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2010年6月24日

高野孟の遊戯自在録003

 これ、ユウギでなくユゲと読みます。「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとうやうまれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さえこそ揺るがるれ」(後白河上皇撰述「梁塵秘抄」)ということですかね。

5月4日(火)

 終日自宅。午後から上水システムの点検。我が家の生活用水は全量、湧き水に頼っている。総じて南房総は水が乏しく、水道の一部は霞ヶ浦あたりから延々と引いて賄っている有様で、水質はよいとは言えず、しかもカルキたっぷりで不味い。おまけに、我が家に市水道を引くには、一番近いと言っても200メートル先までしか配管が来ていないので、そこから分岐させて農道に管を埋めて引っ張り上げる工事をしなければならないが、その工事費が何と1メートル当たり1万円、計200万円の自己負担となり、加入料も含めると300万円近い出費を強いられる。300万円かけて不味い水を安定確保するか、何かあれば枯れてしまうかもしれない敷地内外の湧き水を使うか----悩んだ末に、結局、湧き水にしたのだった。

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 敷地内にも水源があるが、だいぶ表層の水らしく、雨が降るとドッと増えて日照りが続くと細るので、不安が大きい。それに比べて、隣の地元農家Sさん所有の森の中には、昔は下の方の家で生活用水に使っていて最近まで田んぼに水を引くのに使っていたという山の滲み出し水があって、家を建てる前に1年間観察したところでは、真夏の日照り続きでも枯れることがない。そこでSさんにお願いしてこれを借りることにし、(1)水源にセメントで槽を作り、屋根を張って雨水や落葉が舞い込むのを避け、(2)それを塩ビ管で40メートルほど引っ張って、(3)5本の極太管に石と砂を詰めた濾過器に下から上へと通して、(4)それをまた塩ビ管で引いて、牛乳運搬トラック用のスチールタンク(容量8トン)の中に溜め、(5)家屋までポンプアップする----という完全手作りの上水システムを作り上げた。(1)(2)(4)は、当時、鴨川自然王国代表で今は民主党衆議院議員の石田三示さんの設計・施工、(3)は近所のガソリンスタンドの社長Kさんの苦心の設計・作製、(5)は地元水道工事屋さんの仕事、という地元パワーによる合作物である。

 ここは5〜7メートル下は岩盤で、その上に重粘土が乗っている地層なので、滲み出し水と言っても地下水ではない。しかし、敷地内の水源よりは深いところか出ているらしく、そのため枯れることなく常時チョロチョロと出続けるけれども、どうしても粘土が混じるので少々の濁りが生じる。それを濾過器を通した上、タンクの中でも多少とも沈殿させ、そしてさらに台所の蛇口ではポット型の浄水器に竹炭を入れたものでもう一度濾過して使う。元の水を保健所の水質検査に出しても「濁り」と「大腸菌群検出」で飲用不可となるが、濁りの問題はそういうやりかたでほぼクリアしていて、気にならないどころか非常においしい天然ミネラル水だし、風呂などはまるで温泉のように体が暖まる。

 他方、大腸菌群というのは、そもそも日本のお役所の水質検査では、土や空気や水など自然界にも店で売っている野菜にも一般家庭の台所などにもごく当たり前に存在する「大腸菌群」と、その中の「糞尿性大腸菌群」のそのまた一部である病原性「大腸菌」とを区別しないで、「大腸菌群が検出されないこと」を飲用の可不可の基準にしてしまっているので、ほとんど全く意味がない(と学問的にも指摘されている)。土はそもそも生物や微生物の死骸が風化した岩石と混じったものであって、そこを通ってくる水に大腸菌群が出ないはずがないのだ。水源の上に人家でもあれば、大腸菌そのものの検査を徹底しなければならないが、我が家の場合はどこまで行っても森で、将来にわたって家が建つことがない地形なので、何も恐れることはなく保健所の検査結果は無視しているわけである。

 そうは言っても、放っておくと水源の槽の底、パイプの曲がり角や水量調節用のバルブの周り、そしてもちろん濾過器の内部などに微粒粘土が溜まるので、週に1度はバルブを開放して簡単に掃除し、月に1度は水源の掃除も含めて丁寧に掃除し、そして年に2度は8トンタンクの水を全部放出して内部の洗浄を徹底的に行う。今日は、その月に1度の丁寧掃除を行ったのである。

 都会に暮らしていれば、栓をひねれば水が出るから「水とは何か?」「どうやって最高の水を手に入れられるか?」を考えることもない。そこが田舎暮らしの面白いところである。

5月5日(水)

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 私が代表を務める「NPO神奈川馬の道ネットワーク」のイベントで、三浦半島で野外乗馬トレッキング。いつものアクアライン経由で東京湾を渡るのでなく、家から20分ほどの金谷港に車を置いて東京湾フェリーで対岸の久里浜へ。このフェリーの何ともローカルな風情が好きで、引っ越す以前、横浜に住んで鴨川の農園に通っている頃にはよく利用した。今はアクアラインの通行料値下げでだいぶ客が減って困っているようだ。山崎養生さんはここに橋を架けろと言っているが、私は船を残して貰いたいと思う。「クリエ三浦ホーストレッキングファーム」に13時集合し、大根畑、海岸、港町などを3時間ほど巡った。

5月6日(木)

 終日自宅。読書、草取り、薪作り。

5月7日(金)

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 羽田発11:25JALで那覇経由、久米島へ。以前に鴨川の我が家から遠くないところに居を構えていた移住者仲間のIさん夫妻が諸事情あって1年半前に久米島に引っ越したので、家内共々、一度訪ねてみようと言っていたのが、ようやく実現した。普天間移設問題の大詰めで湧いている沖縄に遊びで行くのは少々気が引けるが、これはこれで割り切らないと仕方ない。大雨で飛行機が遅れて16:30過ぎ着。空港のすぐ近くのホテルにチェックインして一休みしてすぐにIさん宅へ。閑静な住宅地の中にあるどっしりとした赤瓦の古い平屋の中をきれいにリフォームして住んでいる。Iさんらが近くの海岸で採取したモズクでビールを1杯飲んでから、徒歩1分の寿司屋兼居酒屋「すし春」で夜光貝と車海老を中心とした刺身と寿司をご当地の泡盛古酒「美ら蛍」で堪能した。

5月8日(土)

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 今日も雨を覚悟していたのに朝から快晴。ホテルの前の珊瑚礁が美しい。Iさんの案内で郷土博物館「久米島自然文化センター」「久米島紬ユイマール館」「ウミガメ館」など駆け巡るように島内観光をしたあと、夜はIさんのお仲間の本土からの移住者夫妻2組を交えて居酒屋「松乃屋」で大宴会。

5月9日(日)

 また雨。「美ら蛍」を製造している泡盛工場「米島酒造」を見学。ジャポニカ米を白麹で仕込んで醸造する日本酒は雲南起源の照葉樹林文化であるのに対して、泡盛はタイ産のインディカ米を黒麹で仕込んで蒸留する熱帯雨林文化の流れに属する。奄美では米でなく黒糖を、薩摩では芋を主原料に使う。久米島には蔵が2つあり、大手の「久米仙」は本土でもよく知られる全国ブランドだが、米島酒造は正反対に、蒸釜2台・蒸留器1基を家族労働で守って昔ながらの味を頑固に保っている。午後は琉球王国時代の士族の260年前に建てられた屋敷「上江洲家」の端正なたたずまいを見学した。夕方発って19:00羽田着。

5月10日(月)

 早稲田でゼミと授業を3コマ。京都泊。

5月11日(火)

 京都造形大で授業1コマ。飛び出しで大阪で「ミヤネ屋」、今日の特集はギリシャ経済危機。そのまま帰京。

5月12日(水)

 終日自宅で原稿を書いて飽きると草取り。夜は近くの韓国家庭料理店「味家」さんで知人たちと一杯。

5月13日(木)

 今日は高速バスで東京に出る。自車を運転していけば品川駅まで1時間10分、都心や早稲田まででも1時間20分で行くので、時間がない時はそうするが、片道100キロの運転は楽ではないし、館山道、安くなったとはいえアクアライン、首都高の高速料金もガソリン代も馬鹿にならないので、ゆとりがある時はバスである。自宅から軽自動車で20分弱で館山道の道の駅「富楽里」のバス停があり、そこの無料駐車場に車を置いて東京駅行きのバス(2100円)に乗ると1時間20〜30分で東京駅に着く。計1時間40分から2時間近くはかかるけれども、眠ってもいいし本や新聞を読んでもいいしヘッドフォンで音楽を聴いてもいいし、楽なのだ。新宿で打ち合わせを3つこなして、夜は「東京高野塾」。東京駅22時20分発の最終バスで24時前に帰宅。

5月14日(金)

 鴨川自然王国の「帰農塾」で朝から開講式と講義。午後は都内に出て白金台の病院でピロリ菌の検査。4月に人間ドックを受けた時に1週間の投薬で退治するよう命ぜられ、その効果があったかどうかを調べる簡単な検査だ(結果は後日)。16時30分から港区のホテルで、王子インターパックという会社の取引先を集めた講演。王子製紙の子会社で米国の技術を用いて超硬質の段ボールを製造し、例えば機械を輸出する時に昔は木枠で囲っていたのを今ではその段ボールで梱包するのだそうだ。こんな技術があるのかと感心した。終わってすぐに浅草に駆けつけて、浅草おかみさん会主催の「三社祭の集い」に遅れて参加。どういう集まりか知らないまま行ったが、料亭の大広間に浅草の名士や経済界のおかみさん会応援団の人たちが200人ほども集まり、浅草芸者も総揚げという大宴会。隣に座った針木康雄さんから「二次会に行こう」と言われたが、玄関の大混雑ではぐれてしまったので、商店街を練り歩く御神輿を応援しながらブラブラ歩いて、デキシーランドジャズのライブハウス「浅草HUB」に寄ってボトルキープのバーボンを2〜3杯飲んで、浅草ビューホテルでバタンキュー。

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5月15日(土)

 朝6時にホテルを発って帰宅、すぐに着替えて、軽自動車に草刈り機と燃料タンクを載せて、北釜沼の田んぼの草刈りイベントへ。都会から来た家族連れの棚田会員20人ほどと一緒に、田植えが終わった棚田の土手や斜面を綺麗にするのだが、草刈り機を持っているのは地元農家の指導者たち4人(平均年齢80歳!)と私だけで、他の一般会員の皆さんは鎌で作業するので、若手(?)の私が頑張らなければならない。急斜面で草刈り機を持ったまま滑ると危険極まりないので、先輩からのアドバイスに従って今回からは「スパイク付き地下足袋」を使う。底にイボイボと鋭い突起が付いているプロ仕様で、普通の地下足袋の倍ほどのお値段。これはさすがのカインズでも置いておらず、ワークマンに行かないと買えない。

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5月16日(日)

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 羽田発9時25分JALで熊本へ。今日から2泊3日で阿蘇大草原と霧島高原で乗馬を楽しもうというわけで、友人の田中雅文さんが主宰する「フリーダム・ライディング・クラブ」(内外の乗馬ツァー専門の旅行企画会社 http://www.mmjp.or.jp/freedom/)のツァーに参加した。そのため、明日の早稲田大学と明後日の京都造形芸術大学の授業は勝手ながら休講。京都の大学が「休講には理由を添えて届出が要るんですが」と言うので、「NPO神奈川馬の道ネットワーク代表として九州地方の乗馬事情視察及び報告書作成のため」と書いて出しておいた。熊本空港で田中さんや他の6人の参加者と合流、早速、阿蘇大草原の真っ直中にある乗馬クラブ「グリーンバレー」(http://www.gv-aso.com/)へ行って、1時間半ほどのトレッキングと田中さんによる新しい野外競技「トレック」の実習。近くの公営温泉で汗を流してから牧場でバーベキュー。

5月17日(月)

 午前中、再度阿蘇で2時間の騎乗のあと、車で昼食休憩を挟んで3時間ほどかけて宮崎県都城市にある別の乗馬クラブ「サウスヒルステーブル」(http://www.wshs.net/)へ移動。予定では翌日に騎乗することになっていたが、明日は天気が崩れそうなので今日乗ってしまったほうがいいという相談になり、阿蘇とは打って変わった山岳森林トレッキングを約2時間楽しんだ。霧島温泉の古い旅館で宴会。

5月18日(火)

 早起きして小雨降る中を目の前の霧島神宮に参拝。雨で乗馬も観光もままならないので、旅館の座敷で田中さんによる「トレック」競技及び馬の生理学についての講義を聴く。黒豚丼で昼食のあと空港へ。

5月19日(水)

 親しい友人の芳賀昭八郎さんが長い癌との戦いの末に亡くなって、横浜・妙蓮寺で葬儀。芳賀さんは音楽舞台制作会社「カンバセーション」(http://www.conversation.co.jp/)の社長として、サードワールド系を中心として世界中から素晴らしい音楽や舞台を見つけてきては日本の聴衆に紹介する仕事を通じて日本の音楽シーンを何度も塗り替えてきた。私は特にフランスの騎馬オペラ「ジンガロ」の日本公演では実行委員長を務め、農水省と掛け合って馬の検疫条件を緩和させるなど一緒に苦労してきた。前夜に「弔辞を」と言われて、ぶっつけ本番でおよそ次のように語った。

「芳賀さん、あなたがこんなことになって、困っています。あなたが病に冒されて次第に痩せ細っていきながらも、なお音楽への情熱を絶やすことなく、最後まで新しい企画やプロジェクトに力を降り注ごうとするのを見ていて、私は、もし音楽の神というものがあるなら、あなたにもう何十年かの人並みの人生の時間を与えて、もっともっと大きな仕事をさせるよう「奇跡」を起こしてくれるに違いないと信じていました。しかし、やっぱり、神なんていなかったんですね。あなたが日本の音楽をはじめとした舞台芸術の世界に対してなしてきた多大の、いや多大というのは量的な表現で適切ではないですね、日本ではまだほとんど知られていない世界最先端の価値ある音楽資産をめざとく見つけ出して、どんな苦難をも乗り越えてそれを引っ張ってきて公演として成功させることを通じて、日本の音楽シーンに新しい"質"を付け加え続けてきたあなたの仕事ぶりは、もう見ることが出来ません。いろいろなことを一緒にやってきましたが、4年前のフランスの馬芝居「ジンガロ」の最初の日本公演を実現するまでの苦心惨憺は忘れることが出来ない思い出です。ヨーロッパと日本の動物検疫の基準の違いで、数十頭の訓練された馬の何頭かが入国を許されないかもしれない。1年以上も前から農水省の権益当局と折衝を続けても埒が開かず、土壇場で私があなたと一緒に農水大臣室に乗り込んで、「あんたら、国民の幸せを実現するのが仕事だろうが!」と怒鳴り上げて、それでもダメで、公演開始3日前に成田空港に着いた馬のうち座長バルタバスが乗る言わば主役の馬も含め数頭が入国を認められずそのまま送還されるという事態となった。その日の夜中、あなたと片腕の中西幸子さんと3人でしんみり焼酎を飲みながら、「中止だね」「10億円の損害かね」とか言いながらお通夜をしているるその場に、2時か3時頃、バルタバス座長から中西さんの携帯に電話があって、「入国できた馬を使って俺が何とかするよ」と...。こんなことを毎回やっていれば命は縮みますよね...。さあ、もうゆっくり休んで下さい。芳賀さん、ありがとう。さようなら。」

5月20日(木)

 終日鴨川自宅。夕方、先日知り合った鴨川の私立高校の先生が「家を新築する参考にしたいので高野さんの家を見せてくれ」と訪ねてきた。

5月21日(金)

 静岡県富士市の法人会で講演。担当の方がお茶屋さんの社長で、「新茶の正しい淹れ方」を実演付きでレクチャーしてくれて勉強になった。名刺を見ると「日本茶コンサルタント」(という検定があるんだそうだ)の肩書きも入っていて、外国にまで講習に出掛けているという。そこで新茶をお土産に頂いて、さらに会場に沼津在住の六本木男声合唱団の元団員ご夫妻が懐かしがって訪ねて下さって、そちらからも新茶を頂いてしまったので、自分のトランクのほかに紙袋を2つ抱えて名古屋へ。ホテルに荷物を置いて栄から程近い東新町の「貴寿司」で一杯。狭いカウンターの隣で盛り上がっていた3人組の1人が「オオーッ、高野さんだ。私、大ファンなんですよぉ〜」と叫んだりして、大騒ぎになってしまった。ここのご主人は、おいしい寿司があると聞くと福岡でも唐津でも食べに行ってしまうというちょっと珍しいほど研究熱心なプロフェッショナル職人で、いつも最上のものを見事な包丁さばきで出してくれる。

5月22日(土)

 中日新聞・栄文化センター(http://www.chunichi-culture.com/)で月に1度の「新・世界地図の読み方」講座。今日は北朝鮮による(?)韓国艦撃沈事件、普天間移転と「抑止力」論など。終了後帰宅。こんなレジュメを配った。

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韓国艦沈没は「北朝鮮魚雷」?!

●毎日21日付が比較的分かりやすい論調。
「米朝協議狙い"瀬戸際"過激化/交渉再開、可能性低く」
「6カ国協議、再開遠のく」

「安保理決議は困難」
・「万が一、朝鮮側の攻撃だったとして、結果論だが、これで平和協定の必要性が米国にも分かったのではないか」(北朝鮮政府関係者)
・北は「4者」=和平協定交渉を先行、米韓は「6者」=核協議を先行という駆け引き
・米の関心は「核流出」→核テロ

普天間問題のカギは「抑止力」論に

●ザ・ジャーナルでは昨秋以来、「本当に沖縄に海兵隊は要るのか?の論争を真正面から仕掛けろ」と言い続けてきた。(www.the-journal.jp→高野論説orインサイダーの項)

●中日新聞5月16日付社説「"抑止力論"の呪縛」
・首相が沖縄で「在沖米軍がすべて連携し、抑止力が維持できるという思いに至った」と言ったが説得力はない。むしろ、公約を守れなかった言い訳に抑止力という概念を持ち出したと言うべき。
・在沖海兵隊はイラクやアフガニスタンに派遣され、太平洋地域での訓練・演習にも頻繁に参加しているが、その間沖縄を空けても日本・極東で抑止力が著しく低下したという話は聞かない。
・朝鮮半島有事での海兵隊の役割は、米市民らの救出、北の核兵器確保が主とされるが、それは機動力であり抑止力ではない。(→毎日4月1日付スタルダー司令官の妄言)
・中国と米国が万一対峙した場合、航空優勢や制海権の奪い合いになるから、海兵隊よりも米海空軍の役割が大きい。
・尖閣列島も一義的には自衛隊の役割で、海兵隊が介入するかは確定的でない。
・そもそも有事には米本土から増援部隊が投入されるので、海兵隊が沖縄にいなければ抑止力にならないとは考えにくい。
・首相は「緊密で対等な日米同盟関係」を掲げるなら、県内移設の困難さを明確に伝え、仕切り直して、米軍基地(全体)の適正配置を協議すべき。

●毎日4月1日付「測り難い"抑止力"/沖縄海兵隊の意義」
・1月ワシントンでの日米安保セミナーで日本側から「沖縄の海兵隊の役割は何か、はっきりした説明がほしい」「"抑止力"という言葉で片づけず、より明確にしなければ、もう日米同盟が持たない」と。
・95年少女暴行事件後、米軍は海兵隊のオーストラリア移転を日本に打診。
・オバマ政権が今年2月発表の「4年ごとの国防政策見直し(QDR)」では「在日米軍の存在を確実にしつつ、グアムを安保の拠点に」という方向。
・「海兵隊の実力部隊をグアムに移し、現行計画で移ることになっている司令部隊を沖縄に残せばいい」(主要閣僚)。

鳩山の「常時駐留なき安保」論
●旧民主党結成直後の96年11月号「文芸春秋」論文の該当部分の全文(省略)
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5月23日(日)

 朝から雨の中、「早稲田の米プロジェクト」の学生&OBたち十数人が田植え。私の家のすぐ下の田んぼなので、合羽を着てちょっとだけ手伝って激励した。昼食後、全員が我が家に立ち寄ってくれたのでお茶をご馳走して懇談した。

Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

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