀行の広報担当のSさんが「じゃあゴルフをやりましょう」と言い出して、「エーッ、私はゴルフはちょっと主義主張とも趣味嗜好ともかけ離れていて...」とか言って渋っていたのだが、早速、翌日昼にSさんから事務所に電話が掛かってきて、「高野さん、いま財布に3万円ありますか」と。「あ、丁度3万円ありますけど」。「じゃ、お迎えに上がります」。ン?と思っているうちにSさんが黒塗りの車で、当時神保町の当事務所に乗りつけて来て、「はい、今から御徒町のロイヤルゴルフに行きます、当行御徒町支店の優良顧客ですので、何の心配もいりません」と拉致される。そのロイヤルゴルフで、ドライバーなどウッド3本とキャディバッグと靴と手袋を買うと、何と丁度3万円。アイアンは、Sさんのお古のSportingのセットを貰ったので、それをバッグに収めて、一応形が出来た。「あれよ、あれよ」という思いだが、Sさんは手際がよくて「はい、これで道具は揃いましたから、今から芝ゴルフ練習場に行きます」「はい、打ってぇー!」みたいなことで、私の望んだわけでもないゴルフライフは約30年前に半ば強制的に始まってしまったのだった。

 で、そのうちにSさんの三和はじめ住友、富士、東海の都銀4行の広報担当と、私らインサイダー周辺の記者4人で年に1〜2度、ゴルフをやろうじゃないですかということになって、「四行会」というものが始まった。銀行の側は、合併に次ぐ合併で変遷があったし、また各行の広報担当は3年か5年で交代するのですでに10代を超える人事の通過があっただろうが、私ら記者の側にはほとんど変わりがなく、今日まで続いてきたのである。記者側では、最初から変わらないのは私、日刊ゲンダイの元は編集長で今は社長の下桐治、インサイドラインの歳川隆雄かな。後一人は多少変遷があったが、ほとんどの期間は元週刊ポスト編集長の坂本隆だろう。私も、近頃はゴルフも年に数回というところなので、ゴルフ場に行ってバッグを開けるとクラブのグリップにカビが生えていたりして、まあ不熱心なことこの上ないが、それでも今日は、30〜60歳代までいる8人2組で私が最年長でありながら、4つのドラコンのうち2つを私が獲得して(スコアはともかく)気持のいいゴルフだった。どういうことかと言うと、私は近頃は年に数回しかゴルフをやらないけれども、普段から農林作業で足腰を鍛え続けているので、毎週のようにゴルフをやっている彼らよりも飛距離が出るのである。

 夕方鴨川に戻り、帰農塾の焚き火を囲む飲み会に参加。酔っ払い運転で帰宅(したらしい)。

11月7日(日)

 終日鴨川で雑用。

11月8日(月)

 早稲田授業のあと京都泊。

11月9日(火)

 京都の授業では、李御寧『「縮み」志向の日本人』第3章で、自然を縮小して目の前に配置する「庭」について述べているところを採り上げて、それと岡本太郎『日本の伝統』第4章「中世の庭」を重ね合わせて、「庭」と日本人について論じた。学生が付いて来ているかどうかは分からないのだが、そんなことはどうでもよくて、私は自分が興味のあることを勝手にしゃべっている。

 帰京し、東京駅で家内と合流して勝鬨の第一生命ホールで「ショパンの愛したプレイエル・ピアノ」コンサート。私が以前に本欄で、横山幸雄のショパンが素晴らしかったという話を書いたことがあり、それを読んでいて頂いたTHE-JOURNAL常連らしい静岡文化芸術大学文化政策学部の小岩信治准教授から、「横山ショパンとはまた違う世界をお聴かせできると思います」という丁寧なお誘いを頂いたので、チケットを求めて行くことにしたのだった。プレイエルというのは、ショパンがパリで過ごした時代のピアノ・メーカーの名で、今回は1830年製という骨董品的なピアノを小倉貴久子が弾き、それに5人の弦楽が付くというしつらえで、そのピアノのくぐもったような音色が、弦楽器の音色とマッチしてなかなか良くて、大いに楽しみました。

11月10日(水)

 終日鴨川。図書新聞から前田和男『民主党政権への伏流』の書評を頼まれていたので、午前中はそれで潰す。原稿の全文は以下の通り。
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 これは本である。図書新聞が扱うのは本に決まってるよと言われそうだが、いや、これは久しぶりに出会った本らしい本である。第一に、厚い。六百五十ページ弱、約五センチ。本棚を眺め渡しても、辞典類を除いてどれよりも厚く、圧倒な存在感がある。第二に、中身が濃い。帯の謳い文句にあるように「民主党政権はどこへ行くのか!?/十人の『伏流』たちの証言から日本政治の行方を見定める」というのが本書の趣旨である。昨夏の民主党政権誕生という一大奔流は、実は、過去二十年間に起きたたくさんの挑戦や試行錯誤や挫折を「伏流」としてそれらが大合流する形で湧き起こってきたものであり、そのそれぞれの伏流を担った、どちらかというと余り有名でない、裏方や事務方、仕掛け人、あるいはすでに舞台から去った元政治家といった人びと十人を選んでインタビューすることを通じて、「民主党政権とは何か」を浮き彫りにしようとした。自民党独裁を倒そう、社会党を政権の獲れる党にしよう、その見込みはないから新党だ、いや党ではなく新しい市民政治運動だ......十人にはそれぞれの熱い思いがあり、その時々に全人生を賭けてそのことに取り組んだ。多くは果たされなかったその思いの深さを掴むには、インタビューは執拗かつ徹底したものにならざるをえず、だから本が厚くなった。
 十人の顔ぶれはこうだ。学生運動からシンクタンク創業、土光臨調を経て細川護煕の日本新党のビジョンづくりを担った金成洋治。新党さきがけから衆議院に当選し村山内閣の「首相補佐」を務めた錦織淳。銀行マンから椎名素夫の公設秘書、選挙プランナーを経て大前研一の「平成維新の会」の事務局長になった三浦博史。仙谷由人らと共に一九九〇年総選挙で当選し社会党内に「ニューウェーブの会」を作った松原脩雄。社会党左派の論客で同党の「体質改善」=現実路線への転換に尽くした高木郁郎。社会党田辺書記長の特別秘書として政党の枠組みを超えた知事の連合、いわゆる「殿様連合」を仕掛けた仲井富。社会党の地域活動家から党本部職員、村山首相の首席秘書官となった河野道夫。学生運動、タクシー運転手から海江田万里の秘書を経て「日本版オリーブの木」運動の仕掛け人となった若尾光俊。社会党改革派のブレーンからローカルパーティ「東京市民21」の代表委員となった住沢博紀。そして、民主党の直接の源流となった「リベラルフォーラム」の事務局長の松本収......。こうして並べると、名前を聞いたこともないという人も混じっているかもしれない。誰でも知っている著名人にではなく、現場で苦労を重ねたスタッフやブレーンにとことん話を聞くというその目線の低さが本書の厚みを支えていると言える。
 余談ながら、松本収の章には「リベラルフォーラム」の当初からのメンバーの一人として私の名前も出てくる。同フォーラムは、鳩山由紀夫と横路孝弘が言い出して、すぐに海江田、仙谷、それに唯一人の非議員として私が呼び込まれて九五年二月に始まったもので、最初の半年は秘密裏に、後の一年間は公然と、リベラルな新党を結成するための政策協議や組織工作がここを舞台として展開され、それが九六年九月の旧民主党結成に繋がった。そこに私が関わることになるのは、遡れば、ほぼ同世代である仙谷・松原らが作った「ニューウェーブの会」の勉強会に呼ばれたり、その延長で江田五月、菅直人らが加わって社会党乗っ取りを策した「シリウス」に参加したり、社会党=田辺委員長時代の安保政策見直し作業の諮問メンバーに入ったり、ジャーナリストとしての則をこえて新しい政治文化を作る運動に首を突っ込んできたからである。その意味では、私も「伏流」の一部を担ってきたわけで、だから余計に身につまされる思いで一気に本書を読んだ。
 読了してまず思ったのは「これを民主党議員全員に読ませなくては」ということだった。特に直近の衆参選挙で上がってきた「小沢チルドレン」などは、民主党がどんな経緯と思いの積み重ねの末にここまで辿り着いているのか、恐らく何も知らずにピーチク言っている。次ぎにマスコミの記者連中である。マスコミの短視眼と刹那主義は今に始まったことではないけれども、それにしてもこの一年余り、どうでもいい目先のことを針小棒大に取り上げて竹槍で突くように突き回す「民主党叩き」はほとんど常軌を逸している。なぜ政権交代が起こらなければならなかったのか、そこで生まれた民主党政権は確かに未熟で、私にしても見ていられないようなところもあるけれども、しかしどういう日本の将来を創り出そうとしているのか、大きな歴史の流れの中で国民が熟慮・熟議する材料を与えるのがマスコミの役目だろうに。特に若い記者は本書を読んで少しは無知を克服してほしい。
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「民主党政権への伏流」読みました。これだけの人が、これだけ苦労して、やっと手にいれた政権。現執行部のダッチロール振りには「怒り」と「やるせなさ」しか残りませんね。
高野さん「究極の政治ボランティアだな。一世一代だ。(中略)鳩山が冗談で「高野さん、党首やってよ」菅からも「幹事会に入ってくれ」といわれたが、(中略)結局は議員になるしかなくなってしまう。議員だけは嫌だからね。(後略)」<517頁>は、著者のいう「偽悪的韜晦」というよりも「カッコ良過ぎ」です。
 いま議員をされていれば、もう少しまともな「民主党政権」になっていただろうに、と、残念で仕方ありません。

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Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

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